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や行






◇やおやうけじょう [3492]
八百屋請状‖【作者】尾崎新太郎作か。【年代】明治三年(一八七〇)作・書。【分類】消息科(戯文)。【概要】異称『八百屋這孤人請状之事』。奉公人請状をパロディー化した戯文の往来。紀州生まれの「蕗」という孤児が八百屋・胡倉菜屋山椒太夫店に奉公するにあたって、山葵屋干瓢兵衛が保証人となる想定で綴る。日付を「桃栗三年柿八月」とするなど面白おかしく脚色するが、文中に野菜・山菜などの名称を種々盛り込み、請状形式と語彙の同時学習も期待できる。また、同様の往来として、十返舎一九の『〈魚づくし口あい〉奉公人請状之事〈并ニ〉酒づくし新酒手形之事』や、作者不明の『むし仲間往来(洗濯所より被仰出候御触書之写)』†等の刊本が存するので、先行刊本を写しか、それらの趣向を模倣したものであろう。本書は兵庫県加西郡別府村で使用された手本という。〔小泉〕
◇やくしゅづくし [3493]
薬種尽‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】理数科。【概要】草之部・木之部・菓之部・穀菜之部・金石土之部・禽獣之部・魚虫之部の七部に分けて薬種の名称を列挙した往来。大坂の薬種商子弟用に編まれた手本と思われる。〔小泉〕
★やくしょううた/やくしょうか [3493-2]
薬性歌‖【作者】不明。円修良書。【年代】文政一三年(一八三〇)書。【分類】理数科。【概要】文政一三年写本は中本一冊。「人参味甘、大補元気、止渇生津、調栄養衛。黄蓍性温、収汗固表、托瘡生肌、気虚莫少…」で始まる四言二四〇句の文章で、二四〇種の薬種の特徴や効能を列記した薬種入門書・準往来物。文政一三年写本は楷書・小字・九行・無訓で綴り、送り仮名等を朱筆で示す。〔小泉〕
◆やぐちもうで [3494]
〈頭書絵入・大師河原〉矢口詣‖【作者】高井蘭山(伴寛・思明・文左衛門・三遷・哂我・宝雪庵)作。【年代】寛政六年(一七九四)刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。「兼而申合候矢口詣、弥(いよいよ)明後日と相定候…」で始まる手紙文形式で、日本橋から武蔵国荏原郡矢口村(東京都大田区)・新田大明神(矢口新田霊社)に参詣し、さらに御殿山に戻る沿道の名所旧跡・神社仏閣の景趣や縁起等を記した往来。増上寺・泉岳寺・御殿山・東海寺・海晏寺・鈴の森八幡・玉川弁財天・大師河原平間寺などを順々に紹介し、続いて新田義貞の二男・義興が謀殺された矢口の渡しの故事や、新田大明神の由来・故実を触れ、さらに帰路の名所若干に言及する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に品川宿から新田大明神までの主要な名所風景図、頭書に「十二月風景図」「十二月詩歌」、巻末に「二十八宿年中晨昏夜半中星」を掲げる。〔小泉〕
◇やざわむらなづくし [3495]
谷沢村名尽(仮称)‖【作者】不明。【年代】天保一四年(一八四三)頃書。【分類】地理科。【概要】山形から天童、東根、楯岡、尾花沢、大石田と北上し、谷沢村に至る周辺の村名を列挙した往来。同時に、間道で谷沢に及ぶ近辺の村名も記す。同地の手習い師匠の作であろう。〔石島〕
◇やすひらじょう [3496]
恭衡状‖【作者】不明。【年代】嘉永五年(一八五二)書。【分類】歴史科。【概要】特大本一冊。藤原恭衡の書状に仮託した擬古状。源義経の首を鎌倉へ送り届ける途次に首実験をする場面から、義経の若死をかこつ心情までを述べ、和歌一首で締め括る。奥州藤原氏の四代目を伊達恭衡としたり、頼朝に滅ぼされる義経の夭折に重ねて恭衡に同情する立場をとる。「六月三日、伊達泰衡かつかひ、新田冠者高衡、義経の首を捧て鎌倉江入、腰越の浦に着よし、きこへけれは…」で始まる本文を大字・四行・無訓で記す。なお、嘉永五年写本には、「祝葬単語字尽」等の往来を合綴する。〔石島〕
◇やつかおうらい/やつかほおうらい [3497]
八握往来‖【作者】不明。牧野兵馬補。尾碕元雄序・書。【年代】天保(一八三〇〜四三)頃増補。明治九年(一八七六)序。明治一〇年書。【分類】地理科。【概要】中本一冊。現存の明治一〇年写本は、旧鳥取藩士・御絵図引の牧野氏が既存の往来を天保頃に加筆した往来で、旧蔵者・佐藤荘平より借覧して明治一〇年に尾碕氏が転写したものという。本文中に「八束穂(やつかほ)」と出てくるように、書名の『八握』は「やつか」または「やつかほ」と読むと思われる。「歳旦之慶賀、万里同風六戚九族之親、福寿延長幸甚々々…」と起筆する全一通の新年祝儀状の形式で、因幡国岩美郡・気高郡一帯の名所旧跡、産業・物産、山川などを紹介する。まず鳥取城下の治安や繁栄ぶり、あるいは武芸・学問・信仰・芸能の盛んな様子を略述し、続いて城下の神社仏閣とその景趣・縁起、町々の諸職・商売および物産、沿岸部・河川流域の水産物、農村部からの穀類・青物・山菜類・商品作物、金銀銅山、名所旧跡・奇観ならびに故事、江津賀露の船遊び以下庶民の遊興・物見遊山・年中行事までを記す。本文をやや小字・一〇行・無訓で記す。〔小泉〕
◇やどのはらもうで [3498]
宿原詣‖【作者】松村長重作。田原友脩(風月軒)書。【年代】天保九年(一八三八)序・書。【分類】地理科。【概要】伊予国温泉郡道後村(愛媛県松山市)周辺の神社仏閣・名所旧跡を巡拝する趣向で、それらの景趣・縁起等を順々に記した往来。「夫、宿原詣の順路は、東雲の頃より出立し、先、橘の井手社へ参詣し、其来歴を尋ぬるに、元は江川に有と聞く…」と筆を起こし、各地の景観や周囲の様子や風俗にも触れながら、五岳山・清盛寺・桑原寺・得能寺・御幸寺(三木寺)・水月観音・河野川・温泉山・新田明神や各地の城址を歴覧した後で、石手寺(安養寺)・義安寺・湯薬師・道後神社を参拝し、「…爰(道後温泉)にて入湯有ば、其日の疲もうすからんか。穴賢」と結ぶ。〔小泉〕
◆やばたいしこくじしょう/やばたいしかなしょう [3499]
野馬台詩国字抄‖【作者】高井蘭山注・跋・書。花屋久治郎(星運堂)序。大石原(喜章)跋。【年代】寛政九年(一七九七)跋・刊。[江戸]花屋久治郎板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。一説に不稽孟浪作という『野馬台詩』を童蒙向けに注解した往来。『野馬台詩』の起こりを冒頭に述べ、続いて同本文(五字一句・全二四句一二〇字)を二句ずつ楷書・大字・五行・付訓で記し、それぞれ平易な二行割注を施す。本文の各漢字に四声韻字を示すほか、巻末に「辨正」と題して補注を追加する。〔小泉〕
◆やばたいしよし [3500]
野馬台詩余師‖【作者】不明。【年代】天保一四年(一八四三)刊。[江戸]亀屋文蔵ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈野馬台詩〉経典余師』。中本一冊。五言一二韻、全一二〇字から成る作者不明の漢詩で日本太古からの歴史を綴った『野馬台詩』の童蒙向け注釈書。『野馬台詩』本文を二句ずつ大字(半丁七行大)・無訓で掲げ、それぞれ平易な二行割注を施し、さらに頭書に書き下し文を置く。また、本文に応仁の乱についての記載がある一方で、吉備真備が入唐した時にこの詩を解読したという妄説が普及していたが、それら年代の矛盾とともに作者にも触れ、本書巻頭に示した「宝誌和尚作」を否定して、巻末「辨正」では「不稽孟浪作」に訂正する。さらに「安倍仲麿伝」を掲げるほか、巻頭に「吉備真備肖像」や『野馬台詩』解読の経緯などをまことしやかに述べる。『野馬台詩』は、本書の如き単行刊本のほかに、江戸中期以降の合本科往来に収録されている。〔小泉〕
◆やまいちおうらい [3501]
山市往来‖【作者】不明。【年代】宝永三年(一七〇六)作・書。江戸中期刊か。[渋川か]刊行者不明。【分類】地理科。【概要】大本一冊。上野国渋川(群馬県渋川市)の市場(この市場を「山市」と称したか)に集散する穀類・魚類・鳥類・獣類・野菜類・樹木・小間物・薬種香料・衣類・紙類・酒類・茶・味噌・金物諸道具・馬などの取引物資を列挙した往来。「我所生武蔵野之露分、上野国群馬郡渋川之傍所設蝸屋、一両年送春秋処、従来、身不屑而生立卑…」と筆を起こし、友もない淋しさのあまり日々「山市」の様子を見て慰みとし、これを書き記して童蒙の手本とした経緯に触れ、以下、諸商品の名称を列記する。本文を大字・四行・無訓で記すが、原本は渋川または高崎で上梓された田舎板で彫刻が粗雑である。本文末に「于時宝永三歳」の刊記を記すのは撰作年代であろうが、実際の刊年はそれよりもかなり後のことと思われる。〔小泉〕
◇やまがたごじょうかじしゃづくし [3502]
山形御城下寺社尽し‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『山形軒数寺社名所記』。上町より左まわりに、山形市街の町名と軒数などを紹介しながら、寺社の縁起、持高、宗派とともに寺社名を列記した往来。後半部を欠く零本だが、あるいは合本科往来の一部であろうか。〔石島〕
◆やまざきおうらい [3503]
山崎往来‖【作者】新吉書。【年代】江戸後期書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。現在の京都府南部の山崎町付近の地理、特に産物と流通関係を主題に綴った往来。まず、「凡、座方商売は第一、杉・桧…」と材木や領地の種類を掲げ、続いて、これらを輸送する手順や手続きに関する語句を列挙する。心得を述べた箇所もあり、例えば、問屋についての部分では、取り扱う商用文書の種類を挙げつつ、勘定・差引・取遣の算用が滞らないようにと諭す。また、町方で売買される周辺諸地域からの商品名を羅列し、さらに後半で養蚕・蔵米の売買上の注意や、食品・家財・諸道具など生活関連語彙や、諸職人・町内警備・諸商売関連の語彙を挙げる。名所旧跡や風俗には全く触れずに、物産や流通に焦点を絞る点で、交通の要地としての特色をよく反映した往来といえよう。本文を大字・二行・所々付訓で記す。表紙に「本主新吉」と記すが、本文と同筆と思われる。〔小泉〕
◇やまざとこくそんき [3504]
山里国村記‖【作者】藤原富太郎書。【年代】明治一六年(一八八三)書。【分類】地理科。【概要】異称『山里之楽』。羽前国東田川郡荒沢村で使用された手本で、同地の山村生活を誇らしげに綴りながら、同地の名産・名物などを紹介した往来。地名等は記さないが、地域の物産に触れる点で地理科往来と見なせる。山里に住む者の楽しみが限りないことを強調した文章で、四季折々の風景や花鳥風月その他生物・産物を順々に列挙し、さらに後半で自給自足の山村生活では金銭を持つ必要が少なく、上等な衣類も持たないために盗難の心配が無用であると結ぶ。都会と田舎における生活や人情の違いに着目した、元禄一一年(一六九八)頃刊『摂河往来』†と同様の「都鄙論」を展開するのが注目される。〔小泉〕
◆やましろぐんそんめい [3505]
山城郡村名‖【作者】不明。【年代】明治五年(一八七二)刊。[京都]京都書籍会社(大黒屋太郎右衛門)板。【分類】地理科。【概要】異称『山城国郡村名』。半紙本一冊。乙訓郡・葛野郡・愛宕郡・紀伊郡・宇治郡・久世郡・綴喜郡・相楽郡の順に旧山城国八郡の一郷・四荘・四七八村の名称を列記した教科書。本文をやや小字・七行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆やまでらじょう [3506]
〈羽州最上〉山寺状‖【作者】松本一笑軒作。田宮梅隠(年玄)序。福田章山跋。身人部某書。【年代】延宝(一六七三〜八一)頃作。享保七年(一七二二)序。享保一一年跋・刊。[京都]芳野屋徳兵衛板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。羽前国最上郡・宝珠山立石寺、いわゆる「山寺」を紹介した往来。「倩観飛花落葉者、夢浮世不久、未来猶無覚束侭、赴廻国行脚、順礼諸国。爰至羽域最上、有山寺、令参詣、暫徘徊、日本第一境致也…」で始まるように、諸国順礼の旅を続けてきた者が同寺を訪れた紀行文風に綴る。江戸初期の山寺の様子や、縁起・伝来・祭礼を生き生きと伝え、末尾ではその荘厳な景観を讃えて締め括る。巻頭口絵に立石寺全景図を掲げ、同寺の縁起等四カ条を記し、続いて梅隠の序と「山寺状詩」を載せた後、まず楷書・小字・九行・付訓の本文、続いて、行書・大字・四行・無訓の本文を掲げる。作者の事跡や本書出版の経緯については、序文・跋文に若干の記事がある。〔小泉〕
◆やまとおうらい [3507]
大和往来‖【作者】武藤某作・書。【年代】寛文九年(一六六九)刊。[江戸]河村利兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本二巻二冊。次項『〈当用〉大和往来』†とは別内容。日常生活での用件を主体の消息文約七〇通(「新年を賀し鴨・雉を贈る文」から「御上使御乗船の日限通知の依頼状」まで)を収録した往来。各書状は、当時の京都豪商間で遣り取りされる日用文で、その点、松永貞徳作の用文章を編集した慶安三年(一六五〇)刊『貞徳文集』†の流れを汲む。現存する完本は三次本のみで、別に謙堂文庫本に上巻のみの零本二種(日付入り本と日付無し本)がある。これら三本は全て異本で、三本とも大字・五行・付訓で綴る。なお、寛文九年・河村板の識語に「寛文九年酉五月吉日、武藤氏自作自書」と記す。〔石川〕
◆やまとおうらい [3508]
〈当用〉大和往来‖【作者】寺沢政辰書。【年代】享保(一七一六〜三六)頃刊。[京都]薮田板。【分類】消息科・語彙科。【概要】大本一冊。同様の書名だが寛文九年(一六六九)刊『大和往来』†とは別内容。@用文章、A筆法心得、B詩歌、Cかな文、D女子教訓、E国尽、F官名を綴った寺沢流手本。@は、献上品披露の礼状や屋敷拝領を祝う手紙、参府・着府に伴う報告・礼状、端午祝儀の礼状、出産・婚礼に伴う書状など公私にわたる武家用文一七通。Aは、筆道初心者の心得を述べた小文。Bは、『古今和歌集』『和漢朗詠集』等から抜粋した詩歌一二編。Cは、仮名主体の女子消息文で、初夏の山の趣を伝える文以下一〇通。Dは、懈怠を戒める教訓文。Eは、表題に『諸国』とあるが一般に『大日本国尽』と呼ばれるもの。Fは、太政大臣以下約九〇の官名を列挙したもの。いずれも大字・四行・無訓(E・Fは付訓)で記す。なお、本書には宝永三年(一七〇六)刊『〈玉置〉かな手本』†の影響が明らかである。〔小泉〕
◆やまとがなおんなぶんしょう [3509]
〈川田剛吉著〉倭仮名女文章‖【作者】川田剛吉作・序。玉堂散史校。有栖川親王・吉原重俊序。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[東京]高橋松之助(青琳堂)蔵板。水野慶治郎ほか売出。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。漢字を一切使用しない完全な仮名文で記した女文章。「はつはるのふみ」から「せいぼのふみ・おなじくかへし」までの三二通を収録する。五節句祝儀状や四季行事に伴う手紙、その他吉凶事や諸用件の手紙からなり、「はつとし の おんことぶき いづかた も、めでたき おんこと と、いはひおさめ まゐらせ そろ」のように単語毎に放ち書きにするのが特色。楷書・小字・一〇行で記す。序文によれば、有栖川親王が「かなのくわい(仮名の会)」会頭に就任した際の祝詞が本書編纂の契機となった。巻頭に「有栖川三品親王の御祝詞」および「吉原重俊君答辞」、頭書に全文仮名文の「女礼式」を載せる。〔小泉〕
◆やまとしょうがく [3510]
