往来物解題辞典へもどる
ら行






◇らいこうじょう [3620]
頼光状‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】歴史科。【概要】源頼光が池田中納言に宛てた書状を模した古状単編型往来。「今度於東寺羅生門、渡辺源吾綱化生之者、出合腕切取候。就夫蒙勅宣、源摂津守頼光丹波国大江山へ被立越、変化之者々御座候得者、忍而可討覚悟候…」と始まる短文で、勅命を受けて大江山の鬼退治に向かう時の様子を綴る。〔小泉〕
◆らいこうやまいりおうらい [3621]
〈甲申新版〉頼光山入往来‖【作者】十返舎一九作・序。歌川国安画。【年代】文政六年(一八二三)刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈頭書絵入〉頼光山入往来』。半紙本一冊。江戸書肆・山口屋藤兵衛から出版された一連の伝記型往来の一つ。いずれも半紙判で、大型の色刷り絵題簽を付すのが特徴。そのうち本書は、家臣「頼光四天王(渡辺綱・碓井貞光・坂田金時・卜部季武)」とともに、その武勇ぶりで知られる源頼光の生涯を題材にした往来で、初めに頼光の出自や人物像に触れ、続いて土蜘蛛妖怪退治の伝説や、大江山の酒呑童子、京の茨童子を征伐した逸話などを紹介し、最後に、酒呑童子を鬼とするのは誤った俗説であり、「強盗の骨頂」と「頼光の武勇」を強調するための粉飾にすぎないと指摘する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭には一九が丹後の天橋立まで旅行をした際に立ち寄った成相寺(なりあいでら)の宝物中に存したという頼光の願文を掲げる。また、頭書「造醸類仕法」の記事のいくつかは、のち『宝船桂帆柱』†の頭書にもそのまま流用された。〔小泉〕
◆らいしじょう [3622]
雷賜帖‖【作者】竜渕書。渡周助(青山堂周助)跋。【年代】文政五年(一八二二)跋。文政六年刊。[越後]青山堂周助ほか板。【分類】社会科。【概要】異称『三十六人歌合』『三十六歌仙』。大本一冊。「ほのとあかしの浦の朝霧に、しまかくれゆくふねをしそおもふ」(柿本人麻呂)から「秋風のふくにつけてもとはぬかな、萩の葉ならはをとはしてまし」(中務)までの三十六歌仙の和歌を大字・四〜五行・無訓で綴った手本。跋語によれば、まさに「雷公(菅原道真)の賜もの」であるところから『雷賜帖』と名付けたとする。また、蔵板者と思われる青山堂は筆者門人である。〔小泉〕
◆らくようおうらいならびにぶんしょう [3623]
洛陽往来并文章‖【作者】中村暘嶂(林泉堂)書。【年代】弘化三年(一八四六)書・刊。[江戸]山崎屋清七板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「洛陽往来」と「消息文(準漢文体書簡)」を記した大字・四行・無訓の手本。「洛陽往来」は、「桓武天皇の御時より此京はしまり、四神相応の地にして、殊更かしこき君の御政…」で始まる仮名文で京都の寺社・名所を記した往来で、宝永四年(一七〇七)刊『わかみどり』†(上巻)とほぼ同文。また、これに続けて、旅行から無事に帰宅した知人への祝儀ならびに土産物の礼状や城内修復に関する書状など九通を掲げ、巻末に詩歌二首を付す。なお、筆者・林泉堂は芝泉堂(坂川暘谷)の門人である。〔小泉〕
◇らくようそのめひつしきようぶん [3624]
洛陽園女筆四季用文(仮称)‖【作者】某その書。【年代】元禄一〇年(一六九七)書。【分類】女子用。【概要】巻子本一軸。「桜かりおぼしめしたたせられ候よし」に始まる花見への誘引の状、同じく花見の状、杜若を贈られた礼状、蛍見の案内、秋の時節の安否を気遣った状、同返状(以上、散らし書き)、初雪の朝の挨拶、同返状から成る女筆手本。見事な彩色絵入りの料紙に描かれており、巻末の「右は御望により拙き筆を染まいらせ候。元禄十年丁丑臘月日、洛陽その十三歳女」という署名からしても、「その」なる女性は当時早熟で知られた女筆の一人であったと思われる。新年状がないため、あるいは冒頭を欠く零本か。〔母利〕





◆りくゆえんぎ [3625]
〈官刻〉六諭衍義‖【作者】范メ(声皇)作。荻生徂徠(物茂卿・茂卿)編(訓点)・序。【年代】享保六年(一七二一)刊。[江戸]須原屋茂兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『官刻六諭衍義』『重刻六諭衍義』『〈賜板〉六諭衍義』。大本二巻二冊、後、二巻合一冊。享保四年三月に島津吉貴が幕府に清国の現状報告を行った際に、献上された程順則(雪堂)の『〈程氏本〉六諭衍義』†(一七〇八年、中国福建省で刊行)が将軍吉宗の目に触れ、これを庶民教化に役立てるべく、室鳩巣に和解を命じる一方、荻生徂徠には程順則本に訓点を施すように命じた。このうち、前者の和解本(『六諭衍義大意』†)に先立って出版された徂徠の訓点本が本書である。冒頭に享保六年一〇月の徂徠序、康煕四七年(一七〇八)四月の竺天植(程順則の恩師)序、次いで范メ自序を掲げ、末尾に范メ自跋、康煕四七年の程順則の跋までを翻刻する。本文を楷書・大字・八行・無訓で記すが、程順則本とは本文の字配りは異なり、また程順則本の巻頭に掲げられていた「上諭十六条」が省かれた。〔小泉〕
◇りくゆえんぎ [3626]
〈程氏本〉六諭衍義‖【作者】范メ作。程順則編。【年代】康煕四七年(一七〇八)刊。[福建省]琉球館(柔遠駅)板。【分類】教訓科。【概要】大本二巻二冊。中国『六諭』の衍義書である『六諭衍義』を、福州留学中の程順則が師から譲り受けた原本を底本にした私家版。『六諭』は、明の太祖・洪武帝が洪武三一年(一三九八)に発布した『教民傍文』四一カ条中の「自治章程」の一条で、「孝順父母」「尊敬長上」「和睦郷里」「教訓子弟」「各安生理」「母作非為」の六項に及ぶ庶民の生活心得である。後に清の世祖・順治帝も順治九年(一六五二)にこれを頒布し、毎月六回、古老や身障者がこれを唱えて回ったという。『六諭衍義』は、関連法令の条文や故事・例話・詩などを交えて、この『六諭』を平易に解説した教諭書だが、程順則本は、巻頭に康煕帝の勅諭『上諭十六条』(朱刷)および程順則の恩師・竺天植の序文と程順則の自跋を付す。程順則本は本来、琉球における中国官話(公用語)の学習を意図して編まれたものだったが、島津藩を通じて徳川幕府へ献上された一書によって、官版の『〈官刻〉六諭衍義』†および『〈官刻〉六諭衍義大意』†、さらには藩版・民間版諸本という広範な流布を遂げるに至った。〔小泉〕
◆りくゆえんぎしょう [3627]
六諭衍義鈔‖【作者】鈴木重義作。亀谷竹二(行・省軒)校。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]亀谷竹二(光風社)蔵板。森屋治兵衛(石川治兵衛)ほか売出。また別に[大阪]梅原亀七ほか売出(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『六諭衍義』†の翻訳書の一つ。原本の俚語を雅言に改めたり、直訳または意訳を交えつつ、その主旨を平易な漢字・片仮名交じり文で記したもので、『六諭衍義大意』†とは別文。原本に載る「故事律例」の類を全て省いたほか、『六諭』の一つである「母作非為」の章は「前文ノ意ヲ反覆スルニ過ギ」ないとして丸々割愛する。本文を楷書・やや小字・一〇行・無訓で記し、本文中に孟母・車胤等の挿絵三葉を挿む。〔小泉〕
◆りくゆえんぎしょうい [3628]
