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た行






◇たいがいおうらい [2285]
大概往来‖【作者】不明。【年代】宝永二年(一七〇五)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。鶴岡城下ならびに領内の様相を、名所旧跡・社寺と祭礼を中心に記した往来。本文を行書・大字・五行・無訓で記す。この地を対象とした寛文一二年(一六七二)作・書『松竹往来』†が寛文九年刊『江戸往来』†にならっているのに対し、本往来は編集方式・内容において、延宝三年(一六七五)刊『都名所往来』†を模倣するのが特徴。鶴岡を中心とする庄内地方の教育史はもとより、文化史を跡づける重要な資料である。〔石川〕
◆だいがくおさなこうしゃく [2286]
〈絵本〉大学幼稚講釈‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]大嶋屋伝右衛門板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。『大学(朱熹章句)』の本文を児童向けに平易に注釈した往来。『大学』本文をいくつかに区切って楷書・大字・六行大・付訓で記し、続けて割注形式で本文の大意を示す。さらに、頭書に語注を補足し、随所に挿絵や教訓歌を掲げて『大学』の趣旨を敷衍する。〔小泉〕
◆だいがくけいもうしょう [2287]
〈上層絵入〉大学啓蒙抄‖【作者】山田野亭(好華堂)作・序。松川半山画。【年代】天保一五年(一八四四)序。弘化二年(一八四五)刊。[京都]林芳兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。『大学(朱熹章句)』の童蒙用絵入り注釈書。「経典余師」の体裁に挿絵を加えた編集形式をとり、『大学』本文を細かく区切って大字・六行・付訓(訓点)で掲げ、平易な割注を添える。頭書に「孔子略伝」「『大学』由来」「孔子門人略伝」「学問の大意」などの関連記事と挿絵を載せる。巻頭に「忠・孝」図二葉と返り点等の読み方を示した「読法(よみほう)」を掲げる。〔小泉〕
◆だいがくしょうく [2288]
〈教訓捷径〉大学笑句‖【作者】為永春水作・序。為永春蝶(狂花亭)補。渓斎英泉(一筆庵)画。【年代】江戸後期刊。[江戸]英文蔵(青雲堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈心学捷径〉大学笑句』『〈心学捷径〉大学評註』。中本一冊。『大学章句』をもじった町家子弟用教訓書。例えば『大学章句』冒頭の「大学の道は明徳を明らかにするに在り」は、「勘略の道は米穀を麁末にせぬに有り」といった具合に書き替えるように、全文を倹約や金銭道徳、勤勉などの通俗教訓とした『大学』のパロディである。本文をいくつかに句切って楷書・大字・六行・付訓で掲げ、割注を置いて同様の教訓を展開し、さらに町人風俗図を所々に挟む。また、巻末に為永春蝶作『士農工商心得草』を付すが、これは「士は志なり」「農は納なり」「工は業なり」「商は笑なり」という四民心得を面白おかしく諭した教訓である。〔小泉〕
◆だいがくどうじくん [2289]
〈絵入〉大学童子訓‖【作者】速水春暁斎(逸見恒章)画。【年代】文化六年(一八〇九)刊。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『大学』(新本)の読法や注釈を示した絵入り教訓書。まず『大学』本文を「行書・大字」と「楷書・小字」の二体・五行・付訓で記し、挿絵数葉を挟む。また頭書に、『大学』の書名の由来や「三綱領」「八条目」など本文中の要語についての説明を補足するほか、巻頭に「読書指南」や「仁・義・礼・智・信の図」を掲げる。〔小泉〕
◆だいがくにょしくん/だいがくじょしくん [2290]
〈女教誡〉大学女子訓‖【作者】堀田連山(行長・新兵・新平)画(天保一一年(一八四〇)板)。【年代】寛政八年(一七九六)刊。[大阪]河内屋八兵衛(崇高堂・泉本八兵衛)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈大学〉女子訓』『女子訓』。大本二巻合一冊。寛政五年刊『〈心学〉女子訓』†の改題本。なお本書・寛政八年板に、天明八年(一七八八)刊『絵本以呂波歌(教訓いろは歌)』†(禿箒子作・序。鈴木春信画)を前半に合綴した版もある(ただし序文末尾の「安永きのとの末の春」を削除)。〔小泉〕
◆だいがくやまとえしょう [2291]
大学倭絵抄‖【作者】宜春堂菱花作・序。長谷川光信(松翠軒)画。【年代】寛延元年(一七四八)刊。[大阪]糸屋市兵衛ほか板。また別に[大阪]阿波屋文蔵ほか板あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本三巻三冊。『大学』本文中の要句(三七句)を抄出して、和漢の故事や平易な通俗教訓を交えた略注とともに、見開き一丁(巻首・巻末は半丁)の挿絵を掲げた絵本。『大学』の基本理念たる三綱領・八条目を順序立てて解説するものではなく、金言名句として知られる要語を中心に採録して絵本化するのが特徴(採録順序は必ずしも『大学』本文の順ではない)。上巻に一二葉、中巻に一三葉、下巻に一二葉の合計三七葉の挿絵を載せる。『大学』の説く教えが「上は雲上より初て、士農工商のいとなみ、下は深山幽谷の賤の男、賤の女の業に至るまで」万人のものであるという理念に基づいて編んだ童蒙向け啓蒙書である。〔小泉〕
◆だいくちゅうもんおうらい [2292]
大工註文往来‖【作者】梅素亭玄魚(整軒玄魚・宮城玄魚・呂成)校。落合範国(大賀範国・一渓)画。【年代】嘉永(一八四八〜五四)以降刊。[江戸]岐阜屋清七(正文堂清七・正文堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『大工番匠往来』『番匠作事往来』。中本一冊。享和(一八〇一〜四)頃刊『番匠作事文章』†とほぼ同文の往来。「凡、番匠作事取扱文字者、今般御拝領之屋敷・御館向就建者、撰吉日良辰為致地祭…」で始まり、地鎮祭、建築関連職人、建築用材、神社仏閣の建築、武家屋敷の建築、城郭建築、左官、瓦葺、棟上の儀式などについて記す。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「上棟四方堅規式之図」、頭書に「造宮堂木品積心得之事」「追掛大栓継(以下数々の継ぎ方を図解)」等を載せる。作者の活動年代からして嘉永以降の刊行であろう。〔小泉〕
◆たいこうおんおきてにじっかじょう・どうおんひかえさんじっかじょう [2293]
太閤御掟二拾ヶ条・同御控三拾ヶ条‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊か。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『太閤状』。大本一冊。『太閤御掟二拾ヶ条』と『太閤御控三拾ヶ条』から成る手本。同様の書名を持つ数種があるが、それぞれ内容が異なる。まず『太閤御掟二拾ヶ条』は、「欲にはなれよ」「大酒呑へからず」「朝寝すへからす」「女に心を免へからす」など二〇カ条の教訓で、末尾に、正直・堪忍・用捨・分別・思案を薬種に譬えて、これを毎日服すべしとする「御調合薬之事」と、無理・慮外・過言・無心・油断を戒めた「禁物之事」を付す。後半『太閤御控三拾ヶ条』は「一、天道は偏に正直にして叶、非道にして仏心の加護なし」以下三〇カ条の教訓で、『〈新板絵紗〉太閤状』†とほぼ同内容。また、末尾に教訓歌一首を置く。本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たいこうさんじゅうさんかしょう [2294]
太閤三十三ヶ条‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】教訓科。【概要】異称『太閤之条』。大本一冊。太閤秀吉作に仮託した壁書形式の教訓。万治二年(一六五九)刊『太閤之式目』†を始め同様の教訓がいくつかあるが、本書は「一、天道は偏正直而叶、非道而仏神の加護なし」から「一、地頭・代官の儀相違すへからす、迷惑の儀あらは可侘言」までの三三カ条から成る。正しい者は強いこと、本務を弁えること、孝行すれば他人も親子であること、耕作と商いの双方を学ぶべきこと、家業に出精すべきことなど、生活の諸方面においておしなべて注意深く生きよと諭す。本文を大字・二行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たいこうじょう [2295]
〈新板絵紗〉太閤状‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[仙台か]刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『太閤秀吉公三拾ヶ条』。大本一冊。秀吉作を装った壁書スタイルの教訓。第一条が「天道は偏に正直にして叶。非道にして仏神の加護なし」以下三〇カ条から成る。説くところの教訓は、正直、福人は大敵、科ある身の置き所なし、大切・安堵、分別、貴賤との参会、人に勝つ苦労、算用、修行、家業、火事、見知らぬ者からの贈り物、諸道、公事、孝行、知音へ宿を貸す、夫婦、男女、覚悟、地頭・代官への服従、農業・商業、祝言、酒、世上の批判、喧嘩、他人の美女、見知らぬ者との遭遇、親を恐れよ、愚痴など処世訓全般で、本文を大字・五行・無訓で記す。末尾に「心だに誠の道に叶ひなば、いのらずとても神やまもらむ」の教訓歌一首を付す。装訂から江戸中期の仙台板と考えられるが不詳。〔小泉〕
◇たいこうのしきもく [2296]
太閤之式目‖【作者】出浦某跋。【年代】万治二年(一六五九)刊。[京都]飯田忠兵衛板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。原本は伝わらないが、刊記までを忠実に写した和学講談所旧蔵(現内閣文庫蔵)の一本が存する。各条とも「…事」で終わる一行ないし二行の簡潔な箇条で全七三条からなり、途中教訓歌二首をはさむ。第一条「天道者偏直而叶非道者無仏神加護事」を冒頭にすえ、以下、潔白、任務、富貴、修行、親への服従、農商両道、算用、男女関係、交際、家職出精、芸能、喧嘩、公事、存分、酒、その他公私にわたる生活上の心得を列記する。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◇だいこくまいまちなづくし [2297]
大黒舞町名尽‖【作者】岡本幸賀作。玉晁(続学舎)書。猿猴庵(高力種信・種麿)跋。【年代】明和(一七六四〜七二)以前作か。寛政九年(一七九七)原筆、弘化三年(一八四六)重写。文化五年(一八〇八)跋。【分類】地理科。【概要】異称『大黒舞名古屋町尽し』。大本一冊。大黒舞の門付(かどつけ)歌に名古屋の町名・橋名・寺社名等の地名を詠み込んだ往来。「花の名古屋の町わりも、紙面四角に碁盤割、年の重なる清須越、小金の釜をも堀江町…」のように七五調の文章で各地名を列挙していき、最後に「…八十余りの老人が、沖をはるかに見渡せは、金青丸といふ船に、千石・万石の夕暮に、あや錦の帆を上けて、艫(とも)に大黒帆にゑひす、千石船に万石の、こなたの御蔵こぎよせん、治る御代とめてたき哉」と結ぶ。弘化三年重写本は本文を大字・八行・稀に付訓で記す。また、巻頭に大黒舞の図一葉を掲げる。なお、猿猴庵の跋文には、「往明和中の頃まて正月毎に来りて名古屋町割と呼て世にもてはやせし事なるを、今はさまの当世流行にうつり…其名をたにしらざるやうになれる…」とある。〔小泉〕
◇たいさんもうで [2298]
泰産詣‖【作者】奈良一徳斎作か。【年代】文政(一八一八〜一八三〇)頃作・書。【分類】地理科。【概要】異称『泰産詣之事』。『上毛古書解題』(本書には「産泰」と記すが「泰産」の誤りであろう)によれば、三月三日の節句の日に前橋八幡明神を出立し、上泉・江木を経て、勢多郡泰産神社への参詣路の沿って名所や名物を記した往来で、社前茶店の賑いや名物甘酒などにも触れるという。〔小泉〕
◆だいしがわらもうで [2299]
大師河原詣‖【作者】不明。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[江戸]藤岡屋慶次郎板。【分類】地理科。【概要】弘化四年刊『女今川岸姫松』の頭書に所収。「願事のかへりまうしの為、此頃、大師河原平間寺へ詣候所、道すがらの景色いふ計なく伶覚まいらせ候…」で始まる女文形式で、江戸より川崎大師河原平間寺までの参詣路沿道の名所旧跡と川崎大師の景趣・縁起等を記した往来。早朝に江戸を立ち、参詣路に沿って泉岳寺・海晏寺・鮫洲観音・六郷川を経て川崎大師に到るコースの風景などを略述する。〔小泉〕
◆だいじょういんぞうひつしゅう [2300]
大乗院雑筆集‖【作者】尊円親王作。【年代】南北朝時代作。室町中期書。【分類】古往来。【概要】大本一冊。『拾要抄』†と同様に畳字門・事項門の二部構成で語彙を集録した古往来で、『拾要抄』以後の撰作と思われる。前半「畳字門」には「治術・方便・披露・露顕・陳状・陳謝・賢愚・照覧…」以下約二五〇語を列挙するがイロハ順になっていない点で『拾要抄』と異なる。また後半部「事項門」は、虫・魚・武具・薬種・官次第・神主・七大寺・六勝寺・執柄家氏寺・諸寺・四季・十二月異名・干支・方角などに分けて約三〇〇語を集録する。本文を大字・四行・無訓で記す。〔石川〕
◆たいせいさんじきょう/たいせいさんじけい [2301]
〈山本義俊著〉泰西三字経‖【作者】山本義俊作・序。深沢菱潭書(本文)。青木東園書(再録本文)。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]書学教館蔵板。樋口徳蔵(弘成堂)売出。また別に[東京]福田屋勝蔵(万延堂)板(明治初年板)あり。【分類】歴史科。【概要】異称『〈片仮名附〉泰西三字経』。半紙本一冊。西欧諸国の歴史や人物、また国名等の地名を『三字経』†形式で綴った往来。神の天地創造、アダムとイブの神話から始まって、ノアの方舟、バビロニア建国、ペルシア帝国、ローマ帝国、イエス処刑、トルコ帝国、十字軍、コロンブス新大陸発見、アメリカ建国、フランスのナポレオン統治、電信機その他の発明、ピーター大帝のロシア帝国といった西洋史のあらましを紹介した後で、フランクリンなど偉人の略伝や、ヨーロッパ諸国の地名を列挙する。本文を楷書・大字・三行・無訓で記し、さらに巻末に楷書・やや小字・六行・付訓の本文を再録する。なお、この再録部分のみを抜刷にした『〈片仮名附〉泰西三字経』が、同年に東京・福田屋勝蔵等一〇書肆から出版されたが、同書は青木東園書とするから、再録本文は東園の筆である。〔小泉〕
◇たいせいひっかいちょうほうき [2302]
大成筆海重宝記‖【作者】永田光基(舞鳳堂)書。【年代】寛政九年(一七九七)書・刊。[大阪]渋川与左衛門板。【分類】合本科。【概要】異称『大成筆海重宝記文章蔵』。横本一冊。享保一七年(一七三二)刊『筆海重宝記』†の改編版。「用文章」「商売往来」「諸職往来」「百官名」「月名」等を集録した往来。口絵に貴人に手紙を捧げる図を掲げ、続く「用文章」には、まず「年頭状・同返事」から「歳暮祝儀状・同返事」の五節句・四季行事・通過儀礼などの消息文例三八通と、雑の部として、「普請出来歓状」〜「婚礼祝儀状・同返事」の吉凶事に伴う文例七六通の合計一一四通を収録する(大字・七行・付訓)。次に、付録記事として「吉書初」「七夕詩歌」「入学吉日」「潮汐満干」「月の異名」「十干異名」「十二支異名」「十二時異名」「南膽部州大日本図」「日本六十八州並受領」「京都案内并洛外近辺道法」「江戸方角分量之図」「大坂案内の歌并近辺道法」、さらに「商売往来」(「堀観中著」と記す)や「諸職往来」、また末尾に「色紙・たんざく押法并題の歌書やう」「書状したゝめやうの事」「物数書法」「当用諸礼躾方并茶湯心得の事」「朱肉こしらへやうの伝」「俳諧仕やう略式大意」「古筆極札印尽」「古今茶人花押鑑」「諸氏名字大全」「本朝歴代鑑」「救急妙薬秘方」等の多彩な記事を載せる。〔小泉〕
◆たいせいようぶんきんじかい [2303]
〈安永新版〉泰世用文錦字海‖【作者】不明。【年代】安永六年(一七七七)刊。[江戸]伊勢屋治助板。また別に[江戸]榎本屋吉兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】大本一冊。ほぼ月次順に「年始に遣状」から「歳暮に遣状・同返事」までの二六通を収録した用文章。四季時候の文を主とし、各例文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。巻頭に『和漢朗詠集』中の詩歌、前付に「韓退之文妙」「曽称天満宮霊松記」「天伸経」、頭書に「六芸之図并解」「書状封目の上高下」「大不成就日・願成就日」「偏冠尽」「五性名頭字」「大日本国中之異名」「手形証文尽」「諸国御関所附」「近代年号」「十二月之異名寄」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◆たいせいようぶんしょう [2304]
〈御家流〉大成用文章‖【作者】西川竜章堂書。【年代】天保二年(一八三一)刊。[京都]須原屋平左衛門ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈万家重宝〉大成用文章』。大本一冊。文意を即座に把握したり、検索しやすいように、消息文例毎に見出し用の挿絵(目次にも同様の挿絵)を掲げた用文章。消息文を「諸祝儀書状之部」「万悦状之部」「諸見舞状之部」「商人取引懸合書状之部」「証文手形請状之部並書状尊卑文格」の五部に分類する。収録書状はそれぞれ「年頭祝儀状」以下二八通、「平産悦状」以下六通、「参宮留守見廻状」以下二一通、「遠方掛合状」以下三三通、「預申金子証文」以下九通で、合計九七通の文例を収録。各例文を大字・六行・付訓で記す。巻末には書簡作法の基本や月の異名、時候の詞などを簡潔にまとめる。なお、次項『〈万家重宝〉大成用文章』†と内題が同じだが内容は全く異なる。〔小泉〕
★たいせいようぶんしょう [2304-2]
〈万家重宝〉大成用文章‖【作者】川部天受(玉園・成和子)編・序・画。【年代】嘉永四年(一八五一)刊記。慶応年間(一八六五〜六八)刊。[大阪]秋田屋市兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈万家重宝〉大成用文書』『大成用文』。中本一冊。「年頭状」から「年賀歓状」までの四六通を収録した用文章。四季時候の手紙、商用文、吉凶事に伴う文の順に収録する。本文を大字・四行・所々付訓で綴る。巻頭に風景画二葉を掲げる。なお、書名が前項『〈御家流〉大成用文章』†と似通うが全くの別内容である。また、小泉本の刊記に「嘉永四年一一月」とあり、池田東籬亭編、池田関山(東籬亭二男)の旨を記すが、表紙見返しに「慶応新版」とあるので他書の刊記の流用と思われる。〔小泉〕
◆たいぜんいっぴつあんもん [2305]
大全一筆案文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊(ただし版面は中本大)。嘉永(一八四八〜五四)以前刊『〈御家正流〉子供案文』†の改題本。前半に「年始之状」〜「旅行之人え遣す文」の二七通の消息文例、後半本文欄に「店請状」〜「諸品書入」、同頭書に「持参金請取」〜「留守之節手紙請取」の合計二三通の証文手形文例を収録した用文章。前半部頭書には「書状封じ様」「様之字の事」「むかふをさしていふときには」「みづからをさしていふことば」など書簡用語・作法関連の記事を載せ、前半部と後半部の仕切りに「書法大概(手形証文の書法)」を掲げる。本文を大字・五行(証文類は七行)・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆たいぜんいっぴつけいじょう [2306]
〈御家〉大全一筆啓上‖【作者】式亭三馬(菊地泰輔・久徳・西宮太助・游戯堂・四季山人・洒落斎・滑稽堂)作。青木臨泉堂(源至誠)書。【年代】文化七年(一八一〇)作。文化一四年刊。[江戸]英屋大助ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『早引用文』。大本または半紙本一冊。前半に消息文例、後半に証文手形(「証文文例」)を収録した用文章。消息文例は、「十二ケ月之部」「吉事の部」「凶事の部」「病事の部」「神仏の部」「廻状の部」「旅行の部」「教誡の部」「雑の部」の全九部からなり、それぞれ、「農工商上輩(めうえ)の年始状」以下二九通、「安産悦の文」以下一四通、「大水見舞の文」以下八通、「病気見舞の文」以下九通、「祈祷頼み遣す文」以下一一通、「祝儀振舞の廻状」以下五通、「旅の餞別の文」以下八通、「遊女狂する人を戒る文」以下四通、「入学の人を賀す文」以下二八通の合計一一六通を収録する。本文を大字・五行(証文類は六行)・付訓(所々に左訓あるいは注記)で記す。例文中には江戸の名所や著名人などを頻出させ、例えば「歌川豊国」には「中橋上槙町ニ住居、一陽斎ト号ス」などと細字で注記するように、関連情報を随所に鏤める。また、手形証文は「借用申金子之事」など一一状の文例を掲げる。本書を含め『一筆啓上』†の板種は頗る多く、大本・半紙本・中本・小本など各種判型が上梓され、海賊版や類書も多数出回った。〔小泉〕
◆たいぜんうたじづくし [2307]
〈小野篁大増補〉大全歌字尽‖【作者】高井蘭山作。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】異称『〈新刻訂誤〉歌字尽大成』『〈訂誤〉歌字尽大成』『改正歌字尽』。横本一冊。『小野篁歌字尽』†にかなりの補訂をした異種『歌字尽』。本文を大字・五行・付訓で認め各行の左側に暗誦用の和歌を付す。収録語彙は四五八行・二二八四字に及び、『小野篁歌字尽』(一二六行・六二五字)の三・六倍と類書中最大を誇る。各行共通部首の漢字五字という『歌字尽』の基本を忠実に踏襲し、全体の九割以上が一行五字、半丁五行を保つ。基本形以外では俗字・世話字・宛字も多く、稀に割注形式の語注を付す。寛文二年(一六六二)刊『小野篁歌字尽』(本文冒頭が「椿」で始まる)の増補版で、「椿…」の一行が一二〇行目に移動しているように配列は大きく異なる。巻頭では『小野篁歌字尽』が「誤半(あやまりなかば)に居し、民間の害と成て人を盲(くらく)す」と注意を促し、小野篁の略伝にまつわる妄説などを指摘する。〔小泉〕
◆たいぜんおんなようぶんひめかがみ [2308]
〈貴女至宝〉大全女用文姫鏡‖【作者】田島象二(任天)作。平田登圃書。松斎吟光画。【年代】明治一八年(一八八五)序・書・刊。[東京]須原鉄二(畏三堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈貴女至宝〉女用文姫鏡』。半紙本二巻二冊。上巻に女性の各種教養、下巻に女子消息文例等を収録した百科的な女用文章。上巻は、頭書欄のほかに本文を一段あるいは二段に分けた形式(上巻前半部は頭書を含め三段、後半部は二段)で、「小倉百人一首」「女学のいとくち」「烈女三十六家撰」「女子品さため」「女子の心ばえ」「女子礼式」「化粧のまき」「楽器名どころ」「歌がるたの事」「香をきく事」「習字の事」「文章の事」「九々の声」「和歌の事」「源氏物語作者の事并ニ香の図」「女子節用字づくし」「裁縫手引草」「婚礼の次第」「よろづ乞もの折形」「年中祝事女子こゝろ得艸」「新年中行事」の二一項を収録する。下巻には「年始の文」〜「約束がへの文」までの文例五三通を収録するが、内容は前半部が四季折々の手紙で、後半部が吉凶事に伴う手紙やその他諸用件の手紙である。この消息部分は、概ね大字・七行・付訓の並べ書きで記し、文例毎に「熟語」と称する言い替え表現を掲げるのが特徴。また下巻凡例で、従来から使われてきた「まゐらせ候」や「めでたくかしく」の誤用について指摘する。一方、下巻頭書には「十二ケ月の異名」「女文章正字解」「玉章したゝめ心得」「児育くさ」「所帯のこゝろえ」「新大和ことば」「新大和ことば」「用文かなつかひ」「百人一首読みかた」「諸芸道しるべ」「女文章適語の解」などの記事を掲げる。なお、上巻巻頭に色刷り口絵数丁を載せる。〔小泉〕
◇たいぜんさくぶんじざい [2308-2]
大全作文自在‖【作者】太田聿郎作。名和対月書。中尾諠明(竹涯)序。林華蹊画。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[大阪]前川善兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈日用宝鑒〉大全作文自在』。半紙本二巻二冊。同時期の類書中ではかなり大部な用文章。上巻に「歳首之賀辞」から「開店報告之帖・同じく返状」までの六八通、下巻には「送友人行米国文」から「馳走になりし礼状」までの三〇通の合計九八通の例文を集録した用文章。徴兵召募、造幣局拝見、帆前船製作注文、商法会議所景況、国立銀行設立、新聞演説会、幼稚園入学などの新しい題材を積極的に盛り込んだ種々の例文を大字・五行・付訓で記し、漢語の大半に左訓を施す。例文毎に割注付きの類語集を細字で付記する。頭書には膨大な消息用語・日常漢語を書簡類語別またはイロハ別に掲げる。このほか上巻目次に続けて折り込みの「〈東京以西〉電信賃銭表」(銅版印刷)を綴じ込むほか、下巻後半に、「証券文例(二三例)」「届書之部(三〇例)」「願書之部(四九例)」の順に数多くの証文類文例を載せる(やや小字・七行・ほとんど付訓)。〔小泉〕
◇たいぜんじゅんりょうようぶん [2309]
〈日本文章〉大全純良用文‖【作者】木戸正三郎作。青木東園書。易堂序。【年代】明治一九年(一八八六)序。明治二〇年刊。[大阪]河内屋忠七(赤志忠七・忠雅堂)蔵板。[東京]辻岡文助ほか売出。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。合計一三四通の消息文例を一七部門に分類して収録した用文章。各部の収録書状数は次の通り。時令(「年甫之状」以下一一通)・遊覧(「紀元節探梅を催す状」以下一四通)・慶賀(「婚姻を祝する状」以下一五通)・慰問(「水患を訊る状」以下九通)・弔喪(「親を失たる人を弔ふ状」以下三通)・稟告(「転居報告之状」以下四通)・報知(「遠行を報する状」以下六通)・詩s(「赴任を餞する状」以下四通)・嘱托(「入学周旋依頼之状」以下一四通)・嘱購(「雑誌逓送を請ふ状」以下七通)・訊問(「得意先へ注文を訊に遣す状」以下一〇通)・邀招(「新年宴に客を請する状」以下七通)・報謝(「借用品を返す礼状」以下八通)・饋贈(「蔬菜を贈る状」以下二通)・背約(「山遊誘を断る状」以下二通)・督促(「金子返済催促之状」以下五通)・雑(「仕官する人を推挙する状」以下一三通)。頭書もかなり充実しており、「書札認方ノ心得」「書簡中要語」「時令之称」「居所之称」「人倫之称」「物貨雑称」「日本帝国郵便規則」「電信取扱規則」などを掲げる。〔小泉〕
◆たいぜんしょうそくおうらい [2310]
大全消息往来‖【作者】高井蘭山注(「消息往来講釈」)。【年代】文化(一八〇四〜一八)頃刊か。[江戸]鶴屋喜右衛門板(文政四年(一八二一)求板)のほか各種板行されている。【分類】消息科。【概要】異称『〈文章法則〉大全消息往来〈講釈附〉』『〈増補〉大全消息往来』。中本一冊。多くが「消息往来」「続消息往来」「消息往来講釈」の三部を合本したものだが、稀に「消息往来」に代えて「増字消息往来」を収録するものもある。うち「消息往来」は文化(一八〇四〜一七)頃刊と思われる鶴屋喜右衛門板『消息往来』とほぼ同様。「続消息往来」は『消息往来』に漏れた消息用語を無秩序に羅列したもの。「消息往来講釈」は、『消息往来』の本文から要語をとり上げて割注を施したもの。本文を大字・五行・付訓で記す。基本的に行書体だが、「講釈」の要語のみ楷書体で記す版や、巻頭に「士農工商図」や「書筆心得」を掲げた版もある。文化頃初刊と推定されるが、文化年間の刊記を有するものは未見。諸本のいずれが初板本の系統であるかも不明である。〔小泉〕
◆たいぜんしょうそくおうらい [2311]
〈開明両点〉大全消息往来‖【作者】鈴木貞次郎作。西野古海校。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]山崎屋清七(山静堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈開明〉大全消息』。中本一冊。「大全消息往来」「続消息往来」「消息往来講釈」の三本からなり、近世後期に流布した『大全消息往来』†と同類の往来だが全くの異文。本書所収の「大全消息往来」は、近世流布本『累語文章往来(消息往来)』†と同様の形式で、「大凡消息者、不関於国之内外、通音信、報告、安否、遐邇、不限何事、人々万用達之原也…」と起筆して書翰の異称・尊称、時候の言葉、官職・公務、日月等から、学校、商法、裁判、経済・金融、旅行・交通・貿易、人倫・教訓までの書簡用語や日用語を列記したもの。「続消息往来」は、前者の補遺で、「夫、人の等級、華・士族、平民、亦、血族、父母、子孫、兄弟、姉妹、夫婦…」と書き始め、人倫、疾病・治療、贈答等々から書止までの語彙を列挙する。さらに「消息往来講釈」は、前記二本の要語解に相当するものの、文中以外の類語も掲げて割注を施すのが特徴。いずれも本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。なお、頭書に「布告新聞漢語字類」を載せる。〔小泉〕
◆たいぜんしょうそくおうらい [2311-2]
〈新増〉大全消息往来‖【作者】小野原啓三書。松川半山画。【年代】安政三年(一八五六)刊。[大阪]敦賀屋彦七(文会堂・梅村彦七)板。【分類】消息科。【概要】小本一冊。江戸後期に流布した『大全消息往来』と同様の内容を袖珍本仕立てにしたもの。本文に「消息往来」と「続消息往来」を収録し(五行・付訓)、頭書に適宜図解を交えながら「消息往来講釈」を掲げる。また、巻頭に「本朝三筆図」「士農工商図」等を載せる。〔小泉〕
◆たいぜんしょうそくおうらい [2312]
〈真艸二体両点〉大全消息往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]出雲寺万次郎板。また別に[金沢]川後房板あり。【分類】合本科。【概要】中本一冊。「消息往来(真・草二体、両点付)」「消息往来講釈」「商売往来」「名物往来」「苗字尽」「御府内町名尽」から成る往来。「消息往来」以下三本はそれぞれ流布本と同じ。「名物往来」は『〈加越能〉名物往来』†と、「苗字尽」は『伊呂波操苗字尽』†と、また、「御府内町名尽」は同名の単行本とそれぞれ同内容。〔小泉〕
◆たいぜんしょうばいおうらい [2313]
〈大字増補〉大全商売往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]上州屋政次郎板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。題簽角書に「大字増補」と記すが、元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†と同内容の中本仕立ての往来。見返に「篇并ニ冠構字づくし」(後半は裏表紙見返に掲げる)を載せる。なお、本書は付録記事も含め江戸書肆・山口屋藤兵衛板の『商売往来』(題簽)と酷似しており、その模刻と見られるが、山口屋板との区別を装うために「大字増補」「大全」といった見せかけの書名に改めたものとも考えられる。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆たいぜんしょうばいおうらい [2314]
〈新撰増補〉大全商売往来‖【作者】花形東秀書。【年代】文化三年(一八〇六)書。文化一一年刊。[江戸]大和田忠助板。また別に[江戸]英平吉(万笈閣)板あり。【分類】産業科。【概要】異称『〈新撰増字〉大全商売往来』。大本一冊。元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†をベースに大幅な増補・改編を行ったもの。全体としては元禄板の約二・七倍の文字数で綴った長文で、ほぼ元禄板同様に各分野の語彙を列記するが、金銀貨幣の所では「元禄之金銀、乾金、享保当時之文字、南鐐…」といった旧貨幣と現行貨幣との区別するなど、当用を重んじた改編も見られ、分野別では、日用品(紙類)・家財・雑具・遊具・細工物・大工道具・農具・釣道具・砂糖類(菓子)・絵具・獣類・虫類・青物・野菜・草木・花・果実・諸職業などの語彙を増補した。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆たいぜんしょうばいおうらい [2315]
〈両点講釈〉大全商売往来‖【作者】近沢幸山(桃堂)作・序。竹堂書(文久元年(一八六一)板)。【年代】天保一三年(一八四二)序・刊。[江戸]山城屋政吉ほか板。また別に[江戸]藤林屋久兵衛(玉金堂)板、[江戸]若林喜兵衛(玉養堂)板等(後印)あり。【分類】産業科。【概要】異称『〈改正〉大全商売往来〈講釈附・子供節用〉』『商売往来講釈』『古今商売往来』。中本一冊。「商売往来」「拾遺商売往来」「商売往来講釈」の三編を合冊した往来。まず最初に天保一三年に「商売往来」「拾遺商売往来」を合綴した『古今商売往来』(江戸・山城屋佐兵衛ほか板)が刊行され、その後、「商売往来講釈」が増補されたものと思われる。巻頭の「商売往来」は堀流水軒作・元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†本文に両点(音訓)を施したもの。続く「拾遺商売往来」(近沢幸山作)は、『商売往来』に漏れた語句で綴ったもので、「抑商賈人、上者公卿・侯家之弁御用、下者至樵夫・杣人・賤女迄、而商於其日用…」と書き始め、冒頭に商人の心得に触れ、衣冠束帯、女服、僧徒官服、絹布類、畳縁、果物、青物・乾物・野菜類、蒸菓子、干菓子、魚鳥、獣、虫、草木、器財、測量用具、家具、雑具、道具、薬品の順に語彙を列挙し、後半で経史・六国史・三部書・和歌三代集・同五代集・同八代集・同十三代集・同二十一代集・四書・五経・十三経等々の和漢書・仏典(名数)を列記する。最後の「商売往来講釈」は、元禄板『商売往来』本文を語句毎に区切って大字で掲げ割注を施したもの。いずれも本文を大字・五行・付訓で記す。なお、天保一三年板には「拾遺商売往来」の末尾に「若林久兵衛」と記載する。また、これとは別に、天保一三年の刊記を有し、見返に「周仙堂先生拾遺、蒼松軒先生註」と記したもの(江森本)や、弘化三年(一八四六)の金水陳人序文を付す弘化四年・吉田屋源八板(東京学芸大学本)もあるが改竄であろう。〔小泉〕
◆たいぜんしょじょうかがみ [2316]
〈新板増補〉大全書状鏡‖【作者】松栄軒書。【年代】文化一二年(一八一五)刊。[京都]梅村伊兵衛(梅茶堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。文化八年刊『町人取遣状』†(清安節書)の本文を一部手直ししたうえ大幅に増補した用文章。「年頭状」から「祝言文章」までの一二五通を収録する。例文は四季折々の手紙と吉凶事・諸事に関する書状、商用文などを明確な分類意識によらずに雑然と配列する。四季時候・四季行事の手紙から一生の儀礼に伴う祝儀状、農家または商家の日用書簡など、あらゆる状況の例文を用意するのが特徴。『町人取遣状』と同様に、本文を大字・五行・付訓で記すが、筆者は別で字配りも異なる。見返に「十干十二支」「知死期操様」「九九」「片仮名イロハ」「十二月異名」、目録部・頭書に「諸証文手形案文」「百官名尽」「東百官名尽」、巻末に「京町づくし」「大日本国尽」を収録するが、これらも『町人取遣状』の模倣である。〔小泉〕
◆たいぜんしょしょうぶんれい [2317]
〈開化必要〉大全諸証文例‖【作者】三谷演(而行)作。青木東園(理中)校・書。東生亀治郎跋。【年代】明治八年(一八七五)刊。[東京]東生亀治郎(袋屋亀次郎・万巻楼)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈増訂再版〉大全諸証文例』。中本一冊。明治八年刊『大全普通用文章』†二巻本のうち下巻『大全諸証文例』のみを単行本仕立てにしたもの。内容は明治八年板と全く同じ。〔小泉〕
◆たいぜんせわじおうらい [2318]
大全世話字往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]椀屋伊兵衛(江島伊兵衛)ほか板。また別に[大阪]河内屋平七ほか板あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈増補〉大全世話字往来』。中本一冊。『〈広益増補〉童子訓』†の改題本。ただし本文冒頭二行を改刻する。『世話字往来教車』†や『世話千字文』†とは全くの別内容で、名数・数量関連の語彙を中心に集録した往来。「夫、天地万物の始は太極なり。是より陰陽わかり、二儀、又両儀といふは、天地をいふなり…」で始まる文章で、天地・日月・地名・人倫・身体・生物・金石・器財・仏教・儒教その他・芸能・数字(大数・小数)・和漢人物・日本(社数や古名)等の語彙を大字・五行・付訓(稀に割注)で列挙する。なお、本書に『世話千字文』を増補したものが『大全世話千字文』†である。〔小泉〕
◆たいぜんせわせんじもん [2319]
大全世話千字文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]椀屋伊兵衛板。【分類】社会科。【概要】異称『〈増補〉大全世話字往来』。中本一冊。前項『大全世話字往来』†の前に享保二年(一七一七)刊『世話千字文』†を合綴して外題替えしたもの。「世話千字文」「大全世話字往来」ともに大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆たいぜんちょっとあんもん/たいぜんいっすんあんもん [2320]
大全一寸案文‖【作者】山田屋佐助(文会堂)作・序。青木臨泉堂書・跋。【年代】天保七年(一八三六)刊(再板)。[江戸]北島長四郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈諸人日要〉一寸案文』『世話字用文章』『世話字用文』。小本一冊。文化一五年(一八一八)頃刊の『〈諸人日要〉一寸案文』(初編)†と『〈和漢故事〉一寸案文』(続編)†を合綴した用文章。合計一一五通を収録。なお、本書広告に「此書、他本と違、専児童に文字をおしへんために世話字・俗字を集、文章に書くわへ、頓(とみ)に要談をなさしむ。依て『世話字用文章』ともいふ」と記す。〔小泉〕
◆たいぜんてがみのふみ [2321]
大全手紙之文‖【作者】不明。【年代】嘉永五年(一八五二)刊。[江戸]新庄堂(糸屋庄兵衛か)板。【分類】消息科。【概要】異称『早便利手紙案文』。中本一冊。文化一五年(一八一八)頃刊『〈諸人日要〉一寸案文』†の本文を増訂(例文に若干の増減が見られる)したものに、種々付録記事(頭書)を増補した海賊版。「大酒を戒める文」など、式亭三馬作『一筆啓上』†からの影響も見られる。「年始の文」から「雪降之文」までの六一通を収録する。四季行事や通過儀礼に伴う手紙も多いが、「女房聞合の文」「物騒噺しの文」「談義之文」など世俗的な例文を含む点に特色がある。本文を大字・五行・所々付訓で記す。頭書に「手形証文」「大日本国尽」「名頭字」「難字尽」「江戸年中行事」「服忌令」「武家諸役名」「太刀折紙并目録注文書様」「隅田川往来」を収録する。〔小泉〕
◆★たいぜんてならいかがみ [2322]
〈増補書状〉大全手習鏡‖【作者】西川竜章堂書。松川半山画。【年代】天保九年(一八三八)頃刊。[大阪]秋田屋太右衛門(宋栄堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『書状手習鑑』(前半部)、『増補手習鏡』(後半部)。半紙本一冊。天保一二年刊『書状手習鑑』†の増補版で同書と同時に刊行されたもの。「年頭祝儀状」から「帰国土産饋状」までの六一通を収録した前半部(『書状手習鑑』)に、『増補手習鑑』と題して「年甫披露状」から「事始之状」までの二五通を追加したもの。増補した例文は四季・五節句、通過儀礼等吉凶事、商家関連、その他諸事に関する書状で、『書状手習鑑』に未収録の書状を網羅的に補充したものである。頭書は、「曽我状・同返状」〜「義経含状」の部分は『書状手習鑑』と同様で、新たに「消息千字文」を追加した。本文を大字・六行・付訓で記すが、「年甫披露状」のみは、楷書に近い行書で一字一字分かち書きにする。〔小泉〕
◆たいぜんどうじおうらいひゃっかつう [2323]
大全童子往来百家通‖【作者】暁鐘成作・画。西川竜章堂書。浦辺昭注・書。山川澄成序。【年代】天保八年(一八三七)序・刊。[大阪]敦賀屋九兵衛ほか板。【分類】合本科。【概要】異称『〈新撰大全〉童子往来百家通』『〈校正増益〉大全新童子往来』。大本一冊。標記の書名は見返題。本書は天保八年・嘉永五年(一八五二)・慶応四年(一八六八)と重版され、さらに明治初年にも再板された、江戸後期を代表する大阪板系統の合本科往来。原型の天保八年板(外題『大全新童子往来』)とその増補版(外題『童子往来百家通』)の二種ある。まず原型は、本文に「商売往来」「和俗制作の字」「立春書初詩歌」「七夕之詩歌」「庭訓往来」「実語教・童子教」「江戸往来」「書簡作法」「瀟湘八景之詩歌」「近江八景之詩歌」「四季雑小謡」等を収録するもので、書簡作法以下を割愛した簡略版もある。本文を大字・六〜七行・付訓で記す。頭書に「証文認様之事」「七以呂波」「今川状」「新今川童子教訓条々」「御成敗式目」「流人赦免状」「伊豆国院宣」「高倉宮令旨国々被施行状」「平家追討之院宣」「木曽義仲願書」「熊谷状・経盛返状」「義経注進状」「腰越状」「義経含状」「曽我状・同返状」「弁慶状」「風月往来」「能謡濫觴之事」「能・狂言名家之伝」「猿楽名家之伝」「諸礼当用躾方之条々」等を載せる(簡略版は「風月往来」以下収録せず)。一方、増補版は、本文に「年中往来」「大日本国全図」「五性相生花押」「男女相生名尽」「塵刧記」「年中二十四節」、頭書に「諸職往来」「書札要略」「小野篁略伝」「小野篁歌字尽」等を収録した三〇丁分を追加したものである(追加分は表紙の目録簽に表示)。前付・後付は、原型・増補版とも同じで、「天神経」「暦代文字」「真草古文字偏冠尽」「文房四友故事」「和漢名筆略伝」「野馬台詩」「以呂波の文濫觴の事」「潮の盈虚之事」「改正服忌令」「六十図」等を載せる。本書増補版は、あらゆる分野の往来や記事を多く盛り込み、合本科往来中最も浩瀚なものである。〔小泉〕
◆たいぜんはりさしだから [2324]
大全針刺宝‖【作者】西川竜章堂書。【年代】文政八年(一八二五)刊。[京都]山城屋佐兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『〈婦人文章〉針刺宝』。横本一冊。女用文章に種々の付録記事(前付)を加えた往来。女用文章は「年始の文」から「年忘に招文・同返事」までの六六通を収録し、五節句や通過儀礼に伴う祝儀状、その他吉凶事にまつわる手紙、また、誘引状・依頼状その他諸事の手紙の順に掲げる。消息例文を大字・八行・付訓で綴る。前付に、女の四徳・女の職分・身だしなみなどを説いた「女教訓身持鏡」を始め、「小笠原諸礼式」「男女相生鏡」「婦人諸病妙薬」「万しみ物落し様」「化粧の仕様」「衣服裁ものゝ秘伝」など庶民女性に必要な事柄を種々記す。〔小泉〕
◆たいぜんばんぽうこじょうぞろえ [2325]
〈新増〉大全万宝古状揃‖【作者】九日庵素英作。阪田映高書。百井堂千戸画。【年代】天保一五年(一八四四)刊記。弘化二年(一八四五)刊。[京都]菊屋七郎兵衛ほか板。【分類】合本科。【概要】異称『〈初学必用〉万宝古状揃大全』。大本一冊。宝暦七年(一七五七)刊『万宝古状揃大全』の改刻本に単行本の往来物数点を合綴したもので、書名に『古状揃』とあるが、実質的には合本科往来である。本書の根幹をなす『万宝古状揃大全』は、「今川状」「腰越状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「手習状」の六状と「実語教・童子教」および「寺子教訓書」を収録する『古状揃』で、本書は@それに「諸職往来」「風月往来」を加えた一本と、A「諸職往来」「風月往来」「江戸往来」および天保一五年刊『大宝庭訓往来』を合冊した一本とがある。本文を大字・七行・付訓で記す。いずれも、頭書に「商売往来」「大日本国尽」「執筆秘伝鈔」「楠壁書」「木曽願書」「正尊起請文」「勧進帳」「義経含状」「頼朝廻宣状」「曽我状・同返状」「武家諸役名目」「当流祝言小謡」「九九之かけ声」「七伊呂波」「消息往来」「商家往来」(増補版にはさらに「文章速成」「手形証文案文」「十二ケ月之異名」「初心立花之心得」「茶の湯之事」「謡の心得之事」「当流躾方」「十二月往来」等)を掲げ、前付・後付に「学文十徳」「五節異名」「篇冠構尽」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆たいぜんふつうぶんしょう [2326]
〈増訂再版〉大全普通文章〈附願届証書文例〉‖【作者】三谷演作。青木東江(清輔)校・序。太田百祥(華陰)・菅原道義(原田精翁・一醒斎)序。青木東園(理中)書。【年代】明治八年(一八七五)序・刊。[東京]東生亀治郎(亀次郎・万巻楼・東生書館)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈漢語註解〉大全普通文章』。中本二巻二冊。上巻『大全普通文章』、下巻『大全諸証文例』から成る用文章。青木輔清の序によれば、三谷演の前著『普通文章』が広く世に行われ板木が摩滅したため、巻末の「諸規則」を改正して再刻したものという。上巻には、「歳端之文」をはじめとして、四季・雑を交えた私用文例六三通を収録し、さらに巻末付録として、「郵便規則略」「海外郵便差し出し手続並税則の略」など郵便に関わる規則を添える。文例は「開歳之吉祥、千里同泰、不可有休期…」のように、漢語がかなり混じるものの比較的穏当な文体で、各文例の最後に、例えば「玉暦正朔、アラタマルトシノハジメ」「斗転洪釣、同上」「玉履踏順、トシヲムカヘシコト」のように、より難解な漢語への替え言葉を付す。菅原道義の序の後に、「蘇武小伝」「驛逓局隆盛図」「招魂社境内図」「東京裁判所」「隅田川雪景」の銅版画五図が付され味わい深い。一方、下巻「大全諸証文例」は、「雑証之部」「諸請書之部」「諸願書之部」「商会之部」「諸届之部」の五部に分け、それぞれ「借用証文」以下三三例、「出頭請書」以下四例、「帰県願」以下三七例、「売買為替約定書」以下一三例、「出産届」以下一九例の合計一〇六例を収録する。上下巻とも、大字・五〜六行・所々付訓(漢語の多くに左訓)で記し、本文の所々に「地所規則節略」「利息制限法略」「建物書・入質規則略」「代理人規則」等の関連法規を掲げる。なお、本書二巻本の上下巻を分割した単行本として、『〈漢語註解〉大全普通文章』(上巻)、と『〈開化必要〉大全諸証文例』†(下巻)が明治八年に板行されている。〔母利〕
◆たいぜんぶんつうじざい [2327]
大全文通自在‖【作者】苅谷保敏(天海)作・書。菊池三渓(純)校・序。【年代】明治一二年(一八七九)序・刊。[京都]福井源次郎(正宝堂)蔵板。福井孝太郎売出。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。「賀新禧文」から「米寿ノ賀宴ヲ催ス之文」まで六一通を収録した用文章。大半が漢語消息で、「丸山賞雪文」「嵐峡観花誘引之文」「宇治川蛍狩之翌日新蛍一籠ヲ某生ニ贈ル文」など京名所を題材にした例文や季節の行事に関する手紙が多く、諸用件の手紙を所々に挟む。各例文を大字・六行・付訓(所々左訓)で記す。頭書には「作文ノ方法ヲ論ズ」のほかに、本文要語(漢語)の類語や言い換え表現などを多く掲げ、任意の語句に施注する。〔小泉〕
◆だいせんようぶんさんかんぞう [2328]
〈宝暦新刻〉大船用文三韓蔵‖【作者】北尾辰宣(北尾仁右衛門・銭屋仁右衛門・雪坑斎・仁翁)作・画。【年代】宝暦一三年(一七六三)刊。[大阪]田原屋平兵衛ほか板。また別に[京都]菊屋七郎兵衛板(安永八年(一七七九)求板)。【分類】消息科。【概要】異称『大船用文三韓蔵』『大船用文』。大本一冊。五節句その他の年中行事や日常万般の諸用件に題材を求めた消息文三八通を収めた用文章。概ね、上方(とりわけ大坂)町人の営む社会生活に即した内容で、文例毎の末尾で文中の語彙と文例全般の大意を解説するのも特徴。また、例文中の第二一状「朝鮮人来朝当地殊之外賑鋪…」、第二三状「朝鮮書記墨蹟一幅被進上候…」は明らかに朝鮮通信使の来日を意識したもので、巻首付録記事にも「大船図」「朝鮮国信使解纜図」「朝鮮人行列之図」「朝鮮楽器図」「同武器図」「朝鮮八道総図」等や、「朝鮮人の詞尽」「朝鮮の仮名」「同数字」「唐以呂波」「朝鮮両京八道」「朝鮮名所」「同土産名物」「朝鮮人朝貢の濫觴」等の記事を収録する。本往来は、近世における一一回の朝鮮通信使のうち享保ないし寛延度の経験をもとにして作成し、本書刊行翌年(明和元年(一七六四))の来日に備えて出版されたものであろう。なお、本書の改題・改訂本に明和四年刊『明和用文法書苑』(大阪・田原屋平兵衛板)があるというが未見。〔石川〕
◆たいぜんようぶんしょう [2329]
大全用文証‖【作者】高橋鎌三郎作。巻菱潭書。黙堂序。【年代】明治一一年(一八七八)序。明治一三年刊。[東京]山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛)板。【分類】消息科。【概要】異称『文章大成』。半紙本三巻合二冊。第一冊(一・二巻)に「消息文例」「証書文例」、第二冊(三巻)に「訴訟文例」「公用文例」を収録した大部な用文章。公用文、特に訴訟関連の文書を多く採り入れるのが特徴。「消息文例」の部は、「賀歳首書」から「贈未会之人書・同報簡」までの三八通で、開校、油絵、博覧会、天長節など近代的な題材を交えた四季や慶事の手紙が中心である。本文を大字・五行・付訓で記し、頭書「鼇頭類語註訳」に本文要語とその類語を略注とともに掲げる。続く「証書文例」の部には、「預金証書」から「頼母子講金証書」までの三一例を収録し、関連知識として頭書に「改正証券印税規則」「地所質入書入規則」等の諸規則を掲げる。下巻には、「訴状表紙之式」から「訴答文例中改正之条」までの訴訟関連の書式と、「送籍願書」から「貿易品買取御届書」までの公用文書式三四例を収録し、頭書に「改正訴答文例」等の関連法令を掲げる。なお、本書は明治一一年刊の先行用文章(書名不明)を明治一三年に改題・板行したものである。〔小泉〕
◆たいそうしげん [2330]
対相四言‖【作者】山田汝明注。柴野栗山(邦彦・彦輔・古愚軒・三近堂)書。大原東野(民声・如水)画。【年代】享和三年(一八〇三)序。文化四年(一八〇七)刊。[京都]銭屋儀兵衛(梶河儀兵衛・梅花書屋)蔵板。【分類】語彙科。【概要】明暦(一六五五〜五七)頃の和刻本は中本一冊。文化四年板は大本一冊。明の太祖の洪武四年(建徳二年(一三七一))刊の手本で、主に天地・草木・鳥獣・魚虫・家屋・家財・諸道具・楽器・衣類・武具・馬具・農具・身体に関わる語彙を集めており、単漢字に続けて二字熟語を配列する。わが国に移入された年代は明らかでないが、明暦頃に『魁本対相四言雑字』(全七七句三八語)として覆刻された。同書は「天・雲・雷・雨、日・月・斗・星、江・山・水・石、路・井・墻・城…」で始まる本文を楷書・大字・二行(一行・八字)・無訓で記し、各漢字の左側に絵図を掲げる。さらに、文化四年にそれを和訳した『対相四言』(山田汝明注、柴野栗山書)が刊行されたが、この文化板でも、漢字一字ないし二字の日常語二八〇語を絵図とともに列挙する(楷書・大字・付訓)。文政四年(一八二一)に『新刊四言対相』が刊行されたほか、『大阪出版書籍目録』によれば、既に天明三年(一七八三)頃に藤田徳右衛門編『対相四言』(大阪・和泉屋文助板)も上梓された。〔小泉〕
◆だいだいようぶん [2330-2]
大大用文(仮称)‖【作者】寺沢某書。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】合本科。【概要】大本一冊。残存する原題簽から「大大用文…」(末尾数文字不明)と判読できるが、同じ奥村喜兵衛板の明和八年(一七七一)刊『長雄諸産往来』†の巻末広告に、「大大用文、寺沢書、年中用文・字尽・諸往来・節用・諸礼、其外、日用重宝成事集、一冊」とあるのが本書を指すと推定される。前半に「古状揃」(柱)を合綴した大部なもので、単なる用文章とは異なる。前半「古状」部には、前付に「男女相性之事」「御改正服忌令」「諸礼絵抄」を掲げ、本文に「実語教・童子教(三段組は異色)」「西湖八景詩歌」「自遣往来」「今川状」「腰越状」「含状」「手習状」「熊谷送状」「経盛返状」「弁慶状」「大坂進状」「同返状」「風月往来」を収録し、頭書に「年始遣書状」を含む「自遣往来」以外は、基本的に頭書絵抄(語注および図解)を施す。また後半「用文」(柱)部は、前付に「五性書判」「月の異名」「立花図」「九九之次第」「八算掛割術」「見一九段割掛算」「初心立花仕様」を載せ、本文に「新年祝儀に干肴一箱贈る手紙」以下四三通(本文中にやや小字で記した替文章も含む)を収録した用文章で、末尾数通を披露状の類とする。頭書には、天地・草木・魚・貝・虫・鳥・衣服・食物・器財・言語の一〇部に分けて語彙を集めた「世話用文字」や、「書簡用語集」「諸飾り」「目録書き方」「十二月献立」「大日本国尽」「篇冠尽」、末尾に「男名尽」「七ッイロハ」「法躰名つくし」を掲げる。なお、「古状」部はやや小字・九行・付訓、「用文」部は大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆だいとうか/だいとううた [2331]
大統歌‖【作者】塩谷宕蔭(世弘・甲蔵)作・序。井上俊乂書。【年代】嘉永四年(一八五一)序。安政六年(一八五九)刊。[江戸]和泉屋吉兵衛板(再刻)。【分類】歴史科。【概要】半紙本または大本二巻合一冊。「天七地五、ユ矣鴻荒、維神武帝、起自西彊…」で始まる四言五二四句(二〇九六字)の文章で、天神七代・地神五代の神話の時代から徳川幕府樹立までの歴史を皇統中心に述べた往来。歴代天皇の賛美を基調とした記述で、徳川時代になって皇統が廃れたのではなく、ますます確固たるものになったと説いたり、最後に、中国では王朝の交替が激しいのに対して日本は万世一系の皇統たることを強調して締め括る。嘉永四年頃の初刊と推定され、初板本は本文を楷書・大字・五行・無訓で記した半紙本と思われる。この半紙本にも多くの異板が見られるほか、注解本など、幕末から明治初年にかけて多数刊行された。〔小泉〕
◆だいとうかくかい [2332]
大統歌句解‖【作者】市野天籟(靖・節夫・俊蔵・無絃琴堂)注。境野熊(熊蔵)序。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[名古屋]鬼頭平兵衛板。【分類】歴史科。【概要】半紙本二巻合一冊。塩谷世弘作『大統歌』†の注釈書の一つ。同本文の語句を二字ないし四字ずつ区切って、大字・六行・付訓で記し、各句毎に小字の割注を施す。施注の傾向は、漢字四言一句になった結果、文脈が把握しにくい箇所を中心に各句が意味する人物や事跡・事件などを簡潔に補足するものである。〔小泉〕
◆だいとうかくんもう [2333]
〈柳田友広著〉大統歌訓蒙‖【作者】柳田友広(蕉鹿居)作。重野安繹(士徳・厚之丞・成斎)序。橋本貞秀(玉蘭斎・蘭斎・歌川貞秀・五雲亭・寿山・橘庵)画。佐瀬得所(松城)書。【年代】明治七年(一八七四)作・序・刊。[東京]蕉鹿居蔵板。大和屋喜兵衛(江藤喜兵衛・宝集堂)売出。【分類】歴史科。【概要】大本四巻附刻一巻五冊。『大統歌』†の本文に従って、その注釈とともに、故事、忠臣孝子の事蹟などを盛り込んで日本皇国の歴史を詳述した往来。注解を口語で綴るなど、童蒙の暗記に役立つように編集・注釈上の種々の工夫が施す。本文を楷書・大字・六行・付訓で記し、数句毎に詳細な割注を施す。第一巻巻首に「歴世天皇系図併年号」「執政部門興廃之図」を掲げるほか、各巻に歴史的名場面の挿絵を多く挟む。また、附刻一巻には『〈刪補〉大統歌』本文を楷書・大字・五行・無訓で、また『大統歌』原文を楷書・小字・九行・無訓で記す。〔小泉〕
◇だいとうかじかい [2334]
大統歌字解‖【作者】内山作信(白玉堂)注・刊。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[埼玉県横見郡]内山作信(白玉堂)蔵板。長島為一郎ほか売出。【分類】歴史科。【概要】中本二巻合一冊。『大統歌』†の注釈書。本文を各単語または数語に区切って楷書・やや小字・九行・付訓で記し、平易な割注を施したもの。丸付き数字によって『大統歌』原本の丁数をそれぞれ明示する。〔小泉〕
◆だいとうかぞっかい [2335]
大統歌俗解‖【作者】井上不鳴(春海・臥游斎・文会楼)注。四十宮苞序。橋本孝(晩翠)跋。【年代】明治四年(一八七一)序。明治五年刊。[徳島]井上不鳴蔵板。[東京]松井栄助ほか売出。【分類】歴史科。【概要】半紙本二巻二冊。『大統歌』†の注釈書の一つで、もと徳島藩儒であった井上が、同藩の内意をうけて領内の郷学用教科書として編集・刊行したものである。『大統歌』本文の大意を分かりやすい俗語によって解釈したもので、例えば書名の『大統歌』については「日本ノ帝(ミカド)ノ宝祚(ミクラヰ)、万代(ヨロヅヨ)ノ大統(オホキナルツギメ)ヲ唐(カラ)ノ歌ニ作レルナリ」と説く。本文を数句毎に区切って大字・六行・無訓で掲げ、各段毎に割注を施す。施注にあたっては、本文で用いられている漢字を四角で囲んだり、天皇または皇子には二重線を付すなど種々の記号で読者理解の一助とする。なお、『大統歌』末尾の「勿謂覇興」以下一六句を時勢に合わないものとして省くのも特徴。本書のみならず、『大統歌』には下巻末尾数行を削除した版もいくつか見られる。〔小泉〕
◆だいとうかりゃっかい [2336]
大統歌略解‖【作者】久米安政注。阪崎親成序。【年代】明治一五年(一八八二)序・刊。[名古屋]梶田勘助板。【分類】歴史科。【概要】半紙本二巻合一冊。塩谷世弘作・嘉永四年(一八五一)刊『大統歌』†の注釈書。『大統歌』本文を楷書・大字・六行・無訓で記し、頭書に、「〔大統〕 で示して略解する。文章全体の大意にはほとんど言及しないが、一句四言という制約のため難解な本文中の要語(特に人名・事跡)について簡潔に解説する。〔小泉〕 【所蔵】小泉ほか。
◆だいにほんおうらい [2337]
〈開化〉大日本往来‖【作者】島有三(鳴甫)作・序。若林長栄画。【年代】明治七年(一八七四)刊。[大阪]中川勘助板。また別に[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛)板あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈文明〉大日本往来』『〈改正〉大日本往来』『〈島有三編輯・開化〉大日本往来』『開化大日本往来』。半紙本二編六巻六冊。序文によれば近世の『日本往来』†を大幅改訂した往来で、「維新開化の景況、北海道及奥羽之領国、府県各港、郡名、其他産物、風土、名勝等その約略を俗文体に綴編し」たもの。まず、「端言」として「諺に地理を知らざる人々は、足なき人に異ならずと、其歩むべき踏出しは、まづ我国の華も香も、しりて他国に移るべし…」と七五調の文章で、地理的教養の重要性や世界における日本の位置と国勢のあらましを述べ、以下、五畿八道毎に各国の地理・歴史・産業などを紹介する(初編は畿内・東海道・東山道・北海道、後編は北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道・琉球国)。本文を大字・五行・付訓で記す。また、各巻に数葉の風景画を載せるが、近世以来の名所のほかに「大阪川崎造幣寮の図」や「神戸(港)の図」など新時代を象徴する図も多い。なお、第一巻冒頭に、臥竜軒貞義作の「大日本之図」「北海道全図」を掲げる。〔小泉〕