やまと小学‖【作者】辻原元甫(省・橘軒散人・沙木子)作・跋。【年代】明暦四年(一六五八)跋。万治二年(一六五九)刊。[京都]村上勘兵衛板。また別に[京都]野田弥兵衛(埜田弥兵衛)板あり。【分類】女子用。【概要】異称『〈新板〉やまと小学』『〈新板絵入〉やまと小学』『倭小学』『大和小学』。半紙本または大本六巻八冊。朱熹の指示を受けて劉子澄が編んだ『小学』の主旨を邦訳したもの。次項の『大和小学』†(山崎闇斎作)に書名が類似するが、全くの別内容で、各巻に数葉の中国風俗画を挿む点でも異なる(『大和小学』には挿絵なし)。序に、『小学』は「その理におゐては、おのれをおさめ、人ををさむる道を具足」したもので熟読玩味すべき書物だが、「一文不通の輩、女わらんべの類」には原文のままでは読みかねるので、それを「諺解」、すなわち平易・通俗的な和文に改めたと記す。巻之一は「立教篇第一」で、各篇ともに最初に大意・概略を述べたうえ各論に入っていく。以下同様にして、巻之二「明倫篇第二」(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の五部および通論)、巻之三「敬身篇第三」(心術・威儀・衣服・飲食の三部)を説き明かし、さらに巻之四「稽古篇第四」(立教・明倫・敬身三篇にふさわしい「いにしへの聖賢のおこなひ」を集録)、巻之五「嘉言篇第五」(同三篇の「みちをおしひろめ」るための嘉言を集録)、巻之六「善行篇第六」(同三篇の道理を証明するために、漢〜宋代の賢人の事跡を列記)の三篇によって例証する。いずれも本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◆やまとしょうがく [3511]
大和小学‖【作者】山崎闇斎(嘉右衛門・敬義・垂加翁)作・序。【年代】万治元年(一六五八)序。万治三年刊。[京都]村上平楽寺板。また別に[京都]上村四郎兵衛ほか板あり。【分類】女子用。【概要】大本五巻五冊(後に五巻合一冊)。題簽題は順に『大和小学立教』『大和小学明倫〈君臣〉』『大和小学明倫〈父子〉』『大和小学明倫〈夫婦・朋友・長幼〉』『大和小学敬身』。序に「『小学』こそ人のさまなれば、男のみならはんかは。されど、まなしらぬ女はよみがたかるべし。そのさまをかなにやはらげよ…」とあるように、いわゆる朱子の『小学』を和漢の故事を増補して敷衍した仮名書きの儒学入門書。『小学』は内篇(立教・明倫・敬身・稽古)と外篇から成るが、本書は立教・明倫・敬身の三編の構成で、例えば「立教」篇では『列女伝(劉向列女伝)』†の「胎教」に基づき乳母の選定、幼児教育、躾などから説き起こすように、『小学』のうち特に婦女子に必要な箇所に重点を置く。「明倫」篇では五倫のあらましを述べ、うち「夫婦」部では「娶らざる五婦」や「七去・三不去」、その他和漢貞女の説話を紹介する。「敬身」篇では、冒頭で「身体は家屋、心はその家の主」という譬えから「敬」を説明し、さらに和漢の故事・金言等から縷々諭し、末尾で各神社の祭神に言及して締め括る。本文をやや小字・一〇行・所々付訓で記す。なお、ほぼ同時期の万治二年刊『やまと小学』†(辻原元甫作)は本書とは別内容である。〔小泉〕
◆やまとじょかい [3512]
〈女教第一〉大和女誡‖【作者】林道彰作・跋。【年代】天保一五年(一八四四)跋・刊。[江戸]林道彰蔵板。播磨屋喜右衛門(播磨屋勝五郎・鈴木喜右衛門・文苑閣)売出。【分類】女子用。【概要】大本一冊。曹大家作『女誡』†の本文のみを平易な仮名文に改めたもの。本文を大字・六行・付訓で綴る。曹大家の『女誡』は最も優れた女訓書であるが、原文が漢文のため婦女子には縁遠いため、仮名を交えて文章を和らげ、大意を会得しやすいように図った旨を跋文に記す。巻頭に曹大家略伝および肖像と女子読書指南図を掲げる。なお、刊記部分に『大和女誡講釈』(首書絵入、全一冊)の広告を掲げるが未刊か。〔小泉〕
◆やまとじょくん [3513]
大和女訓‖【作者】井沢長秀(蟠竜子・元水叟)作・序。【年代】享保五年(一七二〇)序・刊。[京都]小川多左衛門板。【分類】女子用。【概要】半紙本三巻三冊。当時流布していた女訓書の大半は「和漢の貞婦の伝」であり、要所を押さえた「教戒」が少ないことに鑑みて、日本が「女国」たる所以や雛遊び・貝合わせの由来等を述べた絵入りの女訓書。冒頭で「女王国」の意義に触れ、続いて、読み書き以下の女子教育法や嫁入り後の婦人心得を説く一方、和漢の貞婦・愚婦の例を挙げつつ、諸教訓へと展開する。以上の上・中巻と異なって、下巻は作者不明の一書によって、雛遊び・貝合わせ・羽根突き・鏡台・七夕祭り・亥子餅の故事やその典拠を記し、所々、自説を披瀝したものであるが、その多くは寛延二年(一七四九)刊『雛遊の記・貝合の記』†(度会直方作)にそのまま受け継がれた。本文をやや小字・八行・付訓(稀に左訓)で記す。なお、本書と本書後編の『女訓みさご草(後編大和女訓)』†を合わせた五巻五冊本(題簽『大和女訓』」)が文化一四年(一八一七)に大阪書肆・加賀屋善蔵から刊行された。〔小泉〕
◆やまとせんじもん [3514]
倭千字文‖【作者】桂孝右衛門(直邦)書。【年代】明和四年(一七六七)刊。[江戸]小川正七(霊亀館)ほか板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。享保二年(一七一七)刊『世話千字文』†の改訂・改題本。繁栄する近世社会における社会生活全般に関わる語彙を中心に編んだ『千字文』型往来。『世話千字文』冒頭部の「鳳暦賀慶」を「鳳暦嘉慶」と改めるなど小異が認められるが、ほぼ同文。本文を大字・三行(一行二句)・付訓(両点)で記すのが特徴で、例えば冒頭部では本文の右側に「ほうれきのがけいと」、また左側に「おほとりのこよみはよろこひよろこぶ」のように付記する。〔小泉〕
◆やまとだましい [3515]
〈習字〉やまと魂‖【作者】小川持正作。深沢菱潭書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]書学教館蔵板。若林喜兵衛ほか売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「つきさかき、いづのみたまと天地に、いてりとぼらず日の御神…」で始まる七五調の文章で皇国民としての自覚や努力についての教訓を綴った習字手本。まず、皇統の尊いこと、皇国民たる者の務めについて種々諭し、そのためには一人一人の学問が重要なことを述べ、さらに、小学生の日々の在り方(起床後の家庭生活や学校における学習態度まで)について細々と説く。また、「学制」や「小学生徒の心得」をよく弁えて、ついには富国のために励むべしと諭す。本文を大字・三行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆やまとにしき [3515-2]
〈女筆文章〉大和にしき‖【作者】小野通(二世か)書。【年代】宝暦(一七五一〜六三)頃刊。[大阪]糸屋市兵衛(糸舎弘昭軒)板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。江戸前期刊『女筆手ほん』†など江戸初期から種々改編本が存する小野通の女筆手本の一つ。『女筆手ほん』の書状を一部入れ替えた改訂本には、元禄四年(一六九一)刊『〈四季〉女文章』†、江戸前期刊『小野おづう筆』†、享保(一七一六〜三六)頃刊『女筆春の錦』†、江戸中期刊『女筆文章』†があるが、現存本が少ないうえに多くが異板または改訂本で、その系譜は十分解明されていない。いずれにしても長期にわたる小野通の根強い人気を反映したものであろう。類書中では最も後発にあたり、「あらたまりぬるこの春のめてたさ…」で始まる新年祝儀状以下二三通を収録する。所収例文からすれば、諸本のうち『女筆春の錦』や『女筆文章』(特に前者)に近いが、配列は両書と著しく異なる。また、冒頭に女性風俗図一葉を掲げるほか、「十二月替名」「文のふうじ様」「小笠原流折形図」を載せる。さらに、巻末に糸屋市兵衛の「女用書籍蔵版目録」を付すが、この目録は概ね宝暦頃までに刊行されたものであるため、本書の刊行年もその頃と推定される。〔小泉〕
◆★やまとにちようはやがく/やまとにちようはやまなび [3516]
〈新板〉大和日用早学‖【作者】成文堂書。【年代】江戸後期(文久二年(一八六二)以前)刊。[肥前か]刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。語彙と消息に関する記事を集めた往来で、刊記を欠くが、版式等からいって田舎版と思われる。本文中の「苗字・村名」中に「中原(なかばる)」「田代」「三津」「蓮池」「諌早」「嶋原」「神崎」「松浦」「伊万里」といった肥前各地の地名が見られるので、あるいは同地方の手習い師匠の私家版であろうか。内容は、「いろは」「新いろは(漢字または字母の異なる仮名など、冒頭の「いろは」と別の表記で綴る)」「片仮名イロハ」「名頭」「苗字・村名」「諸色買物附おぼへ(「鯛一枚、鯉二本、鮒三枚、鮎四ツ」などの数量呼称)」「金銀米銭貫匁分厘石斗升合附(単位語)」「作事用材木其外附(木材の名称と関連語)」「呉服小間物類其外(衣類・家財・日用品の名称と数量呼称)」「銀米其外手前帳面へ付控(記帳の仕方)」「覚・手形覚・手紙(例文は新年状往復と仮名文の寒中見舞状の合計三通)」等を含む。本文をやや小字・八行・付訓で記す。なお、小泉本には、本文首題下に「成文堂書」と印刷されているほか、「文久二年」の書き入れがある。〔小泉〕
★やまとぶみ [3516-2]
やまとふみ‖【作者】三井親和(孺卿・孫兵衛・与兵衛・竜湖・深川漁父・珍話・深川親和・万玉亭)書。【年代】安永二年(一七七三)刊。[江戸]并河善六ほか板。また別に[江戸]若林清兵衛板あり。【分類】女子用。【概要】異称『三井親和女ぶみ』『三井親和大和文』『親和女文章』。特大本一冊。「新玉の御ことふき、何方も御賑々鋪、幾久といわゐ入まいらせ候…」で始まる披露文の「新年祝儀状」から、「踊り見物を期待する文」までの三三通を収録した特大手本。本文を大字・四行・無訓の並べ書きで認める。和歌を学ぶ心得や『徒然草』の作者について述べた例文もあるが、大半が四季時候の手紙で、各例文の配列は四季順によらず、また、往復一双の関連もなく、思いつくままに並べたように無秩序である。総じて、四季贈答の手紙や四季の草花の風趣を中心に、長文・短文の例文を羅列しただけの、内容面では特色の乏しい手本である。〔小泉〕
◆やまとぶんつうきんじせん/わぶんつうきんじせん [3517]
〈書札大成〉倭文通錦字箋‖【作者】梅月堂作。井上某書。【年代】宝暦七年(一七五七)刊。[京都]秋田屋伊兵衛(好文軒)板。また別に[京都]菱屋治兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「新年祝儀状」から「書状ならびに唐墨の礼状」までの五一通を収録した用文章。太々講・参宮の留守見舞に対する礼状や四季の書状を始め、元服祝儀状・知音所望状・家督相続祝儀状・痘瘡見舞礼状・平産祝儀状・診察依頼状・有馬入湯餞別状・留守中世話依頼状・神事見物誘引状・三幅対借用状・饗応礼状・出火見舞状等から成る。本文を大字・四行・付訓で記す。前付に「天満宮由来」「祇園社絵図」「異国人物(大明〜長臂国)」「筆道指南大成」「四恩之図説」「王羲之略伝」、頭書等に「書札法式大概」「諸礼法式大概」「立花砂物并生花」「小野篁歌字尽」「七津伊呂波」「手形証文次第」「日本国尽」「百官名字尽」「東百官名字尽」「人の名字づくし」「篇冠構字尽」「小笠原流折形」「年号用字尽」「十干十二支図」などを掲げる。なお、本書から末尾三分の一を削除した改題本『筆家用文世界蔵』†が天明元年(一七八一)に刊行された。〔小泉〕
◆やまとめぐり [3518]
大和廻‖【作者】鈴木某書。【年代】明治四年(一八七一)書。【分類】地理科。【概要】異称『大和廻り之文章』。大本一冊。ある老母が念願の大和旧跡歴覧を果たすという筋書きで、大和および京の名所旧跡を紹介した往来。「老母年比の望付、暮春之比より存立、和州旧跡旅行仕候…」で始まる全文一通の女文で綴り、まず当麻寺・法隆寺・竜田・多武峰・吉野川・三輪・興福寺・春日神社等の奈良の名所を列記し、さらに洛中・洛外の名所旧跡・神社・仏閣の名称と風趣等を旅行記風に綴る。四条河原・祇園・清水寺・音羽山・清閑寺・蓮華王院・知恩院・聖護院・黒谷・法性寺等々の京名所を順々にめぐり、最後に「…桂川のあたりにてまづ筆を止畢。穴賢」と結ぶ。明治四年写本は本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆やまとめぐり・いちねんき・はるのあそび・きくのつゆ・とうかいどうめいしょ [3519]
大和巡・一年記・春乃遊・菊乃露・東海道名所‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科・社会科。【概要】半紙本一冊。『大和巡』以下五種の往来物を合綴した手本。『大和巡』は、『わかみどり(洛陽往来)』†とほぼ同じ。『一年記』は、「倩あたなる世の中の光陰のうつりやすきを観するに、春たつけふのかすみの中より、鴬のさし出て、軒端の梅に来て啼声に、人のこゝろも長閑に…」で始まる文章で、四季の花鳥風月の様子を綴った往来。『春乃遊』は、春めいて来た時節に嵯峨野辺の散策を促した短文の女文。『菊乃露』は、慶応二年(一八六六)書『寺子状・菊の露』†の後半部と同題だが全く異文で、「けふことにつもるめてたさを、菊のしら露幾代か、置まさるへきといつかたも同じ御事に祝まいらせ候…」で始まる文章で、菊水の故事を引きながら菊を愛でた往来。最後の『東海道名所』は、流布本『東海道往来』†とはやや異なり、「花洛路は五十路あまりに三の宿、文武にしける武(蔵)野の月すゝむ御代の四海波、実しつかなる品川や…」で始まる文字鎖の文章で東海道の宿駅を詠み込んだ往来。いずれも本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆やまとめぐり・きょうとめぐり [3520]
大和廻り・京都廻り‖【作者】不明。【年代】明治五年(一八七二)書。【分類】地理科。【概要】特大本一冊。前半に『大和廻り』、後半に『京都廻り』を収録した手本。『大和廻り』は、「釈迦如来伝法輪正等極楽の額は小野道風の筆ぶり…」で始まる名所案内風の往来。亀井の水雲竜堂・庚申堂から、堺・大坂・橋本・石清水・山崎・宇治・牧の島・小倉等々の順に名所や寺社を紹介し、最後に深草の極楽寺、藤森稲荷を参詣して帰る旨の一文で結ぶ。『京都廻り』は、「都の年を御尋あそばし候所、愚なる身にして無覚束候へ共、聞伝より荒増書記候…」で始まる一文で、まず京の都が桓武天皇に始まることに触れ、続いて、比叡山・黒谷真如堂・祗園の社・清水寺を始め、京都およびその周辺(飛鳥・奈良方面など)の名所を紹介した往来。両往来中には重複する名所がいくつかある。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆やまとめぐり・くにづくし・ひでよしみつひでにおくるこうたつのしょ [3521]
大和廻り・国尽・秀吉贈光秀口達之書‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科・歴史科。【概要】特大本一冊。『大和廻り』『国尽』『秀吉贈光秀口達之書』『同返状』の四編を合綴した手本。本文を大字・二〜三行・無訓で記す。『大和廻り』は、「此度御参宮之由、一入御羨敷迚之序に、大和路より近隣の名所旧跡御巡覧被成候はゝ、御案内之ため野拙一見之処…」で始まる文章で、伊勢から阿保・初瀬寺・三輪神社・春日山・興福寺・東大寺・竜田・当麻寺・法隆寺・多武峰・高野山・和歌の浦・堺・住吉神社・天王寺・淀川を経て宇治・三室・平等院、さらに播磨・明石・須磨寺、阿波・鳴門等まで、広範囲の名所旧跡を列挙したもの。ただし、縁起・景趣などの記述は乏しい。『国尽』は、五畿七道二島の国名・地名を列記したもの。『口達之書』は、天正一〇年(一五八二)六月二日信長暗殺直後の六月一〇日に秀吉から光秀宛ての書状を装った古状で、光秀の逆罪を責め、これを誅せんことを述べた挑戦状。また『同返状』は、光秀が秀吉の誹謗を管見による「奇怪之至」と反駁し、山崎での合戦(六月一三日)に挑んだ書状である。なお、この二状は文化元年(一八〇四)刊『花墨新古状揃万季蔵』†に所収されているため、本書は文化年間以降の写本と思われる。〔小泉〕
◇やまむろめいしょかがみ [3522]
山室名所鏡‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】信濃国伊那郡山室(長野県上伊那郡高遠町)・遠照寺を中心とする一帯の名所旧跡・神社仏閣を紹介した往来。「春なれや、実にしなのちも雪解て、深山路かけて八重霞、神代をしるし山室を、長閑にしら瀬木々の小枝、分けて青葉の奥深み…」で始まる七五調の文章で、大岩穴観音・山住大権現・遠照寺・北河原白糸の滝・諏訪神社・金山神社・高遠城(仁科五郎城址)などの景趣・由来・故事・霊験等を記す。〔小泉〕





