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◆かいうんしゅっせだから [0593]
〈御免〉開運出世宝(初編)‖【作者】文宝堂序。長江堂画。【年代】天保一四年(一八四三)刊。[大阪]塩屋治兵衛(文宝堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈六喩衍義大意〉開運出世宝』『〈長者眼前〉出世宝』『出世宝』『六諭衍義絵鈔』。中本一冊。享保七年(一七二二)刊『六諭衍義大意』†本文に挿絵を加えた絵抄本。室鳩巣の序文と跋文を除き、享保七年板とほぼ同文の本文を小字・一〇行・付訓で記す。本書は最初『〈御免〉開運出世宝』の書名(刷外題)で出版され、間もなく『六諭衍義絵鈔』と改題された。なお巻末に、貨殖について述べた『開運出世宝二編』と先賢の金言を集めた『同三編』の広告を載せるが、いずれも未刊か。〔小泉〕
◆かいかいろはじびき [0594]
開化いろは字引‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治初年刊。[東京]辻岡屋文助(金松堂)板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。二字熟語をイロハ順に列記した語彙集。イロハ各部毎に二〜三行(一一〜一七語)の語彙を楷書・大字・六行(一行八語)で掲げ、語彙の大半に両点(語彙の左右の音訓)を施したもの。なお、見返に「伊路歯篆書」を掲げる。〔小泉〕
◆かいかおうらい [0595]
〈絵入〉開化往来‖【作者】宇喜田小十郎(練)作。桂屑間人序。笹木芳滝画。村田海石書。【年代】明治五年(一八七二)序。明治六年刊。[大阪]伊丹屋善兵衛(前川善兵衛・文栄堂)ほか板。【分類】社会科。【概要】異称『〈画入〉開化往来』。半紙本一冊。明治初年の文明開化の動向などを記した往来。「方今維新、文明日開之秋(とき)、海外交際、貿易隆盛、於諸港、運輸出入之物品、通用之新貨幣、本位金貨、二十円、十円、五円…」と筆を起こし、日本や外国の通貨、西洋建築物、衣装、飲食品、織物、家具・調度、生活用品、武器、医薬品、果物、樹木、動物、器具・機械、鉄道・交通等の語彙を列挙し、末尾で世界五大洲の国名・や首都名を掲げた後、貿易商人に必要な学問・教養・心得を説く。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「貿易港・蒸気船の図」「鉄道・電線の図」色刷り口絵二葉を掲げ、頭書を全て挿絵(舶来品・国産品・外国風景等)にあてる。〔小泉〕
◆かいかおうらい [0596]
〈文明〉開化往来(初・後編)‖【作者】深沢菱潭作・書。八田知紀序。【年代】明治六年(一八七三)作・書・刊。[東京]椀屋喜兵衛(江島喜兵衛・万笈閣)板。【分類】社会科。【概要】半紙本五巻五冊(初編二巻・後編三巻)。日本の天皇や元号、また府県、祭礼、諸官名、物産、また世界の主要国などを紹介した往来。前編は、「御手簡致薫誦候。如来命、此程者御疏遠に罷過候…」で始まる一通の手紙文形式で、歴代天皇・元号、日本の称号、周辺諸国、地理的位置、国土(領域、五畿八道の国・郡、石高)(以上上巻)、高山・河川、三都・港湾、鉱山(鉱物資源)、岬・島嶼、鉄道・通信、里程、造船所、軍事、神宮、山陵、学校、六大洲・諸外国・主要都市、日本通商史(鎖国〜開国)までを綴る。また、後編にも全文一通の手紙文形式で、今上(明治)天皇や皇族、皇居の変遷、天皇家の祭礼、諸官庁諸官職、華族、寺院、お雇い外国人、東京築地港から海外諸港までの距離、通貨、日本全国の物産(日用品・輸出品)などを紹介する。いずれも本文を大字・四行・付訓で綴る。初編巻頭に「神武帝肇都大和図」以下三葉の色刷り日本地図を掲げて、神代から近代までの日本統治の変化を図解する。〔小泉〕
◆かいかおののばかむらうそじづくし [0597]
開化小野\啌字尽‖【作者】鴻田真太郎作。【年代】明治年間刊。[東京]小田原屋弥七(児玉弥七・大橋堂)板。【分類】語彙科(戯文)。【概要】異称『小野\(おのがばかむら)]字尽』『宇曽字尽』。中本一冊。式亭三馬作の滑稽本『小野\嘘字尽』†の一部(]字尽と五性名頭字尽の部分)を抽出して改編したもの。同書本文『]字尽』の字句を部分的に改め、末尾に新たに数行を増補した。後半所収の「名頭字尽」は、「(土性)土香有無樽波多家乃意茂毛、吾書埜菟渡米箆衣佳次(土が生んだる畑の芋も御所の勤めの衣被)」のように『名頭字尽』のパロディーである。本文を大字・四行・付訓で記し、各行の左側に暗誦用の和歌を付す。見返に「化」の字方位図、頭書に「難字和解」「かまど詞たいがひ」「大篆・小篆似字尽」「克囗_」を載せるが、いずれも語彙に関する戯文である。〔小泉〕
◆かいかおんないまがわ [0598]
〈島次三郎著・片桐霞峯校〉開化女今川‖【作者】島次三郎(圭潭・桂潭)作。片桐霞峯(意誠・包雄)校・書。静斎画。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]丸屋正五郎板。また[東京]樋口徳蔵(弘成堂)ほか板あり。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。近世流布本『女今川』†にならって編んだ明治初年の女訓書。冒頭に本書の主旨を述べた一文を載せ、続いて第一条「三ッの条の御教を守らざる事」から第三二条「再ひ嫁く事」までの各条(いずれも禁止項目)、および女子心得全般についての後文から成る。本文を大字・四行・付訓で記し、各条毎に詳しい割注を施す。「三従・七去」に象徴される伝統的な女子教訓を多分に温存させながらも、「自由の道理」についての心得や、病気には祈祷・呪いではなく医学的治療で対処すべきことなど近代的側面も盛り込む。〔小泉〕
◆かいかおんなしょうがく [0599]
〈西野古海著述〉開化女小学‖【作者】西野古海作。深沢菱潭書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]大阪屋藤助(文宝堂)ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『開化女小学〈一名守袋〉』。半紙本二巻二冊。近世流布本『女小学』†などにならって編んだ教訓。各項は箇条書き(一つ書き)ではないものの項目毎に改行されており、上巻三六項、下巻四三項から成り、下巻末尾に総まとめとしての後文を付す。ただし、重複したり、順序が前後するなど各項が十分整理されていない嫌いがある。上巻は、女子三道、女の道から始まり、主に内助・家政・家事、また女性の学芸、妻としての心得全般を記す。下巻は、再び家政上の心得に戻って飲食・料理の心得に触れた後、客への接待や来客時の作法、また女性の衣装・風俗、洗濯・清掃、節倹と吝嗇をわきまえること、親類や他人との交際、使用人への慈悲、妊婦の心得(養生・胎教)と子育てのあらましなどについて説く。『女大学宝箱』†同様の文言も多いが、女性の学問(実学志向)や記帳・算用の必要性、また保健・衛生・保育に関する心得など近代的特徴も随所に見られる。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。なお、作者を「小笠原長信著」と改刻しただけの改題本『開化女大学』†が明治一四年に出版されている。〔小泉〕
◆かいかおんなしょうがくようぶん [0600]
〈村田徽典著述〉開化女小学用文‖【作者】村田徽典作。青木東園書。原田道義(一醒散人・一醒斎)序。【年代】明治九年(一八七六)書・刊。[東京]園原屋正助(丸山正助・宝山堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈開化〉女小学用文』。半紙本一冊。「年頭之文」を始め、四季・雑など合計六五通の私用文例を集めた女用文章。巻頭の「年頭之文」を除き女文独特の「かしく」の草仮名は用いず、「まいらせ候」などの字句も極力使っていない。文例には「祝女教師拝命之文」という興味深い題材も見られるが、文中「日比一方ならざる御勉強(ほねおり・ベンキヤウ)の功績」という文言には、当時の状況が特に強く反映されていよう。本文を大字・五行・付訓(任意の漢語に左訓)で記す。頭書に四季・雑の類似の文例(短文)を集めた「要文摘語」を載せる。なお、本書の改題本に明治二六年刊『〈開化小学〉女日用文〈附裁縫の教・女礼式〉』†がある。〔母利〕
◆かいかおんなだいがく [0601]
〈小笠原長信著〉開化女大学‖【作者】小笠原長信作。深沢菱潭(巻菱潭)書。義亮(潜竜堂)・河鍋暁斎画。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[東京]富田彦次郎(東崖堂)板。【分類】女子用。【概要】半紙本二巻二冊。西野古海作・明治六年刊『開化女小学』†の改題本。同書と全く同じ板木を使用し、書名・著者名などを改刻しただけのもの。従って、小笠原長信の監修・編集にかかるとしても彼の原作ではない。なお、改題にあたり、見返を一新したほか、上巻巻頭に色刷り口絵とともに女性礼法について記した「女礼式大略」を増補した。〔小泉〕
◆かいかおんなのふみ [0602]
〈女紅必用〉開化女の文〈頭書裁縫指南〉‖【作者】山本与助作・序。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[大阪]大野木市兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。「新年の文」から「久敷逢ざる方を尋問する文・同返事」までの往復文二六通を載せた女用文章。収録書状は季節に伴うものは少なく、洋裁の教えを請う手紙や京都博覧会の同伴、小学校入学祝い、病院規則について問う手紙など、諸事に関するものが大半である。各例文を大字・五行・付訓で記す。巻頭序文に続けて「浪花新聞二百八十九号の投書を掲」を載せる。また、「文の書やう心得の事」では、時勢にふさわしい手紙を書くことを述べ、男子同様に簡潔で実用的な短文を推奨したり、女性語の「文字詞」や「めでたくかしく」などの表現をやめるように諭したりする点が注目される。このほか、頭書に「一ッ身の裁法」以下、裁縫関係の記事五二項を掲げる。〔小泉〕
◆かいかおんなようぶんしょう [0603]
開化女用文章‖【作者】稲村虎三郎(城山n史)作・序。青木東園(理中)書。【年代】明治一一年(一八七八)序。明治一二年刊。[東京]和泉屋市兵衛(山中市兵衛)板。【分類】女子用。【概要】異称『女用文章』『女用文』。半紙本一冊。明治初年の用文章が急速に漢語化していった結果、婦女子にはかえって難解なものになった弊害を改めるために、「雅俗混交」の例文を集めた女用文章。「年始の文」から「賀筵に人を招くの文・同返事」までの合計四一通の往復文(例外的に一通のみ往状)を収録する。例文の主題は、梅見・潮干狩り・蛍狩り・七草見物・月見の会・菊鑑賞といった四季の行事や行楽が中心だが、中には「温泉行誘引の文」「外国寄留の夫へ贈る文」「書籍を借に遣す文」等の例文も含まれる。各例文を大字・五行・付訓の並べ書きで綴り、書止に「かしく」と「かしこ」を併用する。頭書に「女子の心得」「反物の丈尺」「女物の縫方」などを載せるが、その大半が裁縫関連の記事である。また巻末に、月々の手紙にふさわしい冒頭語(端作)を列記した「十二ヶ月文ノ辞」を掲げる。〔小泉〕
◆かいかおんなようぶんしょう [0604]
〈頭書女子教草〉開化女用文章‖【作者】島田豊三郎作。【年代】明治五年(一八七二)刊。[東京]辻岡屋文助ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『女用文』。中本一冊。嘉永四年(一八五一)刊『女中用文玉手箱』†(山東京山作)の改編版。同書本文第一一丁までを別内容に改め、さらに第一二丁「八、初雛の祝文」以下についても見出の丸付き数字を削除するなど一部改刻する。冒頭部に女子消息の心得(女学校登校の図ほかを掲げる)を掲げ、続いて文明開化の社会情勢を反映した「年始の文」「遠国よりの文」など四通の消息文を新たに付し、旧板部分も含め合計三〇通の文例を収める。本文を大字・五行・所々付訓の並べ書きで記す。そのほかは『女中用文玉手箱』に同じ。〔小泉〕
◆かいかかんごようぶん [0605]
〈小川為治郎編輯〉開化漢語用文‖【作者】小川為治郎作。宮城玄魚(楳素)書。森重直序。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[東京]藤岡屋慶次郎(水野慶治郎・松林堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『漢語用文』。半紙本一冊。漢語を多用した文章を集録した用文章。「年始の文」〜「友人に寄る文・同返事」の四五通と、「荷物送状」等の送状や「借用証文」を始めとする証文類、その他願書・届書などの書式約五〇例を収録する。消息例文は四季時候の手紙や吉凶事・諸用件に関する手紙が中心で、本文を大字・五行(証文類は七行)・付訓で記し、任意の語句に左訓や傍注を付す。頭書の大半を占める「作文之部」には手紙に用いる漢語や漢語表現を「簡端(手紙の冒頭語)」から「称謂(人の呼称)」までの三二項目(三二門部いずれにも属さないものは別に「雑語」として集録)に分類して掲げるほか、「証券印税規則即略」などいくつかの記事を載せる。〔小泉〕
★かいかさんようべん [0605-2]
〈新選日用便利〉開化三用便‖【作者】渡辺資二郎・吉野喜之輔編。【年代】明治一八年(一八八五)刊。[東京]吉野喜之輔(真盛堂)板。東明舎ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『四声画引・伊呂波早引・雅俗文証』。中本一冊。見返し・奥付には「吉野喜之輔編輯」と記すが、本文冒頭には「渡辺資二郎編」と記載する。本文欄を上中下の三段に均等に分け、上段に「四声画引」、中断に「伊呂波早引」、下段に「雅俗文証」を掲げた往来。「四声画引」は、部首の画数順に配列した漢字辞典。「伊呂波早引」は、イロハ引きの簡易な早引節用集。「雅俗文証」は、「年始の文」から「注文之文」までの消息例文六四通(用文章の部)と、「金円借用之証」から「離縁状」までの一四通(証書文例の部)の合計七八通を収録する。〔小泉〕
◆かいかしょうがくようぶん [0606]
〈窪田行著〉開化小学用文‖【作者】窪田梁山(久保田梁山・窪田行)作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[東京]富田清(東崖堂)板(明治二七年板)。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。四季時候や四季行事などを主題とする消息文から成る用文章。漢語を多用した明治期特有の例文で、本文を大字・五行・付訓で記し、漢語には左訓を施す。収録書状数は「歳首之賀帖」から「歳暮之贈書・同酬答」までの三二通に、「雑之部」として「招医師之文」以下一〇通を加えた合計四二通である。際立った特色は見られないが、頭書の「本編類語集(本文要語の類語集で略注を付す)」「書柬之類語(消息用語の類語や言い替え語句)」「器具之類語(文具その他の異名集)」が充実している。なお、刊記に「故人」と記すため、梁山の遺稿を刊行したものである。〔小泉〕
◆かいかしょうがくようぶん [0606-2]
〈喰代豹蔵著〉開化小学用文‖【作者】喰代豹蔵作。青木東園(理中・隆)書。【年代】明治七年(一八七四)書。明治八年刊。[東京]別所平七ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈校正再版〉開化小学用文〈証券類規則入〉』中本一冊。明治七年刊『〈喰代豹蔵著述〉開化小学用文』(半紙本)から頭書「用文字類」を省いて小型化した用文章。すなわち前半「用文章之部」に「年賀之文」から「獵人より漁者に贈る文・同答」までの四五通はほとんど同文を大字・五行・付訓(所々に左訓または細注)で掲げ、後半「諸届願証書之部」に請書類二通、届書類一五通、願書類五通、第一類之証書三通、第二類証文一〇通と最後に「界紙可相用証書」として詫証文一通をやや小字・六行・所々付訓で載せる。本書は「其文の雅潔簡短にして時勢適合の傑作」であるため、半紙本・中本ともに非常によく売れた旨を序文に記す。また、明治一三年再刊(刊記)の小泉本の巻末に明治一七年二月の「民事訴訟用印紙規則」や同年五月の「〈改正〉証券印税規則」を載せるから、随時、通行の関連法令を付すなどして読者の便を図ったものであろう。〔小泉〕
◆かいかしょうがくようぶん [0607]
〈喰代豹蔵著述〉開化小学用文‖【作者】喰代豹蔵作。青木東園(理中)書。【年代】明治七年(一八七四)書。明治八年刊。[東京]別所平七ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。消息文例(私用文例)と公用文例(「請届願証書之部」)を収録した用文章。消息文例は、「年賀状」から「獵人(かりうど)より漁者に贈る文・同答」までの四五通。旧来の用文章が多く四季の書状であったのに対し、本書では「年始状」以外に季節の手紙は見られず、婚姻・出産・出仕・到仕・新居落成そのほか諸般の用件に関する例文がほとんどで、いずれも郵便や電信の時代にあって「唯簡潔ヲ貴フ」という方針で綴られている。また「請届願証書之部」には、「請書類」「届書類」「願書類」「第一類之証書」「第二類之証書」「界紙可相用証書類」の分類毎に合計三二通の例文を集める。本文を大字・五行(証文類は七行)・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書には、消息に用いられる漢語(表現)を集めた「用文字類」と、証文類に関する「証文類心得方」を載せる。なお、本書を中本仕立てにした簡略版(前項)や本書続編の『続開化小学用文』†が同年に刊行されたほか、本書の改題本『〈往復自在〉帝国開花用文』†が明治二八年に刊行された。〔小泉〕
◆かいかしょうがくようぶんしょう [0608]
開化小学用文章‖【作者】中村銕太郎(中村鉄太郎)作・序。根岸松雄(静軒)校・序。望雲書(本文)。雲澗書(頭書・傍訓)。【年代】明治一〇年(一八七七)序・明治一一年刊。[名古屋]万屋東平(栗田東平)板。【分類】消息科。【概要】異称『開化小学用文』。半紙本一冊。前半に「消息文例」、後半に「諸証文并諸願届文例」を収録した用文章。消息例文は「年始之文」から「喪を弔ふ文」までの往復文一八双三六通からなり、寒暑の折の見舞状や四季折々の行事・行楽に関する祝儀状・誘引状その他、また、吉凶事に伴う書状などを載せる。各例文は、「古名家ノ書牘中ニ就テ方今人情ニ近キモノヲ抄載」したとする。大字・五行・付訓で記し、漢語の大半に左訓を施す。後半の「諸証文并諸願届文例」には「借用金証文」から「家出届」までの公用文書書式七六例を紹介する。なお頭書に、イロハ引き漢語集「〈漢語〉いろは字引」を掲げる。〔小泉〕
◆かいかしょうそくおうらい [0609]
開化消息往来(前篇)‖【作者】村松義次作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎)板。【分類】消息科。【概要】異称『開化消息往来前編』。中本一冊。近世中・後期に広範に流布した『累語文章往来(消息往来)』†と同様の編集形式による明治期改編版の一つ。「凡、消息・通信者、内外各国音間以通情意、都而遠近不限何処、人民万用達之基本也…」と起筆して、手紙に多用する漢語(尺牘肝要、要用之文字)を多く盛り込む。本文を大字・五行・付訓で記し、多くの語句に左訓を施す。書翰の尊称、月々の時候の言葉を始め、ほぼ手紙文に使用する順序に消息用語・日常語を列挙する。他の明治期新編『消息往来』と同様に、流通・経済・法律・文通など近代的な語彙を多く含むのが特徴。なお、表紙・首題等に「前篇」と記すが、後篇は未詳。〔小泉〕
◆かいかしょうそくおうらい [0610]
開化消息往来‖【作者】青木鏈之助作。【年代】明治一八年(一八八五)刊。[東京]山崎杲平板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。近世流布本『累語文章往来(消息往来)』†の明治期改編版の一つ。「凡、消息者、通音信、内外全国不限何事、人間万用達之基也…」と起筆して、書状の別称、一二月時候の言葉、相手の安否を問う文言、以下、公職、年月日、訪問など種々の消息用語を列挙する。本文を大字・五行・付訓で綴る。〔小泉〕
◇かいかしょうそくおうらい・かいめいうたじづくし [0611]
開化消息往来・開明歌字尽‖【作者】村松義次作。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎)板。【分類】消息科・語彙科。【概要】中本一冊。もともと単行本として出版された明治一一年刊『開化消息往来』(前・後編)と明治一二年刊『開明歌字尽』とを合本した往来。前半の『開化消息往来』は、近世以来の流布本『累語文章往来(消息往来)』†の編集形式にならって明治初年の日用漢語や消息用語を列挙したもの。前編に書き出しの語句や四季時候の表現、また、相手の安否を問う文言、その他の消息表現、公務・産業(商業・貿易)等々の関連語を掲げ、後編では人倫・芸能・養生・家族・器財その他日常生活上の雑多な語句を羅列する。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。後半の『開明歌字尽』は、近世に普及した『小野篁歌字尽』†と同様に、「椿・榎・楸・柊・桐・栢」と字形の似通った漢字五七五字を掲げた改編版で、本文を大字・六行・付訓で記し、楷書の漢字表記を小字で添える。また、各行の左側に暗誦用の和歌を付すが、五・七・五・七・七を無視した不完全なものである。〔小泉〕
◇かいかしょうそくおうらい [0612]
〈頭書漢語字解・事物異名〉開化消息往来‖【作者】安倍為任作・刊。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]安倍某蔵板。高木和助ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈漢語字引・事物異名〉開化消息往来』。近世期流布本『累語文章往来(消息往来)』†と同体裁の文章で、消息に多用する漢語などの日用語を列記した往来。具体的には、書札の異名・月の異名・手紙文の冒頭語の例、官職名・日時の表現・その他書翰用語、さらに、家庭生活、社会生活、身体、人倫、日用品その他の日常語を列挙する。頭書には、イロハ引きの「漢語字引」や、他人の郷里を指す言葉など七〇項目にわたる異名集である「事物異名」、各種届書証文類の書式一四種を掲げた「請取証書之部」を収録する。〔小泉〕
◆かいかしょうそくおうらい [0613]
〈頭書講釈〉開化消息往来‖【作者】渡辺助次郎作・注。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]山崎屋清七(山静堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。近世以来の流布本『累語文章往来(消息往来)』†のスタイルを模倣しつつ、適宜、近代にふさわしい語句を盛り込みながら編んだもの。「大凡消息者、不関於内外、全国通音信、稟告安否、遐邇不限何事、人々諸用達之原也…」と書き始め、手紙の冒頭語や四季時候の言葉、相手の尊称など手紙文に頻用する語句を列挙する。近代人の公私生活にわたる語句一般、特に法令や商取引に関する語彙が充実している。本文を楷書に近い行書体・大字・五行・無訓で綴り、頭書に本文の用語を全て再録して、両点(音訓)と略注を施す。〔小泉〕
◆かいかしょうそくおうらい [0614]
〈新撰日用〉開化消息往来‖【作者】永田方正作。村田海石書。川上敬(雪堂)書(傍訓)。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[大阪]河内屋利助(関原利助・松巌楼)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「凡、消息尺牘者、代話言、伝言緒…」で始まる、明治期新編『消息往来』の一つ。近世期流布本『累語文章往来(消息往来)』†と同様に、全編一通の文章中に手紙に多用する文言を「端作(冒頭語)」から順に掲げる。続いて時候の言葉、相手の尊称ならびに安否を問う文句、官吏の名称と公務に関する語彙、その他社会生活、家庭生活上の日常語などを含む。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かいかしょうばいおうらい [0615]
開化商売往来‖【作者】萩原乙彦(対海・寒鰥翁・鈴亭・六斎)作・序。小室樵山(正春・正治)書。歌川芳盛(一光斎・一好斎・光斎・好斎・佐久良坊光斎・さくら坊)画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]別所平七(島屋平七・万青堂)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。近世流布本『商売往来』†における「旧弊の語」を排除し、もっぱら「新発の品物」の名称を中心に綴った明治期新編の『商売往来』。「大凡商法、売買把扱文字、員数、取遣、受送之日記…」と旧『商売往来』風の文章で始まるが、所載語彙を一新し、両替・貨幣、雑穀、運輸、醸造品、燃料、雑貨、絹布・織物、衣類、染色・模様、武器、金石、文具、器財・日用品、工具、薬種、香具、絵具、菜果、魚・鳥・獣類、食品、学芸等の関連語を、種々教訓を織り交ぜながら列挙する。本文を大字・五行・付訓で記し、稀に略注を施す。〔小泉〕
◆かいかしょうばいおうらい [0616]
開化商売往来‖【作者】青木鏈之助作。【年代】明治二一年(一八八八)刊。[東京]山崎杲平板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†の明治期改編版の一つ。元禄板と同様の文章で、近代商業に必要な基本語彙を綴る。「凡、商法持扱文字、雖多其数、先日用取遣之日記・証文・請取・注文・正算・会計簿・目録仕切之覚也…」と書き始め、記帳、通貨・海外通貨、両替、穀類・野菜類、輸送、醸造品その他日用品、絹布類・衣類・洋服・染色、兵器・軍用物資、家財・諸道具・食器等、薬種・香具、青物・乾物、鳥類・魚介類の順に綴り、最後に商人の学問・教養・芸能等の心得を説いて締め括る。短文ながら、文中で「元(ドル)・銭(セント)・時令(シリング)・弗(ポンド)・便尼(ペニー)…」などの外国通貨や洋服のあらましに触れるのが特色である。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◇かいかしょうばいおうらい [0617]
〈改正増補〉開化商売往来‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[東京]松坂屋板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。明治期改編版『商売往来』の一つ。「商家売買上為関係所之文字、要用・入用、出入・得意之誂、注文・約束・約定・取遣・受送之日記・証文・証券・印紙・請取・落手・質入、算用帳・目録・仕切之覚也…」で始まり、以上の商業用語に続いて、大判・小判から官札・省札・国立銀行券・公債・証書に及ぶ古今の通貨、さらに、穀類・輸送・日用食品類・絹布類・衣類・染色(染模様)・武器・金石類・文具・家財・薬種・香具・魚鳥・魚介・乾物・青物類・交通・通信・西洋建築資材等の語彙を列挙し、舶来品・発明品などの新語も随時掲げる。最後に朝夕の清掃、勧善懲悪、接客、法令遵守、正路商いなど商人の基本心得で締め括る。本文を大字・四行・付訓で綴る。刷表紙の簡易な装訂である。〔小泉〕
◆かいかしょうばいおうらい [0618]
〈頭書講釈〉開化商売往来‖【作者】渡辺助次郎作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]山崎清七板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。頭書講釈を伴った明治期新編『商売往来』の一つ。本文は「凡、商法売買取扱文字之員数雖多、先、日用之概略者、取遣之日記・証文・証券・確証・受取・注文・典入・手張(帳)・切手送状・算用仕切之覚也…」で始まり、近世流布本と同様に、商業用語、通貨、穀類(流通・売買を含む)、醸造品・日用品、織物類・衣類・染色・染模様、武器・馬具その他軍用品、金石類、文具、家具・食器・諸道具、舶来品・発明品、西洋建築資材、薬種・香具、魚・鳥・獣類、野菜・果物の順に関連語彙(近世流布本とは適宜語句を改める)を列挙し、最後に商家子弟の心得(学問・芸能、商業道徳)を示して締め括る。本文を大字・五行・無訓で記し、頭書に本文中の全ての語彙を掲げて音訓や略注を施す。〔小泉〕
◆かいかしょうばいおうらい [0619]
〈吉田小吉編輯〉開化商売往来‖【作者】吉田小吉作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]吉田小吉板。【分類】産業科。【概要】異称『〈開化〉商売往来』。中本一冊。元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†(堀流水軒作)をベースに近代商業にふさわしく改編した往来。「凡、方今商業取扱文字之員数、定額取遣之日記…」と元禄板同様の文章で、帳簿関連、通貨、貿易品、交通・運輸、日用雑貨、兵器、機械、薬種、獣・鳥・魚類、果物・野菜・穀類、金石類、樹木、生糸その他産物などの語彙を列挙し、最後に長文で商人心得(商取引・貿易、幼児よりの学問、芸能・遊興、衣食の分限、店内清掃、客との応対その他)を説く。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、本書と全く同内容の明治一二年刊『〈開化〉商売往来』†は岡本懐徳編とし、明治一五年刊『〈開化〉商売往来』は高橋脩助編とする。〔小泉〕
◆かいかしようぶん [0620]
〈太田聿郎著述・小学〉開化私用文‖【作者】太田聿郎作・序。名和対月書。【年代】明治一一年(一八七八)序・刊。[大阪]花井知久(聚文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『小学開化私用文』『〈作文必携・小学〉開化私用文』。中本二巻二冊。上巻に「年甫之文」以下五一通、下巻に「賀新婚の文」以下五六通を収録した用文章。上巻は多くが四季に伴う消息文例だが、中には「博覧会見物之文」「学校建築を祝する文」「新聞紙を注文する文」など時代を反映した例文もある。下巻には冠婚葬祭に関するものや、その他日常生活上の種々の消息文例を掲げる。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。また、頭書「作文摘語」に時候・天気などに関する用語(略注付き)や消息文に多用する類語を集録する。〔小泉〕
★かいかしょうほうようぶん [0620-2]
〈鼇頭諸証書文例・塚田為徳編輯〉開化商法用文‖【作者】塚田為徳作・序。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[東京]井上茂兵衛板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「初学の児童」向けに基本的な日用書状例文を集めた用文章。「年始状」から「歳暮之文」までの往復三四通を収録する。四季時候の手紙は年始・年末・暑中見舞に限られ、他は婚姻・出産・学問・別家など生涯節目に関するものや商用文等で、「商法」と銘打つほど商取引に関する例文が目立つわけではない。いずれも五〜一〇行程度の短文で、大字・六行・付訓(しばしば左訓)で記す。また、頭書「諸証書」には「金子借用証書」から「店請之証」までの証文類文例三〇通を掲げる。〔小泉〕
◆かいかしょがくようぶん [0621]
〈頭書作文字引〉開化初学用文‖【作者】青木清輔作。水田得哉書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]西田森三ほか蔵板。有斐閣斧太郎ほか売出。【分類】消息科。【概要】中本一冊。本文欄に消息文例および証文類(受取届願諸証文類)、頭書に消息用語集などを掲げた用文章。消息文例は「人を招く文」〜「弔状・同返事」の五三通で、諸用件に関する手紙が大半を占め、かつ、四季に伴う手紙の前に配列するのが特徴。本文を大字・五行・付訓で記す。末尾の「受取届願諸証文類」は、受取文例四通、請書文例二通、届書文例八通、願書文例三通、証書文例三通の合計二〇通で、文面とともに印紙や押印の位置を示す。頭書にはイロハ引きの消息用語集「〈伊呂波寄〉作文字引」を始め、「年賀ノ語」「四季要語」「人ノ書翰」「我書翰」「簡尾語」「人倫称」「人の居所」「我居所」等の語彙集と、「郵便規則略」を収録する。〔小泉〕
◆かいかじょようぶんたいせい/かいかおんなようぶんたいせい [0622]
〈小学習字〉開化女用文大成‖【作者】城頤拙作。中村敬宇(正直)序。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[東京]城頤拙蔵板。雁金屋清吉(青山清吉・青山堂)売出。【分類】女子用。【概要】異称『女用文大成』。半紙本一冊。季節に伴う手紙や、日常生活の諸事に関する女子用消息文例を集めたもので、「年始慶賀の文」以下一六二通を収める。「紀元節を問ふ文」「神武祭に春花(はなみ)を誘ふ文」「洋学入門類の文」「博覧会誘引の文」「天長節を祝する文」など近代的な例文が見られるほか、「請取書」「留守請取」など公民として必要な例文が盛り込まれている点に特色がある。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。頭書「作文字類」は、消息文章等に使用する日常の漢語五六二五語をイロハ引きに編んだものだが、このような傾向も近世の女子用往来には見られなかったものである。〔母利〕
★かいかじんこうき [0622-2]
〈訓蒙必要・新選〉開化塵劫記‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]辻岡文助(金松堂)板。【分類】理数科。【概要】中本一冊。簡易な算法書。見返しに「田畑間数名の事」「杉形(すぎなり)の俵数を知る事」を図解とともに掲げ、以下、本文に「九九合数」「九帰法」「八算」「見一」「升法」「諸軽重の事」を収録する。〔小泉〕
◇かいかせつようしゅう [0623]
〈明治合書〉開化節用集‖【作者】小西和平(愛泉)作・書。【年代】明治一九年(一八八六)刊。[富山]守川吉兵衛板。【分類】合本科。【概要】中本一冊。「消息往来」以下一五編の往来を集成したもの。うちいくつかは、単行本も存したと思われる。収録往来は、合綴順に「消息往来」「商売往来(頭書に商売用字を載せる)」「〈西洋字入〉七いろは(ローマ字を含む七体イロハ。末尾に「仮名遣」を載せる)」「万葉いろは(末尾に「片仮名以呂波」ほかを載せる)」「大日本国尽(旧国名と明治府県制度下の県名・郡名)」「名頭」「村名尽(富山越中地方の村名。末尾に「越中国郡名」を付す)」「(富山)県下地名尽」「日本地名尽(三都以下沖縄那覇にいたるまでの全国の主要都市名)」「日用物名尽(日用品・衣類・雑貨等の名称)」「用文章(二〇通の消息短文)」「千字文」「苗字略」「算法近道(加減乗除の基礎的算法書)」である。〔小泉〕
◇かいかせわせんじもん [0624]
〈真行〉開化世話千字文‖【作者】山本太一郎作。村田海石書。【年代】明治九年(一八七六)書。明治一〇年刊。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。【分類】社会科。【概要】半紙本二巻二冊。明治初年の国勢・国民生活をなどの社会的事象を記した『千字文』型教科書。本文を楷書・行書の二体で書し、一行おき交互に並べる(大字・三行・無訓)。まず上巻は「開化以来、政治公明、旧習一洗、弊風又止…」と書き始め、商業・経済・金融・貿易・農業・公安・司法・行政・官吏・皇軍等について述べる。一方下巻は「渾家温柔、親属和睦、父母舅姑、兄弟姉妹…」で始まり、人倫・交通・風俗・生活・疾病・衛生・財貨・教育等にまつわる語句を列挙し、二度とない青年時代を大切に「読書勉励」せよと説く。〔小泉〕
◆かいかせんじもん [0625]
開化千字文‖【作者】松村春輔(桜雨園)作。学僊画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]丁子屋平兵衛(文渓堂)板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。明治初年、文明開化の動向を踏まえて編集された『千字文』型教科書の一つ。「聖上東宮、皇后女御、天長誕辰、億兆恐悦、君主専制、一統継立、綱紀振張、規模宏遠…」と起筆し、皇室への鑚仰、政府諸官庁の名称を始め、近代生活を志向する諸事項に及び、文末で再び皇室の仁政を讃える。本文を大字・五行・無訓の白文で掲げ、巻末に活版で楷書・やや小字・八行・付訓の本文を再録する。なお、本書の改訂版(次項)が明治一〇年に刊行されている。〔小泉〕
◆かいかせんじもん [0626]
〈増補〉開化千字文‖【作者】松村春輔(桜雨園)作。鮮斎永濯画。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]松村春輔蔵板。湊屋佐吉ほか売出。【分類】社会科。【概要】異称『〈増補〉開化千字文』。半紙本一冊。明治六年刊『開化千字文』†の改訂版。内容はほとんど同じで、本文を大字・五行・無訓で記し、巻末に小字・八行・付訓の本文を再掲する。なお、本書付言(報条)には、明治六年板が著者との契約違反であり、かつ内容も杜撰であったため、改めて本書を刊行した経緯や、越中富山書林某が本書の海賊版を出したことなどを明記する。巻頭に洋服姿の教師・生徒数名の授業風景を描く。〔小泉〕
◆かいかつうようじかい [0627]
開化通用字解‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治年間刊。[東京]辻岡屋文助(金松堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「改年」「改暦」など手紙一般に用いる語句約三〇〇語を収録した往来。本文を大字・六行・付訓で記し、所載語の大半に割注を施す。頭書には自他の名称などに関する語彙を集めた「人倫異名」を付すほか、表紙見返に「手紙の基本的な心得を記した「書簡法式概略」を掲げる。〔小泉〕
◇かいかてがみのぶん [0628]
〈明治新刻〉開化手紙之文‖【作者】本多芳雄作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛・錦耕堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始の文」から「歳暮の文」までの三五通の消息文例を収めた用文章。季節の手紙よりも用件中心の手紙が主体。本文を大字・六行・付訓(任意の語句に左訓)で記す。頭書に「年始・春候・夏候・秋候・冬候…」以下一三項に分けて類語・類句を集めた「作文独稽古」や、「証書願届(一一例の書式)」を掲げる。〔小泉〕
◆かいかとうきょうほうがく [0629]
開化東京方角‖【作者】安保兼策作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]宮田伊助板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。慶応二年(一八六六)刊『江戸方角名所杖』†(又玄斎作)の挿絵や注釈を参酌しながら、適宜、明治初年の実情に合わせて東京府下の地名・名所の概要を列挙した往来。「抑東京は天下の大都会にして、街衢(ちまた)の称号(となえ)指屈して、陳次するに遑は更に靡れとも、其大概を枚挙すれは、恐多くも皇城外、東は和田倉橋より…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。また、頭書にも『名所杖』を模倣した挿絵一一葉とその解説を載せるほか、「四季花名所一覧」「諸官省位地表」「東京府下郡区役所表」を掲げる。〔小泉〕
◆かいかどうじおうらい [0630]
開化童子往来(初編)‖【作者】松川半山(翠栄堂)作・画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]河内屋茂兵衛(岡田茂兵衛・群玉堂)板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。近世以来の『商売往来』†の用語が明治初年の実情に合わなくなったために、近代以後の舶来品などの新商品や商業用語を中心に列挙した往来。冒頭に明治初年に隆盛する貿易港や貿易相手国、続いて世界の海洋・その他地形、船舶(種類・各部の名称)、郵便・電信・交通、府県・学校など新施設、商業・運輸、舶来品の数々を列挙し、最後に文明開化周辺の語彙を掲げて締め括る。当時の日本人に馴染みの薄かった外国製品や海外の鳥獣等については特に図解を交える。本文を大字・四行・付訓で記し、語句の大半に左訓または略注を施す。巻頭に「小学校登校図」(色刷り)を掲げる。〔小泉〕
◆かいかどうじきょうくんいろははやしんがく [0631]
開化童子教訓いろは早心学‖【作者】不明。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[小諸]安川安三板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。「いまのよはぶんめいかいくわとあらたまり、かしこくなれよかみへたつべし」といったイロハ教訓歌四八首を載せた小冊子。上下二段、半丁四行の計八首ずつ掲げる。明治一一年刊『〈童子教訓・早心学・開化〉いろは歌』†などの類書が数種存する。刷表紙に明治初年の小学校授業風景を描き、「定価二銭五厘」と記す。〔小泉〕
◆かいかながしら [0632]
〈音訓〉開化名頭‖【作者】安斉美雄作・序。田端槐洲書。【年代】明治七年(一八七四)序。明治八年刊。[東京]後藤忠七ほか板。【分類】語彙科。【概要】異称『音訓開化名頭』。半紙本一冊。漢字四字一句の『千字文』形式で綴った『名頭』で、近世以来『名頭字尽』†とは全くの別内容。「今代正親、万国和親、仁徳伝民、山峯浦浜…」で始まり、合計五三句(最後の一句は漢字二字)、二一〇字の漢字を文意の通じるように配列した点が特徴。本文を行書・大字・三行(一行四字)・無訓で記し、巻末に楷書・やや小字・六行・付訓(両点)の本文を再録する。〔小泉〕
◇かいかにちようじるい [0633]
開化日要字類‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]辻岡文助板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。文明開化の新時代にふさわしい日常語を「衣服部」「道具部」「服用草木」の三部門についてイロハ順に集録した語彙集。各語彙に音訓の双方を付す両点形式である。〔小泉〕
◆かいかにちようぶん [0634]
〈文明〉開化日用文〈附諸証文届書類〉‖【作者】渡辺助次郎作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[東京]山崎屋清七(山静堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。前半に消息文例(「開化日用文」)、後半に証文類の例文を収めた用文章。前半の「開化日用文」には「年始之文」から「喪に居るを慰する文」までの二二通を収録する。漢語を多用した文章で、漢語の大半に両点を施すほか、頭書「類字」に同義の漢語を多く類聚する。ほぼ季節にちなんだ文章を四季順に載せるが、「商法之文」「書籍を借る文」「開店を賀す文」など用件中心の文例もある。本文をやや小字・七行・所々付訓で記す。後半の「諸証文及届書類」には「田畑売渡証文」から「紛失物出品御届」まで二三例の証書・届書等の書式や例文を掲げており、同頭書には「訴訟用罫紙規則」以下関連の諸規則を載せる。なお、後半部「諸証文届書類」を欠く本もある。〔小泉〕
◆かいかにちようぶんしょう [0635]
開化日用文章‖【作者】陶山直良作。村田海石書。【年代】明治八年(一八七五)刊。[大阪]河内屋茂兵衛(岡田茂兵衛・群玉堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈陶山直良編輯〉開化日用文章』。半紙本一冊。漢語を多用した消息文例四〇通を収録した用文章。「歳賀之文」を始めとする四季贈答・祝儀の手紙から、「内務卿帰朝為知之文」など用件中心の手紙までを含むが、明治初年の風俗を反映した公私消息文が目立ち、「斬髪を祝する文」「入校を祝する文」「洋学入門を請ふ文」「洋行を賀する文」などが見える。本文を大字・五行・付訓で記し、特定の漢語に左訓を施す。〔小泉〕
◆かいかにちようぶんしょう [0636]
〈改正増補〉開化日要文章‖【作者】下村孝光作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]富田彦治郎(東崖堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「賀新年之文」を始めとする四季用文や雑文章を混載した六一通の私用文例を集めた用文章。次項『〈下村孝光編輯〉開化日要文章』†と共通する例文が多い。「換暦之御慶、万方同軌、目出度申納候…」のような耳慣れない漢語が目立つが、頭書「四季類語」中に一般的な「改年之御吉慶…」などの言葉を記し、自由に言い換えが出来るように工夫する。本文を大字・六行・ほとんど付訓(任意の漢語に左訓)で記す。頭書には、ほかに「諸証文例」「諸願届書式」を収録する。〔母利〕
◆かいかにちようぶんしょう [0637]
〈下村孝光編輯〉開化日要文章‖【作者】下村孝光作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]下村孝光(金盛堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『開化日用文章』。中本一冊。前半の「開化日要文章」と後半の「諸証并願届文例」から成る用文章。前者は「賀新年之文」から「劇場(しばい)誘引之文」までの二六通で、四季・五節句や慶事に伴う祝儀状に比べて季節の余暇(花見・野遊び・納涼・月見・紅葉見物・雪見等)に関する誘引状が目立つ。後者を三部に分け、「諸証之部」に「金子受取之証」以下一六例、「願之部」に「公立学校入学願」以下九例、「届之部」に「帰朝届」以下一七例を載せる。本文を大字・六行・所々付訓(任意の漢語に左訓)で記す。なお本書の例文を改訂・増補したうえ、頭書を加えたものが『〈改正増補〉開化日要文章』†である。〔小泉〕
◆かいかにちようようぶん [0638]
〈塚田為徳編輯〉開化日用要文‖【作者】塚田為徳作・序。【年代】明治九年(一八七六)序・刊。[横浜]三宅半四郎(宝永堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始之文」から「出火見廻之文」までの一四双・往復二八通の私用文例、および「諸願証書届文例」三六通(願之部七通、証書之部一四通、届之部・受取証一五通)を収録した用文章。本文をやや小字・六行・所々付訓(任意の漢語に左訓)で記す。漢語を適度に交えた実用本位の文例で、「本日者四海万戸、拂暁從り日章(につしやう/ヒノマル)之紅旗(こうき/アカハタ)風に飄り…」(紀元節に友人を招文)など、随所に明治初頭の風俗を忍ばせる。〔母利〕
◆かいかねんちゅうようぶん/かいかねんじゅうようぶん [0639]
〈西野古海編輯〉開化年中用文‖【作者】西野古海作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[東京]菊田忍蔵板。山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛・錦耕堂)売出。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。明治初年の実情を反映した種々の消息例文と頭書に多くの公用書類書式を収録した用文章。消息例文は季節折々の手紙だけを「月儀」として区別し、これには「年賀葡萄酒ヲ送ル文」から「歳暮ニ鮭ヲ送ル文」までの二四通を収録する。杉田の梅花、大沢の桃花、亀井戸の藤花見物や富士登山など東京周辺の季節の行楽を題材にした例文が目立つ。後半には「新婚ヲ賀スル文」から「金貨ヲ借ヲ請者ニ謝スル文」までの四八通を載せるが、摂生、種痘、法律研究、応用化学、牧牛、製茶法、博覧会など勧業・学問に関するものが多い。本文を大字・五行・付訓(所々漢語に左訓)で記す。頭書「請書願届証書」には「請取書」から「改名ノ願」まで一三九例に及ぶ書式を掲げるが、類書中では極めて多い。〔小泉〕
◆かいかのうしょうようぶん [0640]
〈三尾重定著・小学必携〉開化農商用文‖【作者】三尾重定(史山)作・序。島田仙洲書。【年代】明治一四年(一八八一)序。明治一四年刊。[東京]藤岡屋慶次郎(水野慶治郎)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。主として農家・商家の生業に関する消息文例と、公民生活に必要な証書類の文例を集めた用文章。「農家之部」「商家之部」「願書式之部」「届書式之部」「証書式之部」の五部からなる。「農家之部」は「種卸に付溜池を借る書」以下四四通、「商家之部」は「荷物の発程を報ずる書」以下四〇通、「願書式之部」は「商社設立願書」以下一四通、「届書式之部」は「落物届書」以下一七通、「証書式之部」は「預り金証書」以下一〇通、合計一二五通の文例を収める。本文を大字・五行(証文類は七行)・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。頭書に、「農事要略之部」「書牘適語之部」「異名分類之部」「書柬式之部」「諸規則提要」などの農・商関連記事や、消息用語を種々載せる。〔小泉〕
◇かいかはがきようぶん [0641]
開化端書用文‖【作者】安保兼策作。種正画。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]宮田伊助蔵板。山田藤助売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈開化〉はがき用文』『開化はがき用文』。文字通り葉書などに用いる短文を集めた漢語用文章で、長短合わせて二八通を収録する。「早春人を招く文」から「歳暮之文」までほぼ季節順に各例文を掲げる。特に近代的な例文は見られず、日常やりとりする例文が主である。また、特定の漢語には左訓や略注などを施した所もある。なお、頭書には「類語集」「証書請取類」などの語彙集や書式を掲げる。〔小泉〕
◆かいかばんみんようぶんしょう [0642]
〈東条永胤著〉開化万民用文章‖【作者】東条永胤作。亀谷光風社校。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]森屋治兵衛(石川治兵衛)板。【分類】消息科。【概要】異称『万民用文』。半紙本一冊。「日用往復文部」と「証券部」の二部から成る用文章。「日用往復文部」には、「新年賀人之部」以下二二通を収録する。その多くが諸事に関する手紙文で、各種招待状・依頼状・誘引状・祝儀状などから成る。本文を大字・五行(証券部は六行)・付訓で記す。往状が近世以来の俗用文に作り草書で綴るのに対して、返状は当世風の漢語用文に作り楷書で記すのが最大の特徴。後半「証券部」には「家作書入質之証」から「出産届」まで四六例の公用文を収録する。頭書に「書柬類語(漢語の消息用語・表現)」「呼称類語」「通用漢語(イロハ引き漢語集)」等を掲げる。〔小泉〕
◆かいかふつうざっしょ [0643]
開化普通雑書‖【作者】松川半山(奥安信・翠栄堂)作・画。藤原裕一(加藤祐一)序。【年代】明治六年(一八七三)序。明治九年刊。[大阪]鹿田静七板。【分類】地理科・理数科。【概要】半紙本四巻四冊。明治七年刊『世界新名数』†の改題本。世界地理や日本地理、地学・天文学等に関する諸般の知識を集めた雑書。一之巻は「天文略説」から「惑星之公運之時限」までで、太陽・月・地球など天体や気候・自然現象に関する記事。二之巻は「地理之説」から「英国大橋」までで、地球の形状や六大洲・五大洋・世界人種・地形・世界の国名・都市名などの記事。三之巻は「歴代山陵(みささぎ)之地」から「日本大地震年代略説」までで、世界と日本の電信・鉄道・建築物(万里の長城など)や地震等に関する記事。四之巻は「世界万国名山」から「日本諸国温泉」までで世界・日本の地形や海上交通・海洋などに関する記事。なお、一之巻巻頭にコロンブスの新大陸発見の記事を載せる。本文をやや小字・一〇行・付訓で記し、随所に図解を施す。〔小泉〕
◆かいかふつうようぶんしょう [0644]
開化普通用文章‖【作者】飯沼守一作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[名古屋]永楽屋東四郎板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「年始之文」を始めとする私用文例一五四通、および「口上文」「送リ並ニ受取書」「諸証文」「公用文諸届之文」「諸願之文」を集めた用文章。文例は「新年之御慶、千里同風、目出度申納候…」のように穏当なもので、「生魚ヲ贈ル文」「草花ヲ贈ル文」「氷ヲ贈ル文」「筍子ヲ贈ル文」などと、同じ物品を贈るのでも事細かく場面を分けて文例を用意するのが特徴。本文を大字・六行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。頭書に「用文章類語」として膨大な数の替え言葉(漢語)を列挙する。巻末に「東壁堂蔵版発売書房」三丁を付す。〔母利〕
◆かいかぶんしょう [0645]
開化文章‖【作者】伊藤信平作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]伊藤信平蔵板。[大阪]中島徳兵衛(抱玉堂)売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈文明〉開化文章』。半紙本二巻二冊。「年首之書」を始めとする四季・雑四二通の私用文例を集めた用文章。本文を大字・五行・付訓(左訓)で記し、文中ほとんど例外なく一字一字を放ち書きにするのが特徴。自序に「此書専ら新規の漢語を文章の贈答に綴り、傍に片仮名を付し文意を釈し…」とあるように、例文は「青亭之輿從東方来。瓊楼愈御多祥恐縮奉候…」の如き難解な漢語を多く交える。また、巻末広告に「当時の有益を主とし、商賈にありては遠く各国の商術を知り、農家は培養を得る捷径にして…」と述べるように、「農事を問ふ書」「商法を問ふ書」「西洋国体を問ふ書」「学問の要綮を質す書」など啓蒙書の趣を呈する。見返に「東京伊藤氏蔵」とあるが、『准刻書目』により伊藤信平の著作と判明する。また自序中に、「書肆山内某予が机の前に来りて是を上梓なさんと頻りにこふ」にとあるのによれば、中島板は後刷りであろうか。〔母利〕
◆かいかぶんしょう [0646]
〈一寸案文〉開化文章‖【作者】不明。【年代】明治初年刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】小本一冊。消息文例と諸証文文例を載せた簡易な用文章。消息例文は「年頭之状」〜「寒中伺之文」の二〇通で、大半が四季折々の挨拶状や四季行事の誘引状などである。後半「証書文例」に「金貨受取之格」〜「同陸荷(くがに)送状之事」の六通を収める。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。なお、外題・挿絵ともに多色刷りの刷表紙である。〔小泉〕
◆かいかぶんしょう [0647]
〈童蒙必携〉開化文章‖【作者】遠ー(橙園主人)作。波山々翁書。旦小鼎画。高田義甫(喜太郎・素琴・芳波逸人・協力社・鉄線書屋・処甫・墨田耕夫)序。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]上州屋金蔵(祥錦堂・祥福堂・大沢金蔵)板。【分類】消息科。【概要】中本二編四巻二冊。玉川大本は初編二冊、すなわち春之部、夏之部の二巻。前者には「賀新年文」から「蒸気船へ乗組の模様を問合す文・同復」までの二〇通、後者には「甥某英国留学生に任ぜらるゝを賀する文」から「暑中氷を送る文・同復」までの二〇通、合計四〇通を収録する。例文の題材は、洋行・麦酒・西京博覧会・鉄道規則・時計購入といった新時代を象徴するものが多い。漢語を多用した文章で、本文を大字・五行・付訓で記し、任意の漢語に左訓を施す。頭書に、本文要語の略解を載せる。また、小泉本はその続編で、秋之部(「湯治に行人より送る文」以下一八通)・夏之部(「小学校に入るを賀する文」以下二〇通)の二部を収録する。〔小泉〕
★かいかぶんしょうじざい [0647-2]
〈作文必用〉開化文章自在‖【作者】楢崎隆存作・序。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[大阪]中川勘助(梅花書楼・明善堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『開化文章自在』『〈作文必用〉開化文章自在〈附諸証文例〉』。中本二巻二冊。旧幕府時代の「迂遠」な飛脚と異なり、近代明治政府下の今日は「神速」な電報の時代にふさわしい例文を集めたという用文章。上巻には本文に「年賀文」から「安産を賀する文・おなじく復書」の六〇通の消息文と頭書に「作文雑語」、下巻には本文に「金子借用之証」以下四一通の諸証文例と頭書に「証券印紙貼用略則」等の諸規則をそれぞれ収録する。消息例文は四季行事や一生涯の吉凶事に関するものが中心で、大字・五〜六行・付訓(しばしば左訓)で記し、随所に割注付きの類語集を挿入する。〔小泉〕
★かいかぶんしょうたいぜん [0647-3]
〈日用必携〉開化文証大全‖【作者】安井乙熊編。青木輔清校。巻菱潭書。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[東京]内田弥兵衛(正栄堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『日用必携開化文証大全』。半紙本二巻二冊。まず上巻「尺牘文部」、下巻「公用文部」の二部に分け、前者を「時令文類」「慶賀文類」「慰問文類」「雑事文類」「農商日用文類」の五類一三〇通(順に「歳端之文」以下二四通、「賀結婚文」以下二四通、「慰落第文」以下二七通、「留主中依頼之文」以下一五通、「報着荷文」以下四〇通)、後者を「第一類諸証書」「第二類諸証書」「第三類諸証書」「雑種証書」「届書類」「願書類」「請書類」「請取書類」の八類一四一通(順に「売品代価請取証」以下二二通、「借用金証文」以下二八通、「諸酒切手」以下一〇通、「返済金請取証文」以下一三通、「養子届」以下三五通、「寄留送籍願」以下二七通、「出頭請書」以下二通、「書状書物請取書」以下四通)を収録した大部な用文章。本文を大字・六〜七行・付訓で記す。また付録記事として上巻巻頭に「郵便規則摘要」「和文電信音信料ノ略表」、上巻頭書に「日用文語類」と題して贈答文語類(贈寄・復答)・慶賀文語類・雑用文語類・行楽文語類・慰問文語類・人倫文語類の八分類毎に多くの類語(所々割注)を掲げ、下巻頭書「諸規則心得」にも「証券印税規則心得」「印章諸規則心得」「年月日略記証書心得」「証書認心得」「利息諸規則心得」「出訴期限規則心得」「金穀貸借請人証人弁償規則心得」など関連諸規則を多数載せる。〔小泉〕
◆かいかぶんりゃく [0648]
〈新刻〉開化文略(前編)‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎(紅木堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。広告によれば二編二冊から成る用文章で、現存本の刷表紙に「前編」と記す。その前編には「新年之文」「紀元節人を招く文」「春遊を催す文」「開店吹聴の文」「梅見誘引之文」「暑中見舞之文」「秋日郊行を催す文」「歳暮之文」の八題往復一六通を収録する。本文を大字・六行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。頭書「類語略解」に各例文の言い換え表現(音訓を付す)を載せるほか、頭書末尾に「四季ノ別称」を掲げる。なお、後編については未詳。〔小泉〕
◆かいかようぶん [0649]
