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◇ないこくせんじもん [2771]
内国千字文‖【作者】小崎吉郎(義大)作。栗田大三郎(泰)書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[岡崎]伊藤文造(本屋文造・環翠堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『小崎吉郎著内国千字文』。半紙本一冊。「大日本国、温故稽古、開闢元始、天御中主…」で始まる『千字文』形式の文章で、『古事記』『日本書紀』に見られる日本開闢以来の神話から文明開化の著しい近代までの日本歴史を略述したもの。神武天皇以下の歴史上の主要人物や主要事件について政治史中心に述べ、所々文化面の記述にも及ぶ。特に「我尾州産…」と信長・秀吉を贔屓した文言も見える。末尾では王政復古後の日本について「電機瞬息、蒸船飛丸、貿易昌盛…」と讃える。本文を楷書・大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ないこくめいしゅうろく [2772]
内国名輯録‖【作者】荻田長三(筱夫)作・書。【年代】明治五年(一八七二)書・刊。[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛・宝文堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『改正国尽』。半紙本一冊。『大日本国尽』と同様の往来。明治初年における畿内八道八五カ国の国名を楷書・大字・二行(一行三字)・無訓で綴る。〔小泉〕
◆ないこくりていもんどう [2773]
〈家原政紀著〉内国里程問答〈附、内国環海里程問答・外国里程問答〉‖【作者】家原政紀作。塩津貫一郎校。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]若林喜助(春風堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『〈学校必用〉内国里程問答〈附、内国環海里程問答・外国里程問答〉』。半紙本一冊。問「京都府ヨリ東京府マデハ幾許里程ナルヤ」、答「百二十八里八丁四十四間ナリ」のように一問一答形式で、日本国内や世界各国との距離を示した教科書。前半部の大半が京都府から各府県までの距離についてで、後半に東京〜大阪など海路上の距離を示す「環海里程」、日本の国土の面積や周廻(一周の距離)に関する「内国幅員」、海外主要都市との距離やその面積に関する「外国里程」「外国幅員」等の記事を載せる。本文を楷書・小字・一〇行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ないこくりていもんどう [2774]
〈改正〉内国里程問答‖【作者】水原幸次郎作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[京都]田中治兵衛ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈学校必用〉内国里程問答』。半紙本一冊。明治九年板の改訂版だが著者を異にする。本文もほとんど同様(一部簡略化)で、問「京都府ヨリ武蔵国東京府マデハ幾許里程アルヤ」、答「百二十八里余ナリ」で始まる一問一答形式になっている。本文をやや小字・八行・無訓で記す。末尾に東京〜大阪など海路上の距離を示す「環海里程」と、東京から海外主要都市までの距離を問答にした「外国里程」を載せる。〔小泉〕
◆なおえじょう [2775]
直江状‖【作者】不明。【年代】承応三年(一六五四)刊。[京都]中村五郎右衛門板。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。慶長五年(一六〇〇)四月一四日の日付で、直江兼続(重光・鉤斎)が徳川家康に宛てて上杉景勝のために気を吐いた長文の手紙を装った往来。全編一五カ条(一七カ条の異本あり)にわたって綴り、徳川を恐れず上杉家の立場を堂々と主張するのが特徴。家康の命を受けた豊光寺承兌と直江兼続との間で交わされた書状に仮託して書かれ、景勝の上洛の困難なこと、逆意のないこと、家康が讒者・堀直政等の言を用いるべきでないことなどを記す。後代の成立ながら『会津陣物語』(『改定史籍集覧』第一四冊別記類所収)には往信・返信ともに載せられ、前後の事情も詳しい。また、書中、讒者の言の是非を糺さなければ「内府様、御表裏存ずべき事」など家康をなじる言が見え、『大坂状』†『嶋原状』†と並んで幕府の禁忌や出版統制の問題を考えるうえで重要な史料である。現代の史家はもとより本状を偽書とするが、江戸時代にはこれを本物と信じて珍重する人々もおり、本書は往来物とは別に、尚古趣味の人々の間で広まったようである。なお、承応三年板は本文を大字・四行・無訓で記す。〔丹〕
◆ながおおんなねんちゅうようぶん/ながおおんなねんじゅうようぶん [2776]
長雄女年中用文‖【作者】長雄耕節(尾崎耕節)書・跋。【年代】寛政三年(一七九一)書・刊。[江戸]花屋久治郎板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。四季に伴う女子消息文を集めた陰刻手本。全一八通のうち前半一三通が四季の風景を綴った例文で、各月一通ずつ(四月のみ二通)を掲げる。また、末尾五通は訪問客に対する礼状や湯治見舞いなど諸用件の手紙である。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ながおかいしゅんじょう [2777]
長雄改春帖‖【作者】長雄東雲(数楽東雲)書。穀川敦(柳門)跋。【年代】寛政三年(一七九一)跋・刊。[江戸]大和田安右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『改春帖』。大本一冊。「改春之御慶不可有尽期御座候…」で始まる新年祝儀状以下一七通を収録した長雄流手本。武家上層に宛てた各種披露状や、知人へ宛てた「初雛祭祝儀状」「端午節句祝儀礼状」「土用見舞状」など武家生活の公私にわたる書状を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ながおかなぶんしゅう [2778]
長雄かな文集‖【作者】長雄耕雲・中村采女書。佐藤対雲校。【年代】延享三年(一七四六)書。明和二年(一七六五)刊。[江戸]奥村喜兵衛板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。江戸初期撰作と見られる『仮名教訓』†(『続群書類従』巻九四六所収)から派生した往来物の一つ。『仮名教訓』は、承応三年(一六五三)頃刊『女手本(かほよ草)』†や元禄五年(一六九二)写本『女教訓書』†を始め、江戸末期・明治初年に至るまで本文内容を少しづつ変えながら種々の改編・改題本(『西三条殿長文』†『女教補談嚢』†『嫁女教訓書』『長雄かな文集』†『女教訓岩根松』†『今川娘教訓』†『烏丸帖』†等)が編まれた。内容はいずれも大同小異で全編一通の仮名消息文中に一〇〜一一カ条の新婦の心得を綴ったもので、本書の場合、『仮名教訓』の第一条「慈悲の心」〜第一〇条「他人からの贈り物などの心得」の一〇カ条のうち、第四条「夫に対する心懸け」を前後で二カ条に分けたため、合計一一カ条となった。本文を大字・四行・無訓で綴る。〔小泉〕
◆★移動★ながおちょうかしゅう [2779]
長雄朝華集‖【作者】長雄耕雲(栢梁堂・半左衛門)書。高橋信美跋。【年代】明和四年(一七六七)跋・刊。[江戸]奥村嘉七ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。@石清水放生会・若君誕生祝詞などを題材にした短文の竪文用書簡四通、A『三十六歌仙』手本、B東叡山花見・稽古能案内などを題材とした折紙用書簡九通から成る手本。本文を大字・三〜五行・無訓で記す。『三十六歌仙』末尾に独立した形の刊記「右学両子之風儀、為童蒙之便令板行者也。高橋信美。明和四亥年正月」があり、一見単行版の寄せ集めのように見えるが、通しの丁付があるから、当初からの体裁であろう。〔母利〕
◆ながおきょうまちづくし [2779-2]
長雄京町尽〈并国尽〉‖【作者】百瀬耕元(久継・子延・南谷山人)・数楽耕想(長雄耕想・昌明・桃梁堂)書。羽富信(近義)序。【年代】寛政一〇・一一年(一七九八・九九)書。寛政一一年序・刊。[京都]蓍屋宗八ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『皇都町尽』。大本一冊。前半に寛政一〇年六月、耕元筆の「京町尽(皇都町尽)」、後半に寛政一一年三月、数楽耕想筆の「国尽」を収録した長雄流手本。うち前者は流布本『京町尽』†とは異本で、「建仁寺町・北縄手・大和大路・宮川町・伏見海道・骨屋町・大黒町・森下町・鞘町・問屋町…」と起筆して京都の町名を列挙する。いずれも本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ながおこうこうかなぶみ [2780]
長雄孝行かな文‖【作者】長雄耕節(尾崎耕節)書。羽島耕章・山岡耕英跋。【年代】寛政七年(一七九五)書・刊。[江戸]花屋久治郎(花屋久次郎)板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。孝行の大意を綴った長雄流手本。「父母孝行の事かならす金銀・衣食にてのみなすものにあらす…」と冒頭に述べ、孝行の道は志の信実が第一義であり、自らに出来る孝行を心を込めてし、己の身を正しくし親を喜ばせることが大切であると説き、これらを重視して、次に食事・衣類・金銀等はできる範囲で親に与えよと諭す。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ながおこうぶんじょう [2781]
長雄幸文帖‖【作者】滄海(竜玉)編・跋。長雄耕雲書。【年代】安永七年(一七七八)跋・刊。[江戸]奥村嘉七ほか板。また別に[江戸]前川六左衛門板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈長雄〉幸文帖』。大本一冊。公務に関する例文も含まれるが、主に士庶日用の手紙文を主とする例文を書した大字・四行・無訓の長雄流手本。冒頭に、朝鮮出仕を命じられた者からの報告書を掲げ、続いて、平産祝儀状、転居した者への手紙、昇格した者への祝儀状や歌書の拝借、尊円親王筆『庭訓往来』†の購入を促す手紙など一六通の手紙文と、四〜七月の季節の仮名文三通の合計一九通を収録する。〔小泉〕
◆ながおじくんじょう [2782]
長雄児訓帖‖【作者】徳田隣左(直章)書。【年代】天明四年(一七八四)刊。[名古屋]藤屋吉兵衛(富梁堂・沢吉兵衛)板。【分類】消息科・地理科。【概要】異称『〈長雄〉児訓帖〈并〉都往来』。大本一冊。前半に四季消息など九通を収め、後半に「都之事を御尋遊し候…」で始まる『都往来』を収録した長雄流の陰刻手本。『都往来』は、宝永四年(一七〇七)刊『わかみどり』†を始祖とし原型とするもので、洛陽見物によせて、洛中・洛外に所在する名所旧跡・神社仏閣の景趣ならびに由来・縁起等を紹介する。本文を大字・三行・無訓で記す。〔石川〕
◆ながおしょうそくしゅう [2783]
長雄消息集‖【作者】長雄耕雲書。船田耕山校。【年代】延享三年(一七四六)書。宝暦七年(一七五七)刊。[江戸]奥村喜兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。主として武家向けの消息例文を綴った長雄流の陰刻手本。本文を大字・三〜四行・無訓で記す。延享三年一一月書の前半部と同七月書の後半部に分かれる。前半部には、「参府の日時についての指示を仰ぐ披露文」や「ある茶会に参加した際の模様を伝える文」、新年状(披露文)とその返状の四通と漢詩文・和歌各一首を、また、後半部には暑中見舞状(披露文)、「献上品に対する礼状」「京都役拝命ならびに拝領品の御礼と京都到着の報告を記した手紙」など八通と詩歌二編を載せる。〔小泉〕
◆ながおしょかんしゅう [2784]
長雄書簡集‖【作者】長雄耕雲書。【年代】寛保二年(一七四二)書。明和六年(一七六九)刊。[江戸]竹川藤兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。暑中見舞い(披露状)以下、武家公私にわたる書状一三通を収録した長雄流手本。将軍からの拝領に対する礼状や挨拶状、男子誕生祝儀状、京都出向拝命状などの公用文が中心で、若干の日用書状を含む。いずれも大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
★ながおしょさつしゅうならびにつうようぶんしょう [2784-2]
長雄書札集〈并通用文章〉‖【作者】長雄東雲書。中邑東章(慶備)跋。【年代】寛政九年(一七九七)書・跋。[江戸]西村宗七板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。次項と似た手本だが別内容。武家公用向き書状(多くが披露状)を主とする合計三一通を認めた長雄流手本(陽刻)。新年祝儀の披露状から始まり、長崎異国船の状況報告、寺社御役拝領・寺領拝領・参勤交代・朝鮮通信使来聘・院中様行幸警護役等の公務に伴う書状等を収録する。途中文字の大きさや書体を変化させながら、大字・五〜六行・無訓で記す。次項の同名異本とはほとんど年代差がないため、享和元年(一八〇一)求板は、本書の大幅改訂を示すものであろうか。〔小泉〕
◆ながおしょさつしゅうならびにつうようぶんしょう [2785]
長雄書札集〈并通用文章〉‖【作者】船田耕山(雅通)書。【年代】寛政九年(一七九七)書・跋。享和元年(一八〇一)刊(求板)。[江戸]前川六左衛門ほか板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。一般の書状と仮名文から成る長雄流陰刻手本の一つ。前項の寛政九年板と類似する例文を含むが、全くの異本。前半は、公方・大納言への挨拶ならびに白蜜献上の披露文から始まる一三通で、武家公私の書状を大字・六行・無訓で綴る。また、後半は散らし書き消息七通で、「人を立て、人に随うこと」について感想を述べたものや、季節の手紙などから成る。船田耕山の作品は宝暦(一七五一〜六三)頃に集中しているため、初刊はその頃であろう。〔小泉〕
◆ながおしょさつぶんしゅう [2786]
長雄書札文集‖【作者】長雄耕雲書。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】枡形に近い大本一冊。武家公用文から日常私用文までを集めた長雄流手本。朝鮮出向者が任地での状況を報告する書状から納涼の会の案内に対する返事までの一六通と、四月〜七月頃の時候の仮名文三通の合計一九通を収録する。本文を概ね大字・四行・無訓で記す。なお、学芸大本は桝形本風に綴じられているが、この種の手本では極めて異例であり、原装のままか疑問がある。〔小泉〕
◆ながおしょさんおうらい [2787]
長雄諸産往来‖【作者】長雄耕雲書。【年代】延享三年(一七四六)書。明和八年(一七七一)刊。[江戸]奥村喜兵衛(太保堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『〈長雄〉諸産往来』。大本一冊。寛文九年(一六六九)刊『江戸往来』†本文から、「江戸城中の新年行事(末尾)」「江戸に流入する諸国産物」「江戸四方の規模・地勢等(一部)」の記事(全体の約四六%)を抄録した陰刻手本。すなわち、「誠時々節御祝儀連綿而無断絶候…」から「…武蔵野者名耳残而、有明之月も従家出而入家歟」までを大字・四行・無訓で記したもの。〔小泉〕
◆ながおしんしょうそくしゅう [2788]
長雄新消息集‖【作者】長雄耕文(数楽耕文・富利)書。【年代】明和七年(一七七〇)刊。[江戸]山崎金兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。消息例文と詩歌を認めた長雄流の陰刻手本。「新年祝儀状・同返状」「着府につき御目見の礼状」「漬物の礼状」「拝領の屋敷へ転居の通知と礼状」など武家公私の書簡一二通を収録する。本文を大字・三行・無訓で記す。末尾に『和漢朗詠集』から抜粋した四季の詩歌八編を散らし書きあるいは並べ書きで綴る。〔小泉〕
◆ながおぞくようぶんしょう [2789]
長雄俗用文章‖【作者】長雄東雲書。東楽(法道)跋。【年代】寛政一〇年(一七九九)書・跋・刊。[江戸]大和田安兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。天明八年(一七八八)刊『長雄通俗文章』†とは別内容。消息文例一四通と証文手形五通を収めた手本ならびに用文章。収録する消息文例は、「祭礼に付き客招く文」「師匠へ頼み遣す文」「旅行より帰宿知らせの文」「金談借用頼み遣す手紙」「出世に付き悦び状」など、日常の雑事に関する手紙ばかりである。また「証文手形」として「金子借用証文」「金子預り手形」「為替手形」など五通を載せる。本文を大字・四行(証文類は五行)・無訓で記す。なお、本書に四季時候の文などを増補した『長雄通俗文章』†が文化元年(一八〇四)に刊行された。〔小泉〕
◆ながおたつたもうで・きのじ [2790]
長雄竜田詣・紀の路‖【作者】長雄東雲(数楽東雲)書。川田東州跋。【年代】寛政三年(一七九一)書・跋・刊。[江戸]大和田安兵衛板。【分類】地理科。【概要】異称『長雄春日詣・紀の路』。大本一冊。長雄東雲の門下である一五歳の少女・川田東州の求めに応じて東雲が書き与えた手本を上梓した陰刻手本。前半に『竜田詣』、後半に『紀の路』を収録する。前者は流布本『竜田詣』†と同様だが、雅語を含む形容句がやや増え、特に立田山周辺の情景描写など記述の増補も目立つ。奈良・春日大社、興福寺、東大寺から立田山、法隆寺、三輪山、多武峯、吉野山、笠城山、金剛山、当麻寺から天王寺、亀井の水、雲竜堂を回り、大坂城下に一泊し、さらに八幡宮、神宮寺、女郎花の塚、山崎宝寺、水無瀬川へ到るコースで綴る。また『紀の路』は、享和年間刊『和歌浦名所文章』†とほぼ同文で、高松を出発して、鯨岩・亀岩・鶴立島・養珠寺を始めとする和歌の浦周辺の名所旧跡を観光し、黄昏の頃に西浜通りから帰る順路を紹介する。本文を大字・四行・無訓で記す。なお、寛政三年五月の跋文に「川田氏の女十五歳、東州謹書」と記す。〔小泉〕
◆ながおつうぞくぶんしょう [2791]
長雄通俗文章‖【作者】中村東雲書。【年代】天明八年(一七八八)書・刊。[江戸]大和田安右衛門板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。同一書流・同一書名だが、寛政一〇年(一七九九)書・刊『長雄俗用文章』†等とは別内容の手本。新年祝儀状と季節折々の見舞状・贈答状、寒中見舞披露状など一五通の書状と、「奉公人請状之事」「年季奉公人請状之事」「売渡申建家証文之事」の三通の証文文例を収録する。大字・四行(証文類五行)・付訓で記す(長雄流手本での付訓は稀)。現存本は題簽を欠き、柱に「俗」とある。よって、『江戸出版書目』によって標記書名を推定。〔小泉〕
◆ながおつうぞくぶんしょう [2792]
長雄通俗文章‖【作者】長雄東雲書。東楽(法道)跋。【年代】寛政一〇年(一七九九)書。文化元年(一八〇四)刊。[江戸]西村屋与八板。【分類】消息科。【概要】異称『〈長雄〉通俗文章〈并証文類・平仮名附〉』『通俗文章』。大本一冊。同一書流で同一書名の天明八年(一七八八)刊『長雄通俗文章』†とは別内容。寛政一〇年刊『長雄俗用文章』†に消息文例一六通と手形証文三通を増補した手本兼用文章。具体的には四季時候の手紙と婚礼祝儀状を増補し、全体で三〇通を収録する。本文を大字・四〜五行・付訓で記す。増補された証文類は「上方より荷物送り状」「奉公人請状」「家屋舗売渡し証文」の三通で合計八通収録。各書状に「い・ろ・は…」の丸付き文字を添え、検索の便を図ったほか主要な語句に読み仮名を付すなどの改訂を施した。〔小泉〕
◆ながおつうぞくぶんしょう [2793]
長雄通俗文章‖【作者】長雄東雲・長雄耕民(弘知)書。【年代】寛政一二年(一八〇〇)書。[江戸]大和田忠助ほか板。また別に[江戸]西村屋与八板(文化元年(一八〇四)板)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈長雄〉増補通俗文章』。大本一冊。「貴人え上る年頭状」から「貴人え目見拝領礼状」までの消息文四九通と「店請状」から「道具売渡手形」までの証文類五通を収録した長雄流手本。四季・五節句・吉凶事に伴う例文を集める。本文を大字・四〜五行・ほとんど付訓で記す。末尾に「書状上中下振合」「結納目録書」を載せる。書名・内容が酷似した手本が数種存するが、本書とほぼ同内容の手本に天保一三年(一八四二)書・刊『〈御家〉増補通俗文章』†(林泉堂書)がある。また、文化一三年板『手紙之文言』†広告中に「長雄流通俗文章、諸証文入、平がな付、長雄二代東雲先生書(中略)/同増補通俗文章、長雄東雲・長雄耕民書、平仮名付、諸証文入、文章前に異なり」と記すが、この記載によれば本書は後者である。〔小泉〕
◆ながおとうようじょう [2794]
長雄当要帖‖【作者】生柳泰星書。池上柳長跋。【年代】明和三年(一七六六)書。明和四年刊。[江戸]西村源六板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「長崎貿易品の文徴明直筆の軸物の鑑定を依頼する手紙」を始め、飛鳥山花見、時鳥(ほととぎす)の初音、別荘新築、暮秋の旅行、学問始め、菊の節句、仙台旅行など一四通の消息文と詩歌八編を綴った手本。本文を大字・三〜四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ながおねんちゅうおうらい/ながおねんじゅうおうらい [2795]
長雄年中往来‖【作者】長雄耕雲(栢梁堂)・佐藤対雲(春久・利右衛門)書。【年代】明和五年(一七六八)書・刊。[江戸]奥村喜兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。四季消息文を綴った長雄流の陰刻手本。冒頭四通が耕雲書、第五状以下が対雲の書で、概ね大字・三行(ごく一部四行)・無訓で記す。春雨の季節の手紙から『源氏物語』に関する文(散らし書き仮名文)までの二〇通を収録する。季節の風景・節句・行事にちなんだ手紙や四季贈答の手紙が主である。収録順序を変えて耕雲筆の前に対雲筆を置く版もある。〔小泉〕
◇ながおはなづくしぶんしょう [2796]
長雄花尽文章‖【作者】長雄東雲・数楽耕惣(長雄耕想)書。【年代】寛政一〇年(一七九九)序・書。寛政一一年書・刊。[京都]蓍屋宗八ほか板。【分類】社会科。【概要】異称『長雄花尽文章〈并諸札唐詩歌仙〉』。大本一冊か。寛政一〇・一一年に東雲・耕惣の二名が認めた長雄流手本。「まづ初春は東雲に、わらふ恵顔の福寿草、咲そめしより久方の、月のかつ楽の色さへて、匂ひも深き紅梅の、さぞや椿もおりをたがへず…」のような七五調の文章で四季折々を代表する草花を列記した往来。末尾を「めでたくかしく」と女文風に結ぶ。続けて、その返状風に認めた女文一通と和歌一首を載せるが、ここまでが東雲の書。また、後半に「御鷹之鶴拝領」の礼状(披露状)以下三通の準漢文体書簡と詩歌六編を掲げる。原本未見だが、大字・無訓の手本であろう。〔小泉〕
◆ながおみやこのぼり [2797]
長雄都登〈并近江八景歌・国つくし〉‖【作者】長雄東雲(弘孝)書。大浦重平(東栄)跋。【年代】寛政九年(一七九七)書・跋・刊。[江戸]大和田安兵衛板。【分類】地理科。【概要】異称『都登』。大本一冊。「都登」「近江八景和歌」「諸国(国尽)・外国」から成る長雄流の陰刻手本。「都登」は、「寔に四つの海静に戸さゝぬ御代の尓此時、我と同心のともから一両輩相催し、皇都一見いたし度候…」と書き始め、品川から京都までの東海道の宿駅を「五十次に余る長の旅、所躰つくろふ品川や、川崎越てよき神奈川の、急く程谷戸塚はと…」のような七五調の文章で綴った往来。近世流布本『東海道往来』†を若干改めたもの。また「近江八景和歌」は、「思ふそのあかつきちきるはしめそと、まつきく三井の入あひのかね」(三井晩鐘)以下の和歌を散らし書きにしたもの。「諸国・外国」は、「日本国尽」と「唐土・新羅・百済…」から「…朝鮮・韃靼・阿蘭陀」までの諸外国名を列記したもの。いずれも大字・四行・無訓で綴る。なお、本書「都登」の本文に種々の記事を付けた『〈東海道〉都路往来』†が、文化七年(一八一〇)に刊行された。〔小泉〕
◇ながさきおうらい [2798]
長崎往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】異称『〈肥前〉長崎往来』。「夫、聖朝之慕威徳、求交易異邦之商舶、似合符渡海御免之国々…」と筆を起こして長崎貿易とそれに携わる貿易商人の心得などを綴った往来。日本との交易が許された国々(南京から阿蘭陀までの国名と都市名をあげる)と渡航可能な商船の数、糸割符貿易と五カ所商人、入港時の諸役人による厳重な検査のあらまし、船荷や代金のやり取り、大坂への輸送と大坂市場における売りさばきの様子などを述べ、最後に、貿易商の心得として算用、売買、顧客との密着、正直、五常などを説く。〔小泉〕
◇なかざわおうらい [2799]
中沢往来‖【作者】世無風老人作・書。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】信濃国伊那郡中沢村(長野県駒ヶ根市)の四季の名勝・古跡・寺社の風趣・縁起等を記した長文の往来。「穴山丸塚落雁」「菅沼大沼蛍」「新宮古城松風」「新川岸帰帆」「善法寺晩鐘」「永見山雉子」「蔵沢寺桜」「中山炭竈」「高畑桃」「戸倉雨乞」「長者月」「経塚夜雨」「桃源山茶花」「八方紅葉」「岩壁鹿」「筥原祭」「塩田千鳥」「高烏谷神事」の一八景(中沢十八景)毎に、「秋津洲の、御代ゆたかなる年波も、自然の大三十日有我の関、有情無情の福寿海、百八鐘に除夜無量…」のような七五調の文章でその景観などを述べ、各風景の和歌・発句若干を列挙しながら、しばしば挿絵を交えて綴る。〔小泉〕
◆ながしら [2800]
名頭‖【作者】不明。【年代】万治(一六五八〜六一)以前作。【分類】語彙科。【概要】異称『名頭字』『名頭字尽』。刊本の典型的な判型は中本一冊。俗称の頭字に用いる漢字を列挙した往来。中国・宋代に編まれた『百家姓』†の影響も考えられるが、本書よりも『名字尽』†や『苗字尽』†の方が『百家姓』に近い。近世刊本では、万治二年(一六五九)刊『童訓集』所収の「名頭」が最初で、「勘・甚・喜・平・勝・久・茂・伝…」以下三〇字を列挙する。しかし、近世後期の流布本(単行刊本)はほとんど例外なく「源・平・藤・橘…」で始まり「…殿・様」等で終わるもので、収録漢字・字数ともに諸本によってかなりの異同がある(一〇〇〜三〇〇字程度)。この「源・平・藤・橘」系の『名頭』の成立年代は明かでないが、享保一一年(一七二六)刊『当時用文章大成』†下巻頭書「名頭乃文字」や享保頃刊『篇并冠尽』†本文「名頭のもんじ」には、「源・平・藤・喜・惣・善・孫・彦…」で始まる過渡的な形態の『名頭』が見られる。江戸中期以後は、用文章や合本科往来など幾多の往来に付録記事として収録されたほか、江戸中・後期には「国尽」と合綴した単行本が『名頭字・国尽』『〈両点〉名頭字尽し・国尽し郡附』『名がしら字・国づくし』『名頭字尽』『名頭国尽』『〈増補〉名頭国づくし』等の書名で数多く出版された。これと並行して『五体名頭字』†や『〈童子教訓〉名頭字尽』†等の類書も生まれ、さらに明治期にも『〈英字三体〉名頭字尽』†『〈増訂〉名頭字尽』†『〈簡易科・手習の文〉名頭〈附国尽〉』†『〈明治新選〉名頭・国尽』†『〈開化〉名頭国尽』†等の増訂版・改編本が種々登場した。本文は一般に大字・四〜六行・付訓で記されることが多い。〔小泉〕
◆ながしら [2801]
〈簡易科・手習の文〉名頭〈附国尽〉‖【作者】東京府学務課編。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[東京]江島金太郎蔵板。浜島精三郎売出(明治三〇年板)。【分類】語彙科。【概要】異称『〈明治新刻〉名頭字尽』『改正名頭字尽』。半紙本一冊。「名頭字尽」「日本国尽」「府県名」から成る手本。「名頭字尽」は、近世流布本とはほとんど異なり、「源・平・藤・橘・伊・市・一・逸…」で始まり「…菅・杉・助・介・右衛門・左衛門・兵衛」で終わるように、冒頭・文末のみは近世流布本に習うが、残りは全てほぼイロハ順(随時類語などを挿入するためかなり乱れている)に配列したもの。楷書・大字・三行・無訓の手本用に記す。後半の「日本国尽」「府県名」も同様だが、楷書と行書を織り交ぜる。巻末に、「名頭字尽」の付訓本文(小字・一〇行・付訓)を再録する。〔小泉〕
◆ながしら・かなづかい・へんづくし・くにづくし [2802]
〈再版校正〉名頭・かな遣・へん尽・国づくし‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[金沢]塩屋与三兵衛板。また別に[江戸]和泉屋市兵衛板あり。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。「名頭字」「仮名遣」「南膽部州大日本国尽(大日本国尽)」「偏冠尽」から成る往来。本文を大字・六〜七行・付訓で記す。全四丁の小冊子ながら、柱には上下の区別をしており、上巻に「名頭字」の大半、下巻にその残りを収録する。また、末尾の「大日本国尽」等は一枚刷りとして使われた形跡がある。〔小泉〕
◇ながしらくにづくし [2803]
〈明治新選〉名頭国尽‖【作者】萩原新七作。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[東京]萩原新七板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。「名頭」「大日本国尽」から成る往来で、両者とも半丁に大字・三行で記す。前者の「名頭」は近世期以来の流布本の改編版で大部分が名前に関する漢字の羅列であるが、一部「善政・治国・安民…」といった無縁の熟語も含む。〔小泉〕
◆ながしらくにづくし・しょうばいおうらい [2804]
〈開化〉名頭国尽・〈開化〉商売往来‖【作者】米山栄吉作(「商売往来」)。吉田桂之助編。漲雲書。【年代】明治二六年(一八九三)刊。[東京]吉田桂之助板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。明治二〇年刊『〈開化〉名頭国尽』と同年刊『〈開化〉商売往来』†を合綴した往来(題簽の表記と収録順序が異なるため、ここでは収録順序に従って記載)。先に単行本として刊行された二書を後に合本したものであろう。前者は、「源・平・藤・橘・長・久・孫・彦…」から「…兵衛・太夫・殿(五体)・様(六体)」までの二四五字を大字・三行・付訓で綴った『名頭字尽』†と五畿八道の国名・地域名を列挙した明治期新編の『大日本国名尽(国尽)』†から成る。なお、後者の改題本に明治二四年刊『〈新選〉商売往来』†(檪堂居士書)がある。〔小泉〕
★ながしらじくにづくし [2804-2]
〈新撰増字〉名頭字国尽‖【作者】青木臨泉堂書。【年代】文化九年(一八一二)再刊。[江戸]北島長四郎ほか板。また別に[江戸]三田屋喜八(栄川堂)板(後印)あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈増補新撰〉名頭字国尽〈頭書両点書状上中下認方附〉』『増補名頭字尽』。大本一冊。「増補名頭字尽(名頭)」「南膽部州大日本国尽(国尽)」を合綴した往来。「名頭」は「源・平・藤・橘・長・久・幸・善…」で始まる本文を大字・五行・無訓で綴り、頭書に両点付きの本文を再録する。末尾に「十幹十二支」を挿んだ後、五畿七道毎の国名(州名)を五行・無訓で記した「国尽」と「月の異名」を掲げる。また、「国尽」以降の頭書に「書札認の高下」「書状書留高下」「諸礼・諸飾り」等の記事を載せる。なお、本書後印本では「国尽」に続けて「百官名尽」と「東百官」の合計七丁が増補された(増補部分の頭書は「包物折形図」「諸品数量字尽」「人の名づくし」「五性相性書判」「本朝年号用字」)。〔小泉〕
◆ながしらじくにづくし・しんたいもじづくし [2805]
〈頭書補正〉名頭字国尽・身躰文字尽‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板。また別に[江戸]吉田屋小吉板(文政二年(一八一九)板)あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈苗字名頭偏竭〉国尽〈仮名判形干支〉』。中本一冊。「名頭字」「日本国名尽」「人倫身躰文字尽」の三編を収録した往来。このうち「人倫身躰文字尽」は頭部から足までの身体各部の名称と関連語を集めたもので、「天窓(あたま)・頭・首・項(うなじ)・頸(くび)」以下約二四〇語を収める。本文は概ね大字・六行・付訓で記す。頭書に「偏冠構字尽」「苗字尽」「四体伊呂波」「初心仮名遣」「十干十二支」を載せる。なお、本書末尾の「人倫身躰文字尽」を「初心仮名遣」に代えた異本(原題不明。晋米斎玉粒書)が文政二年に刊行されている。〔小泉〕
◆ながしらじづくし [2806]
〈英字三体〉名頭字尽‖【作者】橋爪貫一(松園)作。【年代】明治四年(一八七一)刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】語彙科。【概要】異称『英学名頭字(EIHGAKU NAHGASHIRA JI)』。中本一冊。近世以来流布したいわゆる『名頭字尽』†をローマ字と対照させた英学入門書ならびに往来物。巻頭にアルファベットローマン体・イタリック体(それぞれ大文字・小文字の二様)一覧を掲げ、『名頭字尽』を例えば「源・HGEN・hgen(ローマン体・イタリック体)、平・PEE・Pee(同)…」のように一字四体、一行二字ずつ列記する。巻末の「松園橋爪先生編輯目録」によれば、同様の入門書として仏語(字)・独語(字)の『名頭』も刊行された。〔小泉〕