◆だいにほんくにづくし [2338]
〈英字三体〉大日本国尽‖【作者】橋爪貫一(松園)作。【年代】明治四年(一八七一)序・刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】地理科。【概要】異称『英字国尽』『英学国尽』『英字大日本国尽』。中本一冊。「日本国尽」「十干十二支」「四方」をそれぞれ英字三体(ローマン体大文字・小文字、イタリック体小文字)で表記した往来。左開きの造りで、各頁を左右二列に分けて、最上段に漢字表記、その下に続けて三体の英語表記を三段で掲げる。なお「日本国尽」は、五畿八道・二島・八丈島・小笠原島・琉球までの国名・地名等を列記する。〔小泉〕
◆★だいにほんくにづくし [2339]
〈開化〉大日本国尽‖【作者】鴻田真太郎作・書。【年代】明治年間刊。[東京]大橋堂板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。「名頭尽」「大日本国名尽」「世界国尽」の三編を収めた往来。前二者は近世以来のものとほぼ同じ。「世界国尽」は五大洲毎の主要国名(七二カ国)を列挙したもの。本文を楷書・大字・五行・付訓で記す。なお本書の作者を「加藤富三郎輯書」とした東京・錦栄堂(大倉孫兵衛)板があるが、作者を改竄したものであろう。〔小泉〕
◆★だいにほんくにづくし [2340]
〈増補改正〉大日本国尽〈頭書郡名〉‖【作者】岡田輔年作。【年代】明治五年(一八七二)刊記。明治六年刊。[東京]和泉屋市兵衛(甘泉堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『大日本国尽〈附海外同盟国〉』。半紙本一冊。各頁に三段の界線を設け、最上段に郡名、下二段に各国名と石高などを記した往来。五畿八道毎に順々に掲げ、最後は「二島(壹岐・対馬)」「属島(北蝦夷=樺太と無人島=小笠原島)、さらに「琉球藩(一五島)」の名称を記す。末尾の「総計」によれば畿内八道で全八四カ国、七一六郡、北海道・対馬・琉球等を除く国(石)高は三○五六万五六四三石余とある。巻末二丁は「海外同盟国」と題して、当時の日本との同盟国一六カ国の名称(漢字表記)と仮条約(調印)年月日、本条約(批准書交換)年月日を最上段に注記する。本文は全て楷書体・付訓。〔小泉〕
◆だいにほんくにづくし [2341]
〈平木氏〉大日本国尽‖【作者】平木保景作。【年代】明治七年(一八七四)刊。[京都]石田忠兵衛(文明書楼)ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈平木保景著〉大日本国尽』『〈平木氏〉日本国つくし』。半紙本二巻四冊。書名に『大日本国尽』と称するが、近世流布本『国尽』のような地名の列挙ではなく、各国の地理・歴史・産業等について詳述した往来。例えば冒頭の「山城」には「山城の国、石高二十二万石余なり。京都はむかし平安城といふところなりしが、桓武天皇のはじめてひらかせたまひしより、御一新まではみかどのいませし都会なり…」のような仮名交じり文で平易に記し、以下、各国別に石高、沿革、寺社・名所旧跡、その他地名・物産、また維新後の現況(特に交易場の記述が目立つ)などを略述する。序文には、日本の国土や物産、中世以降の西洋文明の伝播などについて略述する。また、下巻末尾に「無海十四箇国」「高山」「大川」を列記する。本文を大字・六行・ほとんど付訓で記す。巻頭に銅版刷の「大日本府県全図」のほか、五畿八道の各章毎に色刷り地図を掲げる。〔小泉〕
◆だいにほんこくしゅうめい・ながしらじい [2342]
大日本国州名・名頭字彙‖【作者】正木竜眠(青羊・玉淵堂・墨斎)作・書。【年代】安政六年(一八五九)以前刊。[江戸]寿堂板。また別に[江戸]山本某板あり。【分類】地理科。【概要】異称『名頭国づくし』。半紙本一冊。『大日本国州名(州名帖)』と『名頭字彙』を合綴した陰刻手本。前半『大日本国州名』は日本各国の名称を五畿七道毎に書き綴ったもので、一般には『大日本国尽』†と呼ばれる。後半の『名頭字彙』は、「源・平・藤・橘…」で始まる『名頭字尽』†で、合計二五九字から成る。本文を概ね楷書・大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◇だいにほんこくめいづくし [2343]
大日本国名尽‖【作者】萩原新七作。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[東京]編者蔵板。また別に[東京]井上勝五郎板あり。【分類】地理科。【概要】異称『明治新撰名頭国尽』。半紙本一冊。日本全域を畿内・八道に分けて、八六カ国の国名を列記した教科書。楷書・大字・三行・付訓で記す。明治初年の区画改訂を受けて、陸奥を陸前・陸中・陸奥に、出羽を羽前・羽後に分け、また北海道を加えるのが特徴。なお、本書は「名頭尽」と合綴されている。〔石川〕
◆だいにほんちりおうらい/だいにっぽんちりおうらい [2344]
〈頭書画入〉大日本地理往来‖【作者】伊藤卓三作・序。梅村相保(静巌村清)書。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[行田]博文堂板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。皇国観念に基づき、神代からの国史を点描しながら、日本の国土・地理・産業・文化や明治初年の東京府下の現況などを綴った往来。「我日本帝国は、太平洋西北の隅に位せる一大島なり。北緯二十六度三十五分より四十九度の間にて、東経百二十九度と百五十度にあり…」と始まる文章で、日本国土・国勢・行政・地理・物産・文化および、中古・中世・近世から現在に至る推移、また首府・東京の繁栄ぶりを紹介し、かかる有り難い時代に生まれた国民は、おのおの「興起勉励し、鴻恩万一に報ゆる」のが国民の職分であると説いて結ぶ。本文を大字・四行・付訓で記す。頭書には国号・国郡・戸口・気候・人種・文字・国教(僧侶)・植動産・礦山・製造・貿易・海陸軍・電信線・鉄道・海路里程概略等の説明を補足する。〔小泉〕
◇だいにほんならびにせかいくにづくし・ながしらじづくし [2345]
〈鼇頭郡名〉大日本並世界国尽・名頭字尽‖【作者】小林鉄次郎作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]小林鉄次郎蔵板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。「大日本国名尽」「世界国尽」「名頭字」から成る往来。「大日本国名尽」は東海道から北海道まで畿内八道六六国の旧国名を記し、頭書に全国七一六の郡名を掲げる。また「世界国尽」は五大洲毎の主要国名を列挙したもの。「名頭字」は「源・平・藤・橘…」で始まる流布本に同じ。〔小泉〕
◆だいにほんふけんおうらい [2346]
〈武田勝次郎編輯〉大日本府県往来‖【作者】武田勝次郎(勝治郎)作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]上阪久次郎(松永堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『府県往来』。中本一冊。日本の国土と、府県名および府県庁所在地、所轄郡数などを七五調で綴った往来。「大日本は亜細亜の中、東の方に位して、豊葦原の中津国、又蜻蛉洲とも旧称す。直径凡一千余里、其表面は十六万…」で始まる本文を楷書・大字・六行・付訓で記す。また、頭書「改正府県表」には、三府三五県の郡名・郡数を旧国名毎に記す。〔小泉〕
◆だいにほんぶんしょうたいせい [2347]
〈鼇頭記事論説〉大日本文章大成‖【作者】沢山清太郎作。青木東園書。【年代】明治一八年(一八八五)刊。[大阪]中野啓蔵(桑林堂)板。また別に[大阪]松浦要祐(松栄堂)板あり。【分類】消息科。【概要】異称『記事論説文章大成』『鼇頭記事論説大日本文章大成』『〈鼇頭〉大日本文章大成』『記事論説文範』。半紙本一冊。消息例文・証書書式・各種文案から成る用文章。消息例文は、時候・遊観・慶賀・慰問・弔喪・稟告・詩s・嘱托・嘱購・訊問・邀招・報謝の一二門に分類して合計六五通を収録する。本文を大字・五行(証文類は八行)・付訓(漢語に左訓)で記す。「証書々式文例」には「田畑書入質ノ証」以下一八通を載せる。頭書の大半を占める「記事論説文範」は各種文章の模範文で、春・夏・秋・冬・遊記・記事・伝・論・説・書・序・題・跋・祝文・引・祭文の一六部毎に合計七三例を掲げるが、頼山陽・伊藤博文・柴野栗山など著名人の文章も多く含まれる。このほか頭書に「書簡雑語(「存門類」など一一類毎に掲げた漢語消息文の文句や書簡に多用する異称類)」「諸願ノ部(「人力車検印願」以下一五例)」「諸届ノ部(「出産届」以下一六例)」を載せる。巻頭二丁(題字・「吉備真備公略伝」・凡例)は銅版印刷。〔小泉〕
◆だいふくちょう [2348]
〈商人平生・日用文章・一番〉大福帳‖【作者】西川竜章堂書か。蔀関牛画か。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】異称『〈商人用文〉大福帳』『商人文章大福帳』。やや小型の中本一冊。「売先得意頼状」から「歳暮之祝義状」まで一〇九通を収録した用文章。『大阪出版書籍目録』に文政四年(一八二一)刊『商人取引状』の抜刷本と記すが、全くの異板で、「斎非時呼に遣す状」に続いて「踊見之状・同返事」二通を新たに追加したものである。例文には四季の手紙や吉凶事に伴う書状も含まれるが、大半が商人用文でそれらを冒頭に掲げる。本文をやや小字・六〜七行・所々付訓で記す。見返に宝船の図、前付に「大日本国尽」「片仮名イロハ」「十干・十二支」「様之字之事」「脇付之高下」「同返札之時は」「書状封様之事」、末尾に「算法智恵の輪・出世算法早指南」と題した記事(「第五、八さんの割こゑの事」から始まる)を合綴する。〔小泉〕
◆たいへいおうらい [2349]
〈堀氏流水軒〉泰平往来〈国尽・官名〉‖【作者】堀流水軒(直陳)作・書。【年代】正徳四年(一七一四)刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「泰平往来」「諸国(大日本国尽)」「官名」から成る手本。「泰平往来」は、まず「抑江府年頭之御規式、元日、二日、御一門之御方々、国主、城主之歴々、三献之御祝、其外、諸侯昵近之面々…」と筆を起こして、正月朔日、二日に将軍家一門、各国諸侯以下諸役人、続いて三日に諸大名の子息以下の新年挨拶を始め、五日寛永寺僧侶の挨拶、六日諸国寺社の挨拶、七日「七種之御粽」献上、一一日御具足祝いを始めとする新年儀式のあらましと城中の模様を綴り、君主を「前代未聞の名君」と讚える。後半では、まさに「国家安全、理民長久の瑞相、泰平繁昌」の今日の江戸は、日本諸国のみならず中国・朝鮮・琉球・オランダなど近隣諸外国からも崇敬されることを述べた後、江戸府内、東西南北の地名と繁栄ぶりを紹介する。このように『泰平往来』は、寛文九年(一六六九)刊『江戸往来』†に、後の文化二年(一八〇五)刊『御江戸名物往来』†や『(江戸)繁栄往来』†の要素を加味したような地理科往来といえよう。「国尽」は五畿内以下の諸国名、「官名」は「太政官・左大臣・右大臣…」から「…督・佐・尉・志」までの官名・官位を列挙する。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たいへいこじょうぞろえこうしゃく [2350]
泰平古状揃講釈‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『泰平古状揃』。大本一冊。本書の改題本に「〈頭書講釈〉両点古状揃」がある。『古状揃』†の注釈書の一つで、本文を大字・六行・付訓(両点)で記し、要語解を頭書に掲げる。「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「大坂状」「同返状」の九状を収録する。このうち、「大坂状」「同返状」については略注を置かず、代わりに「太刀折紙請取渡之事」など本文と無縁の記事を掲げるのは、『大坂状』の不穏当な表現を憚ってのことであろう。〔小泉〕
◆たいへいじょう [2351]
太平状‖【作者】不明。【年代】安政四年(一八五七)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。全編一通の仮名文で綴った教訓。「太平之御代麥蒔親父も鍬を杖に突て新金の土も動かぬ君か代と寿を句に作り、ざこ曵魚者も浪しつか成事を述る能節に生れて、辻談儀きく事有かたき世界にて候。かしく」というのがその全文で、大字・五行・稀に付訓で記す。紀州地方で使用された手習い本中に所収。〔小泉〕
◆たいへいせつようふくじゅおうらい [2352]
太平節用福寿往来‖【作者】田中友水子作。【年代】宝暦二年(一七五二)刊。[大阪]泉屋喜太郎板。【分類】合本科(節用集)。【概要】大本一冊。本文欄に用文章「日用文章筆牘」、頭書欄に節用集「節用福聚海」を収め、さらに前付に多彩な記事を盛り込んだ浩瀚な往来。「日用文章筆牘」の部分は頭書を二段に分かつ「三階板」形式で、上段に一三部門分け・二行両点の「節用福聚海」、下段に消息例文の類語・類句を集めた「替詞」(敬意の上中下別を示す)を収録する。「日用文章筆牘」自体は、「春の状」「夏の状」「秋の状」「冬の状」「祝賀状」「不祝義」「見廻状」「頼状」「雑之状(「女中方への文之格」数通を含む)」の九部に分けて合計で約二〇〇通を収録する。また、四五丁に及ぶ前付には、「改正七以呂波」「小野篁歌字尽」「天満宮御伝」「十二月因縁」「当用書札秘説」「四民の事」「万積物図式」「日用食礼」「万証文手鑑」「百宮名尽」「暦の大略の事」「筆道初学抄」「文房重宝記」「名乗手鑑」等の記事を載せる。なお、本書寛政(一七八九〜一八〇〇)頃再板本には、巻末に寛文八年(一六六八)原板、寛政一二年求板『庭訓往来抄』約九〇丁を合綴した版もある。また、本書「日用文章筆牘」部分を抄録した『書通大成』†が文化元年(一八〇四)に刊行された。〔小泉〕
◇たいへいせんじもん [2353]
泰平千字文‖【作者】藤原達(信斎・元璋)作・書。【年代】文政一二年(一八二九)書・刊。[江戸]刊行者不明。【分類】社会科。【概要】『千字文』形式で社会生活全般にわたる語彙を列挙した往来。松倉久修書『泰平千字文』†とは同傾向だが別文。天地、各地の繁栄、皇室、政治、人品、建築、動物、調度、服飾、家業、学芸、眷属、人倫、保身、社交、鉱物、慶事、歳時、旅行、趣向、音曲、睡眠、必需品、運動、植物、文具、健康、経書、教戒、才能、性質、公務等に関する語彙を列挙する。「日月清明、天下泰平…」で始まる本文(全四八八字)を楷書・大字・二行・付訓(両点)で記した陰刻手本。〔小泉〕
◇たいへいせんじもん [2354]
泰平千字文‖【作者】松倉久修書。【年代】江戸後期書。【分類】社会科。【概要】周興嗣作『千字文』形式で社会生活全般にわたる語彙を列挙したもの。藤原達作『泰平千字文』†と同傾向だが別文。天下泰平、季節、朝廷、将軍・諸侯、祝祭、人倫、武芸、規式、教戒、応対、芸能、保健、消息、納務、商用、苦難、宗教、理非、人情、聖賢、平和等の類語を収録する。「天下、泰平、国土、安穏、日月、循環、春夏、秋冬、禁裏、至尊…」で始まる本文を行書・大字・七行・無訓(ごく稀に付訓)で記す。〔小泉〕
◆たいへいようぶんしょう [2355]
〈注釈平仮名付〉泰平用文章‖【作者】山田賞月堂書。【年代】嘉永(一八四八〜五三)頃刊。[京都]菊屋七郎兵衛板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。嘉永二年(一八四九)刊『千里用文章』†の増補版(「諸見舞・祝儀之部」以下を増補)。「四季之部」「売用之部」「要用之部」「諸見舞・祝儀之部」「諸証文手形請状之部」の五部に分類し、それぞれ「年頭披露状」以下一七通、「店開申遣状」以下一二通、「未逢人之遣状」以下一七通、「火事見舞状」以下一五通、「預申銀子之事」以下一四通、合計七五通を収録する。本文を大字・五行・付訓で記し、所々に月異名や書簡作法についての記事を載せるほか、巻末に「高下九品之事」「十二月異名」などを掲げる。〔小泉〕
★だいほうようぶんしょう [2355-2]
〈御家〉大宝用文章‖【作者】不明。【年代】嘉永元年(一八四八)刊。[大阪]秋田屋市兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「年頭披露状」から「初而注文申遣状・同返事」までの三四通の例文を集録した用文章。五節句・四季贈答の手紙、慶賀祝儀状などで、商用文はほとんど含まない。冒頭の数通だけは、差出人・宛名人・脇付・追伸文等を明記して実際の手紙文の様子を示す。本文を大字・六行・付訓で記す。また、目次の末尾に「篇并冠字づくし」を掲げる。〔小泉〕
◆★だいほうようぶんしょうたいせい [2356]
〈嘉永新版〉大宝用文章大成‖【作者】不明。【年代】嘉永三年(一八五〇)刊。[大阪]敦賀屋九兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家流〉大宝用文章大成』。半紙本一冊。文化一一年(一八一四)頃刊『文化用文大全』†の冒頭三通と、後半部「夷講廻状」以下のみを抽出した改編・改題本。「年始状」〜「久々不逢人え遣状・同返事」の消息文例三三通を収録。庶民生活中心の吉凶事に伴う書状とともに、「店開を賀す文」「荷送り状」などの商人用文や「豊作賀状」「田植助合頼状」など農民用文など基本的な例文を一通り収録するのが特徴。本文を大字・五行・所々付訓で記す。頭書に「書翰上中下次第」「諸国御関所」「日本大川」「大日本国名」「万物数量字尽」、および「店請状」〜「借用証文」の手形証文文例七通のほか、巻末に「十干・十二支」「月之異名」を掲げる。〔小泉〕
◇だいまんようぶんじざいぞう [2356-2]
大満用文自在蔵‖【作者】小野臨水堂書。【年代】寛延四年(一七五一)刊。[京都]藤屋武兵衛板。【分類】消息科・地理科。【概要】大本一冊。前半「当流四季文章」に後半「都買得往来(買得往来†)」を合綴した往来物。「新年祝儀に扇子一箱贈る状」から「歳末祝儀の礼状」まで、五節句祝儀や四季贈答、年中行事に伴う手紙など二三通を収録する。準漢文体書簡ながら「かしく」で結ぶ例文を二通含む。本文を大字・四行・付訓で記す。前付に「内裏参向之図」「太宰府天満宮参礼」「筑紫安楽寺御祭」「愛宕山道之風景」「鞍馬山僧正坊図」「片仮名真字・古文字いろは」「始文字製図」、頭書に「小野篁歌字尽」「判形相性之事」「十干十二枝」「大日本国づくし」「篇冠構づくし」「四季之異名」「人の名づくし」「諸商看板因縁」「立花初心伝」「花洛東山詣」「洛西山嵯峨名所」「京町竪横小路」、巻末に「叡山赤山明神図」を掲げる。なお、本書の改題本『買得用文都土産(買得用文)』が宝暦四年(一七五四)頃に刊行されたが、現存本(小泉蔵)では収録順序が「買得往来」「買得用文」の順に変更された。〔小泉〕
★だいみょうみょうじおうらい [2356-3]
大名苗字往来‖【作者】西戸亀吉書。【年代】安政四年(一八五七)書。【分類】語彙科。【概要】異称『大名苗字尽往来』『諸大名苗字尽』。大本一冊。天保一一年(一八四〇)刊『〈頭紋尽・諸家〉名字往来』†の前半部、大名諸家の苗字を抽出した往来。韻文体をやめて単に大名の苗字を列挙するが、天保一一年板の順序と一部異なる。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆だいもんじゅくおうらい [2357]
大門宿往来‖【作者】不明。【年代】寛政一〇年(一七九九)作。文政五年(一八二二)書。【分類】地理科。【概要】異称『大門方角名所』『大門往来』。大本一冊。武州足立郡大門宿(埼玉県浦和市)方面の地名・名所を列挙した往来。まず「高千百三拾七石七斗三升五合、反別百八拾九町八反七畝拾弐歩。宝暦十辰之年(一七六〇)御検地、従御高札東者…」と筆を起こし、東・西・南・北の各方角毎に村名・寺社名・河川名その他の地名を列挙し、最後に同地の老若男女がともに農業に出精して年貢皆済し、子孫に相続すべき旨を述べ、「恐々謹言、敬白」と結ぶ。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たいやせんせいじょくん [2358]
退野先生女訓‖【作者】大塚退野(久成・丹左衛門・孚斎・蹇斎)作。甲斐千代子書か。【年代】元文(一七三六〜四〇)頃作。江戸中期書。【分類】女子用。【概要】異称『よめのしるべ』。大本一冊。熊本藩儒の大塚退野が、享保一一年(一七二六)丙午生まれの娘が嫁ぐ際の教訓として綴ったもの。「君子につかふまつり様の事」「君子の父母につかふまつりやうの事」「身のまもりよふの事」「身のたしなみやうの事」「召つかひの男女あわれみやうの事」の五章を説く。まず君子に仕える女性の心構えとして、怒り腹立つこと、恨み憤ること、嫉妬すること、怠ることの四つを慎み、『比売鑑』†『鑑草』†の二書を熟読せよと諭す。続いて、舅姑への孝養、男女の別、使用人への慈悲などを説く。また末尾に藤崎某妻・丹から「おるい」へ宛てた一通の教訓の文を付す。謙堂文庫本は本文をやや小字・一〇行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇たいようれきこうしゃく [2358-2]
太陽暦講釈‖【作者】遠藤茂平作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[京都]乙葉宗兵衛板。【分類】理数科。【概要】半紙本一冊。新暦採用に伴い太陽暦の概略を記した教科書。「太陽暦の訳」「太陰暦の訳」「地球の日輪を廻る訳」「月輪地球を廻る訳」「昼夜十二時を改め廿四時に分る訳」「太陰暦を廃(やめに)せられて衆庶(おおくのひと)自由を得たる訳」「太陽暦は永々の重宝なる訳」の七項に分けて説き、新暦制定を「愚痴蒙昧の心目を一掃し、知識開化の大基礎と成るは、今度の改暦なりと有難く忝く思ふべき事ならずや」と大いに讃えて結ぶ。本文をやや小字・九行・付訓で記す。なお首題に続けて「遠藤茂平抄録」と記すため、先行類書からの抄録か。〔小泉〕
◆たいようれきぞっかい [2359]
〈頒暦詳註〉太陽暦俗解‖【作者】花井静(静庵)作。福田理軒(三野農人)校・序。青木東園書。玄々堂画。珍水徴序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]順天堂塾蔵板。島屋平七ほか売出。【分類】理数科。【概要】中本二巻二冊。太陽暦に関する諸説を一問一答式に綴った教科書。ただし明治初年の「○○問答」という教科書によく見られる簡潔な記述ではなく、問いに対する答えが詳細で、関連知識を豊富に紹介するのが特徴。上巻(第一本)には巻頭に「太陽暦十二宮躔次(てんじ)の図」を掲げ、本文には「改暦の問答」以下一〇項を、また、下巻(第二本)には「地球の太陽を繞(めぐ)り一年を作(な)す説」以下一二項をそれぞれ収録する。太陽暦の概説にとどまらず、「閏年を知る算法」や「旧暦の月日を太陽暦の月次に化(な)す算法」など、暦法上の各種計算方法にも言及する。また、近世の『大雑書』等に見られる吉凶事などの迷信を一掃しようとする意識も強く、科学的な観点から暦法を捉えようとする点は大きな変化である。なお、上巻巻頭に「太陽暦之歌(漢詩文)」、下巻末尾に「太陽暦の和歌(「一三五七八十や十二月、日数三十一日と知れ」など三首)」を掲げる。〔小泉〕
◆たかさきおうらい [2360]
高崎往来‖【作者】不明。【年代】天保(一八三〇〜四四)頃書。【分類】地理科。【概要】縦長本一冊。「上野国群馬郡赤坂之庄和田之郷高崎古来者、和田六郎兵衛義信公鎌倉より落て居住す…」と筆を起こして現・高崎市方面の歴史と地理を略述した往来。まず和田義信や井伊直政以来の沿革や慶長三年の町割で「高崎」と称するようになった経緯に触れ、続いて、方位別に高崎宿内の町々や寺社(あるいはその縁起・宗旨・祭礼等)の名称を列記する。本文をやや小字・八〜九行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たかさきほうがくおうらい [2361]
高崎方角往来‖【作者】不明。【年代】安永七年(一七七八)書。【分類】地理科。【概要】特大本一冊。群馬県高崎市方面の地理を綴った往来。江戸後期書『高崎往来』†とは別内容。「上陽府者、天正年中従同国箕輪引之而、以築之、経営畢。於是改地名号高崎云々…」と書き始め、まず天正年間(一五七三〜九一)以降の沿革や高崎の地勢・立地に触れ、続いて、同所の町名や宿駅・町並みの様相、各種物産や取引売買の盛んな様子、寺社の縁起・祭礼、庶民の風俗・遊芸、周囲の山々などを紹介する。同地の地理・歴史から経済・社会・風俗まで幅広く記述する点に特色がある。本文を大字・五〜六行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◇たかだめぐり [2362]
高田廻り‖【作者】位乗院秀栄作。【年代】天保一三年(一八四二)以前作・書。【分類】地理科。【概要】豊後国高田(大分県豊後高田市)地方の二五社の縁起・景趣と、各社を順礼する沿道の神社仏閣・名所のあらましを記した往来。「時候暖和に任せ、兼て示し合の通り、二十五社の順拝、近日打立、札所の順逆に係らず、片路の様なく、道筋の神社仏閣序に拝礼致すべく…」で始まる一通の書簡文で、琵琶島・第一一番常行枯木天神・雲鶴山常仙寺・慈雲山補陀寺から八坂権現・三ッ川長勝寺・中島飛天神・恵想寺・森村天神・岩松八幡までの寺社や名所を、古今の伝承・由来や霊験・景観・宝物等とともに紹介する。〔小泉〕
◆たかとおじしゃめぐり [2363]
高遠寺社巡‖【作者】北村勝七作・書。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『高遠御城下寺社巡』『高遠往来』。信州高遠藩の城下の寺社を歴覧する紀行文風に綴った往来。「兼々申談候通り、衣更着の彼岸中、いざや名に逢ふ高遠の、御城下に聞へたる、神社仏閣拝み巡り、是を次手に児童に、寺号・山号・宮社の、由来や又は文字をも、教知らせ申べくと…」で始まる七五調の文章で、高遠城(兜が城)・峯山禅寺・竜沢山桂泉院・白雲山西竜寺・諏訪明神以下の寺社とその縁起・景趣・宗旨などを略述する。作者は、上伊那郡河南村の手習師匠。〔小泉〕
◇たかやくねんちゅうぎょうじ/たかやくねんじゅうぎょうじ [2364]
高役年中行事‖【作者】羽根土倉蔵書。【年代】慶応三年(一八六七)書。【分類】社会科。【概要】中本一冊。「盛岡御城天守御三階、御本丸、御玄関、御殿廻、御広間、御納戸、御台所、御勘定御門、塀、外堀、櫓。御役人者、御席詰、御老中、御用人、御目付…」と筆を起こし、まず盛岡城の結構、城中・城外の諸役人の名称を列記し、さらに橋普請・河川治水、建築用材、鷹野場所・往還の整備、海岸の警備、参勤交代時の諸準備、年貢上納、寄進・祭礼、人足・雑役などの公務(高役)全般と役人心得を記した往来。本文を大字・六行・無訓で記す。本書は、奥州志和(紫波)郡小屋敷村(岩手県紫波町)で使用された往来物で、筆者・倉蔵は「奥州南部志和郡伝法寺通小屋敷村」の住人である。なお、本書とほとんど同内容の往来として、元治元年(一八六四)書『当用文記(当用文章)」がある。〔小泉〕
◆たかやまさんぶつし [2365]
高山産物誌‖【作者】土屋宗鑑作。【年代】江戸後期刊。[高山]なめりかわや(滑川屋)長三郎板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。飛騨高山で取り引きされる諸品・物産や諸職の名称を記した往来。「飛騨国大野郡灘郷・高山一之町を登れば、まづ御坊坂には飴菓子之類品々有之…」と筆を起こし、地域毎の産物や周辺から集積する物資を数多く紹介する。末尾では地域の諸職業や身体・疾病・化粧・芸能・人倫等、若干の語彙を列挙したうえ、「…女房・朋友寄集り、賑々敷、幾久目出度、子孫繁昌たるべきものなり」と結ぶ。地方の物産を扱った田舎板の往来として貴重である。〔小泉〕
◇たかやままち・はし・しゃじめいしょう [2366]
高山〈町・橋・社寺〉名称‖【作者】不明。【年代】明治二五年(一八九二)刊。刊行者不明。【分類】地理科。【概要】飛騨高山の町名を列挙した「高山町名称」(四九町名)、また同地の橋梁名をあげた「橋名」(七)、さらに同地の寺社名を集めた「寺名」(二六)、「神社」(九)の四編を集めた往来。多くの地名に読み仮名を付す。〔小泉〕
◆たからぶねかつらのほばしら [2367]
宝船桂帆柱‖【作者】十返舎一九(十遍舎)作・序。歌川広重(安藤広重・一幽斎・一遊斎・一立斎・立斎)画。【年代】文政一〇年(一八二七)序・刊。[江戸]岩戸屋喜三郎(栄林堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『多可羅婦祢』。中本二編二冊。前編は諸職人の図と関連の狂歌を職業毎に掲げたもので、冒頭の「番匠(だいく)・鋸のめでたき御代の例(ためし)とて、けふや子の日の松の木をひく」以下三八業種(三八首)を載せる。頭書には、「百工具之図」「家宅之用」(『永久家宅往来』†の頭書とほとんど同じ)を掲げる。後編は、前編と同様の体裁で諸商売をテーマにした往来である。呉服屋・両替屋・材木屋・金物屋・米屋・小間物屋・酒屋など三八業種の絵図と狂歌を載せる。また後編の頭書には「手製諸食品類」(これも『頼光山入往来』†の頭書にほとんど同じ)を掲げる。以上の二編は、前編が『〈狂歌絵入〉職人尽』†、後編が『〈狂歌絵入〉商人尽』†の書名で、文政一〇年の刊記を付す単行本としても刊行された。〔小泉〕
◇たきもとしゅんぷうじょう [2368]
滝本春風帖‖【作者】松花堂昭乗書。【年代】江戸後期刊。[江戸]和泉屋庄次郎板(後印)。【分類】社会科。【概要】大本一冊。春風を詠んだ漢詩文から始まる詩歌(和歌・漢詩文)各一四編と、「瀟湘八景」†を綴った大字・無点の手本。〔小泉〕
◆たきもとしょさつならびにわか [2369]
滝本書札〈並〉和歌‖【作者】松花堂昭乗書。【年代】江戸中期刊。[大阪]柏原屋清右衛門(渋川清右衛門)板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「太刀・小袖を進上する状」以下の書状一五通と「ほとゝきすいつかとまちしあやめ草、けふはいかなるねにか鳴へき」以下の和歌九首を綴った手本。主として知人とやりとりする私信を収録し、中には「風呂焚き招待状」といった生活感のある文面も見える。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たくあんじょう [2370]
沢庵状‖【作者】某英子書。【年代】安永五年(一七七六)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。安永五年写本『女今川〈并〉女小学』中に所収。「御手前万事御才覚肝要に候。先書に何事も天道次第との御文躰尤其分成も候へとも、唯、善天天道より金銀米銭を与事は無之候…」で始まる一通の手紙文(沢庵の書状に仮託)で、天道の働きと人間の才覚の重要性を説いた往来。「天道は此方次第の物」であり、才覚を働かせ、「借銀・借米」をせず、分限に応じた生活、要は「心たに信の道に叶ひなは、祈らす迚も神や守らん」の心構えで生活すべきだと説いて締め括る。大字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たけこまもうで [2371]
〈頭書絵抄〉竹駒詣‖【作者】燕石斎薄墨作。【年代】文政五年(一八二二)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門(裳華房)板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。仙台から竹駒稲荷(宮城県岩沼市)までの名所旧跡・神社仏閣、ならびに竹駒稲荷の景趣・縁起等を記した往来。「這回(このたび)御心願之儀、被為有、竹駒参詣思召立候に付、御案内傍御供可申旨、致承知候…」で始まる手紙文の体裁で、芭蕉の辻から出発し、五軒茶屋・広瀬川・大年寺・長町・諏訪明神・名取川・中田町・前田川天満宮・熊野権現等をめぐって、岩沼町・竹駒神社に至る道順のあらましを紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「同神社全景図」、頭書に広瀬川以下の沿道風景図と「仙台三十三番御詠歌」掲げる。〔小泉〕
◆たけだおちぼじょう [2372]
竹田落穂帖‖【作者】新井精斎(元禎・万輔・嶺松軒・東寧・鞭羊居愚僊)作。【年代】文政九年(一八二六)作・書。【分類】地理科。【概要】異称『竹田往来』。佐渡国雑太(さわた)郡竹田郷真野村(佐渡郡真野町)の沢田城(檀風)の由来や歴史、また城下の神社仏閣・名所旧跡の縁起・景趣等を述べた往来。冒頭部で「…抑、此竹田村者、往古本邦之府中、称雑太郡雑太村、何頃致竹田、不知其来由…」と地名の由来から書き始めるが、「古老之膾炙難信用…」と考証的姿勢も示す。以下、同地の地勢・自然、領主・本間氏と檀風城の沿革や威容、城郭の様子、また城下の地名・名所・寺社の縁起・景趣・祭礼、四季の風景などを記す。重写本は大字・五行・無訓の手本様に記す。なお、同じ作者による往来に『多田往来』†がある。〔小泉〕
◆★たけだてならいじょう [2373]
武田手習状‖【作者】梅花堂天年(梅華堂)作・書。【年代】嘉永二年(一八四九)書・刊。梅花堂天年蔵板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈手習状之事〉武田信玄公御教訓書』『手習教訓状』『信玄手習帖』『信玄公手習状』。大本一冊。武田信玄が永禄元年(一五五八)五月に書き記した教訓書に仮託して、手習いの心懸けを中心に日常百般の教訓を説いた往来。「夫、手習者、尋蒼頡・羲之源汲水、露遠波之流伝、空海・道風之筆道、磨玉、林烏玉之書、朝早起、濯口、攘意、読書物、夕遅寝、洗足、静性案義理。立身之基無過学文、貫道之器不如手跡。学詩以言、学礼以立者、魯人之庭訓也…」で始まる本文を大字・四行・無訓で記す。『童子教(実語教・童子教)』†『初登山手習教訓書(手習状)』†など中世の教訓書の影響が色濃い。〔石川〕
◇たけべでんないしょほうでん [2374]
建部伝内書法伝‖【作者】建部賢文(建部伝内・武部伝内・弦蔵・道孤)作。富田助之進(誉文)書。【年代】寛永一八年(一六四一)書・刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『筆道之事』。大本一冊。建部伝内が子息に対して書き付けた筆道心得を、高弟の富田助之進が書して上梓した手本。第一条「一、手習之時先心を幽玄に取静め、手本の心をさとり、ひち、手くひを料紙、机にもたせす、はやからす、遅からす可有御習事」以下の全一二カ条を大字・四行・無訓で記す。手跡稽古上の基本的心得とともに、伝内の書論の一端を述べたものである。〔小泉〕
◆たこくおうらい [2375]
他国往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】重写本は大本一冊。江戸・関東を中心に日本全国の名所旧跡・名物等を略述した往来。地理科往来に属するが、冒頭は近世流布本『商売往来』†に似ており、「平常取扱候文字者、金子百五十両、大判・小判・一歩・二朱等取交、銀者丁銀・豆板、佐渡通用之文字銀、都合二貫三百十五匁四分五厘、此等両替致…」と始まる。以下、以上の金銀を支度して、松前・奥州から関東を経て、伊勢参詣を果たし、次いで京都を巡って敦賀へ抜け、佐渡へ戻る順礼の旅を想定しながら、江戸を中心とする名所のいくつかを点描する。各地を順々に紹介するだけではなく、日光山東照大権現・東叡山寛永寺など特定の名所に焦点を当てて記述するのが特徴。佐渡で使用された幕末の往来であろう。重写本は大字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ただおうらい [2376]
〈佐州〉多田往来‖【作者】新井精斎(元禎・万輔・嶺松軒・東寧・鞭羊居愚僊)作。【年代】文政(一八一八〜三〇)頃作。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。佐渡国羽茂(はもち)郡多田(駄太)村周辺の地理を記した往来。「羽茂郡多田村者、三方山に而、対海船泊り也…」で始まる文章で、多田村の地勢・人口・石高・町名、諸国との流通、村内の産物(日用品)、質素・勤勉な風俗、寺社(特に諏訪大明神に詳しい)、重陽の祭礼の様子、水産業・水産物(魚貝類)、古領主・本間信濃守の城跡などについて略述し、最後に、徳行・忠孝に励むべきことを諭す。重写本(日大本)は大字・七行・無訓で記す。著者はもと上州厩橋の人であったが、文化一二年(一八一五)に佐渡に渡り、新井氏の娘を娶って医業の傍ら子弟教育に努め、文政九年に『竹田落穂帖(竹田往来)』†等の往来物を著した。〔小泉〕
◆たちぬいおしえぐさ [2377]
〈西郷葆著述・島宗義徳書〉裁ぬひをしへ草(初編)‖【作者】西郷葆作。島宗義徳(東嶽)書。養拙閑民序。【年代】明治八年(一八七五)序・刊。[長岡]松田某板。【分類】女子用。【概要】異称『〈女童〉裁縫教草』。半紙本一冊。「夫れ、世に女子と生れては、習ふべき事おほけれと、先第一は父母に孝、兄弟互に睦ましく、嫁しては夫に貞を立て、舅姑を尊敬し、幼き時は怠らず、手習・算術・裁縫等、ならふぞ女子の務めなり…」で始まる七五調の文章で、まず女子教訓一般に触れ、続いて、衣服裁縫に関する基礎知識(産着・三ッ身・四ッ身・本裁等の寸法、縫製上の男女の違い、織物・染物および産地等)を略述した往来。本文を大字・四行・付訓で綴る。巻頭に裁縫図(色刷り)と「一ッ身裁ち」「三ッ身裁ち」「四ッ身裁ち」「本裁(男製・女製)」の図を掲げる。なお、本書を改編したものが明治一〇年刊『裁縫のしをり』†である。〔小泉〕
◆たちぬいのしおり [2378]
裁縫のしをり‖【作者】浜真砂作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[長野]藤森平五郎(藤森舎)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈女童〉裁縫のしをり』。半紙本一冊。明治八年刊『裁ぬひをしへ草』†と同様の往来。「まをすもかしこき事ながら、眼にこそ見えね誰も皆、天津御神の結びにて、生れ出でたる事なれば、先第一に天地の、神を敬ひ父母に、孝を尽すぞ人の道…」と筆を起こして、まず女性に必要な嗜みと、その中での裁縫の重要性を述べ、以下、裁縫の基礎知識を七五調の文言で書き連ねる。本文を大字・四行・付訓で綴る。巻頭に、裁縫教訓歌三首と一ッ身裁ち・三ッ身裁ち・四ッ身裁ち・本裁ち(男製・女製)・羽織表裁ち・西洋巾両面物羽織表裁ちの図解を掲げる。本文・付録記事とも『裁ぬひをしへ草』と酷似した箇所が多い。〔小泉〕
◆たつたもうで [2379]
竜田詣‖【作者】不明。【年代】元禄(一六八八〜一七〇四)頃作か。江戸中期〜後期に多数刊行。【分類】地理科。【概要】異称『〈筆道幼学〉竜田詣〈倭文章〉』『〈頭書絵入・平仮名附〉新板竜田詣』『竜田往来』『立田往来』『竜田帖』『大和往来』『大和路往来』『五畿内名所』。流布本の多くは中本一冊。江戸中期から江戸後期にかけて広く流布した往来で、既に正徳五年(一七一五)刊『女童子往来』†(「大和廻竜田詣さそひにやる文」)や享保一九年(一七三四)刊『〈寺沢〉年中往来』†後半部にも収録されている。『往来物分類目録』は近松門左衛門による元禄頃の作と記すが、現存の単行刊本では宝暦六年(一七五六)刊『竜田詣〈并散艸〉』†(大本)が最古である。諸本によって内容に異同があるが、正徳五年の「大和廻竜田詣さそひにやる文」は、「日来(ひごろ)申合まいらせ候竜田詣の御事、紅葉も漸々時分にて候まゝ、何比(いつごろ)覚し召、御立候はんや…」で始まり「…御目にかゝり御物かたり申まいらせ候。めでたくかしく」と結ぶ女文形式で奈良より大和路をたどって竜田に遊び、次いで大坂を経て京都に至るまでの名所旧跡・神社仏閣等を紹介する。ただし、後世に流布したのは、「内々竜田詣之事、紅葉も漸可得時候…」で始まり「…猶又東山之参会、近日之条、心緒期其節候。穴賢々々」で終わる享保一九年本所収の「竜田詣」の方である。〔小泉〕
◆たつたもうでならびにちらしぐさ [2380]
竜田詣〈并散艸〉‖【作者】長雄耕雲書。浦井丞右・船田雅通跋。【年代】宝暦六年(一七五六)刊。[江戸]鶴本平蔵(常春堂)板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。前半「竜田詣」†後半「仮名文章」から成る手本。『竜田詣』と銘打った単行刊本としては現存最古。「竜田詣」は流布本(享保一九年(一七三四)刊『〈寺沢〉年中往来』†所収の「竜田詣」)と同内容で、「内々の立田詣の事、紅葉も漸時分にて候。何頃おほし召立候はんや。そこもと次第に候。此月中頃よく候はん哉…」で始まる本文を大字・四行・無訓で記す。また「仮名文章」(冒頭丁には「仮名の一ノ十」とある)は、「新年祝儀状」から「嫁入りする人への教訓状」までの四季折々の手紙、諸用件の手紙など三〇通(全文散らし書き)を収録したもの。〔小泉〕
◆たてぶみこんれいしょれいぎ [2381]
竪文婚礼諸礼儀‖【作者】不明。【年代】江戸中期書か‖【分類】女子用。【概要】特大折本一帖。目上への婚礼祝儀、同輩への婚礼祝儀、里入・部屋見舞、婚礼振舞の案内、歯黒染・岩田帯祝儀、安産祝儀、普請成就祝儀に分け、それぞれ一・二通の竪文(散らし書き)の実例をわかりやすく例示した手本。礼儀作法書というよりは、婚礼に関わる形式的で煩瑣な手紙の書き方を、実用に即した例文で示そうとしたものであろう。〔母利〕
◇たなかおうらい [2382]
田中往来‖【作者】三井慎斎書。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】甲斐国山梨郡一丁田中村(山梨県東山梨郡)の沿革や領域、寺社、施設などを略述した往来。「甲斐国山梨郡栗原筋一町田中村者、往古高五百七十五石三斗三合之村方に候之処…」と筆を起こし、正徳四年(一七一四)の検地による反別改めの推移や田畑石盛などについて延べ、寺社社領(御朱印地・御黒印地)、除地、用水、御普請橋などを紹介する。本書は同地寺子屋師匠の慎斎旧蔵書というが、慎斎の作か。〔小泉〕
◆たなばたうたづくし [2383]
〈新版〉七夕哥尽し‖【作者】桃笑斎天羅作。【年代】文化六年(一八〇九)刊。[江戸]伊勢屋金兵衛(栄樹堂)板。【分類】社会科。【概要】中本一冊。「ほしまつるにはのともし火九のへに、あひあふかすも空にしるらん」(後柏原院)以下一〇〇首の七夕和歌を集めたもの。半丁に四首ずつ配列し下方に和歌の作者を記す。本文をやや小字・八行・付訓で記す。見返に七夕風景(天の川)の図を掲げる。〔小泉〕
◆たなばたうたづくし・はさみざいくもんきりがた [2384]
七夕うたづくし・はさみ細工紋切かた‖【作者】不明。【年代】文化六年(一八〇九)刊。[江戸]美濃屋千八(千寿堂)板。また別に[江戸]吉田屋三次郎板あり。【分類】社会科。【概要】異称『七夕歌づくし』。中本一冊。『七夕うたづくし』と『はさみ細工紋切かた』から成る往来。『七夕うたづくし』は七夕詩歌(歌四八首・漢詩六編)を集めたもの。『はさみ細工紋切かた』は、正方形の紙を半分に折った状態(一ッ折り)や、一ッ折りをさらに二分〜五分割(二ッ〜五ッ折り)した状態で鋏を入れて特定の紋所を作る方法を図解したもの。実用性も備えるが一種の遊戯書である。なお、この両者はそれぞれ単行本でも刊行されている。〔小泉〕
◆たなばたしいかしゅう [2385]
七夕詩歌集‖【作者】千秋庵作・序。歓会堂補。流渡亭吉正画。【年代】天保二年(一八三一)序・刊。千穐庵板。【分類】社会科。【概要】異称『七夕の詩歌』。中本一冊。筆道指南の筆者が門人の児童のために編んだ七夕詩歌集(小冊子)。まず「憶得少年長乞巧、竹竿頭上願絲多」以下六編の漢詩を掲げ、続いて「秋の夜をながきものとはほし合の、かげ見ぬ人のいふにぞありける」(能因法師)以下一一四首の和歌を並べるが、うち冒頭二一首の名歌には作者名を記す。本文をやや小字・九行・付訓で記す。巻頭に歓会堂による七夕由来の記事と流渡亭画の「七夕まつりの図」を載せる。〔小泉〕
◆たなばたしいかしゅう [2385-2]
七夕詩哥集(異本)‖【作者】松亭漁父作・序。静斎英一画。【年代】江戸後期刊。[江戸]丁子屋平兵衛(文渓堂)板。【分類】社会科。【概要】異称『七夕詩歌集』。中本一冊。巻頭に序文を兼ねた「七夕の由来」と「七夕の図」を掲げ、続く本文でまず「七夕詩」数編を列挙し、その後で「七夕和歌」一七五首を収録する。本文をやや小字・八行・付訓で記す。また、色刷り表紙に秋の七草をあしらった大和綴じ和装本を描き、その表紙に書名を刷り込む。〔小泉〕
◆たなばたしうたづくし/たなばたしいかづくし [2385-2]
七夕詩哥つくし‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[名古屋]松屋善兵衛板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。半丁を三列三行の九升(漢詩文は三列四行の一二升)に分けて界線を設け、各升に七夕詩歌一編ずつを掲げた往来。全四丁半のうち三丁半が和歌で残りが漢詩文という構成で、「あひ見ても猶行末の契りをや、結ひかさぬるたなはたの糸」以下六三首と、「斜漢没時人不寝」以下の二四編を掲げる。刷表紙に七夕飾り等を描く。〔小泉〕
◇たなばたのしいか [2386]
七夕の詩歌‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]大黒屋平吉板。【分類】社会科。【概要】中本一冊。七夕詩歌を集めた簡易な往来。冒頭に「憶得少年長乞巧、竹竿頭上願絲多」以下四編の七夕漢詩を載せ、続けて、「あきのよをながきものとはほしあひの、かげ見ぬ人のいふにぞありける」以下三〇首の七夕和歌を掲げた小冊子。本文をやや小字・一〇行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆たなばたゆらい・どうひゃくしゅ [2387]
七夕由来〈同〉百首‖【作者】橋本貞秀(玉蘭斎・蘭斎・歌川貞秀・五雲亭・寿山・橘庵)画。【年代】江戸後期刊。[江戸]菊屋幸三郎(金幸堂)板。【分類】社会科。【概要】中本一冊。「七夕の由来」と「七夕詩歌」を合綴した往来。七夕詩歌(漢詩一三編・和歌一〇〇首)を収録する。漢詩と和歌を交互に掲げ、大字・五〜六行・ほとんど付訓で記す。巻頭に「七夕祭の図」一葉に続けて「七夕の由来」を載せる(やや小字・九行・付訓)。ここで、七夕の風習は「女児の戯れ」であり、「一時の玩」とするのはよいが、これを事実と思ってはならないと諭している。〔小泉〕
◆たなばたろうえいしゅう [2388]
七夕朗詠集‖【作者】竹堂丈雨作。池晋(南岳)・幽篁庵祐之序。篁邨ほか画。稲掛庵万古跋。【年代】嘉永六年(一八五三)序・刊。[江戸]岡田屋嘉七(尚古堂)板。【分類】社会科。【概要】中本二巻二冊。童蒙手習い用に、七夕に関する故実・由来の記事や、七夕を詠んだ古今の詩歌・連俳を数多く集めて一書に編んだもの。類書中最も浩瀚なものの一つ。上巻巻頭に「宮中乞巧奠図」(色刷り)を掲げて、その故実・式法を略述し、続いて「乞巧奠」「二星」「星合」「男女棚機異名」「七姫」「天河」等の語源・異名や「七夕故事」等について諸書からの引用によりこれを紹介し、さらに七夕の漢詩文の数々を列記する。下巻には、「天の川月のみふねののほり瀬に、みかくひかりやわたる玉はし」以下の和歌と、「たなはたや秋をさたむるはしめの夜」(芭蕉)以下の発句を列挙する。本文をやや小字・六〜八行・無訓で記し、口絵や本文中に複数の画家による色刷り挿絵数葉を掲げる。〔小泉〕
◇たなばたわかしゅう [2389]
七夕和歌集‖【作者】神谷永平(元平・亀之助・梧屋・永楽屋)作・跋。【年代】嘉永四年(一八五一)刊。[名古屋]神谷元平蔵板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。「よろつよにきみそみるへき七夕の、ゆきあひのそらはくものうへにて」以下二〇三首の七夕和歌を収録した小冊子。いずれも『明題集』に見える和歌で、先行の古板本を校訂したものという。本文を小字・一三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たまきしょうそくてほん [2390]
玉置消息手本‖【作者】玉置某書か。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】折本一帖。将軍宛ての披露状(新年祝儀状、薯蕷献上の書状等)から、『易経』講釈の聴聞の命に対する礼状(柳沢出羽守宛ての披露文)までの七通を収録した手本。ただし、識語・刊記等が欠けており例文数も少ないことから、現存本は零本とも思われる。一折(二頁)に大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆たまのはやし [2391]
玉のはやし‖【作者】猪瀬尚賢(直方・方平・譲之助・丈之助・晴雪楼)作・書。【年代】天保一五年(一八四四)作・刊。[江戸]播磨屋喜右衛門(播磨屋勝五郎・鈴木喜右衛門・文苑閣)板(文久二年(一八六二)板)。【分類】教訓科。【概要】異称『寺子教訓瓊林』。半紙本一冊。手跡稽古する者の心得を孝を基本に説いた教訓。古来より読み書きが人の教えの基本とされてきたことや、父母の高恩や師恩に報いるように手習いに出精すべきこと、文房具を大切に扱うことなどを、『六諭衍義大意』†や教訓歌・金言などを引きながら説く。本文を大字・四行・無訓で記す。なお、本書には横本仕立ての異板もある。〔小泉〕
◇たんかいじょう/おうみじょう [2392]
淡海状‖【作者】遍照光院作。真賢(島岡某か)編・書。【年代】江戸中期書か。【分類】地理科。【概要】大本一冊。近江国善積(よしづみ)郡(滋賀県高島郡)、特に琵琶湖の由来とその美景・風土などを女文形式で綴った往来。「頃日仰下され候淡海国の事、当州は平安城の東に隣れり、または近江共申、いづれも湖海によて名を得しと南…」で始まり「…いつれ御現(見)のふしとあら聞伝えしまゝ示しまいらせ候。かしく」と結ぶ文章を大字・六行・付訓で記す。また、後半では大津浦から石山寺への経路で近江八景を略述する。なお編者は高野山の快賢に学んだ真賢と考えられるから、本往来は彼が没した正徳二年(一七一二)以前の編・書である。なお、本書と同様の往来に『湖水賦』†がある。〔小泉〕
◆たんごおうらい [2393]
〈童蒙必読〉単語往来‖【作者】本多栄雄作。自在居士跋。【年代】明治七年(一八七四)刊記。明治八年跋・刊。[東京]思明楼蔵板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈官許〉単語往来』『童蒙必読維新単語往来』。中本一冊。連綿と続く文章中に種々の単語を類語毎にまとめて列挙した往来。まず「夫、単語とは単(ひとつ)の語(ことば)と云うことにして、童児入学の初め多くの物名を覚ゆるため、勉めて暗記すべき也…」と単語学習の心得を示したうえで、数字、方角、形、色、度量衡、貨・札、田尺、時令、天文、地理、国名、居処、人倫、身体とその働き、衣服、布帛、飲食、器財、兵器、文房、楽器、農具、船具、馬具、日用機械、金石、穀菜、果類、草木、鳥獣の順に基本語彙を紹介する。本文を大字・四行・付訓で記し、しばしば左訓も施す。〔小泉〕
◆★たんごごせんじ [2394]
〈吉岡孝始著・真行両点〉単語五千字‖【作者】吉岡孝始編。村田海石書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[大阪]河内屋喜兵衛(柳原喜兵衛)板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈吉岡氏〉単語五千字』。半紙本一冊。日常生活に必要な語句を網羅的に集めた往来。方形・色・天文・地理・居処・時令・度量衡并貨・人倫・身体・布帛・衣服・器戝・金石・殻菜・草木・菓実・飲食・魚蟲介・鳥獣の二〇門に分けて合計約二三五〇語(約四五〇〇字)を収録する。本文を行書・大字・三行・付訓(両点)で記し、各漢字の左側に楷書を小字で添える。なお、『大阪出版書籍目録』では小川弘蔵(含章・民徳)編とする。〔小泉〕
◆たんごせんじもん [2395]
〈小学必読〉単語千字文‖【作者】赤松千春(定七)作・序。藤田安利(竹所・知卿)書。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[宇都宮]田野辺忠平(万年屋忠平)ほか板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。近代社会生活に必要な語彙を集録した『千字文』型教科書。漢字一字または二字の語彙をある程度類語でまとめて列挙する(合計一〇〇〇字)。ほぼ天地・日月・自然(現象)・樹木・田地・農耕具・農耕施設・租税・気候・穀類・野菜類・魚貝類・醸造物・菓子・果実・商業用語・衣類・織物・器財・道具・家屋・工具・寺社関係の順に掲げる。「天文・地理・人倫・陰陽・昼夜…」で始まる本文を大字・三行・無訓の手本用に記す。巻末「単語千字文音訓」にやや小字・六行・付訓(左訓)の本文を掲げる。〔小泉〕
★たんごぞうし [2395-2]
〈近藤保著〉単語草紙(初輯)‖【作者】近藤保作。栗田大三郎(泰)書。【年代】明治七年(一八七四)以降刊。[岡崎]伊藤文造(本屋文造・環翠堂)板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。「凡単語のうゐ学ひ、一二三四と数とりて、五六七八つみかさね、九十百千万々を、億と唱ふる方言に、東のかたは吾妻ぞと…」で始まる七五調の文章で基本的な日用単語を列挙した往来。数字、方角、色彩、度量衡、貨幣単位、時候、天文、地理、建造物、住居、人倫、身体、衣食、学芸、軍事、産業、日用品、金石、穀類・野菜・果物、草木、鳥獣・魚介・虫類等の語彙を列記した後、「広き世界に蠶卵紙、我国産の第一と、こゝに筆をそとゝめける」と結ぶ。本文を大字・五行・付訓(所々に左訓)で記す。頭書には「帝系」「大日本帝号詞(神武天皇から明治天皇までの歴史を綴った七言詩)」を掲げる。〔小泉〕
◆たんじょうじもうで [2396]
〈房州小湊〉誕生寺詣〈和文章〉‖【作者】高井蘭山(伴寛)校。【年代】文化九年(一八一二)刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。また別に[江戸]鶴屋金助(双鶴堂)板(後印)あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈房州〉誕生寺詣』『小湊誕生寺詣』。中本一冊。江戸日本橋より安房小湊(千葉県小湊町)・誕生寺に至り、再び江戸へ戻るコースで、誕生寺を始めとする沿道の宿駅・名所旧跡・神社仏閣の景趣や縁起を記した往来。「小湊誕生寺の順路は、日本橋・千住・葛西・新宿より八幡を本道とすれとも、手軽の旅行には小網町より船にて総州行徳より上り…」と書き始め、船橋人丸神社・検見川浅間神社・寒川弁財天・不動ヶ滝・小田喜川等の寺社・山川などを紹介し、続いて、日蓮上人誕生に因んだ誕生寺の由来や宗旨・結構、さらに周辺の寺社や帰路各地の名所に言及する(文中で、袖ヶ浦から八幡中山辺については『真間中山詣』†に記したため省略すると断る)。参詣地と参詣路の双方をおしなべて記述するのが特徴。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「房州小湊誕生寺図」、巻末に「小湊参詣道法」を載せる。〔小泉〕





◆ちかかくげんわかい/ちかかくげんわげ [2397]
治家格言和解‖【作者】谷口陶渓(子寛・寛平)作・跋。谷口豊五郎編。土肥直康(樵石)書。蕣舎正風・細川潤次郎序。【年代】文久二年(一八六二)作・跋。明治三二・三五年(一八九九・一九〇二)序。明治三六年刊。[東京]近江屋半七(吉川半七)板。【分類】教訓科。【概要】異称『治家格言和解歌』。半紙本一冊。明末・朱栢廬作『治家格言』(全六〇条の生活教訓・処世訓)を五四段に分かち、それぞれ主旨を和解した教訓歌を添えた往来。『治家格言』を注釈文ではなく和歌によって理解させんとした点に特色がある。例えば冒頭の「黎明即起、灑掃庭除、要内外整潔」には「朝はやくおきて水うちはゝきとり、にはも家うちもはらひ清めよ」の教訓歌を付す。本文と教訓歌を含め、半丁にやや小字・九行・無訓で記す。自跋によると、『治家格言』は佐賀藩内の童蒙教訓書として広く用いられたが、「庶民子弟にはやや難解である」との友人の指摘により本書が編まれることになった。編者・豊五郎は陶渓の孫で、巻末には著者の子・中秋による「陶渓先生小伝」(文久三年作)を掲げる。〔小泉〕
◇ちがくことはじめ [2398]
地学事始‖【作者】松山棟庵作。慶応義塾序。【年代】明治三年(一八七〇)序・刊。[東京]慶応義塾蔵板。【分類】地理科。【概要】中本三巻三冊。米国の地理書・歴史書などから訳出して編んだ世界地理の教科書。原書では米国から記述するのを改めて、日本・アジアを巻頭に載せる。巻の一では、まず世界の形状、地動説、地球の表面と区分、人種などを総論的に紹介した後で、「亜細亜洲(中国以下九カ国)」の地理・歴史・産業・社会・文化・生活・風俗等を記す。以下同様に、巻の二では「欧羅巴洲(英国以下一八カ国)」、巻の三では「阿非利加洲(馬留馬里伊(バルバリイ)以下一七カ国)」、「北亜米利加洲(露土亜亜米利加(ロシヤアメリカ)以下五カ国)」、「南亜米利加洲(古論備屋(コロンビヤ)以下一二カ国)」、「大洋洲(波蘭西亜(ポリネシア)以下三カ国)」のあらましを紹介する。挿絵や国旗図(色刷り)を所々挟むほか、各巻に各洲毎の折込地図(色刷り)を掲げる。〔小泉〕
◆ちがくしょほ [2399]
〈大日本国〉地学初歩(巻之一)‖【作者】高田義甫作・序。三木光斎(蓮池散人)画(縮図)。【年代】明治五年(一八七二)刊。[東京]又信堂蔵板。雁金屋元吉(雁信閣)ほか売出。【分類】地理科。【概要】半紙本二巻二冊(巻之一)。目録によると一〇巻(二〇冊か)で、巻之一「総論」、巻之二「武蔵国」、巻之三「五畿内」、巻之四「東海道」、巻之五「東山道」、巻之六「北陸道」、巻之七「山陰道」、巻之八「山陽道」、巻之九「南海道」、巻之一〇「西海道・北海道(附録)・総論附録」から成るが、現存するのは巻之一(上下二冊)のみ。巻頭に「地球図説(東西半球図)」「日本全図」を掲げ(いずれも色刷り)、前付記事に「地球説略」・地球円体説訳述」「地球輪転説」「地球図説」「大洲図説」「大洋図説」を載せる。本文は、地球上の日本の地理的位置と国土のあらましから記述し始め、以下、本文の大半を神話・神代から徳川幕府滅亡・王政復古・文明開化など明治初年までの政治史や、郡県制など統治の変遷、畿内八道の沿革・現況・名所旧跡・物産、異国との関係・貿易など日本史を中心に紹介して「総論」とする。本文を大字・五行・付訓で記し、頭書に「大日本辨并開闢略記」と挿絵を掲げて本文の補足とする。〔小泉〕
◆ちがくのしおり [2400]
