●随時、稀覯書を紹介していきます(2001年4月) |
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〈拾遺新著〉安政歌字尽 |
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■写真は上から順に、表紙(原題簽)/序文冒頭/本文冒頭(2点) |
【作者】紐野吉治作・序。 【年代】安政五年(一八五八)序・刊*[因幡]紐野吉治蔵板。 【分類】語彙科。 【概要】半紙本一冊。「小野篁歌字尽」†にない漢字を用いて「小野篁歌字尽」風に字形の似通った漢字を集めて暗誦用の狂歌を付けた往来物。漢字五字を一句とする形式(ただし末尾では漢字二〜四字一句の所もある)で、例えば「吉(きち)・吝(あわれむ)・召(めす)・呑(のむ)・唇(くちびる)」(第九句)のように列挙した後に細字で「しはきちよ、ぶんはあはれむ、かたなめす、てんはのむなり、たつはくちひる」といった狂歌をそれぞれ添える。全一三〇句六三七字からなり俗字も極めて多い。また、冒頭一六句の頭字を続けると、「因幡御城下住、紐野吉治、歌字尽作如此」という一文になるのは作者の遊びである。なお、巻頭に小野篁が破軍星の化身であるといった俗説を紹介する。〔小泉〕 【所蔵】小泉・都立中央。 ■関連情報 小野篁歌字尽 ──漢字教育の妙案?「歌字尽」型往来の諸本 左の漢字は何と読むかお分かりでしょうか。言うまでもありませんが多くが俗字です。 答えは、@が「たばかる(謀る)」で、Aの「かしまし」、Bの「とどろく」は今日も通用していますが、Cの「あつまる」、Dの「おろか」、Eの「めめざこ(めめじゃこ=メダカなどの小魚類)」、Fの「なまぐさし」などは当てずっぽうでも読めないでしょう。 これは『小野篁歌字尽』という往来物に出てくる漢字で、@〜Bが本文五五行目、C〜Gが五七行目にあたります。そして、暗誦用に次のような和歌を用意するのが基本パターンです。 男みつかけはたはかる女をは かしましとよむくるまとゝろく 三つかける鳥はあつまる鹿おろか 魚はめゝさこ羊なまくさ 同様に、漢字三字を積み重ねた作字の例として、同書五八行目にも、G〜Kの 五字を掲げたうえで、 三つかける火はひはな也水ふかし 木もり日ひかり馬はおとろく と同様の歌を付記しています。ちなみに、 Gは「ひばな」、Hは「ふかし」、Iは「もり」、Jは「ひかり」、Kは「おどろく」と読みます。 このように、同じ原理でできた漢字や字形の似通った漢字、また同字を含む熟語や世話字・宛字の類を行毎に二〜五字(語)ずつ掲げ、さらに暗誦用の和歌を添えたのが『小野篁歌字尽』で、語彙科往来では最も流布したものの一つでした。 寛文二年(一六六二)一月刊本(京都・近江屋次良右衛門板)がその最古本で、本文冒頭の 椿 榎 楸 柊 桐 春つばき夏はゑのきに秋ひさぎ 冬はひらぎ同はきり のように、行毎に部首が共通する漢字を列挙するのが一般的です(これを仮に「椿」本と読んでおきましょう)。 しかし、『小野篁歌字尽』はその後かなりの板種が見られ、寛文〜延宝期に京都で数種が刊行されました。他の出版物同様、その後の出版地は江戸中心となり、江戸中期以降は江戸板が圧倒的となりました。 江戸板『小野篁歌字尽』の最初は、寛文一一年(一六七一)の松会板と思われます(筆者未見で概要不明)。その後、天和三年(一六八三)の江戸・鱗形屋板は 木 椿 榎 楸 柊 木をかいてはるはつばきに夏ゑのき あきはひさぎにふゆはひらぎよ のように、「桐」に代えて「木」を入れた異本で、元禄期を中心に若干の普及を見ました。 この「木」本は、江戸板のみと思われますが、普及の点では京都に発した「椿」本に比べると極めて少数です。私が調査した四五種の中ではわずかに六種一三%に過ぎず、全体の九割近くが「椿」本です。 いずれにしても、「椿」本の原型は全一二六行六二五字からなり、各行平均四・九六字であるが、「椿」本には語彙数(行数)の異なる異本(最高二八三行〜最低八三行)が一〇種以上あります。また、宝暦以降は中本サイズの一三一行が主流となっていきます。 |