◆ながしらじづくし [2807]
〈増訂〉名頭字尽〈大日本国尽并世界国尽〉‖【作者】近藤愛山書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]本屋利助(腥林堂)板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。「名頭」や「国尽」などを収録した大字・三行・付訓の手本。「名頭」は、「源・平・藤・橘…」から「…殿(三体)・様(四体)」までの合計三一〇字から成る。続いて「人倫」「五方」「五色」「五行」「四民」「十幹」までの語彙を載せ、さらに日本国名を列挙した「大日本国名尽」や、五大州毎に主要諸国名(漢字表記)を列挙した「世界国尽」を合綴する。〔小泉〕
◆ながしらじづくし [2808]
〈童子教訓〉名頭字尽〈真字両点附・六十氏ノ本記〉‖【作者】三上より明(榊舎)作・序・跋。【年代】嘉永四年(一八五一)。[江戸]三上榊舎蔵板。【分類】語彙科。【概要】異称『童子教訓名頭字尽』『教訓名頭字尽』。大本一冊。従来の『名頭字尽』†が単なる漢字の列挙であって児童の学習には益が少ないと感じた著者が、それを「源平藤橘、甚儀美末、文武忠孝、山戸国種、殿様長久、増益善権…」で始まる一句四〜五字程度、合計約六〇句の意味のある文章に改編した往来。『名頭字尽』の文頭・文末は似通っているものの全くの別内容で、童蒙学習用に「一〜十」の数字と「百〜京」の単位を文章中に点在させながら神国日本を讃える内容になっている。本文は行書・楷書の二様(文言はかなり異なる)を大字・六行・稀に付訓(左訓)で記す。末尾に、日本の先賢や「左衛門・右衛門・兵衛・太郎・次郎」等の称号を紹介しながら氏姓の略史を紹介した「名頭字尽略註」を付す。〔小泉〕
◆ながしらならびにくにづくし [2809]
名頭并国尽‖【作者】中村暘嶂(林泉堂)書。【年代】安政六年(一八五九)書・刊。[江戸]山崎屋清七(山静堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈御家〉名頭〈并〉国尽』。大本一冊。「名頭字」と「国尽」を大字・三行・無訓で記した手本。「名頭字」は「源・平・藤・橘・新・清・弥・文…」以下一九八字を掲げる。また、末尾「…殿(四体)・様(四体)」に続けて、「太夫、主人、旦那、家来、親子、兄弟、伯父、叔母…」以下の人倫名と、五方・五色・五味・五行・四民・十幹までの単語を列挙する。さらに後半に、五畿七道別の国名を列記した「国尽」を付す。〔小泉〕
◆ながしらならびににほんくにづくし・みやこじおうらい [2810]
名頭〈并日本国尽・都路往来〉‖【作者】近藤暘露(藤原暘露・芝学堂)書。【年代】安政三年(一八五六)刊。[江戸]江戸屋庄兵衛板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。「名頭」「大日本国尽」「都路往来」の三編を大字・四行・付訓で綴った手本。「名頭」は、「源・平・藤・橘・弥・新・清・又…」から「…左衛門・右衛門・兵衛・大夫・様(四体)・殿(四体)」までの一九八字から成り、末尾に「十二支」を付す。次の「大日本国尽」は、山城〜薩摩の六六カ国および壱岐・対馬の二島を列記した『国尽』†。最後の「都路往来」は『東海道往来』†に同じ。〔小泉〕
◆ながしらむしゃぶるい [2811]
〈絵本早引〉名頭武者部類‖【作者】葛飾北斎(為一)画。花笠外史序。【年代】天保一二年(一八四一)序・刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈源平名頭〉絵本武者部類』『源平名頭武者部類』。枡形の折本一帖。いわゆる『名頭字尽』†本文を構成する単漢字毎に関連の武者絵を多数描いた色刷り絵本。その漢字を含む人名、あるいは単漢字に象徴される人物などを各漢字につき一名ないし数名ずつ描く。例えば冒頭の「源・平・藤・橘」の場合、「源」は清和源氏の祖である貞純(さだすみ)親王、「平」は桓武平氏の祖である葛原(かつらはら)親王、「藤」は藤原氏の祖である祖神天児家根ノ命(あまつこやねのみこと=天児屋命(あめのこやねのみこと))、「橘」は橘諸兄(たちばなのもろえ)を描くが、このような場合のほかに、「斧」は怪童丸、「力」は朝日奈、「雪」は北条時頼、「浪」は那須与市といった伝説からの連想によって描いた箇所もある。人物画は大半が和漢の武人であるが、一部、公家や僧侶、女性なども含む。〔小泉〕
◆なかせんどうおうらい [2812]
〈文久〉中仙道往来‖【作者】永楽舎(昭満)作。【年代】文久(一八六〜六四)頃刊。[江戸]糸屋庄兵衛板。また別に[江戸]上州屋政次郎板、および[江戸]釜屋友次郎板あり。【分類】地理科。【概要】異称『中山道往来』。中本一冊。江戸より京都に至る中山道六九次の駅名を七五調・美文体で詠みこんだ往来。「都路はあづまの海のみちかへて、中山道を心ざし、六十路余りに九ッの、宿もにぎおふ板橋を、跡に見なして行先は、もへ出る春の蕨のさと、伝ふ浦和の駅過て、爰ぞむさしの一の宮…」で始まり、「…栄ゆく宿の大津とは、錦の花の九重に、登り着こそ目出度けれ」と結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。見返に西行法師の和歌一首と木曽路風景図を掲げる。見返に「他出するに方角のよしあし有る日の事」、頭書に日本橋から京までの道中記(里程・名所等の案内)を載せる(上州屋板)。〔小泉〕
◇なかだちじょう [2812-2]
媒状‖【作者】清水豊蔵書か。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】特大本一冊。「態与被馳専使御消息忝致拝見候。疇昔御熟談仕候通、御嫡男靱負殿…」で始まる一通の書状形式で生活用語や日常語を列記した往来。すなわち、岐阜在住の知人から紹介された、容姿端麗・柔和・孝行で慈悲深い娘との縁談話の設定で、和歌・書道・学問・髪結い・裁縫・紡績・機織・琴・三味線・舞踊・碁・将棋・料理・野菜・穀類・麺類・調味料・漬け物・菓子・装束・婚礼支度(調度・食器・日用品・衣装・装身具等)・信仰・暦占等に関する語彙を羅列し、最後に「御婚礼相済、初ての三日、新婦御覧御祝可被成候・恐惶謹言」と結ぶ。本文を大字・三行・無訓で記す。末尾に漢詩文数編を付す。〔小泉〕
◆なかだちのくりごと [2813]
媒繰言‖【作者】上杉鷹山作。【年代】明和四年(一七六七)作。江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】異称『媒の繰言』。大本または特大本一冊。上杉鷹山が一七歳で藩主になった際に領内に示した教訓。胎内十月の母の苦しみや父母養育の恩、また、孝の重要性、孝の務め方、女子の孝、婦人の務めなどを長文の四カ条に説く。末尾には「明和四年、御三之丸様御齢十六之時、御家督に立せ玉ふ御砌、御郡中へ御教化の書綴玉ひて御渡し被成下、難有御一巻ニ付、如在に致へからさる事」の一文を付す。なお小泉本は本文を大字・四行・無訓で記した特大の筆写本で、後半に「隅田川往来」を合綴する。〔小泉〕
◆なかのもうで [2814]
中野詣‖【作者】随善堂(素斎)書。【年代】嘉永元年(一八四八)書。【分類】地理科。【概要】謙堂文庫本は横本一冊(やや小字・一一行・無訓)。一三種の往来物集である『仮名文章』中に合綴。弘前城下から陸奥国南津軽郡山形村中野山(青森県黒石市辺)までの沿道の神社仏閣・名所旧跡の景趣・縁起等を記した往来。「兼て申談候中野詣の事、いつころ思召立候半哉…」で始まる全一通の仮名文で、まず宝巌山法眼寺の由来および結構、明和三年(一七六六)の地震の被害など近年までの沿革を述べ、続いて、弘前城下〜山形村間での人々の往来の様子や牡丹平村・花牧(巻)村・温湯(ぬるゆ)温泉付近の名医・民家・茶店・山川草木・風俗、さらに坂の峠・黒森山・板留・薬師寺等の名所を順々に紹介する。本文中、温湯温泉入口の揚屋を紹介した部分では、遊女の一度の誘惑から遊里通いに耽り、ついに「二ツなき鼻を落し、人前の交り成がたく、一生埋るゝ輩」の例を挙げて好色を戒めた戯文調の教訓文を添える。〔小泉〕
◆ながまちうた [2815]
長町歌‖【作者】石川荘治書か。【年代】文化一〇年(一八一三)書。【分類】地理科。【概要】異称『長町往来』『道中往来』。枡形本に近い半紙本一冊。文化一三年刊『道中歌往来』†とほぼ同内容の写本で、刊本よりもわずかに早く、刊本のもとになった往来と思われる。『道中歌往来』と同じ本文を大字・二行(一行二〜四字)・無訓で記す。〔小泉〕
◆なごやおうらい [2816]
名古屋往来‖【作者】祖鏡作か。登宅某書。【年代】文政五年(一八二二)書。【分類】地理科。【概要】異称『名護屋往来』『奈護耶』。文政五年・登宅氏写本(『奈護耶』)は半紙本一冊。「抑名古屋の御城は、昔日慶長年中に治国太平の印に始て築き給ひけり…」で始まる一通の手紙文形式で、名古屋城周辺の寺社や名所・名物を綴った往来。まず、名古屋城の歴史や威容を述べ、続いて明倫堂の教育や城下の諸職に触れ、さらに、天満宮・柳薬師・聖徳寺以下、多くの寺社や名所などの名称を列挙する。名古屋稀書刊行会『名古屋往来』(文政九年写本)は、本文を小字・一〇行・付訓で記す。なお、『国書総目録』に、文政四年写本『名古屋往来』(祖鏡作)を掲げるが未詳。〔小泉〕
★◇なごやまちづけ [2816-2]
名古屋町附‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】特大本一冊。「一、御城三之丸片端本町、京町、福井丁、富田丁、伝馬丁、玉屋町、鉄炮丁、広小路、中須賀丁、大久保見、末広町、門前丁、橘丁、大須…」と筆を起こして名古屋周辺の町名を列記した往来。本文を大字・三行・無訓で記す。また、本書の改訂版『名古屋町附(区分町尽概略)』は、「一小区、廓内。二小区、塩町・小船・堀詰・江川・堀切・八坂・枇杷嶋…」と起筆して、明治初年の名古屋の町名を八小区毎に列記する。〔小泉〕
◆なちもうで [2817]
那智詣‖【作者】山口豊松書。【年代】天保七年(一八三六)書。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。霊夢を得て那智権現への日帰り参詣を行った際の道程、名所旧跡、那智権現の景趣や由来などについて七五調で記した往来。「唯契の娑婆か、世界の衆生、我無の中に在む限りはと、御霊夢ぞ、別而、今年は午のとし、はや暮春にも成しかは…」で始まる本文を大字・四行・無訓で記す。夜明け方に出発し、新宮方面から宇久井口を経て那智権現に参詣し、夕景に家路につくまでの沿道の風景等を描く。前半は「足を痛ば鳴屋が浜」などと修辞的に地名を導き連ねて山海の景を写し、後半は那智および周辺の堂宇を列挙してその荘厳さ述べる。地域的に狭い範囲の記述であり、同地方で用いられた往来物であろう。〔丹〕
◆なづくし [2818]
名尽〈通称・実名〉‖【作者】大阪府学務課編か。【年代】明治六年(一八七三)以降刊。[大阪]大阪府学校蔵板。書籍会社ほか売出。【分類】語彙科。【概要】次項、明治六年板『〈大坂府学校用〉名尽』†に「実名」を加えた増補版。前半「通称」は明治六年板に同じ。「実名」は名前に用いる人名漢字を「一・了・士・之・久・仁・公・文・尹…」のように画数順に列記したもの。いずれも楷書・大字・二行(一行三字)・無訓の手本用に記す。刊記に「阪府学校蔵板」の朱印を押す。〔小泉〕
◆なづくし [2819]
〈大坂府学校用〉名尽‖【作者】大阪府学務課編。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]大阪府学務課蔵板。書籍会社売出。【分類】語彙科。【概要】異称『通称』。半紙本一冊。通称に用いる人名漢字を楷書・大字・二行(一行三字)・無訓で記した手本。「伊・猪・糸・市・岩・磯…」から「…鈴・捨・末・菅・助」までの二三〇字を音または訓のイロハ順に列記する。なお、本書後半部に「実名」を増補したものが前項『名尽〈通称・実名〉』†である。〔小泉〕
◆なでしこかけどくり [2820]
撫子缺徳利‖【作者】侭田某書。【年代】天保一〇年(一八三九)書。【分類】教訓科。【概要】異称『缺徳利』。大本一冊。子どもの時に学問に怠り、悪事に終始していた者がついには罪人となるまでの顛末を述べて戒めとした教訓。「世の中の、人の意(こころ)は花染の、移れば替る習とて、厥(その)色々の風俗を、親たる人も心して、教怠給ふなよ…」と七五調の文章で綴る。子どもの頃から喧嘩ばかりしており、その上母親が穂待銭(へそくり)の中から小遣いを与えて子どもを甘やかし、段々悪智恵も付き、寺子屋へ入学させても全く身に付かず、師匠には骨を折らせ、仲間とは騒ぎ合うといった状態で、いつしか色と酒に狂って妙義・榛名・指扇・秋葉・大山と名目ばかりの物詣でに耽り、そのなれの果てが腰繩や鶤鶏籠(どうまるかご)の格式の罪人となる、従って、このような哀れな一生を送らないためにも忠孝を尽くし、家業に出精すべきであると諭す。武州埼玉郡羽生地方などで使われた往来物で、本文の前後を改めただけの『子供仕付』†も同じ頃同じ寺子屋で使われている。天保一〇年写本(小泉本)は本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◇ななじいろは [2821]
七字以呂波‖【作者】不明。【年代】明治一〇年(一八七七)頃刊。[東京]小林鉄次郎板。【分類】語彙科。【概要】異称『七いろは』。中本一冊。いわゆる『七ッいろは』†の一種。平仮名・漢字・古文字に続けてイロハ毎に同音の漢字六字を列挙した往来。漢字の音訓を比較的詳しく付す。イロハに続けて同形式で十までの漢数字を綴り、さらに単位語を漢字三体・両点付きで掲げる。なお、頭書に「書法十六点」「編構冠字尽」等、見返に「伊呂波文字之本文」、巻末に「中興武将鑑」「高名年数早見」「諸商人通用符帳集」などの記事を載せる。〔小泉〕
◆ななたいいろは [2822]
〈開化〉七体いろは‖【作者】米山栄吉作。【年代】明治二〇年(一八八七)刊。[東京]米山栄吉蔵板。吉田桂之助売出。【分類】語彙科。【概要】異称『七体伊呂波』。中本一冊。「〈開化〉七体いろは」と「七躰名頭字」から成る往来。前者は、平仮名・片仮名・漢字(冒頭の一字のみ楷・篆・行書の三体。このほかに同音の行書体漢字三字を含め合計六体)とローマ字(大文字)を合わせた九体で綴ったイロハである。後者は、「源・平・藤・橘…」から「岩」まで二九字から成る名頭字で、それぞれ漢字五体(草・行・楷・隷・篆書)とローマ字二体(大文字・小文字)で表記する(いずれも概ね大字・三行)。末尾に「羅馬躰大字・同小字」「草体大字・同小字」などのアルファベット」や「諸商人通賦帳(太物店など一〇業種における符帳)」を掲げる。〔小泉〕
★ななたいいろは・ながしらづくし・にほんくにづくし [2822-2]
〈横川三羊編書〉七体以呂波・名頭尽・日本国尽‖【作者】横川三羊編・書。【年代】明治九年(一八七六)刊。[横浜]尾崎富五郎(錦誠堂)板。また別に[東京]大川錠吉(聚栄堂)板(後印本)あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈新訂童子便〉七体以呂波・名頭尽・日本国尽〈習手本〉』。主として「七体以呂波」「名頭尽」「日本国尽(皇国州名)」の三本を合本した往来。巻頭に「五十音図」と「変体以呂波」を掲げ、続く本文で、いろはおよび漢数字を平仮名・漢字(楷・行・草・篆・隷書・角字)の七体で綴った「七体いろは」、名前に用いる漢字を列挙した「名頭字」、両点(音訓)付きの「十干・十二支」、五畿内以下の旧国名を五畿七道ごとに列挙した「皇国州名(日本国尽)」を収録する。本文を大字・四〜五行・付訓(「七体いろは」のみ無訓)で記す。〔小泉〕
◆ななついろは [2823]
七ッいろは(仮称)‖【作者】不明。【年代】万治二年(一六五九)刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「七ッいろは」および「国尽」の手本として現存最古の部類。「七ッいろは」は、見出しを兼ねる冒頭の漢字(大字・篆書で記し小字の平仮名と片仮名を付す)一字と、同音の漢字(大字・行書で記し、音訓を平仮名で付す)六字の計七字を一行に記したもので、「イ」〜「京」に続けて「一」〜「十」も同体裁で綴る。末尾に「十干十二支」と「唐以呂波」を掲げた後に、「万治二年己亥孟春吉日」の刊記を置く(従って、本来は「七ッいろは」だけの単行版であろう)。続いて、「諸国并御城下」と題して、五畿七道毎の国名(州名)と城下町(江戸〜熊本の二二カ所)を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ななついろは [2824]
〈英学捷径〉七ッいろは‖【作者】阿部為任(友之進・碧海・巴菽園)作。【年代】慶応三年(一八六七)序。慶応四年頃刊。[東京]阿部為任蔵板。播磨屋喜右衛門売出。【分類】語彙科。【概要】異称『〈英学捷径〉七ッ以呂波』『英学七ッいろは』。中本一冊。「英字イロハ」の前にアルファベット・数字などをおき、巻末に「子母五十韻字(母音字・子音字の五十音図)」を収めた明治期新編『七ッいろは』。序文では、英人著述の日本語文法書からの抄出という。ローマ字・仮名・漢字など七体のイロハ音字を並記する(ローマ字三体、片仮名、平仮名、漢字二字の七体)。なお、本書の一部を改訂した『〈英語の手ほどき〉七ッいろは』が大正年間に刊行されている。〔小泉〕
◇ななついろは [2825]
〈英学手引〉七ッ伊呂波‖【作者】懶落作・序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]伊勢屋庄之助板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。ローマ字(大文字・小文字)・片仮名・平仮名・漢字(真・草)など七体で表記したイロハ。後半に同体裁で数字・五十韻字を掲げるほか、頭書に日常の英単語を多く載せる。〔小泉〕
◇ななついろは [2826]
〈開化〉七ッいろは‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治年間刊。[東京]辻岡屋文助板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。前半に「〈開化〉七ッいろは」、後半に「〈方今〉名乗尽」を収録した往来。前者は、平仮名・片仮名・古文字に続けて同音の漢字六字を列記した「七ッイロハ」(厳密には七体以上ある)。後者は、「康政」〜「由親」までの男性の名前九四語を列挙し音訓を付したもの。見返に「編冠構一覧」、頭書に「漢語字類(漢字二字熟語三一六語を収録)」を掲げる。〔小泉〕
◆ななついろは [2827]
〈習字兼用・新式〉七ッいろは‖【作者】内田梅造(月香)作。【年代】明治四二年(一九〇九)刊。[東京]自省堂板。【分類】語彙科。【概要】異称『最新七ッいろは』。中本一冊。平仮名楷書体、漢字行書体(小字片仮名を添える)、ローマ字ローマン体大文字(小文字も添える)、ローマ字イタリック体小文字、漢字楷書体(片仮名読みを付す)、漢字隷書体(同)、漢字角字(小字の漢字楷書体を添える)の七体で記したイロハ。巻頭に、ほぼ同様の七体で表記した「数字」や、ローマン体・イタリック体の大文字・小文字とその読み方を示した「英字体」、巻末にローマ字各体で表記した「ローマ字五十音」を掲げる。さらに、頭書に「反別」「日時」「西洋数量」「小数」「十干十二支」「七曜」「大祭日」「大日本国尽」「世界国尽」「条約国名」の記事を収録する。〔小泉〕
◆ななついろは [2828]
〈尊円流・大字板〉七ッいろは‖【作者】不明。【年代】明暦三年(一六五七)刊。[京都]山本長兵衛板。また別に[大阪]河内屋太助板(後印)あり。【分類】語彙科。【概要】異称『七以呂波』。大本一冊。万治二年(一六五九)刊本『七ッいろは』†に次いで古いもの。本書跋文に触れる先行板は、あるいは万治板を指すか。イロハ毎に一行七字(冒頭は見出し語の平仮名、他の六字は同音の漢字)ずつ漢字を列挙し、漢字の左右に細字の字訓(稀に字音)を付す(本文は大字・四行・付訓)。冒頭の漢字は平仮名の字母となった漢字、例えばイ行の冒頭には「以」を掲げ、「をもんみる/もつて/これ/もちいる」のように字訓を複数記載するのが特徴。以下、同体裁で、「イ」〜「京」と「一」〜「十」までの漢字を掲げ、末尾に「十干十二支」を載せる。『七ッいろは』は、万治板や本書を嚆矢として、江戸初期は概ね大本の大字手本の形で広がり、江戸中期以降は半紙本、江戸後期は中本が主流となり、さらに明治初年には英字・仏字・独字等を並記した語学入門書へと展開していきながら、多数の類書が生まれた。〔小泉〕
◇ななついろは [2829]
〈仏学捷径〉七ッ以呂波‖【作者】橋爪貫一作。伊藤桂洲序。【年代】明治三年(一八七〇)刊。[東京]播磨屋喜右衛門板。【分類】語彙科。【概要】異称『仏字以呂波』。中本一冊。仏字・片仮名・平仮名・漢字など七体で表記したイロハ。巻頭・巻末にアルファベット・数字・「子母五十韻字」を載せる。〔小泉〕
◆ななついろは [2830]
〈明治改正〉七ッ伊呂波‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[東京]松坂屋板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。イロハ毎に平仮名と同音の漢字六種(ただし大字行書と小字楷書の二通りで記し、読み仮名をそれぞれ付す)を一行ずつ掲げたもの(「イ」〜「京」、「一」〜「十」の五八行)。本文を行書・大字または楷書・小字で三行ずつ、付訓(左訓)で記す。頭書に片平名・ローマ字(大文字・小文字のローマン体と小文字イタリック体)の四体イロハ(濁音・半濁音を末尾に付す)やアルファベット、「三体偏冠尽」などを掲げるほか、巻頭に「和訓漢語辨」と題して「開化・文明・勉励…」以下一四〇語(両点付き)や、日本語一二六語に対する英単語の読みを付した「異人語早学」を載せる。〔小泉〕
◆ななついろは [2831]
〈両点絵抄〉七ッいろは‖【作者】歌川芳盛(一光斎・一好斎・光斎・好斎・佐久良坊光斎・さくら坊)画。【年代】慶応二年(一八六六)頃刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】語彙科。【概要】異称『七ッいろは〈并〉絵抄』。中本一冊。『七ッいろは』†に挿絵や教訓歌を加えた往来。例えば「い・イ・以(楷・篆・行書の三体)」のように平仮名・片仮名とその字母となった漢字の計五体を見出しとし、その下に続けて同音の漢字七体(例えば「伊・異・意・委・畏・位・為」)を両点付きで書体も変えて表記する。さらに一丁おきに、イロハ毎に漢字一字を掲げて、それを主題とした教訓歌(例えば、イには「意」の一字をあげて、「梅がえに心とまらば鴬の、ほふほけきやうのにほひぬるかな」の一首)を挿絵(単色刷りと色刷りの二様あり)とともに掲げる。巻頭に「いろは歌」や「五筆和尚」空海図、また頭書に「いろは歌由来」「江戸名所いろは寄」「合(相)姓名かしら字」などを掲げる。〔小泉〕
◆ななついろは [2832]
〈和英〉七ッいろは‖【作者】坪井当志(篤斎)作。静嘉堂(東潭)書。勉堂序。【年代】明治二一年(一八八八)序・刊。[東京]高橋源助板。【分類】語彙科。【概要】異称『英和七ッいろは』。中本一冊。ローマ字三体(ローマン体大文字・小文字、イタリック体小文字)と片仮名・平仮名・漢字二種二体(草・楷書)の計七体で表記したイロハ。半丁に四行(一行七字)ずつ記す。冒頭にアルファベット四体を、また、巻末に五十音をローマ字で表記した「五十音字」を載せる。〔小泉〕
◆ななついろはまんじだから/ななついろはまんじほう [2833]
〈増字〉七以呂波万字宝‖【作者】不明。【年代】安永二年(一七七三)以前刊。[大阪]糸屋市兵衛板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。「七ッいろは」「国尽」「字尽」を合綴した往来物。「七ッいろは」、別項『七ッいろは』†と同様。イロハ順に同音の漢字七体(冒頭のみ篆字・他は行書体)を一行ずつ列記し、漢字の左右に音訓を施したもの(本文を大字・五行で記す)。「国尽」は、国名を大字・五行書きにし、国名の下に州名・郡数を小字で付記したもの。また「字尽」は、着類・魚類・貝類・鳥・獣・諸道具・木・草花・青物・虫・五穀の一一部毎に主要語彙を大字・六行・付訓で列記したもの。なお、巻頭・巻末に「万葉仮名・片仮名イロハ」「五性名頭字」の記事を載せる。なお、東京都立中央図書館本には安永二年七月の書き入れがある。また、本書の改訂版に『改正字づくし』†がある。〔小泉〕
◆なにわおうらい [2834]
浪花往来‖【作者】早川正斎作・書・跋。【年代】延宝六年(一六七八)跋・刊。[大阪]荻野八郎兵衛板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。少年の頃に父母に先立たれて以来、不善を続けてきた者が紀州那智山で儒仏の教えを聞いて改心し、越州の山中に住んでいたが、ある時、畿内旧跡の巡覧を思い立って、まず摂州難波の浦に赴き、そこで一宿したところ、剃髪した主人が大坂の名所旧跡を語り始めるという設定で、大坂の名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起等を記した独特な往来。往復二通の書状形式をとる。往状は、「我少年之昔、別離父母、養伯父…」で始まる冒頭二丁半で以上の場面設定をしたうえで、京・大坂の由来や住吉神社の故事、同地の風景・年中行事・祭礼・寺社縁起・本尊・宝物などを順々に述べる。また、「御札之趣拝見、尋訪之旧跡者、先相続件、新御霊之宮者…」と起筆する返状では、東西本願寺・仁徳天皇陵・三津寺八幡等の寺社・古跡を紹介するほか、道頓堀歌舞伎等の大衆芸能や祭礼・参詣の様相などにも言及する。本文を大字・四行・所々付訓で綴る。なお、早川正斎は、ほかに延宝八年刊『難字往来』†も著わしている。〔小泉〕
◆なにわずいひつ [2835]
浪華随筆‖【作者】高木羽最(将応・後雪堂)作・書。東俊序。【年代】宝暦一〇年(一七六〇)序・刊。[大阪]高木羽最蔵板。正本屋仁兵衛売出。【分類】地理科。【概要】異称『浪花随筆』。特大本または大本一冊。「抑摂州大坂は、交易運漕之便宜、日本無双之湊にして、一ノ洲・両川口、潮時順風にまかせ、入船出帆幾千艘といふ不知数候…」で始まる文章で、大坂が全国貿易の中心地であること、荷揚・取引の様相、堂島米相場の状況、町々の名産・名物、近隣の農産物、道頓堀の歌舞伎やその他の享楽などについて記した往来。本文を大字・四行・稀に付訓で綴る。後半に「難波十景(淡路島霞・葛城嶺桜・難波津夏月・二上嶽雪・住吉郭公・伊駒山時雨・須磨浦風・明石潟霧・田蓑島鶴・天王寺鐘の一〇の名勝)」を詠んだ和歌二〇首を付す。なお、本書の改題本に寛政(一七八九〜一八〇一)頃刊『浪花名所名物往来』†がある。〔小泉〕
◇なにわそでのうめ [2836]
浪華袖の梅‖【作者】松田一津堂作・書。【年代】明和四年(一七六七)書・刊。刊行者不明。【分類】地理科。【概要】巻頭に「…筆学の欠を防もし、一字の方便にもと、見聞有増を拾ひ集て巻となし、愚息の袂にす」との短い序文を掲げ、続いて「摂州西成郡大坂近郷の神社仏閣を順拝と思寄、頃しも穏なる春に任て、未明より打立…」と起筆して、天満宮から勝尾寺・宗持寺までの大坂城下の寺社・名所旧跡等を紹介した往来。寺社の風景・結構・宝物・由来等のほか、町々や群集、河川、遠景の山、茶屋等の様子にも言及する。なお、原本未見だが、重写本奥書に「刻本ヨリ写ス」とあるので、もと刊本であろう。〔小泉〕
◆なにわづ [2837]
難波津‖【作者】長谷川妙躰書。【年代】正徳四年(一七一四)刊。[京都]岡本半七ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『なにはつ』。大本三巻三冊。長谷川妙躰の散らし書き手本の一つ。上巻は婚礼祝儀状など六通、中巻は訪問客への詫び状など八通、下巻は学問について教示を乞う文など七通の合計二一通を収録(大字・無訓)。四季や五節句の文を中心とするが、月順・季節順にはなっていない。このほか婚礼祝儀の文を始めとする祝儀状や種々礼状など日常の雑文章も含まれる。上巻には付録記事が多く、「なげ入の事」「砂物(色刷り)」「立花図(色刷り)」など華道関連、「おがさはら流万しんもつつゝみやう折形図」「進上の折紙目録書やう」「色紙・短冊・懐紙の書様」「女中文の封様の事」「同封じ目の事」等の諸礼法、「香のきゝやう并に十種香の事」「貝おほひ并ニ歌かるたの事」「十二月の異名」のほか、中・下巻にも見返口絵や「女中文書やう心得の事」などを掲げる。〔小泉〕
◇なにわまちなしゅう [2838]
浪花町名集‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】地理科。【概要】「摂津之国十三郡者住吉・百済・東生・西成・能勢・有馬・嶋下・島上・豊嶋・河邊・武庫・兎原・矢田部等也…」で始まり、大坂府内の地勢などに触れた後、府内の主要町名等を列記した手本。〔小泉〕
◆★なにわめいしょぶんしょう [2839]
〈文政新撰〉浪花名所文章‖【作者】十返舎一九作。好鵞書。【年代】文政五年(一八二二)刊。[江戸]西宮新六板。【分類】地理科。【概要】異称『〈新版〉難波名所』『浪華名所之記』。中本一冊。大坂周辺の名所旧跡・神社仏閣の景趣・由来・沿革などのあらましを紹介した往来。「難波津に咲耶木花(さくやこのはな)と詠たりし王仁の昔より、民の竈煙絶せす、長(とこしなえ)に栄行(さかゆく)大坂の津は、諸国の賈船、安治・木津の両川口に所せく出入して…」と紀行文風に綴り、寺社縁起や古跡由来を中心に、道頓堀の芝居小屋や新町の遊里、堂島の蔵屋敷等の名所を列記する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「摂州大坂淀川三十石船之図」を掲げる。〔小泉〕
◆なにわめいしょうじょう [2840]
難波名勝帖‖【作者】香川琴橋(徽・公琴・桐処・古桐・鳥文堂)作・書・跋。香川昶跋。【年代】嘉永二年(一八四九)跋・刊。[大阪]香川琴橋(鳥文堂)蔵板。【分類】地理科。【概要】大本一冊または折本一帖。「浪華津にさくや此はな冬籠り、今は春へと咲や此花とよみて奉りし仁徳帝の御宮居、いとも尊く高き屋に、のほりてみれは煙たつ、民の竈も賑ひて…」で始まる七五調の文章で、大坂周辺の名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起等を列記した往来。「隆専寺の絲桜」や「鳳林寺の什宝は、干満の珠のひかりある、智恵を授る虚空蔵…」のように各地の特色を織り込んだ本文を大字・四行・無訓で綴る。作者の子・香川昶の跋文によれば、寛政八〜一〇年(一七九六〜九八)刊『摂津名所図会』を参照して編んだものという。なお、本書は、同じ板木により和装本(冊子体)と折本の双方が出版された(折本は有郭、大本は無郭)。〔小泉〕
◆なにわめいしょめいぶつおうらい [2841]
浪花名所名物往来‖【作者】高木羽最(後雪堂)作・書。【年代】宝暦一〇年(一七六〇)刊記。寛政(一七八九〜一八〇一)頃後印。[大阪]高木羽最蔵板。塩屋長兵衛(泰文堂・輻湊堂・山本春樹)売出。【分類】地理科。【概要】大本一冊。宝暦一〇年刊『浪華随筆』†の改題本。改題に際して東俊の序文二丁を削除し、首題を改め、さらに巻末の「高木羽最」の後に「蔵板」の二字を補刻した。内容は、「交易運漕之便宜、日本無双之湊」である大坂の地理全般を述べたもので、大坂が全国貿易の中心地であること、荷揚げから取引までの様子、堂島米市場の活況ぶり、町々の商家や取扱商品、名所・名物、さらに道頓堀の歌舞伎やそのほかの享楽について触れる。また、後半に「難波十景(淡路島霞・葛城嶺桜・難波津夏月・二上嶽雪・住吉郭公・伊駒山時雨・須磨浦風・明石潟霧・田蓑島鶴・天王寺鐘)」を詠った和歌二〇首を掲げる。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆なのりじるい [2842]
〈習字〉名乗字類‖【作者】中田久明作。深沢菱潭書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]鶴屋喜右衛門(小林喜右衛門・仙鶴堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『習字名乗字類』。半紙本一冊。「豊俊(トヨトシ)・方久(マサヒサ)・定興(サダヲキ)・義詮(ヨシアキラ)…」以下四一四の名乗りを楷書・大字・三行二段・付訓で書した習字手本。〔小泉〕
◆なよせおうらい [2843]
〈東都橋坂〉名寄往来‖【作者】鼻山人作。渓斎英泉画。【年代】文政五年(一八二二)刊。[江戸]岩戸屋喜三郎板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】地理科。【概要】異称『橋名寄往来』『東都橋名寄往来』。中本または半紙本一冊。江戸府内の主要な橋と坂の名称を列挙した往来。「凡、江戸中橋之名を、爰に挙而、物学童子之為便。先、通一丁目より室町へ渡を日本橋与云う…」と筆を起こし、通りや方角によって橋の位置を示しながら、順々に列記する。ただし、後半からは単に橋名の羅列に終始し、最後に「…此外所々に洩候名、可有之。先荒増如斯候。穴賢々々」と結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「凡、湯嶋・本郷辺に有坂之名は昌平坂・湯嶋坂・石坂・樹木谷坂…」で始まる「坂名よせ往来」と「十二ヶ月異名」を載せるほか、巻頭に「鶴亀図」および「東都日本橋繁花を闘す図」を掲げる。〔小泉〕