六諭衍義小意‖【作者】中村三近子(平吾・絅錦斎・一戴)作・書・序。【年代】享保一六年(一七三一)作・刊。[京都]西村市郎右衛門(寿詞堂・載文堂)ほか板。【分類】教訓科。【概要】大本または半紙本三巻三冊、後、三巻合二冊。『六諭衍義大意』†の主旨を敷衍した往来物。巷間に流布していた『大意』の尊さを童蒙に教えるために、『大意』の付録として編んだもの。庶民生活上の卑近な具体的例に結びつけるなど、『大意』よりも平易に説くのが特徴。『六諭』を二章ずつ三巻に分け、それぞれの主題に即して三〜九の訓話を載せる(合計三二話)が、特に力点を置くのは「孝順父母」「教訓子孫」の二章である。俚諺や故事を引きながら『大意』の説く道理を種々諭す。また「和睦郷里」章では、享保一五年の京都大火の際に八〇〇〇人を救った救恤活動を特筆し、「教訓子孫」章では庶民の学問のあり方について「学問は万職の手本」であり、先賢の書を学ばなくても『六諭衍義大意』を実行するならば立派な学問であると述べる。本文は三近子の直筆で、やや小字・九行・付訓で記す。〔小泉〕
◆りくゆえんぎたいい [3629]
六諭衍義大意‖【作者】安倍晴親(菊坡・親民)原作・跋。寉峯序。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『六諭大意和解』。半紙本一冊。『童導六諭訓』†の改題本。享保七年(一七二二)刊『六諭衍義大意』†本文ではなく、各章末尾の『詩経』からの引用部分、すなわち六つの詩文をわかりやすく説いたものである。なお、序文に「『導童六諭訓』と名づけ玉えるものなるべし…」とあるのは、本書が『導童六諭訓』の改題本であることを物語る。ちなみに、『導童六諭訓』には「堵庵」の記載は全くない。従って、本書首題下部にある「手島堵庵著述」の記載は改題に際して添えられたものであろう。本文をやや小字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆りくゆえんぎたいい [3629-2]
〈改正〉六諭衍義大意‖【作者】長崎県師範学校編。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[長崎]長崎県師範学校板。また[福岡]岡崎篤実板あり(後印)。【分類】教訓科。【概要】異称『〈故室直清原著・改正〉六諭衍義大意』。半紙本一冊。室鳩巣作『六諭衍義大意』†を部分的に改編した教科書。巻頭「辨言」に「時勢ノ変、復タ今日ニ益ナキモノナキニ非ズ。是、本校之ヲ改正スル所以ナリ…」と記すように、基本的に『大意』の文面をほぼ踏襲しつつも、「教訓子孫」章では女子教育に触れ、「裁縫ノ事ハ言ニ及ハス、脩身・読書・習字・算術等ハ、是、家政ヲ治ルノ要具ナレハ、必欠クヘカラサルノ教ナリ…」としたり、『大意』の「各安生理」章を「勉励産業」章と改めて「各々独立ノ気象ヲ保チ、我ト我心ニ励勉テ、他人ノ迷惑ヲ為サス、政府ノ法令ニ触レサル様ニト心得ヘキ事ナリ…」などと説く。本文を楷書・やや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆★りくゆえんぎたいい [3630]
〈官刻〉六諭衍義大意‖【作者】室鳩巣(直清・師礼・汝玉・滄浪・駿台)作・序・跋。石川柏山(信義・園智・圀昭・勘介・勘助)書。【年代】享保七年(一七二二)刊。[江戸]須原屋茂兵衛ほか板(享保七年四月初板)。また別に[京都]中川茂兵衛ほか板(同年八月再板)あり。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。享保六年刊『〈官刻〉六諭衍義』†とともに将軍・吉宗の命によって庶民教化用に編まれた官刻の往来物。享保六年板は荻生徂徠が程順則本『六諭衍義』に訓点を施しただけのものであったが、さらに平易な仮名書きの教訓書として編まれたのが『六諭衍義大意』†である。『六諭衍義』のうち当代の実情に合わない「律例(法度の箇条)」と「古人の事跡」を省いて、その「大略をとりて、和語をもて、是をやはらけ」たと編集の経緯を示す鳩巣の自序(享保七年二月)および自跋と「大意」本文のみで、『〈官刻〉六諭衍義』に収録された竺天植序、范メ序、范メ跋、程順則跋などは全て省かれた。本書全体が手本用に書かれており、まず、鳩巣の序文を行書・大字・六行・付訓(難字には左訓も施す)で記し、同様に「大意」本文は七行、各編末尾の詩文はやや大字の五行で記す。その版下書きは江戸の能書・石川勘助に命じられたが、本書が最初から往来物として編集されたことは、『兼山麗澤秘策』の「民衆などにて小児の手習仕候物に、幸ひ手本にも仕候様にとの思召にて御座候…」の記載からも明らかである。また、本書刊行直後に江戸町奉行・大岡忠相を通じて江戸の手習師匠へ褒賞品として下賜されるなど、幕府の強力な推進力により本書は庶民教育の基本図書として急速に全国に広がった。本書は最初に江戸と京都で「官刻」として出版されたが、寛政一一年(一七九九)板以後は「賜版」となり、さらに天保一五年(一八四四)には再板されている。このほか、文政一三年(一八三〇)・秋田藩板、天保四年・掛川藩板、天保五年・名古屋藩板、天保一五年・古山代官板、弘化二年(一八四五)・河村奉行板、弘化四年・萩藩板、同・明倫堂板、嘉永六年(一八五三)・桑折代官板、同・岩村田藩板、刊年不明・福山藩板、同・伏見藩板、明治三年(一八七〇)・柴山藩板などの各藩板や、安政四年(一八五七)・奥州白石の石津氏施板など篤志家による施板もあり、明治末年までに刊行された諸本は六〇種以上に及ぶ。〔小泉〕
◆りくゆえんぎたいい・りくゆえんぎふろく [3631]
〈官許・首書画入〉六諭衍義大意・〈官許・首書画入〉六諭衍義附録‖【作者】勝田知郷(商量軒)作・序。勝田知直・勝田知之校。日野資愛序。那須与一画。勝田知直・佐藤一斎(坦)ほか跋。【年代】天保一四年(一八四三)刊記。天保一五年序・刊。[京都]勝田知郷蔵板。[大阪]秋田屋良助ほか売出。【分類】教訓科。【概要】異称『〈校正増加〉六諭衍義大意(六諭衍義附録)』。大本三巻三冊。『六諭衍義大意』†の本文に、それを諭す先人の伝記や挿絵を多数交えた私家版の往来物。上巻は『大意』本文を掲げ、頭書に「六諭」の実践者たる模範を中国の人物一四人(黄香・王祥・陣興・柳仲郢・祝期生・王有道・沈富民・孟母・柳公綽・王瑶・盛徳・薛敷・周処・陣三公)に求めてその事蹟を記し挿絵数葉を載せる。また、室直清の跋文に所々略注を付す。中・下巻は『太平記』『近世畸人伝』『続近世畸人伝』『駿台雑話』などに載る日本の偉人九人(青砥藤綱・僧鉄眼・佐川田昌俊・酔茶翁・農夫庄助・仏佐吉・白拍子静・馬郎孫兵衛・乞食八兵衛)の事蹟を、知卿の意見や諸書からの引用を交えながら綴ったもので、知郷が常々語っていた話を息子の知直が書き留め、本書に付録したものである。中・下巻ともに挿絵数葉を掲げる。本文をやや小字・一〇〜一二行・付訓で記す。なお、弘化四年再刊本では序文その他が若干増補されたが、一部割愛された記事もある。〔小泉〕
◆りくゆえんぎたいいじょ [3632]
六諭衍義大意序(仮称)‖【作者】室鳩巣作・序。【年代】江戸後期刊か。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】折本一帖。「『六諭衍義』は琉球の程順則といひし人、其国に印行しけるを、はるかにわか邦にも伝へ来れり…」で始まる『六諭衍義大意』†の序文(享保七年二月室直清序)のみを記した陰刻の折手本。『六諭衍義大意』の本文はなく、装訂等からもこの序文のみであったと推定される。板元や筆書等の記載は全くない。一折(二頁)に大字・四行・無訓で記す。ちなみに『大意』の陰刻手本は他に例を見ない。〔小泉〕
◆りくゆえんぎたいいしょう [3633]
六諭衍義大意鈔‖【作者】水野正恭(権平)編。神埜順蔵(世猷)序。【年代】天保五年(一八三四)序・刊。[名古屋]永楽屋東四郎板。【分類】教訓科。【概要】異称『六諭衍義大意抄』。半紙本一冊。享保七年(一七二二)刊『六諭衍義大意』†本文のうち、『詩経』からの漢詩文を除き、漢字・仮名交じり本文だけを綴った改編版。もと大坂町奉行・平賀信濃守が、『六諭衍義大意』が廃れてゆくのを惜しんで文化年間(一八〇四〜一八)に上梓して市中へ施したものという。その板木を譲り受けた永楽屋が「御願済の上、製本元上り値段にて」本書を販売したが、本文末に本書を一〇部以上必要な顧客には用紙持参のうえ板賃無料で印刷する旨を記したものもあるから、無料または特別価格の奉仕品扱いであった。後印本には永楽屋東四郎善教による安政二年(一八五五)九月撰「六諭衍義大意抄ゆゑよし」三丁が追加されたが、そこには『六諭衍義大意』撰作から本書の刊行に至る経緯について詳しい。本文をやや小字・九行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆りごせんじもん [3634]