◆ゆうえきようぶん [3523]
〈鼇頭類語〉有益用文‖【作者】説田孫三郎作。【年代】明治二三年(一八九〇)刊。[岐阜]三浦源助(成美堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「歳首之文」から「火事見舞之文」までの五七通を収録した用文章。四季折々の消息文に交えて、「借新聞紙文」「入学を乞ふ文」「時計注文之文」「海外に在る友人に贈る文」「博覧会誘引之文」「天長節に人を招く文」などの近代的な題材を採り入れた諸用件の手紙を盛り込む。本文を行書・大字・六行・付訓(稀に左訓)で綴り、各例文の後に種々の言い替え表現を楷書・小字で列記する。頭書「尺牘摘語」にも書簡文各部の類語・類句を掲げ、さらに「文中雑語」にも四季別・事項別の類語や異名等を載せる。刊記によれば明治一二年刊の先行書(書名不明)を明治二三年に改題したものという。〔小泉〕
◆ゆうじょうあんもん [3524]
遊状案文‖【作者】眉黒のおとど作・序。長松軒書。奉時道人画。【年代】寛政八年(一七九六)刊記、寛政九年序・刊。[大阪]扇屋利助ほか板。【分類】女子用(艶書)。【概要】異称『遊女案文』。横本一冊。「初春祝儀文」から「打込れし客より押返し遣文」と、さらに「拾遺」として「客を茶の湯に呼文」から「新造を出すふみ」までの遊里での各種消息例文を集めた艶書。随所に「心得」の小見出しを付けて、「年中祝義文書様」「朔日に遣る文の書様」「揚先で書て遣る文の心得」など書簡作法から接客心得に及ぶ種々の注記を伴うが、これらの中にも「揚屋より送る祝義文」「堂島の客へ遣文の書様」といった例文を含むため、実質的な収録書状数は約三五通である。いずれも大字・七行・付訓の並べ書きで記す。巻頭序文に、遊女の手紙の基本や本書の活用法について触れる。なお、初板本には見開きの色刷り口絵(花卉図)を掲げる。また、本書を大幅に改編した改題・改訂本の『遊状(遊女)文章大成』†(半紙本)が、文化三年(一八〇六)に刊行された。〔小泉〕
◆ゆうじょうぶんしょうたいせい [3525]
遊状文章大成‖【作者】西村定雅(翠川子・粋川士・みすや甚三郎・猿猴・春亭・椿花亭)作・序。【年代】文化三年(一八〇六)序・刊。[京都]吉野屋仁兵衛板か。【分類】女子用(洒落本)。【概要】異称『遊女文章大成』『遊女文章』。半紙本一冊。寛政八年(一七九六)刊『遊状案文』†の改編本で、本文欄に「初春祝義文」から「むしんぶみ」までの恋文二一通を収録し、頭書にその他の例文と各種心得を掲げた女用文章の一類。『遊状案文』の随所に見られた「年中祝義文書様」「朔日に遣る文の書様」といった細字の「心得」を適宜、頭書に掲出するが、これらにも若干の手を加える。本文を大字・五行・付訓で記す。字配りもほとんど『遊状案文』と同様で、これに「新古の文のさま」「名妓発句歌仙」「遊里四季の文章」「ふみのうへ詞」「かたの客へ遣る文心得」以下の頭書を加えた結果、『遊状案文』の体裁(横本)を半紙本に改めた。類書中、巻末に『青楼千字文』†を合綴した増補版のほか、改題本『遊女文通宝袋』も存する。なお、原本に板元名を記さないが、『近世京都出版文化の研究』によれば、吉野屋仁兵衛蔵板という。〔小泉〕
◆ゆうじょだいがく [3526]
遊女大学‖【作者】西村定雅(酔川士・翠川子・椿花亭・俳仙堂)作・序。竹原春泉斎(清秀)画。【年代】文化四年(一八〇七)序・刊。[名古屋]中屋太七郎ほか板。また別に[名古屋]中屋太助ほか板あり。【分類】女子用(洒落本)。【概要】異称『遊女大学教草』。大本一冊。享保元年(一七一六)刊『女大学宝箱』†の体裁と内容にならって、遊女に必要な教養と心得を綴った往来。「新妓(しんぞう)・子飼(こがい)」らの手習い用に編んだ「心を美しくするの道具」とする。「一、夫、遊女は子飼より成長してよき客に思はれ、身請のうへ、出世の身と成を専はら手柄とすべし…」で始まる全一八カ条の条々と後文からなり、遊女や芸妓の本情・風情・見識や接客姿勢、遊芸の精進、化粧・身だしなみ、また、これらの奉公人に対する慈悲かけや奉公人教育、「遊女七去」の法など親方の心得までを説く。本文を大字・五行・付訓で記す。前付に「遊女大学大意」や京都嶋原・江戸吉原・大坂新町の「青楼の図」、「遊所八景」「三都十二ヶ月」「遊女講釈之図」を掲げ(以上の一部を後付に廻す異本もある)、さらに頭書や巻末に「遊女濫觴之事」「忠孝」「仁義礼智信」「うらなひの事」「歌・発句・狂歌心得の事」「恋歌之部」「夢を見て善悪之事」「遊女心得之事」「万の事願ひ叶ふ日」「遊女三十六歌仙」「男女相性之事」「遊郭の図」「三都十二趣向」を載せる。〔小泉〕
◆ゆうしんたんちょようぶん [3527]
郵信短楮用文‖【作者】伊藤桂洲(信平)作・書。長島雲孫(長島為一郎)序。華旭画。【年代】明治八年(一八七五)序。明治九年刊。[鴻巣]長島為一郎(盛化堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『短楮用文』『〈伊藤桂洲述〉郵信短楮用文』。中本一冊。郵便はがき用の短文を集めた用文章。「都鄙雅俗普通」の文例で編んだもので、「新年之文」から「牛肉の功を示す文」までの六六通を載せる。四季用文は少なく、「洋服注文の文」「書画会人を招文」「洋行披露之文」「翻訳を頼む文」など、大半が諸用件に関するもので、文明開化の時流に即した文例が目立つ。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ゆうしんようぶん [3528]
〈商業実益〉郵信用文‖【作者】伊沢孝雄(駒吉)作・序。高山春樵書。【年代】明治二四年(一八九一)刊。[大阪]此村庄助(欽英堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『商業実益郵信用文』。半紙本一冊。日用通俗の簡潔・平易な消息文例を集めた用文章。漢語を多用した例文で、「四季用文」「日用書類」「電信文例」「諸証書之部」の四部に分けて収録し、それぞれ「年始之文」以下一五通、「誂品之見本を遣す書」以下八八通、「運送品催促之文」以下七通、「金員為換之証」以下二二通の合計一三二通を載せる。特に「日用書類」の例文が目立ち、商取引に伴う文章も多い。消息例文を大字・五行・付訓(しばしば左訓)、諸証書類をやや大字・八行・付訓で記す。巻頭に「諸規則条例(証券・印税・訴訟用印紙料など)」、頭書に「鼇頭類語(本文と関連の類語・類句で略注を施す)」を掲げる。〔小泉〕
◆ゆうびんいっぴつようぶん [3529]
〈端書〉郵便一筆用文‖【作者】宇喜田小十郎作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[京都]遠藤平左衛門ほか板。また別に[京都]石田忠兵衛(文華堂)板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈宇喜多小十郎著〉郵便一筆用文』。中本一冊。三〜四行程度の葉書用の例文を集めた用文章。「新年祝するの文」から「隔地にて代呂物買入案内の文」までの六五通を収録する。季節に伴う例文は比較的少なく、「商用の文」(一〇通)、「金談の文」(八通)、「違約断の文」(三通)のように取引・売買や、急報・誘引・催促などの例文を種々載せる。いずれも漢語を多用した文章で、大字・五行・所々付訓(漢語に左訓)で記す。巻頭に「郵便はがき印紙大略の図」を掲げる(これを欠く本もある)。〔小泉〕
◆ゆうびんにちようぶん [3530]
郵便日用文(前集)‖【作者】黒田行元作。名和対月(喜七)書。【年代】明治八年(一八七五)刊。[大阪]河内屋卯助(華井卯助・花井聚文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『普通郵便日用文』。半紙本一冊。表表紙見返に、制服姿の郵便配達夫が「花井聚文堂」の郵便受に郵便を届けている様を描き、さらに冒頭五丁にわたって「郵便規則抜粋」として国内外への郵便料金等を示す。本文に「開歳を賀する文」を始め、四季・雑混載の形で私用文例三〇通を収録する。「帰国土産配りの文」「外国より帰宅しらせの文」などの題材を用いたり、文中に「銅鐫内国里程表・万国一覧表」(開歳を賀する文)、「西洋将棋盤」「西洋法律之書」(結社相談の文)「湖水蒸気船」(土蔵借用頼の文)などの言葉を挿むことによって、海外と結び付いた世相を反映したものとなっている。本文を大字・四行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。刊記に「名和喜七輯、同(郵便日用文)後集、近刻」の広告を載せる。〔母利〕
◇ゆうびんにちようぶんしょ [3530-2]
〈塚田為徳編輯〉郵便日用文書‖【作者】塚田為徳作。【年代】明治初年刊。[東京]長谷川忠兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『郵便日用文書〈附税則概略〉』。中本一冊。「年始状」から「委任状」までの五七通を収録した用文章。四季・年中行事・後楽から吉凶事・諸用件・商取引等に関する例文までを掲げ、「雨舎(あまやど)り礼之文」「盗難見舞之文」「雷見舞之文」なども見える。また、いくつかの例文に「再伸…」で始まる追伸文を付す。本文を大字・六行・付訓(稀に左訓)で記す。巻末に「郵便税則略」「書籍并見本類」「同為替税表」「金子入書状規則略」「電信略則」を掲げる。〔小泉〕
★ゆうびんにちようぶんしょ [3530-3]
〈耕道散士〉郵便日用文書‖【作者】耕道散士作。【年代】明治二二年(一八八九)刊。[東京]牧金之助板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始状」「年始之文」「寒中見舞之文」「花見誘引之文」「注文之品催促之文」「金円借用周旋頼之文」「祭礼に人を招く文」「転宅為知之文」「払物買入問合之文」「物品借用之文」「奉公人聞合せ之文」「旅行為知之文」「出産為知之文」「病気見舞之文」「内祝に付人を招く文」「年回に人を招く文」「借用金延日頼之文」「類焼見舞之文」「歳暮之文」の一九通を収録した簡易な用文章。本文を大字・六行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆ゆうびんはがきようぶん [3531]
郵便はがき用文(初編)‖【作者】西野古海作。青木東園書。【年代】明治七年(一八七四)書・刊。[東京]園原屋正助(丸山正助・宝山堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『郵便端書用文』『〈郵便端書〉用文章』。中本一冊。郵便葉書用の短文を集めた用文章。「商用の文」から「隔地にて品物引取、東京表にて為替頼の文」までの六一通を収録する。特に「商用の文」(八通)、「金談の文」(六通)、「違約断の文」(四通)のように商用文が比較的多彩である。季節の例文は比較的少なく、日常の諸事に関するものが大半である。本文を大字・五行・付訓(ごく稀に左訓)で記す。巻頭に当時の郵便葉書の表裏・展開図で字配りなどを示した「郵便ハガキ紙之図并書法」を掲げる。なお、本書の続編である『〈西野古海著述〉郵便はがき用文』†が明治九年に刊行されている。〔小泉〕
◆ゆうびんはがきようぶん [3532]
〈西野古海著述〉郵便はがき用文(続編)‖【作者】西野古海作。青木東園書。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]園原屋正助(丸山正助・宝山堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『郵便端書用文続編』『〈郵便〉端書用文〈続編〉』『郵便はがき用文続編』『郵便はがき用文二編』。中本一冊。明治七年刊『郵便はがき用文』†(初編)の続編。初編に漏れた郵便葉書用の例文を収録する。いずれも三〜五行程度の短文で、「旅行為知の文」から「差送物当着日限為知の文」までの六○通を載せ、中には同題で二、三の替え文章を含むものもある。公用・商用の実用文から親しい者への手紙まで種々用件中心の例文で、四季に伴なう例文はほとんど収録されていない。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇ゆうりきょう・げげんきょう [3533]
游里教・戯言教‖【作者】紫菊子作・序。好游閣跋。【年代】宝暦(一七五一〜六四)頃刊。[京都か]好游閣板。【分類】教訓科(洒落本)。【概要】小本一冊。上巻異称『遊里教』。『実語教・童子教』†をパロディー化した洒落本。『游(遊)里教』は、「山高故不ュ(やまたかきがゆえにはやらず)、以有銀為遊(かねあるをもってあそばんとす)、酒呑故不溜(さけのんだるがゆえにたまらず)、以有肴為吉(さかなあるをもってよしとす)…」で始まる五言九六句の文章で、遊里に遊ぶ者へ「遊色の深入り」や「酒興の乱形」を戒めた戯文である。また『戯言教』は、「夫白人前居(それはくじんのまえにいては)、禁酒不得立(きんしゅをたつことをえざれ)、逢道楽ョ過(どうらくにおうてはうなずいてすぎよ)、有呼事悦承(よぶことあらばよろこんでうけたまわれ)…」で始まる五言三三〇句で、同様に遊里の様子を述べたもの。本文をやや小字・六行(五字一句・一行二句)・付訓で記す。本書は純粋な往来物ではないが、元禄一一年(一六九八)刊『俗語教・道戯興』†に続く二教のもじり本として位置づけられる。〔小泉〕
◆ゆうれつにったおうらい [3534]
〈甲申新版〉勇烈新田往来‖【作者】十返舎一九作・序。晋米斎玉粒書。歌川国安・歌川豊国三世(歌川国貞初世)画。【年代】文政六年(一八二三)刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。十返舎一九の一連の伝記型往来の一つ。著名な武者たちの名場面を中心に人物略伝を描くという一連の往来の一つで、『初登山手習教訓書(手習状)』†にあるように童蒙の手跡稽古は「武士の戦場に向ふ」心構えでなくてはならないので、このような武者の事跡を習うのがよいと自序で述べる。新田義貞の一生のうち、主に武将としての活躍に焦点をあてて綴った略伝風の往来。義貞の出自や人となり、また、鎌倉責めの際の稲村が崎での故事や後醍醐帝新政府下での武功ぶり、反旗を翻した足利尊氏との数度の戦い、敗走して北越の雪中に倒れるまでを劇的に描く。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「万魚字づくし」「万鳥字づくし」「よろづ樹の名尽」等の字尽や「穀物を喰ずして数日饑ざる秘法」など、本文とは無縁の記事を載せる。〔小泉〕
◆☆ゆぞくようげん [3535]
諭俗要言‖【作者】頼杏坪(惟柔・春草堂)訳・書・跋。木村寛跋(文政七年(一八二四)板)。【年代】文化一四年(一八一七)書・刊。[広島]春草堂板。また別に鶴亭(野坂完山)板(文政七年板ほか)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『頼杏坪先生諭俗要言』。大本一冊。中国の賢人・陳襄が配下領民を啓蒙するために編んだ教諭書『諭俗要言』を、頼杏坪が邦訳して手習い用に書き綴った手本。「為吾民者父義、母慈、兄友、弟恭、子孝…」で始まる漢字九六字の漢文で、臣民として家族それぞれの立場で守るべき道徳や、公民としての本分や心得、相互扶助などを諭す。本文を楷書で綴り、さらに、仮名交じり文の平易な注釈である「和解」を行書で記す(大字・二行・付訓)。初板本には「桑原有伯刻/春草堂蔵版」と記す。なお、春草堂板と鶴亭板は全くの異板であり、文政七年板は、木村氏ほか数名が郷土の子弟教育のために出資して上梓したものであったが、鶴亭板にも木村氏の跋文を付す文政七年板と、池田重堅(鶴雲)筆の嘉永七年(一八五六)板の二様発見されている。〔小泉〕
◆ゆどのさんもうでぶんしょう [3536]
