往来物関連情報(柱)

■「漁協の共済」にインタビュー記事が載りました (2004/6)

 仕事柄、インタビューするのは慣れていますが、本格的にインタビューされるのは初めてでした。魚偏漢字に精通した中島満さんに、言外の意味まで補ってもらい、記事にして頂きました。

 掲載記事原本(PDFファイル)
 *以下は掲載記事の全文です(中島満さんのご厚意により転載)


  “魚字尽”は江戸の初等教科書

   (リレートーク21・第67回 *2004年6月「漁協の共済」114)


    往来物研究家 小泉吉永氏 
    ―― 聞き手 中島満(まな出版企画)

 すし屋の茶わんにデザインされた魚偏漢字。いったいいくつ読めるのかに挑戦してみたことがあるはず。タイやマグロやイワシくらいならすぐわかるが、コチやハゼ、キスはどんな字だったかと首をかしげることでしょう。寺子屋で江戸時代の子どもたちが読み書きを学ぶときの初等教科書を「往来物」といいます。「おうらいもの」とよみ、手紙の往復という意味の「往来」からつけられたそうです。もともとは手紙文を学ぶことが読み書きの基本で、三行半(みくだりはん)の離縁状なども含まれていました。また、多様な書簡文体を借りて、一般常識や礼儀作法、習慣などの幅広い知識を往来物から学びました。この往来物の一つに魚へん漢字を羅列し、訓みを付した「魚字尽」(うおじづくし)というものがあります。
 江戸時代の庶民の子弟子女たちがこうした魚へん漢字を読み書きして覚えた知識が、日本人の魚好きを支えていたということも過言ではないような気がします。「往来物倶楽部」というホームページ(http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/indexOurai.htm)を通じ、往来物の楽しさ、おもしろさを発信している、往来物研究者の小泉吉永さんに、魚字尽とはどんなものだったのかについて語っていただきました。


 往来物ってどんなもの
?

――オウライモノとは聞きなれない言葉ですが、いったいどういうモノなのですか。
小泉 往復書簡の意味の「往来(おうらい)」に由来しています。本来は、手紙の模範文体やひな形のような文章を集めて、読み書き手習いの手本として作られたものです。古くは平安時代にもさかのぼれますが、中世のころに地理や歴史の地名や説話記事をとりいれた教科書的な体裁の往来物ができています。江戸時代になると、いろいろな手紙の文体を集めた内容だけではなく、職業案内や職業別基礎知識、あいさつや行儀作法を教えたもの、字書や百科事典的な品物事項や歳時などを絵入りで描いたものも多くなりました。
――寺子屋で使われた初等教科書のようなものと考えればよいのですか。
小泉 そうです。印刷された往来物も元禄頃からは、上下二段のレイアウトになったものが多くあり、本文の中心を占める下段に手紙の模範文体が書かれ、その上段に付録記事として幅広い庶民社会を生きるうえで必要な知識・教養や庶民文化・風俗のいろいろな事項が辞典や字典のように載せてあったりします。また、双六(すごろく)のようなゲーム性や遊びを取り入れたもの、諸国産物帳として全国の名産・名物を並べたもの、芝居や百人一首に見立てたものなど、多くの種類の往来物が出版されました。子どもや初学者向けに作られた読み書き、手習いの教科書でした。一般の子どもは寺子屋の師匠から写してもらったものを手本として用いましたが、多少お金に余裕のある商家の子弟などは自前で購入したり、自宅で学ぶ学習用参考書のような利用のされ方もしました。


 江戸庶民の識字率の高さ

――江戸時代の子供たちって、けっこうレベルの高い教育機会や教育素材が一般庶民のあいだでも普及していたと考えてよいのですか。

小泉 そうなんですよ。今の小学校・中学校クラスの子供たちと同じ世代の識字率が具体的に示せるものはありませんが、ヨーロッパで同じ時期に出回っていたコメニウスという人が書いた初等教科書としての「世界図絵」(一六五八年刊)と、中村齊が著した「訓蒙図彙」(一六六六年刊)という子供向け絵入り百科事典の海の生物について描かれた記述の内容を比べてみると面白いことがわかります。
 「世界図絵」は、海と川の水系の説明をするときに、人間を頂点として魚や海獣などの海の生物を大きなものから小さなものへと大きさを区別して一四種類を、海という景色のなかに、配置して並べています。
 「訓蒙図彙」では、海にすむ諸魚六〇種、貝類二四種の合計八四種の漢字表記に音よみと訓よみを付けて図解しています。どちらが教育的効果があるという評価は別にして、海と海にすむ生物の世界を子どもに教える方法がまったく異なっています。
コメニウスは、海と生物のまとまりを現在の言葉でいえば、 “生態系”という世界観を通して教えようとしています。具体的な魚の名前や語彙にはあんまり重点をおいていません。
 一方、日本の「訓蒙図彙」では、「異名尽くし」といいますか、庶民の食料として使われてきた魚貝の名前を網羅的にたくさんの語彙を覚えさせるために、暮らしに役立つ言葉として教えています。魚貝の利用度が異なるということはあっても、ヨーロッパでは世界観を主体に教え、江戸時代の寺子屋では言葉自体を教えるという違いがみられます。