◆なよせてほん [2843-2]
〈薬種〉名寄手本‖【作者】玉川於知恵書。【年代】慶応二年(一八六六)書。【分類】理数科。【概要】大本一冊。薬種の名称を大字・二行・付訓で記した手本。「当帰・川r・芍薬・地黄…」以下一八三語を列記する。筆者は薬種商の娘であろうか、女性が使用した教材として注目される。〔小泉〕
◇ならおうらい [2843-3]
奈良往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。主として南都の治安や社会の様子、日本の風俗や公民としてのあり方を中心に記した往来。地理科往来に属するが、社会科公民型の要素を多分に含む内容であり、名所や物産を主要な題材とする地理科往来では異色のもの。奈良・興福寺の摩会修行から書き始め、その堂塔・建築・役職、南都の官庁諸役や厳重で模範的な防備・治安・司法・賞罰の様子、さらに諸職・商売、訴訟・事件、法令・懲罰、神代から正直の徳を大切にしてきた日本の風俗や平和な社会、人間の一生と士農工商の心得などを概説する。「南都興福寺両御門主、互ニ被遂維摩会修行有而、勅命被補寺務職給ふ。坊官諸太夫御近習北面…」で始まる本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◇ならめいしょ [2844]
奈良名所‖【作者】三宅利明書。【年代】天保四年(一八三三)書。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「名にし応月の名所は多けれと、奈良の都の三笠山、心のくもり猿沢の、池水清き柳影、うつる采女の宮所、いとうつくしき楊貴妃や、花の司と昔より…」で始まる七五調の文章で奈良各地の名所旧跡を紹介した往来。後掲と同題だが別内容。神社仏閣、堂塔のあらましを景趣や故実に触れつつ述べる。なお、逓博本は本往来のほかに「松嶋賦」ほか八編が合綴されており、播磨国明石郡江井ヶ島で使用されたものという。なお、原本(逓信総合博物館蔵)は種々の往来を合本したもので、「松嶋賦」「四季風景」「春霞」「源氏名寄」「京名所」「奈良名所」「西明寺殿都詣」「近江八景」「雛かた模様つくし」の九点を収録する。〔小泉〕
◇★ならめいしょ [2845]
奈良名所‖【作者】大梁堂書。【年代】文化一四年(一八一七)書。【分類】地理科。【概要】異称『奈良詣』。折本一帖。「青によし奈良のみやこは、元明天皇和銅二年藤原の宮より遷され給ふ旧都の名所なれば、年頃見物望にて特に春日詣の志しも候得ば、此春出京致し…」で始まる文章で、京都五条から奈良までの経路と奈良名所の数々を綴った往来。前掲と同名だが別内容。歌名所や古歌、故実を多く織り込んで寺社を中心に紹介する。ただし、名所のみで名物・名産には言及していない(その点で別項『南都賦』†と異なる)。〔小泉〕
◇なりたさんもうでぶんしょう [2846]
成田山詣文章‖【作者】太乙庵作。【年代】天保八年(一八三七)作。万延元年(一八六〇)書。【分類】地理科。【概要】異称『下総国成田参詣文章』。「日外、恩約束申候成田山参詣の事、空も漸麗に趣、最早日和も定候得者、近く相催し申度候。尤道すから名所旧跡相尋、鬱散候はゝ、又格別の秀句も候半歟…」と筆を起こし、二俣(千葉県市川市)より成田山に至る沿道の名所旧跡および成田不動の景趣・由来・縁起等について述べた往来。滕耕徳作・享和元年(一八〇一)頃刊『成田詣文章』†とは異文。行書体、漢字・平仮名交じり、無訓の手紙文体で記す。〔石川〕
◆なりたもうでぶんしょう [2847]
〈頭書絵入〉成田詣文章〈楠正成壁書〉‖【作者】滕耕徳書。【年代】享和元年(一八〇一)頃刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]山本平吉(栄久堂)板(文政四年(一八二一)板)あり。【分類】地理科。【概要】異称『成田詣』。中本一冊。江戸・日本橋より成田に至る沿道の宿駅・名所旧跡・神社仏閣および成田山新勝寺の景趣・縁起等を記した往来。「下総国埴生郡成田山参詣之道筋、任御尋、順路荒増認進候…」で始まる全文一通の手紙文で綴る。各地の情景や風物を豊富に織り込みながら、日本橋など東都の繁栄、利根川・真間中山・印旛浦の眺望、成田山の景観などを紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。見返に「不動尊略伝記」、頭書に「楠正成金剛山居間之壁書」を掲げる。なお、文政四年(一八二一)求板本(山本平吉板)では、裏表紙見返に「成田山参詣順路図」を掲げる。〔小泉〕
◆なんこうそうせんじょう [2848]
楠公湊川帖‖【作者】深沢菱潭(巻菱潭)書(無訓本文)。雲潭書(付訓本文)。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]書学教館蔵板。山崎屋清七売出。また別に[東京]巻菱潭蔵板、大庭新八売出あり。【分類】教訓科。【概要】異称『楠公碑陰』。半紙本一冊。摂津武庫郡湊川神社に元禄四年(一六九一)に建立された楠木正成の石碑の朱舜水賛辞を手習い手本としたもの。楠公が忠勇節烈を兼ね備えた人物であることや、また、巧みな戦術により王室を復興させたことなどを綴る。本文を楷書・大字・三行(一行四字)・無訓で記し、巻末に楷書・小字・七行・付訓の本文を付す。『楷書楠公湊川碑』†など、本書と同様の手本が明治初期に種々出版されている。〔小泉〕
◆なんこうぶんしゅう [2849]
楠公文集‖【作者】深沢菱潭(寛)書。【年代】明治年間刊。[東京]安田作次郎(衆芳堂)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。楠正成の家訓などに仮託した「壁書」二編と「遺書」を収録した往来。前半の「壁書」は、第一条に万病と万物の理について、第二条に利より義を重んずべきこと、第三条に人に勝ろうと思わないこと、第四条に人の憂いを知るべきことを掲げ、以下順に、上下の者や他人に対する態度や日常の心懸け、馬や武具の心得など二三カ条を綴る。続く「遺書」(「建武二年(一三三五)三月」と付記)は、文・武は根本的に同一のものであり、主君のために文・武に励む臣下の務めなど、武士の基本的な心得を述べる。後半の「壁書」は、貧しくても無道の禄を求めたり、へつらったりしないこと、己の生来の境界を悟り天命を楽しむことなどを諭す。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆なんじおうらい [2850]
難字往来‖【作者】早川正斎作・書。【年代】延宝八年(一六八〇)刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】大本二巻二冊、後二巻合一冊。上巻は六月五日付芸州山人宛ての手紙(炎暑の折、厳島神社参詣をした時の模様を伝える)、下巻はその返状という二通の手紙文中に「文言雑字」「鳥獣」「草木」「魚虫」(以上上巻)、「絹布」「器物」「鍛冶・番匠具」の七門を主とする難字を種々盛り込んだ往来。凡例では、禽獣・魚虫・草木などにおける庶民通用の語句は省き、往来物・俗書等に登場しないような難字三〇〇有余字を収録したとする。本文を大字・四行・付訓(稀に左訓)で記し、任意の難字を上欄余白に楷書で抄出する。消息文の文面に沿って難字を鏤めたり、単語集団の形で語彙を収録するが、前記七門以外に下巻冒頭に「船・舟歌」「芸能」「人倫」等の語彙を載せる。〔小泉〕
◇なんじくん [2851]
〈授幼〉難字訓‖【作者】井沢長秀(蟠竜)作・序。【年代】享保一〇年(一七二五)序。享保一二年刊。[京都]小川多左衛門(茨城多左衛門・柳枝軒)板。【分類】語彙科。【概要】異称『授幼難字訓』。半紙本三巻三冊。和漢の諸書から漢字の和訓を集め、イロハ順に編んだ童蒙向けの語彙集。語彙を楷書・大字・七行・付訓で記し、各語句についての出典や語義等を割注形式で注解する。ただし、古くから用いられている和訓は省略し、俗間通用の訓にしたと序文で断る。〔小泉〕
◆なんちょうほうしょれいくん [2852]
〈小笠原流・躾方絵本〉男重宝諸礼訓‖【作者】不明。【年代】寛政(一七八九〜一八〇一)頃刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『〈人間〉記憶秘法』『状文章』†など三本の書物の板木を集めて一冊とした教訓書。一章「諸礼の次第」、二章「当流躾方」(以上はもと三巻三冊の絵本。書名不明。「路次・座敷贈答の礼」から「当流躾方五十箇条」まで諸礼全般を説いた絵本)、三章「物覚能成伝」(前記『記憶秘法』。記憶に関する諸説)、四章「かな文章」、五章「用文章」(四章は寛政八年刊『状文章』の頭書、五章は同本文を指す)から成る。〔小泉〕
◆なんとおうらい [2853]
南都往来‖【作者】不明。僧経覚書(重写本)。【年代】南北朝時代作。康応元年(一三八九)書。宝徳三年(一四五一)重写。【分類】古往来。【概要】現存唯一の黒板本は、もと四六枚・一綴の冊子であったが、残存するのは残闕二六枚、一綴で、巻子本二軸の改装本。三五条四一通の消息文例と書札礼「於院中世間出世等書礼等事」一二カ条ならびに後文とから成る古往来。大字・無訓の手本様に認める。内容は、「御聴聞のお供と牛王より返信のない遺恨を述べる状」「聴聞に出席する旨と牛王引き籠り中の旨を述べる状」「大衆の蜂起に対し対策を問う状」「東山にある禅房の風景を除して来遊を勧める状」「昇進の内報を賜った好意を謝する状」「病気見舞いを兼ねて行水を思い止まるよう諌める状」「好意を謝し行水をやめて養生に努める旨を述べる状」のように、大寺の住僧と高級武家の檀越との間に交わされた日常所用の手紙模型文である。書札礼一二カ条は、「坊官と侍との間」「坊官より良家成業または僧綱へ遣わす状」「師匠等へ遣わす状」「親父に遣わす御教書(みぎょうしょ)」「舎兄に遣わす状」など寺院から発信される書状に関する僧家用書札礼である。〔石川〕
◇★なんとさいれいおうらい [2853-2]
南都祭礼往来‖【作者】不明。【年代】元禄五年(一六九二)書。【分類】地理科・社会科。【概要】異称『祭礼往来』。半紙本一冊。奈良周辺の寺社の祭神や祭礼の様子を記した往来。「抑、南部春日大明神者、本地釈迦如来、衆生之施利生、慈悲万行之御神…」と起筆して、春日神社・若宮神社の本地や祭礼日、その際の人々の装束、神馬の装飾品、諸役の様子、行列の概要等を紹介する。寺社祭礼を中心に綴った初期の往来として重要であろう。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆なんにょおしえぐさ [2854]
男女おしゑくさ(仮称)‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本二巻合一冊。人間の一生を旅に喩えて綴った教訓絵本。まず幼少の父母の慈愛を象徴する「二恩ゑの木」から始まって、「乳母が石」「乳のみ井」「かみを木(髪置)」「袴木(袴着)」「にんばく堂」「きまゝのもみぢ」「手習橋」「元服石」「六道の辻」「謡ばし」「鼓が滝」「芸能山」「先生山」と道中記風に通過儀礼や発達段階に即した童蒙心得を述べ(以上上巻)、さらに成人向けの教訓文と挿絵を下巻に掲げる。〔小泉〕
◆なんにょきょうくんのしょ/なんにょきょうくんしょ [2855]
男女教訓書‖【作者】不明。【年代】嘉永五年(一八五二)以前刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。寛政元年(一七八九)刊『通俗教訓往来』†をやや簡略化した往来。まず「抑筆道は、人たるものゝ万用を達する根本也…」と筆を起こして筆道の重要性について述べ、以下、貴賤に関わらず幼少よりの筆道稽古が必要なこと、父母・師匠への礼や挨拶、寺子屋での学習態度などについて種々諭し、最後に父母や師の恩に報いるべく学業に励むべきことを説く。本文を大字・五行・付訓で記す。見返および頭書(二丁表まで)に「年中五節句并八朔の事」を掲げる。なお、小泉本に「嘉永五子年」の書き入れがある。〔小泉〕
◆なんにょたしなみぐさ [2856]
男女嗜艸‖【作者】吉田周鳳(春秋堂)作・書。【年代】文政八年(一八二五)刊。刊行者不明(施印)。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「埃にまじわる世之中に降り暮したる五月雨…」で始まる七五調の文章で、正直、孝、法の遵守、主への服従、師の教えを守る、兄弟和順など諸教訓を説く。本文の大半が「病者之夜食好、貧乏人之酒好、幼者之煙艸好、若女之撮(つまみ)食、男之化良々々(けらけら)わらひ…」といった日常生活上の不躾けや悪行の羅列である。書名に『男女』を冠する点から、男女に必要な教訓を建前としているものの、いずれかといえば「若女の不結髪、お媼姥(ばば)之化粧達(だて)」といった女性に対する厳しい戒めが多い。本文を大字・四行・付訓で記す。刊行地は不明だが、刷りからいって田舎版であろう。なお、本書とほとんど同文の往来に天保二年(一八三一)刊『専玉古状揃貨蔵』の頭書「男女孝行草」があるが、これら刊本からの抄録の可能性もある。〔石川〕
◆なんぶおそれざんもうで [2857]
〈新鐫〉南部於曽礼山詣〈古歌并里程附〉‖【作者】燕石斎薄墨作。【年代】天保三年(一八三二)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】地理科。【概要】異称『於曽礼山詣』。中本一冊。「霞立春の朝、窓の梅に鴬の囀を聞、野辺に萌える百草の時知顔なるも面白し…」と筆を起こし、仙台から南部於曽礼山(恐山)までの参詣路に沿って各地の春の風景や名山・名所旧跡を紹介した往来。仙台相去、和賀川、花巻、国見山、岩鷲山、早池峯山、郡山駅、来神川(北上川)、盛岡城下(神社仏閣)、厨川、安倍社、末松山、野田玉川、壺の碑に続いて、恐山の沿革・本尊・境内の様子、また周囲の名所・温泉など一通りを記す。風趣や物産、風俗、寺社縁起・祭礼、その他故事等にも触れる。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「南部盛岡之全図」と本文中に「南部宇曽利山円通寺境内之図」を掲げる(いずれも鳥瞰図)ほか、頭書に各地の風景画と「仙台城下より南部於曽礼山」まで道法并松前海上里数、名所旧跡紀」を掲げる。〔小泉〕
◆なんようめいぶつ [2858]
南陽名物‖【作者】星埜喜一書。【年代】天保八年(一八三七)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。七五調で紀州地方の地名と名物(特に魚介類・食物・山菜類など)を綴った往来。「抑当国三方は平地を闕、去ば海辺の類多し。先、若山の湊浦には筋鰹…」で始まり、以下、松江の蛤・加太の若布・雑賀崎浦の鯛など各種海産物の産地をあげ、続いて、那智の黒石・熊野の白蜂・玉置の檜杖・安田の紙葛・有田の蜜柑など山間部の産物に移り、山菜・野菜等を列記し、さらに名酒・薬種・細工物など市中の名産品をあげ、饅頭を土産に子どもの待つ自宅へ足早に帰るという一文で終わる。本文を大字・三行・無訓で記す。なお、本書末尾を改編したものに安政四年(一八五七)書『紀州名物』†(東京大学蔵)がある。〔小泉〕





◆にいがたおうらい [2859]
新潟往来‖【作者】佐藤源助書。【年代】天保(一八三〇〜四三)頃書。【分類】地理科。【概要】特大本一冊。「長閑なるけしきにまかせ、此度、新潟一見いたしまいらせ候。さて聞しに勝る有様や、まつ御白山の結構・拝殿には思ひに絵馬奉納、前には大川漫々として…」で始まり「…清水焼の茶碗二つ、塗下駄二足御娘子達へ進しまいらせ候。かしく」と結ぶ全文一通の女文形式で、新潟近辺の神社仏閣・名所旧跡等を紹介した往来。新潟を中心に各方向に見える眺望や、町々や参詣路の様子にも触れる。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆にいちてんさく [2860]
〈新撰早割〉二一天作‖【作者】不明。【年代】文久元年(一八六一)刊。[甲府]井筒屋豊兵衛板。【分類】理数科。【概要】異称『〈新撰早割・江戸相場〉二一天作』。中本一冊。『塵劫記』†と『改算記』†を折衷した「改算塵劫記」類から特に八算・見一の基本部分だけを抽出して編んだ簡易な算書。書名は算盤の割算九九の冒頭の「二一天作五(旧式珠算で一を二で割った商が五となること)」に由来し、広く日用算術を意味した。巻頭に「継子算の事」「九九のかず」を掲げ、本文に「貸金利を見る事」「絹布代銀割やうの事」「ねずみざんの事」「かけてわれるさんの事」「八算の図」「見一の次第」「普請方の事」、頭書に「入れ子ざん」「油売買の事」「袖はかりわくる事」「田畑間数名の事」「杉なり積俵のかずを知る事」「御蔵前相場わりの事」「銀つかひ早割」「銀相場割の事」など、『塵劫記』のうちの基礎的計算方法を載せる。巻末に「銭相場早見」を掲げる。〔小泉〕
◆にしきのうみ [2861]
錦乃海‖【作者】長谷川妙躰(筆海子)書。【年代】享保一〇年(一七二五)刊。[京都]荒川源兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『にしきのうみ』。大本三巻三冊。比較的短文の女文三一通と和歌二首を収録した散らし書きの女筆手本。上巻には「姫宮の参詣の噂を聞いた者からの手紙」や「男子安産祝儀状」など一〇通、中巻には「屏風借用の手紙」「亥の子祝儀状」「紅葉狩り同伴希望の手紙」「初午参りの文」「宇治川の蛍見物誘引状」など一二通、下巻には「暑中見舞い」「七夕祝儀状」「八朔祝儀状」「『古今和歌集』借用の文」など九通を収録。いずれも四季消息文を主とするものの、季節順の書状配列をとらないのが特徴。各巻見返に、挿絵とともに女筆心得「手習の仕用の事」を掲げ、また巻末に折形、片仮名イロハ、篇冠字尽などの記事を載せる。このうち「手習の仕用の事」は長谷川妙躰が自らの書論を展開したほとんど唯一の記述として貴重である。〔小泉〕
◆にしさんじょうどのながぶみ [2862]
西三条殿長文‖【作者】不明。【年代】享保(一七一六〜三六)頃刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】異称『長文』『三条西殿御息女えの文』『烏丸帖』ほか。大本二巻二冊。上巻のみ存し、全文(前文と一〇カ条の教訓文)のうち第四条の大部分を載せるので、第四条末尾以降が下巻収録と思われる。ほぼ同文の正徳五年(一七一五)刊『女童子往来』†所収記事によって補うと、婚礼をひかえた西三条殿(息女)へ嫁入り後の心得一〇カ条を諭す女文形式で、第一条「慈悲・柔和・貞節」、第二条「客への応待」、第三条「召使いの指導法」、第四条「夫婦間の心得」、第五条「親疎へだてなく上手に交際すること」、第六条「声高に看経しないこと」、第七条「言葉遣いと多言の戒め」、第八条「人の話を誠実に聞くこと」、第九条「他人の誤ちや欠点を笑わないこと」、第一〇条「贈り物を頂いた時の心得」を説く。宗祇作と伝えられる『仮名教訓』†を原型とする女子教訓で、近世刊本の嚆矢である承応三年(一六五四)以前刊『女手本〈かほよ草〉』†以後、箇条数やその内容・配列等を変えながら、数多くの改編・改題本を生んだ。本文を大字・五行・所々付訓で記す。上巻頭書には、「女子そだて鑑」「女ことはつかひ」「立居ふうぞく」「かみけしやう」、その他躾方作法全般の記事を載せる。〔小泉〕
◇にじゅうしこう [2863]
二十四孝‖【作者】熊沢蕃山(伯継・了介・了海・息游軒)作か。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】江革・仲由を入れる点で、『日記故事』系統の『二十四孝』の一つと見られる。各丁表の上段に添えられた挿絵の図様には多分に中国刊本を模した観がある。一丁に一話を配し、和訳風の本文の後に、それと同程度の分量で記される評論が本書の際立った特徴である。「武家の代には旗本の歴々に同じ」(朱寿昌)などの論には、著者熊沢蕃山の立場がわずかにうかがえる。〔母利〕
◆にじゅうしこう [2864]
二十四孝‖【作者】小杉J々斎作・序・跋。【年代】江戸後期刊か。[京都]小杉J々斎施印。【分類】教訓科。【概要】異称『幼童覚草』『おほへ艸』。横本一冊。幼児に孝道を諭すために各丁の表に二十四孝の事跡を掲げ、その裏に孝子像を描いた往来。玉川大本に僅かに残った題簽から、原題は『二十四孝』と思われる(柱『廿四孝』)。本文を小字・一六行・所々付訓で記す。巻頭に寺子屋学習風景を描き、小杉氏の寺子屋規則たる「幼童覚草」九カ条を掲げるが、その末尾に「右は毎月六の日講釈に呉々申上候あらかじめをしるす…」とあるため、月三回この規則を教諭(これを「前訓」と称した)する定めであったが、跋文によれば、前訓のたびに本書一丁分を配布し、二四回で本書一冊を与えたとするから、石門心学における『前訓』の講義方法を寺子屋教育に導入したものであろう。〔小泉〕
◇にじゅうしこう [2865]
〈絵本〉廿四孝‖【作者】渓斎英泉作・画・序。【年代】天保一五年(一八四四)刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。表紙は孟宗を描いた多色刷り。序は、郭巨・孟宗・呉猛・董永・王祥などの行為が「各其理論にあたらず妄説を称するに似た」ものであると批判しながら、「事の虚実は暫措きて孝子の名千載の美談となること羨むべし」と締め括っている。半丁あるいは一丁に一話を配すが、英泉独特の人物画を中心として、その余白に半丁あたり二〇行ほどに本文を細かく添えた絵本である。江革・仲由を入れる点で、近世後期に流布した『日記故事』系統の『二十四孝』を受けるものであるが、「ふるくより伝へ来るものなれば」として、張孝張礼・田真田広田慶の二話を追加し二十六話としている。巻末の「『東見記』に載るところ、毛利拙斎の『廿四章孝行録』、『廿四孝評』、松会(「まつゑ」と読み仮名を付すのは重要)板の『廿四孝諺解』、其他板行の物数多あれば…」という跋文的な文章は、『二十四孝』の享受を考えるうえで貴重である。〔母利〕
◆にじゅうしこう [2866]
〈大字絵抄〉二十四孝‖【作者】不明。【年代】安永五年(一七七六)刊。[仙台]本屋治右衛門ほか板。また別に[仙台]伊勢屋板(安永八年板)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『〈大字絵抄〉弐十四孝』『〈新板絵抄〉二十四孝』『〈新板絵抄〉二十四孝集』。大本一冊。いわゆる「二十四孝」を題材にした絵入りの往来。大舜以下の孝子について半丁に一人ずつ事跡を綴った五言四句の漢詩文を大字・五行大・付訓で記し、続いて、やや小字・一〇行・付訓の解説を付し、さらに上段に挿絵を置く。『二十四孝』は、江戸初期より頗る多く出版されたが、本書は往来物の体裁を備えた仙台板の例で、巻頭に「孝の始」「孝の終」の記事を掲げる。〔小泉〕
◆にじゅうしこう [2867]
〈首書〉二十四孝‖【作者】不明。【年代】天和二年(一六八二)刊。[江戸]万屋庄兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『頭書二十四孝』。大本一冊。慶長〜寛永(一五九六〜一六四四)期の嵯峨本『二十四孝』を踏まえた多種の『二十四孝』が流行したが、本書はその系統の本文を引きながらも、新たな趣向として五言賛の字句に詳細な注釈を加え頭書に仕立てたもの。一丁に一話を配し、各丁の表は上段に挿絵、中段に語注、下段に本文、裏は上段に語注、下段に本文の変則的な体裁をなす。本文をやや小字・一〇行・所々付訓で記し、割注を随時挿入する。江戸板の『二十四孝』としては明暦二年(一六五六)・松会市郎兵衛板に次ぐ。〔母利〕
◆にじゅうしこうえしょう [2868]
廿四孝絵抄‖【作者】毛利拙斎作・跋。【年代】寛文五年(一六六五)刊。[京都]婦屋仁兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈絵入〉二十四孝抄』『二十四章孝行録抄』。大本二巻合一冊。江戸初期の代表的な絵入り『二十四孝』の一つ。上巻に「大舜」以下一二名、下巻に「朱寿昌」以下一二名を載せ、それぞれ、まず数行の仮名文で事跡を略述し、さらに短い漢文(訓点付き)に詳しい邦訳を添えて理解を深め、最後に「詩曰」で始まる五言賛で締め括ったうえで半丁分の挿絵を置く。本文(注釈文)をやや小字・一二行・付訓で記す(漢文および五言賛は大字・付訓)。上下巻それぞれに目録を付すが、「第一、大舜の孝に感じて、象・鳥耕作をたすくる事」のように、行状の概要まで紹介するのが特色。なお、編者識語には「毛利氏拙斎、於六条僑居、応愚婦・童蒙之需記畢。時二十四歳」とある。〔小泉〕
◆にじゅうしこうえしょう [2869]
二十四孝絵抄‖【作者】熊沢蕃山原作。草加崑山(定環・修文・和助・宇右衛門)編。浦川公佐画。【年代】天保一三年(一八四二)刊。[大阪]秋田屋太右衛門(宋栄堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『二十四孝評註』。中本一冊。江革・仲由を入れる『日記故事』系統の『二十四孝』に、「張孝・張礼」「田真・田広・田慶」の二話を追加した二六話を収める。江戸中期刊『二十四孝』(熊沢蕃山作か)から各話後半の評を除き、さらに和刻版風の挿絵を当世風に改めたもの。「附言」に、「近世刊行する所、二十四孝の画伝・註解等書数多ありといへども、いづれも仲由・江革の二孝子を除き、易ふるに田氏・張氏の両氏孝をもつてす」とあるのは、天保一三年時点での状況ではなく、熊沢了介が本書を著した江戸前期における『二十四孝』流布の状況を示すものであろう。「張孝・張礼」の後に、「廿四孝評」として長文の孝論を展開する。「平人凡情の及ばむ処にあらず」「後学の人は大舜を師とすべし」「後の人の手本にはなりがたき事也」「その志は愛すべし。其事は学びがたし」「是非を論じがたし」などと、大舜以下それぞれの孝子について評論する。本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。なお、見返に「備前、熊沢了介編撰」と記すものと、「備前、草加定環編撰」と記すものの二様あるが、蕃山の著作を定環(蕃山の外孫)が編集したことを物語る。〔母利〕
◆にじゅうしこうえしょう [2870]
〈新版〉二十四孝画抄‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『二十四孝』。中本一冊。江戸後期の絵入り『二十四孝』の一つ。半丁に一人ずつ二四人の小伝と挿絵を載せ、欄外上部に五言四句の賛を置いた往来。〔小泉〕
◆にじゅうしこうえとき [2871]
廿四孝絵解‖【作者】岡田玉山作・画。【年代】天明八年(一七八八)刊。[大阪]池永太郎吉(寧倹堂・豹・秦良・南山道人・豹山逸人)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『画本廿四孝』。半紙本一冊。『二十四孝』の絵抄本。本書見返によれば「初に四言の標題を大書し、素読して勧孝の助とし、次に其図を画き、孝子の徳行をあらはし、百行の始たる教訓を示す」とある。四言標題を楷書・大字・五行・無訓、孝子小伝を行書・小字・一二行・付訓で記す。本書は天明八年初刊と考えられるが、寛政元年(一七八九)に再刊された後、寛政四年に『画本廿四孝』と改題された。また、元禄一一年(一六九八)刊『俗語教・道戯興』†の板木を一部改刻した『新実語教・新童子教』を後半に合綴した『〈増補〉絵本二十四孝』†など種々の類本がある。〔小泉〕
◆にじゅうしこうおさなこうしゃく [2872]
二十四孝稚講釈‖【作者】松亭金水校。静斎英一(小林市太郎・英一・山下園)画。【年代】江戸後期刊。[江戸]菊屋幸三郎板。また別に[江戸]三河屋善兵衛板あり。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。虞舜から黄庭堅までの二四人の孝子を紹介した絵本。見開き二頁に孝子を描き、孝行の様子を簡潔に記した小伝を上方または下方の余白に置いたもの。『講釈』と称するが、逐語的な注釈書ではない。〔小泉〕
◆にじゅうしこうげんかい [2873]
二十四孝諺解‖【作者】不明。【年代】貞享三年(一六八六)刊。[大阪]三郎兵衛(本屋三郎兵衛か)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈新板絵鈔〉二十四孝諺解』。大本または半紙本一冊。大本の貞享三年板(江戸・平野屋清三郎、大阪・三郎兵衛板)のほかにその覆刻板、あるいは半紙本の元禄四年(一六九一)板(江戸・山口屋権兵衛板)など数種の板種がある。二十四話の孝子は、近世前期に流行した嵯峨本系統の人物をとるが、本文は異なる。各話本文の末尾に五言賛を置き、さらに賛の注釈を続ける。ただし、「隊々とは、象がむらがり田をかへすを云也。春に耕とは、二月の比、田をかへすゆへ春といふ也…」のような注釈部分は、ほとんど全てが天和二年(一六八二)刊『〈首書〉二十四孝』†の頭書を巧みにつなぎ合わせて流用したものである。一丁に一話を配し、各丁表下段に大きく挿絵を添える。貞享三年板(大本)は、本文をやや小字・概ね一四行・付訓で記す。〔母利〕
◇にじゅうしこうずえ [2874]
二十四孝図会‖【作者】小林其楽(南里亭・高悦・江陵山人・播磨屋小六)作・序。葛飾戴斗(戴斗二世・近藤文雄・伴右衛門・斗円楼北泉)画。【年代】文化一五年(一八一八)序。文政五年(一八二二)刊。[大阪]河内屋嘉助ほか板。また別に[大阪]河内屋源七郎ほか板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『廿四孝図会』『絵本二十四孝』。半紙本一冊。『二十四孝』(大舜〜山谷の二四人)の略伝に戴斗(北斎門人)挿絵を添えた絵本。巻頭に編者の題言「至孝充和漢倍耀、芳名伝千載愈芬」を置いた扉絵を掲げ、以下、孝子を見開き挿絵で大きく描き、その上欄または左側に、まず人物名と五言四句の頌詩を掲げ、続いて孝子の事跡を和文で紹介する。〔小泉〕
◆★にじゅうしこうずえ [2875]
〈和漢〉二十四孝図会‖【作者】柳下亭種員(金次郎・万太郎・坂本屋新七・麓園)作・序。歌川広重二世(歌川重宣・安藤広重・立斎広重・一立斎・立祥)画。【年代】嘉永二年(一八四九)序・刊。[江戸]藤岡屋慶治郎板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。中国の『二十四孝』にならって日本の二四人の孝子(仁徳天皇・養老孝子・丈部(はせべ)三子・樵夫(きこり)喜十郎・矢田部黒麿・藤原衛(やかもり)・波白采女(はじのうねめ)・紀夏井(きのなつい)・小野篁・丹生弘吉(にぶのひろよし)・大江挙周(たかちか)等)の小伝と挿絵を集めた絵本。後半には大舜からレ子(えんし)までの二四孝子を集めた「漢土二十四孝」を合綴する。各丁とも上三分の一を小伝にあて、下三分の二を挿絵とする。なお、本書後半部の抄録本『〈嘉永新刊〉二十四孝』も同時期に刊行されている。〔小泉〕
◆にじゅうしこうずかい [2876]
〈新改正〉廿四孝図解‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[大阪]勝尾屋六兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『廿四孝絵抄』。半紙本一冊。本文や挿絵の図柄は、近世前期に流行した明暦二年(一六五六)松会板『二十四孝』の稚拙な模倣という印象を持つが、江革・仲由を入れる点で、近世後期に流布した『日記故事』系統『二十四孝』の性格を有することは明らかである。扉に「鳩ニ三枝ノ礼有リ、烏ニ反哺ノ孝有リ」の文と口絵、末尾刊記の前に、「今ノ孝ハ是能ク養フコトヲ謂ヘリ…」などの『論語』等より抜粋した孝論を添える。〔母利〕
◆にじゅうしこうわくもんしょうかい [2877]
廿四孝或問小解‖【作者】熊沢蕃山(伯継・了介・了海・息游軒)注。小山知常(智常軒)跋。【年代】宝永七年(一七一〇)跋。寛政二年(一七九〇)刊。[京都]吉田屋新兵衛(文徽堂・山田新兵衛)板(文化一〇年(一八一三)求板)。【分類】教訓科。【概要】異称『廿四孝惑問小解』『二十四孝評』『二十四孝小解』。大本一冊。蕃山による『二十四孝』の注釈書。各丁の表二分の一上段に孝子肖像を置き、その下段とその裏側(次頁)に孝子小伝とその意義などを解説する。巻末には『二十四孝』に関する問答形式で「孝道至理」を説くが、その中で、弓道の的に喩えて、大舜の孝は黒星を射抜いたが他の孝子は的に当たったようなものだとして、あくまでも大舜を目標にすべきことを諭す。本文をやや小字・一〇行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◇にじゅうしこうわげ [2877-2]
廿四孝和解‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[大阪]塩屋忠兵衛(鹿島献可堂)板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。頭書に孝子像を描き、本文欄にまず五言賛、続いて孝子略伝を掲げた『二十四孝』。絵柄からすれば、江戸初期刊本の再板本と思われる。本文を小字・一四行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆にじょうかんぱくきょうくんのじょう [2878]
二条関白教訓之状‖【作者】不明。【年代】享保一八年(一七三三)書。【分類】教訓科。【概要】異称『関白状』『二条関白教訓状』『摂政関白太政大臣教訓書』。享保一八年写本は特大本一冊(大字・五行・無訓)。二条関白摂政大臣作(仮託であろう)とされた二四カ条から成る教訓で、近世の手習い手本として使用された。まず第一条に「抑従昔被定置事、申疎候得共、成親成子事、前世之契不浅…」と筆を起こして親子の縁の深さやこの世の無常、また五常の道について述べ、「五常をも智べき人のしらざるは、のちの世までもふとくぞときく」の教訓歌を掲げる。以下、教訓歌を交えた条々で、慈悲・正直、奉公、手習い・学問、分限・質素、公事・沙汰、親不孝、下人への非道、聴聞等の心得、友人、神仏崇拝、他人との交際、弓馬の道、読書、博打等、上下・同輩に対する態度・心得等の処世訓を説く。〔小泉〕