〈新板〉湯殿山詣文章‖【作者】葎堂作。【年代】文政一二年(一八二九)刊。[仙台]西村治右衛門板。また別に[仙台]伊勢屋半右衛門ほか板(弘化元年(一八四四)板)あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈新板・羽州〉三山詣文章(さんやまもうでぶんしょう)』。中本一冊。仙台を発ち、立石寺(山寺)、天童、楯岡、大石田、酒田等を経て出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の霊場を巡遊する紀行文風の文章で参詣路や名所を紹介した往来。三山に至る途次にある名所旧跡・神社仏閣および三山霊場の由来・縁起・景趣について詳述する。「夫、出羽の国三山と崇奉るは、羽黒・月山・湯殿、此三の御山を合て申由、兼て御約諾之通、一両輩申合…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。見返に「羽州山寺入口略図」、頭書(第五丁まで)に「仙台より二口通り三山道中」「仙台より笹谷越道中」「山形より米沢・会津道中」「山形より小坂越伊達道中」等の道法や名所風景図を掲げる。〔石川〕
◆ゆんぜいためともおうらい [3537]
〈甲申新版〉弓勢為朝往来‖【作者】十返舎一九作。晋米斎玉粒書。歌川国安画。【年代】文政六年(一八二三)刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈弓勢〉為朝往来』。半紙本一冊。一九が編んだ一連の伝記型往来の一つ。源為朝の出自から、保元の乱での勇猛果敢な活躍、敗退して伊豆大島に謫せられたことや、一説に琉球へ渡り人々の尊信を集めたこと、死後も「舜天大王」として崇拝されたことなどを述べた往来。彼の「勇倣強弓」は異国まで知られており、その右に出る者はおらず、為朝こそ「武門の亀鏡、芸術の規模」であると讃える。本文を大字・五行・付訓で記し、本文末尾を「恐惶欽白」で結ぶ書翰形式を踏む。巻頭に「鷹通号之図」その他、また、頭書に「日本天神地祇三千三百三十二座」「日本三八幡」「本朝六弁天」「浄土宗十八檀林」など寺社名数の記事を掲げる。〔小泉〕





◆よういくおうらい [3538]
〈新鐫絵入〉養育往来‖【作者】小川保麿(玉水亭)作・書。【年代】天保一〇年(一八三九)序。天保一五年刊。[大阪]秋田屋市兵衛板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。子育ての重要性に鑑み、「幼稚を撫育(そだつる)道の種々(くさぐさ)、古人の金言を拾ひ輯めて」綴った往来。『劉向列女伝』†による胎教から、出生後の養育(乳母の選び方、植木に喩えた育児の秘訣)、児童の家庭教育・躾、寺入り後の諸心得や質素倹約・信仰心・家職・礼儀作法までを教える。また、子どもの「横着不道之悪作(わるさ)」を決して許すなと強調し、さらに、国法・家法の遵守、朋友や遊芸、女子教育、家庭教育の重要性と親の責任を縷々諭す。教育する側(親・師匠)と教育される側(童蒙)の双方の心得が渾然一体に記述されているのが特徴である。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に孟母・楠木正成妻の故事、本文注にも関連の記事や挿絵を種々載せる。〔小泉〕
◆ようがくいろはうたおしえかがみ [3539]
幼学以呂波歌教鑑 〈実語教・童子教〉‖【作者】蔀関牛作・画。書黎館序。【年代】天保九年(一八三八)刊。[大阪]今津屋辰三郎板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『実語教・童子教』†および『幼学以呂波歌』以下四編のいろは教訓歌を合綴した往来。『幼学以呂波歌』は、「いとけなき人にみせばやいろはうた、ろんずるかたはあらたまの…」のように七・五、七・五と続く教訓歌で、孝の大切さと孝の実践例を諭したもの。『教訓以呂波歌』も前者と同様に「いかにしておやの御恩をほうずべし、ろく三十六まいの…」で始まる教訓歌で、胎内十月の恩や養育の恩、孝徳の偉大なことなどを教える。これに続く『訓蒙以呂波歌』は、「いはばんじやくのやまさかも、ろくぢになせばなるならひ…」と起筆する教訓歌で「孝」を説く。最後の『以呂波禁戒』は前三者とやや異なり、「以・幾許観世人職(いくたびよのひとのしょくをみるに)、路・労而多無功人(ろうしてこうなきひとおおし)…」のように漢字六字一句を基本とする六八句から成るイロハ歌で、自己の心の持ちようや他人への行為など諸般の処世訓を述べたもの。これらのほか、頭書にも「心の箴(いましめ)」「子教九則」「女子の九則」「或家訓」「不可為事(なすべからざること)」「可真似事」「平生の心得」「或君の壁書」「誰も知た事」「楠公遺言」「日用之格言」「教訓百首」「本朝賢女遺訓」「世中百首抜粋」「五倫絵鈔」等を掲げ、全体として俚諺集・教訓歌集のような趣向である。本文を大字・七行・付訓で記す。また、前付に「六芸教訓歌」「五常教訓歌」「天神経」「扁傍冠字尽」「当流諸礼図式」「御改正服忌令」等、巻末に「当用男女五性人名頭字」「九九之呼声」「銭小遣相場割付」「十干十二支」「十二月異名」等を載せる。なお、見返や序文等で藤井懶斎作と記すがこれは仮託で、実際は蔀関牛の作と思われる。〔小泉〕
◆ようがくきょうくんしょ [3540]
幼学教訓書‖【作者】宮原某書。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「一、凡為人もの、親に孝を尽し、主君に忠を尽し、兄を敬ひ、弟を愛し、友達は信実に交り、師匠を隆ひ、老たる人を敬ひ、幼き人を愛するは是、日に用ひ、常に行へき第一也…」以下、長短含む全二九カ条と後文から成る童蒙教訓書。後文で「聖賢の嘉言、并に愚意を書集めて仮名書にして幼稚の諸弟教訓の為に書与ふ…」と述べるように、経書典籍中の金言などを引きながら、忠孝・五倫の根本や正直・倹約・堪忍・勤勉・礼儀その他の処世訓を説く。本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ようがくこくじかい [3541]
幼学国字解〈平仮名・読点付〉‖【作者】文秀堂編。【年代】享和二年(一八〇二)刊。[京都]近江屋伊兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。清・王雲軒覆楷(椿林老人・王世階)作『幼学(指南)』(乾隆元年=享保二〇年(一七三五)作)に訓点を施し、大意を示した童蒙用注釈書。文化五年(一八〇八)頃刊『女幼学』†、文政元年(一八一八)刊『幼学指南諺注』†、天保二年(一八三一)『〈天保翻刊〉幼学指南』†等の類書が数点あるが、その中で比較的平易なもの。『幼学』(漢字四字一句、計四〇〇句)は、「天地重孝、垂訓化導、万善之基、統領三教…」で始まり、出産から成人するまでの養育の有様を詳述して父母の恩の広大なことを説き、また、孝行を始めとする人倫・処世訓全般を述べた教訓で、本書は『幼学』の本文を大字・六行・付訓で記し、頭書に各句の大意を付す。巻頭に「両児論日遠近」の故事と挿絵を掲げ、刊記に『幼学』『幼学国字解』『女幼学』の広告を載せる。〔小泉〕
◆ようがくさんじきょう [3542]
〈頭書画入〉幼学三字経‖【作者】山田野亭(好花堂)注・序。葛飾北斎(戴斗)画。【年代】天保一四年(一八四三)序。天保一五年刊。[大阪]河内屋新助ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈上層絵抄〉幼学三字経』『〈勤学階梯〉幼学三字経』。中本一冊。従来の注釈書が童蒙には高尚すぎるとして野亭が著した『三字経』†の注釈書。『三字経』本文を一〜八句毎に大字・六行大・付訓で記して平易な割注を施す。頭書に、挿絵と関連の故事や教訓を載せる。〔小泉〕
◆ようがくしなん [3543]
〈天保翻刊〉幼学指南‖【作者】高井蘭山注・序。【年代】天保二年(一八三一)序・刊。[江戸]須原屋新兵衛板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。清・王雲軒覆楷作の童蒙教訓書『幼学指南』(乾隆元年=享保二〇年(一七三五)作)の童蒙用注釈書。『幼学指南』の序文・本文・跋文を合計約二一〇段に分けて、それぞれ大字・七行大・無訓で記して簡潔な細字の割注を施し、さらに頭書に書き下し文(付訓本文)を掲げた「経典余師」形式をとる。本文(四言四〇〇句)中の韻字に四声の別を示したり、再読文字を四角で囲むなど訓読学習に重点を置いた比較的高度な注釈書である。なお、王雲軒の序文についても本文同様に施注する。〔小泉〕
◆ようがくしなんげんちゅう [3544]
幼学指南諺注‖【作者】古梁紹岷(南山樵夫)注・跋。【年代】文政元年(一八一八)刊。[仙台]刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『幼学指南諺註』『幼学指南諺解』。大本一冊。清・王雲軒作『幼学指南』を仙台瑞鳳寺一四世の著者が丁寧に施注したもの。自序によれば、『幼学指南』は庶民子弟の教育にふさわしい『実語教・童子教』†形式の童蒙用教科書であり、「童蒙を教るの次第を失ず、儒仏に拘らす文も俗に近して喩し易」いことから本書の注解書を編んだとする。そして『幼学指南』が、『孝経』『実語教・童子教』『今川状』†『腰越状』†『弁慶状』†『熊谷状』†『大坂状』†『御成敗式目』†『庭訓往来』†のいずれにも優る初歩教材であることを強調する。施注形式は、『幼学指南』本文(王雲軒の序文は割愛)を二〜八句ずつ楷書・大字・四行(一行二句)で綴り、続けて本文各行につき三行の詳細な割注を施すほか、匡郭上部にも所々補注を付す。具体例を示したり、儒仏両面から敷衍する点が特色。刊記はなく、見返に「書肆、発行」と記すが、あるいは紹岷の私家版であろうか。〔小泉〕
◆ようがくしょにゅうもん [3545]
〈男女必読〉幼学初入門‖【作者】大塚完斎作・書。亀田重郷補(「神諱」)。【年代】明治四年(一八七一)書・刊。[大阪]河内屋亀七ほか板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『千字文』あるいは『実語教』†にならって、漢字四言一句を基本とする全一五八句から成る文章で、神国日本の起源や皇国民としての男女の心得を綴った童蒙教訓書。まず「上古天地、開闢之時、豊葦原祖、在高天原、名曰天之、御中主神、次曰高皇、産霊之神…」と皇朝の濫觴である神代の歴史について述べ、続いて、他国と異なり神国日本では常に国民が神恩を蒙ってきたこと、また、国号を「日本」とする所以や、幼時より国学を学んで皇道の大いなることを知り、さらに漢籍を学ぶべきことなどを述べ、最後に、古今の賢人を紹介しながら勧学を説く。末尾には『実語教』を模倣した文言が散見される。また、本書後半の「女子訓」は、「天尊地卑、陽明陰暗、男者位天、女者位地、男明女暗、牝鶏晨鳴、謂必醸禍、故古聖賢…」で始まる四言九三句の教訓で、同様の立場から説いた女子教訓である。いずれも本文を楷書・大字・四行(一行二句)・無訓で記す。なお、巻末に神武天皇以前の神々の「神諱」を列記する。〔小泉〕
◆ようがくすち [3546]
〈官許〉幼学須知‖【作者】小池啓太郎作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[山形]山形県活版社板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。地球や日本国内の概略に触れた後で、主として山形県下の現況や地名を紹介した県内児童用教科書。まず地球の形状や赤道・四方、また、日本の国土の地形などをごく簡単に述べ、続いて、山形県の沿革、管轄範囲、人口、面積、町村・区数を示し、七大区・四二小区毎に地名や寺社数を記し、末尾で農・工・商の各県民がそれぞれ学び努力することを諭す。本文をやや小字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆★ようがくせんじもん [3547]
幼学千字文‖【作者】篠田明浦(定考)原作。【年代】文政四年(一八二一)刊。[大阪]河内屋儀助板。また別に嘉永三年(一八五〇)板([京都]吉野屋仁兵衛ほか板)あり。【分類】社会科。【概要】小本一冊。明和八年(一七七一)刊『俚語千字文』†の本文に挿絵や種々の付録記事を加えた往来。本文を四行・音訓両点付きで記し、数丁おきに半丁ないし見開きの挿絵を挟む。巻頭に「司馬温公が頓智の図」「伊勢両宮ノ図」(以上色刷り)や「本朝武者鑑」「中将棊駒道并座列」「日本画家印譜」「天神経」、巻末に「男女名頭字づくし」「五性六十図早ぐり」「篇冠構字づくし」「手のすじうらなひ」「男女相性よしあし」「弘法大師四目録うらなひ」「十二月の異名」「四体いろは」等の記事を収録する。〔小泉〕
◆ようがくせんじもん [3548]
〈天保新板〉幼学千字文‖【作者】不明。【年代】天保一四年(一八四三)刊。[名古屋]風月堂孫助板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈新板頭書〉幼学千字文』。中本一冊。周興嗣作『千字文』(総振り仮名・行書体)を本文にすえ、頭書に種々の記事を収録した往来。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書は「偏冠傍構づくし」「名頭字尽」「書状書始之事」「同返事之事」「書状書留之事」「十干十二支」「七夕の詩歌」で、ほかに巻末に「小笠原折形之図」「十二月之和名」その他を載せる。〔小泉〕
◆ようごか [3549]
要語歌‖【作者】野田成勝(古愚堂)作・序。成島司直・藤原忠与序。増島固(念二)跋。【年代】文化一四・一五年(一八一七・一八)序。文化一四年跋。文化一五年刊。[江戸]古愚堂蔵板。和泉屋庄次郎売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。初学者のために和漢の典籍から「ことばのみじかくて、しかもをしへにせちなるめでたき語」を抽出し、それらの要語をより深く理解させるために大意を和歌に詠んだ教訓書。例えば、冒頭の頭書に「父慈而教」の語とその出典を細字で示し、下段本文欄に「めぐし(愛)とてたゞにめでつゝをしへず、うし(牛)のその子をねぶる(舐)たぐひぞ」の歌を置く。以下同様に、頭書に作者または出典を紹介しながら、孝を始めとする諸教訓を諭す。本書の概要は冒頭の凡例「おほよそ」に詳しい。本文をやや小字・一〇行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ようさんおうらい [3550]
〈開明〉養蠶往来‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎)板。【分類】産業科。【概要】異称『開明養蠶往来』。中本一冊。天保八年(一八三七)刊『養蚕(かいこ)往来』†の改訂版。「夫、養蠶の始は、唐土の黄帝有熊氏、皇朝ニ而者神代保食神より始め人皇に至る迄、朝廷の御翫なるよし…」で始まる本文(大字・六行・付訓)は天保板とほとんど同文だが、文中に微細な改訂を施す。特に天保板の末尾数行を省いた結果、不自然な文末となっている。また、天保板の見返・頭書の記事は全て削除し、新たに「桑」の説明文を見返に加える。従って、角書の「開明」から連想されるような近代養蚕業に関する記述は皆無である。〔小泉〕
◇ようさんしゅれんき・しょとうざんけいこきょうくんしょ・ようさんいまがわ [3551]
養蠶手練記・初登蚕稽古教訓・養蚕今川‖【作者】白痴口玉井作・書。【年代】文化六年(一八〇九)書。【分類】産業科。【概要】中本一冊。『養蠶手練記』『初登蚕稽古教訓(初登蚕稽古教訓之書)』『養蚕今川(養蠶今川准制詞条々)』等を合綴した往来。『養蠶手練記』は、「抑々、蠶の濫觴を尋るに、古事微細多けれは、爰に当砌入用而已書紀けり…」と筆を起こして、農業と同様に養蚕業にも辛苦が多く、細心の注意が必要なことを始め養蚕の手順や心得などを詳述した往来。『初登蚕稽古教訓』は、「右大体は耕作之出立に異ず。其故如何、初蚕之壮若蚕場に趣刻は農人之田畑・山林に向如し…」で始まるように明らかに『初登山手習教訓書(手習状)』†を模倣したもので、養蚕に携わる者の心得や姿勢を説いた教訓。『養蚕今川』は、「一、養育之道を知らずして蚕飼終に勝利を得ず事」以下の一八条と後文から成る『今川状』†形式で養蚕従事者の職務や生活心得を記した往来である。〔小泉〕
◆ようざんどうじつう [3552]