〈頭書布告字解〉開化用文‖【作者】安倍為任作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]宇佐美栄太郎板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「年始之文」をはじめ、「花見誘引之文」「暑中見舞之文」「寒中伺之文」「転居知らせ之文」など一六通の私用文例、および「金子借用之証」「婚姻届書」「出産届」など一二通の公用文例を集めた手本兼用文章。頭書に「イロハ分布告字解、一名漢語字引」として、「一新(いつしん)サラリトアラタマル」「一致(いつち)ヒトツニナツテサダマルコト」などの体裁で三九三語、「開化節用」として、「椅子(いす)コシカケノコト」「英吉利(いぎりす)イギリスノコト」など三八語をかかげる中に、「僕(ボク)ワシラトヒゲシタコトバ」「江東(コウトウ)フカガハノコト」などとあり、当時の漢語流行の様が窺える。本文を大字・六行・付訓で記す。〔母利〕
◆かいかようぶん [0650]
〈川嶋健二著述〉開化用文‖【作者】川嶋健二(川島健二)作。西野古海校。【年代】明治八年(一八七五)刊。[東京]川嶋健二蔵板。和泉屋市兵衛(山中市兵衛)ほか売出。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。前半に消息文例、後半に証書類書式を収録した用文章。前半の「賀新年文」以下四八通は、漢語を多用した文章で、行書・大字・五行・付訓で記し、要語に左訓を施す。四季折々の手紙文を主体とし、それらの間に「賀仕官人」「議小学校設立文」「冨士詣ニ誘フ文」など諸用件の手紙を交える。後半「諸届願証書之部」は、「請取書」から「詫証文」までの公的書類の書式六八例を示したもので、こちらは楷書・八行・付訓で記す。頭書「作文用字類」には、手紙に使用する漢語表現や異名・証文の関連知識などを掲げ、各語に割注を施す。〔小泉〕
◆かいかようぶん [0651]
〈漢語日用〉開化要文‖【作者】石川敬義作。若林效書。【年代】明治九年(一八七六)作。明治一〇年刊。[金沢]横枕清七(顕才堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。四季折々の手紙を中心とする「月令之部(「年賀之文」以下二六通)」と、冠婚葬祭その他諸般の事柄に関する手紙を集めた「雑之部(「賀新婚文」以下三六通)」から成る用文章。本文を大字・五行・所々付訓(漢語に左訓)で記す。附言に「近来書体一変せり」とあるように、明治初年の状況下に即した「紀元節招友文」「博覧会見物誘文」「洋行する人を送る文」などの例文も見られる。〔小泉〕
◆かいかようぶん [0652]
〈作文枝折〉開化用文‖【作者】松原静三郎作。【年代】明治一〇年(一八七七)作。明治一七年刊。[東京]小菅松五郎(文華堂)板。【分類】消息科。【概要】小本一冊。「年頭ノ文」以下六四通の消息文例を収めた用文章。うち三〇通が四季に伴う消息文、残りの三四通が日常の雑事(旅行・帰郷・贈答・開店祝い・養子縁組祝い・婚礼祝儀等)に関するものである。本文をやや小字・六行・付訓(所々左訓)で記す。語句の左右に音訓(両点)を付し、各文例毎に消息用語(類語)を集めた「文語」を載せる。〔小泉〕
◇かいかようぶん [0653]
〈新撰〉開化用文‖【作者】本田利喜作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]奎運堂板。【分類】消息科。【概要】「年始の文」から「開店賀びの文」まで二六通の見舞い・招待・通知・祝賀・謝礼等の手紙文を収録した用文章。頭書に「漢語伊呂波節用」や、「送里状」から「委任状」までの諸証文一一例、「送籍届」から「死亡届」までの「諸願届文例」二八例を掲載する。〔伊藤〕
◆かいかようぶん [0654]
〈新選〉開化用文〈附願届証書文例〉‖【作者】森山良三作。【年代】明治二一年(一八八八)刊。[東京]永井俊次郎(崇文堂)蔵板。東生亀治郎(亀次郎・万巻楼)売出。【分類】消息科。【概要】中本一冊。前半に消息文例、後半に「願届諸証文例之部」を収録した用文章。消息文例として「年始ノ文」を始めとする三四通を載せるが、大半が四季の手紙で、他に諸事に伴う祝儀状・見舞状を含む。後半「願届諸証文例之部」には「結婚届」から「年賦借用金之証」まで四〇通に及ぶ書式・文例を掲げる。本文を大字・五行(証書類は八行)・所々付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔小泉〕
◆かいかようぶん [0655]
〈日用必携〉開化用文‖【作者】西野古海作。岡三慶(道・明卿)校。青木東園書。振居序。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]小檜山弥太郎蔵板。和泉屋市兵衛(山中市兵衛)ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈日用必携〉開化用文章』。半紙本一冊。「雅ならず俗ならざる」例文を集め、頭書に多くの類語を載せた用文章。「歳旦人に遣す文」〜「人の喪を弔ふ文」の七五通から成る。四季の贈答・行事、吉凶事、その他に関する例文を網羅する明治期一般の用文章だが、「潮汐満干の理を質する文」や「大雷の見舞、并雷電の理を質する文」など窮理学関連の例文や、「写真を父母の許に贈る文」など新文明に関する記述も見られる。例文を大字・五行・付訓で記し、随所に傍線を加えて、該当の語注や類語を頭書に示す。後半には「受取書式」「拝命受書」「送状」「手形類書式」など二〇例を掲げ、同頭書に「印紙貼用心得」「建物書入質規則・同書式」「利息制限法」「地所書入規則大略」「請人・証人規則大略」等を載せる。また巻末には、銅版印刷で「小学師範学校生徒入学願」「隠居家督願」その他諸願書・届書類書式、「電信用文」「電信賃銭表」「外国郵便税表」「服忌令」「内国蒸気商船噸数表」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◇かいかようぶん [0656]
〈編輯小神野中・訓蒙〉開化用文‖【作者】小神野中作。【年代】明治六年(一八七三)以降刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】異称『〈維新〉開化用文』。中本一冊。前半に「年始之文」以下一六通の消息文例、後半に「金円借用証」以下五通の諸証文文例を収録した用文章。消息文例は、季節の手紙のほか「紀元節を賀す文」「神武天皇祭日人を招く文」「天長節之文」「出産為知之文」「出火見舞之文」「商法之文」などを含む。本文をやや小字・七行・所々付訓(稀に左訓)で記す。頭書に証書・届書の書式(「年季請之証」〜「賊難届」までの一一例)や、略注付きの消息漢語集「尺牘字類」を掲げる。〔小泉〕
◆かいかようぶん [0657]
〈松木平吉編輯〉開化用文‖【作者】松木平吉作・序。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]大黒屋平吉(松木平吉・松寿堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈維新〉開化用文』。中本一冊。前半の漢語消息文例と後半の「諸証書文例」から成る用文章。前者は「年始之文」〜「悔弔之文」の一八通の消息文例を収録する。一八通中九通が季節に関する例文で、うち四通は紀元節・神武天皇祭・天長節・新嘗祭を主題とする。残る九通は、出産・出火・商用・病気・医師断り・死去に関する手紙、また、「諸証書文例」には「金円借用証」から「賊難御届」までの書式一六通を載せ、途中、第一〜三号書式について詳述する。本文を大字・六行(証書類は七行)・所々付訓(稀に左訓)で記す。頭書に消息文の類語を集めた「尺牘字類」や「諸証書類心得(布告など関係の法令)」を掲げる。〔小泉〕
◇★かいかようぶんしょう [0658]
〈川田剛吉編著・漢語字類〉開化用文證‖【作者】川田剛吉作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]石河直之丞(芳潤堂)蔵板。藤岡屋慶治郎(藤岡屋慶次郎・水野慶次郎・松林堂)売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈漢語字類〉開化用文證』。中本一冊。「新年之文」から「金円借用之文」までの三六通の往復文と、その他の見舞い、依頼文など合計四二通の書簡文、「営業願書式」から「盗難届書式」までの一四通の諸願届類、「金円借用証式」から「耕地下作証式」までの八通の証書文例を収める。本文を大字・六行・付訓(所々左訓)で記す。頭書にイロハ引きの漢語集(略注付き)である「漢語字類」を収録する。〔伊藤〕
◆かいかようぶんしょう [0659]
〈漢語日用〉開化用文章〈并証文定則〉‖【作者】新井隆存作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[大阪]中野啓蔵板。【分類】消息科。【概要】異称『〈日用〉開化用文章』『開化文章』。中本一冊。季節の手紙や吉凶事に伴う手紙を主とする漢語用文章で、「年始之文」から「賀生子之文・同こたへ」までの三八通を収録する。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「十二月時候」「十二月異名」や、「出訴期限規則」「代人規則」「証券印税規則早見表」「地所規則」等の諸規則を掲げる。後半には「請取証文」から「建物書入質書式之事」まで二七の証文類書式を集録した「諸証文定則便覧」を合綴する(大字・六行・稀に付訓)。〔小泉〕
◆かいかようぶんしょう [0660]
〈商法必携〉開化用文章‖【作者】華巌作。吉田養斎校。青木致(学軒)書。【年代】明治五年(一八七二)作。明治六年刊。[京都]福井孝助(吉田富春亭・耕文楼)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『開化用文章』。半紙本二巻二冊。書名のように文明開化期の商業を象徴する事柄、特に外国貿易や海外から流入する諸国の舶来品・発明品・機械類、また海外事情などに多くの題材を求めて編んだ異色の用文章。上巻に一〜七月の一四通、下巻に七〜一二月の一八通、合計三二通を収録。いずれも漢語や新語を多用した文章で、しばしば長文の追伸文を付す。上巻の「友人之斬髪を賀する文」「器械見物誘引之文」「電信機にて我店へ申遣す文」「親類之士族より商法問合せに付返事」、また下巻の「牛肉舗を開けるを風聴之文」「澳地利(オーストリア)博覧会に付社友へ遣す文」「諸国物産之問ひに答ふる文」のように新時代を印象づける例文が大半を占める。角書に「商法」と付けるが、商業関連法令ではなく商業知識に終始する内容である。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。上巻巻頭に「活溌鯉魚」の題字と色刷り挿絵を付す。なお、巻末広告に「二編追刻」と記すが未詳。〔小泉〕
◆かいかようぶんしょう [0661]
〈諸証願届〉開化用文章‖【作者】松本直方作。【年代】明治一八年(一八八五)刊。[東京]井上勝五郎(薫志堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始之文」以下三三通の四季消息文例と「注文品問合之文」以下一二通の「端書用文摘要」を収録した用文章。本文を大字・六行・所々付訓(所々左訓)で記す。頭書には、「金子借用之証」など一二通の諸証文例のほか、「請取并請書類」を掲げる。〔小泉〕
◆かいかようぶんしょう [0662]
〈新撰〉開化用文章‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]児玉又七板。【分類】消息科。【概要】異称『用文章』。小本一冊。「新年之文」から「歳暮之文」までの二二通を収録した用文章。漢語を多用した短文の消息文で、紀元節・学校入門など近代的な題材も散見され、文面にも「舶来焼酎」「洋酒」「幸ひ日曜に付」「郵便」「新狂言」など、目新しい文言が含まれる。例文をやや小字・六行・付訓で記し、難解な漢語に左訓を施す。〔小泉〕
◆かいかようぶんしょう [0663]
〈新増日用〉開化用文章‖【作者】楢崎隆存作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[大阪]同盟舎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈改正〉開化用文章』。中本一冊。「新年之文」から「天長節友人を招く文・同回答」までの四六通を収録した用文章。花見・納涼・月見・茸狩・雪見・新嘗祭など四季行事にまつわる例文や、婚姻・出産・入校・出仕・帰郷・病気・死去等の吉凶事に関する例文を主とし、「博覧会見物誘ひの文」「学校建築の文」「洋行する人を送る文」「紀元節畝火山参詣誘ひの文」などの例文も含む。漢語を多用した簡潔な文章で、大字・五行・所々付訓(漢語の多くに左訓)で記す。頭書に「十二月時候文」「十二月異名」と、人称・月異名、その他書簡用語などから成る漢語集を掲げる。〔小泉〕
◇★かいかようぶんしょう [0663-2]
〈端書郵便〉開化用文章‖【作者】児玉弥七作。【年代】明治初年刊。[東京]小田原屋弥七(児玉弥七・大橋堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「新年の祝文」から「約定済之文」までの消息短文五六通を収録した用文章。本文をやや小字・八行(半丁に二通、各例文四行)・所々付訓で記す。また、頭書に日用漢語を集めて略解を施した「漢語和訓」と、各種公用文の書式を示した「諸願証書届文例」を掲げる。なお、本書の改題本に吉田桂之助編・明治二六年(一八九三)刊『〈日用漢語入〉開化用文章』がある。〔小泉〕
★かいかようぶんしょう [0663-3]
〈原田道義編纂・小学習字〉開化用文証‖【作者】原田道義(一醒斎・菅原宗芙)編・序。青木東園(隆・理中)書(本文)。真藤東圃書(頭書)。【年代】明治九年(一八七六)序・刊。[東京]大西庄之助(伊勢屋庄之助・松延堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈小学習字〉開化用文証』『開化用文章』。半紙本一冊。「和漢雅俗ヲ折衷シ、新旧精粗ヲ増損」して農工商の庶民一般に使いやすく、かつ、児童の文字学習等にも有益な「習字作文ノ一書」という要望に応じて編まれた用文章。従来からの「俗語」のイロハ引きで漢語を検索する漢語集「聚語成文」などもっぱら「幼学後進ノ為ニ文通自作ノ書」として著したもので、一種の漢和辞典として常用する意図も込められている。本文は「用文之部」と「証券之部」の二部構成で、前者に「歳旦之祝帖」から「祝年賀之寿詞」までの五六通、後者に「金銀受取之例」から「水陸送状」までの一四通の合計七〇通を収録。本文を大字・五行(「証券之部」は概ね七行)・付訓(漢語の大半に左訓)で記す。頭書には「聚語成文」のほか、「時候之辞」「称呼之部」「尊称」「時期之部」の分類で多くの類語(漢語)を掲出する。〔小泉〕
◇かいかんせんじもん [0664]
開巻千字文‖【作者】仁科勉(士城)作・書・跋。【年代】明治二〇年(一八八七)跋。明治三三年刊。[岡山]石丸勝太郎板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「混沌剖判、天地自成、神人体現、草木初萌…」と始まり、世の中の成り立ちや処世訓全般を説いた『千字文』型教科書。「本邦必須之雅言佳語」を抜粋して大字・四行・楷書で綴った手本用で、天地万物・自然・万民の姿を通じて人倫や生活教訓を諭す。跋文では、本書の一〇〇〇字はわずかな漢字であるが、心を尽くして考え学べばあらゆる漢字に精通できる旨を述べる。本文を楷書・大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かいげんしょう [0665]
快言抄‖【作者】不明。【年代】室町中期作。大永四年(一五二四)書。【分類】古往来。【概要】大本一冊。快言阿闍梨と檀那との間での問答(往復書簡)形式で各種語彙を列挙した古往来。元来は、一カ月往返二通、一年一二カ月で計二四通の構成と思われるが、大永四年本は、九月返状と冬一〇〜一二月往復の合計七通のみを収める。『庭訓往来』†のように消息文中に語彙集団を含むのが特徴で、各月返状中に当代の日常生活にかかわる厖大な類別単語集団、すなわち、九月返状が「以呂波字尽」九四八語、一〇月返状が「分類字尽」一〇四二語、一一月返状が「俗名集」五三二語・「漢籍名」二二語・「その他」一一語、一二月返状が「三十六歌仙等」四〇語・「名所」九三語・「源氏目録」五四語・「歌由緒語」一八九語・「百首題」二九一語・「勅撰集」一三語の合計三〇二一語を収録する。本文を大字・七行・所々付訓で記す。なお、本書のうちの語彙集団のみを抽出して若干の改編を加えたものに『節用残簡』がある。〔石川〕
◆かいこおうらい/ようさんおうらい [0666]
〈新撰〉養蚕往来〈頭書養蚕図絵〉‖【作者】山岡霞川(其月斎)作。曲亭陳人(滝沢馬琴)補。【年代】天保八年(一八三七)刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。また別に[江戸]藤岡屋慶次郎板(嘉永三年(一八五〇)板)等あり。【分類】産業科。【概要】異称『〈天保新板・新製〉養蚕往来』。中本一冊。養蚕の起源や必要性、実際上の知識・心得などを綴った往来。塚田与右衛門作『養蚕秘書』を参酌して編んだものと言われる。まず養蚕の起源として中国・黄帝に始まる故事から、農家の副業として養蚕が一般化した近世の現状までを述べ、続いて、掃立(はきたて)・桑付(くわつけ)などの養蚕手順と基本的な心得を綴る。途中、蚕はまさに「神の虫」であるから養蚕農家は「清浄第一」を旨とすべきであるといった心得を随所に織り込む。また、必要な道具の準備や蚕種の善悪、蚕に害をもたらす毒物、寒暑の注意等々に触れ、最後に養蚕の当たり外れは全て「其身の愚」の故であると戒めて結ぶ。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「衣襲明神」、頭書に「蚕篭作様秘伝」「桑作りやうの事」「種寒水の仕様」などの記事を載せる。〔小泉〕
◆かいさんき [0667]
改算記‖【作者】山田正重(彦右衛門尉)作・序。【年代】万治二年(一六五九)作。天和三年(一六八三)刊。[京都]武村新兵衛(博古堂)板。【分類】理数科。【概要】半紙本四巻合一冊。『塵劫記』†と並んで流布した通俗的な絵入り和算書。『塵劫記』の影響を強く受けるが、随所に改編や教育的配慮が見られ、読者の興味や理解に重点を置いて編むのが特徴。天和三年板は中巻に続けて、「三巻(中の三)」を挿んだ四巻本で、この「三巻」は作者の父が三都での「御普請に交て数度多かりし事共なるを刻渡し」たものの概要を記したものという。上巻に「九九」〜「桶大小積」の二三項、中巻に「正矩術」〜「万高下」一五項、「三巻」に「屋根坪積并ふき板積」〜「石垣組橋之事」四項、下巻に「勾倍延割符」〜「自作(楊枝形裁等)」二九項を載せる。〔小泉〕
◇かいさんちえぐるまたいぜん [0668]
〈諸商売〉改算智恵車大全‖【作者】村上某作・序。【年代】正徳元年(一七一一)刊。[大阪]万屋彦太郎板。【分類】理数科。【概要】異称『〈日本士農工商〉智恵車大全』『諸商売改算記智恵車大全』。半紙本一冊。序に「専初学のためには、偏に八算見一の二法のみを用ひ、士農工商日用の業に便せん事を欲す…」とあるように実用を重視した算法書。まず大数・小数や度量衡単位、九九や算盤等の計算法を示した後、両替商以下各業種別にふさわしい例題(「諸商売近道算術之法」)を掲げ、さらに直角三角形に関する問題(「鈎股弦開平法」)や田制関連の計算法(「地方の算用一まき」)など、合計八五項を図解を交えて解説する。前半部には元禄一〇年(一六九七)刊『広益塵劫記大成』や同一四年刊『〈改算〉古今算法重宝記』の影響が強く見られ、後半部の職業別例題は独自の工夫であったが数学の系統性を欠く結果となった。〔小泉〕
◆かいしぐんむらなづくし [0669]
甲斐四郡村名尽‖【作者】不明。【年代】文久二年(一八六二)刊。[甲府]井筒屋豊兵衛(清泉堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『甲斐国四郡村名尽』。中本一冊。天保六年(一八三五)刊『甲府町名〈并〉四郡村名尽』大本一冊(甲府・藤村屋伝右衛門(温故堂)板)の後半部「四郡村名尽」を抄録した往来。山梨郡(万力筋四九村・栗原筋五五村・中郡二五村・北山筋二一村)、八代郡(大石和筋四三村・小石和筋四三村・中郡筋二八村・西郡筋六村・東河内領五九村)、巨摩郡(中郡筋五〇村・北山筋五八村・辺見筋六三村・武川筋三九村・西郡筋七〇村・西河内領六三村)、都留郡(郡内領一一一村)合計七八三カ村の村名を大字・六行・付訓で記し、それぞれ支配所の管轄や駅宿を記号で示す。見返に甲斐国四郡・九筋・二領の名称と凡例を載せ、巻末に「国中温泉場所(甲府よりの道法を付記)」「御関所(一覧)」を掲げる。〔小泉〕
◆かいしゅんじょう [0670]
〈御家〉改春帖〈上田〉‖【作者】片山素俊(随雙軒・忠倫)書・跋。【年代】安永四年(一七七五)書・刊。[江戸]中村小兵衛ほか板。また別に[江戸]前川六左衛門板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「陽春之御慶不可有尽期候…」で始まる新年祝儀状(披露状)以下二八通を収録した上田流手本。本文を大字・三〜四行・無訓で記す。跋文によれば、本書は小野勝休と福村芳昌の求めによって揮毫したもの。冒頭七通は武家公用の書状(ここまで大字・四行・無訓)で、続けて、茶碗・水指入手の通知や家財借用願い状、船遊び誘引状など諸事にまつわる私用文例を載せる。巻末に詩歌四編を掲げる。なお、素俊は上田素鏡の弟子で、本書のほかに『〈上田〉芳春帖』†を著している。〔小泉〕
◇かいしょおうらい [0671]
会所往来‖【作者】戸田栄治作。【年代】寛政一二年(一八〇〇)頃作。【分類】社会科。【概要】会所での公務に必要な語句や知識、また公務に携わる者の心得を綴った往来。「御公僕御約」を拝命した者は、まず第一に自らを改め、私欲を抱かず、正直によく慎み、法度を遵守することなどを諭し、以下、その任務全般に関する事柄を列挙する。『大阪出版書籍目録』によれば、寛政一二年(一八〇〇)二月に大阪書肆・秋田屋市兵衛が『会所往来・商売往来』の板行を出願したが、同年四月『会所往来』は「公辺に拘はり候文章有之に付、板行相成らずとの趣を以て却下さる」とあるように、未刊に終わった。〔小泉〕
◇かいしょなんこうそうせんひ [0672]
楷書楠公湊川碑‖【作者】若林常猛(快雪)書。【年代】明治三〇年(一八九七)書。明治三一年刊。[東京]近江屋半七(吉川半七)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。楠木正成を讚えた朱舜水の賛辞を手習い手本としたもの。湊川神社の墓碑によるため『湊川碑』と称する。その碑文を楷書・大字・二行・無訓で記す。なお、本書と同様の手本に明治六年(一八七三)刊『楠公湊川帖』†がある。〔小泉〕
◆かいしょひゃくじもん [0673]
〈習字速成〉楷書百字文‖【作者】上田向陽作・書・序。【年代】大正九年(一九二〇)序・刊。[京都]浦西新太郎板。【分類】語彙科。【概要】折本一帖。「各字体ノ結構全ク異リテ、同偏・同傍ノ重複ヲ避ケ、総ジテ文字ノ格法」が全て備わるように漢字一〇〇字を意味の通った四言一〇〇句の文章で認めた陰刻手本。一種の『千字文』型教科書で、全文は次の通り。「修養之銘、天地在道、絶対崇高、霊妙長者、尊厳可知、軽挙暴動、犯虐不悔、荒乱痛恨、飛離残滅、神明敬跪、師事斯習、臨験精解、識則開発、以真為体、瑞気麗象、風韵松声、琴歌奏楽、醇節裕交、破邪顕正、普徳及衆、余光旋畳、起業振展、隆国煌州、永延無窮、就務勿欠」。本文を一折二行(一頁一行)・各行一句ずつ楷書・大字・無訓で認め、巻末に全文の「訓点」(活版)を付す。なお、全く同体裁で草書体の『〈習字速成〉草書百字文』が大正一〇年に刊行されている。〔小泉〕
◆かいしょみょうじしょう [0674]
楷書苗字抄‖【作者】平井義直作・書。【年代】明治七年(一八七四)書・刊。[京都]村上勘兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『苗字鈔』。半紙本一冊。明治五年刊『苗字鈔』†を若干改めた苗字尽。「青江・新井・荒尾・甘糟・粟津・渥美・安藤・茨木…」から「…遠藤・岡部・緒方・尾崎」までの日用俗間の苗字(一二二氏)を五十音順に配列し、これを楷書・大字・三行(原則一行二氏)・無訓の手本用に記す。〔小泉〕
◆かいしょみょうじづくし [0675]
〈小学習字〉楷書苗字尽‖【作者】小泉彰(香巒)書。【年代】明治八年(一八七五)刊。[熊谷]森市三郎(博文堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『苗字尽』。半紙本一冊。一字姓・二字姓の順に代表的な苗字を楷書・大字・二行・無訓で列記した手本。「藪・園・堤・谷・沢・宗・楠・林・森…」から「…秋元・加藤・立入・真継・饗庭・千秋・山県・和田」までの三六〇氏を掲げるが、特に字数以外の配列基準はない。〔小泉〕
◆かいしんようぶん [0676]
〈四海交通〉改進用文‖【作者】三尾重定作。渡辺翠潭書。尾形月耕画。一六居士序。【年代】明治一六年(一八八三)序。明治二一年刊。[東京]富田彦次郎(東崖堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「新宅に人を招く書」を始めとする一〇二通の「日用書類」、および一六通の「諸証書類」を集めた用文章。一応四季・雑混載の形をとるが、「在宿を請ふ書」「目利を頼む書」「急に人を請待する書」など、そのほとんどが事細かな状況に応じた実用的題材で、新年状すら収録していない。本文を大字・六行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。頭書「文林良材」には「歳旦之辞」を始めとする漢文類語および文例一一五通を掲げる。〔母利〕
◆かいせいおんないまがわ [0677]
改正女今川‖【作者】西野古海作。巻菱潭書。狩野良信画。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[鴻巣]長島為一郎(盛化堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈小学習字〉改正女今川』『今川になそらへ女子教訓乃条々』。半紙本一冊。近世流布本『女今川』†をアレンジした明治期改編版の一つ。箇条数はかなり増え、全三三カ条の条々に長文の後文を付す。第一条が「一、琴三弦に身をいれて縫針の道疎なる事」で始まり、以下同様に禁止条項の形で、花美な容態、無益な外出、男子が集まる所での長居、手習いの怠学、人を嘲り侮ること、諌めを無視すること、正直で衰えた者を軽視すること、人の非を言いふらすこと、客への無礼、無礼な挨拶、他人が迷惑する中言、大事を人に語ること、諂う者と親しむこと、父母の恩に反すること、親や同胞を辱めること、夫を軽んずること、自分の親を大事にして舅姑を粗末にすることなどの禁止条項を列記する。近世期の『女今川』と同様の箇条も多い。後文には、女性は生家にあるわずかの期間に学業を励んで、妻・母としての道を学ぶべきこと、心延え優しく正直な友と交わるべきこと、男女同権をはきちがえないこと、心正しく女の道を守る女性は必ず栄えることなどを縷々諭す。本文を大字・四行・無訓で記し、巻末に小字・一〇行・付訓の本文を再録する。〔小泉〕
◆かいせいおんなしょうそくおうらい [0678]
〈小学習字〉改正女消息往来‖【作者】西野古海作。深沢菱潭書。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[鴻巣]長島為一郎板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。近世後期に流布した『女消息往来』†の明治期改編版の一つ。全編一通の女文中に消息に多用する語句を列挙したもの。「夫、消息とは文にて人の安否を尋ね、遠近をいはず音信をなし用便を調整るの基なり…」で始まる本文を大字・四行・無点で記し、巻末に小字・一〇行・付訓の本文を再録する。消息用語の羅列よりも多彩な表現の紹介に重点を置き、まず様々な状況下での手紙の冒頭語をあげ、続いて四季時候の文言、相手方の安否を問う言葉、種々の用件、さらに手紙の結びや書止までを載せる。〔小泉〕
★かいせいきょうとちょうめい/かいせいきょうとまちな [0678-2]
改正京都町名‖【作者】不明。【年代】明治初年刊。[京都]京都中学校蔵板。村上勘兵衛売出。【分類】地理科。【概要】大本一冊。次項と同じ頃に京都で刊行された同一書名の往来だが、別内容。「抑平安城は、四神相応の地、千有余年の帝都にて、家数六万、周廻七里四通、五達の街口は、清蔵口・鞍馬口・大原口・荒神口・粟田口、伏見…」で始まり「…此山川の形、勝に百貨舟車の運送も、日に繁華に向ふへき規模壮大の都城也」で結ぶ文章中に、京都大路・小路、町、寺社、山、川等の地名を大字・三行・無訓で記す。内容・形式ともに、宝永四年(一七〇七)刊『わかみどり』†や文化一二年(一八一五)刊『女用都名所往来』†を模倣したものであろう。なお、巻頭首題上部に「京都中学蔵版」、また見返しに「定価金二朱」の朱印を押す。〔小泉〕
◆かいせいきょうとちょうめい/かいせいきょうとまちな [0679]
改正京都町名‖【作者】平井義直書。【年代】明治八年(一八七五)刊。[京都]京都府蔵板。大黒屋太郎右衛門(京都書籍会社)売出。【分類】地理科。【概要】異称『京都町名』『〈小学下等第三級〉習字帖(京都町名之部)』。半紙本一冊。「大和大路・縄手・建仁寺町・骨屋町・塗師屋町・大国町…」以下、京都竪町・横町の順に明治初年の町名を大字・三行・無訓で列挙した習字手本。前項と書名が同じだが、前項が若干の形容句を伴う一文になっているのに対して、本書は地名を羅列したもので内容は異なる。〔小泉〕
★かいせいくにづくし [0679-2]
〈大日本枝折〉改正国尽‖【作者】西野古海作。深沢菱潭書。【年代】明治五年(一八七二)以降刊。[東京]北畠茂兵衛ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈西野古海著再版〉国つくし』『〈西野古海著再板〉国つくし』。半紙本三巻三冊。明治五年刊『〈大日本枝折〉国つくし』†の改訂版。例えば、明治九年八月に若松県・福島県・磐前県が統合される以前の状況が紹介されているので、明治五年〜九年の間に再刊されたものと思われる。改訂は府県制度の変更や七五調の文体上の推敲に基づくもので、削除・増補・部分的な変更など随所に及ぶ。〔小泉〕
◆かいせいじづくし [0680]
改正字づくし(仮称)‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[大阪]糸屋市兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈改正〉字尽』。半紙本一冊。「七ッいろは」「大日本国尽」「字尽」の三編を合綴した往来。現存本は題簽を欠き原題不明だが、柱に「改正」と記す。『七以呂波万字宝』†の改訂版で、前二者は流布本と同様。また、末尾の「字尽」は着類・魚類・貝類・鳥・獣・諸道具・木・草花の八部毎に語彙を集めた往来である。見返に「二体いろは」、末尾に「五性名頭字尽」を付す。「以呂波」等を大字・五行・付訓(両点)、「字尽」を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かいせいじつごきょう・べんもうとうじきょう [0681]
〈松浦果著〉改正実語教・便蒙当時教‖【作者】松浦果(遅々斎)作・跋。【年代】明治七年(一八七四)刊。[彦根]小川九平(圭章堂)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。近世に極めて流布した『実語教・童子教』†の体裁にならって文明開化期の童蒙心得を記した往来。漢字五字一句のスタイルや文言を模倣しながらも、新時代にふさわしい内容を盛り込む。前半の『改正実語教』は、「天高故不貴、以有神為貴…」で始まる八二句からなり、時勢に応じた学問、すなわち格物究理の説や実学を志すべきことを説く。後半の『便蒙当時教』は、「世界漸々開、交際次第広…」で始まる一六八句で、明治初年における日本国内の状況と国際情勢、皇国民の学問奨励、学制・学区、また小学校の教育課程を中心に中学・大学に至る学問のあらましと心得を述べる。本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◇かいせいしょうがくじんたいもんどう [0682]
改正小学人体問答‖【作者】中里亮作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]和泉屋市兵衛板(明治一一年板)。【分類】理数科。【概要】半紙本一冊。明治八年刊『〈生徒必携〉小学人躰問答』†と同様に、人体の構造や各部の名称・機能など、身体に関する基礎知識を一問一答形式で綴った教科書で、類書がいくつかあるが、本書は「人ハ如何ナル物ナルヤ」から「膚官ハ何ヲ主ルヤ」までの一〇〇問一〇〇答を載せる。巻首に、色刷り銅版画の人体図五葉を掲げる。〔小泉〕
◆かいせいしょうそくおうらい [0683]
改正消息往来‖【作者】西野古海作。深沢菱潭書。狩野良信画。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]榊原友吉蔵板。[鴻巣]長島為一郎売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈西野古海編・巻菱潭書〉改正消息往来』。半紙本一冊。近世流布本にならって編まれた明治期新編『消息往来』の一つ。「夫、書状・消息者、不問公私、達万民日用之要科也。其大略者、柔翰・寸楮・愚毫・蕪牘、啓上・恭啓致、令、仕尊翰・清楮・玉章・貴札・薫誦…」で始まる文章で、自他の書翰の呼称や手紙の冒頭語、時候の言葉、用件に入る際の言葉や四季行事、公務・任免、相続・婚姻・出産、教育・学問、商業・金融、犯罪・訴訟・法令、租税、官吏、交際、旅行・交通・通信、病死・保養、贈答、饗応、礼状、書止までの日常語を列記する。本文を楷書あるいは行書・大字・三行・無訓で記し、巻末に付訓本文(銅版刷一丁)を再録する。〔小泉〕
◆かいせいしょうそくおうらい [0684]
〈黒田習字〉改正消息往来‖【作者】黒田行元作。川瀬益(白巌)書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[京都]石田忠兵衛(文明書楼)ほか板。また別に[京都]須原屋平左衛門(遠藤平左衛門)板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈黒田行元〉改正消息往来』。半紙本一冊。近世流布本『累語文章往来(消息往来)』†の明治期改編版の一つ。冒頭に消息の機能を「自他の書信、要務を通じ、往復贈答其の旨趣を達するの事件」であり、時勢の変遷に伴って「言語、文面」の通用が同じではないことを述べ、以下、書簡の各種称号、一二月時候、安否・慶賀の言葉、官庁・官職名、国内通信、昇進・褒賞関連、日月、交際、社会、芸能、家屋、教育、金融・経済、農事、交通、職務、儀礼、養生、死去その他の語句と手紙に多用する文言を列記する。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かいせいしょうばいおうらい [0685][686]
改正商売往来‖【作者】不明。【年代】明治四年(一八七一)以降刊。刊行者不明。【分類】産業科。【概要】異称『〈改正〉世界商売往来』。半紙本一冊。橋爪貫一作・明治四年刊『世界商売往来(初編)』†の本文のみを抽出して外題替えした往来。本文要語の割注はそのまま残すが、挿絵は全て割愛し、さらに原作者名も隠蔽した海賊版である。本文を大字・五行・付訓(割注は無訓)で記す。なお、本書と同様の往来に明治初年刊『〈真書〉世界商売往来』(刊行者不明)もあり、こちらは本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かいせいしょうばいおうらい [0687]
〈画引新撰〉改正商売往来‖【作者】伴源平作。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[大阪]河内屋忠七(赤志忠七・忠雅堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『画引新撰改正商売往来』『絵引商売往来』『画引商売往来』。小本一冊。『商売往来絵字引』†の増訂版。銅版刷りの和装本で、『絵字引』と同体裁の図解入り本文に、種々の頭書記事を載せる。「凡、商売持扱文字、往復之書翰、日記、註文、受取、端書、物貨之員数、出入計算、目録仕切之覚也…」で始まる本文は、近世流布本『商売往来』†を基本としながらも、通貨・貿易・流通・軍備・日用品(舶来品)・商家児童心得等に近代色や新味を盛り込む。本文を大字・四行・無訓で記し、適宜、『絵字引』同様の図解と割注を挿む。頭書に「商家日用書類(端書・目録・入日記・仕切書・計算書・請取書・送り状・口上書類・証券)」「日用書翰字類」「人倫称呼」「苗字尽」「国立銀行表」「尺度斤量」「日本国郡名産表」等、また巻首・巻末に「勧業博覧盛大之図」「浪花心斎橋通り諸商業隆盛之図」「商家繁昌の図」を掲げる。〔小泉〕
◆★かいせいしょうばいおうらい [0688]
〈習字〉改正商売往来‖【作者】黒田行元作・序。山口松雪書。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[京都]石田忠兵衛(文明書楼)板。また別に[京都]丁子屋栄助板あり。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。文体・文章・語彙ともに近世流布本『商売往来』†とは全く異なる明治期新編『商売往来』。本文は「開港以後の商法は、旧弊事件悉く、払ひ尽して一新し、会社を結び相助け、大事業おも最(いと)易く、成就すべきの時勢なり。先交易の品々は、山動植の諸品あり…」で始まる七五調の美文を大字・五行・付訓で綴る。内容も凡例の通り、商法会社・金石類・米穀野菜・家畜山海鳥獣・衣食器械・兵器類・薬種・海外旅商・山物類・植物類・動物類・工産物類・家什諸具・医術器械・暦法大意など、新語・新知識を満載したものとなっている。巻頭に、色刷り口絵「東之半世界・西之半世界」図を掲げる。〔小泉〕
◆★かいせいしょうばいおうらい [0689]
〈小学習字〉改正商売往来‖【作者】西野古海作。深沢菱潭(巻菱潭)書。狩野良信画。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[鴻巣]長島為一郎(盛化堂)蔵板。[東京]榊原友吉売出。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。明治期新編『商売往来』の一つ。「夫、商売・営業上所用之文字概略者、諸会社・銀行・商社・問屋・仲買・小売、免許・鑑札・資本・株金・積立金。諸帳面者、以記簿法、筆記綿密無相違、日用帳・売物帳・控帳・金銀出入帳・切手帳・送状・船積帳・判取帳・大帳・証文・請取・地券・財産・諸公債・証書・証券・印紙・界紙・郵便・切手・為替・書入…」のように近代商業に不可欠な商取引・商法・貿易・金融関連語彙や、日用物資としての金類・穀類(またその流通売買)・飲食類・家財(和漢洋)・衣類(裁縫・染色)・薬種・鳥獣魚介類の基本語彙を列挙し、最後に商家子弟の心得を簡潔に説いて締め括る。本文を行書・大字・三行・無訓で記し、巻末に楷書・小字・八行(一二行の別本あり)・付訓の本文を再掲する。〔小泉〕
◆かいせいしょうばいおうらい [0690]
〈野田直衛著書〉改正商売往来‖【作者】野田直衛(藻浦)作・書。【年代】明治八年(一八七五)作。明治九年刊。[大阪]中野啓蔵ほか板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。近世流布本とは全く異なる文章で綴った明治期新編『商売往来』。「方今日新之折柄、人々尽心於生産之道、家々用力干活計之術、貿易大開、商業盛行、会社・銀行・問屋・仲買・買出稼之徒、星羅雲布、本舗・支店連戸雑居…」と筆を起こして、まず商業を志す者の心得を述べ、続いて、記憶しておくべき商品名として、宝石類、陶器類、兵器・武具類、薬種・薬品、工具、金属、日用食品・雑貨・文具類、雑穀類、織物・衣類、野菜・果実類、魚介類等の語彙を列挙し、最後に、正直・正路を旨とし、仕入・仕込の時機を図り、郵便・電報・新聞によって相場を的確に把握するなど近代的商法の基本心得で結ぶ。本文を行書・大字・二行・無訓で記し、巻末に本文読法(活版)を再録する。〔小泉〕
◆かいせいしょうばいおうらい [0691]
〈山本温編輯〉改正商売往来‖【作者】山本温作。小笠原寛(香雨)書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[大阪]鹿田静七(松雲堂)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。近世流布本『商売往来』†の明治期改編版の一つ。「凡、商売を盛に営まんとする者は、幼稚の時、先小学に入り、教師に随ひ…」と筆を起こし、商家子弟は小学校で「事物の理」「内外国名」「産物の出処・良書」「物品の名称」などをよく学ぶべきことを説き、三府五港、都市部商業の様相、取引・接客の心得、船舶その他の運送手段、証券・その他商用文書、金融・通貨のあらましを述べた後、金石・武器・農耕具・機織り具・工匠具・布帛織物類・染め物模様・衣類・手回り品・化粧品・文具・器財・家具・穀物・野菜・果実・飲食品・薬種・香具・楽器・禽獣・魚鳥等の名称を列挙する。末尾では商家子弟の心得として、習字・数学・商業の勤学、日常生活における節倹や健康管理、一族の順和・愛憐、朋友との信義、法律遵守、公益重視、報国などを諭す。本文を大字・四行・付訓で記す。巻頭に「商法会議所ノ起源・広益」、巻末に「尺度比較」その他の記事を載せる。〔小泉〕
◆かいせいしょしょくおうらい [0692]
〈黒田行元習字〉改正諸職往来‖【作者】黒田行元作。川瀬白巌(渓山・益)書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[京都]石田忠兵衛(文明書楼)板。【分類】産業科。【概要】異称『〈黒田行元〉改正諸職往来』『〈改正〉諸職往来』。半紙本一冊。近世流布本『諸職往来』†にならって近代諸職業のあらましを紹介した往来。「凡、四民者、建国之基本也。開化諸国者既廃世禄・世官之制、所謂華族・士族者其家柄之階級也…」で始まる文章で、近代社会における官吏・学者・軍人・商業・農業・工業等に関する用語やそれぞれの職務・心得などを綴った往来。本文中「学者」の項では童蒙の学習内容(算術・地理など)に触れるほか、各職業に必要な学問についても随時言及する。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かいせいのうぎょうおうらい [0693]
〈小学習字〉改正農業往来‖【作者】西野古海作。深沢菱潭(巻菱潭)書。狩野良信画。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[鴻巣]長島為一郎(盛化堂)蔵板。[東京]榊原友吉売出。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。明治期新編『農業往来』の一つ。「凡、農家取扱要用之文字概略者、第一官有・民有地、耕地、宅地…」で始まる一文で、土地・農地、農業施設、戸長の任務、穀類・雑穀、農具、肥料、検地、年貢輸送など農業・田制・地方関連の用語を列挙し、後半で、農家子弟男女の必須の学問・技術や、農家の行事・吉凶事、食用の魚鳥・野菜、備荒の心得などに触れる。本文を行書・大字・三行・無訓で綴り、巻末に楷書・小字・一四行・付訓の本文を再録する。〔小泉〕
◆かいせいのうぎょうおうらい [0694]
〈山本温編輯〉改正農業往来‖【作者】山本温作。小笠原寛(香雨)書。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[大阪]鹿田静七(松雲堂)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。江藤弥七作・宝暦一二年(一七六二)刊『農業往来』†の明治期改編版の一つ。刊記に「原著者、江藤弥七」と記すが、本書は宝暦板にかなり手を加えたもので、「夫、農業者、富国の基、生民之本源にして、万物を得る事、此農業より起れる也。故に工商に優れは、勉て励むへし…」と筆を起こし、農耕の基本心得や作物・地味・気候、農作物および耕作法、農具・副業、農政(農務省・農法会議所)、農民の生活心得などを記す。「幼稚のとき師に就て、農学・植物学を学ひて研究し…」などのように、開明的な文言も散見される。本文を大字・四行・付訓で記す。巻末に「土地ニ関ス名称」「租税ニ関ス名称」「高ノ名称」等の基本語彙を列挙するほか、巻頭に「北海道行幸の図」と「耕作風景図」を掲げる。〔小泉〕
◆★かいせいみょうじづくし [0695]
改正苗字尽‖【作者】西野古海作。深沢菱潭(巻菱潭)書。狩野良信画。【年代】明治一三年(一八八〇)書・刊。[東京]榊原友吉板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈改正〉苗字尽』。半紙本一冊。「園・藪・堤・堀・関」から「万里小路(までのこうじ)・武者小路・勘解由小路(かでのこうじ)」までの苗字を漢字の字数の少ない順(一字名・二字名…)に列挙した教科書。楷書・大字・二行・無訓の手本用に綴り、巻末に小字・一一行・付訓の本文を再録する。採録語彙は異なるが同年刊『〈改正〉苗字尽』†と同様の教科書である。〔小泉〕
◇かいせいようぶんしょう [0696]
〈早道〉改正用文章‖【作者】鈴木忠侯(青羊)作。【年代】寛政二年(一七九〇)作・刊。[江戸]遠州屋清右衛門(小酉堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈男女早道〉改正用文章』。半紙本一冊。各月の往復消息文(「年始の文」以下二四通)と、「雑章の部」として「移徙(わたまし)の文」「元服の文」「出産の文」「振舞の文」「餞別(はなむけ)の文」五通を載せた用文章。前付に「嵯峨天皇」「空海」「光明皇后」「皇后嘉智子」「文房四友」等、頭書に「太刀折紙上中下式法」「男女目録認めやう」「おんな用文章(四季に伴う消息二五通)」「ちらし書文章(一四通)」「万書状ふふじ方」を掲げる。本書の改題・改刻本に寛政八年刊『状文章』†がある。〔小泉〕
◆かいせきおうらい [0697]
会席往来‖【作者】不明。【年代】室町中期作。天正八年(一五八〇)書。【分類】古往来。【概要】巻子本二巻二軸。謙堂文庫本が唯一の伝本。連歌の催しに関する応答文六通から成る古往来。上巻は「連歌の会席に出席を乞う状」「出席を伝える状」「歳暮見舞状」の三通、下巻は「来客に際しての合力への礼状」「係争の解決を知らせる状」「無沙汰を侘びる見舞状」の三通で、行書体・一行約五字・無訓で綴る。〔石川〕
◆かいせんしょうそくおうらい [0698]
〈御家〉改撰消息往来‖【作者】川関惟充(庄助・川関楼琴山)作。橘正敬書。【年代】享和二年(一八〇二)書・刊。[江戸]須原屋市兵衛板。また別に[江戸]鶴屋喜右衛門ほか板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】大本一冊。近世流布本『累語文章往来(消息往来)』†に約五〇〇字相当の語彙を増補したほか、随所で文言を改めた往来。「凡、消息者、音信・贈答・安否を通、近所・遠国・長途、不限何事、人間万端を達之基也。書状・案文・手紙取扱之文字、一筆啓上仕、致啓達、令啓之類…」で始まる文章で、端作、時候、安否その他、手紙に多用する語句を、ほぼ手紙の文面に即した順序で列挙する。特に武家関連の語彙や、使者・使札、病名・治療法等に関する語句に増補が見られる。本文を大字・五行・付訓で綴り、所々「上」「中」「下」と細書きして待遇表現の相違を示すのは独特。また、巻頭二丁に書札礼の基本を簡潔にまとめる。本書の改訂版に文政三年(一八二〇)刊『文章往来』†がや天保三年(一八三二)刊『〈御家流・平仮名附〉消息往来』などがあるほか、本書から派生した文化六年(一八〇九)刊『〈新撰増字〉消息往来』†や文政六年刊『〈増字〉消息往来』†など一連の『増字消息往来』も普及した。〔小泉〕
◆かいだいようぶんしょう [0699]
〈万家通用〉海内用文章‖【作者】西川竜章堂作(遺稿)。小川保麿補・書・序。【年代】天保八年(一八三七)序。天保一〇年刊。[大阪]秋田屋市兵衛板(『大阪出版書籍目録』)。また別に[京都]升屋勘兵衛板(弘化四年(一八四七)板)。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。天保八年刊『年中用文章』†と同様に、原作者・西川竜章堂の絶筆により門下・小川保麿が補って完成させた用文章。跋文によれば前半約三分の一が竜章堂の遺筆で、『年中用文章』とともに追善的な出版だったと思われる。「年頭祝儀状」から「披露状」までの全一三二通を収録し、町人生活に必要な基本例文を網羅する。年始状は尊卑・上中下別の例文のほかに「得意え遣す文」「節祝に招状」「年賀祝儀状」など往復合わせて九通も載せる一方、他の例文では同輩用の日常生活中心の文面のみとするなど、実用性を重視した構成になっている。前半は四季折々の祝儀状・挨拶状や誘引・贈答などの手紙、中程は発注・受注、依頼・催促など商取引の書状、さらに婚礼・出産・袴着・寺入・元服等の通過儀礼や死去・養子・家督相続など一生に関わる例文を列挙し、末尾に吉凶事やその他諸事に伴う例文を載せる。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かいちゅうあんもん [0700]
〈諸人日用〉懐中案文‖【作者】山田屋佐助(文会堂)作・序。青木臨泉堂書・跋。【年代】文政三年(一八二〇)序・刊。[江戸]山田屋佐助板。【分類】消息科・地理科。【概要】小本一冊。『〈諸人日要〉一寸案文』(初編)†や『〈和漢故事〉一寸案文』(続編)†に続く第三編として編まれた用文章。「種々の雅字・俗字・世話字を集て文章をおもしろく綴」ったものという。『一寸案文』同様に、いずれも「一寸申上候」で始まる略式・短文の俗用文が中心で、「正月恵方参文」以下月々の趣向(参詣・行楽等の年中行事)を題材にした例文や庶民日常の諸用件・雑事を主とした例文五五通を載せる。例えば「参宮する人へ遣す文」では、餞別に文化七年(一八一〇)刊『旅行用心集』や「朽木草鞋」「中田肉刺薬(まめぐすり)」を贈る文面になっているように、小文ながら当時の庶民生活や風俗を反映したものが多い。本文を大字・五行・所々付訓で記す。末尾の「名所山づくし」は、真乳山・飛鳥山・道灌山・御殿山など江戸周辺の名山の名前を七五調の文章で列挙した地理科往来である。〔小泉〕
◆かいちゅうさくぶんじざい [0701]
懐中作文自在‖【作者】辻本信太郎作。田中正応・伴柳北書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[京都]辻本定二郎(尚書堂)板。【分類】消息科。【概要】小本一冊。「年賀之文」以下四四通の消息文例を収めた用文章。四季に伴う消息文を基本に、近火見舞い・火災見舞い・造幣局見学・著者校正依頼など種々の用件についての手紙を鏤める。本文を大字・五行・付訓で記し、文例毎に要語の略注(割注形式)を施す。頭書に月の異名や自他の居所、手紙の異称など様々な異名を集める。また、巻頭口絵・目次など数葉の銅版刷りを付す。〔小泉〕
◆かいちゅうてがたしょうもんしゅう [0702]
〈新板改正〉懐中手形証文集‖【作者】不明。【年代】文久(一八六一〜六四)頃刊。[江戸]吉田屋三次郎ほか板。また別に[江戸]角屋吉右衛門板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈新板改正〉懐中書翰手形案文集』。中本一冊。本文を上下二段に分かち、「御関所手形」「差上申一札之事」「奉公人請状之事」「りゑん状」など八状の証文類を収録した三丁の小冊子。本文を概ね小字・一〇行・所々付訓で記す。刷外題の表紙に「諸国御関所」を掲げる。〔小泉〕
◇かいちゅうてがたしょうもんしゅう [0703]
〈新板改正〉懐中手形証文集‖【作者】不明。【年代】文久(一八六一〜六四)頃刊。[江戸]吉田屋三次郎板(表紙に江戸・菊水屋忠蔵板と記す)。また別に[江戸]角屋吉右衛門板、[江戸]菊水屋忠蔵(文聚堂)板あり。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「差上申一札之事」から「書状請取手形」まで一三状の証文類を収録した小冊子の用文章。頭書に「商売往来」「十二ケ月の異名」「礼証文之事」を収める。〔小泉〕
◆かいちゅうてがたしょうもんしゅう [0704]
〈年中重宝〉懐中手形証文集‖【作者】不明。【年代】弘化三年(一八四六)頃刊。[江戸]梅屋半兵衛(柳動堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。本文を上下二段に分かち、「関所御手形」「養子証文之事」「奉公人請状」などから「りゑん状」まで一四状の証文類の文例を収録した用文章。本文を小字・一三行・ほとんど付訓で記す。表紙とも四丁の小冊子で、表紙に「〈諸国〉御関所御番」を掲げる。本書は弘化三年刊『町々いろは分独案内』ほかと合綴されている。〔小泉〕
◆かいちゅうてがみあんもんしゅう [0705]
〈新板改正〉懐中手紙案文集‖【作者】不明。【年代】文久(一八六一〜六四)頃刊。[江戸]角屋吉右衛門板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。消息文例と証文類文例を織り混ぜて編んだ簡易な用文章。本文を上下二段に分かち、上段に「年始状」から「医者断之状」までの七通、また下段に「店開に遣す状」から「安産之悦に遣す状」までの八通、合計一五通を収録した三丁の小冊子。本文をやや小字・九行・所々付訓で記す。刷外題の表紙に「上中下文言の次第」を掲げる。〔小泉〕
★かいちゅうてがみあんもんしゅう [0705-2]
〈新板改正〉懐中手紙案文集‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]美濃屋千八(千寿堂)板、また別に[江戸]菊水屋忠蔵板あり。【分類】消息科。【概要】中本一冊。前項と同様の簡易な用文章だが別内容の往来。表紙に「上中下文言の次第」を四段書きで掲げ、「年始状」〜「家造作悦状」までの二二通を収録する。本文はやや小字・七行・付訓。頭書に「消息集(消息往来)」を掲げる。なお、本書に「一筆啓上」の題簽のある外表紙を付けたもの(菊水屋板)もある。〔小泉〕
◆かいづおうらい [0706]
海津往来‖【作者】小義喬作・書。【年代】寛延四年(一七五一)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。信州埴科郡松代(海津・貝津)地方の沿革や地理を記した往来。「抑南膽部州大日本信陽埴科郡縣壮松井郷藤沢里松代海津者、往昔清野殿屋敷にて、天文六年未八月武田晴信公に属し…」と起筆して、天文(一五三二〜五五)以後当代に及ぶ統治の歴史、松代藩政下における寺社の造営とその縁起、聖道と国土富饒、名産品・名所、藩内諸郡と隣接諸藩、文武に励む藩士の気風、和漢古今名筆と入木道奨励までを述べる。寛延四年写本(謙堂文庫蔵)は本文を大字・五行・無訓で記す。本書の異本として、本文冒頭部の統治の歴史を箇条書きに並べ、さらに文化・文政(一八〇四〜二九)頃までの沿革を増補した文政九年写本『海津往来』(謙堂文庫蔵)もある。〔小泉〕
◇かいづくし [0707]
貝尽‖【作者】市川くめ書か。【年代】文化一一年(一八一四)書か。【分類】女子用。【概要】「今日は大汐にて浦々浜辺を伝へまいらせ候へば、小貝品々拾いまいらせ候。先、初春の霞貝、籬か島の梅の花貝、桜貝、千艸の貝やさまに、色を染るを錦貝、藤浪よする紫貝…」で始まる一通の女文で二二の貝の名称を紹介した往来。本書は「武の家」「子供異見」「堀内詣」「矢口詣」「大和廻」「孝行種」「徒往来」などとともに駿河台住の市川くめ女が習ったもので、その一つに「湯島稽古所」の記載があるという。重写本に、原本を教育図書館旧蔵とするが所在は不明。〔小泉〕
◆かいのくにちょうそんめいづくし [0708]
甲斐国町村名尽‖【作者】東浦栄次郎編。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[甲府]東浦栄次郎蔵板。徴古堂売出。【分類】地理科。【概要】中本一冊。旧甲斐国の町村名を西山梨郡・東山梨郡・西八代郡・東八代郡・南巨摩郡・中巨摩郡・北巨摩郡・南都留郡・北都留郡の順に楷書で列挙したもの。本文を楷書・小字・八行・ほとんど付訓で記す。各郡毎に町村の総数と戸数を掲げ、また郵便局や駅の所在を△印や○印で付し、さらに各村毎に本庁からの距離などを示す。〔小泉〕
◆かいぶんきんじししょう [0709]
回文錦字詩抄‖【作者】高井蘭山注・書。高井伴恭跋。花屋久治郎(星運堂)序。【年代】享和二年(一八〇二)序・刊。[江戸]花屋久治郎板。【分類】社会科。【概要】異称『錦字詩』。半紙本一冊。先に出版した『野馬台詩国字抄』†が好評であったため、板元の要望によって蘭山が『回文詩』に同様の施注を試みたもの。『回文詩』は晋の蘇(若蘭)が北辺警備で何年も帰らぬ夫に対して夫への恋慕の情を詠んで贈った詩で、その字句を錦に縦横に複雑に織り込んであったために『織錦回文詩(しょくきんかいぶんのし)』とも呼ばれる。巻頭に読法を示し、続いて、全七言四〇句の詩文を二句ずつ大字(半丁六行大)で掲げ割注を施す。〔小泉〕
◆かいほうしょうそくおうらい [0710]
〈真艸両点・註釈附〉懐宝消息往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[金沢か]刊行者不明。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊(版面は中本サイズ)。『大全消息往来』†とほぼ同内容。「消息往来」「消息往来講釈」「続消息往来」を合綴した往来。金沢板の合本科往来(例えば安政頃刊『合書往来』†)と体裁が酷似するため金沢板と思われる。「消息往来」と「続消息往来」は行書・楷書の二体で綴り、さらに音訓を添える。また、巻頭に士農工商図や鶴亀・松竹梅の図を掲げるのも『合書往来』と同様である。〔小泉〕
◆かいほうどうじおうらい [0711]
〈頭書絵入〉懐宝童子往来‖【作者】不明。【年代】天保一三年(一八四二)刊。[大阪]秋田屋太右衛門板。また別に[大阪]河内屋真七板(後印)あり。【分類】合本科。【概要】異称『〈頭書絵入〉大全新童子往来』。中本一冊。天保八年刊『大全童子往来百家通』†(大本)中から抄録(一部増補もある)した携帯用の往来。本文に「商売往来」「実語教・童子教」「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「庭訓往来」を収め、それぞれ大字・六行・付訓で記す。前付に「士農工商之図」「和漢名筆略伝之図」、頭書に「寺子教訓書」「大日本国尽」「小野篁歌字尽」「諸職往来」「曽我状・同返状」「木曽願書」「雲上地下百宮」「御成敗式目」「天神教訓状」を掲げる。〔小泉〕
◆かいほうにちようぶん [0712]
〈鼇頭漢語〉懐宝日用文‖【作者】乙葉宗兵衛作。【年代】明治一二年(一八七九)序・刊。[京都]菊屋七郎兵衛(今井七郎兵衛)蔵板。須磨勘兵衛ほか売出。【分類】消息科。【概要】小本一冊。イロハ引き漢語集と漢語用文章を合わせた銅版刷りの用文章。本文には「年始之文」から「間違物申遣文」までの合計六五題、往復一三〇通の例文を載せる。ほぼ四季の手紙、吉凶事に伴う手紙、諸用件の手紙の順に配列し、各例文は簡潔を旨とする。七行・付訓(漢語の大半に左訓)で記し、さらに例文毎に関連語や類語などを掲出して割注を施す。頭書には「書状端作」「返翰端作」「結尾」等の書簡用語と、漢字と二字熟語をイロハ順に集録した「漢語以呂波字引」を掲げる。〔小泉〕
◆かいほうようぶんちござくら [0713]