◆にせつしいかけつえい [2879]
〈歳旦・七夕〉二節詩歌ス英‖【作者】沢井慎父・沢井通顕(鶏石居士)作。石原東堤(和・子周)序。沢井通顕跋。加野美竜・沢井通顕書。【年代】文政四年(一八二一)序・刊。[名古屋]永楽屋東四郎ほか板。【分類】社会科。【概要】半紙本二巻合一冊。手習いにふさわしい二節詩歌(書初詩歌・七夕詩歌)合計二〇〇首を和漢諸書から集録した往来。上巻を歳旦の部、下巻を七夕の部とし、それぞれ前半部に漢詩、後半部に和歌を収録する。漢詩は五言・七言古詩、五言・七言律詩、七言絶句の順に掲げる。漢詩を大字・六行・付訓、和歌をやや小字・九行・稀に付訓で記し、それぞれ行末に作者名を付記する。若き日の作者が『和漢朗詠集』における二節詩歌が乏しいのを不満に思い、諸書から抜き書きしてきた漢詩に、作者自詠の和歌を加えて本書が完成したという。〔小泉〕
◆にせんじもん [2880]
〈学字階梯〉二千字文‖【作者】飯田大鵬作。東条琴台序。伊藤桂洲書。蒲生重章(子闇・聚亭・精庵・青天白日楼)跋。【年代】明治七年(一八七四)序・跋・刊。[東京]飯田大鵬蔵板。有隣堂売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「混沌一元気、剖為両儀纏、独屈降就地、清伸昇成天…」で始まる漢字五字一句、合計四一〇句二〇五〇字から成る文章で、この世の成り立ちや士農工商の職務、万民の心得などを述べた往来。天地から万物が生じて政治が始まった経緯や、正しい統治とその下での武士・農夫・工匠・商賈の姿、そのほか世の中全般や山海の生物、さらに学問・宗教などについて説き、最後に皇国の理想像を描く。皇国民の心得とともに日常語の学習に備えた教科書である。本文を楷書・やや小字・八行・無訓で記し、頭書に本文要語の注解を掲げる。〔小泉〕
◆にたいしょうそくおうらい/にていしょうそくおうらい [2881]
二体消息往来〈広岡栄編輯〉‖【作者】広岡栄作。菱斎書。【年代】明治一七年(一八八四)刊。[金沢]中越久二蔵板。近八書房売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈二体〉消息往来』。やや枡形に近い半紙本一冊。近世期に流布した『累語文章往来(消息往来)』†の明治期改編版。半丁に大字・三行(一行四字)・無訓で綴り、本文を一行おきに楷書・行書で記すため「二体」と称する。他の明治期改編版『消息往来』と大同小異の内容で、部分的に「皇族・華族・士族・平民・生徒・諸生・官員…」や「衆議・会議・寄合…」「電信・郵便・飛札到来…」といった近代社会生活上の用語を補う。巻末に、活版の本文(小字・一一行・付訓)を付す。〔小泉〕
◆にたいべんれいりっしんじょう [2882]
〈石田武服著・村田海石書〉二体勉励立身帖‖【作者】石田武服作。村田海石書。【年代】明治年間刊。[大阪]刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『〈真行〉勉励立身帖』。半紙本二巻二冊。児童が目標とすべき立身出世の指針を示した陰刻手本。「夫、人民稟生於天地間、各自可営分限之業、積功食力…」で始まる準漢文体の短文で、就学時の心得から成人後の大志までのあらましを述べる。半丁二行、各行三字ずつ楷書・行書の二体・無訓で綴り、上巻巻頭に付訓本文(「勉励立身帖仮名附」)を再録する。〔小泉〕
◆にちようおうらい [2883]
日用往来‖【作者】本田庄作書。【年代】元治元年(一八六四)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。農家子弟に必要な慶弔関連の語彙や日用の食品名などを列記した往来。「抑百姓之門に者、東西之業甚雖繁、凡民家之幼童者、儒者・学者之非明徳而者、難習覚候得者…」で始まる文章で、まず農家児童は昼夜に勤学すべきことを諭し、続いて各種祝儀に用いる語句(祝儀品・贈答品)、婚礼・結納の品目、葬儀や法事に必要な語彙(香奠・供物等)、また日常の食品名(野菜・山菜等)を列挙した後、幼少より学問に出精して博奕・遊芸に耽らないことを諭して締め括る。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆にちようおうらい [2884]
〈商家〉日用往来‖【作者】不明。【年代】安永七年(一七七八)刊。[京都]丸屋源兵衛(奎文館)板。また別に[京都]美濃屋平兵衛板(後印)、[京都]竹原好兵衛板(後印)あり。【分類】産業科。【概要】異称『商家日用往来』。半紙本一冊。近世流布本『商売往来』†に漏れた語彙を中心に集めた往来。「凡、商家取扱品々、先店売場の請払、現銀、掛売、糶売(せりうり)、判書、印判、印肉、書出、〆高、送状…」で始まる文章で、商業用語、雑穀、絹布・織物類(染色・染模様)、武具・馬具・雑具、薬種、魚鳥、草木、青物の名称などを列記する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻末に「十干十二支絵図」と四字熟語を掲げる。柱に「奎文館」と記すから、丸屋板が初刊であろう。〔小泉〕
◆にちようおうらい [2885]
〈通商必携〉日用往来‖【作者】大須賀竜潭(藤墨洲)作・序。吉田庸徳校。【年代】明治六年(一八七三)刊。[埼玉]大須賀竜潭蔵板。[東京]鶴屋喜右衛門(仙鶴堂)ほか売出。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。自序で「文明開化、万国交際」の時にあたって変化する舶来諸品や日用語など「商売通用の文字」を集めたとするが、実際は近世流布本『商売往来』†の本文を模倣して商業および日用新語を多く導入した新編『商売往来』である。「凡商売、取扱ふ、文字は其数、多けれど、日々入用の、荒増は、取遣・日記、諸証文、手形・注文、送状…」のように七五調・美文体で綴るのが特徴。内容は、通貨(新旧貨幣、外貨)、度量衡、商家建築、船舶・国旗、諸機械・器具、織物・衣類、日用雑貨、穀類・野菜・果実、日用食品・料理、調理具・食器、家屋・家具、兵器・軍用品、諸道具、金石、薬種・薬品・製薬量、交通・通信、発明品、樹木・草花、鳥獣・虫・魚介類の語彙を列記し、最後に売買・通商および日常生活における商家子弟心得で結ぶ。本文を大字・四行・付訓で記し、漢語や外来語に左訓を施す。〔小泉〕
★にちようさくぶんたいせい [2885-2]
〈雅俗必読〉日用作文大成‖【作者】平木保景編。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[京都]細川清助蔵板。[京都]吉田甚兵衛ほか売出。【分類】消息科。【概要】中本三巻三冊。上段に「四季慶弔等ノ例文」を数段に分割して、それぞれの類語・類句を略注とともに列挙し、下段に「民間平生用ル所ノ往復文百有余章ノ作例」を集録した用文章。二等分された上下欄のうち上段には、上巻に「新年ヲ賀スル文」以下一一通、中巻に「出仕ヲ賀スル文」以下一二通の例文と類語・類句(割注)、さらに中巻末尾より下巻にかけて「啓頭」以下の分類毎に書簡用語を集録する。また、下段には上巻に「新年ヲ賀スル文」以下六一通、中巻に「新茶ヲ贈ル文」以下六三通、下巻に「博覧会誘引ノ文」以下六四通の合計一八八通を収録する。また下巻末尾数丁は上下の区別なく、一人称・二人称・時日等の異称を集めた「異名分類」を掲げる。全編銅版刷りで、上段を小字・一四行・所々付訓、下段をやや小字・八行・所々付訓(漢語に左訓)で綴る。〔小泉〕
◆にちようさんぽうか [2886]
日用算法歌‖【作者】深沢数政作。大田南畝(蜀山人・覃・直次郎・四方赤良・山手馬鹿人・杏花園・寝惚先生)序。【年代】文化二年(一八〇五)刊。[江戸か]深沢数政蔵板か。【分類】理数科。【概要】一枚刷(両面刷)。諸職・商売に必要な日用数学の簡単な例題を掲げ、その解法を和歌で示したもの。「穀類売買之事」「万利延算乃事」「桶箱ニ入桝の事」「材木板類算の事」「俵杉H算の事」「諸色配分算ノ事」「川除御普請算の事」「六角三角定法の事」「地形算の事」「米売買并取替算」「木綿布売買算」「入子なべ算」の各計算法と「割かけ位の事」「算数詞の事」の記事を収録する。例えば、米一斗三升入り一俵一六匁の場合、一両でどの程度になるかという問いに対して、「六二四と定法おいて一俵の、代にてわればさうばをぞ知」の和歌を掲げる。〔小泉〕
◆にちようしょうばいおうらい [2887]
〈文化増補〉日用商売往来‖【作者】春候堂作。碧雲居画。堺屋嘉七(尚文館)序。【年代】文化一二年(一八一五)刊。[京都]堺屋嘉七板。また別に[大阪]藤屋徳兵衛ほか板(後印)あり。【分類】産業科。【概要】異称『新増商売絵入』『新増商売往来』。半紙本一冊。元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†の語彙を増補・改編した往来。商取引関連語を始め、衣類・食物・家財・武具・馬具・獣類等を大幅に増補する一方、薬種・鳥類の語彙を削減した。本文を大字・六行・付訓で記す。「夫、商売平生取扱文字次第不同、雖為混乱、荒増者、日記、注文、証文、送状、請取渡、員数、目録…」で始まる本文中に、「板元店頭」「米問屋」「呉服商」など数葉の挿絵を載せる。巻頭に「九九」「京町尽」、巻末に「男名頭字尽」「日本国尽」を収録する。〔小泉〕
◆★にちようしょじょうだから [2888]
〈商人必要〉日用書状宝‖【作者】山田賞月堂作・書・画。【年代】天保一三年(一八四二)刊。[京都]丁子屋源次郎ほか板(文久二年(一八六二)求板)。【分類】消息科。【概要】異称『〈万家必要〉日用書状宝』『〈御家手本〉日用書状宝』。横本一冊。庶民日用の消息および証文類の例文を七部に分けて収録した用文章。分類と収録書状数は、「四季之部・上」(「年始状」以下一五通)、「四季之部・下」(「節祝に招状」以下一八通)、「祝儀之部」(「婚礼祝儀状」以下一六通)、「見舞之部」(「近火見舞状」以下九通)、「雑用之部」(「未逢人え遣状」以下一五通)、「商用之部」(「初注文申遣状」以下二六通)、「証文手形之部」(「銀子預手形」以下五通)で、七部合計一〇四通。商家用文が比較的充実している反面、証文類が乏しい。本文を大字・七行・付訓で記す。各部の仕切りとして書簡作法の諸知識についての記事一丁を挟む。また、巻末「文章用字九段之事」は端書(手紙の冒頭語)・返事端書・書止(書簡末尾の語句)・様の字・殿の字をそれぞれ「上々」から「下々」の九段階に分けて列挙したものである。なお、本書のうち「商用之部」以下を削除した改題本が弘化三年(一八四六)刊『要用書状箱』†である。〔小泉〕
◆にちようしょしょうもん [2889]
〈印税適当〉日用諸証文‖【作者】山崎真三作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[大津]沢宗次郎(五車堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。明治初年の日常生活に必要な公用文各書式を、印税法による分類に従って掲げたもの。三類に分かれ、第一類は「売買ニ管スル金銭受取書」以下一三例、第二類は「借用金証文」以下二五例、第三類は「荷物受取書」以下四例の、合計四二例を収録。本書は手習い手本用に綴られており、本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇にちようぶん [2890]
〈習字兼用〉日用文‖【作者】小野鵞堂(v之助)作・書・序。【年代】明治三八年(一九〇五)序・刊。[東京]近江屋半七(吉川半七・弘文館)板。【分類】消息科。【概要】異称『日用書』。半紙本一冊。序文によれば『小学手紙の文』の改題本。口上書と消息文例を集めた手本で、前半に「今日はよき天気に候」など四三の口上書の例をあげ、後半に「祝賀の部」「誘引の部」「見舞の部」「問合の部」「招待の部」「報知の部」「贈与の部」「注文の部」「依頼の部」「貸借の部」「請取并送状の部」「軍事の部」の一二部門に分けて一四三通の短文の消息文を収録する。各部とも四〜八通程度の書状を含むのに対して、最後の「軍事の部」には、祝捷・慰問・弔慰の文章を三二通も収録し、これにかなりの比重を置く。各例文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◇にちようぶん [2891]
〈小学読本〉日用文‖【作者】三島豊三郎作。松山亮校。野際以雅書。和歌山県書記官序。【年代】明治一三年(一八八〇)序・刊。[和歌山]野田大二郎(眉寿堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。前半は、「一筆、一簡、書面…」「啓上、啓達…」「仕候…」等の書簡用語をいくつかの類語を交え示した後、それらの用語を組み合わせた「一筆啓上いたし候」などの文を例示する。上冊後半からは、様々な場面に即した短文の日用私用文例を列挙する。本文を大字・四行・無訓で記す。〔母利〕
★にちようぶん [2891-2]
〈普通開化〉日用文‖【作者】志貴瑞芳編・序。名和対月書。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[大阪]前川善兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『普通開化日用文』『〈普通〉開化日用文』。半紙本一冊。「年首之文」から「歳暮之文」までの五〇通を収録した用文章。本文を行草書・大字・四行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。四季贈答の手紙や、招待・誘引・見舞い・祝儀・依頼・相談・催促・弔問など諸用件の手紙で、例文中に出てくる要語の類語を数通毎にまとめて楷書・小字・八行・付訓で掲げ、特に難解語句に割注を施す。〔小泉〕
◆★にちようぶんしょう [2892]
〈童蒙簡略〉日用文章(初集・二集)‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】初集は明治六年(一八七三)刊、[東京]書学教館蔵板、山崎屋清七(山静堂)売出。また別に[甲府]内藤伝右衛門(温故堂)板あり。二集は明治七年刊、[東京]書学教館蔵板、[甲府]内藤伝右衛門売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈深沢菱潭著〉日用文章』『〈深沢菱潭著并書〉日用文章』。半紙本二編二冊。初集・二集とも漢語消息二四通ずつ収録した手本兼用文章。例文を大字・四行・所々付訓(稀に左訓)で記す。初集は、新年祝儀状を始め季節の推移に伴う例文とともに、新時代を反映した諸般の事柄(公用出張、神武天皇祭日の『日本紀』講義の案内、蒸気機関雛形の通知、中学校助教就任のしらせ)を主題とする。二集も新年祝儀状以下の四季用文を主とし、試験の通知や借用図書の返却、香港での博覧会への参加、官吏出仕に対する祝義など諸事に関する例文を含む。〔小泉〕
◆にちようぶんちゅうかい [2893]
〈頭書類語〉日用文注解‖【作者】酒井暉晁作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[大阪]田原新助(文明堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈酒井暉晁編輯・頭書類語〉日用文注解』『開化十二月帖』。半紙本二巻二冊。漢語を多用した種々の消息文に割注形式の注解を施した用文章。上巻には「新年之文」から「求師之教授文・同返事」までの二四通、下巻には「月見誘之文」から「弔喪之文・同返事」までの二一通と「四季案文」「諸証文手形書式」をそれぞれ収録する。消息文例を行書・大字・五行・付訓で記し、いずれも数段に区切って語注や関連知識を比較的詳しく付記する。頭書に「書翰類語・同いろは引」「異名類」「府県名」「州郡名」「名尽実名」「苗字尽」等の語彙集を掲げる。〔小泉〕
◆にちようぶんれい [2894]
〈亀谷行撰〉日用文例‖【作者】亀谷行作。青木東園(隆・理中)書。蒲生弘(公道)跋。【年代】明治七年(一八七四)序。明治八年跋・刊。[東京]光風社蔵板。森屋治兵衛(森屋治郎兵衛・石川治兵衛・錦森堂)ほか売出。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。消息文例と証文類雛形を集録した用文章。「漢語行ハレテ書牘ノ体裁変シ、印税発シテ証券ノ書法改マル…」という状況下で、世間日用に即した実用的な文面で綴る。巻一にはまず「書牘之部」として「賀新年往復」以下各月の往復文や「神事招人之文」から「招を辞る之文」までの合計三六通、続いて「証券之部」として「金子借用証文」以下六通を載せる。巻二には同様に「家作売渡証文」から「里子預り証文」までの二一通を掲げる。いずれも本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆にっこうはいらんぶんしょう [2895]
〈享和新編〉日光拝覧文章‖【作者】柳塘山人作・書。【年代】享和元年(一八〇一)刊。[江戸]花屋久次郎(星運堂)板。また別に[江戸]森屋治兵衛(錦森堂)板あり。【分類】地理科。【概要】中本一冊。「年来の御願成就の時至候て、此度、日光山御参拝可有之旨…」で始まる一通の手紙文で、日光参詣途上の名所や日光東照宮の景観・縁起等を紹介した往来。まず千住・草加・越谷から宇都宮・今市・日光までの順路を示し、続いて日光山の縁起・由来、周辺の名所や風景、山内の結構や眺望、壮麗な建造物の様子、中禅寺湖・華厳の滝、その他の勝景・霊地の数々を記す。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「日光強飯(ごうはん)之図」「日光山名物品類」「江戸より日光迄宿次行程凡三十六里」を掲げる。〔小泉〕
◆にっこうもうで [2896]
日光まうて‖【作者】松下堂芳山作。【年代】安政三年(一八五六)跋・刊。松下堂芳山蔵板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「嘉気満久も、かしこき御代に栖なせる、君の恵みぞありがたき、そのいさほしの御恩徳、二荒山にしづめます、東を照し給ひける、御神これぞ上もなき…」で始まる七五調の文章で、日光参詣路や日光周辺の名所旧跡を紹介した往来。前半は、千住を立って日光街道を通り日光に至るまでの道程で、実景の描写よりは、「そのくり言を栗橋や」「野もせ畑うつ宇都宮」など音の繰り返しによって地名を導き出して調子を整える修辞技巧に主眼を置く。後半は、東照宮を始めとする日光山内の堂宇について詳細に記す。実景を感動とともに写すが、その背景には「とふとけれ」「ありがたく拝礼し」といった気持ちが込められており、為政者讃美の延長上に紀行文を展開する。この点、『日光拝覧文章』†や『日光詣結構往来』†が景勝地としての日光を客観的に記述するのとは対照的である。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に千住・栗橋・宇都宮・鉢石・日光・中禅寺の眺望図を掲げる。〔丹〕
◆にっこうもうでけっこうおうらい [2897]
日光詣結構往来‖【作者】鼻山人(東里山人)作。【年代】文政七年(一八二四)刊。[江戸]岩戸屋喜三郎板。また別に[江戸]森屋次郎兵衛板(弘化四年(一八四七)板)あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈弘化新刻〉日光詣結構往来』『結構往来』。中本一冊。日光東照宮の結構やその近在の名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起等を記した往来。「夫、日光山入口朱塗の御橋は、往古(そのかみ)勝道上人、此山を開かせ給ふ時、大谷川の流本箭として渡るべき便りなき所に、忽然として大蛇出現し橋となりしより…」と筆を起こし、同地に残る伝承や来歴を交えながら東照宮の荘厳な結構や建造物に施された無類の細工の様子などを紹介し、さらに周囲の名瀑・山川・寺社にも言及したうえで、「御神恩の潤沢に驕りて今日を安穏に過る事、莫大なる御慈悲」を考えれば、万人が一度はこの地に「御礼報謝の参詣」をすべきと説いて締め括る。本文を大字・五行・付訓で記す。見返に男体山等の風景図を掲げ、頭書に「日光道中記」と「日光三滝和歌」を収める。〔小泉〕
◆★にっしんひょう [2898]
日新表‖【作者】正風山人編・序。糅緕R人作(第一輯)。橋爪貫一作(第二輯)。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[金沢]広岡堂与作(文明軒)板。【分類】産業科。【概要】異称『日新表第一輯(第二輯)』。中本二輯三巻三冊。第一輯は糅緕R人作『近古史略』、第二輯は橋爪貫一作『万国百貨撰抜』、第二輯続は橋爪貫一作『万邦百貨集』。第一輯は安土桃山時代から明治維新までの特定の権力者や政治的事件を点描した往来で、大字・六行・付訓(所々左訓)で記す。信長・秀吉・徳川時代の主要な人物や事件のあらましを述べるものの、江戸中期の記事は、天明の大飢饉と松平定信の改革に触れるのみで、通史とは程遠い。また、第二輯は明治四年刊『世界商売往来』†(初編)、第二輯続は『続世界商売往来』と全く同内容の海賊版である(本文は大字・四行・付訓)。〔小泉〕
◆にっしんようぶんしょう [2899]
〈赤堀秀香編輯〉日新用文章‖【作者】赤堀秀香作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[名古屋]文栄堂蔵板。鬼頭松次郎ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『日新用文』。中本一冊。「神祭之部」「雑之部」という独特な二部構成で、それぞれ「四方拝之日皇恩を謝する文」以下一二通、「商店を設くる文」以下六五通の合計七七通を収録した用文章。三大節や皇室行事・大祭を主題とした例文を他の例文と別格に扱う点に特徴がある。「雑之部」は、四季折々の手紙や吉凶事に伴う手紙など明治期の日常生活に即した漢語用文で、漢語に左訓を施す。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆にとくいろはおうらい [2900]
二徳いろは往来‖【作者】不明。【年代】弘化(一八四四〜四八)以降刊。[大阪]綿屋喜兵衛ほか板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。天保一四年(一八四三)刊『〈諸家取引〉随一用文章』†の前半部(用文章以外)を抄録した往来で、主に語彙に関する記事を集めて一冊とする。「大日本国づくし」、「人名づくし」(『名頭字尽』†とほぼ同じ)、「家名づくし」(同名の単行本と同様。「京・伏見・宇治」から「松・竹・梅」まで)、「改正偏冠尽」(漢字の部首の列挙)、「九九のこゑ」、「八算わり声」(「二一天作五」などの割声)、「〈生れ年により〉伊勢参善悪」、「いろは」、「片かな三体いろは」、「十干十二支」、「破軍のほしくりやう」、「生れ年により一生灸をいむ日」、「御大名武林言語」などを収録する。単なる『いろは』だけでなく、算法・暦占関係の往来を付すのが特徴。本文を概ね大字・五〜七行・付訓で記す。〔小泉〕
◇にのたきおうらい [2901]
〈二郡遠見〉二乃滝往来‖【作者】法勧院文隣日誦(水墨庵)作・序。【年代】天保六年(一八三五)序。嘉永三年(一八五〇)書。【分類】地理科。【概要】鶴岡城下から鳥海山・二の滝を経て亀ヶ崎(酒田)城下までの沿道の名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起等を記した往来。まず「抑、出羽の国荘内と申すは、鶴ヶ岡の城、亀ヶ崎の城と両城を抱へ、東南北には高山の峯を並べて…」で始まる序文で出羽国の地勢と鳥海山の位置を示し、続いて、「頃も早、弥生半の末なれば、春暮れねども夏季にて、まだ明早き東雲に、横雲帯びし松ヶ枝の…」のような七五調の文章で、鶴と亀の二人が霊場二の滝を訪れる趣向で参詣路のあらましを綴る。特に、江地稲荷・舛形・三新田(広野・藤井・上野)・御小坂・二の滝等では、故事・古語・誹諧などを引いた解説文を挿み、各地の自然や風俗の描写も豊富である。なお、本文冒頭部で「去天保乙未(天保六年)の頃、予は参詣せし時の有さまを爰にしるす」と述べているように、実際の旅の記録に従って編んだものである。なお、作者は本水山玉竜寺一一世。〔小泉〕
◇にばんようぶんしょうまんりょうばこ [2901-2]
二番用文章万両箱‖【作者】花悦堂序。【年代】文化一〇年(一八一三)刊。[江戸]須原屋平助(遠藤平左衛門・花悦堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『二番用文章』。中本一冊。文化五年刊『〈一番〉用文章万両箱』†の続編。「年頭状之事」から「歳暮祝儀状」までの三七通を収録した用文章。五節句、吉凶事、商取引等の例文から成る。序文に「音物・進物を遣はずして状之文句を認候事を書あつめ、早速之用を便ずるためなり…」と本書の性格を示す。ただし、婚礼や養子縁組み等の書状は「状ばかりにては不吉なるゆへ、是は何にても音物を遣すものなり」と説く。本文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。見返に「九九之声」「片仮名以呂波」、目録部頭書に「十二ヶ月異名」「斤目不同之事」、前付に「四季月々時節之言葉」、巻末に「男女五行相生相剋之事」を掲げる。なお、本書巻末に「商売往来」を増補した改題本が江戸後期刊『御家用文章』†である。〔小泉〕
◆にほんおうらい/にっぽんおうらい [2902]
日本往来‖【作者】不明。【年代】貞享五年(一六八八)刊。[大阪]塩屋七郎兵衛板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。日本全土を対象にした最古の地誌型往来。「春始之御祝、向貴方申籠候訖。抑天下泰平之御政、雖事旧候、以書付、令注進候…」で始まる一月状以下、八月状までの八通の書簡文で、「国ならびに郡付名所名物」「六十余州御城下郡名付」を記す。まず、文武天皇の御宇に日本六六国および壱岐・対馬二島の区分を設けたことに触れ、続いて、山城国の八郡・石高・規模、また、平安城の縁起や同地方の名物のあらましを紹介し、さらに、大和国・河内国・和泉国・摂津国の順に記して、「…以上是迄謂五畿内、委曲者追々可申演者也。恐々謹言」と結んで、月日・差出人・宛名を付記した書翰の体裁を貫く。二月状以下も同様に季節の手紙文の本文中に諸国の概要を盛り込む。本文を大字・四行・所々付訓で記す。なお、本書を大幅に増補した往来に文政一〇年(一八二七)刊『〈絵入文章〉日本往来』†がある。〔小泉〕
◆にほんおうらい/にっぽんおうらい [2903]
〈絵入文章〉日本往来‖【作者】西川竜章堂書。蔀関牛画。【年代】文政一〇年(一八二七)刊。[大阪]塩屋季助板。また別に[大阪]秋田屋市五郎ほか板あり。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。貞享五年(一六八八)刊『日本往来』†の増補版。貞享板本文が八通の書簡文から成るのに対し、本書は「新年之御慶賀不可有窮期御座、目出度申納候…」で始まる一月状から一二月状までの一二通で綴る。随所に増補が見られるが、基本的に貞享板と同傾向の記述で、見返に「日本六十余州の名所旧跡・神社仏閣、名物・名産、国郡・風土・石数等を四季十二月の文章につゞり、商人日用の便利とす。尤も幼童児女、是を熟習すれば、諸国の地名を諭し、おのづから手習稽古の便ともなる百家通用の絵入本なり」と紹介する。本文を大字・五行・付訓で記し、本文中に「京都三条橋眺望」「大阪木津川口諸国廻船入湊之図」「江戸日本橋眺望」「奥州松嶋風景」「丹後天橋立風景」「播州舞子浜風景」「紀州和歌浦風景」「肥州長崎蘭舶入津之図」の見開き挿絵八葉を掲げる。なお、『大阪出版書籍目録』によれば、本書は文政九年五月出願時には挿画が施されていなかったが、同年一〇月に挿絵を増補した改訂版を再出願したという。〔小泉〕
◆にほんくにづくし [2904]
〈瓜生氏〉日本国尽‖【作者】瓜生寅(三寅)作・序。佐藤誠(思誠・硯湖・尚古斎)序。深沢菱潭書。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]和泉屋吉兵衛(名山閣)板。【分類】地理科。【概要】異称『瓜生氏日本国尽』『〈改正〉日本国尽』『〈瓜生寅著〉改正日本国尽』。半紙本八巻八冊。一巻「五畿内」、二巻「東海道」、三巻「東山道」、四巻「北海道」、五巻「北陸道」、六巻「山陰道・山陽道」、七巻「南海道」、八巻「西海道、附二島・琉球」から構成され、国名を列挙しただけの一般的な『国尽』とは異なり、日本各地の地理を五畿八道別に詳しく紹介した往来。序文によれば、福山学作『皇国地理略』を主たる典拠とし、さらに『風土歌』『人国記』『名勝誌』等を参照して日本全国の地理を概説し、福沢諭吉作『世界国尽』†の前に本書を学ぶべきと諭す。まず一巻「総論」において、地球・地表・五大洲・日本の国土・人口・風俗・日本の古名・東京遷都などについて略述し、続いて五畿内以下各地の地勢・沿革・人口・風俗・地名・物産などを逐一紹介する。いずれも「畿内五国は山城の、京を繞(めぐり)て西は海、余の三方は陸地(くがち)なり…」のように七五調の文章で綴る。本文を大字・六行・付訓で記し、本文中、随所に色刷りの地図や風景図を施す。なお、明治七年改訂版で若干の修正がなされた。〔小泉〕
◆にほんくにづくし [2905]
〈改正府県・国高郡名〉日本国尽‖【作者】深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治五年(一八七二)刊。[東京]山崎屋清七(山静堂)ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈改正府県〉日本国尽』。中本または半紙本一冊。近世以来の『大日本国尽』に明治初年の府県名を対応させて列挙した往来。畿内から琉球に至るまでの旧国名と府県名を記し、さらに北海道一二カ国の名称を掲げる。なお、明治初年の地方制度の変遷により、名称が改められた府県名については、随時、朱印で訂正されて刊行された。〔小泉〕
★◆にほんくにめぐり [2906]
日本国廻‖【作者】菅野太吉書。【年代】嘉永七年(一八五四)書。【分類】地理科。【概要】異称『日本国廻りの文』『名所国尽し』。大本一冊。「兼てより示し合せし日の本六十余州国廻の事、おもひ立日を吉日と定而、遠からぬ内、おほし召、御立あり度候…」で始まる一通の女文の中に各地の名所・名物を織り込みながら、日本六八カ国の国名を京都・畿内より順に羅列した往来。宝暦一二年(一七六二)刊『〈国尽名所〉女筆初瀬川』†と同内容で、本文を大字・六行・無訓で記す。後半部に「心学舎中行事」を合綴する。〔小泉〕
◇にほんこくたいか [2907]
日本国体歌‖【作者】友寿作。【年代】明治初年作・書。【分類】歴史科。【概要】「かけまくは、かしこけれどもいはまくは、ゆゝしけれども神やまと、磐余彦(いわれひこ)の皇御子(すめみこ)の、東の国を静めんと、思ほしめして御軍を、ひきゐ給ひて久方の…」で始まる七五調の文章で、日本神話による日本の起源(橿原宮遷都まで)を略述した往来。末尾は「(皇統の)御すぢの絲のいと長く、絶ゆることなく天地と、きはみなき代や、きはみなき代や」と結ぶ。岩手県遠野地方で作られた往来である。〔小泉〕
◆にほんさんじきょう [2908]
日本三字経‖【作者】佐藤益太郎(孤松・観海)作・序。小柴辰太郎(観海)序・書。中村敬宇(正直)・悔庵散人(寿章)序。【年代】明治二二年(一八八九)序・刊。[東京]佐藤益太郎蔵板。[東京]田村ワ次郎ほか売出。【分類】歴史科。【概要】異称『皇朝三字経』。半紙本一冊。大橋若水作・嘉永六年(一八五三)刊『本朝三字経』†を模倣して編んだ往来。「我日本、称瑞穂、自開闢、一皇系、千万年、聖々継、七五ユ、無克測…」と筆を起こして、神代以来の天皇中心の歴史を、各時代の人物や政治・文化の一端から略述する。末尾では、大政奉還後の近代日本を「通万国、貿易盛、風与俗、向文明」と評し、この良き時代の人々の義務を「…宜勉励、純乎学、精乎芸、報王化、冀不替」と述べて結ぶ。三言四三二句からなり、各行二句ずつ楷書・大字・六行・無訓で記す。なお、序題に『皇朝三字経』とあるが、嘉永六年刊『〈絵入〉皇朝三字経』†とは異文である。〔小泉〕
◆にほんしんこくおうらい/にっぽんしんこくおうらい [2909]
〈弘化新刻〉日本神国往来‖【作者】系田川翁作・跋。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[江戸]森屋次郎兵衛(錦森堂)板。【分類】社会科。【概要】異称『神道往来』。中本一冊。文化元年(一八〇四)刊『神道倭文章』†、文政七年(一八二四)刊『宗門往来』†と同様に、宗教・宗派について扱った往来の一つ。神国たる日本の歴史を概説して神道の重要性を強調した往来。まず、日月星の「三光」が全て日本より出現したことや、「千界万国」の恵みは全て神の恩によること、源氏・平氏・藤原氏などあらゆる姓氏が神孫たることを説いて神国の証左とし、また、仏教が伝来して神道が衰微したために種々の災いが生じたことを述べ、さらに徳川幕府によって再び神事が復興し世の中が泰平になったとする。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「天地開闢の時」、頭書に「諸国一の宮記」の記事と若干の挿絵を載せる。〔小泉〕
◆にほんせいきか/にほんせいきのうた [2910]
