「庭訓往来」解説(「マイクロソフト エンカルタ 百科事典」)

●下記は、「マイクロソフト エンカルタ 百科事典99」(CD-ROM版)に収録された拙稿である。ただし、事典のため、一部編集者の手が加えられている。「[出典]いずれも小泉吉永氏所蔵」とあるのは誤解を招きやすいが、当初、図版掲載の予定であり、その図版の所蔵先の意味で編集者側が付記したものである。単なる「庭訓往来」ならば、謙堂文庫を始め各地の機関に、おびただしい数が保存されている。

庭訓往来
ていきんおうらい
中世〜近代初頭にもちいられた習字用・読本用の初級教科書。1巻。往復書簡の形式をとるいわゆる往来物の一種。「庭訓」とは、孔子が庭で息子をよびとめ、教えを説いたという故事による。南北朝末期〜室町前期の成立と推定され、著者は僧玄恵(げんえ)ともいうが、ともに不詳。
1年の各月に進状・返状を一対ずつ配し、閏(うるう)8月の進状をくわえて25通の書状からなる。各書状にはそれぞれ衣食住、職業、産物、政治、仏教、病気など、社会全般の事物に関する単語を列挙し、武士や庶民の日常生活に必要な知識をまなべるようになっている。安土桃山時代以前に筆写されたものだけでも30種以上あり、江戸時代には注釈本、絵入り本などが各種刊行されて庶民の家庭での教育や寺子屋でひろくつかわれた。
"庭訓往来" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 99.)

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(関連情報)

■写真は、室町時代後期(享禄元年(1528)
 の書き入れがある)の古写本。
庭訓往来・古写本
『庭訓往来』
ここに収録した前者は、室町時代後期の『庭訓往来(ていきんおうらい)』(写本)の五月返状(大夫将監大江から左京進宛て)の箇所で、テーマは大名高家の饗応。後者は『絵入庭訓往来』(1688)の二月往状(弾正忠三吉から大監物宛て)の部分で、テーマは詩歌の会となっている。近世になってはじめて絵入りの『庭訓往来』が登場したが、本書はその初期の例で、本文中の用語を図解でわかりやすく説明してある。なお原文は漢文であるが、書き下し文にあらためた。
[出典]いずれも小泉吉永氏所蔵

●『庭訓往来』五月返状
 不審千万の所に、玉章(たまずさ)忽(たちま)ち到来す。更に余欝(ようつ)を貽(のこ)すこと無し。便宜をもって徘徊せられば尤(もっと)も本望也。
 抑(そもそ)も、客人光臨、結構奔走察し奉り候。借用せらるる所の具足、所持分に於いては、之を進ずべき也。
 灯台、火鉢、蝋燭台(ろうそくだい)、注文に載せられずと雖(いえど)も、進ずる所也。
 能米〔玄米〕、馬の大豆、秣(まぐさ)、糠(ぬか)、藁(わら)、味噌、醤(ひしお)、酢、酒、塩梅、并(なら)びに初献の料に海月(くらげ)、熨斗鮑(のしあわび)、梅干。削り物は、干鰹(ほしがつお)、円鮑(まるあわび)、干蛸(ほしだこ)、魚躬(のみ)、煎海鼠(いりこ)。生物は、鯛(たい)、鱸(すずき)、鯉(こい)、鮒(ふな)、鯔(なよし)、王余魚(かれい)、雉(きじ)、兎、雁、鴨、鶉(うずら)、雲雀(ひばり)、水鳥、山鳥一番(ひとつがい)。塩肴(しおざかな)は、鮎(あゆ)の白干、鮪(しび)の黒作(くろづくり)、鱒の楚割(すいり)、鮭(さけ)の塩引、鯵(あじ)の鮨、鯖(さば)の塩漬、干鳥、干兎、干鹿、干江豚(いるか)、豕(いのこ)の焼皮、熊の掌(たなごころ)、狸の沢渡、猿の木取(ことり)、鳥醤(とりびしお)、蟹味噌(かにみそ)、海鼠腸(このわだ)、鱗(うるか)、烏賊(いか)、辛螺(にし)、栄螺(さざえ)、蛤(はまぐり)、ソ交雑喉(えびまじりざこ)、氷魚(ひうお)等。
 或いは買いおぎのい、或いは乞い索(もと)め、これを進ぜしめ候。猶以って不足の事候わば、使者を給うべき也。謹言
 五月日
  大夫将監大江
 左京進殿 御返事