〈通俗書法・入学大成〉海宝用文児桜‖【作者】藤田為右衛門(弘明)作・書。復初序。【年代】享保(一七一六〜三六)頃刊。[京都]池田屋七兵衛(海運館・黒石七兵衛)ほか板(安永七年(一七七八)求板)。【分類】消息科。【概要】異称『用文章』。大本一冊。新年祝儀状から馳走招待状までの六二通を収録した用文章。多くは日付・書止のない例文を連ねたもので、五節句祝儀状や四季行事、また慶事・凶事にまつわる手紙、贈答・貸借・取引その他、武家の公私にわたる書状から成り、いずれも大字・四行・付訓で綴る。前付に「児桜由来」「武州浅草観世音」「武州飛鳥山」「王子稲荷」の図、頭書に江戸の名所案内たる「御江戸名所鑑」や、「当代書法之大概」「目録認様法式」「銭曲物の上書認様之法」などの記事を載せる。〔小泉〕
◆かいめいしょうがくせんじもん [0714]
開明小学千字文‖【作者】大島東陽(信・尭田)作・書・序。【年代】明治一一年(一八七八)序・刊。[東京]出雲寺万次郎(松栢堂)板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。明治維新後の発展する日本社会の様子と、主として当時の社会生活に必要な語彙を『千字文』形式で綴ったもの。「王政復古、万機統御、版図奉還、廃藩置県、旧習先除、門閥断止…」とまず維新後の変化を象徴する語句を掲げ、政体・行政・国土・外交・貿易・産業・交通・通信・報道・公安・福祉・教育・学問・余暇・交際・衣類・家財・金石・飲食・魚類・野菜・食物・園芸・花卉・草木・鳥獣・人間生活(行為)等に関する語句を列挙する。本文を草書・大字・三行・無訓で記し、各漢字の左側に楷書を小字で示す。また、巻末に音・訓(両点)付きの本文(楷書・小字・一四行)を再録する。〔小泉〕
◆かいめいしょうばいおうらい [0715]
開明商売往来‖【作者】吉田庸徳作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]大崎正板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。近世流布本『商売往来』†と同様の文章形式で綴るが所収語彙を一新した明治期改編版の一つ。「凡、商売、取扱ふ文字は、其数多けれど、日々入用の、荒増は、取遣・日記、来る人に、挨拶や応対、饗応丁寧に、己を利さば人も利し…」で始まるほぼ七五調の文章で綴る。日用の帳簿・書類に続けて、明治初年の通貨制度、度量衡単位、船舶類および国旗、諸機械、貿易品(織物・衣類・装身具等・日用品)、穀類、野菜、果物、料理、食料品、調味料、酒類、調理用具、食器、家財、調度品、文具、照明具等、兵器、武具、工具、金石、薬剤、動力車、鉄道、通信、発明品、草木、禽獣、魚貝類等の語句を順々に列挙し、末尾で商取引上の心得や、商家子弟の学芸、商人道得全般について触れる。本文を大字・四行・付訓(稀に左訓)で記し、稀に匡郭外に頭注を施す。〔小泉〕
◇かいめいせんじもん [0716]
開明千字文‖【作者】佐治次太郎(召南・梅坡・穉松・東嶺)作・跋。南摩綱紀(羽峯・環碧楼・士張)校・跋。佐瀬得所(松城・梅竜書屋)書。【年代】明治一〇年(一八七七)跋・刊。[東京]佐瀬得所(梅竜書屋)板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈楷書〉開明千字文』。縦長本一冊。古代から明治初年までの歴史を『千字文』形式で綴った陰刻手本。「旭紅昏黄、輿地鴻荒、奠鼎橿原、威徳振張…」と神武天皇以来の歴史から書き始め、古代政治、神功皇后の三韓征討、仏教伝来、仁徳天皇の仁政、聖武天皇の東大寺建立、また中世における武家政治の成立・展開、織豊時代の天下統一、徳川時代など政治史中心に述べ、続く後半部で、幕末動乱期の尊皇攘夷の動き、さらに大政奉還、明治政府樹立後の近代社会の諸相を述べて締め括る。本文を楷書・大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◇かいめいせんじもん [0717]
〈高等小学習字〉開明千字文‖【作者】千葉忠三郎作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一六年(一八八三)書。明治一七年刊。[沼津]荒川源助板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。神国日本の風俗と近代日本の国情や国民生活、物産等について述べた『千字文』型教科書。「日本神国、万世一系、皇帝后妃、親王華族…」と始まり、日本の人倫・風俗、行政諸官省、教育、産業、国土、貿易、治安、経済、文物、物産、慶賀等の語句を書き連ねる。本文を楷書・大字・四行・無訓で記し、巻末に本文の読法を示した「開明千字文訓点」を付す。〔小泉〕
◆かいめいようぶんしょう [0718]
〈漢語辨解〉開明用文章‖【作者】友鳴吉兵衛作。【年代】明治七年(一八七四)刊。[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛・宝文堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。漢語を多用した消息を収録した用文章で、「四季之部」と「雑之部」の二部に分けて例文を掲げる。「四季之部」は季節に伴う手紙を主とし、「歳甫慶賀の文」以下三一通を、また「雑之部」には諸用件の手紙を種々載せ、「結会社之文」以下三二通をそれぞれ収録する。特に後者は会社、同盟、留学、洋書翻訳、新聞、広告など近代社会生活上の例文が多い。例文をいずれも行草体・大字・五行・付訓で記し、漢語に左訓を施す。巻頭の目次部分にのみ頭書を配し、自他の書状・居所等の尊称・呼称を集めた「異名類」を掲げる。〔小泉〕
◆かいりょうまんつうようぶん [0719]
改良万通用文‖【作者】長谷川義正編。【年代】明治二八年(一八九五)刊。[東京]高橋源助(芳潤堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈改良〉万通用文』。中本一冊。明治一八年刊『〈開化小学〉万通用文』†(高木弘平作)の増補・改訂版。消息と諸証文類の文例を若干増補し、前半に「年始ノ文」〜「集会不参断文」の三八通、後半「諸願届証文書例」に「出生届」〜「荷物送り状」の三五例を収録する。本文を大字・五行(証書類は八行)・付訓(漢語に左訓)で記す。『〈開化小学〉万通用文』とは異なり、全丁に頭書を設け、消息文に多用する語句を「年始」「春ノ部」「称呼ノ部」など二六部に類聚した「用文類語」を始め、日本全国の主要地名を国別に列挙した「皇国郡名」を掲げる。〔小泉〕
◆かいりょうようぶん [0720]
〈新撰普通〉改良用文‖【作者】益永晃雲作・序。青木東園書。【年代】明治一七年(一八八四)序。明治一八年刊。[大阪]小山亀松ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『新撰普通改良用文』。半紙本一冊。漢語・俗語のいずれにも片寄らない人民通用の消息文例を集めた用文章。「文章之部」「諸届之部」「金穀並諸品証書之部」の三部から構成され、それぞれ「年甫之状」以下七五通、「出生届」以下八通、「借用金証文」以下三〇通を収録する。本文を行書・大字・五行・付訓(稀に左訓)、また、届書以下の公用文を楷書・やや小字・一〇行・付訓(稀に左訓)で記す。頭書には、イロハ順に漢語を集めて音訓を付けた「漢語字類」や「〈改正〉証券印税規則心得」「民事訴訟用印紙規則」を載せる。〔小泉〕
◇かいれきじょう [0721]
〈百瀬〉改暦帖‖【作者】百瀬耕元書。【年代】寛政八年(一七九六)書・刊。[江戸]三崎屋清吉(文栄堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈再刻〉改暦帖』。大本一冊。百瀬流の書道手本の一つ。披露状形式の書状が多い武家用文章で、新年状から歳暮祝儀状までの一八通を収録する。将軍からの拝領品に対する礼状や将軍家に対する各種祝儀状や献上に伴う書状、また叙爵・転任など公務に伴う書状などから成る。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かいれきようぶん [0722]
〈湯浅忠良著〉改暦用文‖【作者】湯浅忠良作。日比野綱雄書。【年代】明治七年(一七七四)刊。[名古屋]永楽屋東四郎(片野東四郎・東壁堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。下巻のみ存。下巻には七〜一二月の往復一二通の例文を載せるから、全二四通から成る用文章であろう。四季行事の手紙を月次順に並べ、所々に用件中心の手紙を挟む。ちなみに下巻には「荷物送状」「書籍借用之文」「月見案内之文」「菊見誘引之文」「注文状」「歳末祝儀状」の六題の文例(往復)を収録し、例えば一一月返状には「今般御注文の舶来メリヤス器械、同縫ミシンとも二十具、その余、羅紗ブランケツト、初新渡小間物取交、別紙目録の通取揃、郵便・蒸気船…」のように新鮮味を強調した例文も見える。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、下巻巻末に「新暦時候認方」を掲げるが、これは書名と同様に前年の新暦採用に伴う変化に着目しての記事である。〔小泉〕
◆かうんようじょうくん [0723]
家運養生訓‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。『子供早学問(童子早学問)』†の改編・改題本の一つ。表紙とも四丁の小冊子。第一条(ただし、本書では一つ書きはしていない)「親孝行は教へのはじまり」から第四〇条「善人は五常の清かんな」までの箇条書きの俚諺を載せる。説くところの教訓は『子供早学問』と大同小異だが、文言や収録順序の異同は大きい。本文をやや小字・八行・付訓で記す。巻末に本書に独自の教訓歌(「はら立ず心直に正直に、邪なきを神道といふ」以下六首)を掲げる。〔小泉〕
◆かえいしょうばいおうらい [0724]
〈嘉永新刻・頭書講釈〉嘉永商売往来‖【作者】不明。【年代】嘉永(一八四八〜五四)頃刊。[伊勢]山本正左衛門板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。堀流水軒作の近世流布本『商売往来』†の本文を大字・五行・付訓で記し、頭書に「商売往来講釈」を載せた往来。この「講釈」は、まず『商売往来』の概要を述べ、続いて、本文中の要語・要句を大字で掲げ、細注を施したものである。『商売往来』の注釈書自体は多いが、本書は田舎板なのが珍しい。〔小泉〕
◆かえいようぶんしょう [0725]
嘉永用文章‖【作者】山崎道紀作。梁田鳥水書。長谷川実信画。【年代】嘉永(一八四八〜五三)頃刊。[大阪]綿屋喜兵衛(和多屋喜兵衛・前田喜兵衛・金随堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『用文章』。半紙本一冊。同題だが次項とは異なる。享和三年(一八〇三)刊『享和用文章』†の改題本。同書の扉を見返に移動させて書名を『嘉永用文章』と改刻し、さらに目次を一新して頭書に実信画の「年頭御礼之図/上巳雛祭之図」「端午祝賦(くばり)之体/暑気見舞/寺子屋七夕祭」など六図を掲げたほか、柱を改めた。「貴人え差上る年始状」から「筆学之人へ遣文言・同返事」まで三三通の消息文例を収録する。五節句祝儀状・吉凶事に伴う書状、用件中心の書状などから成る。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「商売往来」「手形証文認方(一三通)」「国尽かな文」「試筆(詩歌)」を掲げる。また、刊記(嘉永元年板『合書童子訓』の流用)部分に「潮時盈虚」を掲げる。〔小泉〕
◆かえいようぶんしょう [0726]
〈嘉永新刻〉嘉永用文章‖【作者】三松館書。松川半山画。【年代】嘉永二年(一八四九)刊。[大阪]秋田屋太右衛門板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。同題だが前項とは別本。天保一二年(一八四一)刊『書状手習鑑』†の改編・改題本。各例文や頭書等に種々の校訂を加えて一見別本のように見せかけるが、文面の若干の変化を除けばほぼ同様である。「年頭祝詞状」から「湯治見舞状」までの消息文例四三通を収録し、本文を大字・六行・付訓で記す。頭書に「いろは字原」「書初詩歌」「大日本国尽」「百官名尽」「男女五性相性名頭字」「七夕詩歌」「扁冠字尽」「書札端作法」「竪文・横文・封文之次第」「書状認様」「歳月五節」「親族異名」「寺子教訓書」「義経腰越状」を載せる。〔小泉〕
◆かおういせものがたり [0727]
〈増補絵抄〉花王伊勢物語‖【作者】長谷川千四作。長谷川光信(永春・庄蔵・松翠軒・柳翠軒・梅峯軒)画。【年代】享保六年(一七二一)刊。[大阪]雁金屋庄左衛門板。また別に[大阪]安井嘉兵衛板(元文三年(一七三八)板)あり。【分類】女子用。【概要】大本一冊。『伊勢物語』を本文に据え、多くの挿絵を配置し、さらに巻首や頭書に種々の記事を盛り込んだ往来物。『伊勢物語』本文をやや小字・一一行・無訓で記し、所々に細字の略注を付す。また、本文の各場面を描いた挿絵(大和絵)二〇数葉を掲げる。巻頭に平安貴族の風俗画や「春日明神」「三輪明神」「琴由来」「婚礼道具」、また頭書に「小笠原流折形図」「婦人嗜種并貝合和歌読法」「六歌仙」「大和物語抜書」「百性いとなみ種」「女中髪の結い様」「五節句之次第」「大和言葉」「硯・筆・墨因縁」「女中身嗜之次第」「鳥の字づくし」「立花指南抄」等の記事を載せるが、これらは先行諸書の往来物類の模倣と思われる。なお、本書の改題・改訂本である『伊勢物語女訓大全』(一冊)、『伊勢物語教訓文』(二冊)の二種が宝暦一三年(一七六三)、大阪・升屋大蔵(渋川大蔵)により刊行されている。〔小泉〕
◆かがおうらい [0728]
加賀往来‖【作者】孫三郎書。【年代】嘉永七年(一八五四)書。【分類】地理科。【概要】「新春之御慶賀千鶴万亀重畳目出度、向御在城申納候…」で始まり「…其品多難宣紙筆、仍略之。穴賢」と結ぶ一通の新年祝儀状風の文章で、加賀地方の物産や国情などを記した往来。まず、当国がめでたく治まっていることを祝し、続いて「御分国服飾・名物は加賀絹・黒梅染・流手綱・象眼・鐙・大小鼓之革・白根之菊酒、犀川之鮭・浅野川之鮒…」のように地名毎に名物を列記し、最後に諸国・異国との流通・貿易、領内の経済繁栄の様子、学芸の盛行などに言及する。本書は文化(一八〇四〜一八)以前作『〈加越能〉名物往来』†と明らかな関連があるが、筆者年代等から本書はその増補版と考えられる。原本は教育図書館旧蔵という。〔小泉〕
◆かがみぐさ [0729]
鑑草‖【作者】中江藤樹作。【年代】正保四年(一六四七)刊。[京都]風月宗知(庄左衛門初世・風月堂・沢田氏)板。【分類】女子用。【概要】大本六巻六冊。説話の大半を明の顔茂猷編『迪吉録』に取材し、また、李氏朝鮮世宗一四年(一四三二)刊『三綱行実図』や『劉向列女伝』†等から抄出した説話を引きながら、因果応報の道理を平易に説いた仮名書きの女訓書。幸福の源泉を「明徳・仏性」に求め、この「明徳・仏性」の修業の鑑として、巻一「孝逆之報」、巻二「守節背夫報」、巻三「不嫉妬毒報」、巻四「教子報」、巻五「慈残報・仁虐報」、巻六「淑睦報・廉貪報」の八報について述べる。孝行と不孝の因果論や舅姑への孝、夫への貞節、嫉妬の戒め、明徳・仏性教育、継子への愛、下僕への憐愍、姑・小姑との和睦などについて儒仏両面から平易に説く。いずれも最初に総説を掲げ、続いて、適宜評言を加え、中国先賢等の略伝を多数紹介する。本文をやや小字・一一行・付訓で記す。本書は、正保四年板を最初として、万治二年(一六五九)板・寛文九年(一六六九)板・延宝三年(一六七五)板・天明元年(一七八一)板・寛政元年(一七八九)板と版を重ね、天和(一六八一〜八三)頃からは絵入り本も普及した。また、本書を抄訳した元禄七年(一六九四)刊『女教訓文章』†、享保一四年(一七二九)刊『女家訓』†およびその改編本である安永一〇年(一七八一)刊『本心近道真一文字』†など、本書の影響下に生まれた往来物もいくつか登場した。〔小泉〕
◆かがみぶくろ [0730]
鏡袋‖【作者】松崎蘭谷(梅処翁)作。松崎保之編・跋。松崎知之書。三上休復(竜山・徳彦)序。橋本経亮(橘経亮・橘窓・梅窓・香圃・香菓)跋。原在正画。【年代】享保一三年(一七二八)以前作。宝暦一〇年(一七六〇)書。文化元年(一八〇四)跋・刊。[京都]梶川七郎兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。女性が常に持ち歩く鏡のように「心のそゝけたる所を見るかゝみ」として、蘭谷が子孫女性のために著した教訓書。蘭谷の自筆草稿をもとに知之(蘭谷の子か)が筆写し、さらに保之(蘭谷の曾孫)によって上梓されるに至った。内容は長短合わせた二九章からなり、まず女子三従・女子の業・貞順・胎教・内助について述べ、さらに和漢の故事・金言・人物伝等を引きつつ貞節・孝養を説く。前半で女性の基本的な心構えを述べ、後半では実在の人物伝などにその範を求めるという構成になっている。本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。なお、撰作年代を「享保申のとし」と記すが、これは享保元年または享保一三年のいずれかになる。〔小泉〕
◇★かくじゅようぶんしょう [0731]
〈御家〉鶴寿用文章‖【作者】内山松陰堂書。【年代】天保三年(一八三二)刊。[江戸]西村屋与八板。また別に[江戸]鶴屋喜右衛門板(慶応四年(一八六八)再刊)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈頭書手形証文〉鶴寿用文章』。中本一冊。「年頭披露状」から「隠居勧文」までの四九通を収録した用文章。大半が往復文で、前半に五節句の文、後半に出産祝い・疱瘡見舞い・元服祝い・養子祝い・婚礼祝いなどの例文を載せる。頭書に「吉書始詩歌」「五性名頭字」「日本国尽」のほか、書簡作法や証文文例等を掲げる。〔小泉〕
◆かくしょうぶんれい [0732]
〈改正習字〉確証文例‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]島屋儀三郎(巣枝堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本二編二冊。各種証文類を集めた手本兼用文章。初編には「受取之文」「遠国送状」「借用金之証」「預り金之証」「年賦之証」「地所質入之証」「戸長奥書」「地券状預り証」「地券書替願裏書」など二四種の証書・願書・届書・請状の例文、二編には「為替手形」から「職業修行受状」までの二八種の文例を掲げる。いずれも例文を大字・四行・所々付訓で認める。なお、本書巻末広告に「三編・四編近刻。公用諸願伺届類案文数十章」と記すが、『確証文例』の三・四編は未見。〔小泉〕
◆かくしょうぶんれい [0733]
〈村山夏五郎著〉確証文例‖【作者】村山夏五郎(号誉居士)作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]村山夏五郎蔵板。山中市兵衛売出。【分類】消息科。【概要】異称『確証文例』。中本一冊。証書類の書式全般を示した用文章。文面とともに印紙・押印(割印)の位置なども示す。「借用金証」から「貸座敷ノ文」までの四六通を収録し、各例文を楷書・小字・一〇行・原則無訓で記す。〔小泉〕
◆がくどうすち [0734]
〈弘田貢一著・日本国名〉学道須知‖【作者】弘田貢一作。【年代】明治七年(一八七四)刊。[高知]惜陰書屋(惜陰楼)蔵板。近藤為吉ほか売出。【分類】地理科。【概要】異称『〈日本国名〉学道須知』『日本国名』『幼学須知』。半紙本一冊。日本各国名や沿革、国土の現況などを七五調の文章で綴った往来。「日の本の其元の名をたつぬれは、豊葦原の中津国、又は蜻蛉洲(あきつす)・大八洲(おおやしま)、倭のくにや千五百秋(ちいおあき)、瑞穂国(みずほのくに)と称呼(よび)なして…」と書き始めて、まず日本の古名に触れ、続いて、五畿八道毎に国名その他を略記する。本文を大字・五行・無訓で記す。頭書に難読漢字の読み方や関連知識を載せる。〔小泉〕
◆かぐなづくしぶんしょう [0735]
〈甲申新版〉家具名尽文章‖【作者】十返舎一九作・序。晋米斎玉粒書。歌川国貞(歌川豊国三世)・歌川国安画。【年代】文政六年(一八二三)序・刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。家屋新築にあたり家具・調度類の新調を依頼する手紙文になぞらえて、日常生活に必要な家財・諸道具類を書き綴った往来。「家飾の具」「家財・調度」「庖厨道具」の三つに分けて紹介し、所々、加工の内容や素材、および名産地・種類等について付記する。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、鼎・釜・壺など八つの家財の字義・故事・用途・形状などを挿絵とともに紹介した「家飾具器の図」を始め、「竈神(かまどがみ)の事」「献立認めよう(『童子諸礼躾方往来』†の頭書と同じ)」や、解毒剤について記した「万毒けしの法」などを掲げる。〔小泉〕
◆★がくもんのこころえ [0736]
学問の心得‖【作者】堺県学編。【年代】明治五年(一八七二)刊。[大阪]秋田屋庄輔ほか板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。維新後の国民の現状や万民に学問が不可欠なこと、学問の振興が国家発展の重要な基礎になること、人間が万物の霊長とされる所以が言語と文字の二つにあることなど、学問の趣意を諭した教訓書。「不学・無識」は諸悪の根元であり、学者は人々を日用の実学に導くべき存在であり、学問が万民「第一の財本」であると説く。明治五年二月刊『学問のすゝめ』や、それを模倣した同年五月刊『学問のさとし』†などに触発された出版であろう(本書は明治五年八月刊)。「王政御維新にて百廃悉挙り難有き御代なるに、唯学校の設けいまだ全く備はらざるより、往々頑陋にして智識ひらけず…」で始まる本文を楷書・大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔小泉〕
◆がくもんのさとし [0737]
学問のさとし‖【作者】愛知県編。【年代】明治五年(一八七二)刊。[愛知]愛知県蔵板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。明治五年二月刊行の福沢諭吉著『学問のすゝめ』初編のほぼ全文を引用した小学校用教科書。『学問のすゝめ』初編刊行三カ月後の五月に出版された。末尾のみがわずかに異なり、「法の苛(から)きと寛(ゆる)やかなるはとは…自から加減あるものと心得べし」の一文に続けて、『学問のすゝめ』にはない文言(官吏としての心得、また、諸外国列強に負けない日本の独立と発展のための個々人の努力など)を付け加えて締め括る。本文をやや小字・八行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆がくもんのしおり [0738]
〈習字〉学問乃枝折‖【作者】土居光華作。佐瀬得所書。【年代】明治九年(一八七六)書・刊。[熊谷]森市三郎(博文堂)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。学問を志す者に学問の内容や学習順序を説いた手本兼教訓書。大字・三行・無訓で記す。まず緒言では、天から人間だけに与えられた「完全の肢体」と「微妙の精神」を十分に活用するには学芸に努めねばならないことを強調し、以下、第一「読本(片仮名・五十音・名称)・文法書(仮名遣い)」、第二「地理書(日本地理・外国地理)」、第三「数学」、第四「窮理学」、第五「歴史(日本史・世界史)」、第六「経済学」、第七「修身学」の七節に分けて学問の要旨を述べる。巻末に「楽の論」と題して、人間の楽しみ(口腹耳目、精神、交際、修身の四つの楽しみ)や、芙蘭克林(フランクリン)の例を引きながら学問成就の努力について諭す。〔小泉〕
◆がくもんのもとすえ [0739]
学問のもとすゑ‖【作者】小野泉作。【年代】明治六年(一八七三)作・刊。[甲府]内藤伝右衛門板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。当時山梨県の学務掛であった著者が、県下各地の学校開設に際して述べてきた学問の趣意を教科書にまとめたもの。まず、士農工商の別や男女の別なく、ともに学問が必要なことを和漢の人物の例を引いて諭し、続いて、学制下における学問の大意や、それに対する皇国民としての自覚、女子教育の重要性、子育てのあり方などについて説き、最後に、女子の遊芸や衣服について戒める。後半で多く女子教育について述べるが、これは「女に学問は無用」といった意識や旧習を改めるためという。〔小泉〕
◆がくもんをすすめるうた [0740]
学問を奨める歌(仮称)‖【作者】土屋宗鑑作。【年代】書写年不明。【分類】教訓科。【概要】勧学を主とする教訓を二九首の道歌に綴った往来。例えば、冒頭の「いつ迄もふらくら遊ふ子とも等は、ろの字も知らすくやしかるへし」や、第二首目の「はるの日と同し師匠の心にて、にくみて敲く子供てはなき」のように、イロハ〜京と一・二・三〜十の字音を上下の句頭にすえる点が、一般のイロハ教訓歌とは異なる。学問に油断なく努めること、師恩は父母の恩よりも重いこと、読み・書き・算が人間最高の宝であることなど処世訓一般を説く。重写本は本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆がくようおうらい [0741]
学用往来‖【作者】不明。【年代】江戸前期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】大本。内容と丁付けから推すと二巻二冊だが、現存するのは下巻一冊のみ。上巻には一〜六月状、下巻には七〜一二月状を収録し、各月ほぼ二通ずつ収録するので、全体で二二〜二四通程度の大字手本であったと思われる。下巻には、嵯峨野の秋の夜の虫の声の様子を伝える七月往状(主馬助宛て)を始め、七月五日付同返状(数馬宛て)、月見の催しに関する八月往状(民部卿宛て)、同返状(刑部宛て)、秋の草花などを贈る九月往状(正親介宛て)、同返状(宮内卿宛て)、友人に訪問を誘う一〇月往状(左衛門宛て)、同返状(弾正宛て)、丹州の雉を贈る一一月往状(右京宛て)、同返状(左近宛て)、歳暮祝義状(一二月往状のみ)の合計一一通を収録する。本文を大字・四行・付訓で綴る。なお、『延宝三年書目』中に『学用集』(二冊)の書名が見えるが、本書に相当するか。〔小泉〕
◆かくん [0742]
〈貝原先生〉家訓‖【作者】貝原益軒(篤信・柔斎・損軒)作。赤松勲(蘭室・大業・太郎兵衛)序。大川太郎平校(『大阪出版書籍目録』)。【年代】貞享三年(一六八六)作。寛政五年(一七九三)序。寛政六年刊。[大阪]播磨屋新兵衛(小川新兵衛・文宝堂・松寿軒・松樹軒)板。また別に[大阪]塩屋三郎兵衛(金西館・陰山氏・白縁斎・梅好)ほか板あり。【分類】教訓科。【概要】異称『貝原先生家訓』『貝原篤信家訓』。半紙本一冊。益軒が子孫のために綴ったとされる家訓を上梓したもので、「聖学須勤」「幼児須教」「士業勿怠」の三章合計二〇カ条から成る。まず「聖学須勤」では、聖人の教えを学び努める志を立てる「聖学」の大意や、己を誇り人を侮る「矜(きょう)」は「天下の悪徳」であり、逆に智を開き善に進むための徳たる「謙」は「天下の美徳」であると説き、「幼児須教」では「随年教法」など『和俗童子訓』流の教育論にも言及し、「士業勿怠」では武士の職分や日常生活での基本的心得(倹約、文武両道、忠孝勤倹)を諭す。貝原家では一五歳になったら以上の家訓を代々相伝すべきことを後文で述べる。本文をやや小字・九行・付訓で記す。なお、本書は後人による偽作とする説もある。〔小泉〕
◆かげつおうらい [0743]
〈尊円〉花月往来‖【作者】不明。【年代】万治元年(一六五八)刊。[京都]長谷川市郎兵衛板。【分類】社会科。【概要】大本二巻二冊。「去花月元年(架空の元号)仲陽比、都合戦出来、尋由緒委、花与月座敷論、天下勝事、洛中之隈騒…」で始まる文章で、京都の北野天満宮で行われる千句連歌を機とする花と月との合戦になぞらえて、四季折々の花月にちなんだ行事の縁起・由来について記した往来。本文を大字・三行・付訓で記す。社会科往来・年中行事型に属するが、全国各地で名勝とされる花月の名称を挙げ、それぞれの風情・縁起・由来を記すほか、一二月の異名を列記するなど内容は多岐にわたる。本書は享和(一八〇一〜一八〇三)頃刊『年中衣装文章』†、文化二年(一八〇五)刊『五節往来』†、文化(一八〇四〜一八)頃書『歳時往来』†、文政一一年(一八二八)刊『花鳥往来』†(大橋重友書)など年中行事型往来の先駆として、往来物史上、重要な意義を持つ。〔石川〕
◆かげつじょう [0744]
花月帖‖【作者】五十嵐良彦(畸松庵)書。紫雲斎(東魯)序。【年代】天保九年(一八三八)書・刊。[名古屋]皓月堂文助板。【分類】社会科。【概要】特大本一冊。大谷永庵筆の享和元年(一八〇一)刊『十二月往来〈同和歌花鳥帖〉』†の後半部「花鳥帖」を模した習字手本。ただし、巻頭の詩歌八首(『和漢朗詠集』からの抜粋)は筆者による増補。本文を概ね大字・三〜四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かげつじょう [0745]
〈長雄〉花月帖〈並用文散書〉‖【作者】長雄耕文(数楽耕文・富利)書・跋。【年代】明和七年(一七七〇)刊。[江戸]山崎金兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。詩歌・準漢文体書簡・和文体書簡を収録した長雄流の陰刻手本。冒頭に「花月一窓…」で始まる漢詩文と和歌各一首、続いて「新年祝儀状」「婚礼祝儀状」など一七通の準漢文体書簡と、山里に冬籠もりして春を待ちわびる手紙など七通(多くが散らし書き)の仮名文を掲げる。いずれも大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かげつどうぶん [0746]
花月堂文‖【作者】樋口宗武(花月堂)作・注・書。陰涼軒正賛・源有敬序。【年代】宝永三年(一七〇六)序。享保一六年(一七三一)序。享保一七年刊。[京都]吉田三郎兵衛ほか板。また別に[京都]菱屋治兵衛(次兵衛・福寿軒・宜風坊・八木治兵衛)板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『〈御家支流〉花月堂文〈并筆道有本篇注解〉』。特大本一冊。「家流有本篇(いえりゅううほんのへん)」「もしほ(藻塩)」等から成る手本。「家流有本篇」(作者不明)は御家流筆道の根本を述べた書の意味で、和漢の文字濫觴、書流・能書のあらましや、初筆修行の要点などを綴ったもの。続く「もしほ」(樋口宗武作)は、「御手習おほし召立候よし、まことに殊勝の御こころさしにて候…」で始まる仮名文で、和漢能書の故事など引きながら、書道の基本的心得や基礎知識を記したもの。主文に続けて、「御返し」と題した二通の返状で、代表的な筆道書や文房四友の名産地などに言及する。いずれも本文を大字・三行・無訓で記す。また巻末に、「家流有本篇」を数段に分けて詳しく解説した「家流有本篇註解」(樋口宗武注)を掲げる。〔小泉〕
◆かげつぶんしょう [0747]
花月文章‖【作者】菊川季蔵(菊川権兵衛か)書。【年代】宝暦一一年(一七六一)書。明和元年(一七六四)刊。[大阪]船津新右衛門板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「新年祝儀披露状」以下二九通の準漢文体書簡と、「新年祝儀状」以下六通の和文体書簡を綴った手本。前者は大字・三〜四行・所々付訓、後者は大字・五行・無訓の並べ書きまたは散らし書きで記す。季節の折々に安否を問う手紙、用件に応じる手紙、婚礼祝儀状、種々贈答状、家督相続祝儀状、蛍見物同行の意向を伝える書状など、概ね四季行事・佳節に伴う書状を載せる。〔小泉〕
◆かげつもんどう [0748]
花月問答‖【作者】佐瀬得所書・跋。秋月韋軒(胤永・子錫・悌次郎)序。宮埼誠(艮山・習静窩)跋。【年代】明治五年(一八七二)序・跋・刊。[東京]佐瀬得所蔵板。和泉屋市兵衛ほか売出。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。佐瀬得所が門人に揮毫した手本を上梓したもの。四季折々の手紙を中心とする各月二通、年二四通の漢語消息を収録し、いずれも大字・四行・付訓で記す。巻末に「五畿七道」「三府七十県」を掲げる。〔小泉〕
◆がげんようぶんしょう [0749]
雅言用文章‖【作者】黒沢翁満(重礼・九蔵・八左衛門・葎居)作。萩原広道・水谷氏古ほか序。古谷土子跋。【年代】嘉永二年(一八四九)作。嘉永五年序・跋・刊。[大阪か]坐摩宮祝部薑園蔵板。[大阪]河内屋喜兵衛ほか売出。【分類】消息科。【概要】大本二巻二冊。「年始の文」以下八三通の消息文を雅俗二様の文章で綴った独特な用文章。それぞれ本文欄に雅文を、その上欄(頭書)に俗文を収録する。四季時候の文や、冠婚葬祭、日常の雑事に関する手紙、さらに各種証文類に至るまでの日常の俗文・雅文をそれぞれ二通ずつ並べて収録する。和文を知らない者でも容易に雅文の消息が書けるように工夫した消息案文集である。本文を小字・一〇行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かごしまあんない [0750]
かこしま案内‖【作者】白野夏雲作・序。菅井東洲(雄・東洲釣徒)書。三笠・楳堂画。【年代】明治一四年(一八八一)序。明治一五年刊。[東京]白野夏雲(愛々堂)蔵板。大和屋松之助売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。明治初年の鹿児島県の地理や社会の様子を七五調・美文体で記した往来。「海と山との幸多き、薩摩の国の鹿児島は、千代を寿く鶴の丸、山懐に裏海の、湾をいたれし要害は、天府の域と称へられ、朝日通にかゝやきて…」と起筆し、県庁・裁判所・学校・駅・電信局・郵便局・銀行・新聞社・商社などが集まる鹿児島中心部の様子を述べ、以下、県内各地の諸施設・寺社・名所・物産等を紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。本文の所々に「上町の孝子・正右衛門」「下町の孝女・千代」の図や名所風景画を掲げ、頭書に「県内名数(四説・二線・二温・三州・二七郡等)」「景色故事図」「古歌」を載せる。〔小泉〕
◆かざいはんえいしょう [0751]
〈からわたり仙人そろえ〉家財繁栄抄(前編)‖【作者】十返舎一九作・序。五湖亭貞景画。【年代】文政一〇年(一八二七)刊。[江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈荒神奉納〉家財繁栄抄』。中本二編二冊。前後二編のうち前編は準往来物で、家財、特に厨房で使用する諸道具を題材にして詠んだ教訓歌を主とする。一例を示せば、「鍋黒丸(なべのくろまる)/身のほどを汁の実にせよ、破鍋(われなべ)にとぢ蓋せしぞこゝろ安けれ」のように諸道具を歌仙に見立てて各一首ずつ合計三八首を書き連ねる。頭書には「鬼は外、福は内」を洒落た「かにはそと、ふぐはうち」のような地口・前句を集めた「魚づくし地口」「青物尽地口」「鳥づくし地口」「獣尽前句集」「虫尽前句集」を掲げる。なお、後編は中国渡来の仙人について述べた戯作である。〔小泉〕
◆かしまおうらい [0752]
鹿島往来‖【作者】不明。【年代】明治六年(一八七三)書。【分類】地理科。【概要】特大本一冊。鹿島参詣を題材にした往来だが、寛政一二年(一八〇〇)刊『鹿嶋詣文章』†とは別内容。躑躅が爛漫と咲く季節の常楽会(二月一五日の涅槃会)に鹿島参詣をする設定で、根古屋河岸を船で出発してから、途中陸路に変わり鹿島神宮に至るまでの参詣路の風景・風俗や沿道の地名・神社仏閣・名所旧跡を順々に列挙し、その縁起や風趣などを紹介する。参詣客の装束、太鼓・囃子の喧噪などの風俗描写や「饂飩・蕎麦きり・餅菓子・饅頭・鮮食…」のように名物にも言及しながら、参詣の雰囲気を活き活きと伝える。現存本は本文を大字・六行・付訓で記した手本で、冒頭や末尾の一部を欠く零本である。〔小泉〕
◆かしまもうでぶんしょう [0753]
鹿嶋詣文章‖【作者】滕耕徳書。【年代】寛政一二年(一八〇〇)刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]岩戸屋喜三郎板(後印)、[江戸]山口屋藤兵衛板(同)、[江戸]森屋治兵衛板(同)あり。【分類】地理科。【概要】異称『鹿嶋詣』。中本一冊。「当春鹿島御参詣被思召立候ニ付、御案内旁御同道可申旨、致承知候…」で始まる全一通の手紙文で、鹿島神宮と参詣路沿道の神社仏閣・名所旧跡を紹介した往来。千住河原から水戸街道を下り、綾瀬・亀有・葛西・金町・松戸を経て入布施弁天辺で一泊、さらに布佐から水路、鹿島を目指し、香取大明神・鹿島神宮を参詣した後、成田山で一泊し、佐倉・船橋経由で江戸に帰るコースで、沿道の風景・風俗や各名所の故事・縁起を記す。本文を大字・五行・付訓で綴る。巻頭に「鹿島総社之図」「常陸国鹿島御社略記」、頭書に「常陸帯の略記」「鹿島立の事」を記す。〔小泉〕
◆がしょうたてぶみならびにかなでほん [0754]
賀章竪文〈并仮名手本〉‖【作者】長友松軒(玄海堂)作・書。【年代】明和九年(一七七二)頃刊。[大阪]藤屋弥兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『賀章竪文手本〈并〉仮名文章』。大本一冊。書名の如く「賀章」すなわち種々の祝儀状を集めた手本。移徙祝いから始まり、参宮成就祝い・家督相続祝い・公務における栄転祝い・半元服ならびに元服祝い・婚礼祝い・出産祝い・袴着祝い・被染祝い・剃髪祝いなど二〇通を収録する。後半の「四季章」は全て女性用の仮名文(散らし書きを数通含む)で、春に和歌を贈る文以下四季用文二六通から成る。以上のうち、並べ書きを大字・四行・無訓で記す。なお、現存最古本は天明七年(一七八七)板(大阪・高橋平助板)で、明和板は未見。〔小泉〕
◇かしらがきせんじもん [0755]
〈五体〉頭書千字文‖【作者】孫王顕作。苗村丈伯跋。【年代】貞享四年(一六八七)跋。貞享五年刊。[京都]山本五兵衛板、また別に[京都]浅野久兵衛板、[大阪]丹波屋伝兵衛板あり。【分類】語彙科。【概要】異称『五体千字文』。半紙本二巻合一冊。周興嗣作『千字文』本文を楷書・草書・篆書・隷書・角字の五体で表記したもの。半丁に大字・八行で記し、冒頭二体の漢字に音・訓を片仮名で付記する。巻頭に「千字文の由来」を掲げるほか、頭書に本文略注を載せる。〔小泉〕
◆かじわらざんげんろけんじょう [0756]
梶原讒言露顕状‖【作者】不明。【年代】延宝五年(一六七七)刊。[京都]安田十兵衛板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈頭書絵抄〉含状〈并〉梶原讒顕状』『〈新板絵抄〉含状〈并〉梶原讒顕状』『梶原状』。大本一冊。義経・弁慶討死の文治五年、畠山重忠が頼朝宛てに出した書状の体裁をとる擬古状型往来。頼朝の開運はひとえに範頼・義経兄弟の働きによること、讒臣梶原父子を用い、かえって兄弟の義経に死を与えたのは天下の乱・国亡の原因であるなど、「含状」の申し分はもっともであると訴える。既に寛文一〇年(一六七〇)刊『増補書籍目録(寛文一〇年書目)』に「一冊、梶原状」と見え、単行版として早くから出版されていたことが推測される。現存最古本は「義経含状」†と併板の延宝五年板だが、現存本の多くは文政(一八一八〜二九)以前刊『〈頭書絵抄〉含状〈并〉梶原讒顕状』(仙台板・伊勢屋半右衛門板)である(大字・五行・付訓)。〔母利〕
◇かせつくすのきまさしげしょしきょう [0757]
仮説楠正成諸士教‖【作者】室鳩巣作・序。大中臣敏資書。松宮観山跋。【年代】元禄五年(一六九二)作・序。宝暦九年(一七五九)跋。安永三年(一七七四)書。【分類】教訓科。【概要】異称『仮説楠正成下諸士教』『仮説楠正成下諸士教二十箇条』。大本一冊。正徳五年(一七一五)刊『明君家訓』†のもとになった書。楠木正成に仮託して綴った二〇カ条の教訓。元禄五年正月一三日の序文を付す点と、第一二条に火葬を禁止した「先其内寺僧を頼候ても、火葬停止の間、其旨急度相守、死去仕候はば一統に土葬に取置可申候…」以下の文言を欠く点で『明君家訓』と異なる。〔小泉〕
★がぞくさんたいぶんしょうたいせい [0757-2]
〈熟語類聚〉雅俗三体文章大成‖【作者】藤懸貴重編。石川鴻斎(石英・君華)校・序。【年代】明治二三年(一八)序・刊。[東京]松邑孫吉(三松堂)蔵板。【分類】消息科。【概要】異称『三体文章大成』。半紙本二巻二冊。各主題に対して俗文(準漢文体書簡の和文)・漢文(古今の作家による模範文)・漢文(前者の補遺で、漢字・片仮名交じり文)の三様の例文を掲げた大部な用文章。「専ラ実益ヲ主ト」し、漢語は「強テ不通ノ漢語ヲ挿マズ、雅馴ニシテ卑近ナル者ヲ取」ったとする(凡例)。上巻に「歳始慶賀文」から「歳暮啓・同復」までの四四題、下巻に「賀開業式」から「赴宴後謝人・同復」までの五四題を収録する(各題とも三通以上載せるため実質三〇〇通を超える)。上巻は四季折々の月次状で、下巻に「賀文」「送文」「訪文」「弔文」「雑文」を掲げる。各例文とも、俗文を行書・大字・五行・付訓、漢文二体を楷書・小字・一〇行・無訓または付訓で記し、さらに例文書き替えのための類語を略注付きで多数掲出する。また、頭書に「〈鼇頭〉百家類聚」を初めとする漢語集、異名集、文章書式、故事、助字などの記事を載せるほか、上巻巻頭「柬式」に書簡用語を分類・列挙し、略注を施す。〔小泉〕
◆がぞくはがきぶんしょう [0758]
雅俗端書文章‖【作者】三宅徳分(菊園)作・書。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[東京]吉岡吉五郎(高山堂)蔵板。中村熊次郎売出。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。郵便はがき用の日用短文を集めた用文章。「賀新年之文」から「歳暮之文」までの五〇通を載せる。いずれも四季折々の手紙や諸事に関する書状で、各例文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。末尾に「拝啓之類」「時候之類」「慶賀之類」「不宣之類」に分けて消息用語を掲げる。また、巻末付録「諸証書及願届書式」には公用文書式二〇例を載せる。〔小泉〕
◆がぞくぶんしょう [0759]
雅俗文章‖【作者】中島茂洲作。伊藤信平書。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]野口愛(奎文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『雅俗文章小成』。中本一冊。漢文尺牘体を基本としながらも従来の通俗文(準漢文体書翰)的な文言を若干混入した用文章。「祝新歳文」より「訪某老師文・同復(へんじ)」までの五〇通を収録。四季贈答の手紙を中心に、神武祭、仕官、演説会など時勢を反映した例文も含む。各例文を大字・五行(証文類七行)・付訓(漢語に左訓)で記し、併せて頭書「書柬類語」に消息用漢語を分類掲載する。後半部「雅俗文章小成諸証類」には、本文欄に「金子借用之類」から「委任状」まで二三通の公用文、頭書に「証券印税規則」等の関連法規を載せる。〔小泉〕
◆がぞくようぶん [0760]
雅俗要文‖【作者】滝沢馬琴(著作堂・蓑笠陳人・蓑笠翁・曲亭陳人)作。玉照堂(琴嶺)補(付録)。松軒(靖)書。【年代】天保一二年(一八四一)序・刊。[江戸]英文蔵板。【分類】消息科。【概要】異称『著作堂新編雅俗要文』。中本一冊。童蒙に雅文を習熟させることを目的として、通俗文章と漢語文章の折衷的な例文を集めた用文章。正月「早春誘友於近郊(ともをちかきいなかにいざなう)書」から祝言「八十算賀報条(ちらしぶみ)」までの六五通を収録する。うち前半二四通は月次の往復文で『新々十二月往来』と称する。続いて「雑事」二八通と「祝言」一三通を載せるが、そのほとんどが往復文である。漢文には不向きな「致(いたす)」「度(たく)」「仕(つかまつる)」「被成(なられ)」「御座(ござ)」「存(ぞんず)」といった俗用文的表現を交えるのが特徴で、本文を大字・五行・付訓で記し、大半の漢語に左訓を施す。巻末には、例文中の任意の語句の故事・出典を解説した「著作堂新編雅俗要文引用故事童子問略解」と、自他の尊卑別の称号を記した「標識并ニ自他称謂ノ辨」を付す。なお、本書巻頭に銅版画などを増補した『〈民家必用〉雅俗要文』(萩原乙彦編)が明治九年(一八七六)に刊行されている。〔小泉〕
◆がぞくようぶん [0761]
〈開化〉雅俗用文‖【作者】深沢菱潭(巻菱潭)作・書。渡辺資(渡部資)書(頭書・傍訓)。【年代】明治八年(一八七五)刊。[甲府]内藤伝右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『〈開明〉雅俗用文』。半紙本一冊。消息例文と各種証書・願書・請書の例文を集めた用文章。「賀新年啓」から「弔居喪書」までの四九通を収録し、紀元節、博覧会、書店経営、新聞、学生紹介、地借依頼など新時代を反映した例文が多い。いずれも漢語を多用した文章で、大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。末尾に「出頭請書」から「地面売渡証」まで一七例の証書等の例文を載せる。頭書に、四季時候の言葉や相手の書簡の尊称などの消息用語を集めた「書翰要語」と、日用漢語をイロハ別に集めて略注を施した「〈日用〉漢語字彙」を掲げる。〔小泉〕
◆がぞくようぶん [0761-2]
〈簡便〉雅俗用文‖【作者】山口亀吉(千松堂)作。【年代】明治二二年(一八八九)刊。[東京]山口亀吉(千松堂)板。【分類】消息科。【概要】小本一冊。「年始之文」「花見ニ誘ふ文」「同返事」「暑中見舞之文」「同返事」「婚礼歓之文」「人を招く文」「同返事」「出産を賀する文」「歳暮之文」「転居を知せる文」「病気見舞之文」「旅行為知之文」「同返事」の一四通を収録した用文章。いずれも三〜七行程度の短文で、各例文を六行・付訓で記す。〔小泉〕
★がぞくようぶん [0761-3]
〈漢語〉雅俗用文〈二編〉‖【作者】萩原乙彦(対梅・鰥寡翁)作。榊原雪彦補。小室樵山書。【年代】明治五年(一八七二)序。明治六年刊。[東京]嶋屋平七ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈民家必用〉雅俗要文〈後編〉』『雅俗要文第二編』『対梅宇新編雅俗要文二輯』。中本一冊。滝沢馬琴の『雅俗要文』†の続編として編んだ用文章。簽下部などに「二編」と記すのは、馬琴作を「初編」と見なすもので、書名だけでなく、見出し・例文題・巻末の「略解」など全体的な編集形式も似せてあるが、馬琴作と異なり、「文体旧俗ニ異ナリ、漢語ヲ旨トシ、正字ヲ撰ミ、簡便・省略・雅俗ヲ兼タル文明開化ノ奇文」を多く載せたものとする。序文でも、本書とともに別著『書翰便蒙』『尺牘往来』を合わせれば「方今の書体の大概」に間に合うと述べる。「年始餽節贄書(ねんしにとしだまをおくるしょ)」から、「娶貧女請客書(ひんじょをめとりてきゃくをこうしょ)・答右書」までの例文五六通を「元旦」「上巳」「端午」「七夕」「重陽」「雑事」「祝言」の順に配列して収録する。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。また、巻末に著者門人の榊原氏による「本文引用故事童子問略解(対梅宇新編雅俗要文二輯引用故事略解)」を付す。本書は後に『〈民家必用〉雅俗要文』と外題替えされて明治九年に再刊された。〔小泉〕
◆かちょうおうらい [0762]
花鳥往来〈並書札詩歌〉‖【作者】長雄耕文(数楽耕文・富利)書。【年代】宝暦一三年(一七六三)書・刊。[江戸]須原屋茂兵衛板。また別に[江戸]吉文字屋次郎兵衛(春秋堂)ほか板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈長雄〉花鳥往来〈並書札詩歌〉』。大本一冊。「鳳暦之御慶千祥万悦、猶更申弘候畢…」で始まる新年祈祷連歌の案内状から歳暮祝儀状まで、年中行事や季節にちなんだ消息文一二通を大字・三行・無訓で綴った長雄流の陰刻手本。末尾に、贈り物をする手紙や参府祝儀の礼状、祈祷札拝受の礼状の三通と詩歌四編を掲げる。〔小泉〕
◆かちょうおうらい [0763]
花鳥往来〈大梁堂〉‖【作者】成嶋花隠庵作。大橋重友(大梁堂)書・跋。【年代】文政一一年(一八二八)書・刊。[江戸]和泉屋庄次郎(荘次郎・慶元堂・松沢庄次郎)板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。宝暦板『花鳥往来』†とは別内容。成嶋氏が著した四季・花鳥風月の文章を大橋氏が揮毫して陰刻手本としたもの。「五日の風枝をならさず、十日の雨壌をうたざる御代に逢て、万物其生を遂すといふ事なく、生としいけるもの、此御恵にもるゝかたなし…」で始まる一編の文章で、まず春秋の変化や花鳥の色香の移ろいに同志の思いを交わす意義に触れ、以下、万物・自然に見られる四季の風情を詳述し、このように時の移りゆく様を心にとめることが陰陽・消長の理や栄枯盛衰の習いを知る契機と結ぶ。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かちょうおうらい [0764]
〈市川〉花鳥往来‖【作者】市川梢谷(貴剋)書。淵辺松雅(梢谷門人)跋。【年代】享和三年(一八〇三)書。文化元年(一八〇四)刊。[江戸]富谷徳右衛門(盛章堂・成章堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家〉花鳥往来』。大本一冊。宝暦一三年(一七六三)刊『花鳥往来』†と同内容(語句に小異あり)の本文を大字・三行・無訓で綴った手本。宝暦板末尾の消息三通と詩歌四編に替えて、別の詩歌八編を収録する。また、宝暦板が各状に具体的な日付を付すのに対して、本書では単に「月日」とする。なお、本書の字句を一部改め、読本用の中本に仕立てたものが『〈文化新刻〉花鳥往来』†である。〔小泉〕
◆かちょうおうらい [0765]
〈御家〉花鳥往来‖【作者】柴宮輝山書。【年代】元治元年(一八六四)刊。[江戸]大和屋作次郎板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。文化元年(一八〇四)刊『〈市川〉花鳥往来』†のうち巻末の詩歌を除いた本文を大字・四行・付訓で記した手本。文化板では単に「月日」とあったものを「正月日」「二月日」などとした点や、本文に振り仮名を施した点で異なる。〔小泉〕
◆かちょうおうらい [0766]
〈文化新刻〉花鳥往来‖【作者】不明。【年代】文政二年(一八一九)刊。[江戸]和泉屋市兵衛(甘泉堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。文化元年(一八〇四)刊『〈市川〉花鳥往来』†の本文の字句を若干改めた往来。「宝暦之御慶千秋万悦、猶更申弘候畢…」で始まる本文を大字・五行・付訓で綴る。巻頭に牡丹・孔雀と貴人女性の図を描き、頭書に「十二月うん気并五せつくの図」「十二時の異名」「十二月の異名」「十干の異名」「十二支の異名」を掲げる。〔小泉〕
◆かちょうじょう [0767]
〈花形〉華頂帖〈并かな章〉‖【作者】花形新右衛門(華東之)書。東旭小政治跋。【年代】文化九年(一八一二)刊記。文化一二年跋・刊。[江戸]竹川藤兵衛板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。まず華頂山(京都東山三十六峰の一つ)の花見風景や加茂の河原での行楽について述べ、さらに学問、礼儀、倹約、武道などの心得、また、訴訟や農耕にも触れ、都鄙の静謐が仁政のお陰であることを説いた文章を大字・三行・無訓で記した手本。地理・教訓・社会・産業の各分野に少しずつ関連する文章であって、単なる消息例文集ではない。後半に、四季の自然や草花などを七五調の美文で綴った仮名文(大字・五行・無訓)を収録する。なお、刊記部分に「花東之先生筆」として『源氏湖月文章』『世話千字文』『万用書札』『四季ちらし文』の書名を列挙するが未見。〔小泉〕
◆かつえきようぶん [0768]
〈雅俗音信〉活益用文‖【作者】名和対月(喜七)作・書。易堂序。【年代】明治一九年(一八八六)序・刊。[大阪]大阪共同出版社蔵板。河内屋忠七(赤志忠七・忠雅堂)ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『雅俗普通活益用文』『〈雅俗普通〉活益用文』。半紙本一冊。四季折々の書状から慶賀弔喪、郵便葉書、電信書式に至るまでの、雅俗両様の一般的な消息短文を集めた用文章。冒頭の「文章之部」には、「年首之文」から「蔵敷金請取之文」まで八〇通の例文を掲げ、さらに、「郵便はがき文」として「草花ヲ乞フ文」から「電報ニテ廻漕ヲ申遣ス例・同返報」まで一六例をあげるほか、後半の「諸証文之類書式」には「建家書入質証文」以下二六例を収める。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語の大半に左訓を施す。頭書「諸願之書式」には「商社御願」以下一七例、さらに「諸届之書式」には「出者御届」以下一五例の書式をそれぞれ収録する。なお、前付付録三〇丁(銅版印刷)には「大日本神代略系譜」以下、生活百科的な記事を載せる。また、本書の増補版に明治二一年刊『〈雅俗普通〉増補活益用文』†がある。〔小泉〕
◆がっこうおうらい [0769]
学校往来‖【作者】川嶋(川島)健二作。深沢菱潭書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]策癡館蔵板。吉田屋文三郎(木村文三郎・文江堂)ほか売出。また別に[東京]雁金屋元吉ほか売出あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。明治初年の学校制度や教育内容等について述べた往来。まず国家・家庭をよりよく保つ基礎が学問にあることを述べ、文部省設置や学区・学校制度、下等小学・上等小学別の等級・教科、私塾・家塾の別、中学・工業学校・商業学校・通弁学校・農業学校・諸民学校の等級・科目、変則中学、大学の種類、小・中・大学教師の資格、海外留学等について略述し、最後に学問の趣旨をわきまえて刻苦勉励せよと諭す。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆がっこうどうじくん [0770]
学校童子訓‖【作者】不明。【年代】明治六年(一八七三)刊。[京都]神先向松堂板。【分類】地理科・歴史科。【概要】異称『〈教授本〉学校童子訓』。半紙本一冊。「五十韻(平仮名・片仮名)」「皇謚(歴代天皇名)」「年号(元号)」「国尽(大日本国尽)」「府県名(旧国名も付記)」等の語彙を楷書・大字・五行・付訓で記した語彙集型往来。巻頭口絵に「三教師おの学業教授の図」を掲げ、頭書に「執筆法・文房具図」「以呂波三躰」「数字」「十干・十二支・方・度・量・衡・四季」「苗字尽」「歴代年号」「京都町小路」「九々の声」「八算の声」「見一の声」「西洋日用品類図」等の記事・挿絵を載せる。内容・体裁ともに橋爪貫一作『童蒙必読』†の模倣と思われる。〔小泉〕
◆かっこくさんぶつおうらい [0771]
各国産物往来‖【作者】鈴木吉兵衛(秋江)作。日比野綱雄(戴星)補。天野忠順(曠如)序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[名古屋]永楽屋東四郎(片野東四郎・東壁堂)板。【分類】地理科。【概要】半紙本二巻合一冊。当時の貿易品を各国別に列記・紹介した往来。各国の物産品は概ね一〇点以内に限られるが、掲出された国名・地域名は多い。また、単に語彙の列挙に終始するのではなく、製法・用途・狩猟法など詳しく説明を添えた箇所もある。著者「凡例」では、本書に書かれた物産品目は「開知ノ大端」であるので、貿易商家以外の子弟にも教授すべき旨を述べる。上巻には亜細亜洲(日本・中国・朝鮮・満州・蒙古等)・阿弗利加洲(エジプト・ヌビア・アビシニア・モロッコ等)、下巻には欧羅巴洲(イギリス・フランス・プロシア・オランダ・ベルギー・スウェーデン等)・亜米利加洲(北亜米利加・中亜米利加・南亜米利加の三つに区分。アメリカ・メキシコ・コロンビア・ペルー・チリ・ブラジル等)・太洋洲(アジア南海の群島・東北海諸島・西南洋諸島について述べる。うち下巻「太洋洲」では、カンガルー(更挌盧)を「奇獣」として詳しく紹介する。本文を大字・四行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇がっしょおうらい [0772]
合書往来(仮称)‖【作者】不明。【年代】明治一四年(一八八一)頃刊。[金沢]桜井保市板。【分類】合本科。【概要】中本一冊。「新撰消息往来」「新撰消息往来注釈」「商売往来」「小野篁歌字尽」「名物往来」「七ッいろは」「万葉いろは」「名頭」「大日本国尽」「寺子教訓書」「〈武家〉名字尽」の一一点の往来を合綴したもの。本文中に「十幹十二支」「片仮名以呂波」「偏冠構字集」を収める。なお、本書に先立つ類書として明治一一年刊『新大全消息往来』†がある。〔小泉〕
◇がっしょおうらい [0773]
〈安政新板〉合書往来‖【作者】不明。【年代】安政(一八五四〜六〇)頃刊。[金沢]川後房板。【分類】合本科。【概要】中本一冊。「消息往来」「消息往来講釈」「商売往来」「名物往来(加賀・越中・能登の名産品などを列挙したもの。『名物状』†とほぼ同内容)」「苗字尽(イロハ引きの苗字集。『伊呂波繰苗字尽』†と同内容)」「御府内町名尽」†を合綴した往来。本文を概ね大字・四〜六行・ほとんど無訓で記す。口絵に「士農工商図」、巻末に「十二月異名」を掲げる。なお、本書には合綴内容が若干異なる異本もあり、同異本には「消息往来」「商売往来」「七ッいろは」「万葉いろは」「大日本国尽」「名頭」「名物往来」「〈武家〉名字尽(先の「苗字尽」と同じ)」「御府内町名尽」を収録する。また、本書の改訂・改題本に『〈文久補正・童子節用〉合書往来大成』†や『〈万代用文〉童子往来』†がある。〔小泉〕
◆がっしょおうらいたいせい [0774]
〈文久補正・童子節用〉合書往来大成‖【作者】不明。【年代】文久(一八六一〜六四)頃刊。[金沢]堆文堂板。また別に[江戸]出雲寺万次郎板、[江戸]平野屋平助(而楽斎)ほか板あり。【分類】合本科。【概要】異称『〈童子節用〉合書往来大成』。中本一冊。『〈安政新板〉合書往来』†(川後房板)の改題本。ただし同書とは異板で、収録内容を異にする数種の板種が存する。一例として堆文堂板によって示せば、巻頭に「士農工商図」を載せ、本文に「消息往来(真草両点)」「消息往来講釈」「商売往来」「名物往来」「御府内町名尽」の順に、大字・四〜五行・付訓で掲げ、巻末に「十二月異名」を付す。〔小泉〕
◆★がっしょどうじくん/ごうしょどうじくん [0775]
〈教訓絵抄・幼学重宝〉合書童子訓‖【作者】暁鐘成(木村明啓・重雄)作・画。和田正兵衛書。【年代】文政七年(一八二四)刊。[大阪]河内屋平七板。また別に[大阪]綿屋喜兵衛ほか板(天保六年(一八三五))あり。【分類】合本科。【概要】半紙本一冊。江戸時代後期に流布した合本科往来の一つ。文政八年(一八二五)刊『新童子手習鑑』†の改題本。改題に際し、従来、江戸・名古屋・京都で販売されてきた『新童子手習鑑』に大阪書肆が加わり、販路がより広域化した。本文欄に「商売往来」「今川状」「実語教・童子教」「小野篁歌字尽」を大字・七行・付訓で掲げ、頭書に「蛭子命」「書法心得の秘伝」「能之濫觴」「当流小謡」「改算塵功記」「七以呂波」「名乗字尽」等、前付に「菅丞相之図」「五倫の図」「芸能の図」「花押書様」「四民の図」「和漢人物略伝」を掲げる。なお、本書の改題本に明治初年刊『〈小笠原諸礼集〉寺子調宝記』、増補版に『合書童子訓大成』†がある。また、江戸中期刊(大阪・糸屋市兵衛ほか板)『〈教訓絵抄・童子重宝〉合書童子訓』†は本書とは全くの別内容である。〔小泉〕
◆がっしょどうじくんたいせい [0776]
〈増益〉合書童子訓大成‖【作者】暁鐘成(木村明啓・重雄)作・画。和田正兵衛書。【年代】江戸後期刊。[大阪]綿屋喜兵衛板。【分類】合本科。【概要】半紙本一冊。天保六年(一八三五)刊『合書童子訓』†の増補版。同書の後半部に「消息往来」(頭書講釈)と「庭訓往来」(本文のみ。末尾に「東百宮」)の二本を合綴したもの。本文を大字・六〜七行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かないあんぜんしゅう [0777]