日本正気歌‖【作者】藤田東湖(彪・斌卿・誠之進)作。深沢潭寛(巻菱潭)・湘潭書。【年代】嘉永六年(一八五三)作。明治六年(一八七三)刊。[東京]書学教館蔵板。大坂屋藤助ほか売出。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。幽閉中の藤田東湖が、中国宋末の文天祥作『正気歌』に憤りを感じ、中国の「正気(万物の根元としての気)」とは異なる日本の「正気」について記した五言七四句の漢詩文。「天地正大気、粋然鐘神州、秀為不二嶽、嶷々聳千秋…」と筆を起こし、日本が天地の正気に充ちた神国であり、その国土や自然、産物、風俗などが世界に優ることや、神武・欽明・敏達・皇極・天智・孝謙以下、江戸時代・赤穂義士までの万世一系の皇統の歴史を概観し、さらに、威公(徳川頼房)・義公(徳川光圀)の偉業と烈公(徳川斉昭)の明徳・業績を賞賛し、最後に主君・斉昭の汚名を晴らし、正道を守り神国の道を明らかにする決意を述べる。本文を楷書・大字・三行・無訓で記し、巻末に楷書・小字・七行・付訓の本文を再録する。〔小泉〕
◆にほんせんじもん [2911]
〈自註詳解〉日本千字文‖【作者】永田道鱗(船・石渠楼・石渠堂)作。中村敬宇(正直)・長三洲(古味堂)序。【年代】明治一六年(一八八三)作・序。明治一七年刊。[東京]永田道鱗蔵板。万字堂売出。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。「陰陽未判、乾坤無形、鶏子混沌、水母BC…」で始まる『千字文』形式の文章で、日本近代までの歴史を綴った往来。まず前半に神代から近世までの歴史を述べ、日本の成り立ちや国土・風俗などに触れながら政治史中心に略述し、後半では、開国後の経緯や発展する近代日本の国情・国勢・文化・外交等を紹介する。本文を楷書・大字・六行・無訓で記し、各句毎に割注を施す。巻末に、付訓本文(日本千字文国訓附)を再録する。〔小泉〕
◆にほんちりおうらい [2912]
〈郡名産物〉日本地理往来‖【作者】柾木正太郎(真左樹繁)作・序。村田海石(邨田海石)書。【年代】明治五年(一八七二)刊。[大阪]梶田喜蔵(文敬堂)板。また別に[大阪]書籍会社板(後印)あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈増補〉日本地理往来』『地理往来』。半紙本二巻二冊。日本各地の沿革や地名・地勢・物産などを五畿八道・各国別に紹介した往来。まず上巻冒頭で、日本の名号、また明治元年時点で五畿八道八四カ国になった経緯を説き、以下、畿内・山城国から順にほぼ七五調の文章で紹介する。本文は沿革・地名・地勢が中心だが、頭書「本朝国郡名」に郡名・田数・石高・府県庁・各国異名(古名)・産物名と、各地の風景画を載せる。上巻に「畿内〜北海道」、下巻に「北陸道〜九州」を収録し、下巻末尾で日本の気候が温暖で国土富饒なこと、悪獣や毒虫がなくて住み良く、人心の風俗が正しいことなどを述べて締め括る。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、上巻巻頭に色刷り銅版画の「大日本府県略図」を掲げる。〔小泉〕
◇にほんながしらくにづくし [2913]
日本名頭国尽‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]小林喜右衛門ほか板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈頭書郡名〉大日本名頭国尽〈并改正府県名入〉』。半紙本一冊。「大日本国尽」と「名頭字尽」を合わせた往来。前者は、本文欄に五畿七道の旧国名と三府六〇県の名称を掲げ、頭書に各国の郡名を列記したもの。後者は、「伊・以・今・石・市・糸・磯…」など名前に使用する漢字(末尾は「蔵・造・太郎・次郎」など名前に多用する語句)をイロハ順に列記した明治期改編版『名頭』。〔小泉〕
◆にほんながしらくにづくし [2914]
〈千葉忠三郎編輯〉日本名頭国尽〈改正府県名入〉‖【作者】千葉忠三郎作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]簑田屋精三郎(浜島精三郎・精華書屋)板。また別に[東京]山崎清七(山静堂)板あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈日本〉名頭国尽〈改正府県名入〉』。中本一冊。「名字尽(なじづくし)」「大日本国名尽」「府県名尽」「十干」「十二支」等から成る往来。「名字尽」は「源・平・藤・橘…」から「…右衛門・左衛門・兵衛」までを集めた『名頭字尽』†。「大日本国名尽」は五畿八道別の『国尽』、「府県名尽」は三府四四県の名称を列記した往来。以上のいずれも楷書に近い行書・大字・四行・付訓で記す。また、「十干」「十二支」に続けて「天・地・日・月・火・水・木・金・土…」以下の天地・気候その他の語彙若干を載せるほか、頭書に「全国郡名」「形」「色」「度・量・衡・田尺」といった地名や語彙を掲げる。なお、本書の冒頭に「苗字尽」を加えた増補版『〈千葉忠三郎編輯〉日本苗字名頭国尽(〈日本〉苗字名頭国尽〈改正府県名入〉)』も同年に刊行されている(増補部分の頭書は「苗字尽追加」)。〔小泉〕
★にほんはんかづくし [2914-2]
日本繁華尽‖【作者】不明。【年代】明治一七年(一八八四)作・書。【分類】地理科。【概要】中本一冊。明治初年の全国の主要な地名を、あるいは七五調美文体に織り込み、あるいは畿内八道毎に列記した往来。まず、「京都は山城なりし都なり。奈良の都の大和こそ吉野の山も景色なり。河内の国も扨於て和泉の都は堺なり…」で始まる文章で全国各地の主要都市を紹介し、さらに、北海道・琉球を含む五畿八道毎の城下町・都市・港湾名を羅列した「日本都府城市港」を掲げる。また巻末に「童子早学問」を付す。青色刷りの罫線紙に本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆にほんぶっさんくにづくし [2915]
日本物産国尽(前編)‖【作者】中島翠堂作・書。中島仰山・溝口月耕画。増戸武平・柳本直太郎・塙忠韶序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]市キ書屋蔵板。播磨屋喜右衛門(播磨屋勝五郎・鈴木喜右衛門・文苑閣)売出。【分類】地理科。【概要】異称『〈日本〉物産国尽』。半紙本三巻三冊。日本五畿八道の府県名・郡数・物産・名所などを記した往来。「夫、日本の国々に、万の国の人々も、殊更愛(めづ)る物産は、先山城に西の京、京都府庁の管するは、丹波の内も三郡を、続く鞍馬の麓なる…」で始まる七五調の文章で、第一巻「畿内」、第二巻「東海道」、第三巻「東山道・北海道」までを紹介する。本文を大字・四行・付訓で記し、本文中の「国」「府」「県」「物産」「地名・古跡・島」「山」「川」の七つを符号で識別するのが特徴。頭書に物産・名所等の挿絵を掲げる。前編序文および巻末広告によると当初全二編六巻六冊を予定しており、後編三巻には北陸・山陰・山陽・南海・西海の諸国・府県について記す予定であったが未刊に終わった。巻頭序文は色刷りで、周囲に色彩豊かな花鳥の飾り罫をあしらう。〔小泉〕
◆にほんほうくん [2916]
日本宝訓‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊か。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。日本中古の名君・忠臣・賢女等の金言・名句を集めた教訓書。「日本宝訓」「日本忠訓」「婦女嘉言」からなり、それぞれ天智天皇以下八人の天皇、藤原鎌足以下一六人の貴族、輝子(藤原利仁室)以下一〇人の名言を列挙する。巻末に「忠臣譜略」と題して鎌足以下二六人(「日本忠訓」以下の全ての人物)の小伝を付す。本文を行書(「日本忠訓」のみ楷書)・やや小字・九行・無訓で記す。〔小泉〕
◆にほんようぶんしょう [2917]
〈書状〉日本用文章‖【作者】西川竜章堂書。【年代】文化一四年(一八一七)書・刊。[京都]伏見屋半三郎(順応堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「年頭状」から「披露状」までの九二通を収録した用文章。四季に伴う消息文や通過儀礼に関する祝儀状のほか、各種祝儀状・案内状・誘引状・見舞状・礼状などを収める。うち約二〇通は「店開祝儀状」「舟積案内状」「問屋引取状」といった商人用文である。また、冒頭の四季消息文は月次を意識した配列になっており、所々に月の異名を掲げる。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆にょしくん/じょしくん [2918]
〈心学〉女子訓‖【作者】朽木某女作。【年代】明和四年(一七六七)作。寛政五年(一七九三)刊。[江戸]須原屋市兵衛板。【分類】女子用。【概要】異称『〈絵入〉心学教訓書』。本書の改題本に『大学女子訓』†あり。半紙本二巻合一冊。明和四年刊『女教訓ともかゝ見』†のうち付録記事・挿絵などを一新した改題本。江戸後期の女性に要用の諸教訓を記す。上巻は、「女性は絶えずわが身を振り返っての反省に努め、何よりも父母、また嫁しては舅・姑などに孝養を尽くさねばならない」「親類一同とも和順して交わらねばならない」「自身の心の持ちようにより禍福を招く」「婦容についての心がけ」「無益のことに夜中の宮寺への参詣は慎まねばならない」「仏法・僧侶等への信仰は大切であるが、節度を保たねばならない」「女徳の中心は和順であり、家族関係を平和に保ち、その家の繁栄に尽くさねばならない」の七項から成る。下巻は、「父母・親類によく仕え、暇があれば読書(『女四書』†『大和小学』†等)に励むべきである」「下女の告口や巫女の言葉に惑わされてはならない」「衣装は分相応を心がけねばならない」「武家の娘は衣装に誇ってはならない」「度重なる歌舞伎見物や好色の浄瑠璃見物、物語類は慎むべきである」「女性の嗜んでよい芸能、嗜んではならない芸能」「婦功(女性にとって大切な技芸)」「神仏への信仰は大切だが、淫してはならない」「諸教訓のまとめ」の九項よりなる。各項目とも一面にわたる挿絵を設けて教訓歌を添えるのが特徴。なお、本書角書に「心学」とするのは、女性の心構えを中心に諭すためであろうが、いわゆる石門心学の教化理念と特段の関連はない。本文を大字・六行・付訓で記す。刊記に記す明和四年とは本書の先行書たる『女教訓ともかゝ見』の刊年を示す。〔石川〕
◆にょししゅうしんのつとめ/じょししゅうしんのつとめ [2919]
〈教訓躾種〉女子脩身之務‖【作者】松川半山作・画。加藤伴之編。【年代】明治二三年(一八九〇)刊。[大阪]岡田藤三郎(教育書房)蔵板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。明治八年刊『〈松川半山編輯〉女教諭躾種』†の改題本。題簽・見返・本文冒頭に「加藤伴之編輯(述)」と記すが、本来、松川半山作であり、本書は海賊版にほかならない。書名を改刻したほかは、巻頭口絵から文末まで明治八年板と全く同じ。本文を大字・四行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆にょひつあしまのつる [2920]
女筆芦間鶴‖【作者】宮崎競花(競華園)書。橘国雄(酢屋源十郎・皎天斎・悒芳斎)画。【年代】宝暦三年(一七五三)刊。[大阪]和泉屋文介(五軒堂)板。【分類】地理科・女子用。【概要】大本一冊。地理的内容を綴った散らし書き女筆手本の一つ。難波方面へ見物へ行く友人のために同地の名所・古跡を書き記すという趣旨の女子消息文をもって手本とする。「近き中、難波かた御見物の御もよふしとて仰せられ候。名所古跡あら書付御めにかけまいらせ候…」と筆を起こし、高津山周辺の風景から書き始め、大坂城・天満宮・安治川・芦屋・灘・須磨などの寺社や名所の風趣を順々に散らし書きで認める(概ね大字・三〜四行・無訓)。巻頭に口絵、末尾に和歌一首を載せる。〔小泉〕
◆にょひついろみどり [2921]
女筆いろみとり‖【作者】春名須磨書。【年代】享保九年(一七二四)刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。妙躰風を学んだと思われる春名須磨の女筆手本。四季や五節句を主題とした消息例文を綴ったものだが、配列は必ずしも月次順ではない。いずれも比較的長文で、上巻に「新年祝儀の披露状」以下六通、中巻に「桃の節句祝儀状」以下七通、下巻に「久々の手紙への礼とともに『栄花物語』『狭衣物語』等の写本を贈る文」以下五通の、合計一八通を収録する。うち四通が大字・三行・無訓の並べ書きで、他は全て大字・無訓の散らし書き。春名須磨一一歳の書で、『享保一四年書目』中にも「須磨十一歳」とわざわざ年齢を書き添えており、当時の評判の高さを思わせる。また、『大阪出版書籍目録』によれば、彼女は播州佐用郡新宿村の百姓・小三郎の娘で農家出身であった。〔小泉〕
◆にょひついわねのまつ [2922]
女筆岩根の松‖【作者】長谷川妙躰書。【年代】享保二〇年(一七三五)頃原板。寛保二年(一七四二)再刊。[京都]岡本四郎兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『女筆いはねの松』『女筆岩根濃松』。大本三巻三冊。四季の花鳥風月の趣を綴った女文七通を収録した女筆手本。上巻は春から初夏にかけての三通で、うち殿の鷹狩りの帰路の様子を伝える手紙の返事一通を含む。中巻には無沙汰を詫びるとともに夏の庭の風景を伝えて訪問を乞う手紙と、初雪の日の感想とともに口切の茶会を待望する手紙の二通、下巻には木枯しの季節の手紙と、中秋の名月の手紙の二通をそれぞれ収録する。ほぼ各状の末尾に和歌一首を掲げる。また、各巻表紙見返に季節の風景画(春・夏・秋)をあしらう。なお、本書に『女筆指南集』†『女筆続指南集』†を合綴した二冊本が、文化三年(一八〇六)に刊行された。〔小泉〕
◆にょひつおうらい [2923]
女筆往来‖【作者】中川喜雲作。たけさと(武藤氏か)書。【年代】寛文元年(一六六一)刊。[京都]秋田屋平左衛門板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。主として四季折々の女子消息文を集めた女筆手本類で、上巻が新年祝儀状から端午節句祝儀礼状までの一四通、中巻が暑中見舞いから歳暮祝儀状・返状までの一四通、下巻が「子猫所望の文・同返状」から婚礼祝儀状までの一三通の合計四一通を収録する。散らし書きと並べ書きが相半ばするが、中には散らし書きの途中から並べ書きにするような変則的なものも見られる。例文には「髪を洗い始めたばかりなので、簡単に手紙の返事を書きます」と認めた手紙や、霜腫れの薬を頼む手紙、また、「紛失した貴人からの手紙の拾い主」を易者に占ってもらう手紙など、生活感漂う例文が目立つのも特徴。特に下巻には「手心通(たしんづう)」と称する女性特有の隠語に関する記述も見え興味深い。初板本上巻巻頭に女性の手習い図を掲げるが、これは万治三年(一六六〇)刊『知古往来』†(武藤氏書。京都・秋田屋平左衛門板)の口絵と同体裁であり、本文の筆跡も武藤氏のそれと酷似するため、「たけさと」と「武藤氏」は同一人とも思われる。なお、初板本の跋文に「此本は手ならふ女わらはへたすけにも成へきかと、硯の海をくみ、もしほくさとも書あつめ、梓におこなふ。たけさと書之」と記す。また、本書後印本(三巻合一冊)は内容に若干の異同があり、巻頭口絵一葉を省いて表紙見返に新たな挿絵を掲げ、さらに先の「手心通」に関する手紙など数通を削除したり、上巻第一二状では返書(かえしがき)の一部を削って短くするなどの改編を施す。〔小泉〕
◆にょひつかすがの [2924]
女筆春日野‖【作者】長谷川妙躰(貞)書。中村三近子補。漱石子画。【年代】享保一五年(一七三〇)刊。[京都]植村藤次郎(伏見屋藤次郎・藤治郎・錦山堂・通書堂・玉枝軒)板(再板か)。【分類】女子用。【概要】異称『女筆かすがの(嘉須賀濃)』。大本三巻三冊。長谷川妙躰の女筆手本の一つ。京名所や年中行事にちなむ四季折々の手紙や、佳節・祝事の贈答の手紙などから成る散らし書き手本。書状配列は季節順あるいは内容順に整理されておらず、上巻に正月風景を述べた文から始まり、音羽山の桜、葵祭、宇治山の蛍見物、夏の田舎風景、祇園祭、紅葉などの季節の手紙と歯黒染祝儀状など一二通、中巻に春雨の頃や七夕、盆、中秋の名月、紅葉狩り、春の風物、二月堂の薪能などを主題にした手紙や、宇治平等院にて頼政を偲ぶ文や婚礼祝儀状など一四通と和歌一首、さらに下巻に重陽の節句、神無月、大晦日、正月、都の春、菊・鶏頭の花盛り、枯れゆく冬など四季の手紙と、髪置祝儀状、仲人への礼状、小袖模様を賞める文など一三通と和歌一首をそれぞれ収録する。また、各巻巻頭に「聖廟寒夜御詩」「弘法大師水筆竜」「佐理卿三嶋額」と題して菅原道真・空海・藤原佐理の事跡を紹介する。なお、刊年を明記した最古本は享保一五年板であるが、同刊記は『女中庸瑪瑙箱』†の刊記の流用であり、また『享保一四年書目』に本書の記載があることなどから、初板はさらに遡ると思われる。〔小泉〕
◆にょひつかちょうぶんそ [2925]
〈民間当用〉女筆花鳥文素‖【作者】滝沢馬琴作。内山松陰堂書。森屋治兵衛(錦森堂)跋。【年代】天保一〇年(一八三九)刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。「年始に遣す文」から「歳暮のふみ・おなじく返事」までの三五通を収録した女用文章。四季・五節句の手紙を始め、婚礼・出産・病気・死去の際の手紙や、物の貸借など諸用件の手紙から成る。全文が返書(かえしがき)のある並べ書きで、大字・六行・付訓で記す。「女筆」と称するが作者・筆者ともに女性ではない。巻頭に「文のをはりにかしくと書事」「仮名の書やうこゝろえある事」「いろはの正字」、巻末に「文の書様のこゝろえ」の記事を載せる。〔小泉〕
◆にょひつさがののあき [2926]
女筆嵯峨野乃秋‖【作者】不明。【年代】享保一四年(一七二九)以前刊。[京都]菊屋安兵衛(鹿野安兵衛・菊英館)板。【分類】女子用。【概要】異称『女筆嵯峨野』。大本二巻二冊。秋の嵯峨野散策という想定で、同地の名所を題材に編んだ女筆手本。「誠に都のにし嵯峨野ゝ秋は、名にめてゝ一きはものゝあはれもいやまし、虫の声まても鳴音やさしくおもふとちに誘はれまいらせ候て、名所・古跡をたつね見はやと、こゝかしこと詣まいらせ候あらまし…」と筆を起こし、北野天神、妙心寺、仁和寺、御室御所、帯取池、五仏山、大覚寺、清涼寺、火うち権現、白雲寺、滝口寺、妓王寺、二尊院、天竜寺、臨川寺、渡月橋、戸難瀬の滝、法輪寺、西方寺、梅の宮、長福寺、鹿王院など、寺社を主とする名所・古跡の風趣や、関連の古歌・故事を紹介する。全文を大字・無訓の散らし書きで記す。なお、本書の書名が『享保一四年書目』に見え、天明七年(一七八七)刊『新撰大和往来』†巻末の「菊英館蔵板目録」中に本書の書名が見えるので、少なくとも天明頃は菊屋安兵衛蔵板と思われる。また、本書とほぼ同文の往来に寛政一二年(一八〇〇)刊『〈百瀬〉嵯峨名所』†や『〈西山名所〉嵯峨野の秋』(『新撰大和往来』所収)がある。〔小泉〕
◆にょひつしきぶんしょう [2927]
〈首書画抄〉女筆四季文章‖【作者】中村栄成(甚之丞・甚丞)作・書。【年代】元禄六年(一六九三)刊。[京都]福森兵左衛門板。また別に[京都か]堀重兵衛板あり。【分類】女子用。【概要】異称『〈首書絵抄(絵入)〉女筆四季文章』『四季往来』『女筆四季往来』。大本三巻三冊。万治二年(一六五九)以前刊『女庭訓』†や延宝六年(一六七八)刊『四季仮名往来』†と同様に、四季・花鳥風月の推移や年中行事のあらましを記した往来。全文を大字・五行・付訓の並べ書きで綴る。各月往復二四通(上巻一〜四月、中巻五〜八月、下巻九〜一二月)の女文で、五節句その他の年中行事故実、四季の風趣などを紹介する。それぞれの月に即した自然の景趣、儀式行事を主題とし、京都の貴族女性が身につけるべき伝統的教養としての影響が顕著である。また、内容の一部に『女庭訓』の影響が認められる。『女庭訓』よりも簡単な記述だが、年中行事故実等についての詳しい説明と図解を頭書に掲げる。この挿絵は貴族風俗を基調とするが、近世風俗に基づくものも含む。なお、本書に前付記事を増補した改題本が享保六年(一七二一)刊『女つれ色紙染』†である。〔石川〕
◆にょひつしなんしゅう [2928]
女筆指南集‖【作者】長谷川妙躰書。【年代】享保一九年(一七三四)刊。[京都]岡本半七板。また別に[大阪]渋川与左衛門ほか板(江戸中期後印)あり。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。『女筆指南集』†『女筆続指南集』†『女筆続後指南集』(未刊か)という妙躰の三部作の一つで、本書は特に初心者用に編まれた短文の女筆手本。本文を概ね大字・二〜五行・無訓で記す。上巻には「御てならひめてたく候。かしく」以下の短文(単文に書止の「かしく」を付けただけの文章)一四例を大字・二行、並べ書きで綴る。また、中巻は概ね並べ書きだが散らし書き数通を混ぜ、「七夕へ手向」(和歌)二首と「きのふはさか野より暮かたに帰まいらせ候。かしく」以下の短文一〇例、下巻は「便に任、一筆とり向まいらせ候。かしく」以下の短文一〇例で、上・中巻とは対照的に初歩的な散らし書きで認める。各巻の巻頭に挿絵(上巻より順に「手習い図」「七夕図」「松と紅葉図」)を掲げる。後印本の題簽に「筆海子長谷川氏・手本尽六冊之内」と刷り込まれたものもあり、同様に『女筆続指南集』の原題簽にも同じ記載が見られるから、一時、『指南集』三冊と『続指南集』三冊の合計六冊組みで販売されたのであろう。このほか、文化三年(一八〇六)にも『女筆指南集』『女筆続指南集』『女筆岩根の松』†を合わせた二冊本も刊行されている。〔小泉〕
◆にょひつぞくしなんしゅう [2929]
女筆続指南集‖【作者】長谷川妙躰(妙貞・筆海子)書。【年代】享保二〇年(一七三五)刊。[京都]岡本半七板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。『女筆指南集』†『女筆続指南集』†『女筆続後指南集』(未刊か)という、妙躰が習熟度別に編んだ手本三部作の一つ。四季の風景や名所を綴っ手紙や四季贈答の手紙から成る散らし書きの女筆手本。上巻に新年の寿を述べる手紙から卯の花の頃までの手紙六通、中巻に「芦野やのあふき」や「御口切之御茶」など猛暑から冬にかけての短文の手紙九通、下巻に絵簾を賞翫する手紙や、東福寺の冬景色を述べた手紙など六通、合計二一通を収録する。各巻に付録記事はなく、表紙見返に口絵を一葉ずつ掲げ、下巻本文中に和歌二首を添える。〔小泉〕
★にょひつたまかずら [2929-2]
女筆玉かつら‖【作者】長谷川妙躰書か。【年代】享保一四年(一七二九)以前刊。[京都]西村市郎右衛門ほか板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。筆者不明だが明らかに妙躰流の女筆手本。上巻前付に「和歌三神図」「七夕新歌づくし」「むすひかた品々」「万包やう折形品々」「女中文の封様の事」「歌かるた・双六図」を掲げ、この部分のみに『女用』の柱題を付す。上巻本文に「初春の長閑さ百鳥之こゑも…」で始まる新春の風情を伝える手紙から、夏の夜の物語の感想を綴った手紙までの九通、また、中巻に「夏の夜の月」の題で詠んだ和歌の添削を頼む文から、萩・薄・紅葉の季節の風景を綴った手紙までの七通と詩歌(『和漢朗詠集』からの詩歌各一編)、下巻に「暮て行秋のかたみの紅葉…」で始まる秋の風情を認めた手紙以下五通(うち第二通は極めて長文で、これを独特な散らし書きで綴る)をそれぞれ収録する。すなわち、上巻は初から夏、中巻は夏から秋、下巻は秋から冬の例文となっている。四季行事や季節の風物を採り入れた雅文で、大半が散らし書き(稀に並べ書き)で記す。〔小泉〕
★にょひつてほん [2929-3]
女筆手ほん(仮称)‖【作者】小野通(二世か)書。【年代】江戸前期刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】異称『女筆手本』。大本一冊。『万治二年(一六五九)書目』に載る『女筆手本』一冊に該当するものと思われる。原題簽に『女筆○○』とあり、裏表紙に書名を写したと思われる「女筆手ほん」の書き入れがある。筆者の記載もないが、本書の順序を入れ替えた改編本がいずれも小野通筆であることから、お通筆であることは疑いない。「あらたまりぬるこの春のめてたさ…」で始まる新年祝儀状から、「御返事なから御念比の文…」で始まる礼状までの二三通を収録する。大半が散らし書きだが、数通の並べ書きや折衷的な散らし書きを含む。本書の書状を一部入れ替えた改訂本に、元禄四年(一六九一)刊『〈四季〉女文章』†、江戸前期刊『小野おづう筆』†、享保(一七一六〜三六)頃刊『女筆春の錦』†、宝暦(一七五一〜六三)頃刊『〈女筆文章〉大和にしき』†等があるが、完本が少ないうえに現存する類書の多くが書名と書状配列を異にし、いずれも異板であるなど、改変の実態が把握しにくい女筆手本である。〔小泉〕
◆にょひつてほん [2930]
女筆手本‖【作者】沢田吉書。【年代】元禄四年(一六九一)刊。[江戸]本屋清四郎ほか板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。短文の女子消息文例四二通を綴った女筆手本。並べ書き三通を除き、全て大字・無訓の散らし書き。内容は、四季折々の手紙や、日常の諸事にかかわる手紙(礼状・見舞状・挨拶状・誘引状など)、また通過儀礼(髪置き・成人・結納・婚礼等)に伴う祝儀状などから成るが、収録された文例は月順とは無関係に並べられている。中には、江戸両国の花火などの風物や、当時流行していた帯の結び方など風俗に触れた文例も見られる。なお、筆者は元禄一三年板『女今川(新女今川)』†の作者として知られる女流書家。〔小泉〕
◆にょひつねのひのまつ/にょひつねのびのまつ [2931]
女筆子日松‖【作者】不明。【年代】宝永二年(一七〇五)序・刊。[京都か]柳心板。【分類】女子用。【概要】特大本三巻三冊。題簽題は各巻毎に異なり、上巻『女筆子日松』、中巻『女筆姫小松』、下巻『相生のまつ』。序文によれば、筆者が二〇年にわたって集めた女筆の模範例文を一書にまとめた女筆手本。全文が同じ筆跡であるため、これらの消息文を作者が模写したものであろう。上・中巻に女文を収録し、上巻が「新年祝儀状」〜「婚礼祝儀状」の一七通、中巻が「子の日祝儀状」〜「歳暮祝儀状」の一八通で、全文を散らし書きで記す。いずれも御所方など貴人女性向けの披露文を主としており、例文中に古歌や、古歌に含まれる表現を多く採り入れた「引歌」的な手法を用いるのが特徴。また、本文が所々二段になっていたり、付録記事が多彩な点も独特である。さらに、下巻を全て女中の有職故実・礼法関連の記事とするのも異色で、御厨子・黒棚・衣桁の飾り方や、「武家祝言式法」以下、婚礼・出産・通過儀礼・食礼、四季衣装、女中名・人称等について詳述する。このほか、上巻巻末に「色紙寸法・短冊寸法」、中巻巻末に『和漢朗詠集』からの詩歌を載せる。〔小泉〕
◆にょひつはつせがわ [2932]
〈国尽名所〉女筆初瀬川‖【作者】長谷川某書。【年代】宝暦一二年(一七六二)刊。[大阪]渋川大蔵(升屋大蔵)板。【分類】女子用・地理科。【概要】大本三巻三冊。全一通の女文に各地の名所・名物を織り込みながら日本六八カ国の国名を京都・畿内より順に羅列した、大字・無訓の散らし書き手本。一般に『女国尽』†と呼ばれるが、本書はその最初の単行刊本と思われるもの。本書と同内容の『日本国廻』†など類書が多い。「兼而より示し合せし日の本六十余州国めくりの御事、思ひ立日を吉日と御定め候て、遠からぬうち、思しめし御立候べく候…」と筆を起こして、五畿内・東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の順に日本全国を歴訪する想定で書き綴る。筆者は長谷川妙躰とは全く別人と思われ、妙躰流の盛行に乗じて妙躰風を装ったものと思われる。〔小泉〕
◆にょひつはつねのみち [2933]
〈荒木流〉女筆初音の道‖【作者】荒木慈忍書。松貞跋。【年代】延享二年(一七四五)刊。[名古屋]木村久兵衛ほか板。また別に[京都]菱屋治兵衛板あり。【分類】女子用。【概要】大本二巻二冊。比較的短文の女文二二通を収録した女筆手本。大字・無訓の散らし書きまたは並べ書き(三〜四行)で綴る。上巻に「新年祝儀状」〜「雪中に安否を問う文」の一一通、下巻に「安否を問う披露文」〜「歌かるたの件を承諾する文」の一一通を収録する。上巻は四季贈答の手紙、下巻は諸用件や祝事に伴う手紙が中心。各巻冒頭に女性芸能図を掲げる。跋文によれば、筆者はもともと書家ではなかったが、能書であったため門人・松貞尼の勧めによって上梓したものという。〔小泉〕
◆★にょひつはやでほん [2934]
女筆早手本‖【作者】高古堂編。下河辺拾水書。雲箋堂補(凡例)。【年代】明和五年(一七六八)刊。[京都]銭屋庄兵衛板。【分類】女子用。【概要】中本一冊。「あらましの文」以下七〇通の女消息文例を集めた女用文章。「女筆」と称するが筆者は男性。前半に往状、後半「返事の部」に返状をまとめるのが特徴。五節句や四季の文、通過儀礼に伴う祝儀状、その他日常の雑事に関する手紙などを収める。「奉公人肝煎の文」「商人引付の文」など商人用文章も含まれ、主に町人女性用に編む。凡例で「此『早手本』はむつかしき文章、又は常に用ひぬ文言をのぞき、日々入用の手ぢかき文章ばかりを集、初心幼女のたよりとす」と記すように、平易な例文を集め、また手紙文の冒頭などは最初の例文で示し、後はこれを省略するという形式をとる。なお、本書の改題本が享和四年(一八〇四)刊『女筆文下書』†である。〔小泉〕
◆にょひつはるのにしき [2935]
女筆春の錦‖【作者】小野通(二世か)書。【年代】享保一九年(一七三四)以前刊。[大阪]藤屋弥兵衛板か。【分類】女子用。【概要】大本一冊。江戸前期刊『女筆手ほん』†の改編本の一つ。元禄四年(一六九一)刊『〈四季〉女文章』†の解題・改編本で、享保一九年刊『町方書札集』†の広告(藤屋弥兵衛板行書目)中に本書の名が見えるため、刊行はそれ以前と思われる。『〈四季〉女文章』に一部増補して収録順序を大幅に改めたもの。先行書数本を組み合わせた可能性もある。収録書状全二三通の書き方や字配り等はまちまちで、冒頭に各種新年状を六通も掲げ、続けて御門跡ご出立の祝儀状、『源氏物語』借用状、貴人への挨拶状(披露文)、菊重ねの節句祝儀状、通天の紅葉見物誘引状、贈り物礼状、安産祝儀状、その他諸用件の手紙や歳暮祝儀状などを収録する。巻末には、恋を主題とした和歌四首を載せるが、その書き方は所々文字の左右または上下を逆転させ、しかも一筋の布が風になびくかのような連綿体で綴る見事な筆遣いは、能書家・小野通の面目躍如たるものがある。なお、本書とほぼ同内容の手本に江戸中期刊『女筆文章(仮称)』†や宝暦(一七五一〜六三)頃刊『〈女筆文章〉大和にしき』†がある。〔小泉〕
★にょひつはるのの [2935-2]
女筆春の野‖【作者】三栗縫(長谷川縫か)書。【年代】延享元年(一七四四)刊。[京都]藤屋忠兵衛板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。妙躰流の女筆手本で、『女学範』「書学」に記載する「女筆都の春〈縫女書〉」†と同内容と思われる(『江戸出版書目』によれば、『女筆都の春』は寛延三年(一七五〇)頃刊で筆者を長谷川氏とする)。多くが比較的長文の散らし書き消息で、上巻に「千早振神代よりかはらぬ色の春霞…」で始まる新年祝儀状以下四通と詩歌四編、中巻に「郭公忍ふの里にさとなれて…」で始まる初夏の手紙以下三通と和歌一首、下巻に「萩か絵のしをるゝはかり…」と起筆する秋の文以下三通と和歌一首を収録する。一部並べ書きも含むが、概ね。大字・無訓の散らし書き手本である。各巻表紙見返しに「手紙を書く女性図」や「四季風景図」等の口絵を掲げる。〔小泉〕
◆にょひつひめこまつ [2936]
〈当用書札〉女筆姫小松‖【作者】中川内記(和孝・華洛散人)作・跋。蘭渓書。【年代】宝暦二年(一七五二)刊。[大阪]鳴井茂兵衛(伊丹屋茂兵衛)板。また別に[大阪]糸屋市兵衛板あり。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊、後に三巻合一冊。散らし書きの女筆手本類だが、筆者は男性であろう。上巻は新年状以下一二通で主に春から初秋(七夕)までの手紙、中巻は七夕祝儀の礼状(上巻末尾一状の返事)以下一二通で初秋から初冬にかけての手紙とその他用件の手紙、下巻は詠歌を拝見したい旨を伝える手紙以下一五通で、歳暮までの手紙や婚礼祝儀状、また諸事に伴う手紙などを収録する。四季折々の贈答の文を中心に、季節毎の外出・見物や、特に和歌のやりとりについての例文が目立ち、全文を大字・所々付訓の散らし書きで認める。各巻巻頭に二葉ずつ、合計六葉の女性風俗図を載せる。〔小泉〕
◆にょひつふみのしたがき [2937]
女筆文下書‖【作者】高古堂編。下河辺拾水書。【年代】享和四年(一八〇四)刊。[京都]蓍屋勘兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『女筆文下書〈女中文章早手本〉』『文のした書』。中本一冊。明和五年(一七六八)刊『女筆早手本』†の改題本。『女筆早手本』と同内容だが、本文の匡郭と末尾の「下河辺氏拾水書」を削除し、さらに見返・凡例・目次等を改めた全くの異板である。〔小泉〕
◇にょひつぶんしょう [2937-2]
女筆文章(仮称)‖【作者】小野通(二世か)書。【年代】江戸中期刊。【分類】女子用。【概要】大本一冊。江戸前期刊『女筆手ほん』†の改編本の一つ。原題簽を逸するが原表紙に朱筆で「女筆文章」と記す。散らし書きを主とする合計二三通を収録した小野通の女筆手本。類書中では、元禄四年(一六九一)刊『〈四季〉女文章』†の改編本『女筆春の錦』†に最も近く、類書中現存最古の『女筆手ほん』と比較すると、三月・五月節句祝儀状、『源氏物語』拝借状など四通を削除し、代わりに『〈四季〉女文章』で増補された新年状一通を含む合計四通を増補した点で内容的に『春の錦』とほとんど変わらないが、『春の錦』末尾の和歌を全て省く(ただし異板)。〔小泉〕