俚語千字文‖【作者】篠田明浦(篠田定考・篠田五郎・子信)作・書。千葉玄之(芸閣)序。【年代】明和八年(一七七一)作・序・刊。[江戸]前川六左衛門板。【分類】社会科。【概要】大本二巻二冊。『世話千字文』†同様に、社会生活に必須の基本的語彙を収録した『千字文』型往来。俗家童蒙(凡例では一〇歳以上を適齢とする)がイロハ学習後に学ぶべき手本としてもっぱら「啓上・啓達・左様・然者(しかれば)・以上ナドノ俗語」を採集したもの。本文は「天地日月、雲風空星、雨露霜雪、東西南北、山川草木、金水火土、春夏秋冬、昼夜旦暮…」で始まる四言一〇〇〇字で、乾坤・歳時・神仏・鳥獣・占易・人倫・人品・脊属・音信・祝儀・饗応・料理・公務・作法・教訓・医薬・財法・動植物等々の語彙を列記する。上下巻とも大字・二行・無訓で記した陰刻手本である。また、筆者の「凡例五則」には、編集意図や教育理念の一端が窺えるが、特に『庭訓往来』†や『明衡往来』†は長文で憶え難く、同字もあって退屈しやすいので、本書がより適切な教材であることや、本書の学習後に「俗流ノ文章六、七通」ほど学習すれば俗用の万事に対応できると述べる。なお、本書に挿絵や若干の付録記事を増補した小本の改編本『幼学千字文』†が嘉永三年(一八五〇)に刊行された。〔小泉〕
◆りっしゅんようぶんしょう [3635]
〈文政□刻〉立春用文章‖【作者】不明。【年代】文政(一八一八〜三〇)頃刊。[江戸]伊藤屋与兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『□用文林大智嚢』。中本一冊。「初春に遣す状」から「神事に遣す状」までの四五通の例文を収録した用文章。四季用文章も一通り載せるが中心は諸用件の手紙(吉凶事に関するものが多い)で、相手との親疎の違いにも配慮する点が特徴。本文を大字・六行・付訓で記す。前付に「十二月異名和名」「始皇帝故事」「日の出没の事」「四季養生の伝・同画」「月の出入の事」「潮のさしひきの事」、頭書に「文字始の事」「墨の始の事」「筆の始の事」「紙の始の事」「大日本国尽」「諸家苗字尽」「万目録認様」「初心かなづかひ」「片仮名伊呂波」「諸職百官名」「吾嬬百官名」「五性名頭字」「女名の文字」「風雨のうらなひ」「幹支方角配当」「雷を避る頌文」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◆りっしんとらのまき [3636]
〈辻忠郎兵衛著述・宇喜田小十郎校正〉立身虎之巻‖【作者】辻慶儀(忠郎兵衛)作。宇喜田小十郎校・序。【年代】天保四〜一五年(一八三三〜四四)原作。明治七年(一八七四)序・刊。[京都]村上勘兵衛板。【分類】教訓科。【概要】半紙本四巻四冊。幕末京都の富商下村家の一流で、井上家に仕え、「節倹恭慎」の正直な商法で財をなした辻忠郎兵衛が著し、天保年間に順次施印した「幼童庭訓の著述」四本をまとめて明治期に複刻したもの。天保一五年刊『教訓いろはうた』†、天保四年刊『養生女の子算』、天保四年刊『仁術歓心抄』、天保九年刊『四徳配当抄』の四本をこの順で収録し四巻とする。第一巻『教訓いろはうた』は、著者八三歳の著述で、「いつとてもこころただしき人はみな身のをさまりに目をとめてみよ」以下四八首の教訓歌に平易な注釈を添える。第二巻『養生女の子算』は著者七二歳の著述で、寿命を長く保つ秘訣として「心の養生」「身の養生」「食養生」の大切さを説いたもの。「付録」として「年に一〇貫目の徳分あるところを、八貫目に節約し、これを五朱の利息で増やす」という設定で、五〇年後までの年々の高を列挙するのは功利的・具体的な教訓で興味深い。第三巻『仁術歓心抄』も著者七二歳の著述で、太郎兵衛・清兵衛・徳兵衛三人の会話の形で、『孝経』にいう「歓心」の大切を卑俗・平易に説いたもの。第四巻『四徳配当抄』は著者七七歳の著述で、天の働きの世におこなわれる有様を、元享利貞の四徳と名付け、それを商人の一日、一年に喩えながら心の持ちようを説く。本文を概ね大字・九〜一〇行・付訓で記す。〔母利〕
◆りっしんようぶんねんちゅうおうらい/りっしんようぶんきちゅうおうらい [3637]
〈書札大成・日用重宝・頭書絵入〉立新用文年中往来‖【作者】芳村秀ャ作。【年代】享保一六年(一七三一)刊。[大阪]菊屋勘四郎(梅月堂)板。また別に[京都]景雲堂板、[京都]秋田屋平左衛門板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『立新用文季中往来』『立新用文章』『立新用文』。大本二巻二冊。四季折々の手紙二四通(各月往復二通ずつ)と、元服・髪置・婚礼・移徙・出産に伴う祝儀状やその他の消息文一八通の合計四二通を収録した用文章。本文を大字・四行・付訓で記す。前付に「本朝三筆(神野親王・沙門空海・橘逸勢」「永字八法」、頭書に「年中行事」「月之異名」「折形并状封様」「万積物之図」「目録書様図」「縁組言入目録」「廻状之書法」「寸礼并扇子金銀鳥目之礼式」「貴人高家主人江可勤礼日之事」「四季衣裳事」「諸礼心得之事」「当流手形尽」「手形書様口伝」「書判図」「男女相生」「不成就日事」「暦之中段」「暦之下段」「潮之満干」、巻末に「五ヶ津名物狂歌集」を収録する。〔小泉〕
◆りゃっかいせんじもん [3638]
略解千字文‖【作者】石川雅望(蛾術斎・六樹園)注・序。【年代】寛政三年(一七九一)序・寛政六年刊。[江戸]蔦屋重三郎板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈寛政新鐫〉略解千字文』『千字文略解』。半紙本一冊。汪嘯尹(おうしょういん)の『集注』を基本に他の注釈書も参酌しながら編んだ『千字文』の童蒙向け注釈書。『千字文』本文を四字一句ずつ楷書・大字・九行で掲げ、それぞれ行書・細字の割注を施し、頭書に楷書の書き下し文を置く。巻首に『千字文』の起源や『千字文』の異本についての諸説、また、作者・周興嗣略伝等を載せる。〔小泉〕
◆★りゅうきゅうおうらい [3639]
琉球往来‖【作者】良定(袋中・入観)作。長沢伴雄書。伴信友跋。【年代】慶長八年(一六〇三)作。文化六年(一八〇九)跋。天保八年(一八三七)書。【分類】消息科。【概要】大本二巻合一冊。浄土宗の傑僧・袋中が琉球滞在中に那覇の馬高明(幸明とも)の求めに応じて、同地の童蒙用に編んだ消息文例集。撰作年代から言って近世最古の消息科往来であり、また撰作の経緯などからしても異色である。「春始之御慶。向貴方。失所啓祚。福寿康寧。珍重々々…」で始まる本文は『庭訓往来』†の影響が窺われ、上下二巻合計で二八通の書状には、消息文中に種々の類語集団を含むものも少なくない。例えば、第一状は新年の国家行事から上層階級の私生活の様子までを述べ、以下、芸能・遊興・四季贈答・学問・年中行事・公務・宗教(仏教)・貢納・算術(数量)などを主題とした例文中に関連の各種語彙を集録する。その一方、第一状のようにかなりの長文で綴り、「恐々謹言」の書止語や「御披音」の脇付語を付した正格の例文もあれば、第二一状のように全文わずか二○字足らずで宛名も記さず、「穴賢」で終わる略式の礼状もあり、各状は文面・分量ともまちまちである。いずれにしても、当時の琉球における上流社会の生活や文化の諸側面を伝える点で貴重な資料である。〔小泉〕
◆りゅうきょうれつじょでん [3639-2]