〈民家日用〉洋算童子通‖【作者】不明。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]森屋治兵衛(錦森堂)板。【分類】理数科。【概要】中本一冊。洋算による四則計算の方法を簡易な例題によって示した教科書。巻頭に「西洋数字」「大位名」「小位名」「九九の数」を掲げ、続いて「今、銀二匁在。是へ一匁加へて幾何(いくら)なるや」「答、三匁」といった簡単な例題から始め、加算(よせざん)・減算(ひきざん)・乗算(じょうざん)・除算(わりざん)の順に、解法と算用数字による数式を示した五四題を掲げる。抽象的な問題も含むが、多くは「今、大根銭百文に付四本買の時、三百二十四本在。此代銭幾何なるや」「答、銭八貫百文」といった日常卑近なものである。〔小泉〕
◆ようざんようほう [3553]
洋算用法‖【作者】柳河春三(楊江・暾・春蔭・旭)作・序。桂知春(国幹)序。川口E(君濯)跋。【年代】安政四年(一八六七)序・跋・刊。[江戸]大和屋喜兵衛板。【分類】理数科。【概要】中本二編二冊。幕末の代表的な洋算入門書の一つで、和算を払拭した純然たる洋算書。冒頭「総説(総括)」に西洋算術の特色と日本の点竄術の共通性などに言及してその意義を述べ、以下、「数字の符号」「九九合数表」「広九九表」「相加(よせざん)法」「相減(ひきざん)法」「因乗(かけざん)法」「帰除(わりざん)法」「三率比例法、并雑題七十則」の八章と付録「加減乗除(さしひきかけわり)比例互用率表」について解説する。基本語彙については随時オランダ語を紹介し、整数・小数とその表記、四則算の基礎と数学記号、西洋度量衡との換算や比例計算等のあらましを説く。具体的な例題を伴わない抽象的説明が基本であり、本格的な洋算入門書の先駆として注目される。なお、本書の二編は、柳河春三校閲のもと鷲尾卓意によって文久二年(一八六二)に編まれ、明治三年(一八七〇)に出版された。ちなみに、初編の広告文には「初編は数字・九九の次第を始とし、三率比例までを出せり。次の二編は面積・軽重の積方、開平・開立の二法をあらはし、続て、町間の遠近、海路の方角、日月の躔度を測るの法に至るまで、国字を以て記し…」と紹介する。〔小泉〕
◆ようしじょう [3554]
養子状‖【作者】不明。【年代】天明三年(一七八三)書。【分類】教訓科。【概要】謙堂文庫本は大本一冊(大字・三行・無訓)。信州・上田地方で使われた往来物。「兼々御頼被置候御養子之儀、幸之事有之、有増之分書付進之候…」で始まる一通の養子紹介状の形式で、一八歳の養子候補者が賢く、あらゆる商売に適しており、見目良く、手跡は大橋流を学び、そのほか算用・武芸・礼法・料理・絵画・医道・工芸・遊芸・諸芸に通じ、人柄も柔和・正直、社交上手で、博打等の賭事を嫌い、その上健康で、信仰心も備え、五常を体現した人物であると賞賛し、最後に早々養子に決め息女との婚礼を済ませるようにと薦める一文で締め括る。〔小泉〕
◆ようしゅんじょう [3555]
〈御家〉陽春帖‖【作者】上田素鏡(与三右衛門・与五郎・思父・随古堂・当孝)書・跋。三好素伯(随侃堂・頼雄)・片山素俊(随雙軒・忠倫)跋。【年代】宝暦一一年(一七六一)書・刊。[江戸]和泉屋仁兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「陽春之御慶賀重畳申納候…」で始まる「新年祝儀状」以下二九通と詩歌一〇編を綴った上田流手本。本文を大字・三行・無訓で記す。跋文を書いた素鏡の弟子二名の求めによって揮毫したもので、同跋文に素鏡の略歴や書風のあらましを紹介する。〔小泉〕
◆ようしゅんじょう [3555-2]
〈百瀬〉陽春帖‖【作者】百瀬耕元(久継・栢柱堂)書。三神俊敷(耕几)跋。【年代】天明八年(一七八八)書・跋・刊。[江戸]三崎屋清吉(文栄堂)板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。「陽春之御慶不可有尽期御座候…」で始まる「新年祝儀披露状」以下一七通と詩歌一〇編を綴った百瀬流手本。将軍・幕府方への祝儀状や御役拝命礼状、種々拝領の礼状など武家公用向けの書状ばかりを載せる。消息文は大字・五行・無訓、詩歌は四〜五行の並べ書きまたは散らし書きで綴る。〔小泉〕
◆ようちくん [3556]
幼稚訓‖【作者】小池洋次郎作。蘭経(静斎)画。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]小池洋次郎蔵板。【分類】教訓科。【概要】半紙本三巻合一冊。児童の日常生活全般の心得を四二章に分けて綴った往来。巻一は主として家庭での生活教訓一四章からなり、父母や長上の教えに従うべきことや、起床後の礼儀や衣食住に関する教訓を説く。巻二は学校生活上の心得一八章で、学用品の用意や教師への礼儀、読み書き・暗誦など学習上の心得、下校時の注意事項等から成る。巻三は父母・兄弟・朋友など人倫関係の教訓一〇章で、父母への恩から訪問客への接待・言葉遣いまでを諭す。〔小泉〕
◆ようどうういまなび/ようどうしょがく [3557]
〈学校専用〉幼童初学‖【作者】宇喜田小十郎(宇喜多練・浮田練・練要堂・翠雲山人・練雲)作。【年代】明治四年(一八七一)刊。[京都]村上勘兵衛板。また別に[京都]島林専助ほか板あり。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。「皇諡之部」「年号之部」「国尽之部」「五十音」の四編を合綴した教科書。「皇諡之部」は、神武天皇から今上(孝明)天皇までの歴代天皇の謚(おくりな)や崩御年月日・享年をそれぞれ記したもの。「年号之部」は、大化以下明治までの元号を大字で書し、続けて細字で干支や改元の年月日を記したもの。「国尽之部」は、いわゆる『大日本国尽』と同様で、頭書に各府県の主要都市一覧である「大都市全名覧」を掲げたもの。また、以上三編は『童蒙必読』†とほぼ同内容である。最後の「五十音」は、平仮名、片仮名とその字母の漢字を記したもので、頭書に「苗名尽」を掲げる。本文を大字・四行(「五十音」は五行)・付訓で記す。〔小泉〕
◆ようどうおうらい [3558]
幼童往来‖【作者】猪瀬尚賢作・書・跋。【年代】万延二年(一八六一)書・刊。[江戸]椀屋伊兵衛板。【分類】語彙科・地理科。【概要】大本一冊。尊円親王筆「以呂波並和歌二首」ほかを臨書した手本。「いろは」「なにわづ」「あさかやま」「数字」「都路往来(東海道往来†)」「五性名頭」「国尽」を収録する。いずれも大字・四行・無訓で記す。なお、「都路往来」には「○○」の記号で文字鎖の箇所を示す。〔小泉〕
◆ようどうきょうくんか [3559]
幼童教訓歌‖【作者】杉浦里橋(柳下坊)作・跋。【年代】明治一八年(一八八五)刊。[神奈川]杉浦里橋蔵板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「いろはうた」「手毬哥」「うたのこと葉(二二五語)」を収録した往来。「いろはうた」は、「いとせめて此二歌を父母の恩の報に習ひ知るべし」のようにイロハ各音で始まる狂歌(イロハ教訓歌)四七首(い〜す)に処世訓全般を詠んだもの。「手毬哥」は、「一ッとせ一夜明たる今朝よりや、幼こゝろもあらたまる」から「十二とせ十二のことしは裁縫も、覚えて恩に報ひませう」までの一二番で親の恩や報恩などを説く教訓。「うたのこと葉」は、歌に出てくる大和詞・雅語を日常語で示したもの。本文を概ね大字・四〜五行(「うたのこと葉」は一一行)・所々付訓の散らし書きで記す。頭書には、礼儀作法全般の心得や、「婚礼忌詞」「五義の口決」「近江八景名歌」「地球の事」、その他海外諸知識等の記事を掲げる。〔小泉〕
◆ようどうくん [3560]
幼童訓‖【作者】富谷通仙子作・跋。金山広斎・別所友賢・忘筌校。【年代】明治三年(一八七〇)跋・刊。[京都]大ォ館塾蔵板。大津市郎兵衛売出。【分類】教訓科。【概要】異称『〈明治新撰〉幼童訓』。半紙本一冊。儒教経典中の語句を用いて童蒙が努め守るべき礼儀・道徳・学問・人倫などの心得と名数等の語彙を列挙した往来。『実語教』†風の漢字五字一句形式の全四七四句から成る。朝の身繕い、父母への挨拶、礼拝、食事から始まって学業や遊芸、生活全般の心得、さらに孝悌等の人倫を、和漢の人物を例に引きながら諭すのが特徴。後半部には、中国歴代王朝名、三才・四方・五行(木・火・土・金・水)・五色(青・黄・赤・白・黒)、その他身体・鳥獣・数・度量衡・五倫五常・六芸・六義などの語彙を列挙する。さらに、末尾に漢字一〇字一行・合計一一行の文章を続けて、八卦・十干十二支や時候・日月に関する語彙を並べた後で、「汝等各早修、勉旃勿懈矣」と結ぶ。本文を楷書・大字・五行・無訓で記す。巻末に「五十音仮字切指南」「五行八卦」「三十韻」「類似抄略」「俗制字略」および「略字引」を載せる。〔小泉〕
◆ようどうくん [3561]
幼童訓‖【作者】坂田安治作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一八年(一八八五)作・刊。[東京]神道禊教院(坂田鉄安)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。神道系の童蒙教訓を綴った手本。朝早く起きて身仕度を整え、屋敷の掃除をしてから神や先祖を礼拝し、両親や長上に挨拶するのは、神代から続く「皇国の風儀」であること、そして、国土・人民・万物の創造主である神を拝し、その恩恵に報いるべきこと、また、祖先の霊はわれわれや子孫の行末を守護してくれることを忘れず、年に一度はその祭礼を行うべきこと、天皇の臣民たることをよくわきまえ、命の限り天皇に仕えるべきことなどを諭し、以下、長上への礼、外出・帰宅時の神前・父母への礼、立居振る舞い、物の言いよう、反省し過ちを改めること、酒食の心得、手跡稽古の努力、書物、皇国の大道と報国などを述べ、最後に、以上の事をよく守って、無道人(あじきなきひと)、や不孝児(おやにしたがわぬこ)になってはならないと戒める。本文を大字・三行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆★ようどうくん [3562][3563]
〈小学必読〉幼童訓‖【作者】柴田花守作。増穂画。【年代】明治五年(一八七二)刊。[大阪]秋田屋太右衛門(田中太右衛門・宋栄堂)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『世話字往来教車』†を部分的に改めた教訓書。異なる点は、手習い開始年齢の目安を八歳から六歳に引き下げて「師匠を撰み入学し」と付け加えた点と、「算盤」の出精を「学問」に置き換えて日本の「国体」を基にして漢学・英学・仏学・ドイツその他万国の「風俗・事情」に通達し、正直に家職に精励すべき旨の文言を加えた点などである。なお、末尾には高札の趣旨を教訓歌に綴った「〈五倫和解〉子もり謡」「〈鰥寡孤独・廃疾和解〉子もり謡」(いずれも教訓歌八首ずつ)を付す。本文を大字・四行(「子もり謡」は五行)・付訓で記す。〔小泉〕
◆ようどうひつがくはやみち [3564]
幼童筆学早道‖【作者】村野関山(輔・徳而)作・書・刊。【年代】文政七年(一八二四)刊。[江戸]村野関山蔵板。【分類】教訓科。【概要】異称『手跡稽古之節心持之儀左之通御心得可被成候』。大本一冊。江戸目白在住の御家流書家・村野関山が文化一四年(一八一七)に自費出版した筆道書をさらに文政七年に増補して再刊したもの。書法や筆道心得を概ね大字で認めた手本用に作る。まず、書道手本は筆運びを示したもので字形を似せるためのものではないことや、書道における気と心の習得について説き、続いて「筆意之事」「筆法之事」「筆鋒之事」「書法之事」の各項毎にその要諦を明らかにする。特に「書法之事」は六カ条に分け、図解や注釈を加えて詳述する。後文では、実際の稽古に際して、以上の条々を再三熟読することなどを諭す。以上が文化板の内容であり、文政板の増補部分は一字が千変万化して文字を成す極意など二カ条である。本文を概ね大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆★ようどうひつどく [3565]
幼童必読‖【作者】宇喜田小十郎(宇喜多練・浮田練・練要堂・翠雲山人・練雲)作。【年代】明治七年(一八七四)刊。[京都]田中屋専助(嶋林専助・博文堂)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。明治四年(一八七二)刊『幼童初学』†とは全くの別内容。前半は、「夫、万物の霊たる人として、書・学・算に疎くしては…」で始まる教訓文で、まず無学文盲は人としての恥であり、文化隆盛のこの時代に自ら学問に志を立てるべきことを諭し、子を持つ親の心得と子どもの教育について述べる。以下、後半は子どもの学習順序と学習内容について詳述する形で種々の語彙を列挙する。具体的には、方角・形状・色・度量衡・時令・天文・地理・居住家宅・諸官庁・人倫・軍事・神官僧侶・職業・身体・衣服・穀菜・果類・草木などの語彙を掲げ、さらに絹布その他の語彙を『商売往来』†で身につけ、さらに『歴代帝号』『歴代年号』†『府県名』†『内外国名』から『市中制法』†『郡中制法』†『小学』『孝経』『四書』までを学習すべきとする。また末尾で、胎内十月から誕生後の人の成長過程を通過儀礼を中心に述べつつ父母の恩の高大なことを強調する。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。〔小泉〕
◆ようどうみちしるべ [3566]
幼童道知辺‖【作者】神谷大夢(一貫堂)作・書。【年代】弘化三年(一八四六)刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。七・五、七・五と続く『孝行和讚』†と同様の形式で綴った教訓。「夫、人と生るゝ者は道を始に学べし。親に不孝の輩は鳥獣にも劣りと古人も賤め置れたり…」で始まる冒頭の数句は『孝行和讚』とほぼ同文だが、残りの大半は全くの異文。孝行から公儀遵守までは『孝行和讚』とほぼ同文で記し、続いて、武士の心得として文武への精励、礼儀、諸芸の嗜み、主君への奉公、先祖崇拝、父母への孝養、五常の実践などを説き、さらに四民ともにわが子を導き、厳しく教えるべきことや、家来を使う者の心得、妻の選び方、妻の役割など四民に共通の心得を述べた後、農民・町人(職人・商人)それぞれの教訓に触れ、最後に家業出精が子孫繁栄・天下太平の基であると述べて結ぶ。本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。巻末に、敬・福・禄・寿の各項毎に金言や教訓歌などを引いて諭す。刊記によれば、神谷大夢七十二歳の書という。〔小泉〕
◆ようどうみつのおんほうれいしょう [3567]
幼童三ッ之恩報礼抄‖【作者】玄河堂清賈作。【年代】天保一四年(一八四三)刊。玄河堂板か。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。寺子屋師匠である著者が毎月六回(六斎日)に門弟の児女に教授したという教訓書。著書による私家版であろう。父母・国・天地の恩(三恩)について、『孝経』や『父母恩重経』の教えを引きながら、三恩の深いことや、報恩のための忠孝・勧学・家業出精の努力などを七五調の文章で綴る。「『孝経』の序文に曰く、天地人民有てより、以来(このかた)孝道著るゝ、天地闢(ひらけ)て人民が…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。なお、跋文によれば、玄河堂寺子屋では、読み・書き・算盤の三つを教授していたという。〔小泉〕
◆ようぶん [3568]
用文(仮称)‖【作者】不明。【年代】天保六年(一八三五)再刊。[江戸]鶴屋金助板。また別に[江戸]山口屋藤兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】中本一冊。書名は柱による。「消息例文」「名頭字づくし」「大日本国尽」から成る用文章。「消息例文」は、「年始之状」〜「婚姻怡之礼状」の一八通を収録する。四季・五節句祝儀状や諸用件の書状が中心である。「名頭字づくし」以下は別項『名頭』†、『国尽(大日本国尽)』に同じ。本文を大字・五〜六行・付訓で記す。巻頭に「士農工商図」「書札上書認様上下の事」「絵馬之書様」、巻末に「十幹十二支」「十二月異名」を掲げる。〔小泉〕
◆ようぶんしゅう [3569]