〈導歌〉地学のしをり‖【作者】島次三郎(圭潭・桂潭・東洲楼)作。【年代】明治五年(一八七二)作・刊。[東京]高木和助(富山堂)板。また別に[東京]関思明蔵板、高木和助売出(後印)もあり。【分類】理数科。【概要】異称『地学乃枝折』。半紙本一冊。地学・地理学についての基礎知識を五・七・五・七・七の和歌形式(本書ではこれを「導歌」と称する)で綴った往来。例えば冒頭には「一回り昼夜をなして三百と、六十五回一年をなす」と大字で書き、付随する知識として「まはりつゝ地球の走り行道は、軌道といふて何時もかわらず」と割注様の小字で添える。このような和歌形式で「地球の回る数」「軌道の里数」「地球の太陽を距る里数」「地球の形状」「赤道」「緯度」「軽度」「五帯の区別」「土地の寒暖」「風」「潮の満干」「三大陸」「五大洲」「五大洋」「五洲幅員」「五人種」など二六項について説く。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書「詳解(ときあかし)」に本文の補足説明や図解を付す。なお、見返や本文冒頭に「東洲楼主人(著)」と記すものと「島次三郎著」と記すものがあるが、前者が初刊と思われる。〔小泉〕
◆ちがくのふみ [2401]
〈訓蒙図解〉地学のふみ‖【作者】色川御胤(産霊舎)作・序。村田某校。松井西埜書。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]産霊舎蔵板。山城屋佐兵衛(稲田佐兵衛)ほか売出。【分類】理数科。【概要】異称『〈訓蒙図解〉地学之文』。半紙本三巻三冊。「新暦之御慶、四海同風愛度(めでたく)申納候…」で始まる新年状から一二月の歳暮祝儀状までの手紙文形式で地学の基礎を綴った教科書。各月往復四通の問答文、すなわち合計四八通からなり、地理学(地学)の概要、地球の表面・形状・規模、三大陸、海陸地形、自転・公転、世界の人口・人種、主要国の政治制度、赤道・経緯度、冬至・夏至および気候などについて、随時図解を掲げて説明する。本文を大字・四行・付訓(稀に左訓)で記し、巻頭に色刷り「輿地之図」(東西半球図)を載せる。〔小泉〕
◆ちがくもんどう [2402]
〈西洋〉地学問答(初編)‖【作者】橋爪貫一(松園)作。塚田為徳書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]大和屋喜兵衛(江藤喜兵衛・宝集堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『地学問答』。半紙本一冊。書名のように問答体で地学の基本を綴った教科書。例えば、冒頭では「我々が棲活(せいかつ)する所の地球は幾許洲に区別するや」との問いに対して、「五大洲に区別す。即ち亜細亜・欧羅巴・亜非利加・南北亜墨利加等なり」と解説する。以下、短文の問いに対して、長文で亜細亜と欧羅巴洲の国名・首府・地形・気候・物産・人種のあらましを述べる。問答体教科書ではやや珍しく、読本兼手本の体裁で大字・四行・付訓(稀に左訓)で記す。また、例えば「氷海」には「Arctic sea」、「太平洋」には「Pactic ocean」のように任意の地名に英語表記を付す。巻頭に色刷りの東西半球図、本文中に両洲の色刷り地図を掲げるほか、頭書に地学の基礎知識を図解とともに記す。なお、題簽下部のみに「初編」と記すため、二編以降に亜非利加・亜米利加等の地域を予定していたものと思われるが未詳。〔小泉〕
◆ちがくようぶんしょう [2403]
〈女訓〉地学用文章‖【作者】坂昇平(坂棧平・松濤軒・佐香松濤)作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]中島静助(清白堂か)ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈女訓絵入〉地学用文章』。半紙本二巻二冊。全二〇通の往復書簡(女文)による問答形式で、地学の基礎知識を綴った往来。まず「一筆申上まいらせ候。先頃は緩々御目もじにて数々御物語承り有りがたく存まいらせ候…」と起筆した手紙で、地球の形状や自転について問い、その返状で詳しく平易に説く。以下、地理書の概要と基本事項(地球と太陽の距離、地球の運動、地表・大陸・五大洲・海陸地形等)、潮汐・引力・大気、言語・宗教・法政・政体、五大洲主要国(オランダ・ドイツ・ロシア・アメリカ・オーストリア・フランス等)の沿革・地理国土・政治・文化のあらましを紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に図解や関連知識(日蝕・月蝕、経度・緯度・赤道・両極、大洋・五大洲、人種、大気、教法、政体、世界史、主要国概略)を掲げる。〔小泉〕
◆ちかみちおうらい [2404]
近道往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。東大本は『勧孝文』†ほかと合冊。小泉本は『教訓往来』†と合綴してあり、外題を『〈近道・教訓〉往来』とする。正徳三年(一七一三)刊『近道子宝』†の冒頭部を抽出したうえ若干の手直しをしたもので、「夫、童子之早く覚知へき事、先、日月の出る方を東と云…」と書き始め、天地・日月・地形・生物・通過儀礼・礼儀作法までを綴って、家業出精と子孫繁昌で締め括る短文である。〔小泉〕
◆ちかみちこだから [2405]
〈開化〉近道子宝‖【作者】松川半山(直水)作。湖林堂書。【年代】明治年間刊。[大阪]河内屋茂兵衛(群玉堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『習字(てならい)はじめ』。半紙本一冊。「習字はじめ」初〜四編と、「近道子宝(異本)」から成る往来。「習字はじめ初編」には五十韻・新いろは・数字・五行・五色・四時・八節・人倫・果類・野菜等の語彙、「同二編」には天文・地理・時令・身体・衣服・器材・染色・飲食・形等の語彙、「同三編」には本朝神代・人皇帝号・年号・南朝年号等の語彙、「同四編」には苗字尽や官制に関する語彙をそれぞれ収録する。巻末の「近道子宝」は、平井自休作『〈和訓〉近道子宝』†を明治初年の実情に即して改編したもの。本文を概ね大字・五行・付訓で記し、随所に図解を挟む。巻頭に色刷り口絵二葉(「小学校に教師生徒に地球の自転を示す図」「更鼓楼の図」)を掲げる。〔小泉〕
◆ちかみちこだから [2406]
〈和訓〉近道子宝‖【作者】平井自休作。観p堂(観樹堂)松隠書。【年代】正徳三年(一七一三)刊。[江戸]柳屋庄兵衛板。また別に[江戸]西村屋与八板(後印)、[江戸]須原屋市兵衛板(後印)、[江戸]須原屋茂兵衛板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『近道子宝文章』『早道童子宝』『〈童子智恵袋〉近道子宝』『近道子宝知恵袋』『童子智恵嚢』。初刊本は大本一冊で、後続の板種は概ね中本または大本一冊。手習い初学者に必要な衣食住・職業などの基本語彙と心得を綴った往来物。「童部(わらんべ)の時早く習しるへき事あり。先(まず)上をは天という、下をは地と云。月日の出る方を東といふ…」で始まり、天地・四方・四季・年号・十干十二支・日本国名・地形・生物・幼少時の通過儀礼・学習上の心得(学習すべき往来物として『手習状(初登山手習教訓書)』†『実語教』†『江戸往来』†『今川状』†『庭訓往来』†を挙げる)・布帛・衣類・食物・住居・武士用字・百姓用字・職人用字・商人用字・町人の利・神儒仏・芸能・禁制(童蒙にふさわしくない遊び)・富裕者になるまじないと倹約の誓い、の順に語彙や心得を列記する。初板本は大字・三行・付訓の手本用に記すが、後続の諸本は頭書に絵抄や関連記事を付す。また、本書は江戸・仙台・山形など東日本のみで板行・普及したのが特徴で、上方では『近道子宝』の書名での出版例はなく、京都では享保一五年(一七三〇)刊『示童宝鑑』†、大阪では明和五年(一七六八)刊『寺子宝久種(寺子幼訓往来)』†などの改編版が上梓された。このほか江戸では、本書の改編版『早道童子宝』†が明和(一七六四〜七一)以降に刊行されている。また、本書は基本語彙の学習に適していたことから、明治六年(一八七三)刊『文明捷径〉子宝習字章』†、明治初年刊『〈開化〉近道子宝』†など明治期の往来物にもしばしば模倣された。なお、文化一三年(一八一六)板『手紙之文言』広告中に初板本について「寺沢流観樹堂書」と記す。〔小泉〕
◆ちきゅうおうらい [2407]
地球往来‖【作者】広瀬為政作。高田義甫(墨田耕夫甫)序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]若林喜兵衛ほか板。【分類】地理科。【概要】半紙本二巻二冊。世界の主要国の沿革、国土、国勢、政体、文化などのあらましを七五調の文章で記した往来。冒頭「発端」は「地球の広さ万国の、多きをすべて大別(おおわき)に、いつゝに分けし五大洲…」と書き始め、世界の五大区分や各洲毎の風俗・人情の相違などを述べ、以下、亜細亜洲・阿非利加洲・欧羅巴洲・北亜米利加洲・南亜米利加洲・大洋洲の五大洲毎に主要な国名・都市名とともに関連知識を綴る。本文を大字・五行・付訓で綴り、地名には鉤括弧を付けて区別を明らかにするのが特徴。上巻巻頭には世界三五カ国の貨幣を図解(日本通貨との換算額も注記)した「〈万国〉貨幣概略」と東西半球図(いずれも銅版刷り)を掲げる。〔小泉〕
◆ちきゅうおうらい [2408]
地球往来‖【作者】万屋東平(栗田東平・蘇香)作。吉村明道(香雲)補。湯浅良(臥雲)序。鼎埜画。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[名古屋]永楽屋東四郎(片野東四郎・東壁堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『〈小学〉地球往来』。半紙本一冊。冒頭は「方今万国の景況御子弟へ示し被置度御志、御奇特の御事候…」で始まる書翰風に書き始め、途中から「先御世界の国々は、亜細亜・亜非利加・欧羅巴、北と南の亜米利加と、大洋洲とに区別して…」のような七五調の文章で、世界各国の地名・都府・産物・人種・風俗のあらましを記した往来。まず六大洲と五大人種の特徴を述べ、以下、亜細亜・欧羅巴・亜非利加・北亜米利加・南亜米利加・大洋洲の順に主要五〇カ国(一部島名を含む)について紹介する。本文を大字・四行・付訓で記し、地名に傍線を付す。巻頭に「海陸高低之図」を掲げる。〔小泉〕
◆ちきゅうぎもんどう [2409]
〈塩津貫一郎訳〉地球儀問答‖【作者】塩津貫一郎訳。【年代】明治八年(一八七五)刊。[京都]石田忠兵衛(文華堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『〈学校必用〉地球儀問答』。半紙本一冊。一問一答形式で地球に関する諸知識を述べた教科書。「問、地球儀トハ何ナリヤ」「答、我々ガ住居スル所ノ世界ニ儀リタルモノナリ」のような問答から始まり、地球儀の意味、地球の運動、太陽系の惑星、四方、地球の大きさや構造、引力、地軸、両極、経緯度、夏至線・冬至線、赤道、世界の気候・昼夜・四季、北半球・南半球、三大陸、六大洲の位置、五大洋、陸海の地形等について順々に述べる。本文を小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◇ちきゅうぎもんどう [2410]
〈小学〉地球儀問答‖【作者】堀野良平作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[名古屋]万屋東平板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。地球および五大洲に関する基礎知識を一問一答形式で綴った小学校用教科書。「地球儀トハナニナルモノヤ」から「各国有名ノ都府海港ハ如何」までの五五題について記す。地球の形状から始まって、経緯線、両極、気候、地表・地形、自転、また五大洲の主要な国名・都市名などを紹介する。本文を楷書・やや小字・八行・所々付訓で記す。巻頭には、東・西半球図(色刷り・銅版画)を掲げる。〔小泉〕
◆ちきゅうぎもんどう [2411]
〈庄野欽平著〉地球儀問答‖【作者】庄野欽平作。横関昂蔵校。【年代】明治九年(一八七六)刊。[大津]鳥居兵吉蔵板。小川義平ほか売出。【分類】地理科。【概要】異称『〈改正小学〉地球儀問答』。半紙本一冊。塩津貫一郎訳『地球儀問答』†の異本の一つ。「問、茲ニ旨シ見ス物ハ向ナリヤ」「答、地球儀ナリ」の問答から始まる一五〇項について一問一答形式で綴る。地球の形状・運動・規模、地球の表面・陸海の様子、引力、両極、経緯度、赤道、気候、四季、公転・自転、太陽、三大陸・五大洲、島嶼、五大洋、世界の主要な山・砂漠・山脈等について記す。本文を楷書・小字・一〇行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ちきゅうこくめい [2412]
〈内外旗章〉地球国名‖【作者】片山勤作。【年代】明治五年(一八七二)序。明治六年刊。[京都]竹岡文祐板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。『地球説略』等の書物によりながら、世界各国の名称や国土・人口等について記した教科書。六大洲(亜細亜・欧羅巴・阿非利加・澳大利亜・北亜墨利加・南亜墨利加)毎に諸国名を楷書・大字・四行・付訓で掲げ、続いて国体・面積・人口・別称等を示し(記していない国もある)、頭書に関連の地名を紹介する。国名を全て漢字表記で大書し、その読みを片仮名で小さく付記する。また各洲の初めに、その領域を記載する。巻頭に、「五人種図」「東・西半球図」と、各国の国旗を図解した「〈内外〉旗章便覧(日本の旗は御旗・臨時行幸旗・皇族旗など二九基。諸外国は朝鮮国旗以下七六旗)」を掲げるが、この前付部分は多色刷り。〔小泉〕
◆ちくばしょう [2413]
竹馬抄‖【作者】斯波義将(玉堂・雪渓)作。【年代】永徳三年(一三八三)作。天正一八年(一五九〇)書。享保七年(一七二二)刊。[水戸]本屋五郎兵衛(周文堂)板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。斯波義将が永徳三年二月に子孫に書き残したと伝えられる室町期の武家教訓書。近世では刊本等を通じて比較的よく流布したものと思われる。前文および一〇カ条から成る教訓で、箇条というにはかなりの長文も含まれる。前文に、武士は万事につけ「おほやけすかた」と「(公の)眼」を弁えるべきことや、武士の死のあり方について述べ、続いて、起居進退、親への従順、神仏への信仰、主君への奉公、公益優先、嗜むべき芸能、人材の活かし方、教養の必要、指導者の心得(叱責の仕方)、世の道理(叶わぬ望みに執着するな)といった事柄を列記する。本文をやや小字・八行・所々付訓で記す。なお、享保七年板の末尾には斯波義将の生没等の略歴を付す。〔小泉〕
◇ちくぶじまもうで [2414]
竹生島詣‖【作者】不明。【年代】寛政五年(一七九三)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。『羽黒行』と題した写本中に所収。琵琶湖北部の竹生島(滋賀県東浅井郡びわ町)の都久夫須麻(つくぶじま)神社および宝厳寺(竹生島観音)の景趣や縁起・由来、また、近在の旧跡・寺社の様子を記した往来。本文を大字・五行・無訓で記す。〔石川〕
◆ちごおうらい [2415]
知古往来‖【作者】武藤某書。【年代】万治三年(一六六〇)刊。[京都]秋田屋平左衛門板。【分類】消息科。【概要】大本二巻二冊。上巻に四季にちなんだ月々の往復文二四通(それぞれ往復書簡で差出人・宛名人を対応させる)、下巻に諸用件の手紙を主とする二九通(仮名文八通を含む。文面中心で日付や差出人・宛名人を全て省略)を収録した往来物。本文を大字・五行・付訓で記す。近世の消息科往来の先駆の一つで、仮名文の書止に「恐々」を用いた例文(下巻第四状)など近世初期以後消滅する古態が残存する点で重要であろう。これらの仮名文には、「かしこ」「かしく」の双方を用いるなど過渡的な傾向も見られる。また、下巻には類語集団(畑物・楽器・魚類)を含む例文を数通含むほか、本文中に「いろは」や「数字」も掲げる。巻末に、本書の筆者について「生産東海尾陽、武藤氏書」と記す。また、上巻扉絵の手習いをする稚児の図も武藤氏によるものと考えられるが、寛文元年(一六六一)刊『女筆往来』†の扉絵および本文の筆跡と酷似するため、『女筆往来』も武藤氏筆か。〔小泉〕
◆ちごきょうくん [2416]
児教訓‖【作者】宗祇法師作。【年代】室町中期作。【分類】教訓科。【概要】『群書類従』本は大本一冊。宗祇が青少年の教訓のために著した長歌で、中世寺院の世俗教育における童子の悪行を数々記した教訓。「つらつら惟んみるに、世の中の、わるき若衆の、ふるまひを、けふの雨中の、徒然さに、大かた爰に、書つくる、筆のすさびも、おこがまし、先第一に、かのみちの、そのたしなみは、きらひにて、人にはすねて、いふりにて、人せせりして、口ききて…」と起筆して悪童の怠学や不品行の限りを述べ、そのような少年の不躾や無様、また、不孝極まりないなれの果てを描いて戒めとする。末尾で、四季の風物やこの世の無常を説き、幼少年期の過ごし方を諭して締め括る。近世に入ってからも、本書を模した長歌形式の往来や、児童の悪態を主題とした往来が種々作られた。〔小泉〕
◆ちごそうめいしょう [2417]
稚子聡明章〈并桜尽・国尽〉‖【作者】小墻幸吉書。【年代】天保四年(一八三三)書。【分類】合本科。【概要】特大本一冊。「近道子宝」「桜尽」†「国尽」を合綴した往来。冒頭の「近道子宝」は正徳三年(一七一三)刊『近道子宝』†とほぼ同文だが、同書末尾の「習て益なき事」「禁制之事」などを削除し、「…偖、神儒仏道の内一道成とも貴て其教に至る人は天道に可叶もの也」と結ぶ。また「桜尽」は、安政四年(一八五七)書『桜尽し』†と同種の往来だが異文。「春霞、竜田の山のはつさくら、たか誠より咲そめて、彼岸さくらもめつらしや、妻木にはなを折添て…」で始まる七五調の文章で種々の桜の名称を列記する。最後の「国尽」はいわゆる『大日本国尽』†に同じ。本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ちさとようぶんしょう [2418]
〈注釈平仮名付〉千里用文章‖【作者】山田賞月堂書。【年代】嘉永二年(一八四九)刊。[京都]近江屋佐太郎ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「四季之部」「売用之部」「要用之部」の三部に分けて編んだ用文章。収録書状数はそれぞれ「年頭披露状」以下一七通、「店開申遣状」以下一二通、「未逢人え遣状」以下一七通で、合計四六通の文例を載せる。本文を大字・五行・付訓で記す。各書状はありふれたものだが、一〇通近くの準漢文体書簡をちらし書きにするのは異色で、所々に月の異名や書簡作法等(「月之異名」「四季之詞」「文章認心得」)を注記するのも特徴。巻末に「高下九品之事(端書高下・返事端書之高下・書留之高下・様殿高下)」「封状之式」「捻状之式」「結状之式」「廻状之式」「太刀折紙之式」「竪目録之式」などの書簡作法を綴る。なお、本書に「諸見舞祝儀之部」一五通と「諸証文手形請状之部」一四通を増補したものが江戸後期刊『泰平用文章』†である。〔小泉〕
◆ちとうじょうならびによしつねふくみじょう [2419]
池凍帖〈并〉義経含状‖【作者】大谷永庵書。【年代】享和元年(一八〇一)刊。[京都]近江屋重兵衛板。【分類】社会科・歴史科。【概要】特大本一冊。書名の由来は巻頭に掲げた『和漢朗詠集』からの詩歌「池凍東頭風度解、窓梅北面雪対春」によるが、『大橋先生池凍帖』†とは採録内容が異なる。本書は前半に『和漢朗詠集』から抜粋した詩歌計三〇編を大字・三〜四行・無訓で綴り、続いて『明衡往来』†巻上本からの抄録(計三通)と『義経含状』†をそれぞれ大字・三行・無訓で記した手本。〔小泉〕
◇ちもじのしるべ [2420]
千もじのしるべ‖【作者】深尾豊次郎作。宮崎玉緒(桜戸)校。遠藤茂平書。【年代】明治一九年(一八八六)刊。[京都]内藤彦一板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。周興嗣作『千字文』本文二句(八字)ずつを界線で仕切って上段に掲げ、その下にその大意を詠んだ和歌を掲げた教科書。例えば、冒頭「天地玄黄、宇宙洪荒」二句の概要を「天地(あめつち)はくろく黄にして初なく、終りもしらぬ大そらに」といった和歌で示す。半丁に八行、上段(『千字文』本文)を楷書・無訓、下段(和歌)を行書・付訓で記す。〔小泉〕
◆ちゅうがくかいぎょうしゅくし [2421]
中学開業祝詞‖【作者】槙村正直作・書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[京都]大黒屋太郎右衛門(書籍会社)板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。京都府下の中学校開設にあたって、参事である著者が生徒や父兄に贈った激励の祝辞をそのまま手本としたもの。冒頭に、国の盛衰は国民の人材いかんであり、その人材は幼時からの教育によることを述べ、続いて、府下の教育の優れていることや、その結果京都の文化が日々発展する様子などを説いた後、京都の恵まれた環境下で学問に出精して、世に益して国家に報いよと諭す。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ちゅうげんずいせんじもん [2422]
註玄瑞千字文‖【作者】玄瑞作。伊泉注・序。【年代】安永八年(一七七九)序・刊。[江戸]須原屋茂兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『玄瑞註千字文』。大本二巻二冊。北総州福岡県の眼医である玄瑞が編んだ『玄瑞千字文』に注釈を加えて上梓したもの。冒頭に楷書・大字・六行・無訓で掲げ、さらに四言二句毎に詳細な漢文注を施す。『玄瑞千字文』は、『古千字文(鐘千字文)』以外の漢字で綴った異本で、「乾健坤順、萠芽錯窮、淒゚雪ロ、瓏マ寤曚…」で始まる文章で天地・自然、人間社会、紂王・文王・周室・穆王以下古代中国政治の推移、春秋戦国〜秦・漢時代の政治家・思想家等の人物主体の歴史を述べる。〔小泉〕
◆ちゅうこうくんぷぶんしょう [2423]
忠孝君父文章‖【作者】扇貞三郎書。【年代】明治二七年(一八九四)書。【分類】教訓科。【概要】異称『忠孝君父之文章』。特大本一冊。『四民往来・忠孝君父文章』と題した写本中に所収。「主人江能忠勤、父母ニ能孝行仕候事者、面々具足候而、誰不教異見不及面目同意之当然為而…」と筆を起こして、日常生活における忠孝のあり方を諭した往来。享保一五年(一七三〇)刊『一代書用筆林宝鑑』†「三教門」所収の「忠孝君父文章」を大字・四行・無訓の手本に認めたもの。前半部の「四民往来」は寛政二年(一七九〇)刊『四民往来永楽通宝』†と同内容。〔小泉〕
◆ちゅうこうめいぶんしょう [2424]
〈教訓〉忠孝名文章‖【作者】柴宮輝山(信親・鱒堂)書。【年代】慶応二年(一八六六)書・刊。[江戸]大和屋作次郎板。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓忠孝名文章』。大本一冊。極めて長文の七カ条に分けて忠孝を詳述した教訓。各条とも「人の身の上は」「人の上におゐて」のような文言で始まるのが特徴。第一条「忠孝に徹した奉公人のあり方」、第二条「災難・不幸は不忠・不孝の結果」、第三条「兄弟・姉妹の和睦」、第四条「慈悲・憐愍」、第五条「家職への出精と分限に応じた生活」、第六条「学問および芸能」、第七条「礼儀正しく丁寧な態度」の七カ条を大字・五行・付訓の手本用に記す。〔小泉〕
◆ちゅうしゃくようぶんしょう [2425]
〈新撰絵入〉註釈用文章〈手紙案文独稽古〉‖【作者】藤村秀賀(鶴亭・春霞楼・光朝)注・序。【年代】慶応元年(一八六五)序・刊。[江戸]大島屋伝右衛門(武田伝右衛門・文永堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『注釈用文章』(原題簽に『註訳用文章』、首題に『注釈用文章』と記す)。中本一冊。「年始之文」から「平産を賀す文・同返事」までの二七通に詳細な割注を施した用文章。例文は、主に五節句・四季・吉凶事に関する書状で、各状とも数段に分けて大字・六行(証文類は八行)・付訓で記し、続いて語注・類語・書簡作法に及ぶ二行割注を施すのが特徴。注釈文には、●印で本文要語、▲印でその替字を示し、相手の身分に応じた上下の作法にも言及する。また、「童蒙の眼を悦ばしめん」ために五節句その他佳節等の挿絵数葉を掲げる。さらに巻末付録「諸証文雛形」には「預申金子之事」以下八通の証文手形を載せ、数カ所に施注する。〔小泉〕
◆ちゅうしんおうらい [2426]
〈南朝太平〉忠臣往来‖【作者】橋本香坡(通・大路・半助・毛山・静庵)作・序。松川半山画。岡本竹藪(方円斎)書。【年代】元治元年(一八六四)序・刊。[大阪]敦賀屋為七(為七郎・文淵堂・金尾為七)板。【分類】歴史科。【概要】異称『南朝忠臣往来』。大本一冊。寛文一〇年(一六七〇)刊『武家往来』†下巻から抜粋した古状八通を核として編んだ往来。全一一通のうち冒頭の「新田義貞賜綸旨事」など八通が『武家往来』中の古状であり、さらに第二状「北畠大納言親房卿、結城左衛門へ贈る書」など三通を増補した。すなわち、『武家往来』から足利氏関連の古状を除き、新田義貞関連の古状を抜粋し、さらに楠正成・北畠親房などの古状を新たに加えたのが本書であり、南朝の歴史に焦点を絞るのが特徴。本文を大字・七行・付訓で記す。頭書に新田氏・楠氏・北畠氏・名和氏・児島氏・菊池氏の略伝と挿絵を掲げ、巻頭に南朝にゆかりの「芳野山後醍醐帝皇居の図」「新田義貞鎌倉攻めの図」「楠正成墓」など色刷り口絵数葉を載せる。「尊王愛国」という幕末の思潮を反映した代表的な往来である。〔小泉〕
◆ちゅうやようぶんふくとくほうかん [2427]
昼夜用文福徳宝鑑‖【作者】不明。【年代】享保(一七一六〜三六)頃刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】異称『昼夜用文章』。大本一冊。現存唯一の学芸大本は後半部を欠く零本のため、同書目録によって推すと、「知人に成方へ遣書状」から「家督継たる人へ遣状・同返事」までの五九通から成る用文章。書状配列がまず諸用件の手紙から始まり、次に四季や佳節・祝儀、凶事の順に収録し、再び諸用件や季節、または吉事の手紙数通を補なった格好になっており、やや雑然としている。用件中心の書状のウエートが高く、また「急病医者呼に遣状」に続けて「様躰書」の例文を掲げるのも特徴的である。さらに、各書状について上中下別の類語・類句を多く載せ、しばしば注釈を施す。本文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。巻末に「万証文手形尽」や書簡作法に関する記事を盛り込むほか、巻頭に「大日本国正統図并諸国名物記」「万躾方」「和歌詠様之事」「連歌之仕様」「俳諧之仕様」「立花砂物并茶湯」「謡之意得事」「四季料理指南」や算法・将基・囲碁・礼法等の多彩な記事(『重宝記』の影響が窺われる)を収録する。〔小泉〕
◆ちょうかおうらい(まちやおうらい)・にちようおうらい [2427-2]
町家往来・日用往来‖【作者】八万屋弥三郎書。【年代】江戸後期書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。町人に必要な日常語と基本的な心得を記した『町家往来』と『日用往来』に、贈答関連語彙を集めた「音信贈答之事」を合綴した手本。全て本文を大字・二行・無訓で記す。『町家往来』は、「抑、生町家輩者、従幼少之時、能守父母之教訓、立身興家、老而後、令隠居…」で始まる文章で、別家・暖簾分け、徒弟・奉公、仕着・給銀、相場の動向、買い占めの戒め、日々の出精、多少の詩歌管弦の嗜み、誠実な商売、法度・掟の遵守等に触れ、最後に正直に商売に励めば子孫長久は疑いないと結ぶ。また後半の『日用往来』は、「抑、日用取遣之文字、其数雖難勝計候、稚童之輩可心得有増者…」と筆を起こして、自他の称号、安否、定例の祝詞、五節句、寒暑の文言、書状の異名、贈答・交際、式礼・饗応など、ほぼ消息文の文面に従って語彙を列挙した往来。別項『日用往来』†とは別内容。いずれも『商売往来』†の如き豊富な商品関連語彙を一切省いて、若干の商人心得と町人生活全般を略述するのが特徴。〔小泉〕
◆ちょうかよろずしつけかたしゅう [2428]
町家万躾方集‖【作者】柳川屋庄兵衛(金華房)作・序。【年代】安永七年(一七七八)序・刊。[仙台]柳川屋庄兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『商家躾方』。半紙本一冊。「神前へ拝礼の事」から「路地見様の事」まで合計一〇一項に渡って諸礼躾方の基本を記した往来。「一、朝平明に起、口中を漱き、身心清々浄々として神前へむかひ、今日、家内安全、延命息災、悪事・災難を遁れ候様神拝すべし」で始まる壁書風の箇条を大字・六行・付訓で記す。江戸初期の『初学文章並万躾方』†『小笠原流百箇条』†より顕著な影響を受けた礼法入門書だが、『初学文章並万躾方』が武家中心の内容であるのに対し、あくまでも町家が日常に営む生活に即して記述するのが特徴。巻頭の金華房序文で、町家子弟が礼法を身に付けることの大切さを説き、続いて、目次と本文中の二二項についての図解を掲げる。〔石川〕
◆ちょうせいじょう [2429]
長生帖〈東谷先生筆〉‖【作者】章泉堂東谷書。【年代】江戸後期刊。[江戸]岡村屋庄助ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『長生帖〈詩歌并和文章〉』。大本一冊。書名は、冒頭の漢詩文「長生殿裏春秋富。不老門前日月遅」に由来する。漢詩文および消息文から成る大字・三〜四行・無訓の手本。漢詩文・和歌各一三編に続いて、改年状以下七通の消息文と六通の仮名文、さらに和歌三首を掲げる。〔小泉〕
◆ちょうそんめいづくし [2430]
〈埼玉県下〉町村名尽‖【作者】菅間定治郎作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一三年(一八八〇)書。明治一五年刊。[川越]菅間定治郎(明文堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『埼玉県下町村名称方位概略』。半紙本一冊。「入間郡川越旧城跡をは郭町と称ふ。是より南者、久保町・清水町・松郷・通町・番町・大仙波新田・岸村・砂新田・砂久保…」と筆を起こして、川越を中心に南・西・北・東・南と一巡する各方位毎の町村名を、大字・三行・無訓で記した手本。川越地方の小学校用に編まれた手本であろう。〔小泉〕
◆ちょうそんめいづくし [2431]
〈下野〉町村名尽‖【作者】中島操作。藤田安利(竹所・知卿)書。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[宇都宮]田野辺忠平(万年屋忠平・臨雲堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『下野国町村名尽』。中本一冊。下野国の町村名を、下都賀・寒川・上都賀・河内・芳賀・塩谷・那須・安蘇・足利・梁田各郡の順に列挙したもの。本文を楷書・大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆★ちょうにんしょじょうかがみ [2432]
〈四民通用〉町人書状鏡‖【作者】増田春耕作・序。竹村一玄(晴雲堂)書(天保二年(一八三一)再板本以降は西川竜章堂書)。【年代】文化七年(一八一〇)序・刊。[京都]梅村伊兵衛ほか板。また別に[京都]吉野屋仁兵衛ほか板(天保二年再板)あり。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。町人から士農工商別に出す消息例文を分類・集成した町人向けの用文章。「士之部」は「年頭状」から「家移祝儀状」までの各種祝儀状二〇通、「農之部」は「植付之歓状」「豊年之祝状」「農家江祭呼に遣す」の三通、「工之部」は「誂物注文遣す」から「奉公人肝煎を頼む」までの注文状・依頼状等一一通で、これに対して「商之部」は「為替手形遣す状」から「祝言文章」までの六六通と圧倒的に多く、売買・取引、出店祝儀、種々依頼、また社交、法事、遊興・行楽、不幸・災害等に伴う例文を載せる。本文を大字・五行・付訓で記す。目録上欄に「書初之詩歌」「七夕之詩歌」、巻末に「京町尽」「大日本国尽」「日本二十二社」を載せる。〔小泉〕
◆ちょうにんとりやりじょう [2433]
町人取遣状‖【作者】清安節書(文化八年(一八一一)板。文政一〇年(一八二七)再板以降は西川竜章堂書)。【年代】文化八年刊。[大津]吉野屋七兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。書名の如く町人の日常生活に即した消息文例を収録した用文章。「年頭状」から「祝言文章」までの五二通を載せる。四季に伴う例文も若干含まれるが大半は日常の雑事に関するもの(各種挨拶状・祝儀状・誘引状・見舞状・依頼状)で、商用文は全く含まれていない。本文を大字・五行・付訓で記す。見返に「十干十二支」「知死期繰様」「九九」「片仮名イロハ」「十二月異名」、目録上部(頭書)に「百官名尽」「東百官名尽」、巻末に「京町づくし」(この記事を欠く版もある)を掲げる。〔小泉〕
◆ちょうにんひゃくしょうかけあいうた [2434]
町人百姓掛合歌‖【作者】不明。【年代】嘉永三年(一八五〇)書。【分類】教訓科。【概要】異称『百姓町人掛合日』。中本一冊。町人と百姓がそれぞれ自らの利点を自慢したり、相手をけなしたりする狂歌を一首ずつ交互に並べたもの。それぞれ一一首ずつ列挙する。例えば町人が「春花見夏は涼に折々の、角力芝居も見たり聞たり」と誇ると、百姓が「梅桜松も屋敷に植て見て、向ふの山に富士もつゝし(躑躅)も」とやり返し、また町人が「ほね折て高のしれたる御百性、よき商人のつめ程もなし」と批判すると、百姓が「蛍火のしりのかせぎの火縄火は、細工ながつゞく百性」と反駁する。常に町人の狂歌に対する百姓の反論を後に掲げる点、また、巻頭に「高きやに登りて見れば煙立つ、民の竈も賑いにけり」の一首を載せている点から、作者は農村生活者で、農家子弟用に編んだものであろう。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ちょうほういふくおうらい/ちょうほうえふくおうらい [2435]
〈新版〉重宝衣服往来‖【作者】雀亭作・跋。【年代】弘化四年(一八四七)跋。弘化五年刊。[江戸]平野屋平助(而楽斎)板。また別に[江戸]根岸孫兵衛(緑梅堂)板あり。【分類】社会科。【概要】異称『衣服往来』。中本一冊。衣装・身だしなみの基本や衣類全般・裁縫関連の語彙を列記した往来。「衣服は華美・葉様(はで)を好ず、よろしく寒暖に節するを要とす…」で始まる文章で、衣装の目的や心得に触れ、続いて「束帯・衣冠・直垂・狩衣・水干…」以下、上下衣類・布製品・装身具のあらましと、絹布・織物類、木綿類、その他各地名産、染模様・染色、柄・糸の種類や紡績、裁縫など被服全般を記す(本文は大字・五行・付訓)。巻頭に裁ち縫いの図、頭書に「裁縫雛形」「以呂波寄名頭角字并角字割方」を載せる。〔小泉〕
◆ちょうほうき [2436]
〈万家日用〉調法記‖【作者】不明。【年代】安永七年(一七七八)刊記。江戸後期刊。[江戸]丁子屋平兵衛板。【分類】合本科。【概要】異称『〈児読〉調法記』。中本一冊。「用文章」「商売往来」「〈改算〉智恵袋」から成る往来。もと単行本として行われた三種の往来を合本したもの。「用文章」は、「年始遣書状」から「歳暮遣状・同返事」までの二五通を収録する。主として五節句・四季、吉凶事の手紙などから成る。また「商売往来」は、近世流布本に同じ。「〈改算〉智恵袋」は、「九九しらでかなはざる事」「九九のかず」「ねずみざんの事」「かけてわるさんの事」「八算の図并わりごえ、かけざんの事」「見一の次第」「かめゐざんの割并かけざん」「けんちつもりの事」「斗代もり」等を記した簡易な算法書である。本文を大字・五〜六行・付訓で記す。頭書に「手習口伝」「封文書様の次第」「書札端作高下の事」「大日本国つくし」「五性名頭字尽」「算盤の異名の事」「舛寸法の事」「摺尺の名事」「万量名の事」「諸物軽重の事」「九九の数の事」「銀づかひ早割」「酒一樽代割」等々の記事を収録する。なお、刊記に「安永七戊戌正月新刻」とあるが、これは単行刊本『〈改算〉智恵袋』の刊記(板元名を改め「丁子屋平兵衛梓」と埋木)であり、これを合本した本書の刊行は江戸後期であろう。〔小泉〕
◆ちょうやようぶん [2437]
〈三尾重定編纂・日用漢語〉朝野用文‖【作者】三尾重定(黙斎・史山・子恭・樵山・史峰)作・序。青木東園書。【年代】明治六年(一八七三)序。明治一一年刊。[東京]富田彦次郎(東崖堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈日用漢語〉朝野用文』。半紙本一冊。「私用文之部」「公用文之部」から成る漢語用文章。前者には、四季折々の手紙や吉凶事に伴う書状など、「新歳之文」以下三二通を収録する。後者には「私立小学校設立之願書」から「孝子之届書」までの願書・届書の書式三七通を載せる。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。頭書「文章要語」には、「啓頭」「祝詞」「首歳」「元旦」など六五項に分類して消息用語を集め、各語に読法と略注を施す。〔小泉〕
◆ちょうようしゅう [2438]
〈篠田〉重葉集‖【作者】篠田明浦(篠田定考・篠田五郎・五郎蔵・子信)編・書・跋。長沼瀬平(長為豊)・関根栄次郎(関信門)・内藤与右衛門(伝旧)・石原折右衛門(石英洲)・畑官左衛門(畑正利)・細井太十郎(井行菁)・岡村伝六(智贇)書。上村政贇跋。【年代】宝暦一一年(一七六一)跋・刊。[江戸]前川六左衛門板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。篠田定考が、同門のために篠田行休(関口金鶏)とその門人八名(長沼瀬平・関根栄次郎・内藤与右衛門・石原折右衛門・畑官左衛門・細井太十郎・岡村伝六・篠田五郎蔵)の書を集めて編んだ手本。特に童子に便なるものを定考が選んだという。内容は大半が仮名消息文である。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ちょっとあんもん [2439]
〈女中日用〉一寸案文‖【作者】山田屋佐助(文会堂)作か。【年代】文化一三年(一八一六)序・刊。[江戸]北島長四郎ほか板。また別に[江戸]岡田屋嘉七ほか板あり。【分類】女子用。【概要】小本一冊。「年始の文」から「疱瘡見舞文」までの各種例文五四通を集めた女用文章。主に前半は四季・五節句の文で、所々、髪置・かね附・婚礼・初帯・出産など通過儀礼上の祝儀状を含む。後半は、「雪見舞ふみ并歌七首」のような四季用文も載せるが、多くは用件中心の手紙で、「宮仕の文」「いなか行見まひ」「悔のふみ」「手習初の文」など諸般にわたる。本文の多くを大字・五行・付訓の並べ書きで記し、部分的に散らし書きを交える。巻末「女中重宝記」には、衣類の染み落とし法など、家政・化粧・家庭医学上の知識を簡潔にまとめる。なお、巻末広告に小本の『男一寸案文』の書名が見えるが、これは次項の『〈諸人日要〉一寸案文』を指すと思われる。〔小泉〕
◆ちょっとあんもん [2440]
〈諸人日要〉一寸案文(初編)‖【作者】山田屋佐助(文会堂)作・序。青木臨泉堂書。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[江戸]芳潤館板。【分類】消息科。【概要】異称『世話字用文』『世話字用文章』。小本一冊。序文に「専ら児童にひろく文字を覚させん為に世話字・俗字を文中にくはへ、文面をおもしろく綴り、頓(とみ)に要談をなさしむ…」と記すように、児童学習用に日常語・俗語を多く文中に交えながら綴った携帯型用文章。書名は例文の多くが「一寸(ちょっと)」または「鳥渡(ちょっと)」と書き始めることによる。「年始之文」から「雪降之文」までの五七通は、年始状を除き全て往状のみである。他の用文章と似通った例文も含まれるが、俗語のほかに江戸の名所・名物や贈答品などの豊富な語彙を例文中に盛り込むのが特徴。特に「女房聞合文」「物騒噺之文」「病気咄之文」「長咄之礼文」「厭当頼文」「素人角力之文」など主題も文面も世俗的内容が濃厚であり、『世話用文章』†を想起させる。後半には「店請状」以下の証文文例七通を掲げる。本文を大字・五行(証文類は六行)・所々付訓で記す。なお、本書の返状を集めたものが続編の『〈和漢故事〉一寸案文』†であり、本書とこの続編を一冊に合綴したのが『大全一寸案文』†である。〔小泉〕
◆★ちょっとあんもん [2441]
〈世俗通用〉一寸案文‖【作者】一貫堂(朝見五通か)書。【年代】江戸後期刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。また別に[江戸]藤屋棟助ほか板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『一筆啓上』『商人用文章』。中本一冊。「年始の文」から「雪降の文」まで五八通を載せる用文章。四季・五節句の手紙、その他の雑文章から成る。俗語を多用した文章で、「花見雅文」「女房聞合文」「物騒噺の文」「小児教訓文」「長噺礼文」「角力の文」など世俗的な題材が目立つ。後半に「金子借用証文」以下一一通の証文手形文例と、「諸国御関所」の一覧を掲げる。本文を大字・五行(証文類は六行)・付訓で記す。なお、本書と全く同内容で題簽のみを『一筆啓上』とする異本や、証文例文を割愛した異題本『商人用文章』もある。〔小泉〕
◆ちょっとあんもん [2442]
〈和漢故事〉一寸案文〈続篇〉‖【作者】山田屋佐助(文会堂)作・序。青木臨泉堂書・跋。【年代】文化一五年(一八一八)刊。[江戸]北島長四郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『世話字用文章』。小本一冊。『〈諸人日要〉一寸案文』†の続編として編まれた用文章。前編ともに板元による編集。基本的に、往状のみの前編に対する返状を収録するが、「年頭状」「上巳の文」など数通の往状を含む(全五八通)。前編同様に日用・俗用の例文を中心とし、戯作めいたものが目立つ。また、前半の四季用文中に年中行事の故事についての解説文を載せるのが特徴で、これが外題角書「和漢故事」の意味するところである。これに関しては、凡例に「巻中和漢の故事を入れしは僕が作意にあらず。引書十五部におよぶといへども、多く貝原先生の著述の諸書翻案して、その実事を知らしむ…」と記す。なお、前編と続編を合綴した『大全一寸案文』†や、本書に続く三編『懐中案文』†も刊行されている。〔小泉〕
◆ちょっといっぴつ [2443]
〈書状案文〉一寸一筆‖【作者】式亭三馬作。中村翠雲堂書。【年代】江戸後期刊。[名古屋]文花堂板。【分類】消息科。【概要】異称『〈日用〉一寸一筆』。小本一冊。庶民日用の消息文例四三通を収録した用文章。「年始之文」から「旅乃餞別の文」までを載せる。本文を大字・五行・所々付訓で記す。前半が五節句・四季の手紙、後半が出産・婚礼・元服・類焼・洪水・疱瘡など吉凶事に伴う手紙である。末尾に「書状封じ様の事」を付す。〔小泉〕
◆ちよみぐさ [2444]
千代見草‖【作者】長谷川妙躰書。【年代】享保一八年(一七三三)刊。[京都]菊屋喜兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『ちよみ草』『千世み草』。大本三巻三冊。散らし書きの四季消息文を集めた女筆手本(大字・無訓)。春から冬にかけての文章を上・中・下巻の順に載せ、上巻は春の若菜を頂いた礼状や初午・更衣・競馬に関する手紙八通、中巻は来賓の間をとりもつことを願う文や蛍見物・祇園会・秋の景色などを題材にした八通、下巻は出立する人への餞別の手紙を始め秋〜冬の手紙と出産・参宮の祝儀状など七通を収録。また、中巻末尾に詩歌数編を載せる。各巻見返に、和歌を散らした女性風俗図を付す。〔小泉〕
◆ちらしがき [2445]
〈百瀬〉ちらし書‖【作者】百瀬耕元書。【年代】寛政九年(一七九七)書・刊。[江戸]前川六左衛門ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『百瀬ちらし書』。大本一冊。「春に安否を問う文」から「久々の挨拶状」までの一二題往復二四通を収録した百瀬流散らし書き手本。季節毎の行事や諸用件に関する短文の女子消息で、早朝からの琴の調べの催し、田舎下向に際しての暇乞い、宮仕え、初見の方への挨拶、神事・祭礼、借覧した珍書の返却、西山への茸狩りの土産、病気見舞い、染め帯(御所染め)の感想、和琴修練など、主に上流婦人の生活に関わる例文が中心。〔小泉〕
◆ちらしがきかなぶんしょう [2446]
〈数楽〉散書かな文章‖【作者】長雄東雲書。福井全二(東松)跋。【年代】寛政元年(一七八九)刊。[江戸]大和田安右衛門板。また別に[江戸]大和田安兵衛板あり。【分類】女子用。【概要】異称『数楽ちらし文章』。大本一冊。新年祝儀披露状以下一八通の散らし書きと、新年祝儀状以下九通の並べ書きを収録した手本。散らし書きは一〇段程度の複雑なものから二、三段程度のものまでを含む。また、例文内容は五節句や四季行事に伴う手紙や婚礼祝儀状などである。跋文に東雲の事跡を略述するほか、見返に「数楽先生出席会日(一・三・四・六・八・九日のうち三・八日は本石町二丁目の居宅での教授)」を記す。〔小泉〕
※「女筆玉かつら」と合体したため欠番 [2447]
◇ちらしがきてほん [2448]
ちらし書手本(仮称)‖【作者】沢田吉書か。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】大本。現存本は中巻一冊で、もと三巻三冊と思われる女筆手本。中巻は全文散らし書きで、「姫君様南殿のみかうし候て、御簾のひまよりみまいらせ候」と起筆して姫君の装いを賞賛する手紙から、宿直(とのい)する女性の感慨を述べた手紙までの一二通を収録する。宮中に勤める女性を意識した例文が多く、他にも有馬温泉で湯治する人への餞別状、来訪の約束を果たさぬ友への催促状、和歌を贈答する文などを載せる。筆者不明だが、沢田吉風の筆跡である。〔小泉〕
◆ちらしのちわぶみ [2449]
ちらしの千話文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】女子用(艶書)。【概要】中本一冊。全文が三〜五段程度の散らし書きで綴った長文の恋文集。男女共用の艶書であって、一般の女用文章とは異なる。「せかれて逢れぬ女に送る文」から「飽ぬに別れんとする夫におくる文」までの一三通を収録する。〔小泉〕
◆ちらしぶみ [2450]
散し文‖【作者】岩田夫山(忠恕・子貫・来助・寒松堂・見石亭)書。平松勝山(倖篤)跋。【年代】文化四年(一八〇七)跋・刊。[江戸]角丸屋甚助(衆星閣)板。【分類】女子用。【概要】異称『書札仮名章』。特大本一冊。書名のように非常に複雑な散らし書きから、散らし書きと並べ書きを融合したものなど種々の散らし書きの女文を記した手本(一部並べ書き)。冒頭の「新年祝儀状の返状」から「歳暮祝儀状の返状」までの二五通と詩歌六編を、文字の大小・厚薄を自在に使い分けながら大胆かつ繊細に記す。例文は主に武家上流社会における五節句・四季、その他佳節の贈答の文であり、女房奉書や披露状形式、また返書(追伸文)の体裁が多い。中には、「種々拝領の礼状(披露状)」のように並べ書き三二行の上下にほぼ同程度の散らし書きを合わせた独特な長文も含む。なお、跋文を書いた勝山は筆者の門人であり、本書の板木を担当した彫工でもあった。〔小泉〕
◆ちらしぶんしょう [2451]
〈女子日用〉ちらし文章‖【作者】加藤翠玉子(三芳)書・跋。牟礼翠珪序。【年代】文化四年(一八〇七)序・刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】大本一冊。五節句・中元・頼母・玄猪・歳暮・婚礼等の祝儀状と、女子一生の心得を述べた文の全一七通を収録した女筆手本。大半が繊細な散らし書きだが、並べ書き五通を含む。板元名を記さないため、翠玉子の門人による私家版であろう。〔小泉〕
◆★ちりたんか [2452]
地理端歌‖【作者】高見沢茂(子公・三驚・過矣斎・三驚迂史・天籟逸人)作・序。英清香序。山田清条書。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]高見沢茂蔵板。和泉屋半兵衛売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「日本(ひのもと)は、五畿八道に区別して、国数凡(およそ)八十余、郡数七百十七に、三府七十二県あり。五畿に始めの山城は、山巒四面に並列し…」で始まる七五調の短歌形式で、「五畿・東海道之部」「東山道・北陸道之部」「山陰道・山陽道・南海道之部」「西海道・北海道之部」の四部に分けて、日本各地の国郡の概況(地名・地形・名所・故事等)を記した往来。本文を大字・五行・付訓で綴る。凡例には本書が語呂合わせのために、重要記事が脱落したり、地名の順序が転倒した箇所があることを断る。〔小泉〕
◆ちんぎょくようぶんしょう [2453]
〈増補〉珍玉用文章‖【作者】博古堂序。【年代】慶応四年(一八六八)刊。[長門]山城屋彦八(博古堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。長州萩呉服町の山城屋および防州山口大市町の出店の二書肆刊という刊行地が珍しい用文章。同書巻末広告により、和漢書物・和漢筆墨、その他紙類・錦絵類・扇子・煎茶具類など、同書肆の多角経営の一端も知られる。収録書状は「年始状(上輩)」から「歳暮祝儀状・同返事」までの七一通と比較的多い。各月順に五節句・四季行事を主とする手紙を配列するが、年始状を上輩・同輩・下輩・得意先・披露状の五つ格式で示したり、端午・中元・重陽祝儀状や寒気見舞状には上下別の例文を載せる。年中行事・四季行楽・通過儀礼など一年の庶民生活にまつわる例文を一通り収録する。本文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕





◆つうしょうみょうじうた [2454]
通称名字歌‖【作者】利根川尚方作・序。高斎単山(滝沢有常・子恒・精一・三余堂)・竹山周書。西野古海校。【年代】明治八年(一八七五)序・刊。[東京]山川某蔵板。【分類】語彙科。【概要】異称『名字歌』。半紙本一冊。文字通り、明治初年における通称・名字用の漢字を集めて意味の通った文章にした往来で、漢字四字一句、二句一聯の『千文字』形式で綴る。「一元初発、二儀宣精。千種興達、万品繁栄…」から「…全国半郷、勘辨賢哲、耕助広荒、嘉辰皆悦」までの全七六句・三〇四字から成る。同字でも読みが違う場合には重複して掲げたり、文字数が一〇〇〇字よりはるかに少ない点で『千字文』と異なる。いわば近世後期の『名頭字尽』†の内容を一新して『千字文』形式で再編成したものである。本文を行書・大字・二行(一行四字)・無訓の手本用に認め、巻末に楷書・大字・五行(一行八字)・付訓(両点)の本文を再録する。〔小泉〕
◆つうぞくかんごようぶんしょう [2455]
通俗漢語用文章‖【作者】佐野元恭作。深沢菱(蕭遠堂)潭書(本文)。渡辺資書(傍訓)。【年代】明治九年(一八七六)刊。[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛・宝文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈通俗漢語〉用文章』『漢語用文』。半紙本一冊。「歳甫慶賀之文」から「歳暮佳儀之文・右に報る文」までの四四通を収録した漢語用文章。新年から歳暮までの四季折々の手紙が中心で、ほかに紀元節や天長節の行事に因む手紙、劇場誘引状などを含む。本文を大字・五行・ほとんど付訓(漢語の大半に左訓)で記す。目録上欄には「人我名称」と題して、自他の書簡・居処・郷里・父母・子女・兄弟・妻などの呼称を列挙する。〔小泉〕
◆つうぞくきょうくんおうらい [2456]
〈寛政新撰〉通俗教訓往来‖【作者】滕耕徳書。【年代】寛政元年(一七八九)刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]岩戸屋喜三郎板あり。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓往来』『寺子教訓往来』。中本一冊。正徳四年(一七一四)刊『〈堀氏〉寺子往来』†所収「寺子教訓書」の本文(準漢文体)を漢字・仮名交じり文に改めたもの。ただし、内容の一部に削除または増補が見られる。特に寺子屋内での礼儀や学習態度については記述がより詳しくなっている。寛政板は本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「天満宮信心鈔」「五節句之略由来」「妙薬調法記」「入学吉凶の占」、巻頭に「元覚の故事」「四季之異名」「五性名頭之文字」、巻末に「願成就日」「不成就日」「雷除之文」等の記事を載せる。以後、幕末までに付録記事や体裁の異なる異板が数種登場したほか、本文を大幅に改編した『男女教訓書』†等の往来物も生まれた。〔小泉〕
◆つうぞくはりょうせんじもん [2457]
通俗巴陵千字文‖【作者】佐々木巴陵(庸)作・書。【年代】明治四四年(一九一一)刊。[東京]佐々木巴陵蔵板。[仙台]巴陵書院売出。【分類】社会科。【概要】折本一帖。「素翰謹啓、玉章拝読、春暄夏暑、秋冷冬寒、年始歳暮、朔旦晦日、端午重陽、恒例佳節…」と筆を起こして、端作から書止までの書簡用語や近代日用漢語で綴った異種『千字文』。書簡の冒頭語や四季時候を始め、国体・皇統、立法・行政、官吏、政治、軍事、人倫、教育・教化、学芸、衣食住、金融・経済、売買・流通、交際等の語彙を列挙し、最後に「匆卒欽具、誠惶頓首」と結ぶ。本文を大字・二行(一行四言二句)・無訓で綴り、巻末に活版で本文読法を示す。なお、本書を改訂した『〈常用漢字〉現代千字文』が大正一二年(一九二三)に刊行された。〔小泉〕
◆つうぞくぶんしょう [2458]
〈太田代恒徳著〉通俗文章〈附諸証文例〉‖【作者】太田代恒徳(東谷・熊太郎・不知庵)作。青木東園(理中)校・書。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]星野松蔵(耕文堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。前半の「通俗文章」と後半の「証券書類之部」から成る用文章。前者は「年始贈人啓」以下三二通の漢語用文で、四季や佳節の書簡、また拝宮・入学・出産・死亡・火事・留学などに際した種々の例文からなり、頭書「略解附類語」に本文中の要語解およびその類語を掲げる。後者は「金子借用証」以下二九通の証書式で、頭書に「願書類」「請書類」「届書類」「証書追加」の各項毎に合計五六例を掲げる。本文を大字・五行(証文類は六行)・付訓(漢語に左訓)で記す。〔小泉〕
◆つうぞくようぶんしょう [2459]
〈平生文言〉通俗用文章‖【作者】阿部定橘作か。【年代】文政(一八一八〜一八三〇)頃刊。[仙台]伊勢屋半右衛門(裳華房)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「貴人へ之年始状」以下二〇通の消息文例を集めた用文章。五節句や四季に伴う手紙、また、通過儀礼に関する手紙その他から成る。中には「浅草開帳文」なども含まれ、江戸見物の関心の高さを表している。本文を大字・五行・所々付訓で記し、本文の所々に注書きや月の異名を付す。頭書に「文通高下認方」「書状封様高下」「積物手引」「小笠原折形之図」「金石印刻図」「五性書判図」「十二月異名」「同一字異名」「不成就日・願じやうじゆ日」「一年二十四節之名」「潮時盈虚」等の記事を載せる。なお、作者は『維新前に於ける管内出版図書』による。〔小泉〕
◆つうぞくようぶんひっかいぞう [2460]
〈当用諸礼・書札大成〉通俗用文筆海蔵‖【作者】小山智常軒(知常)作。【年代】宝暦九年(一七五九)刊。[京都]大和屋伊兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『通俗用文章』『当流四季文章』。大本一冊。「新年祝儀状」〜「歳暮祝儀状」の消息文例二六通(「当流四季文章」)と、「借家請状之事」〜「譲状之事」の証文類文例九通(「万手形類づくし」「万請状類づくし」「万証文類づくし」)から成る用文章。四季の推移あるいは慶事等に伴う書状を集め、各例文を大字・四行(証文類は五行)・所々付訓で記す。巻頭に「錦天満宮社内之図」「当用諸礼式」「十二月之異名」「初心立花仕様」を掲げ、続けて本文上段を二段に分かち(いわゆる「三階板」)、上段に「書札之寸法(書札方式指南)」「囲碁作物」「象戯詰物指南」「銭の売買相場之割付」「八算見一小割」「料理献立之部(料理献立集)」「茶湯初心抄」、下段に「魚類(万魚類字尽)」「貝類」「鳥類(諸鳥類字づくし)」「獣類」等の字尽や「世話字尽」等を掲げる。さらに、末尾の頭書は一段に改め(この点から先行書の改編版とも思われる)、「小野篁歌字尽」と「篇冠字尽」、裏見返に「書札留并脇付高下」を載せる。〔小泉〕
◆つうほうようぶんしょう [2461]
通宝用文章‖【作者】不明。【年代】江戸中期原板。文化五年(一八〇八)求板。[京都]城州屋正二郎板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。明暦三年(一六五七)刊『〈江戸〉新用文章』†の影響下に編まれた用文章の一つ。現存本は文化五年求板のみだが、版式から江戸中期の刊行と思われる。『〈江戸〉新用文章』上巻(全一九通)から任意の一二通(第一条「正月初て遣す状」〜第一二条「約束の物取に遣状」)を採録し、下巻も同様に「家売券之書状」〜「奉公人年季証文」の証文類四通を丸々載せる。本文を大字・四行・付訓で記す。巻末記事には若干の増補も見られ、「諸道具字つくし」「人の名づくし」「家名づくし」「文字篇冠づくし」「いろはの書法」「片かないろは」「国づくし」「月のから名づくし」「京町づくし」「片仮名イロハ」「篇并冠」を収録する。明暦板と共通する丁は、書体・字配りともに酷似する。〔小泉〕
◆つうほうようぶんにょいしょばこ [2462]
〈文林大成・□□教訓・□□□□〉通宝用文如意書箱‖【作者】保井平右衛門作・跋。鳴琴子(菅渓散人)編・序(延享二年(一七四五)板)。【年代】享保一〇年(一七二五)刊。[京都]和泉屋茂兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『〈教訓諸礼・字林大成〉通宝用文如意書箱』『新刊通宝用文如意書箱』『〈通宝用文〉如意書箱』。大本一冊。「新年状」から「歳暮祝儀状」までの五八通の消息文例を収めた用文章。全体として比較的短文で通俗的な文章が多く、ほぼ四季順に五節句祝儀状や季節の贈答文、その他吉凶事に伴う書状や諸事に関する手紙(松囃興行の案内、香炉・屏風の借用願い、京都へ旅行する人への手紙、和歌の添削を願う文など)を列挙する。例文中、第四状「移徙祝儀状」、第一九状「元服祝儀状」、第二一状「食事に招く文」、第三六状「八朔祝儀状」、第五二・五三状「寒中見舞状・同返状」の六通は準漢文体の文章にもかかわらず、「かしく(こ)」または「穴賢」を使用するのが独特である。本文を大字・四行・付訓で記す。前付に「小野道風進学図」「古聖立教之略意」「七福神書芸図」「四計之図并注」等、頭書に「書札法式指南」「当流躾方手引」「万宝字尽」「小野篁哥字尽」「文字遣分」「当流茶湯指南」「手跡教訓色波狂哥」「八算見一割掛之術」「万積方乃図」等、巻末に「月異名」「試筆詩歌・七夕詩歌」「五性名頭相生字」を載せる。延享二年板は異板だが見返以外は享保板と全く同様。なお、享保板の見返に「享保祥歳新発刊」と記すが、同跋文には「旧版頗魔滅せり…」とあるため、本書の初刊年代はさらに遡る可能性もある。〔小泉〕