劉向列女伝‖【作者】前漢・劉向(子政・更生)作(『古列女伝』)。胡文煥(徳甫)校。王回・曽鞏・孔良・黄懐英序。【年代】前漢成帝朝(前三二〜三七年)成立(『古列女伝』)。宋・嘉祐八年(一〇六三)王回序。宋・嘉定七年(一二一四)孔良序。明・万暦三四年(一六〇六=慶長一一年)黄懐英序。『新刻古列女伝(古列女伝・続列女伝)』は承応二年(一六五三)刊、[京都]小嶋弥左衛門板。また別に[京都]上村次郎衛門板(後印)、[京都]葛西市郎兵衛板(同)あり。『新続列女伝』は承応三年刊(板元同上)。【分類】女子用(漢籍和刻本)。【概要】『新刻古列女伝』は大本八巻八冊。『新続列女伝』は大本三巻三冊で、後、両者を合わせて一二冊本(『寛文一〇年書目』)や六冊本とする。明の胡文煥が校訂した万暦三四年板を忠実に模した和刻本で、このうち『新刻古列女伝』は、既に北宋・嘉祐八年時点で八巻本の編成になっていた第一〜七巻の『古列女伝』と第八巻『続列女伝』からなり、以上八巻を承応二年に京都書肆・小嶋弥左衛門が板行、続いて翌年に『新続列女伝』三巻を上梓した。原題簽に『劉向列女伝』と記すが、劉向が実際に編んだのは『古列女伝』七巻で、この補遺として編まれた『続列女伝』には後述の「頌」がなく、劉向以後かつ班昭(曹大家)以前の女性を含むことから、『続列女伝』を班昭の作とする説もある。『古列女伝』は、古代より戦国時代に及ぶ賢女・貞女と悪女の伝記を諸書に取材し、その事跡を分類して母儀伝・賢明伝・仁智伝・貞順伝・節義伝・弁通伝・ヤ嬖(げつへい)伝の七巻とする。各巻に一五人(母儀伝のみ一四人)の合計一〇四人の説話を集録し、各説話には『詩経』の文言を踏まえた四言八句の「頌」を添える。承応板は本文・挿絵とも中国版本の模刻であり、本文は楷書・やや小字・一〇行の訓点付きの漢文である。また『続列女伝』には、同様に二〇人の説話を収録するものの、分類毎の配列になっておらず、「頌」も一切付さない。さらに『新続列女伝』は、周代から元代までの中国と百済・高麗を含む朝鮮諸国の列女一九〇人の小伝を、明・解縉編『古今列女伝』や李氏朝鮮・y循編『三綱行実』、また『閨範図集』『増補列女伝』『音釈列女伝』から採録して年代順・地域別に配列したものである。このように、本書は中国での出版の約半世紀後に和刻された漢文訓点本であったが、本朝における普及や影響は目覚ましく、早くも明暦元年(一六五五)には北村季吟が和訳した『仮名列女伝』†が登場し、また、本書の説話が明暦二年刊『女四書』†(辻原元甫作)、万治元年(一六五八)刊『大和小学』†(山崎闇斎作)、万治二年刊『堪忍記』(浅井了意作)、同『女仁義物語』(作者不詳)、万治三年刊『智恵鑑』(橘軒散人作)、万治四年刊『女郎花物語』(作者不詳)、寛文九年(一六五九)刊『賢女物語』†(芳菊軒某母満作)、延宝三年(一六七五)刊『女五経』†(小亀益英作)、延宝九年刊『名女情比(なさけくらべ)』(作者未詳)、宝永六年(一七〇九)・正徳二年(一七一二)刊『比売鑑』†(中村タ斎作)等に軒並み引用されたほか、本書の編集形式を模した寛文元年刊『本朝女鑑』†(浅井了意作)や寛文八年刊『本朝列女伝』†(黒沢弘忠作)やその改編版なども刊行され、江戸前期〜後期の女訓書や女子用往来に多大な影響を及ぼした。〔小泉〕
◆りゅうしゅんじょう [3640]
柳春帖‖【作者】大谷永庵書。長泰序。大路延貞(黙斎)跋。【年代】明和八年(一七七一)書。寛政五年(一七九三)序(跋)・刊。[京都]大路治郎右衛門(長松堂)板。【分類】社会科。【概要】特大本一冊。『和漢朗詠集』中の漢詩文と和歌を各三一首ずつ抜粋した大字・三〜四行・無点の散らし書き手本。永庵七四歳の書で、序文によれば、本書と併せて『鶏秋帖』なる手本を刊行したという。書名は冒頭の漢詩文「柳無気力条先動…」と冒頭の和歌「春たつといふばかりにやみよしのゝ…」の頭字をとって付けたもので、『鶏秋帖』も同様に『和漢朗詠集』中の詩歌を綴った手本であろう。〔小泉〕
◆りょうがなてほん [3641]
〈新刊〉両仮名手本‖【作者】不明。【年代】万治以前刊。[京都]本屋甚左衛門板。【分類】語彙科。【概要】大本二巻二冊。現存本は上巻(板元名を上巻に記す)のみだが、これが享保三年(一七一八)刊『童子節用字尽往来』†の前半部に相当するため、本書下巻は『童子節用字尽往来』後半部と同様であったと推定される。上巻は消息用語などの日常語を主とするイロハ引き語彙集であり、「い」項の「一荷・一束・一言」から「す」項の「相撲・硯・墨」までの合計七一四語(句)を収録する。大字・四行で記し、語彙のほとんどに両点(両仮名)を付す。二重丸の見出し語から収録語彙の字配りまで『両点字尽(両仮名雑字尽)』†と酷似しており、一方が他方の要約版あるいは増補版であることは明らかである。本書の方が収録語彙が圧倒的に少ないこと、また、板元の活動期間などからして、本書が『両点字尽』に先行する可能性が高い。〔小泉〕
◆りょうてんじづくし [3642]
〈新刊〉両点字尽‖【作者】不明。【年代】万治二年(一六五九)刊。[江戸]松会板。また別に[京都]水田甚左衛門板(江戸前期刊)、[江戸]本問屋板(寛文七年(一六六七)板)等あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈江戸〉両点字尽』『両仮名雑字尽』『童子節用集』。大本二巻二冊。書簡用語や当時の日常語をイロハ順に配列し、大字・四行・付訓(両点)で記した手本。上巻にイ〜ク、下巻にヤ〜スの各部を収録する。収録語には「左之右之(ともかくも)」「一二(つまびらか)」「右流左死(うるさし)」などの世話字や、「申度候」「口惜存候」「公事辺之儀」「軽微之至」「恐惶謹言」などの書簡用語も少なくない。書名に「両点」または「両仮名」とあるのは、ほとんどの語句の左右に音訓を付すためで、例えば、イ部冒頭の「慇懃」には右側に「いんぎん」、左側に「ねんごろ」と付記する。また「論語〈本也〉」「平愈〈病〉」のように、ごく稀に用法や語意についての注記も付す。また、下巻末には「一荷・一貫・一束・一畳」などの数量呼称と「百」「千」「万」で始まる数語を載せる。なお、『両仮名手本』†は本書の母胎になった往来物と考えられる。〔小泉〕
◇りょうてんしょうそくおうらい [3643]
〈改正増字〉両点消息往来‖【作者】吉田庸徳作。内田晋斎書。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]若林喜兵衛(玉養堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈改正増字〉消息往来〈両点附〉』『両点消息』。中本一冊。近世期流布本『累語文章往来(消息往来)』†の明治期改編版の一つ。「凡、消息・翰墨者、通音信・声息・贈答・安否、近所・遠国・各地・比鄰・辺境・郷里…」で始まる本文の両側に音訓を付す両点形式で綴る(本文は大字・五行・付訓)。書状の別称、一二月異名(時候の言葉)、相手の尊称や安否に関する語句、官位や公務、年月日、その他の消息用語を列挙する。頭書に日用漢語をイロハ順に並べた「〈文章類語〉略解」を掲げる。〔小泉〕
◆りょうてんしょうそくおうらい [3644]
〈増字〉両点消息往来‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[東京]若林喜兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「増字(ましじ)消息往来」「続消息往来」「消息往来講釈」を合綴した往来。『大全消息往来』†と似るが、冒頭が「増消息往来」であること、また、「増字」と「続」の二編が両点形式(語句の左右に音訓の読み仮名を付す)になっているのが特徴。最後の「講釈」は基本的に「増字消息往来」の注釈だが、一部「増字」の本文に含まれない語句を掲げて割注を施す。本文を大字・五〜六行・付訓(両点)で記す。〔小泉〕
◆りょうてんはやじびき [3645]
〈漢語〉両点早字引〈用文章・東京図〉‖【作者】稲葉永孝作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]福宮源次郎板。また別に[東京]矢島徳太郎蔵板、福田嘉三郎ほか売出(後印)あり。【分類】語彙科・消息科。【概要】異称『〈漢語〉両点早字引〈附〉用文章』。中本一冊。書名の『早字引』は頭書のイロハ引き漢語集を指し、本文は消息文例と諸証文例を載せた用文章から成る。消息文例は「年始之文」〜「悔弔の文」の一一通、諸証文例は「金円借用証」〜「離縁状」の一〇通で、その間に明治五〜六年の「出訴期限及規則」、さらに頭書末尾に「出産届」以下六例の届書類を載せる。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に銅版・多色刷りの「改正東京区分御絵図」と「改正東京区分町鑑」を掲げる。〔小泉〕