〈手紙〉用文集‖【作者】寺沢政辰書。寺沢周盈跋。【年代】宝暦一一年(一七六一)跋・刊。[江戸]須原屋文助板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。寺沢政辰筆の書簡文を集めた手本。「新年祝儀礼状」や「依頼の『一代書用筆林宝鑑』†を調達した旨を伝える状」「その代金として三匁送付する状」など合計五二通を収録する。本文を大字・一〇〜一一行・無訓で記す。四季折々の手紙も含むが、日常の諸用件、特に書籍類に関する書状が多いのが特徴で、『雑筆往来』†『新交往来』『花月往来』†『江戸名所往来(名所往来†)』『商売往来』†『書札筆用集』†『草書千字文』『伊呂波歌』『節用集』『江戸絵図』等の書名が見える。このうち『新交往来』は未発見の往来で、古往来の可能性もあり興味深い。〔小泉〕
◇ようぶんしゅうよう [3570]
〈長雄・数楽〉用文集要〈詩歌〉‖【作者】長雄耕雲・長雄耕文(数楽耕文)書。長雄耕文跋。【年代】元文三年(一七三八)書・刊。[江戸]吉文字屋治郎兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。元文三年三月の耕雲筆の消息に耕文筆の消息・詩歌若干を加えて上梓した長雄流陰刻手本。前者は「昨日の参府を知らせる手紙」から「『源氏物語』須磨の巻についての所見を述べる文」までの一三通で、最後の一通のみ仮名文。後者は「三世の契り」の浅からずことを述懐する手紙など短文の消息二通と詩歌各一首を綴ったもの。詩歌を除き、いずれも大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ようぶんじゅくじこうしゃく [3571]
用文熟字講釈‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎)板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。消息に使用する熟語を集め、施注した簡易な往来。江戸後期刊『消息往来講釈』(『大全消息往来』†中に合綴)を模倣したもので、「書札・尊翰・芳書」から「拝味・酒宴・酩酊」までの約三一〇語を集録する。ただし、『消息往来講釈』を改編した箇所も多く、後半の年中行事関連の部分から五節句等の語句を丸々省いて、代わりに「紀元節」「新嘗祭」などの語句を補充する。本文を大字・六行・付訓で記す。頭書に明治初年の新語を含む漢語約一六〇語を集めた「〈開化〉漢語字類」、見返に「上包仕様」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◇ようぶんしょう [3572]
用文章(仮称)‖【作者】不明。【年代】天明五年(一七八五)刊。[江戸]蔦屋重三郎板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊(ただし版面は中本サイズ)。前半部柱に「用文」、後半部柱に「手形」とあるが原題不明。天明二年刊『寿徳用文七宝蔵』†の後に天明五年刊『万用手形鑑』†を増補した用文章。消息文例は「年頭に遣状」から「神事に請する状・同返事」までの七〇通からなり、四季や五節句に伴う例文と用件中心の手紙(招待状・見舞状・祝儀状・依頼状など)全般を載せる。本文を大字・六行・ほとんど付訓で記す。前付に「十二月異名尽」「視聴言動」「暖簾その他表書きの法」「文字の起こり」「本朝三跡名筆伝」等、頭書に「書法指南」「大日本国尽」「五性名頭字」「偏冠尽」「書状封様図」「書状書初の事・同返事の事」「書留の高下」「諸礼躾方」「童子教訓いろは歌」「万折形式法」「暦中段解」「暦下段解」「歌雑書」等の記事を載せる。〔小泉〕
★ようぶんしょう [3572-2]
用文章‖【作者】不明。【年代】享保(一七一六〜三五)年間刊。[大阪]毛利田庄太郎(本屋庄太郎・崇文軒・文栄堂)板。【分類】消息科。【概要】大本三巻合一冊。原題不明だが柱に「用文章」と記す。上巻に五節句ならびに四季折々の書状、中巻に諸用件・吉凶事に伴う書状、下巻(「手形鏡」と題する)に各種手形証文類を収録した用文章。収録書状数は上巻から順に「正月初而遣す状」以下一六通、「祝言之所へ遣す状」以下一六通、「銀子預り手形」以下七通および「万手形法式之事」の合計三九通。いずれも本文を大字・四行・付訓で記す。付録記事も豊富で、前付に「弘法大師・小野道風小伝」「文字・筆・硯・紙由来」「筆を取るべき次第の事」「机之寸尺」「一代守本尊乃事」「万年暦大ざつしよ・相生之事」「男女相姓之事并ニ歌」「生月善悪の事」「十干・十二支」「月のから名尽」、頭書に「商売往来」「名字尽」「名乗尽」「小野篁歌字尽」「世話字づくし」「片言なをし」「木之部(以下各種部類分け字尽)〜五穀之部」「男名頭字づくし」、さらに巻末に「日本国尽」を掲げる。〔小泉〕
◇ようぶんしょう [3573]→欠番
◆ようぶんしょう [3574]
用文章(仮称)‖【作者】西川竜章堂書。【年代】天保三年(一八三二)刊。[京都]刊行者不明。【分類】消息科。【概要】横本一冊。「初心之為に通俗専用の調法」を専らとして編んだ用文章。「年始披露状」から「歳暮祝儀状・同返事」までの六六通を収録する。五節句や四季の行事にまつわる手紙文の間に、諸用件の手紙を配置する。本文を大字・七行・付訓で記す。巻末に「書法大躰」「書状書留」「殿・様之事」「年始之詞」「判之事」「追而書之品」「女中え遣文之法」「色紙短冊書法」「書札之寸法」、その他書簡作法の基本を一通り記す。〔小泉〕
◆ようぶんしょう [3575]
〈御家〉用文章‖【作者】野口晋松堂書。【年代】江戸後期刊。[江戸]鶴屋喜右衛門ほか板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始之文」以下一八通の消息文例を集めた簡易な用文章。大半が四季に伴う書状だが、後半に元服や婚礼についての祝儀状、類焼や病気についての見舞状を載せる。このうち「初午稲荷詣の文」は、王子稲荷に参詣する文章で、昼食の料理屋として海老屋・扇屋などの屋号や付近の地名も登場させるのが特徴である。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、俗語を集めた「世話言語字(げんぎょじ)」、同音異義語の用例を示した「文字遣分解」「詩歌」を収録する。〔小泉〕
◆ようぶんしょう [3576]
〈新改〉用文章‖【作者】不明。【年代】元文三年(一七三八)以前刊。[大阪]天満屋源次郎板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「年始の祝儀に遣す状」以下一三通の消息文例を集めた用文章。四季折々の手紙を主とし、その他「病気見舞に遣す状」など諸事についての手紙を一部含む。本文を大字・六行・所々付訓で記す。なお、玉川大本の表紙に「元文三年」の書き入れがある。〔小泉〕
◆ようぶんしょう [3577]
〈百瀬〉用文章‖【作者】百瀬耕元・鈴木甚蔵(耕呂・利有)・村上利三郎(耕准・昌福)・北山佐助(耕本・正道)・鈴木才助(耕雁・孟郷)・野本安右衛門(耕坦・高正)ほか書。【年代】寛政一一年(一七九九)刊。[江戸]前川六左衛門板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。百瀬耕元とその門人の筆跡を集めた百瀬流手本。原題簽に『用文章』と明記するが、純然たる手本であって用文章ではない。まず流祖・百瀬耕元の筆で「新年祝儀状」「家督相続祝儀状」「婚礼祝儀状」「進物お裾分けの書状」など一四状を載せ、続いて、鈴木甚蔵・村上利三郎・北山佐助・鈴木才助・野本安右衛門の五人が揮毫した書状一〇通(順に「婚礼祝儀状」ほか二通、「豊作祝儀状」ほか二通、「江ノ島参詣の同道を請う手紙」以下二通、「暑中見舞状」ほか二通、「注文品納入の手紙」ほか二通)を掲げる。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ようぶんしょうえしょう [3578]
用文章絵抄‖【作者】槐亭賀全作・序。【年代】元治二年(一八六五)序・刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】消息科。【概要】現存本では中本二編二冊。書籍広告によれば三編まで刊行というが現存するのは二編までか。消息文例の各文章をいくつかに区切り、語句の注釈や関連の挿絵を行間や語句毎に配置した独特な用文章。幕末に同体裁の往来(吉田屋文三郎板)が多数出版されている。初編には五節句や四季に伴う書状、婚礼・出産祝い、地震・留守見舞いのほか、問屋引付状など商人用文を含む三五通の文例を収録する。二編には家督相続・道具借用・縁談・元服・養子縁組・餞別・振舞・移転・入院(出家)・出火見舞いなど、日常の雑事に関する消息文二六通を掲げるが、中には倡家や大酒に耽る人への戒めなど教訓的な文例も見られる。本文を大字・四行・付訓で記す。「年始披露(としのはじめ、ひらきあらはす)」「先以(何よりさきといふ云こと)」のように簡単な語注を囲み罫で括って語句の左側に掲げ、語句の所々に小さな挿絵を掲げるのが特徴。〔小泉〕
◆ようぶんしょうがくぶり [3579]
〈開明文例〉用文小学振‖【作者】梅沢悦之助作・書。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]大島真次郎蔵板。山中市兵衛ほか売出。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「請取書之例(三例)」「送状之書方(四例)」「口上書之例(二一例)」と、「年始之文」〜「歳暮之文・同返辞」の消息文例三〇通を収録した用文章。消息文は季節の挨拶や行事に関する手紙を主とし、中には「孝明天皇御祭日之文」「傘を返す文」「紀元節之文」「神武天皇御祭日之文」「夏越(なごし)之祓の文」「近火見舞之文」等の例文も見える。本文を大字・六行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。頭書に「手紙の要字」「書状之心得」「書式類語」「十二月の時候」「諸証書文例」「証書心得」を掲げる。〔小泉〕
◆ようぶんしょうこうもく [3580]
〈頭書絵抄〉用文章綱目‖【作者】中村栄成(甚之丞・甚丞)作・跋。【年代】元禄五年(一六九二)刊。[京都]鑰屋善兵衛(鍵屋善兵衛・小森休里)ほか板。また別に[京都]菱屋治兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】大本三巻三冊、後三巻合一冊。例文と替え文章・関連知識・頭書語注が充実した比較的初期の用文章。上巻に「年始遣書簡之事」から「歳暮祝儀送る文・同返状」の一三双二六通と「書上書仕様、留書・脇付・返札脇付高下」、中巻に「久不逢人之方へ遣状」から「説法聴聞人を進文言・同返事」の九双一八通、下巻に「貴人より初而奉公へ遣状」から「元服仕たる人へ遣文言・同返書」の七双一四通、合計二九双五八通の例文を収録する。上巻が五節句・四季行事、中・下巻が諸用件・雑事に関する書状で、それぞれ大字・五行・付訓で記す。また、各例文に続いて半丁に一六行程度の小字で「替り文章」「替り文言」「替り文躰」と称する身分別の言い替え表現と関連の例文(「増補文章」)を掲げるので、実質的な収録書状数はさらに増える。頭書に年中行事故実・和漢人物伝・寺社縁起・その他故事来歴・祇園会・書簡作法・小笠原流折形などを図解・説明するほか、巻頭・巻末に「文章の始」「天竺・震旦・本朝文字始」「いろはのおこり」「呉服注文(注文書)」「家具并諸道具目録」「刀脇差注文」「大工材木目録」「屋根屋目録」「仏師新仏・古仏再興目録」「奉公人請状之事」「跡職譲状之事」「廻文・触状之書様」「太刀・折紙書様之事」「平安城之図」「親類一門部類眷属子々孫々(字尽)」「草果之類(字尽)」「魚鳥(字尽)」等を掲げる。〔小泉〕
◆ようぶんしょうしなん [3581]
〈新編〉用文章指南‖【作者】不明。【年代】元禄二年(一六八九)刊。[京都]小佐治半右衛門(小佐治宗貞・金屋半右衛門・整文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『新編用文章指南』。大本三巻三冊。書名のように「童蒙初心のために」編まれ、書簡用語についての豊富な略注や替え文章を載せた先駆的な用文章の一つ。上巻に「年始に遣書札之事」から「元服之所え遣状之事・同返事」までの二〇通、中巻に「知人に成度思ひて遣書札之事」から「雪のふりたるに遣状之事・同返事」までの二二通、下巻に「久敷逢ざる人に遣書札之事」から「年之暮に遣書札之事・同返事」までの一二通の合計五四通を収録する。本文を大字・五行・付訓(所々左訓も施す)で記し、頭書に各例文に対する言い替え表現を上・中・下別に記載し、稀に故実その他の補注を付す。また、下巻巻末に「書札書様之事」「月之異名字尽」「日之異名字尽」「名字尽」「家名字尽」「人名字尽」「同法体名字尽」「衣服并魚鳥字尽」等の記事を載せる。なお、本書が浮世草子へ影響を与えたとする指摘もある。〔小泉〕
◆★ようぶんしょうたいぜん [3582]
〈新撰算術〉用文章大全‖【作者】不明。【年代】文化七年(一八一〇)年刊(求板)。[江戸]鴨伊兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『用文章』。半紙本一冊。『倭国用文章』†から「証文之類」を省いた改題本。春・夏・秋・冬の四部に「年頭之状」から「歳暮之状」までの季節の手紙一五通を収録した用文章。本文を大字・四行・付訓で記す。書名角書のように、頭書に「田数之名の事」「九九」「八算見一」など和算関連の記事を多く載せ、ほかに「大日本国尽」「五性名頭文字」を掲げる。〔小泉〕
★ようぶんしょうてならいかがみ [3582-2]
〈証文字尽〉用文章手習鑑‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[京都]正本屋吉兵衛(田中吉兵衛・正栄堂・博化堂)板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。明暦三年(一六五七)刊『〈江戸〉新用文章』†の改題本の一つ。明暦二年板系統だが明暦三年板とは異板。江戸前期刊本の後印で、各巻の目次と下巻末の「義経含状」を欠き、「偏并冠之事」の末尾に旧刊記と思われる囲み罫を残す。〔小泉〕
◆★ようぶんしょうまんりょうばこ [3583]
〈一番〉用文章万両箱‖【作者】不明。【年代】文化五年(一八〇八)刊。[江戸]須原屋平助ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家流・一番〉用文章万両箱』『日用重宝早引文章』『状文章』。中本一冊。四季・五節句、通過儀礼・婚礼その他吉凶事、商用その他諸用件の手紙を集めた用文章。「年頭状」から「掛方催促之状」までの七一通を載せる。各例文を大字・六行・付訓で記す。全体として商人向けに編まれているが、商用文は少ない。一方、付録記事には商人に必要な知識を簡潔にまとめており、巻頭に「九九之次第」「八算之術」「京より大坂へ河上道中記」「諸証文手形之案紙」「見一之術」「百官名尽」「東百官名尽」「万物之重目」「名字尽」「男女名頭字」「改正服忌令」「書状封様」「包物折形」「四季月々時節之言葉」等を掲げるほか、本文後半に「商売往来」「知死期操様」「願成就日・不成就日」「日本国尽(郡名付き)」「京町尽」「篇冠構字尽」「十干十二支」を収録する(諸本により収録順に異同がある)。巻末広告には、本書続編『二番用文章万両箱』†に「音物・進物をつかはさずして書状の文句をしたゝめ候事」、すなわち贈答不要の例文ばかりを集めた旨を記す。〔小泉〕
◆ようぶんしょうめいかん [3584]