 “魚字尽”が生まれたわけ

――幼児教育に“哲学=世界観”からはいるか、事物を表わす言葉からはいるか、現代の暗記教育にも通じる原点が往来物の記述の仕方にあったなんて、おもしろい指摘ですね。

小泉 そう単純に言えるものでもないでしょうが、コメニウスの本を手にすることのできた子こどはよほど恵まれた環境に生まれた限られた子弟子女であったはずです。ところが、日本の往来物は、その発刊点数の多さや種類の多さに加え、寺子屋の普及もあって、そうとうに幅広い階層から数多い読者を得ていたことがわかります。私個人で往来物を約五千点所蔵し、全国の図書館・個人所蔵のものを含めて、拙著「往来物解題辞典」や「女子用往来刊本総目録」などを出版し、全データの検索が可能な「往来物データベース」として公開していますから、その刊本数の多さを機会がありましたら確認してみてください。
――農業や漁業の職業についての往来物もあるのですか
小泉 農業を紹介した往来物は数が多いのですが、漁業を紹介した往来物は、北海道松前地方の漁業・漁法と海産物の流通を記した「漁業往来」(嘉永七・一八五四年)や、安政五・一八五八年に出た「浜屁小児教種」(はまべしょうにおしえぐさ)や安政頃の「船方往来」が知られていますが、いずれも現存本は非常に少なく貴重なものです。「漁業往来」は、扱う魚種、漁業技術の知識や、漁家の生計に役立つ知識、遊芸への戒めや地域の慣行、夫婦和合や先輩を大切にせよなど規範についても言及しています。
 漁業往来とは別に、先ほど述べました「異名尽くし」、つまり、語彙を学び、手習い書き方を学ぶための字書的な「魚字尽」が、たくさん出版されています。

――「魚字尽」には魚へん漢字を何字ぐらいのせているのですか。
小泉 私の所蔵する往来物をざっと探してみただけで六〇点位が見つかりました。寛永二一年頃の「魚字づくし」のように本の名前に使われる場合もあれば、明暦頃の「累用字尽」のように、本文項目中に「万うをづくし并貝尽」が含まれているもの、さらに、「魚貝料理之類」のような料理名として魚貝項目が載っているものもあります。江戸のもっとも古い頃の「魚字づくし」には「鯛・鱈・鱒……」として一一〇語載っています。年代も新しくなると、写真に見る八〇種ほどの魚貝が描かれている「商売往来絵字引」(元治元・一八六四年)のように、百科事典的様相をおびてきて、この「絵字引」にはオールカラーのものもありました。
――きれいな絵ですね。漢字の字体は草書でちょっと読めない。
小泉 当時の人々は、かえって楷書の文字のほうが苦手で、崩し字の字体(行草体)を学んでいたので、かなルビといっしょにして簡単に読めたのでしょう。江戸時代の庶民の子供たちが、百〜二百の魚偏漢字を、魚字尽を教科書に筆で書き、素読して覚えたのです。四季折々の旬の味について敏感であったばかりか、江戸の人の釣り好きともあいまって、魚貝知識がとても深かったということは、こうした往来物に含まれる「魚字尽」の勉強が貢献していたとも言えるでしょうね。

●エピローグ:藻類学の岡村金太郎博士は往来物蒐集家だった
付記
――取材中に小泉さんから往来物のコレクター・研究者として有名な岡村金太郎博士(昭和一〇年没)の名前が出てきた。岡村博士は、日本藻類学を切り開いた大学者、アサクサノリ研究の大家であり、現在の東京海洋大学の前身・水産講習所所長を務めた人物その人。藻類の研究者として藻類養殖関係者では知らない人がいないほどの人物のもう一つの顔として、往来物コレクターの業績があったとは、正直びっくり。岡村博士の水産学の業績と往来物研究との関わりについて再考することの必要性を感じた。 (聞き手・中島満)

●プロフィール
こいずみ・よしなが。1959年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。小中高校の教員、雑誌編集記者として学術出版社等を経て、現在は現代けんこう出版勤務。1987年、「庭訓往来」と出会い往来物の蒐集と研究をはじめ、往来物等の多くの近世資料の覆刻・CD‐ROM版発行を手がけながら、往来物の論考を発表。「往来物解題辞典」他著作がある。博士論文「近世の女筆手本―女文をめぐる諸問題―」で金沢大学学術博士1号授与。