家内安全集‖【作者】十返舎一九作・序。春川英笑(春斎)・歌川国安画。【年代】文政一二年(一八二九)刊。[江戸]西村屋与八(永寿堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈頭書重宝〉家内安全集』『夷曲家内安全集』。中本一冊。隠居老祖父・隠居祖母・主人・妻・嫡男・次男・三男・末子・姉・妹から下女・下男・料理人・掛人・按摩・髪結・米舂・日雇に至るまで家内各人の心得を一首ずつの教訓歌にして挿絵とともに配列した教訓書。ちなみに冒頭の隠居祖父の場合、「老ぬれば子に従ふのならひにて、家につえつく齢ひめでたき」といった教訓歌を半丁に二首ずつ掲げる。巻頭に「六親和合図」を掲げ、頭書に「食品醸製之仕法大略(蒲鉾・魚醢(しおびしお)など各種食品の製法)」を載せるが、後者の記事は大半が文政七年刊『頼光山入往来』†(十返舎一九作)頭書の「造醸類仕法」と同様である。〔小泉〕
◆かないわごうべん [0778]
〈子孫繁栄鑑〉家内和合弁‖【作者】淳朴子序。【年代】安政六年(一八五九)序・刊。[江戸]積玉堂板。【分類】教訓科。【概要】異称『家内和合辨覧』。中本一冊。本文「家内和合弁」に頭書「子孫繁栄鑑」を合わせ、さらに巻末に教訓歌集「世の中」等を付録した往来(この付録を欠く本もある)。「家内和合弁」は、天保一四〜一五年(一八四三〜四四)刊『分限心之的』†と全く同じで、主人の式目、女房の式目、息男の式目、娘の式目、手代の式目、小僕の式目、乳母の式目、下女の式目から成る教訓。また「子孫繁栄鑑」も天保一五年刊『子孫繁栄鑑』†と同内容で、分限・倹約・家業出精等の生活教訓全般を説いたもの。末尾の「世の中」は、享保七年(一七二二)刊『世中百首絵抄』†や寛政一〇年(一七九九)刊『教訓世中百首』†と同様に、「世の中」の五字を冒頭また末尾に置いた三六首の教訓歌である。本文を小字・一一行・付訓で記す。〔小泉〕
◇かなきょうくん [0779]
仮名教訓‖【作者】不明。【年代】室町末期作か。【分類】女子用。【概要】『仮名教訓』は、「ふとしてよそへ越させ給ふべきに候事、真実めでたく覚候…」で始まり「…いづれも心のまへに候へども、よきうへにもよくとおもひ候て、申しまいらせ候。めでたさかさねて、あなかしこ」と結ぶ一通の仮名文に、婚家における婦人の心得や処世訓を一一カ条に認めた教訓。後半に七五調の「宗祇法師長うた(若衆身もち・よき女房の身もち・あしき女房の身持・宮づかへによき女房・宮づかへあしき女房)」を収録するが、この付録記事を含め、本書の影響下に編まれた女子教訓は多種多様で、承応三年(一六五四)以前刊『女手本〈かほよ草〉』†や元禄五年(一六九二)書『女教訓書』†を始め、明治二五年(一八九二)刊『烏丸帖』†まで二〇種近く発見されており、近代初頭までの女子教育に少なからぬ影響を与え続けた。〔小泉〕
◆かなきょうくんしょ [0780]
仮名教訓書‖【作者】辻六郎兵衛書。【年代】文政四年(一八二一)頃書。【分類】教訓科。【概要】特大本一冊。中沢喜三郎書の清書とともに合綴された特大本の写本『仮名教訓書・商売往来』中に所収。手跡初学者の心得を綴った往来。「夫、文道を心懸る登山之児童可嗜趣は、先ず、師匠の仰を背事有へからす…」で始まる本文で、手習いに入門した児童の心得として、寺子屋での稽古中の心懸けから帰宅後の生活態度までを述べ、不学・怠慢・非行を戒める。『世話字往来教車』†や『通俗教訓往来』†等とほぼ同趣旨の教訓である。なお、文政四年写本は大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◇かなざわはっけい [0781]
金沢八景‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】地理科。【概要】「爰そ武蔵の六浦の庄、四石八木数々の、多き詠に金沢や、筆も及はぬ八の景、東を遙に見渡せは、海漫々と際もなく…」で始まる七五調の文章で金沢八景(現横浜市金沢区周辺にあった八景勝。称名(しょうみょう)の晩鐘・乙艫(おつとも)の帰帆・野島の夕照・平潟(ひらがた)の落雁・瀬戸の秋月・小泉(こずみ)の夜雨・内川の暮雪・洲崎の晴嵐)の様子と、付近の名所等を紹介した往来。〔小泉〕
◆かなざわまちなづくし/かなざわちょうめいづくし [0782]
〈区番早見〉金沢町名尽‖【作者】不明。【年代】天保一二年(一八四一)作・刊。[金沢]刊行者不明。【分類】地理科。【概要】異称『加賀国金沢町名尽』。中本一冊。金沢の町名や小路名をイロハ順に列挙した往来。『御府内町名尽』†とほぼ同内容。「下大桶町、上大桶町、春日町」以下の町名を大字・五行・付訓で記す。各町名毎に管轄区の番号を小字で付記する。なお、明治期改刻本『〈明治新版〉金沢町名尽』では、第一六区に相当する金沢三四三町の町名を「小一区」〜「小十区」の順に列記する。〔小泉〕
◆かなつきしょうそくならびにかなぶんしょう [0783]
仮名附消息〈并〉仮名文章‖【作者】長友松軒書。友水堂(長友松門人)跋。【年代】天明七年(一七八七)書・跋・刊。[大阪]塩屋平助(高橋興文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『男女要文』。大本一冊。前半に一般の準漢文体書簡(所々振り仮名を付す)、後半に「女文章」と題した仮名文を掲げた玄海堂筆手本。前半に「急用のため上京するにあたり宿泊場所の手配を依頼する手紙」以下、日常の諸事に関する手紙一六通、後半に「新年祝儀状」を始め、四季折々の贈答の文、出産その他の祝儀状、また諸用件の手紙など二四通を収録する。いずれも各通六行の短文で半丁に大字・三〜四行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆かなでほん [0784]
仮名手本‖【作者】清水亭人作・書。【年代】明和三年(一七六六)書。【分類】合本科。【概要】大本一冊。@「仮名手本」、A「万証文之控」、B「飲食諸礼鏡」、C「幼稚之戯(子供指南三ツ物揃)」、D「嬰児笑草」、E「夏物語」、F「十露盤方便(子供指南十露盤方便)」、G「いろは歌」の八編の往来を合綴したもので、独特な内容を多く含む。@は、「いろはあけ悦申候」といった一行程度の短文集と、仮名遣いについて述べた小文。Aは、「賀流相渡田地之事」以下七状の証文文例。Bは、食礼を中心とした礼法全般を七五調で綴った教訓。Cは、親の養育の恩を顧みないで、手習い・学問に励まず、挙げ句の果てに様々な悪行に耽ることを戒めた教訓で、師や親を大切にして学問に精励することを諭した教訓。Dは、人間生活に不可欠な衣・食・住について、またその基本である修身について説いた教訓。Eは、「四百四病より貧乏はつらい」ことから説き始め、金銀の大切さを述べ、これら金銭は人の工夫によって生ずるのであるから、一銭も麁末にせず、倹約を守り、豊かになるよう努めよと述べた教訓。Fは、十露盤の使い方や算術の基本を九々・八算見一などにより具体的に述べた往来で、算法の知識を文章で綴るのが独特。最後のGは、「いゑの職を大事に究めつゝ、芸能遊事分にしたかへ」といった一般道徳を説いたイロハ歌(第一音にイロハの音が来るように綴った教訓歌)である。本文を概ね大字・五〜六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かなでほん [0785]
〈玉置〉かな手本‖【作者】寺沢政辰書・跋。【年代】宝永三年(一七〇六)書・刊。[江戸]片野久行板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。四季の風景について多く綴った仮名文と懈怠を戒める教訓文一編から成る手本。本文を大字・三行・無訓で記す。いずれも「浅みとり春たつ空にうぐひすの初音…」のような雅文調の消息で、「人の道、父母への孝について問う文(追伸文で胎教について問う)」を冒頭に、四季順に一一通を収録する。春の花見、夏の隅田川夕涼み、萩が彩る秋の待乳山探訪、厳寒の折に香道書を貸す手紙など、季節の推移を主題とした例文である。なお本書所収の仮名文のうち冒頭は『女学仮名往来』†の模倣であり、第五、八、九、一〇状の四通と末尾の教訓文は『〈当用〉大和往来』†と全く同じである。刊行年その他から推して、『〈当用〉大和往来』は本書を被せ彫りにしたものであろう。〔小泉〕
◆かなでほん [0786]
〈寺沢〉かな手本‖【作者】寺沢政辰書。【年代】正徳四年(一七一四)書か。正徳五年刊。[江戸]野田太兵衛(量久)ほか板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊。「春雨の御つれ『源氏』御なかめのよし、紅は染るに色をますにて候へは、御学問も御うら山しくそんし候。めてたくかしく」といった散らし書きの短文を収録した寺沢流手本(大字・無訓)。上巻には春雨の徒然に『源氏物語』を学ぶ人への激励の手紙から菖蒲節句祝儀の礼状までの六通、中巻は七夕祝儀状から歳暮祝儀状までの四通、下巻は御機嫌伺いの文から名月の感想を述べた文までの四通と和歌一〇首および「平仮名いろは」を載せる。本往来は、下巻の後半を除いて、武家ないし上層庶民の女子用消息に頻用される例文集である。なお、本文末に「菊月日、寺沢氏」と記載するのは、本書刊行(正徳五年一月)の前年の正徳四年九月を示すか。〔石川〕
◆かなぶみてほん [0787]
仮名婦美手本‖【作者】海鏡庵(直蓬)書。【年代】嘉永四年(一八五一)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「一、手習之時、先、心を幽玄に取静、手本の心をつゞり、臂・手くひを料紙・机にもたせす、はやからす、遅からす可習事」以下一一カ条から成る筆道教訓。本文を大字・二行・無訓の手本様に記す。また末尾に「世の中の麻の跡なくなるもうし、心のうちの蓬のみして」等の教訓歌と若干の教訓文を付す。〔小泉〕
◆かなぶんしょう [0788]
〈玉置〉仮名文章‖【作者】玉置茂八(茂八郎・栄長・伴直・筆華堂)書。【年代】享保一五年(一七三〇)書・刊。[江戸]西村源六(文刻堂)板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。老齢の筆者が若い女性に諭すために綴った文章の体裁で、人の心得、胎教や子育ての在り方、孝行などについて述べた往来。「秋の夕暮、いとものさひしきにたまくらのねふりもさめて、夢のうちなる五十年…」で始まる本文を大字・四行・付訓の手本様に記す。前段で「まことのこゝろざしをやしなひ、利欲をはなれて、そのみちのいとなみをたのしびしこと第一にて候へ」、「おもふに、人々のかんやうと云は、ものしりて心の正路なるものになれしたしみましはりたるが、人の心得の第一たるべく候」と人道一般を述べ、その後に「たゝしき道」を中心に各論を展開する。その「たゝしき道」は、「神明仏陀の利益方便」「五常の道」「唐大和のみさほのせつなる」と神・儒・仏を混淆した、当時としては常識的なものである。この中で、胎教・子育てについて、実際の手だて以上に精神性を重視した点に特徴があろう。なお、現存唯一の玉川大本は原題簽を欠くが、『江戸出版書目』に標記書名を掲げる。〔丹〕
◇かなぶんしょう [0789]
〈散書〉仮名文章‖【作者】長雄耕雲・百瀬耕元書。百瀬耕元序。須田英方(耕辨・桂柱堂)跋。【年代】元文四年(一七三九)書(前半)。天明六年(一七八六)書(後半)・跋・刊。[江戸]三崎屋清吉板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。散らし書きの仮名文を集めた長雄流・百瀬流の手本。新年祝儀状から歳暮祝儀状までの計三四通を収録する。五節句や四季行事に伴う手紙ばかりで、新春から五月雨の季節までの前半一九通が元文四年耕雲書、また、灌仏会から歳暮までの後半一五通が天明六年耕元書である。外題角書の如く大半が散らし書き、うち三通が並べ書きで、他の一通は散らし書き・並べ書きの折衷形式で綴る。〔小泉〕
◇かなれつじょでん [0790]
仮名列女伝‖【作者】北村季吟(静厚・久助・呂庵・廬庵・湖月亭)作。【年代】明暦元年(一六五五)跋・刊。[京都]中野小左衛門(藤屋小左衛門・豊興堂・中道舎)板。【分類】女子用(仮名草子)。【概要】大本八巻八冊。前漢・劉向作『古列女伝』(「列女伝」七巻・「続列女伝」一巻)の大意を忠実に邦訳したもの。承応二・三年(一六五三・四)刊『劉向列女伝(新刻古列女伝・新続列女伝)』†の発刊間もない翻訳書で、説話毎の「頌」を全て(場合によっては「賛」も)削除するが、挿絵は承応板とほぼ同じものを掲げる。季吟の自序には、『古列女伝』で最初に節義の品々を明らかにし、末尾で勧善懲悪を説くのは「徳をつゝしみをこなひをはげまさん」ためで、古文や漢文は婦女子には読みがたいので、「いやしきことばにやはらけつゝ、大かたのおもむきばかり」を仮名書きにしたという。巻之一「母儀伝」、巻之二「賢明伝」、巻之三「仁智伝」、巻之四「貞順伝」、巻之五「節義伝」、巻之六「弁通伝」、巻之七「ヤ嬖(げつへい)伝」、巻之八「続篇(上記七類の追加)」の八章一二四話(伝記)からなる。本文をやや小字・一一行・付訓で記す。〔小泉〕
◇かぬまおうらい [0791]
鹿沼往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】下野国都賀郡鹿沼の沿革と地理を記した往来。「抑此地ヲ鹿沼ト申コトハ、当初、白鹿沼ヨリ出シニヨリテ名付トカヤ。其跡ハ、今ノ玉田ノ弁天ノ池トモ、又、西鹿沼ノ沼ナリトモ云伝フ…」で始まる文章で、まず前半で、日光新宮の正応五年(一二九二)の鉄灯籠に「鹿沼」の記載が見えることなどをあげて、その地名の歴史や鹿沼六六郷の沿革・古跡を紹介し、続く後半で、鹿沼城址の構造や四方の地勢、勇士名家、黒川(小来川)・的場以下の地名・名所・寺社などを列挙する。さらに末尾で、「日光黄連・人参・附子…」以下の産物(薬種・草木・果実・山菜・食品・青物・魚類・日用品・衣類・工芸品・鳥獣・木材等)を列記し、その運搬・売買や黒髪山参詣の様子を略述して結ぶ。〔小泉〕
◆かねのなるき [0792]
かねのなる木‖【作者】不明。【年代】文政一三年(一八三〇)以前作。天保一一年(一八四〇)刊(『往来物分類目録』)。また別に、[江戸]藤岡屋慶次郎板(嘉永(一八四八〜五三)頃板)、[江戸]和泉屋市兵衛板(江戸後期板)、[江戸]森屋治兵衛板(同)等あり。【分類】教訓科。【概要】異称『善悪種蒔金生木(かねのなるき)』『勧善種蒔集』『〈嘉永新刻〉善悪種蒔』『〈善悪種蒔〉かねのなる木』。中本一冊。江戸後期に普及した「金のなる木」の教えを説いた往来物。本書の撰作年代は不明だが文政一三年写本があるので、それ以前と考えられる。作者もよく分かっていないが、天保九年刊『富貴自在集』には「金のなる木」の記述が見られ、同書によっても普及したものと考えられる。「金のなる木」は、「しやうぢ木」を最も重要な徳であるとし、この「正直」を根幹に、「じひふか木(慈悲深き)」「よろづ程のよ木」「ゆだんのな木(油断の無き)」「かないむつまじ木(家内睦まじき)」「しんぼうづよ木(辛抱強き)」「ようぜうよ木(養生良き)」「いさぎよ木(潔き)」「ついへのな木(費えの無き)」「あさお木(朝起き)」「かせ木(稼ぎ)」の一〇徳の枝を合わせたもので、富裕になるための秘訣の象徴とする。本往来は、「凡、世界に生し者は、貴き賤きおしなべて、無病長命富貴をば、誰しも願事なれど…」のように七・五を一句とする合計二一三句の文章で「金のなる木」の教えを概説する。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◇かねのなるきのき [0793]
かねのなる木の記‖【作者】げんかつみち跋。【年代】天保二年(一八三一)序。元治元年(一八六四)跋・刊。[甲府]げんかつみち蔵板か。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。江戸後期庶民に流布し、往来物としても編まれたいわゆる『金のなる木』†の徳目(正直・慈悲・中庸・勤勉・倹約等)を敷衍した往来物。本文をやや小字・一一行・所々付訓で記す。巻頭に「金のなる木(しやうぢ木・じひふか木・よろづ程のよ木・ゆだんのな木・かないむつまし木・しんぼうつよ木・ようじやうよ木・いさぎよ木・ついへのな木・あさお木・かせ木(稼ぎ))」と「金のならぬ木(まことな木・じひのな木・よくふか木・あそひす木・うたかひふか木・はくゑ木(博奕)・うそつ木・ひかぬ木・たん木・りん木・うは木)」の二図を掲げ、種々の故事・説話・教訓歌・俚諺を引きながら、善悪・邪正の区別を諭す。また末尾では、楠公箴言や東照宮遺訓などを紹介する。〔小泉〕
◆がぶんしゅうせい [0794]
〈尺牘提要〉雅文集成‖【作者】家里松オ作。幽松山人序。【年代】明治三年(一八七〇)序・刊。[京都]額田正三郎ほか板。【分類】消息科。【概要】中本三巻三冊。「四季・慶弔・雑事ノ往復俗文・雅文」の二様を並置した用文章。上之巻には「新年啓」から「中元啓・同復」までの一〇題往復二〇通(各状につき雅俗二様を掲げるため実質的には四〇通)、中之巻には「邀賞月」から「餽果品・同復」までの一四題往復二八通(同五六通)、下之巻には「求医治」から「弔居喪・同復」までの一〇題往復二〇通(同四〇通)の合計六八通(雅俗合計一三六通)を収録する。いずれも俗文(準漢文体)を行書・大字・五行・ほぼ付訓で掲げ、次に雅文(漢文尺牘体)を楷書・やや小字・七行・所々付訓で記す。附録として、上巻巻頭に「書柬四季類語」「書柬雑詞類語」「書柬慶弔類語」、また下巻巻末に天文・地理・人倫・気形・草木・飲食・器財に分類された「異名分類」と、「書札」から「拙者」まで二八種の類語を集めた「緒凡熟字」を掲げる。〔小泉〕
◆かほうおうらい [0795]
〈新販頭書・麁食三益〉家宝往来‖【作者】不明。【年代】天保五年(一八三四)刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。天保五年刊『道外実語教』†後半部「寿福心得種」に若干の増補を加えたものを本文とし、頭書に粗食・微食を主とする倹約を説いた教訓文を載せた往来。金・銀・米・銭・布の「五宝」、とりわけ米が「人命の根本」であり、その有り難さを十分かみしめると同時に、三度の食事にありつける「泰平二百余年」の国恩に感謝すべきことを冒頭に説き、延寿のための養生法として具体的に「麁食三益の法(三度の食事のうち一回を粥にする倹約法)」を示し、この種の倹約が「庶民困窮の助」になることを諭す。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、本書は町人向けの天保一三年刊『〈御免・質素倹約〉現銀大安売』にも影響を与え、同書頭書「倹約心得草」に本書とほぼ同文を載せる。〔小泉〕
◆かほうようぶんしょうかいせい [0796]
〈当流証文・難字大成・筆林綱目〉花宝用文章改成‖【作者】不明。【年代】正徳五年(一七一五)刊。[京都]中村弥兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『花宝用文章』『用文章』。大本三巻三冊。主に上巻に春〜夏、中巻に夏〜秋、下巻に秋〜冬というようにほぼ季節に適した例文を集めた用文章。上巻に「正月始て遣す状」以下一六通、中巻に「雨天に人に遣す状」以下一六通、下巻に「久敷逢ざる人に遣す状」以下一四通の合計四六通を収録し、各例文を大字・四行・付訓で記す。書止等をほとんど省略した文面中心の例文で、特に目立つ特色はない。一方、頭書には独特な記事が多いが、このうち「世話字往来教車」は禿箒子作『世話字往来教車』†とは全く別物で、むしろ『世話用文章』†に似た俗文章(二八通)であり、元禄〜宝永(一六八八〜一七一一)頃の世話字消息の流行を示す例であろう。このほか「手形証文尽(借家請状以下二〇例)」「手形書様心得之事」「小謡百番」や、上巻前付に食初・髪置・袴着・元服の説明や図解(通過儀礼の道具の図解は珍しい)を掲げる。〔小泉〕
◆かぼくきょうくん [0797]
家僕教訓‖【作者】黒田直邦(琴鶴・瓊山)作。【年代】江戸中期書か。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。忠節・礼儀など人倫の基本を説いた教訓書。まず道に従わぬ者は人間でないように、忠義を尽くさぬ者は下臣ではないこと、また誠の忠や心の誠実さを説き、そのための学問の内容と方法や冠婚葬祭・礼儀の大要などにも言及する。所々割注を交えて平易に解説したり、全文を漢字の少ない仮名文で綴るなど童蒙・婦女子用に記したものであろう。「人として道にしたかわさるは人にあらす。臣として忠あらさるは臣にあらす…」で始まる本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かぼくしんこじょうぞろえまんねんぐら [0798]
〈長生利潤・応得此書〉花墨新古状揃万季蔵‖【作者】十返舎一九作。北尾重政初世(中村太郎吉・非羸・繁昌・紅翠斎・碧水・北峰)画。西村屋与八(永寿堂)序。【年代】文化元年(一八〇四)刊。[江戸]西村屋与八板。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。江戸中・後期に広範に流布した『古状揃』†にならって一九が編んだ古状集。いずれも『古状揃』と同様に歴史的人物の重要な事件をモチーフにした架空の書状だが、特に本書は頭書に当該人物の略伝を載せることにより、古状の内容をより理解しやすいものとしている(この点は『忠臣往来』†も同様)。収録古状は、道真が臨終間際に書いたとする「謫者菅原通実謹而奉天奏旨趣」、一五カ条から成る「楠正成壁書」、朝敵平維盛との対戦を前に義仲が八幡大菩薩に祈願した際の「木曽之願状」、鬼界が島に配流されていた平康頼らを平重盛が大赦した書状「安頼・成常赦免状」を始め、以下、「土佐坊起請文」「弁慶勧進状」「平手政秀諌状」「清水宗治、羽柴秀吉に送る書翰」「同返状」「秀吉公、光秀へ送る口達の書」「同返状」までの一一状を収録する。本文を大字・六行・付訓で記す。巻末に、徳目を薬種にたとえて綴った「豊太閤御制法人間一生安泰丸」を掲げる。〔小泉〕
◆かまくらおうらい [0799]
鎌倉往来(古写本)‖【作者】楊井弥三郎(柳井融斎)書・跋か。【年代】室町中期作。天文一七年(一五四八)書。【分類】古往来。【概要】大本一冊。後半に『手習往来』を合綴する。中流武家の間で実際に遣り取りしたと思われる消息文例五双・一〇状から成る往来。関東武家の子弟対象に編んだため『鎌倉往来』と命名されたのであろう。第一状「武具借用状」に武具名三八語、第二状「同返状」に武具および旅行用具三六語など、冒頭四状に種々の語彙集団を含む。本文を大字・六行・無訓で認め、識語に「雖為悪筆、依所望、書写畢。筆者生年七拾陸歳成候」と記す。また、後半部『手習往来』†は、武家の戦場における覚悟と心得とになぞらえながら、子どもに手習いの教訓と方法を諭した往来物で、近世の『初登山手習教訓書(手習状)』†の先駆となった点で重要な意義を有する。〔石川〕
◆かまくらおうらい [0800]
鎌倉往来(刊本)‖【作者】尾崎敬孝(広安・伴右衛門)作・書。尾崎定利(尾海堂)跋。【年代】天明四年(一七八四)跋・刊。[江戸]藤木久市(金華堂・玉海堂)板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「春色融和続候之間悠々鎌倉致歴覧罷帰候…」で始まる文章で、鎌倉の起源や、源氏ゆかりの鶴ヶ岡八幡宮を始めとする同地の名所旧跡・神社仏閣を歴訪して、それぞれの由来や景趣を記した往来。本文を大字・三行・無訓で記し、本文末尾に「右一章者、鎌倉之旅行を編て筆を耕畢。尾崎敬孝」と付記する。また、続いて天明四年二月の門人・尾崎定利跋文(陽刻)と、「筆塚牌之文」、すなわち安永一〇年(一七八一)に江戸芝三縁山中茅野天満宮境内に尾崎敬孝が建立した筆塚の碑文(陰刻)を掲げる。〔石川〕
◆かまくらめいしょおうらい [0801]
鎌倉名所往来‖【作者】不明。【年代】文化六年(一八〇九)刊。[鎌倉]青木重右衛門板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。神奈川県鎌倉市方面の地理を扱った往来で、地元で出版された唯一のもの。表紙共紙の全九丁、刷外題の簡易な小冊子で、板元は「鎌倉村岡郷」の書肆・青木重右衛門。「言伝ふ、鎌倉名所旧跡を、たづぬる人のためなりと、先あらましを書しるす、古今旧跡(こせき)の源の、其名を聞はならびなき、鎌倉山の八重一重…」で始まる七五調の文章で、まず鎌倉の沿革を述べ、次に鶴ヶ岡八幡宮近辺の松が丘明神・若宮八幡宮・大名小路・馬場小路・由比ヶ浜等の名所旧跡・神社仏閣などを故事・縁起とともに紹介し、以下同様に鶴ヶ岡八幡宮を中心に東・西・巽・乾の各方角毎に列記する。本文をやや小字・八行・所々付訓で綴る。また、一、二丁おきの変則的な頭書に鎌倉武士の事跡と肖像を載せる。〔小泉〕
◆かまくらもうで [0802]
鎌倉詣‖【作者】蓮池堂作・書。高井蘭山校。【年代】文化七年(一八一〇)刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]鶴屋喜右衛門板(文政六年(一八二三)板)、[江戸]亀屋文蔵板(後印)等あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈童男児女手本〉鎌倉一覧文章』『〈増補〉鎌倉詣』。中本一冊。「兼而御約束の鎌くらもふて、風流の同志申合、弥生のはじめ出立と定候得者、疾御用意候へかし…」で始まり「…万々期其節候。頓首」と結ぶ全一通の手紙文の形式で、鎌倉から金沢八景周辺の寺社や名所旧跡の風趣・縁起等を略述した往来。戸塚までの参詣路は省略し、ただちに鎌倉の竜口寺・満福寺・七里ヶ浜・稲村ヶ崎・光則寺・甘縄明神・尊氏屋敷跡・鶴ヶ岡八幡宮・寿福寺以下、多くの古跡・名勝を順々に列記する。本文を大字・四行・付訓で記す。文化板・文政板の巻頭に「鶴岡八幡宮結構図」と由来書きを付すが、無刊年本では削除された。なお、『江戸出版書目』によれば、勝間竜水筆『鎌倉詣』が宝暦五年(一七五五)に江戸・福井宗兵衛から出版されたが現存せず、本書との関連は不明。〔小泉〕
◆かみこいでむらおうらい [0803]
上小出村往来‖【作者】藍沢無満(君雄・藤右衛門)書。【年代】文化九年(一八一二)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。上州前橋城下の管轄範囲・生産高、近世後期までの沿革、年貢徴収、人口・戸籍、交通ならびに伝馬役、街道整備、田畑の規模等級、検地、寺社縁起、名所等を記した往来。「上野国上州前橋領主御在城者、武州川越城主・松平大和守様、御領分勢多郡川通上小出村、石高六百九石一斗九升二合…」と書き始めて、宝暦七年(一七五七)の洪水や天明三年(一七八三)の浅間山大噴火などの状況、また石高の推移にも触れ、本文の多くを領地支配や租税公課など政治・行政的内容に当て、末尾で寺社など若干の名所や地名を紹介するのが特徴。本文を大字・五行・無訓の手本用に記す。なお、本文末尾に「嘉永四辛亥年新ばん」とあるが、刊本の有無は不明。〔小泉〕
◆かみんしょうがく [0804]
下民小学‖【作者】知足庵作。玄水堂(西明寺祐明)書。玄心堂跋。【年代】文化一二年(一八一五)跋・刊。[江戸]須原屋市兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。三三カ条と後文から成る庶民向けの教訓。第一条「妻を娶る際の男子の心得」から始まり、家内を預かる妻の本務、婚家における嫁の舅姑への孝行、妊娠時の心得、子どもの養育・教育、布施・陰徳、倹約、家業と休息、誠実な奉公、奉公人の見極め、家内和順、神事祭礼、乱酒禁物、講中寄合での心得、衣食住における分限、身体の保養、先祖伝来の土地の保持、商家主従の心得、慶弔、金銭貸借、郷土への貢献、諸役人等に関する教訓を列記し、最後に、幼時よりこの教訓を日々熟読し、天地の真理や人倫に従って家業・学問に励むべきことなどを諭す。本文を大字・五行・無訓で記す。なお、本書の改題本に『農家大学』†や『〈御家〉民家学要』†がある。〔小泉〕
◆かめいどもうで [0805]
亀井戸まうて‖【作者】楠花堂作・跋。親行書(本文)。井笹宣朗書(序文・跋文)。備成序。【年代】寛政一二年(一八〇〇)序。寛政一三年刊。[江戸]若林重左衛門(鳳嶽館)板。【分類】地理科。【概要】異称『亀井戸詣』。大本一冊。全編一通の女文の体裁で、江戸・両国橋より亀井戸天神に参詣し、さらに神田湯島の聖廟に至るまでの沿道にある名所旧跡・神社仏閣、ならびに同天神の景趣・由来・縁起等を紹介した往来物。「物かく業にたつさはり侍る身なれは、天満宮の御蔭を仰き奉らんと、亀井戸詣おもひたちぬ…」で始まり、「めてたくかしく」と結ぶ。本文を大字・三行・無訓で記す。筆者・親行は女性であり、江戸後期刊本としては比較的珍しい女筆手本である。なお。巻末に「井笹宣朗十三才書」と記す。〔小泉〕
◇かもがはらもうで・きじまめいしょむらむらもうで [0806]
鴨ヶ原詣・木島名所村々詣‖【作者】竹原利左衛門(国信)書か。【年代】文久四年(一八六四)書。【分類】地理科。【概要】前半に『鴨ヶ原詣(鴨原もうて)』、後半に『木島名所村々詣』を収録した往来。前者は「日の本は神のみすい(ゑ)ぞ難有し。訳て礼地の信野なる、すわの明神国々で、守り賜そ難有し、山は御たけ善光寺…」で始まる七五調の文章で、信濃国下高井郡木島村(長野県下高井郡木島平村)一帯の名所旧跡・神社仏閣とその風趣・故事来歴等を記した長文の往来で、所々に名所和歌を挿む。後者は、「信濃なる、先市川の名高きは、越後国えとなかれ行、其川上をたつねれは、西はさん中山々の、沢より水のをち合は…」と筆を起こし、木島村周辺の河川や山々と同村の地勢、各地の名所・寺社、産業・名産、交通路等について記す。末尾に「差上る民のみつぎの御酒よりも、神のめくみのふかき樽川」等の和歌二首を掲げる。〔小泉〕
◆かもごおりおうらい/かもごうおうらい [0807]
〈備前〉加茂郷往来‖【作者】叙像書(嘉永四年(一八五一)写本)。【年代】天保一二年(一八四一)作。嘉永四年書。【分類】地理科。【概要】異称『備前加茂郷往来』。大本一冊。備前国津高郡加茂郷(岡山県南部)地方の歴史や地理を記した往来。「備前加茂郷者、当乾岡山摂、境備中・作州山里也。仁政甚故、物所民富饒而、仮威光旅人跪…」で始まる文章で、同地の名称が京都の地名に由来することや、鎮守・山王宮加茂明神、加茂村を始め、同地域の諸村の概要・沿革、各村の鎮守の縁起・祭礼、特に毎年九月に三八カ村の氏神八社で行われる「神輿供奉の行列」の威容や雲霞の如き群集の様子などを詳述し、さらに本宮山円城寺の規模・霊験や信仰の様子、また周囲の山々や島々、各地の物産等を紹介する。なお、玉川大本は、本文を大字・四行・無訓で記し、末尾に「備陽加茂山樵夫叙像写之」と付記する。〔小泉〕
◆かようおうらい [0808]
〈御家流〉花幼往来‖【作者】中屋休次郎作。道休書(『大阪出版書籍目録』。ただし、末尾「今川状」は置散子書)。【年代】享保一五年(一七三〇)刊。[大阪]中屋休次郎(仲屋久次郎・休次郎)板。【分類】消息科・教訓科。【概要】大本一冊。「年頭祝儀状」以下一一状の消息文例などを大字で認めた手本。参勤供奉拝命・参府御礼・出産祝いなど種々の例文を収める。このほか、女中祝儀の文の心得や新年挨拶状(女用文章)、や種々書法(絵馬などの書き方)について紹介する。後半に『今川状』†の全文を収録するが、置散子筆の『今川状』は延宝(一六七三〜八〇)頃に単行本として刊行されており、本来別々の単行版であったものを本書において合綴したものと考えられる。本文を概ね大字・五行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆かようじょう [0809]
華陽帖‖【作者】高橋竜鱗(富義・仁寿堂)書。【年代】安政二年(一八五五)書。【分類】社会科。【概要】異称『庁用往来』。大本一冊。『新幼学往来』†の改題本。同本文を大字・二行・無訓で記すが、後半部を欠く。〔小泉〕
◆からくめいしょおうらい [0810]
花洛名所往来‖【作者】大西三揃(多問)作・書。【年代】明治二五年(一八九二)作・序・書。【分類】地理科。【概要】異称『都名所往来』。大本一冊。鈴鹿定親作・延宝三年(一六七五)刊『都名所往来』†の増補・改題本。序文によれば、「維新ノ後、寺社ノ規模大ニ変革シ旧観ヲ改ム」現状にふさわしく、また「年序ノ経歴ヲ挿入シ」つつ補充を試みたもの。神社・仏閣の記述など随所に語句を増補したほか、例えば延宝板の本文「此平安城延宝二年迄八百九十二年也」に続けて「延宝二年より当明治廿五年迄二百十九年ニナル。惣計千百十一年」のように撰作時までの年数や撰作当時の地名などの細注を新たに加えた。本文をやや小字・八行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◇からしじょう [0811]
辛子状‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】起床後の身支度や寺子屋での手習い稽古などの基本的な心得を古状風に綴った短文の往来。不行儀・不学・怠惰の童子が成人後も無知蒙昧に終わることや、容姿よりも内面の智恵が大切なことなどを説く。弘前地方で使用されたものという。〔小泉〕
◆からすまるじょう [0812]
烏丸帖‖【作者】土肥直康(樵石)書・序。【年代】明治二六年(一八九三)刊。[東京]原亮三郎(金港堂書籍会社)板。【分類】女子用。【概要】異称『烏丸殿より三条との御息女への御文』。縦長本三巻三冊。烏丸光広作と仮託された『烏丸帖』の本文を半丁に大字・二行・無訓で綴った手本。『烏丸帖』の基となった『仮名教訓』†には異本が多く、書名も諸本によってまちまちだが、本書は前文と「第一、慈悲のこゝろありて人を憐み、虫・けたものゝうへ迄も露情を懸け給ひ…」で始まる一一カ条から成る。巻頭「はしがき」に筆道の基本を説くが、その基本を習得するべく、本書の上・中・下巻であえて筆法を変化させた旨を記す。〔小泉〕
◆からすまるじょう [0813]
〈高等女子習字帖〉烏丸帖‖【作者】福羽美静・跡見花蹊序。橋詰敏跋。【年代】明治二四年(一八九一)序・跋。明治二五年刊。[東京]大橋新太郎(博文館)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈雲上女訓〉からすまる帖』『烏丸とのより三条殿御息女への御文』。大本一冊。いわゆる『仮名教訓』†系の往来物の一つ。『仮名教訓』は、近世期には『かほよ草(女手本)』†『女教訓書』†『三条西殿御息女への文』『西三条殿長文』†『何某大納言殿御消息』『長雄かな文章』†『女教訓岩根松』†『今川娘教訓』†『嫁文章』『女教訓千代の鶴』†『貝原氏老女諭状』等々の様々な書名で部分的な改編が繰り返されたが、本書は『仮名教訓』の全一一カ条の体裁を忠実に保つ草書体・大字・五行・無訓の陰刻手本である。ちなみに、元禄五年(一六九二)写本『女教訓書』で、あたかも烏丸光広作を思わせる『烏丸殿より三条殿御息女へ』の内題が掲げられることになったが、『仮名教訓』はもとより作者不明の教訓書である。〔小泉〕
◇★からにしき [0814]
唐錦‖【作者】大高坂維佐子(成瀬維佐子・いち・伊佐・喬松女)作。大高坂芝山(秀明・清助・一峯翁・西湖・黄裳軒)校・跋。大高坂延年序。【年代】元禄七年(一六九四)作・跋。寛政一二年(一八〇〇)序・刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】異称『唐にしき』『からにしき』『可羅錦』。大本一三巻一三冊。大高坂芝山の妻である維佐子が著した膨大かつ体系的な女訓書。「女則(にょそく)」五巻(第一〜五巻)、「装束抄」一巻(第六巻)、「姿見」一巻(第七巻)、「写絵」一巻(第八巻)、「古教訓」一巻(第九巻)、「柳桜集」四巻(第一〇〜一三巻)の六部一三巻から成る。「女則」では、「をんなの学ひの法(のり)」を学範・卑弱(春巻)、婚礼・孝行(夏巻)、貞烈(中央巻)、内治(だいち)・胎養(秋巻)、母道・婦功(冬巻)の九章に分けて述べ、「装束抄」では婚礼時服や四季衣装、その他衣桁飾り等の故実、「姿見」では中国の賢妃、「写絵」では本朝近世の貞女についてそれぞれ説く。また、「古教訓」では「女則」で展開した「学びの道」を補足的に述べ、最後の「柳桜集」で以上五部の拾遺や文学論を問答形式で綴る。このように、女性の教養全般にわたるが、「まなびこそ、げにかぎりなきたのしみならめ」という言葉に象徴されるように、本書の中核は「女則」である。なお、延年の序文によれば、稲葉正通の求めに応じてわずか三カ月で本書を著してこれを提出、その副本を家宝として秘蔵してきたのを、荘内の医師・前田子仁によって発見され上梓する運びとなった。なお、大高坂維佐子は本書執筆の翌年の冬から本書の補遺として『続女則』†一〇巻を編んだがこちらは未刊に終わった。なお、師岡正胤校訂の『〈女訓〉唐錦』が明治一九年(一八八六)に東京・藤野正啓によって刊行されている。〔小泉〕
◆かわごえおうらい [0815]
川越往来‖【作者】不明。【年代】天保(一八三〇〜四四)頃書。【分類】地理科。【概要】中本一冊。武州・川越城を中心に南・東・巽・西等の方角に分け、城下の町名および近郊の農村名・字名を列挙した往来。「御城下町々并宿駅在郷方角附、先南之方、両久保町・松江町・御組町・仙波新田・峯村・砂村・藤間・鶴岡…」と起筆する典型的な国尽型往来で、最後を「…与野・浦和・大宮・蕨宿・戸田・船戸・板橋・練馬・川口・千住・江戸」と上京する順路に従って主要な地名を挙げるのが特徴。本文を大字・六行・無訓で記す。後半に「女国尽」(大字・五行・付訓)を合綴する。〔石川〕
◆かわちおうらい [0816]
河内往来‖【作者】堀月下作。加地士竜(松樹館)・藤林春碩書。基亭画。三五園序。清水往永・王母跋。【年代】天保六年(一八三五)序・刊。刊行者不明。【分類】地理科。【概要】異称『〈名所旧跡〉河内往来』。半紙本一冊。河内国中の「神社仏閣・村里・川流等の名目を顕し、猶、頭書には当時の和歌・俳諧をくはへ、或は名物・名産をしるした」往来。「抑此国の名を河内と申は、其むかし神武天皇難波の津より青雲の生駒山に攀(よじのぼ)り遙に叡覧ましませは、東より南は峩々たる山続にして…」と筆を起こし、河内国の地形、国号の由来、一の宮・牧岡神社を始めとする寺社縁起、名所故事などを、しばしば古歌を引きながら紹介し、末尾を「…折々尋ね求て筆を取へく候。かしく」と女文形式で結ぶ。本文を大字・五行・所々付訓で記す。巻頭に七十五翁四端らの和歌・俳句と河内名所風景図、頭書に「当時の好士和歌・俳諧、名物・名産のるい」、さらに巻末に藤林春碩筆の「書初詩歌・七夕詩歌」計二〇首を掲げる。〔小泉〕
◆かわりどうくんじょう [0817]
替童訓状‖【作者】不明。【年代】江戸前期作か。江戸中期(享保(一七一六〜三五)頃か)書。【分類】教訓科。【概要】異称『替愚息童訓』。特大本一冊。書名の「替」は既製の往来物に対する命名で、本文が「右大躰は、不異膳立之飯椀。其故如何、初心之輩、先、向膳祝申候訖…」と始まるように、『初登山手習教訓書(手習状)』を模して編んだもの。饗膳の食礼を中心に、椀の持ち方や箸の使い方、また、食べる順序等について説明する。飯は観世音菩薩、汁は水神大権現、納豆は瑠璃光十二神、酢和えは八幡大菩薩、煮物は中光山王権現、香物は三室山大荒神、楊枝は魔利支天の化身であると、諸仏諸神の意義付けによって説くあたりは江戸前期撰作を物語る。現存の写本は大字・五行・無訓の手本用に綴る。原本は見あたらないが、『元禄五年書目』に載る『替童子教』との関連も考えられる。〔小泉〕
◆かんいかてならいのぶんげんぽん [0818]
〈傍訓〉簡易科手習の文原本‖【作者】東京府学務課編。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]東京府板。【分類】合本科。【概要】異称『傍訓簡易科手習の文原本』。半紙本一冊。小学校簡易科の習字教材の原文に傍訓を付したもの。以下の教材は、その後、それぞれ単行本としても刊行された。「イロハ」「数字」「十干十二支」「天地の文(天地・日月・東西南北から始まり、月日や時間、暦に関する基本語彙を列挙)」「名頭字」「国名(府県制以前の旧国名)」「府県名」「消息往来」「商売往来」「百姓往来」「外国名」から成る。その前半部は福沢諭吉の『啓蒙手習の文』†上巻の模倣で、後半の「消息往来」「商売往来」「百姓往来」の三往来は近世流布本の改編版である。本文を楷書・やや小字・八行・付訓で記す。なお、冒頭の「例言」には、以上の教材を扱う際の注意として、教授する書体は楷・行・草のいずれでもよいこと、収録順序は級の順であるが実際の授業では適宜前後してよいことなどを説く。〔小泉〕
◆かんえいさんたいせんじもん [0819]
漢英三体千字文‖【作者】榧木山涯(寛則)作。寺崎梅坡(利憲・子監・友三・寒香堂)書。【年代】明治五年(一八七二)刊。[東京]雄風館蔵板。森屋治兵衛売出。【分類】語彙科。【概要】異称『〈漢英〉三体千字文』。中本一冊。周興嗣作『千字文』の本文を漢字三体(楷書・行書・草書)、ローマ字三体(ローマン体大字・同小字・イタリック体小字)で記した往来。本文左開きで半丁四行、各行に六体ずつ掲げる。〔小泉〕
◆かんえんこはんぶんしょう [0820]
寛延古版文章(仮称)‖【作者】中沢淡水書。厩橋某跋。【年代】寛延元年(一七四八)書。寛延二年跋・刊。[江戸]和泉屋吉兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「新年状」から「長崎土産を拝見したい旨を伝える手紙」まで四二通の消息文例を収めた手本。本文を大字・四行・無訓で記す。武家公用の例文もわずかに含むが、大半は知人と日常やりとりする私用文である。季節毎に催される諸行事の案内や誘引状、またそれに対する返状や礼状、日常の雑事に関する書状、その他吉凶事に伴う手紙などから成る。末尾に詩歌二首を掲げる。〔小泉〕
◆かんがくじょう [0821]
勧学状‖【作者】伴次書。【年代】安永二年(一七七三)書。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「童部状」「物嗅状」「弁慶状」「熊谷送状」「経盛返状」「勧学状」の六本を合綴した合本科往来中に収録。「抑童子勧学文云、猿猴者似人叶人教、人似猿猴不叶教…」で始まる文章で、まず、愚かな人間が鳥獣にも劣ることを述べ、公家では七、八歳になれば学問を始めること、書読に励む子どもには神仏の加護を蒙ること、才智を磨くために智ある師や明徳の人に接すべきことなどを説く。最後に『実語教・童子教』†の文言を引きながら、学問研鑽の上で朋友・父母・師君が重要なことや学問を重んずる心を諭して締め括る。安永二年写本は大字・五行・稀に付訓で記す。なお、『大阪出版書籍目録』には、細合斗南書『勧学帖』(寛政四年(一七九二)頃刊、大阪・河内屋八兵衛ほか板)の書名が見えるが、本書と関連があるか。〔小泉〕
◇かんがくどうもうくん [0822]
勧学童蒙訓‖【作者】虧斎愚t作・序。山本北山(信有)序。【年代】文化元年(一八〇四)序・刊。[江戸]西村源六板。【分類】教訓科。【概要】異称『勧学篇』。半紙本三巻合一冊。学問に励むことや、孝子・忠臣のあり方を児童に教え諭した教訓。上巻には「学をすゝむる発端」「師のゑらひ(方)」「学問貴賤老少なし」「子のならはし(附無学の悔)」「九種の字数」を、中巻には「聖人の恩沢并五常五倫」「老て学ふの功并友を択ふ」「遇と不遇の論」、下巻には「芝蘭の室、鮑魚の肆(子どもの教育環境についての論)」「朝に道を聞て夕に死すとも可也」「学文虚実」「古人詩文の論」について述べる。『四書』『五経』などの漢籍から多くを引用して諭す。〔小泉〕
★かんがくのふみ [0822-2]
勧学之文‖【作者】油口山人(見明・憲徳)作・書。【年代】寛延四年(一七五一)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。中国聖賢の勧学の教えを列挙した往来。「真宗皇帝勧学」「仁宗皇帝勧学」「司馬温公勧学」「柳屯田勧学文」「王荊公勧学文」「白楽天勧学文」「朱文公勧学文」の七人の教訓文を大字・五行・無訓で記し、末尾に「いたつらにすくる月日はおほけれと、花見てくらすはるぞすくなき」の教訓歌一首を置いて結ぶ。なお、寛政六年(一七九四)刊『童子進学往来』†に酷似し、それに先行する往来として注目される。〔小泉〕
◆かんがくひっき [0823]
勧学筆記‖【作者】溝口浩軒(直養・浩斎)作。【年代】安永八年(一七七九)書・刊。[新発田]藤間得康板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。新発田藩第八代藩主・溝口浩軒が著した仮名書きの初学者用教訓書で、特に日頃聖賢の書を読む機会のない者に対して聖学の根本を簡潔に説きつつ志学を諭したもの。貴賤尊卑の別なく学問が必要なこと、天性の素質の善し悪しに関わらず学問が重要なこと、国家の安全や個人の無難に学問が不可欠なこと、さらに、朱子学では山崎闇斎学派を薦めてこれを精魂傾けて学ぶべきことなどを説く。本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆がんがくぶんしょう [0824]
願学文章‖【作者】不明。【年代】天和(一六八一〜八三)以前刊か。[京都]永原屋孫兵衛(昌陽軒・中村富平)板。【分類】消息科。【概要】大本三巻三冊。証文文例集としては現存最古の用文章。本書の改題本と思われるものに貞享元年(一六八四)刊『学文章』があり、また寛文六年(一六六六)以前刊の『勧学文章』(未発見)は本書の先行書と思われる。上巻に「一、譲状之事」〜「十一、金銀相済状書やうのこと」の一一通、中巻に「一、奉捧祠堂銀子之事」〜「八、寺請状かきやうのこと」の八通、下巻に「一、万送状かきやうの事」〜「十一、同(銀子)借状かきやうのこと」の一一通の合計三〇通の証文文例を収録する。本文を大字・五行・付訓で記す。中巻の「一、奉捧祠堂銀子之事」には「文禄三年四月吉日」の年号を記すように古証文を含む。従って、貞享以前の先行書が存在したことが十分に考えられる(ただし寺請状の例文が載るので、寛永一一年(一六三四)以降)。さらに特筆すべき点は上巻「五、離別条々事」で、これは用文章中に見える離縁状雛形の最古の例であり、実物の離縁状でも元禄九年(一六九六)の「相渡シ申候手形之事」が現存最古とされるから、本書は離縁状の歴史にも一石を投ずる重要な資料である。〔小泉〕
◆かんがくまりうた [0825]
勧学まりうた‖【作者】蒼髯叟作。【年代】明治年間刊。[東京]和泉屋市兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈勧学〉鞠謡』。小本一冊。皇国民としての学問の意義や勧学を説いた手まり歌。「一ッとや、人と生まれて学ばねば、ひとの人たる甲斐ぞなき、おこたるな」で始まる一〇番と「一ッとや人たる務をせぬ人は、人の皮着しけものなり、おこたるな」で始まる一〇番の合計二〇番から成り、全ての歌の最後を「おこたるな」で統一する。後半にも童歌風に綴った童蒙向け教訓(家庭や学校での努力目標)や、皇国の学問の起源と文明開化の意義を略述した「開化哉文廼朝風(ひらくるやふみのあさかぜ)」を載せる。刊年不明だが、内容から明治初年であることは疑いない。本文をやや小字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かんけぶんしょう [0826]
〈享和新刻〉菅家文章‖【作者】河原富蔵(青奴子)書(再板本は山隣堂東浩書)。高井蘭山訓点。東条琴台序(天保七年(一八三六)板)。【年代】享和三年(一八〇三)刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]川村儀右衛門ほか板(後印)あり。【分類】古往来。【概要】異称『〈天保再刻〉菅家文章』。半紙本一冊。『十二月往来(菅丞相往来・菅家往来)』†と同内容。ただし、本書では各状の前に置く月異名を省き、その代わりに、異名の一つを書状末尾に付す。板種には享和三年板と天保七年再板本の二種あり、両者は同内容ながら版式・筆跡が全く異なる。すなわち、享和三年本は無界、天保七年本は有界で、いずれも大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。また、享和板ではしばしば左訓や傍注を伴う点も大きな違いである。なお、享和板は蓮池堂文盟門人・河原氏の筆で、当時一二歳と弱輩であったため、本書上梓について文盟の許しを得られなかったにもかかわらず板元が「強(あながち)に乞うけて」開板した経緯を跋文に記す。〔小泉〕
◆かんけぶんしょうけいでんよし/かんけぶんしょうけいてんよし [0827]
菅家文章経典余師‖【作者】高井蘭山注。【年代】文政八年(一八二五)序・刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。また別に[江戸]和泉屋金右衛門板あり。【分類】古往来。【概要】異称『〈経典余師〉菅家文章』。大本または半紙本一冊。『菅丞相往来(十二月往来)』†の頭書絵入り注釈書。行間に界線を設け、本文の各書状を二、三段に分かち、行書・大字・五行・無訓(送り仮名を付す)で記し、細字・二行割注の形式で詳しく施注する。近世後期の庶民に理解しやすい平易な注を旨とする。頭書には書き下し本文とともに合計二四葉の絵図(本文内容とはあまり関連のない四季風物や近世的な庶民風俗等を描く)を掲げる。〔石川〕
◆かんこうか [0828]
勧孝歌〈附八反歌〉‖【作者】奥田竜溪(士M)作。【年代】宝暦一二年(一七六二)刊。[伊勢]山形屋伝右衛門(陽華堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈王中書〉勧孝歌〈附八反歌〉』『王中書勧孝歌』。半紙本一冊。『勧孝歌』は「孝為百行首、詩書不勝録、富貴与貧賤、倶可追芳躅…」で始まる漢字五字一句、全一二四句から成る文章で孝行を諭した往来で、本書はこの『勧孝歌』に平易な注解を施したもの。胎内から出産後に及ぶ親の養育の苦労・愛情と、子どもの成長過程における親の慈愛の深さ、そして、それに反して成人後の子どもの不孝、老い行く親の孤独さなどを象徴的に書き記し、さらに経書中の多くの孝子を見習うべきことなどを説く。末尾の「八反歌」も同一人の作とされるもので、「子を思ふとおやを思ふとうらはらになる」様を示して戒めとした教訓である。本文を大字・五行・付訓で記し、二句毎に割注(無訓)を施す。また、序文中に本書の作者(「王中書」の「王」)についての若干の考察を載せる。〔小泉〕
◆かんこうじげん [0829]
勧孝邇言‖【作者】上羽勝衛作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]大観堂蔵板。[肥後宇土]江戸屋又十ほか売出。また別に[東京]岡田屋嘉七売出(後印)、[東京]竹田平次郎売出(後印)等あり。【分類】教訓科。【概要】異称『上羽勝衛纂勧孝邇言』。半紙本二篇合一冊。上篇は『六諭衍義大意』†第一章「孝順父母」を抽出して改編した教訓書。下篇は松平好房・丈部祖父麻呂(はせべおじまろ)・樵夫(きこり)清七・僧某・阿新丸(くまあかまる)・福依売(ふくよめ)・周の曽参・漢の江革・宋の朱寿昌の九孝子の事跡を略述する。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。なお、本書上篇のみを抄録した改題本に明治六年(一八七三)以降刊『孝行のさとし』†がある。〔小泉〕
◆かんこうじょう [0830]
勧孝帖‖【作者】梵海作・書。【年代】江戸後期刊。[下野]勧孝堂板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。『孝経』等によりながら綴った全二〇カ条の教訓で、半丁に大字・二行・無訓で一カ条ずつ書した陰刻手本。ただし、冒頭の一条「一、因聖教、演孝行之順序、示児童条々」は本書の首題で、次の「一、身体髪膚受之父母、敢不毀傷孝之始也」が実質的な第一条である。以下、日常生活における孝行の具体例などを簡潔に記す。勧孝堂は著者・梵海自身と思われるから、本書は下野那須郡雄川で出版された私家版であろう。〔小泉〕
◆かんこうぶん [0831]
勧孝文‖【作者】不明。【年代】弘化二年(一八四五)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「凡、稚き人々は、父の仰は用れと、母に向ふて口答へ逆ふ人も有…」で始まる全文一通の女文形式で孝行を諭した往来。主として、母親に口答えする子どもへの教訓として書かれたもので、父母が同じ親であること、とりわけ出産・養育にかかる母親の苦労とその恩の広大なことを縷々述べ、父母の隔てなく孝行に努めよと諭す。また、孝行の主旨が「父母の言葉に従ってその心を悩ませないこと」であり、父母の教えは後々に必ず役立つことを説く。本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かんこうへん [0832]
勧孝篇‖【作者】王中書(王剛)作。桑寛訓点。【年代】明和七年(一七七〇)刊。[大阪]尼崎屋佐兵衛板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。唐・王中書作とされる『勧孝篇』を楷書・大字・四行(各行五文字)・所々付訓でゆったりと記し、巻末に「唐王中書剛勧孝篇訳文」としてその書き下し文(楷書・やや小字・八行・付訓)を併せ示したもの。『勧孝篇』の内容は、一言で言えば「父母ノ恩」とりわけ母の恩を徹底的に説いたもので、仏教的な孝道論に近い。身命に代えて撫育したはずの子が、成長した後は親をないがしろにしていくことの多い風潮を嘆き、黄香・王祥・孟宗・郭巨などの「古風」に学べと結ぶ。王中書には、他に寛政五年(一七九三)刊『勧孝歌』があるというが未見(長澤『和刻本漢籍分類目録』)。あるいは宝暦一二年(一七六二)刊『勧孝歌〈附八反歌〉』(奥田竜溪作)と同じか。〔母利〕
◆かんこうみせばや [0833]
勧孝見せばや‖【作者】野村善応(自余居士)作・序。【年代】天明五年(一七八五)刊。[大阪]柏原屋佐兵衛板。【分類】教訓科(心学書)。【概要】異称『勧孝篇和解』『勧孝見世ばや』『唐王中書剛勧孝篇』『見世波哉』。半紙本二巻二冊、後に二巻合一冊。唐・王中書の作という『勧孝篇』を俗解した心学系教訓書・往来物。『勧孝篇』は「世有不孝子、浮生空碌々、不念父母恩、何殊生枯木…」で始まる五言一句、全八八句から成る文章で、父母養育の恩と孝行・不孝のあらまし、また、二十四孝の代表的孝子五人(黄香・王祥・孟宗・郭巨・丁蘭)について述べたもので、この『勧孝篇』の本文一〜六句毎に平易・通俗的な割注を施したものが本書である。注釈文(やや小字・八行・付訓)は口語の心学道話調で書かれている。また、本文の随所に和漢の風俗画九葉を挟むほか、巻頭に童蒙学芸図や諸教訓を載せる。〔小泉〕
◆かんごおうらい [0834]
漢語往来(前・後編)‖【作者】村松義次作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎)板。【分類】語彙科。【概要】異称『漢語往来前編(後編)』。中本二編二冊。全編一通の文章中に漢語や漢語表現を列挙した往来。前編は「漢語尺牘者公私不可諸忽。語文自在而通事伝情詳明…」と『累語文章往来(消息往来)』†風に筆を起こし、種々の端作(はしづくり)や、四季時候、相手の尊称、安否、官吏・公民、慶賀、任務、時日などに関する漢語(表現)を載せ、末尾では人倫一般を諭す。また後編は、建築、商業、通貨、貿易、学問、人称、皇室・貴族・官僚等の呼称、女性の称号、財産、一家の繁栄などに関する語彙や表現を、教訓を伴いながら列記する。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆かんごおうらい [0835]
〈世話習字〉漢語往来〈高田義甫著〉‖【作者】高田義甫作。伊藤桂洲書。【年代】明治初年刊。[東京]若林喜兵衛(玉養堂)板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。文明開化における四民の心得や職分を諭しつつ、新時代に即した新語を書き連ねた往来。大字・四行・所々左訓の手本用に綴る。まず「夫、内国の童蒙等、普通要務の世話熟字、証券(てがた)、手翰(てがみ)や其他又、政省(やくしょ)、官庁、諸省寮…」と七五調の文章で書き始めて文明開化における国家・国民のありようから、幼時からの心得までを述べ、続いて商家・農家の職務や租税・司法・教育・社会・行政、さらに舶来品などの新語(建築・絵画・計測器・金石・文具・発明品・衣類・武器等)や、軍備・治安、産業・経済、財政に関する語彙を列記する。〔小泉〕
◆★【移動】しんせんかんごしょうそくあんぶん/しんせんかんごしょうそくあんもん [0836]
新撰漢語消息案文‖【作者】宇喜田小十郎作(『大阪出版書籍目録』)。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]書籍会社板。なお『大阪出版書籍目録』によれば、板元・細谷市松蔵板。【分類】消息科。【概要】異称『漢語消息案文』。半紙本一冊。近世流布本『累語文章往来(消息往来)』†にならって近代社会で用いる消息・日用漢語を列挙した往来。まず消息や簡牘は尊卑の別なく一日も欠かすことができない、いわば人間生活の基礎であることを述べ、続いて手紙の冒頭語(端作)、四季時候の語句(比較的詳しい)、相手の安否を問う語句、官吏出仕とそれに対する陳謝などの語、年月・日時に関する語句、当方の無事を伝える語句、以下、交際、住居、産育、家業、家計、裁判、商業、通貨、租税、通運を始め、諸般にわたる語彙や消息用語を列挙する。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆かんごしょじょうあんもん [0837]
〈寸書拝啓〉漢語書状案文‖【作者】白井篤治作。橋爪貫一(松園)序。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]近江屋岩次郎(誠之堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『漢語案文』『寸楮拝啓』。中本一冊。「年始状之文」を始めとする私用文例四二通を時節順に配列した用文章。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語の大半に左訓を施す。文例は「春来和暢、堅氷漸々解遠山霞を帯て…」の如く、漢語を頻繁に交えた難解なもの。巻末に近江屋岩次郎刊行の田中大介編『天然人造道理図解』ほか全一四点の新刊・近刊書目を付す。〔母利〕
◆かんごしょじょうじざい [0838]
漢語書帖自在‖【作者】青木輔清作。【年代】明治年間刊。[東京]和泉屋市兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『漢語書帖』。中本。二巻二冊か(下巻のみ存)。下巻には、「賀修学生登級文」から「死去見舞之文・同復」までの三一通を収録する。収録書状の大半が四季用文で、一部、吉凶事や諸用件の書状、電信文(「電信機ニ而告親之病気文・同復」の二通)などを含む。いずれも漢語を多用した文章で、各例文の末尾に類語や言い換え表現を載せ、それぞれ略注を施す。各例文を行書・大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)、類語等を楷書・やや小字・七行・付訓で記す。巻末に明治初年の刊行物の広告を載せるので、本書は明治一〇年代頃の刊行であろう。〔小泉〕
◆かんごしんせんようぶんしょう [0839]
漢語新選用文章‖【作者】二橋貫一郎(貫斎)作・序。井上貞フ校。墨斎書。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈幼童〉漢語新選用文章』『漢語用文章』『〈漢語〉新選用文章』。中本一冊。「年始之啓」から「歳末之啓・同報書」までの六六通を収録した漢語用文章。季節順の四季用文章の間に各種祝儀状、誘引状、見舞状などを掲げる。洋行・博覧会・洋学入門等を題材にした数通を除くと大半は近世期の用文章と同様。本文を大字・四行・所々付訓(稀に左訓)で記す。頭書に、関連の漢語や漢語的表現を多く掲げるほか、外国名や首府名、および主要都市名の漢字表記も示す。〔小泉〕
★かんごぶんしょうたいぜん [0839-2]
漢語文章大全‖【作者】松本正利・竹窓・竹窗利(大月疇四郎か)作・序。栖霞興校。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]和泉屋市兵衛(甘泉堂)板。【分類】消息科。【概要】中本二巻二冊。童蒙に「尺牘の文法」と「漢土の熟字」を学ばせるために編んだ漢語用文章。上巻に「年始状」から「歳暮贈人文・同答」までの四季消息三六通、下巻を「雑事之部」として「遣未会人文」から「弔喪文・同答」までの諸用件の手紙四二通の合計七八通を収録する。後者には、彗星(ほうきぼし)を災いの前兆と恐れる婦女の惑いを解くために究理家に問い、その返事に彗星の運動が規則的なものであって天変ではないことを諭す例文も見える。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。なお、本書の序文(松本正利)によれば、もともと万笈閣から刊行されたものであり、和泉屋板は後印と思われるため、和泉屋板の刊記に「大月疇四郎著」と記すのは改竄であろう。〔小泉〕