〈新撰〉用文章明鑑‖【作者】春風子(艸山隠士)作・序。【年代】元禄八年(一六九五)刊。[江戸]万屋清兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『新撰用文章明鑑』『書札文言指南』。半紙本三巻三冊。書簡文の諸類型や書簡用語・作法について綴った用文章。上巻「貴賤僧俗書札文章十二体」は、一年一二カ月に一通ずつ一二種類の書簡体(軽薄・不礼・不続・胡乱(うろん)・疎忽・緩怠・文盲・野人・法中・驕慢・女子・牛角)別の例文を掲げるのが特徴で、例文毎に評注と月の異名を付す。中巻「貴賤僧俗書札文言之評注」では、書簡用語・用句の用例・用法など約二五〇例について詳述する。下巻は、世間通用の宛字と正字を列挙して一部注釈した「充字正字之部(言語并天地門・器財門・衣類門・食物門・魚類門・人倫門・支体門・草木門・生類門の九門に分類)」、同音異字を示した「音相似読異字之部」、誤用されやすい語句を列挙した「俗字・正字之部」を収録する。消息例文を大字・四行・付訓(所々左訓)、その他は六〜八行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ようぶんしょかんあんもん [3585]
用文書簡案文‖【作者】不明。【年代】明和(一七六四〜七二)頃刊。[江戸]丸屋小兵衛板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈文政再版〉用文書簡案文』。中本一冊。「年始遣文」から「長命を賀して遣す文」まで全六二通を収録した用文章。例文は二〜四行程度の短文(いずれも往復文)で、往状・返状を「●」「▲」の記号で区別する。冒頭に五節句祝儀状を掲げ、以下、一部四季に伴う手紙を混ぜつつ、諸用件・吉凶事についての手紙全般を収録する。前付に「御家四教」、巻末に「大坂三度飛脚」「飛脚問屋家名所附」等の記事を載せる。このうち「飛脚問屋家名所附」に宝暦一四年(一七六四)一月の記載があることから、初刊は明和(一七六四〜七二)頃と推定される。概ね本文を大字・六〜七行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ようぶんどうじつうじべん [3586]
〈今様文章柱建〉用文童子通字便‖【作者】不明。【年代】文化一三年(一八一六)刊。[江戸]森屋治兵衛板。また別に[江戸]鶴屋喜右衛門板あり。【分類】消息科。【概要】異称『書翰文通童子便』。中本一冊。各月往復二通、一年一二カ月往復二四通の消息文例を収録した簡易な用文章。四季や季節の行事に関する例文がほとんどで、各例文を大字・六行・付訓で記す。巻末に「国尽」「十幹の文字」「十二支の画抄」「十二月の異名」を掲げる。〔小泉〕
◆ようぶんどうじべん [3587]
〈天保再版〉用文童子便‖【作者】不明。【年代】天保年間(一八三〇〜四四)刊。[信州]小枡屋喜太郎板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始之文」から「誹諧会の文」までの一五通を収録した簡易な用文章。四季・五節句・年中行事の手紙を中心に収録する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻末に「小笠原流折方図」を載せる。題簽に江戸書肆・森屋治兵衛の商標を掲げたり、見返にも江戸後期板『謹身往来』の模倣と思われる読書指南図を掲げるなど海賊版の趣が色濃い。角書に「再版」と記すが、初刊年代は不明。〔小泉〕
◆ようぶんひとりげいこ [3588]
〈新撰〉用文独稽古‖【作者】西森武城作。【年代】明治二五年(一八九二)刊。[東京]大川錠吉(大川屋書店)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。活版和装本。「年始の文」から「歳暮の文・同返事」までの一〇〇通を収録した用文章。単純な四季の推移を題材とする例文は少なく、種々用件の手紙を多く掲げるのが特徴。各頁一一行で漢語等には活字(半丁一〇行)の両側にルビを付す。頭書に「いろは分字類」「諸証書文例」を載せる。〔小泉〕
◆ようぶんまんつうぞう [3589]
〈御家〉用文万通蔵‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]品川屋久助(当世堂)板。また別に[東京]品川屋朝治郎板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家〉用文書』『用文章』。中本一冊。「年始之文」から「志配り之文・同返事」までの往復文二九通(「高貴之方之暑中見伺之文」のみ返状なし)を収録した用文章。四季・五節句、また髪置・元服・婚姻・安産・病死など一生の吉凶事に伴う例文を主とした一般的なもの。本文を大字・四行・付訓で記す。「暑中伺之文」のみ貴人・同輩の尊卑の区別を示す。また、頭書欄を比較的大きく設けるのも特徴で、和算全般を記した「塵劫記大成」を載せる。〔小泉〕
◆ようようおうらい [3590]
要用往来‖【作者】猪瀬尚賢(直方・方平・譲之助・丈之助・晴雪楼)作・書。【年代】万延元年(一八六〇)作・刊。[江戸]丸屋徳造(丸屋徳蔵・宝善堂・関山徳造)板(折本)。また別に[江戸]須原屋新兵衛(小林新兵衛・嵩山房)板(大本)あり。【分類】社会科。【概要】異称『御家流要用往来』。折本一帖または大本一冊。『五人組帳前書』†の条項に沿って順次語彙を列挙した手本。まず折本が刊行され、続いて大本が出版されたと考えられる。公民たるに必要な法令関連語彙が中心を占め、「夫、人々蒙聖代恩沢、累世安穏令家跡相続、弁冥加、日夜職業専一相営、若年砌、有余力者、読書・算筆之稽古心懸…」と筆を起こして、家業出精、余力学問、孝行、博奕禁止、分限、遊芸、金銭、訴訟、契約、証文、取引、喧嘩、その他反社会的行動、裁定、地方・租税、相続、人倫、社会生活、忠孝、賞罰等の語彙を羅列する。折本は大字・二行(一折四行)・ほとんど付訓、大本は大字・四行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆★ようようしょじょうばこ [3591]
〈海内通路〉要用書状箱‖【作者】山田賞月堂作・書。【年代】弘化三年(一八四六)刊。[京都]丁子屋源次郎板。【分類】消息科。【概要】異称『日用書状宝』。横本一冊。天保一三年(一八四二)刊『日用書状宝』†のうち「六、商用之部」「七、証文手形之部」の二部を削除し、付録記事の配列を若干変更した用文章。「四季之部(上下)」「祝儀之部」「見舞之部」「雑用之部」の五部合計七三通を収録し、本文を大字・七行・付訓で記す。巻末に、端書・書止などの作法を記した「文章用字九段之事」を載せる。〔小泉〕
◇ようろうのたき [3592]
養老滝‖【作者】日下部吉之助書。【年代】安政三年(一八五六)書。【分類】教訓科。【概要】美濃国「養老の滝」の由来を綴った往来。酒を好む老父に孝を尽くした貧しい男がその至孝の故に、後、天皇より美濃守に任ぜられ、元号も養老に改められたという一連の伝承を記す。〔小泉〕
◆よこはまおうらい [3593]
横浜往来‖【作者】仮名垣魯文(神奈垣魯文・野崎魯文・鈍亭・金屯道人・鈍通子)作。山東直砥(三栗居士)・伊達千広(宗広・自得・好々斎)序。深沢菱潭書。河鍋暁斎画。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「新玉の年の日脚も進みゆく、黒がね道を蒸気車の、乗合人の案内(しるべ)にて、手間どる暇も波繁き…」で始まる七五調の文章で、明治初年の横浜の地理や社会を綴った往来。明治五年九月に新橋〜横浜間の鉄道が開通した直後だけに、鉄道・電信機・郵便・新聞・貿易・学校・馬車・商館など文明開化を前面に打ち出し、発展する横浜の様子を述べる。本文を大字・四行・付訓で記し、巻頭に横浜全景図を掲げる。〔小泉〕
◆よこはまちめいあんない [3594]
横浜地名案内‖【作者】森田友昇(嘯月)作・序。三森三木雄書。山東直砥・平家真宝(梅花)・加藤祐一序。三島外史・海老沢謙斎跋。【年代】明治八年(一八七五)序・跋・刊。[横浜]森田友昇板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「明けく、治る御代の春の日の、豊かにつゝく横浜の、市の衢(ちまた)は縦横に、甍並へて錐か立、処も見えす本町の、北に南に仲通…」で始まる七五調の美文体で、伊勢山秋月・本牧晴嵐・浅間山暮雪・波止場帰帆・公園夜雨・鉄橋夕照・吉田落雁・北方晩鐘の「横浜八景」を中心に、横浜周辺の主要地名や産業・風趣などを紹介した往来。本文を大字・五行・付訓で綴る。また、題字・序文・跋文と「横浜八景」を呼んだ詩歌・俳句と色刷り挿絵から成る前付・後付記事に、本文よりも多くの丁数を割くのも特徴。〔小泉〕
◆よこもじういまなび [3595]
横文字初学(初編)‖【作者】光清潭作・序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]光清潭蔵板。雁金屋元吉(雁信閣)売出。【分類】語彙科。【概要】異称『〈明治第六新刻〉横文字初学』。中本一冊。ローマ字各体の表記を学ぶため初歩教科書。「羅馬体の文字(ローマン体・大小文字のアルファベット)」「筆記体の文字(イタリック体・同)」「伊太利体の文字(同)」「母韵・子韵」「アラビア数字・定数」「ローマ数字」「運筆の法」「異体同字・合字」から成る。首題や柱に「初編」と記し、巻末広告には五編まで合計九冊(初編以外は各編二冊)とあるが、二編以降は未刊か。〔小泉〕
◆よこもじながしら [3596]
yokomosinagasira‖【作者】不明。【年代】明治六年(一八七三)頃刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。近世流布本『名頭字尽』†にローマ字表記を添えた英学入門書。例えば「源(行書体)・げん・ゲン・HGEN(ローマン体)・hgen(ローマン体・イタリック体)」のように、漢字一体・ローマ字三体の計四体を一行として表記する。なお右開きの丁付けを採用するため、本文冒頭が第一七丁、本文末が第一丁となっている。なお、謙堂文庫本には「明治六年」の書き入れがある。〔小泉〕
◆よこもじはやまなび [3597]
横文字早学‖【作者】不明。【年代】慶応二年(一八六六)刊。[横浜]錦港堂板。【分類】語彙科。【概要】異称『yokomozi hayamanabi』。中本一冊。アルファベットや英字表記の入門書。まず、イタリック体およびローマン体のアルファベット(大文字・小文字)を掲げ、次に片仮名イロハと対応するローマ字表記(イタリック体小文字・ローマン体大文字)を掲げ、各アルファベットの単音の読みを付記する。続いて、アラビア数字と英単語の読み、ローマ数字と漢数字の対応を示し、さらに五十音(母字・子字・濁音・重子字など)を掲げる。〔小泉〕
◆よしつねふくみじょう [3598]
義経含状‖【作者】不明。【年代】寛永一九年(一六四二)刊。[京都]安田十兵衛板。【分類】歴史科。【概要】江戸初期刊本はほとんど大本一冊。『義経含状』†は、その内容からして、『弁慶状』†と同じ作者によって江戸前期に作られた擬古状と考えられる。内容は、衣川において討死を覚悟した義経が、幼少のころ清盛によって遠国に追放され、艱難辛苦の末、平家追討の大役を果たしたが、梶原景時の讒言によって今このような不運を受けることになったという想いを、兄頼朝に向けて述懐したものである。最後は、梶原の首を手向としてくれれば今生後生の恨みもないと締め括る。わずか二丁程度に収まる分量のため、本往来のみの単行刊本はないと思われ、『弁慶状』と合冊される万治元年(一六五八)・山本長兵衛板のような例外を除けば、基本的に『初登山手習教訓書』†との合冊であり、その初刊は寛永一九年・安田十兵衛板であろう。また、明暦三年(一六五七)刊『新用文章(新板用文障)』†の巻末にも「義経含状」が収録されており注目される。〔母利〕
◆よしつねゆうそうおうらい [3599]
〈甲申新版〉義経勇壮往来‖【作者】十返舎一九作・序。晋米斎玉粒(藍庭玉粒・林信・晋兵衛・楽亭山寿・芝全交二世)書。歌川国安画。【年代】文政六年(一八二三)刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈新刻排設〉義経勇壮往来』。半紙本一冊。板元・山口屋の求めに応じて一九が著した一連の伝記型往来の一つ。源義経の家系・生誕から、平家討伐、さらに破竹の勢いで平家軍を打ち破った武功にも関わらず、梶原景時の讒言によって頼朝の疑心を受け、自刃するまでの生涯を綴ったもの。末尾で、泉三郎がその身代わりとなり、義経とその従士がひそかに蝦夷へ逃れたとする説は、義経を崇拝する人々の虚構であろうと指摘する。文末を「恐惶敬白」と結ぶ書翰形式の本文を大字・五行・付訓で記す。頭書には、本文と無縁の「諸国御城下附(各国の国名・郡数・城下町など)」を掲げる。〔小泉〕
◆よしのおうらい [3600]
芳野往来‖【作者】不明。【年代】享和元年(一八〇一)刊。[名古屋]三星屋吉兵衛(黄巻堂)板。なお後印本に[名古屋]菱屋久八郎板、[名古屋]成山堂(藤屋市郎右衛門か)板等あり。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。『竜田詣』†の改編本。参詣の順路は『竜田詣』とほぼ同じで、奈良春日大社に始まり、三輪山、長谷寺、多武峯を経て吉野を巡り、当麻寺から天王寺、大坂、さらに淀川を船で上って京都に至る。冒頭の一丁分は『竜田詣』と文言が大きく異なるほか、他の箇所にも多少の異同がある。「西行の庵室」「兵庫」「尼崎」などを加える一方で、『竜田詣』にあった「立田川の流れは、今に中絶えず…」の前後を簡略化する。恐らく『芳野往来』の書名に即して「立田(竜田)」方面の記述を削除した結果であろう。また、手紙の相手を老人にしている点も『竜田詣』とは異なる。「常々申談候竜田参詣之事、紅葉も漸時節可有之候。何頃可被思召立候や…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。三星屋板には巻首に「片仮名」「九九数」「名頭尽」を付すが、菱屋板(外題『芳野往来』または『〈嘉永新板〉都往来・吉野往来』†)にはこれらの付録記事を省く。〔丹〕
◆よしのおうらい [3601]
芳野往来(仮称)‖【作者】百瀬耕元(南谷山人・久継・耕呂)書。【年代】文化六・七年(一八〇九・一〇)書。【分類】消息科・地理科。【概要】大本一冊。前半「用文章」と後半「芳野往来」の二本を収録した仮綴じ手本。用文章には「文栄堂」の求めに応じて書き著した旨が筆者跋文に記されているが、文栄堂が書肆とすると本書は刊本の草稿であろうか。いずれにしても本書は耕元晩年の稿本であろう。前者は、即位祝儀状以下八通を載せるが、端午節句祝儀状、暇願い許可に対する礼状、長崎到着に伴う公務報告、献上の取次または拝領の礼状、世継ぎ出産の祝儀状など、いずれも奉書・披露状などの武家公用文。また「芳野往来」は、同名の刊本(享和元年(一八〇一)刊)と同趣向の往来であるが異文で、「応名よし野の花御一見の事…」という書き出しで始まり、吉野参詣を計画した人に対して、友人が案内役を務めるという趣向で、道順や風景など参詣のあらましを紹介する。吉野山と周辺の風景、沿道の名所旧跡(蔵王堂・実城寺・神振山・禅定寺・子守明神・金性大明神・安禅寺等の寺社や滝など)やその由来、草花の様子について語り、吉野山は桜の白妙に包まれ、帰路も忘れて春風に酔いしれるようだと述べて結ぶ。なお、本書とほぼ同内容の往来に『吉野詣』†がある。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆よしのき [3602]
芳野記‖【作者】寿水堂(桃園)書。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】大本一冊。長年の念願であった春の吉野山散策を果たすという設定で、三月中旬の吉野山周辺の眺望を綴った手本。例えば「六田のよとは今も柳の糸うちはへなひくをみて」という詞書に続けて「青柳のみとりにそめて川なみも、六田のよとにかゝる春かせ」と詠むように、詞書と和歌で同地の春の情景を紹介するのが特徴。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆よしのもうで [3603]
吉野詣‖【作者】不明。【年代】天保(一八三〇〜四四)頃書。【分類】地理科。【概要】中本一冊。文化七年(一八一〇)、百瀬耕元書『芳野往来』†とほぼ同内容。「当春吉野ゝ花御一見思召立候付、乍御案内御供可申段、御懇望之趣忝次第候…」で始まる文章で、弥生の花盛りの季節に吉野山一帯を散策する想定で、沿道の風景や名所・名物・故事などを記した往来。「楠正成金剛山居間壁書」「竜田詣」とともに一冊に合綴する。〔小泉〕