◇りょうてんはやじびき [3646]
〈増補伊呂波分〉両点早字引‖【作者】不明。【年代】安政四年(一八五七)刊。[江戸]松坂屋金之助板。【分類】語彙科。【概要】中本二巻合一冊。語彙を中心とする『〈増補伊呂波分〉両点早字引』と『〈書用辨明〉手紙案文集(書用筆林宝鑑)』の二本を合綴した往来。前者は『七ッいろは』†とイロハ引きの日用語集を合わせたような内容で、まずイロハ毎に同音の漢字七字を掲げ、さらに第一音が同じになる二字熟語二四語を「両点」形式(漢字の左右に音訓を付す)で列挙したもの。頭書に「消息往来」「商売往来」「偏冠構字尽」「男女名頭相性文字」を載せる。後者は、上段に「毎月時候之書様」「用文章(年始状〜悔之状の二二通)」「手形案文集(御関所通切手之事〜りゑん状の一二例)」、下段に『消息往来講釈』(『大全消息往来』†所収)を模倣した日用語集である「〈四民要用〉熟字尽講釈」を掲げ、末尾に「小野篁歌字尽」を付す。〔小泉〕
◇りょうてんはやじびき [3646-2]
〈増補改正〉両点早字引‖【作者】不明。【年代】安政四年(一八五七)刊。[江戸]松坂屋金之助板(慶応元年(一八六五)再刊)。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。語彙および消息・証文類文例を集めた往来。本文前半部上段にイロハ分けした語彙集「両点早字引」と、『消息往来講釈』を模した日用語集「〈四民要用〉熟字尽講釈」を掲げる。前者は、まずイロハ毎に平仮名・片仮名とともに同音の漢字数語を白抜きにした見出しを各丁の最上部に横一段で掲げ、さらに、「音信・威光・隠居・意趣…」のように第一音が同じ二字熟語を一行四語、六行合計二四語ずつ大字で列記して各語の左右に音訓(両点)を施したもの。後者は、嘉永(一八四八〜五四)頃刊『〈四民要用〉熟字尽講釈(初編)』†と同内容である。また、本文中程に、武具の名称や数量呼称を集めた「武具器財数量書法大全」と、その頭書に「書札法式之事」を載せる。さらに後半部に、「年始状」以下二二通の消息例文と「差上申一札之事」以下一二通の証文類文例、頭書に「書状端作之事」「吉書始」「七夕詩歌尽」「色紙・短冊定法之事」「朝廷の事」「北面侍の事」「盗賊を白波といふ事」「折檻の事」「馬鹿と書事」「御改正服忌令の事」「学者言葉尽」「苗字づくし」等の記事を掲げる。以上のほか前付「書法門」に「永字八法乃口伝略」「婚礼結納目録書様・同受取」「いろは訳文」「八体之事」「六書之事」「天竺国之文字」「朝鮮国之文字」「漢字に用る手法」「韃靼国の文字事」「阿蘭陀文字」などを集め、巻末に「名乗字」「手紙書やう」を収録する。幕末刊行の語彙集としてはかなり浩瀚なものである。〔小泉〕
◆りょうてんはやびききょうくんいろはうた [3647]
両点早引教訓伊呂波歌‖【作者】不明。【年代】弘化三年(一八四六)頃刊。[江戸]大野松花堂板。【分類】教訓科。【概要】異称『両点早引教訓いろは歌』。中本二巻合一冊。両巻でわずか四丁の小冊子。表紙の刷外題には「ふたつにしるし、いそぎのまにあい、おしえをしゆる、ひらかなそとし」と左訓を施す。半丁を上下二段・八行に分かち、各行上段に「七ッいろは」、下段に「伊呂波歌(イロハ教訓歌)」を掲げる。「七ッいろは」は、流布本と同様で、イロハ毎に同音の漢字七字を掲げ、両点を施す。それに続けて、平仮名を見出風にあげて、イロハで始まる教訓歌(例えば冒頭には「い・往古(いにしえ)の聖(ひじり)のをしへ、そむくなよ、忠孝貞のみちをまもりて」とある)を各一首ずつ載せる。上巻に「い」から「う」まで、下巻に「ゐ」から「京」までを収録する。刷外題の表紙には、難読語、人物略伝、その他の教訓などを掲げる。なお謙堂文庫本には、弘化三年刊『町々いろは分独案内』ほかを合綴する。〔小泉〕
◆りょうどうおうらい [3648]
両道往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】異称『上下往来』。大本一冊。『中仙道春の登路』と『東街道夏の大路』から成る往来。前半『登路』は、「東なる、都のそらのはつ長閑、かすむ板橋ふみこへて…」で始まる七五調の文章で江戸・板橋から京都までの中仙道の順路と各地の趣を述べる。「戸田の鴬」が鳴き、「浦和の梅」が咲く頃に出発し、「花のにしきの盛」りの頃に京都に到着するという具合に表題の季節を考慮する点や、宿駅間の距離を細字で注記する点が特徴。逆に、後半『大路』は、「花の色に、そめし袂のおしけれと、けふや都に衣かへ…」と起筆して衣更の季節に京を出発して東海道を行き、夏に品川・江戸に至るコースを紹介する。本文を大字・約八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆りょうやくしつけがた/よきくすりのおしえかた [3649]
良薬躾方‖【作者】雪石道人作。歌川国麿画。【年代】嘉永四年(一八五一)序・刊。[信州か]蓬莱堂蔵板。[江戸]菊屋幸三郎売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。食礼を主とする礼法・婚礼全般を概説した往来物。前半は「喰方之次第、膳に向ひ様之事」以下六五カ条で食礼および給仕方作法を述べ、後半「当時婚礼略式」は床飾り・祝言膳部・色直し等について記す。また巻末に、「斉家丸」「修身丸」「六親和合丸」「放党丸」「富貴丸」と題した修身・斉家・家内和合・貧富等の平易な教訓を載せる。本文を小字・一四行・付訓で綴り、本文中に挿絵数葉を挟む。なお、本書の宣伝のために出版された安政二年(一八五五)刊『きさらきつみ草』†によれば、本書は嘉永四年初刊、同七年再刊で、価格は「銀一匁」であった。〔小泉〕
◆りょうよみじつごきょう [3650]
〈註釈絵入〉両読実語教‖【作者】不明。【年代】文化五年(一八〇八)刊。[京都]須原屋平左衛門ほか板。また別に[江戸]須原屋茂兵衛ほか板(文化一〇年板)あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。題簽角書に「註釈絵入」と記すが、『実語教・童子教』†各句の施注ではなく挿絵とともに本文の大意を示す文章を掲げたもの。まず二教本文を行書・大字・七行・無訓で記し、その所々に本文大意と見開きの挿絵(「実語教」一葉、「童子教」四葉)を載せ、末尾に楷書・小字・九行・付訓の本文を再録する。この本文読法と無訓本文は丸付き平仮名で対照させやすいように工夫する。見返に「十二支之図」「九九之次第」「片仮名伊呂波」を掲げる。〔小泉〕
◆りょこうおうらい [3651]
閭巷往来‖【作者】不明。【年代】文政(一八一八〜一八三〇)頃書。【分類】産業科。【概要】特大本一冊。農民の支配や指導にあたる村役人の任務・心得と農村経営について記した手本。まず「夫、治国平天下、万民之快楽、寔もつて不可過此御代候…」と国家安泰の恩恵を讃え、続いて、農村支配の組織・役人、年貢や助郷等の夫役、街道および農村諸施設の整備、普請関連、田畑・山林の管理、新田開発、水旱、検地、村役人・五人組、上意通達・法令遵守、宗門改め、賞罰・禁制・防犯、人相書き(身体各部の名称)、公民としての義務、農民生活心得などを述べる。本文を大字・四行・稀に付訓(後人の書き込みか)で記す。後半部に「用文章」「国尽かな文」等を合綴する(大字・二〜五行・無訓)。〔小泉〕
◆りんちどうしょさつならびにしいか [3652]