◇にょひつぶんしょう [2938]
〈新撰〉女筆文章‖【作者】不明。【年代】寛文一〇年(一六七〇)以前刊。[京都]秋田屋清兵衛板(元禄(一六八八〜一七〇三)頃板)。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。ただし現存するのは上巻のみ。『寛文一〇年書目』に「三冊、女筆文章」とあるが、原題簽角書に「新撰」とあり、先行書の存在も否定できない。元禄頃の板元が京都・秋田屋清兵衛のため、初板も京都であろう。上巻には「初春の御祝、となたもおなし御事といわゐ入まいらせ候…」で始まる短文の新年祝儀状以下一八通、すなわち、春から夏にかけての四季風景や花鳥の感慨を伴う交際・行事・節句等の手紙を収録する。従って、中巻には夏から秋、下巻には秋から冬にかけての同様の例文が収録されていたものと推測される。本文はゆったりとした大字の散らし書き(例外的に並べ書きも含む)で、もとより筆者不明だが、居初津奈や長谷川妙躰とも異なる江戸初期のおおらかな筆跡である。〔小泉〕
◆にょひつみちしばはなのうみ [2939]
女筆道柴花乃海‖【作者】辻柳軒書・跋。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。宝永元年(一七〇四)刊『みちしば』†の改題本。現存するのは上巻のみだが、上巻見返は宝永板と異なり、衣通姫の略伝を載せる。他は宝永板に同じ。〔小泉〕
◆にょようつづきぶんしょう [2940]
〈万宝字尽〉女用続文章‖【作者】去留斎桃牛(眉軒子)・芥子庵錬子作・画。速水春暁斎画。【年代】天明七年(一七八七)刊。[京都]菊屋安兵衛(鹿野安兵衛・菊英館)ほか板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。「近江八景」「都町尽」「西山名所」「花尽」「紋尽」「都道芝」など、京都周辺の地理科往来と事物の名称を連ねた語彙科往来を数種合綴したもの。これに「梅尽」「伊勢道中記」「江戸道中記」「東山名所」「名香尽」「源氏文字鎖」「諸職名尽」「家名」「染色字尽」「名頭字尽」「四季の景」「洛中洛外辻子小路」「月の異名」「十干十二支」といった頭書および巻末の「国尽」が加わる。表紙見返の目録を見ると語彙を単体で並べたものを「尽」、文章で綴られたものを「続物」と称している。「近江八景」は、特に各々の景勝の来由などを差し挟むのが特徴。「都町尽」は、町名や通り・小路の名称を列挙したもので、「建仁寺町」に始まり、「河原町」から北上、「鞍馬口」から逆に南下し、「東寺の塔」で終わる。文章として連なってはいるが、暗記に資するための名称の羅列が中心である。「西山名所」は、妙心寺を起点に嵯峨・愛宕の名所を巡るもので、藤原俊成、遍昭、曽根好忠等の歌を取り入れて、名所に和歌的情緒を添える。「花尽」は、梅に始まり季節を追って花の名を列挙し、また早春に戻るもの。「紋尽」は、紋に用いられる意匠の名を列挙したもの。「都道芝」は、『洛陽往来』†『都往来』†等の名で広く流布した往来で、前半が京都東郊で、北は鞍馬から南は伏見に至るまで、後半は京都西郊で、桂川を遡上して嵯峨方面へ抜け、金閣、大徳寺、さらに東を指して相国寺、下鴨神社近辺に至る順路の名所案内。巻末の「国尽」を除き、本文を大字・五行(末尾は八行)・付訓で記す。〔丹〕
◆にょようふでのしおり/じょようふでのしおり [2941]
女用筆の枝折‖【作者】西川竜章堂書。【年代】天保五年(一八三四)刊。[京都]丁子屋源次郎(福井源治郎・正宝堂・延宝堂)ほか板。また別に[京都]丸屋善兵衛ほか板あり。【分類】女子用。【概要】半紙本または中本一冊。五節句や四季折々の女文を集録した女用文章。冒頭に「年始の文ちらし書」一通を掲げ、以下、ほとんどが大字・五行・付訓の並べ書き(「八朔の文」のみ散らし書き)で、「初春祝儀の文」から「出立歓びの文」までの合計五一通を収録する(ほぼ五節句・通過儀礼・年中行事等の順に収録)。本文中に庶民女性の四季行楽図四葉を挟むほか、巻頭に若干の女子教訓と挿絵、および「十二月異名」を掲げる。〔小泉〕
◆にょようもみじのにしき/じょようもみじのにしき [2942]
〈女用大成・教訓躾方〉女用紅葉の錦‖【作者】中谷治八作・書・跋。【年代】寛延二年(一七四九)刊。[京都]大和屋伊兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『〈日用文章〉女用紅葉の錦』『女中重宝日要文章』『女用文』。大本一冊。「正月の文」「七くさの文」「節会のふみ」「久敷逢さる方へつかはす文章」から「歳暮の文」までの四季折々の手紙三七通を収録した女用文章。並べ書きと散らし書きを含み、概ね大字・五行・稀に付訓で記す。巻頭に「五節句由来(挿絵)」「不成就日之事」「文の封じやう」等、頭書には「女子教訓哥」「万字つくし」「女かなつかい大かい」「女歌仙」「小笠原流折形」「女いましめ草」「香の聞様」「しみ物おとしやう」「女の名字尽」等と、「女文章」と題して「久敷逢たるかたへ遣す文」以下二二通の例文(中には前記本文と重複的な例文もある)を収録する。なお、本書の前半部だけを抽出した改題本『女用華の宴』†が宝暦一三年(一七六三)に刊行されたが、この年は本書の再板本がともに刊行されており、再板時に同一板木から正規版と簡略版の二種を併行して販売したものであろう。〔小泉〕
◆にょようやまとしょうがく/じょようやまとしょうがく [2943]
〈女教訓・身持鑑・要語〉女要倭小学‖【作者】随時老人(庸行)作。西川祐信・石川豊信画。【年代】安永二年(一七七三)刊。[京都]武村嘉兵衛ほか板。また別に[京都]西村平八板あり。【分類】女子用。【概要】大本一冊。表紙見返の色刷り口絵に「児女のしつけかたを撰あつめて著す者也」と記すように、女子教育や女子の教訓・教養・礼法などを教訓歌(狂歌)や故事を交えて諭したもの。「夫、女子は十歳の時よりかつて外へ出すべからず…」で始まる前文で女子一生の教訓、女子の躾方、女子教育法、男女の別などを概説し、続いて、第一条「慈悲と女子の心持ち」、第二条「接客態度」、第三条「召使いへの指導」、第四条「夫婦和合」、第五条「友人との交際」、第六条「高看経の禁止」、第七条「言葉遣い」、第八条「芸能の慎み」、第九条「奥床しい心持ち」、第一〇条「贈答の心得」の一〇カ条を説く。本文を大字・五行・付訓で記す。前付に「徳・言・功・容(四徳)」「源氏八景」「和歌三神之図」「女通用之故実并衣類余風」「三十六歌仙之図」「琴碁書画(および由来)」「眉を作る始の事」「婚姻之和訓」「女中衣裳の品さだめ」「祝言の始」等、頭書に「新六歌仙」「三夕和歌」「六々貝合和歌」「ぬいものゝ事」「女子やしなひ草」「女ことばつかひ」「立居ふうぞく」「かみけしやう」「衣しやうのならひ」「万しつけかた」「きうじのしやう」「祝言わたましいみ詞」「女一代身もち鑑」「くわいたいやうじやう」等の記事を載せる。なお、本書の改題本に『女論語躾宝』†があり、ほかに本文のみを抽出した『女論語宝箱』も流布したように、『女要倭小学』よりも『女論語』の書名で一般化した。〔小泉〕
◆にわのおしえしょう [2944]
庭の訓抄‖【作者】伴蒿蹊(閑田子)注・序。尾崎雅嘉(有魚・春蔵・蘿月・華陽)序。伴資規跋。【年代】文化三年(一八〇六)跋。文化四年刊。[京都]易得舎蔵板。北村庄助(北村荘助・瑤芳堂)ほか売出。【分類】女子用。【概要】大本一冊。『庭の訓(庭のをしへ)』は、阿仏尼が娘・紀内侍に宛てた書簡体の教訓文で、一名『乳母の文』という(阿仏尼撰作を疑問視する説もある)。鎌倉時代を代表する女訓書で、和歌・書画・音楽等の諸芸を含む女子心得について述べ、いかに才色兼備でもその心延えが悪ければ無益であると諭す。『庭の訓抄』は、この『庭の訓』の注釈書で、冒頭に「作者并紀内侍之事」「題号之事」について解説し、続いて『庭の訓』の本文を大字・六行で掲げ、行間や頭書に詳細な注を施したもの。注釈文は語釈のほか、諸書からの引用や故事によって敷衍した箇所も少なくない。本文中に挿絵四葉を掲げる。なお、『群書類従』本巻第四七七「乳母のふみ」は、本書との異同が甚だしく、本書の約三倍に相当する長文である。〔小泉〕
◆にんげんいちだいかんにんしんぼうつつしみおさめきょうくん [2945]
〈善悪邪正・貧福寿命〉人間一代堪忍辛抱慎身納教訓‖【作者】藤法運作。【年代】安政五年(一八五八)作・刊。藤法運板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「〈忠孝仁義礼智信狂歌・教訓〉いろはのちか道」「ころりと○(まる)でいろは教訓」「鏡にうつろふいろは教訓」「親こゝろ子そだていろは教訓」「さくつてなをすいろは教訓」「いろはではめこむ法の道ひき」「だんおくりいろは教訓」「三疋猿五首の狂歌」「松竹梅にて人々心得の歌」「そろばん詰一代教訓(九九にちなんだ教訓文で教訓歌数首を挟む)」「人間一代堪忍辛抱慎心得の論(教訓文と教訓歌)」「小うたい(小謡になぞらえた教訓)」の一二編を収録した童蒙教訓。そのほとんどが生活教訓や処世訓全般を説いた教訓歌(一部、イロハ短歌形式)で、「いつしんにいちだいしだすいさぎよさ、いつも町中いちばんにおき」を始めとする全四一六首を収録する。本文を小字・一一〜一五行・無訓で記す。〔小泉〕
◇にんぜんしゅうさんじゅうさんかじょう [2946]
人前醜三十三ヶ条‖【作者】某権之助(栃窪村)書か。【年代】享保九年(一七二四)書。【分類】教訓科。【概要】『人前醜・童部状』と題した手本中に所収。「一、於人前仕長楊枝事」「一、物識顔而灰書する事」「一、人ノ法聞玉章致披見事」など、他人や師匠の前でしてはならない無作法・不行儀を三三カ条に綴った教訓(ただし現存本は全三二カ条で一条を欠く)。いずれも禁止条項を列挙した事書の形をとる。後半部「童部状」は、安永二年(一七七三)以前刊『童子状』と同じであろうか、未見のため不明。〔小泉〕
◆にんとくきょう [2947]
忍徳教‖【作者】脇坂義堂作。鎌田柳泓序。杉浦宗直跋。【年代】文化六年(一八〇九)刊。刊行者不明。【分類】教訓科(心学書)。【概要】半紙本一冊。跋文に「四言を排列し、押韻に拘わらず、けだしその難渋の語無ふして、解し易からんことを欲するなり」とあるように、「忍之為徳、夫大矣哉、可以修身、可以治人、可以昌家、可以興国…」で始まる四字一句の文章で、「忍」の徳を平易に説いた心学書・往来物。冒頭部では二句あるいは四句と同じ句型のものを繰り返し、漢文の初学者が句型・語順を習得しやすいように工夫する。本文を楷書・大字・四行・無訓(返り点、送り仮名付き)で記す。中盤からは「忍」を示す中国の逸話、あるいは逸話の表題を掲げ、その後釈尊、さらに日本の例(平重盛、楠正成)を挙げる。この後半部は逸話を全て述べ尽くさないことで、かえって『蒙求』等への漢籍やその他の書物への発展を企図しているように思われる。また、冒頭部分で「堪忍」を丸薬に喩えたり、「公」」や「楠正成」、その他の本文の句の内容を絵解きして理解の一助とする。〔丹〕





◆ぬきいと [2948]
ぬきいと‖【作者】田丸新九郎書。【年代】寛政二年(一七九〇)作。文久三年(一八六三)書。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。巻頭言に「ぬきあつめたる品なから、継合せ候はゝ御遣ひかたにも可成哉と存候。則、『ぬき糸』と題して進候」とあるように、諸書から抜粋して編んだ、長短含む計一六カ条の女子教訓。吉凶禍福、女性の役割(家政)・容儀帯佩・信仰、使用人への慈悲、陰徳、芸能、季節の贈答、その他女性心得を主とする。「書物などよみては愛を失ふ基」であり、「女は生れのまゝの文盲こそめでたく候へ」と諭す一方、貝原益軒の教訓書は「本屋よりかりて見給ふべく候」と促したり、『平家物語』『徒然草』の一読を薦める。末尾は作者を差出人とする女文形式になっており、宛名を「野一色、御料人様、まいる」とする。さらに、女性の言葉遣いについての教訓文を補足する。本文をやや小字・八行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ぬりものおうらい [2949]
塗物往来‖【作者】不明。【年代】万延元年(一八六〇)書。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「輪島塗」で知られる能登国輪島の塗物のあらましを記した往来。三都以外の特定地域の物産に関する往来として重要。「抑、能州輪島之産物、塗物之次第、極上本竪地、先、皆朱之八角折敷(おしき)・惣黒之宗和・内朱之二之膳・青漆三之膳…」と書き始め、輪島塗の漆器の種類やその形状・色彩・紋様などを列記し、最後に職人の心得などを記して、「仍而雑書如件」と結ぶ。なお、原本の所在等は不明である。〔小泉〕





◇ねがいとどけしょうけんぶんれい/がんかいしょうけんぶんれい [2950]
〈小学必携〉願届証券文例‖【作者】本岡竜雄作・書。津田清長校。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[東京]野口愛(奎文堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。明治初期における公的書類の書式と関連の知識を紹介したもの。大きく、「請取書類」「届書類」「証書類」「願書類」の四つに分けて収録しており、それぞれ「物品請取書」以下四例、「止宿人届」以下一七例、「金子借用証書」以下一四例、「地所売買譲渡地券書換願」以下七例の合計四二例とほかに「季任状」の書式を載せる。頭書に「証券印税規則」など関連法令についての注釈を置く。〔小泉〕
◇ねぎまちおうらい [2951]
禰宜町往来‖【作者】不明。【年代】寛永九年(一六三二)以降作・書。【分類】社会科・地理科。【概要】巻子本一軸。寛永九年から慶安四年(一六五一)堺町移転まで、江戸の歌舞伎興行街であった禰宜町(東京都中央区日本橋人形町辺)における浄瑠璃・歌舞伎芝居等の様相や風俗を記した特異な往来。「今度始而禰宜町を致徘徊候之処、先、天下無双之浄留利とて、見物貴賤夥事、如雲似霞。木戸口之警護は臂を張り、枋を横へ、芝居之雑職は袒右肩、竹杖を突、見物之人々或は若輩之旁は、編笠之内に人目を忍び…」で始まる文章で、まず、芝居小屋の外観や警備人・見物客の面々の装いを略述し、続いて芝居小屋内の観客席や舞台のあらまし、演劇・演舞・音曲の様子や舞台衣装、また役者への贈り物について紹介する。「人形の働をなす事、眸を動し、口をあき、左右之自由、生る人の如し…」といった情景描写も織り込み、臨場感溢れる記述になっている。本書は、十返舎一九の文政七年(一八二四)刊『至徳諸芸往来』†のように芸能関連の往来と見なせるが、一方、禰宜町という特定地域に関する地理科往来に位置づけることもできよう。年代の古さや題材の特殊性からいっても貴重な往来である。〔小泉〕
◇ねずみおうらい [2952]
鼠往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科(戯文)。【概要】「釈迦に題婆や鯨に鯱、月に叢雲花に風、国に盗人家には鼠、宵は天井がらと、仲間鼠を呼ひ集め、相撲取るやら躍るやら…」で始まる七五調の文章で、鼠の大将が率いる鼠の集団が夜中に家中で暴れる様子をユーモラスに記した往来。戯文だが家内の家具・調度など若干の語彙学習に役立ったであろう。恐ろしい赤まだらの大猫が現れて鼠たちが一目散に「尾を振り上げて皆々二階の隅へ上りける」結末までを述べる。岡山地方で使用された往来であり、重写本には「岡山地方ニ於テハ「荒れ鼠」トイヒテ三弦ニ合セテ歌フ所モアリ」という注記を付す。〔小泉〕
◆ねずみじょう [2953]
鼠状‖【作者】不明。【年代】江戸中期作・書。【分類】教訓科(戯文)。【概要】特大本一冊。「百姓今川准状」†「隅田川往来」†とともに一冊をなす手本中に所収。「菓子盆元年薬鑵三月」という架空の年月日で「小隠里彦七」が「猫俣虎蔵」宛てに出す書簡文を装って綴った戯文の往来。「謹而言上、鼠之一類、日本我朝罷越候事、菓子盆元年鼠守従天竺霊鷲山、仏之為御使ト罷越至に、今、弥勒之出世迄可令在国之由、被仰付…」で始まる全編一通の文章を大字・四行・無訓で記す。鼠は仏の使者として日本にやってきたのに、日本には猫が多く、しかも鼠を食用としていることは嘆かわしいので、昔のように唐へ帰国してほしい、われわれ鼠の要望を聞き入れてくれたなら、莫大な金銀米銭を船で送り届けようと猫に懇願するのもユーモラスである。なお、寛政六年(一七九四)書『鼠申状・猫返状』†は、本書の改編版である。〔小泉〕
◇ねずみもうしじょう・ねこへんじょう [2954]
鼠申状・猫返状‖【作者】某長次郎書。【年代】寛政六年(一七九四)書。【分類】教訓科(戯文)。【概要】大本一冊。前項『鼠状』†に返状を追加して往復二通にした戯文の往来。異同はあるが『鼠状』と同じ趣向の往来。往状が土屋鼠之助から猫奉行(玉虫猫太郎)への訴状で『鼠状』とほとんど同文。また猫奉行からの返状は、「芳簡殊更示給候段、不承届候間、以書意申遣候…」と書き始めて、鼠が経典を食い荒らしたために釈尊が猫を「仏言聖教之番」としたなどの荒唐無稽な由来を述べて反論し、今後も互いに合戦すべきことを述べて結ぶ。本文を大字・五〜六行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆★ねんごうか [2955]
〈松浦乾斎公著〉年号歌‖【作者】松浦静山(乾斎・乾々斎)作・跋。【年代】文化一〇年(一八一三)作。文政七年(一八二四)跋・刊。[亀山]乾々斎蔵板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。大化から文化までの元号を中心に日本歴史のあらましを七五調で綴った往来。例えば、延暦(七八二〜八〇五)年間の記述では「二ニハ改ム延暦ノ、七ニ建タル延暦寺、十三年ニ遷都アリ、是コソ今ノ平安城…」というように、元号と歴代天皇、また当代の歴史的人物や主要事件などを紹介する。政治史中心の記述だが、近世期では明暦以後の江戸大火や宝永の富士噴火などにも触れる。柱に「乾々斎活版」とあるように木活字版で、本文を楷書・大字・七行・無訓で記す。跋文に「亀城ノ麓ノ童トモニ読セテ…」とあるように、出版地は亀城(平戸城)のある亀山・松浦家の木活字で印刷されたものである。〔小泉〕
★ねんごうもんどう [2956]
〈下等四級〉年号問答‖【作者】土橋荘(魯軒)作・跋。【年代】明治九年(一八七六)跋・刊。[亀岡]内藤半七蔵板。[京都]遠藤平左衛門ほか売出。【分類】歴史科。【概要】異称『〈小学四級〉年号問答』『〈学校必用〉年号問答』。中本一冊。明治までの元号と年数について一問一答形式で綴った教科書。「問、大化年間、如何ナル事アリシヤ」「答、是、年号ノ始メナリ」のように元号毎に原則一行ずつの問答を楷書・小字・九行・稀に付訓で列挙し、所々に割注を付す。「京師地震、同年諸国挙テ伊勢ニ詣」(天保)や「孝明天皇即位」(弘化)、「合衆国ノ船、浦賀ニ来」(嘉永)のように、適宜、在位中の天皇や元号の由来、歴史的事件などに触れる。〔小泉〕
◆ねんちゅういしょうぶんしょう/ねんじゅういしょうぶんしょう [2957]
〈頭書絵入〉年中衣裳文章‖【作者】高井蘭山作。【年代】享和(一八〇一〜四)頃刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】社会科。【概要】異称『年中衣裳文章』『衣裳文章』。中本一冊。日本における衣装の由来と四季時服について綴った往来。古代人の衣装から天の棚機姫命(あまのたなばたひめのみこと)が神孫・八千々姫命(やちじひめのみこと)に神々の御衣を織らせた故事、また応神天皇の時代に呉より渡来した呉織(くれはとり)・漢織(あやはとり)によって機織りの技術が初めて日本に伝わった故事、貴族における装束の概略に触れた後、武家以下の年中時候の衣装(時服)や婚礼・葬儀・祝儀の際の服装や平服等について述べる。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書(三丁表まで)に「織物字尽」、巻頭に「女子養蚕図」「呉服・木綿由来」、巻末に「染色字尽」を掲げる。〔小泉〕
◆ねんちゅうおうらい/ねんじゅうおうらい [2958]
〈絵入〉年中往来‖【作者】中村栄成(甚之丞・甚丞)作・跋。【年代】元禄六年(一六九三)刊。[京都]源兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】大本二巻二冊。一カ月往返二通、一年一二カ月合計で二四通の準漢文体書簡(上巻一月〜六月、下巻七月〜一二月)で、各月に即した自然の景趣、年中行事や儀式等を列記した往来。本文を大字・六行・付訓で記す。いわば、古代・中世より伝わる京都の貴族的教養として綴ったもので、『女筆四季文章』†の男性版に相当する。すなわち、本書は準漢文体ながら、扱った題材は『女筆四季文章』とほぼ同様である。ただし、頭書には本文要語の図解を掲げるのみで、『女筆四季文章』の如き詳しい注釈を一切付けない。〔石川〕
◆ねんちゅうおうらい/ねんじゅうおうらい [2959]
〈仙府〉年中往来‖【作者】燕石斎薄墨作。閑斎画。【年代】文政一二年(一八二九)刊。[仙台]燕石斎薄墨蔵板。【分類】社会科。【概要】異称『仙府年中往来』。中本一冊。「『長生殿裡春秋富、不老門前日月遅』とかや。抑、青陽の初日影、若やく空に舞遊ぶ鶴の齢の仙府の栄へ、万代調ふ亀ヶ岡…」で始まる文章で、神社・仏閣の祭礼・縁日、町々の行事など仙台における年中行事のあらましを述べた往来。本文を大字・六行・付訓で記す。口絵に「仙台風景(鳥瞰図)」、頭書に「正月之図」「五節句の故事」「躑躅岡花見之図」「東照宮御祭礼之図」を掲げる。〔小泉〕
◆ねんちゅうおうらい/ねんじゅうおうらい [2960]
〈寺沢〉年中往来‖【作者】寺沢政辰(玉流軒)書・跋。【年代】享保一九年(一七三四)跋・刊。[江戸]須原屋四郎兵衛板。また別に[江戸]須原屋茂兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈新板〉年中往来』。大本一冊。門下・福浦大膳の求めに応じて、寺沢辰宣が染筆した大字・三行・無訓の手本で、「消息文」「竜田詣」†「筆道教訓」「詩歌」から成る。「消息文」は、「新年祝儀状」から「歳暮祝儀の礼状」まで各月往復二通の合計二四通で、四季の行事や風物、祝儀贈答などを主題とした例文。「竜田詣」は、近世中・後期に流布した地理科往来で、刊本としては比較的早い例である。「筆道教訓」は、「夫、礼楽射御書数之六芸者、人倫之可嗜之首魁也…」で始まる文章で、筆道の重要性や筆道稽古の次第、和漢能書、筆法、文房具等の関連知識と心得を述べたもの。最後の「詩歌」は、『和漢朗詠集』から抜粋した詩歌一二編である。跋文に、寺沢筆師・福浦大膳の懇願に応じて本書を揮毫した旨を記す。〔小泉〕
◆ねんちゅうおうらいならびにかなぶみ/ねんじゅうおうらいならびにかなぶみ [2961]
〈御家〉年中往来〈并かな文〉‖【作者】文海堂(竜山)書。【年代】文化一〇年(一八一三)刊。[江戸]大坂屋茂吉(文魁館)板。【分類】社会科・地理科。【概要】異称『年中往来〈ならひにかな文章〉』。大本一冊。江戸の年中行事を記した「年中往来」と、国めぐりの形で諸国を紹介した「かな文」を合綴した手本。「年中往来」は、「改暦之吉兆、先鶏鳴、若水、大福、蓬莱、屠蘇酒任家例候…」で始まる全一通の準漢文体書簡(ただし書止は「穴賢」)で、江戸府内の寺社祭礼を中心に月毎の行事のあらましを記す。後半の「かな文」は、寛政五年(一七九三)刊『女文章国尽』†とほぼ同文の往来で、「兼々しめし合せし日のもと六十余州廻国の事、思ひ立日を吉日と御定め、遠からぬ内、思召たゝせらるへく候…」で始まる全一通の仮名文である。本文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆ねんちゅうおうらいようぶんしょう/ねんじゅうおうらいようぶんしょう [2962]
〈頭書絵入〉年中往来用文章‖【作者】不明。【年代】天明七年(一七八七)刊。[江戸]西宮新六板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。四季折々の手紙二四通を収録した簡易な用文章。新年状から歳暮祝儀状までの季節の祝儀や行事・遊興にまつわる短文の例文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「富士山遠景図」、頭書に「御江戸繁栄往来」「偏冠尽」「書状封様図」「書状書物の法」「書留の高下」「理義字集(字形の似通った漢字などを集める)」「七夕詩歌」を収録するほか、末尾に詩歌各一首を載せる。〔小泉〕
◆ねんちゅうおんなようぶんしょう/ねんじゅうおんなようぶんしょう [2963]
〈御家〉年中女用文章‖【作者】青木臨泉堂書・跋。【年代】文化一四年(一八一七)跋・刊。[江戸]須原屋茂兵衛(千鐘房)ほか板。また別に[江戸]英屋平吉ほか板あり。【分類】女子用。【概要】大本または半紙本一冊。春・夏・秋・冬・雑の五部に分けて多くの例文を集めた大部な女用文章。ただし、大本と半紙本では収録書状数が異なる。大本の場合、それぞれ「正月の文」以下九通、「四月の文」以下八通、「七夕のふみ」以下一〇通、「十月の文」以下一四通、「用事申遣す文」以下六四通の合計一〇五通を収録する。とりわけ雑の部が充実しており、諸用件の手紙、行楽誘引状、通過儀礼に伴う祝儀状、借用状、各種見舞状、弔状など、庶民生活に必要な例文をほぼ網羅する。本文は大字・五行・所々付訓の並べ書きを基本とする。ただし、巻末「ちらし書四季の文章」には、新年状を始めとする散らし書き女子消息一一通(うち一通は並べ書き)を載せる。一方、半紙本は内容が簡略化されており、「正月の文」から「参宮のみやげ送る文・同返事」および末尾の「ちらし書の文」の合計六九通を収録する。さらに本書に『女今川』を合綴した増補版や、本書を小型・簡略化した天保三年(一八三二)刊『〈御家〉女用文宝箱』†もある。〔小泉〕
★ねんちゅうぎょうじ [2963-2]
年中行事‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】女子用。【概要】特大本一冊。「万用消息往来」とともに合綴された手本中に所収。「春は豊に天の戸を、出る日影も三の朝、門に常盤の松竹を、千代の初のためしとや、子日に引も姫子松、梅か枝諷ふあしたには、袖賑へて若菜摘、野辺に早蕨萌出て…」と書き始めて、四季の花鳥の移ろいを綴った往来。「年中行事」と題するが、いわゆる四季折々の行事についてはほとんど言及していない。本文を大字・三行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ねんちゅうぎょうじぶんしょう/ねんじゅうぎょうじぶんしょう [2964]
年中行事文章‖【作者】泉花堂三蝶作・書。【年代】文化元年(一八〇四)作・刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]岩戸屋喜三郎板、[江戸]西村屋与八板、[江戸]山口屋藤兵衛板(再板)等あり。【分類】社会科。【概要】異称『〈天保再版〉年中行事文章』。中本一冊。『年中時候往来』†と対をなす往来。『日本書紀』『続日本記』『公事根源』『名月記』などによりながら、主に江戸の年中行事の様子とその起源・故事を記した往来。「夫、青陽の初春には、貴賤行通ひ交る故、睦月といふとかや。是、君が代の徴(しるし)実に難有こと也…」で始まる文章で、各月の行事風景や行事の意味、由来および出典を記す。また、末尾では「人間の一生は夢幻のごとく」過ぎ去ってしまうので、幼時より天下の掟を守り、悪友を遠ざけ、賭事を慎み、学問に志すべき旨を諭す。本文を大字・五行・付訓で記す。初板本の見返に年中行事の挿絵四葉を描き、再板本では一丁追加して巻頭口絵に四季行事の象徴(羽子板など)を手にした子ども達の姿を描く。なお、本書は文化(一八〇四〜一八)頃刊『寺子教訓往来・年中行事文章・書状言葉遣』†中にも合綴されている。〔小泉〕
◆★ねんちゅうじこうおうらい/ねんじゅうじこうおうらい [2965]
〈享和新編〉年中時候往来‖【作者】泉花堂三蝶作。滕耕徳書。【年代】元禄七年(一六九四)以前作。享和三年(一八〇三)作・刊。[江戸]西村屋与八板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】社会科。【概要】異称『年中文章』。中本一冊。江戸を主とした花鳥風月や風流韻事を歳時記風に記した往来。本書文末には本書が天の巻、『年中行事文章』†が地の巻であると述べるように、『年中行事文章』と対をなす。「一夜明れば青陽の陰いと高く、初旭光々として新かねの土も草木も恵に育、麗なる空には凧(いかのぼり)も遠山鳥の長々しき尾をたれ…」で始まる文章で、四季の草花や動物などを主とする風景を描く。特に江戸の季節の名所を意識して綴っており、花見には上野・飛鳥山・御殿山、ホトトギスの初音には高田・関口・上野・谷中・駿河台、蛍狩りには目黒・雑司ヶ谷・落合・王子・石神井川、秋の名月には上野不忍・赤坂というように名所や故事を織り込む。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、刊本に先立つ元禄七年(一六九四)写本(書名不明の折本一帖。小泉蔵)が新たに発見されたため、本書の成立は元禄年間以前に遡る。〔小泉〕
◆ねんちゅうじこうべん/ねんじゅうじこうべん [2966]
〈天地開闢〉年中時候辯‖【作者】高井哂我(蘭山・文左衛門)作。【年代】寛政三年(一七九一)刊。[江戸]花屋久治郎板。【分類】社会科。【概要】異称『年中時候童蒙辨』。中本一冊。和漢の季節区分である「七十二候」等について説いた往来。学問や詩歌、連俳などの教養として、また、四民それぞれの家職に必要な知識として、大陸伝来の「二十四節」「七十二候」を中心に花鳥風月・天地自然の変化に触れつつ解説する。ただし、中国の説では日本の風土になじまない部分(例えば日本に存在しない動物など)があるため、頭書に別に「本朝七十二候」を補足したとする。本文を小字・一一行・付訓で記し、頭書に多くの図解を施す。〔小泉〕
◆ねんちゅうじょう/ねんじゅうちょう [2967]
年中帖‖【作者】佐藤章山(庄助・幹斎)書・序。谷賛斎跋。【年代】明和七年(一七七〇)序・跋・刊。[江戸]植村藤三郎(伏見屋藤三郎・錦山房)板。【分類】消息科。【概要】特大本一冊。『異制庭訓往来』†を抄録した手本。前半に『異制庭訓往来』から抜粋・簡略化した準漢文体書簡一二通を大字・四行・無訓で記す。後半に、漢詩文・和歌をそれぞれ七編ずつ大字・四〜五行大・無訓の散らし書きで掲げる。〔小泉〕
◆ねんちゅうじょう/ねんじゅうちょう [2968]
〈窮理贈答〉年中帖‖【作者】高田義甫作・序。深沢菱潭書。光斎画。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]須原屋茂兵衛(北畠茂兵衛・千鐘房)板。【分類】理数科。【概要】異称『窮理贈答』。半紙本二巻二冊。四季折々の手紙文の形式で窮理学に関する初歩知識を記した往来。本文を大字・四行(追伸文は五行)・付訓で記す。まず、新年状で新暦(太陽暦)のあらましを問い、その返状で、東西・古来の暦法に触れながら、新暦と二十四節・七曜との関連等を略述する。以下、上巻では気球・風雨鍼・寒暑鍼・蒸気・光・火輪器(蒸気機関車)・天体運動・地球に関する諸原理・諸説、同様に下巻では水・気候・温泉・露・雷・音・熱気と色・炭酸について述べる。所々の追伸文で参考文献に言及するほか、頭書に実験機材その他の図解や説明を載せる。〔小泉〕
◆ねんちゅうしょじょうてがみあんもん(ねんじゅうしょじょうてがみあんもん)・しょようてがたしょうもんしゅう [2969]
年中書状手紙案文・諸用手形証文集‖【作者】不明。【年代】文化(一八〇四〜一八)頃刊。[江戸]万屋和助板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。表紙を含めわずか三丁の小冊子で、各葉を上下二段に分かち、上段に『年中書状手紙案文』、下段に『諸用手形証文集』を配置した用文章。上段にまず時候の言葉の区別を略記した「時候之次第」を掲げ、続いて「年始状」から「医者断之文」までの一六通を載せる。各例文は、庶民に必要な最小限の季節や吉凶事に関する手紙である。また、下段に「差上申一札之事(関所手形)」から「離縁状」までの一一通の手形証文類を収録する。本文を一六行前後の小字・付訓で記す。なお、刊年は刷表紙上欄の「文化改板」の記載による。〔小泉〕
◆ねんちゅうしょじょうばこ/ねんじゅうしょじょうばこ [2970]
〈御家〉年中書状箱‖【作者】桜寧舎作か。文海堂(竜山)書。【年代】文化九年(一八一二)刊。[江戸]大坂屋茂吉(文魁館)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『年中用文』。中本一冊。消息例文・仮名文・証文類から成る用文章。消息例文は、「年頭状」から「疱瘡見舞之文」までの三一通を載せ、前半に四季行事や五節句などの書状、後半には吉凶事に伴なう書状や、「荷物を遣状」「鳥を送る手紙」「道具を借に遣文」など用件中心の書状を集める。仮名文は並べ書きの「新年状」と散らし書きの「婚礼祝儀状」の二通、さらに証文類は「奉公人請状之事」など三通を掲げる。本文を大字・四行(仮名文は七行、証文類は八行)・所々付訓で記す。頭書に「大日本国名并郡附」「消息往来」等の記事を収録する。なお、改刻本では末尾の証文類に「見附通り手形」一状を追加した。なお、本書には異板があり、諸本によって合綴順序が若干異なる。〔小泉〕
◆ねんちゅうぶんしょうたいぜん/ねんじゅうぶんしょうたいぜん [2971]