◆かんごようぶん [0840]
〈開化普通〉漢語用文‖【作者】鈴木史栞(喜右衛門)作。【年代】明治一七年(一八八四)刊。[東京]大草常章(柏屋常章・松栄堂)板(明治二一年板)。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始帖」から「賀生子帖・右答書」までの二四通の例文を収録した漢語用文章。近世以来の俗用文に漢語を多用したもので、所々仮名混じりの文面になっている。紀元節・天長節・博覧会を題材にしたものや、婚礼・出産にまつわるものなど用件中心の例文を大字・四行・付訓で記し、ほとんどの漢語に左訓を施す。頭書「諸証文例」に「手附金請取之証」以下二七例、また「公用文例」に「諸営業之願」以下一五例の文例・書式を掲げる。〔小泉〕
◆かんごようぶんじざい [0841]
〈日要必携〉漢語用文自在‖【作者】武久牧太作。水田得哉書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]内藤泰次郎板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「新年を賀する文」から「酒宴に人を招く文・同答文」までの七一通に「電信文」五通(「安着を知らする文」〜「急の出立を知らする文」)の合計七六通を収録した用文章。本文を大字・六行・所々付訓で記す。時候の挨拶や季節の行事・行楽、また、種々交際・祝儀・諸用件の手紙など一通りの例文を載せる。神武祭・博覧会・天長節・新嘗祭等を題材にした例文も含まれる。頭書に「証文類」「願書文例」「届書文例」「訴訟用罫紙用方」「郵便税則之略」「郵便為替税表」を掲げる。〔小泉〕
◆かんごようぶんしょう [0842]
漢語用文章‖【作者】条野採菊(条埜孝茂・伝平・侑・弄月・東籬園・山々亭)作・序。【年代】明治四年(一八七一)序。明治五年刊。[東京]藤岡屋慶治郎(松林堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈童蒙尺牘〉漢語用文章』『漢語用文』。中本一冊。当時流行の漢語消息四六通を収録した用文章。ただし、近世以来の消息に用いられる「存」「仕」「被成御座」等の表現も混在する。前半に「早春人を招文」以下、四季に伴う消息文三〇通を掲げ、後半に「洋学入門を請う文」「官仕朋友へ贈る文」など日常の雑事に関わる消息文一六通を載せる。本文を大字・五行・付訓で記し、多くの漢語に左訓を施す。〔小泉〕
◆かんごようぶんしょうこうしゃく [0843]
〈自作自由〉漢語用文章講釈‖【作者】志貴瑞芳(梅月・湖月)作。松川半山画。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[大阪]岡田茂兵衛板(明治一七年板)。【分類】消息科。【概要】中本二巻二冊。当用の漢語消息文例を掲げて注釈を施し、頭書に語注付きの「類語」を掲げた用文章。上巻に「年始之文」〜「賀出仕文」の往復文二二通、下巻に「賀新婚之文」〜「弔之文」の往復文二八通を収録する(合計五〇通)。本文を行書・大字・五行・付訓で記し、各行の左側に楷書・小字の本文を並置するほか、各例文を三〜四段に分けて、簡潔・平易な割注を置く。巻頭に色刷り口絵「西洋各国唐端物売捌所(郵便印紙売下所)」店頭風景図などを載せる。〔小泉〕
◇かんじょう [0844]
感状‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】歴史科。【概要】天正一一年(一五八三)に柴田勝家を敗り、賤ケ岳の戦いで活躍し、さらに文禄元年(一五九二)の文禄の役でも先発隊として朝鮮半島に上陸して数々の戦功を挙げた加藤清正の功績を讃える文章で綴られた古状。文禄三年九月、秀吉から加藤左馬之助宛ての文面に仮託して書かれた短文である。〔小泉〕
◆かんしょうおうらい [0845]
〈習字〉勧商往来〈頭書会社弁略〉‖【作者】横尾謙七作・序。村田海石書。長谷川実信画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]秋田屋太右衛門(田中宋栄堂)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。「大政維新、普天卒土、治教洽浹、文明開化…」で始まる漢字四字一句を基本とする合計一二二句(全四八八字)から成る一種の『千字文』型教科書。半丁に大字・三行・付訓(左訓)で記し、特に舶来品については左訓に代えて英単語の読みを片仮名で施す。まず文明開化後の日本の貿易や通商のめざましいことを述べ、続いて西洋諸国からの流入品(日用品・家財・食品・薬種・衣類・武具等)を列挙する。さらに旧習を排除して国民挙げて富国に努めるべきこと、先取の精神で洋書翻訳書から原書までを学び、西洋列強の国情をよく知って、日本の発展に努力すべき旨を説く。本文中にしばしば関連の挿絵を挟み、そのうち列強国旗図等を色刷りとする。また巻頭に鮮やかな色刷り口絵「浪花港口繁栄之図」を掲げ、頭書に企業・商業・国益・物産・金融・機械などに関する記事、さらに巻末に元禄七年(一六九四)〜明治五年の西洋主要事件年表「西洋年代略記」を付す。〔小泉〕
◆かんしょうじょうおうらい [0846]
菅丞相往来‖【作者】不明。【年代】平安後期作。古写本は天正(一五七三〜九二)頃書。古刊本は寛永六年(一六二九)刊。[京都]安田弥吉板。【分類】古往来。【概要】異称『十二月往来』『菅家往来』『菅家文章』。江戸初期刊本は大本一冊。一カ月往返二通、一年一二カ月で計二四通の手紙分を収録した往来。「候」文体の準漢文体書簡ではなく、漢文尺牘体の文章で綴るのが特徴。各状の主題は、平安貴族に関心のある四季の風光、儀式行事の類で、個人に関わる具体的かつ特殊な用件には及ばない。各月往状の冒頭に月の異名を掲げる。また、寛永六年板は本文を大字・六行・ほとんど付訓で記す。刊本では、寛永六年板を最初として正保四年(一六四七)・万治二年(一六五九)・寛文一〇年(一六七〇)と版を重ね、江戸後期には、享和三年(一八〇三)刊『菅家文章』†や天保四年(一八三三)刊『〈菅丞相御製作〉十二月往来』等の異板が登場したり、文政六年(一八二三)刊『〈頭書絵抄・菅家〉十二月往来』や天保七年(一八三六)刊『菅家文章経典余師(〈経典余師〉菅家文章)』†等の注釈本・絵抄本が作られるほどに普及した。なお、本書の改題本に江戸前期書『奉謝帖』†がある。〔石川〕
◆かんしょうじょうおうらい [0847]
〈新板改正〉菅丞相往来‖【作者】不明。【年代】寛政五年(一七九三)刊。[江戸]村田屋治郎兵衛板。また別に[江戸]岩戸屋喜三郎(栄林堂)板(後印)、[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】歴史科。【概要】中本一冊。菅原道真の生涯を綴った伝記型往来。文政六年(一八二三)刊『菅神御一代文章』†と書名が似るが全くの別内容。本文中に「爰に天満天神の御威徳をおそれみ筆記して、入学の幼童に信心をとらしむる基を与へんとす」と記すように、童蒙教訓の意図も含む。「豊秋津洲は神明の徳をもつて万機を納め、人其徳を仰ば、利生是が為に掲焉(いちじる)し…」と起筆して、まず、日本が神国たることに触れ、以下、道真の出自や幼少年期の逸話、その奇才ぶりと出世の様子、藤原時平の陰謀による失脚、太宰府への左遷、死後の復任・贈位までを記して、「此御神の尊徳、枚挙するに遑あらず。恐惶謹白」と結ぶ。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「菅原之御家譜」「天満宮御託宣」「京都北野御社之図」、頭書に「天神内秘御修法事」「東都御府内天満宮諸社略縁起」を載せるが、特に後者「略縁起」は、享和二年(一八〇二)刊『武陽菅原詣』†の母体となったものと考えられる。〔小泉〕
◆かんしょうじょうごゆいくんじょう [0848]
菅丞相御遺訓状‖【作者】不明。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[江戸]丸屋文右衛門板。また別に[江戸]和泉屋市兵衛(甘泉堂)板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『菅家御遺訓』『天満宮御遺訓』。中本一冊。菅原道真の遺訓に仮託して綴られた教訓。「世のつたひもて来て後世といへる事有て、只神仏をさへ誠有よしにて、此世彼よの事などを願ひはべるほどの愚かなるはあらじ…」と起筆して、父母の恩を忘れて神仏に現世・来世を祈るのは本末転倒であり、両親を「生身の仏神」として敬い、仕えることの大切さ、さらに、この道理を左右の床に書いておき、朝夕ながめるべきことを諭す。後半に「同書法伝授」と題した一文を載せ、「永字八法」「七十二点」などの書筆の基本が「一」文字に、また、筆勢の極意が「遅徐」「迅疾」の二つに集約できることなどを説く。いずれも本文を大字・五行・付訓で記す。口絵に道真の座像を掲げ、頭書に「士農工商」「篇冠構尽」「書状封じ様」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆かんしょくみちしるべ [0849]
〈童蒙必読〉官職道しるべ‖【作者】吉田庸徳作。芳川俊雄校・序。小室樵山書。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]三余堂蔵板。若林喜兵衛ほか売出。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。日本の官職制度の沿革と明治政府における諸官庁毎の官職名および等級など示した往来。「往古(むかし)我皇国に創めて冠位十二の階級を置れしは、人皇三十四代の帝、推古天皇の御宇とかや」と書き始め、以下、ほぼ七五調の文章で綴り、沿革に続いて、官位職制の意義、また免官・免職・除官・勅任・奉任・判任官等の関連語を紹介し、さらに諸官庁・諸官職の組織・役割について詳しく述べ、最後に諸官省・諸寮司・諸府県が賢良知識の人材を得て栄えるべく、学問に出精すべきことを諭す。本文を大字・四行・付訓(稀に左訓)で記す。〔小泉〕
◆かんしょくめい [0850]
〈清永公敬編〉官職名‖【作者】清永公敬作。【年代】明治七年(一八七四)作・刊。[京都]村上勘兵衛板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。官庁毎の主要な官職名と等級などを一覧にした一種の教科書。太政官、外務省、内務省、大蔵省、陸軍省、海軍省、文部省、教部省、工部省、司法省、宮内省、開拓使、府・県の順に列記する。本文を楷書・やや小字・九行(または一〇行)・無訓で記す。なお、本書の姉妹編に明治九年刊『官職名問答』†や明治一〇年刊『〈明治十年一月御改正〉官職名』†、また本書の改訂版に明治一三年刊『〈小学教授〉改正官職名』がある。〔小泉〕
◆かんしょくめい [0850-2]
〈明治十年一月御改正〉官職名‖【作者】水原幸次郎作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[京都]田中治兵衛ほか板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。明治七年刊『〈清永公敬編〉官職名』と同類の教科書。明治一〇年一月の官職制度の改正に伴い、同年三月に出版されたもので、太政官・元老院・外務省・内務省・大蔵省・陸軍省・海軍省・文部省・工部省・司法省・宮内省・大審院・開拓使・府・藩・県の順に諸官庁組織の概略を述べ、続いて、諸官省ごとの官職名および等級を列記する。本文を楷書・やや小字・八行・無訓で記し、所々に簡単な割注を施す。また、巻末に「新旧等級対照表」を掲げる。〔小泉〕
◆かんしょくめいもんどう [0851]
官職名問答‖【作者】清永公敬作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]村上勘兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈改正〉官職名問答』。半紙本一冊。明治初年の諸官省の官職名および等級などを一問一答形式で綴った教科書。明治七年刊『官職名』†を問答体に改編したもの。「問、官・院・省・使・庁・寮・府・県ノ数ハ如何」「答、一官・三院・十省・一使・一庁・二十四寮・三府・四十九県ナリ」以下、五五問五五答で官職のあらましを紹介する。本文を楷書・やや小字・八行・無訓で記し、末尾に本文中の要語を小字・一〇行・ほぼ両点(音訓付き)で掲出する。〔小泉〕
◆かんしょじょう [0852]
簡書帖〈滝本松花堂筆〉‖【作者】松花堂昭乗(滝本松花堂・滝本坊昭乗・惺々翁・孝依・式部卿法印)書。【年代】寛文三年(一六六三)刊。[京都]菊屋七郎兵衛板(後印)。【分類】消息科。【概要】大本一冊。題簽書名下に「滝本松花堂筆」と記すように松花堂の遺墨を集めた法帖。全六通の書簡を載せるが、本文と同筆で「寛文三歳十月日」と記すから、これは松花堂(天正一二年〜寛永一六年(一五八四〜一六三九))の直筆ではなく模写であろう。収録書状は、『十二月往来(菅家文章)』†一月状を模した「新年状」を始め、種々用件の手紙、四季折々の祝儀・贈答の手紙、安否を問う手紙、婚礼祝儀状などから成る。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かんじんごいちだいぶんしょう [0853]
〈甲申新版〉菅神御一代文章‖【作者】十返舎一九作。晋米斎玉粒(藍庭玉粒・林信・晋兵衛・楽亭山寿・芝全交二世)書。歌川国安画。【年代】文政六年(一八二三)刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛ほか板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。菅原道真の一生を綴った伝記型往来。冒頭に太宰府にまつられている天満大自在天神は「風月の柱、文道の大祖」であることを述べ、続いて道真の出生や、幼少よりの天性の奇才・聡明ぶりを強調し、彼の出世と、その下風に立つ藤原時平の不満、道真を陥れんとする時平の陰謀、無実の讒訴による太宰府への左遷、さらに彼の死後に続いた災難などを述べた後で、天神としての威徳の並々ならぬことや、「文筆の大祖神」である天神を崇拝すべきことを諭す。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、太宰府天満宮の結構と由来・神事・神職等について記した「筑前国太宰府天神宮境内之記」や「東都七天神」を掲げる。大型絵題簽を付した一連の往来物の一つで、他は全て山口屋藤兵衛板だが、本書だけは山口屋藤兵衛と岩戸屋喜三郎の合梓である。なお、本書の改題本に『天神御一代往来』†がある。〔小泉〕
★かんすいようぶんたいせい [0853-2]
環翠用文大成‖【作者】内田不賢作・書・序。【年代】明治二六年(一八九三)序。明治二七年刊。[岡崎]伊藤小文司(環翠堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻合一冊。上巻に消息文例、下巻に諸証書類・公用文・民事訴訟文の文例を集めた大部な用文章。上巻には「年始之文」から「祖先の年回に人を招く文・同返事」までの九四通、下巻には「公債証書売渡証」以下一六通の諸証書類、「全戸入寄留届」以下二四通の公用文、「貸金請求之件」以下四通の民事訴訟文の合計一三八通を収録する。四季時候の手紙は少なく、消息例文の多くが商用・交際など公私にわたる諸用件の手紙になっているのが特徴。本文の大半を大字・六行・付訓(稀に左訓)で記す(「公用文」以下は小字・一二行)。巻頭に「封緘書式」「書翰脇付・返事脇付」、頭書にイロハ引きの「漢語字引」を始め、「証券印税摘要」「郵便条例摘要」「電信条例摘要」「郵便貯金預方及戻方心得」「訴訟用印紙法適用」「金言一、二」などを掲げる。〔小泉〕
◆かんせいようぶんしょう [0854]
〈増補頭書〉寛政用文章‖【作者】鈴木忠侯(青羊)作・書。【年代】寛政四年(一七九二)刊。[江戸]近江屋新八板。【分類】消息科。【概要】異称『〈速成案文〉寛政用文章』『用文章』。半紙本一冊。一年一二カ月の消息文例三八通を集めた用文章。収録書状はそれぞれ往復文で、月により例文の数が異なり、一月「年始状」、二月「梅見之状」、三月「上巳之状」「汐干之状」「花見之状」、四月「牡丹見之状」、五月「端午之状」、六月「暑気見廻之状」「俳友之状」、七月「七夕之状」「中元之状」、八月「八朔之状」「月見之状」、九月「重陽之状」「十三夜の状」「紅葉見之状」、一〇月「玄猪之状」、十一月「元服之状」、十二月「歳暮之状」を収め、いずれも大字・五行・付訓で記す。前付に「仁聖・義勇・礼譲・才智・信実(中国聖賢の小伝)」「五性名かしら字」、また、頭書に書簡作法全般をまとめた「書札法式集成大全」や「武具器財数量書法大全」「日本五畿内七道絵図大成」「篇冠かまえ字つくし」「文法置字集解」「五節句並文通吉凶詞遣抜粋」「十二月並十幹十二支之異名」、巻末に「願成就日・願不成就日」を掲げる。文化四年(一八〇七)再板本は翠斎宜秋筆である。〔小泉〕
◆がんちょうじょう [0855]
雁牒帖‖【作者】長尾耕節書。藤原政灼序。望月耕永(忠喜)跋。【年代】天保四年(一八三三)書・序・跋・刊。[江戸]栢柳堂蔵板。【分類】消息科。【概要】異称『〈長尾〉雁牒帖』。特大本一冊。書名は、冒頭に「雁牒忽落手…」で始まる一状を置くことによる。長尾耕節の長子・耕春と棚部耕貞ほか一二名の門下が協力して上梓した陰刻手本で、巻末に出版に関わった門弟の一覧を載せる。宇治瀬田の蛍火遊覧の手紙に対する長文の礼状や、昨日の説法聴聞および寺社参詣の感想を述べた手紙など八通の消息文(秋の風景を綴った散らし書き一通を含む)を収録する。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆かんとうまえばしおうらい [0856]
関東前橋往来‖【作者】椿山文闇作。富沢又市(徳孝)書。【年代】慶応三年(一八六七)作。慶応四年書。【分類】地理科。【概要】異称『前橋往来』。大本一冊。上野国前橋(群馬県前橋市)城下の位置・規模・地勢・由来、また近年(慶応末年)までの沿革・事件、周辺諸地域を含む名所・名物、神社仏閣等の縁起・祭礼等を記した往来。「抑、関東前橋者、去于西高崎宿七拾余町、雖外都路離山々之麓、従往古銘御城而、日々繁昌之御城下也…」で始まる文章を大字・六行・無訓で記す。「明和年中之洪水」や「弘化四年里民挙而…供養塔奉建立」など、近年の事件をしばしば盛り込む。〔小泉〕
◆かんのうういまなび [0857]
〈嶋次三郎著〉勧農うひまなひ‖【作者】島次三郎(圭潭・桂潭)作。深沢菱潭(蕭遠堂)書。河鍋暁斎画。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]蓑田精三郎(精華堂)ほか板。【分類】産業科。【概要】異称『勧農初学』。半紙本一冊。種々の農書を参考に農家子弟が身につけるべき農業の基礎知識や生活教訓を述べた往来。大字・四行・付訓の手本用に綴る。まず総説として農業が国家の基盤であることや、養蚕業など農業関係の学問や技術の研鑽努力を始め、近代国家における農民の在り方を強調し、続いて、農事のあらましを一年一二カ月毎に説くが、西洋農法など技術的な記述は全く見られない。要するに、ほとんどが農民生活心得にほかならず、末尾でも報国・富国のための学問と家業出精を諭す。なお、本書は新暦制定直後の刊行のため、新暦によって記述した旨を巻頭緒言で断る。〔小泉〕
◆かんのうおうらい [0858]
〈開化〉勧農往来‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎)板。【分類】産業科。【概要】異称『開化勧農往来』。中本一冊。宝暦一二年(一七六二)作『農業往来』†に若干の改訂を施した改題本。「抑勧農実測之事、先、土地之検考高低・乾湿と用水之手宛等を…」で始まるように、『農業往来』とほぼ同文だが、本文後半の「国尽」部を「北海道」を含む五畿八道(ただしその全ての国名を掲げていない)にした点や、「諸職」部における「士者府県之管轄」など部分的な変更を加える。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。なお、『農業往来』巻頭記事のうち「田法の事」五カ条のみを見返に掲げる。〔小泉〕
◆かんぼくおうらい [0859]
〈漢語消息〉翰墨往来‖【作者】橋爪貫一(松園)作。恪堂画。山梨愛(廬山迂人)序。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]雁金屋清吉(青山堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。『累語文章往来(消息往来)』†のように全一通の文章で消息等に用いる日用漢語を多数列挙した往来。「咫書拝呈(シシヨハイテイ/イツピツケイゼウ)、致啓白、令啓…」など手紙の冒頭語(端作)を始め、相手の手紙の尊称や四季時候の言葉など『消息往来』と同様の形式で綴る。近代社会を反映して一週七曜、一日二四時間、一時間六〇分といった新知識や、家庭・社会・学問・文化・人倫など当用一般の漢語を盛り込むのが特徴。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。頭書「往復文例」に、「候起居文」以下五六通の漢語消息文例を掲げる。〔小泉〕
◆★かんぼくもうくん [0860]
翰墨蒙訓‖【作者】新井白石(君美・片雲)作・序。【年代】貞享五年(一六八八)序・刊。[京都]小川多左衛門(茨木多左衛門)板。【分類】消息科。【概要】異称『書翰往来』。大本四巻四冊、後、四巻合一冊。漢文尺牘と準漢文体俗用文を並置した用文章の一つ。第一巻に「新正啓(新年状)」以下二六通、第二巻に「端午啓(端午節句祝儀状)」以下二六通、第三巻に「七夕啓(七夕祝儀状)」以下二八通、第四巻に「到日啓(夏至・冬至に送る手紙)」以下一六通の合計九六通ずつの尺牘文と俗用文を収録する。大字・草書と小字・楷書の二体の俗用文を交互にそれぞれ四行書きで記す。頭書に言い替え表現と「砕語(類語)」を掲げるほか、第四巻末尾に尺牘の書式・類語(書式・具款・具拝・称呼・請召・餽送)を付載する。なお、本書の一部を改刻した改題本に江戸中期刊『新撰書翰初学抄』や文政元年(一八一八)刊『〈翰墨蒙訓〉尺牘筌』†である。〔小泉〕
◇かんめいじづくし/かんみょうじづくし・あずまひゃっかんな [0861]
〈頭書絵入〉官名字尽・東百官名‖【作者】不明。【年代】安永三年(一七七四)以前刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『官名字』。中本一冊。種々の官名を集めた往来。摂政・関白・太政大臣以下九〇の官名を列記した「百官名字尽」、関白から左右少将までの一〇の官名について中国における称号を列記した「官の唐名字尽」、平将門が定めたという百官の名称で「左門・右門・中記…」に始まる「東百官名尽(一名「関東百官」「相馬百官」)」、さらに、公卿・朝臣・督など三一の官名を書き連ねた「官名下用字(かんみょうのしたにもちゆるじ。一名「下官(したつかさ)」)」から成る。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に天皇以下貴人の尊称を記した「職原字尽」や「姓氏并苗字尽」「勇士苗字」を載せる。なお、本書の改題本に『文字正撰便』†がある。〔小泉〕
◆かんもそう [0862]
〈浄土〉諌母草‖【作者】唯称(覚雲)作。真阿編・序。可円(慧恭・大愚・輪阿)跋。【年代】明和八年(一七七一)刊。[京都]岡吉兵衛板。【分類】女子用(仏書)。【概要】異称『〈念仏浄心〉諌母草』。大本一冊。洛陽壬生の唯称法師が二九歳の時に老母に送った手紙を上梓した浄土宗系の教訓書。三六丁に及ぶ全一通の手紙文から成り、浄土宗の要諦「念死・念仏」を平易に説く。冒頭に「常に死なんことを思し召、忘れぬやうになさるべきにて候」とこの世の無常を悟って、一回でも多く念仏すべきことを説く。以下、「南無あみだ助給への外はみな、思ふもいふもまよひ成けれ」といった道歌を引きながら、後生の障りを悉く排除して念仏に専心すべきこと、また、「第一の地獄のたね」である盲語の戒めなどを縷々述べる。本文をやや小字・九行・稀に付訓で記す。なお、本書再板本には、文化一三年(一八一六)九月の浄業沙門仰阿の序文を付す。〔天野〕
◆★かんようこうふろく [0863]
肝要工夫録‖【作者】鵜殿長快(甚左衛門・左京)作。石原高麗知道書。【年代】文化九年(一八一二)作・序。文化一三年跋・刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。主として武家子弟用の諸教訓を集めた往来。「学問之事」以下二〇章に分けて、人道・天命・五倫・孝行・進行・養生・忠勤・重役(おもやく)心得・小判大損・慎独・知足・堪忍・倹約・善業・時所位・武道・勇気・仁などについて種々諭す。文化九年初板本の末尾では朱子の『仁説問答』を熟読することを勧めるが、文化一三年板では貝原益軒の『五常訓』を熟読せよと改め、さらに益軒の「八訓」を座右の書とすべき旨を強調した一文を追加する。本文をやや小字・一〇行・付訓で記し、所々に割注を施す。なお、文化一三年板の巻末には『〈児童〉孝行短歌』(文化九年九月、鵜殿長快作)を付すが、この部分の単行本もある。『〈児童〉孝行短歌』は、「夫、人と生るゝものは孝行の、道をはじめにまなぶべし、おやに不孝のともがらは、鳥獣にもおとれりと、古人はいしめ置れたり、その孝行のおもむきは…」と起筆するように、『孝行和讃』†とほぼ同内容の教訓である。〔小泉〕
★かんようぶんりんまんざいきかん [0863-2]
〈四民平生〉翰用文林万載亀鑑‖【作者】不明。【年代】寛政六年(一七九四)刊。[江戸]蔦屋重三郎板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊(版面は中本サイズ)。「年始に遣す状」から「養子之悦状・同返事」までの往復六六通を収録した用文章。五節句・四季行事・時候見舞い、吉凶事、諸用件に関する例文を一通り載せ、各例文とも大字・五行・付訓で記す。巻頭に「関羽之肖像并賛」「衣服并魚鳥詞」「帝并親王方金言」「万積方之絵図」「五性名頭字」「絵馬・看板書付之図」「聯額・屏風・掛物・扇面・短冊図」「大日本国尽」「雅俗印面之図」「異国之名寄」「把筆之法両式」「書状認方高下」、また、頭書や巻末に「書状法式指南」「五節之詞替字」「書状尊卑詞」「同訓文字遣分」「立春書初詩歌」を掲げる。本書の改題本に文化七年(一八一〇)補刻『〈御家〉手紙之取遣』†がある。〔小泉〕
◇かんわぶんしょうじざい [0863-2]
漢和文章自在‖【作者】林正信作。名和対月書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[大阪]河内屋太助(森本太助・文金堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「歳首之文」から「歳尾之文・答書」までの二二通の漢語文章と、「年始之文」から「歳暮之文・返書」までの二二通の俗文章を交互に配置した用文章。それぞれ同一主題につき漢語文章・俗文章の二様・往復合計四通ずつを掲げる。四季行事や四季贈答の手紙文が中心で、各例文を大字・五行・所々付訓(所々左訓)で記す。また、所々に挿絵とともに「類語」(小字・一二行・付訓)を掲げる。末尾数丁は「日用諸証認方之事」で、「他県出願」から「請取之証」までの公用書類一六通を大字・六行・付訓で記す。目次は「漢」「和」の二段に分けて列記し、さらに目次に続く半丁分で「年中御祭日」(四方拝・元始祭・新年宴会・孝明天皇祭・新年祭班幣・紀元節・春分祭・神武天皇祭・神嘗祭・秋分祭・天長節・新嘗祭)を列記する。〔小泉〕
◆かんわようぶん [0864]
〈方今必用〉漢和用文‖【作者】瀬尾随波(重臣・荘三・鴎斎)作・書・序。高山寛序。【年代】明治五年(一八七二)作・刊。[東京]吉田屋文三郎(木村文三郎・文江堂)板。また別に[東京]又日堂板あり。【分類】消息科。【概要】中本一冊。同一主題について漢文尺牘と準漢文体の俗文の両様で綴った用文章。「歳首文」から「弔喪居」までの三〇題、漢和二様、往復一二〇通の例文を掲げる。五節句や四季の手紙、また婚姻・出産・出仕・洋行・病気・療治・肉親・入学・知音・災害・死去などに関する手紙から成る。それぞれ漢文・準漢文の順に掲げ、漢文はほぼ楷書、準漢文は行書で、いずれも五行・付訓(しばしば左訓)で記す。頭書は全て漢語集で、「四季類語」「雑詞類語」「慶弔類語」「異名分類」「諸凡熟字」「称呼類語」「書柬雑詞類語」を載せる。〔小泉〕





◆きいこくちめいしゅう/きのくにちめいしゅう [0865]
〈改正〉紀伊国地名輯(那賀郡)‖【作者】北嶋信太郎編。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[和歌山]北嶋信太郎蔵板。野田大二郎売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本七巻七冊か。明治一一年刊『〈和歌山県管内〉紀伊国地名輯』(和歌山県学務課編)全七巻の改訂版と思われる教科書。角書の「改正」はその改訂を意味するものであろう。第三巻「那賀郡」以外は未見だが、紀伊国全郡の各郡毎に刊行されたものであろう。地名を行書・大字・五行(各行につき地名三語)・無訓で記す。第三巻がわずか八丁の小冊子であることから、全巻を合綴した一冊本も存したと思われる。〔小泉〕
◆きくたせんせいこじょう・へいぜいこころえたからばこ [0866]
菊田先生古状・平生心得宝箱‖【作者】菊田某作(『菊田状』)。東海林悦蔵書。【年代】慶応三年(一八六七)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。前半の『菊田状(菊田先生古状)』と後半の『平生心得宝箱』から成る往来。『菊田状』は、子どもの教訓というよりも、子を持つ親に対する教訓で、子どもの成長段階に合わせて諸芸・学問を習わせるべきこと、また良い師に付かせること、また子どもを甘やかさないこと、さらに一六、七歳頃の最も大切な人生の節目に善い友を選んで交際させるべきことなどを説く。また、『平生心得宝箱』は、『和俗童子訓』の「随年教法」にならって、主に六歳から一五歳までの各段階での教育法・教育内容を説いたもので、このうち、一生涯にわたって重要なものが手習い・学問であることを強調して締め括る。本文は大字・七行で、前者は稀に付訓、後者はほとんど付訓で記す。なお、筆者・悦蔵は仙府国分芋沢村鹿野沢屋敷の住人という。〔小泉〕
◇きこうおうらい [0867]
季綱往来‖【作者】伝藤原季綱作。【年代】平安後期作。【分類】古往来。【概要】原本は伝わらないが、大田南畝校訂本『雲州往来』(第一二六・二〇九状)末尾に本文中の一通「子日野遊事」の断片が記されており、橋本進吉『古本節用集の研究』、平泉澄『中世に於ける社寺と社会との関係』によって本往来の存在が確認された。後者によれば、宝治二年(一二四八)以前作『中古三十六人伝』や顕昭の『袖中抄』に本書が引用してあることから鎌倉初期における流布が明かである。『明衡往来』†と同様に平安貴族の日常生活や儀式・行事を主題とする多くの手紙文で構成されていたと推測されるが未詳。ちなみに季綱は嘉保〜康和(一〇九四〜一一〇〇)頃に没した貴族である。〔石川〕
◆きざいいろはうた [0868]
〈児女教訓〉器財いろはうた‖【作者】山本政武作・序。謙斎跋。【年代】安永一〇年(一七八一)序。寛政四年(一七九二)跋・刊。[京都]大和屋嘉兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。山本政武が一人娘のために身近な家財諸道具を題材に種々の教訓を詠んだイロハ教訓歌。例えば、「い」の「衣食住これにつきたる諸道具に、つとめくらべて足る事をしれ」のように、イロハ四七文字と「京」「一」〜「十」の各字から始まる和歌五八首に約八五点の家財名が登場する。半丁に三つの短冊型の囲み罫を設けて、その中に教訓歌一首と挿絵一葉を掲げる。日常生活でそれらの家財を見るたびに、諸教訓を思い起こすようにとの意図から編まれたものであろう。作者は本書を編んで間もなく世を去り、その遺稿が娘への形見となったが、後に作者の妻の手により公刊されたものである。〔小泉〕
◇きさらぎつみくさ [0868-2]
〈新板〉きさらきつみ草‖【作者】雪石道人作。【年代】安政二年(一八五五)刊。[信州か]蓬莱堂蔵板。[信州]高美甚左衛門ほか売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。異称『幾さらぎ津美艸』。諸書から抜き書きした「幼童の教諭にも成し様の事ども」を集めて若干の私見を交えた教訓書。忠孝・正直・信仰心・和睦・理非明白・慈悲・小欲知足の人は七福神によって守護され、「三国宝珠之守」である堪忍は一切の願いを成就する秘訣であると説く。また、「火の用心、非の用心、五用心」といった金言や譬え話で同趣旨の教訓を展開し、末尾に「長者長生の種」と題した教訓を付す。〔小泉〕
◇きじまめいしょそんめいおうらい [0869]
木島名所村名往来‖【作者】滝沢豊作。【年代】万延二年(一八六一)作・書。【分類】地理科。【概要】信濃国下高井郡木島村(長野県下高井郡木島平村)一帯の名所・村名とその風趣を記した往来。「打続ての春雨に、身も暖気に相成、四方の山々雪消て、花の盛を待受て、木島より野沢迄遊覧相催、御同心においては可為本懐…」で始まる七五調の文章で、安田、木島神社、千曲川、山根村以下、折々、故事由来・宝物にも触れながら紹介する。明治一九年(一八八六)書『外様往来』†に影響を与えたと考えられる。〔小泉〕
◆きしゅうめいぶつ [0870]
紀州名物‖【作者】不明。【年代】安政四年(一八五七)書。【分類】地理科。【概要】異称『紀伊の国名物』。大本一冊。『南陽名物』†の改編本。「抑東国三方は平地を欠し故、海辺の類多し。先若山の湊浦には筋鰹、誰を松江の蛤や、磯は蜊と編木貝、御前松には葵瓜…」で始まる七五調の紀行文風の文章で紀州国内の名物を列記した往来。土地柄であるが海産物が大半を占め、後半で蜜柑・柿・山菜・野菜など山間部の作物や、酒・薬種・工芸品など都市部の名物を紹介し、最後に、初めての紀州旅行を終え饅頭を袖土産に帰宅するという一文で結ぶ。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きせつおうらい [0871]
〈童蒙〉気節往来‖【作者】藤原巫山作・書・刊。【年代】嘉永二年(一八四九)刊。[江戸]巫山文庫蔵板。【分類】社会科。【概要】特大本一冊。巻末広告によれば「正月より十二月まての事を狂文にして、手習文字を集、農事時節と花鳥風月、神祇・釈教・恋・無常をかき入れ」た手本。年中行事に即して社会生活に要用の語句を七五調で列挙する。社寺および庶民中心の行事を重視し、それらに関して童蒙教訓の数々を織り込むのが特徴。「今日一日、筆の戯(たわれ)し童蒙へ、年中事の文字集、尽も果ぬ言雖也(ことなれど)、時候・気節や百姓の…」で始まる本文を、独特な書体の大字・六行・所々付訓で記す。〔石川〕
◆きせつじょう [0872]
〈普通音信〉気節帖‖【作者】金沢昇平作。岡本通国(黄中)序。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[奈良]村田辰(文原堂)蔵板。筧九馬吉売出。【分類】社会科・理数科。【概要】半紙本一冊。四季消息の形式で、特に二十四気節や四大節など暦法や祝祭日、その他年中行事等を中心に、明治初年の文物や風俗も反映させながら綴った往来。新年状から歳暮祝儀状まで四季の推移に伴う書状四四通を収録するが一般の用文章とは異なり、例えば、新年状往状では太陽暦への改暦やその概要について説明し、その返状で太陽暦の説明の補足をし、福沢諭吉の『改暦弁』拝借の礼を述べるという具合に、各例文に暦法とその周辺の知識を鏤めるのが特徴。他の例文で『窮理図解』†や内田晋斎著『十二月帖』†の書名を挙げるが、これも学習者の参考文献を示したものであろう。本文を大字・五行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆きそかいどうおうらい [0873]
木曽街道往来〈雪江先生編撰〉‖【作者】雪江斎(雪江・凡鳥亭)作・書。田蘭水(吹丘・河越成北)跋。【年代】明和四年(一七六七)作・書。天明二年(一七八二)跋・刊。[江戸]大和田安兵衛(瑞玉堂・大和屋安兵衛)板。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「九重の花をひとへに思ひたつ、旅の衣や道芝の、霞関を越路よる、あまとふ雁と打連に、みちは千里に五十より、三ある駅馬借て、あしなみ勇む板橋の…」と筆を起こし、江戸より京都にいたる中仙道・木曽街道上に点在する宿駅名を記した往来。本文を大字・四行・無訓で記した陰刻手本に作る。巻末に本文要語の略解である「訳文(もじのよみ)」を掲げる(この部分は陽刻)。本往来は、天明五年刊『〈中仙道〉都路往来』†(大和田安兵衛板)の先駆となった往来である。〔石川〕
◆ぎそくじょう [0874]
儀則帖‖【作者】秋山復(山豁)書。【年代】嘉永元年(一八四八)刊。[江戸]不僊堂板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。享保二年(一七一七)三月の『武家諸法度』一七カ条と、「一、親子・兄弟・夫婦を始諸親類にしたしく、下人にいたる迄是をあはれむべし」で始まる正徳元年(一七一一)五月の『御高札之写』九カ条、および「一、遊びも度かさなればたのしみならず」から「一、只、今日無事なるを思ふべし」までの一〇カ条から成る『楠正成公壁書』の三つを合綴した手本。いずれも大字・五行・無訓で記す。筆者は、甲州出身で江戸在住の書家だから、出版地は江戸と思われる。〔小泉〕
◆きそじおうらい [0874-2]
木曽路往来‖【作者】向田松三郎書。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】特大本一冊。刊本の『木曽路往来』†を始め、中仙道の宿駅を読み込んだ類書のいずれとも異なる往来。「むらさきのゆかり、東の江戸の春、いざや都の、花の香を、わが家つとゝ、思ひ出て、渡りはじむる、日本橋、板橋越て、蕨さへ、己が時得て、浦和かき…」で始まる七五調の文章で、江戸・日本橋から京都までの宿駅を列記し、末尾を「…大津の宮は、あれぬれと、春はふるさす、立やとる、ひまゆく駒も、いつかまた、花の錦の、九重のそら」と結ぶ。本文を大字・二行・無訓で記す。また、本書後半部に「名頭字」(末尾欠)を載せる。〔小泉〕
◆きそじおうらい [0875]
〈弘化新刻〉木曽路往来‖【作者】鼻山人(東里山人)作。歌川貞房画。【年代】弘化二年(一八四五)刊。[江戸]森屋治兵衛(森屋治郎兵衛)板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。江戸を発ち、中山道を辿って板橋・浦和・高崎を経て、碓氷峠を越えて信濃路に入り、鳥居峠を越え木曽谷より美濃・近江を通過して草津で東海道に合流するまでの街道に点在する宿駅の名称を七五調の文章に詠み込んだ往来。冒頭に「都路に、登る枝折の道替て、春は木曽路の八重霞、引渡したる板橋や…」と東海道についての教材をまず学び、それより本教材に移ることを前提としている点が注目される。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「東海道名所(里程および各地名所案内)」を掲載するのも、あくまで東海道との深い関わりで本教材を学習させようとする意図と解される。〔石川〕
◆きそのかけはし [0876]
木曽乃掛橋‖【作者】英斎作・序。大林堂重英(長島重英)書。【年代】弘化四年(一八四七)序・刊。刊行者不明。【分類】地理科。【概要】異称『〈大橋〉きそのかけはし』。半紙本一冊。「桟や花の都へ木曽の路、近きわたりは日本橋、清水なかるゝ板橋も、もはや蕨の野辺近み、見つゝ浦和を跡になし…」で始まる七五調の文字鎖形式で、江戸から京都までの中山道の宿駅を紹介した往来。本文を大字・四行・稀に付訓で記した陰刻手本。巻末に木曽の掛橋の和歌二首を掲げる。〔小泉〕
◆きそのはなぶみ [0877]
岐岨乃花布美‖【作者】柿廼屋(芳)作。篠田雪鳳書。【年代】天保六年(一八三五)序・刊。刊行者不明。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。『東海道往来』†にならって、中山道六十九次の駅名を七五調・美文体で詠みこんだ往来。「都路の木曽は六十(むそじ)に九つの、長閑き春に大江戸は、渡る板橋あさやかに、にきる蕨も風通ひ、開て浦和の若草と…」で始まる文字鎖の文章を大字・四行・稀に付訓で綴る。〔小泉〕
◆きそのみちくさ [0878]
〈嘉永新刻〉木曽之道艸‖【作者】耕堂月邦(相沢道隆・所左衛門・不易堂・縁窓)作。鹿鳴序。【年代】嘉永三年(一八五〇)序・刊。[信州]不易堂ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『岐蘓迺道艸』。半紙本一冊。京都から江戸までの中山道の駅名、沿道の名所旧跡や情景などを紹介した往来。風景や名所等の記述が詳しく、また信州で刊行された点に特色がある。「九重の花の都を旅立て墨斗(やたて)の墨は薄くとも…」と、畳字や形容句の多い七五調の文章で綴り、京都四条を出発して江戸日本橋へ向かう旅人の道中記風に、旅人の視点からの風景描写や各地伝来の故事、土地土地の風俗などを織り交ぜており興味深い。本文を大字・四行・所々付訓で記す。なお、月邦作の往来として『頑悪儡状(わんぱくじょう)』†がある。〔小泉〕
◆きそのよしなかがんしょ/きそよしなかがんしょ [0879]
木曽義仲願書‖【作者】不明。【年代】寛文六年(一六六六)以前刊。刊行者不明。【分類】歴史科。【概要】異称『木曽願書』『木曽義仲状』『木曽状』『源義仲埴生之八幡宮願書』。大本一冊。寿永二年(一一八三)五月一一日、平家軍を追って砺浪山羽丹生に布陣した際に、木曽義仲が八幡大菩薩に勝利を祈願した願文(『源平盛衰記』二九巻から抽出)を手本としたもの。「帰命頂礼八幡大菩薩日域朝廷之本主累世之曩祖(のうそ)也…」で始まる願書で、四海を管領して万民を悩乱する平清盛の様子や、国家・君主のために身を擲つ覚悟を示す。江戸中期以降は合本科往来本(『新童子往来万世宝鑑』など)中に合綴されることが多く、単行本はほぼ江戸前期のみの刊行で、現存本は少ない。東京学芸大学蔵本は本文を大字・四行・付訓で記した手本で、刊年を記さないが明らかに江戸前期の刊行と見られる。『万治二年(一六五九)書目』には載らず、寛文六年頃刊『寛文年間書目』に「一冊、木曽願書」と見えるから、本書は寛文初年頃の刊行と推定される。また、本書は、柱題の『木曽(義仲)状』の書名でも普及したほか、『木曽埴生八幡宮願書』と題した刊本や写本もある。なお、現存本では寛永二年(一六二五)書『古状揃』†所収の「願書」が本往来の最古。〔小泉〕
◆きそゆうりゃくおうらい [0880]
〈甲申新版〉木曽勇略往来‖【作者】十返舎一九作・序。歌川国安画。【年代】文政六年(一八二三)序・刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈勇略〉木曽往来』『勇略木曽往来』。半紙本一冊。一九が著わし、江戸書肆・山口屋が出版した一連の伝記型往来の一つ。『平家物語』『源平盛衰記』等で知られる木曽義仲の略伝を綴ったもので、義仲の出自や幼い頃父・義賢が滅ぼされた後、斉藤実盛によって保護されたこと、元服後は「木曽冠者義仲」と名乗り、やがて以仁王の令旨によって信州で挙兵し、倶利伽羅峠の戦いで平維盛の大軍を火牛の奇襲により打ち破ったこと、しかし入洛後の義仲の横行と略奪により源頼朝が義仲追討の兵を起こし、ついに粟津ヶ原で戦死したことなどを劇的に綴る。また同本文中で義仲を「希世被誉の英将」「勇謀智兼の良将」と賞賛する。本文を大字・五行・付訓で記し、文末を「恐々欽白」で終わる書翰形式とする。頭書等に、義仲一生の名場面の挿絵や、「即急諸薬法」「旅行する時用意の品大略」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◇きたのおうらい [0881]
北野往来‖【作者】沢田杢左衛門書。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】武蔵国入間郡北野村(埼玉県所沢市)を中心に、同郡の方角別の村名・地名や近隣諸郡の地理的位置(方角・距離)・規模・地名等を列記した往来。地域に因んだ古歌をしばしば引き、段毎に一つ書きで書き分けるのが特色。「夫、武州十郡之内入間郡北野村、従坂東第一北野天神、以方位分、郡之広狭・道路之遠近、或者出名所古歌遠村…」と筆を起こし、まず能海法師の武蔵野の歌「出るにも入にもおなし武蔵野の、遠花を分る秋の夜の月」を掲げ、以下、入間・多摩・新座・豊嶋・荏原・橘樹・都筑・久良岐・足立・埼玉・葛飾・比企・横見・幡羅・男衾・榛沢・那賀・児玉・賀美・高麗・秩父各郡の順に紹介する。本文を大字・四行・無訓で記す。なお、筆者は沢田泉山と関連があるか。〔小泉〕
◆きつきおうらい [0882]
杵築往来‖【作者】長谷川東大夫作・書。【年代】文化一三年(一八一六)作・書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「出雲国杵築大社者、掛まくも畏き大国主大神之御本宮也…」と起筆して出雲国杵築大社(出雲大社)の由来・結構、また周辺の名所旧跡、物産・産業、さらに同地の住民としての心得などを記した往来。同社の主神・大国主命が日本の国々を作った神話から説き始め、同社の縁起や建物の様子を前半に述べ、続いて、周辺の美景として「出雲大社八景(八雲山の晴嵐・社頭の夜燈・関屋の翠松・御崎山の秋月・真名井の清流・素鵞川の千鳥・高浜の暮雪・出雲浦の漁舟)」や地域の諸産業・諸職を列挙し、最後に、かくも尊いこの地の住人は服忌令を厳守し、法度を遵守すべき旨を諭す。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆きっさおうらい [0883]
喫茶往来‖【作者】玄恵(玄慧・洗心子・独清軒・健軒)作か(虎関師錬(本覚国師・海蔵和尚)撰作説あり)。【年代】室町前期作。大永六年(一五二六)書。【分類】古往来。【概要】巻子本一軸、または大本一冊。喫茶の会席の装飾や会席の次第、茶の判断基準等を記した古往来。五月状往復・六月状往復の合計四通から成る。昨日の茶会に欠席の由を問い、会の模様を詳細に告げ知らせる文(六月状往)、手紙を受けて欠席の理由を述べ、知らせに対し感謝の辞を述べる文(同返)、茶につき出所その他一切の批判を注せられるべく依頼する文(五月状往)、依頼に応じ五項にわたり御茶の批判を述べた文(同返)を収録するが、闘茶の様相を記述する点と、栂尾茶を「本茶」とし、それ以外を「非茶」とする点など、喫茶史にも重要な資料である。宮城県図本(井堤舎主人旧蔵)は文久二年(一八六二)の重写本で本文を楷書・大字・八行・付訓で記すが、「去大永第六初春十八日以禅海法印写之。然今度越州下之間重而又写留了。享禄五年(一五三二)五月七日、同十日校了。権少都「怡」の奥書を付す点で貴重。また、室町初期筆の巻子本(加賀田家蔵)は行書・一行約六字・無訓、『群書類従』本は概ね楷書・やや小字・一〇行・無訓で記す。〔石川〕
◇きぬがわえんがんむらなづくし [0884]
鬼怒川沿岸村名尽‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】下野国鬼怒川流域の村名・字名等を書き連ねた往来。藩領・国・町村等ではなく、河川の流域を一つのまとまった経済圏・生活圏と捉えて地名尽を編集した点が独特で、他にほとんど例がない。〔石川〕
◇きのこづくし [0885]
きのこづくし‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】語彙科(戯文)。【概要】異称『蕈尽』。「はづかしながら、一ふでしめし(シメジ)上まいらせ候。ますおそれさまつだけ(松茸)、今宵はくる身もだしぞと、わしやきくらげ(木耳)嬉ふて、まつたけ(松茸)のにうそとなり、ぬらりもたしのはなしとは、しら初つたけ(初茸)…」で始まる女文形式で、茸類の名称を列挙した戯文の往来。〔小泉〕
◆ぎふまちづくし [0886]
岐阜町尽‖【作者】飯野忠一作・跋。西籍某書。【年代】明治七年(一八七四)書・刊。[岐阜]成美堂板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。明治初年の岐阜および周辺の地名を七五調・美文体で記した往来。「百岐年(ももくきね)美濃の国なる岐阜町は、金華(こがねはなさく)山近く、弥増(いやまし)栄ふ其起原(そのもと)は、永禄七年織田信長…」で始まる文章で、まず岐阜の沿革を略述し、以下「革屋町から本町の、街衢(とおり)は城の大手筋…」のように旧岐阜城下各町の地名とその様相、また産物等を綴る。一般の『町尽』のように単なる地名の列挙とは異なり、短文ながら所々に名所故実等を挿むなど、各地の特色にも言及するのが特徴。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きみいでらめいしょ [0887]
紀三井寺名所‖【作者】不明。【年代】安政四年(一八五七)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。紀三井寺(和歌山市南部の名草山の麓にある西国三十三カ所の第二番札所)と付近の風景などを書き記した往来。「頃しも秋の最中、猶月次の会日、朋友を伴ひ、小船に棹さして紀三井寺へと志し候。抑此寺は観音の霊場にて、吉祥水・楊柳水・清浄水とかや申候て、目出度滝の三つ有故名付るとなん…」で始まる一通の女文で、紀三井寺境内の様子と拝殿からの眺望を紹介し、参詣後、茶屋で終日遊んで帰った旨の文章で結ぶ。本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◇きみがよ [0887-2]
君が代‖【作者】長谷川妙躰(妙貞・筆海子)書。【年代】享保一四年(一七二九)以前刊。[京都]菊屋七郎兵衛板。【分類】女子用。【概要】異称『きみか世』『女筆君か代』。大本三巻三冊。概ね上巻に春・夏、中巻に秋・冬、下巻に冬、その他の女子消息文を記した妙躰流女筆手本。上巻には「新年祝儀状」を始め、四季の風情を折り込みながら綴った節句祝儀状等の手紙一一通、中巻には「婚礼祝儀を目前に控えて様子を伺う手紙」以下九通と七夕詩歌など和歌三種、下巻には「神無月の頃の風情を綴った文」や「御所方に流行する小袖についての文」「『古今和歌集』の指導を喜ぶ文」「過ぎゆく年を惜しむ歳暮の文」「河原の下屋敷での夕涼みを誘う文」「参詣に熱心な友への文」「学問教授の礼と出精を誓う文」の六通および年徳神奉納和歌一首を大字・無訓の独特の散らし書きで記す。また、刊記部分(刊年不記)に「世上に女筆ありといへとも、多くは男筆にして女子の手本に成かたし。此『女筆君か代』は長谷川妙躰の手本を集、令開板者也」の跋文を付す。各巻表紙見返しに口絵を載せ、上巻から順に「手習いする女性」「手紙をしたためる女性」「手紙を読む女性」の図を掲げる。なお本書は『享保一四年書目』に載るため、初刊はそれ以前と思われる。〔小泉〕
◇きゅうかじょう [0888]
九ヶ条‖【作者】不明。【年代】文化八年(一八一一)頃書。【分類】教訓科。【概要】異称『九箇条』。諸本により箇条内容や配列に異同があるが、いま、謙堂文庫架蔵の文化八年頃の写本『往来物集録(仮称)』(横本一冊)によれば、第一条「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」で始まり、「主と親とは無理成る物と知るべし」「子程親を思え、近き手本と知るべし」「掟に畏よ、火に畏よ、無分別者に畏よ。恩を忘るる事なかれ」等の計九カ条の教訓である。また、同書第九条「分別は堪忍に有ると知るべし」に代えて、「一言の教訓は千両の金より重し…」を掲げる異本もある。なお、筑波大本によれば、和歌山地方で使用された往来という。謙堂文庫本は、本文を大字・六行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆きゅうたいいろは [0889]
〈英学捷径〉九体以呂波‖【作者】ブラウン(英国撫良翁子)作。橋爪貫一(松園)校。江立光・桃散人・楳塢・竹斎書。【年代】明治四年(一八七一)序・刊。[東京]雁金屋清吉(青山堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈英学捷径〉九体伊呂波』。中本一冊。アルファベット各体(ローマン体・イタリック体の大・小文字)やアラビア数字・ローマ数字の表記を記した初歩教科書。冒頭に「英国頭字(大文字)」「英国小字(小文字)」を示した後、ローマン体大字・ゴシック体大字・ローマン体小字・イタリック体小字・片仮名・平仮名・漢字楷書・漢字行書・漢字篆書の九体から成る「英字以呂波」を掲げ、更に「亞刺比亞(アラビア)数符」「羅馬数符」「子母五十韻字」までを載せる。〔小泉〕
◆きゅうりあんしょうぼん [0890]
〈瓜生寅著〉窮理諳誦本‖【作者】瓜生寅作。苅谷保敏書。瓜生礼子序。【年代】明治七年(一八七四)刊。[京都]吉野屋甚助(杉本甚助・玉淵堂・二酉楼)ほか板。【分類】理数科。【概要】異称『究理諳誦本』。中本三巻三冊。「窮理とは、物の理を知る学にこそ、先其物を弁へて、其後用を悟るべし、体ある者はみな物にて、人や獣や木や石や、五感に触るゝ者ならば、物ならぬもの絶てなし」(究理総論)のように、窮理学(物理学を主とする西洋科学)上の初歩知識を七五調で綴った教科書。上巻には「究理総論」「物の躰性」「物の類別」「物の動静」「物の重心」「運動器」「流体」について、中巻は「大気」「声」「温気」について、下巻は「蒸気」「光」「電気」「磁石」についてそれぞれ述べ、本文を大字・五行・付訓で記す(図解なし)。〔小泉〕
◆きゅうりういまなび [0891]
窮理宇飛満奈比(巻一)‖【作者】吉田庸徳訳。伊藤桂洲(信平)校・書。三余堂序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]丸屋庄五郎(耕養堂)ほか板。【分類】理数科。【概要】異称『〈通俗〉窮理うひまなひ』。半紙本一冊。「抑窮理とは、いかなる学ひの道ならん、昔も今も易りなき、霊妙無辺の天地の、間にありつる物毎に、大小疎密の別ちなく、万事万物一々に…」で始まる七五調の文章で、窮理学全般や、地球・太陽・月・惑星やその運行、それに付随する種々の現象など、天文学周辺の初歩知識を記した教科書。本文を大字・四行・付訓の手本用に綴り、本文の随所に「昼夜を示したる図」「月の盈虚(みちかけ)を示したる図」「日蝕を示したる図」など七葉の図解を掲げる。首題に「巻の一、天体之部」と記すが、二巻以降の刊行は未詳。〔小泉〕
◆きゅうりおうらい [0892]
〈頭書大全〉窮理往来‖【作者】今井史山(今井元雄・山涯)作。瓜生寅(三寅・政和・於莵子・梅亭金鷺・楳亭・橋爪錦蔵・橋爪錦造)校・序。桑野松霞(雪朗)書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]大野木市兵衛板。また別に[東京]森屋治兵衛(錦森堂)ほか板あり。【分類】理数科。【概要】半紙本三巻三冊。第一巻「気学の部」、第二巻「水学の部」、第三巻「火学の部」「光学の部」の四部に分けて窮理学の初歩知識を述べた往来。本文を「春の霞や夏の雨、秋の夕の朝霧や、冬の朝の雪降に、置まどはせる白菊の…」のようにほぼ七五調で綴るのが特徴(大字・五行・付訓)。まず「気学の部」では「理学の総説」に触れた後で、「空気の総説」「風の説」など約二〇項で気体に関する諸説・諸原理、また先駆的科学者の小伝などを紹介する。同様に、「水学の部」では「水学に二種の区別ある説」「水の圧力の説」など水に関する諸説、「火学の部」では「六熱(日・火・電熱・体温・化成熱・相撃熱)」を始めとする熱に関する諸説、さらに「光学の部」では「六光源」「光の七色」「日月」など光や気象に関する諸説をそれぞれ紹介する。頭書にも本文に関する図解や諸知識を掲げる。〔小泉〕
◆きゅうりしんせつ [0893]
窮理新説‖【作者】矢須河通済訳。三宅寛(栗斎)・大塚信正序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]敦賀屋九兵衛(松村九兵衛・文海堂)板。【分類】理数科。【概要】中本二巻附録一巻合一冊。「或人問に、水は元何より成り立ち、如何な性質を具備て居る物でござるや」のように問答形式で、窮理学の初歩知識を適宜図解とともに簡潔・平易に記した入門書。本文をやや小字・九行・付訓で記す。上巻に「海水雲雨の事」「沸騰散の事、附製法」「時計仕懸の事」など五章、下巻に「水の事、附水の寒暖に形を変ずる事」「蒸気の事」「ゑれきの事、附ゑれきを試むる器械の事、附ゑれきの熱にて玻瑠器(フラスコ)を切る法」の三章を載せ、さらに附録として「風の事」「颶風(おおかぜ)の事」「竜巻の事、附起る理解(わけ)の事」「霰の降る事、附雹の降る事」など九章を付すが附録は未見。〔小泉〕
◆きゅうりしんぺん [0894]
〈訓蒙〉窮理新編‖【作者】永沢克久作・序。【年代】明治五年(一八七二)序。明治六年刊。[京都]須原屋平左衛門(遠藤平左衛門)ほか板。【分類】理数科。【概要】中本三巻三冊。英・米刊行の窮理書・博物書から初歩知識を採録した窮理学入門書。上巻は「新機器を創造の人の事」「瓦徳(ワット)蒸機器を作る事」「力査(リチャード)・阿瓦来(アークライト)、并紡棉機の事」など九項、中巻は「蒸気機器の事」「世界第一の火輪船の事」「火輪車の事」「水甑(みずがま)の事」など一二項、下巻は「水性の事」「水を以て各物の軽重を較ぶる事」「水を以て時を計る事」「水を以て物を権(はか)る事」など一四項について、折々図解を交えて平易に説く。〔小泉〕
◇きゅうりずかい [0895]
〈訓蒙〉窮理図解(初編)‖【作者】福沢諭吉(範・子囲・雪池・三十一谷人)作。慶応義塾序。【年代】明治元年(一八六八)刊。[東京]慶応義塾蔵板。【分類】理数科。【概要】中本三巻三冊。英国チャンブル著『博物書』(一八六一年)、同『窮理書』(一八六五年)、英国ボン著『地理書』(一八六二年)、米国コルネル著『地理書』(一八六六年)など多くの英米書を参照して綴った窮理学入門書。凡例に主要引用書目を掲げる。全一〇章からなり、上巻は「温気」「空気」、中巻は「水」「風」「雲・雨」「雹・雪・露・霜・氷」、下巻は「引力」「昼夜」「四季」「日蝕・月蝕」についてそれぞれ図解とともに平易に説く。ただし、「江戸にて朝六時(むつどき)なれば、西方支那(から)の北京にては半時余も後れて暁七半(あけななつはん)前なり」のように、日本人に馴染みやすく書き改めた箇所もある。〔小泉〕
★◆きゅうりぞうとうのふみ [0896]
窮理贈答之文‖【作者】松川半山作・書・画・序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[堺]鈴木久三郎板。また別に[大阪]赤志忠七(忠雅堂)板あり。【分類】理数科。【概要】半紙本三巻三冊。扉題に『Heaven Earth 窮理文』とある。主に天文・地学・地理・物理・化学等に関する知識を書簡形式の往復文(問答文)で綴った手本で、収録書状は三巻合計で往復一二双二四通。上巻には「天地之窮理を尋る文」「風之説を尋る文」「英国之語学を問文」「風船を尋る文」の四双八通、中巻には「日月の行道を尋文」「亜米利加開発尋文」「電信機を尋る文」「陰火の理合を問文」の四双八通、下巻には「彗星之説を問文」「地震を試る説の文」「瓦斯燈の理合尋文」「鴉片(アヘン)烟草訳聞文」の四双八通を載せる。文体は一般の漢語用文章と同様で、端作(手紙の冒頭語)から書止、あるいは追伸文に日用の語句・文章を交える。本文を大字・四行・付訓で記し、任意の漢語に左訓を施す。いずれも往状で問い、返状でやや詳しく解説する体裁になっているが、窮理全般の初歩知識の紹介に止まる。巻頭に半山画の色刷り口絵を掲げる。〔小泉〕
◆きゅうりちえのうみ [0897]