さらに出版地について付け加えますと、京都板が江戸前期から中期まで、江戸板が江戸前期から後期までコンスタントに刊行されたのに対して、大坂板はほとんど見られないという特徴もあります。 一方、地方板では天明八年(一七八八)の仙台板が早く、江戸後期には信州板、甲府板など数例が知られています。 さて、これらから派生した改編版には、天明八年刊『訓蒙夷曲歌字尽(きんもうきょうかじづくし)』(江戸板)、江戸後期(天保初年以前)刊『大全歌字尽』(高井蘭山作。江戸板か)、安政五年(一八五八)刊『安政歌字尽』(紐野吉治作。因州板)があり、それぞれの概要は別表の通りです。 これらの亜流本は、「『小野篁歌字尽』といへる偽書のあやまり若干なるを嘆て…」(『訓蒙夷曲歌字尽』)、また、「『歌字尽』の小冊誤を伝るを愁へ…」(『大全歌字尽』)、「篁の『歌字尽』になき文字のみをゑり出して『安政歌字尽』と題し…」(『安政歌字尽』)というように、流布本『歌字尽』の補訂であったり、全くの新編であることを強調していますが、その実はいかなるものでしょうか。 そこで、『小野篁歌字尽』『訓蒙夷曲歌字尽』『大全歌字尽』『安政歌字尽』における漢字の一致度を検討すると、次のようになります(読み方が異なる場合も同字と見なしました)。 [1]『小野篁歌字尽』と『大全歌字尽』に共通…七字 [2]『小野篁歌字尽』『訓蒙夷曲歌字尽』『大全歌字尽』三者共通…五字 [3]『大全歌字尽』と『安政歌字尽』に共通…四字 [4]『訓蒙夷曲歌字尽』と『大全歌字尽』に共通…三字 [5]『訓蒙夷曲歌字尽』と『安政歌字尽』に共通…三字 [6]『大全歌字尽』のみ…三字 [8]『安政歌字尽』のみ…二字 以上三二字から見た各本の一致度は、「『小野篁歌字尽』と『大全歌字尽』」一二字、「『訓蒙夷曲歌字尽』と『大全歌字尽』」八字、「『小野篁歌字尽』と『訓蒙夷曲歌字尽』」五字、「『大全歌字尽』と『安政歌字尽』」四字、「『訓蒙夷曲歌字尽』と『安政歌字尽』」三字の順になり、「『小野篁歌字尽』と『安政歌字尽』」で一致する文字はありません。従って、次のような結論を導き出すことができます。 @『小野篁歌字尽』と『大全歌字尽』の一致度は最も高く、前者に掲げられた一二字を全て網羅するように、『大全歌字尽』は異種「歌字尽」の中で最も原型に近い。その反面、本書は独自の語句も多く含み、類書中抜群の語彙数(四五八行、二二八四字)を誇る。往来物最多作家の一人である高井蘭山の童蒙教育への熱意を垣間見ることができよう。 A続いて一致度が高かったのは『訓蒙夷曲歌字尽』と『大全歌字尽』であった。しかし、両者に一致する八字のうち五字は『小野篁歌字尽』以来のもので、『訓蒙』と『大全』の直接的な関連とは考えにくい。また、『小野篁歌字尽』の基本形は「部首が共通の漢字で一行五字」で全体の八四%を占めたが、『大全』も『小野篁歌字尽』の三倍以上の文字数でありながら部首共通が九二%と一層高くなっているのは、蘭山が『歌字尽』の基本に沿って増補したことを示す。これに対し、『訓蒙』は基本形が七八%とやや低く、「部首共通」や「一行五字」の原則に反した行が二〇%を越えており、編集形式上の相違はさらに高まる。 Bまた、『安政歌字尽』は『小野篁歌字尽』と共通する字が全くなかった。これは本書序文のように意図的に『小野篁歌字尽』中の漢字を避けた結果である。このほかでは両者に共通する漢字が若干見られるが、本書は『小野篁歌字尽』との一致度が最も低く、むしろ『大全』や『訓蒙』を参照した可能性が高い。 なお、最後の『安政歌字尽』は地方出版(私家版)ということもあって極めて伝本が少ないので、若干付言しておきます。 本書は意図的に『小野篁歌字尽』の漢字を排除したため、所収の漢字に俗字がとりわけ多いのが特徴です。例えば、末尾には、左図のように「心」という漢字をいくつも並べた俗字を掲げています(それぞれ読みは「かなしむ」「まよう」「うたがう」「よろこぶ」)。ほとんど謎掛けのような甚だしい俗字ばかりです。 ただ編集形式上は、先の各行五字、部首共通の原則に忠実で全体の九三%に相当する。だが本書を読んでみると、全体的に部首毎によく整理されているにも関わらず冒頭部が乱れているのに気付くでしょう。 実は、そこには筆者の自己PRが隠されているのです。すなわち、写真のように冒頭一六行の頭字を横に読んでいくと、「因幡御城下住紐屋吉治歌字尽作如此」となっています。『安政歌字尽』は所載漢字の特異性とともに、一種の謎解きを含んだユニークな「歌字尽」型往来と言うことができると思います。 |