◆つうようあんしょ [2463]
通用案書‖【作者】十返舎一九作・序。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。『手紙之文言』†の改題本。序文・目録を始め、本文も末尾二通を除いたほかは全くの同内容(ただし異板)。目次には『手紙之文言』と同様に末尾の「隠居を祝す文・同返事」までを明記するが、実際にはこの二通を収録せず、同例文の見出し語がもと「隠居を賀す文」となっていた所を「通用案書。終」と改刻して完結させるため、実際の収録書状数は一一三通である。他の内容は『手紙之文言』と同じ。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆★つうようあんしょ [2464]
〈取遣文言〉通用案書(増補版)‖【作者】十返舎一九編か。月斎(月斎峨眉丸か)補。【年代】文化一三年(一八一六)刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。別項『〈取遣文言〉通用案書』(簡略版)†の増補版(簡略版の刊記は文化一二年の増補とする)。『筆林用文章指南車』†の一九の序文には、鶴屋板の『通用案書』†の紹介がされているが、別項のように一九の序文を持つ『通用案書』は『手紙之文言』†の改題本で本書とは全く内容が異なる。『筆林用文章指南車』で言う『通用案書』がいずれを指すか判然としないが、鶴屋板である点を重視すれば本書の可能性も高い。また、両者のほかに『〈文言取遣〉通用案書』の目録題を持つ『〈通用早便利〉万代用文』†(一九作。山口屋藤兵衛板)や『〈御家〉一筆啓上』†という本書の簡略版もあり紛らわしい。本書は極めて例文が豊富で、上記三者中収録書状数が最も多く、「年頭披露状」から「商売向御用承礼状」までの一四一通を収録する(本文は大字・五行(証文類は六行)・所々付訓)。通常の用文章に見られる例文や町人生活に伴う例文をほぼ網羅する。後半に「店請状」から「売上案文」までの二四通の手形証文の例文と、手形証文の心得を述べた「書法大概」を載せるが、この後半部は文化一三年に『証文手形案書極意集』†の書名で単独板行された。〔小泉〕
◆★つうようぶんしょう [2465]
〈御家〉通用文章大成‖【作者】橘正敬書。【年代】文化一三年(一八一六)書。天保一四年(一八四三)以前刊。[江戸]山田屋佐助(文会堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家〉通用文章』『〈御家〉通用文抄』。大本一冊。前半三分の二に準漢文体書簡、後半三分の一に和文体書簡を収録した用文章。前者は、「年始祝之文」から「歳暮祝の文」までの往復文および「奉書躰二章」の合計四八通で、四季時候・吉凶事を主とする。後者は、「初はるの文」から「結納祝ひの文」までの往復文および「ちらし形二章」の合計二二通で、五節句や四季を主題とする。前者を大字・四行・付訓、後者を大字・六行・付訓で記す。巻末に詩歌各一首と「店請状之事」など一九通の証文文例を集めた「新撰手形証文大全」を掲げる。小泉本に付す天保一四年の刊記は明らかに他の往来物の流用で、初刊は文化一三年頃で、見返しの「文会堂」が初板本の板元であろう。〔小泉〕
◆つうようぶんそくがんかのたま [2466]
通用文則頷下珠‖【作者】北尾重政初世作。【年代】安永一〇年(一七八一)刊。[江戸]山崎金兵衛板。【分類】消息科。【概要】小本一冊。四季折々の手紙から、各種祝儀状・見舞状、また、諸事に伴う手紙までを集めた用文章。いずれも往復文で「年始に遣す状」〜「年暮に遣す状・同返事」までの全六八通を収録する。初春の野遊びや京都郊外での花見、初夏の鎌倉めぐりなど四季折々のレクリエーションの誘引状から、吉凶事その他雑事に関する例文まで一通りを収録する。本文を五行・所々付訓で記す。前付に「朱晦庵幼稚頴悟之図」「一生身持八景」「万年暦大雑書」「書札上書認様高下」「書状留書高下」「年号用字」「知死期くりやう」「人のたましゐを知る歌」等、頭書に「万物数量字尽」「篇冠構」「五性書判」「大日本国尽」「五性名頭」「不成就日」「片仮名いろは」「十幹十二支同異名」等、巻末に「八卦之図」を収録する。なお、本書の改題本に『早見文章硯箱』†がある。〔小泉〕
◆つうようもんじはやびきしょう [2466-2]
通用文字早引抄‖【作者】不明。【年代】文政四年(一八二一)以前刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。文化(一八〇四〜一八)頃刊『〈改正日要〉早引両点集』†の改編版と思われる往来。表紙共紙全三丁の小冊子で、表紙上段に「如件」「かしく」の説明を掲げ、下三分の二に「十十(ゑかさね)、大上(やまかみ)、我福(あかとみ)…」等の難読苗字四四語を大字・一〇行・付訓で列記する。また、本文は『早引両点集』とほとんど同様のスタイルで、「委細、音信、違背、暇乞、遺恨、経営」のようにイロハ毎に六語ずつ二字熟語を列挙して音訓を付す。なお、小泉本にはほぼ同内容にも関わらず『〈改正日要〉早引両点集』を続けて合綴しており、さらに『年中書状手紙案文・諸用手形証文集』†を合冊する。〔小泉〕
◆つきなみしょうそく [2467]
月なみ消息‖【作者】鵜殿余野子作。加藤千蔭(橘千蔭・常太郎・芳宜園)書・跋。【年代】文化四年(一八〇七)跋。文化五年刊。[江戸]永楽屋西四郎(東陽堂)板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。「侍り」に象徴される平安朝の雅文消息を大字・六行・無訓で記した手本。「あるやんことなき姫君の御手本の料に書てまゐらせよ」と依頼された賀茂真淵に代わって弟子の余野子が著し、さらに余野子亡き後に千蔭が筆写して上梓したもの。一月「うちの女房のもとにすりやうのめよりおくる文」、五月「おまへなる女房つほねなるかもとへおくるふみ」など各月一通ずつの計一二通を収録する。なお千蔭の跋文に余野子の略歴を記す。〔小泉〕
◇つきのめいしょ [2468]
月の名所‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】全国の月見の名所を列挙した往来。「名にしおふ十五夜は、千里の外も限なく、天照る神の御国とて、いとも賢き大内山、月の御会も御粧ひ、詩歌管弦夜もすがら…」で始まり「…幾千代万秋毎に隈なからむことゝそんし参らせ候。めでたくかしく」と結ぶ七五調の女文形式の文章で、須磨・明石・信夫・住吉・相坂・志賀・小倉山・三笠山・竜田山など月見の名所を若干の形容句と共に列記する。〔小泉〕
◆つきやまきょうくんしょ [2469]
築山教訓書‖【作者】竹内羽志吉書。【年代】文政(一八一八〜一八三〇)頃書。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓書』。大本一冊。存益沙門という人物が子供衆宛に書いた一通の教訓状を手本としたもの。「鳥は巣を離て百日親を養返し、鳩は親の方より三枝下枝に止る事…」で始まる文章で、このように鳥類・畜類でさえ恩愛や礼儀を知るのに、人としてこれらを弁えない者は言語道断であると戒め、聖徳太子の言葉「幼して不用成は母の過歟。長而不能成は父の過」を肝に銘じて親や一門の恥とならなぬようにと戒める。謙堂文庫本は大字・二行・無訓で記す。〔小泉〕
◆つくばもうで [2470]
〈新版〉筑波詣‖【作者】高井蘭山校。【年代】文化一〇年(一八一三)刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(天保三年(一八三二)板)あり。【分類】地理科。【概要】中本一冊。旧暦三月中旬の早朝に江戸を出発し、葛西・金町・松戸から水戸街道を経て筑波山に至り、再び、土浦・椎野薬師・大室八幡宮・関宿を回って江戸に戻るコースで、筑波山周辺および沿道の名所旧跡・寺社の景趣・縁起等を記した往来。「敷島の道行人にたどれども、和歌の浦波わきかねつさしも艸、深き鄙に長(ひととなり)し身の悲しさ、難波津のよしあしも弁難く…」で始まり「…天晴此春の眺望、見ぬ方々に御目にかけ度候。賢」と結ぶ本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「筑波山之風景」、頭書に「筑波山の由来」「和漢文字来由」を載せる。〔小泉〕
◇つちうらめいしょおうらい [2471]
土浦名所往来‖【作者】沼尻一貞(墨僊・常治・完蔵・公幹)作・書。【年代】天保一二年(一八四一)作・書。【分類】地理科。【概要】異称『土浦名勝往来』。大本一冊。「兼而被仰聞候土浦御城の来由并に霞浦風景の容体、御尋に任せあら増認、入貴覧候…」で始まる全一通の書翰文で土浦城下および霞ヶ浦の歴史・地理・名所風景、寺社縁起・祭礼等を記した往来。まず、土浦城の由来と沿革、城主の交代、城下一帯の地勢などを紹介し、途中から「江戸を去事十八里、水戸を去事十一里、両都か間の一都会、その南方は高津台、愛宕山をふし拝み、渡りも長き銭亀橋…」と七五調の文章に変わって、城郭近隣から順々に町名・寺社名等の地名や町々の様子、さらに後半では古歌を引きながら霞ヶ浦近辺の名所旧跡・神社仏閣の数々を列記する。天保一二年写本は、本文を大字・二行・無訓で記す。なお、作者は土浦町中城の寺子屋師匠で天文・地理に精通しており、寛政一二年(一八〇〇)、二六歳時に日本最初の地球儀を考案し秘蔵すること半世紀、没年の前年である安政二年(一八五五)にその木版刷りを頒布したという。〔小泉〕
◆つぼのいしぶみ [2472]
壺の石文‖【作者】熊沢蕃山作か。【年代】元禄一一年(一六九八)刊。[江戸]松会三四郎板。【分類】女子用。【概要】異称『つほのいしふみ』『津保農以志文』『津穂の石婦美』『つほのゐし文』。半紙本八編一三巻一三冊。各巻の構成は、「帰雁の文」三巻、「介婦の訓(おしえ)」一巻、「慈母嘉言」二巻、「躾方の帖」一巻、「賢女・貞女の判」一巻、「貞女・烈女の判」二巻、「似せものの判」一巻、「或人のたづね」二巻。「帰雁の文」は阿仏尼作『乳母の文(庭の訓†)』を敷衍した教訓で、「一、姪の文に返事、伯父の文章の事」以下五一章からなり、女子教育、女子の教養・心得などを一通り述べたもの。「介婦の訓」は、「一、上中下女の称の事」以下二三章で、日常生活上の起居進退・所作・身だしなみに関する教訓。「慈母嘉言」は、「一、四季花鳥につけて心持やさしき事」以下一二章で、嘉言・善行とその心延えに関する教訓。「躾方の帖」は、「一、天児(あまがつ)」以下一四章で、婚礼・養育・五節句等の道具・玩具・飾り物についての故実・作法。「賢女・貞女の判」は、「一、紫の君の事、附り賛・詩歌評判・議論の事」以下四章で、『源氏物語』中の女性を賢女・貞女の観点から論じたもの。「貞女・烈女の判」は、「一、袈裟御前の事、附り詩歌評判・議論の事」以下六章、また、「似せものの判」は「一、愚夫の妻、貞道心得ちがへの事、附り詩歌評判議論の事」以下二章で、いずれも、歴史上の女性数人をあげて貞烈、是非の別を述べたもの。「或人のたづね」は、「一、碑かながきの不審問答の事」以下二四章で、上記の内容に対する批判・反論等について弁明したもの。以上の教訓内容のほか、凡例には各巻の読み方について「帰雁の文三帖は、やはらかに、やさしく読むべきなり」などと述べたり、「御」の五つの読み分けや男文字・女文字に着目した記述が見られるなど、本書には当代の他の女訓書には見られない際立った独自性が見られる。本文をやや小字・一二行・付訓で記し、各巻の所々に女性風俗図を掲げる。〔小泉〕
◇つるがおかまちづくしぶみ [2473]
鶴ヶ岡町尽文‖【作者】不明。【年代】江戸後期作・書。【分類】地理科(戯文)。【概要】「一筆しめしまいらせ候。まつあつさのおん障りものふ、目出度ぞんじまいらせ候。おまへと一ト度こふなるは、なみ大躰の事でなし…」で始まり「…松原さして栄へたる、千秋万歳仏神の、恵みもありや有難や、まつは嬉しくめて度かしく」と結ぶ一通の恋文で、鶴岡城下の町名・寺社名等を列記した往来。「恋の迷ひは狐町、外に美し殿子ても、おまさんには升形の、恋しき人はあるまじと、起請誓紙や大梵寺…」の如きもじりを多く含む戯文である。〔小泉〕
◆つるかめおうらい [2474]
鶴亀往来‖【作者】佐藤正五良書。【年代】安政三年(一八五六)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。『御書物』と題した合本科往来中に合綴。羽州大泉庄田川郡鶴岡・飽海郡亀崎地方の歴史・地理を綴った往来で、文政(一八一八〜一八三〇)頃書『庄内往来(異本)』†の改編本。「元明帝御宇、和銅五年、陸奥国割之出羽を置給ふ…」と筆を起こして、まず同国の起源に触れ、次に同地方の諸産物や周辺諸国との物資流通、産業、地形、出羽三山、古寺および祭礼、自然、名湯、教育水準、風俗などのあらましを記し、「…千鶴万亀の崎と申おさめ、かしく」と結ぶ。なお、『御書物』には本往来のほかに、「羽黒往来」「消息往来」「商売往来」「大日本国名控」を収録する。本文をやや小字・七行・無訓で記す。〔小泉〕





◆ていきょう [2475]
貞経‖【作者】八島五岳作・画。菱川清春画。俵屋清兵衛(耕価堂・横田清兵衛)序。【年代】天保一〇年(一八三九)刊。[京都]俵屋清兵衛(耕価堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈女訓〉貞経』。大本一冊。既婚女性が遵守すべき教訓・生活心得を次の八章に分けて諭した往来。すなわち「端詞」(最近は婦道が全く乱れている。娘を持った父母は、三從・四徳の道をしっかりと教えこまねばならない)、「貞静」(夫婦の道をわきまえて夫に仕える法)、「貞順」(万事に夫を立てて、みずから表に出ることがあってはならない)、「梹磨v(舅・姑に孝養を尽くさねばならない)、「子訓」(子どもに対して望ましい学問・技芸の教育を施し、家を継いで恥じない徳行正しい人間にまで育てねばならない)、「憐婦」(嫁を迎えて姑になれば、自己の経験に基づいて、その嫁に細やかな心づかいを施して育てるべきである)、「嫉誡」(嫉妬は厳禁)、「申諭」(主婦の力によって一家が安定すれば、やがて一村・一国そして世界全体が平和の世となる)。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「和漢二十四貞女」等の口絵を掲げるが、これは天保九年刊『和漢廿四貞女伝』†の流用である。なお、本書初刊本の巻末広告中に『貞経補』(貞経後編、全一冊、八島先生輯)を掲げるが未刊に終わった。〔石川〕
◆ていきんおうらい [2476]
庭訓往来‖【作者】豊前守朝英書(至徳三年(一三八六)写本)。【年代】南北朝時代作。古写本は至徳三年書。古刊本は慶長一一年(一六〇六)刊、[京都]柏原宗悦板。【分類】古往来。【概要】最古本は巻子本二軸、最古刊本は特大本一冊。刊本はほとんどが大本だが、江戸中期以降は半紙本・中本・小本など各種判型のものが登場した。古写本のみで約七〇種、近世より近代初頭にかけての板本は約三〇〇種に上り、中世から明治初年に至るまで最も普及した往来物の一つ。一カ月往返二通ずつ一年二四通、これに単簡一通(七月状または八月状)を加えた計二五通の手紙文より構成される。内容は、武家および上層・庶民の社会生活を中核として新年の会、詩歌の会、地方大名の館造り、領国の繁栄、大名・高家の饗応、司法制度・訴訟手続、将軍家の威容、寺院における大法会、大斎の行事、病気の治療法、地方行政の制度等を主題とする手紙で、各手紙とも類別単語集団を収める(衣食住三七〇語、職分職業二一七語、仏教一七九語、武具七五語、教養四六語、文学一六語、雑六一語、計九六四語)。現存最古の至徳三年写本(神門寺蔵)は、行書体・一行約一二字・無訓で記し、奥書に「至徳三年霜月三日、豊前守朝英書之」とあるが、朝英の経歴は明らかでない。また、慶長一一年板(国立国会図書館蔵)は、行書体・大字・六行(一行約一二字)・無訓で記す。〔石川〕
◆ていきんおうらい [2477]
〈絵入〉庭訓往来‖【作者】不明。【年代】貞享五年(一六八八)刊。[京都]丸屋半兵衛ほか板。また同年刊の異板に[江戸]利倉屋喜兵衛(戸倉屋喜兵衛・生白堂)板あり。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓往来図讃』『絵入庭訓往来』『庭訓絵抄』。大本四巻四冊、または半紙本三巻三冊。『庭訓往来』†の絵入り本の嚆矢であり、代表的なもの。『庭訓往来』本文を大字・六行・付訓で記し、頭書欄に要語の絵抄、すなわち、本文の要語に即した絵図五〇〇葉以上を掲げ、多く語注を添える。絵図に描く風俗が貴族的で古風であり、著しく庶民化される江戸後期の絵抄本と対照的である。なお、本書に微細な変更を加えたものに元禄一一年(一六九八)刊『庭訓往来図画』†がある。〔石川〕
◆ていきんおうらい [2478]
〈開化〉庭訓往来〈附書具文房門〉‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]小林鉄次郎(延寿堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『開化庭訓往来』。中本一冊。連綿と続く一通の手紙文中に一二カ月の例文を加味させながら諸知識を綴った往来。明治初年の新語などを多く盛り込んだ『消息往来』†型往来で、『庭訓往来』†や用文章とは全く異なる。「肇春之御賀慶対貴方先奉祝候畢…」という書き出しで始まり、宴会の招待と返事、詩歌の会の案内、農地測量ならびに租税方、農耕、家屋造築、西洋学の起源等に関する語彙を列挙し、家々に国旗を飾る正月風景や、一週間・一二時など近代化に即した内容も盛り込む。全体的に漢語調の文章でやや小字・六行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。見返に文具の名称・異称を集めた「書具文房門」を掲げる。〔小泉〕
◆ていきんおうらい [2479]
〈頭書講釈〉庭訓往来‖【作者】高井蘭山注。【年代】文政(一八一八〜一八三〇)頃刊。[江戸]英文蔵板。【分類】古往来。【概要】大本一冊。『庭訓往来』†本文を行書・大字・九行・付訓で記し、頭書に小字・約二五行の注釈文を掲げた注釈書。施注は、寛永八年(一六三一)刊『庭訓往来註』†と元禄一五年(一七〇二)刊『庭訓往来諺解大成』†との折衷的なもの。〔石川〕
◇ていきんおうらいえしょう [2480]
庭訓往来絵抄‖【作者】蔀関牛注・画。【年代】文政一二年(一八二九)刊。[大阪]塩屋忠兵衛板。【分類】古往来。【概要】大本一冊。『庭訓往来』†の注釈書。頭書欄を絵抄に当て、『庭訓往来』本文の挿絵と要語略解を施す。本文を大字・六行・付訓で記し、頭書に五一七葉の挿絵を掲げる。〔石川〕
◆ていきんおうらいえしょう [2481]
庭訓往来絵抄‖【作者】槐亭賀全作。【年代】元治元年(一八六四)頃刊。[江戸]吉田屋文三郎(木村文三郎・文江堂・玉養堂)板。【分類】古往来。【概要】異称『〈元治新板〉庭訓往来絵抄』『庭訓絵抄』。中本二巻二冊。幕末に吉田屋文三郎がシリーズで刊行した絵抄物の一つ。『庭訓往来』†の本文を大字・四行・付訓で綴り、文中に小さな挿絵を数多く挿入し、さらに本文の左側に「春の始は歳の首也…」といった簡単な注を添える。〔小泉〕
◆ていきんおうらいぐちゅうしょう [2482]
〈首書読法〉庭訓往来具注鈔‖【作者】蔀関牛注。黒田庸行(成章館・具徳)付言。【年代】天保五年(一八三四)刊。[大阪]河内屋太助ほか板。【分類】古往来。【概要】大本一冊。渓百年の「経典余師」にならって編んだ『庭訓往来』†の童蒙向け注釈書。『庭訓』の各状を五、六段に分けて大字・八行・無訓で記し、段毎に詳細な割注を施し、二段に分けた頭書の下段に小字・一四行・付訓で書き下した本文(読方)を、またその上段に割注に関連する諸説を掲げる。内容的には寛永八年(一六三一)刊『庭訓往来註』†と元禄一五年(一七〇二)刊『庭訓往来諺解大成』†とを折衷した施注で、童蒙に理解しやすい平易な文章で綴る。また段毎の割注の末尾に「文意」の項を立てて大意も示す。なお、関牛の弟子・黒田庸行は、本書以後の関牛の補訂に基づいて本書を改訂し、天保一四年に『〈頭書訓読〉庭訓往来精注鈔』†を著した。また、本書頭書に挿絵を施した改訂版に嘉永五年(一八五二)刊『〈新刻改正〉庭訓往来諺解』†(山崎美成注)がある。〔石川〕
◆ていきんおうらいげんかい [2483]
〈新刻改正〉庭訓往来諺解‖【作者】山崎美成(久作)注・序。【年代】嘉永五年(一八五二)序・刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓諺解』。大本一冊。『庭訓往来』†の注釈書。施註の体裁・特徴は天保五年(一八三四)刊『庭訓往来具注鈔』†とほぼ同様で、『庭訓』各状を数段に分けて大字・八行・無訓で記し、段毎に割注(末尾に「文意」を置く)を掲げ、さらに頭書に本文読方(小字・付訓の書き下し本文)を掲げる。ただし、頭書を一段に改め、さらに一八八葉の挿絵を載せる。また、巻頭に「玄慧法印之像」および略伝等、巻末に「士農工商図」を掲げる。〔石川〕
◆ていきんおうらいげんかいたいせい [2484]
庭訓往来諺解大成‖【作者】永井如瓶(走帆堂・静甫・静翁・自得)注。【年代】元禄一五年(一七〇二)刊。[大阪]平兵衛板。【分類】古往来。【概要】大本五巻五冊(序巻および春・夏・秋・冬の四巻)。『庭訓往来』†の詳細な注釈書。『庭訓』の各状を三〜四段に分けて、大字・七行大・無訓で記し、各段毎に詳細な割注(小字・一四行・所々付訓の漢字・平仮名交じり文)を施した設けた注釈書。施注の傾向は語意・語法・書札礼や出典・故実等が中心であり、中世的色彩を払拭した考証的なもの。序巻に、如瓶の序文および「庭訓往来作者考」を収め、他の四巻を『庭訓』本文の注解とする。本書の改題本『庭訓往来諸鈔大成』(内題『庭訓往来諺解大成』)には大きく三種あり、その一つ(宝永三年(一七〇六)・柏原屋清右衛門板)は元禄板と同板で、序巻を第一巻の冒頭に収めた四冊本で、もう一つは元禄一五年・平兵衛板の刊記を残しながら題簽題のみを改め、序巻の内容を丸々削除した二冊本で、最後の一本は序巻を欠く二冊本で、さらに刊記を削除したものである。〔石川〕
◆ていきんおうらいこうしゃく [2485]
〈頭書絵註〉庭訓往来講釈‖【作者】渓斎英泉(渓斎善次郎)注・画。【年代】弘化二年(一八四五)刊。[江戸]山城屋新兵衛ほか板。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓講釈』。中本一冊。『庭訓往来』†の各状を五、六段に分けて大字・六行・付訓で記し、各段毎に割注を設けた注釈書。個々の割注は概ね語注が中心で、庶民子弟に分かりやすく平易に徹するが、それとは別に各状の末尾に「文意」を置いて、各状の大意を総括する。頭書に掲げた本文要語の図解四五九葉はいずれも近世風俗に基づくものだが、中には「春始向貴方」「上手・下手」といった語句や、本文に見えない「其芸一切我物」「民家」等の語句も図解する。なお、本書は嘉永六年(一八五三)に江戸・山城屋新兵衛・亀屋文蔵・須原屋源助の三書店合梓で再板されている。〔石川〕
◆ていきんおうらいしょう [2486]
庭訓往来抄‖【作者】不明。【年代】万治二年(一六五九)刊。刊行者不明。【分類】古往来。【概要】大本三巻三冊。『庭訓往来』†の注釈書。『庭訓』の各状とも一二、三段に分けて、大字・八行・付訓、返り点・送り仮名付きで記し、段毎に漢字・平仮名交じり文による詳細な割注を施す。施注内容は、寛永八年(一六三一)刊『庭訓往来註(庭訓往来抄)』†を起源として慶安二年(一六四九)刊『庭訓往来註(庭訓往来抄)』†に継承されたものに準拠する。ただ、両書に比較して、上中下の三巻仕立てにしている点、文字の全てを行書体で記した点、仮名を全て平仮名に統一した点などに特徴があり、これらの点で後世の『庭訓往来』注釈書に及ぼした影響は大きい。〔石川〕
◆ていきんおうらいしょうちゅう [2487]
〈訂誤〉庭訓往来捷註‖【作者】平丘(駒籠隠士)注。片岡長住書。烏有斎序。【年代】寛政一二年(一八〇〇)刊。[江戸]角丸屋甚助ほか板。【分類】古往来。【概要】大本一冊。『庭訓往来』†の各状一通を二○段余りに分けて詳細な割注を施した注釈書。本文を大字・八行・無訓で記し、細字の漢字・平仮名交じり文(付訓)の注釈を付す。本文中の用字・用句を近世後期庶民生活の日常生活に即して平易に解説するだけで、出典や故実には言及しない。また、頭書に本文読方(行書・小字・付訓の漢字・平仮名交じり文)を掲げるほか、巻首に烏有斎の「題捷註」と平丘の「凡例」を置く。凡例には、「唯童蒙に便するを主とす。故に文辞の鄙俗なるを厭ず…」「読易き者は注解、務(つとめ)て簡易に従ふ。童蒙をして熟思せしめて其才を育長せんが為なり…」と、本書の編集方針に触れる。なお、『角丸屋助蔵板目書目』は、本書の作者を「駒籠先生」と記す。〔石川〕
◆ていきんおうらいしょうちゅうたいせい [2488]
〈訓点読法〉庭訓往来証注大成‖【作者】永井如瓶作。山崎美成(北峰)補。凌雲堂書。【年代】嘉永四年(一八五一)序・刊。[江戸]山本平吉板。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓証註』。大本一冊。『庭訓往来』†の各状を四、五段に分けて行書・大字・八行・無訓で記し、段毎に詳細な割注を設けた注釈書。注記は、如瓶の『庭訓往来諺解大成』†と貞丈の『庭訓往来諸抄大成扶翼』†を重んじながら、なお自説を加味する。巻首に漢文体・和文体二様の序文を掲げ、往来の語義や発達・普及、注釈本の展開等について解説する。頭書欄には、楷書・小字・一四行・付訓の本文読方(漢字・平仮名交じり文)とともに挿絵六○葉を収める。〔石川〕
◆ていきんおうらいしょしょうたいせいふよく [2489]
庭訓往来諸抄大成扶翼‖【作者】伊勢貞丈注。光棣書。【年代】安永三年(一七七四)序・書。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓往来諸抄大成附翼』『庭訓往来抄』。大本一冊。『庭訓往来』†の注釈書の一つ。特に永井如瓶作『庭訓往来諺解大成』†の増訂を期した要語解を主としたもの。すなわち『庭訓往来』の本文を掲げることなく、冒頭から「幸甚、貞丈云、西土ノ詞ニテハ、ヨキシアハセト云事ニテ、我身ノ上ヲ云。此所ノ文ニテハ向ノ人、石見守ニ対シテヨキ御シアハセナリト云意ナリ」のように任意の語句を掲げて施注する。『諺解』にも増して考証的態度に徹するのが特徴。巻頭序文に、『十二月往来』†『新十二月往来』†『明衡往来』†を模して『庭訓往来』が作られ、『庭訓往来』にならって『尺素往来』†が編まれたとし、「…永井氏(如瓶)が『諸抄大成』を善とす。取るべき者十に八、九也。然れども猶誤者あり、精しからざる者あり。予が首書は『諸抄大成』の扶翼なる者なり」と記す。なお、謙堂文庫本は本文をやや小字・一〇行・ごく稀に付訓で記し、巻末に「此一冊以田口良明本令書写訖、光棣」と付記する。〔石川〕
◆ていきんおうらいずが [2490]
庭訓往来図画‖【作者】伝尊円親王書。杉村某(次兵衛か)画。【年代】元禄一一年(一六九八)刊。[江戸]鱗形屋(孫兵衛か)板。【分類】古往来。【概要】異称『絵入庭訓往来』『庭訓絵抄』。大本一冊。『庭訓往来』†の注釈書。本文を大字・六行・付訓で記し、頭書に絵抄を施したもの。挿絵数は合計五○四葉。頭書の要語解や挿絵は貞享五年(一六八八)刊『〈絵入〉庭訓往来(庭訓往来図讃)』†(山崎屋市兵衛・丸屋半兵衛板)とほぼ同じ(ただし異板)。頭書欄を縮小して挿絵を小型化し、さらに一部絵柄を改変した。また、宝永八年(一七一一)再刻本(江戸・鱗形屋三左衛門板)は、元禄板巻頭(第一丁表)の「庭訓絵抄題号之註」を見返に、元禄板・第一丁裏の「庭訓往来図画」を差し替えて第一丁表に移動し、空いた第一丁裏に「春始御悦向貴方」の注解と挿絵を増補したほか、頭書絵抄の配列を一つずつずらし、さらに末尾を全く異なる挿絵に改編するなど異同が著しい。〔石川〕
◆ていきんおうらいせいちゅうしょう [2491]
庭訓往来精注鈔‖【作者】不明。【年代】弘化(一八四四〜四八)頃刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】古往来。【概要】異称『〈頭書訓読〉庭訓往来精注鈔』『〈弘化新刻〉庭訓往来精注鈔』『〈頭書絵入訓読〉庭訓往来精注鈔』。中本一冊。天保一四年(一八四三)刊『〈頭書訓読〉庭訓往来精注鈔』†(黒田庸行注)をほぼ踏襲して頭書に挿絵を加えた改竄本。『庭訓往来』†の各状を五、六段に分けて大字・六行・無訓で記し、各段毎に二行割注を施す。主として庶民の日常生活に即して、『庭訓』の本文要語を平易に解説するのが特徴。頭書には、楷書・小字・一二行・付訓の本文読方を掲げ、その余白に本文要語の挿絵(三七○葉)を収録する。ただし、一一・一二月状部分には絵抄がなく、「富士山」「摂州住吉」のような本文とは関連の薄い挿絵数葉を掲げる。〔石川〕
◆ていきんおうらいせいちゅうしょう [2492]
〈頭書訓読〉庭訓往来精注鈔‖【作者】黒田庸行(成章館・具徳)注。文精堂(堺屋新兵衛)序。【年代】天保一四年(一八四三)序・刊。[大阪]堺屋新兵衛板。【分類】古往来。【概要】大本一冊。『庭訓往来』†各状を五、六段に分けて大字・八行・付訓で記し、各段毎に漢字・平仮名交じりの詳細な割注を施した注釈書。黒田庸行の師・蔀関牛が編んだ天保五年刊『〈首書読法〉庭訓往来具注鈔』†をほぼ継承するが、「凡例」によれば『具注鈔』の著述後に関牛が再考し、変更すべき点をそのまま補足したもので、さらに『具注鈔』で各段毎に掲げた「文意」を各状毎に改めた点が主な改編箇所である。本文中の語句について、近世後期の童蒙の理解を意図した平易な注記を旨とし、頭書に付訓本文を掲げる「経典余師」形式など基本的に『具注鈔』と同様である。巻首に、板元の「題言」(天保一四年四月)と、黒田庸行の「凡例」(『庭訓往来具注鈔』†との関係に触れる)を掲げる。なお、本書をコンパクトな中本仕立てにして頭書に挿絵を加えたものが弘化(一八四四〜四八)頃刊『庭訓往来精注鈔』†(別項)である。〔石川〕
◆ていきんおうらいせいちゅうずえ/ていきんおうらいしょうちゅうずえ [2493]
庭訓往来正注図会‖【作者】暁鐘成(木村明啓・木村繁雄・木村重雄・和泉屋弥四郎・鶏鳴舎・暁晴翁)注。松川半山画。地骨道人序。【年代】安政四年(一八五七)作・書。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓往来一人語』(この原題を改め標記書名にしたものと思われる)。大本七巻七冊。『庭訓往来』†の最も浩瀚な絵入り注釈書。序文にも「巻数を涯(かぎ)らず、事の委(くわ)しからんを専とす。且(そのうえ)、文の傍に楷書を添へ、音訓の両点を加へ画図を数(しばしば)挿み、都合七巻となし」と紹介する。まず巻之一の冒頭で「庭訓」「往来」の字義や作者考を述べ、続いて『庭訓往来』本文を各状毎に楷書・行書二体、音訓付きで掲げた後、例えば第一状(正月五日、石見守宛)だけで合計一一丁(見開き挿絵三葉を含む)に及ぶ詳細な注解・図解を施す。注釈は、短文・短句に句切った本文を見出用に再掲し、続いて、小字の注釈文を一字下げにして掲げるのが基本形式である(本文・注釈文ともに同一大の字で、小字・一三行・付訓)。大胆な見開き絵図を多く載せ、『図会』にふさわしい内容になっている。前付に「士農工商図」「京都富饒之図」「鎌倉繁栄之図」を掲げる。稿本の刊記部分には「安政四年丁巳二月/書林、山城屋佐兵衛」とあるが、この『庭訓往来』最大の絵入り注釈書は未刊に終わった。〔小泉〕
◆ていきんおうらいちゅう [2494]
庭訓往来註‖【作者】不明。【年代】室町後期作・書。【分類】古往来。【概要】異称『左貫庭訓往来』『庭訓往来鈔』『庭訓往来注』『注釈庭訓往来』。大本または特大本一冊。室町後期、応仁の乱以後、かつ織田信長の京都進駐以前に編まれた『庭訓往来』†の古注釈書。『庭訓往来』本文を楷書・大字で記し、返り点・送り仮名を付し、稀に単語の右側に振り仮名(片仮名)を加える。各状を一五、六段に分け、段毎に二行割注を施す。注釈文は真名文で返り点・送り仮名を付す。注記内容は語意・語法から、認めよう(書札礼)にも言及する一方、本文中に出てくる事件や事物、あるいは日付や差出人名・宛名などにことよせて、様々な由来話・縁起譚・民間説話の類を、本文との関連をほとんど無視して長文で記すのが特徴。巻首序文では、書道手本の歴史での『庭訓往来』の地位や使命について記す。室町末期写本(謙堂文庫蔵)は本文を楷書・やや小字・九行・稀に付訓で記し割注を施す。本書は、『庭訓往来』注釈本の真名文系中における代表的なもので、他に多くの古写本が伝わる。なお、この真名文を漢字・平仮名交じり文に改めたものに万治二年(一六五九)刊『新撰庭訓抄』†がある。〔石川〕
◆ていきんおうらいちゅう [2495]
庭訓往来註‖【作者】不明。【年代】寛永八年(一六三一)刊。[京都か]刊行者不明。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓往来抄』『〈新板〉庭訓往来抄』『〈新版(板)〉庭訓鈔』『〈新板〉庭訓抄』。大本二巻二冊。近世を代表する『庭訓往来』†の注釈書。『庭訓』本文を楷書・大字・九行・付訓(返り点・送り仮名付き)で記し、各状毎にやや小字・一二行・付訓で漢字・片仮名交じり文の詳細な注解文を挿入する。巻首序文に「末世ノ諸人、コノ抄ヲ以テ鏡トナサバ、仁義礼智信ヲ覚エン。猶々愚昧ノ教言ニタメニ注シ、効能ヲ加ヘタリ。身ノ終フルマデ亡失スルコトナカレ」と記すように、教訓的・道徳的色彩が濃厚な注解文になっているのが特徴。すなわち本書の注記は、仏教・儒教本位でもなければ常識本位でもない、とりとめもない伝説を『庭訓往来』の文言に寄せて羅列したものである。それゆえ、室町後期成立の真名文系『庭訓往来註』†に比べ、総体的に短文の注釈文であるのに対し、少なくとも説話のきっかけを持つ単語については因縁話を引いた長文の注解とする。その最たる例は「養蚕」(二一四行、四七一九字)で、養蚕の起源に関する神話を詳述する。その反面、真名文系『庭訓往来註』では丁寧な解説がなされた書札礼・書簡用語等について全く触れないのは注意すべきであろう。なお、天正一○年(一五八二)書『庭訓私記』†が実証するように、本書注釈文の起源は室町後期に遡ると考えられる。また、本書は重板・異板、さらには類書を輩出させ、後世の『庭訓』注釈書に深甚な影響を及ぼした。〔石川〕
◆ていきんおうらいちゅう [2496]
庭訓往来註‖【作者】不明。【年代】慶安二年(一六四九)刊。[京都]山屋治右衛門板。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓往来抄』。大本三巻三冊。『庭訓往来』†の注釈書。『庭訓』の各状を一五〜一七段に分けて楷書・大字・七行・付訓で記し、段毎に詳細な二行割注(楷書・小字、漢字・片仮名交じり文)を施す。注釈内容は、寛永八年(一六三一)刊『庭訓往来註』†とほぼ同じ。また、上巻巻首に序文(寛永八年板にほぼ同じ)、下巻巻末に跋文を掲載する。この跋文には、従来の『庭訓抄』には文字に錯乱が多く、義理の通じないところが少なくないため、これを改めて新たに板行した旨を記す。なお、本書の系譜に属する注釈書として承応四年(一六五五)・西村又左衛門板、明暦元年(一六五五)板(刊行者不明)、万治三年(一六六〇)板(同)、江戸前期・出雲寺和泉板、宝永三年(一七〇六)・須原屋茂兵衛板等がある。〔石川〕
◆ていきんおうらいちゅうしょう [2497]
庭訓往来註抄‖【作者】西川竜章堂書。【年代】天保五年(一八三四)書。天保六年刊。[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。【分類】古往来。【概要】異称『〈天保再刻〉校正庭訓往来註抄』。大本三巻三冊、また三巻合一冊。『庭訓往来』†の各状を一二、三段に分けて行書・大字・六行・付訓で記し、段毎に漢字・平仮名交じり文の詳細な注解を施した注釈書。施注内容は、寛永八年(一六三一)刊『庭訓往来註(庭訓往来抄)』†を源泉として万治二年(一六五九)刊『庭訓往来抄』†に継承されたものに準拠する。なお、本書の内容を八行書きに改編した『庭訓往来抄〈平かな附講釈〉』が天保九年に出版されたほか、『庭訓』本文を無訓に改めて新たに本文読方を頭書に増補した改訂版『〈嘉永新鐫〉庭訓往来注抄』†が嘉永五年(一八五二)に刊行された。〔石川〕
◆ていきんおうらいちゅうしょう [2498]
〈嘉永新鐫〉庭訓往来注抄‖【作者】鎌田酔翁書。【年代】嘉永四年(一八五一)刊記。嘉永五年刊。[大阪]秋田屋太右衛門板。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓往来註抄』『庭訓抄』。大本一冊。天保六年(一八三五)刊『庭訓往来註抄』†、あるいはその模刻版・天保九年刊『庭訓往来抄』に頭書読方を施した注釈書。『庭訓往来』†の各状を数段に分けて行書・大字・八行・無訓で記し、段毎に漢字・平仮名交じりの二行割注を施す。施注は天保六年板に同じ。頭書に楷書・小字・一五行・付訓の書き下し本文を掲げた点がほぼ唯一の変更点である。なお、刊記に「嘉永四年辛亥仲冬新板」と記すが、見返には「嘉永五壬子春新鐫」と記載する。〔石川〕
◇ていきんしき [2499]
庭訓私記‖【作者】盛教坊(所持者)書か。【年代】天正一〇年(一五八二)書。【分類】古往来。【概要】異称『庭訓往来抄』『庭訓往来私記』。特大本二巻合一冊。『庭訓往来』†の古注釈書。『庭訓往来』本文より語彙・短句・短文を抜き出し、漢字・平仮名交じり文で解説する。その内容は、寛永八年(一六三一)刊『庭訓往来註(庭訓往来抄)』†とほぼ同じで、その先駆と見なせる。ただ、室町後期書『庭訓往来註』†の注記(真名文)とも通ずる所が少なくなく、寛永八年板の仮名文注釈と室町期の真名文注釈とが同じ源泉から分かれたことを推測させる重要な注釈書である。また、天正一○年(一五八二)二月の奥書に「江州弥尊寺悉地院此本有ト云々」「右此本天正十年仲春写置申候悪筆至極之条後覧之嘲御恥ケ敷候ヘ共子曰以壺之弊不捐其の金以書之拙不廃其儀ト云任先言如此候」「持主関東相模国住人盛教坊」と記す。なお、本書とほぼ同内容の古写本に慶長三年(一五九八)書『庭訓往来抄(庭訓往来私記)』がある。〔石川〕
◇ていきんしょう [2500]
庭訓抄‖【作者】不明。【年代】元和〜寛永(一六一五〜一六四三)頃刊。刊行者不明。【分類】古往来。【概要】大本二巻合一冊。『庭訓往来』†の古活字版注釈書。本文も注釈文も木活字を使用しており、漢字・片仮名交じり文の注釈も本文と同一大でやや小字・一三行・無訓で記す。注釈内容は寛永八年(一六三一)刊『庭訓往来註(庭訓往来抄)』とほぼ同じ。木活字版は習字用手本には向かないため、木活字を使用した往来は極めて稀であり、本書はその点で異色である。〔石川〕
◆ていきんようご [2501]
庭訓要語‖【作者】山本精義作。【年代】天明六年(一七八六)書。【分類】教訓科。【概要】大本二巻合一冊。孝や勤勉、倹約などを四三カ条にわたって説いた教訓。上巻巻頭の前文でまず「人と生れては先務本ことを知るべし…」と述べて人道の根本である「孝」の大意を説き、続いて、第一条に父母を養うことの二つの意味について敷衍し、以下、孝を実現する具体例として父母への愛敬、親の生前・没後の孝行、他人との交際、四恩への報恩、忠孝の道、五倫・四徳、言行と修身、学問の主旨、礼儀、謙虚など二〇条を記す。さらに下巻二三カ条では、学問における立志、善悪の弁え、耳目口腹の欲、養生、武士の職分、謹慎、倹約と吝嗇、忍耐、陰徳、朋友・召使いの見極め、自己反省、善悪の報いなどについて諭す。また、巻末に自問自答用に以上の教訓を要約した三四カ条を掲げる。本文をやや小字・八行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆ていごう [2502]
〈大阪府学校用〉帝号‖【作者】大阪府学務課編。【年代】明治年間刊。[大阪]大阪府学務課蔵板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。「天之御中主神」以下神代の二四神と、神武天皇から明治天皇まで人皇一二二代の歴代天皇名を大字・二行・無訓で記した手本。〔小泉〕
◆ていこうあわせかがみ [2503]
貞孝合鏡‖【作者】矢吹正盛(田使正盛)作。正木輝豪序。田使経正(鴛淵舎)跋。田使正秀(姥山人)画。【年代】文久元年(一八六一)序・刊。[津山]今津某板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。文久元年四月二五日に入牢の身となった美作国院庄村の貧民・馬之烝を助けるために、その罪の身代わりとなって同年四月二八日に自殺した妻・於中と娘・浅野母子の貞節・至孝を讃えた女訓書。その事件の背景や経緯とともに自殺時の様子を生々しく綴り、また、夫の釈放を懇願した役人宛ての遺書なども載せる。事情を察した同村の庄屋がその書置に訴状を添えて国府に申し出たために、馬之烝は罪を許されたという。本文をやや小字・八行・付訓で記す。巻頭に院庄村の風景図を掲げ、名所旧跡や同地に由来する古歌などを紹介する。〔小泉〕
◇ていこくかいかようぶん [2503-2]
〈往復自在〉帝国開花用文‖【作者】喰代豹蔵作。青木東園(理中)書。【年代】明治二八年(一八九五)刊。[東京]別所平七板。【分類】消息科。【概要】異称『往復自在帝国開花用文』。半紙本一冊。明治八年(一八七五)刊『〈喰代豹蔵著述〉開化小学用文』†の改題本。改題に際し、巻頭に岡本可亭の題字(明治二七年一二月)を掲げたほか、銅版刷りの前付「国民便覧」(「書牘用語」「祝日大祭日解」「服忌令」「小包郵便料」「電信条例摘要」「郵便貯金扱方心得」「郵便条例摘要」を収録)を増補した。〔小泉〕
◆ていこくしんしようぶん [2504]
〈普通教育〉帝国紳士用文‖【作者】中邨秋香作・書。依田百川序。【年代】明治二六年(一八九三)刊。[東京]鈴木正之助(青海堂・不二書屋)板。【分類】消息科。【概要】一名『書簡八面鋒』。半紙本一冊。書簡文の入門書として「文躰を平易簡淡にも、又は高尚雅馴にも随意自由に作り得べからしめんが為」に、頭書に雅俗二様の類語を掲げた用文章。「年賀の文」から「文稿を返却する文」までの五五通を収録。四季贈答の手紙文はほとんどなく、開店・出仕・婚姻・出産・新築・病気・死去・火災などの吉凶事に伴う例文や「金員融通を乞う文」「落第生を慰諭する文」「事業失敗の人に寄る文」といった用件中心の手紙が主体。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語にしばしば左訓を施す。頭書類語には、修書・展読・時候・起居・欣喜・無異・疎濶・自愛・結尾・新年・開業・官職・婚姻・生子・入学・落第・新築・退隠・賀宴・旅行・欣慕・未逢・面晤・饗応・招邀・訪問不遇・遊行・餽遺・感謝・依頼・宥恕・自叙・貸借・返附・争訟・火水風難・疾病・弔祭の三八門別に替え言葉・替え文章を掲げ、さらに巻末に「書簡中に用ふる自他称呼の大略」を載せる。〔小泉〕
◆ていこくしんようぶんたいせい [2505]
〈実地応用〉帝国新用文大成‖【作者】福井淳作。岡本竹二郎(可亭)校。【年代】明治二三年(一八九〇)刊。[大阪]吉岡平助(宝文軒)板。【分類】消息科。【概要】異称『実地応用帝国新用文大成』『〈実地応用〉帝国用文』。半紙本一冊。例文の多さと分類(特に兵役関係を独立項目にした点)が独特な明治期用文章。「四季贈答之部」「祝賀之部」「凶変之部」「日用之部」「商用之部」「農用之部」「工用之部」「兵用之部」の八部に分けて、それぞれ「年始の文」以下七通、「婚姻を賀する文」以下二四通、「火災見舞の文」以下八通、「未逢さる人に遣す文」以下二六通、「商品見本を送る文」以下二五通、「祭典案内の文」以下一一通、「製造品の見本を贈る文」以下二〇通、「徴兵に応ずる人に贈る文」以下一七通、合計一三八通の例文を収録する。頭書「作文拾玉」に漢語を多用した種々の文章(消息文を含む)を掲げ、前付に二一丁に及ぶ「国民日用便」(書簡作法その他の諸般の記事)を合綴する。本文を大字・七行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔小泉〕
◆ていこくふつうさくぶん [2506]
帝国普通作文‖【作者】教育散士作。【年代】明治二四年(一八九一)刊。[宇都宮]田中正太郎ほか板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。近代的な例文を豊富に用意し、「慶賀」以下九部に計九五題一四八通を収録した用文章。内訳は、「慶賀之部」が「年始之文」〜「博覧会受賞を賀する文・同返書」の二〇通、「招待之部」が「新年宴会に友を招く文」〜「新築開店に人を招く文」の一四通、「誘引之部」が「観雪人を誘ふ文」〜「芝居見物誘引之文・同返書」の一四通、「慰問之部」が「寒中見舞之文」〜「死去を弔之文・同返書」の二〇通、「餽遺之部」が「早梅を贈る文」〜「徴兵入営を送る文・同返書」の一四通、「報知之部」が「開校を報する文」〜「転居を報する文」の九通、「依頼之部」が「買物依頼之文」〜「新聞配達を頼む文」の一五通、「照会之部」が「依頼之件問合之文」〜「商況問合之文・同返書」の一六通、「雑之部」が「作文書注文之文」〜「鉱山鑑定報告之文」の二六通。いずれも二、三行から半丁程度の短文で、やや小字・九行・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書に「いろは引用語」「書簡語彙」「受取諸文例」「諸願届書文例」「諸証書文例」を載せる。〔小泉〕
◆ていこくふつうようぶん [2507]
帝国普通用文‖【作者】黒川亀之助作。湯川吉太郎書。菜花黄金堆裏序。【年代】明治一六年(一八八三)序・刊。[大阪]浜本伊三郎板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「四季」「慰問」「賀弔」「報知」「依頼」「雑纂」の六部から成る「文章之部」に「諸証書之部」「諸願届之部」の二部を加えた大部な用文章。消息例文は「四季之部」から順に、「元日友人を招く文」以下二一通、「火事見舞の文」以下七通、「新婚を賀する文」以下一四通、「転宅報知の文」以下一四通、「新聞紙配達を頼む文」以下二四通、「伊勢参宮を約する文」以下二二通の合計一〇二通。本文を大字・五行(証文類は八行)・付訓(漢語に左訓)で記す。各例文は近代社会を象徴する題材に溢れており、続く「諸証書」「諸願届」の二部とともに近代市民社会に必要とされたあらゆる書簡・文書の案文集となっている。なお、「諸証書之部」には「請取書式」から「委任状」までの一九例、「諸願届之部」には「営業願」から「妻離縁届」までの三二例を掲げる。頭書に各例文に関する類語・類句や、「地所質入書入規則略」を始めとする各種関連規則(「成規抄略」)を載せる。〔小泉〕
◆ていこくぶんしょうたいせい [2507-2]
〈中島久徴編纂・開化日用〉帝国文証大成‖【作者】中島久徴編。【年代】明治二五年(一八九二)刊。[東京]橋本幸蔵(酔畊堂)蔵板。[横浜]天野弘集堂ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈開化日用〉帝国文証大成』『文証大成』。半紙本一冊。「年始之贈書」から「詩歌贈寄之副詞」までの六二通を収録した明治後期の用文章。前半に四季行事・時候にまつわる手紙、後半に通過儀礼・佳節に伴う手紙、諸用件、凶事に伴う手紙などを載せる。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。このほか、巻末「諸証文書式」に「借用金之証」以下一〇通を掲げるほか、頭書にイロハ引き・細注付きの書簡用語集「作文摘語」を載せる。〔小泉〕
◆ていこくぶんしょうたいぜん [2508]
〈原田道義編輯・書牘確証〉帝国文証大全‖【作者】原田道義(一醒斎)作・序。伊藤桂洲書。源義廉序。【年代】明治一〇・一一年(一八七七・七八)序。明治一一年刊。[東京]藤岡屋慶次郎(水野慶次郎・松林堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『帝国文章大全』。半紙本二巻二冊。上巻「書牘文例」一三四丁、下巻「証券文例」一四八丁、合計二八二丁から成る浩瀚な用文章。上巻は、「時令之部」「遊賀之部」「慶賀之部」「慰問之部」「雑事之部」の五部に分け、それぞれ「年頭之賀帖」以下二四通、「早梅花ヲ贈之牘」以下二一通、「賀婚姻之書」以下一六通、「乞医師之回診之状」以下一三通、「入学依頼之書牘」以下八通の合計八二通を収録する。各例文を大字・五行・付訓(しばしば左訓)で記す。上巻頭書に本文の類語を集めた「聚文接辞」や、言語・時節・居所・人倫・身体・飲食・衣服・器財・動物・山物・植物・数量の一二門に分類した「日用語集」や、「数字称呼」「物品称呼」を掲げる。また下巻は、証書類・願書類・届書類の三部に分け、それぞれ「無利足預金之証書」以下六九例、「営業願書」以下五二例、「地所引請人届」以下三三例の合計一五四例を大字・七行・付訓で記し、頭書に「証券印紙税則略」から「利息制限法」までの関連法規など八〇項の「成規会意」を掲げる。当代の類書中で最も大部なものの一つである。〔小泉〕
◆ていこくようぶんしょうたいせい [2509]
〈前田孝典編輯〉帝国用文章大成‖【作者】前田孝典作。名和対月書。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[大阪]梅原亀七板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻合一冊。「時令」(四季ノ諸見舞)、「邀約」(諸催)、「慶賀」(諸祝儀)、「嘱託」(諸依頼)の四部・四二通の私用文例を集めた大部な用文章。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書に「作文要語」として漢文類語、および「証券類部」として証書・諸願・届などの公用文例を集める。本文は「履端之嘉祥、遠迩同新、芽出度申納候…」の如く漢語を交えた典型的な文例であるが、次いで替文として同程度の長さの文例を示し、さらに替え言葉としての類語を多数列記する。本文を大字・五行・ほとんど付訓(所々の漢語に左訓)で記す。〔母利〕
◇ていしおんなこうきょうずえ [2510]
鄭氏女孝経図会‖【作者】畑銀鶏作。村田嘉言校・画。浦辺良斎書。【年代】文政一二年(一八二九)刊。[大阪]加賀屋弥兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『女孝経図絵』。大本一冊。明暦二年(一六五六)刊『女四書』†所収『女孝経』の本文に、和漢近世の風俗画を加えた往来。同様の趣向で編まれ、文政一一〜一三年に刊行された『曹大家女誡図会』†『曹大家女論語図会』†『明孝慈列女伝図会』†とともに四巻四冊にまとめられ、天保六年(一八三五)に『女四書芸文図会』†の書名で再刊された。〔小泉〕
◆ていしそうおうらいしゅう [2511]
弟子僧往来集‖【作者】不明。【年代】鎌倉時代作。室町後期書か。【分類】古往来。【概要】異称『弟子僧往来』。巻子本一軸。大寺にある高位の僧より檀越や宮廷宛てとした書状案六通と断簡一通から成る古往来。ただし、明らかに零本であり、原初の姿は明らかでない。書名は、冒頭の書状が「弟子僧…」から始まることによる。全文が準漢文体書簡で、楷書・無訓の手本用に認める。内容は、弟子僧の帰国について領主の庇護を乞う文、闍梨に補佐したことを知らせる文、一寺の長吏に補せられたことを知らせる文、檳榔毛の車の借用を申し入れる文、熾盛光法の勤仕を謹請する状、修法勤仕の命を謹んで請ける文、湯治に人を誘う状等である。〔石川〕
◆ていじょうかくん [2512]
貞丈家訓‖【作者】伊勢貞丈(安斎)作・跋。屋代弘賢(輪池・詮賢)校・序。山本長孝(沢彭)跋。【年代】宝暦一三年(一七六三)作。文政二年(一八一九)跋・刊。[江戸]堀野屋儀助ほか板(天保八年(一八三七)板)。【分類】教訓科。【概要】異称『安斎氏家訓』『伊勢貞丈家訓』。半紙本一冊。武家故実家として知られる伊勢貞丈の家訓を上梓したもの。五常・五倫・先祖・家業・衣食住・神仏・酒色財奕・苦楽・慎独・省身・改追・非理法権天・倹約・堪忍・自暴自棄の一五章に分けて説く。本文をやや小字・九行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆ていじょしまづぶみ [2513]
〈初学手本〉貞女志満津文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。また別に[江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板あり。【分類】女子用。【概要】異称『志満津婦美』。中本一冊。豊臣秀吉の命により朝鮮出征に赴いた陪臣・瀬川采女の妻・菊子が夫へ送った手紙を装って編まれた往来。冒頭部など一部を除き、明和五年(一七六八)刊『采女玉章』†とほぼ同内容。「便りの船を待得てそゞろに筆のたてども、覚えおはしまし候はね共、立別れ参らせしより後、人知れず独こがるゝ胸の煙、晴るまもなき涙の雨、一方ならぬ思ひの闇に…」で始まる全編一通の女子教訓。跋文には、この手紙が出陣にあたり夫への恋慕の思い綴ったものであること、そして、大海に漂流した後、拾い上げられたこの手紙に感動した主君が采女を故郷に帰したという因縁話を紹介したうえで、本書をもって「只に恋情のことゝおもへるは口惜しきことになむ」と戒め、菊子の貞操を強調する。いずれにしても恋文で綴った異色の教訓である。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書(三丁表まで)に「七夕の歌」を掲げる。〔小泉〕
◆ていしんようぶん [2514]
〈日用交通〉逓信用文‖【作者】近藤衡平編。【年代】明治二三年(一八九〇)刊。[東京]伊藤岩次郎蔵板。[大阪]河内屋喜兵衛(柳原喜兵衛)売出。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。四季音信春之部・同夏之部・同秋之部・同冬之部・祝辞之部・訊問之部・報知之部・招待之部・雑之部・商用之部の一〇部から構成される大部な用文章。順に「年始之文」以下一〇通、「野遊を誘ふ文」以下一〇通、「観蓮誘引文」以下七通、「紅楓遊覧を約す文」以下七通、「婚礼を賀す文」以下一七通、「火事見舞文」以下九通、「開店報知文」以下一〇通、「誕辰招客文」以下六通、「器物を借に遣す文」以下一九通、「初て註文遣す文」以下四七通の合計一四二通を収録する(圧倒的に商用文が多い)。本文を大字・六行・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書を二段に分け、広い上段に「書翰端書」「四季時候」「他郷里ノ称」「自郷里ノ称」「他の居所」等の語彙集を、狭い下段に本文類語を掲げる。銅版刷り八丁の前付には「東西半球図」「日本地図」「郵便条令撮要」「内国貨幣陸地逓送賃銭表」「証券印紙規則撮要」「民事訴訟用規則摘要」「利息制限法」「内国名及府県管轄表」「文法」「類語・記事祝文作例」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◆ていとくぶんしゅう [2515]
貞徳文集‖【作者】松永貞徳(勝熊・逍遊軒・明心・長頭丸・延陀丸)作。【年代】慶安三年(一六五〇)刊。[京都か]刊行者不明。【分類】消息科。【概要】異称『貞徳往来』『貞徳文章』。特大本または大本二巻二冊。江戸初期の代表的歌人・俳人である松永貞徳が私塾門弟用に編んだ手本。貞徳は、慶長(一五九六〜一六一四)末年から自宅に私塾を開いて庶民子弟の教育にも携わったが、本書はそこで用いられた手本で、実用的な消息文例集を集めた先駆的な往来として重要。上巻に六月までの消息例文九一通、下巻に七月以降の八三通の、合計一七四通を収録する。例文は極めて多彩で、連歌・香道・詩歌・碁・茶の湯・書画・誹諧・琵琶・能・音律など諸芸能、また、読書・漢学・暦法・占い・兵法その他の教養や、節句・参詣・花見・鷹狩り、その他四季行楽、寺社祭礼や普請・法事、年中行事故実、取引売買、注文・調達依頼、職人雇い入れ、馬具・茶道具等の貸借・購入、花火製法、表具依頼、薬種・酒・舶来の葡萄酒にまつわる手紙、季節の会合、招待・訪問、料理・接待、病気平癒、念仏修行、婚礼その他通過儀礼、水害見舞い、献上品、公務、農村経営等を主題としたもので、京都における教養人や上流階級の往事の生活を彷彿とさせる。本文を大字・六行で綴り、任意の語句に片仮名の読みを付す。なお、『貞徳文集』の書名は早く『万治二年書目』に見え、『寛文一〇年書目』からは『貞徳文章』と改められているが、『延宝三年書目』では、『貞徳文章』と『貞徳文集』の二本(いずれも二冊本)が並記されているため、両者が別内容であった可能性もある。〔小泉〕
◆てがたしょうもん [2516]
〈御家〉手形証文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「借用申金子之事」から「差上申手形之事(関所通行手形)」まで八通の証文類文例を掲げた簡易な用文章。本文を大字・六行・所々付訓で記す。本書の丁付けが「五十一」〜「六十一」となっていることから、五〇丁前後の消息文例と合綴した用文章からの抜刷りであろう。次項と同題だが本書は無郭で全くの異板。〔小泉〕
◆てがたしょうもん [2517]
〈御家〉手形証文(異本)‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「借用申金子之事」「書入借用認文之事」「奉公人情状之事」「乳母奉公請状之事」「養子一札」「店請状之事」「差上申手形之事」の証文類七通を収めた用文章。前項と同題だが全くの異板で、本書には匡郭がある。本文を大字・六行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆てがたしょうもん [2518]
〈弘化再刻〉手形証文‖【作者】不明。【年代】弘化(一八四四〜四八)頃刊。[江戸]山田屋庄兵衛板か。【分類】消息科。【概要】異称『〈万延再刻〉手形証文』。中本一冊。江戸後期に多数出版された証文手形案文の一つ。見返に「諸国御関所」を掲げ、「借用申金子之事」「預り申金子之事」「店請状之事」「年季奉公人請状之事」「永代売渡家屋敷之事」「為替手形之事」「乳母奉公人請状之事」「家守手形之事」「差上申手形之事」の九通を収録する。本文を大字・六〜七行・所々付訓で記す。板元名を記さないが、原題簽下部に山形に「庄」の字の商標を付す。〔小泉〕
◆てがたしょうもんしゅう [2519]
〈増補〉手形証文集‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[甲府]井筒屋豊兵衛板か。【分類】消息科。【概要】中本一冊。本文欄および頭書欄に「借用申金子之事」以下一三通の証文手形文例(「離縁状」を含む)を収めた用文章。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書には証文文例数通のほか「名頭字」を載せる。本書の体裁は幕末に刊行された井筒屋板の趣を有し、さらに小泉本に「甲州山梨郡上萩原村…」の記載があることから、甲州板と推定される。〔小泉〕
◆てがたしょうもんしゅう [2520]
〈必要重宝〉手形証文集‖【作者】不明。【年代】安政三年(一八五六)頃刊。[江戸]永栄軒板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。本文欄に「関所手形」「礼証文」「借用証文」「奉公人請状」「喧嘩内済状」、頭書欄に「養子証文」「店請証文」「引取証文」「離縁状」の合計九通の証文類文例を集めた用文章。本文をやや小字・八〜九行・付訓で記す。〔小泉〕