〈御家〉年中文章大全‖【作者】吉川重宣(源重宣)書。【年代】文化四年(一八〇七)刊。[江戸]鴨伊兵衛(鴨文堂・柏葉堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『年中文章』。半紙本一冊。「主家え年頭之祝書」〜「歳末之祝書・同返書」の消息例文四五通と「奉公人請状」〜「御関所手形」の証文類文例五通を収録した用文章。消息例文を大字・五行・ほぼ付訓で記す。五節句祝儀、四季行事、通過儀礼、諸用件、不幸事など一通りの例文を載せるが、明確な分類意識で配列されたものではない。また末尾の証文類文例はやや小字・七行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ねんちゅうようぶんしょう/ねんじゅうようぶんしょう [2972]
年中用文章‖【作者】西川竜章堂(閑斎)書。小川保麿(玉水亭)書(補筆)。津逮堂(吉野屋仁兵衛)跋。【年代】天保八年(一八三七)刊。[京都]吉野屋仁兵衛(大谷仁兵衛)ほか板。また別に[京都]升屋勘兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈増補〉年中用文章』。半紙本二巻二冊。上巻に「十二月之文」の部、下巻に「諸祝儀文」「諸見舞文」「雑用要文」「商家用文」「証文手形」の各部の例文を収録した用文章。収録書状数は、上巻が「年始状」以下七一通、下巻が「婚礼祝儀状」以下七五通の合計一四六通。本文を大字・五行・付訓で記し、各月毎あるいは本文の所々に各月の異名・風物関連用語や替え文章(言い替え表現)を小字・九行で綴り、さらに下巻末尾に「書状高下之事」「書留高下之事」「返事端書之事」「脇付高下之事」「返事脇付之事」「封状高下之事」「遠国江遣状之式」等の書簡作法を示す。また、上巻見返に「十干十二支」「片仮名イロハ」「偏冠尽」、下巻末尾に「大日本国尽」を掲げる。なお、本文の大半は竜章堂筆だが、下巻二三丁で絶筆となったため、それ以降を門人・小川保麿が補筆したという。〔小泉〕
◆ねんちゅうようぶんしょう/ねんじゅうようぶんしょう [2973]
〈御家〉年中用文章‖【作者】不明。【年代】弘化三年(一八四六)刊。[江戸]布袋屋市兵衛板。【分類】消息科。【概要】小本一冊。消息文例と手形証文文例を収録した用文章。消息文は「年始之文」から「帰国之上土産配之文」までの三九通で、前半に四季・五節句の手紙、後半に吉凶事に伴う手紙などを収録する。また、手形証文は「店請状」から「御関所通手形」の一四状と「諸国御関所附(関所の所在地)」を載せる。本文を五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ねんちゅうようぶんしょう/ねんじゅうようぶんしょう [2974]
〈御家〉年中用文章‖【作者】不明。【年代】弘化(一八四四〜四七)以降刊か。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始の文」から「誹諧を催す文」までの六四通を収録した用文章。四季折々の手紙や生涯の祝事・凶事に関する手紙、その他日常の雑事に関する手紙から成る。また巻末に「借用申金子之事」から「差上申手形之事」まで一一通の証文類文例を付す。本文を大字・五行(証文類は六行)・所々付訓で記す。巻末広告に『大全一筆啓上(一筆啓上)』†(大本・半紙本・中本)の広告を載せるが、森屋板は弘化以降と考えられるので、本書もその頃の刊行か。〔小泉〕
◆ねんちゅうようぶんしょう/ねんじゅうようぶんしょう [2975]
〈開化普通〉年中用文章‖【作者】宇喜田(宇喜多)小十郎作。村田海石書。【年代】明治八年(一八七五)刊。[大阪]吉岡平助ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈宇喜多小十郎著〉開化年中要文』『年中要文』。中本一冊。冒頭に「四時之部」と記すように、近代社会における四季行事周辺の例文を主軸とし、さらに若干の吉凶事や用件に伴う例文を補足した漢語用文章。「年始之文章」〜「洪水見舞文」までの往復文七二通を収録する。「元始之祭日開宴之文」「紀元節遙拝誘引の文」「天長節会人を招く文」「貿易景況を問ふ文」「博覧会誘引文」など近世には見られない例文も多い。本文を大字・五行・所々付訓(漢語に左訓)で記す。巻末に「四季称候之部」と題して時候の言葉若干を掲げる。〔小泉〕
◆ねんちゅうようぶんしょう/ねんじゅうようぶんしょう [2976]
〈改正新刻〉年中用文章‖【作者】不明。【年代】文久二年(一八六二)以前刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。書名の通り一年の各月にふさわしい季節の手紙一二通を収録した簡易な用文章。本文中には、二月の向島逍遙や四月の小田原街からの初鰹、一一月の袴着祝儀に贈る「利根川之出世魚」といった具体的な風物にも触れる。本文を大字・五行・所々付訓で記す。見返に「本朝三筆」「本朝三蹟」、頭書に養子一札など一二通の証文類の文例を集めた「手形証文書方(かきかた)」を載せる。小泉本に文久二年の書き入れがあるので、それ以前の刊行である。〔小泉〕
◇★ねんちゅうようぶんしょう/ねんじゅうようぶんしょう [2977]
〈改正新刻〉年中用文章‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。和泉屋板と同一書名だが別内容。簡易な用文章で、「正月之文」「三月の文」「五月の文」「暑中見舞の文」「中元の文」「九月の文」「恵美寿講の文」「寒中見舞の文」「歳暮の文」「元服悦の文」「婚礼悦の文」の計一一通を収録する。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ねんちゅうようぶんしょう/ねんじゅうようぶんしょう [2978]
〈新刻改正〉年中用文章‖【作者】不明。【年代】文化(一八〇四〜一七)頃刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。また別に[仙台]本屋治右衛門ほか板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈新刻改正〉年中用文章』『初学文林宝鑑』。大本一冊。江戸中期刊『〈新板頭書〉年中用文章宝鑑』†の巻首記事などを改編した模刻版(一種の海賊版)。本文を大字・五行・付訓で記す。『宝鑑』の本文を丸取りするが、字間を縮めるなどして『宝鑑』二八丁分を二二丁半に収める。前付は『宝鑑』とほとんど異なり(見返「漢字之員」のみ共通)、「聖徳太子略伝」「店請証文書様の事」「六芸図」を掲げる。また、頭書に「当流躾方五十一ヶ条」「万積物之図」「八算掛割之術」「見一九段割掛算」「廻状之書様」「年中行事」を載せる。〔小泉〕
◆ねんちゅうようぶんしょうほうかん/ねんじゅうようぶんしょうほうかん [2979]
〈新板頭書〉年中用文章宝鑑‖【作者】不明。【年代】明和(一七六四〜七二)頃刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『初学文林宝鑑』。大本一冊。「青陽之御嘉祥…」に始まる正月状を始めとする各月往復書状例二四通と、元服祝い、同返状、移徙祝い、同返状、男子出産祝い、上京餞別、同返状、病気見舞い、親死去に伴う悔み状、見舞状の九通、総計三三通の私用文例から成る手本兼用文章。各例文を大字・五行・付訓で記し、例文の後に「当用字」として該当月の関連語を小字で列記する。頭書には「当流躾方五十一ケ状」「八算掛割之術」「見一九段割掛算」「廻状之書様」「年中行事」を収めるほか、巻首にも「漢字之員」「七能図画(書・弓・鞠・馬・算・兵・盤)」「手形書様之口伝」「筆・墨の紀原」「文字の濫觴」「十干十二支の図」「色紙短冊之書法」「暦之中段をしる事」「不成就日之事」「こよみの下段の事」等を盛り込む。本書には類書も多く、初板と思われる鱗形屋板のほかに、江戸・西村屋与八再板本、また巻首記事などを改編した仙台・伊勢屋半右衛門板(『〈新刻改正〉年中用文章』†)など少なくとも五種以上が存在する。〔母利〕
◆ねんちゅうようぶんたいせい/ねんじゅうようぶんたいせい [2980]
〈増補〉年中用文大成‖【作者】青木臨泉堂書・跋。【年代】文化五年(一八〇八)刊。[江戸]北嶋長四郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家流増補〉年中用文大成』。大本一冊。「年始の文」から「人を誘引遣文・同返事」までの九七通の消息文例と「預り金証文」から「譲請一札」までの一七通の手形証文文例を集めた大部な手本兼用文章。消息文例は、四季や五節句、通過儀礼に伴う手紙や、その他諸事に関する各種書状から成る。本文を大字・四行(証文類は五行)・付訓で記す。巻末に月の異名を多く載せる。〔小泉〕





◆のうかあんもん [2981]
〈新撰〉農家案文‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]書学教館蔵板。山崎屋清七(山静堂)売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈新選〉農家案文』。半紙本一冊。農家にふさわしい題材を各月から選んで毎月往復二通ずつ合計二四通の消息例文を綴った用文章。新年には「年首(としのはじめ)農具雛形を送る文」、四月には「播種の仕法申送る文」、八月には「鎮守祭礼相談の文」、農閑期には「説教拝聴を告る文(一〇月)」「天長節に友人を招く文(一一月)」といった内容で編むのが特徴。各書状中に農業関連の知識を多く盛り込むなど、産業科往来の要素をあわせ持つ。本文を大字・四行・ほとんど付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。なお、巻末「菱潭先生書目概表」には、明治六年刊『習字ちか道(習字のちか道)』以下八八点の往来物類を掲げる。〔小泉〕
◆のうかいまがわ [2982]
農家今川‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。天明二年(一七八二)刊『百姓今川准状』†の改題本。なお、学芸大本は後文の大半を欠く零本で、本文を大字・三行・無訓で記した手本である。〔小泉〕
◇のうかいまがわじょう [2983]
農家今川状‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】産業科。【概要】異称『童蒙須知訳并農家今川状』。中本一冊。農家の家業・家政・余暇・信仰その他の生活規範を『今川状』†形式で綴った往来。「一、不執鋤鍬而、農家終不得繁昌事」「一、好雑談寄合楽、無益深夜而朝寝事」「一、以瑣細之理屈、不為堪忍、令行我慢事」など二三カ条と後文から成る。遊興・怠惰を戒め、勤勉・倹約・堪忍・正直・分限等の徳目や処世訓を説き、後文では名主や家長など指導者の心構えを重点的に述べる。また、後半の「童蒙則」は元禄一六年(一七〇三)刊『童蒙須知』(宇都宮由的作)から衣服・語歩・洒掃の三項を抜き書きしたものである。本文を楷書・小字・一三行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇のうかおうらい [2984]
農家往来‖【作者】佐藤源次郎書。【年代】明治二九年(一八九六)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。農家児童に必要な心得と知識を列記した往来。「夫、手習ハ世の中の芸の中には第一にて、人の為にも身の為にも是(に)増たる事ハ無…」と筆を起こして、まず手習いの徳や士農工商にふさわしい手習いの必要性などを説き、続いて、法度遵守・謹身、喧嘩・公論・飲酒・虚偽・窃盗の禁止、役人・五人組・人倫等、田畑・年貢(地方)、穀類・青物・草木等の語彙や百姓心得を列記する。近世に流布した『商売往来』†『百姓往来』†とは異なり、冒頭で手習いの重要性を強調するのが特徴。同本文を大字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆のうがくおうらい [2985]
〈総生寛著〉農学往来(上編)‖【作者】総生寛作。深沢菱潭書。【年代】明治年間刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈書房)板。【分類】産業科。【概要】半紙本二巻二冊(上編)。稲作技術の基本を記した往来物。「農業は卑賤のわざに似たれども、是すなはち治国平天下の基礎にして、五穀は億兆を生養するの本なれば…」と書き始め、最初に農業の重要性や百姓の務めについて触れ、さらに、藁・籾殻・米屑・米粕・糠などの様々な用途を紹介して、稲が「百穀にまさりてめでたき宝」であることを強調し、以下、気候・風土・災害、五穀、稲の品種とその吟味、苗代・播種(たねまき)・分栽(うえつけ)・水稲耕作、潅漑・肥料・除草、その他四季農事について記す。上編には、収穫以後の貢納や検地など地方関連の記事が見えないので、あるいはこれらの記事を下巻に盛り込む予定であったとも思われる。本文を大字・五行・付訓の手本用に記す。なお、題簽題下部に「上編上(下)」と記し、柱には両巻ともに「巻之上」と刻するが、上編のみの刊行で下編は未刊か。〔小泉〕
◆のうかさほうようぶん [2986]
農家作法用文‖【作者】徳山純作。粟津道度校。渡部清賞堂序。【年代】明治一三年(一八八〇)序・刊。[東京]木村文三郎板。【分類】消息科。【概要】異称『作法用文』。半紙本一冊。農事に伴う手紙を中心に農家用の消息文例を網羅的に集めた用文章。「旱魃ニ付喞筒(ポンプ)の利害を問ふ文」から「豊年を賀す文・同答」までの一二六通を収録する。筆者は実際に農業従事者であるため、四季折々の農作業や年中行事、余暇など明治初年の農家生活を彷彿とさせる内容である。各例文を大字・六行・付訓で記し、例文毎に言い替え表現(および略注)を楷書・二行割注形式で記す。頭書にも農業技術など農事関連の記事が豊富で、「草木ニ害ある虫類ヲ容易除く新法」から「作州知和山中養蚕之説」までを掲げる。〔小泉〕
◆のうかじどうやしないぐさ [2987]
農家児童養種‖【作者】松川平兵衛(義局)作・書・序。【年代】文化六年(一八〇九)序・刊。[白川]松川平兵衛板か。【分類】教訓科・産業科。【概要】大本一冊。陸奥白川郡泉崎出身の著者が著わした農家子弟向けの教訓で、同地で出版された往来。書名に『農家』と称するが、農業そのものの心得に触れた箇所はほとんどなく、学問や家業一般の心得に終始した内容。「人間家業の始、昔か今に至迄、師匠の教を背の輩は、終に年長て、我身の友の交りに、祝儀、婚礼、年重…」と七五調の文言で、師の教えに従って学業に精出すべきこと、不学者は親を捨てたも同然であること、親の養育の恩からすれば孝行は「人常」であることなどを説く。また、孝の具体例として学問出精、客への礼儀、家業精励、修身斉家などを諭し、若者は親の異見も聞かずに穴一・宝引などの勝負事や悪行に陥りやすいと戒め、最後に百姓の子弟は農業に勤め、父母への孝を怠らず、法度や師の教えを守るべきことを諭して結ぶ。本文と、「百姓の家に生るゝ人々の農業の道、可致家職事肝要也…」で始まる序文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆のうかだいがく [2988]
〈御家〉農家大学‖【作者】玄水堂書。【年代】文政一三年(一八三〇)書・刊。[江戸]須原屋茂兵衛板。【分類】産業科。【概要】大本一冊。文化一二年(一八一五)刊『下民小学』†の改題本。『下民小学』の本文(大字・五行・無訓)に、新たに別版・青色刷りの総振り仮名を施したのは異色(この点は『下民小学』『民家学要』†と異なる)。このほか、跋文を削除して「十干」「十二支」「十二月之異名」などの記事を盛り込むなどの微細な改訂を施す。『下民小学』の改題本には、本書のほかに『民家学要』があるが、本書巻末広告に「〈御家末流〉民家学要、玄水堂先生書、全一冊/此書は、農工商の家を治め、身を保ち、子孫長久の基を能しめし教たる文にて、殊に大字なれば手習ふ手本にいとよき書也」と記すため、これら改題本二種は同時期に板行されたものと思われる。〔小泉〕
◇のうかてならいじょう [2989]
〈小学習字〉農家手習状‖【作者】白木柏隠作。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】産業科(戯文)。【概要】大本一冊か。文政五年(一八二二)刊『〈新版絵抄〉農家手習状』†を粉本に綴った戯文調の往来。「夫、手習は世の中の芸の中にも第一にて、人の為にも身の為にも、是に増たる事はなし。農工商の道々に、便有文を習ふべし…」で始まるほぼ七五調の文言で、近代社会に即した農民の在り方などを説く。国法の遵守、安寧秩序、非社会的行為と公安当局および近親者への影響、孝行・和睦等の人倫を述べたうえで、夫婦が協力して農耕に励むべきこと、年貢・納税の義務、生活に必要な諸作物、困窮者への援助などを諭す。〔小泉〕
◆★のうかてならいじょう [2990]
〈新版絵抄〉農家手習状‖【作者】西村明観(富田三郎平・育斎・安美・酣叟)作。【年代】文政五年(一八二二)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】産業科。【概要】異称『〈絵入かな付〉農家手習状』。大本一冊。『農家手習状』と称するが「手習い」の心得を諭した往来ではなく、百姓が守るべき生活教訓を記した短文である。「夫、手習は、世の中の芸の中にも第一にて、人の為にも身の為にも是に増たる事はなし…」の一文で始まり、ほぼ七五調の文章で、まず、百姓の心掛けとして公儀・法度の遵守、謹慎、喧嘩・口論の禁止、飲酒心得、博奕や虚偽の禁止などを説く。続いて、郡奉行から組頭までの諸役名や六親九族等の人倫名、身体各部の名称など若干の語彙を列挙しつつ、五倫に基づく教訓を述べ、さらに後半では農耕・農業施設・農作物・貢納に関わる基本語彙や心得を綴りながら、理想的農民像を描いて締め括る。本文を大字・六行・付訓で記す。本往来はほとんどが仙台板で、明治期に大判の一枚刷りが登場するなど主に東北地方で普及した往来である。仙台板の異板数種にはいずれも頭書に手習い図や農耕図を掲げる。なお、本書を下敷きにして綴った戯文調の往来『〈小学習字〉農家手習状』†(白木柏隠作)が明治一四年(一八八一)に刊行された。また、天明七年(一七八七)作・刊『農業手習教訓書』†とは別内容。〔小泉〕
◆のうかにちようおうらい [2991]
〈河村祐吉著述〉農家日用往来‖【作者】河村(河邨)祐吉作。遠藤茂平画。広瀬青邨(範治・世叔)序。【年代】明治七年(一八七四)序・刊。[大津]琵琶湖新聞会社(琵琶湖書楼)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。明治政府下における農民の教養と心得を綴った往来(滋賀県下小学校用の教科書)。「人間生理の大本は、衣食住の三つに出ず。上一人より下億兆にいたるまで、一日も闕べからざる物にして、往昔、天照大神…」で始まる文章で、まず、農業の起源を神話に求めて、それを「利用厚生の権輿」「報本反始の第一」と位置づけ、四季時候に絶えず注意して早朝から深夜まで働くのが農民の務めであると諭す。さらに、青物、茸・山菜その他の農作物や、農具・農事関連語、日用品、農家衣食住、生活心得、地券・証券類、府県制その他行政機構、富国強兵・納税等の義務などを列記する。本文を概ね楷書・大字・四行・付訓で記す。見返に西洋式の近代農耕図を掲げる。〔小泉〕
◆のうかぶんしょうたいせい [2992]
〈頭書作法〉農家文証大成‖【作者】渡辺益作。河原井斐校。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[東京]高崎脩助(高崎書房)板(明治一九年板)。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。上巻に農家向けの消息文例七五通を、下巻に諸証文四七通、願書二九通、諸届書一七通を収録した大部な用文章。本文を大字・五行・ほとんど付訓(漢語の多くに左訓)で記す。上巻の消息文例には「病気見舞の文」など一般的なものも含むが、ほとんどが農業や農村社会(年中行事)に関するものである。下巻には、「耕地川欠年貢免除之請証」などの証文類や、「跡式譲之願」を始めとする願書類、「婚姻之御届書」等の届書類を網羅的に集める。頭書に「農家新作法」、前付に西洋式農業機器や暦に関する記事や「女礼式略式」などを掲げる。〔小泉〕
◇のうかようどうおしえぐさ [2992-2]
農家幼童教草‖【作者】荒野鳳山作・書。【年代】文久二年(一八六二)作・書。【分類】教訓科。【概要】異称『教草』。半紙本一冊。農家子弟用の教訓を七カ条に分けて説いた往来。「一、夫幼童は方長の成木為ニ等し。善人と成、悪人と成も其親々の育ニこそは寄るへけれ…」と起筆する第一条では、八歳の春から手習いをさせることや、農家の児童にも読み書きが必要なことから、寺子屋への行き帰りの心得、師匠や親・兄妹に対する態度などを説く。第二条は、寺子屋での具体的学習(手習い)の心得。第三条は、素読では意味まで深く理解すべきことや、素読の目的が「忠孝・五常の道」に尽きることを説く。第四条は親孝行、第五条は師匠の教育者としての心得。第六条は手習い嫌いの子どもの傾向と無筆・無学のなれの果て、さらに親の教育義務に言及する。第七条は、前条に対して、親や師匠の教えをよく守る子どもの傾向と、その将来の理想的なことを述べて結びとする。本文をやや小字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆のうかようぶんしょうたいぜん [2993]
農家用文章大全‖【作者】高井蘭山作。【年代】文化四年(一八〇七)刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]和泉屋金右衛門板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『農家用文章』。半紙本二編二冊、のち二編合一冊。農家日用の消息例文を集めた用文章。単なる消息例文集ではなく、四季折々の農事など農家に必要な諸知識・心得を織り交ぜるのが特徴。初編は「年始状、附り農具修復之事」〜「御褒美頂戴御請書之事」の三三通(うち七通は農業用文)および「五穀成就の辨(ことば)」。一方、二編は「年礼の書状」〜「長寿にて御扶持頂戴村内振舞の文通」の一五通と「五人組状の前書并奥書」、則ち「五人組帳」前書・後書の教訓部分から成る。初編が農事一辺倒であるのに対して、二編には五節句祝儀状や諸用件の例文を含み、また、五節句や書簡作法等の注記を施すのが大きな違いである。消息例文は大字・五行・付訓、「五人組帳前書」は七行・付訓で記す。〔小泉〕
◇のうかようようしょ [2994]
農家要用書‖【作者】金井小野八書か。【年代】明治四年(一八七一)書。【分類】産業科。【概要】農家に必要な農具や生活物資等の語彙と、若干の生活心得を綴った往来。「夫、四民為倹約第一事は、曽而聖人被誡置処也。就中生百姓之家者、節倹専用にして、衣食住少しも勿思美麗矣…」と筆を起こし、衣服、手道具、布帛類、食物(穀類・青物・山菜・果実等)、接待用の料理(魚類・鳥類・菓子類等)、住居・家屋、家財・諸道具・食器等、武具、家畜、学芸等の語彙を列挙した後、農民心得を記して結ぶ。〔小泉〕
◆のうぎょういまがわ [2995]
農業今川‖【作者】新海主馬吉書。【年代】江戸後期書。【分類】産業科・教訓科。【概要】異称『今川了俊学壁書児童制詞之条々』。大本一冊。「農業今川」「小童訓」「童部状」「師恩抄」「天神状」の五本を合綴した手本中に所収。「農業今川」は、「一、不知農業而、百姓終失身躰事」「一、朝寝而好昼寝、無益楽、夜咄事」以下二二カ条(一カ条欠か)と後文から成る農民教訓を大字・四行・無訓で記したもの。農地・農耕・農具などの生産活動や家庭生活、対人関係・社会生活に及ぶ諸般の心得を『今川状』†形式で説く。また「小童訓」は、「夫、手習児童嗜之道は是そ、先机を直に置、硯之水を八分に、墨順逆摺流し、心静に向手本…」で始まる七五調の文章で、手習いの基本や書筆修行への出精を諭した教訓で、安永九年(一七八〇)書『児童掟書』†とほぼ同内容。「童部状(童部之状)」は、「夫、例式可相嗜立働之事、朝早天驚目、遣楊枝口之内清、第一不行儀者息臭…」と起筆して起床以後の身支度や手跡稽古時の心得を述べたもの。「師恩抄」は、「夫、尋師恩徳、高須弥山、深事四大海水故、教主釈尊為報師恩徳、昼は摘芹菜、拾薪、終日養育師…」で始まる文章で、仏説や『実語教・童子教』†などによりながら、師の高恩と師への報恩を概説した教訓。「天神状」は、『天神教訓帖(天神教訓状)』†とほぼ同内容。〔小泉〕
★のうぎょうおうらい [2995-2]
農業往来‖【作者】不明。【年代】安政元年(一八五四)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。宝暦一二年(一七六二)刊『〈手本〉農業往来』†やその亜流とは異なる内容の往来。江戸後期、肥前国塩田郷谷所村にあった寺子屋「本光坊」で使用された手本で、手習師匠(姓名不詳)が寺子・小森定蔵に書き与えた手本と思われ、定蔵が九歳時に学んだもの。「凡農業取扱的用之文字、先、年貢、上納、御蔵納、御取米、諸返上、夫料、反米、大小配分、物成、切地…」と起筆する堀流水軒作『商売往来』†風の文章で、年貢・夫役、検地・巡見、村役人、諸帳簿、地方、作物、農耕心得、農具、四季農耕手順、農民子弟の学問、生活心得までを綴る。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [2996]
農業往来‖【作者】江藤弥七原作。校訂者不明。【年代】明治三年(一八七〇)刊。[東京]青松軒板。また別に審雨堂板(明治四年板)等あり。【分類】産業科。【概要】異称『〈官許〉農業往来』『〈新撰〉農業往来』。中本一冊。宝暦一二年(一七六二)刊『〈手本〉農業往来』†とほぼ同文。宝暦板(大本)を小型化した中本の往来物で、日本諸国名に北海道一一カ国を加え五畿八道にしたほかは宝暦板と同内容。「抑農家耕作之事、先、土地之考高低・乾湿、用水之手宛…」で始まる本文を大字・四行・付訓(所々左訓)で記す。なお、本書と同内容で『〈当時〉農業往来』と題した一本(西湖居板)が明治六年に刊行されている。〔小泉〕
★のうぎょうおうらい [2996-2]
〈開化〉農業往来‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[東京]関根孝助板。【分類】産業科。【概要】異称『開化勧農往来』。小本一冊。「凡農事を勧るは先づ年中天気の雨晴水旱を考へ、暴風迅雨を窺ひ、田畑を養ふ縡を慮にあり」と筆を起こし、まず日頃の田畑や用水・堤防等の施設の管理の重要性を説き、続いて、農具、土地経営、肥料、耕作、年貢貢納・運搬、養蚕・紡績、食料・菓子、木材、果実類、野菜・山菜類その他作物など、農事全般の用語を列挙し、最後に農事への出精等を説いて結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [2997]
〈開化〉農業往来〈附録耕作一覧〉‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]小林鉄次郎(延寿堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『開化農業往来』。中本一冊。明和三年(一七六六)刊『百性往来』†等にならって、明治初年の農業に必要な基本語彙と心得とを綴った明治期新編『農業往来』。「凡、農業は、国を開の基ひにして、府県下各地方の荒蕪不毛の地、及び鉱山を開き、水路を弁にし、物産繁殖して、国家の富強なる事を旨とす。夫、農家に取扱文字・耕業之器械者、先、鍬・鋤・鎌・犁・馬把…」で始まる文章で、農具、耕地・地方、肥料・耕作、検地・貢納、家屋、機織具、備荒、副業、牛馬飼育、山野の作物・樹木・果実・野菜類等の語彙を列挙した後で、「農業之基者、其学問を勉強して、其知識を広め、事物の道理を究むる…」と締め括る。本文を大字・六行・付訓(所々左訓)で記す。巻頭(見返)に「太陽暦耕作一覧」を掲げる。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [2998]
〈開化〉農業往来‖【作者】安保兼策作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]宮田伊助(保永堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『開化農業往来』。中本一冊。明治期新編『農業往来』の一つ。「抑、農務実測之事、最地位・地勢、高低・乾湿と用水之予備(てあて)等を検察し…」で始まる文章で、農業関連施設、農地その他の土地利用、穀類・野菜・果実等作物、四季の耕作・農事、肥料、農具、日本の気候、諸職業、農民心得(国恩・租税・礼譲・倹約・勤学・家業出精等)を説く。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「諸証文類(地所書入証〜送り状の五状)」「相性名頭字」を掲げる。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [2999]
〈改正〉農業往来‖【作者】荻田長三(筱夫)作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛・宝文堂)板。また別に[大阪]三木七平(文繍堂)板あり。【分類】産業科。【概要】異称『改正農業往来』『〈荻田長三編輯〉農業往来』『農業往来』。半紙本一冊。宝暦一二年(一七六二)刊『〈手本〉農業往来』†の明治期改編版の一つで、部分的に明治初年の実情に合わせて書き改めたもの。「夫、農は国家の基本、食貨の二つに関係する所の一大事にして、食は米穀のくらふべきもの、貨は布帛の衣るべきものにて、生民の急務なれば…」と起筆して、地味・地勢や農業施設、耕作用地、家屋・居住、農作物(畑物・薬種・樹木)、四季耕作・貢納、農具、日本の気候・代表的産物、五畿八道八五国(北海道や北方領土を含む)、府県郡村行政、諸職業、農民心得などを述べる。本文を大字・四行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。巻頭に、宝暦板同様の「田地制法の事」を載せるが、「風雨年中耕作吉凶」以下を省略する。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [3000]
〈開明〉農業往来‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]辻岡文助(金松堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『開明農業往来』。中本一冊。明治六年(一八七三)刊『〈増補〉訓蒙農業往来』†(橘慎一郎作)とほぼ同内容の往来。ただし、明治九年末の地租改正反対一揆の影響で翌年実施された地租軽減を反映して、「百分之三収祖して」を「百分之二分五厘を収祖して」と書き改めたるなどの異同がある。本文を大字・六行・付訓(しばしば左訓)で記す。見返に「毎年太陽暦略解」を掲げる。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [3001]
〈新撰絵入〉農業往来‖【作者】太田聿郎作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[大阪]河内屋卯助(花井卯助・聚文堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『〈新撰画入〉農業往来』『新選農業往来』。中本一冊。宝暦一二年(一七六二)作『〈手本〉農業往来』†(江藤弥七作)の明治期改編版の一つ。「凡そ世上之人々は皆、各日常之産業あり。職工は器物を造り、商賈は之れを鬻(ひさ)ぎ、農家は則ち耕作を勤めて生計を謀るものにして…」で始まる文章で、近代農業に必要な語彙(農事・田制・農作物・農具)、諸国産物、諸職人、農民心得などを綴った往来。本文を大字・五行・付訓で記し、特に農作物・農具・諸国物産(一部)のくだりでは語句に続けて『商売往来絵字引』†風に図解を挿むのが特徴。末尾で、農業が「国家富饒の基」であり「一国隆盛の基礎」であることを述べるが、基本的に近世同様の教訓である。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [3002]
〈増訂〉農業往来(初・二編)‖【作者】市野蒙(嗣郎・蓮洲)校。小室樵山書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]青松軒蔵板。相模屋七兵衛ほか売出。【分類】産業科。【概要】異称『〈増訂〉農業往来〈附大日本国尽并改正府県〉』『〈市野嗣郎校合〉農業往来』『〈増訂〉農業往来二編』。中本二編二冊。初編は宝暦一二年(一七六二)刊『〈手本〉農業往来』†の明治期改編版で、「抑農家之為営業、其事雖繁多、須先考土地之隆ヌ乾湿…」と起筆するが、「田畠之名義者、循壬申之定可称之耕地…」と加えたり、北海道を含む五畿八道の諸国名・府県名を列記したりするが、そのほかは宝暦板と基本的に同じである。また、巻末に「改正県名(県の合併等)」を掲げる。二編は、「抑祈年祭とは三月、其年の五穀の豊饒を神に祈り給ふ御祭なり…」と筆を起こし、祈年祭・新嘗祭、農業の意義、五穀、地勢・農地等、機具、織物、染色、暦法(太陽暦)、四季の播種(はしゅ)・耕作・収穫、近郊農業、農家の家畜(牧牛・牧羊・養鶏)等について述べる。いずれも仮名交じり文で、初編は大字・四行、二編は大字・五行の付訓で記し、稀に左訓や略注を添えるのが特徴。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [3003]
