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■平安の昔から明治初期まで使われた教科書「往来物」/解題辞典出版

  庶民の生活史研究に手引き   蕨の小泉吉永さん 来年1月 (2000年11月14日 朝日新聞・埼玉版)

 もとは平安時代中期に貴族の子弟のための手紙模範文として編まれ、庶民教育が爆発的に広まった江戸時代に各地の寺子屋の教科書となり、明治時代初期まで使われた初等教科書を総称して「往来物」という。この往来物を一堂に紹介し解説した「往来物解題辞典」(大空社)が来年早々、往来物の研究家で収集家としても知られる蕨市の出版会社勤務、小泉吉永さん(41)らの手で出版される。専門家は「往来物は庶民の生活史を研究する資料として注目されてきており、風俗史や文化・経済史などあらゆる分野の研究に役立つ」と評価している。

 往来物は平安時代を最古に、版元が書名を変えるなどして何度も出版された刊本のほかに、寺子屋師匠が手がけた写本などもあり、約千年間に数万種類に及ぶ本がつくられたと伝わる。特に江戸時代にはしつけや子育て、教訓、職業知識、法令や掟(おきて)など様々な実用知識をつづったものが現れ、十返舎一九や滝沢馬琴が書いた本もある。

 これまで「日本教科書大系・往来編」(全十七巻、一九六七│七七年、講談社)や「往来物大系」(全百巻、九二│九四年、大空社)などで、活字や原文の写真図版として読むことはできたが、同名異本の紹介や著者、版元、内容などを詳しく解説した辞典はなかった。

 小泉さんは往来物の民間研究家として博士号も持ち、往来物を多く収集する玉川大や東京学芸大(約二千冊)をしのぐ約三千五百冊を個人で収集している。国内最大のコレクションは約五千五百冊を所蔵する謙堂文庫で、その所蔵者で昭和女子大大学院講師の石川松太郎さんが今回の「解題辞典」を監修。小泉さんが七年かけて大半を執筆・編集した。

 「解題辞典」は、文献などに出てくる江戸時代の往来物から、明治初期に往来物の影響を受けてつくられたという「和装本教科書」までの約三千七百六十項目を解説した「解題編」と、五千四十点の図版を収めた「図版編」の二巻。

 一冊で五千点を超す図版を見ることができるのは初めてで、所蔵先や原文が読める出版物(書籍やマイクロフィルムなど)の紹介、人名や書名などの異称の索引も設けるなど研究者のツールとなるよう工夫されている。

 江戸時代の往来物のなかには遊女の心得などを説いたものや、婚礼の儀式や客を迎える作法、薬の知識を教えるもの、「子供の悪さを絶対に許すな」と諭す子育て法、言葉遊びのものなどがあり、なかには黒船来航以後の国内情勢をつづった時事ものもある。習字の手本や、生涯役に立つ知識として教えられたらしい。

 小泉さんは「江戸時代の往来物には庶民の暮らしや文化がつづられ、各地の寺子屋でそれぞれの地域や庶民の境遇などにふさわしい知識が教えられた。俗に『読み書きそろばん』というが、どういう読み書きを庶民たちが学んでいたのかがわかる」と話している。

 監修した石川さんは「往来物は明治時代初期の小学校でも使われていた。地域の産業史や生活史、政治経済などあらゆる分野の研究に役立つはず」と話す。

 刊行は来年一月の予定。全二巻で定価四万五千円。問い合わせは大空社(電話03・3902・2731)へ。

【往来物に詳しい金沢大教育学部の江森一郎教授(江戸時代教育史)の話】 
 これまで収集された往来物についてこれだけの規模で正確に解説された辞典はなく、画期的なものだ。日本の庶民史や生活史研究の大きな手引きとなる。 

■写真キャプション
 「歴史の教科書にあまりでてこない『庶民』教育の姿が往来物でよくわかる。往来物の世界にふれてほしいですね」と語る小泉さん

●取材記者─内藤章氏(朝日新聞北埼玉支局)