◆てがみあんしょ [2521]
〈御家〉手紙案書‖【作者】中井某作・書。【年代】天保一五年(一八四四)刊。[江戸]三河屋善兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家〉年中手紙案書』。中本一冊。「年頭披露状」以下三六通の消息文例を収めた用文章。冒頭の年頭披露状では、呈書向け・両敬(家内または親類)向け・同輩向けの三種について上中下の文例を示し、続いて、五節句の文、夷講・髪置祝い・寒気見舞い・年籠百韻・歳暮・婚礼に伴う手紙をそれぞれ往復文で掲げる。本文を大字・五行(証文類は六行)・付訓で記し、任意の語句に略注を施す。巻末に、関所通行手形など六状の証文文例から成る「手形諸証文案書」を合綴する。〔小泉〕
◆てがみあんもん [2522]
手紙案文‖【作者】佐々木文隆堂(正舟)書。【年代】文化八年(一八一一)書・刊。[京都]八駿堂蔵板。小川武右衛門(八駿堂か)ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『万宝手紙案文』。大本五巻五冊または五巻合一冊。仁・義・礼・智・信に五分冊したものと一冊に合綴した二様がある。消息例文の豊富で、消息用語や書簡作法など詳しい関連記事を満載した用文章。収録書状は「年頭祝儀文章」から「別家悦之文章・同返事」までの八六通。五節句・四季行事の手紙、商用の手紙、慶事祝儀状の順に配列する。本文を大字・五行・付訓(返り点不記)で記し、頭書「本文読法」に返り字を再掲して訓点を施すのが特徴。この「本文読法」は「義」巻の前半部までで、それ以降の頭書には書簡作法全般の「書札文式」や、「証文手形案紙(手形案文一一例と心得)」「仮名文(七通)」「日本国尽」を収録し、頭書には適宜関連の挿絵を掲げる。〔小泉〕
◇てがみあんもん [2523]
〈御家〉手紙案文‖【作者】長善堂書。【年代】江戸後期刊。[江戸]笹屋又兵衛(東錦堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈諸民通用〉手紙案文』。小本一冊。式亭三馬作『〈世俗通用〉一筆啓上』†(中本)を模倣した用文章。前半の用文章には「年始之文」から「帰国之上土産配之文」までの三九通を収録するが、これは『一筆啓上』全六八通からの抄録。後半の証文類も『一筆啓上』からの抜粋で、「店請状」以下九通の例文を載せる。本文をやや大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆てがみあんもんしゅう [2524]
〈改正〉手紙案文集‖【作者】不明。【年代】嘉永(一八四八〜五四)頃刊。[江戸]積玉堂板(ただし「〈早引両点〉節用集」は松坂屋茶吉板)。【分類】消息科・語彙科。【概要】中本一冊。『手紙案文集』『〈新板改正〉懐中手形証文集』『〈増補〉早引両点節用集』『四民要用熟字尽講釈』を合綴した小冊子の往来物。幕末に類書が種々刊行されている。『手紙案文集』は、本文「年始状」から「弔状」までの文例を収め、頭書にも「五節句之文」など数通を載せる。『〈新板改正〉懐中手形証文集』は、本文に「御関所手形」から「りえん状」まで、また頭書に「養子証文」など数通の証文文例を収録する。『〈増補〉早引両点節用集』は、別項『早引両点集』†に同じで、表紙に「松坂屋茶吉」と記す(この『〈増補〉早引両点節用集』に代えて『〈早引両点〉節用集』を収録する版もある)。『四民要用熟字尽講釈』は、嘉永頃刊『熟字尽講釈』†とほぼ同様。いずれも本文をやや小字・六〜七行・付訓で記す。なお、小泉本に「嘉永八年」の書き入れがあるのでそれ以前の刊行である。また、類書に『童子早学文』†があり、さらに本書から『〈早引両点〉節用集』を除いた改編本に『〈増補改正〉手紙案文集』がある。〔小泉〕
◆てがみあんもんはやべんり [2525]
〈嘉永改正〉手紙案文早弁利‖【作者】鼻山人(東里山人・細河並輔・細川浪次郎)作。【年代】嘉永四年(一八五一)刊(再板)。[江戸]森屋治兵衛(錦森堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈手紙案文〉当用早辨利』。中本一冊。弘化二年(一八四五)刊『〈増補〉手紙早便利大全』†の抜刷本。一般の用文章とは異なり、消息用の短文・語句を列挙して解説した往来。貴人宛ての書状の冒頭部(端作など)や締め括りの文言(結語等)、また、一月から一二月までの四季時候の挨拶語などの例を大字・六行・ほぼ付訓で掲げて、割注を施す。また、頭書「手形証文」に「差上申一札之事(関所通行手形)」以下一一例を載せ、口絵に錦森堂(森屋治兵衛)店頭風景を描く。なお、本書の改題本に『手紙早講釈』(江戸・美濃屋千八板)がある。〔小泉〕
◆てがみじざい [2526]
〈御家〉手紙自在‖【作者】牧田皐水(墨池堂)作・書。藍庭玉粒(三成堂)書。十返舎一九校・序。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[江戸]伊藤弥兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈文通要用〉手紙自在』『〈通用〉手紙自在』。横本一冊。時節・非常・居宅・寺社・祝儀・雑の六部に分けて編んだ用文章。「時節之部」は「年始状」以下四季折々の手紙二四通、「非常之部」は「悔之文」以下不幸事に関する手紙一一通、「居宅之部」は「棟揚之祝儀」以下家屋新築等の手紙七通、「寺社之部」は「入院之文」以下寺社に関する手紙八通(うち一通は「手跡登山之文」)、「祝儀之部」は「婚姻之文」以下通過儀礼を主とする祝儀状一八通、「雑之部」は「月見之文」など交際・雑用などの手紙二九通の合計九七通を収録する。書状分類や例文がやや独特で、特定の例文について数通掲載するのも特徴。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「書状封じ様」その他書簡作法の基本を記すほか、文政九年(一八二六)再板本では、巻末に「借用申金子之事」以下一一通の手形証文文例と「篇并冠」が増補した。なお、文化板見返に「牧田皐水先生書、十返舎一九先生按文」、文政板見返に「牧田皐水書、十返舎撰文」と記すが、十返舎一九の序文には「墨池堂のあるじ此書を著して…」とあり、さらに本文末尾にも「墨池堂牧田皐水作書」と明記することから、作者は皐水で十返舎一九はその校訂者と見なすべきであろう。〔小泉〕
◇てがみしょうもんしゅう [2527]
〈必要重宝〉手紙証文集‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]永栄軒板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。表紙ともわずか四丁の小冊子で、種々の手形証文文例を集めた用文章。本文に「御関所手形」「差上申一札之事」「礼証文一札之事」「借用申金子之事」「奉公人請状之事」「喧嘩内済取扱書付」、また頭書に「養子証文之事」「入置申一札之事」「店請証文之事」「引取申一札之事」「りゑん状」の合計一一例を収録する。また表紙には「諸国御関所御番」を載せる。〔小泉〕
◇てがみしょうもんしゅう [2528]
〈世俗通用〉手紙証文集‖【作者】臥雲居書。【年代】江戸後期刊。[江戸]高園堂板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「用文章」「手形証文」と臥雲居編「早引熟字」の三編を合綴した往来で、『〈両点早引熟字解釈〉手紙証文集』†とほぼ同内容。前半に「年始状」〜「元服悦文」の一五通と「御関所手形」〜「りゑん状」の一一通および「りゑん状認様」「相性名頭字づくし」を収める。後半「両点早引熟字解釈」は、上下二段・一段六行・一行四語で、二字熟語を二三語ずつ列記したイロハ分け日用語集である。また頭書に、基本的な消息用語集である「要用講釈」を載せる。〔小泉〕
◆てがみしょうもんしゅう [2529]
〈両点早引熟字解釈〉手紙証文集‖【作者】臥雲居書。【年代】江戸後期刊。[江戸]紫玉堂板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「用文章」「手形証文」および臥雲居編「早引熟字」の三編を合綴した往来。「用文章」は、「年始状」など四季折々の手紙と、元服・婚礼・出産時の祝儀状、病気・火事見舞状、その他の雑文章など一七通を収録する。「手形証文」は、「御関所手形」から「りゑん状」までの一二通を収める。本文をやや小字・七行・所々付訓で記す。「早引熟字」は日常的な二字熟語をイロハ順に編んだもので、それぞれ二三語ずつ(「京」の部のみ一九語)両点付きで載せる。頭書に、消息用語や日常語の読み方や略注を施した「要用講釈(熟字尽)」や、離縁状の離縁理由の各種表記例を示した「りゑん状認様」を掲げる。なお、本書とほぼ同内容の往来に『〈世俗通用〉手紙証文集』†や『〈諸状案文・手形証文集〉いろは字引』†がある。〔小泉〕
◆てがみたいぜん [2530]
〈商家必用〉手紙大全‖【作者】中野良助(誘転堂・道愚)書・跋。【年代】文化一三年(一八一六)刊。[大阪]勝尾屋利兵衛(玉栄堂・小林利兵衛)ほか板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。五節句祝儀状や季節の手紙五二通、元服祝儀状など諸事に伴う書状四八通、開店祝いを始めとする商取引上の各種書状二七通、合計一二七通を収録した用文章。収録書状が比較的多いほかは際立った特色はないが、商家子弟に必要な書状を一通り載せる。本文を大字・七行・付訓で記す。〔小泉〕
◇てがみのあんもん [2531]
手紙之案文‖【作者】三清堂書。【年代】文化一三年(一八一六)刊。[名古屋]飯田治兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『御家手紙之案文』。中本一冊。「年始状」から「祈祷頼遣文」までの五五通を収録した用文章。ほぼ四季・五節句、通過儀礼、祝事、売買取引、その他の順に例文を掲げ、いずれも大字・四行・稀に付訓で記す。巻末に「諸証文之類」「吉書詩歌」「七夕詩歌」を載せるほか、目次上欄に文字・墨・筆に関する故事来歴を掲げる。なお、巻末広告に三清堂筆の『御家流仮名文章』『御家流消息詞』とあるが未見。〔小泉〕
◆てがみのあんもん [2532]
〈万民平生〉手紙之案文‖【作者】不明。【年代】文化八年(一八一一)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門(裳華房)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。十返舎一九作・享和二年(一八〇二)刊『手紙之文言』†の作者名を隠蔽して改題した海賊版。「年頭披露状」以下一一五通の消息文例(一通を除き全て往復文)から成る。本文を大字・五行・所々付訓で記す。本書の前半部分を独立させた『〈万民平生〉一筆案文』†が、天保六年(一八三五)に同一書肆から刊行されている。〔小泉〕
◆てがみのとりやり [2533]
〈御家〉手紙之取遣‖【作者】不明。【年代】寛政六年(一七九四)原板。文化七年(一八一〇)補刻。[江戸]須原屋文五郎板(求板)。また別に[江戸]紙屋利助板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈四民平生〉手紙取遣文章』『即席案文』。半紙本一冊(版面は中本サイズ)。寛政六年刊『〈四民平生〉翰用文林万載亀鑑』†の改題本。刊記に記す寛政六年原板は改題前の『〈四民平生〉翰用文林万載亀鑑』のことであろう。「年始に遣す状」から「養子之悦状・同返事」までの往復六六通を収録した用文章。五節句・四季行事・時候見舞い、吉凶事、諸用件に関する例文を一通り載せ、各例文とも大字・五行・付訓で記す。巻頭に「関羽之肖像并賛」「衣服并魚鳥詞」「帝并親王方金言」「万積方之絵図」「五性名頭字」「絵馬・看板書付之図」「聯額・屏風・掛物・扇面・短冊図」「大日本国尽」「雅俗印面之図」「異国之名寄」「把筆之法両式」「書状認方高下」、また、頭書や巻末に「書状法式指南」「五節之詞替字」「書状尊卑詞」「同訓文字遣分」「立春書初詩歌」を掲げる。〔小泉〕
★てがみのぶん [2533-2]
〈年中吉事〉手紙之文‖【作者】十返舎一九作。佐藤掬泉堂(慎一郎・史鼎)補・書。【年代】享和二年(一八〇二)刊。[江戸]菊屋幸三郎板(嘉永二年(一八四九)板)。【分類】消息科。【概要】中本一冊。四季や通過儀礼に伴う手紙、また、日常の諸事に関する見舞状・依頼状・祝儀状を集めた用文章。「年頭披露状」から「神事之文章」までの五七通を収録。本文を大字・四〜五行・所々付訓で記す。巻頭に七夕詩歌数編を掲げ、巻末に「手形証文自在(一一通の証文類文例)」「諸国御関所附」「諸宗名目」等の記事を載せる。このほか、る場合もある。なお、本書の「神事之文章」の後半を変更して「大酒を好む人に贈る文」から「伊勢太々講之回文」までの一七通を増補したものが『永福用文章』†である。また、刊記に「享和二年三月発行、文化二年正月二刻、同一三年七月三刻、嘉永二年五月四刻」の旨を記載するが、『永福用文章』よりも先行することが明らかであるが、享和二年板から『手紙之文』という書名であったかどうかは不明である。〔小泉〕
◆てがみのぶん [2534]
〈万延再刻・御家〉手紙之文‖【作者】不明。【年代】万延元年(一八六〇)頃再刊。[江戸]糸屋庄兵衛板か。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始之文」「上巳之文」「端午之文」「土用見舞之文」「中元之文」「八朔之状」「重九之文」「夷講廻状」「寒中見廻之文」「元服祝之文」「養子ニ行人江之文」の一一通を収録した簡易な用文章。本文を大字・五行・付訓で記す。初刊年代は江戸後期に相違ないが未詳。刊行者を明記しないが、題簽の商標で板元を推定。〔小泉〕
◆てがみのぶんしょ [2535]
手紙之文書‖【作者】千葉某書。【年代】嘉永元年(一八四八)以前刊。[山形]北条忠兵衛板か。【分類】消息科。【概要】異称『尊円流手紙之文書』。半紙本一冊。庶民日用の消息文例を集めた用文章。「年始之文」から「宮参の文・同返事」までの往復五八通を収録。季節順の例文の間に、「婚姻怡の文」「仏事に人を招く状」「湯治見舞の文」「謳会の文」「夷講の文」など諸事に伴う例文を含む。本文を大字・五行・所々付訓で記す。頭書に本文中の要語の替え言葉を掲げる。刊年・筆者名を記さないが、本書の増補版である嘉永元年刊『手紙之文書』†(次項)にはその旨記載する。〔小泉〕
◆てがみのぶんしょ [2536]
手紙之文書(増補版)‖【作者】千葉某書。【年代】嘉永元年(一八四八)刊(再板)。[山形]北条忠兵衛(崑崙堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈増補頭書〉手紙之文書』『尊円流手紙之文書』。半紙本一冊。前項の「年始之文」から「宮参の文・同返事」までの往復文五八通に、「元服怡の文」「縁組相談の文」「聟養子貰状」「妻貰状」など二七通の消息文と、「金子借用証文」から「譲状」までの九通の証文類を増補した用文章。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。増補部分も基本的には同体裁で、頭書に本文中の要語の類語を載せる。本文や頭書の数カ所に書簡作法に関する説明や図解を挿む。〔小泉〕
◆てがみのぶんたいぜん [2537]
〈御家〉手紙の文大全‖【作者】真田暁海(竜雲堂)書。【年代】嘉永五年(一八五二)刊。[江戸]三河屋善兵衛(大栄堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈万家通用〉手紙之文大全』。中本一冊。前半に消息文例、後半に証文類文例を載せた用文章。前者は「貴人え上る年始状」〜「移徙を賀す文・同返事」の四五通で、四季・五節句、四季行事の例文が大半だが末尾に出産・髪置・元服・婚礼に関する例文を付す。後者は「店請状」〜「家作受負証文」の二四通から成る。本文を大字・四行(証文類は六行)・所々付訓で記す。頭書に「手紙書様心得」「万対名の事」「消息往来」「物を書心得」「百官名づくし」「東百官」「国尽し」「七夕祭の由来并和歌」「月之異名」「苗字尽」「〈和俗制作〉文字」「名頭文字」「編構冠字尽」等を載せる。〔小泉〕
◆てがみのもんごん/てがみもんごん [2538]
手紙文言‖【作者】長雄東章書。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[江戸]千歳堂板。【分類】消息科。【概要】異称『万民平生手紙文言』。横本一冊。天明八年(一七八八)書・刊『〈万民平生〉書状案文』†から任意の書状を抽出した海賊版で、「貴人え上る年始状」から「媒人礼物送手紙」までの六一通を収録するものと、「貴人え上る年始状」から「洪水見舞状」までの三六通を収録するものの二種がある。本文を大字・六行・付訓で記す。四季・五節句の手紙から吉凶事に伴う手紙、その他諸用件の手紙などから成る。例えば、年始状を貴人・懇意の方・尋常(よのつね)の三様に書き分けるなど相手の上下に応じた例文や、死去や火事に伴う種々の状況に即した例文を盛り込むように、多様性にも配慮する。巻末に、山形十日町・黒木屋太右衛門製の薬種広告を付す。〔小泉〕
◆てがみのもんごん [2539]
〈諸民通用〉手紙之文言‖【作者】十返舎一九作・序。鈴木松羅堂書(文政以前の諸本)。内山松陰堂書(天保以降の諸本)。【年代】享和二年(一八〇二)刊。[江戸]西村屋与八(永寿堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『御家流手紙之文言』。中本一冊。「年頭披露状」以下一一五通の消息文例(一通を除き全て往復の消息文例)から成る。俗用の短文が中心で、前半は四季・五節句祝儀状や通過儀礼に伴う手紙、後半は町人同志でやりとりする雑多な例文を満載する。貸借・病気・災害・商取引に関する例文や、中には「大酒に沈る人之遣す文」「倡家に沈る人之遣す文」など教訓色の濃い例文も含む。冒頭の二三通が五節句や四季に伴う書状で、それに続く一二通は出産・疱瘡・元服・養子・婚礼といった通過儀礼的な書状、その他は主として町家における吉凶事や諸事にまつわるもの。本文を大字・五行・所々付訓で記す。本書は享和二年三月発行、文化二年(一八〇五)一月再板、文化一三年七月三刻、文政七年(一八二四)八月四刻、天保三年(一八三二)七月五刻、文久二年(一八六二)七月六刻と何度も版を重ねたロングセラーで類書も多く、本書の全文を模倣した文化八年刊『〈万民平生〉手紙之案文』†や、本書の前半部分を独立させた天保六年刊『〈万民平生〉一筆案文』†、弘化二年(一八四五)刊『即席案文』†等がある。〔小泉〕
◆てがみはやべんりたいぜん [2540]
〈増補〉手紙早便利大全‖【作者】鼻山人作。三法堂霹谷書(嘉永元年(一八四八)板)。【年代】弘化二年(一八四五)刊。[江戸]伊勢屋源左衛門ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈増補改正〉手紙早便利大全』。中本一冊。『掌中要文早辨利』『〈手紙案文〉当用早辨利』『〈手紙用文〉続早便利』の三編から成る往来。いずれも文例よりも消息用語や書簡作法に重点を置く。『掌中要文早辨利』には、年始状・遠国へ送る手紙・脇付・返状・猶々書・封じ目など一六項と、離縁状・関所通行手形・謝り証文の例文を収める。『〈手紙案文〉当用早辨利』は、手紙の冒頭語や結語や用例、また、『〈手紙用文〉続早便利』は、婚礼・五節句などの祝儀状や消息表現の上中下について記す。本文を大字・五〜六行・所々付訓で記し、随所に細注を施す。諸本により収録順序を若干異にするほか(例えば、安政板では「〈手紙案文〉当用早辨利」「〈手紙用文〉続早便利」「掌中要文早辨利」の順に収録)、「当用早辨利」を抄録した『手紙案文早弁利』†が嘉永元年に刊行された。〔小泉〕
◆てがみぶんしゅう [2541]
〈当用〉手紙文集‖【作者】堀流水軒書。堀流長軒(勝範)跋。【年代】享保一四年(一七二九)刊。[大阪]敦賀屋九兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。元禄〜享保期(一六八八〜一七三五)に多くの手本を執筆した堀流水軒の手本の一つ。「新年祝儀状」から「重陽節句祝儀状」までの五五通をそれぞれ大字・六行・無訓で記す。婚礼祝儀、新田拝受、帰国見舞、縁組祝儀、新宅普請、旅行餞別、死去、身元保証、材木運搬など吉凶事・諸用件・商用等の様々な例文を記す。なお、享保一九年刊『町方書札集』†巻末広告に「手紙文集、堀流長軒筆、全一冊」と記す。〔小泉〕
◆てがみぶんじょう [2542]
〈滝本〉手紙文帖‖【作者】松花堂昭乗書。【年代】寛政元年(一七八九)刊。[京都]石田治兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。松花堂昭乗の手紙を模刻した陰刻手本。療治・施薬など諸用件の手紙三通を収録する。本文を概ね大字・三〜四行・無訓で綴る。〔小泉〕
◆てがみぶんしょうちかみちだより [2542-2]
手紙文章近道便‖【作者】不明。【年代】文化八年(一八一一)刊。[江戸]須原屋平助ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『手紙文章』『〈手紙文章〉近道便』。中本一冊。「年頭状」から「歳暮祝儀状・同返事」までの概ね往復一六三通を収録した用文章。冒頭その他一部例外を除き、「伊勢参宮する人ニ遣」「家普請したる人ニ遣」「医者を頼ニ遣す状」のように、主題のイロハ順に配列するのが特徴。従って、四季順または分類順ではないが、四季折々の手紙や吉凶事に伴う手紙など一通りの例文を含む。本文をやや小字・六行・付訓で記す。見返・前付に「九九之声」「片仮名以呂波」「毎月進物之品々」「四季月々時節之言葉」を掲げる。〔小泉〕
◆てがみようぶん [2543]
〈改正〉手紙用文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]蔦屋吉蔵板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。四季折々の手紙を中心とした一六通の消息文例を収めた簡易な用文章。大半が五節句・四季の手紙で、袴着や元服の際の祝儀状や「懸物目利頼文」等の雑文章も含む。本文を大字・六行・付訓で記す。表紙見返に「様之字の事」を始めとする書簡作法について簡単に触れる。なお、表紙は題簽(刷外題)とも二色刷り。〔小泉〕
◆てがみようぶん・じこうあんもん [2544]
〈改正再板〉手紙用文・時候案文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「一筆啓上…」など手紙に使用する語句や表現を解説した往来。それらの使用例や心得を始め、「猶々書」「封じ目」や「御・様・殿」の使い方にも触れる。消息用語類を大字・五行大・所々付訓で記して割注を施す。〔小泉〕
◆てがみようぶんしゅう・てがたしょうもんしゅう [2545]
〈諸用辨明〉手紙要文集(初編)・〈必要重宝〉手形証文集(二編)‖【作者】種玉堂魯文編・序。【年代】嘉永六年(一八五三)序・刊。[江戸]虎屋倉吉板。【分類】消息科。【概要】中本二編合一冊。消息文例と証文手形文例を集めた小冊子の用文章(各編とも表紙を含め四丁)。初編は、「年始状」「歳暮之文」「病気見舞」「遠国便之文」「火事見舞」「医者断手紙」「吊状之事」「死去悔之文」「暑寒見舞文」「金子恩借之文」「婚礼状之文」「元服悦之文」の一二通を二段組で収録し、刷表紙に「毎月時候之書様」や「端作(手紙の冒頭語)」の例を載せる。また、二編は「御関所手形」から「りえん状」までの一一例を収録し、表紙に「諸国関所御番」を掲げる。本文をやや小字・八〜一〇行・所々付訓で記す。なお、本書初編に増補を加えたものに安政三年(一八五六)頃刊『〈諸用辨明〉手紙要文集』†や『〈改正要文〉熟字講釈』†がある。〔小泉〕
◆てがみようぶんしゅう [2546]
〈諸用辨明〉手紙要文集‖【作者】種玉堂魯文編・序。【年代】安政三年(一八五六)頃刊。[江戸]永栄軒板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。弘化三年(一八四六)刊『〈諸用辨明〉手紙要文集』(初編)†の増補版。「年始状」「歳暮之文」「病気見舞」「遠国使之文」「火事見舞」「医者断手紙」「吊状之事」「死去悔之文」(以上は本文欄、以下は頭書)「五節句之文」「暑気見舞」「寒気見舞」「時節見舞」「金子恩借之手紙」「婚礼状の文」の一四通を収めた用文章。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆てがみようぶんしょう [2547]
〈御家〉手紙用文章‖【作者】野口晋松堂(埜口晋松堂)書。【年代】江戸後期刊。[江戸]万栄堂板([大阪]河内屋茂兵衛後印)。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「用文章」「名頭字尽」「日本国尽」「証文手形案詞録」等から成る往来物。本文を大字・五〜六行・所々付訓で記す。「用文章」には「売先得意を頼む状」を始めとする商人用文二七通を冒頭に配し、続いて、「正月祝儀状」など四季折々の手紙や吉凶事に伴う手紙、その他諸事に関わる各種書状七六通を収録する。「証文手形案詞録」には、「養子証文」から「金子預り証文」までの二二状を収める。このほか、「書状封じ様の事」「偏傍冠構尽」等の記事を本文中に挟む。なお、本書の増補版『〈増補〉手紙用文章』†が明治初年に刊行されている。〔小泉〕
◇★てがみようぶんしょう [2548]
〈増補〉手紙用文章‖【作者】野口晋松堂書。【年代】明治五年(一八七二)刊。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。江戸後期刊『〈御家〉手紙用文章』†から「証文手形案詞録」を削除し、新たに口絵を加えるなど種々の増補・改編を施した用文章。本文を大字・五行・所々付訓で記す。冒頭の消息文例は旧版末尾の「初秋の状・同返事」に続けて、洋学入門や翻訳書などについての「執行諮問の状・同返事」二通を増補したほか、付録記事として「手紙脇付」「魚緘封じ様の事」「時候の言葉」などの書簡用語・作法、さらに「片仮名伊呂波」「十干十二支」「和音五十韻字」「名頭字尽」「大日本国名尽(北海道を追加)」を合綴する。〔小泉〕
◆てならいいまがわせいしじょう [2549]
手習今川制詞条‖【作者】不明。【年代】享和三年(一八〇三)刊。[江戸]西村屋与八(永寿堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『手習教訓壁書』『手習制詞壁書・今時登山之児童手習制詞条々』。中本一冊。『今川状』†の形式や文面に似せて、手習いを志す者の心得を列挙した往来。『今川状』と同じ二三カ条の条々と後文から成る。第一条「不達文筆而諸道終不得自由事」を冒頭に、以下、無益の遊興や無礼、年少者に対する虐待、文具等の扱い、寺子屋室内での破壊的行為など、学習態度や学習上の注意、また礼儀作法の心得や屋外での生活などについての条々を掲げ、続く後文で、幼時から手習い・学問を心掛けること、精力を込めて書くこと、幼少の時から正流の書を習うべきこと、筆道は諸道成就の基本であることなど手跡稽古全般について諭す。本文を大字・五行・付訓で記す。本往来は、京都板系統の合本科往来である享保七年(一七二二)刊『童訓往来』†頭書などに見えるが、これらから抄録した単行本であろう。なお、巻頭・頭書に「六根教戒之歌」「司馬温公撃甕図」、また石門心学の色彩を帯びた「為学深理性養惑問」「三教不得邪正の辨」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆てならいおうらい [2550]
手習往来‖【作者】楊井弥三郎(柳井融斎)書か。【年代】室町中期作。天文一七年(一五四八)書。【分類】古往来。【概要】唯一の古写本(三次市立図書館蔵)は『鎌倉往来』†と合綴された大本一冊。「先日者、預御来臨候刻、細々如申語、色々諸芸御手習之立柄之事、凡、大概者、如合戦出立…」で始まる記事文体で、中流武士の教養としての手習いの重要性を説いた古往来。手習いの修練が、戦場での武士の心構えと同じであることを力説する。即ち、師匠は大将軍、硯・墨・紙等は武具、筆は打ち物・太刀、卓・机は城郭に等しいとし、文字を一つ一つ丁寧に確実に習得するのは、武士が一人で大勢の立て籠もる城郭に忍び入り、大敵(名ある敵将)を討ち取る勲功に匹敵すると諭し、最後に「文武二道」の重要性を説いて結びとする。天下に名を挙げて徳を顕すための「文武二道」は、『今川状』†(冒頭の「一、不知文道而、武道終不得勝利事」)でも重視されるように、近世的道徳律として注目すべきであろう。このためもあって、本書は寛永二年(一六二五)書『古状揃』(写本)†に「手習学問文之事」の題号で採録され、その後も『初登山手習教訓書(手習状)』†の書名で単行本あるいは『古状揃』(刊本)†中にも収録され、近世から近代初頭までに夥しい流布を遂げた。なお原本は、本文を楷書に近い行書体・大字・六行・無訓で記す。〔石川〕
◆てならいがくおうらい/てならいおぼえおうらい/てならいまなびおうらい [2551]
手習覚往来‖【作者】藤原行能作か。【年代】鎌倉中期作。鎌倉後期書。【分類】古往来。【概要】異称『手習学往来』。鎌倉末期書の金沢文庫(神奈川県立博物館)蔵『手習覚往来』は大本一冊で大字・五行・無訓。また、天文(一五三二〜五四)頃書の東大本『手習学往来』は巻子本一軸(もと大本で大字・七行・無訓)。各月一通、一年一二カ月で六条一二通の手紙文で筆道の基本を述べた古往来。真行草三体のうちどれから習い始めるべきかを問う一月状(往状)から仮名の連綿体について答えた一二月状(返状)までを載せ、手習いに必要な教材とその学習順序を示す。金沢文庫本は一〜三月と九〜一二月との六カ月分のみの零本だが、東大本には見られない序文を収め、さらに一二月状は全くの異文である。〔石川〕
◇てならいかんようき [2552]
手習肝要記‖【作者】山田重遠作。【年代】文政一〇年(一八二七)作・刊。[筑後田主丸]門人蔵板。【分類】教訓科。【概要】筑後国田主丸(福岡県田主丸町)の寺子屋師匠・山田重遠が著した往来で、門人の醵金により出版された私家版。九州地方独自の往来物として貴重。人の人たる道を知り、家業に精励し、領主・両親・師匠の三恩を忘れずに学問や家業に努めることを諭す。〔小泉〕
◆てならいきょうくんしょしょう [2553]
手習教訓書抄‖【作者】不明。【年代】延宝(一六七三〜八一)頃刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。『初登山手習教訓書(手習状・教訓状)』†の注釈書。『手習状』本文を大字・四行・付訓で書し、四段に分けて細字の注釈を施す。冒頭で文字や漢字の由来について略述し、続いて一段目に『小学』の教え、特に洒掃・応対・進退の節と六芸から手習いの重要性を説いて『手習状』本文への導入とする。続いて、二段目に『東坡文集』や『河海抄』を引きながら真行草三体や書道の基本(「まづ筆力のつよく、こゝろのたゞしきを本意とせる」)を述べ、三段目に「従類眷属」「こゝろにゆだんなき」を施注し、四段目にも要語のいくつかを注解して、さらに「文武二道」のうち文道こそがより重要であると諭す。本書は注釈文の置き方が独特なうえに、『手習状』を逐語的に施注したものでもない。いわば若干の語注を含む衍義書的な注釈書である。〔小泉〕
◇てならいじょうえしょう [2554]
〈新板〉手習状絵抄‖【作者】不明。【年代】宝暦一三年(一七六三)刊。[仙台]刊行者不明。また別に[仙台]伊勢屋半右衛門(裳華房)板(天保一四年(一八四三)板)等あり。【分類】教訓科。【概要】異称『〈新版絵抄〉手習状』『初登山手習教訓書』。大本一冊。寛永一九年(一六四二)刊『初登山手習教訓書(手習状)』†の絵抄本の早い例。宝暦板は本文を大字・五行・付訓で記し、上欄五分の一ほどを頭書に宛てて、ごく簡単な語注と挿絵を施す。本文はわずか三丁の薄手の往来で、見返に「空海略伝」と「天神講の図」を掲げる。宝暦板の板元は不明だが、天保一四年五刻『〈新版絵抄〉手習状』(仙台・伊勢屋半右衛門板)を始め仙台書肆によって同体裁の往来が数度にわたって刊行されており、宝暦板も仙台板と思われる。〔小泉〕
◆てならいしようしゅう [2555]
手習仕用集‖【作者】笹山梅庵(大海堂)作・書。【年代】元禄六年(一六九三)書・刊。[江戸]万屋清兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈新板〉手習仕用集』。特大本二巻二冊、または大本二巻二冊(後に二巻合一冊)。「大坂高麗橋筋西十一丁目」で寺子屋を営んでいた笹山梅庵が門下の児童のために筆道の要諦を記した筆道入門書ならびに書道手本。梅庵門下で本書を望む者が多かったために上梓に及んだという。筆道全般の知識・心得や技術的な要点を述べた条々や消息・詩歌を載せる。上巻には執筆法を始めとする筆道の基本に関する条々と字画等の筆法を示した「格法七十五字」、下巻には「忍返筆法伝授」以下の条々と新年状・種々拝領の礼状(披露状)など七通の消息文と詩歌数編を載せる。筆道教訓の部分は大字・九行・所々付訓、手本部分は大字・三〜五行・無訓で記す。本書は元禄八年に笹山梅庵の寺子屋規則たる『手習新式目』一巻を合わせた三巻三冊本として販売された。さらに、享保六年(一七二一)刊『初学用文筆道往来』†、延享元年(一七四四)以前刊『寺子入木鈔』†(『手習仕用集』の改訂版)、明和四年(一七六七)頃刊『四体千字文国字引』†、『本朝法帖』を合わせた四巻四冊本の『筆道稽古早学問』†が寛政二年(一七九〇)頃に刊行された。〔小泉〕
◆てならいじょくん [2556]
〈小学必読〉手習女訓‖【作者】柴田花守作。増穂(小春)画。【年代】明治五年(一八七二)刊。[大阪]秋田屋太右衛門(田中太右衛門・宋栄堂)ほか板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。神道家・柴田花守が主に実行教信者の子女用に編んだ往来物の一つで、手習いの徳を中心に女子教訓を説く。「それ、今のめでたき御代に住ながら、物書事のかなはねば…」と七五調の文言で綴り、無筆・文盲は人間としての欠陥であること、特に女子は幼時にしか手習いを学ぶ機会がないこと、文字は最上の宝であり物の道理や世間を知る基本であることなどを諭し、さらに柔和・謙虚など女性の理想像に言及する。本文を大字・四行・付訓で記す。後半部には、養蚕の意義を教訓歌に綴った「養蚕子もり謡」(「かみよゝりこがひきぬおるわざありてあやゝにしきやうすものに」以下八首)を掲げるが、この「子もり謡」を省いた版もある。また、巻頭に「手習いする女児の図」(二色刷り)を掲げる。〔小泉〕
◆てならいしんしきもく [2557]
手習新式目‖【作者】笹山梅庵(大海堂)作・書。【年代】元禄八年(一六九五)刊。[江戸]万屋清兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『笹山梅庵寺子制誨(之)式目』『寺子制誨式目』『寺児式目』『笹山梅庵児童制誨式目』『児童式目』『児童制誨式目』『児童制禁式目』『童子式目』。大本一冊。大坂の寺子屋師匠・笹山梅庵が元禄八年五月に綴った寺子屋規則を書道手本にしたもの。「一、人と生て物かゝざるは非人。是を亡目に縦たり…」のように、無筆の恥を強調する第一条から始まる三七カ条と後文から成る教訓で、寺子屋内での学習態度を始め、師・親・友人等との関わりにおける諸教訓にも説き及ぶ。後文では、以上の条々は単に記憶すればよいというものではなく、「心に哲(さと)し、身に守る」ことが大切なこと、片時も怠ることなく手習いの稽古に出精すべきことを諭す。以上の条々を大字・五行・無訓で記す。先に元禄六年六月に刊行された『手習仕用集』†二巻に本書を加えた三巻本として元禄八年に刊行されたのが最初である。その後、本書の巻頭に前付一〇丁を増補した『〈新増〉寺子入木鈔〈并新式目〉』†が延享元年(一七四四)以前に単行本として刊行されたほか、上記前付のない改題本『寺子新式目』†も天明八年(一七八八)に出版された。なお、本書に部分的な増補・改訂を加えた改題本が、寛政五年(一七九三)書『手習制詞新式目』†であるが、このほか部分的に改編を加えたものが多数見られる。〔小泉〕
◇てならいせいししんしきもく [2557-2]
手習制詞新式目‖【作者】万松山叟書。【年代】寛政五年(一七九三)書。【分類】教訓科。【概要】異称『寺子制誨新式目』。大本一冊。笹山梅庵作・元禄八年(一六九五)刊『手習新式目(寺子制誨之式目)』の増補版。全三八カ条と後文からなる。冒頭に『実語教・童子教』を引用して「玉も不磨は光なし、光なきを石瓦とす。人も不学は智なし、智なきを愚人とす。初学之児童常々此語お味ふへし」と述べ、以下、「一、人と生て物書す物誦さるは非人、是お盲に譬へたり…」で始まる条々を列記する。随所に増補が見られるが、ほぼ同趣旨の教訓を展開する。本文を大字・四行・無訓で記す。また、筆者識語に「寛政五癸丑冬吉旦、若松城東万松山叟書焉、贈遠藤氏以為后筺物也」とある。〔小泉〕
◇てならいたんか [2558]
手習短歌‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】手習い稽古初心者のために記した短文の教訓。「てならひを、初て稽古する時は、まつ机をは直におき、硯の水は八分に、墨の上下気を付て、まからぬ様に研なかし、うすいか濃いか墨の色、加減見定め筆をそめ…」と七五調の文章で、手習い時の準備や執筆法(筆の持ち方)・筆づかいなどの基本を教える。同題の他の二本と同様の教訓を説くが異文。〔小泉〕
◇てならいたんか [2559]
手習短歌(異本)‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】読み書き修練の心得を記した短い教訓文。同題の他の二本と同様だが異文。「夫、手習之初には、幼少よりも心懸、師匠を取而習ふへし。先、第一は常々の行儀を能し、師匠には心を尽し尋ぬへし…」で始まる文章で、師事・手習い初学者の心懸け、才能に応じた芸能教育、また若干の人倫を説く。また、褒美による稽古奨励など、一部指導する側の心得も含む。〔小泉〕
◇てならいたんか [2560]
手習短歌(異本)‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】「夫れ、手習の稚児童、嗜の道は是ぞ先、机を直に確と置き、硯の水を八分に、墨磨り流し筆を染め…」と起筆して手習い稽古の基本作法や修練の心得を七五調の短文で記した往来。同題の他の二本と同様の教訓を説くが異文。末尾は「…師匠に難をかくばかり、浅間敷寿(事カ)也」以下を欠く零本である。紀州地方で使用された手本。〔小泉〕
◆てならいはっとがき [2561]
手習法度書‖【作者】不明。【年代】寛政三年(一七九一)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。寺院で手習い修行する子どもの心得を綴った一八カ条の掟。「第一、宿所出発足之時、双親致一礼可罷出事」で始まり、登校中の態度や学問所入室時の師匠への挨拶、手習い学習上の諸注意、また日常生活における起居進退についての心得を記す。最後の一条は、和尚や上人に対して「出家坊主」と罵ったり、僧侶の階級や宗旨を弁えずに云々することを戒める。寺院における世俗教育の名残を示すものとして興味深い。本文を大字・六行・無訓で記す。なお、「物嗅状」「二条関白教訓状」「今川状」「弁慶勧進帳」「曽我状」「木曽願書」「正尊起請文」「楠壁書」「腰越状」「含状」「弁慶状」「熊谷状」「大坂状」「実語教・童子教」とともに合綴された合本科往来の巻頭に収録する。〔小泉〕
◆てびきのまつ [2562]
〈かな文章〉手引のまつ‖【作者】戸田儀左衛門(戸田正栄・玄泉堂)作・書・跋。【年代】宝暦一一年(一七六一)刊。[大阪]堺屋清兵衛(高田清兵衛・政度・嘉平次)板。また別に[大阪]敦賀屋九兵衛(松村九兵衛・文海堂)板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『手引の松』。横本一冊。「あらたまりし此春の御寿…」に始まる賀状以下、花見誘引状・桃の節句祝儀状・菖蒲の節句祝儀状を始め、賀茂の禊・七夕・八朔・重陽・歳暮等に伴う四季用文、また、婚礼・髪置など女性に関わる祝儀状など二五通を収録した手本。初板本見返に目録を付す。全文が大字・無訓の二段散らし書き。半切の大きさからして、ほぼ実際の手紙を原寸大で綴ったものであろう。また、奥書に「書林高田氏の懇望に依りて…」とあるように堺屋清兵衛が初印である。〔母利〕
◆てらこうた [2563]
寺子うた‖【作者】河合惟休作・序。久世順矣(次郎兵衛・治右衛門・可朴)序。丹羽氏祐(伯享・令新亭・与三右衛門・与作)跋。【年代】文政二年(一八一九)序。文政三年序・跋・刊。[大垣]深造舎蔵板か。【分類】教訓科(心学書)。【概要】異称『寺子歌』。大本一冊。七・七・七・七の四句二八音のいろは歌形式で童蒙教訓を綴った心学書・往来物。「いんといやうとの其本しれば、無理は出来ぬぞ万の事に」のように、心学の基本である「本心」を平易に諭す教訓歌四八首から成る。大垣の心学者・久世友輔(順矣の兄)に師事していた河合惟休が「心学の風儀」を子孫に伝えるために編んだものという。本文をやや小字・七行・付訓で記す。本書の前年に同様の往来『しつかうた』†が刊行されている。〔小泉〕
◆てらこおうらい [2564]
寺子往来‖【作者】不明。【年代】天保一三年(一八四二)頃刊。[名古屋]菱屋藤兵衛(文海堂・矢田藤兵衛)板か。【分類】合本科。【概要】中本一冊。単行本数点を合冊した往来。「今川状」「手習状」「七ッいろは」「用文章(「正月之文」〜「婚礼悦の文」の一一通を収録)」「手紙用文・時候案文(消息用語等の解説)」「消息往来」「寿福商売往来」「世話千字文」等から成る。本文を大字・五〜六行・付訓で記す。なお、「世話千字文」末尾に天保一三年九月、菱屋藤兵衛板の旨を記すが、「商売往来」の旧見返部分には「東都書肆・甘泉堂(和泉屋市兵衛)」の記載を遺す。〔小泉〕
◆てらこおうらい [2565]
〈新撰通用・幼学字尽〉寺子往来‖【作者】不明。【年代】安永八年(一七七九)刊。[江戸]村田屋治郎兵衛(栄邑堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『幼学字尽』。中本一冊。「凡、衣服・染色、五穀・家財、并山海魚鳥・草木・虫・獣至迄、可取扱文字、先、衣裳者、素袍・上下・肩衣・袴・小袖…」のように連綿と続く一文中に、初学の児童が学ぶべき語彙を「衣裳」「絹布・染色」「五穀・食物」「青物・野菜」「干菓子・餅菓子」「家財・諸道具」「魚・鳥」「山林・草木」「虫・獣」の九項に分けて列記した往来。冒頭・文末の文言は『商売往来』†の模倣である。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「十二月異名」「七夕歌尽」「片冠構字尽」「名頭字尽」「かなつかひ」「片かないろは」「不成就日」等のほか、巻頭に「天じんきやう」や菅原道真の「御詠歌」などを掲げる。〔小泉〕
◆てらこおうらい [2566]
〈堀氏〉寺子往来‖【作者】堀流水軒(直陳)作・書。【年代】宝永二年(一七〇五)作。正徳四年(一七一四)刊。[大阪]岩国屋徳兵衛(宗徳堂)板。なお別に[大阪]吉文字屋吉兵衛板(後印)あり。【分類】合本科。【概要】異称『〈当用〉寺子往来』。大本一冊。「用文章」「沽券状」「預り証」「諸請状」「寺子教訓書」「船由来記」†から成る手本。『商売往来』†の作者として有名な京都の書家・堀流水軒が著わした合本科往来。本文を大字・四行・付訓で記す。本書のうち「寺子教訓書」は後世に大きな影響を与え、その後これを原型として寛政元年(一七八九)刊『通俗教訓往来』†など多くの往来が生まれた。「抑書筆之道者、人間達万用之根元也。無筆之輩者、得盲者之名、不異木石・畜類。一生之苦、老後之悔以何可喩之哉…」と起筆して、手習い修行中の態度を中心に、日常生活に必要な行儀作法一般にも言及する。また、「船由来記」は元禄一六年(一七〇三)刊『船由来記』†と同板で、この部分は池田松翁(松斎)筆である。〔小泉〕
◆てらこきょうくんおうらい・ねんじゅうぎょうじぶんしょう(ねんちゅうぎょうじぶんしょう)・しょじょうことばづかい [2567]
寺子教訓往来・年中行事文章・書状言葉遣‖【作者】不明。【年代】文化一三年(一八一六)頃刊。[江戸]岩戸屋喜三郎板。【分類】合本科。【概要】中本一冊。単行本『寺子教訓往来(通俗教訓往来)』†『書状言葉遣』†『年中行事文章』†を合綴した往来。ただし、三書とも旧刊記をそのまま残しており、文化(一八〇四〜一八)頃の書肆の動向を知る上でも貴重である。『寺子教訓往来』は寛政元年(一七八九)刊『通俗教訓往来』の再板本と同板。堀流水軒作『寺子往来』†所収の「寺子教訓書」を平仮名交じり文にして一部改変したもので、内容は手習い所(寺子屋)でとるべき態度や行動規範である。『書状言葉遣』は、全体を「上輩之部」「同輩之部」「下輩之部」に分け、それぞれ手紙でよく使う語彙のうち、相手や送り手の分際に関わるものを掲げ、相手の身分の高下に応じた語彙言い替えを示したもの。『年中行事文章』は、各行事の出典を一つ一つ挙げてゆくことで教育上の効果も狙ったのであろうが、無名ながら戯作者らしい考証癖の結果とも考えられる。本文を大字・五行・付訓で記す。〔丹〕
◆てらこきょうくんしょ・いけんじょう [2568]
〈日本国尽〉寺子教訓書・異見状‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[名古屋]万屋東平板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。前半に『寺子教訓書』、後半に『異見状』を収録した往来物。前者は、宝永二年(一七〇五)作・正徳四年(一七一四)刊『寺子往来』†所収の「寺子教訓書」とほぼ同文。後半『異見状』は、徳川光圀が国中へ触れた教戒を装って書かれた教訓で、「正直者一生の宝」から「九分は不足、十分はこぼるゝと知るべし」までの一三項について述べた短文である。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「日本国尽」、巻末(巻頭の場合もある)に「片仮名拠字」「万葉仮名字」等を掲げる。〔小泉〕
◆てらこきょうくんしょしょくおうらい [2569]
〈須知〉寺子教訓諸職往来‖【作者】不明。【年代】寛政一二年(一八〇〇)刊。[大阪]吉文字屋市左衛門ほか板。また別に[大阪]土佐屋喜兵衛板(文政九年(一八二六)板)あり。【分類】教訓科・産業科。【概要】大本一冊。「諸職往来」†「天神教訓状」†「船方往来」から成る往来。本文欄を上下二段に分け、上段に「諸職往来」、下段に「天神教訓状」と「船方往来」とを収録する。うち「船方往来」は、元禄一六年(一七〇三)刊『船由来記』†の改題本である。本文を大字・六行・付訓で記し、本文中に挿絵二葉を掲げる。〔小泉〕
◆てらこきょうくんぞろえ [2570]
寺子教訓揃‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「寺子制誨式目(手習新式目)」†(笹山梅庵作)、「北条早雲誡書」「伯楽之事」「それぞれ草」「父母恩観念文」「中庸」「中道之元儀」の七編を収めた往来。「寺子制誨式目」は『手習新式目』に同じ。「北条早雲誡書(二十一箇条)」は「第一仏神を信し可申事」以下二一カ条の家訓。「伯楽之事」は「伯楽(馬医)」の故事から馬の飼育に必要な薬種の知識を綴ったもので、文安三年(一四四六)作『塵添諸X鈔(じんてんあいのうしょう)』からの抄録。「それ草」は俚諺を含む一八カ条の教訓。「父母恩観念文」は漢字五字一句または七字一句で親の恩や孝行の徳について記したもの。後二者は「中庸」「中道」について平易に述べた文章である。本文をやや小字・七〜一一行・ほとんど無訓で記す。〔小泉〕
◇てらここころえかた [2571]
寺子心得方‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】異称『手習子心得方』。大本一冊。「勧孝文」ほかと合冊。実際の寺子屋規則を手習い手本としたもの。「一、随分朝早く起、髪結して手習所へ参る時は、父母に対して礼儀をのへ、又帰宅の節も同然たるへき事」以下一二カ条と後文から成る教訓文で、登下校および学習時の童蒙心得を説く。『通俗教訓往来』†等を模倣して編んだものであろう。本文をやや小字・一二行・無訓で記す。〔小泉〕
◆てらこしきもく [2572]
〈幼童児女〉寺子式目〈諸国名所入〉‖【作者】笹山梅庵作。西川竜章堂(美暢)書。【年代】天保六年(一八三五)刊。[大阪]河内屋太助ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『寺子制誨式目』。半紙本一冊。笹山梅庵の寺子屋規則、いわゆる元禄八年(一六九五)刊『手習新式目(笹山梅庵寺子制誨式目)』†の本文に、@「大やまと名所竪文(たつぶみ)」、A「都路名所竪文」、B「和歌名所竪文」の地理科往来三編を合冊した往来。巻頭の「寺子制誨式目」は元禄板と同内容。@は、「秋津渕(あきつす)の世も豊なる御代の春、花の都は平に…」と筆を起こし、五畿七道の順に多少の形容句を伴いながら各国の名称を列挙したもので、『女筆初瀬川』†等と同様の往来。Aは、一般に『東海道往来』†『都路往来』†と呼ばれる往来で、七・五を一まとまりとする短句の最初の音と最後の音がそれぞれ前後の句と連なる「文字鎖(もじぐさり)」形式で、東海道の宿駅を江戸から京都まで順々に書き記す。Bは、『和歌浦名所文章』†をわずかに改編した往来で、和歌浦の名所旧跡や寺社を一巡する紀行文風に紹介する。上記@〜Bはいずれも七五調の文章で、本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「菅原道真座像」「太宰府天満宮図」(前二者色刷り)、本文中に「手習い図」「席書図」「旅道中図」の三葉を掲げ、巻末に「御条目之写」として、「父母に孝行、法度を守り…」で始まる一文を付す。〔小泉〕
◆てらこしつけがた [2573]
寺子躾方‖【作者】一荷庵無一作・書。【年代】江戸後期刊。[香取]一荷庵無一蔵板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。現存唯一と思われる一本は零本のため全文を知り得ないが、その冒頭は「手習を始て稽古、其仕やう、先つくゑをばまつ直にをき…」と七五調の文体で書き出し、手習い時の筆法心得を説き、続いて幼時からの躾・教育が大切なことや、朝の身仕度から朝食までの心得、立居振る舞い、客への応対、女性の心得、家内和睦、言葉遣いなどを諭し、「小児たりともきびしくをしゆべし」と結ぶ。さらに末尾に、客の前での無作法や「女性は髪や衣装に心を配るべき」ことを述べた二カ条を付す。本文を大字・四行・無訓で記す。本書の大半が『世話字往来教車』†と同様の記述であり、その影響が顕著である。また、著者は「北総香取神領追野村」住人で、本書は著者による私家版であろう。〔小泉〕
◆てらこじゅぼくしょう [2574]
〈新増〉寺子入木鈔〈并新式目〉‖【作者】笹山梅庵作・書。【年代】元禄八年(一六九五)作。江戸中期(延享元年(一七四四)以前)刊。刊行者不明。また別に[大阪]吉文字屋市兵衛板(安永一〇年(一七八一)板)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『筆道入木抄』。大本一冊。「字形」および「笹山梅庵寺子制海之式目」から成る手本。元禄八年刊(一六九五)『手習仕用集・手習新式目』†から『手習新式目』を独立させ、その冒頭に「字形」を合綴したもの。「字形」は「月・年・行…」などの漢字を大字・三行(一行四字)で掲げて、点画等の名称や形を示した往来。後半の「式目」は『手習新式目』†に同じ。謙堂文庫本に「延享元年」の書き入れがあるため、初刊はそれ以前である。なお、本書と同様の単行本(「字形」等の増補なし)に天明八年(一七八八)刊『寺子新式目』†がある。〔小泉〕
◆てらこじょう・きくのつゆ [2575]
寺子状・菊の露‖【作者】紺屋喜太郎書か。【年代】慶応二年(一八六六)書。【分類】教訓科・社会科。【概要】横本一冊。『寺子状』『菊の露』『女用文章』『苗字尽』の四点を合綴した往来物。『寺子状』は、堀流水軒作『寺子教訓書』(『〈堀氏〉寺子往来』†所収)と同内容。『菊の露』は、「心あてにおらはやおらむ初霜のおきまとはせる白菊の…」で始まる文章で、菊にまつわる故事来歴などを七五調で綴った短文の往来で、末尾に和歌一首を置く。『女用文章』は、「春はやう曙白成行、山の端あかりてむらさき立たる雲のほそくたなひきしより…」で始まる花見誘引状(女文)一通で、雅語の多くを『枕草子』から引いたもの。『苗字尽』は、「前田・長・本多…」以下五五の苗字を列挙したもの。本文をやや小字・約一〇行・無訓で記す。〔小泉〕
◆てらこじょうもくいっさつ [2576]
寺子条目一札‖【作者】布施川武兵衛書。【年代】天保六年(一八三五)作・書。【分類】教訓科。【概要】異称『寺子条目之事』。大本一冊。寺子屋の生活規範全一三カ条を認めた手本。第一条に登下校の際の丁寧な黙礼を最も重要な規則として示し、以下、教場での学習態度や、文房具の取り扱い、寺子同士の売買の禁止、寺子屋宅へ訪問した客への対応、友人とのつき合い、外出時の注意などを綴る。また後文に、師範留守中の心得を述べ、巻末に消息文例および詩歌を付す。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆てらこしんしきもく [2577]
寺子新式目‖【作者】笹山梅庵作・書。【年代】天明八年(一七八八)刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『笹山梅庵寺子制誨之式目』。大本一冊。元禄八年(一六九五)五月刊『手習新式目』†の改題・改編本。『手習新式目』の抜刷本である延享(一七四四〜四八)以前刊『〈新増〉寺子入木鈔〈并新式目〉』†から前付記事の「字形」を削除した往来。すなわち『笹山梅庵寺子制誨之式目』のみを大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆てらこせつようきんたいかがみ [2578]
〈大広益〉寺子節用錦袋鑑‖【作者】不明。【年代】寛延四年(一七五一)刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板。また別に[江戸]西村屋与八板(後印)あり。【分類】語彙科(節用集)。【概要】中本一冊。『節用集』の一種とも見られるが、むしろ『節用集』のイロハ分けにならって庶民の日用語を集めた往来物といった方が的確である。『節用集』のような意義分類(部分け)はなく、単に語彙の第一音によってイロハ順に語彙を配列しただけの語彙集である。本文を大字・六行・付訓で記す。前付に「陰徳あれば陽報有といふ事」以下一〇の俚諺についての解説と挿絵を掲げ、巻末に「いろはの仮名本字」「いろはの外に書替る仮名の本字」を収録する。〔小泉〕
◇てらこせんきんようぶん [2579]
寺子千金用文‖【作者】角長之助書。【年代】元治元年(一八六四)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。明和五年(一七六八)刊『寺子宝久種(寺子幼訓往来)』†を改編した往来で、衣食住や四民要用の語彙と心得を書き綴ったもの。原本は「『古帖(古状揃†)』等学しむへし。日々出精の上は、『四書』『五経』、詩文等読書いたさすへし。凡、人間入用の事は衣食住なり…」で始まるように冒頭部の一部を欠くが、まず絹・木綿・麻の原料や布帛の種類・産地、また各種衣類を列挙して「其分限(に)応し用る事也」と述べ、「食」については「米を第一とす」、「住」については「住居は帝の御家を内裏と申奉る…」と述べるにとどめ、以下、武士・百姓・工人・商人の順に必要な武具・農具・工具・道具、また諸職人の名称、商人に必要な九九、秤目、金相場、商売の基本、また芸能や勝負事、倹約・育児等の心得を列記する。なお、末尾を「予が机えに学ふ児童、行儀能、おとなしく…」の教訓文で結ぶから、作者は寺子屋師匠であろう。〔小泉〕
◆てらこだいがくきょうくんかがみ [2580]
寺子大学教訓鑑‖【作者】池田東籬作・書。森川保之画。【年代】文政一二年(一八二九)刊。[京都]北村屋太助ほか板。【分類】教訓科。【概要】小本一冊。『大学(大学章句序・大学朱熹章句)』を主内容とする往来。本文をやや小字・五行・付訓で記す。前付に「五常」「月異名」、頭書に石門心学流の「いろはうた」「七ッ以呂波」「書初の詩歌」「七夕の詩歌」、巻末に「細川玄旨教誡之歌」を収録する。〔小泉〕
★てらこだいがくひとりしなん [2580-2]
寺子大学独指南‖【作者】不明。【年代】文化七年(一八一〇)刊。[京都]西村吉兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『寺子大学』。半紙本一冊。『大学(大学章句序・大学朱熹章句)』の注釈書の一つ。『大学』本文を大字・六行大・付訓で記し、頭書等の余白に再び小字・無訓の本文を一定分量ごとに掲出し、続いて本文の主要語彙を簡潔に注解したもの。巻頭に「レのかへりてんをよむ法」「一・二・三かへり点をよむ法」「上・中・下のかへり点をよむ法」等、巻末にも返り点の読み方を解説する。〔小泉〕
◆てらこたからぐさ [2581]
〈幼訓学問〉寺子宝久種‖【作者】長友松軒作・書。北尾辰宣(雪坑斎)画。田彫章堂跋。【年代】明和五年(一七六八)刊。[大阪]糸屋市兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『寺子文宝種』。大本一冊。『近道子宝』†の改編版で、「夫、幼時(いとけなきとき)よりならひしるべきは、先上をは天と知、下をは地と知。知ものは人、これ則天地人の三才也…」で始まる文章で『近道子宝』と同様の語句や心得を列記するが、集録語彙には一部増減が見られる。例えば、「いろは」四七字や「九九」を全て本文中に盛り込んだり、絹布・衣類、薬種、金相場(関東相場)、芸能関連の語彙、また友を選ぶ心得などを増補する一方、『近道子宝』に見られた具体的な往来物名や食物、神儒仏などをほとんど省いた。いずれも本文を大字・五行・付訓で記す。前付・頭書等に「本朝聖賢蹟之事」「文房四友」「十二月異名集」「諸礼躾図式」「年中帖(用文章ではなく年中行事を記した社会科往来)」「鏡くさ(『源氏物語』各帖の名称等を綴った社会科往来)」「朝鮮国尽」「書初詩歌」「七夕詩歌」「四季額字尽」など特色ある記事を掲げる。なお、本書の前半部に「千金用文」を合綴した版が間もなく登場したが、この「千金用文」は、四季・五節句など一二カ月の例文と見舞状、算術大成の祝儀状、暴雨時に世話になった礼状、大徳寺見学の仲介依頼状など合計二二通の例文集で、本書の影響下に編まれた往来として『寺子千金用文』†があるほか、改題本に『寺子幼訓往来』†がある。〔小泉〕
◇てらこちえかがみ [2582]
〈都鄙重宝〉寺子智慧鑑‖【作者】井上某編か。【年代】安政四年(一八五七)刊。[江戸]井上某蔵板。【分類】合本科。【概要】半紙本一冊。「実語教・童子教」「手習状」「商売往来」「消息往来」の四本を合綴した往来。前付に「菅廟図説」「父母孝養図」「四民図解」「詩作図解」等、頭書に「今川状」「大日本国尽」「当流小謳」「小笠原流諸礼図式」を始めとする種々の記事を載せる。〔小泉〕
◆てらこちょうほうき [2583]