〈増補新彫〉農業往来‖【作者】深沢菱潭書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]書学教館蔵板。竹田平次郎売出。また別に[甲府]内藤伝右衛門板あり。【分類】産業科。【概要】異称『〈増補新雕〉農業往来』『〈増補〉農業往来』。半紙本一冊。明治七年(一八七四)刊『〈深沢菱潭著書読本〉農業往来(初編)』†と同内容。宝暦一二年(一七六二)刊『〈手本〉農業往来』†に明治初年の新語を増補して、七五調で綴ったもの。中本の明治七年板を半紙本仕立ての手本用とし、本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [3004]
〈手本〉農業往来‖【作者】江藤弥七作。戸田儀左衛門(正栄・玄泉堂)書。【年代】宝暦一二年(一七六二)作・刊。[大阪]千草屋新右衛門(千種屋・赤松閣・平瀬新右衛門)板(初板本の板元は『大阪出版書籍目録』による)。また別に[大阪]北尾善七ほか板(天明五年(一七八五)求板)あり。【分類】産業科。【概要】大本一冊。写本では元禄一〇年(一六九七)作『農民鑑』や宝永七年(一七一〇)作『農文蔵』†が農業型往来の最古だが、刊本では宝暦八年刊『田舎往来』†と並ぶ先駆で、特に近代までの影響の点で本書は最も重要な位置を占める。「抑、農家耕作之事、先土地之考高低乾湿、用水之手宛、大河者勿論、谷川山走之溢量、或築波当、石垣、土手、臥蛇籠、掛懸磴、柴橋等…」で始まる文章で、農業施設(潅漑)・用地(土地利用)、農作物(畑物・薬種・果実類)と収穫の目安、四季の天候、稲作の手順と収穫後の用途、農具、日本各地の気候、日本諸国名(五畿七道毎)、諸職業、農家子弟の心得(天恩・国恩、公儀遵守、年貢・夫役、礼儀、質素・倹約、書数の学問、勤勉等)までを説く。本文を大字・四行・付訓で記す。また、巻頭に口絵を掲げるほか、「田法の事」「風雨年中耕作吉凶」の二つを収録する。今日流布する諸本はほとんどが天明五年または寛政八年求板本で、宝暦一二年の初板本は未見。なお、明治期にも明治三年(一八七〇)の改訂版や本書の改編本が数多く出版された。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [3005]
〈深沢菱潭著書読本〉農業往来(初・二編)‖【作者】深沢菱潭書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]書学教館蔵板。椀屋喜兵衛(万笈閣)売出。【分類】産業科。【概要】異称『〈校正〉農業往来初編(二編)』。中本二編二冊。宝暦一二年(一七六二)刊『〈手本〉農業往来』†の内容をベースにし、随所に新語を盛り込んで七五調の仮名交じり文に改編した往来。初編は、「農業耕作の第一は、土地の高低乾潤と、上中下町反と、畝歩迫地熟田木陰日向、広狭長短甲乙と、変地盛衰を考へて、水旱損の手当には、池溜沼に井堀溝…」と始まり、語調を整えて宝暦板と同趣旨の内容(農業関連施設・農作物・四季耕作・稲作・収穫等・農具・諸国名・諸職業・農民心得)を綴る。ただし「衆議決意の其上にて、開墾などもなかふべく…」「第一租税を吟味して、府県の庁へ納むべし…」「朝廷(おかみ)の御主意を守りつゝ、管轄府県の説諭をは尊み、租税米金等わたくしなく…」のように適宜改める。二編は、「抑農業は国家の基礎にして、保命大綱なればこそ、農家の事は繁けれど、その一端を記しなば…」と同様に七五調で書き始め、五穀・百穀・四木・三草、耕地・潅漑・諸施設、建築関連、地方(地券・役人・地勢等)、四季の天候と耕作、地租その他租税と用途(詳述)、世界における日本の地理的位置と国土の概要(府県名)、殖産興業における農業の重要性と農民心得などを述べる。すなわち、宝暦板の内容を二分し、随時明治初年の実情にふさわしく改めたものが本書である。各編とも本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらい [3006]
〈明治新刻〉農業往来‖【作者】本多芳雄作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛・錦耕堂)板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。明和三年(一七六六)刊『百性往来』†の明治期改編版。中本一冊。「凡、農業取扱文字、耕作之道具、農家之機械者…」と、ほぼ『百性往来』同様の書き出しで始まるが、随所に改変の跡が見られる。例えば冒頭の農耕具名をかなり増補し、それに続く田畑・耕地の号数等に関する語句も新たに追加した。以下、土地の巡視、また、土地に応じた草木の培養、開拓・開発、検地および役人、租税と土地鑑定、肥料、稲作における諸注意、租税算出と納税、過去の巡視時の苦労と現在の巡覧、交通施設と通運、法令の遵守、農家家屋と営繕、機織具、穀類と飢饉に対する備蓄、茶菓子と客人への接待、農閑余業、牧畜と家畜の種類、港湾と海上輸送、その他農民の道義と心得について述べる。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書に農業用語をイロハ引きで集録した「農家字引」、見返に「田数名目」を始めとする各種名目(単位語)を掲げる。〔小泉〕
◆のうぎょうおうらいどくほん [3007]
農業往来読本‖【作者】長崎県師範学校編。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[長崎]長崎県師範学校板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。明和三年(一七六六)刊『百性往来』†をベースに編んだ、長崎県内小学校用教科書。『百性往来』同様に「凡、農業取扱文字、耕作之道具者、鋤・犁・鍬・钁・草把・馬把・竹把…」で始まる文章で、農具・農業施設、地方・土地利用、納税、防災、農政、肥料・稲作、耕作全般、備荒、穀類・野菜類、樹木・果実類、牛馬飼育、農閑期の作業、家屋・衣類・機織り、接客・饗応、農家子弟心得について記す。「定地価、地券状、書換・裏書、証印税、可差出、地租・国税・地方税…」や「入小学校、学修身・読書・習字・算術・地理・歴史之六科…」のように当時の実情に即した改編が随所に見られる。本文を楷書・大字・七行・無訓で記す。巻頭に田植えや収穫風景の口絵を掲げる。〔小泉〕
◆のうぎょうたんか [3008]
農業短歌‖【作者】大下老人書。【年代】明治二年(一八六九)書。【分類】産業科。【概要】特大本一冊。農業に必要な語句を七五調・美文体で綴った往来。文政八年(一八二五)書『農具短歌』†と類似するが別内容。「夫、百姓之農業は雖難演言語、先、野道具は鋤鍬や、犁鉈鎌鐇哉…」で始まる文章で農具・作業着、穀物・青物・草木類、四季の天候、家財・諸道具・食器類、農家女性の仕事、年貢等の語彙を列挙し、「…凶年には猶質札と、借金之哀哉、農人者唯豊年を祈也」と結ぶ。本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◇のうぎょうてならいきょうくんしょ [3009]
〈新板豊年〉農業手習教訓書‖【作者】栄岳(普済禅院第五世)作・書。【年代】天明七年(一七八七)作・刊。[米沢]普済禅院蔵板(施印)。【分類】産業科。【概要】異称『農業書』。大本一冊。西村明観作・文政五年(一八二二)刊『農家手習状』†とは別内容。江戸初期から普及した『初登山手習教訓書(手習状)』†を模倣して農業心得を記した往来物。「抑、大躰者合戦相似。其故左述之。夫、雖多士農工商之四民其外之道々、分而農業之道者、世界国土一切万端之可成根本…」と筆を起こし、まず田畑耕作が「国下(家)一大事」たることを述べ、続いて、武具に匹敵する農具の重要性、さらに、一年間の耕作上の注意や農民生活の心得、人倫五常の道などを説く。本文を大字・五行・無訓で記す。天童成生出身の僧・栄岳が、天明飢饉に際して寺子や檀家の人々の救済のために著し、私財を投じて上梓し、施本とした点で貴重。なお、出版地の普済禅院の所在は、現在のところ不明である。〔伊藤〕
◆のうぎょうどうじくん [3010]
農業童子訓‖【作者】勧農堂作・書。【年代】文政八年(一八二五)作・刊。[秋田]広島孫右衛門(良栄堂)板か。【分類】産業科。【概要】異称『農家耕作力之条々(のうかこうさくをつとむるのじょうじょう)』。大本一冊。農民の勤労義務や四季耕作手順などの基本心得を八カ条に綴った往来。序文に「今の世、百姓の子、手習ふ始に『商売往来』を読本とすれは、いつとなく心もそれにうつりて、商人心になるもの多し」と述べて、農家子弟が近世流布本『商売往来』†を学ぶことを批判するのは興味深い。第一条は「一、農家(ひゃくしょう)の道は種芸・家穡を不知しては、終に乞食・無頼の者と成、往末餓死を不可免事」で始まるように『今川状』†を模した教訓だが、『今川状』とは異なり、全条が禁止項目になっていない。後文で、以上の条々を守れば富裕になるが、そうでなければ乞食の身分になると戒めて締め括る。また、巻末に本居宣長の和歌「家の業なおこたりそねみやひをの、書(ふみ)はよむとも歌はよむとも」を引く。本文を大字・三行・付訓(所々左訓)で記す。なお、末尾に「彫工・良栄堂」としるすのは、文政年間に活動した出羽国久保田書肆・良栄堂を指すか。〔小泉〕
◇のうぎょうをはげむのふみ [3011]
農業を励の文‖【作者】西宮端斎書。【年代】明治年間作・書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。秋田藩学明徳館教授・西宮端斎筆『臨池帖』中に「千字文」とともに合綴。端斎作か否かは不明。全文を「御佳勝奉賀候」で始まる一通の手紙文形式で明治初年の農業の現状と意見を綴ったもの。「農業の要は天気・気候と地勢・土壌を熟知・吟味して、化学(科学)的手法も用いるべきであるのに、いまだに旧習にとらわれ時勢の変化に気付かない農民が多い、そこでわが郷土にもこのような農業技術に明るい人材を育てたいが、その方法が分からないため、お尋ねしたい」という主旨の文言を書き連ねる。本文を大字・二行・無訓の手本用に記す。〔小泉〕
◆のうぐたんか [3012]
農具短歌‖【作者】飯田繁太郎書。【年代】文政八年(一八二五)書。【分類】産業科。【概要】特大本一冊。「江戸往来」以下八編を合綴した『諸往来集』中に所収。「夫、百姓之農業荒増可語。先鋤鍬に犁や、鉈と鎌とに鐇や、蓑は母呂蓑飛呂々蓑…」で始まる七五調の文章で、農具・農作業着、稲・餅・雑穀類、青物・山菜類、年季奉公、公的書類等の語彙を列記する。本文を大字・六行・無訓で記す。なお、明治二年(一八六九)書『農業短歌』†に類似するが別文である。〔小泉〕
◆のうこうひゃくしゅ [3013]
農耕百首‖【作者】太田子徳作。林斎画。東野居士・七十翁亀・奎文閣序。【年代】弘化三年(一八四六)頃作。嘉永三・五年(一八五〇・五二)序・刊。[江戸]河内屋佐太郎(奎文閣)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。四季の農耕や農民生活の諸相を和歌に詠んだ往来。「としのうちに春たちにきとうちかへす、をちの山田はかすみそめけり」から「みつきものさゝけてのちも米のやま、かひあるとしといはふしつか家」まで、春・夏・秋・冬・雑・裁木・裁竹・撰種子・観土地・考時節・飼牛馬・利農具・糞・水利・鋤耕・穫収・蓄積・山林・駅路出夫・除虫禽獣・神祇・釈教・恋・旅・祝の二五題一〇〇首を収録する。その一部は『農業全書』による詠歌という。本文をやや小字・八行・無訓で記す。巻頭に四季農耕図、巻末に「題農耕百首尾小歌」を掲げる。〔小泉〕
◇のうじおうらい [3014]
農事往来‖【作者】渋谷五岳書。【年代】文久三年(一八六三)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。各月往復の合計二四通の消息文で、農耕生活、遊芸、農村経営、年貢上納、農民教訓など、農事諸般の知識と心得を記した往来。これらの農民に必要な教養とともに書状形式も併せて学習できるように編んでおり、当時の岩手方面の農業生活を詳述した点に特色がある。四季折々の書状中に住宅・調度・衣類・地名(宿場)・芸能・婚礼道具等の語彙集団を含むなど、『庭訓往来』†の影響が見られる。本文を大字・四行・無訓で綴る。〔小泉〕
◇のうしょうおうらい [3015]
農商往来‖【作者】安倍喜平作。村田海石書(本文)。高木盤鴻書(割注)。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[大阪]松村九兵衛ほか板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。農家・商家両子弟用に編まれた往来。明治初年に各府県で編まれた各種『農商往来』は精粗両極端であるとして都鄙の児童により適切な内容に改めたもの。次項、明治年間刊『農商往来』†とは別内容。「夫、農商の家にして、扱ふ文字の概略(あらまし)は…」と始まる七五調の文言で綴るのと、大字本文の随所に小字の割注を挟むのが特徴。内容は、まず農業関連の用語として耕地の名称を始め、以下、道路、農耕(播種・肥料)、農具、機織具、穀類・菜蔬、山林採取物等、栽培用草木、果実、害虫等の対策、租税、取引、祭礼など農事全般の語彙と心得を略記する。後半は、商業関連の記事で、商業・貿易の基本や、通貨、食物、日用品、衣類・織物、染色・文様、金石、家財・諸道具、香具・薬種、楽器、禽獣・魚介類などの語彙を列挙した後で商家子弟の心得を説く。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆のうしょうおうらい [3016]
農商往来(異本)‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。刊行者不明。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。前半に農家、後半に町家(商人・職人)の日常語を列挙した短文の往来。同題だが前項の明治一三年刊『農商往来』†とは異なる。本文末の内容から小学校教科書であることが察せられるが、刊年・刊行地等は一切不明(巻末に「売買不許」の朱印を押す)。「夫、農商今日之必用文字、近世更多ト雖ヘト、先農家ニハ…」と筆を起こして、農民の基本的な心得や肥料、種物(穀類・野菜等)、果実、農具などの名称、商売上の基本語彙と主要な商品名(醸造品・燃料・文具・雑貨・衣類・香具・薬種・魚鳥類等)、さらに職人関連語(職種・諸道具等)若干を列記し、最後に「小学ノ諸書ヨリ日々学習フヘシ」と結ぶ。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆のうしょうおうらい [3017]
〈開化〉農商往来‖【作者】中村貞作。滝酔月書。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[大阪]河内屋源七郎(文栄閣)板。【分類】産業科。【概要】異称『開化農商往来』。半紙本一冊。農家および商家児童用の手本として、「多ク諸物ノ名目ヲ載セズ」、暗記しやすいように「大抵五七ノ句調ヲ以テ」し、文章は平易な「俗語ヲ用」いて綴った往来。従って、農商業のあらましとその心得を中心に記述するのが特徴。まず、農業には農学・植物学、商業には商法・経済学とそれぞれ専門の分野を学ぶべきだが、幼時には読み書き・算の「天下一般普通学」を小学校で学び、さらに専門諸学へと進むため、学生時代には寸暇を惜み、他事を捨てて学問に打ち込めと諭す。続いて農耕から農具、農作物、農閑余業に至るまでの農業全般について述べ、続いて商業概論へと話題を移して、売買・利潤、商業の正道と悪徳商法などの心得から、商業・金融、商品の範囲と種類、商人の理想像までを説く。本文を大字・四行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆のうしょうおうらい [3018]
〈小学習字〉農商往来‖【作者】森小三郎作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[東京]森小三郎(聚成堂)蔵板。和泉屋市兵衛(山中市兵衛)売出。【分類】産業科。【概要】異称『簡易小学習字帖』。半紙本二巻二冊。近代農業・商業に関する要語と心得を、近世流布本『商売往来』†風に列記した往来。次項『〈中島操編・巻菱潭書・小学簡易〉農商往来』†と同様の趣向だが別内容。まず明治一三年に『簡易小学習字帖』第七・八巻として刊行され、翌年に題簽・見返・柱などが改刻されて、二巻二冊の標記書名で再刊された。「夫、農者国之本、商者豊富之基なれは、全国一般之人民其業を執り事に従ふは、固より国に尽す義務にして、負担すへき大切之事也…」と筆を起こして、農事の主眼、商業用語、通貨・金融、度量衡、農具、土地利用、治水・潅漑、機具、織物・染物・衣類、食物(穀物・野菜・果実・乾物・西洋料理・醸造品等)までを上巻に、続いて、厨具、建築物・家財、軍用品、諸道具、樹木・草花、四季耕作、田畑売買・質入・貸借、鳥獣・虫類・魚介類、願書その他公文書・契約書類、訴訟関連、諸官省について下巻に記す。農業的知識と商業的知識を交互に織り交ぜて記述するのが特徴。本文を行草体(行草混体)・大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆のうしょうおうらい [3019]
〈中島操編・巻菱潭書・小学簡易〉農商往来‖【作者】中島操作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[宇都宮]田野辺忠平(臨雲堂)蔵板。[東京]内田弥兵衛売出。【分類】産業科。【概要】異称『〈小学簡易習字〉農商往来』『〈小学習字〉農商往来』。半紙本二巻二冊。上巻「農業(往来)之部」、下巻「商業(往来)之部」から成る往来。前項『〈小学習字〉農商往来』†と同様だが異文。上巻はまず「抑農者国家之基礎、商者令国為富強根元也。農家耕耘之方法者、先量土地之高低・乾湿与用水之便否、且考地味之肥痩、用土地相応之肥糞・播種適宜之者肝要也…」と書き始め、農具・房厨具、雑具、養蚕器具、農業用地・施設等、穀類・野菜・薬種・果実・樹木・草花類、食物、四季耕作、獣類・虫類・魚介類、公的書類、農家子弟心得などを述べる。下巻「商業往来」は「夫、商売有進退、猶戦場用兵。故志之者、従事豪商・富家、而可知実地売買之妙…」と起筆し、商業用語、通貨・金融・為替相場、織物・衣類、文具・雑貨、醸造品、舶来品、染色・染模様、諸商売・取引、薬種・薬品、菓子・乾物、諸職人・諸職業、商人心得などを列記する。本文を大字・四行・無訓で記し、巻末に楷書・小字・一〇行・付訓の本文を再録する。〔小泉〕
◆のうしょうふつうようぶん [3020]
農商普通用文‖【作者】勝木為重作。竜菱池序。【年代】明治一八年(一八八五)序。明治一九年刊。[福井]平沢潤助(広済堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈農商〉普通用文』『〈諸証願届〉農商普通用文』。中本二巻合一冊。上巻に消息文例、下巻に諸証文・願書・届書類の書式を収録した用文章。上巻は四季折々の手紙や慶弔事に伴う例文、農業・商業にまつわる種々の例文からなり、「年首之文」から「喪を弔ふ文」までの九二通と「電信用文之例(「製茶ノ相場ヲ知ラスル文」以下六通)」を載せる。下巻は「諸届書式」「諸願書類」「証書類書式」の三部に分けて、合計三三例を示す。上巻は大字・五行・付訓(左訓)、下巻はやや小字・七行・所々付訓で記す。頭書等に「作文用語(「簡端」から「称謂」まで二七項の消息漢語集)」や、「郵便心得摘」「電信抄略」「証券印税規則抜粋」「郵便小為替規定」「郵便為替料改定規則」などの関連法規を掲げる。〔小泉〕
◆のうしょうようぶん [3021]
〈開明〉農商用文‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「農家へ送る文」を始め、「村内鎮守造営の文」「洪水見舞の文」など農業関係の題材を扱った私用文例八通、および「魚屋へ送る文」「道具屋への注文」など商用の私用文例七通の合計一五通を収録した用文章。本文をやや小字・七行・付訓で記す。頭書に「時候門」「田家年中花暦」「諸物産軽重表」等を掲げる。他に「方今専用品」として、「布羅因爾(ふらねる)」「輪因爾(りんねる)」「麪包(ぱん)」「牛乳(めるき)」等を列挙するのはユニークである。なお、裏表紙見返に明治一一年四〜七月に出版届をした小森宗次郎の著作(『〈開化〉勧農往来』†以下一四点)の広告を載せる。〔母利〕
◆★のうちきょう [3022]
農稚教‖【作者】木村敬斎(彦介)作・序。【年代】天保六年(一八三五)作。天保八年序・刊。[江戸]柳花苑蔵板。須原屋伊八(慶元堂・青黎閣・北沢伊八)ほか売出。【分類】産業科。【概要】異称『田舎大学』。半紙本一冊。『三字経』†同様の漢字三字一句、二句一行、合計三〇二句から成る文章で、四季農事のあらましと農民心得を綴った往来。序文・本文を陰刻、巻末「農稚教訳文」を陽刻にする。「天地者、万物親、農事者、万業基、先耕作、知季節、暦者則、示時術…」と書き始め、農事・耕作の基本、五穀に最適の地味、肥料や時候に即した耕作手順、季節毎の作物、気候・天気への精通、余力学問・勤勉・年貢貢納・法令遵守等の心得を述べる。本文を楷書・大字・四行・無訓で記し、巻末に「訳文」として行書・やや小字・六行・付訓の略注付きの本文を添える。〔小泉〕
◆のうにんおうらい [3023]
農人往来‖【作者】山野、山画。【年代】文化八年(一八一一)刊。[伊勢]山形屋伝右衛門板。【分類】産業科。【概要】異称『〈百姓日用重宝〉農人往来』。半紙本一冊。「夫、農人者、士農工商之於四民中者、士相次其位不賤…」で始まる文章で、農民の地位、四季耕作、検地・年貢、農具・農業施設、農家家屋・建築資材、家財・諸道具、諸職業、農作物、衣食住、生活心得などを述べた往来。特に「一、抑農人百性之輩平生可心懸条々…」と条目風に書き始める後半部は農耕生活全般の心得で、当時の御触書・条目類からの影響も色濃い。本文を大字・五行・付訓で記し、稀に割注を施す。巻頭に農耕図二葉、巻末に「田家四時占候(のうかよつのときのうらない)」「片仮名伊呂波」等を掲げる。なお、後印本題簽には「文政新改増字補正発兌」と小書きするが、本文に増補は見られない。〔小泉〕
◇のうにんきょう [3024]
農人教‖【作者】内神屋円蔵書。【年代】江戸後期書か。【分類】産業科。【概要】明和三年(一七六六)刊『農民状』†や天保八年(一八三七)書『農民往来』†とほぼ同内容の往来で、農業用語や農事全般の教養を記す。「夫、生百姓之家輩は、従幼少之時、農業を心に掛け、耕作功者成人、能仕様を見覚有…」と、まず近隣の成功者に学ぶべきことを説き、以下、そのような模範的農民から聞いた農業の秘訣として、農具、倹約、算用、田畑・山林経営、潅漑・土地開発、作物、検地、年貢、凶年・非常時の対応、商品作物、普請、祭礼、贈答、芸能、隠居生活、老後の愁いとなる悪事について述べる。大字・無訓の手本用に作る。〔小泉〕
◆のうにんきょうくんしょ [3025]
農人教訓書‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。農民の生活心得を綴った教訓書。刷外題の簡便な作りや素朴な板木彫刻、体裁などから田舎版と思われる。「夫、農人は上天子より下庶人(ばんみん)に至迄生を養育する五穀を作り出し、納る物なれは、是、天下の宝といふ者也…」と筆を起こして、農民の存在意義や職分、農家業務や日常生活における種々の心得を諭す。日頃の「質素倹約」「積小為大」の心掛け、勤勉といった精神面ばかりでなく、「農具の悪敷は力を尽しても仕事果敢(はかどら)ぬ物也」、また種の善悪など農業技術の実用的知識にも触れる。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、巻末に「仁義礼智信」の略解を掲げる。〔小泉〕
◇のうふおうらい [3026]
農夫往来‖【作者】宮脇勇治郎書か。【年代】寛政五年(一七九三)書。【分類】産業科。【概要】「一夜明候得は、世上悠々と罷成、若水の色も清らかに家々門戸に松竹を飾り、平明箕の音賑々敷、誠旧臘困窮貧苦ハ七五三、縄の影ニ…」で始まる一月状以下各月一通・合計一二通の準漢文体書簡で、各月の農事・年中行事・行楽などを綴った往来。四季の農村風景と農家における諸作業・諸行事・余暇と日常生活に必要な語彙のあらましを記す。例えば一月状で、大和廻りする知人に、京都で『農業全書』と『民家分量記』を購入するように依頼したり、一〇月状で閑暇の節に修行すべき芸能(武芸・学問・手跡・算用等)に触れるなど、農民に必要とされた教養の範囲も示唆しており、興味深い。巻末に、村役人や農民が守るべき条々を列挙するが末尾を欠く。〔小泉〕
◇のうぶんおうらい [3027]
農文往来‖【作者】僧侶某作。【年代】書写年不明。【分類】産業科。【概要】「新春・改春・新暦・改暦・新年・改年・御慶・佳慶・嘉慶・慶賀・御吉慶、不可有休期、不可有尽期…」で始まる『累語文章往来(消息往来)』†風の文章で、農家で用いる書簡用語や農業用語、農業知識、農民心得等を記した往来。本文を大字・五行・無訓で綴る。『消息往来』のように語句を列記するが、全文一通ではなく、数多くの書状で構成されるのが特徴。書簡の冒頭語や四季時候の言葉、また諸用件や吉凶事にふさわしい言い回し、祝儀贈答、農村支配組織、金銭貸借、法度遵守、人倫、その他について述べる。岩手県東磐井郡方面で用いられた手本で、同地方の農業実態や生活・風俗等に関する記述が豊富である。〔小泉〕
◆のうぶんぞう [3028]
農文蔵‖【作者】中草庵(沙門某)作・跋。随誉書。【年代】宝永七年(一七一〇)作。享保一〇年(一七二五)書。【分類】産業科。【概要】特大本一冊。「夫、青陽之祝言、向地神・荒神、専祭礼畢。抑田舎風俗黎民之門、曽不聞詩歌文類…」で始まる全編一通の手紙文形式で、農民の労働・生活に即して、日常百般の事項に関する語彙や心得を記した往来。本文を大字・五行・無訓で記す。内容は、新年の祝言、農業道具、馬・馬具、年季証文等、欠落人等の処置、土地の用益、生産物資と生産の心得、収穫の法と売却の場合の心得、家屋造作の各部と大工道具、女房に要用の家財道具・食品加工器具・食器類、親族・眷族の名称、衣料・衣装・衣服、食事・献立(魚類・鳥類・吸い物・茶菓子等)、農民の教養・遊芸などに及び、当代の『五人組帳前書』等からの影響が顕著である。江戸後期に南部地方で普及した安政六年(一八五九)作『農民竈建往来』†等の先駆とも見られ、さらに、農業型往来では元禄一〇年(一六九七)作『農民鑑』†に次いで早く、しかも信州高井桜沢に働く農民の労働・生活を目途とする知性開発を目指した往来として、教育史上に重要な意義を持つ。〔石川〕
◆★のうみんおうらい [3029]
農民往来(仮称)‖【作者】大津屋嘉兵衛書。【年代】天保八年(一八三七)書。【分類】産業科。【概要】異称『農民状』『百姓往来』。標記書名は仮称で、手習本には『百姓往来』と題した物が多い。天保八年写本は特大本一冊。明和三年(一七六六)刊『農民状』†や書写年不明(江戸後期書か)の『農人教』†とほぼ同文の往来。農村生活の知識・心得の大概を大字・二行・無訓で記した手本。農作物や農具の名称など多くの語彙を羅列することなく、最小限の語彙と心得を一通り述べるのが特徴。まず「一期之計者有幼稚」と述べて、幼時の学問が一生を決めることから、特に農家子弟は幼少より農業のあらましを覚え、その閑暇の折に手習いや算術を学ぶべきことを諭す。また、算用が必要な状況などに触れつつ、租税・農業施設・農政など地方・農事関連の語彙や基礎知識を列挙する。さらに末尾では諸職人・寺社・相互扶助・交際・芸能・人倫(孝行・正直・柔和等)、その他諸教訓に言及する。〔小泉〕
◇のうみんかがみ [3029-2]
農民鑑‖【作者】百姓某作・書。【年代】元禄一〇年(一六九七)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。刊本では商業型往来に大きく遅れをとった農業型往来だが、写本では元禄七年刊『商売往来』†とほぼ同時期に本書が成立しており、本書は現存最古の農業型往来として重要。「夫、土民の家に生れ、田夫の身受たらむ者は、先、万事を抛て農業を専らにすへきもの也…」と起筆して、農民の心得と農事に必要な知識を概説した往来。しばしば『論語』『礼記』など諸書からの金言名句を引いて諭すのが特徴。まず、農業が政道の根元であること、従って、百姓は「農業を骨骸に染て是を励む」べきことを説き、続いて若干の心得を交えながら、遊芸・諸芸、四季耕作・農事、肥料・作物、穀類・青物、農人の副業、農具・雑具、衣食住・分限・質素倹約、法令・公儀の遵守、正直・勤勉、風雨・虫害、公民・社会生活等のあらましを述べる。最後に、柔和・和順など農民の基本心得に触れた後、稼業出精はこの世の「渡世活計」と同時に「後生の輪廻を出離せむ」ためであり、身は辛苦にあっても心は無為安楽の世界に遊ぶべしと説く。末尾で「我幸に北陸加陽の民家に生れて四十年来身命を耕作の徳に寄て立り。是併、天地・父母・国司の厚恩なり」と記すように、本書は著者自らの体験に裏打ちされた教訓である。農業の意義を仏教的に説き、知識より精神性を重視する点で、現実重視の『商売往来』と好対照をなす。本文を大字・四行・無訓の手本様に綴り、識語に「元禄十丁丑仲春、百姓某申之」と記す。〔小泉〕
◇のうみんかまどだておうらい [3030]
農民竈建往来‖【作者】波岡務(忠則)作・書。【年代】安政六年(一八五九)作・書。【分類】産業科。【概要】異称『農民竈建狂訓』『農民竈建教訓』。岩手県地方の農民生活百般を記した浩瀚な往来。収録語彙数の豊富さ、記述内容の多彩さともに農業型往来随一であり、本文中に証文・目録・書簡文・艶書などを挿入する形式も極めて異色である。全文一通の手紙文に、家屋造作(建築資材・大工道具・家屋各部・作業手順・関連職人)、家財・諸道具・雑具、十干十二支、馬の選び方(五性別占い・鑑定法)、別家に伴う諸文書(「永代に相譲申始末の事」「目録」「目録添簡教訓の事」等)、衣類(織物・染色・染模様)、諸道具類(宝物・家財・文具・書物・雑具・紙類・化粧具)、作庭・庭木、山林用樹木、祝儀献立(親族とその応対、料理献立・調味料・醸造品)、武具・馬具とその細工、武芸・文芸・遊芸、魚介類および漁業、音曲・舞踊、博奕・勝負事、草木・虫類、諸職、鳥類、身体・病気・薬種・毒薬、菓子類、喧嘩・悪行・遊戯・妖怪、夫役・諸役人、大数・小数・算法、金銭貸借・譲渡等に伴う証文類(「借用申手形の事」「永代売渡申始末の事」等)、公事訴訟・犯罪等、五節句・年中行事と季節の食物、民間信仰・祭礼、農閑余業、四季耕作など膨大な内容を含む。〔小泉〕
◇のうみんかんこうき [3031]
農民勧孝記‖【作者】義禎書。【年代】江戸後期書か。【分類】産業科。【概要】「夫、人間の務むべきの道、孝の一字に止る。其孝行の理、各為心得、亦は文字を覚させむが為に、暇の日、大概を筆につゞり侍るなり…」と筆を起こして、まず孝徳について述べ、続いて、諸職・農民生活(衣食住・心得)・身体・農作物・農具・耕作のあらましと倹約・学問出精などを記した往来。全編を通じて「孝」の重要性を説き、その間に以上の如き語彙や教養を書き連ねるのが特徴。末尾に作者の略歴等を付記する。〔小泉〕
◆のうみんしゅっせがね [3032]
農民出世鐘‖【作者】不明。【年代】天保一三年(一八四二)書。【分類】産業科。【概要】「一、夫、農民の心立能は国のたからなり。心立あしきは国のとふぞくなり…」で始まる第一条以下全二三カ条と後文から成る農民教訓。文章の構成は『今川状』†の模倣である。まず、農作業の全てが報恩につながることや、友人との雑談にも「かうさく作りのはなし」以外の話をしないなど日常の全てを農事に傾注すべきことを説き、以下、庄屋の心立ての善悪、郷中の富農の善悪、田地争いや公事、農民の心、奉行・代官と領民の和睦、庄屋の善悪、耕作への出精、正直、禁欲、子弟教育、農業設備、有能な人材の登用などを諭す。後文では、身体の健康と心の養生を説き、村内の農民が心身ともに健全で責務を果たすべき旨を述べて締め括る。〔小泉〕
◆★のうみんじょう [3033]
農民状〈若林先生墨蹟〉‖【作者】若林某作・書。植木敬重跋。【年代】明和三年(一七六六)跋・刊。植木某ほか板。【分類】産業科。【概要】異称『百姓往来』。特大本一冊。農民の役割と農事全般、農民倫理等を記した大字・三行・無訓の手本。内題に『百姓往来』とあるが、禿箒子作・明和三年(一七六六)刊『百性往来』†とは別内容。「一期之計有幼稚、幼稚不学老後空、抑生百姓之家輩者、自幼少之時、必然農業見覚耕作功者・成人之仕様、聴其有利潤噺…」で始まる文章で、農村生活に必要な生活物資、農具、牛馬、農耕用具の用意、質素倹約、手習い・算術稽古、貸借・運送、帳合、田畑・山林等の土地管理、農地開発、農耕施設の整備、夫役等の義務、四季耕作と作物、検地および貢納、農村支配の組織、養蚕および商品作物、奉公人給与(仕着せ等)、織物、普請造作(建築資材・関連職人)、寺社祭礼、扶助制度、進物・布施、芸能・余暇などの事柄を略記し、最後に、孝行・正直・柔和・信仰や、非行・非道などについて諭す。なお、跋文(明和三年四月)には、それ以前に若林氏が編み、その門人・植木氏が秘蔵していたものを大嶋・藤田両氏と協力して上梓した旨を記すから、本書は流布本『百姓往来』に先立つ可能性もあり注目される。また、本書とほぼ同内容の往来に、天保八年(一八三七)書『農民往来(百姓往来)』†や書写年不明(江戸後期か)の『農人教』†がある。〔小泉〕
◆のとおうらい [3034]
能登往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】能登方面の地名と名物を羅列した往来。文化(一八〇四〜一八)以前作・書と思われる『〈加越能〉名物往来』†のうち能登関係の記述を増補したものであろう。現存本は「所口引山嶋路畑芋、松洞大橋和倉湯女…」で始まるように冒頭部を欠く零本だが、加賀の笠・絹足袋・紙行燈・長命艸・菊酒までの物産品を列挙した後で「…色々名物・名所多御座候。已上」と結び、さらに役所からの年貢徴収状に従って納税すべき旨を記した一文を付す。〔小泉〕