臨池堂書札〈並詩歌〉‖【作者】鈴木正真(儀右衛門・臨池堂)書。横山元義跋。【年代】享保一五年(一七三〇)刊。[京都]銭屋庄兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】特大本一冊。臨池堂鈴木正真の手本。前半に消息文(各丁とも見開きで一通)合計三八通、後半に詩歌各五編(合計一〇編)を載せる。収録書状は、昨日の訪問時のもてなしの不十分さを詫びる手紙から始まり、酒宴の招待状、茶会の礼状、漢和聯句の会出席通知状、婚礼引出物に対する礼状、祈祷仲介を果たした手紙など諸用件の手紙が中心で、加茂競馬見物など季節の行事に関する書状も含む。巻末の詩歌は『和漢朗詠集』からの抜粋である。いずれも大字・三〜四行・無訓で記す。また、本書の改編版『臨池堂書翰〈並詩歌〉』(鈴木正慶書)が安永二年(一七七三)に刊行された。〔小泉〕





◆るいごぶんしょうおうらい [3653]
〈新板増補〉累語文章往来‖【作者】不明。【年代】安永七年(一七七八)刊。[江戸]鶴屋喜右衛門(仙鶴堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈寛政再版・消息〉累語文章往来』『〈文化再版・文章類語〉消息往来』『新撰累語消息往来』『消息往来』『増字消息往来』。中本一冊。寛政四年再板本の題簽に「四民日用の書状・書札・手紙などの文法上下のことばを集め、不断すゞりのかたはらにありて甚調法になるべき小冊なり」と記すように、消息に多用される語句を書き連ねた往来。「凡、消息者、一筆・一翰・一札、啓上・啓達、任筆而、染筆致、令、仕、貴札・貴翰・御状拝見・拝誦・披閲・披見・一覧、尊書、公方様倍御機嫌能、勇健殿様書也…」と手紙の冒頭語(端作)から書き始め、尊卑別あるいは季節別・状況別の書簡用語、また、書止・脇付、さらに返状の端作や安否問答の文言、用件・他出・饗応、時日・慶事・人倫・栄華・出産・贈答、商取引・旅行・運送・社交にまつわる語彙、時候の言葉、基本的な書簡作法等を記して、「…有増書状要用者、如斯与心得也。穴賢」と結ぶ。安永板は本文を大字・六行・付訓で記す。本書は間もなく高井蘭山によって改編され、寛政五年(一七九三)に『〈文章法則〉消息往来』†の書名で出版されたが、以後、『〈文章法則〉消息往来』が主流となった。本往来は、鎌倉時代前期成立の『消息詞』†の系譜上に位置し、近世以後は、貞享(一六八四〜八八)頃刊『百候往来』†頃から書翰用語を書状中に列記する形式が生まれ、享保一七年(一七三二)、細井広沢作『〈広沢先生〉消息往来』†によって一通の書状形式となり、さらに安永板の本書が橋渡しの役を演じて寛政五年刊『消息往来』へと連なり、近世後期に夥しく流布したと考えられる。初板の安永板は、巻頭に「鄭全福・梅福の図」、頭書に「催促かはなの遅参の春の雨、所存の外に梅やちるらむ…」で始まる書翰用語集「文章連歌」や、「偏傍冠履」「七夕歌づくし」「近代年号記」等の記事を掲げる。また、本書を若干改訂した『消息千字文』†が文政三年(一八二〇)に刊行されている。〔小泉〕
◇るいじかん [3654]
類字鑒‖【作者】長友松軒書。中尾某跋。【年代】明和八年(一七七一)刊。[大阪]上田弥兵衛板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。穀物や野菜・山菜・草花・海草・魚介・昆虫・動物・果実・樹木・鳥類の順に合計八一○語の語句を列挙した手本。行書・大字・四行・無訓で記した後、末尾に楷書・小字・七行・付訓(ごく稀に割注や左訓)の本文を再録する。末尾に「八景文章」と門人・中尾氏の跋文の合計一三丁を付すが、この部分は、本書改題本である寛政三年(一七九一)刊『商売用字尽』†以後は削除された。〔小泉〕
◆るいようじづくし [3655]
累用字尽‖【作者】不明。【年代】明暦(一六五五〜五八)頃刊。[京都]山本長兵衛板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。「諸道具之事」「万着類之事」「万魚類之名〈并貝づくし〉」「万鳥之名之事」「万獣之名の事」「万木之名づくし」「万花之名づくし」「八百屋物づくし」「万虫の名づくし」の九分類の日常語集。語彙を大字・五行・付訓(ほとんど両点)で記し、諸道具等には数量呼称も付記し、適宜、同音異字を示す。また、巻末に「篇尽并冠」を掲げる。本書は江戸前期の語彙科往来中最も早いものの一つで、後続の『童学万用字尽』†に少なからぬ影響を及ぼした。〔小泉〕
◆るにんしゃめんじょう・よりともしぎょうじょう/よりともせぎょうじょう [3656]
流人赦免状・頼朝施行状‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。『流人赦免状』と『頼朝施行状』から成る古状単編型往来。『流人赦免状』は、治承元年(一一七七)の鹿ヶ谷事件によって鬼界ヶ島に流された藤原成経と平康頼の帰国を許した治承三年七月の古状。また『頼朝施行状』は、内題に『頼朝高倉之宮之令旨国々之源氏等被施行状』とあるように、源頼朝が平家打倒の挙兵を全国の源氏に命じた治承四年五月の古状で、いずれも大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕





◆れきじおうらい [3657]
礫字往来‖【作者】巻菱湖書。【年代】万延元年(一八六〇)頃書。【分類】語彙科。【概要】大判の折本二巻二帖。「御手簡致薫誦候…」で始まり、「…此外文字多候侭、一、二を記し差上申候。以上」で終わる全文一通の手紙文中に、幕府行政・司法や社会生活に関わる語彙を盛り込んだ往来。まず諸司代・城下や諸国関所、その他諸役人の名をあげ、続いて公事・訴訟など役所・公辺の公文書用語を基本に、他の日用語や書簡用語も織り混ぜながら列挙する。内容からすれば社会科往来とも見なせる。本文を大字・二行(一折四行)・無訓で記す。現存の完本は謙堂文庫本のみ。また、本書上巻の前半部のみの抄録本『行書礫字往来』†(中沢雪城書)が明治初年に刊行されている。なお、『江戸出版書目』に見える岩崎氏作・明和二年(一七六五)刊『万用字画礫往来』(野田久兵衛板)は現存しないが、本書と関連があるか。〔小泉〕
◇れきしせんもん [3658]
歴史千文‖【作者】香川敬一(敏・貫斎)作・序。【年代】明治五年(一八七二)序。明治一四年刊。[大阪]中野啓蔵(桑林堂)蔵板。[東京]和泉屋市兵衛(山中市兵衛・甘泉堂)売出。【分類】歴史科。【概要】中本一冊。中国の歴史を綴った異色の『千字文』型教科書。「乾坤剖判、宇宙廓開、神農教耕、伏羲画卦…」と書き始め、中国古代の三皇(伏羲・神農・黄帝の三天子)五帝(中国伝説上の五聖君)の時代から明の滅亡までの治乱興亡の歴史を、主要王朝・諸皇帝の故事を中心に記す。末尾で、明滅亡後の中国情勢を「火輪(汽船)回漕、電線交際、府港繁昌、邦域静治」と表現し、また歴史の教訓に学べと諭す。本文を楷書・大字・四行・付訓(字音)で記し、各漢字の左側に楷書の表記を小字で添える。〔小泉〕
◆れきじつおうらい [3659]
〈坂昇平著〉暦日往来‖【作者】坂昇平(坂棧平・松濤軒)作。しげ子序。【年代】明治八年(一八七五)刊。[駿河]坂昇平(松濤軒)蔵板。[東京]大和屋喜兵衛ほか売出。【分類】理数科。【概要】異称『〈官許〉暦日往来』。半紙本一冊。一年や四季、季節の変化など暦のあらましをほぼ七五調の文章で綴った往来。まず、一年の長さや閏年、四季、二十四節、月の大小、太陰暦と太陽暦の相違等について述べ、続いて二十四節毎に日の出・日の入りの時刻や農事、季節の産物、風物などを詳述し、最後に一年の生計を熟慮すること、備荒を心掛けること、寸暇を惜しんで学ぶこと、富国強兵は人民の粒々辛苦に基づくことなどを諭す。「夫此暦日往来は、先(まず)一とせの季節より、時刻の長短寒暖の、気候の概略(あらまし)を示すなり、抑(そもそも)太陽といふものは、三百六十五昼夜と、五時四十八分五十秒にて、我棲世界を周回すれば…」と起筆する本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆れきじつちゅうかい [3660]