◇よしのやま [3604]
〈新撰〉よしのやま‖【作者】不明。【年代】享和三年(一八〇三)書。【分類】地理科。【概要】異称『吉野山』。「兼て御約束致置し候芳野桜苅の事、如何と日々申し出し候。依貴報、此辺の朋友胥伴ひ申し度候…」で始まる一通の手紙文で、奈良より京都に至る沿道の名所旧跡・神社仏閣、ならびに吉野山(奈良県中部)一帯の景趣・縁起等を記した往来。大和路経由で奈良の春日大社・興福寺・東大寺・西大寺から、法隆寺・三輪在原寺・石上蟻通明神・多武峯(とうのみね)鎌足廟等を経て吉野山で花見を堪能し、さらに進路を和泉路にとって笠置寺・千早城等を詣で、摂津・淀川(宇治川)から入京するコースのあらましを紹介する。〔小泉〕
◆よっかまちおうらい [3605]
〈佐州〉四日町往来‖【作者】老出書。【年代】明治七年(一八七四)作・書。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。佐渡国雑太(さわた)郡四日町村(新潟県佐渡郡真野町)周辺の沿革・地誌等を綴った往来。「抑、当村は越後の国春日山の城主・上杉景勝侯、当国発向の刻、当所に陣屋を建て、兵乱の砌、臼木市右衛門と申者忠義を尽し奉公仕り候に付…」と筆を起こし、この功績により天正一七年(一五八九)七月に四日町村が誕生した時には臼木家一軒、九石七斗であったのが、明治初年には「都合八十一軒、高五百石余」まで発展したことや、鎮守・若宮八幡宮の由来から明治維新後の廃寺に至った経緯のほか、地域の寺社・河川等の名所や物産などを略述する。なお、重写本は大字・七行・無訓で綴る。〔小泉〕
◆よのすえじょう [3606]
世之末状‖【作者】不明。【年代】元文六年(一七四一)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「世之末之子供躰有見者、昔替覧迚、年若輩成計也…」と筆を起こして、当代の児童の怠学・悪行を戒めた往来。昔と異なり今や庶民の子供も公家・武家同様の身なりで色々な学芸を学ぶ機会に恵まれるようになったが、手習い・学問を打ち捨て、文具を粗末にした結果、学問が全く身に付かない有様を嘆く。また、本書後半にも人間として見苦しい行為の数々を列挙した「関白状聞書」を付す。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆よのなかどうかひゃくゆ [3607]
〈沓沢慈眼著〉世中道歌百諭‖【作者】沓沢慈眼著。武の舎の主秀種序。広然画。【年代】慶応二年(一八六六)序。明治三三年(一九〇〇)刊。[東京]富田文陽堂板。【分類】教訓科。【概要】異称『世乃中道歌百詠』『道歌百諭』。半紙本一冊。羽後国仙北郡神宮寺村白宮山宝蔵禅寺の住職である著者が詠んだ教訓歌。「忠孝に心をつくせ天道も、神も仏も恵む世の中」のように「世の中」という語句で終わる道歌と、「世の中は貧も有徳も苦も楽も、和合の家ぞ終に栄ゆる」のように「世の中」という語句で始まる道歌をそれぞれ五〇首ずつ、合計一〇〇首を収録する。忠孝など五倫の教えや、種々の処世訓を説く。半丁に二首ずつ掲げ、一首につき一葉ずつの教訓的な挿絵を付す。また巻末に、「世の中」で始まる教訓歌三首を掲げる。〔小泉〕
◆よのなかひゃくしゅえしょう [3608]
〈守武〉世中百首絵抄‖【作者】荒木田守武作。講古堂編・注・序。川嶋重信(川島重信・柳花堂・一々堂)画。【年代】大永五年(一五二五)作。享保七年(一七二二)刊。[京都]菊屋七郎兵衛(今井七郎兵衛)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『世中百首絵鈔』。半紙本または大本三巻三冊。「よのなか(世の中)」の四字を詠み込んだ百首の教訓歌に、各首の内容にかなった挿絵を施した絵本・往来物。歌は、荒木田守武が大永五年九月に一夜にして詠んだもので、内容は日常の心構えや立ち居振る舞いに関するものが大半である。序によれば、その教訓性から世間では本書を『伊勢論語』と称した。本文欄に和歌と挿絵、上欄頭書に語法解説や語釈、内容の解説などを掲げるが、頭書注釈は諺や日本の古典、儒書などを引用したり、日常的な例によって卑近かつ平易に説く。天保六年(一八三五)再板本では、この頭書の一部を削除または変更し、絵に対する寸評を挿入するなどの改編を加えた。また、本書とは別に、守武の真跡を写したものとして、寛政一〇年(一七九八)刊『教訓世中百首』†(挿絵なし)が出版されたほか、本書に触発された江戸の俳諧師たちが元文二年(一七三七)に『俳諧世中百韵』を出版した。〔丹〕
◆よりともぶこうおうらい [3609]
〈甲申新版〉頼朝武功往来‖【作者】十返舎一九作。晋米斎玉粒書。歌川豊国三世(歌川国貞初世)画。【年代】文政六年(一八二三)刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】歴史科。【概要】異称『頼朝武巧往来』。半紙本一冊。十返舎一九の一連の伝記型往来の一つ。源頼朝の生涯を劇的に綴ったもので、父・義朝が暗殺された頼朝幼少の頃から「敵中に漂泊」しながら成長する有様、やがて武州で着実に勢力を伸ばし、ついに平氏を滅ぼすに及んだ顛末を描く。そして、若き辛酸の日々から翻って天下を手中に納めた武功を「蓋世の功臣、忠孝の良将」と評価する反面、梶原景時の纔訴によって義経を失脚させたことは頼朝の「生前不良の唯一」と批判する。そして最後は、刃を血に染めずに征夷大将軍に任ぜられた栄華は武人のなかの武人であると讃えて締め括る。本文末尾を「誠惶謹言」で終える書簡形式の本文を大字・五行・付訓で記す。なお頭書に、本文とは全く無縁で、けがの応急処置など家庭医療に関する「即急諸薬方」を掲げる。〔小泉〕
◇よりまさじょう [3610]
頼政状‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】歴史科。【概要】異称『源三位入道頼政最後書捨一通』。治承四年(一一八〇)四月、源頼政が自刃直前に書いた遺書に仮託して書き綴った古状単編型往来。頼政の出自や、保元・平治の乱での武功を始め、平氏との数々の合戦の経緯に触れ、最後に源氏一族が心を一つにして頼政の志趣を受け継いで平家の族を滅ぼすことを訴える。本書は刊本の合本科往来中に収録される場合が多い。〔小泉〕
◆よりよしせいぞろいえしょう [3611]
〈新板〉頼義勢揃絵抄‖【作者】不明。【年代】宝暦一三年(一七六三)以前刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板(江戸後期板)。【分類】歴史科。【概要】異称『〈新刻改正〉頼義勢揃状』。大本一冊。鬼甲(おにかぶと)城に立て籠もって逆心を抱く落浜入道・大林近江守・豊原安広討伐の源頼義軍勢の出陣を、旗揃風に描いた古状単編型往来。本文の過半は武将名を列挙した『名尽』的な文章で、末尾のみ「彼頼義之御威勢末頼母敷共中々申計者無利鳧」のように古浄瑠璃風の常套句で締め括る。宝暦頃刊本(玉川大学蔵)には頭書はなく、見返に「出羽国あすはの森」や陣中の頼義らを描いた口絵を掲げ、本文を大字・六〜七行・無訓で記す。また、江戸後期の仙台板には、第一丁表・頭書に「籏馬印」数種の図を収めたり、各丁にわたって上部に絵解き風の挿し絵を施した諸本がある。〔母利〕
◆よろずじづくし [3612]
万字尽‖【作者】不明。【年代】明暦四年(一六五八)刊。[江戸]松会板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。「万字尽」「諸国(国尽)」「洛外名所尽」の三編から成る手本。「万字尽」は、町家・農家で用いる日常語、例えば、物品の名称・地名・数量呼称など雑多な語彙を多少の関連性をもって列挙したもので、「算用・勘定・借用・請取…」以下八七語を書き連ねる。「諸国」は、「国尽(大日本国尽)」と同様で、大字の各国名に、細字の通称・郡数を付記したもの。「洛外名所尽」は、祗園から比叡山までの京名所五三カ所を羅列したもので、「洛中洛外」のうち「洛外」のみを標榜した点に特徴がある。いずれも大字・四〜五行・付訓で記し、末尾に「尊円・未流」と記す。〔石川〕
◆よろずじづくし [3613]
万字尽(仮称)‖【作者】不明。【年代】江戸前期刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。江戸前期刊の語彙科往来。原題不明で刊記も欠落し、零本とも思われるが、現存本は「木尽・花名・魚尽〈并貝尽〉・鳥尽・獣名・虫尽・青物・食物・菓子」の九分類で語彙をイロハ順に掲げる。上記分類を示す見出し語を白抜きにし、語彙や行毎に界線を設けて、語彙を大字・五行・付訓で記す。内容は異なるが、『人倫名づくし』†に酷似した体裁である。なお、語彙の掲出順がイロハ順になっているのは、『節用集』の影響であろう。〔小泉〕
◆よろずじづくし [3614]
〈新板〉万字尽〈ひらかなてん付〉‖【作者】不明。【年代】元禄(一六八八〜一七〇四)頃刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。「万うをつくし并貝尽」「万鳥つくし」「万木名つくし」「万花名つくし」「獣つくし」「八百屋物つくし」「万虫つくし」の八分類で語彙を列挙した往来。やや方形に近い長方形の題簽の右半分を目録の代用とする特異な原題簽に、「一、うをつくし、一、はなつくし、一、かいつくし…」のように細目を記す。各語を大字・四行(一行六字)・付訓で綴る。万治(一六五八〜六一)頃刊『累用字尽』†の流れを汲む分類字尽型の往来である。〔石川〕
◆よろずてがたあんもん [3615]
〈商家必用〉万手形案文‖【作者】森和助(文金堂)作。【年代】寛政六年(一七九四)刊。[大阪]河内屋太助板。【分類】消息科。【概要】異称『手形案文』『商家必用手形案文』。横本一冊。『大阪出版書籍目録』に、「以前『万手形鑑』†と題せしものゝ板木焼失せしにより此度改題発行」と記す。商家日用の手形証文、請状、譲状を集めた用文章の一類。預り証文・家質証文・御屋鋪借用証文・枝手形・家屋鋪売券状・請取為替金手形・乳母奉公人請状・女房式銀手形・養子請状など三五状を収録する。本文を大字・七行・所々付訓で記す。また、巻末に「証文手形認様心得十三ヶ条」を載せるが、これは元禄六年(一六九三)刊『〈案紙〉万手形鑑』†下巻「手形式法并書法」の簡略版である。このほか本文にも同書の影響が見られるが、文言の順序が逆転するなど時代とともに書面に変化が生じていたことも示唆する。いずれにしても江戸中期でもこの種の単行刊本は比較的少なく、本格的に普及するのは江戸後期である。〔小泉〕
◇よろずてがたかがみ [3616]
〈案紙〉万手形鑑‖【作者】苗村丈伯作・序。【年代】元禄六年(一六九三)刊。[京都]田中庄兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『万案紙手形鑑』『手形鑑』。大本三巻三冊。単独の証文手形案文集としては例文や注記が詳細な、本格的な証文文例集の先駆。上巻に「金銀預り手形之事」以下一六例、中巻に「年切奉公人請状之事」以下一五例、下巻に「質物預け手形之事」以下一六例の合計四七例を収録する。本文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。各例文に対して頭書に詳しく施注するのも異色。また、下巻末尾には「百年以前より当年迄年暦考」や「手形式法并に書法」などの記事を掲げる。いずれにしても、江戸後期に及ぶまで本書ほど充実した証文手形案文集は他に例がなく、手形証文に一定の形式が成立し、その重要性が社会的に認知されてきたことを示す例として注目される。〔小泉〕
◆よろずてがたしょうもん [3617]
〈弘化再刻〉万手形証文‖【作者】不明。【年代】弘化三年(一八四六)刊(再板)。[江戸]藤岡屋慶次郎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈嘉永新板〉万手形証文』『手形証文』。中本一冊。本文に「店請状」「奉公人請状」「年季証文」「地面売渡之証文」「田地売渡之文」「里子預り」など一二例、頭書に「持参金請取」「引取」「為替手形」など一三例、合計二五例の手形証文文例を収めた用文章。本文をやや小字・七行・所々付訓で記し、数カ所に簡単な注記を施す。〔小泉〕
◆★よろずにっき [3618]
万日記‖【作者】白木柏隠作か。【年代】安永元年(一七七二)以前刊。[仙台]柳川屋庄兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『〈新版〉万日記〈ひらかな付〉』『〈新板〉万日記尽』『大福帳』。大本または中本一冊。大本(安永元年以前刊、弘化四年(一八四七)再刊)、中本(文政一二年(一八二九)刊)など少なくとも三種以上の板種がある仙台板の往来物。そのうち、大本は全三丁半の小冊子で、本文のみと頭書絵抄を施したもの(弘化四年再板本)の二種ある。本文は「米・大豆・小豆・蕎麦・大角豆・大麦・小麦…」で始まり、穀類と数量、通貨と単位を羅列した後「右之通、請取相済候…」と続く「請取手形」と、三カ条から成る「店請状」の雛形を載せ、最後に「名頭字尽(合計八五字)」を付したもの。大本の頭書は第二丁表までで、穀類や金子の挿絵を三葉載せる。一方、中本は頭書に「暦中段解」「暦下段の事」「男女相生」、巻末に「五性居判事」「九九」を収録する。大本・中本とも本文を大字・五行・付訓で記す。なお、大本表紙見返に「正徳元年(一七一一)五月吉日」の記載があるが、現存本を見る限り、本書の初刊年代を示すものとは到底考えられない。また、本書に読法も付した明治期改訂本『〈小学習字〉万日記』†が明治一四年(一八八一)に刊行されたが、同書には「著述故人、白木柏隠」と明記する。〔小泉〕
◆よろずれいしきしつけがた/よろずれいしきしつけかた [3619]
〈小笠原長秀侯御極礼〉万例式躾方‖【作者】小笠原長秀作。【年代】元禄二年(一六八九)刊。[江戸]西村屋与八板(文化九年(一八一二)再刻)。【分類】教訓科。【概要】異称『小笠原流躾方百ヶ条』『小笠原流躾方百箇条』『〈児童日用・諸礼図式〉小笠原流百箇条』『小笠原流諸礼躾方百箇条』『〈小笠原流〉諸礼躾方百箇条』。中本または半紙本一冊。江戸初期から流布した『小笠原流百箇条』†に挿絵や図解を施した往来。刊記に元禄二年開板(未見)で、以後「追々加増補」されたもので、現存する諸本に文化二年板、文化九年板、天保一四年(一八四三)板、刊年不明板など数種ある。まず「小笠原流躾方百ヶ条」で奉公人に心持ちを説き、続いて「先第一披露書百ヶ条可嗜次第」で九九カ条の一つ書きを列記し、さらに「鷹に会時の礼の事」「輿にあひての礼の事」「石を立たる庭を見物仕る事」「鞠を見物する事」「馬屋を見物する事」など九二項目にわたって小笠原礼法の基本を記す。これらのうち再板以降の「追々加増補」の中心部分は末尾二丁の「掟のかきやう」「市町に立制札」「制札に釘を打時」「橋の法度書認やう」「宿はなれに建棒杭の認やう」等の記事と考えられる。文化板など江戸後期の諸本は、本文を小字・一四〜一六行・所々付訓で記す。〔小泉〕
★よわたりのぶんしょう [3619-2]
〈開化の杖〉世渡里乃文章(前編)‖【作者】野村拙園(士徹)作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]雁金屋元吉(森田元吉・雁信閣)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈開化乃杖〉世渡文章』『〈開化乃杖〉世渡りの文章』『開化乃杖世渡りの文章』。半紙本二巻二冊。明治初年の社会状況の変革に象徴される首題や内容の例文を集めた独特な用文章。例文の多くが文明開化期の社会的・文化的状況に関わるものであり、社会科往来の一種と見なすこともできよう。上巻に「神祖祭礼之文」「正旦之文」「書画会催之文」「入学問合之文」、下巻に「生糸売捌問合之文」「雷見舞之文」「洋行之文」「諸税問合之文」の合計八題往復一六通を載せる。本文を大字・四行・所々付訓(稀に左訓)で記す。なお巻末に、「婚礼葬祭ノ式、古今変革アルコト及ビ外国交際ノコトニ至ルマデ童蒙ノ教訓文章」として編んだ二編の近刊広告を載せるが、実際に刊行されたか否かは未詳。〔小泉〕