寺子調法記‖【作者】下河辺拾水画(弘化三年(一八四六)板)。再板本は、速水春暁斎画、池田東籬校。【年代】安永五年(一七七六)刊。[京都]菊屋喜兵衛ほか板。【分類】合本科。【概要】異称『〈童子専用〉寺子調法記』。半紙本一冊。安永五年の初板本以来、文化五年(一八〇八)、文政七年(一八二四)、天保三年(一八三二)、弘化三年、元治二年(一八六五)と幕末に至るまで六刻を数えた江戸後期の代表的な合本科往来。本文は「実語教」「童子教」「今川状」「腰越状」「商売往来」の五本から成り、いずれも大字・五〜六行・付訓で記す。従来の合本科往来には付き物であった「庭訓往来」「御成敗式目」「風月往来」などを収録せず、また、『古状揃』†中からも「今川状」「腰越状」以外を省いた点が独特である。頭書等に、「国尽」「名尽」などの基本語彙や「書初・七夕詩歌」「証文之事」「九々の声」等の記事、また、「謡講廻状」「当流小うたひ」「京町小路」など京都町人子弟の学習にふさわしい内容を簡潔にまとめるのも特徴。なお、本書からの抜刷本『〈童子専用〉実語教・童子教』が存するように、本書を部分的に流用した刊本も種々存したと思われる。また、本書の女性版ともいうべき『女寺子調法記』†が文化三年(一八〇六)に刊行されている。〔小泉〕
◆てらこどくしょせんじもん [2584]
〈真艸両読〉寺子読書千字文‖【作者】葛西水玉堂(葛西市郎兵衛・天王寺屋市郎兵衛)作・書。【年代】寛延二年(一七四九)刊。[京都]天王寺屋市郎兵衛板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。周興嗣作『千字文』†に種々の付録記事を付した往来物。『千字文』本文を真草(楷書・行書)二体・各四行・両点(音訓)付きで記し、前付に「千字文由来」「筆・墨・紙・硯説」「和漢文字の始」「手習仕用の事、並に伊呂波始」「本朝七十二例」「漢朝十四点釈、並に三十八点釈」「唐伊呂波釈」などを収録する。本書は、寛延二年板を最初として、寛政一一年(一七九九)・天保六年(一八三五)・天保一四年・天保一五年・嘉永七年(一八五四)と何度も版を重ね、本書を模倣した江戸後期刊『〈寺子〉読書千字文』†(紀州若山板)も出版され、さらに明治初年には『〈真艸両読〉万民読書千字文』と改題・再刊された(天保一五年・三河屋甚助板の改刻)。なお、編者・板元の葛西氏は江戸中期以降に数多くの『千字文』を発行している。〔小泉〕
◆てらこにちようだから [2585]
〈童子必読・絵入須用〉寺子日用宝‖【作者】松川半山画。【年代】江戸後期刊。[京都]亀屋半兵衛(亀本屋半兵衛)板。【分類】合本科。【概要】異称『〈童子必読〉寺子日用宝』。半紙本一冊。「実語教・童子教」「今川状」「腰越状」「世話千字文」を合綴した往来。本文を大字・五〜六行・付訓で記す。頭書に「諸礼当用躾方」「都名所尽」「国尽文章」「熊谷状」「経盛返状」「義経含状」「曽我状」「同返状」「商売往来」「月の異名」「篇并冠尽」「以呂波三躰」「九々の声」「大日本都会広邑」、巻末に「十干十二支」を載せる。〔小泉〕
◆てらこのとも [2586]
てら子の友‖【作者】艸上堂作・跋。|呆山人序。【年代】文政一一年(一八二八)序・刊。[備前]艸上堂板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。前半『手習児(てらこ)の友』と後半『何やら双紙(草紙)』から成る教訓歌主体の往来物。前者は「いとけなき身にも五常のみちすぐに、まなびてわたるひとゝこそなれ」で始まるイロハ教訓歌四八首で世俗的な生活教訓を説く。後者は「夫、人生れて八才にして小学に入とあるなれば…」と筆を起こして余力学問・孝行・友情・礼儀・家業出精・正直・積善などについて諭し、一話毎に教訓の趣意を詠んだ教訓歌を掲げるのが特徴。本文を概ね大字・六〜八行・所々付訓で記し、数カ所に素朴な挿絵を挟む。序文に「備前金川臥竜山北面の老翁」と記し、冒頭に「艸上堂蔵板」とあるように、地方における私家版として貴重である。〔小泉〕
◆てらこはやでほん [2587]
寺子早手本‖【作者】小野原公美書(「世話千字文」末尾)。長谷川小信・長秀画。【年代】江戸後期刊。[大阪]本屋為助板。【分類】合本科。【概要】小本一冊。次項『〈新板かな附〉手習子早手本』†の増補版。見返に「松栄堂梓」と記すのは、『手習子早手本』の板元・本屋安兵衛だから、本屋為助板は再板本と思われる。内容的には『手習子早手本』に「まゝ子だて算の事」「八算見一」を増補したものだが、収録順序をやや改め、「商売往来」「家名尽」「名頭尽」「大日本国尽」「八さんのわり声」「偏冠づくし」「九九のこゑ」「世話千字文」「実語教(童子教は未収録)」「石田先生倹約丸」の順とし、「武将略伝」は若干名を削除して巻頭に配置し、目録・口絵等とともに色刷りとした。概ね、本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆★てらこはやでほん [2588]
〈新板かな附〉手習子早手本‖【作者】小野原公美書(「世話千字文」末尾)。長秀画。【年代】文政六年(一八二三)頃刊。[大阪]津国屋安兵衛(本屋安兵衛・松栄堂)板。【分類】合本科。【概要】小本一冊。「商売往来」「世話千字文」「家名尽」「名頭尽」「大日本国尽」「八さんのわり声」「偏冠づくし」「九九のこゑ」「実語教(童子教は載せず)」「石田先生倹約丸」「武将略伝」「一代灸せざる日」ほかを収録した往来。本文を概ね大字・四行・付訓で記す。前項『寺子早手本』†は本書の増補版である。〔小泉〕
◆てらこほうかんじふくでん [2589]
寺子宝鑑字福伝‖【作者】不明。【年代】享保五年(一七二〇)刊。[大阪]敦賀屋九兵衛ほか板。【分類】語彙科・教訓科。【概要】異称『字福伝』。大本一冊。「実語教・童子教」を本文の核にすえ、頭書を二段に分けた「三階板」形式として種々の語彙集(字尽)を盛り込んだ合本科往来。巻頭に「七夕詩歌、祭之図」を載せ、頭書上段に「七いろは」「小野篁歌字尽」「草花之部」「青物之部」「諸道具之部」「着類之部」「五穀三部并菓子類」(以上五部は字尽)「俗語教」「家名尽(この部分は頭書が三段になる)」と所々に挿絵を伴った教訓歌を掲げ、頭書下段に「五性書判」「月から名尽」「片造冠沓」「人の名づくし」「法躰名尽」「尼の名」「日本国尽」「名字尽」「世話字尽」「名乗字尽」「宮名尽」「筆法七十二点」「人倫門」を掲げる。本文を大字・六行・無訓の玉置流で綴る。〔小泉〕
◆てらこようくんおうらい [2590]
〈文章必用〉寺子幼訓往来‖【作者】長友松軒作・書。北尾辰宣画。【年代】明和五年(一七六八)以降刊。[大阪]秋田屋良介板。【分類】教訓科・消息科。【概要】異称『寺子宝久種(てらこたからぐさ)』。大本一冊。明和五年(一七六八)刊『寺子宝久種』†の改題本。同書の前付を大幅に増補し、「永字八法之図」「本朝聖賢蹟之事」「寺子之六芸」「寺子之四禁」を収録した。本文その他は『寺子宝久種』に同じ。〔小泉〕
◆てらこようぶんしょうたからばこ [2591]
寺子用文章宝箱‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[大阪]糸屋市兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊(ただし判面は半紙本大)。五節句・四季行事や、婚礼・出産・髪置・隠居等の祝儀に伴う書状一六通を収録した用文章。本文を大字・五行・付訓で記し、ほぼ書状毎に挿絵を掲げる。後半に合綴する「商売往来」(やや小字・七行・付訓)は単行本でも出版されたと思われる。前付に「佐理卿の事」「王羲之の事」「道風の事」「筆・墨・紙之始」、頭書に「諸礼図式」「初心書札抄」「万字尽」「万葉かなの事」「吉書始詩歌」「七夕詩歌尽」「箱・曲物かきやう」「制札之事」「目録認やう」「短冊書やう」「歌書かきやう」「扇子に文字書事」「名頭字五性わけ」「十二月異名」「篇冠づくし」「大日本国尽」「万字尽」「商売往来絵抄(本文任意の語句の絵解き)」、巻末に「商売の起源」「十干・十二支」等を載せる。〔小泉〕
◆てらさわしょうそくおうらい [2592]
寺沢消息往来‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】特大本一冊。『累語文章往来(消息往来)』†とは全く異なる寺沢流手本で、全二三通の消息文を大字・四行・無訓で認める。「参府して御目見えを済ませた人への祝儀状」以下九通の消息文例、「新年の文」「重陽の節句の文」「婚礼祝儀の文」「出産祝いの文」など六通の女子消息文、また「新春を祝う書状」など八通の披露文を収録する。いずれも公私にわたる武家用文が中心である。〔小泉〕
◆てらづくし [2593]
〈郡上郡中〉寺尽‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】中本一冊。美濃国郡上(ぐじょう)郡(岐阜県中央部)内の寺院を列記した往来。全体を「八幡之内」と「在方之内」の二部に分け、「天台宗東叡山末寺、岩本院/禅宗京都妙心寺末寺、慈恩寺」のように、一一〇カ寺を宗派・本山・所在地(「在方之内」のみ)とともに記載する。寺名を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆てんかさくぶんひっけい [2594]
〈帝国雅俗〉天下作文必携‖【作者】堀井篤忠作。川瀬白巌(渓山・益)書。石津発(潅園散史)序。【年代】明治一三年(一八八〇)序・刊。[大阪]川瀬福太郎(拾玉園)板。また別に[京都]遠藤平左衛門板あり。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻六冊。銅版刷りの挿絵を多く挿んだ大部な用文章。上巻三冊に「新年祝賀之文」から「拝命之人ヲ賀スル文・返書」までの二一八通、下巻三冊に「新家落成ヲ賀スル文」から「集会廻帖之文」までの一五三通の合計三七一通もの例文を収録する(「書簡作例之部」)。各主題に対してまず準漢文体(俗文)を行書・やや大字・六行・付訓(漢語に左訓)で記し、次に同一主題の別文(俗文)・漢文尺牘体(雅文)の替文を二体(俗文は行書、雅文は楷書)・やや小字・一〇行・付訓で掲げるように、一主題につき三種の文例を載せるため、かなりの書状数となる。内容は上巻の大半が四季に伴う手紙で末尾に婚姻・出産等の祝儀状を含む。下巻は慶事・旅行・凶事・貸借・勝景、その他雑事の手紙と「作文心得」から成る。頭書「作文碎金之部」には、書簡用語・日用語を称書・時令・慶賀・遊覧・起居・日用・居所・人倫の八門に分けて類語・類句を数多く列挙する。〔小泉〕
◆てんかむそうようぶん [2595]
天下無双用文‖【作者】竹内庄之助作。青木東園書。黙堂序。【年代】明治五年(一八七二)序。明治二三年刊。[京都]中村浅吉蔵板。風月庄左衛門売出。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「歳端の文」以下五〇通の消息文例を集めた用文章。四季折々の手紙や諸事に関する手紙を主とし、新暦(太陽暦)・潮の干満・温泉・雷電・月の満ち欠けについての原理や、節供の故事、また、当時の国際情勢など諸般の新知識を随所に盛り込む。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。〔小泉〕
◆てんかむそうようぶん [2596]
〈長谷川玄竜編輯〉天下無双用文‖【作者】長谷川玄竜作・序。青木東園書。【年代】明治一七年(一八八四)序。明治二一年刊。[京都]中村浅吉蔵板。風月荘左衛門(風祥堂)売出。【分類】消息科。【概要】異称『天下無雙用文』。半紙本一冊。四季時候の手紙や、その他諸用件の手紙など数多くの例文を集めた用文章。例文は「時令」(「年甫之状」以下一四通)、「慶賀」(「婚姻ヲ祝スル状」以下八通)、「慰問」(「近火ヲ見舞フ状」以下五通)、「弔喪」(「親ヲ喪ヒタル人ヲ弔フ状」以下二通)、「禀告」(「転居報告之状」以下三通)、「報知」(「遠行ヲ報スル状」以下五通)、「詩s」(「赴任ヲ餞スル状」一通)、「嘱托」(「入学周旋依頼之状」以下九通)、「嘱購」(「物品注文之状」以下五通)、「訊問」(「得意先へ註文ヲ訊ニ遣ス状」以下九通)、「邀招」(「新年宴ニ客ヲ請スル状」以下五通)、「報謝」(「借用品ヲ返ス礼状」以下五通)、「饋贈」(「蔬菜ヲ贈ル状」以下二通)、「背約」(「山遊誘ヲ断ル状」以下二通)、「督促」(「金子返済催促之状」以下五通)、「雑部」(「物品売附懸合之状」以下七通)の一六部・八七通を収録。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書に「書札認方心得」「書簡中要語」「時令之称」その他関連の類語集を載せる。〔小泉〕
◆てんじんかなきょうくん [2597]
天神かな教訓‖【作者】万年庄五郎書。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】異称『天神教訓状』。大本一冊。享保六年(一七二一)刊『初学用文筆道往来』†(頭書)を初出として、以後、刊本の付録となったり、単独で筆写されながら、多少の改編を伴って普及した往来。江戸後期写本(謙堂文庫蔵)は享保六年板を大字・三行・無訓の仮名交じり文に改めたもので、「万代に其名をのこすは学文の功にしかす…」と起筆し、以下、俗典で五常を学んだ後に仏典に基づき「諸方之理」を明らかにすべきことや、人は学問によって智を増し、文は学ぶに従って義を悟ること、上古の人々は貧苦を愁えず、遊芸を排除してたえず学問に努めたこと、さらに現世的な金銭・財宝よりも後世の幸福のための才智や学問を尊ぶべきことなどを諭す。本書とほぼ同様の往来に『天神状』『天神教訓状(天神教訓帖)』†がある。〔小泉〕
◇てんじんかんねんのおんことば [2598]
天神観念御詞‖【作者】不明。【年代】文化八年(一八一一)以前書。【分類】教訓科。【概要】文化八年頃書『往来物集録(仮称)』中に合綴。菅原道真の言葉を装って綴られた教訓。三界は苦であり、生死は楽しむものではなく、また、現世での名声も栄華もはかないものであると、無常観に基づく教訓を縷々述べ、早くこの理を悟って本覚の境地に至れよと諭す。〔小泉〕
◆てんじんきょうえいりこうしゃく [2599]
天神経絵入講釈‖【作者】笠亭仙果二世(篠田久次郎・万石亭積丸)注・序。【年代】慶応三年(一八六七)序・刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『大威徳天神感応経』『大威徳天神感応経講釈』。中本一冊。『大威徳天神感応経(天神経)』を子ども向けに解説した往来。初めに大威徳天神の尊称や菅原道真を祭るようになった由来などに触れ、以下『天神経』本文を一語ないし数語毎に楷書・大字・六行・付訓で掲げ、それぞれ詳細な割注を施す。仏説を多く引用しながらも平易に説くのが特徴。頭書に本文要語の図解を掲げるほか、巻頭に小野道風の霊験についての故事、巻末に「〈神詠〉秘歌之註」を掲げる。〔小泉〕
◆てんじんきょうくんじょう [2600]
天神教訓状‖【作者】不明。【年代】弘化二年(一八四五)書。【分類】教訓科。【概要】異称『天神教訓帖』。弘化二年写本は特大本一冊(大字・三行・無訓)。『天神教訓状』は、合本科往来等の付録記事のケースが大半で、享保六年(一七二一)刊『初学用文筆道往来』†の頭書がその初見と思われるが、享保六年板所載の「天神教訓状」に若干の増補を行ったものも見られる(学芸大本等)。享保六年板「天神教訓状」は、万代にその名を残すのは学文の功績が一番であるから、まず俗典(仏書以外の典籍)によって五常の教えを習い、その後に仏教を学ぶべきであると冒頭に述べ、貧苦を愁えず、遊芸を排除し、寸暇を惜んで学ぶべきこと、千両の金より一言の教訓の方が価値があること、また、財より智を尊むべきことなど『実語教』†流の教訓を展開し、来世での幸福のために、現世で悪や楽を欲してはならないと結ぶ。なお、増補本には、以上の教訓に続けて、この天神様の遺訓の尊いことや、この教訓を実行して心正しき人になることを諭す後文を付す。また、本書を仮名交じり文に改めた改題本に『天神かな教訓』†がある。〔小泉〕
◆てんじんごいちだいおうらい [2601]
天神御一代往来‖【作者】十返舎一九原作。【年代】天保五年(一八三四)刊。[仙台]高橋屋忠吉(敬業堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『菅神御一代文章』。半紙本一冊。十返舎一九作・文政七年(一八二四)刊『菅神御一代文章』†の重板本。外題を改め、「十返舎一九作・晋米斎玉粒書」の記載を故意に削除し、口絵や頭書の挿絵を改めた海賊版。うち、口絵は文化九年(一八一二)刊『実語教絵抄』†中の挿絵(岡田玉山画)の模倣である。〔小泉〕
◆でんしんようぶん [2602]
〈原田道義編輯・内国〉電信用文〈一名端書の栞〉‖【作者】原田道義作・序。【年代】明治一一年(一八七八)序・刊。[東京]藤岡屋慶次郎(水野慶次郎)板。【分類】消息科。【概要】異称『内国電信用文』『ナイコクデンシンヨウブン・イチミヤウハガキノシヲリ』。中本一冊。電信文にふさわしい簡潔な例文を個々の事例毎に掲げた特殊な用文章。「年賀祝辞之文」から「鉱山ヲ開ク之文」までの八八例を収録する。いずれも和音で二〇〜三〇字程度の短文で、大字・片仮名で綴った本文に小字で相当の漢字を添えるほか、その全文を通常の書簡体に直したものを再掲する。本文を大字・六行で記す。巻頭に「和文電信表」、頭書に音信料・届賃等の料金規定「電信機通音会意」や関連諸規則等の記事等を載せる。〔小泉〕
◆でんないしんぴつてほん [2603]
伝内真筆手本‖【作者】建部賢文(建部伝内・武部伝内・弦蔵・道孤)・富田助之進書。【年代】承応四年(一六五五)刊。[京都]水田甚左衛門板。【分類】消息科。【概要】大本二巻二冊。伝内の手本の一つ。上巻には茶室造作について問う手紙以下一七通と書初詩歌、下巻には花の会につき花材の提供を願う手紙など二三通の合計四〇通を収録。例文は四季交際の手紙や筆道修行に関するものが多く、準漢文体における「かしく」の使用や、仮名文と準漢文体を折衷した書簡なども見える。なお、上巻末尾の書初詩歌は伝内門下の富田助之進の筆である。また、下巻末尾の刊記の次に「鳥飼筆」として短文の消息一通を載せる。本文を大字・三行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆てんなおんしきもく/てんなごしきもく [2604]
〈高札〉天和御式目‖【作者】不明。【年代】天和三年(一六八三)刊。[京都]菱屋宗八板(後印)。【分類】社会科。【概要】大本二巻二冊。上巻に寛文三年(一六六三)八月の『武家御式目』を、下巻に天和二年五月の『御高札式目』を収録した手本。本文を大字・六行・付訓で記す。前者は武士が守るべき条々(二三カ条)であり、後者は万民が守るべき六高札(それぞれ七カ条・七カ条・一カ条・七カ条・一カ条・三カ条)で、忠孝・倹約・家業出精・盗賊等の訴え・喧嘩等の禁止など社会生活上の心得や、御朱印伝馬人足・駄賃、キリシタン制禁、毒薬販売の禁止、偽金銀、諸職人作料・手間賃、火事場での禁止行為等々について記す。〔小泉〕
◆てんぴつわごうらく [2605]
〈水戸黄門光圀卿御遺訓〉天筆和合楽‖【作者】鼻山人(東里山人)作・跋。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[江戸]森屋治兵衛(森屋治郎兵衛・錦森堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『水戸黄門光圀卿御遺訓(抜書)』。中本一冊。表紙見返に『水戸黄門光圀卿御遺訓抜書』と記して、あたかも光圀の遺訓のように装うが、その実は室鳩巣作『明君家訓』†第一条を本文の中心にすえて若干の増補を行った教訓文に過ぎない。いずれにしても『明君家訓』の作者が光圀であるとの俗説が相当普及していた結果ともいえる。内容は五項目からなり、冒頭が「今般愚意之趣…」で始まる『明君家訓』第一条の全文を写したもので、明君・忠臣の本務や心得について記す。以下「倹約」「孝順」「節義」「家業出精」の四項について短文で綴るが、うち「孝順」「節義」はそれぞれ『明君家訓』第三・四条からの抜粋であり、他の条々も同趣旨の教訓である。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、正直・神明・人倫等について述べた教訓文と教訓歌を掲げる。〔小泉〕
◆てんぽうようぶんしょう [2606]
〈御家〉天保用文章‖【作者】梁田鳥水書。速水春暁斎画。【年代】天保三年(一八三二)刊。[大阪]秋田屋太右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『慶元用文章』。半紙本一冊。文化八年(一八一一刊『当用文体柱立』の改題本(ただし前付・目録など一部改編)。「年頭祝詞状」から「縁組引合之状」までの四七通を収録した用文章。四季・五節句の手紙、通過儀礼に伴う祝儀状や金品貸借状、病気見舞状、弔状その他の例文から成る。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「菅原道真略伝」「弘法大師略伝」「王賢略伝」「美濃国孝子略伝」「藤原行成略伝」「万対物之書様」、頭書に「文具異名」「書初詩歌」「大日本国尽」「百宮名尽」「男女五性相生名頭文字」「扁冠尽」「書札端作之法」「七夕乃詩歌」「竪文・横文・封文書様之次第」「書状認様指南」「歳月五節親族異名」等、裏見返に「真名いろは」を載せる。見返に「梁田鳥水先生筆」と記すが、本書に先行する文化板にはその記載がないため、板元による改竄とも思われる。〔小泉〕
◆てんまんがきほうじょう/てんまんがきてほん [2607]
〈御神詠詩歌〉天満書法帖‖【作者】不明。【年代】享和二年(一八〇二)刊。[京都]出雲寺文治良ほか板。【分類】社会科。【概要】異称『御親詠天満書法帖』。半紙本一冊。天神祭の際に天満宮に奉納する「天満書き」用の手本。「天以春為化、帝以恵為和」や「谷風にとくるこほりのひまことに、打いつる浪や春のはつはな」のような、名言・佳句・名歌・漢詩文等の金言佳句を集めて四季別に配列する。冒頭に、菅原道真の生涯や道真の詠歌、また、天満天神の由来や天満書きの意義などについて述べる。概ね本文をやや小字・九行・付訓で記す。本文中に、手習い図など見開き挿絵二葉を掲げる。〔小泉〕
◆てんめいしんこくようぶんしょう [2608]
天明新刻用文章‖【作者】不明。【年代】天明(一七八一〜八九)頃刊。[大阪]天満屋安兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。書名は柱による。「年頭挨拶状」から「天満宮へ絵馬奉納につき神主取次依頼状」までの消息文例約四〇通を収録した用文章。四季折々の手紙の間に、季節とは無関係の書状、すなわち、相手子息の入学・髪置・袴着などの祝儀状や、縁談・友人の宿泊・算術指南等の依頼状、地方下向・上京や帰宅に伴う書状、謡講・追善謡の案内状などを挟む。本文を大字・四行・付訓で記す。前付に「大日本国図并属国」「硯乃法式の図」「尊円親王・空海筆拳の図」「手習い図」「読書図」等、頭書に「節用四季部分字尽(四季言寄字尽)」「諸用部分字尽」「元禄御改服忌令」「九九之次第」「八算掛割之術」「本朝年号用字」「暦之中下段之事」「小野篁歌字尽」「草木植替時之事」「筆道五の配当乃伝」「筆法八十余点の名所」、裏見返に「願成就日」「十二月之異名」等を載せる。現存本の後半部で一三三丁から一六三丁へ飛んでいるなど数丁の落丁が考えられるが、随所に飛び丁があるため正確な丁数は不明である。〔小泉〕
◆てんもんうたづくし [2609]
〈小学諳誦〉天文歌尽‖【作者】加藤桜老作。中村敬宇(正直)序。【年代】明治一〇年(一八七七)作・刊。[東京]加藤桜老蔵板。聚星館ほか売出。【分類】理数科。【概要】半紙本一冊。「夫、小学之門ニ入リ、其身ヲ脩ムル教ヨリ、先其邦ト万国ノ、其大概ヲ読ミ覚ヘ…」のように七・五、七・五と続く文章で、天文学・暦学の初歩知識を綴った教科書。まず天動説・地動説の起源と概要・提唱者等に触れ、月日の運行と昼夜・二四時・四季の変化、年・月・日の長さや規準、太陽と月の大きさや地球からの距離、日蝕・月蝕、各惑星の大きさなどについて述べ、その他、天変地異・天象、西欧の天文学者や学説、天体観測用の機器・道具を紹介した後で、「如此ル目出度風土(クニガラ)ニ、生レテ習ヒ務ムレハ、天ノ恵ミゾ神ノ恵ミゾ」と結ぶ。本文を楷書・やや小字・八行・所々付訓で記す。巻末に、嘉永(一八四八〜五四)頃作「天文歌」(七言の漢詩文で天文・地理の諸知識を記す)を掲げる。〔小泉〕
◆てんもんさんじきょう [2610]
〈花谷安慧略解〉天文三字経‖【作者】花谷安慧作・序。【年代】明治六年序。明治七年(一八七四)刊。[京都]永田調兵衛板。【分類】理数科。【概要】半紙本一冊。『三字経』†の編集形式にならって天文、西洋、地球のあらましを述べた往来。「夫天地、為天地、無貴賤、無老幼、其概略、可知耳、先天文、有三品、一天竺、経論説、二支那、周髀説、三西洋、地動説…」と筆を起こして、まず仏説・中国説・西洋説による天文の概論をそれぞれ掲げ、中国の聖人の説と仏説の両者は「共ニ通力ヲ得ラレテ天地ノ間ノ事物モ道理モ、自在ニヨク微鑑テ居ラレルユヘ、其説ガ相似テ」おり、西洋説よりも優れているが、特に天文についてより正しく知るためには仏説の「須弥界ノ学問」でなければならないとする。本文を大字・六行・付訓で記して、各段毎に割注を施す。なお、『天文三字経』には、本文のみを大字・四行・無訓で記した手本兼読本用(ただし序文は自序ではなく山内教諦序)もあり、いずれも同年に同一板元から刊行された。〔小泉〕
◆てんもんずかい [2611]
〈訓蒙〉天文図解‖【作者】岡田伴治訳・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]同盟社蔵板。東生亀次郎ほか売出。【分類】理数科。【概要】異称『訓蒙天文図解』。中本二巻二冊。米国刊『小学天文書』を抄訳した天文学の初歩教科書。天文学の歴史や天体・運行の基礎知識などを図解とともに解説する。上巻に「天体の事」「太陽系の事」「太陽の事」「水星・金星・地星・火星・木星・土星・天王星・海王星の事(冥王星は当時未発見)」など八章、下巻に「月の事」「月盈虧(みちかけ)の事」「日蝕・月蝕の事」「惑星運行の事」「彗星の事」「恒星の事」など九章(うち附録二章)を収録する。本文を楷書・小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆てんもんにしきのいとぐち [2612]
天文にしきの緒‖【作者】吉良義風作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]紀伊国屋源兵衛板。【分類】理数科。【概要】異称『天文錦の緒』『〈天文〉錦の緒』。半紙本一冊。地球や太陽を始めとする天文の基礎知識を七五調に綴った往来。初めに太陽と八惑星(当時冥王星は未発見)について触れ、星の光や月食の原因や、地球の赤道・経緯線や地球各地の気候、地球上の陸と海、昼夜の原因と地球の自転・公転、引力、太陽の大きさや地球からの距離、その他、惑星・衛星等に至るまでを種々説明する。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕





◆どいこうかへんきんせいおんなだいがく [2613]
土居光華編近世女大学‖【作者】土居光華(淡山楼)作。加藤千浪序。河鍋暁斎・藤沢某画。古田重名跋。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]土居光華(淡山楼)蔵板。和泉屋市兵衛売出。【分類】女子用。【概要】異称『近世女大学』。半紙本一冊。書名に『女大学』の文字を含むが、近世流布本『女大学(宝箱)』†とは形式が全く異なる。「人は男女の差別なく、皆不覊・不制、自主・自立の権有り。他人の抑制を受けさる者なり…」で始まる第一章以下二二章に分けて近代婦人の心得を述べた女訓書。「欧州婦人の権勢を把持し、男子と並立し、男子に恭敬せしむるは、誠に女子の面目にして…」のように全く新しい視点からの記述が多く、男女同権、婚姻、夫婦、子弟・使用人に対する態度、礼儀、女子の家庭教育(読書・算法・裁縫等)、自律・模範、家業への献身、家計・経済、身だしなみ・家事、夫への扶助などを説く。本文を大字・四行・付訓で記し、漢語には多く左訓を施す。巻頭に西洋女学校の授業風景や当時の風俗画(色刷り)を掲げる。〔小泉〕
◇どいつここのついろは [2614]
独逸九以呂波‖【作者】柳垣某作。【年代】明治四年(一八七一)刊。[東京]伊勢屋庄之助板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈独逸〉九箇以呂波』『〈日耳曼字〉九ッ以呂波』。中本一冊。ドイツ字三体、ローマ字三体と漢字・片仮名・平仮名の計九体で表記したイロハ。巻頭にドイツ文字(活字体・筆記体の大文字・小文字)やローマ字アルファベット、「独乙拗韻」「子母五十韻字」「基数」などを掲げる。〔小泉〕
◇どいつななついろは [2615]
独逸七以呂波‖【作者】森田靖之作・序。【年代】明治四年(一八七一)序・刊。[東京]播磨屋喜右衛門(播磨屋勝五郎・鈴木喜右衛門・文苑閣)板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈独逸捷径〉七以呂波』。中本一冊。ドイツ字三体(活字体大文字・小文字、筆記体小文字)、片仮名・平仮名、漢字二体(真・草)の計七体で表記したイロハ。巻頭・巻末にドイツ字アルファベット・数字・正音・拗音・重音・子音・連合子音・子母五十韻を載せる。〔小泉〕
◇といやおうらい [2616]
〈改正〉問屋往来‖【作者】不明。【年代】明治初年作・書。【分類】産業科。【概要】明和三年(一七六六)刊『〈甲谷〉問屋往来』†の明治期改編版。「東京及関東八州者、惣而小判六拾目之通用成しか、明治維新已来、大に改革更に大坂府に大蔵省之管轄にて万国無双之造幣局…」のように、明和三年板の本文を適宜実情に合わせて変更する。大蔵省・造幣局・鋳造所から始まり、貿易五港、その他近代的な金融・貿易・流通・取引、各種商品などのあらまし、また、訴訟・法令・福祉に関する基本的な知識や語彙を列挙する。なお、筑波大学本には「明治七、八年頃習ヒシモノ。大坂江戸堀玄一学校蔵。粟田流の手本」と付記する。〔小泉〕
◆といやおうらい [2617]
〈改正増補・商家〉問屋往来‖【作者】長友松軒作。【年代】宝暦一三年(一七六三)以前作。安永八年(一七七九)刊。[江戸]伊勢屋治助板。また別に[江戸]鶴屋喜右衛門板(寛政六年(一七九四)板)あり。【分類】産業科。【概要】中本一冊。明和三年(一七六六)刊『〈甲谷〉問屋往来』†とは別内容の往来物。単行版は安永板が現存最古だが、既に宝暦一三年刊『新編書札指南』†(長友松作・書)の頭書に見えるから、本書は明和三年刊『〈甲谷〉問屋往来』に先駆けて成立した『問屋往来』と考えられる。「京、江戸、大坂、長崎、松前、津軽、南部御客方、段々御出、数多之注文相渡、染地、地廻、反裁、播州、川西、姫路、周防、阿波印付等相調…」で始まる全一通の手紙文に見立てて、諸国の港や問屋の取引商品名(被服、小間物、紙類、生産道具、家財道具、雑具、絵具など)などを列挙する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に問屋商や荷船の図を掲げ、頭書に「諸職家名尽」「古銭図鑒」「十二月異名」「不成就日」「十干十二支」の記事を載せる。なお、文化一四年(一八一七)板『御成敗式目』(江戸・鶴屋喜右衛門板)広告によれば、角書の「商家」は「あきびと」と読む。〔小泉〕
◆といやおうらい [2618]
〈頭書画入〉問屋往来‖【作者】加藤随鴎書。【年代】文化一二年(一八一五)刊。[大阪]河内屋喜兵衛(積玉圃)板。【分類】産業科。【概要】異称『〈頭書絵入〉問屋往来』『〈頭書平仮名絵入〉問屋往来』。半紙本一冊。明和三年(一七六六)刊『問屋往来』†(甲谷慶兼作)の本文に頭書などの付録記事を加えたもの。本文を大字・五行・付訓で記す。前付に「文字の起源」「能筆(三筆・三蹟ほか)」、頭書に「筆道指南」「時候の事」「七夕の詩歌」「花押」等、巻末に「国尽」を収録する。〔小泉〕
◆といやおうらい [2619]
〈甲谷〉問屋往来‖【作者】甲谷慶兼(浪花堂・浪華堂)作・書。安田管月堂(浪花堂門人)跋。【年代】明和三年(一七六六)刊。[大阪]正本屋清兵衛(玉置清兵衛)ほか板。【分類】産業科。【概要】大本一冊。成立年代では宝暦一三年(一七六三)刊『新編書札指南』†頭書「問屋往来」の異本に位置づけられるが、単行刊本としては最初の『問屋往来』。「江戸覃(および)関八州者、惣而小判六拾目之通用也。大坂表者、諸大名之仕送…」と筆を起こし、江戸・大坂・京都・長崎における相場・両替状況、廻船と相場、異国の器材・本朝の名物をめぐる取り引き、容量・重量の見分け、納屋貸・蔵鋪はじめ、問屋の活動に要用の事柄を記したうえで、問屋業に携わる者の心得についての教訓文を掲載する。教訓部分を仮名の多い漢字・平仮名交じり文にするのが特徴。本文を大字・三行・付訓で記す。明和三年板を始祖として数種の板種があり、文化一二年(一八一五)刊『〈頭書画入〉問屋往来』†、弘化四年(一八四七)刊『〈傍訓〉問屋往来絵抄』†、元治二年(一八六五)刊『問屋往来講釈』†等が公刊された。〔石川〕
◆といやおうらい・しょうばいおうらい・せわせんじもん [2620]
問屋往来・商売往来・世話千字文‖【作者】戸田栄治(玄泉堂・正陰)書。【年代】寛政一三年(一八〇一)刊。[大阪]渋川清右衛門ほか板。【分類】産業科・社会科。【概要】異称『童蒙往来』。大本一冊。目録簽の如き方形の題簽で、青色刷りの飾り罫の中に右から「問屋往来・商売往来・世話千字文」と記すように、この三本を合綴した手本で、いずれも大字・四行・付訓で記す。このうち「問屋往来」は甲谷慶兼作・明和三年(一七六六)刊『〈甲谷〉問屋往来』†と同内容で、本書と同一板木を用いた抜刷本『問屋往来』(玉川大学蔵)もある。また、「商売往来」は堀流水軒作・元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†、「世話千字文」は桑原空洞作・享保二年(一七一七)刊『世話千字文』†に同じ。〔小泉〕
◇といやおうらいえしょう [2621]
〈傍訓〉問屋往来絵抄‖【作者】十方舎一丸(橘園)作・画。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[大阪]河内屋又一郎ほか板。【分類】産業科。【概要】異称『傍訓問屋往来』。小本一冊。明和三年(一七六六)刊『問屋往来』†の本文に頭書絵抄を加えた往来。本文を行書(大字・二行)と楷書(やや小字・二行)の二体で表記し、音訓を平仮名・片仮名で付す。口絵に色刷りの「大黒・夷像」その他を掲げるほか、本文後半に「吉書初詩歌」「七夕の詩歌」「当流小うたひ」、頭書に「文房四友」「月の異名」等や挿絵を載せる。〔小泉〕
◆といやおうらいこうしゃく [2622]
問屋往来講釈‖【作者】松川半山注・画。溝江小笠斎書。【年代】元治二年(一八六五)刊。[大阪]河内屋喜兵衛板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。明和三年(一七六六)刊『問屋往来』†の絵抄本。同本文中の要語解と挿絵を頭書に掲げたもの。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に衣・食・住についての心得と挿絵を載せる。〔小泉〕
◇とうえいざんめぐり [2623]
東叡山廻り‖【作者】不明。【年代】文化一二年(一八一五)書。【分類】地理科。【概要】「弥生十日あまり忍びが岡の花見んとて、午のときばかりに立出で侍りぬる…」で始まる紀行文風の文章で、江戸・東叡山寛永寺とその周辺の名所旧跡・神社仏閣等を紹介した往来。寛永寺を始め日吉神社・稲生神社・不忍の池・感応寺・待乳山・浅草寺・隅田川などの春の情景を花鳥風月を中心に描く。ほぼ同様の往来に『忍ヶ岡詣』(『往来集』†所収)』がある。〔小泉〕
◆とうおんさんじきょう [2624]
唐音三字経‖【作者】高田義甫作。羅浮山雪谷校・序。青木東園書。【年代】明治五年(一八七二)刊。[滋賀]高田義甫(協力舎・鉄線書屋)蔵板。香芸堂売出。【分類】教訓科。【概要】まず『三字経』†本文(楷書・大字・四行・無訓)に四声誦法を示し、さらに同本文を楷書・小字・八行(一行四句)で綴り、各句とも右側に唐音、左側に和訓を示したもの。例えば標題は「三字経(サンツウイキン/サンジケウ)」、本文冒頭は「人之初(ジンスウイツヲイ/ヒトノハジメ)」「性本善(スインボエンジエン/セイモトゼン)」のように音訓を施す。後半の「三字経句読」で唐音を付記した点が独特である。〔小泉〕
◆★とうかいどうおうらい [2625]
〈頭書絵入・増割駄賃附〉東海道往来‖【作者】岡芳玄作か。【年代】宝暦四年(一七五四)以前刊か。安永四年(一七七五)再刊。[江戸]花屋久治郎板(安永板)。【分類】地理科。【概要】異称『〈都路〉東海道往来』『〈新撰〉東海道都路往来』『都路往来』『みやこぢ』『京路(みやこじ)往来』『五十三宿往来』『〈東海道中〉都路往来』『都五拾三駅路』ほか。安永四年板は半紙本。ただし現存本の多くは中本一冊。『宝暦四年書目』に載る岡芳玄作『東海道往来』が初板本と思われるが未発見。また、後世流布本の最初と思われるのが、『江戸出版書目』に載る安永四年板『東海道往来』(花屋板)である。内容は、「都路は、五十余にみつの宿、時得て咲や江戸のはな、浪静なる品川や、頓(やが)てこえくる河崎の、軒端(のきば)ならふる神奈川は…」で始まる七五調・文字鎖の文章で東海道五三次の宿駅名を列記し、最後に女文形式で「…はなのにしきの九重に、こゝろうきたつみやこそと、君の寿きいわゐたりけり。かしく」と結ぶ。安永四年花屋板は半紙本仕立てで、本文を大字・四行・付訓で記し、口絵に「亀戸天満宮図」(滕雪仙画)、頭書に「東海道名所名物駄賃増」(寄居庵作)、巻末に「片仮名真字古文字いろは」を掲げる。本書には類書が多く、寛政九年(一七九七)刊『長雄都登』†やその改訂版・文化七年刊『〈頭書街道名所名物・東海道〉都路往来』†など、多数の江戸後期刊本が流布した。〔小泉〕
◇とうかいどうおうらい [2626]
〈名所・名物〉東海道往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『東海道往来』。大本一冊。前掲・流布本の『東海道往来』†とは全くの別内容。「抑、平安城と云は、桓武天皇の興基に而、四神相応の地、平家万戸群生を撫育し…」で始まり、「今以、吾民之財、今を饒にするべしと宣しは、今の時世の事にこそ有と爾り」と結ぶ文章で、東海道を京都から江戸に向かう順に、各宿駅の風趣や名所・名物・故事などを記した往来。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆とうかいどうめいしょおうらい [2627]
東海道名所往来‖【作者】鼻山人作。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。江戸・品川から京都・近江八景までの東海道の各宿駅名・里程、また沿道の名所を列記した往来。「夫、諸州に冠たる御江戸の繁栄は、海内無双の大都会にして、先、日本橋は長さ四十三間、丸高欄造、唐銅の…」で始まる文章を大字・五行・付訓で綴る。頭書に「五十三次道法(みちのり)」「凡江戸より京迄道法」「通行手形書式」、その他、「吉野奈良道」「日光道中記」など各地道法を載せ、巻頭に「大江戸日本橋繁栄之図」を掲げる。〔小泉〕
◆とうかいどうめいぶつおうらい [2628]
東海道名物往来‖【作者】不明。【年代】文政六年(一八二三)刊。[江戸]鶴屋金助板。また別に[江戸]山口屋藤兵衛板(天保八年(一八三七)板)あり。【分類】地理科。【概要】異称『東海名物往来』『名物往来』。中本一冊。春の京都を訪れた旅行者の紀行文風に、東海道沿いの各宿の名物を列挙した往来。「鳥が啼、東の花を見捨つゝ、都の春の忍敷、今日思立旅衣、所替ば品川や…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。品川芝浦の鮮魚、穴子の蒲焼きに始まるように大半が食物で、所々、細工物や薬品を交える。本文中の名物のほとんどが、万治(一六五八〜六〇)頃刊『東海道名所記』や寛政九年(一七九七)刊『東海道名所図会』などから拾うことができ、それらに取材した可能性もある。しかし、本書口絵の「これはまた所かはれとも」以下の文章が、『東海道中膝栗毛』初編の口絵と同一であることなどから、本書撰作の動機はむしろ十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に求めらるべきで、「東海道」を話題にする際に、『膝栗毛』がいかに影響力を持っていたかを示す一例であろう。口絵に東海道品川辺を行く大名行列図、頭書に「東海道筋より諸方への別れ道」「木曽街道名物」「旅中の妙術」、巻末に「片かないろは」「不成就日のうた」「十幹兄弟(えと)の図」「十二支の図」を掲げる。〔丹〕
◆どうがくおうらいえいたいぐら [2629]
〈新増大成〉童学往来永代蔵‖【作者】不明。【年代】延享二年(一七四五)刊。[江戸]河角四郎右衛門板。また別に[京都]植村藤右衛門(伏見屋藤右衛門・錦山堂・玉枝軒)ほか板あり。【分類】合本科。【概要】大本一冊。延享二年刊『童学庭訓七宝往来』†の改題本で、延享板はこれと同内容だが、天明二年(一七八二)板と文政六年(一八二三)板の再板本では前付に部分的な削除または増補がなされた。具体的には『童学庭訓七宝往来』巻頭の「四季之図」ならびに目録、また「天満祭礼之図」を削除して「大自在天満宮御伝記」等を追加する一方、「謡十五徳」以下は旧版を流用し、さらに本文「庭訓往来」の直前に「書八体・永字八法」および「庭訓の来由」など一丁を増補した。本文を大字・六〜八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆どうがくしつけほう [2630]
童学躾法‖【作者】信興作・書。【年代】江戸中期書か。【分類】教訓科。【概要】横本一冊。諸芸稽古の基本となる躾や修行心得の要点を列記した童蒙教訓書。冒頭で「夫、礼節といふは、内に敬ふかく、外、是に随て正しく立振舞、直にして人の目たつる事なからんを要とすへし…」と根本義を示し、続いて「毎日可勤事」と題して、起床後の身仕舞いや食事の作法、路上での挨拶、稽古への専心、平常時の行儀、礼節稽古の心得、種々の無礼、他流の批判の禁止など一二カ条を説く。本文を大字・九行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうがくしょう [2631]
童学鈔‖【作者】長春閣編か。【年代】寛政一一年(一七九九)刊。[江戸]長春閣蔵板。須原屋善五郎(宮商閣)ほか売出。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。漢字八字一句を基本とする全一四〇句の文章で、童蒙初学者の心得と孝悌を中心とする人倫を説いた『実語教』†型往来。序文・跋文がなく詳細は不明だが、蔵板者の長春閣による撰作であろう。まず「童穉之学不止記誦、先要務本々立道生」と筆を起こし、童蒙入学の心得として「記誦の学」、則ち語句の暗記に止まらず、それを実践する「孝悌の道」に努めよと諭す。以下、『孝経』等の要句・金言を引きつつ、徳の根本たる孝悌のあらましや日常生活における孝子のあり方、兄弟の道について述べる。本文を大字・五行・付訓で記し、頭書に注釈を施す。〔小泉〕
◆どうがくていきんしちほうおうらい [2632]
〈万諸礼・古状揃・新増大成〉童学庭訓七宝往来‖【作者】不明。【年代】延享二年(一七四五)刊。[大阪]毛利田庄太郎ほか板(『大阪出版書籍目録』によれば、[大阪]本屋嘉兵衛板という)。【分類】合本科。【概要】異称『〈新増大成〉童学往来永代蔵』。大本一冊。大阪で盛んに板行された『新童子往来万世宝鑑』†に対して、ほぼ同時期に京都を中心に版を重ねた合本科往来。本文は「庭訓往来」と「今川状」からなり、さらにその上欄の頭書が二段に分かれるという、いわゆる「三階板」の形式になっており、頭書下段に本文の注釈である「庭訓絵抄」と「今川絵抄」を掲げ、さらに頭書上段に「御成敗式目(注釈付き)」「実語教(以下本文のみ)」「童子教」「義経含状」の四本を収録する。本文をやや小字・七行・付訓で記す。前付に「天満祭礼之図」「大自在天満宮御伝記」「謡十五徳」「童子先習八教」「諸商買部類字尽」などの記事を収録する。延享二年の刊記を持ちながら題簽題が異なる二種の異板が存したが、後、『童学往来永代蔵』†の書名で数回にわたって重版された。〔小泉〕
◆どうがくまんようじづくし [2633]
〈新版改正〉童学万用字尽‖【作者】不明。【年代】江戸前期刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板(再板)。【分類】語彙科。【概要】異称『万用字尽』。中本一冊。庶民通用の日常語を分類・列挙した往来物。「魚字づくし」(九六語)、「万(よろず)鳥尽」(一一三語)、「万木の名づくし」(一○○語)、「獣づくし」(三二語)、「八百物つくし」(五二語)、「万虫(尽)」(三○語)、「武具之名尽等」(三○語)、「坊主名尽」(四三語彙)の八項を設けて四五三語を集録する。本文を大字・四行・付訓で記す。〔石川〕
◆どうかんついくしょう [2634]
童観対句抄‖【作者】勝田祐義作。伊東某(石川国智門弟)書。【年代】正徳五年(一七一五)刊。[江戸]万屋清兵衛板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。漢字五字一句、二句一聯の対句形式で綴った教訓。合計一二〇聯(行)に及ぶ本文は、「君子著不善(くんしはふぜんをあらわす)、小人掩不善(しょうじんはふぜんをおおう)」「君子善消禍(くんしはぜんにしてわざわいをけし)、小人因絶ナ(しょうじんはいやしうしてよろこびをたつ)」のように全て一句目を「君子○○○」、二句目を「小人○○○」のように対句形式で綴るのが特色。本書はこのように君子・小人の人格や所為の違いを説いて諭すもので、頭書には各行毎に対句の略注を掲げる。本文をやや小字・八行・ほとんど付訓で記す。本書の編集形式は正徳六年刊『金言童子教〈竝抄〉』†にもそのまま受け継がれた。なお、本書には作者の記載がないが、『金言童子教〈竝抄〉』の序文から同一人の著作と判明する。〔小泉〕
◆どうぐじびきずかい [2635]
道具字引図解(初・二編)‖【作者】柳河春三(又玄斎南可・楊江・暾・春蔭・喫霞楼仙客)作・画・序。【年代】元治元年(一八六四)刊。[江戸]大和屋喜兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈諸民重宝〉道具字引図解(二編)』『〈四民重宝〉道具字引図解』『道具字引図解初編』『道具字引二編』。中本二編二冊。『商売往来絵字引』†と同様の手法で「神儒仏、朝武、農工商民家の用具、日用の器財」に関する極めて多くの語句を挿絵・略注とともに列挙した往来。初編は、公卿官位・女官が用いる衣冠束帯、十二単その他の衣装関連の語彙から始まり、文房具、舞楽・芸能、武家要用の武具・甲冑・陣中具・城郭・馬具、さらに番匠・左官・木挽・家根匠・瓦師・石屋・鍛治・鋳物師、その他諸職人に必要な諸道具名までを掲げる。続く二編では、「民家之四季業用活計の器財・雑具者…」と筆を起こして、「時計・額・軸物…」以下、主に商家日用の家財・諸道具、手回り品、文具、食器、調理具、その他日用品を前半で紹介し、後半には農民に必要な耕作・農具・用水施設、農家女性向きの機械・養蚕、また、神社・仏閣、修験山伏、さらに、船舶、漁業、猟師等の語彙までを収録する。両編とも本文を大字・四行・付訓で記し、巻頭に色刷り口絵を掲げるほか、若干の記事を付す。〔小泉〕
◆どうくんおうらい [2636]
童訓往来(仮称)‖【作者】林寿安作・序。【年代】享保七年(一七二二)刊。[京都]田中屋半兵衛(文行堂)ほか板(享保一一年板)。また別に[京都]丸屋源兵衛(瀬尾源兵衛)板、[京都]西村市郎右衛門(寿詞堂・載文堂)ほか板あり。【分類】合本科。【概要】大本一冊。元禄一一年(一六九八)刊『童子往来綱目』†など大阪板の合本科往来の影響を受けて、京都でも同様の往来が編まれたが、本書は京都板の早い例の一つ。刊記に「享保壬寅年(七年)版行、同丙午年(一一年)新校正」と記す享保一一年改訂版では、大阪板の本文および頭書の内容を上下・前後で入れ替えるなどの改編を行なったほか、頭書に新たに「新編書翰用文章」「小野篁歌字尽」「狸少人状」「梶原讒言露顕状」「牢人状」「手習制詞壁書」「男女名がしら」「朝鮮之仮名」「百宮并侍小性名」などを増補した。本文は「庭訓往来」「御成敗式目」「熊谷状」「経盛返状」「弁慶状」「風月往来」の六本で、「庭訓」のみが大字・七行(冒頭一状のみ六行)・付訓、他はやや小字・一〇行・付訓と体裁が異なる。前付等に「十能十芸和歌」「篇并冠尽」「月のから名」「判形相生相剋吉凶之事」を掲げる。なお、書名は柱『童訓』による仮称である。また、本書の改編本に宝暦七年(一七五七)刊『童訓往来万海宝蔵』†がある。〔小泉〕
◆どうくんおうらいしんたいせい [2637]
〈童子便用・万海宝蔵〉童訓往来新大成‖【作者】浅田某書。【年代】安永八年(一七七九)刊。[京都]菱屋治兵衛ほか板。【分類】合本科。【概要】異称『童訓往来大成』。大本一冊。安永八年板の跋文にあるように、本書は宝暦七年(一七五七)刊『童訓往来万海宝蔵』†の増補・改訂版であり、同書刊記中の「享保壬寅年(七年)原板」の記載は、宝暦七年板の原型となった享保七年(一七二二)板『童訓往来(仮称)』†を指す。従って、享保板の改編版である宝暦板をさらに改訂したものが本書である。宝暦板の本文に「諸職往来」、同頭書に「江戸往来」を増補したのが大きな変更点で、他に、頭書「新編書翰用文章」を「年中書翰用文章」と改題して、前付に移動させるなど微細な変更を行った。本文を大字・六〜八行・付訓で記す。本書は、以後幕末に至るまで、収録順序や内容に多少の変更を加えながら数度にわたって改刻・再刊され、京都板の合本科往来の本流となった。江戸後期には西川竜章堂筆、森川保之画の改刻板(天保五年三刻、文久元年四刻等)が普及した。〔小泉〕
◆どうくんおうらいばんかいほうぞう [2638]
〈珠玉大成・新改〉童訓往来万海宝蔵‖【作者】林寿安作。【年代】宝暦七年(一七五七)刊(再板)。[京都]菱屋治兵衛ほか板。また別に[京都]田中屋半兵衛ほか板あり。【分類】合本科。【概要】異称『〈新改〉童訓往来万海宝蔵』『童訓往来』。大本一冊。享保七年(一七二二)刊『童訓往来(仮称)』†の改訂版。享保板の本文にあった古状三編(「熊谷状」「経盛返状」「弁慶状」)を頭書に移動して、他の古状と並べたのが大きな改編で、付録記事にも収録順序を入れ替えるなどの微細な改訂を行った。本文欄に「庭訓往来」「御成敗式目」「風月往来」の三本を大字・六〜九行・付訓で記す。頭書は「新編書翰用文章」以下、享保板とほぼ同様だが、前付では「十能十芸」の前に「北野天満宮由来」を増補した。大坂で盛行した『新童子往来万世宝鑑』†と同時期に、それほどではないが京都で重版を続けた合本科往来である。なお、本書の増補・改訂版『童訓往来新大成』†が安永八年(一七七九)に上梓され、以後、幕末まで数度にわたり刊行された。〔小泉〕
◆★どうくんしゅう [2639]
童訓集‖【作者】不明。【年代】万治二年(一六五九)刊。[江戸]西村又右衛門(鎰屋又右衛門)板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈新板〉童訓集』。大本三巻三冊。イロハ分類を基本とし、部分的に意義分類によって当時日用の基本語(特に消息用語)を集めた往来。上巻に「時候之事」「天地・人倫・言語之事(い〜く)」、中巻に「天地・人倫・言語之事(や〜す)」「返札に用(もちゆる)詞之事(脇付を含む)」「歌・双紙に用(もちゆる)仮名之事」「十能七芸、歌ニ而知事」、下巻に「官名(かんのな)并唐名之事」「国尽之事」「名字尽之事」「平人之名書(ながき)之事」「支体・病名之事」「衣類・道具・気形之品、書状注文に認様之事」「鳥獣・貝魚之事」「草木・果。之類之事」の一三項・三一三八語からなり、その大半がイロハ順に配列する。各語を大字・六行(または五行)・付訓で記し、所々割注(唐名・異名)を施す。これらの割注は概ね簡潔で、『下学集』『玉篇』『唐韻』『説文』等に典拠するものも含まれる。なお、本書の抜刷本である江戸前期刊『〈新板〉国尽〈并〉名字尽』†が存在するため、本書の他の部分の抜き刷りも相当行われたであろう。〔小泉〕
★どうくんしゅう [2639-2]
童訓集‖【作者】水島(水嶋)卜也(之成・元也・伝左衛門)作。【年代】元禄五年(一六九二)作・書。【分類】教訓科(非往来)。【概要】異称『於人前可嗜条々』。大本一冊。人前での行住坐臥の作法、特に「してはならない」禁止項目を示した水島流童蒙向け礼法書。「一、髪不結して人前へ出る事」から「一、火鉢の中へ津(つば)吐事」までの一〇八カ条を列記した後、「右一冊雖為秘事、童訓為指南、令相伝畢。妄不可有外見者也」と結ぶ。小泉本では、元禄五年七月に水島卜也と伊藤甚右衛門の連名で伊藤隼太に対して書かれた形式になっており、本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうくんめいすうおうらい [2640]
〈新編四民用字〉童訓名数往来‖【作者】不明。【年代】享和三年(一八〇三)刊。[江戸]西村屋与八板。【分類】社会科。【概要】異称『〈新刪〉童訓名数往来』『名数往来』。中本一冊。「夫、清(すめ)るは天と昇、濁るは地と降(くだり)、是を両儀といふ。その中に人を生ず。これを天地人の三才といふ…」で始まる文章で、三才・三光・四季・四徳・六時・四方・四維・五行・五色・十幹・十二支・四霊・四神・六畜等々の名数とその関連語を列挙した往来。ほぼ数の順によるが、途中で「地理」「海川」「人里」「家居」「皇統」「官職」など名数以外の語彙集団を含む。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「酢吸の三聖」、頭書に「童俗教訓書」「五節句の説」「難字苗氏尽」を収める。なお、本書見返に「此書、先板は宝暦庚辰(宝暦一〇年=一七六〇)春焼已す。夫より当年まで四十四年、印本を絶す…幸いに此度旧本を板元より譲受て増補し再板す」と出版の経緯に触れるが、もしこれが事実であれば、本書は半世紀前に出版された往来物の増補版ということになる。〔小泉〕
◆どうくんようぶんしょうたいせい/どうくんようぶんしょうたいじょう [2641]
〈新版〉童訓用文章大成‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[大阪]正本屋小兵衛(西沢小兵衛)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。主要な日用消息文一〇通を収録した用文章。本文を大字・六行・付訓で記す。元服・婚姻・普請・出産に伴なう祝儀状(往復)と江戸へ下向する者への餞別状(往復)から成る。頭書には本文とは無縁の『実語教』†の要語解を載せる。あるいは実語教の板木を流用した改刻であろうか。〔小泉〕
◆どうげあんもん [2642]
〈滑稽〉道外案文‖【作者】鼻山人(東里山人)作。松亭金水序。渓斎英泉(楓川市隠)画。【年代】文化(一八〇四〜一七)頃刊。[江戸]布袋屋市兵衛(玉泉堂)板。【分類】消息科(滑稽本)。【概要】異称『滑稽道外案文』『〈浮世滑稽〉附会案文』。中本一冊。享和四年(一八〇四)刊『附会案文』†を模倣した用文章風の戯作。序文に「この戯文は嚮(さき)の年、十返舎が艸する処と趣旨(おもむき)は粗(ほぼ)似たりといへども…」と述べ、実際に『附会案文』を丸々引用した箇所がいくつかあるように、奇抜な題材で綴ったものである。前半の「書札妙智力難文」と後者の「諸用附会奇妙案文」の二部からなり、前者は「会席年始状」〜「侘入申一札之事」の一八通、後者は「稲荷様へ狐より年始状」〜「極楽店請状之事」の二二通を二段組で収録する。本文をやや小字・七〜八行・付訓で記す。途中、著者が士農工商別に詠んだ狂歌を掲げる。表紙(子どもの前で手紙を書く大人の図)・見返ともに色刷りで、巻頭には各状を象徴した「絵目録」を掲げる。なお本書には異板があり、改刻板と思われるものは、色刷り表紙および見返しを一新し、上段末尾所載の書状名「男妾の請状」を「酒呑の請状」と改め、「絵目録」に続く半丁(「書札妙智力難文」を記した扉)を削除したほか、全編通しの丁付けとするなどの変更を加えてある。〔小泉〕
◆とうけいおうらい/とうきょうおうらい [2643]
〈童蒙〉東京往来‖【作者】小川監(易亭)作。福地源一郎(万世・尚甫・桜痴・夢の舎・星泓・吾曹)校。歌川芳盛画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]鶴屋喜右衛門(小林喜右衛門・仙鶴堂)ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『童蒙東京往来』。半紙本一冊。明治初年当時の東京の地理を七五調で綴った往来。「天更地新王政の、昔に復(かえ)る辰の年、天皇東幸まして、明れば明治己巳の春、江戸を改め鳥が啼、東の京と為せしより…」と筆を起こし、東京の発展や繁栄の様子に触れ、以下、東京六大区毎の地名・名所・景観や産業・物産・文化・社会などを略述する。最後に、東京の経度・緯度・規模などの概況を示し、「文明の花の都の有様」を讃える文章で結ぶ。本文を大字・五行(第一丁のみ六行)・付訓で記し、巻頭に六大区の名所を描く(光斎画)。〔小泉〕
◆とうけいおうらい/とうきょうおうらい・こうとおうらい [2644]
東京往来・皇都往来‖【作者】丘上某書。【年代】明治三年(一八七〇)書。【分類】地理科。【概要】特大本一冊。前半に『東京往来』、後半に『皇都往来』を収録した特大手本。いずれも大字・五行・無訓で記す。『東京往来』は、「春霞、けふ立初て若松の、縁の空も長閑にて、波の花咲滝沢の、坂を登りて三十八駅、数の始は赤井原…」で始まる七五調の文章で、会津から東京までの宿駅を列記した往来。また、『皇都往来』は、さらに東京から京都までの道のりを、「武蔵野を、けふ立初て都路を、志たる江戸風も、旅出起は品川や、誰川崎に歩らむ、道もこゝろに神奈川や…」で始まる同様の文章で記した往来。会津地方で使用された手本で旧蔵者の住所を「耶麻郡会津北方五目組針生村」と記す。本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆とうけいおんなようぶんしょう/とうきょうおんなようぶんしょう [2645]
〈明治〉東京女用文章〈一名小学女作文大全〉‖【作者】伊藤九六郎作。水田得哉書。平尾歌子序。【年代】明治一二年(一八七九)序。明治一六年再刊。[東京]椀屋喜兵衛(江島喜兵衛・万笈閣)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈文明〉東京女用文章』『小学女作文大全』。半紙本一冊。「改年を賀する文」以下、四季に伴う手紙を主とする往復四二通を収めた女用文章。本文を大字・五行・付訓で記し、仮名書きの部分に適宜、該当の漢字を小さく添えるのが特徴。書名の『東京』は、特に内容に反映されてはいない。頭書には、イロハ順に熟語を集め略注を施した「伊呂波引字類」を載せる。なお、本書の初刊は明治一二年と思われるが未詳。〔小泉〕
◆とうけいちがくおうらい/とうきょうちがくおうらい [2646]