暦日註解‖【作者】松亭金水作・序。【年代】天保(一八三〇〜四四)以降刊。[江戸]丁子屋平兵衛板。【分類】理数科。【概要】中本一冊。『大雑書』等に見られる暦占関係の主要記事を集めた童蒙用絵入り解説書。「暦上中下三段の解、或は鬼門・金神の図説、その余暦に記さゞる日取の吉凶・善悪」等を平易に諭す。このうち「年中養生食物禁忌」は、「正月七日に男は小豆七粒、女は一四粒飲めば晩年まで無病息災である」といった四季食物の善悪である。本文を小字・一五行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆れきだいか [3661]
〈小学諳誦〉歴代謌‖【作者】佐藤春治作。小中村清矩(金四郎・金右衛門・陽春廬・東洲)校。福羽美静序。【年代】明治一五年(一八八二)序・刊。[東京]佐藤春治蔵板。牧野善兵衛売出。【分類】歴史科。【概要】異称『小学諳誦歴代謌』『小学暗誦歴代歌』。半紙本一冊。「抑、天照太神ハ、皇統無窮ノ御初メ、二代ハ正哉吾勝勝、速日天忍穂耳、尊(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)ト申ス三代ハ…」で始まる七五調の文章で、日本神話の神々や神武天皇から明治天皇までの歴代天皇とその事跡、また各時代の代表的な事件などを記した教科書。古代より明治一二年頃までの歴史のうち、特に明治維新後に重点を置き、最後に「…サテ又公私ノ学校ヲ、諸所ニ設テ学バシメ、官ニ人材登用シ、自由ノ権ヲ許サレテ、庶民職業勉励ス、斯ル文明開化ノ世ニ、生レアフコソ嬉カリケレ」と結ぶ。本文を楷書・小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◆れきだいていごうじょう [3662]
歴代帝号帖‖【作者】中根穆(半嶺・仙嶺)書(本文)。小川頤(観斎)書(再録本文)。小野湖山(長愿)序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[越後高田]小方長吉(精良堂)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『歴代帝号』。大本一冊。「神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元…」から「…後桃園・光格・仁孝・孝明・今上(明治)」までの歴代天皇の称号を認めた手本。半丁に楷書・大字・二行・無訓で記し、巻末に小字・八行・付訓の本文を再録する。〔小泉〕
◆れきだいていごうもんどう [3663]
〈家原政記著〉歴代帝号問答‖【作者】家原政記作。塩津貫一郎校。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]辻本九兵衛(尚古堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈学校必用〉帝号問答』。半紙本一冊。「問、神代ト称スル神ハ幾柱ナルヤ」「答、二十二柱ナリ」の如き一問一答形式で、神代二二神や明治天皇までの歴代天皇名などを説いた教科書。類書がいくつかあるが本書が最初か。本文を楷書・小字・一一行・無訓で記す。〔小泉〕
◆れきだいていごうもんどう [3664]
〈改正・北川半蔵著〉歴代帝号問答‖【作者】北川半蔵作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[京都]菊屋七郎兵衛(今井七郎兵衛)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈改正〉帝号問答』。半紙本一冊。前掲、明治九年板の模倣と思われ、神代二二神や歴代一二二代人皇(天皇)の称号、また各天皇の父君、北方(北朝)五代、女帝(一一人)、重祚等について一問一答形式で綴った教科書。本文はやや小字・一二行・無訓を基本とするが、歴代天皇一覧は大字・六行で記す。なお、見返に「帝号ヲ問答ニ記スルノ書、陸続世ニ刊行ス。然レトモ間々誤謬少ナカラス。故ニ今、文部省刊行『日本略史』ニ拠リ、且ツ数書ニ徴シ其確明ヲ択ヒ、此書ヲ編述シ、聊、小学生徒ノ便ニ供ス」と記すことからも既に類書が多数板行されていた状況が窺われる。〔小泉〕
◆れきだいねんごう [3665]
歴代年号‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[京都]京都府蔵板。村上勘兵衛売出。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。大化から明治までの元号を列記した手本。本文を楷書・大字・五行(一行に二、三の元号)・無訓で記し、それぞれの年数を小書きする。他の類書にも見られる村上板特有の色刷り紋様を表紙に刷り込む。〔小泉〕
◆れきだいねんごうもんどう [3666]
〈家原政記著〉歴代年号問答‖【作者】家原政記(政紀)作。塩津貫一郎校。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]辻本九兵衛(尚古堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈学校必用〉年号問答』。半紙本一冊。「問、始テ年号ヲ建ラレシハ何帝ナルヤ」「答、人皇三十六代孝徳天皇ナリ」のような一問一答形式で、大化から明治に及ぶ歴代天皇名と在位期間、改元の年や元号などを列記した教科書。問答本文を小字・一二行・無訓で記すが、前半部に明治までの元号を大字・六行・無訓の一覧で掲げる。〔小泉〕
◆れんぎょくようぶんしょうたいせい [3667]
〈万家□用〉連玉用文章大成‖【作者】長友松軒書。【年代】江戸後期刊。[大阪]河内屋太助板。【分類】消息科。【概要】異称『再板用文章指南』。大本一冊。『連玉用文筆法蔵』†の改題本。題簽題を改めたほかは『連玉用文筆法蔵』に同じ。〔小泉〕
◇れんぎょくようぶんひっぽうぞう [3668]
〈御家直弟・玄海堂書〉連玉用文筆法蔵‖【作者】長友松軒(信治・武左衛門・友松・玄海堂・東海散士)書。【年代】明和六年(一七六九)刊。[大阪]秋田屋市兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家御門人・長先生筆跡〉連玉用文筆法蔵』『再板用文章指南』。大本一冊。本書の改題本に『連玉用文章大成』†あり。宝暦一三年(一七六三)刊『新編書札指南』†に「披露状」部および「手形請状」部の二部を追加した増補版。消息文例は五部に分かれ、「披露状」部は「窺御機嫌披露文言」以下六通、「十二月章」部は「年始に遣す状」以下二六通、「雑用章」は「未逢方え遣状」など三四通、「賀章」部は「婚礼に遣す状」など二五通の合計九一通と、さらに「手形請状」部に「預り銀子手形案紙」以下一三例の証文類文例を載せる。途中、御所の様子を文字鎖で綴った「手まり歌文字ぐさり」と題した一文を挟む。本文を大字・五行(証文類は六行)・所々付訓で記す。巻頭に「菅原道真故事」「蘭亭」「隅田川八景」「偏傍冠履」「空海故事」「趙子昴故事」「小野道風故事」「蘇東坡故事」「米元章故事」「張融故事」「蒼頡故事絵抄」「書の十躰の事」「近江八景」「和俗製作字」「伊勢斎宮の忌詞」等を掲げ、頭書にも用文章本文の言い替え表現(上中下の尊卑の別も示す)を始め、「陰陽の義理万端心得の事」「手習執行の事」「大坂独案内」「文章連歌」「西三条殿逍遙院御作源氏文字久佐里」「問屋往来」「洛陽文章」「隅田川詣」「東山泉涌寺八景」「武州州学十二景」「住吉八景」「諸職家名尽」など特色ある記事を満載する。なお、『大万宝節用集字海大成』に本書の「披露状」部と「手形請状」部を増補した『大万宝字林大成』が文化一一年(一八一四)に大阪・河内屋長兵衛によって刊行されている。〔小泉〕
◆れんちどうしゅかん [3669]