〈啓蒙〉窮理智慧の海‖【作者】岡本喜八郎作・序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]書籍会社板。【分類】理数科。【概要】異称『窮理智恵の海』『窮理知恵の海』『啓蒙窮理智慧之海』。中本二編五巻五冊。地理書・窮理書・化学書等から基礎的知識を抜粋した窮理学入門書。巻の一は「地球の論」以下、大気や風・水・火に関する四章。巻の二は「引力の論、附潮満干の事」以下、引力・電気・電気機械・銀メッキ等に関する四章。巻の三は「電気にて銅版を製する法」以下、雷管・硝酸・硫酸・塩酸・瓦斯灯などに関する八章(以上が初編)。巻の四は「六十五種元素表、并和量異重」「元素固有性質」の二章。巻の五は「各元素を集め取る法」および「種々玻璃の製法」の一章(以上二編)。都合一九章に分け、図解を多く載せながら諸事項を平易かつ詳細に解説する。本文を楷書・やや小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きゅうりちえのすすめ [0898]
〈訓蒙画入〉究理智恵のすゝめ(初編)‖【作者】東岸舎作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]近江屋岩治郎(誠之堂)ほか板。【分類】理数科。【概要】異称『訓蒙究理智慧之勧』『〈訓蒙画入〉究理智慧の勧』。中本二巻二冊。「究理書中、目前手近き事柄を極浅く翻訳した」入門書で、上巻に「雲之事」「雨之事」「雷之事」「露・霧・霜之事」「雪・霰之事」「火山之事」「地震之事」「温気之事」の八項、下巻に「寒暖計之事」「汐満干之事」「光之事」「風之吹く事」「重力の中心之事」の五項を載せる。「洗濯物の乾くは其水如何になりて、いづれに行しやと尋ぬるに…」のように卑近・平易な解説に努める。本文をやや小字・八行・付訓で記す。なお、末尾を「此外究理には奇なる事多けれども猶次編に出すべし」と結ぶが、二編以降の刊行については未詳。〔小泉〕
◆きゅうりちかん [0899]
窮理智環‖【作者】清原道彦作。元田直(南豊)序。平田思成書。【年代】明治年間刊。[東京]椀屋喜兵衛(江島喜兵衛・万笈閣)板。【分類】理数科。【概要】半紙本。本書題簽に「全」、また見返に「完」と記すが、目録題および首題に「窮理智環一」、また、巻末広告に「全三冊」とある。従って本書は一巻本または三巻本のいずれかであろう。玉川大本(一冊)は、窮理学(天文学)の事始めから、太陽・月・惑星、その他の天体に関する初歩知識を行草体の手本用に綴ったものである。ガリレオの地動説や惑星の位置・大きさ・運動、また、地球の寒暑、月、日蝕・月蝕、水星・金星・火星・小行星・木星・土星、また、彗星や天の川に至るまでを図解を交えながら述べる。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆きゅうりどうじきょう [0900]
〈頭書図入〉窮理童子教(初編)‖【作者】青木東江(清輔)作・序。芳川俊雄(春濤)校・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]紀伊国屋徳蔵ほか板。【分類】理数科。【概要】半紙本二巻二冊。窮理学(本書頭書に「天地の間にある万物の道理を究め其物の源質を知り、しかる後に之を人の用に供給するの学問」と説明)上の基礎知識をほぼ七五調の文言で綴った手本。『童子教』と称すが、いわゆる『実語教・童子教』†とは何の関連もない。上巻では第一章「究理の要義」で窮理学のあらましを述べ、第二章「空気の事」で空気の特性や大気に関する諸説を展開する。また下巻では第三章「風の事」で風の原因やその作用、気候や季節との関わりなどについて、第四章「熱気の事」で熱の作用や熱の五源(太陽熱・火熱・電熱・固有熱・相撃熱)、熱の性質、寒暖計などについて述べる。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書には、本文の関連記事や挿絵を掲げ、エヤ(エア)ポンプ・晴雨鍼・風雨鍼・風速計・反射鏡を始めとする実験器具や測定器なども紹介する。〔小泉〕
◆きゅうりはつもう [0901]
窮理発蒙‖【作者】魚住宗太郎・宇喜田小十郎作(初編)。存斎学人作(二編)。【年代】明治五年(一八七二)序。明治五〜六年刊。[京都]吉野屋仁兵衛(津逮堂)板。【分類】理数科。【概要】異称『〈訓蒙〉窮理発蒙』。中本二編六巻六冊。東書文庫本は初編のみで二編は未見。一八六〇年代の英米の窮理書・博物書・地理書などから適宜抄録して編んだ窮理学入門書。巻之一が「光の事」「気の事」の二章、巻之二が「蒸気の事」「物質の事」「万種の事」「人性の事」の四章、巻之三が「電気の事」「雷K(テレグラフ)の事」「地質の事」「潮汎(しおひ)の事」の四章で、合計一〇章から成る。諸説・諸原理を卑近な言葉や図解で説き明かす。本文を楷書・やや小字・九行・付訓で記す。〔小泉〕
◇きゅうりようぶんしょう [0902]
窮理用文章(初編)‖【作者】白里外史作。【年代】明治五年(一八七二)刊。[東京]若林喜兵衛ほか板。【分類】理数科。【概要】異称『窮理用文』。中本一冊。一年一二カ月の往復文(二四通)による問答で窮理学の基礎知識について綴った特殊な用文章。本書は「白里外史」なる人物の作とするが、内田晋斎作『〈窮理捷径〉十二月帖(初篇)』†と全く同内容であり、その改題本または海賊版と思われる(ただし異板)。本文を大字・五行・所々付訓(稀に左訓)で記す。〔小泉〕
◆きょううちもうで [0903]
〈新板頭書絵入・花譜ト内〉京内詣‖【作者】不明。【年代】天明三年(一七八三)刊。[江戸]蔦屋重三郎(耕書堂)板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。明和八年(一七七一)刊『@山宮古めぐり』†の改題本。「旧臘(ふるとし)中旬より普iみやこ)の東樵木町に旅宿いたし…」で始まり「…大堰川の跡しら波の花の吹雪と筆をとゞめ畢ぬ。あなかしこ」と結ぶ一通の女文形式で、京都の名所旧跡・神社仏閣を列記した往来。若干の風景描写を含むものの大半が名所の羅列に過ぎず、縁起等の記述もない。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「京西山の景」、頭書に「十二月異名・産物」「年中廿四節」を掲げる。〔小泉〕
◆★きょうかしつけがたしょれいしゅう [0904]
狂歌躾方諸礼集‖【作者】不明。【年代】天保七年(一八三六)刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈狂歌〉躾方諸礼集』『狂歌躾歌』『躾狂歌』。中本一冊。「人として仁義礼智を知らざるは、禽獣にもかはることなし」「躾して礼儀に篤くなるときは、賤しき身でも人ぞ敬ふ」のような教訓歌一五〇首で礼儀作法全般を記した往来。教訓歌(狂歌)の形式で諸礼を説くのが特徴。本文をやや小字・八行・付訓で記す。初めに「仁・義・礼・智」は人たるの所以であり、そのうち「礼」の大切さを述べ、続いて、五節句や四季時服・礼服について、また、室内外での礼儀・身だしなみ、書状の基本的な作法、茶の給仕や立花の見方などについて説く。巻頭に見開きで「礼の字義」や小袖・裃等の積み方の図解、頭書に「上下小袖積様」や客への給仕、食礼・婚礼の全般など本文と関連する記事を掲げるが、このうち巻頭見開き記事には諸本によって異同がある。〔小泉〕
◇きょうかわり [0905]
狂哥割‖【作者】不明。【年代】寛政二年(一七九〇)作・刊。[江戸]西村源六板。【分類】理数科。【概要】半紙本一冊。種々の簡便な計算方法を、例えば「五に割は二を掛て見よ、二に割は、五を掛て知るかけて割算」のように五・七・五・七・七の狂歌に詠んで示したもの。金・銀・銭の換算法や、諸品の代金、相場の計算、田畑の面積など諸物の寸法・計量の計算、さらに暦上の計算などについて記す。刊行年は、本文中に「寛政二年戌年…」また「今年庚ゆへ…」とあるのによる。本文を概ね大字・六行・無訓(例外的に付訓)で記す。〔小泉〕
◆きょうくんいろは [0906]
教訓伊呂波‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸か]両善板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈新板絵入〉教訓いろは歌』。中本一冊。表紙とも三丁の小冊子で、各首の第一音がイロハで始まるイロハ歌教訓歌の一種。半丁に一〇首(上下二段五列)ずつ載せ、各首を界線で仕切り、それぞれ老若男女の人物画を入れるのが特徴。「イ、いとけなき時よりしよじをつゝしみて、じんぎれいちを守りたまへよ」から「京、けふよりもあすを大事にしうおやを、たいせつにしてみやづかへせよ」までの四八首を掲げる。本書と同内容・同体裁の往来が種々出版されている。〔小泉〕
◆きょうくんいろはうた [0907]
教訓以呂波歌‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。イロハの各音を頭に置いたイロハ教訓歌の一つで、各音毎に二首ずつ二段・五列(一列二行)で認めたもの。冒頭に「いくへにもかうつくせちゝはゝに、かならずおんを露もわするな」「いくとせもつとむべきこそほうこうぞ、つらひ事とて身をばいとふな」の二首を掲げ、以下、京(京のみ一首)の「けふいなかへだてはなきぞ人々に、何につけてもこゝろざしなり」までの合計九五首を収録する。いずれも庶民の生活教訓・処世訓を説く。〔小泉〕
◆きょうくんいろはうた [0908]
〈男女〉教訓いろは歌‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『〈男女〉教訓孝行鑑』。半紙本二巻合一冊。「いとけなきときよりをしえいろはうた、ちしやのおしへもみのとくとなる」のように、頭字がイロハ各音で始まるイロハ教訓歌四八首を収録した往来。上巻に「い〜う」の二四首、下巻に「ゐ〜京」の二四首を載せるが、半丁に八首(上下二段・四列)、また挿絵八葉ずつ掲げる。内容は日常生活における諸教訓や処世訓である。〔小泉〕
◆きょうくんいろはきょう [0909]
〈重宝〉教訓伊呂波経〈附録寺子今川状〉‖【作者】北尾辰宣作・画。【年代】明和二年(一七六五)刊。[大阪]糸屋七五郎板。また別に[大阪]糸屋市兵衛板あり。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓いろは経』。半紙本一冊。前半に『教訓伊呂波経』、後半に『倣今川了俊制詞寺子教訓条々(寺子今川状)』を収録した往来。『教訓伊呂波経』は『実語教』†に似せて作った教訓で、「い/幼時不怠学(いとけなきときがくにおこたらざれば)」のように漢字五字一句を基本とする全五八句からなり、各句の頭字がイロハ順に配列するのが特徴で、任意の語句について「ろく(禄)とは知行、又、金銀ざいほうの事也」のような語注を付すほか、特定の句については半丁大の挿絵と解説文を置く。幼時からの学問の大切さや父母への報恩、禁欲、多言を慎むこと、礼儀・粗食を守ることを始め種々の教訓を説く。後半『寺子今川状』は『今川状』†を模して綴った二三カ条の教訓(いずれも禁止条項の羅列)である。第一条「文筆を知らずして諸道終に習い得られざる事」以下、悪行や不行儀の戒め、手習い・学問上の心得などから成り、箇条に続く後文でも、日頃の学習姿勢や生活態度など、『通俗教訓往来』†や『世話字往来教車』†等と似通った教訓を展開する。本文を大字・五行・付訓で記す。前付に「吉書始詩歌」「五常訓略解」「公之四芸」「俗之四芸」「七夕の詩歌」「武将六歌仙」「雑病之良方」「十二月異名」「日本名筆」「入学吉日事」「不成就日」「万ゑうかな」、頭書に「和漢孝子伝」「いろはうたうら」「篇冠字つくし」「名頭之字尽」、巻末に「折形図」「十干十二支」を掲げる。なお、東大本には明和四年の書き入れがあるが、『大阪出版書籍目録』によれば明和二年七月出願だから同年の刊行であろう。〔小泉〕
◆きょうくんいろはたんか [0910]
〈文政新刻〉教訓いろはたんか‖【作者】田原船積(大竹三左衛門・俵船積・大湊舎・法六庵)作。栄松斎(栄松斎長喜か)書・画。【年代】文政四年(一八二一)刊。[江戸]伊藤屋与兵衛板。また別に[江戸]岩戸屋喜三郎板あり。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓伊呂波短歌』。中本一冊。外題替え本に江戸後期刊『〈新版・教草〉いろは短歌』(森屋治兵衛板)がある。各丁上部に「伊呂波本字教訓(いろはの本となった漢字を掲げ、その音で始まる日常的な行動規範)」および「救民薬奇法秘伝(いろはで始まる民間療法)」を配し、下部に「今昔いろは短歌」を載せる。この「今昔いろは短歌」は、多少異なる句もあるものの、ほぼ黒本・青本の『いろは短歌』を踏襲したものである。前半は婿方の去り状で、嫁の醜態を挙げ連ね、後半はこれに応じた嫁の母の請け状で、婿の無能力を批判する。挿絵に嫁の放埒な生活の様子が描かれた後に、離縁、独り身の婿の様子、嫁の母の皮肉、嫁の態度が改まる様子、嫁がもとの婿のところへ戻る場面と続き、最後に夫婦と小児が描かれている。折々に「音羽屋」(尾上菊五郎三世)、「大和屋」(坂東三津五郎三世)、「白猿」(市川団十郎七世)、「浜のむすめ」(瀬川菊之丞五世)などの芸能情報を入れて読者の興味を引くのも一工夫である。〔丹〕
◆きょうくんうたはったいいろは [0911]
教訓歌八体伊呂波‖【作者】晋米斎玉粒作・書。【年代】文政(一八一八〜三〇)頃刊。[江戸]西村屋与八板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈教訓歌〉八体いろは』。中本一冊。五・七・五・七・七の各句の冒頭が同音になるイロハ教訓歌と、イロハ毎に同音の漢字など八種八体を列挙した往来。半丁を左右半分に分け、さらに上下八段に界線を設け、一行目に平仮名と片仮名(片仮名の字母となった漢字を掲げ、そのうち片仮名の部分を白抜き字で示す)、続いて漢字七種、例えば「い」の項は、「以・夷・畏・委・意・異・謂」を上から順に草書・行書・楷書・隷書・篆書(小篆)・篆書(大篆)・角字の七体で示す。また二行目に「いましめの、いちとすべきは、いろとよく、いたづらごとや、いつはりをすな」のような教訓歌(弘法大師作と仮託する)と、先の漢字七体毎の音訓やその漢字を含む熟語を載せる。巻頭に「琴・棋・書・画」の異名と類語を紹介するほか、巻末に「文房具雅名」を掲げる。〔小泉〕
◇きょうくんおんなあさかがみ [0912]
〈新板絵入〉教訓女朝鏡‖【作者】津熊武範作。柳山堂(北越散人)序。【年代】宝暦三年(一七五三)序・刊。[京都]正本屋吉兵衛(博花堂・田中吉兵衛)ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『〈新板絵入〉教訓女安佐可ゝ美』『〈新板絵入〉教訓女あさかゝみ』『女朝鏡』。半紙本五巻五冊。講学、勤謹、孝愛、節義、柔弱の五編に分けて女性心得を説いた絵入りの女訓書。序文では才知ある賢女ならば曹大家の『女誡』†、明の孝慈高皇后の『内訓』、その他『劉向列女伝』†や各種『孝子伝』などを日々の鏡とすれば良いが、そうでない女性のために「をのつから其道を悟り、聞に付て近く我身の善悪を知る鏡と」するために本書を著したとする。胎教に始まる女性の教育や道徳等を、日本および中国の古典や説話、歌などを引いて諭す。本文をやや小字・八行・付訓で記し、所々に和漢聖賢・賢女・孝子等の小伝を割注形式で挿入する。また、各巻に「孟母」「二条中将為明卿」「大内義隆の妻・貞子」等の挿絵数葉を掲げる。〔天野〕
◆きょうくんこうこうぐさ [0913]
教訓孝行草‖【作者】高山正知作・序。【年代】文化元年(一八〇四)序・刊。[江戸]石渡利助板。また別に[江戸]菊屋幸三郎板あり。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「身体髪膚受之父母。先胎内にやとるより十月が間の憂(うき)思ひ、生るゝ時痛苦しみ生死の境に至る苦をかけ…」と書き始めて、父母が養育する辛苦や子に対する親の慈愛を切々と記し、父母の恩の広大なこと、特に母よりも大きいが形に現れにくい父の恩に気付くべきことを説き、さらに身体愛護、手習い・学問への精励、友達付き合いの心得など日常生活における善と悪を具体的にあげながら孝・不孝を諭し、最後に「孝」の一字を忘れなければ、忠義も五常も全うできると述べて結ぶ。本文を大字・四行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇きょうくんこころのゆくえ [0914]
教訓心のゆくゑ‖【作者】寿宝堂作。尚古主人序。【年代】安政三年(一八五六)序・刊。寿宝堂蔵板。【分類】教訓科。【概要】異称『心のゆくゑ』。半紙本一冊。心学書や諸経典等から児童の教訓となるべき事柄を抄録した勧善の書。本文の大半が教訓歌または経典・仏典中の金言で、冒頭の「万物の長と生れしひとなれは、五常の道をまもれ世の人」など一〇〇項(首)を載せる。後半には「火用慎のうた(「火の元は家内一とう気を付よ、火もとをしてはおそれいるそよ」以下一一首)」「仁・堪忍・慈悲」「御断のうた(寿宝翁七五歳の作という「失礼ないけんかましき歌なれど、老人故に御免なされよ」以下九首)」「老のくり言(教訓歌約一〇首)」「御飯を焚に徳用のこと」その他の記事を収録する。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きょうくんしつけじょう/きょうくんしゅうきじょう [0915]
教訓習気状‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】中本二巻合一冊。上下巻合わせてわずか六丁の小冊子で、「いさなぎや、いさなみのよも、いまのよも、いつくのはても、いもせなりける」のように五・七・五・七・七各句の第一音がそれぞれイロハで始まる教訓歌を集めた往来。いずれも処世訓を説いたもので、上巻に「い〜う」の二四首、下巻に「ゐ〜京」までの二四首を載せる。また、刷表紙や巻末にも「むにかうやまんのふかうのきとくより、親かうはなんに付ても」といった教訓歌を一〇首近く掲げる。本文を小字・一〇行の仮名書きで記す。なお、板元名は不明だが、江戸浅草の書肆で、商標は山形に「キ」。〔小泉〕
◆きょうくんたがみのうえ [0916]
教訓誰身の上‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】女子用。【概要】異称『教訓誰身上』。中本一冊。「昨日けふ、雨降暮す徒然の、筆に任せし言の葉は、女童の教草…」で始まる七五調の文章で綴った女子教訓。本書と同様の教訓が『百人一首』(往来物)や女用文章等の付録記事に多く見られるから、それを単行本として独立させたものであろう。初めに老いゆく身も忘れて子どもの息災と成長ばかりを思う親の心とは裏腹に、子どもは親の慈悲など全く心にも掛けないものであると戒め、続いて、親元にいる期間が短い女子はなおさら孝を尽くすべきことを説き、以下、他家へ嫁いでからの主婦としての行住坐臥の心得を詳述する。本文を大字・五行・付訓で記す。見返に「三月上巳曲水宴の図」、頭書に「古代雛祭の図」「後の雛祭の事」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◆きょうくんたからのいりふね [0917]
教訓宝入船‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊か。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。主として仏教(法華経)によりながらも神儒仏の三教から町人世俗の教訓を説いた絵入りの童蒙教訓書。日蓮の「自我得仏来、一心欲見仏、不自惜身命」の経文を基本に、諸般の教訓を一つ書き(長短含む約八五カ条)で示す。報恩の施行、書の徳、天恩・国恩、夫婦和合、主従・家内・兄弟・朋友等の人倫、その他の生活教訓を述べ、末尾に勝手気ままな「我太郎」がやがて罪人になる一生と、勤勉な「得松」がやがて大福長者となる一生を示した挿絵を載せる。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きょうくんちくばうた [0918]
〈絵入〉教訓竹馬歌‖【作者】藤井懶斎(藤井臧・伊蒿子・真名部忠庵・真鍋忠庵)作。木田己跋。【年代】安永三年(一七七四)刊。[大阪]田原屋平兵衛(抱玉堂・抱玉軒)板。【分類】教訓科。【概要】異称『竹馬歌』。大本一冊。童蒙の心得になるべき事柄を詠んだ教訓歌を集めた往来物。「人は唯いとけなきより誠しく、たゞしき道を見聞てぞよき」以下一〇三首を載せる。孝行・忠義を中心に人倫全般を諭す。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
★きょうくんつつしみじょう [0918-2]
教訓慎状‖【作者】不明。【年代】江戸中期書か。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。羽後仙北郡金沢西根村(現・秋田県横手市)で使用された『字達集』と題した手本中に所収。『今川状』†形式の往来で、第一条「一、於人前遣長楊枝事」のように、してはならない禁止条項二一カ条と後文からなる。他人の家で物知り顔に灰書すること、他人の読み書きをのぞき込んだりすること、上座に置かれた食事に箸を立てること、神社仏閣の前で乗馬したり冠を脱がないこと、師匠・主人・親に呼ばれてもすぐに返事をしないこと、無知無能の人を嘲笑すること、他人の女房と親しく物語りすること、公然と人の噂をすること、主人が知りながら他行し長居すること、祝儀の座で禁句をはくこと、立ちながら戸や障子の開け閉てをすること、貴人へ無遠慮に盃を指すこと、来客時に無愛想なこと、親しい相手でも門送りしないことなど、礼儀作法に関する条々の後で、以上の事柄を親として子供に仕付けないときは人前で必ず恥をかくものであると結ぶ。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◇きょうくんてまりうた [0919]
教訓手鞠唄‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】「正月とや正路にこゝろをもつならば、せかいのおかたとむつましく」「二月とやにこにこわろうてくらすなら、ちちははよろこび福きたる」以下一二月までの心得を手鞠歌に詠んだ教訓書。〔小泉〕
◆きょうくんはやしんがく [0920]
〈子供〉教訓早心学‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]吉田屋小吉板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。『子供早学問(童子早学問)』†の改編・改題本の一つ(次項と同様)。表紙とも四丁の小冊子で、注釈内容から文政(一八一八〜二九)以降の流布本『童子早学問』に準拠して改編したものと思われる。「忠義は末代の出世の手本」から「一、善人は五常のかゞみ」までの全四四カ条を大字・六行・付訓で各行の上半分に掲げ、下半分に割注を置く。刷表紙に講釈風景の挿絵とともに「人多き人の中にも人ぞなき、人ひとになれよき人になれ」以下三首の教訓歌と「そだてられ、かきねをたをす、かぼちや哉」など三首の川柳を掲げる。〔小泉〕
◆きょうくんはやしんがく [0921]
〈子供〉教訓早心学‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]周文堂板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。表紙とも三丁の小冊子。前項同様に『子供早学問(童子早学問)』†の改編・改題本。「忠義は末代出世の手本」から「善人は五常のかゞみ」までの四四の格言を上下二段に収録する。また、見返や巻末に「一文や二文をなにと思ふなよ、阿弥陀も銭でひかる世の中」など一〇首の教訓歌を載せる。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きょうくんみちしるべ [0922]
教訓道しるへ‖【作者】頼杏坪作か。【年代】寛政三年(一七九一)序・刊。[広島]広島藩板。また別に[広島]世並屋伊兵衛板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『六諭衍義大意』†配布後、広島藩が領民教化のために寛政三年二月にその普及・徹底を図る目的で出版した往来。庄屋・村役人の家々に頒布(寛政三年一一月に一村に二部ずつ配布し、以後も無償配布または希望者に有償頒布)し、会合の都度これを朗読させるなど、教諭書や往来物として使われた。『六諭衍義小意』†と同様に『六諭衍義』の民間版解説書だが、『小意』よりも平易かつ具体的。なお、本書の一部を改訂しただけの改題本『六教解』が代官・早川正紀によって文化元年(一八〇四)に久喜領内で刊行された。本文をやや小字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きょうくんみちしるべ [0923]
教訓道志‖【作者】滕恵迪(省軒)作・序。源素行(元淳)序。【年代】延享元年(一七四四)作・序。慶応二年(一八六六)頃書か。【分類】教訓科。【概要】異称『鬢鑑』。大本一冊。序文によれば『髪鑑(鏡)』という草子から抄録した教訓書。『髪鑑』のうち「身の近き所」を列記して『びむかゞ美』と名付けたと記すため、『鬢鑑』が原題であろう。聖賢の語や俚諺・教訓歌を引きながら、忠孝・五倫、その他諸般の教訓を説く。本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆きょうくんもんじょ/きょうくんぶんしょ [0924]
教訓文書‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。手習いその他生活全般にわたる童蒙心得を綴った手本(大字・三行・無訓)。「夫、手習・学問者万能之本也」と筆を起こして、身を正して他人を譏らない、法度を遵守する、礼儀を弁える等々の教訓を羅列する。童蒙たりとも徳を備えた「十歳之翁」は神仏の加護を得て、人々に敬われるが、無礼・不徳の者は「百歳の童」となることなどを俚諺を引きながら説く。〔小泉〕
◆きょうくんようぶんしょう [0924-2]
教訓用文章‖【作者】不明。【年代】元禄一一年(一六九八)頃刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】大本一冊。証文文例のみを示した初期の手本兼用文章。現存本は一冊本で少なくとも数丁の欠落があるが、もとより一冊とすれば、消息文例を伴わない独自の初期用文章といえよう。「質札調様之事」「奉公人請状之事」「関所手形之事」「家之売けん状之事(売渡家屋鋪之事)」「売渡田地之事」「預り申銀子之事(二通)」「借用申金子之事(元禄一一年の記載あり)」「預り申籾之事」「借用申米之事」「目安調様之事」「謹而言上」など最低一三通の証文類の雛形を載せ、いずれも大字・四行・所々付訓で記す。第八条末尾に「元禄拾一年/寅ノ月日」と記すことから、同年以降から元禄末年までに刊行されたものと思われる。見返に「いろはの起源」や「読書・手習い図」、裏見返に、篆字を含む「四体イロハ」や「篇并冠」を収録する。このうち「いろはの起源」は元禄五年刊『用文章綱目』†上巻前付記事のものとほぼ同内容であり、その関連性が注目されるが、『教訓用文章』においては説明文のほとんどが仮名書きに改められている点で、本書がより初歩的な教材と位置づけられる。このような証文類文例に「教訓」と題した意図は不明だが、証文の重要性に着目した、より現実的・実用的な用文章を編者が志向していたことは確かであり、従来の用文章にはない、そのような姿勢を「教訓」の二字に込めたのではなかろうか。〔小泉〕
◆きょうくんよのなかひゃくしゅ [0925]
教訓世中百首‖【作者】荒木田守武(薗田守武)作。【年代】寛政一〇年(一七九九)序・刊。[京都]吉野屋甚助板。また別に[伊勢]藤原長兵衛ほか板あり。【分類】教訓科。【概要】異称『よの中百首』『世中百首』『伊勢論語』。大本一冊。『世中百首』は、享保七年(一七二二)刊『世中百首絵抄』†などの教訓絵本としても普及したが、その板木が「ちかきとし洛の火にあひて」焼失したため、寛政九年に発見された守武自筆本によって「洞津某(藤原長兵衛等であろう)」が上梓したもの。『世中百首』は、「世中のおやに孝ある人はたゞ、何につけてもたのもしき哉」から始まり、「天照す神のをしへをそむかずは、人は世中富貴繁昌」で結ぶ一〇〇首の教訓歌で、いずれの歌にも「世の中」の五字を詠み込むのが特徴。巻末識語に相当する和歌も「世中の大永五年(一五二五)長月の、かのへさるの夜百首よむ也」と同じ趣向になっている。本文をやや小字・一一行・稀に付訓で記す。巻頭に守武の系図および肖像画(色刷)、巻末に辞世の句と守武霊社の図(色刷)ならびに由来を付す。〔小泉〕
◆きょうくんわらわべぐさ [0926]
教訓童草‖【作者】柳園種春(小沢種春・簾屋豊蔵・子敬・標七・東陽)作。暁鐘成画。旭小蓬莱序。【年代】文政一〇年(一八二七)序・刊。[大阪]土佐屋喜兵衛(三谷喜兵衛・文籍堂)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『童草』。半紙本二巻二冊。故事・略伝・逸話など作者が見聞きした話を集録した絵入りの童蒙教訓書。上・下巻とも約二五話ずつ載せる。上巻は国恩、軍書講釈、先祖の艱難辛苦、不足銭(賃金ピンはね)、約束厳守、借用品の返却、勤勉、孝行、親の高恩、色欲、夫婦和順、悪妻、商人の風流と礼儀等についての訓話、下巻は信心、信仰、智者と侫人、偽言、明徳の人(貝原益軒)、楠公の清忠名智、報恩、勇気、学問出精、主従の心得、北条泰時、遁世、和歌の道などの諸説から成る。随所に挿絵や教訓歌を配置する。本文をやや小字・一一行・付訓で記す。巻末広告に「此書は忠孝の道を専とし、侫人・賢者のわかちをとき、己を慎、剛欲をいましめ、尚、身持放蕩をいましめ、近き世にありし因果のくさをあらはし、画をまじへ、和歌・狂歌・誹諧をくわへ、一時に童蒙の眠をさます、おもしろき本也、御子様方の御進物などにもよろし」と宣伝するほか、「彩色入モアリ」と付記するように特別仕立ての彩色本も刊行された。また、本書後編二冊本の広告も載せるが未刊か。〔小泉〕
◆きょうこうきんげん [0927]
〈手紙文章〉恐惶謹言‖【作者】墨池堂書。【年代】文政七年(一八二四)再刊。[江戸]英平吉板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家〉諸状用文章』。半紙本一冊。「年始状・同返事」〜「道具借用口上・同返事」までの往復文(一部往状のみ)四五通と「御関所手形」〜「詫証文之事」までの一二通を収録した用文章。消息文は五節句・四季、通過儀礼・吉凶事に関する祝儀状・見舞状の類が大半で、各例文を大字・五行・所々付訓で記す。第九状「悔之状」の返状に相当する第一〇状「悔礼状」が目録において「同返事」と書かれずに別記されているのは、すぐに返事を書かずに日を置いた忌明後に書く習慣を反映してのことであろう。また、書名にも拘わらず、「恐惶謹言」や「謹言」を用いた例文は全体の半分に満たず、「以上」で書き止める場合が多い。また、後半の証文類は明らかに文化三年刊『書翰用文手形鑑』†の模倣で(ただし末尾「離縁状」は本書では省略)、各例文を文化三年板同様にやや大字・七行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ぎょうしょかいかせんじもん [0928]
行書開化千字文‖【作者】松村春輔作。高斎単山(滝沢有常・子恒・精一・三余堂)書・跋。大久保最惇書(再録本文)。【年代】明治一一年(一八七八)跋・刊。[東京]高斎単山(三余堂)蔵板。大伴千秋売出。【分類】社会科。【概要】異称『開化千字文』。半紙本一冊。明治六年初刊、同一〇年補訂の『開化千字文』†を行書・大字・二行で認めた手本。巻末に楷書・小字・九行の本文読法を掲げる。〔小泉〕
★ぎょうしょかくんじょう [0928-2]
行書家訓帖‖【作者】名和菱江(喜七)書。【年代】明治二九年(一八九六)刊。[大阪]松村九兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『司馬温公家訓』。折本一帖。司馬温公作とされる家訓を手本に認めたもの。半折に大字・一行(五字)・無訓で記す。「凡諸卑幼、事無大小、母得専行、必咨稟於家長、凡子受父母之命、必籍記而佩之、時省而速行之、事畢則返命焉…」で始まる第一条以下、四カ条を載せる。どのような状況においても父母の命に従うこと、結婚の場合は相手の行状や家法を見極めるべきこと、礼法・家職・家計など家長の心得、子孫のために金銭や書を遺すよりも陰徳を積むべきことなどを説く。〔小泉〕
◇ぎょうしょしょうそくおうらい [0929]
行書消息往来‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]吉田直次郎(宝聚堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈開明〉消息往来』『開明消息往来』。半紙本一冊。明治一一年刊『〈開明〉消息往来』†と同内容。本文を行書・大字・三行・無訓で綴り、巻末に楷書・小字・一二行・付訓の本文を再録する。本書と同体裁の楷書版も同年に刊行されている。〔小泉〕
◆ぎょうしょてがみぶん [0930]
行書手紙文〈海石書〉‖【作者】村田海石(村田浩蔵)書。【年代】明治三四年刊(求板)。[大阪]又間精華堂(又間安次郎)板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「新年祝儀状」から「代理人を遣わす書状」までの二一通を収録した書翰文の手本。大字・三行・無訓で綴る。四季折々の挨拶状や各種行事の案内状、その他の書状から成るが、貿易、徴兵、生糸輸送など明治期にふさわしい内容を主とする。〔小泉〕
◆ぎょうしょひゃくしょうおうらい [0931]
〈学校用書〉行書百姓往来‖【作者】東京府学務課編。岡守節(三橋)書。【年代】明治一七年(一八八四)刊。[東京]近江屋半七(吉川半七・文玉圃)板。【分類】産業科。【概要】異称『〈学校用書〉百姓往来』。半紙本二巻合一冊。明和三年(一七六六)刊『百性往来』†の明治期改編版の一つ。随所に語句の出入りが見られるが、基本的に明和板本文を踏襲しながら、例えば「地価、地券状、書替、裏書、証印税可呈出、国税・地方税・町村費・地租者地価百分之二箇半…」のように近代農業の実情に合わせて適宜改編してある。上巻に農具、農地、地租、農業施設、肥料、穀類・稲作(手順・心得)、備荒、畑作物・商品作物、副業(農閑余業)等、下巻に分限を弁えた家屋造作、衣類、家財・諸道具、接客料理、農民心得(質素倹約・法度遵守・正直・勤勉)などを記す。本文を行書・大字・二行・無訓で綴る。〔小泉〕
◆ぎょうしょれきじおうらい [0932]
行書礫字往来‖【作者】中沢雪城(俊卿・子国・行蔵)書。【年代】慶応二年(一八六六)以前作・書。江戸後期刊。[江戸]至誠堂蔵板。椀屋喜兵衛(万笈閣)売出。【分類】語彙科。【概要】異称『礫字往来』。縦長本一冊。万延元年(一八六〇)頃、巻菱湖書『礫字往来』†のうち上巻前半部(「…斟酌・愛相・用捨」まで)を記した陰刻手本。本文を大字・二行・無訓で記す。雪城は菱湖門人だから、菱湖の手本を臨書したものであろう。雪城が没した慶応二年以前の作で、体裁その他から江戸末期刊であることは間違いない。最終丁ののどに「一ノ十七止」と記すように続刊の形跡を残すが、明治初年後印本の巻末広告にも一冊本の旨を記載するので、残りは未刊に終わったのであろう。従って、『礫字往来』†の完本は万延頃の写本(謙堂文庫本)のみである。〔小泉〕
◆★きょうそくおうらい [0933]
〈童蒙〉教則往来‖【作者】鈴木礼(五湖)作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]山本庄兵衛ほか板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。明治五年四月に教部省が通達した「教則三条(三条教則・三条の教憲)」、すなわち第一条「敬神愛国の旨を体すべき事」、第二条「天理人道を明らかにすべき事」、第三条「皇上を奉載し朝旨を遵守せしむべき事」の三カ条を敷衍した往来。「天下上下人たる者の大綱目」であるこの三カ条の趣旨をよく守るようにと教え諭す。本文を大字・四行・付訓(所々左訓)で記す。なお、本書と別内容の鶴田真容作『教則往来』†が明治一二年に刊行されている。〔小泉〕
◇きょうそくせんじもん [0934]
教則千字文‖【作者】小池貞景(丈吉)作。菊池三渓(三渓学人・純・子顕・晴雪楼)序。【年代】明治九年(一八七六)序・刊。[京都]福井源次郎板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。明治五年に教部省が出した国民教化のための三原則「三条教則」に即して、国学的歴史観から敬神愛国を基本とする人倫を説いた『千字文』型教訓書。主に『日本書紀』の記述を引きながら、教訓・学習・随時・神徳・教本・言行・帝徳の七則を柱に説く。本書でいう『教則』については冒頭で簡潔に「敬神愛国、奉載皇上、遵守朝旨」と述べる。本文を楷書・大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆きょうとおんしきもく [0935]
京都御式目‖【作者】不明。【年代】明暦二年(一六五六)頃刊。[京都]北村茂兵衛板。【分類】社会科。【概要】異称『京町之触状』。大本三巻三冊。上・中巻の『京都町中可令触知条々』および下巻の『京都町々年寄可相定触状』ほかから成る手本。本文を大字・四行・ほとんど付訓で記す。前者は元和八年(一六二二)から明暦元年に及ぶ触状で、上・中巻には@諸人訴訟之事、A諸商買之事、B質物取置事、C諸証文判形之事、D就売買書物取替事、E火事出来之事、F武士之牢人不可隠置事、Hはてれん門徒停止之事、I新寺建立制止之事の九カ条から成る元和八年八月触状を基本に、追加法令である元和八年(一六一五)一一月触状(七カ条)および寛永六年(一六二九)一〇月触状(五カ条)の合計二一カ条と明暦元年一一月触状(九カ条)を収録する。下巻は、明暦二年一月制定の『京都町々年寄可相定触状』『町々年寄方より奉行所へ之請状』『京都町中之家主再借家之者共より年寄方へ之請状』の三状で、それぞれ、毎月二日、会所または寄合で読み聞かせ、吟味すべき旨を説く。京都町人の労働・生活に触れた部分も多く、式目型往来と公民型往来の双方の性格を持つ。〔石川〕
◆きょうとめいしょひとりあんない [0936]
〈西山・東山〉京都名所独案内‖【作者】不明。【年代】天保七年(一八三六)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「抑今の都の始りは、人皇五十代帝・桓武天皇の御時、延暦三年に奈良の都を是に写させ給ふ。則、平安城と号…」で始まる文章で、京都の歴史と神社仏閣・名所旧跡のあらましを紹介した往来。本文を大字・四行・付訓で綴る。まず京都の沿革、平安京内裏の規模・構え・主要年中行事を略述し、続いて、下加茂(下鴨)神社・百万遍・吉田神社・黒谷地蔵堂以下の寺社縁起・祭礼・結構、また名所古跡の景趣・来歴等を順々に記す。各名所間の距離と方角を「三丁南に泉祐寺…」「是より南に東福寺領…」のように示し、また、「高サ廿間、柱数九十六本、瓦数廿万、畳の数千八百九十畳…」(東本願寺御堂)と、規模を具体的な数値で記述するのも特徴。〔小泉〕
◆きょうにしょう [0937]
教児抄‖【作者】不明。【年代】室町末期作。写本は慶安三年(一六五〇)書。刊本は明暦四年(一六五八)刊。[京都]草紙屋太郎右衛門板。【分類】教訓科。【概要】異称『教児書』。慶安三年写本は横本一冊。明暦三年刊本は中本一冊。室町末期の撰作と考えられる『実語教』†型往来。「夫天高常屈、地堅而和覆、里穏而己慎、家狭而心広…」のように漢字五字一句を基本とする文章(合計四二句)で、生活上の心構えである「礼」を旨として感情・欲望を抑えて身を慎むべきことを説く。仏教的言辞はなく、文中に「儒家論語曰」とも見えるが、「礼」を除けば儒教的背景は薄い。教訓の書でありながら思想的背景をあまり感じさせないことがかえって本書の特色となっている。慶安三年写本は本文を大字・六行・所々付訓で記し、唯一の刊本である明暦四年刊『実語教・教児書』†に先立つものとして注目される。〔丹〕
◆きょうまちづくし [0938]
〈新板〉京町尽‖【作者】増田春好(春耕)書。【年代】江戸後期刊。[京都]墨屋吉兵衛板。【分類】地理科。【概要】異称『京横竪町尽』『〈新板〉京町尽〈并〉国尽』。半紙本一冊。京都の小路名や町名を横・竪に分けて列記した往来。古くは、中世の『拾要抄』†や古本『節用集』等にも見られ、近世の往来物では頭書等の付録記事として収録されることが多いが、本書のような単行本もいくつか出版された。諸本によって異同があるが、「平安城・洛陽・洛中・洛外・西陣…」で始まる増田春好筆・墨屋板によれば、横町・竪町(たつまち)・洛北上京・洛東川東・洛南の五部に分けて、それぞれの地名を大字・五行・付訓で記し、所々割注形式で別称等を付記する。一方、「西陣・聚洛・安居院・寺之内通…」で始まる本屋吉兵衛板、または美濃屋平兵衛板によれば、横町・竪町・川東・上京・下京・洛外の六部毎に地名を掲げる。なお、巻末に「日本国づくし」「へん尽」「かたかなづくし」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆きょうみんのことば [0939]
教民の詞‖【作者】不明。【年代】慶応三年(一八六七)書・刊。[萩]刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。中国・陳氏作の教諭書を七五調の和文に改めた教訓書。「人と生れてひとゝなる、みちをしらねばならぬもの、さてその道といふことは、まづちゝ親となるものは、ものゝ道理をわきまへて…」と筆を起こして、家長の義務や子育ての心得、親の慈悲や子の孝行、夫婦の心得、家業出精などを説く。本文を大字・五行・付訓で記す。作者不明だが、跋文には長門国阿武郡当島の県令・杉修道の求めにより本書を記した旨を記載する。また、謙堂文庫本見返にある明治元年九月の書き入れには「右、萩表ニ而上梓相成、一村一部宛被下候…」とある。〔小泉〕
◆きょうみんのことば・だいにほんくにづくし・かんいりゃくしょう [0940]
教民の詞・大日本国尽・官位略頌‖【作者】不明。【年代】明治四年(一八七一)刊。刊行者不明。【分類】教訓科・地理科。【概要】半紙本一冊。標記の三編を収めた往来。『教民乃詞』は「昔のむかしの大むかしは、天地の差別もなかりしが…」と筆を起こして神国日本が誕生したいきさつに触れ、続いて日本特産の絹糸・煎茶の増産を説き、庭の躑躅や南天に替えて桑や茶を植えるべきことなどを諭した通俗教訓。『大日本国尽』は、流布本の『国尽』等とは異なり、「日本の国は八十五国にて、これを畿内と東海に…」で始まる七五調の文章で五畿七道の国名を列挙したもの。『官位略頌』も同様に七五調・美文体で明治初年の行政諸官省・諸官職を列記したもので、末尾でこれら諸役人が天皇の命に従い、富国強兵に尽力すべきと説いて結ぶ。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇きょうゆしょ/きょうゆがき [0941]
教諭書‖【作者】佐々木道太郎作。【年代】万延元年(一八六〇)刊。佐々木道太郎蔵板か。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。「人に小児をさつけ給ふ事は、天道・神々の御はからひにて、人力のおよひかたきことは、皆人の知る処にして…」と書き始めて、堕胎・間引きの罪深いことを諭した教訓書。表紙とも五丁の小冊子。末尾で「実にそたて兼候子細有之ものへは、村役人、身元之もの等申合、左様無之様手当いたさねは、不相成道理に候」と公的扶助の必要性も説く。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆きょうわようぶんしょう [0942]
〈御家〉享和用文章‖【作者】山崎道紀作。梁田鳥水書。【年代】享和三年(一八〇三)刊。[江戸]若林重左衛門(鳳岳館・鳳嶽館)板。また別に[江戸]前川六左衛門板あり。【分類】消息科。【概要】異称『御家流享和用文章』『享和用文章』。半紙本一冊。「貴人え差上る年始状」から「筆学之人へ遣文言・同返事」まで三三通を収録した用文章。前半に四季や五節句の手紙を、後半に婚礼・元服・引越し等の祝儀状、花見や謡講開催の案内状などを載せる。本文を大字・五行・所々付訓で記す。頭書に「商売往来」「手形証文認方(一三通)」「国尽かな文」「試筆并四季祝等詩哥」を掲げる。なお、本書の扉・目録等を改めた改題本に『嘉永用文章』†がある。〔小泉〕
◇ぎょぎょうおうらい [0943]
漁業往来‖【作者】川高軒相栢書。【年代】嘉永七年(一八五四)書。【分類】地理科・産業科。【概要】大本一冊。松前地方の水産物・漁業・漁法と海産物の流通、また農産物・日用品や庶民心得などを記した往来。「抑東国松前者、米穀雖不実、致漁業渡世より以交易・売買之辨利仕来処也。先、産物之品者、鯡・鱈・鰯・鮭・鱒…」で始まる本文を大字・三行・無訓で記す。四季の漁業の様子や漁具・船道具にも言及し、日頃の鍛錬・工夫の大切さも説く。後半では農産物、農具、農民心得、また、法令の遵守など公民としての義務にも触れる。〔小泉〕
◆きょくれいどうじくん/きょくらいどうじくん [0944]
〈教訓註訳絵入〉曲礼童子訓‖【作者】雲煙堂作・序。【年代】文化五年(一八〇八)序・刊。[江戸]須原屋平助板。また別に[京都]須原屋平左衛門ほか板あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『礼記』中の一編「曲礼(きょくらい)」を典拠として、「礼」の理念や礼儀作法のあらましを漢字五字一句の文章で綴った往来。「夫礼本於天、骰於地以定、人道莫大礼、精神之所寓…」で始まる全二九八句から成る。まず礼の起源や、人倫の基本としての礼に言及しながら「礼」の大意を述べ、さらに個々の人間関係や日常生活における礼儀の在りようを諭し、進退、食礼・座礼、普請・祭祀に伴う礼など、一生の礼儀作法について説く。具体的記述が中心の小笠原礼法書とは正反対に、本書は抽象的記述が中心である。本文を大字・六行大(一行二句)・ほとんど付訓で記し、二〜四句毎に細字の割注を施す。また、和漢・尊卑の風俗画数葉を挟む。〔小泉〕
◆きよせぶんしょう [0945]
〈御家〉季寄文章‖【作者】和田良朔(橘正盈・臥竜斎・峻江)作・書・序。【年代】文政五年(一八二二)序・刊。[高崎]華陽堂(鶴鳴堂)板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。「初春の御寿目出度申納まいらせ候…」で始まり「…静かに除夜をあかしつゝ長閑なる春に逢まほしく願ひまいらせ候。めで度かしく」で終わる全編一通の仮名文に「春のあしたより室咲の梅に鴬のはつ音をぞ待、暮の寿にいたるまであやしうも書綴」った陰刻手本。本文を大字・五行・無訓で記す。新春の慶賀の言葉に始まり、季節の推移に伴って、年中行事や季節の景物などを和歌や発句を交えて七五調で綴る。『徒然草』を模した序や『源氏物語』を背景にした表現など、古典的知識を豊富に取り込むのが特徴で、和歌・発句・説話ともに当時の教養の一端を知る上で貴重な資料と言えよう。なお、本書は刊行地が珍しい高崎板で、書名は謙堂文庫蔵の写本(原本の写し)による。〔丹〕
◆きよまさへやすまさよりへんしょ [0946]
清正え康政より返書‖【作者】江戸前期作。不明。【年代】江戸後期書か。【分類】歴史科。【概要】異称『加藤主計頭方え榊原式部大輔より返翰』。半紙本一冊。延宝八年(一六八〇)刊『小田原状』†と微細な異同を除き同内容。全国統一を目前にした豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼした、いわゆる天正一八年(一五九〇)の「小田原征伐」の際に、榊原康政が加藤清正に宛てた六月一四日付の書簡一通を装った古状単編型往来。小田原の地勢や陣容・軍勢、戦闘の様子などを長文で綴る。本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◇きりしたんおうらい [0947]
貴理師端往来(仮称)‖【作者】イルマン(日本人)作か。【年代】永禄一一年(一五六八)頃作・書。【分類】古往来。【概要】大本一冊。永禄一一年頃に日本人イルマンが著し、当時、五島で布教活動をしていた伴天連・ワラレジオが帰国の際に持ち帰ったとされる古往来。内容はほぼ三部に別れ、まず、珍物贈答状を始めとする諸用件の書状六双一二通、次に、数字、イロハ(平仮名・片仮名)、日付・宛名・脇付の例、さらに、商用文、八朔・歳暮祝儀状、キリシタン説教の案内状、南蛮船入港に際しての依頼状、教会の繁栄を喜ぶ書状など信徒間の往復書簡九双一八通を収録する。大半が準漢文体だが、「かしく」で結ぶ仮名文と「恐々謹言」で結ぶ仮名文各一通を含む。また後半の書翰では「伴天連」と「有馬殿」宛ての書状を進上書きとする。本文を大字・三〜四行、前半の書状を無訓、後半を付訓で記す。〔小泉〕
◆きれいもんどう [0948]
貴嶺問答‖【作者】中山忠親作。【年代】文治(一一八五〜八九)頃作。嘉禄元年(一二二五)書。【分類】古往来。【概要】大本一冊。律令に即して諸事のさばき方などを記した六四条・一二八通から成る古往来。関白家の拝礼・叙位・律令、そのほか有職故実に関する質疑応答など、貴族社会の公的生活に必要な知識を記す。このうち第六四条「消息文之書様之事」は、「抑」「候」「謹言」「進上」等の書簡用語の使い方を示したものである。清原宗季が嘉禄元年原筆、延慶三年(一三一〇)・正和元年(一三一二)重写本を校訂・重写した観応元年(一三五〇)写本が『群書類従』巻第一三九に所収されているが、この『群書類従』本はやや小字・一〇行・無訓(ごく稀に付訓)で記す。ちなみに中山忠親は、検非違使別当・右衛門督を経て、正二位内大臣にまで進み、建久六年(一一九五)三月に没した平安貴族である。〔石川〕
◆きんかざんもうでぶんしょう [0949]
〈新版〉金華山詣文章‖【作者】燕石斎薄墨作。【年代】文化一四年(一八一七)頃作。文政八年(一八二五)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】地理科。【概要】異称『金華山詣』。中本一冊。奥州・金華山周辺の景観や金華山神社の由来・縁起などを記した往来。「夫、陸奥国金華山はかけまくも、聖武皇帝の御時、当山より初て黄金を貢ずと云…」と筆を起こし、まず金華山の故事や「皇(すべらぎ)の御代栄えんと東なる…」という大伴家持の詠歌に触れる。続いて、三月初旬に塩竃・松島を経て石巻に一泊し、翌朝、日和山の鹿島・愛宕神社を参拝してから、牡鹿湊・牧山・里浜大明神や周辺の島々を過ぎ、さらに一宿して金華山神社・別当大金密寺・弁財天など同社一帯をくまなく廻るという想定で、同地の名所・名物、景観、縁起などのあらましを紹介する。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「金華山神社全景図」、頭書に仙台原ノ町から金華山奥ノ院までの「道法」と沿道の名所風景図、また、鎌倉〜江戸後期(徳川家慶まで)の「中興武将伝略」を収める。なお、同記事末尾に「文化丁丑(文化一四年)迄…」の記載が見えるから、その頃の撰作であろう。〔小泉〕
◆きんげんどうじきょうならびにしょう [0950]
金言童子教〈竝抄〉‖【作者】勝田祐義作。伊東某(石川国智門弟)書。【年代】正徳六年(一七一六)刊。[江戸]万屋清兵衛(本屋清兵衛・松葉清兵衛・天和堂・松葉軒)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈諸書要語・童蒙須知〉金言童子教〈竝抄〉』。大本一冊。「古の聖賢の語にて、代々人口に膾炙せる」金言類を諸書(『四書・五経』『実語教・童子教』等)から拾い集めて一書とした『実語教』†型往来。「良薬雖苦口(りょうやくはくちににがしといえども)、用病必在利(やまいにもちいてかならずりあり)」のような五言二句に書き替えた和漢の金言・俚諺を一行二句、合計四五一行九〇二句に綴る。類書中最も語彙が豊富で、今日聞き慣れた言葉も多く含まれる。各行毎に金言を大字・八行・付訓で記し、さらに略注(細字三行)を頭書に置いて童蒙の理解の一助とする(「竝抄」の所以)。読書や学問の勧めから始まり、子弟・親子・君臣を始めとする人倫、礼儀その他処世訓全般にわたる金言を集める。巻頭序文に、師匠が「せいだしておぼへませうぞ(精出して覚えましょうぞ)」と童蒙に激励する読書指南の図を掲げ、序文末尾に「此書ニ類して『童観対句抄』と云書出来」と記すように、本書は正徳五年刊『童観対句抄』†と対をなす勝田氏の著作である。〔小泉〕
◆ぎんこうきりゃく [0950-2]
銀行規略‖【作者】加藤祐一作。荻田筱夫書。松川半山画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]柳原喜兵衛板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。広告文に「バンクの規則等を銀行条例の趣によつて手本文に綴り、商家幼童の為めに備へたる書なり」と記すように、明治初年の銀行の大略を記した特異な往来。「凡、会社は何商業、何職業の差別無く、同業或は同志の者、資本を備へ協力して、其欲する業を起し、利益を得るものをいふ…」と起筆して、特に国立銀行条例に即して銀行に関する諸規定、また銀行業務周辺の用語や基礎知識を列記する。本文を大字・六行・付訓で記す。なお、巻頭に色刷り挿絵一葉(銀行業務図)を掲げる。〔小泉〕
◆きんごうそんめい [0951]
〈沢田〉近郷村名‖【作者】沢田泉山(北広堂・正勝・新五郎)作・書・刊。【年代】慶応元年(一八六五)刊。[所沢]沢田泉山蔵板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「武州入間郡従北野村、随其方角、雖為前後混乱、有増書記畢。先東之方者、上新井…」と起筆して、武蔵国入間郡北野村(埼玉県所沢市)を中心に、東・辰己・南などの方角毎に村名・字名等を列記した往来。本文を大字・三行・無訓で記す。典型的な村尽型往来で、巻末に「不許売買」と断るように、著者の私塾兼寺子屋「北広堂」で用いられた手本で、和装本とは別に「従北野東者、上新井・所沢・秋津・安松・牛沼…」で始まる一枚刷り(異本)もある。なお泉山は本書のほかに『〈沢田〉当用〈并〉名頭』†『〈沢田〉風雅帖』†『江戸往来』等の私家版数種を刊行している。〔石川〕
◆きんしんおうらい [0952]
謹身往来‖【作者】吉田其幸(玄奉・継曹)作・書。【年代】寛政二年(一七九〇)刊。[江戸]須原屋茂兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『謹身往来宝蔵』。初板本は大本一冊。主として江戸町人のために日常語や生活心得全般を綴った往来。準漢文体の文章で、まず「抑教之有増者、人々心得可有事、先以、四海波静治、目出度御代、日夜朝暮三綱五常之道行、国民安寧、五穀富饒之御政不浅…」と国家泰平を謳歌する文言から書き始め、町人子弟の心得(学業・行状・悪行)、公序良俗、江戸の名所・名物、家庭医療、衣類、工芸品、宗教、諸職・諸商人(諸商品)、家財等にいたる用語・知識を列挙し、最後に、善悪を弁えて煩悩や瞋恚を去り、倹約・算勘・柔和・忍辱・忠義・孝行・勤勉に生きるべきことを諭す。初板本は大字・六行・付訓の手本で、その後、頭書に本文読法やその他の記事を記した半紙本・中本等など種々出版された。〔小泉〕
◆きんしんおうらいせいちゅうしょう [0953]
謹身往来精注鈔‖【作者】藤村秀賀(鶴亭)注・序。歌川芳春(歌川芳晴・一橘斎・一梅斎・朝香楼)画。小森金城(桜亭)書。【年代】文久元年(一八六一)作・序。文久二年刊。[江戸]大坂屋藤助(山田文栄堂)板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。『謹身往来』†唯一の注釈書。『謹身往来』本文をほぼ三〜九行程度の全八〇段に分けて大字・六行大・無訓で書し、段落毎に語注を主とする二行割注を施し、さらに頭書に楷書・付訓の書き下し本文と関連の挿絵を掲げる。注釈文中、一般的な語注を●印、また、引用・出典、金言、異名・類語等にを△印で示すなどの工夫を施す。引用書目は『白虎通』『孟子注』『楚辞注』『月令広義』『素問』『小学』『日本紀』『和事始』『一切経音義』『名義集』『六道講式』『古事談』『観仏三昧経』『論語』『孝経大義』『埃嚢抄』『戦国策』『説文』『羅山文集』『近代世事談』『字彙』『和漢三才図会』『事物起原』『五雑俎』等で、種々の故事や俗説等にも言及するほか、注釈文に口語を採り入れるのも特徴。また、本文「上野、不忍、浅草、待乳山、隅田川…」以下の施注はさながら名所案内風でもある。〔小泉〕
◆きんせいにちようぶん [0954]
〈新撰作文〉近世日用文‖【作者】前田孝典作・序。【年代】明治一一年(一八七八)序・刊。[大阪]青木恒三郎(嵩山堂)板。また別に[大阪]梅原亀七板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈新選作文〉近世日用文』。中本二巻二冊。漢語消息を集めた用文章。上巻は「年始之文」から「未逢人に贈る文・同復書」までの二八通、下巻は「帰郷悦之文」から「舟積荷物着之文」までの三〇通で、上巻には主として季節の手紙を、下巻には主として吉凶事その他諸事に伴う手紙を載せる。例文を行書・大字・五行・所々付訓(漢語の多くに左訓)で綴り、例文毎に関連語や類似表現を楷書・小字(所々割注)で掲げる。巻末付録記事として「十二月異名」「時候異名」「年中祭日表」「書札認め方の心得」「郵便税則の略」等を収録する。〔小泉〕
◇きんたいおんなようぶん/きんたいふじょようぶん [0955]
〈明治新撰〉近体婦女用文‖【作者】香能邨幹作・序。【年代】明治二九年(一八九六)序・刊。[大阪]此村庄助(欽英堂)板。【分類】女子用。【概要】中本二巻二冊。活版和装本。「女子の四徳」にかなった優しく女性らしい手紙の文例を集めたという活版和装の女用文章。「四季の部」「日用の部」の二つに分けて、ぞれぞれ「新年の文」から「歳暮の文・同返事」までの五五通、「婚礼を賀(いわ)ふ文」から「下女の雇入を頼む文・同返事」までの八〇通、合計一三五通を収録する。やや大きめの活字を用い、八行・付訓で記す。前者は四季の挨拶や行事にまつわる手紙、後者は吉凶事・諸用件の手紙を主とするが、特に後者では呉服屋・縫箔屋・上絵書(屋)・洗張屋・悉皆屋・織物屋・仕立物屋・雇女等など諸職に関する例文を集める。また頭書を二段に分けて、上段に「女子消息の書様」「女子年中心得」「女子日用の心得」「百人一首」「三十六歌仙」、下段に本文の言い替え表現を集めた「消息類語」を載せる。作者は女性だが、刊記に「著作兼発行者、伊沢駒吉」と記載するのは伊沢編の意味か。〔小泉〕
★きんときじょう [0955-2]
公時状‖【作者】不明。【年代】明治二八年(一八九五)書。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。『御城落状』と題した手本中に収録。源頼光の郎党「四天王」の一人・坂田金時(公時)の生い立ちと生涯を綴った古状単編型往来。「爰自古勇将猛士多中、忝源氏正統摂津守頼光執権坂田公時者、輪廻離山姥子也…」と起筆して、幼少の頃から怪力で知られて「快(怪)童丸」と呼ばれたことや、成長した金時が足柄山中で頼光と出会ってからのいきさつ、また、数々の戦功や勇猛ぶりなどを述べる。〔小泉〕
◆きんぴらおうらい [0956]
〈世話字文章〉金平往来〈不言斎先生著〉‖【作者】@山竜池作。【年代】天明(一七八一〜八九)頃作。文政三年(一八二〇)刊。[江戸]丸屋文右衛門(文寿堂)板。また別に[江戸]和泉屋市兵衛板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『公平往来』。中本一冊。生来強壮であったが学問嫌いであった坂田金時が、自らの生涯を悔やみながら述懐する文章で学問への出精を諭した往来。一度は死んで地獄に堕ちた金時もあの世では居所もなく再びこの世に再生することになったが、天下太平の御代にあっては乱暴狼藉は全く無益であることを痛感するまでの経緯を語りつつ、幼時の手習い・学問修行に怠るなと説く。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に金時の図と作者についての付言があるが再板本(和泉屋板)では削除された。〔小泉〕
◇きんぽうざんおうらい [0957]