[大意]
 御無沙汰のため、あなたの御様子を心配しておりましたら、早速お手紙を頂戴いたしましたので、気持ちが晴れ晴れ致しました。ご都合のよろしい折にお越し下されば、大変うれしく存じます。
 さて、賓客のためにご多用のことと拝察する次第ですが、あなたが借用を希望された品々のうち、私が持っているものは全て提供いたしましょう。
 灯台、火鉢、蝋燭台はご指示がございませんでしたが、ご必要かと存じますので、お貸し申し上げましょう。
 能米、馬の大豆、秣、糠、藁、味噌、醤、酢、酒、塩梅、ならびに初献の料理用の海月、熨斗鮑、梅干、それから削り物には干鰹、円鮑、干蛸、魚躬、煎海鼠、生ものには、鯛、鱸、鯉、鮒、鯔、王余魚、雉、兎、雁、鴨、鶉、雲雀、水鳥、山鳥一つがい、また、塩肴等には鮎の白干、鮪の黒作、鱒の楚割、鮭の塩引、鯵の鮨、鯖の塩漬、干鳥、干兎、干鹿、干江豚、豕の焼皮、熊の掌、狸の沢渡、猿の木取、鳥醤、蟹味噌、海鼠腸、鱗、烏賊、辛螺、栄螺、蛤、ソ交雑喉、氷魚など。
 これらを購入したり、探して、貴殿にお届け致しましょう。このほかに必要なものがあれば、遠慮なく使者を遣わして下さい。

●『庭訓往来』二月往状
 面拝の後、中絶良(やや)久しく、遺恨山の如(ごと)し、何(いず)れの時か、意霧を散ずべけんや。併(しか)しながら、胡越(こえつ)を隔(へだ)つるに似たり。猶(なお)以(も)って千悔々々。
 抑(そもそ)も、醍醐・雲林院の花、濃香(じょうこう)芬々(ふんぷん)として、匂い已(すで)に盛んなり。嵯峨・吉野の山桜、開落条(えだ)を交え、其の梢繁し。黙止(もだし)難きは此の節なり。争(いか)でか徒然として光陰を送らんや。
 花の下(もと)の好士、諸家の狂仁、雲の如く、霞に似たり。遠所の花は、乗物、童僕合期(ごうご)し難し。先(ま)ず、近隣の名花、歩行の儀を以って思い立つことに候。左道の様たりと雖も、異躰(いてい)の形を以って、明後日、御同心候わば本望(ほんもう)なり。連歌の宗匠、和歌の達者一両輩御誘引(ごゆういん)あるべし、其の次いでを以って、詩・連句の詠、同じく所望に候。
 破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)等は是より随身(ずいじん)すべし。硯・懐紙等は懐中せらるべきか。如何(いかが)、心底の趣、紙上に尽くし難く候。併しながら、参会の次いでを期す。不具謹言
 二月二十三日
  弾正忠三吉
謹上 大監物殿

[大意]
 この間お会いしてからは、大分ご無沙汰をしまして、大変残念でなりません。いつになったら、私の心が晴れるのでしょうか。私とあなたとの間は、まるで古代中国の胡国と越国のように遠く離れていると思うと、なおさら心残りです。
 醍醐寺や雲林院の桜は香り高くあたりに広がり、嵯峨や吉野の山桜は、花開く枝と花散る枝が混ざりあって、梢も彩りを増していることでしょう。じっとしていられないのは、まさにこの季節です。花見もせずに、いたずらに月日を送ることなどどうしてできましょう。
 風流を愛し、詩歌を好む者は、桜の名所に雲霞のごとく群集します。遠方の桜は乗り物や下人などの用意が必要で煩わしいので、とりあえず、近場の名所を徒歩で訪ねたいと存じます。風変わりですが、身をやつして、明後日にご一緒下されば、本望です。
 その際、連歌・和歌の名人を一人二人お誘い下さい。また漢詩や連句などもぜひご披露下さい。
 酒食の用意はこちらで致します。硯や懐紙はご持参下さい。ご一緒したいという気持ちは、筆舌に尽くし難い程です。とにかく、参会の時を心待ちにしております。

小泉吉永所蔵

("「庭訓往来」" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 99. )