東京地学往来‖【作者】橋爪貫一(松園)作。【年代】明治六年(一八七三)頃刊。[東京]雁金屋清吉(青山堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『東京往来』。中本一冊。文明開化の進展著しい明治初年の東京の地理や社会情勢を記した往来。「万国に其名も高き大都府と、称する中の東京は、我日本の西東、其中央の地を占て、北緯三十五度余に在、四方平垣(たいら)にうち開け…」で始まる七五調の文章で、東京の地理的位置や地勢・人口などの現況を述べ、また、今こそ地学などの実学を学ぶべきことを諭す。続いて、皇居や周辺の諸官庁および官僚・行政組織、教育制度、医療機関などを概説し、以下、第一〜六大区毎の地名・名所・物産等を紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「東西半球」「五大洲」「畿内八道」「東京府沿革」「行政諸官庁・諸官職」「御高札の写」「違式・モ違(かいい)」「改暦」「時刻割」等の記事を掲げる(このうち「改暦」の記事により明治六年頃の作と判明)。〔小泉〕
◆とうけいちめいもんどう/とうきょうちめいもんどう [2647]
〈小学習字〉東京地名問答‖【作者】高崎脩助作。竹陰処士序。美邨請敬書。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[東京]中邨熊次郎板。【分類】地理科。【概要】異称『〈小学習字〉東京往来』『〈区分挿画〉東京往来』。半紙本一冊。明治初年の東京の「朱引内」六大区七〇小区と「朱引外」五大区三三小区の各区毎に町名・諸官庁・主要建造物その他の地名、また、沿革や諸産業などを概説した往来。「夫、東京は朱引内、六大区中七十の、小区賑ふ大都、竈の数は十四万六千七百余戸にして、人口凡六十万…」で始まる七五調の文章で、東京府の現況を述べ、以下、大小の各区を紹介した後、「日本一の大都会ゆたけき御代そ実に有かたき」と結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、東京府下の全町村名や風景画を掲げる。なお、本書刊行の翌年(明治一一年)に、本書の改題本である『〈小学習字〉東京往来』が同じ板元から出版された。〔小泉〕
◇とうけいどうちゅうおうらい/とうきょうどうちゅうおうらい [2648]
東京道中往来‖【作者】不明。【年代】明治年間作・書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。明治初年の写本『会津往来集』中に収録された往来の一つ。『江戸道中往来』†を明治改元後の実情に即して書き改めたもので、地名や順路はほぼ同じ。会津若松から南に下り東京に至るまでの宿駅や地名を七五調の文章に詠みこむ。『江戸道中往来』に比べ、形容句など地名以外の語句の改編が目立ち、本文末も「月の都に着にけり」が「東の京に着にけり」などと改める。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆とうけいふないおうらい/とうきょうふないおうらい [2649]
〈改正区分〉東京府内往来‖【作者】渡辺信作・書。幽香楼序。【年代】明治一三年(一八八〇)序・刊。[東京]石井虎吉ほか蔵板。竹内安兵衛ほか売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「抑東京十五区の、先第一は麹町区、其中央を皇居とし、四周を占る町々を、いはゞ祝田・宝田町、代官・千代田・竹平町…」で始まる七五調の文章で、東京一五区毎の町名、官公庁その他建造物、名所などを列記した往来。本文を楷書・行書交じりの大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆とうけいほうがく/とうきょうほうがく [2650]
東京方角‖【作者】山栖堂書。【年代】明治年間刊。[東京]吉田屋文三郎板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。外題・首題こそ「東京」と改題するが、内容は近世流布本の明和二年(一七六五)刊『御江戸名所方角書(江戸方角)』†とほとんど同じ。「先御城外、東者和田倉・八代洲河岸・竜之口・呉服橋・日本橋・江戸橋…」で始まり、「是、偏此大江戸之地勢、四神相応する故なるべし。穴賢」と結ぶ本文を大字・四行・付訓で記す。なお、本書と同内容で首題を『〈東京〉名所方角(東京方角)』†とする別本もある。〔小泉〕
◆とうけいほうがく/とうきょうほうがく [2651]
〈英字新選〉東京方角‖【作者】松井某作。橋爪貫一(松園)序。【年代】明治五年(一八七二)作・刊。[東京]近江屋岩次郎(誠之堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『〈英字新撰〉東京方角』。中本一冊。近世流布本の明和二年(一七六五)刊『御江戸名所方角書(江戸方角)』†にならって明治初年の東京の地理を記した往来。「抑東京府中の中央より東の方は、馬場先御門・教部省、大名小路・司法省、八代洲河岸には測量司、和田倉御門辰の口…」で始まる七五調の文章で、明治政府下の行政諸官庁や近代的な諸施設を含む東京の地名・名所とその様相を紹介する。本文をやや大字・六行・付訓で記す。頭書に本文中の地名のローマ字表記を「Tokio(トヲキヲ)/Babasaki(バヾサキ)/Kiyaubushiyau(キヤウブシヤウ)/Daimeukouji(ダイメウコウジ)…」と示したり、名所風景図を掲げる。巻頭に江戸〜東京の沿革を記した記事と東京府内図を載せるほか、巻末には三丁にわたって、十二支・四季・年月等の英単語や挿絵を「単語図」風に掲げる。〔小泉〕
◆とうけいほうがく/とうきょうほうがく [2652]
〈開化〉東京方角‖【作者】高科喜重郎作・序。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]島村吉松(暦口堂)蔵板。恵比寿屋庄七(熊谷庄七・錦松堂)ほか売出。【分類】地理科。【概要】異称『開化東京方角』。中本一冊。明和二年(一七六五)刊『御江戸名所方角書(江戸方角)』†にならって明治初年の新区画による東京府下の諸官庁・諸施設・町名・寺社名その他の地名を列挙した往来。「夫、東京者、町数一千七十余、戸数大凡二十万、府下を六大区七十小区に分てり…」で始まる本文を楷行書・大字・五行・付訓で記す。また、頭書に学校・郵便局・区役所の所在地を紹介する。〔小泉〕
◆とうけいほうがくこうしゃく/とうきょうほうがく こうしゃく [2653]
東京方角講釈‖【作者】松亭金水注・序。【年代】明治初年刊。[東京]刊行者不明。【分類】地理科。【概要】異称『東京方角抄』『東京方角』。中本一冊。天保一四年(一八四三)再刊『江戸方角愚注抄』†の改題本。首題を『東京方角』、序題・尾題を『東京方角抄』と改刻したほかは全く同じで、柱は『江戸方角抄』のままにする。〔小泉〕
◆★とうけいほうがくしゅうじぼん/とうきょうほうがくしゅうじぼん [2654]
東京方角習字本‖【作者】松丘貫石作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]松丘貫石蔵板。【分類】地理科。【概要】異称『東京方角』。近世流布本の明和二年(一七六五)刊『御江戸名所方角書(江戸方角)』†の明治期改編版の一つ。「王政維新東京の、街の方角惣計は、一千百七拾七ヶ町、先卯ノ方ハ宝田・祝田・千代田町、和田倉渡り八重洲町…」と書き始め、「為替会社の三井組…」「富士峰と相対したる国立銀行…」「わたりて傍に蒸気車の、乗場立派にステーシヨン…」「瞬く中に用便を、なすは自在のテリグラフ…」のように近代的な事象を随所に盛り込んで、明治初年の東京を描く。本文を大字・三行・所々付訓の手本用に記し、稀に付訓を施す。〔小泉〕
◆とうけいめいしょほうがく/とうきょうめいしょほうがく [2655]
東京名所方角‖【作者】鶴田真容作・序。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎・紅木堂)板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。明和二年(一七六五)刊『御江戸名所方角書(江戸方角)』†を明治初年の実情に合わせ改編したもの。皇城外の和田倉橋以下約四〇〇に及ぶ地名(町・社寺・橋・川その他の名称)を羅列しながら東京の地理・沿革・社寺・古跡や新開の名所について触れ、最後に東京が全国各地の「人智物品」が群集し、日新開化・富貴繁栄の地であることを述べて締め括る。本文を楷書・大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆とうけいめいぶつおうらい/とうきょうめいぶつおうらい [2656]
東京名物往来‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]辻岡文助(金松堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『名物往来』。中本一冊。文化二年(一八〇五)刊『御江戸名物往来』†の改編版。「夫、東京は山遠く、方廿里の平地にして、内国無双の大都会なれば…」で始まり、東京の地形や沿革を略述し、以下、明治初年の発展する東京の様子を官庁・学校を始めとする建築物や諸施設、また他国から流入する物産の数々、文明開化の象徴(錬瓦店、西洋機械、西洋料理店など)を交えつつ、本町・駿河町の呉服・綿類・糸物類を始め東京各地の名物・名品を列挙する。本文を大字・六行・付訓で記す。表紙は刷外題で、その見返に「日本橋ヨリ各方道程」の図を掲げる。〔小泉〕
◆とうけいようぶんしょう/とうきょうようぶんしょう [2657]
〈川田剛吉著・聚文確証〉東京用文章‖【作者】川田剛吉作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]藤岡屋慶次郎(水野慶治郎・松林堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈聚文確証〉東京用文章』。半紙本一冊、または中本一冊。「歳旦之賀章」を始めとする四季・雑混載の私用文例四九通、および「建家書入之証」を始めとする「証書文例」一四通、「諸車検印願」を始めとする「諸願届類」一四通、計七九通を集めた用文章。本文を大字・五行(証文類は七行)・付訓(漢語にしばしば左訓)で記す。序によれば、流行の用文章は「文体高尚ニ渉リ、初学ノ輩其文意、了解スル能ハ」ざるため、本書では実用本位に編集したというが、文例難解である。また、頭書の「尺牘往復類語」「四季気候類語」「草木之部」は純然たる漢文系の雅語集である。なお、書名の『東京』の由来は、「咋今不忍池上之蓮花芳盛之由…」(蓮花賞之文)「上野博物館出張所ニ於て観古美術会御開設之由…」(見物に人を誘ふ文」)など、題材を東京に求めたものが少なくないからであろう。まず半紙本が出され、間もなく中本仕立てが刊行されたようである。〔母利〕
◆どうげじつごきょう [2658]
〈教訓〉道外実語教‖【作者】宝田千町(豊年舎・五国老人)作(本文)。五国老人作(頭書)。【年代】天保五年(一八三四)刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】教訓科(滑稽本)。【概要】異称『〈道外〉実語教』『実子教(じつごきょう)』。中本一冊。『実語教』†風の文言で衣食住における倹約などの生活心得を説いた戯文の往来。倹約・辛抱・家業出精・布施への努力が「豊年之始」と説く。「米高故多不食(こめたかきがゆえにたんとくらわず)、盛雪花菜唯一杯(きらずをもってたったいっぱい)、四斗一両故多不買(しといちりょうがゆえにたんとかわず)…で始まるように全文が『実語教』のもじりだが、必ずしも漢字五字一句ではなく、漢字六〜八字一句を含む全九六句から成る。後半の「寿福心得種(こころえぐさ)」は、金・銀・米・銭・布の「五宝」、とりわけ米の重要性と粗食・倹約の心得を蘇東坡の「麁食三益」の教えを引きながら諭した教訓で、これに若干の増補をした単行本『家宝往来』†が本書の直後に刊行された。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書には扇を題材にした教訓文「扇の尊き事」「扇の五常」を載せるが、これらは五国老人の作と記す。なお、本書には内題を改めた異板があり、『実子教』の首題を持つ一本では本文末の「豊年舎誌」の文字が削除された。〔小泉〕
◇どうげむらにっき [2659]
道戯村日記‖【作者】千葉某書。【年代】享和三年(一八〇三)作。天保一四年(一八四三)書。【分類】地理科(戯文)。【概要】大本一冊。会津領内六郡の町村名を全編一通の手紙文中に織り込んで綴った往来。書名の『日記』とは日々の記録ではなく、書き記した書物の意である。「一書令啓上候。我等儀先祖より高三百石余所持致し、人は能高田といはれ、本田六町原、新田五町目…」と始まり、「身上は富岡にて」、「借金を笈川と」のように地名を語呂合わせにした戯文で、会津四郡・安積郡・蒲原郡中の約一〇〇〇カ村のうち約二四〇カ村名を紹介し、後半では賭博・双六などの遊興に耽って堕落した貧困生活から改心し、心機一転精進した結果、やがて幸福になるという筋書きの教訓文を載せる。〔小泉〕
◆とうこうせんせいしょしゅんえんじょう [2660]
東江先生書春宴帖‖【作者】沢田東江(源鱗)書。須原屋嘉祐(源嘉祐)跋。【年代】安永二年(一七七三)刊記。安永三年跋・刊。[江戸]鶴屋喜右衛門(僊鶴堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『春宴帖』。大本一冊。東江の書を集めた法帖(陰刻)。書名の通り、春宴の招待状に対する返事から始まり、字配り・字音を異にする四季折々の手紙や各種祝儀状など一五通および漢詩文一編から成る。概ね大字・四〜六行・無訓で記し、巻末に「春宴帖抄釈」(この部分陽刻)として、各状に出てくる要語の読みや語注を施す。〔小泉〕
◆とうこうせんせいしょぞくしゅんえんじょう [2661]
東江先生書続春宴帖‖【作者】沢田東江書。源潜(眉山)・源幹跋。【年代】天明三年(一七八三)跋・刊。[江戸]須原屋嘉助(舟木嘉助・藻雅堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『続春宴帖』。大本一冊。前項の続編として編まれた陰刻手本。全一二通の書簡を収録する。その多くが書筆・手本・道具など書道全般に関する話題であり、特に末尾二通では箇条書きにして法帖に関する見解など自らの書論を比較的詳しく展開する。いずれも大字・六〜八行・無訓で記し、例文中に「香人硯銘」の図を掲げる。また、小泉本の巻末には、『伊勢物語』の抜粋(仮名文)を付すが、巻末広告によれば、これを合綴する本と合綴しない本の二種あったようである。なお、後印本では寛政二年(一七九〇)五月、源幹の跋文が追加された。〔小泉〕
◆とうこんこくぐんなづくし/とうこんこくぐんめいづくし [2662]
当今国郡名尽‖【作者】不明。【年代】明治三年(一八七〇)頃刊。刊行者不明。【分類】地理科。【概要】中本一冊。皇国としての日本の歴史と明治三年頃の畿内八道八四国七六郡の国郡名を綴った往来。神武天皇以来の皇国の歩みを国郡の制を中心に記述し、明治三年に陸奥が五カ国に分断されたことや、明治二年に蝦夷を北海道と改称したことに触れた後で、廃藩置県前の日本の国郡名を羅列する。本文を楷書・大字・四行・付訓で記して所々割注を付け、各地の旧名を紹介する。〔小泉〕
★◇とうざんおうらい/ひがしやまおうらい [2663]
東山往来‖【作者】僧定深作。【年代】平安後期、康和〜嘉承(一〇九九〜一一〇七)頃作。応永一一年(一四〇四)書。【分類】古往来。【概要】異称『東山往来書状集』『東山消息状』。正編・拾遺の二編。往状・返状一対の形式で平安後期の貴族・僧侶が営んだ儀式や行事、日常生活等に関する手紙模範文・模型文を収録した古往来。「正篇」が四三条八六通、「拾遺」が五七条一一四通、合計一〇〇条二〇〇通より構成される。応永一一年写本(高野山大学図書館蔵)は現存最古だが未見。室町期古写本の宮内庁書陵部本は正編のみの大本一冊で、本文を楷書・やや小字・八行・稀に付訓で記す。また、『続群書類従』所収本(正編・拾遺とも)は天文一三年(一五四四)隆慶僧都筆。なお、作者・定深は、平安後期の嘉承元年(一一〇六)に清水寺の別当に任ぜられ、元永二年(一一一九)に没した僧侶だが、内容から堀河天皇の治下、康和〜嘉承頃の作と推測される。〔石川〕
◆どうじうたい [2664]
〈能勢道仙著〉童子謡‖【作者】能勢道仙作。梅竹居(蝙蝠亭)序。【年代】明治七年(一八七四)刊。[北条県]梅竹居蔵板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。漢字ほぼ七字一句・全一七三句から成る文章で、天地や人倫、社会生活上の語句を書き綴った教訓。まず、天地や天体の動きやそれによって生ずる自然現象やエネルギーについて述べ、今日の発明があらゆる分野に及び、科学的発見が著しい様を述べ、以下、三種神器・四民・五常・五教・七情・五体・五臓・六芸など人倫・心身に関わる名数をあげ、また、学問・日月・祭礼・四方・五洲・府県・地理・交通・通信・産業・経済・貿易などについての現状を紹介し、文明開化の渦中にある日本が物心両面においてますます豊かに、盛んになっていく様子を描く。本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうじおうらい [2664-2]
童子往来(仮称)‖【作者】不明。【年代】宝永四年(一七〇七)刊。[大阪]大黒喜左衛門ほか板。【分類】合本科。【概要】大本一冊。原題は不明だが、元禄一一年(一六九八)刊『童子往来綱目』†系の合本科往来で、仮に『童子往来』とした。『童子往来綱目』所収の「庭訓往来」の字詰めを二月往状の途中から七行詰めに改めて頭書に増補または削除を加え、巻頭に「大坂状・同返状」などを追加した往来。本文欄に「大坂状・同返状」「庭訓往来」「実語教・童子教」を大字・六〜九行・付訓で掲げ、頭書に「曽我状」「男女人名がしら字」「今川状」「腰越状」「義経含状」「熊谷送状」「経盛返状」「弁慶状」「御成敗式目」「篇并冠尽」「手習状」「風月往来」の順に収録する。〔小泉〕
◇どうじおうらい [2665]
〈万代用文〉童子往来‖【作者】不明。【年代】安政(一八五四〜六〇)以降刊。[金沢]刊行者不明。【分類】合本科。【概要】中本一冊。『〈安政新板〉合書往来』†の改訂版。「消息往来」「消息往来講釈」「商売往来」「今川状」「武家苗字尽」「寺子教訓書」「御府内町名尽(金沢の町名を記したもの)」の七編を収録した往来。〔小泉〕
◆どうじおうらいこうもく [2666]
童子往来綱目‖【作者】不明。【年代】元禄一一年(一六九八)刊。[大阪]伊賀野弥兵衛ほか板。また別に[大阪]吉文字屋市兵衛ほか板あり。【分類】合本科。【概要】異称『童子往来万宝』。大本一冊。合本科往来の先駆の一つ。本文は「庭訓往来」と「実語教・童子教」からなり、前者を大字・六行・付訓、後者を大字・八行・付訓で記す。頭書には「今川状」「腰越状」「義経含状」「手習状」「熊谷送状」「経盛返状」「弁慶状」「風月往来」「御成敗式目」を収録し、若干の挿絵を施す。本書はその後、大阪板合本科往来の基本スタイルとして、元禄一三年刊『童子往来大成』†を始めとする大阪板の諸本に踏襲さればかりでなく、京都板の合本科往来にも影響を与えた。なお、吉海本には『童子往来万宝』の後簽を付すが、あるいはこれが原題簽の書名であろうか。〔小泉〕
◆どうじおうらいたいせい [2667]
童子往来大成‖【作者】不明。【年代】元禄一三年(一七〇〇)刊。[大阪]吉文字屋市兵衛(鳥飼市兵衛)ほか板。【分類】合本科。【概要】大本一冊。元禄一一年刊『童子往来綱目』†に次いで古い大阪板の合本科往来。本文を大字・六行・無訓(例外的に付訓)で記す。ただし、頭書に『童子往来綱目』のような挿絵を掲げない、全くの異板。本文欄に「庭訓往来」「実語教・童子教」を掲げ、頭書に「今川状」「腰越状」「義経含状」「手習状」「熊谷送状」「経盛返状」「弁慶状」「風月往来」「御成敗式目」を収録する。すなわち本書は、『童子往来綱目』から挿絵を省いて再編集したものといえよう。〔小泉〕
◆どうじおうらいふうきほうぞう [2668]
童子往来富貴宝蔵‖【作者】不明。【年代】享保元年(一七一六)刊。[大坂]吉文字屋市兵衛ほか板。【分類】合本科。【概要】大本一冊。元禄一一年(一六九八)刊『童子往来綱目』†の増補版。元禄一一年板の「庭訓往来」の前に「商売往来」を、また同書頭書「今川状」〜「御成敗式目」の前に「手習の歌尽」「大坂状・同返状」「曽我状・同返状」を追加した。本文を大字・六〜八行・付訓で記す。前付に「弘法大師筆勢」「七福神士農工商図」、後付に「篇并冠」を掲げる。なお、付訓本の享保元年板のほかに、無訓本の享保二年板(鳥飼市兵衛ほか板)も存する。この無訓本も収録内容は基本的に同じだが、付録記事や挿絵など異同が随所に見られる。また、本書の増補版に享保七年刊『童子往来万福宝蔵』†や享保一七年刊『新童子往来万世宝鑑』†がある。〔小泉〕
◆どうじおうらいまんぷくほうぞう [2669]
童子往来万福宝蔵‖【作者】敦賀屋九兵衛作か。【年代】享保七年(一七二二)刊。[大阪]吉文字屋市兵衛(鳥飼市兵衛)ほか板。【分類】合本科。【概要】異称『万宝童子往来』。大本一冊。元禄一一年(一六九八)刊『童子往来綱目』†系の合本科往来。同書増補版の享保元年刊『童子往来富貴宝蔵』†に若干の増補を行ったもので、本文は「小野篁歌字尽」「商売往来」「庭訓往来」「実語教・童子教」から成る(大字・六〜九行・付訓)。前付に「神楽のはじめ」「手習歌尽」「七以呂波」「文字・筆の始り」「本朝額の始り」「曽我状・同返状」「手形づくし」「今川状」「腰越状」「義経含状」「手習状」「熊谷状・経盛返状」「弁慶状」「風月往来」「御成敗式目」、巻末に「篇并冠」を掲げる。本書と同年刊行(大阪・大黒喜左衛門ほか板)の異本もあり、この異本は作者を敦賀屋九兵衛とし、本文欄に「書札文章」「庭訓往来」「実語教・童子教」を大字・六〜九行・無訓で記し、頭書に「商売往来」「大坂状・同返状」「曽我状・同返状」「今川状」「腰越状」「義経含状」「熊谷状・経盛返状」「弁慶状」「御成敗式目」「手習状」「風月往来」、巻頭に「筆を取べき次第の事」等を収録する。〔小泉〕
◆どうじかがみ [2670]
童子鑑‖【作者】柳平熊太郎書。【年代】明治八年(一八七五)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「子供よくおもへ(覚え)、子供によりてわか身計りよしと思ふて、申(さる)智恵を廻し、人を侮り、自慢たらにて、闘諍・口論もつねに不絶、後には御上之難有き御恩も忘れ…」で始まる短い教訓文を大字・二行・無訓で記した手本。少々の学問から傲慢になることが種々の災いの種であることや、幼少時に友を選ぶべきこと、五常を守って身持ち正しくすべきことなどを説く。『〈仮名末童子鑑〉御手本』と題した写本中に所収。本文を大字・二行・無訓で記す。信濃国諏訪郡で使用された往来である。〔小泉〕
◆どうじかんぎょくりん [2671]
童子観玉林‖【作者】関富来(笑々堂)作。守川旭水(清栄堂)序。【年代】文政元年(一八一八)作・刊。[江戸]江見屋吉右衛門板。【分類】教訓科(戯文)。【概要】異称『紐革燗酒温飩対風鈴財布少々(ひもかわかんざけうんどんふうりんにたいしてさいふのしょうしょう)』。大本一冊。『今川状』†をもじった戯文の往来。『今川状』の文言に似せた、「一、非文福茶釜而、陳奮与翰墨不為翩々事(ぶんぶくちゃがまにあらずして、ちんぷんとかんぼくへんぺんたらざること)」や、「一、大工之輩其日之為怪我、削吾指事(だいくのともがらそのひのけがとしてわがゆびをけずること)」などの二一カ条と後文から成る。全文がパロディーだが、「庇を貸して母屋を取られる」など若干の処世訓も含む。本文を大字・四行・付訓で綴る。〔小泉〕
◆どうじきょう・ごじゅうさんつぎ・だいにっぽんくにな(だいにっぽんこくめい) [2672]
童子教・五十三継・大日本国名‖【作者】正法寺連女(蓮月庵門人)書。【年代】嘉永六〜七年(一八五三〜五四)書。【分類】教訓科・地理科。【概要】特大本一冊。『童子教(童子教訓)』『五十三継』『大日本国名』を合綴した手本で、いずれも大字・三行・無訓で記す。『童子教』は、「夫、例式の嗜は、先立働の事、早天に目を驚し、楊枝をつかひ口の中を雪こと第一なり。此義なくは息嗅してけかれ多し…」で始まる教訓文で、起床後の身支度、寺子屋での礼儀、交友、人倫・五常を弁えることなどを諭した往来。『五十三継』は、京から日本橋まで、東海道の宿駅名を順々に列記したもの。『大日本国名』は、いわゆる『大日本国尽(国尽)』で、五畿七道順に国名を列挙したもの。〔小泉〕
◆どうじきょうがほん/どうじきょうえほん [2673]
童子教画本‖【作者】岡田玉山(玉山初世・尚友・子徳・金稜斎)作・画。篠崎三島(筱応道・安道・長兵衛・郁洲・梅花堂)序。【年代】文化三年(一八〇六)刊。[大阪]和泉屋卯兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『画本童子教』『絵本童子教』。半紙本五巻五冊。『実語教画本』†と同体裁で編まれた『童子教』の絵本。全ての丁に挿絵を挟み、『童子教』本文を数句毎に分けて平易に俗解したもの。挿絵とともに和漢の故事や卑近な寓話、また諸書からの引用を交えて情緒豊かに敷衍する。ただし仏教用語については大意を示すにとどまる。〔小泉〕
◆どうじきょうくんぐさ [2674]
〈新刻〉童子教訓草‖【作者】吉田宗元作・序。吉田宗作(宗元の男)校。深沢菱潭書。鵜殿正親序。柳圃画。【年代】明治六年(一八七三)序。明治七年刊。[浦和]平岡某蔵板。大浦屋長蔵ほか売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。諸般にわたる童蒙教訓を綴った往来。まず、孝・忠・敬・愛・信や、尊長への服従などから説き始め、以下、約束、他人の無礼、人の恩、己れの慈悲、己れの誤ち、人の善悪、己れの好まざることを人に施さないことなど、他人との関わりの中で守るべき人倫を掲げ、さらに、質素倹約、分限、堪忍、その他行住座臥の心得や、学問・家職上の諸教訓を述べ、以上の条々を堅く守り、己れの名をあげて父母の恩に報いることが大切であると諭す。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆どうじきょうくんしょ [2675]
童子教訓書‖【作者】不明。【年代】文政一二年(一八二九)刊。[足尾]金子某蔵板(施印)。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。板行地周辺の農民子弟の教諭用に編んだ教訓書で、篤志家・金子某が印施したもの。冒頭に天下太平の恩沢を讃え、それに報いるために万民は『御高札』のうち、特に大切な四カ条、すなわち「家内和合(人倫)」「家業出精(分限)」「人の害になることをしないこと」「博奕の類をしないこと」を厳守すべきであると説く。以下、所々教訓歌を引きながら平易に諭す。全体として石門心学流の通俗教訓である。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆どうじきょうゆうしょ [2676]
童子教誘書‖【作者】不明‖【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。まず人間として神恩を思うべきことから始まり、ついで先祖歴代・父母の恩を説く。以下は具体的心得で、親の前で挨拶すること、親より先に食事をしてはならない、親の許しなく外出してはならない、悪き友と交わらない、嘘をついてはならない、男女一緒に寄り合い遊んではならない等の教えや、士農工商、それぞれの勤めを油断なく果たすこと、女子は貞信を守るべきことなどの一般論に転じる。末尾では「幼少の時より、聖賢の教を聴きて人倫の道を学び、父母養育の厚恩を日夜忘れず、成長に随ひ家職を守り、更に私なく忠孝を尽して君父の恩を報ふべきことなり」と締め括る。本文を大字・六行・付訓で記す。〔母利〕
◆どうじくさかりうた [2677]
童子草刈歌‖【作者】伊牟田和泉守多治比作。秋岡某書。【年代】文久二年(一八六二)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「夫、人は貴き卑き諸共に、生まれ出るに替りは無よ、…人のからだは神のからだ、神のからだが人なれば、神と人とに替りはないぞ、神が人なり人が神、我身穢せば神穢す、人の魂は天御中主高皇産霊に神皇産霊…」と起筆し、神道の立場より人間にとって大切な諸教訓を説く。人間は神と同体であるから平等であり、慎み深く祖先を崇拝して孝行を尽くし、五穀豊饒に励み、夫婦・兄弟始め家内の安寧に努めることを諭し、最後に、他に嫁ぐ女性の心得までを述べる。本文をやや小字・八行・無訓(例外的に付訓)で記す。徹底した神道系の往来として注目される。〔石川〕
★◆どうじくん [2678]
童子訓‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】異称『光圀卿様童子訓』大本一冊。「一、人間一生の勤は忠孝の道なり。聖賢千万言の教も忠孝の為成へし…」以下、長短合わせた四三カ条から成る童蒙教訓。著者跋文ではイロハの学習課程を終えた武家児童のために著したとする。主たる教訓は、忠孝、奉公、孝行、兄弟、夫婦、離縁、朋友、堪忍、他人の秘密、約束、善悪の境、異見の価値、多言無用、恥辱、武具・諸道具、金銀米銭、熟慮、学問、慎独、旅行など、武士の役割を中心に武家生活諸般の教訓を列記する。また、巻末「追加」に「一、孝は道理を忘るに有」など八カ条を補足する。〔小泉〕
◆どうじくん [2679]
童子訓‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。一円斎施印。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。安永五年(一七七六)刊『世話字往来教車』†の改題・改編本。同本文を若干改め改題した全三丁の小冊子。本文を小字・九行・付訓で記す。表紙に「一円斎印施」の朱印を押すが、出版地等は不明。〔小泉〕
◆どうじくん [2680]
童子訓‖【作者】却窩主叟作。【年代】江戸後期刊か。[名古屋]却窩主叟蔵板。風月堂売出。【分類】語彙科・理数科。【概要】半紙本一冊。仮名遣い、漢字、算盤の割声などについて庶民向けに概説した入門書。「仮名遣大略」では、庶民は世間板行の俗書(和歌集・雑書・節用集等)で仮名遣いの大略を知れば十分とし、そのためにまず「いろは歌」によって基本を教える。次の「仮字反切の事」では五十音図を掲げて反切を説き、さらに「珠盤仮呼(そろばんわりこえ)」では算盤の割声の説明、「歌字尽補略」では『小野篁歌字尽』†に似せた「謚溢縊(しいつえい)似た文字なれば訓音(よみごえ)を、違へぬやうにこゝろあるべし」以下四一単元を掲げ、最後の「六書并文字ノ由来ノ事」では漢字の由来や書体のあらましを紹介する。本文をやや小字・一〇行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆どうじくん [2681]
〈広益増補〉童子訓‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]刊行者不明。【分類】社会科。【概要】異称『大全世話字往来』。中本一冊。名数・数量関連の語彙を中心に集録した往来。「太極は天地万物の始なり。是より陰陽わかる。二儀、又両儀といふは、天地をいふなり…」で始まる文章で、天地・日月・地名・人倫・身体・生物・金石・器財・仏教・儒教その他・芸能・数字(大数・小数)・和漢人物・日本(社数や古名)の順に語彙を大字・五行・付訓で記し、稀に割注を施す。類書として、本書の本文冒頭二行を若干改めた改題本『大全世話字往来』†や、本書に『世話千字文』を合綴した『大全世話千字文』の二種があり、いずれも江戸で出版されているため、本書も江戸板と推定される。〔小泉〕
◆どうじくんいろはうた [2682]
童子訓いろは歌‖【作者】十返舎一九二世(十字亭三九・十返舎三九・糸井武・鳳助・東船笑楚満人・花輪堂)作・序。歌川貞房(五亀亭・橘蝶亭・桶蝶楼・橘庵)・五字亭三蔦画。【年代】天保三年(一八三二)刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】教訓科(合巻)。【概要】異称『童子訓いろは短歌(短謌)』『教訓の短謌』『〈新版・教草〉いろは短歌』。中本二巻二冊、後二巻合一冊。本文上欄に「(い)いまむかし時こそかはれよの中は、(ろ)芦生がゆめのごとくにて…」と始まるイロハ短歌、また下段には短歌をテーマに展開する教訓説話を載せたもの。平生の身持ちを慎むこと、特に女性は親孝行すること、また、他人に対する態度、人の意見に従うべきことなどを説く。なお序文に、元和元年(一六一五)刊『きよ時雨』にイロハ短歌を載せている旨を紹介する。〔小泉〕
◆どうじこじょうぞろえたいせい [2683]
〈寺子往来〉童子古状揃大成‖【作者】不明。【年代】嘉永四年(一八五一)刊。[大阪]河内屋藤兵衛板。【分類】合本科。【概要】異称『〈寺子日用〉童子古状揃』。小本一冊。『古状揃』†と称するが、実際に含まれるのは『今川制詞事』、すなわち『今川状』†のみで、通常の『古状揃』とは異なる合本科往来。「今川状」「商売往来」「実語教・童子教」「江戸往来」「風月往来」「消息往来」「諸職往来」の七本を収録する。本文をやや大字・五行・付訓で記す。巻頭に「天満宮」「日本能書三筆」「永字八法」、また本文中の各往来の仕切りに「物数書法」「十干十二支」「十二月異名」等の記事、巻末に「小笠原流折形図」等を載せる。〔小泉〕
◆どうじじづくしあんけん [2684]
〈万貨字海・古語註解〉童子字尽安見‖【作者】松井庄左衛門(兎睡・自更軒)作・序。菊需准堂跋。【年代】正徳六年(一七一六)刊。[江戸]兎睡堂十次郎ほか板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈古語註解〉四民童子字尽安見』。半紙本一冊。日常生活に必要な豊富な語彙(約六二〇〇語)を六四門に分類・集録した語彙集。往来物としては語彙数が最も多い教材の一つ。語彙を大字・七行・付訓で記す。六四門は、同訓別格(同訓異義語)・畜獣・異形・禽鳥・竜魚・蟲介・樹木・果。異国草木・蔓草・服用草木・茸菌・水草・草花・諸竹・海藻・菜蔬・米穀・三飲(茶・煙草・酒)・三飲器用・薬種・宝貨・光彩・染綵・絹布・衣服・帽巾・履沓・枕席・副身器用・女用器財・香花・書具文房・方時器用・武具・馬具・船車「・衣服器財・湯火食器・洗掃器財・百工器用・営作器財・農具・猟漁器財・商家用字・神祇雑入・仏具言詞・楽器音曲・童子弄器・刑罰器言・遊芸勝負・肢体灸穴・疾病・倚頑・百工家業・親戚・禁中名目・武家名目・女中名目・諸宗名目・人倫門・飲食門・水火用字・理義字集(同字三字あるいは二字で作った俗字)である。このうち冒頭の「同訓別格門」のみ語彙をイロハ順に配列し、全ての語彙に用例を主とする割注を施す(他の門では割注は稀)が、時に独特な割注も散見され、「商家用字」では『永代蔵』『新永代蔵』『西鶴織留』『世間胸算用』『立身大福帳』などを商家「いとなみのよき手本」として推薦する。本文を大字・七行・付訓で記す。巻頭に「六芸図」その他を掲げる。なお、一行の字数を増やしてコンパクトな中本仕立てに再編集した改題本『早引文字通』†(松亭金水編)が弘化四年(一八四七)に刊行されている。〔小泉〕
◆どうじしょがくおうらい [2685]
童子諸覚往来‖【作者】不明。【年代】宝永二年(一七〇五)刊。[大阪]富士屋長兵衛板。【分類】古往来。【概要】大本三巻合一冊。寛文二年(一六六二)板とは異板の江戸前期刊『遊学往来(新撰遊覚往来)』†三巻三冊本の改題本。内容は寛文二年板と同様だが、寛文板が本文六行の二巻構成であるのに対して本書は本文五行の三巻構成である。大字・五行・付訓で記す。付録記事として表紙見返に「文章の始」、裏見返に「脇付高下・返札脇付高下」「書状留書・恐慌之高下」を掲げる。〔小泉〕
◆どうじしょがくおうらい [2686]
童子初学往来‖【作者】堀観中作(「江戸往来」)。【年代】文政三年(一八二〇)刊。[江戸]西村屋与八板。【分類】合本科。【概要】中本一冊。西村屋与八板の中本の往来物八点を合綴した往来(一部改刻)。収録往来は、順に「江戸(自遣)往来」「職人往来(〈増補〉諸職往来)」「商売往来」「百姓往来」「江戸方角」「風月往来」「実語教・童子教」「四季詩歌集」である。概ね、本文を大字・五〜六行・付訓で記す。合綴にあたり、各往来の頭書の冒頭部分などを改刻して連結部分を調整した。頭書は単行本時の内容と全く同様で、「江都年中行事」「文章法式指南」「四体伊呂波」「世帯道具字尽」「東叡山のこと」「十二月異名・同絵抄」「書状したゝめ方」などを載せる。巻頭口絵は始皇帝が松に官位を授けたという故事を記す。なお、収録中の「江戸往来」末尾に「堀観中作」とある。〔小泉〕
◆どうじしょれいしつけがたおうらい/どうじしょれいしつけかたおうらい [2687]
〈頭書絵入〉童子諸礼躾方往来‖【作者】十返舎一九作。栄松斎(栄松斎長喜か)書。【年代】文化一二年(一八一五)刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈童子〉諸礼躾方往来』。中本一冊。庶民子弟用に客方の食礼から給仕方までの基本的な躾や礼儀作法を略述した往来。冒頭に礼は六芸の筆頭であり、「五常」にも含まれる重要な徳目であること、また、礼の意味と幼時よりこれを習うべきことを述べ、以下、前部で「客と成つた時の心得」としての食礼全般(膳・盃・湯茶・菓子)、また後部では「中輩以下の童蒙」が熟知すべき給仕方作法(配膳・通い・酌・手水・戸・障子の開けたて、物の手渡し方など)の基本について説く。本文を大字・六行・付訓で記す。前付に「反哺の孝・三枝の礼」「万受取渡しの図式」、頭書に「献立の書やう」「万積方之図」「目録之書法」「箱曲物書やう」「万対名之事」「万折形大体」、巻末に「四季十二月異名」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆どうじしんがくおうらい [2688]
〈新板頭書〉童子進学往来‖【作者】不明。【年代】寛政六年(一七九四)刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『進学往来』。中本一冊。学問の順序や基本を諭した往来。八歳で『小学』に入り、一五歳で『大学』を学び、それ以降は諸書にわたって広く学んで身を修め、家を斉えて一生を全うするのが人の道であると冒頭に説き、学問の指針として司馬温公・柳屯田・王荊公・真宗皇帝・仁宗皇帝・白楽天・韓退之・朱文公ら八人の聖賢の金言を紹介しながら、人の道を知るための学問を奨める。本文を大字・五行・付訓で記す。前付や頭書には、「聖賢之異意」や公孫穆を始めとする中国先哲の略伝を掲げる。なお、本書と酷似する先行の往来に寛延四年(一七五一)刊『勧学之文』†があるほか、本書を部分的に手直しして両点を施した『〈両点〉進学往来』†が明治一二年(一八七九)に刊行されている。〔小泉〕
◆どうじせつようじづくしおうらい [2689]
〈文林手本〉童子節用字尽往来‖【作者】不明。【年代】享保三年(一七一八)刊。[大阪]本屋又兵衛板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。前半部の柱に『両点』、後半部の柱に『人倫名』とあるように二種類の字尽型往来を合冊したと思われる往来。前半部は万治(一六五八〜六一)以前刊『両仮名手本』†(京都・本屋甚左衛門板)の上巻(下巻未発見)と全く同じで、後半部は承応三年(一六五四)刊『人倫名づくし』†と同じである(あるいは未発見の『両仮名手本』の下巻に相当するか)。いずれにしても本書は、『両仮名手本』の改編本または単なる改題本である。本書前半部は消息用語などの日常語を主とするイロハ引き語彙集であり、「い」項の「一荷・一束・一言」から「す」項の「相撲・硯・墨」までの合計七一四語(句)を収録する。語彙を大字・四行・付訓(多くが両点)で記す。後半「人倫名」部には「百官并侍小性名」「坊主名」「尼名」「名字」「名乗」「仮(け)名」の順に人名を数多く列挙するが(大字・五行・ほとんど付訓)、これも江戸前期刊『人倫名づくし(人倫名)』†の模倣に過ぎず、『人倫名づくし』の所載語がほぼイロハ順であったものを、適当に抽出して無秩序に配列し直したものと考えられる。〔小泉〕
◆どうじせんじもん [2690]
童子千字文‖【作者】不明。【年代】享保二年(一七一七)刊。[江戸]村田屋次郎兵衛ほか板(文政三年板)。【分類】語彙科。【概要】流布本は中本一冊。数種の板種があるが、比較的早く、広く流布したものは『〈再訂・真行・両点〉童子千字文』(文政三年再板)で、同書の刊記によると享保二年初刊という。周興嗣の『千字文』本文を行書・楷書の二体で半丁に四行(一行二句)ずつ交互に掲げ、音訓(両点)を施したもので、文政板は前付に「千字文の来由」「趙子昂ほか略伝」、頭書に「書十体之時代・作者」「本朝三筆」「唐土の三筆」「百官名尽」「東百官」等を載せる。天保一四年(一八四三)に細川並輔校合の『〈両点〉童子千字文』が再刻されたが、前付・頭書は一新され、「書のおこり」「暦のおこり」「王号のおこり」「天子のおこり」ほか事物起源等の記事が盛り込まれた。また、これら中本とは別に、半紙本の天明七年(一七八七)刊『〈新刻両読〉童子千字文』もあるが、こちらは本文を楷書のみ・大字・五行・付訓(両点)で記したもので、付録記事は一切ない。〔小泉〕
◆どうじつう [2691]
童子通‖【作者】山本蕉逸(庄一・元秀q)作。石原愚叟・楳塢老人序。【年代】天保一〇年(一八三九)序。天保一五年刊。[江戸]和泉屋金右衛門板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。漢文訓読や和漢の名数、その他の基本語、また学問の心得などについて述べた童蒙手引書。数目(九九を含む)、方名、十干十二支、名数(三才・四時・五行・五色・五味ほか)や訓点・音訓・素読・四声のあらまし、字形の似た漢字や宛字・異体字・俗字、また、仮名遣い、童蒙の学習順序、和漢の典籍、和漢の尊号・国号・年号(「本朝尊号歌」「唐土歴代国号歌」を含む)など、童蒙に必要な雑多な知識と教訓を説く。本文を小字・一〇行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆どうじつう [2692]
〈開智楷梯〉童子通‖【作者】内川勇(一貫斎)作・序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]丁子屋平兵衛(文渓堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『開智童子通』。中本一冊。書名は天保一五年(一八四四)刊『童子通』†にならったものと思われるが、内容は全く異なる。地球のあらましや五大洲諸国、「各国都府並港里数大概」「天皇御歴代」「大日本国尽」「官弊大社」「官弊中社」「三府六十県並合県」「電信機分局・電信機由来」「郵便書函場」「蒸気車鉄道」「蒸気船」「灯台場」「海港場」「新貨幣」「東京市中六大区方角」「諸官省」「羅馬体(ローマ字諸体)」「数字」「潮時の事」「日本宗門十一波」等を収録する。本文中に「輿地略図」「大日本輿地略図」を掲げる。〔小泉〕
◆どうじつねのこころえ [2693]
童子常の心得‖【作者】篠原門次作。【年代】天明五年(一七八五)頃刊。[大阪]河内屋喜兵衛板。また別に施印本あり。【分類】教訓科。【概要】異称『〈教訓手本〉童子常の心得』。半紙本一冊。親孝行の実践例を中心に説いた教訓書。両親に対する態度や日常の立ち居振舞・言葉遣い・食事中の作法、父母の指図に従うこと、外出時の心得などを述べ、最後に父母に孝養を尽くす者は神仏の加護を得て幸福になることを諭す。巻頭・巻末の挿絵や教訓歌、また本文内容に石門心学の影響が見られる。本文をやや小字・九行・無訓(ごく稀に付訓)で記す。〔小泉〕
◆どうじてびきぐさ [2694]
童子手引草‖【作者】不明。【年代】嘉永七年(一八五四)刊。施主不明。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。家庭での教育や躾の不備、また無教育の子どもの悪行などを述べて戒めとし、また、童子が守るべき心得や天道・人道の根本を説いた往来。「抑孝悌忠信は、人を教る要路なり、然るに多く世の中の、孫子の養育疎略にし、明夕(あけくれ)愚痴に可愛かり、我が侭言せ甘餌(あまい)させ…」のように七五調の文章で綴る。本文をやや小字・七行・所々付訓で記す。本文中に「我しを師匠とする上は、我しが子供と思なり、是より親に成り代り、悪を懲し善事を、日々に新に教べし…」とあるように、ある寺子屋師匠が寺子に対して綴った教訓であり、同師匠によって施印されたものである。〔小泉〕
◆どうじにちようだから [2695]
童子日用宝‖【作者】不明。【年代】天保一五年(一八四四)刊。[大阪]広嶋屋伊助板。【分類】合本科。【概要】半紙本一冊。本文に「実語教・童子教」「和算」「世話千字文」を掲げ、頭書等に種々の付録記事を盛り込んだ往来。本文を概ね大字・五行・付訓で記す。巻頭に「士農工商図」、頭書・巻末等に「諸礼当用躾方」や「初学心得」「道中荷物人足之割」「九九之数」「割懸の心得」「金銀両替の算」等の算法関連、また「商売往来」「月の異名」「以呂波三躰」「九々の声」「大日本都会広邑」などを掲げる。なお、本書の和算部分を抽出した抜刷本として、弘化三年(一八四六)刊『万宝改算記』や安政四年(一八五七)刊『二一天作』等がある。〔小泉〕
◆どうじはやがくもん [2696]
〈改正諸状・手形要用〉童子早学文‖【作者】不明。【年代】安政(一八五四〜六〇)頃刊。[江戸か]長寿堂板。【分類】語彙科・消息科。【概要】中本一冊。「用文章」「懐中手形証文集」「四民要用熟字尽講釈」から成る往来。「用文章」は「年始状」「歳暮之文」「病気見舞状」「遠国便之文」「元服悦の文」「火事見舞状」「医者断り状」「吊状」「死去悔みの文」の九通から成る簡易なもの。「懐中手形証文集」は、関所手形・礼証文・金子借用証・奉公人請状・喧嘩内済一札・離縁状の六状を収める。最後の「四民要用熟字尽講釈」は、主として消息に多用する用語約四三〇語で、『大全消息往来』†等に所収の「消息往来講釈」と同内容。頭書にも「雑字尽」「〈両点〉早引節用集」等の語彙集を載せ、全体として、日常使用する簡便な用語集・案文集としての性格を持つ。本文を大字・五〜七行・付訓で記す。〔小泉〕
◇どうじはやまなび [2697]
〈加藤良太郎編〉童子早学(二編)‖【作者】加藤良太郎作。【年代】明治年間刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。英字や独字の修得を目的に編まれた簡易な教科書。冒頭に「御祭日略解(皇国民が讚えるべき一二大祭の解説)」を掲げ、本文に英字や独字のアルファベット各書体や、「英国イロハ」「大日本イロハ」「独逸イロハ」(それぞれ英字・漢字・仮名・独字三体〜四体で綴ったイロハ)を掲げるほか、アラビア数字やローマ数字を載せる。なお、柱に「童子早学二編」とあるが、初編その他は未詳。〔小泉〕
◆どうじみのくすり [2698]
童子身能久寿利‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『みのくすり』『〈教訓〉童子身能久寿利』。中本一冊。五常や忠孝などを詠んだ教訓歌を主とする往来物。まず仁・義・礼・智・信の徳目毎に教訓歌を列挙し(この部分は文政四年(一八二一)板『童子早学問(子供早学問)』†頭書「五常の略解」と同様)、続いて忠・孝および学問修行の要旨と教訓歌を掲げ、後半に「我身をばわれ程たれが思ふべきわれと案じてわれとおしへよ」以下二一首の教訓歌を羅列する。本文を概ね大字・六行・付訓で記す。巻頭に「反甫の孝・三枝の礼」について説く。〔小泉〕
◆★どうじむかくごじょう [2699]
童子無覚悟状‖【作者】高橋与茂書。【年代】享保七年(一七二二)書。【分類】教訓科(戯文)。【概要】異称『童子無覚悟』。半紙本一冊。「定(天和二年(一六八二)の五人組帳前書)」「童子無覚悟状」「狸申状」、および、釈迦堂の歌舞伎見物に行った際の模様を綴った消息文一通を合綴した往来物。うち、「童子無覚悟状」は刊本の『無覚悟状』†とは別内容で、「爰に十、或十一、十二、三の稚き者共五人、十人寄合、不行儀、無覚悟、無限…」で始まる文章で、一〇〜一三歳頃の少年に見られる悪戯・悪行・無作法の数々を列挙して戒めとした教訓である。「狸申状」は、「夫、当山之興、桓武天皇之御願書、延暦寺之末寺也。比叡山之内、竹林寺与申山寺者、鎮護国家之道場、真言止観霊地也…」と書き始め、狸が少人垂髪姿で竹林寺へ訪れたところ、散々に打擲されたことに対する恨みを述べるという戯文である。本文をやや小字・六〜一〇行・無訓(例外的に付訓)で記す。〔小泉〕
◆★どうしゅうきょうくんばんぷくおうらい [2700]
童習教訓万福往来‖【作者】浅田恒隆書(安永二年(一七七三)板)。下河辺拾水画(同)。【年代】享保一二年(一七二七)刊。[京都]菊屋七郎兵衛板。【分類】合本科。【概要】異称『万宝福寿往来』『童習古状揃エ鈔』。大本一冊。元禄一七年(一七〇四)刊『古状揃絵鈔』†の増補版。まず前付に「天神経」「小野篁歌字尽」「七ッいろは」等を載せ、本文に「庭訓往来」「今川状」「腰越状」「義経含状」「手習状」「熊谷状・経盛返状」「風月往来」「弁慶状」「実語教・童子教」、あるいは「庭訓往来」「大坂状・同返状」「今川状」「腰越状」「手習状」「熊谷状・経盛返状」「義経含状」「風月往来」「実語教・童子教」を収録する。本文を大字・六行(「実語教・童子教」は七行)・付訓で記す。頭書に「菅丞相伝記」「書初詩歌」「万手形案文」「商売往来」と「公家衆之次第」「百官名尽」「法躰之名」「京都町尽」「巻物絹布之字」「染物字尽」「禽獣魚蟲」「草木花菓」「十二月異名」等の語彙集と、「近江八景」「相姓名付字」、さらに本文絵抄(「今川状」〜「実語教・童子教」)を掲げるほか、末尾にも「篇冠尽」「国尽并郡付」「五性合判形相性事」などを付載する。刊記に「享保十二丁未改正」と記すのは元禄板の改訂を示すものであろう。また、安永二年再板本では本文が「庭訓」「風月」「今川」「手習」「腰越」「曽我・同返」「含状」「熊谷・経盛」「弁慶」「実語・童子」の順となり、「大坂状・同返状」に代えて「曽我状・同返状」が収録された。なお、本書には『実語教・童子教』のみの抜刷本が現存するため、他の箇所の抄録本が刊行された可能性もある。なお、本書はもともと『童習往来』の書名で刊行される予定だったが、敦賀屋九兵衛・吉文字屋市兵衛合梓の『童子往来』との類似称号の問題(差し構え)となり、外題を『万宝福寿往来』と改めた。なお、享保一二年板には、本書から「庭訓往来」を除いて外題を『万宝教訓往来』と改めたものもある。〔小泉〕
◆どうしゅうじつごきょう [2701]
〈絵鈔〉童習実語教‖【作者】不明。【年代】文政三年(一八二〇)刊。[大阪]吉文字屋市右衛門ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈文政新版〉実語教絵鈔』『〈頭書註解〉実語教絵鈔』『童習実語教画鈔』。大本一冊。巻頭に「高野山の図」を置き、弘法大師の事跡を紹介する。初丁から三丁表までが「実語教」で、以下一六丁表までが「童子教」。本文は各面下部三分の二ほどに二段(大字・七行・付訓)で記し、上部に各面の主要な字句について、「山は高きばかりにて木のなきは用なし。ひくしといへどもたくさんに木のあるをたつとしと云也」のような平易な注釈を施す。頭書の左半分には、郭巨や楊香などの孝子を始め、寺子屋・布施の様子など描いた挿絵を掲げる。本書は初め『童習実語教』の書名で出版されたが、間もなく『実語教絵鈔』と外題替えされた。〔母利〕
◇とうしょうぐうごしょうそく [2702]
〈習字〉東照宮御消息‖【作者】大宮覚宝書・跋。縢安芳跋。【年代】明治一一年(一八七八)跋。明治一二年刊。[東京]富岡新三郎板。【分類】教訓科。【概要】異称『駿河状』『御教訓』。大本一冊。家康から秀忠の妻に宛てた一通の消息文の形式で、武士たる者の心得や武士子弟の教育について説いた教訓書。秀忠の次男(国松)をいかに教育するべきかについて述べた一種の教育論。本文を大字・五行・無訓で記す。巻頭に嘉彰(彰仁)親王らの題字や「東照神君御肖像」「東照宮御遺訓」「加藤清正宛て家康書状」等、巻末に「東照宮馬上十念うけ給ふ図」などを掲げる。本書は江戸時代から手習い手本としても使用され、『駿河状』『御教訓』などと題する筆写本もある。〔小泉〕
◇とうじようぶんしょう [2702-2]
〈御家〉当時用文章‖【作者】林博教(玄教堂)書。【年代】文化一三年(一八一六)刊。[名古屋]永楽屋東四郎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家正風〉当時用文章』『御家当時用文章』。半紙本一冊。「貴人え上る年頭状」から「直段申遣す手紙・同返事」までの準漢文体書簡三九通と、「初春のかな文」「品を送る文」等の女子消息文五通、さらに「詩歌」等を収録した用文章。例文は五節句・四季や通過儀礼を主とし、年頭状・暑気見舞い・寒気見舞いについては貴人向け例文も掲げる。巻末に「四季時候月々認方」を付す。準漢文書体は大字・四行・付訓で、女子消息文と詩歌は散らし書き(大字・付訓)で綴る。〔小泉〕
◆どうじようぶんしょう [2703]
〈新板〉童子用文章‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[京都]美濃屋平兵衛(松寿軒)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「年始書状」から「預物置添状」までの短文(三〜五行)の消息例文二九通を収録した用文章。五節句祝儀状や婚礼・家督相続・安産・移徙などの祝儀状、病気・火事等の見舞状、談合・誂え物等の依頼状、その他諸用件に関する短文の消息文から成る。本文を大字・六行・付訓で記し、各例文の冒頭に囲み罫付きの見出し語を掲げる。〔小泉〕
◆とうじようぶんしょうたいぜん [2704]
当時用文章大全(仮称)‖【作者】不明。【年代】享保一一年(一七二六)刊。[江戸]江見屋吉右衛門板。【分類】消息科。【概要】大本。三巻三冊か。柱に「用文」と記し、小泉本の表紙に標記書名を手書きで記す。現存本は下巻のみで、下巻には「普請成就・移徙(わたまし)を祝う文」から「悔やみ状」までの六通の消息文例と、「為替銀用立てにつき手形作成依頼の文」から「永代売渡申屋鋪事」までの七通の合計一三通を収録する。本文を大字・五行・所々付訓で記す。下巻頭書に「名頭乃文字」「篇冠尽」「官名の文字」「東百官」「上書の事」「目録の事」「箱の上書」「かた言なをし」を掲げる。〔小泉〕
◆どうじようぶんしょがくたいせい [2705]
〈書札大成〉童子用文初学大成‖【作者】文行堂(寛敬・伊勢屋庄助)作・序。下河辺拾水画。【年代】明和六年(一七六九)序・刊。[京都]伊勢屋庄助板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。民家日用の消息文例を集めた用文章。頭書に本文要語の略注(口語で綴る)や替え文章・替え言葉などの言い換え表現を種々載せる。「年始に送る書状」から「書籍借用に遣状・同返答」までの七〇通を収録し、前半二六通は四季折々の手紙、続いて、婚礼等の吉事に伴う祝儀状や病気見舞状、各種贈答用の書状、その他諸事に関する手紙を収録する。本文を大字・四行・付訓で記す。前付に「平安大仏細見図」「書初詩歌」「仁義礼智信図」「書札法式大概」「諸礼法式大概」「万証文手形案紙尽」「万字尽大概」「墨移秘伝」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆どうじょはやがくもん/どうにょはやがくもん [2706]
童女早学文(一号・二号)‖【作者】服部応賀作。河鍋暁斎(猩々暁斎)画。【年代】明治八・一三年(一八七五・八〇)刊。[東京]山崎屋清七板。【分類】女子用。【概要】半紙本二編二冊。高尚な学問よりも日々の暮らしや修身に有用な教えを種々諭した卑俗な教訓。初編(一号)は、まず前半で親の教育や益ある友人に交わることなどを説き、後半「雑業の部」で家政に関する一般教訓と些末な教訓七項について述べる。また二編(二号)でも、智と才の違いを始め、衣食住の心得一二項を諭す。途中、主人・女房・長男・娘・卑女・家僕の心得を「折々は主人の眼にて掃除せよ、馴てはしれぬ家のふきまり」(主人)といった教訓歌に託した「家内六可洗(六歌仙)」を掲げる。両編とも本文を楷書・やや小字・九行・ほとんど付訓で記す。なお、二編巻末に次号の予告があるが、「三号」の刊行については未詳。〔小泉〕
◆とうせいおんなようぶんしょう [2707]
〈岡田良策編〉当世女用文章‖【作者】岡田良策作。【年代】明治二〇年(一八八七)刊。[東京]大川錠吉(聚栄堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈開明婦女教導〉当世女用文章』。中本一冊。四季や季節折々の行事を主とする二四通の女子消息文を集めた女用文章。特に四季に関係しない手紙として「婚礼悦びの文」「安産悦びの文」の二通を収める。本文を大字・五行・付訓の並べ書きで記す。〔小泉〕
◆とうせいこころのすじだて [2708]
〈婦女教訓〉当世心筋立‖【作者】水竹居作・序。【年代】寛政元年(一七八九)序。寛政二年刊。[京都]銭屋総四郎(佐々木惣四郎・竹苞楼)ほか板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。尊い教えも児女に理解されなくては無益であるとの考えから、女子の心得を出来るだけ平易に説いた通俗教訓書。「女則(むすめのおしえ)」一三カ条と「婦道(よめのおしえ)」一八カ条から成る。前者は女子の愚痴と嫉妬を戒め、『女四書』†『女小学』†や和漢の孝女・貞女の伝記に学んで、それを実行すべきこと、女性は父・夫・子に従って生きればよいから楽な身分であること、美服・美食の気随をやめて父母によく孝行することなどを譬え話を交えて諭す。また後者は、女子三従、妻の夫への態度や心懸け、家内における婦人の務めと心得などを述べたもので、最後に、昼寝中の夫の枕を誤って蹴った女房が離縁される話を掲げるように、夫婦間のトラブルの原因を女性に帰する一方的な論理展開が目立つ。巻頭に雛祭りなどの風俗画三葉を載せる。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆★とうせいようぶんしょう [2709]
〈頭書〉当世用文章‖【作者】宇喜田小十郎作。苅谷保敏(天海)書。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]永田調兵衛(文昌堂)蔵板。[福井]岡崎左喜介ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈宇喜多小十郎著〉当世用文章』。半紙本二巻二冊。上巻「四時之部」に「歳首之文」ほか時節順の手紙文二三題・往復四四通、下巻「雑之部」に「縁談探索の文」「新婚を賀する文」「家督譲悦の文」など四〇通(うち往復文一四題)の合計八四通を収録した用文章。「暦頭之嘉瑞際涯有べからず…」のように漢語を多く交えた本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。頭書に「諸証券之式(「借用申正米之証」以下三九例)」(上)、「事物名称集」「四季称候之部」「目録書様」「品物名数」(下)を載せる。〔母利〕