金峯山往来‖【作者】不明。【年代】文政八年(一八二五)書。【分類】地理科。【概要】異称『羽前金峯山詣』。羽前国東田川郡金峰山(山形県鶴岡市南西部)および金峰蔵王権現の参詣路沿いの名所旧跡・神社仏閣の景趣・縁起等を記した往来。「抑金峰山江参詣之貴賤・老若男女押しなびき、日々月々信心渇仰之輩、朝夕連綿而無懈怠事に候…」と筆を起こして、同霊山の信仰が盛んな様子から書き始め、続いて、鶴岡からの参詣路の風景や名物、寺社の由来や本地・本尊、結構・宝物などを紀行文風に記す。末尾は蔵王権現参拝時の心得や、帰路に参詣すべき神社について触れる。なお、本書にはより記述の詳しい『異本金峯山往来』(仮称)もある。〔小泉〕
◆きんもうかんこうろく/くんもうかんこうろく [0958]
訓蒙勧孝録(後編)‖【作者】平井庸慎(舟山・守善・子謹)作。平井敬恭序。速水春暁斎画。石原房貞跋。【年代】文化一三年(一八一六)序・跋。文化一四年刊。[京都]丸屋善兵衛(瑞錦堂)蔵板。また別に見幾堂蔵板、[大阪]河内屋太助ほか売出。【分類】教訓科。【概要】異称『〈訓蒙〉勧孝録』。半紙本二編六巻六冊。前編は未見。後編は三巻三冊で、主題に『訓蒙勧孝録後編』、柱に『勧孝録後編』と記す。勧孝の契機となる金言・故事・略伝等の訓話の数々を和漢の典籍から抄録した絵入り教訓書。本文をやや小字・一一行・ほとんど付訓で記す。各説話を細かい編目に従って配列し、上欄余白にしばしば出典を明記するのが特徴で、後編には「行役篇」「有過篇」「諌諍篇」「父子不責善篇」「子為父隠篇」「忠孝両金篇」「嗣親篇」「事継父母篇」「孝子愛日篇」「養老篇」「父母疾篇」など合計一七篇に多数の訓話を収録する。また、同下巻末に「孝」に関する問答数章から成る「惑問」を載せる。なお、巻末広告には本書の補遺として『勧孝余話』の近刊予告を載せるが未詳。〔小泉〕
◆きんもうきょうかじづくし/くんもうきょうかじづくし [0959]
〈同形異字〉訓蒙夷曲歌字尽‖【作者】不明。【年代】天明八年(一七八八)刊。[江戸]榎本屋吉兵衛(榎本吉兵衛・豊栄堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『狂歌字尽』。中本一冊。『小野篁歌字尽』†改編版の一つ。『小野篁歌字尽』を模倣して字形の似た漢字を集め、行毎に字形の区別を狂歌に綴って示す形式(『篁歌字尽』形式)と、単に似た漢字を列挙して字形の区別を示さずにその訓を続けただけの狂歌を掲げるという本書独特の形式(『夷曲歌字尽』形式)の両様で編んだ『歌字尽』。全一五二行中の最初の四五行が漢字五字一行の『篁歌字尽』形式だが、冒頭の「浪・澄・汐・滑・漁/良なみの登てすめる夕しほに、骨なめらかに魚をすなどり」以下の文面はほとんど異なる(一部似た文言を含む)。続く第四六行目「離・難・雅・雑・鶏・雉・雛・雌・雄/はなれがたくつねにまじはるにはとりと、きじのひなごのめどりおんどり」以下の一〇七行は一行八〜一四字の『夷曲歌字尽』形式で、字形学習を意図しない狂歌を添える。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「万物名数録」「当流躾方指南」「月の異名」を掲げる。なお、本書は文化八年(一八一一)、仙台書肆・伊勢屋半右衛門板の模刻本(海賊版)があり、同書跋文に「右『狂歌字尽』、世俗通用の文字を委く輯む。初学の童蒙よく是を書読する時は、直(たちまち)に文言心(むね)にうかみ、書牘(てがみ)の往答(やりとり)自(おのずから)達者となる事、実に此書の妙也」と宣伝する。〔小泉〕






◆くうどうしょうそく [0960]
空洞消息‖【作者】桑原空洞(守雌・為谿・空洞斎・方外閑人)書。多田儀(維則・東渓)跋。松庸子跋。【年代】享保一五年(一七三〇)跋。享保一七年刊。[京都]山村半右衛門ほか板。【分類】消息科。【概要】大本(縦長本)一冊。有馬温泉から帰宅した人へ宛てた土産物礼状や新築祝儀状、茶会礼状、関東出張への餞別状、昨晩の饗応への礼状など二九通を手本に認めたもの。各種用件の書状や四季折々の贈答の手紙から成る。本文を大字・三行・無訓で記す。なお、空洞斎の手本には別に享保一八年刊『比倫教』†があるが、ともに多田家蔵本(本書跋文では多田氏子弟のために空洞斎が執筆した旨を記す)を上梓したものである。また『大阪出版書籍目録』等に寛延二年(一七四九)刊『空洞書札集』の書名が見えるが本書の改題本か。〔小泉〕
◆くがつじょう [0961]
九月帖〈烏石山人書〉‖【作者】松下烏石(松平烏石・葛烏石・君岳・辰・烏石山人)書。【年代】宝暦三年(一七五三)刊。刊行者不明。【分類】社会科。【概要】大本一冊。七言の漢詩文二一編を収めた陰刻手本。本文を大字・三行・無訓で記す。冒頭が「九月九日望郷…」で始まるため『九月帖』という。なお、『烏石山人和文章』†が安永七年(一七七八)に刊行されているため、巻末筆者識語の「癸酉」は宝暦三年を示すものであろう。〔小泉〕
◇くくおうらい [0962]
九々往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期作。明治初年書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。写本『会津往来集』中に収録。「二二四」から「九九八十一」にいたる九九の読み声を本文中に織り込んで、さらにその九九の数を年齢に見立てて商人の一生の教訓を説いた往来。「凡、子供二々四、二三六之頃より行儀を教へ…」で始まり、四〜六歳で行儀を仕付け、八〜一〇歳で手習い・学問をさせ、一二〜一四歳まで厳しく育て、一六〜一八歳で奉公に出し、二七歳位まで他人の家に置き、三六歳頃に手元へ引き取って嫁をとらせ、四五歳から商売のため他国へ出し、五四歳頃に世帯を持たせ、六三歳で隠居し、以後八一歳位で老後の楽しみに名所旧跡を見物するといった商人の理想像を綴る。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆くさつおうらい [0963]
草津往来‖【作者】新井精斎(元禎・万輔・嶺松軒・東寧・鞭羊居愚僊)作か。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『草津之紀行』。半紙本一冊。「此度草津の入湯に思ひ立、頃は文月の中空や、親しき友を誘ひ連、横雲近く旅衣、門出を祝ふ人々に…」で始まる七五調の文章で、江戸(厳密には利根川辺)から草津温泉を訪れ、さらに伊香保温泉を目指す沿道の名所旧跡・神社仏閣の景趣や故事来歴等を記した往来。利根川〜伊香保の道程を、古歌や風景描写を交えながら略述する。本文を大字・五行・無訓で綴る。〔小泉〕
◆くさつおんせんおうらい [0964]
〈新板頭書・名所古跡・上州〉草津温泉往来‖【作者】十辺舎一九作。三武青洲書(文政六年(一八二三)板)。栄松斎書(天保三年(一八三二)板)。【年代】文政六年刊。[江戸]西宮新六板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(天保三年板)あり。【分類】地理科。【概要】異称『〈上州草津〉温泉往来』。中本一冊。念願の草津旅行を果たした者が綴る一通の手紙文で、上州草津温泉の旅の行程と、同地の名湯・名店・旅宿等を紹介した往来。まず、「日毎に替り行く山川の佳景」と「其所の俚言方語」こそが旅の醍醐味であることを強調し、続いて中山道高崎宿から草津までの道のりを、途中の名所(白岩十一面観音や榛名山など)にも触れ、さらに草津の名湯・名勝、また、有名な酒店や旅宿での食事や遊興の楽しみにも言及する。「五月雨漸晴て月の朗なるに、郭公(ほととぎす)の啼渡るより、天気麗敷打続ぬれば、いでや年頃願儲候上州草津温泉に赴ん迚…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。口絵に「上州草津温泉繁栄の図」を掲げ、頭書に「(草津)温泉の濫觴」「当所名勝」「草津より諸方道法」「温泉効能」「入頭雑費」「商人売物」「当所産物」など、同温泉にまつわる記事を載せる。〔小泉〕
◆くすのきさんだいおうらい [0965]
〈甲申新版〉楠三代往来‖【作者】十辺舎一九作・序。晋米斎玉粒書。歌川国安画。【年代】文政六年(一八二三)刊記。文政七年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板(ただし、表紙見返に「錦耕堂・文寿堂梓」とあり)。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。一九が著わし、文政七年前後に江戸書肆・山口屋からシリーズで出版された一連の往来物の一つ。「智・仁・勇三徳兼備の良将」と讃えられた楠木正成とその子正行・正儀三代の武功を綴った伝記型往来。正成の生祖や出自、また楠木の氏の由来などに触れた後、正成が元弘・建武の役で活躍して後醍醐天皇の信任を得たことや、足利尊氏との戦いに敗れ、湊川で戦死するまでの経緯、また、その子、正行が父の遺訓を守って勤王の武将として最期まで戦ったこと、さらに、正成の三男・正儀も忠義を尽くして天皇をよく守護したが、ついには討死にしたことなどを述べ、この楠木家三代は二心なく仕え、忠義に死んだが、その美名は今もなお言い伝えられていると賞讃して結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。また、文末が「恐惶敬白」で終わるように書翰体形式で綴る。頭書に、衣冠について記した「冠帽履襪類」を始め、「東百官名尽」「四季之異名」「十二時之異名」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆くすのきじょう [0966]
楠状(仮称)‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「楠正成金剛山城居間壁書」と「楠正成子息正行に遺言」から成る教訓。「壁書」は、「一、遊も度重れは楽に不成」から「一、唯今日無事ならん事を思へ」までの一一カ条で武士の嗜みと覚悟や心得を説いたもので、頭書に各条の略注を付す。また「遺言」は、建武三年(一三三六)一月二〇日付で楠木正成が正行に与えたとする遺言書で、「凡、所領のほしきと云も、栄を好も、人に人と呼れんか為に、賤も降参・不義の行跡(ありさま)有なは、栄て人に指をさゝれなんするぞ…」と起筆する。「壁書」「遺言」ともに大字・六行・稀に付訓の手本用に記す。次項『〈新刻校正〉楠状〈壁書・遺言〉』†とほとんど同内容。〔小泉〕
◆くすのきじょう [0967]
〈新刻校正〉楠状〈壁書・遺言〉‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。異称『〈尊朝末流〉楠状〈壁書・遺言〉』『〈新板〉楠状絵抄』。「楠正成金剛山城居間壁書(こんごうせんのじょうきょかんのへきしょ)」「楠正成子息正行遺言(しそくまさつらにゆいごん)」から成る。「壁書」は第一条「遊びも度重なれば楽しみにならず」で始まる一一カ条の教訓。珍膳の戒め、馬・甲冑・太刀の是非、また高価な器物を求めないこと、世の善悪をあからさまに言わないこと、芸能を誇らないことなどを諭す。また「遺言」は、建武三年(一三三六)一月に楠木正成の正行に対する遺言という形で綴られた教訓で、無道の富貴を恥とすべきことから説き始め、幼少の弟を憐れむこと、家子・郎党を大事にすること、成人するまでは和田・恩地・八尾の三氏に諸事相談すべきこと、学問の心得など五カ条から成る。前項『楠状』のように江戸中期以前刊行の刊本を模倣したものであろう。本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆くすのきまさしげきょうくんのしょ [0968]
〈頭書絵入〉楠正成教訓之書‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『楠訓戒(くすのききんかい)』。中本一冊。「楠正成於桜井宿嫡子正行え訓戒之一条」と「楠壁書(くすのきへきしょ)」の二本を収めた往来。前者は「某今夜討死せば、天下は尊氏掌握せむ。然りとて、家を立、命を助らん為に彼に降参して父が一生の忠烈を捨べからず」で始まる教訓状で、家の子・郎党を助けること、昼夜学問を怠らないことなどを諭したもの。また後者は、建武二年三月に楠木正成が書き残したとする家訓で、「文武の名異なるに似たれども、其威儀は一揆なり…」で始まり、文武の本旨と忠義の大要、君臣の道、大将の心得などを説く。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に上総忠光・泉親衡の小伝と挿絵を掲げ、頭書に「大日本国尽」「願成就日」「近江八景」等の記事を載せる。〔小泉〕
◇くすのきまさしげきょかんへきしょ [0969]
楠正成居間壁書‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】合本科。【概要】半紙本一冊。「楠正成居間壁書」以下七編を合綴した往来。「楠正成(金剛山)居間壁書」は、第一条「唯今日無事ならん事をおもえ。万物一体の理を守らざる故万病を生ず」以下一八カ条の教訓。「義親別序信」は、五倫を平易に説いたもので、各項の末尾に教訓歌を付す。「女庭の教え」は、人の道を学ぶために女性も『四書』『五経』をわずかでも学ぶべきであると諭す第一条以下全一二カ条の教訓で、以下、孝行、夫婦間の礼順、身だしなみ、女功、下人への慈愛、心延えの大切さ、吝気・嫉妬の戒めなどを諭す。「手習の教」は、手習いや学習・生活態度全般を説いた教訓。「教訓短歌我身の上」は、「ふりくらしぬる雨のうち、筆に任する…」で始まる諸教訓で、文政三年(一八二〇)書『異見短歌身濃上』†や江戸後期書『子供異見』†等とほぼ同内容。「源氏供養表白」は、「桐壺の夕の煙すみやかに…」のように七五調の美文に『源氏物語』五四条の各巻の名を詠みこんだもの。寛政九年(一七九七)書『源氏物語表白』や文化一三年(一八一六)刊『源氏表白文章』†とほぼ同内容。「婦人の五徳」は、女性の五つの徳「貞・清・美・譜・胎」を説いたもの。〔小泉〕
◆くすのきまさしげひょうごくだり [0970]
楠正成兵庫下り‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】歴史科。【概要】異称『兵庫下り』。大本一冊。楠木正成が延元元年(一三三六)五月一六日に京を立って足利尊氏を迎え討つべく兵庫へ下った際の模様を書き記した手本。最後の決戦に挑む正成が「一旦の命を助む為に多年の忠烈を失、降人に出る事有るべからず」また、生き残った者がいる限り最後の最後まで一族を率いて戦うべきことなどの遺訓を一一歳(史実と異なる)の子息・正行へ垂れ、正行を河内に返すという訣別の場面を描き、正成の忠節を讃える。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆くすのきまさしげめいぶんしゅう [0971]
楠正成名文集‖【作者】土肥丈谷(竜乗軒・o泉堂)書。【年代】元治元年(一八六四)書・刊。[江戸]大和屋作次郎(衆芳堂)板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。@「楠正成壁書」、A「同正成壁書」、B「同正成桜井宿において嫡子正行へ訓戒之条目」、C「同楠公壁書」の四つの教訓から成る手本。@は、建武二年三月の日付で書かれた教訓文で、標題の「壁書」にそぐわないが、文武の理と臣たる者の心得を諭したもの。Aは、「一、唯今日無事ならむことを思へは万物一体の理を守らさる故に万病生す」以下二三カ条から成る壁書で、武士の心得を述べたもの。Bは、決戦を目前に正成が子息正行へ教諭したもの。「条目」と題するが一つ書きの形式ではない。内容は、父・正成の忠烈の通り最期まで忠を貫き朝敵と戦うべきこと、一族郎従を憐れみ助けるべきこと、学問に努め物事の義理をよく見究めるべきことなどを説く。Cは、たとえ貧しくても「無道の禄」を求めたり、諂ったりしてはならないと戒めた教訓文。いずれも楠木正成作と仮託する。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆くにづくし [0972]
〈大日本枝折〉国つくし‖【作者】西野古海作。深沢菱潭書。【年代】明治五年(一八七二)頃刊。[東京]山城屋佐兵衛(稲田佐兵衛)ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈大日本枝折〉圀つくし』。半紙本三巻三冊。日本全土の概要や日本各地の地理のあらましを七五調で綴った往来。上巻冒頭に総論として日本の国号、世界から見た日本の地理的位置、日本の国土の大きさ、国郡(統治)の起源と歴史、明治初年の国勢全般などを説いた後で、武蔵・畿内・大和・河内・和泉・摂津以下、五畿七道の諸国毎に郡名・寺社名・その他地名、沿革・故事、物産等を列記する。経緯度を用いた地理的位置の表記や新文明に関する記述、また、新都・東京を冒頭に載せる点で、近世の『国尽』等と一線を画す。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に日本国郡支配の歴史を記した「附言」や、色刷り銅版画の「大日本全図」を掲げる。なお、本書改訂版の『〈大日本枝折〉改正国尽』†が間もなく刊行された。〔小泉〕
◇くにづくし・せきがきじづくし [0973]
〈名頭字尽〉国づくし・席書字づくし‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[江戸]村田屋治郎兵衛板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。「名頭字づくし」「大日本国尽」「席書之熟字」を合綴した往来。「席書之熟字」は、席書(寺子屋で行われる習字の会)の際に出題される熟語を集めたもので、字数の少ない順に「鶴亀・松竹・福寿」から「月出万松寒(つきいでてばんしょうさむし)」までの佳句・名句を載せる。この部分には頭書を設けて「書初の詩歌」「七夕の詩歌」を収録する。本文を大字・五〜六行・付訓で記す。表紙見返に「席書の図」、裏表紙見返に「七夕歌尽」を掲げる。なお、本書の改編本に『〈名頭国尽〉席書之熟字』†がある。〔小泉〕
◇くにづくし・へんづくし [0974]
〈新板増補頭書〉くにづくし・へんづくし‖【作者】不明。【年代】文化一一年(一八一四)刊。[江戸]鶴屋金助板。【分類】地理科・語彙科。【概要】異称『国尽』。中本一冊。「大日本国尽」を中心に関連記事その他を加えて一冊とした往来物。天明三年(一七八三)再刊『〈増補頭書〉国づくし・偏づくし』†などの先行板にならって編まれたものであろう。巻頭に「大日本国之全絵図」を掲げ、松前から琉球までの諸国・主要都市などを図示し、続いて「大日本国尽」の本文を載せるが、特に諸国名所・名物を詳しく紹介するのが特徴。本文後半に「今城・今川・南淵(いなぶち)」以下二四四の苗字をイロハ順に集めた「諸家苗字寄」や、「通用仮名遣」「偏傍冠履(へんづくし)」「五性名頭字」を収録する。また、頭書に「東海道五十三次駄賃附(宿駅間の距離と各駅毎の駄賃)」「木曽路六十九次駄賃附」「上り参宮道(伊勢参宮道の四日市〜山田間の駄賃附)」といった道中記風の記事や、「不成就日・願成就日」等の記事を載せる。〔小泉〕
◇くにづくし・へんづくし [0975]
〈増補頭書〉国づくし・偏づくし‖【作者】不明。【年代】天明三年(一七八三)再刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】語彙科・地理科。【概要】中本一冊。「大日本国都合六十八州」を畿内七道に分け、郡数・名所・名物を付記した「国尽」を始め、「偏傍冠構」「片仮名伊呂波」「万葉仮名字」を収録した往来。後半に「諸家苗字寄」「通用仮名遣」「偏冠履」「五性名頭字」「万葉仮名字」「十幹文字・十二支文字」を付すほか、頭書に「東海道五十三次駄賃附」「中仙道駄賃附」「木曽路六十九次駄賃附」「上り参宮道」「不成就日・願成就日」「片仮名拠字」を掲げる。本書の改編本が文化一一年(一八一四)刊『〈新板増補頭書〉くにづくし・へんづくし』†だが、天明板自体も再刊本であり、本系統に属する往来の初刊年代はさらに遡る。〔伊藤〕
◆くにづくしおんなぶんしょう [0976]
〈幼婦筆学〉国尽女文章‖【作者】滝沢馬琴作。鶴屋喜右衛門跋。【年代】寛政一二年(一八〇〇)刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】地理科。【概要】異称『〈少婦日用〉国尽女文章』『女国つくし』。中本一冊。「山城守様姫君様御事、大和守様御嫡子河内のかみ様へ和泉守様御媒にて御縁談御とゝのひ遊し、摂津のくに住のえの末もろともに伊賀の上もなき御め出たさ、妹背の道は伊勢の…」で始まる婚礼祝儀状に模した文章で、日本六〇余カ国の国名と名所・名物を記した往来。国名の記載順序は『女筆初瀬川』†『女文章国尽』†など先行の類書とは異なる。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「菅丞相」ほか略伝、頭書に全国の物産を記した「諸国名産附」、巻末に「諸国温泉之地名」「日本三八景之地名」を掲げる。なお、本書の外題替え本に『女国つくし』(吉文板)がある。〔小泉〕
◆くにづくしへんづくしたいぜん [0977]
国尽扁尽大全〈并隅田川往来〉‖【作者】栄松斎(栄松斎長喜か)書。【年代】江戸後期刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。@「大日本国」、A「隅田川往来」、B「増補偏傍履字尽」、C「日用重宝世話文字尽」、D「真書行書国字いろは」、E「東百官名尽」、F「名頭字づくし」等の語彙集を中心に収録した往来。@は、いわゆる『大日本国尽(国尽)』と同様に各国名や郡数を五畿七道毎に掲げたもの。Aは、同名の単行本と同じ。Bは、漢字の部首をほぼ画数の少ない順に並べ、それぞれ行・楷・篆書の三体で記したもの。Cは、「諸有物(あらゆるもの)」「目論(もくろみ)」「目近(もくろみ)」「迫付(せりふ)」などの世話字・畳字類を列挙して訓や語注を施したもの。Dは、漢字二体・片仮名・平仮名の四体で示したイロハ。Eは、「物集女・民部・治部・数馬・囚獄・左門・右門・左内・右内…」以下の官名を列記したもの。Fは、同名の単行往来物と同様だが簡略版である。本文をやや小字・五〜八行・付訓で記す。巻頭に「李白略伝」、巻末に「十二月之異名」を載せる。〔小泉〕
◆くになづくしずしょう [0978]
〈新板絵抄〉国名尽図抄‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[仙台]伊勢屋半右衛門板。【分類】地理科。【概要】異称『国づくし』。大本一冊。いわゆる『国尽(大日本国尽)』の一つ。諸国を五畿・七道・二島に分けて、それぞれ国名をやや小字・七行・付訓で記し、異称(州名)や郡数を割注形式で付記する。巻頭に「大日本国之図」、巻末に「偏・冠・構字尽」を掲げる。〔小泉〕
◆くまがいじょう [0979]
熊谷状‖【作者】不明。【年代】慶長五年(一六〇〇)刊。[長崎]日本耶蘇会板。【分類】歴史科。【概要】異称『直実送状・経盛返状』『熊谷送状・経盛返状』『熊谷〈並〉返状』『熊谷送状〈並〉返状』『〈頭書大字〉熊谷状絵抄』。江戸前期刊本は概ね大本一冊。「熊谷送状(熊谷進状)」と「経盛返状」の二状を合わせて『熊谷状』と総称されることが多い。『平家物語』の一異本『源平盛衰記』に取材した、敦盛の死をめぐる熊谷直実の手紙(直実送状)と敦盛の父平経盛の手紙(経盛返状)を合わせて単行版とする。諸版の間で署名などにわずかな異同はあるが、表現を簡略にする形でほぼ『源平盛衰記』そのものを写したものといえよう。なお、『源平盛衰記』から古状を抜き出したものには、ほかに寛文一〇年(一六七〇)刊『武家往来』†があるが、直接の関係は窺えない。単行版はほとんどこの「直実送状」と「経盛返状」の組み合わせだが、万治元年(一六五八)・山本長兵衛板(単行版)では、さらに『曽我状』†を加える。また、慶長五年刊『〈耶蘇会板〉倭漢朗詠集』所収本が最古の刊本だが、単行刊本では慶安三年(一六五〇)・西村又左衛門板が最初で、同書は本文を大字・五行・付訓で記す。〔母利〕
◇くまのもうで [0980]
熊野詣‖【作者】大石元郷書か。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『熊野往来』。「夫、熊野は、伊弉諾尊・伊弉冉尊正しく本原の地にして、此二柱の大御神の神霊を熊野F樟日命大已貴尊高倉下命神の村にあかめ祭り来て、其神徳他に殊に尊けれはにや…」と起筆して熊野速玉神社(和歌山県新宮市)・熊野那智神社(同県那智勝浦町)・熊野権現(同県本宮町)のいわゆる熊野三山とその周辺の名所・古跡の縁起・景趣・物産等を記した往来。同地に関する古歌や発句をしばしば引いて新宮・熊野速玉神社、上熊野・飛鳥神社、秦氏徐福塚、熊野川、御船神社、牛が鼻神社、有馬村、三輪崎、以下各地のあらましを比較的詳しく記し、最後に三山の地理的位置や交通路、その霊験の広大さを讃えて結ぶ。本往来は和歌山県新宮町元鍛冶町にあった寺子屋師匠・大石元郷旧蔵の手本という。〔小泉〕
◆くむらなづくし [0981]
〈河泉〉区村名尽‖【作者】不明。【年代】明治六年(一八七三)刊。[堺]北村佐平(北村佐兵衛・赤井堂)板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。河内国・和泉国下一六郡を単位として、各郡毎の村名を列記した教科書。合計五一三カ村の地名を列挙する。また、各郡名の下に、その郡の村数・石高・戸数・人員を注記するのも特徴。本文を楷書・大字・三行・所々付訓で記す。〔石川〕
◆くもいのさくら [0982]
雲井の桜‖【作者】葛原対月(柴の庵)作・書。【年代】文久元年〜明治二年(一八六一〜六九)作・書。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。南部盛岡より江戸にいたる道中を記した文久元年(一八六一)書『東哥多(あずまうた)』と、江戸より京都にいたる道程を記した明治二年書『雲井の桜』の二本を合綴した往来。『東哥多』は「陸奥の、道また遠き岩手山、名高くつもるしら雪も、解る弥生の花盛り、馴れし盛岡立出て、何処でくれても花の中、今こそ旅の詠めやと、行程(ゆくほど)近き郡山…」、『雲井の桜』は「日の本の、日も東より登るとや、春も東の空にたつ、花のあづまと云けんも、実(げ)に世の花の咲処…」で始まるように、両往来とも七・五、七・五と続く長歌形式で、沿道の宿駅等の地名や風景を順々に紹介する。本文を大字・五〜六行・付訓で記す。なお、『雲井の桜』のみに署名するが、跋文に「こは十年あまりまで、いく度か都へ行帰る頃、東路の気色、草の枕の寝覚におもひ出るにまかせてしるしぬ」とあり、両方とも同人作と見るべきであろう。〔小泉〕
★くもいのつる [0982-2]
雲ゐの鶴‖【作者】長谷川貞(妙躰)書。【年代】宝永六年(一七〇九)刊。[京都]伏見屋藤治郎板。【分類】女子用。【概要】異称『女筆雲井の鶴』。大本三巻三冊。元禄七年(一六九四)刊『しのすゝき』†各巻の口絵を長谷川光信の口絵(四季の草花と女子諸芸の図)に改めた改題本。〔小泉〕
◆くんじようし [0983]
訓辞要旨‖【作者】瀬戸正範・生熊義比作・序。斉藤真男校。【年代】明治一五年(一八八二)序・刊。[大津]滋賀県学務課蔵板。島林専次郎売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。籠手田滋賀県令が管下小学校の臨時試験の際に述べた訓辞を修身教科書としてまとめたもの。訓辞の内容を一二項目に分けて簡潔に記すが、その主旨は、学問の意義、幼時からの勤学、父母の恩・国恩・師恩、家業出精、親類・長上への敬慕、兄弟の和睦、益友の選択、恭謙の心、長幼の別、女子の心得などである。全文を楷書・大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆くんしんか [0984]
君臣歌‖【作者】細井広沢(知慎)作・注。関思恭(林鳳岡・子粛・源内・恭黙斎)書。【年代】享保五年(一七二〇)作。延享元年(一七四四)書。天明元年(一七八一)跋・刊。[江戸]前川六左衛門板。また別に[大阪]敦賀屋九兵衛板あり。【分類】語彙科。【概要】異称『広沢先生君臣歌』。大本二巻二冊。上巻『君臣歌』と下巻『君臣歌注解』から成る陰刻手本。本文をそれぞれ大字・三行・無訓で記す。上巻『君臣歌』は次項の宝暦一一年刊『君臣歌』†と同内容。また、広沢が子孫のために編んだ『注解』は、『君臣歌』を単語または短句毎に分けて、本歌の漢字表記と語注を施したもの。さらに本書とは別に、広沢自筆の校訂本として孫の細井錦城(知雄・文右衛門)が寛政六年(一七九四)四月の跋文を付した折本一帖(大字・八行・無訓の陰刻手本)もある。同書本文(『君臣歌』本歌および由来書)も天明板とほぼ同内容だが、広沢の推敲の跡を忠実に模刻する点で異なる。〔小泉〕
◆くんしんか/くんしんのうた [0985]
〈日本古文〉君臣歌‖【作者】細井広沢(知慎)作・書。上月信勝(東庵)序。岡野明徳(源一)跋。【年代】享保五年(一七二〇)作。宝暦一一年(一七六一)刊記。宝暦一二年跋・刊。[大阪]糸屋嘉兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『きみまくら』。大本一冊。細井広沢作『君臣歌』を上梓した手本の早い例。『君臣歌』は、「きみまくら(君臣)、おやこいもせに(親子妹背)、えとむれぬ(兄弟群)、ゐほりたうへて(鑿井種田)、すゑしける(末繁)、あめつちさかゆ(天地栄)、よをわひそ(世勿侘)、ふねのろなは(舟之櫓縄)」の五・七・五・七・五・七・五・六の四七文字から成る歌で、「いろは歌」のように四七文字中一字の重複もなく意味の通じるように綴ったものである。本書は、『君臣歌』を二様に認めた後で、『君臣歌』の由来を長文で綴った手本で、その由来書きによれば、ある仲秋の夜、夢枕に立った神人が最初の五・七・五を詠んだところで目を覚ました広沢が「その続きを考えよ」との神の啓示と直感し、苦吟沈思してようやくできたのがこの『君臣歌』であった。また、手習い始めの手本として古来より広く行われてきた「いろは歌」は諸行無常を理念とするため吉祥事には不向きであること、また神道・儒教に基づくものでないことなどから、「いろは歌」に替えてこの『君臣歌』を初学者用の教材にすべきことを説く。以上の『君臣歌』と「由来書」を草書・大字・三行・無訓で綴り、巻末に「由来書」中の漢字を行書・八行・付訓で再掲する。〔小泉〕
◆くんしんかちゅうかい [0986]
君臣歌注解‖【作者】深沢菱潭書。【年代】明治年間刊。[東京]書学教館蔵板。山城屋佐兵衛(稲田佐兵衛)ほか売出。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。『君臣歌(きみまくら)』†の本文と注解を記した手本。まず『君臣歌』本文を大字・二行・無訓で掲げ、続いて「君臣歌注解」として『君臣歌』を九段に分けた語句を大字で再掲したうえで、半丁に四行・付訓の注釈文を置く。施注はおしなべて平易だが、五倫の教え、農業の大切さ、三綱五常の道などの教訓を強調する。また巻末で、民間に広く流布するイロハは諸行無常を本としており、神道・儒教の教えではないこと、また朝廷では古来からイロハを手習う始めとする習慣がないことなどに言及する。〔小泉〕
◆くんしんきょうくんかがみ [0987]
君臣教訓鑑‖【作者】文盲堂作。我流斎書。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】特大本一冊。「一、夫、人間の常に嗜へきは色・欲・酒の三つにして、先色道の事、天子・将軍たる御身の上にも放逸みだり成時は国家不安…」で始まる第一条以下一四カ条から成る教訓。いずれも長文の条々で、色欲・貪欲・乱酒の三悪と、正直・堪忍、金銭所持の心得、上下の尊敬・慈悲、算用・才覚・分限、家来への憐愍、丁寧な接客、「小事に驚け、大事に驚くな」といった商家主人・子弟の心得を、多く教訓歌を引きながら諭す。本文を大字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ぐんそんめい [0988]
〈山六内輔編輯〉郡村名‖【作者】山内六輔作。小田切春江(忠近・伝之丞・歌月庵・喜笑)画(地図)。【年代】明治八年(一八七五)刊。[名古屋]山内六輔(玉芳堂か)ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈尾三両国〉郡村名』。中本一冊。明治初年の新区画に基づく尾張・三河両国の郡・村名を、第一大区第一小区(尾張国・愛知)から第一五大区第七小区(三河国・渥美郡)まで大・小区の順に列挙した教科書。本文を楷書・小字・一〇行・無訓で記す。尾三両国の銅版・色刷りの折込地図各一葉を挟む。〔小泉〕
◆ぐんそんめいづくし [0989]
〈下野〉郡村名尽(河内郡之部)‖【作者】中島操作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一三年(一八八〇)書。明治一五年刊。[宇都宮]田野辺忠平(万年屋忠平・臨雲堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『下野国郡名尽』。半紙本一冊。前半に下野国の郡名(上都賀郡〜梁田郡の一〇郡)を記した「下野国郡村名」、後半に「下野国町村名」(河内郡・宇都宮以下約二四〇町村)を大字・三行・無訓で記した手本。表紙見返に「河内郡之部」の朱印を押すが、他郡も同様に出版されたものと思われる。〔小泉〕
◆ぐんちゅうせいほう [0990]
郡中制法‖【作者】京都府編。【年代】明治二年(一八六九)刊。[京都]京都府蔵板。村上勘兵衛売出。また別に[大津]大津県蔵板。本屋宗次郎(宗治郎)売出等あり。【分類】社会科。【概要】大本または半紙本一冊。明治初年に郡中・市中・町役・村役・神官等に対して出された布達を題材にした一連の手本の一つ。「一、御高札之旨謹而可相守事」以下、布告の遵守、五人組の役割(特に付則が多い)、地域の相互扶助・秩序維持、本来の家業への出精、賭事の禁止、死者・怪我人・病人・旅人等の処置、捨て子・堕胎の禁止、寺社の新規建立の禁止、祭礼に伴う山鉾・寄付等の禁止、相撲その他興行・遊郭等の事前許可、田畑・道路その他施設・交通等の規定、賄賂の禁止など二五カ条を大字・五行・無訓で記す。明治二年京都板を始め、大阪府・大津(滋賀)県・東京府など各地各様の体裁で出版された。農村向けの本書に対して、市中向けに出された同様の布達が『市中制法』†一九カ条である。〔小泉〕
◆ぐんちゅうほうのじょうじょう [0991]
郡中法之条々‖【作者】矢野沢蔵次郎書。【年代】文政七年(一八二四)頃書。【分類】社会科。【概要】異称『郡中法度之条々』。大本一冊。文政七年に信州諏訪地方(裏表紙に「信州諏訪立沢村」と記す)に布達された条々を手本に認めたもの。第一条「公儀御法度之趣堅可相守事」、第二条「駅宿之儀、公用不及申、軽キ飛脚等ニ至るまで、不依昼夜、人馬無遅滞可出之事」以下計二四カ条を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ぐんめいちょうそんめいづくし [0992]
〈小学習字〉郡名町村名尽‖【作者】森小三郎作。深沢菱潭(巻菱潭)書。【年代】明治一三年(一八八〇)書。明治一四年刊。[東京]森小三郎(聚成堂)蔵板。和泉屋市兵衛(山中市兵衛・甘泉堂)売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。前半の「関東郡名尽」と後半の「栃木県地名抄」から成る手本。前者は、関東一府六県の八六郡の郡名(足利郡から長挟郡まで。「葛飾郡」の重複を除き八六郡)を府県別に列挙した手本。後者は、栃木県各地の町村名を列挙したもの。いずれも本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆くんもういんごにほんくにづくし [0993]
〈川崎義門著〉訓蒙韻語日本国尽‖【作者】川崎義門(鶴峰)作・序。柳村金枝(健)序。【年代】明治一二年(一八七九)序・刊。[東京]川崎義門蔵板。和泉屋吉兵衛(牧野吉兵衛・名山閣)売出。【分類】地理科。【概要】異称『〈訓蒙〉韻語日本国尽』。半紙本三巻三冊。ただし東大本は中巻欠。近世に流布したいわゆる『国尽(大日本国尽)』とは全く異なり、漢字四字一句を基本とする文章で、日本各国の地理的事項を畿内八道毎に綴った『千字文』型教科書。上巻に畿内・東海道、下巻に山陽道・南海道・西海道・琉球国・北海道を載せるから、中巻には東山道・中山道・北陸道を収録していたのであろう。四言一句で綴る制約はあるものの、記述は地名・沿革・地形・気候・風土・人口・産業・物産など詳細かつ多岐にわたる。本文を楷書・やや小字・八行・無訓で記し、特に地名には傍線を付して他と区別する。〔小泉〕
◆くんもうかんがくいろはいまよう [0994]
〈谷謹一著〉訓蒙勧学以呂波今様‖【作者】谷謹一作。深沢菱潭(巻菱潭)書。雪香・島村泰(嶋邨泰・島邨ゆたか)序。【年代】明治七年(一八七四)序。明治八年序・刊。[京都]村上勘兵衛(邨上勘兵衛)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈訓蒙〉勧学以呂波今様』『勧学以呂波』。半紙本一冊。「生て万物(よろず)の霊(おさ)となる、人の仕業は数々の、国にて違ふものなれと、文字を習ひ道を知る、教は漢土も西洋も、万国普通の事ぞかし…」のような七五調六句の歌で、学問の主旨・次第、学習順序や学習態度、学校制度、また、礼儀作法その他の処世訓までを説いた教訓。七・五、七・五と続く「今様歌」と、各首の第一音がイロハ順になる「以呂波短歌」を合わせたような形式で綴った教訓歌で、イ〜スの四七首に加えて、ガ・ザ・ダ・バ・パ行で始まる「附録歌」二五首を掲げる。本文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆くんもうきゅうりたいぜん [0995]
訓蒙究理大全‖【作者】スイフト(須維普土)作。阿曽沼恒斎訳。村上誠一郎校。高見武(廬門)序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]東生亀治郎ほか板。【分類】理数科。【概要】異称『究理大全』。半紙本二編九巻九冊(初編三巻・二編六巻)。米国の女教師・スイフト作の窮理書を翻訳して編んだ教科書。目録によれば、巻の一は大陸・半球・地球・星・気候・光彩虹L(にじ)・雨露霜雪泉河など一〇章、巻の二は蒸発気・惑星など六章、巻の三は惑星・遠心力・求心力・重力・引力・物体と性質など八章、巻の四は物体疎密・空気・諸運動など五章、巻の五は重力・引力・木梃(てこ)・車・軸・滑車など五章、巻の六は時計・摩擦・湖水・湧水・風・洪水・竜巻・気球など六章、巻の七は異重力・毛細引力・秤水術・晴雨検査・ポンプ・海牛など六章、巻の八は音響・反射音響・喇叭・光線反射の四章、巻の九は写真鏡・眼・硝子・望遠鏡・光線屈曲など六章を収録するが、三巻以降未見。教師と生徒との問答形式で綴る。本文を楷書・やや小字・九行・付訓で記し、適宜、挿絵や図解を交える。〔小泉〕
◇くんもうきゅうりべんかい [0996]
訓蒙窮理便解‖【作者】望月誠作・序。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]和泉屋市兵衛板。【分類】理数科。【概要】異称『〈訓蒙〉窮理便解』。中本三巻三冊。主として力学に関する諸説を、チャンブル著『イントロヂェクション、ツ、ゼ、サインスト(万学小引)』、ヲルムステット著『リュヂメンツ、ヲフ、ナチュラル、フィロソフィー、エンド、アストロノミー(博物通論)』、クワッケンブス著『ナチュラル、フィロソフィー(窮理書)』の三書から抄訳して編んだ初等教科書。各巻四章ずつからなり、上巻は鋭力、圧搾力・膨張力、凝聚力・粘着力、中巻には遠心力・求心力、引力、重心、細管力、下巻は扛子力、運動力、働力・抗力、摩軋力について説く。頭書にも適宜図解をしながら、その原理を平易に解説する。〔小泉〕
◆くんもうことばのしおり [0997]
〈橋爪貫一輯録〉訓蒙詞乃栞‖【作者】橋爪貫一作・序。深沢菱潭書。河鍋暁斎画。【年代】明治六年(一八七三)序。明治七年刊。[東京]伊藤岩次郎(誠之堂)板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。『単語図』風の教科書。半丁に六つの升目を設け、初めに五十音(ただし、「お・さ・そ・ぬ・む」、その他を欠く)の各一字から成る単語とその挿絵三九図を掲げ、続いて五十音の各字で始まる単語(平仮名と漢字)を「ア」〜「ヲ」の順に合計二七〇語列挙する。〔小泉〕
◆くんもうじかたおうらい/きんもうじかたおうらい [0998]
〈増補〉訓蒙地方往来‖【作者】橘慎一郎作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]柴田清照蔵板。吉田屋文三郎売出。【分類】産業科。【概要】中本一冊。明治初年に各種類本が生まれた『地方往来』の一つ。「不毛を拓き広原に、水路をもとめ農業に、こゝろをとゞめ耕せは、国富栄人民は…」で始まる七五調の文章で、まず、一国の繁栄の基本たる農業の根本が地方にあること、続いて、田地測量関連、租税、管轄区分、検地の手順と心得、年貢・貯蔵・輸送・取引等、商品作物・醸造、造作・建築、農具、相互扶助、交通・旅宿、訴訟・契約等、戸籍その他関連帳簿・除籍、賞罰、農民心得(質素倹約等)などを説く。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆くんもうのうぎょうおうらい/きんもうのうぎょうおうらい [0999]
〈増補〉訓蒙農業往来‖【作者】橘慎一郎作。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]柴田清照蔵板。吉田屋文三郎(木村文三郎・文江堂)売出。【分類】産業科。【概要】半紙本または中本一冊。七五調・美文体で「夫、億兆之人民之衣食を国に充(みた)しむる其根原は農家なり…」と書き始め、潅漑を始めとする農業諸施設や地方関連語彙、明治五年七月の地租改正のあらまし、五穀・四木・三草等の農作物、畑作産物、山菜、薬用植物、果実、その他耕作全般・農具、さらに日本の国土、気候、府県制、国内各地の諸産業等について述べる。末尾は、信仰、法令遵守、質素倹約、六親和睦、家業出精などの心得を諭す。半紙本は本文を楷書・大字・五行(中本は四行)・付訓(しばしば左訓)で記す。頭書に「日本国尽」「国郡を定る事(由来)」を載せる。なお、本書のうち地租軽減など一部改訂した『〈開明〉農業往来』†(鶴田真容作)が明治一一年に刊行された。〔小泉〕
◆くんもうひとのみち [1000]
〈小川為治著〉訓蒙人之道‖【作者】小川為治(為治郎)作。深沢菱潭書。福羽美静序。【年代】明治六年(一八七三)序。明治七年刊。[東京]須原屋伊八(北沢伊八)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『訓蒙人の道』。半紙本一冊。五常五倫を中心とする人倫を近代人の視点から説いたもの。まず人道が「天下の理を究め、造化の力の及ばぬを助け補ひ、人生の便利幸福をますこと」であり、これは人間の本性(善性)を確立して、喜怒哀楽を調節することによって可能となることを述べ、さらに善を行う規則としての仁・義・礼・智や五倫の教えを詳述し、これを勧め諭す。頭書には、西欧の文明や学問・文化・社会、また偉人などを紹介した一文を掲げる。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆★くんもうぶつめいづくし [1001]
〈習字読本〉訓蒙物名尽(前編)‖【作者】青木東江作・序。片桐霞峯書。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]東生亀次郎板。【分類】語彙科・地理科。【概要】異称『〈万国交易〉訓蒙物名尽』『世界物名尽』。半紙本一冊。文明開化の目覚ましい変化の中で日常生活に登場した新語を中心に集めた往来。「凡世界は五大洲、亜細亜、亜非利加、欧羅巴、南北亜米利加、大洋州、其内盟約之国々者、亜米利加、和蘭、魯西亜、英吉利、仏蘭西、葡萄牙、独逸、瑞士、白義、伊太利、嗹国、西班牙、瑞典、澳地利…」と筆を起こして、世界五大洲や日本と同盟関係にある諸列強名、世界に名高い国産品、海外からの貿易船の種類や輸入品の数々、日本にやってくる外国人の国籍や職業などの語彙を集める。本文を大字・四行・付訓で記す。なお、「前編」の記載があり、本文末に、本書に洩れた舶来品の名称を「二編」に掲げるとの記述があるが未刊か。〔小泉〕





◆けいあんおふれがき/けいあんのおふれがき [1002]
慶安御触書‖【作者】不明。【年代】慶安二年(一六四九)作。文政一三年(一八三〇)刊。[美濃・岩村藩]岩村地方役所板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。江戸幕府が『諸国郷村江被仰出』として慶安二年二月二六日付で公布した触書、いわゆる『慶安御触書』を大字・八行・付訓で記した往来。「一、公儀・御法度を恐れ、地頭・代官の事をおろそかに存ぜず、扨又、名主・組頭をば真の親とおもふべき事」以下三一カ条と、「年貢さへすまし候へば、百姓ほど心安きものはこれなく、能々此趣をこゝろがけ、子々孫々まで申伝へ、よく身持をかせぎ申べきもの也」と締め括る後文から成る農民生活の心得で、江戸時代の農民支配の基本とされた。公儀・法度の遵守や役人への服従、また農家の消費生活における極度の倹約、年貢確保のための生産増強、農村維持のための心得等を記す。為政者の財源確保のために、小農民の生活を安定させるのが公布の目的と考えられ、「百姓は分別もなく末の考もなき者に候ゆへ」といった愚民観や、衣食住、その他生活態度全般にわたる細かな規制のある点で、その非人間的な扱いが問題視されることが多いが、この触書が『御触書集成』や『御当家令条』等に収録されず、むしろ、『五人組帳前書』や本書のような形で流布したことを考えると、一種の教訓書・啓蒙書として捉えられていたと考えられる。また跋文からも、以上の条文が目標や理想として捉えていたことが窺われる。なお、文政一三年刊本は、すなわち天保元年(一八三〇)美濃国岩村藩が林述斎の協力によって復刻し、村々に頒布したもので、その事情は『甲子夜話続編』巻四七の五に詳しい。また、文政一三年・岩村地方役所(岐阜県岩村町)板以降の刊本として、同書覆刻版の天保四年(一八三三)掛川郡役所(静岡県掛川市)板、天保五年板(刊行地不明)、天保八年板(「国書総目録」)、嘉永元年(一八四八)・吉田地方役所(愛知県豊橋市)板、天保四年板の再板である明治三年(一八七〇)・芝山藩(千葉県芝山町)板等が知られる。〔丹〕
◆けいがじょう [1003]
慶賀帖‖【作者】大谷業広(永庵)書。【年代】文政七年(一八二四)刊。[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。また別に天保三年(一八三二)[京都]山城屋佐兵衛ほか板あり。【分類】社会科。【概要】特大本一冊。前半に詩歌約三〇編、後半に五月五日推右中弁宛て書状など三通を収録した手本。本文を大字・三行・無訓で記す。末尾に「業広七十八歳書之」とある。〔小泉〕
◆げいぎいまがわじょう [1004]
芸妓今川状‖【作者】浅野米次郎(はな賀舎・雨燕)作。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[京都]浅野米次郎蔵版。太田活版所売出。【分類】女子用(戯文)。【概要】異称『今川になぞらへわちき達をゐじめる粋詞の条々』。半紙本一冊。活版和装本。『女今川』†をもじって芸妓の心得の数々をなかば戯文に綴った往来。本文は大きめの活字で七行、頭書は小さめの活字で一二行で記す。「一、芸道をしらでは座敷勤まらぬ事」以下の二一カ条と後文から成る。頭書に「芸妓の濫觴」「芸妓の信心すべき神仏」「芸妓の所持すべき薬」「頭髷之事」「衣類之事」の記事を載せる。巻末に『娼売往来』『舞子心得草』『客村夜話』の近刊予告を掲げるが未詳。〔天野〕
◆けいこせんじもん [1005]
稽古千字文‖【作者】平尚正(平正心男)作・書・序。【年代】慶応元年(一八六五)作。明治二年(一八六九)序・書。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。「元気未啓、鴪阨s剖、三神既在、為造化首、軽清作天、重濁則地…」で始まる四言二五六句(一〇二四字)で、神代の歴史を綴った『千字文』型往来。自序によれば、生田万(国秀)作『古学二千文』に触発され、『古事記』『日本書紀』、また平大叡の『古史』などに依拠して編んだもので、神道思想や国体観念に基づく記述に終始する。本文を楷書・大字・五行(一行二句)・無訓で記す。〔小泉〕
◇けいこばじもんじょう [1006]
稽古場自聞状‖【作者】雪松軒江鱸書。【年代】文政五年(一八二二)書。【分類】教訓科。【概要】大本。本来二巻二冊だが、現存するのは下巻(坤)のみ。ある寺子屋で毎日子どもたちに読み聞かせたという寺子屋規則で、手本として門弟一人一人に書き与えたものと思われる。下巻には、寺子屋での学習態度や心得、家庭での生活態度などについての教訓を種々載せる。全体として禁止項目を中心に綴るのが特徴。本文を大字・四行・無訓で記す。巻末に和歌二首を添える。〔小泉〕
◆けいしょおうらい [1007]
経書往来‖【作者】高木元如(善次郎)作。三皐信栄書・跋。【年代】寛政二年(一七九〇)作。文化四年(一八〇七)書・跋。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「御細書忝致拝見候」で始まる往状と「畴昔之乍貴酬巨細之御書牘辱致披見候」で始まる返状の二通の書状の形で、経書の由来と内容を紹介した往来。まず往状では、経書初学者の問いに答えて経書のあらましを述べるという想定で記述が始まっており、『四書』『五経』『十三経』『小学』を概説する。そして返状では『二十一史』の内容とそれぞれの作者、巻数、撰作年代、概要、古注、抄書について述べ、詩集などにも触れる。本文を小字・一一行・付訓で記す。本書は、『諸子文章』など元如の他の著作と合綴されており、末尾に信栄の筆で文化四年(一八〇七)当時八二歳の元如が生存していたことや屋代弘賢との逸話を記す。〔小泉〕
◆けいてんよし/けいでんよし [1008]
経典余師〈女孝経〉‖【作者】高井蘭山注・序。【年代】文政七年(一八二四)序・刊。[江戸]須原屋新兵衛(小林新兵衛・嵩山房)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈経典余師〉女孝経』『経典余師女孝経』。半紙本一冊。唐の鄭氏が著した『女孝経』の注釈書で、類書中最も詳しいものの一つ。いわゆる「経典余師」形式で本文の注釈と頭書の読法を示す。「進女孝経表」と『女孝経』本文をそれぞれ数段に分けて楷書・大字・九行・無訓で掲げ、段毎に詳細な割注を施す。さらに頭書に仮名交じりの読み下し文を載せて、助字など訓読上の注意も促す。漢文に不慣れな婦女子でも「いろは」が読めれば理解できる「師匠いらず」の書という宣伝文句で売り出された。〔小泉〕
◆けいてんよし/けいでんよし [1009]
経典余師〈朱氏家訓〉‖【作者】斉田東城注。河瀬寧(寛斎)序。【年代】文政元年(一八一八)序・刊。[江戸]和泉屋金右衛門板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈経典余師〉朱氏家訓之部』『朱子家訓』。半紙本一冊。『治家格言』の注釈書の一つ。『治家格言』は、掃除や食事、家業、礼儀など生活全般の心得と人倫・処世訓を説いた教訓で、「黎明即起、洒掃庭除…」で始まる六〇条の短文から成る。朱氏を朱熹と混同した誤伝も伝わる(本書見返にも朱熹の家訓と説明する)が、作者は明末の朱栢廬であり、伝陳元贇作『朱子家訓』とは全くの別文である。本書は前者の『治家格言』を各条毎に簡潔に注釈したものである。本文をやや小字・九行・付訓(任意の語句に左訓)で記す。〔小泉〕
◆けいもうおしえぐさ [1010]
〈切近通要〉啓蒙をしへ草‖【作者】松浦果作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[彦根]本屋九平(九兵衛・桂章堂)板。【分類】合本科。【概要】異称『啓蒙教草』。半紙本一冊。「御誓文写・三ケ条教則」「仮字(片仮名五十音・以呂波歌・英国二十六字・人身諸部・度量権衡・貨幣・九々ノ声)」「年月の章(『近道子宝』†にならって綴った天地・日月に関する文章)」「大日本国尽(頭書に郡名を付す)」「〈三府県〉府県名尽・開港場」「勧学之章(小学校生徒の学問心得)」「地球之章(地球・太陽・月に関する初歩知識)」「神代・伊勢両官並官弊大中社・御歴代帝号・年号」「条約諸国(色刷り国旗図)」から成る教科書。本文を概ね大字・二〜五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆けいもうじんたいせんじもん [1011]
啓蒙人体千字文‖【作者】佐藤利信作。江馬春煕校。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]佐藤利信蔵板。大倉孫兵衛売出。【分類】理数科。【概要】半紙本一冊。漢字四字一句、合計一〇〇〇字の『千字文』形式で、身体各部の構造・形状・機能などを書き綴った教科書。「霊魂妙躰、合為人身…」で始まる本文を一句毎に楷書・草書の二体で書し、頭書に各句の詳細な注を載せる。冒頭に、人は霊魂と妙体を併せ持つ存在であることなどを述べ、続いて血液・血行、呼吸、神経、五感、七情、骨格、頭蓋骨、脳、脊髄、眼、鼻、口、毛髪、瞼、網膜、色盲、視力、耳、歯、舌、喉、食道、声、気管、胃、肺、心臓、血液循環、肝臓、膵臓、脾臓、皮膚、消化、腸、腎臓、膀胱、生殖器、胎児と新生児の順に説き、最後に一族が子孫まで続くようにその身を保ち、己の職務に励み、節倹によって国力を増進させるべきことなどを諭して締め括る。本文を大字・四行(楷書・行書各四行)・付訓(楷書のみ)で記す。〔小泉〕
◇けいもうちえのわ [1012]
啓蒙知恵乃環‖【作者】瓜生寅(三寅・政和・於莵子・梅亭金鷺・楳亭・橋爪錦蔵・橋爪錦造)訳述・序。【年代】明治五年(一八七二)刊。[東京]瓜生寅蔵板。和泉屋吉兵衛売出(明治七年板)。【分類】理数科・社会科。【概要】異称『〈瓜生寅訳述〉啓蒙知恵乃環』『〈啓蒙〉知恵之環』『啓蒙知恵の環』。中本三巻合一冊。窮理学始め社会その他諸般の知識を綴った教科書。総論・身体・飲食・服飾・居所・教育・乳養動物・鳥・爬虫と魚・植物・地・物の体質・空気諸天・時節・人間交際・国政・列国・通商交易・物の質および其の働き・機械力・五官の二三篇に合計一九二項を所々図解を交えて略述する。〔小泉〕
◆けいもうちりもんどう [1013]
啓蒙地理問答‖【作者】阿部弘国(尚志堂)作。虚舟野人(宗義)序。【年代】明治六年(一八七三)作。明治七年刊。[東京]尚志堂蔵板。和泉屋市兵衛ほか売出。【分類】地理科。【概要】異称『阿部弘国編啓蒙地理問答』。半紙本二巻二冊。「総論」として地球の形状・自転・海陸・五大州・経緯度・方角・五帯・東西両半球について、次に世界各国の地理的位置・面積・人口・地勢・風土・物産・主要都市等を解説した教科書。全編を「問、何ヲカ地理トナスヤ」「答曰、地理トハ乃チ地面ノ形状ヲ講明スル所ノ者ヲ謂フ」のような問答形式で記述する。本文をやや小字・一〇行・無訓で記す。上巻は総論・アジア州、下巻はヨーロッパ州・アフリカ州・北アメリカ州・南アメリカ州・オーストラリア州。上巻巻首に「虚舟野人の識語」「編者の例言」「目次」「アジア州図」、下巻にヨーロッパ州・アフリカ州・北アメリカ州・南アメリカ州・オーストラリア州の各図を掲げる。〔石川〕
◆けいもうちりりゃく [1014]
啓蒙地理略‖【作者】条埜(条野)孝茂作。市川清流(買山・央坡)校。前島密序。【年代】明治五年(一八七二)作・序・刊。[東京]従吾所好斎蔵板。大黒屋平吉(松寿堂)ほか売出。【分類】地理科。【概要】異称『〈啓蒙〉地理略』。半紙本三巻三冊。東書文庫本は上巻のみ。「千早振、神代の昔者我国を、豊葦原の瑞穂国、大八洲の中津国…」で始まる七五調の文章で、まず日本の国号とその由来、古代の郡県制から現行の府県制までの沿革を述べ、続いて、山城国以下五畿八道諸国の地理・歴史・名所・物産等のあらましを紹介する。本文をやや小字・七行・付訓で記す。頭書に解説や挿絵を補足する。本書刊行前後は府県制が流動的であったが、特に上巻は脱稿当時のまま刊行したことを凡例で断る。〔小泉〕
◆けいもうてならいのふみ [1015]
啓蒙手習の文‖【作者】福沢諭吉作・序。内田晋斎書。【年代】明治四年(一八七一)序・刊。[東京]慶応義塾蔵板。岡田屋嘉七(尚古堂・佐久間嘉七)売出。【分類】語彙科・教訓科。【概要】異称『〈啓蒙〉手習の文』『啓蒙手習之文』。半紙本二巻二冊。文字通り手習い手本用の教科書だが、従来の寺子屋教育が実学に着目せず、「迂遠の教育」に終始している現実を打破せんと、西洋的な実学入門書としても編まれている。上巻には「イロハ」「数字」「十干十二支」「大日本国尽」「天地の文(天地・日月・東西南北から始まり、時間・月日など暦全般の基礎知識を七五調に綴ったもの)」を収め、下巻には「地球の文(地球の形状などについて述べ、最後に学問が富国強兵の基であると説く)」「窮理問答之文(手紙の問答を通じて月食・日食や気象について説いたもの)」「執行相談之文(一三歳の子どもを持つ親が今後の教育について問う形で、中等教育のあり方を諭したもの)」などを載せる。本文を概ね大字・二〜三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆けいもうにじゅうさんじょう [1016]
啓蒙二十三帖‖【作者】清原道彦作。深沢菱潭書。【年代】明治年間刊。[東京]椀屋喜兵衛(江島喜兵衛・万笈閣)板。【分類】社会科。【概要】半紙本二巻二冊。主として社会・理科的分野の基本語や基礎知識を羅列した手本で、上巻は行書・大字・四行・付訓の漢字・平仮名交じり文、下巻は楷書・大字・四行・付訓の漢字・片仮名交じり文で綴る。上巻は「天は上、地は下、四方は東西南北」と筆を起こし、天地・自然、地形、年月、身体、親族、衣服・絹布・染色、飲食、家屋、機械、家財・諸道具・楽器、乗物、金石までの語句を列挙する。また、下巻は「通宝ハ貨幣、紙幣、銭ノ三種アリ…」と書き始め、通貨、度量衡、鳥獣・虫・魚類、草花、穀類、野菜、樹木、果実、日本地名(五畿七道・国名)、世界地名(六大洲・諸国)等の語彙を列挙した後で、手習い・学問や遊技についての心得を述べる。〔小泉〕
◆けいもうようぶんしょう [1017]
〈漢語詳解〉啓蒙用文章‖【作者】松村九作(遺稿)。荻田長三書。星処居士序。【年代】明治五年(一八七二)序。明治六年刊。[大阪]松村九兵衛板。【分類】地理科。【概要】異称『啓蒙用文章〈地理問答之部〉』『啓蒙用文章初編』。中本二巻二冊。用文章と題するが、手紙の模範文としての用文章とは異なり、各月往復二通ないし四通の手紙文でアジア・ヨーロッパ主要国の概要を紹介した地理科往来である。例えば一月往状は、漢語を多用した新年状(主要語句に左訓を付す)で、中国について問う文面になっており、その返状でアジア州における中国の位置や首府・北京の規模や風景、気候、産業について、さらに南京、上海などを紹介する具合になっている。このように往復書翰(全三四通)による問答形式で、中国・シベリア・インド・ペルシア・アラビア・トルコ・トルキスタン・アフガニスタン・イギリス・アイルランド・スウェーデン・ノルウェー・ロシア・デンマーク・フランス・スペイン・ポルトガル・ギリシア・イタリアなどの国々を紹介する。ただし八月状のうちの二通のみは気球(風船)に関する内容である。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。また、上巻に「東半球・西半球」一丁、「亜細亜洲」「欧羅巴洲」各折込一丁、都合三丁分の色刷り地図を綴じ込む。なお、巻末には二編(広告文ではロシア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ方面の紹介とする)の近刊予告を載せるが未刊である。〔小泉〕
◆けじょうわらいぐさ [1018]
化城咲草‖【作者】不明。【年代】永正〜大永(一五〇四〜二八)頃作・書。【分類】古往来。【概要】異称『化城笑草』。東北大本は大本一冊で、本文を小字・一一行・稀に付訓で記す。主として武家生活に必要な百般の知識を綴った室町後期の古往来。「城之上品外構、堀者広而、土囲高、塀者土壁、矢小間啓、鹿柵、尺木、木門、櫓、釘貫、挟板、上隔子、驚目計也…」で始まる文章(書簡体ではない)で、城郭の構造や各部の名称を順々に紹介しながら、城郭の建築・内装に必要な諸職人、船の構造、馬の種類、馬具、調度、香具、武具、茶器、書物(歌書、歌人、経書、軍書等)、文房具、具足、食器、雑貨、芸能、十干十二支、仏教、菓子、果物、野菜、食品、仏具、神社仏閣、手習い、書簡作法、動物、工芸品、鳥類、魚類、調理具、病気・薬種、天地・自然、草花、昆虫、樹木、管領家その他名家、諸国名、官職名、古寺・名刹などを列記し、最後に日々手習いに出精すべきことや書名の由来に触れて締め括る。〔小泉〕