蓮池堂手翰‖【作者】蓮池堂文盟書。【年代】文政七年(一八二四)刊。[江戸]西村祐蔵板。【分類】消息科。【概要】折本一帖。名物の土産を頂いた礼状、家老衆招請につき象戯盤(将棋盤)その他諸道具借用を願う手紙、楊弓の会を延期する旨を伝える手紙、入木道について述べた手紙など九通の書状と詩歌五編を綴った折手本。各頁に大字・一行(一行約六字)・無訓で記す。〔小泉〕





◆ろうにんじょう [3670]
牢人状‖【作者】不明。【年代】写本は寛永三年(一六二六)書。刊本は慶安三年(一六五〇)刊。[京都]西村又左衛門板。また別に[江戸]本問屋板(江戸前期板)等あり。【分類】教訓科。【概要】異称『牢人帖』『浪人往来』『牢人之申状』。大本一冊。牢人が書いた教訓状、すなわち藤原定朝が左衛門尉に宛てた書状に見立てて綴った古状単編形式の往来。牢人が困窮しきった有様を記し、それというのも、身の修養を怠って忠孝に励まず、戦場で名を挙げる活躍をしなかったなど「過去の罪業」によるものであるから、これからは心を入れ替えて来世の菩提を祈るようにと諭す。刊本の最古本は慶安三年板で、万治二年(一六五九)・ゑびすや市兵衛板、延宝四年(一六七六)・安田十兵衛板、延宝八年以前・松会市郎兵衛板、江戸前期・本問屋板、宝永四年・仙台板等が知られるが、これら刊本に先立つ、常州真野・池田喜太夫の寛永三年閏四月筆写本(横山重旧蔵)もあるという。江戸前期刊本は本文を概ね大字・五行・付訓で記す。〔石川〕
◆ろくあみだもうで [3671]
〈新撰〉六阿弥陀詣〈如来御伝記〉‖【作者】不明。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[江戸]西村屋与八(永寿堂)板。また別に[江戸]山田屋佐助板あり。【分類】地理科。【概要】異称『六阿弥陀詣〈同御縁起略記・阿弥陀如来御伝記〉』『巡拝記』『〈春秋〉六阿弥陀詣』。中本一冊。「兼而契約申候ごとく、此程彼岸桜も花にあらはれ、野辺も青みわたり、人の心も晴やかなるに…」で始まる全文一通の仮名文で、一番・真言宗長福寺(豊嶋郡沼田村)、二番・禅宗応味寺(足立郡元木村)、三番・真言宗無量寺(豊嶋郡西ヶ原)、四番・真言宗与楽寺(豊嶋郡田畑村)、五番・天台宗常楽院(豊嶋郡下谷)、六番・禅宗常光寺(葛飾郡亀戸村)の江戸六阿弥陀を紹介した往来。参詣路に沿って名所旧跡を順々に記し、夕暮れに家路を急ぎ、「…これにて春秋一日に楽みを極べく候。かしく」と結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。また、所々に掲げた六阿弥陀の見開き鳥瞰図は、近世後期に流行した『名所図会』の影響が濃厚である。頭書に「六阿弥陀伝記」「阿弥陀如来御縁起」「江戸九品仏順礼所」を掲げる。〔小泉〕
◆ろくしゃもうで [3672]
〈武蔵府中〉六社詣‖【作者】滕耕徳作。【年代】寛政七年(一七九五)頃刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『府中六所詣』。中本一冊。江戸・四谷より武蔵国北多摩郡(東京都府中市)・府中六所神社に至る沿道の名所旧跡・神社仏閣と同社の景趣・縁起等を記した往来。「頃日(このごろ)者、空も定り日も延やかに、花鳥の色香見るに聞に心を誘引(いざなわ)れ候…」で始まる手紙文で、常円寺・淀橋の水車・宝泉寺・妙法寺・武州八幡宮など参詣路沿いの名所を紹介し、続いて、武州総社六所神社の由来・沿革・結構と故事・神事祭礼のあらましを述べ、最後に国分寺・小金井橋など周辺の名所と、真蔵秘院・千川上水・井の頭弁天・光円寺村(高円寺)・中野経由の帰路を略述する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に同社祭礼時の全景、頭書(冒頭部見開き一丁のみ)に「小金井桜名所の図」を掲げる。〔小泉〕
◆ろくだいしゅうくにづくし [3673]
〈横文字〉六大洲国尽‖【作者】橋爪貫一作・序。【年代】明治四年(一八七一)刊。[東京]近江屋岩次郎板。【分類】地理科。【概要】異称『英学六大洲』。中本二巻二冊。第一巻「亜細亜ノ部・欧羅巴ノ部」、第二巻「亜弗利加ノ部・南北米利賢ノ部』。各国の国名と首府を、漢字・ローマ字(ローマン体大文字・小文字とイタリック体小文字)の四体で表記した教科書。第一巻にはアジア二四カ国とヨーロッパ二一カ国の国名(国名以外の地名を含む)を、第二巻にはアフリカ三四カ国、オセアニア一九カ国、南アメリカ二二カ国、北アメリカ二三カ国の国名をそれぞれ掲げる。各巻に色刷りの折込地図(英語版)を付す。〔小泉〕
◇ろくろくぶんしょう [3674]
六々文章‖【作者】鈴木正真(臨池堂)書。坂甫澄跋。【年代】宝永七年(一七一〇)書。寛延二年(一七四九)刊。[京都]大和屋伊兵衛(明誠堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『六々文章〈並詩歌〉』。特大本一冊。「万天下静謐珍重々々…」で始まる集会開催要望の手紙以下、月次会、継目祝宴、参詣、謡講、楊弓の会、蹴鞠の会、十桃=A詩歌の会、普請出来祝宴など各種行事に伴う案内状、出席通知状、料理方・準備方に関する書状など合計三六通を収録した手本。いずれも見開き一丁につき一通ずつ、半丁に大字・三行・無訓で記す。巻末に『和漢朗詠集』からの詩歌八首を綴る。また、巻末広告に『臨池堂六々詩歌』の書名が見えるが未刊か。〔小泉〕
◇☆ろしやのいろは [3675]
ろしやのいろは‖【作者】イワン・マホフ作。【年代】万延二年(一八六一)刊。[函館]刊行者不明(常木重吉か)。【分類】語彙科。【概要】異称『ルスカヤアズブカ・ロシアノイロハ』。半紙本一冊。安政五年(一八五八)九月に来日したロシア人宣教師(函館領事館司祭)であるイワン・マホフによって編まれた日本最初のロシア語入門書。イワン・マホフが自費を投じて、函館在住の板木師・常木重吉に板木を彫らせ、函館でわずか五〇〇部の印行であったという。ロシア語と日本語を対応させながら、アルファベットや数字、記号、基本単語・短句を掲げる。扉中に「ヲロシヤノ。サムライハ。ニツポンノ。コドモ。ミナニ。シンモツ。ロシヤノ。イロハ」とあり、匡郭の四隅に「万・延・二・年」と記す。〔小泉〕
◆ろせいおうらい [3676]
芦政往来‖【作者】中井履軒(積徳・幽人)作か。大庭発(松栞)跋。【年代】寛延(一七四八〜五一)頃作か。慶応四年(一八六八)書。【分類】地理科。【概要】大本二巻二冊。「一筆啓上、公方様、大納言様、益御機嫌能被成御座…」で始まる全編一通の披露状形式で、大坂の治安や物産について記した往来。上巻に大坂城代・政治組織・治安状況・商取引の情勢、下巻に各町の生活・産物・商売・遊楽の様子などを記す。まず城内静謐や市中繁栄を讚えて、犯罪・事件の取締、裁判・処罰等に関する語句を掲げ、以下、組織・諸役人、諸手続き・関係書類、治安の実際など詳細に記す。続いて下巻に、社会・風俗・諸職・諸商売・防火防災・宗旨改め、また、家族・血縁等の人倫、身体各部の名称、妙薬・養生、衣類等の語彙を列挙する。全体として、政治組織や治安、また社会生活に重点を置くのが特徴。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
★ろんふどうしょ [3676-2]
論婦道書‖【作者】落合東堤(直養・季剛・守拙亭)作。【年代】文政九年(一八二六)作。文久三年(一八六三)書。【分類】女子用。【概要】大本一冊。私塾「守拙亭」で子弟教育に尽力した秋田の漢学者・落合東堤が石橋貞克の求めに応じて表した女子教訓書。和漢の故事などを引きながら、婦道の大義、五倫の道、従順・貞、父母の孝養などを説き、男女・貴賤によらずそれぞれの大義・大筋を知ることが重要であると強調する。また、『源氏物語』は寓言なるも「好色文」であって、これを好むときは「人道を取失ふて鳥獣の道に踏込む」ことになると厳しく戒め、女子の学問は『伊勢』『源氏』ではなく、『司馬温公家訓』『孝経』『論語』『列女誡』の類を読むことだと諭す。そして、「先入主となる」たとえのように、幼時からの正しい教育や厳しい躾が大切であると述べる。なお、文久三年写本は、本文を大字・七行・ほとんど無訓で記す。〔小泉〕