◆とうせいようぶんたいぜん [2709-2]
当世用文大全‖【作者】青木東園書。南州外史(元粋)序。【年代】明治三四年(一九〇一)序・刊。[大阪]青木恒三郎(青木嵩山堂)蔵板。[伊勢]嵩山堂支店ほか売出。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。時令・遊覧・慶賀・慰問・弔喪・稟告・報知(以上上巻)・詩s・嘱托・嘱購・訊問・邀招・報謝・饋贈・背約・督促・雑の一七部毎に多数の例文を集録した大部な用文章。それぞれ「年甫之状」以下一一通、「紀元節探梅を催す状」以下一四通、「婚姻を祝する状」以下一五通、「水患を訊る状」以下九通、「親を失たる人を弔ふ状」以下三通、「転居報告之状」以下四通、「遠行を報する状」以下六通、「赴任を賤(餞)する状」以下四通、「入学周旋依頼之状」以下一四通、「雑誌逓送を請ふ状」以下七通、「得意先へ注文を訊に遣す状」以下一〇通、「新年宴に客を請する状」以下七通、「借用品を返す礼状」以下八通、「蔬菜を贈る状」以下二通、「山遊誘を断る状」以下二通、「金子返済催促之状」以下五通、「仕官する人を推挙する状」以下一三通の、合計一三四通を収録する。本文を行書・大字・五行・付訓(漢語の大半に左訓)で記し、主題毎に替え言葉(類語)を楷書・小字・一〇行・付訓・割注付きで掲げる。付録記事も膨大で、上巻前付合計三一丁(銅版刷り)には「改正郵便電信電話心得」「大日本神代略系譜」「大日本帝王歴代譜」「明治帝譜」「大日本官幣神社表」「年中大祭日表」「大日本年号表」「本邦位置」「全国面積」「全国戸数及人口」「日本駅路里程表」「東京日本橋ヨリ府県元標ニ至ル里程表」「日本全国物産表」「全国銀行位置」「憲法」「自東京至各条約国首府里程表」「各国貨幣対照表」「各国度量対照表」「国税及手数料」「戸籍法諸願届書式ノ部」「証書書式之部」、上下巻の頭書には「書札認方ノ心得」「書簡中要語」「時令之称」「居所之称」「人倫之称」「物貨雑称」「雑部」に分けて書簡作法や各種語彙を列挙する。〔小泉〕
◆とうちおうらい [2710]
当地往来‖【作者】増原屋駒書。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。紀州地方の寺子屋で使用された往来物。「抑当所手習子供書覚可然文字有増者、先、南町・本町・堺町・魚屋町・北町、此五町者紀州和歌山より京・大坂迄之海道なり…」と書き始めて、紀州城下の町村名・街路名、また薬種・文具・灯油・醸造品・青物・干菓子・小間物・食器・材木・布帛織物・煮売など各種商品と取扱店名(屋号)、諸国との通商・通信、伊勢参宮等の旅行、諸国道法、諸寺・宗旨等について記す。現存本は姉弟(あるいは兄妹)と思われる増原駒筆写本と増原重吉筆写本の二本あるが、いずれも末尾を欠く零本で、本文を大字・二行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうちゅううたおうらい [2711]
〈奥街道〉道中歌往来‖【作者】新関与斎作。【年代】文化一三年(一八一六)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】地理科。【概要】異称『松前道中歌往来』『道中往来』『長町往来』『長町歌』。中本一冊。仙台長町より、白石・福島・二本松・白河・宇都宮などを経て、江戸深川に至る道中の駅名を詠みこんだ往来。「長町や、中田の馬を増田まて、もの岩沼に槻木(つきのき)の、土手船迫(はざま)、こひしき人に大河原、かわらぬいろをちきる金ヶ瀬、宮たちはさも白石の鐙越…」で始まり、「…草加もし千住のちかひ、あさからぬ浅草、川のすゑは深川」と結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に広瀬川風景図(鳥瞰図)、頭書に長町から日本橋までの「道法(宿駅名と里程)」や道中風景図数葉を掲げる。刊本に先立つ文化一〇年写本『長町歌』†も発見されているため、本書は既に仙台府下の巷間に流布していた往来を上梓したものであろう。なお、文政二年(一八一九)刊『奥道中歌』†は本書とは全くの別内容である。〔小泉〕
◆どうちゅうおうらい [2712]
〈絵入・新板・頭書〉道中往来‖【作者】禿箒子作・書。【年代】安永五年(一七七六)刊。[江戸]西村屋与八板(寛政四年(一七九二)板)。【分類】地理科。【概要】異称『〈頭書・絵入・新板〉道中往来』。中本一冊。『商売往来』†風に、「凡、旅立取扱文字、先以撰吉日、可令発足…」と書き始め「…千秋万歳目出度申納候条、依而如件」と結ぶ文章で、「旅行に益ある事」を書き綴った往来。旅に必要な服装・道具・薬種・雑具、その他携行品の名称を列挙し、さらに旅支度の要点や道中心得(養生・病気、乗物・荷物・渡し場の料金等、雲助・胡麻の灰・盗難への用心、金銭の倹約、怪我・忘れ物の注意、無用のトラブルを避けるための堪忍など)を説く。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「益有る四友(有智友・知古友・有富友・有道友)」、頭書に「諸国御関所附」「御関所手形認めやう」「東海道五十三駅(和歌)」「妙薬尽并まじなひ」「門出によむうた」「不成就日」を載せる。〔小泉〕
◆どうちゅうおうらい [2713]
〈江戸〉道中往来‖【作者】新関与斎作。【年代】天保四年(一八三三)刊。[仙台]西村治右衛門ほか板。また別に[仙台]菅原屋安兵衛(養軒堂)板(後印)あり。【分類】地理科。【概要】異称『道中歌往来』。中本一冊。仙台の長町・中田・増田から江戸の千住・浅草・深川までの六九の宿駅を順々に詠み込んだ往来。「長町や、中田の馬を増田迄、もの岩沼に、槻木の土手船迫、恋しき人に大河原…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。文化一三年刊『道中歌往来』†と同文で、付録記事のみを異にする。巻頭に落合等の風景図を掲げ、頭書に仙台〜江戸間の道法を示した「仙台より江戸迄道中記」と、「国分の町より爰へ七北田よ、富谷茶呑んて、あちは吉岡…」で始まる「仙台より松前まで道中歌往来」を収録する。このうち後者の「道中歌往来」は、書名から文化一三年刊『道中歌往来』と混同しやすいが、実際は文政二年(一八一九)刊『奥道中歌』†と同内容の往来である。従って、本書は本文を文化一三年板、頭書の一部を文政二年板から採録した改編本ということになる。〔小泉〕
◆どうどうりくゆくん [2714]
導童六諭訓‖【作者】安倍晴親(菊坡・親民)作・跋。寉峯(戊申)・鈴木世孝(子養)序。【年代】文化七年(一八一〇)跋。文化八年序・刊。[京都か]謙々堂文庫蔵板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。享保七年(一七二二)刊『六諭衍義大意』†各章末尾の詩文(七言一二句)を平易な仮名交じり文に改めたもの。『大意』本文を載せずにその「詩文」のみを扱う点が独特。「われ世にある人にすゝめて、父母に孝心にせよといふ。父母の愛養・撫育の恩、そもいか斗と思ぞや…」のような仮名交じりの和解文を大字・六行・付訓で記し、その右側に漢詩文の文言を一行漢字四字ずつ小字で添える(そのため詩文各句の句切れが分かりにくい)。なお、本書の改題本(異板)である『六諭衍義大意(六諭大意和解)』†が手島堵庵作に仮託されて出版されている。〔小泉〕
◆どうにょきょう [2715]
童女教‖【作者】高柳昌芳(白山閑士)作・跋。金子武右衛門書。前田柳陰堂(水雲翁)序。【年代】享保一四年(一七二九)作・序。江戸中期書か。【分類】女子用。【概要】大本一冊。公務の傍ら近隣の児女に読み書きを教授していた著者が、特に女児用の教訓の必要を感じて編んだ女訓書。著者は、もともと自らの子孫のために編んだが、女子のみならず男子の教育にも有益な教訓であると述べる。序文にも二、三の童女に書き与えた旨が記されているように、その一部が写本として伝わったらしい。長短一八カ条の教訓と後文からなり、第一条に手習いに怠ることなかれと諭し、以下、『実語教・童子教』†その他の格言や中国の聖賢の事跡を引きながら、嫉妬の戒め、女子三従を始めとする諸般の教訓を平易に綴る。無学の夫を学問へ導いたり、善導するのは、「男の心を自由になす」妻の役割であると説くなど興味深い記述も見られる。本文を小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◆どうにょきょう [2716]
童女教‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】女子用。【概要】異称『女童教』。半紙本一冊。居初津奈作『女実語教・女童子教』†から下巻『女童子教』部分を抽出・改編した往来。ただし「一、義を守り孝を尽して名を後代にとゝめ給へり」の次に来るべき一二カ条と、「一、鴛鴦の衾をかさぬるも若くうるはしき間なり」の次に来るべき九カ条の、合計二一カ条を欠く。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうにょじつごかい [2717]
童女実語解‖【作者】栗田三生作。【年代】元治元年(一八六四)頃作。慶応(一八六五〜六八)頃刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。【分類】女子用。【概要】異称『実語解』。半紙本一冊。『実語教・童子教』†のうちから任意の語句を抽出してその要点を敷衍した女子教訓書。単なる二教注釈書とは異なり、例えば、冒頭「玉不磨無光」とは、これ芸道を学者(まなぶもの)の要語也。勿論、万物みな種類有て、自然に光艶を備るあり、亦、香色なき、或は苦物・甘物、其処に生、其時をえて、花咲、実を結…」のように、語句の直訳や大意ではなく、各語句に含まれる根本理念を詳述した独特の教訓である。本文および注釈文を大字・五行・付訓で記す。頭書に子育てや五節句にまつわる教訓文や、聞書などの諸教訓と挿絵を載せる。この頭書中に「元治甲子なる冬十二月七日…」の記載があるため、元治〜慶応頃の作であろう。〔小泉〕
◆とうふくじもうで [2718]
東福寺まうて‖【作者】源長保作・書。【年代】文政五年(一八二二)作・書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。相模国三浦郡西浦賀(神奈川県横須賀市)にの東福寺一帯の名所旧跡とその縁起由来・風趣等を記した往来。「玉くしげ二葉山にはけふなん神祖の御祭せさせ給ふ日なれは、西浦賀の田中町なる東福寺にゆきて、おなし御神の鎮座ましますに、ぬさ奉り、ぬかつき侍りぬ…」と筆を起こし、所々「東路にてらす御神の恵みにて、三浦の里はにきはひにけり」などの和歌を挿んで、東福寺の結構やそこからの眺望などを述べ、以下、東浦賀・洲崎町、鴨居村、百徳寺、観音崎富津村、浦賀湊、平根山、松輪村、走水村等を巡覧して浦賀に戻るまでの名所のあらましを紹介する。本文をやや小字・一一行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうもういくん [2719]
童蒙遺訓‖【作者】信嶋与四郎作。染谷宇之助序。【年代】明治一七年(一八八四)刊。[浦和]信嶋与四郎蔵板。[川越]岸田屋文吉ほか売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。身なりはいかに立派でも無筆愚蒙の者は悪事に移りやすく、情けなく、不幸な一生を送ることになるという筋書きで幼時の勧学などを諭した教訓。ほぼ七五調の文言で綴る。見かけは伊達で、何でも知った顔をしていても無学の者は人前で恥をかくことが多く嘆かわしいものである、また、幼時の躾が悪いと七歳頃にはもはや親の手にも余り、手習い師匠に付けても身に付かず、成人しても酒色、遊興に耽り、家業もおろそかになる、そして、若い時の怠学を後悔し、師匠を恨んだりする、このような者は必ず困窮し、妻子を路頭に迷わせることになる、そこで、以上の道理を知ってほしいとの願いから本書を書き遺すのである、とかく世間には自分の身のためになる人は少ないことをよくわきまえ、大事は他人に滅多に語ってはならない、そして、人の語る事の虚実・善悪を聞きわけよと説いて締め括る。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆どうもうかいかじくん [2720]
〈今井著・農商必用〉童蒙開化字訓〈付英語早学竝五十韻〉‖【作者】今井章山(宗芳)作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[京都]今井喜兵衛(菊屋喜兵衛・菊水軒)板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。主として明治初年の農家・商家子弟の学習用に公民として必要な社会一般の語彙を集録した教科書。特に文明開化以後の新語を多く集め、まず「府県・本庁・出庁所・管轄下・裁判所…」のように行政諸官庁、諸官吏、裁判、教育等の語彙を挙げ、以下、日時、火災、消防、町内組織・役職、法令、戸籍、さらに農地・山林、農業・地方、租税その他の義務、また、文化隆盛に関する語彙を列挙し、「…文明開化、一般盛行、農商豊饒」と結ぶ。本文を大字・六行・付訓で記し、特定語句については割注を付す。頭書に「御誓文之写」「大日本国尽」「世界国名」「五大州広狭」を掲げるほか、巻末に商業関連語とそれに対応する英単語の読みを「町人(テウニン)シテイツン/商人(アキント)メルチエント…」のように示した「〈商家必携〉英語早まなび」を始め、「〈大日本・英吉利〉五十韻」「本朝御祭」「時刻表(十二時法と旧予定時法の対照表)」を載せる。〔小泉〕
◆★どうもうきょうくん [2721]
童蒙教訓‖【作者】不明。【年代】文政四年(一八二一)書。【分類】教訓科。【概要】異称『童蒙往来』『童子教訓』。大本一冊(謙堂文庫本)または半紙本一冊(小泉本)。幼時からの手習い・学問への出精を説いた往来。「いでや此世に生れ来て、物書業を知ざるは、諸芸に暗く智恵浅く…」で始まる七五調の文章で、「一字の不学は一生の不学、寸の暇は寸の金」と心得て勉強することや、読み書きが人間生活の根本であること、文字を書く時の心構え、師匠や父母への服従など童蒙心得のあらましを綴る。謙堂文庫本も小泉本も、本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうもうきょうくん [2722]
童蒙教訓‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】文政四年(一八二一)写本『童蒙教訓』†とは全く別内容の教訓書。「夫、人は万物の霊にして、仁義礼知(智)信の五常は身に備りたる行也」と幼時より人倫、特に孝道を心掛けよと冒頭で述べ、その具体的な行為として、起床後の家庭生活や寺子屋での学習生活、師匠への礼儀やその他日常のあり方を順々に諭し、また、気随・我侭者が陥りやすい不幸な一生を描いて戒めとし、最後に正直・無欲・柔和・忠孝に励むべきことを説く。本書は『世話字往来教車』†の影響が色濃く、冒頭を除く大半が同書と同様の文言である。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆どうもうきょうくんたとえのこころえぐさ [2723]
童蒙教訓譬心得草‖【作者】随風亭柳志作・書・跋。【年代】江戸後期作・書。【分類】教訓科。【概要】異称『心得草』。半紙本一冊。山の手に住む貧家の夫婦の会話を中心に、時には客にも語らせて、五常・五倫や堪忍・陰徳・正直・倹約などを説いた通俗教訓書。全編が俗語交じりの口語で綴られ、しばしば俚諺・金言・比喩を引く。跋文に「『教草』『養艸』迚、板写の数本遍く流行也…」とあるのは心学書の類を指すものであろう。本文をやや小字・九行・付訓で記す。また、「余は後編に譲置…」と後編をほのめかすが未詳。〔小泉〕
◆どうもうきょうれんし [2724]
童蒙教練詞‖【作者】酒寄重篤(晩翠軒)作。【年代】慶応三年(一八六七)刊。[江戸]晩翠軒板。【分類】産業科。【概要】横本二巻二冊。軍事教練に必要な各種号令の図解入り入門書(準往来物)。まず小隊の人数・役員構成(教師・小隊司令士・半隊司令士・押伍(おうご)各一名と嚮導四名の計八名)など編成の基本を示し、以下「気を着、小隊」「右三組三足前へ進め」「右へ準(なら)へ」「直れ」等の号令を一二三項にわたって解説する。本文を小字・一一行・付訓で記し、号令の意味する隊形・整列・行進・後退・攻撃等の動作を図解を交えて詳しく説く。〔小泉〕
◇どうもうくん [2725]
童蒙訓‖【作者】三井慎斎書。【年代】江戸後期書か。【分類】語彙科。【概要】「凡、いとけなき時、可覚知大体は、甲乙丙丁戊己庚申壬癸、これを十干といふ…」で始まる文章で、十干十二支・方位・四季・時刻・五節句等の語彙を列記した短文の往来。本書は明らかに正徳三年(一七一三)刊『近道子宝』†の影響を受けているが、『近道子宝』が若干の教訓を載せるのに対して、本書は教訓をほとんど含まないのが特徴。なお、筆者は山梨県一町田中村の寺子屋師匠。〔小泉〕
◆どうもうこころえぐさ [2726]
童蒙心得草(前集)‖【作者】瓜生寅(政和)作。石塚寧斎画。静巌居士序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]丁子屋忠七ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈教訓道話〉童蒙心得草』。中本二巻二冊。和漢・西洋の人物伝や故事・事物を引きながら諸教訓を説いた絵入り教訓書。皇国・神国としての日本を讃える記事が多いが、上巻には「日本へ儒教始めて渡りし説」「本朝にて外国を憐れむ説」「西班牙国(いすぱにやこく)切支丹宗門の者非道の説」など一〇章を、また下巻には「鷺、鷦鷯(みそさざい)を諭す説」「艱難は教えの師匠といふ説」など五章を載せる。本文を楷書・やや小字・八行・付訓で記し、本文の所々に挿絵を掲げる。題簽・見返に「前集(輯)」と記すが、続編は未詳。〔小泉〕
◆どうもうしゅうじ [2727]
童蒙習字‖【作者】二橋貫一郎(貫斎・教周)作・書。【年代】明治五年(一八七二)書・刊。[東京]二橋貫一郎蔵板。椀屋喜兵衛(江島喜兵衛)ほか売出。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。各種イロハや熟語を集めた手本。「いろは」「漢数字」「万葉仮名五十音」「片仮名イロハ」「片仮名五十音」「ローマ字(アルファベット等)」「アラビア数字」に続けて、「大極両儀・日月星辰・天地陰陽・東西南北・春夏秋冬…」など天地・自然・人倫等に関する四字熟語(三〇語)を大字・二〜五行・無訓(一部付訓)で列記する。〔小泉〕
◇どうもうしょさつしゅう [2728]
〈四季文章〉童蒙書札集‖【作者】朝山元ッ(漕浦・久矣)書。田中正達(楽鼎成)跋。【年代】宝暦八年(一七五八)跋。宝暦九年刊。[伊勢]山形屋伝右衛門ほか板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。「新年祝儀披露状」から「寒中見舞状」までの各月の往復文二四通を収録した手本。五節句祝儀、御目見御礼、道中見舞い、蛍火見物誘引など武家公私にわたる書状を収録する。本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆★どうもうすけい [2729]
童蒙須携‖【作者】勝浦鞆雄(篤峰)作。小僊学人校。村田海石書。【年代】明治六年(一八七三)作。明治七年刊。[日向]勝浦鞆雄(氷雪堂書屋)蔵板。[大阪]吉岡平助売出。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。「人民ヲ保全スル」政府の官制を童蒙に知らしめるために、諸官庁の名称と機能、また諸官吏についてのあらましを綴った往来。明治六年一二月現在での官制であり、政府の発展に従って官制も変わっていくことを「付言」で断わる。そのためか、本文・頭書ともに内務省に関する記事が削除され空白のままになっている。内容は、「言ても可恐(かしこき)ことなれど、天祖(あまつみおや)の勅命(みこと)にて…」と七五調の文言で、神武天皇以来万世一系の神国たることから書き始め、明治維新後の文明と国勢の盛んなことに触れ、続いて太政官以下、各官庁・官職とその役割について詳述する。また、頭書には、正院・左院・右院の諸官庁から開拓使・府県までの官名、大・中・小学教師の身分、以下、神官・官国幣大(中・小)社・教導職・宮内省女官等や、位名等名・陸軍鎮台・海軍提督付等の職制や組織について記す。本文を大字・四行・付訓(漢語の大半に左訓)で記す。〔小泉〕
◆どうもうたんじかい [2730]
童蒙単字解‖【作者】伴欣原作。【年代】明治七年(一八七四)刊。[堺]鈴木久三郎(双鶴堂)ほか板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈童蒙〉単字解』。半紙本二編三冊。分類項目名をイロハ順に並べて、それぞれ関連語を集めた語彙集。初編(上下巻)は衣服・飲食・方・度名・地理・ン獣・蟲竜・量・衡・貨・果・冠帽履・布帛・穀菜・天文・田尺・鳥類・草木・金石・形・居所・器財・時・人倫・色・身体・疾病・数の二八分類、二編は地理・薬品・船車等を加えるなど一部変更した二七分類によって、各語彙を楷書・大字・四行・付訓(両点)で記す。初編の頭書には「男女通称」「実名」「諸品物名数」「干支」「平年閏年の辨」「二十四節表」「日本鉱山表」「開港地名」「灯台灯船」等、二編の頭書には「苗字尽」「沿海周廻里数」「内国中諸総数」「高山測量表」「官幣国幣諸社」「日本度量衡表」「同盟国名表」等の記事を収録する。〔小泉〕
◆どうもうちかみち [2731]
〈開化〉童蒙近道‖【作者】竹内清秀作。【年代】明治二三年(一八九〇)刊。[福岡]長尾芳太郎板。また別に[大阪]藤谷虎三(関原松巌楼)板(後印)あり。【分類】合本科。【概要】異称『開化童蒙近道』。半紙本一冊。各種の語彙関連の往来を中心に、商売に関する諸知識などを付加したもの。「いろは四十七文字」「和音五十韻」「数字」「単語」「算用数字」「羅馬数字」「十干十二支」「名尽」「苗字尽」「大日本国尽」「商売往来」「金貨受取書方」「荷物送り状」「物品売物端書」から成る。本文を行書・大字・五行・付訓で記し、各語の左側に楷書体の表記を小字で示す。〔小泉〕
◆どうもうてならいぞうし [2732]
童蒙手習草紙‖【作者】白弁(青緑堂)作・書。【年代】享保一七年(一七三二)作・序。享保二一年書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。手習い入門者の心得として、「難波津」「浅香山」の和歌や「いろは」の起源、文房四友や仮名の由来、中古よりの能書・歌人その他文化人、文学作品など日本書道・文化史のあらまし、さらに、手習子を持つ親の心得や筆道の初歩心得など、書道全般に関する基本事項を詳細に書き綴った往来物。「むかしは人の心直にして、縄を以て納し代もすきこし人の数もおゝくなりて…」で始まる本文をやや小字・八行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆どうもうひっさんてびきぐさ [2733]
童蒙筆算手引草‖【作者】古原正議作。深沢菱潭書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]存誠閣ほか蔵板。吉田屋文三郎ほか売出。【分類】理数科。【概要】異称『〈童蒙〉筆算手引草』『筆算手引草』。中本一冊。洋算に必要な数学記号、数字・度量衡単位・図形などの名称、また、九九表などを掲げた絵入りの教科書。至大数・至小数・度・量・衡・畝・里法・時刻・天度・諸符(四則計算等の数学記号)・諸形(図形名称)・九九表・数字板加算の順に掲げ、語彙の多くを楷書・大字・二行・付訓の手本用に記す。例題や計算法には全く触れず、数学に必要な基本語彙・知識を効果的な図解で示した入門書である。〔小泉〕
◆どうもうひつどく [2734]
童蒙必読‖【作者】橋爪貫一(松園)作。横山由清校。高斎単山(滝沢有常・子恒・精一・三余堂)書。【年代】明治三〜五年(一八七〇〜七二)刊。[東京]雁金屋清吉(青山堂)板。【分類】歴史科・地理科。【概要】異称『〈橋爪貫一著述〉童蒙必読』。半紙本三巻三冊。「年号之巻」「皇謚之巻」「州名之巻」から成る。「年号之巻」は、大化から明治までの元号を半丁に四行、一行に二語ずつ大字・楷書で書したもので、頭書に各元号についての略注を加える。「皇謐之巻」は、神武天皇から明治天皇までの歴代天皇の名を半丁に三行、一行に二名ずつ大字・楷書で書したもので、頭書に天皇の諱や崩御年月日などを記す。また「州名之巻」は、畿内から西海道および二島までの旧国名を半丁に四行、一行に二国ずつ大字・楷書で書したもので、本文の所々に五畿七道毎の区分地図を収めるほか、頭書に各国内の郡名および当代の府県名等を注記する。なお本書の増補版に『幼童初学』†、また本書の模倣と思われるものに『学校童子訓』†がある。〔小泉〕
◆どうもうまなびぞめ [2735]
童蒙学そめ‖【作者】柾木正太郎作・序。【年代】明治五年(一八七二)刊。[大阪]書林会社蔵板。河内屋忠七(赤志忠七・忠雅堂)ほか売出。【分類】語彙科・地理科。【概要】異称『〈学童必携〉童蒙学初』『童蒙まなびそめ』。半紙本一冊。語彙や地名等に関する往来を合本したもの。「てには五十韻」「片仮名五十韻」「数字」「十干・十二支」「七曜星」「大日本国郡名尽」「府県名尽」「各国地名尽」「各国大都府通商地名尽」「年号」「皇謚(歴代天皇)」から成る。うち「各国地名尽」は、五大洲毎の面積・人口を最初に掲げ、さらに各洲毎に国名・国体・国旗・産物・面積・人口等を付記する。また「各国大都府通商地名尽」には、海外の主要国首都や貿易都市の地名・人口・里程(品川港よりの距離)を記す。合冊本のほかに各部毎の抜刷本も刊行されており、その一つ『内国名尽』の巻末広告には「右書目(『童蒙学そめ』)之内、当用の書、抜摺製本、遍く海内書林ニ出品有之候間…」と宣伝する。本文の行数はまちまちだが、概ね楷書・四〜八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆どうもうみちのおしえ [2736]
童蒙道のおしへ‖【作者】淡河恭敬作。松川半山画。【年代】明治年間刊。[大阪]河内屋喜兵衛(柳原喜兵衛・積玉圃)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈童蒙〉道のおしへ』『〈童蒙〉みちのおしへ』『〈童蒙〉みちの教へ』。半紙本三巻三冊。『〈今昔忠孝〉五常名義絵抄』†の改題本。ただし、中巻第一葉「夫婦有別」図中の男性を洋服姿にするなど故意に明治初年の風俗に改めた箇所がある。巻末広告でも「…説教を聴聞する暇なきものといへども、一度この書を披くときは方今の御趣意三大教の深意をも覚り得て、忽ち文明の境に至るべきなり」と当世風たることを強調する。〔小泉〕
◆どうゆたからのとみくさ [2737]
童喩宝富草‖【作者】福田陳人作。質磨道人序。【年代】文政七年(一八二四)序・刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。諸書より童蒙向けの諸教訓を集めた教訓書。本文を大字・六行・付訓で記し、数カ所に孝子逸話や見開き挿絵等を挟む。まず「正しい心」や「人道」が人間たる所以であることを述べ、親や師の恩を知らない我が侭者は親に見限られ、親族や朋友、下僕にまで疎まれ、願い事も叶わず不幸になることなどを述べ、従って幼少の時から第一に「親に素直に従うこと」、第二に「行儀を学ぶこと」、第三に「算筆に励むこと」の三カ条を守れと諭す。続いて、「いかに弟子たち聞給へ、ろんするまてにおよばねど、はやくもがてんいたされよ…」で始まる「いろは短歌」の全文や諸教訓を紹介して幼時よりの躾を説き、また、本来、往来物や軍書・草双紙・端唄・浄瑠璃・芝居等は全て心得になるが「下根才劣の今時の幼童」はこれらを糧にすることができないこと、その他、親孝行、女子三従、子育て、五常等について言及する。〔小泉〕
◆とうようおうらい [2738]
〈寺沢新撰〉当用往来‖【作者】寺沢政辰書・跋。中沢某跋。【年代】宝永四年(一七〇七)跋・刊。[江戸]野田太兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。一月から一二月までの各月一通の合計一二通の書状を収録した寺沢流手本。大字・四行・無訓で記す。各例文中には種々の語彙や表現が豊富に含まれ、単なる手本や用文章以上の知育的配慮がなされている。例えば第一状は、「聖代万歳を呼ふなる三笠山の松風迄も枝を鳴さぬ御時節、万民の快楽不可過之候…」のように形容句の多い文言で綴られ、「花の下の連歌」における作法、年中行事、四季名所・行楽、諸芸能(文芸・武芸)、故実、儀式等の諸事項に言及する。また、巻末に書体別の字画を示した「草字府」を掲げる。〔小泉〕
◆とうようおうらい [2739]
〈長雄〉当用往来‖【作者】長雄耕文(数楽耕文・富利)書。【年代】江戸中期刊。[江戸]山崎金兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。四季用文章(準漢文体)一七通と、四季仮名文一二通を収録した大字・三行・無訓の陰刻手本。前半は「新年状」から「寒中見舞状」までの四季時候の書状で、季節の推移を伝える贈答の手紙が中心。同様に後半の仮名文も、四季の花鳥風月や季節の行事について綴ったものである。〔小泉〕
◇とうようしょうそく [2740]
当用消息‖【作者】長友松軒書。【年代】宝暦八年(一七五八)頃刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。また別に[大阪]河内屋喜兵衛ほか板あり。【分類】消息科。【概要】異称『当用消息〈并〉詩哥』。大本一冊。宝暦八年頃刊『玄海堂消息』の改題本。「新年状」以下三四通の消息例文を載せた大字手本(ただし要語に読み仮名を付す)。四季時候の文や加茂競馬など季節の行事に伴う手紙を主とし、入木道激励の文や婚礼祝儀状など種々の例文を載せる。〔小泉〕
◆とうようしょかんしき [2741]
当用書翰式‖【作者】長友松軒書。藤田延是跋。【年代】宝暦一四年(一七六四)刊。[大阪]浅野弥兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『書札〈并〉文法』。横本一冊。「改暦之御吉慶不可有尽期御座候…」で始まる「年始披露状(御祝儀申上并肴献上之文言)」から「殿様大坂表御勤被遊候節御用達被仰付候御請申上候文言」までの一三通の披露状を綴った手本。本文を大字・五行・所々付訓で記す。巻末に、上下の書簡用語と書簡作法(書札定法事・金銀包形之事・目録書法事・曲物書付之事等)を記した「書札文式」と、家具類・帛服類・臥具類・敷物類・文具類・楽器類・玩器類・佩用類・夜用類・途用類・草木類・飲食類・魚鳥類・刀之類・雑品類の数量呼称を列挙した「数付之事」を始め、「諸国(大日本国尽)」「十干・四方・十二支」「冠篇尽」「量名」「異名類(十二月・鳥獣・草木・器財・書状・居所・人称等)」「五行名頭字尽」を収録する。なお、本書の丁付けは「下一」から「下六十一」までとなっており、本書は複数巻から成る先行書(『当用文章大全』か)の抄録・改題本と思われる。また、本書の増補版『当用書札大全』†が天明(一七八一〜八九)頃に刊行されている。〔小泉〕
◆とうようしょさつたいぜん [2742]
当用書札大全‖【作者】長友松軒書。藤田延是跋。【年代】天明(一七八一〜八九)頃刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『当用文章大全』。横本三巻合一冊。『大阪出版書籍目録』によれば、宝暦一〇年刊『当用尺牘』、宝暦一一年刊『当用書札集』、宝暦一四年刊『当用書翰式』†の三本を合本した大部な手本。このうち『当用書翰式』は本書の下巻部分に相当するため、他の二者が上・中巻と思われる。なお、巻末に天明二年刊『大成正字通』の詳細な広告を載せるため、本書の刊行もその頃であろう。上巻に「年始之文章」から「故郷へ帰る人へ酒を送る文」までの二九通、中巻に「年始に菓子を贈る状」から「安産見舞状」までの四二通、下巻に「年始披露文」から「御在番中御用達御請文」までの一三通の合計八四通を収録する。全編を通じ大字・五行・付訓で記す。巻頭に「日別命追国神(ひわけのみことおうくにつかみ)」「大禹懸器求言」「太祖切髪置田」など和漢故事一八項を載せるほか、巻末に『当用書翰式』と同じ付録記事を収録する。〔小泉〕
◆とうようしょじょうかがみ [2743]
当用書状鏡‖【作者】西川竜章堂書。【年代】文政三年(一八二〇)刊。[京都]伏見屋半三郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家流〉当用書状鏡』『〈天保再板〉当用書状鏡』。半紙本一冊。最初に「年始状」など四季・五節句の文を掲げ、続いて「家督祝儀状」など吉凶事に伴う祝儀状・見舞状を載せ、最後に「買先問屋引付状」以下の商用文(全体の三分の一を占める)を収録した用文章(合計七三通)。本文を大字・五行・付訓で記す。目録部・頭書に「諸証文手形案文」(四通)と「名頭」を掲げる。なお本書の改題本に弘化三年(一八四六)刊『商人書状鏡』†がある。〔小泉〕
◆とうようてならいじょう [2744]
〈御家〉当用手習状‖【作者】竹村一玄(浜荻一玄・晴雲堂)書・跋。【年代】文化六年(一八〇九)刊。[大阪]河内屋嘉七ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。主に町人子弟用に編まれた手本兼用文章。冒頭に「年頭状」五例(披露状・敬いの文言・同輩の文言など)を掲げ、以下、下記四部門毎に例文を配列する。「四季の部」は五節句や四季の手紙八通、「臨時非常の部」は「伊勢講に招く回状」を始め特別な場合や災害時の見舞状など二一通、「売買用向の部」は「荷物の催促状」等の商用文二四通、「慶賀の部」は「隠居家督の怡」等の祝儀状一三通で、合計七一通を収録。巻末「請状証文の部」には、「預り手形」など一〇例を掲げる。本文を大字・四行(証文類は六行)・付訓で記す。なお、筆者・竹村一玄は『本朝茶経』†の作者でもある。〔小泉〕
◆とうようならびにながしら [2745]
〈沢田〉当用〈并〉名頭‖【作者】沢田泉山作・書。【年代】江戸後期刊。[川越]沢田泉山蔵板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。寺子屋師匠の泉山が門弟のために編んだ往来。「当用」「十干十二支」「名頭」から成る。うち「当用」は、数字・貨幣・単位・月日・金子請取証文・贈答品等上書など一〇項目の語彙集。「名頭」は、「源・平・藤・橘・弥・与・新・清…」以下合計二一〇字を集録する。本文を大字・三行・無訓で記す。巻末には埼玉県川越地方の村名を綴った『近郷村名』†(刊本あり)の一枚刷りを付す(後人による合綴か)。なお、標記書名は原題簽(刷外題であろう)を模写したと思われる後簽による。〔小泉〕
◆とうようぶんしょう [2746]
〈御家〉東用文章‖【作者】松亭金水作。【年代】天保(一八一八〜四三)頃刊。[江戸か]刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始之文」から「年賀悦びの文」までの七九通の消息文例と「奉公人請状」から「割賦手形之事」までの一三種の手形証文文例(「諸証文手形之案」)を収録した用文章。前半に五節句や季節の行事に関する手紙、後半に各種祝儀状・見舞状・借用状・依頼状等を採録し、中には『一筆啓上』†風に大酒・遊女狂い・短気・懶惰を戒める教訓の手紙も見える。本文を大字・五行(証文類は八行)・所々付訓で記す。また頭書に、江戸府内の寺社祭礼など年中行事を詳述した「江都年中行事」や、イロハ引きの消息用語集「消息早字引」、月々の時候の言葉を集めた「年中時候の解」などを掲げる。〔小泉〕
◆とうようぶんたいはしらだて [2747]
〈文化新刻〉当用文体柱立‖【作者】不明。【年代】文化八年(一八一一)刊。[江戸]丸屋文右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『用文』。半紙本一冊。「年頭祝詞状」から「縁組引合之状」までの四七通を収録した用文章。四季・五節句の手紙や通過儀礼に伴う祝儀状や金品貸借状、病気見舞状、弔状その他の例文から成る。本文を大字・六行・付訓で記す。頭書に「書初の詩歌」「大日本国尽」「百宮名尽」「男女五性相生名頭文字」「扁冠尽」「書状認様指南」「歳月五節親族異名」等、巻頭に「王賢」「養老の滝」「藤原行成」等の故事・小伝や「万対物之書様」等の記事を載せる。なお、本書の冒頭部分を改めた改題本に天保三年(一八三二)刊『〈御家〉天保用文章』†(梁田鳥水書とする)がある。〔小泉〕
◆どうらくおうらい [2748]
〈おどけていきん〉道楽往来‖【作者】華山亭呼升作。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】教訓科(戯文)。【概要】半紙本一冊。『商売往来』†にならって道楽者の生涯を書き記した戯作。「凡、道楽持扱文字、淫酒之最初其品多…」と始まり、手習い学問には身を入れず幼少の頃より小銭を着服するなど悪行の限りを尽して、親や師匠の異見は聞かず、奉公させても全く勤まらず、成人するに及んでさらに遊興にふけった成れの果てを示し、「…大坂(大酒に掛ける)の癖慎しむべき次第也」と締め括る。本文をやや小字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆どうりずかい [2749]
〈天然人造〉道理図解‖【作者】田中大介作・序(初編)。橋爪貫一作(二・三編)。山梨卓爾校(二編)。【年代】明治二年(一八六九)序。明治二〜七年刊。[東京]橋爪貫一蔵板。伊藤岩次郎(近江屋岩次郎・誠之堂)ほか売出。【分類】理数科。【概要】半紙本三編九巻九冊。一八六〇年代に西洋諸国で出版された物理・生物・地理等の諸書一〇数部(初編巻頭「印書目録」に主要参照文献九点を掲げる)を参照・引用して編んだ窮理学入門書。「究理のみならず広く諸道具・製薬の事まで載せ」、「其道理を説示した」ので、『道理図解』と称する。初編は明治二年序・刊、二編は明治六年作・明治七年刊、三編は明治七年作・刊で、初編は田中大介、二・三編は橋爪貫一が執筆。初編は巻の一・三章(空気、火、温気)、巻の二・四章(引力、響、香、水)、巻の三・五章(風船・炭水気風船、水素、炭水気、風船、硫酸)の一二章。二編は巻の一・一章(光)、巻の二・三章(目、鏡、幻燈)、巻の三・一章(写真鏡・鼻官・触官・味官・声音)の五章。三編は巻の一・二章(電気・引力・羅針盤、木梃(てこ)・滑車并車輪・車軸)、巻の二・二章(斜面・螺旋(ねじ)・摩擦、石鹸・時計等)、巻の三・二章(絵の具・火奴(つけぎ)・火綱・火口、金・銀・銅・鉛・錫等鉱物)の六章。いずれも図解を適宜施して、諸原理、諸説、学者等を紹介する。本文を楷書・小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◇とうりゅうおんなぶんしょう [2750]
〈絵入〉当流女文章‖【作者】吉田半兵衛画か。【年代】貞享五年(一六八八)刊。[江戸]橋本重兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。貞享頃に活躍した上方の版下絵師・吉田半兵衛の挿絵を多く掲げた独特な女筆手本。絵入りの女筆手本は稀だが、本書は、上巻九葉、中巻一〇葉、下巻四葉の合計二三葉と極めて豊富である(紙数は上中下の順に二〇枚、一八枚、一六枚)。上巻には「新年祝儀に呉服を贈る文」から「重陽の節句祝儀状」までの九通、中巻には「婚礼祝儀状」から「盆の供養に写経を贈る文」までの九通、下巻には「昨晩の訪問についての文」から「歳暮祝儀の礼状」までの六通の合計二四通を収録する。五節句・八朔等の祝儀状や通過儀礼に伴う祝儀状、諸用件の手紙などを載せる。全文が散らし書きで、主文に続く小字の返書部分に白抜きの丸付き漢数字で読み順を示し、挿絵を随所に掲げるのが特徴。妙躰流が普及する前の時期だが、小野通・居初津奈・沢田吉らとも異なる軽妙な筆遣いである。また、下巻末に「何大納言殿息女のかたへ遣し給ふせうそく」など若干の付録記事を付す。なお本書の改題本に元禄(一六八八〜一七〇四)頃刊『〈当流新抄〉万宝女文』や宝永六年(一七〇九)刊『文車〈女筆〉』†がある。改題本の題簽に「女筆」と小書きすることから、本書の筆者は女性であろうか。〔小泉〕
◆★とうりゅうてがたかがみ [2751]
当流手形鑑‖【作者】不明。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[大阪]河内屋平七板(文政六年(一八二三)求板)。【分類】消息科。【概要】異称『手形鑑』。半紙本一冊。江戸後期では比較的充実した証文手形類の文例集(用文章)。江戸中期刊『用文章手形鑑(仮称)』†から証文文例の部分を抜き刷りにしたもの。「預り申銀子之事」から「金子為替手形之事」までの一九例を収録する。借金、奉公、屋敷・田地売買、養子縁組み、借家、里子、為替手形など一通りの文例を掲げる。本文を大字・五行(末尾のみ七行)・付訓で記す。見返の目録によれば、巻末に「証文認め様心得之事」を付すと思われるが、求板本には欠く。〔小泉〕
◆とうりゅうにょひつたいぜん [2752]
当流女筆大全〈并女かゞ見・仕付がた〉‖【作者】居初津奈原作。改編者不明。【年代】元禄一二年(一六九九)刊。[大阪]和泉屋茂兵衛板。また別に[大阪]柏原屋清右衛門板あり。【分類】女子用。【概要】異称『増益女教文章』。大本三巻三冊。居初津奈作・元禄三年刊『女書翰初学抄』†の本文を丸取りして、付録記事のみを改めた改題・改編本(むしろ海賊版)。本文は、『女書翰初学抄』下巻末尾の弔状一通を削除したほかは全く同じで、頭書の全てを「女鏡秘伝書」(慶安三年(一六五〇)刊『をむなかゝ見』†とほぼ同内容)に改め、さらに巻末に「小笠原流万包様折形之図」のみを収録する。なお、本書の前後に、板元の一人、大阪書肆・柏原屋清右衛門は同じく『女書翰初学抄』の海賊版である元禄一一年刊『女用文章大成』†や本書の改題・改訂本である享保六年(一七二一)刊『女文庫高蒔絵』†を刊行しており、本書を含め『女書翰初学抄』の海賊版を少なくとも三種以上出版している。〔小泉〕
◆とうりゅうようぶんしょう [2753]
〈温故知新〉当流庸文章‖【作者】林山子作・書・跋。【年代】貞享三年(一六八六)跋・刊。[京都]丸屋半兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】大本三巻三冊。『明衡往来』†『遊学往来(新撰遊覚往来)』†など従来の古往来が「当流中庸の文章」ではないため、「童蒙に武家当流の文法をしらしむる」ことを目的に編んだ用文章。上巻は「年始人に遣文」から「発足注文之口上書・同返書」までの二八通、中巻は「他国へ便宜に遣文」から「天下泰平帰国之文・同返書」までの二八通、下巻は「金銀預り手形」から「寺請状」まで六通の証文類のほか、「目安の書法」「名字尽(頭書)」「国尽」「器財字尽」「衣服字尽」「太刀折紙之書法」「魚鳥目録之書法」「廻文・触状之書法」「制札之書法・同寸法」「色紙・短冊之書法」「書札寸法」「糊付封、并上書之法」「書法大概」などを収録する。上巻は五節句や吉凶事に伴う手紙、中巻は主として武家公私生活にわたる手紙、下巻は証文類や字尽類、書簡作法の記事からなり、例文中の要語に頭注を施すのが特徴。頭書付きの用文章としては比較的早い例である。なお、自序では「文と手と並得たる人」や書翰文の「古流・当流を弁得たる人」が稀であることを指摘する。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇どうわそくげん [2754]
童話則言‖【作者】不明。【年代】嘉永(一八四八〜五三)頃書。【分類】教訓科。【概要】岡山県邑久郡豊原村長沼地方で使用された往来。頭字がイロハで始まる七・七・七・五の俗謡風に綴った教訓。「いとけなきより孝行ものと、人にいはれよいつまでも」「ろんご読んでも親孝行、なせねばよまぬも同じ事」から始まり、親孝行・感謝・礼儀・奉公・手習学問、その他生活全般についての平易な教訓を説く。〔小泉〕
◆とおとうみふうどか [2755]
遠江風土歌‖【作者】田中正幅作。内田不賢書。桐陰・小崋・清友画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[岡崎]立志社同盟(近藤巴太郎ほか)板。【分類】地理科。【概要】異称『〈啓蒙〉遠江風土歌』。半紙本一冊。遠江国(静岡県西半郡)の地理を七五調・美文体で記した往来。「此国を遠つ淡海と名つけしは、むかし浜名の湖(うみ)ありて、都を遠く離るれは、よりて号(なず)けしものとなん、北の境は信濃なる…」と書き始め、まず、遠江国の国号の由来、地理的位置、地勢、行政区画、気候・風土、山・川や地勢、郵便・電信の普及状況などの概要に触れ、以下、浜松県下各地の地理・行政・法令・諸施設・産業・寺社・名所・名物・人民・風俗などのあらましを紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「遠江略図」(色刷り地図)、本文中に「浜名湖図」「井伊谷宮図」「浜松小学校図」の色刷り挿絵を掲げる。なお、本書は旧浜松県岡崎・立志社同盟(三者)によって出版されたものである。〔小泉〕
◇とおのおうらい [2756]
遠野往来‖【作者】菅沼藤左衛門(赤羽根屋)作・書。【年代】安政四年(一八五七)作か。文久元年(一八六一)書。【分類】地理科。【概要】陸中国和賀郡遠野村(岩手県遠野市)とその周辺の名所旧跡等を記した往来。「世の中の、咲て久敷、幾千代経て、積る目出度其折節、四季ある中にも春とかや、庭に馴れし梅が香の、花の匂ひに誘はれて…」と筆を起こして、鍋倉城(横田城)下の運満虚空蔵・幸稲荷・金比羅・庚申・自在山東善(禅)寺、また松崎村興光寺などの寺社や、猿ヶ石・物見ヶ嶽・笠ヶ峯・六角牛(ろっかくし)山・石神山・早池峰(はやちね)山・早瀬川・牛館川・足洗(あしら)川等の名勝・古跡を順々に紹介する。花鳥風月ばかりでなく、鎮守八幡宮の九月の祭礼や松崎観音の由来など、各地の縁起や風情・風俗等にも言及する。なお、筆者は遠野村の商人で、文化五年(一八〇八)生まれ、明治九年(一八七六)没という。〔小泉〕
◆とかいようぶんしょうたいせい [2757]
都会用文章大成‖【作者】福井応周(馬円・一瓢斎・源応周・子行・直蔵)書・跋。【年代】文政四年(一八二一)刊。[京都]堺屋仁兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈字尽〉都会用文章』『諸事兼用文章(諸事兼用撰)』。大本一冊。「都会用文章」「諸事兼用文章(諸事兼用撰)」「諸証文手形案文」の三部から成る大部な用文章。目録題角書に「字尽」と付すように、消息例文中に多くの贈答品とその数量呼称を掲げるのが特徴。「都会用文章」は、「世俗年始状」〜「歳暮祝儀状・同返事」の一三三通で、季節の手紙を基本としながらも、諸用件の手紙、商用の手紙など雑多な例文を数多く含む。「諸事兼用文章(諸事兼用撰)」は、「年始之序状」〜「立身出世寿状・同返事」の六三通で、季節の行事や通過儀礼に関する例文を集める。「諸証文手形案文」は、「預り申す銀子之事」〜「売渡申田地証文之事」の一五通を収録する。本文を大字・六行(証文類は七行)・付訓で記す。〔小泉〕
◆とがくしさんぜんこうじもうで [2758]
〈文化新刻〉戸隠山善光寺詣‖【作者】十返舎一九作。三武青洲書。【年代】文化(一八〇四〜一八)頃原板か。[江戸]西宮新六板(文政五年(一八二二)板)。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈新板頭書・名所旧跡〉戸隠山善光寺詣』『戸隠善光寺往来』。中本一冊。母の善光寺参詣に同道する息子に対して参詣経験者が書き与える手紙文に模して、信州善光寺や戸隠山への道中のあらましや、名所・名物・景趣・縁起などを紹介した往来。まず江戸・本郷通追分から中山道を下り、板橋〜熊谷〜高崎〜安中〜軽井沢を経て、善光寺に至るまでの行程を述べ、続いて門前町の様子、善光寺の縁起、さらに、戸隠山への参詣路と戸隠明神、九頭竜権現の由来や霊験などについて記す(本文は大字・五行・付訓)。口絵に、川の両岸より綱で渡し船を引くので有名な犀川(さいがわ)を描いた「信州川中嶋船渡之図」を掲げるほか、頭書に上州・信州の寺社や名所・名物・名産品を列挙した「上州神社仏閣」「当国名所」「上州土産」「信州名所」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆ときむねじょう [2759]
〈新版〉時宗状‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[仙台か]刊行者不明。また別に[仙台]伊勢屋半右衛門板(天保二年(一八三一)板)あり。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。「時宗状」と「曽我状」†から成る古状単編型往来。「時宗状」は、源頼朝から曽我五郎時宗に宛てた書状、また「曽我状」は、梶原平三景時から曽我太郎に宛てた書状を装った古状単編型往来である。建久四年(一一九三)五月二八日、深夜、富士の御狩場において、曽我五郎十郎兄弟が、父の仇工藤祐経を討った事件に取材したもの。流布本『曽我物語』では、捕らえた五郎時宗を頼朝が実地に尋問、その筋を通した見事な抗弁に感じ、時宗を「天下に隠れなき剛の者」と呼ぶ形で、五郎の名を通して母に曽我の庄の安堵を伝えることとなる。本状はその安堵状ということになる。『真名本曽我物語』では、五郎の処刑後、母に安堵状が伝えられることになっており、若干構成に違いがある。少なくとも元禄・宝永(一六八八〜一七一〇)頃までの書籍目録には、本状の単行版の存在は確認できず、江戸中期頃の成立であろう。本文を大字・六行・所々付訓で記す。〔母利〕
◇とさおうらい [2760]
土佐往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】「新春之御慶逐日幸甚々々…」で始まり「…任思出、粗令馳筆訖。併、大海之一滴、九牛之一毛、目出度穴賢々々」で終わる一通の新年状形式で、土佐国高知城における新年儀式の様子や国内の物産のあらましを記した往来。まず、家老職以下諸侍の元日の御目見得、二日陽貴山・真如寺参詣、三日郷士御礼、四日諸用人・御歩行等御礼以下、一一日の御馬御馭初(装束や馬の種類・馬具・馬印、また、同日の群集の様子にも言及)までを順々に紹介し、続いて、「御領内之名物」として高知縮以下の布帛・日用品・食品等の産品を列挙する。〔小泉〕
◆とさこくさんおうらい [2761]
土佐国産往来‖【作者】大神栄幹書。【年代】江戸後期作。文久三年(一八六三)書。【分類】地理科。【概要】文久三年写本(三次市立図書館蔵)は半紙本一冊(大字・五行・無訓)。土佐国内各地の地名や諸産物を列挙した往来。「従往古、土佐材木之名物、『庭訓』所載而、世人所知也…」のように、本文冒頭で『庭訓往来』†に土佐名産の材木の記述が見えることを紹介し、以下、「今此国之名物・土産雖其品多、荒増ヲ記耳。先、柳瀬山之杉・桧、瀬戸山之桧・柾、甲ノ浦之海鹿…」のように地名と産物を列挙する。〔小泉〕
◆とさのくにちりおうらい [2762]
土佐国地理往来‖【作者】奥宮暁峯(暁峰・正路・卯之助・存斎)作・書。【年代】明治初年作・書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。明治維新後の土佐国(高知県)の地理的位置・地勢・風土・気候・沿革(特に領主の交代)、維新後の様相、県内の名所旧跡・神社仏閣の縁起・景趣、その他の主要地名・物産品を記した往来。「抑、地理廼うひ学ひ、我生国を麓にて、次第に登る大倭、越れは広き五大洲、其あらましを今こゝに、あゆみ初の道しるべ、土佐は四国の南のはて…」で始まる七五調の文章を、やや小字・八行・無訓で記す。本文中で当時の土佐国の人口を五二万八〇〇〇人とする。〔小泉〕
◇とざまおうらい [2763]
外様往来‖【作者】清水弥助書か。【年代】明治一九年書。【分類】地理科。【概要】「両三日の春雨にて、身も暖に成候へは、花の盛を待受て、外様遊覧相催候。御同心は可為本懐候。先、山口の糸遊を手に結ひつゝ…」で始まる女文形式で、信濃国水内(みのち)郡外様村(長野県飯山市)周辺の名所旧跡を紹介した往来。桃の盛りの硫黄が洞から大川、桶井の里、今井の里、常盤神社、大坪村、戸狩、長嶺、尾崎三桜大明神、南条等を経て、飯笠山神社・荒神堂を参拝する順路で、各名所とその風趣などを略述する。万延二年(一八六一)作・書『木島名所村名往来』†の影響が明らかである。〔小泉〕
◆とさみなとおうらい [2764]
十三湊往来‖【作者】妙見堂三王坊作か。工藤某書。【年代】室町前期作。安永五年(一七七六)書。【分類】古往来・地理科。【概要】異称『十三往来』。大本一冊。次項『十三湊新城記』†とは別内容。津軽半島の西北、岩木川の河口にあり、十三湖を擁して平安末期より栄えた港町・十三(じゅうさん)の地理や歴史を綴った古往来。十三の起源を平安末期、津軽秀栄による福島城築城に求め、@城郭の威容と結構、A城郭を中心にして東西南北の各方角に位置する名所・湊の様相、B新町の繁栄・商取引の盛況、C領内の神社・仏閣(玻璃磨明神・熊野権現・羽黒権現等の由来・縁起・景趣)、D福島の城郭は「四神相応の霊地」に位置すること、Cにおける領内の社寺、特に密教系の寺院について詳述する(この点で修験僧の撰作と推測される)ほか、城郭の威容や商業の繁栄、城下の賑わいについても筆を費やす。従って、本往来は近世地理科往来の先駆と目されるものである。本文を大字・六行・稀に付訓で記す。〔石川〕
◆とさみなとしんじょうき [2765]
十三湊新城記‖【作者】祥庵書。【年代】室町前期作。室町後期書か。【分類】古往来・地理科。【概要】大本一冊。「大日本国奥州十三湊新城者、花園帝御宇正和年中、安倍政季公所築之城郭也…」で始まる記事文体で、中世の陸奥国津軽地方(青森県北西部)十三湊の歴史や地理を記した往来。『十三湊往来(十三往来)』†とは別内容。安倍貞任の後裔・安倍政季(貞季とも)の武勇、その居城である新城(福島城・十三城)の威容、周辺の地勢や社会、禅林寺・竜興精舎・羽黒権現・熊野神社・阿吽寺等の寺社、十三館内の武士や城下の民衆の様子などを略述する。旧三春藩主・秋田家蔵本は大本一冊で、本文を楷書・大字・五行・ほとんど付訓で記す。また、秋田県立図書館・時雨庵文庫本は、本文を楷書・大字・八行・無訓で綴り、後半に信長・秀吉・秀次の古状三通を掲げ、「于時延宝七歳次(一六七九)己未仲春下幹奥州三春之城下祥庵書」の識語を有する。〔小泉〕
◇とやまのき [2766]
富山之記‖【作者】星j庵重治作。百松麿書。【年代】天正一四年〜元亀三年(一五四五〜七二)頃作。慶長一五年(一八一○)以前書。【分類】古往来。【概要】異称『越中富山之記』。大本一冊。真名文による一編の記事文体で、越中国の地理や沿革・政治・産業等を記した古往来。同国の位置と土地柄、守護・地頭、領主(神保氏)の善政、賀州一揆の際における富山城士の闘いぶり、富山城の構造と威容、富山城下の武家町、馬の種類および馬具、城下の諸職・諸商、城下ないし領内で生産または商取引される諸物資、城下に群集する諸芸人、仏寺の興隆等を紹介する。山田本は大字・六行・ほとんど付訓、東北大本は大字・七行・所々付訓で記す。中世後期より近世初頭にかけての城下の様相を記述した手本であり、『駿河状(駿府往来)』†や『江戸往来』†に始まる近世地誌型往来の先駆として注目される。〔石川〕
◆とらがり [2767]
虎狩(仮称)‖【作者】不明。【年代】嘉永五年(一八五二)書。【分類】歴史科。【概要】特大本一冊。慶長四年(一五九九)、薬方用の虎を所望する秀吉の命により、朝鮮において島津義弘・忠恒父子が行なった虎狩の状況を克明に綴った往来。嘉永五年写本が現存するが、鹿児島地方ではこれ以前から手習い手本として使用されていたらしい。「積雪山を埋ミ雉兎蒭蕘の通すら心に任せず…」という美文調で始まる形式は江戸中期以降に多いため、本書の撰作年代もその頃と推定される。本文を大字・三行・無訓で記す。〔母利〕
◆とりひきようぶん [2768]
〈商業小学〉取引要文‖【作者】田島(田嶋)象二作。江門処士(馨)序。【年代】明治八年(一八七五)刊。[東京]辻岡屋文助(金松堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「国立銀行え金貨改包を請文」をはじめ、「両替屋」「呉服屋」「洋物屋」「本屋」など一五種の諸職の手紙、「西洋取引の洋文並ニ譯文」「遠国江荷を遞送する注意」「荷を包む注意」「遠国と取引の注意」「臨時客応接」、ならびに「各証文の定案」九通から成る用文章。本文を大字・五行・無訓で記す。凡例によれば、本書中に引用された英文(片仮名による読み付き)は、「リイドル先生の手になりし者ならず。則ち英国教師グレコリー氏の閲に係りし者なり。故に一字一句も誤りなく何なる丁稚といえども本文の通り写さば確と用向は便するなり」とあり、一五の諸職の箇所に挟まれた多くの挿絵にも、漢字・仮名だけではなく英文の仮名表記が付けられ、ユニークなものとなっている。またその一方で、「臨時客応接」の条には川柳が引用され、文末に「丁稚輩、合点か合点か」のように心学書的な雰囲気を出すなど様々な工夫が見られる。〔母利〕
◆とりひきようぶんしょう [2769]
〈商人日用〉取引用文章‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[大阪]河内屋太助板。また別に[江戸]山口屋藤兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】中本一冊。本書の目次が消息文(旧本文)・消息文(増補本文)・手形証文(「新撰手形証文」)の三つから構成され、特に証文部分が改丁されている点からも、本書は複数の用文章を合本したものと思われる。旧本文は「年始之文」から「得意方江遣文」までの四七通、続く増補部分は「別家したる方江遣状」から「入院(じゅいん)之歓状・同返書」までの二五通で、前者が五節句・四季、通過儀礼、取引に伴う書状、後者が取引、諸用件の書状である。後半の「新撰手形証文」は、「金子預り証文」から「小作証文」までの一六通を収録する。消息文・証文類とも大字・六行・所々付訓で記す。巻末に、ほぼ月毎の時候の言葉二例を列挙した「年中時候案文(四季時候案文)」を掲げる。〔小泉〕
◇どりょうこうてきよう [2770]
度量考摘要‖【作者】橋爪貫一作・序。【年代】明治四年(一八七一)序・刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】理数科。【概要】異称『改正度量考摘要』『〈改正〉度量考摘要』。中本一冊。各国の度量衡の不統一は明治初年の貿易商の悩みの一つであったが、それを解決するために主要国の度量衡の単位を日本の単位と比較させながら解説した実用便覧ならびに教科書。日本・中国・イギリス・アメリカ・フランス・ロシア・オーストリア・ローマ・プロシア・オランダ(全国・南北の両方を併記)・ポルトガル・スペイン・スウェーデン・スイス・トルコなど一八カ国について紹介する。例えば、イギリス「長短尺」項には「一インチ/十二ライン、即チ大麦三粒ノ長サ、我八分三厘六毛三ト九分ノ八」、また同「時刻」項には「一秒時/我昼夜平等ノ半時ヲ三千六百分ニシタルノ一」などのように説明する。世界各国との通商が頻繁になった明治期ならではの教科書である。〔小泉〕