★げつぎようぶん [1018-2]
〈陽暦漢語〉月儀要文‖【作者】萩原乙彦(対梅・水風星)作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]大嶋屋伝右衛門(文永堂)板。【分類】消息科・理数科。【概要】異称『陽暦漢語月儀要文』『陽暦要文』。中本一冊。明治六年からの新暦(陽暦)採用に伴い、新暦の暦日と年中行事との違和感や混乱が生じていた実情を踏まえ、新暦にふさわしい時候の語によって例文を綴り、またその文中でも新暦における年中行事のあり方やその起源などを説いた用文章。例えば、二月帖「問稲荷之祭日書」の往状で「旧暦一月初午に当たる新暦二月に稲荷祀を営むべきか、それとも新暦三月初午に営むべきか」と問い、返状で『神社啓蒙』『雍州府志』『神祇拾遺』の記事を引いて稲荷の由来を明らかにし、陰暦二月初午の祭日であることから「明治六年からは陽暦三月初午にすべきである」と答えているように、本書は単なる四季消息文ではなく、新暦採用後の暦日・暦法を述べた往来である。まず、各月の月次帖として「賀改暦贈年贄書」以下一二題往復二四通、続いて、問候帖・祝言帖・疑問帖など一二題往復二四通の合計四八通を収録する。序文で「近時文体一変而、専用漢語、貴簡」という状況を鑑み、漢語を多用した例文とする。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆げつじしょう/つきなみしょう [1019]
〈戸田〉月次章‖【作者】戸田儀左衛門(正栄・玄泉堂)作・書。臨泉堂正渕跋。【年代】宝暦九年(一七五九)跋・刊。[大阪]堺屋清兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。寛延〜明和(一七四八〜七一)頃に活躍した戸田玄泉堂の手本の一つで、前半に消息文例、後半に和歌を載せる。前者は各月一通ずつ合計一二通の消息文で、五節句や四季の花鳥風月、また京都の年中行事(葵祭・祇園祭・報恩講・恵比須講)を主題とした例文から成る。後半には六歌仙と六玉川の和歌の合計一二首を掲げる。本文を大字・三行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆けっしゃたいい [1020]
結社大意〈附呂氏郷約諺解〉‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。刊行者不明。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。「今般組合を建る趣意は…一途、朝旨を奉体して各其職分を尽し、専ら忠孝の風を振起せよとの…」で始まる「大意」のように、民間の社会教育団体らしき組織(団体名不明)を創立するにあたり、呂大鈞の『呂氏郷約』(漢字四五字の小文)を準規約と定め、その理解を図るためにこの「郷約」を平易に解説したもの。往来物とは言い難い教訓書である。本文をやや小字・七行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆けんえいおうらい [1021]
建営往来‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[京都]建築業組合内養成所習字部板。【分類】産業科。【概要】異称『〈乾坤〉建営往来』。大本一冊。原題簽角書に「乾坤」とあり、同下部に「天」と記すことから、本来、二巻二冊と思われるが下巻は未発見(あるいは未刊か)。天保二年(一八三一)刊『番匠往来』†(池田東籬編)と同内容で、本書上巻にはその前半三分の一程度を収録し、本文が仏閣建築の途中で終っている。以下三分の二相当は下巻(地の部)に収録する予定だったかどうかは未詳である。本文を楷書・大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆★げんぎょせんじもん・げんごせんじもん [1022]
〈真艸音訓〉言語千字文‖【作者】西川祐春画。【年代】安政四年(一八五七)刊。[京都]天王寺屋市良兵衛(葛西水玉堂)ほか板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。主に心理や行為など人間の営為に関する基本的な語句を集め、漢字四字一句、全二五○句一○○○字の『千字文』形式で綴った往来。要するに『節用集』の部分けの一つ、「言語」門に相当する語彙を集録した点に特色があり、それ以外の分野(例えば乾坤・時候・官位・衣食・気形・草木・器財など)の語彙をほとんど含まないのが特色。「勧善懲悪、由所大低、新好著明、旧o礑忘」と筆を起こし、「沽券印可、習気荘厳、重頭方寸、平伏誕生」と結ぶ本文中に二字ないし四字の熟語を前後の脈落なしに列挙する。なお、本文は行書・大字と楷書・小字の二体を半丁にそれぞれ四行で記し、音訓(両点)を施す。巻頭に王羲之・藤原行成の故事と挿絵を掲げる。〔小泉〕
◆★げんぎんおおやすうり [1023]
〈御免・質素倹約〉現銀大安売‖【作者】山田野亭(大和屋圭蔵)作・序。【年代】天保一三年(一八四二)序・刊。[大阪]堺屋喜兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『げんぎん』。中本一冊。主として商人子弟のために「質素倹約」の大切さを説いた教訓書。冒頭で諸物価が下落して暮らしやすい世の中になったのは「公(おかみ)の御仁沢」であり、この国恩に万人が感謝すべき旨を諭す。そして、とりわけ仲買人以下の商人は現金取引の利点が大きく、それによって安売りが実現して取引高も大きくなり、さらに安くできるという商売の秘訣を述べる。また、質素とは「物八歩目にする」ことであり、これが正路商いの根本義である、ただし、格別に安い物には注意が必要なことや、取引先にも利益が出るようにバランスを図るべきことなどを縷々述べ、結局「現銀大安売」が家業繁盛の基であると締め括る。本文をやや小字・七行・付訓で記す。頭書に「倹約心得草」「商人心得いろは歌」を掲げるが、前者は天保五年刊『家宝往来』†とほぼ同内容である。また、本書の姉妹編として同一著者・同一板元により天保一三・一四年に『〈御免〉倹約末乃栄』†が刊行されたが、本書と全く同体裁(刷外題・色刷表紙)である。本書に『〈御免〉倹約末乃栄』の初編・二編を合わせ三巻三冊とした改題本に明治二五年(一八九二)刊『長者之弗箱』†がある。〔小泉〕
◆けんさいおうらい [1024]
賢済往来‖【作者】不明。【年代】室町中期作。室町末期書。【分類】古往来。【概要】異称『賢才往来』。大本一冊。武家奉公の心得に終始する六双・一二状の手紙模型文から成る古往来。第一状で武家奉公の道について尋ね、第二状で奉公の道が「正直」に尽きる旨を説くように、奉公する者の心得・教養・芸能、戦場での心得、分限に応じた処世法など、中世後期の武家子弟の有事・平時の心構え全般を諭す。第四状では「『童子教』云、生而無貴者、習終成智徳云々」と、『童子教』†を引いて学問の大切さを諭す。三次市立図書館蔵『賢済往来』は大字・七行・無訓(所々返り点・送り仮名)で綴り、奥書に「持主・元智/南無阿弥陀仏一遍奉憑候、嗚呼。筆者(在判)」と記す。また、愛知県西尾市立図書館・岩瀬文庫蔵『賢才往来』は本文を大字・五行・無訓で認め、筆者および書写年月を全く記さないが、室町末期書と推測される。同書は三次本の第五・六状に相当する二状を欠くうえに、文章や使用語彙についても三次本との異同が大きい。ただし、この両者のうちいずれが古いかにわかに判定できない。〔石川〕
◆げんじおうらい [1025]
源氏往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。本来三巻三冊か。現存唯一の三次本は前後を欠く零本一冊だが、同書には主に木曽義仲の出自や人物像、上京してからの様子(途中で終わる)などを書き綴るため、もと前後数巻(最低三巻)に及び、源平争乱のあらましと主要人物を紹介したものであったと思われる。現存本は「入道相国、かやうにいたく無情あたり奉られたりける事を、流石真おそろしうや思れけん…」で始まる本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆げんじかなぶみ [1026]
源氏かな文‖【作者】佐藤慎一郎(信)書。【年代】江戸後期刊。[江戸]菊屋幸三郎板か。【分類】女子用。【概要】異称『西三条逍遙院殿御作・源氏五十四帖かな文』。中本一冊。明和九年(一七七二)刊『源氏かな文章』†または寛政七年(一七九五)刊『源氏名寄文章』†の改編版。「源氏のすくれてやさしきは、其名も高き桐壺に…」で始まり、「…己かすさひの手習は、はかなから計る夢のうきはし」で終わる七五調・美文体で『源氏物語』の各巻名を列記する。本文を大字・五行・所々付訓で記す。巻頭に「紫式部石山寺の図」と「源氏五十四帖引歌香図」、巻末に「女消息往来」「十二月異名」「女今川」「七夕の由来」「七夕詩歌」「婚姻女国尽」を合綴したものもある。〔小泉〕
◆げんじかなぶんしょう [1027]
〈長雄〉源氏かな文章‖【作者】長雄耕文書。【年代】明和九年(一七七二)刊。[江戸]山崎金兵衛板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。『源氏物語』五四帖の名を七五調の美文で綴った大字・三行・無訓の手本。「源氏のすくれてやさしきはその名も高き桐壺よ、余所にて見えし箒木は、われから音になく空蝉や…」で始まり、「…契りあたなる蜻蛉を、おのかしそめの手ならひは、はてもゆかしき夢の浮橋にたゝすみまいらせ候。かしく」で終わる。七五調の文言の末尾が次の文言の冒頭と同音になる、いわゆる「文字鎖」で記されている。このほか、本書後半部に四季の女文八通を収録する。なお、本書前半部を改訂した往来が寛政七年(一七九五)刊『源氏名寄文章』†である。また、江戸後期刊『美屋古路・源氏名寄』†に所収の「源氏物語名寄文」も本書とほぼ同文である。〔小泉〕
◆げんじなよせぶんしょう [1028]
〈頭書絵入〉源氏名寄文章〈詩歌并香名寄入〉‖【作者】高橋尚富書。高井蘭山校。【年代】寛政七年(一七九五)書・刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]岩戸屋喜三郎板(文政四年(一八二一)板)あり。【分類】女子用。【概要】異称『源氏文章』『源氏名寄』。中本一冊。『源氏物語』五四帖の名を七五調で詠み込んだ往来。明和九年(一七七二)刊『源氏かな文章』†の改編版で、「源氏のすぐれて優しきは、その名の高き桐壺や、余所にて見へし箒木は、われから音に啼空蝉や…」で始まり「…契りあだなる蜻蛉は、おのがしそめし手ならひも、はてぞゆかしき夢の浮橋」で終わるように、「文字鎖」形式を無視した改編になっている。本文を大字・五行・付訓で記す。口絵に石山寺および近江八景の図、頭書に「書初詩歌尽」「名香六十一種名寄文字くさり」「仮名の差別」を収める。〔小泉〕
◆げんじひょうびゃくぶんしょう/げんじひょうはくぶんしょう [1029]
〈御家流手習本〉源氏表白文章‖【作者】伝聖覚(安居院)作。由比演徴(琴松亭・琴松館)書(写本)。橘正敬作・書・序(刊本)。【年代】写本は寛政九年(一七九七)書。刊本は文化一三年(一八一六)序・刊。[江戸]鶴屋金助(双鶴堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『源氏物語表白』『源氏供養表白』『紫式部源氏文章』。寛政九年写本は半紙本一冊。刊本は中本一冊。本項目の書名は刊本による。『源氏物語』各帖の名を入れて作った表白文で、寛政七年(一七九五)刊『源氏名寄文章』†とは全くの別文。鎌倉時代の唱道家・聖覚(法然の高弟)が地獄に堕ちた紫式部を救済(供養)するために作ったと伝えるが未詳。文化一三年板の本文は「桐壺のゆふへのけふりすみやかに、法性のそらに至る箒木のよるのこと葉、つゐに覚樹のはなをひらかん空蝉の、むなしき世をいとひてふゆ顔の露の命を観じ、わか紫の雲のむかへを得て…」で始まり、「…南無当来導師弥勒慈尊かならず転法輪の縁として、これを翫ばむひとを安養の浄刹にむかえたまへとなり」で終わる。刊本は本文を大字・五行・付訓で記し、巻頭に『源氏物語』由来や紫式部の小伝を載せる。〔小泉〕
◆げんじものがたりえづくしたいいしょう [1030]
〈児女重宝〉源氏物語絵尽大意抄‖【作者】渓斎英泉画。李園序。【年代】天保八年(一八三七)序・刊。[江戸]和泉屋市兵衛(甘泉堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『源氏物語絵抄』。中本一冊。文化九年(一八一二)刊『源氏物語五十四帖絵尽』の改題本。従来の『源氏物語』注釈書が童蒙には難解なことから、これらの注釈書(『河海抄』『孟津抄』『紹巴抄』『辨引抄』『紫文要領』『僻案抄』『拾芥抄』『仙源抄』等)によりながら、より平易な大意を頭書に示し、各帖にちなんだ挿絵や引歌・香図などを半丁ずつ掲げた絵本。巻頭に『源氏物語』の由来や「近江八景和歌(色刷り)」などの記事を付す。〔小泉〕
◇けんじょものがたり [1031]
〈和漢〉賢女物語‖【作者】芳菊軒某母満作・序。【年代】寛文九年(一六六九)刊。[京都]秋田屋五郎兵衛板。また別に[京都]出雲寺和泉掾(松栢堂)板(後印)あり。【分類】女子用(仮名草子)。【概要】異称『〈和漢〉けんちよ物語』。大本五巻五冊。巻一・二「親孝之部」(「よめいりせぬうちは、ちゝはゝにつかふまつるべきかんようの事」以下九話)、巻三「姑孝之部」(「嫁しては舅姑につかふまつるべき事」以下七話)、巻四・五「夫節之部」(「嫁しては夫に貞節をつくすべき事」以下一四話)の三部・合計三〇話から成る。序文によれば、「いまやうの女は無下にものいひきたなく、作法みだりにして…よろつにつけて、をうなの道にたかへることのみぞおほかる」といった当代の現状を憂えた作者が、和漢の賢女・孝女・貞女の説話によって、父母・舅姑への孝や夫への貞節を諭した絵入り女訓書。孝・貞のために自らの死をもって代償することを随所で美化し、極めて残虐な行為が尊い自己犠牲と正当化する。なお、『本朝女鑑』†や『大倭二十四孝』との関連から、本書の作者を浅井了意と見なす説もある。本文をやや小字・一一行・付訓で記す。〔小泉〕
◆けんぜんさとし [1032]
〈啓蒙〉健全さとし‖【作者】坂本秀岱作。村田海石(邨田海石)書。横尾謙序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]秋田屋太右衛門(田中太右衛門・宋栄堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈啓蒙〉健全のさとし』『〈童蒙〉健全さとし』『健全の教』『健全喩』。半紙本一冊。健康管理・養生についての心得を記した教科書。まず、志を成し遂げるには身体の健康が最も重要であり、養生第一の生活を心掛けることを冒頭に述べ、続いて、食物・食生活・喫煙・飲酒など二〇カ条に及ぶ教訓を羅列する。本文を大字・四行(巻末付録は八行)・付訓で記す。巻末に「猥リニ薬ヲ服スベカラザル事、并ニ医者ヲ撰ムベキ事」の記事を載せる。〔小泉〕
◆げんぺいこじょうぞろえこうしゃく [1033]
〈児読〉源平古状揃講釈‖【作者】高井蘭山注・序。【年代】文政五年(一八二二)作・序。天保一三年(一八四二)刊。[江戸]岡本利助(文盛堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『源平古状揃講訳』『〈児読〉源平古状揃証註』。大本一冊。寛文一〇年(一六七〇)刊『武家往来』†や元禄一四年(一七〇一)刊『盛衰記源平往来』†の流れを汲む古状型往来。ほとんど同文のものから、同一主題ながら全く別文に書き替えたものまであるが、『武家往来』上・中巻から抜粋した一一状に、冒頭の「頼朝配流之時、重盛自筆之一通」を増補した合計一二状を収録する。書名のように、源平の勢力の盛衰に大きく関わる古状(ただし一般の『古状揃』†に所収の古状は一切省く)を中心に配列するのが特徴。蘭山は自序で、「源平状は『古状揃』に比すれば、同じ俗文ながら大に優れり」と述べており、それら「源平状」を当時流行した「経典余師」の体裁にならって施注したものである。各状を数段に分けて行書・大字・八行・無訓で記し、段毎に割注を施し、さらに、頭書に楷書・小字・付訓の本文を再録して読方を示す。注釈内容は詳細で、人物の出自・事跡や歴史的背景にも言及して、各状が子どもに的確に理解されるように工夫する。〔小泉〕
◆けんやくすえのさかえ [1034]
〈御免〉倹約末乃栄(初・二編)‖【作者】山田野亭(好花堂・好華堂・案山子・大和屋圭蔵・得翁斎)作・序。【年代】天保一三年(一八四二)序。天保一三・一四年刊。[大阪]塩屋喜兵衛蔵板。伊丹屋善兵衛売出。また別に河内屋平七板あり。【分類】教訓科。【概要】異称『末の栄(末の栄二編)』『〈御免〉倹約末乃栄二編』。中本二編二冊。石田梅岩作『〈倹約〉斉家論』の主旨に基づき、質素倹約のあらましを童蒙向けに解説した教訓書。初編は「かけまくも恐惶(かしこき)吾大君の御代泰平にて、万民枕を高うし無事安楽に今日を送る事は、全く公の御政、三綱五常の道明に、尊卑の品を正し給ふ故なり…」で始まる文章で、まず国恩の多大なことやそれに対する報恩としての質素倹約を諭し、質素倹約の義理とその実践例(例えば、三食の内容や分限に応じた衣服など)を順々に説き明かす。頭書には「いつまでもわすれず守れ倹約を、身をあんらくにする宝なり」で始まる「倹約いろは歌」や、箇条書きの諸教訓「渡世たとへ艸」を載せる。また、二編は初編の補遺で、「盛代の仁風いたらぬ里もなく、偃靡(のべふしなびく)民艸の、千戸万戸鎖(とざし)を忘れ、枕を高うし、報腹(はらつづみ)して、兵乱塗炭の艱苦を知ざる事二百余年、泰平の日久しければ…」で始まる文章で同様の教訓を展開する。二編の頭書には七五調で綴った「倹約臼引歌」を掲げる。本文を大字・五行・付訓で記す。両編とも刷外題・色刷表紙で、同体裁で編んだ本書の姉妹編に天保一三年刊『〈御免・質素倹約〉現銀大安売』†があり、本書にこの姉妹編を合わせ三巻三冊とした改題本に明治二五年(一八九二)刊『長者之弗箱』†がある。〔小泉〕
◆けんれいこくゆしょ [1035]
〈小学必読〉県令告諭書‖【作者】松田道之述。【年代】明治六年(一八七三)刊。[滋賀]滋賀新聞会社板。【分類】社会科。【概要】異称『告諭管下人民書』。半紙本一冊。明治六年二月の滋賀県令・松田道之の告示を手習い手本としたもの。人間としての本務は県下名所における小学校設立の趣旨を人民に告諭した天思に答えることである、そのためには人たるの道を尽さなければならないというように、まず人たるの所以を述べ、この目的を達成するための学問の重要性、そして、学問が生活や家業に不可欠であることや、特に女子に学問をせず遊芸のみ教えることの害悪などを諭す。そして、子弟の教育は父兄・子弟・官それぞれの責であることをよく自覚して、田舎を去り、日新の大事業のために努めよと説く。本文を大字・四行・無訓で記す。見返に「五十韻」「九九之数」を掲げる。〔小泉〕





◆こうえきようぶんしょう [1036]
広益用文章‖【作者】不明。【年代】貞享五年(一六八八)刊。[京都]杉原勘七郎ほか板。また別に[大阪]毛利田庄太郎(森田庄太郎・本屋・崇文軒・文栄堂)ほか板(後印)、[東京]蘭斎板(明治期後印)あり。【分類】消息科。【概要】大本四巻四冊(三巻・付録一巻)。漢語を多用した書翰文と頭書に本文中の要語の類語・類句を多く掲げた用文章。上巻には「年頭祝儀献貴人状」以下二六通、中巻には「重陽送菊乞詩作状」以下二六通、下巻には「饗貴人時催蹴鞠状」以下二四通、合計で七六通の例文を収録する。主として上巻が一月〜八月の季節の手紙、中巻が九月〜一二月の例文と吉凶事に伴なう手紙、下巻が諸事に関する手紙である。本文を大字・四行・付訓(漢語に左訓)で記す。また、附録一巻は内容が豊富で、前半に「草木」「衣服」「飲食」「魚鱗」「介貝」「諸蟲」「禽獣」「諸獣」「器財」「姓氏」「百官」の一一の字尽(語彙をイロハ順に配列)を載せ(字尽部分は楷書・小字・一〇行・付訓(稀に左訓))、さらに「書札寸法並書様」から「制札・高札之作法」までの書簡作法全般を説く。〔小泉〕
◆こうえつこじょうぞろえたいぜん [1037]
甲越古状揃大全‖【作者】倉鼠陳人作。歌川芳綱(一登斎・一燈斎・一東斎)画。横山有裕書。【年代】嘉永四年(一八五一)書。安政二年(一八五五)刊。[江戸]蔦屋吉蔵(紅英堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『甲越古状揃』。大本一冊。序文によれば「中昔甲斐・越後なる高名の武士来復の古文数通」を校訂して編んだもので、流布本の『古状揃』†とは全く異なる。甲州の武田信玄と越後の上杉謙信にまつわる古状を集め、「祝贈謝状(武田信虎朝臣、信玄誕生之時、被謝今川家祝贈書)」から「義輝公輝虎注進状・同返書」までの一九状を収録する。最初の九状は信玄の出自から台頭の経緯、第一〇・一一状は謙信の幼少から出世まで、さらに第一二状以下八状は信玄と謙信の戦闘というように、両将の生涯や甲越戦争の歴史的経緯が分かるように構成する。本文を大字・六行・付訓で記す。頭書にも詳しい解説や挿絵を置き、これら一連の歴史が的確に理解されるように工夫する。巻頭に「両将迫戦図」と合戦の舞台となった川中島周辺の絵地図を掲げる。〔小泉〕
★こうえつこせんじょうおうらい [1037-2]
甲越古戦場往来‖【作者】酒井英月作・跋。玉橘亭文麟画・序。上林東月書。【年代】慶応二年(一八六六)作・序・書。【分類】地理科・歴史科。【概要】中本一冊。戦国末期、甲斐・武田信玄と越後・上杉謙信の合戦の舞台となった川中島辺(信濃国更級郡・埴科郡)の地理と故事来歴を記した往来。「過つる三五の夜は、姨捨山(姥捨山)に月を眺て、流石に長き秋の夜を、暁早しと惜しも、心の止る古戦場、巡徊の事は長き望の長月十日…」と筆を起こして、ゆかりの伝承を列挙しながら各古戦場や周辺の地名を紹介する。所々「かむはしき花も実もある武士を、鬼小島とは誰やいふらむ」のような古歌を引くのも特徴。末尾は、戦乱にあけくれたかつての古戦場が、今や「田毎に苅に早稲・晩稲、皆豊作を賑ひて、民の家居煙り立つゝくもゆかしく、誠に愛度君が代と、誰人が是を仰ざらん哉」と結ぶ。神社仏閣の名称や参詣日等にほとんど触れずに古戦場を中心に記述する点で歴史科往来の様相を呈するが、巻末に「川中島八景(千曲川帰帆・海津晴嵐・八幡原夕照・典厩寺晩鐘・勘助宮夜雨・猫ヶ瀬落雁・妻女山秋月・茶臼山暮雪)」の挿絵(文麟画)とその風景を詠んだ和歌(英月作)と俳句(文麟作)を掲げるように、地理科往来の特殊型と位置づけられる特異な往来である。本文をやや小字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こうおんちどくろく [1038]
〈幼稚教訓〉高恩知独録‖【作者】川部天受(玉園・成和子)作・序。谷輔長(止斎)画。【年代】文久二年(一八六二)序・刊。[大阪]伊丹屋善兵衛ほか板。【分類】教訓科(心学書)。【概要】半紙本一冊。生涯にわたる父母の高恩を述べ、その恩に報いるための孝のあり方を一孝子の事跡を通じて示した教訓書。前半では、懐胎十月から手習い学問・諸芸の教育、そのほか諸般にわたる両親の大恩について切々と説き、それに対する報恩としての孝行が実行し難いことを自己の反省を含めて述べる。続く後半では、日野鍛冶町の孝子・善次の行状や寛政一〇年(一七九九)に領主から襃賞されるまでの経緯などを縷々紹介する。本文を小字・一〇行・付訓で記す。なお、本書の挿絵を担当した止斎は善次の同郷人という。〔小泉〕
★こうがくにゅうもん [1038-2]
皇学入門‖【作者】杉浦挂作。【年代】明治二年(一八六九)刊。[京都]蓍屋嘉助(中西嘉助・松香堂)ほか板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。五字一句の『実語教・童子教』†形式で、「入学ノ幼童ニ皇道ノ大意ヲ教」えた教訓書。「上世神皇道、万機先神事、自余政為後、以武建国基…」から始まり、「…今為入門童、書皇学一端、日々勤習読、必勿敢妄失」と結ぶ五言四五二句の文章で、神代から平安朝までの皇国史や、皇学入門者が学ぶべき典籍(『古事記』『万葉集』『六国史』等)や学問の順序(皇学・漢学・洋学)を説き、「イロハ」によらず「五十音」を学ぶべきとする学習心得にも言及する。本文を楷書・大字・六行・付訓で記す。見返しに「下京二拾四番組学校挂杉浦著蔵」と記す。また、裏表紙見返しに「皇学入門詳解、追刻」と案内するが、出版の事実については未詳。〔小泉〕
◆こうかんしょうばいおうらい [1039]
〈両点附〉広完商売往来‖【作者】文花堂槐山作。【年代】嘉永三年(一八五〇)刊。[江戸]近江屋太吉(生花堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『〈大広完〉商売往来』。中本一冊。堀流水軒作の元禄七年(一六九四)刊『商売往来』†を基本に語彙を大幅に増補したもの。「凡、生商売家可取扱文字員数…」で始まり、帳簿関連、通貨・両替、穀類、運送、商品作物、茶・紙・醸造品、加工品、文具、化粧具、玩具・細工物、手回品、金物・大工道具、農具、材木、家屋、呉服・絹布類、衣類・染色・紋所、武具・馬具、家財・雑具・食器・履物等、船具、漁業用具、薬種・香具、菓子、絵具、製薬、鳥・魚・獣・虫類、海草・青物・果実・草花類、諸国名産品、諸職等の語彙を列挙し、最後に商家子弟の心得(学問・諸礼・芸能・店内清掃・接客その他)を綴って締め括る。中でも、衣類・家財類・薬種類・武具類・鳥類・魚介類・諸国物産等の語彙が極めて多く、このうち、諸国名産の記述は寛文九年(一六六九)刊『江戸往来』†をそっくり模倣したものである。本文を大字・五行・両点形式(音訓を併記)で記す。また、本書冒頭部(一〇丁まで)に頭書欄を設け、「初登山手習教訓状」と「名字尽」を掲げる。〔小泉〕
◆こうきょうえしょう [1040]
〈児訓〉孝経絵抄‖【作者】不明。【年代】正徳四年(一七一四)刊。[京都]銭屋治兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『孝経児訓』。大本一冊。『孝経』本文を楷書・大字・五行・付訓の手本様に記し、頭書にその注釈を置いた往来。本文の随所に「勧学図」「曽子待座図」「天子御孝図」「諸侯孝図」「卿大夫孝図」など二五葉を載せる。また、巻頭に「酒醸千家味、船行万里程」図、「孔子像」等を掲げる。〔小泉〕
◆こうきょうしずがしおり [1041]
孝経賤が枝折‖【作者】中村忠亭(正尊)作・跋。辛島塩井(憲・伯彜・才蔵)序。【年代】天明七年(一七八七)序。寛政元年(一七八九)刊。[大阪]柏原屋与左衛門板。また別に[熊本]吉文字屋勘右衛門板あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『孝経』の「用天之道、因地之利、慎身、節用以養父母、此庶人之孝也」の教えをもとに、庶民子弟の孝として自らの家業に出精することを諭した絵入り教訓書。末尾に職人や商人の心得を若干述べるが、本文の大半は農民に即した生活教訓で、町人も同様に心懸けよと教える。まず、生活基盤である土地は君主のものであり、君主の広大な恩顧に応えるように昼夜精勤して年貢を納めよと述べ、さらに、公法の遵守、労働時間の延長、凶作への備え、庄屋の心得、旱魃・火災や冠婚葬祭時の相互扶助、宗旨と信仰のあり方について、『農家訓』『教訓竹馬歌(竹馬歌)』†等を引用しながら説く。本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こうきょうどうじくん [1042]
孝経童子訓‖【作者】上河淇水作。下河辺拾水書・画。【年代】天明元年(一七八一)刊。[京都]山本長兵衛板。【分類】教訓科(心学書)。【概要】大本一冊。石門心学者による往来物・心学書の一つ。本文は文字通り『孝経』の平易な和解で、『孝経』本文を一、二句毎に大字・六行大・付訓で記し、続いて、字下げした小字・二行割注様の注釈文で字義や各句の大意を詳述する。本書は付録記事が多彩で、巻頭に「前訓の図」「書学之図」「文房之図」を掲げ、頭書に手島堵庵作「前訓」を始め、「小笠原流躾書抜粋(三〇カ条)」「婚礼巻抜粋」「初学新用文章(消息例文・証文手形文例五二通と目録その他書法)」「童子日用字類(諸道具・衣服織物・諸木・草花・野菜・諸魚并貝・諸鳥・諸獣・諸虫の九分類の日用語集)」「大日本畿内七道国名」「諸姓氏抜粋」「男女俗称字類」「算法略記」「小児病名略」を収録するほか、巻末にも「日本年代略記」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆こうけいこじじょどうきょうくんしょ [1043]
蒿蹊居士女道教訓書‖【作者】伴蒿蹊(伴資芳・庄右衛門・閑田子)作。福羽美静(美黙・百之進・木園・硯堂・鴬花園・弾琴亭・一清亭)書。【年代】寛政四年(一七九二)作・書。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。寛政四年八月に六〇歳の蒿蹊が於石・於政のために記した仮名文の教訓。「嫁入を帰るという所以」「さりげない賢女」「嫁入りする子とその親の心得」「堪忍と驕り」「忠恕と義理」「神仏の御心にかない道を守るが第一」「女子の任務と芸能」の七項を簡潔に説く。本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こうこううた [1044]
孝行歌‖【作者】紫笛翁(如雲舎・新右衛門・拙堂)作。藤井しう書。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「父母の深きめぐみを報ふには、此身のうへをたづね見よ…」で始まる七五調美文体で、父母の恩や孝行を説いた往来。概ね文化九年(一八一二)刊『孝行和讃』†同様の文章で綴る。わが身が存在する所以は両親のお陰であり、その恩は筆舌に尽くし難いこと、また、出生後の養育に伴う親の辛苦や慈悲、従って不孝の罪の重いこと、また、孝行のあり方などを教え諭す。本文をやや小字・七行・無訓で記す。なお、本書と同様の往来に天保九年(一八三八)刊『〈童子必読〉孝行道しるべ』†がある。〔小泉〕
◆こうこうおうらい [1045]
孝行往来‖【作者】小川保麿(玉水亭)作。西川竜章堂書・序。【年代】天保六年(一八三五)序・刊。[京都]吉野屋仁兵衛板。また別に[大阪]河内屋茂兵衛ほか板(後印)、[京都]須磨勘兵衛(弘簡堂)板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。主に『孝経』によりながら孝行のあらましを諭した往来。まず、「人間第一之勤而徳之本」である孝行の重要性と必然性を説き、胎内十月から出生後の養育の高恩、そして身体を大切にすることや父母の仰せに従うことなど、幼時からなすべき孝について縷々述べる。さらに、約束厳守、分限、一家和合、家業精励、公儀遵守などの善行が全て孝に含まれることや、女子三従・七去など生涯にわたる孝・不孝について説く。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に楠木正成・楊香・美濃の孝子の挿絵・記事を掲げるほか、本文中にも孝や不孝を題材にした挿絵数葉を載せる。〔小泉〕
◆★こうこうぐさ [1046]
〈文政新版・童子教訓〉孝行種‖【作者】鼻山人作。【年代】文政七年(一八二四)刊。[江戸]岩戸屋喜三郎板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『童子教訓孝行種』。中本一冊。父母から恩恵とそれに報いる孝行のあらましを諭した往来。「凡、人の子たるもの一人として父母の慈悲を請ざるはなく、其大恩の難有を知ば、先第一、孝行に可致事肝要也…」と起筆して、全ての人間は父母の慈悲を受けており、孝行が当然なこと、また、「御袋」という言葉の由来や父母の養育の大恩、親の言葉に従うべき必然性、色欲と酒毒の戒め、正直・勤勉に生きるべきことなどを説く。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「硯のはじまり」「墨のはじまり」「筆のはじまり」「紙のはじまり」などの記事を載せる。〔小泉〕
◆こうこうぐさ [1047]
〈童子教訓〉孝行種‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸か]東泉堂板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。『子供早学問(童子早学問)』†の改編・改題本の一つ。表紙とも四丁の小冊子で、『教訓早心学』†と同体裁。「忠義は末代の出世の手本」以下四四カ条を本文上段(大字・六行・付訓)に掲げる点は『教訓早心学』と同様で、本文下段の割注等は割愛し、代わりに父母の養育の恩を諭した教訓文を置く。表紙には「人は只人のあしきをかゝみにて、その身のゆがみなをせよ」など五首、巻末には「はへは立たてばあゆめと子におやは、おのれかとしの老をわすれて」など四首の教訓歌・川柳を載せる。なお、後半に『〈小笠原流・男女諸礼〉しつけがた』を合綴するが、これは安永六年(一七七七)刊『〈小笠原流・男女諸礼〉しつけかた』†と同内容の本文(しつけがた・心要集)を小字・一四行・無訓で記す。巻末に「小笠原流折方」の図解を付す。〔小泉〕
◆こうこうぐさ [1048]
〈童子教訓〉孝行種‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]大宗板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。『〈童子教訓〉孝行種』『〈男女教訓〉心要集』『〈男女諸礼〉しつけかた』の三本を合綴した往来。前項同様だが収録順序など一部異なる。『〈童子教訓〉孝行種』は、「身体髪膚を父母に受、先、胎内にやどりてより十ヶ月が間のかんなんくろう、うまるゝときにのぞみてもいたみくるしむふしや、ほねもくだくとおもふほど気もうしなひ…」で始まる教訓文で、金言や道歌を引きながら父母の高恩とその報恩としての孝行のあらましを述べたもの。『〈男女教訓〉心要集』は、「まつ正直を元とせば、神のめぐみもふかゝらん、おやにたてつき不孝すな、気をわがまゝに持あまし、せけんのほうをやふるなよ…」のような七五調の文章で忠孝・五常、その他処世訓を説いたもの。『〈男女諸礼〉しつけかた』も同様に「夫、人は天地の神也、かるがゆへに、仁義礼智信を本とせよ、中にも礼儀は猶おもし、其身いやしくもちなさず、世のはづかしめをしらざるは…」と起筆して、食礼・給仕方礼法、座礼等の作法や人前での嗜みなどを記したもの。巻末に「小笠原流折方」の図解を付す。後二者は、安永六年(一七七七)刊『〈小笠原流・男女諸礼〉しつけかた』†とほぼ同内容。本文を小字・一五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こうこうしょうしくん [1049]
孝行小子訓‖【作者】宣契作。【年代】文政九年(一八二六)刊。[庄内大山]専念教寺板(諦琳施印)。【分類】教訓科。【概要】異称『孝行和讃』。大本一冊。『孝行和讃』†の改題本(外題のみ変更)。『孝行和讃』の本文を大字・四行・付訓で記すが、「劣れり」を「おどれり」、「恥しめおかれたり」を「恥しめおがれたり」、「よろこばせ」を「よろごばせ」とするなど方言が目立つ。また、『孝行和讃』が化政期に寺院の施板を中心に全国規模で普及したことを示す一例でもある。〔小泉〕
◆こうこうすずめ [1050]
〈子供遊・親手助〉孝行雀‖【作者】不明。【年代】天保一〇年(一八三九)刊。[京都]堺屋仁兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈子供遊・親手助〉孝行すゝめ』。半紙本一冊。孝子伝や教訓歌などを集めた絵入り教訓書。@近江国木村朝治・楠木正成・源為朝などの孝子小伝・忠臣伝・武勇伝、また、A『観音経和談抄図会』から抜粋した建仁寺・東鋭大和尚伝、さらに、B『実語教』†より「父母如天地」「師君如日月」「神明致再拝」「見善者速行」「人者死留名」の五句を抽出して解説した「実語教五訓」や、Cその他教訓歌・古歌などを収録する。上段に解説文を小字・一六行・付訓で記し、下段を見開きの挿絵とする。〔小泉〕
◆こうこうたんか [1051]
〈浦野鋭翁編輯〉孝行短歌‖【作者】浦野鋭翁作。三浦弘夫序。菊池晁塘書。佐藤平跋。【年代】明治七年(一八七四)序・跋・刊。[静岡]松井銀吉(後凋堂)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本二巻二冊。『孝行和讃』†同様に七五調の文章で孝行を説いた教訓。本文の一部に『孝行和讃』を引用する。まず孝が百行万善の源であること、男女・貴賤に限らず孝行を尽くすべきことなどを述べ、続いて日常生活のおける孝行の具体例を縷々説き、さらに上巻後半はもっぱら婚姻と嫁入後の女性の心得について述べる。また下巻も女性に対する教訓から始まり、子や夫への愛情にひかれて孝を忘れてしまうことを戒め、子を持つ者は一層の孝を尽くすべきことを諭す。さらに、舅姑への孝、また自らの行為を子が見習うことや、親への諌言、舅姑亡き後の供養、夫への内助、女子三従、最後に孝行を一期の務めとすべきことを述べて締め括る。本文を大字・四行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆★こうこうたんか [1052]
〈児童〉孝行短歌‖【作者】不明。【年代】文化一四年(一八一七)以前刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『児童孝行短歌』『幼孝行短歌』。半紙本または大本一冊。『孝行和讃』†をベースにして同趣旨・同傾向の教訓を説いた往来。「夫、人と生るゝものは孝行の、道をはじめにまなふへし、おやに不孝のともがらは、鳥獣にもおとれりと、古人はいやしめ置れたり…」で始まる七・五を一句とした全一五三句から成る。『孝行和讃』同様に孝行の大意と童蒙の心懸けなどを平易に説く。刊本は本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。また、文化一四年写本(東山亭鯉秀書)の自跋には「此短歌は児童にそらよみさせて、流行うたを口すさむやうにあらば、成人の後、道を学ふの一助ともならん事を欲し、世のあざけりをかへりみす、梓にのほせて、多く童蒙に与ふる而已」とあるが、刊本(無刊年)にも全く同じ跋文を付すため、文化一四年写本は刊本の写しと思われる。なお天保九年(一八三八)写本(小泉本)は外題を『幼孝行短歌』とする。〔小泉〕
◆こうこうてびきうた [1052-2]
孝行手引歌‖【作者】霊応作。【年代】文政九年(一八二六)刊。[尾張]法順(白山本地堂)施印。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。尾張萩白山・沙門霊応作の孝行教訓書。全五丁の小冊子で、白山本地堂(法順)による施板。「夫、今大事を告しらす、耳をすまして聞つべし、此世はかりの宿なれど、心やさしく身をやすく、すごして暮す人こそは、人に生れし思出よ、人に生れししるしには、人たる道を学び知れ、其道いかにと尋ぬれば、親に孝行つくす道…」のように、七五調の文章で、孝行のあらましを示す。親の心を安らかにしないばかりか、衣食も乏しく捨て置くのは禽獣以下であり、不孝者に開運・出世は期待できず、また女子の場合、孝行らしい孝行が出来るのは嫁入り前の四、五年であるといった心得を順々に諭し、孝行の道も「浄土のたのしみ」を享受するためであると締め括る。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こうこうのさとし [1053]
孝行のさとし‖【作者】不明。【年代】明治六年(一八七三)以降刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『勧孝邇言』。半紙本一冊。明治六年刊『勧孝邇言』†の上篇のみ(すなわち一〇丁オまで)を抽出して改題した海賊版。本文(大字・五行・付訓)のみで序文等は一切ない。題簽下部に「分同士/売買禁」と二行で記すことから、特定地域の小学校生徒用に醵金して上梓したものか。ちなみに、小泉本の裏表紙に「林石学校生徒、中根某」と記す。〔小泉〕
◆こうこうのさとし [1054]
孝行のさとし‖【作者】藤原邦寧の母書・跋。【年代】明治七年(一八七四)跋・刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。『六諭衍義大意』†より「孝順父母」の章だけを抜粋した(末尾の漢詩文は省略)陰刻手本。本文を大字・五行・無訓で記す。筆者識語に「そも此文はしも人と生れて父母につかふるの道、いとまめやかにさとし、こよなく愛たき文にしあれは、世にひろく学の子等にもと、明治七とせといへる春、藤原の邦寧の母齢七十まりにしてしるす」とある。なお、本書と同内容・別板の『孝行乃さとし』(斎藤貫之校。本文は楷書・大字・四行・付訓)が明治八年に静岡書肆・雁金屋銀吉(後凋堂)によって刊行されている。〔小泉〕
◆こうこうみちあんない [1055]
孝行道案内(初編)‖【作者】宇喜田小十郎作。【年代】明治七年(一八七四)刊。[京都]村上治平ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈宇喜多小十郎著〉孝行道案内初編』。半紙本一冊。「子ども衆たち、能(よく)聞たまへ、其許(そのもと)の骸(からだ)は父母の産出したまふ骸にして…」と書き始めて、父母の養育の辛苦と高恩、また孝行の基本などを説いた教訓。本文の所々に当時の風俗を反映した挿絵(遊戯、登校、孝行、手習い等)を掲げる。本文をやや小字・九行・付訓で記す。本書の表紙・首題・柱等に「初編」と記すが二編以降の出版は未詳。〔小泉〕
◆こうこうみちしるべ [1056]
〈童子必読〉孝行道しるべ‖【作者】寺沢思明作・書。【年代】天保九年(一八三八)書・刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「父母の、ふかき恵を、むくふには、此身の上を、たつね見よ、ちゝあらされは、生れ得す、はゝあらされは、やしなはす…」で始まる七五調の文章で、母の出産の苦しみや父母の養育の高恩を説き、親孝行のあり方を諭した往来。『孝行歌』†とほぼ同内容。本文を大字・六行・無訓で記す。末尾に「親よりもうけしからたをいかにまた、ほね身をしみてつかへさらなん」の教訓歌一首を置く。刷外題・仮綴じの小冊子で、田舎板の趣を有する。〔小泉〕
◆こうこうみちのしおり [1057]
孝行道乃栞‖【作者】平野橘翁(重猷)作。華所(花所)隣春画。【年代】江戸後期刊。[江戸]刊行者不明。【分類】教訓科(心学書)。【概要】異称『事親講義』。半紙本一冊。親孝行の意義を説き、孝子の事跡から孝の具体例を諭した教訓書。まず、天心を具えた万物の霊長たる人間が、不忠・不孝であるのはまさに「人面獣心」にほかならないこと、そして、親孝行は「最上広大の徳」かつ「百行の源」「万善の長」であることを説き、次に孝道の趣旨について神・儒・仏の教えを織り混ぜたり、諸書からの金言・名句を引きながら述べる。また、父親の「抜苦の慈の教訓」と母親の「与楽の悲の哀憐」の二つから子を思う親の心を諭し、親心を察することの難しさを日伝(日蓮宗の説法者)らの例から説き、最後に入牢中の父親の身代わりになろうとした孝子・伝之助の孝行話を紹介する。本文をやや小字・九行・付訓で記し、本文の所々に和歌や解説を割注形式で挿入するほか、宋・劉元など三人の孝子説話および挿絵を掲げる。〔小泉〕
◆こうこうみちびきぐさ [1058]
〈嬰児〉孝行導草‖【作者】不明。【年代】文化九年(一八一二)以降刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『孝行導艸』『孝行道引草』。半紙本一冊。文化九年刊『孝行和讃』†の改編版。『孝行和讃』(七・五を一句とする全一一二句)の随所に増補・改編を加えた全二〇一句から成る。例えば冒頭五句は『孝行和讃』と同様だが、第六句以降に「烏に反哺の孝」「鳩に三枝の礼」など鳥獣における礼や孝について述べた一八句を増補したり、他の部分でも忠義や孝以外の人倫に触れるなど生活教訓全般に重点を置くのが特徴。本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。巻末に「箸とらば天地(あめつち)御代の御恵み、主君や親の御恩あぢわゑ」以下三首の教訓歌を載せる。〔小泉〕
◆★こうこうめだしぐさ [1059]
〈頭書絵入〉孝行萌草‖【作者】関口藤右衛門(梧桐庵・東園)作・書・跋。緑亭川柳序。関口金水(秋実・東作・士華)序。【年代】天保一四年(一八四三)作・刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『孝行萌艸』。中本一冊。永年寺子屋師匠を務めた著者(八〇歳)が書肆・山口屋(著者の外孫という)の求めに応じてまとめた往来物。本書は「和讃」調ではないが『孝行和讃』†と同趣旨の教訓で、『孝行和讃』の文言を借りながら不孝者は禽獣以下であること、孝の基本は親を喜ばせ苦労をかけないことなどを述べ、以下、日常生活における孝のありようを具体的に諭す。本文を大字・四行・付訓で記す。頭書に「士農工商の役割」のほかに「忠孝の諸説」と題して天明〜天保(一七八一〜四四)頃の孝子・孝女の行状六例を紹介する。その多くが天保一三年と著作年代に近い時期で、また江戸・神奈川と近辺の実例であるのが特徴。巻頭に、読書指南する著者の肖像画を掲げる。〔小泉〕
◆こうこうわさん [1060]
孝行和讃‖【作者】宣契作。【年代】文化九年(一八一二)刊。[京都]覚蓮社板。【分類】教訓科。【概要】異称『孝行小子訓』『孝(行)のはしがき』『孝行和訓』『孝諭』『孝行短歌』。特大本または大本一冊。孝行の徳や重要性を説き、その実践を励まし、さらにこれをもととして親子・夫婦・親類など一家和合をはかるべきことを、七五調・美文体で綴った教訓。「それ人間と、むまれては、まつ孝行の、道をしれ、おやに不孝の、ともからは、鳥けた物にも、をとれりと…」で始まり、「神めいふつた、せいけむの、をしへをまもり、かうを、一期をこたる、事なかれ」と結ぶ一一二句(七・五を一句とする)から成る。刊年の明らかなものとしては文化九年の覚蓮社板が最初だが、同書跋文によればそれ以前から施本としてかなり普及していた事実が分かる。蓮社(浄土宗系の組織)を中心に特大本・大本・半紙本・中本・小本など種々刊行されたほか、本書をアレンジした類本が明治期まで数多く作られた。ちなみに、本書の影響下に生まれた諸本を列挙すると、@改題本では文政九年(一八二六)刊『孝行小子訓』†や明治一六年(一八八三)刊『孝諭』†、A簡略版・増補版・改訂版等では文化一三年刊『〈児童〉孝行短歌』(『肝要工夫録』†所収)、文政一三年刊『孝の道』†、嘉永六年(一八五三)刊『孝の道』†、江戸後期刊『〈嬰児〉孝行導草』†、同『孝のかけはし』†、同『孝の道』†、明治二年刊『孝の道』†、B多少の影響が認められるものでは、文化二年刊『伊呂波教訓』†、天保三年(一八三二)刊『孝の道しるべ』†、天保九年刊『〈童子必読〉孝行道しるべ』†、天保一四年刊『孝行萌艸』†、江戸後期書『孝行歌』†、明治七年刊『〈浦野鋭翁編輯〉孝行短歌』†、明治二五年刊『修身教育の要』†等がある。なお、著者・宣契については、天保四年(一八三三)刊『〈民間童蒙〉孝行和讃』に詳しい。〔小泉〕
◆こうこうわさん・えんこうだいしごでんもん・たねまきかがみわさん・ほこりたたき [1061]
孝行和讃・円光大師御伝文・種蒔鑑和讃・ほこりたゝき‖【作者】不明。【年代】文化九年(一八一二)以降刊。岡安某施印。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『孝行和讃』†『ほこりたゝき』†など外題に示された標記四編に『東照宮台諭』や教訓歌などを合綴した仏教系の童蒙教訓書。うち『孝行和讃』†および『ほこりたゝき』†は同項参照。また、『元祖円光大師御伝文』は、「南無阿弥陀仏」の六字の名号の意義を述べたもの。『善悪種蒔鑑和讃』は、「凡、此世へうまれては、貴賤・貧福をしなへて、無病ながいき銭金を、誰しも願ふことなれど…」と筆を起こして因果の道理について種々諭し、善根功徳や親孝行を説いた和讃(七・五を一句とする全五一八句)。房州日本禅寺の寂庵の作という。また『東照宮台諭』は、「人の一生は重荷を負て遠道を行がごとし…」で始まる有名な教訓文である。それに続けて一休和尚以下一八名による教訓歌を載せる。いずれも本文をやや小字・一一行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こうこくかんしょうめいづくし [1062]
〈習字〉皇国官省名尽‖【作者】柳田正斎(貞亮・定・節夫・仲静・定蔵)書。【年代】明治四〜九年(一八七一〜七六)刊。[磐前県]磐前県蔵板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。磐前県が上梓した習字手本。明治初年の官名・省名などを楷書・大字・二行で記したもの。太政官・省名・寮名・司名の四部に分けて、太政官から郷村社までの名称を列記する。磐前県は明治四〜九年に置かれた県で、後、福島県と宮城県に併合されたため、本書の刊年は上記の五年間となる。〔小泉〕
◆こうこくかんめいし [1063]
皇国官名誌〈一名職員令〉‖【作者】深沢菱潭(忠寛)作・書。【年代】明治五年(一八七二)刊。[東京]菱湖堂ほか板。また別に[東京]書学教館板、[大阪]書籍会社板あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈皇国〉官名誌』。半紙本一冊。明治初年の官名を列記した手本。太政官以下、教部省・外務省・陸軍省・海軍省・文部省・工部省・司法省・宮内省および開拓使、府県の順に諸官庁における官名を楷書・大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こうこくきかん [1064]
〈楠公遺書〉皇国亀鑑‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]書学教館蔵板。磯部屋太郎兵衛ほか売出。【分類】教訓科。【概要】異称『皇朝亀鑑』。半紙本一冊。「楠公壁書」「遺訓」「遺書」などを収録した手本。「壁書」は楠木正成の家訓に仮託して編んだ教訓で、忠・孝・仁・義・礼・智・信、その他の人倫を説いたもの。「遺訓」も正成がわが子に綴ったとする教訓で、忠義を貫くべきことなどを切々と綴る。「遺書」は建武三年五月に正成が楠庄五郎宛てに書いたとする遺書で前記同様の教訓。いずれも本文を大字・三行・所々付訓で記す。巻末に「無題」「遠山落葉」など五題の和歌(五首)を載せる。〔小泉〕
◆こうこくぐんめいし [1065]
皇国郡名志‖【作者】藤原守光(桂華園)作・序。大月忠興校。【年代】明治四年(一八七一)序・刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】地理科。【概要】中本二巻二冊。「国郡全図ノ要ヲ摘抄」した教科書。畿内八道毎に国名・郡名を楷書・大字・六行・付訓で記し、これに村名等を付記し、さらに頭書に各地の沿革、行政管轄区域の変更などを注記する。地名には藩地・城地、県、陣屋、元関所、宿駅、神社・仏宇、名所旧跡を符号を付けて区別する。上巻に山城〜丹波、下巻に丹後〜樺太を収録する。〔小泉〕
◆こうこくぐんめいし [1066]
皇国郡名志‖【作者】鈴木諒太郎(暢・竹湾)作・序。金子梅渓校。【年代】明治七年(一八七四)序。明治一〇年刊。[鴻巣]長嶋為一郎(盛化堂)板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。文部省編『日本地誌略』によって畿内八道八四国別に七一七の郡名を列記した教科書。半丁に楷書・やや小字・九行(界線)・付訓(片仮名)で、国名・郡数・郡名の順に記す。稀に古名や呼称の異同など簡単な注を施す。末尾に琉球の島名・地名を列挙する。〔小泉〕
◇こうこくさんじきょう [1067]
皇国三字経‖【作者】不明。【年代】明治六年(一八七三)頃刊。[名古屋]愛知週報(愛知週報第八号付録)。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。『三字経』†形式で神武天皇から近代初頭の廃藩置県までの皇統を主とする歴史を略述した往来。本書と同内容の往来に明治初年刊『皇朝新三字経』†があり、本文を楷書・大字・五行・無訓で綴る点は同様だが、本書は第一丁冒頭に「愛知週報…」を置くため、『皇朝新三字経』とは各丁とも一行ずつずれる結果となった。〔小泉〕
◆こうこくさんじし [1068]
皇国三字史‖【作者】生方鼎斎(造酒蔵・寛・猛叔・一粟居士)書・跋。吉川多節校。清宮秀堅校・序。深瀬質(借山)跋。【年代】嘉永四年(一八五一)序。嘉永三・五年跋。安政三年(一八五六)刊。[江戸]黒岩某蔵板。和泉屋善兵衛(牧野善兵衛・誠格堂)売出。【分類】歴史科。【概要】異称『〈鹿島文庫〉皇国三字史』『三字史』。特大本一冊。神代から徳川氏の勃興に至る歴史を略記した『三字経』†型往来。大義名分・勤王思想が貫かれた政治史主体の記述だが、「王仁召、貢経典、敷文教…」とか「舎人王、清氏先、著書紀…」のように文化史にも触れる。「天地闢、神聖出、地祇五、天神七、皇孫降、踐天位、剱鏡璽、三神器…」で始まる三言一句、計四三六句(二一八行・一三〇八字)の本文を、楷書・大字・四行(一行二句)・無訓で綴る。なお、明治三年にも別体裁の『皇国三字史』が鹿島稽照館から刊行された。〔小泉〕
◆こうこくさんぶつおうらい [1069]
皇国産物往来‖【作者】片山勤作。柾木正太郎補。松川半山画。児島晴海序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]伊丹屋善兵衛(前川善兵衛・文栄堂)ほか蔵板。[下関]書籍会社ほか売出。【分類】地理科。【概要】半紙本二巻二冊。五畿七道の各国または地域別に、地勢・石高・沿革と物産品の数々を列挙した往来。上巻は、まず日本の位置や国内各地の気候に触れ、続いて、畿内・東海道・東山道・北海道の順に名産品を紹介する。下巻は、北陸道・山陽道・南海道・西海道と壱岐・対馬・琉球までを載せ、末尾で皇国の物産が無数にあること、日本が地球上で最も長い歴史を持ち、「地形全備」「充備の宝国」、最上の富国・強国たること、そして皇国民として報国に努めるべきことを説く。近世以来の各地名産品を網羅的に書き連ねるが、富国強兵の見地から開拓地などの物産に重点を置くのも特徴。本文を大字・五行・付訓で記し、見出し語に囲み罫、本文中の地名に傍線、さらに特定の語彙に左訓を施す。上巻巻頭に五十猛命(いそたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)等の色刷り挿絵を載せる。〔小泉〕
◆こうこくさんぶつりゃく [1070]
皇国産物略‖【作者】生駒耕雲(章・俊蔵・灰翁)作・序。小川悦校。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]敦賀屋喜蔵(梶田喜蔵・文敬堂)ほか蔵板。[東京]近江屋半七(吉川半七)ほか売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「夫、我邦は富饒にて…、瑞穂の国と称すれは、五穀はいふも愚なり…」と筆を起こし、山城国から琉球まで各国別の代表的産物を七五調の文章で綴った往来。各国の記述はわずか数行程度で、国名に囲み罫を施し、その他の地名には傍線を付す。本文を大字・四行・付訓で記す。巻頭に、農家養蚕風景、耕作風景、鉱物資源採掘風景を描いた色刷り口絵を掲げる。〔小泉〕
◆こうこくしゅうめいか [1071]
皇国州名歌‖【作者】市河米庵(三亥・孔陽・小春・楽斎・百筆斎)作・書。林序。戸川恵(真斎)跋。【年代】文化一三年(一八一六)序・刊。[江戸]須原屋伊八板。【分類】地理科。【概要】異称『皇興州名長歌』。縦長本一冊。「日出先照六十六、州分五畿七道目、山城皇基万億年、其初大和亦輦轂…」で始まる七言五八句の文章で、五畿七道毎の国名と位置・地形などを紹介した往来。大字・二行・無訓の陰刻手本で、最初に楷書本文、次に行書本文を掲げ、さらに巻末に楷書・小字・七行・付訓の本文(陽刻)を再録する。〔小泉〕
◆こうこくせいめいし [1072]
皇国姓名誌‖【作者】深沢菱潭書。【年代】明治年間刊。[東京]書学教館蔵板。島屋儀三郎売出。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。「三條・岩倉・近衛・九條・二條・一條…」以下、貴族・旧大名・維新後の顕官など三一三氏の苗字を列記した往来。二字名・三字名・四字名の順に配列する。後半に「名」と題して、「文武盛大、国豊民安、朝憲綱紀、恵厚徳沢…」で始まる四言三七句の『千字文』風の文章を載せるが、これは名頭字によって綴った佳句である。楷書・大字・三行・無訓の手本用に記す。〔小泉〕
◇こうこくせんじもん [1073]
皇国千字文‖【作者】日柳政章(柳東・長次郎)作。阪谷朗廬(素・子絢・素三郎・希八郎)・桜水馬諧序。【年代】慶応三年(一八六七)作。明治三年(一八七〇)序・刊。[倉敷]大坂屋源介(僊松楼)蔵板。[東京]小林新兵衛ほか売出。【分類】歴史科。【概要】中本一冊。『日本書紀』によりながら日本の歴史を述べ、国威宣揚と愛国勤王を強調した『千字文』形式の往来。「恭惟諾尊、降自高天、立鶺鴒教、闢蘆葦原…」で始まり、中国の故事を採り入れながら、伊弉諾尊・神功皇后・蘇我馬子の時代から幕末の吉田松陰までの日本の歴史を略述する。前半では日本の国土を讃え、後半では平和な日本社会の様子なども点描する。また中・蘭・米・露国など諸外国との関わりにも触れる。末尾では長州の英傑教育や吉田松陰の偉業を絶賛し、勤王の道への努力を述べる。本文を楷書・大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こうこくせんじもん [1074]
皇国千字文‖【作者】藤川忠猷(三渓)作。野田基資書。【年代】明治四年(一八七一)刊。[東京か]刊行者不明。【分類】歴史科。【概要】異称『正気千文』。大本一冊。「若稽我古、開基洪荒、玉矛立教、宝鏡耀光…」で始まる四言二五〇句の文章で、神代より桃山時代までの歴史について述べた『千字文』型往来。建国神話や日本国土、また神武天皇以後の皇統の歴史を中心に、織豊政権までを記し、さらに末尾で文久年間の鎖国や本書執筆の経緯に触れる。本文を楷書・大字・四行・無訓で記す。なお、各行とも原則四言二句ずつだが、あえて随所に闕字を使用したため、体裁良く二句一行に収まらない箇所も多い。なお、本書刊行の前年に本書の注釈書である『皇国千字文解』†が出版されたが、本文に若干の異同が見られる。〔小泉〕
◆こうこくせんじもんかい [1075]
皇国千字文解‖【作者】藤川忠猷(三渓)作・跋。矢土勝(錦山)注・跋。小野湖山(長愿・懐之・士達・仙助・狂々道人・賜硯楼)・浦田長民(織部・鉄次郎・改亭・楽郊子)・蒲生弘序。元田直跋。【年代】明治二年(一八六九)作・跋。明治二・三年序。明治三年跋・刊。[東京]須原屋新兵衛板。【分類】歴史科。【概要】大本二巻二冊。『皇国千字文(正気千文)』†の注釈書。ただし翌年刊行の『皇国千字文』の本文との間に若干の異同がある。『皇国千字文』本文を二句一行ずつ楷書・大字・無訓で記し、さらにやや小字の漢文注を施す。四字に凝縮された皇統中心の歴史を、逐一典拠を示してより具体的に敷衍する。本書跋文によれば、作者は攘夷論を主張したため、高松藩に幽囚される身となったが、明治元年に出獄するまでの間、獄中において本書を編んだという。〔小泉〕
◆こうこくちめいおうらい [1076]
〈総生寛著〉皇国地名往来‖【作者】総生寛(深沢菱潭)作・書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】地理科。【概要】異称『皇国地名往来』『〈皇国〉地名往来』『地名往来』。半紙本一冊。日本各地の地名を故事来歴とともに紹介した往来。「懸まくも畏き神の皇国(すめくに)は、太平洋の西北の隅の大嶋四にして、許多(あまた)の小嶋を併せたり。地勢は狭く長くして、北は魯西亜と領内を、接して西は海峡を、隔つ朝鮮東北は、千嶋の内の島々を…」で始まる七五調の文章で、最初に日本全土の概況(国土・地形等)、続いて全国八四国の地名と故事を五畿内以下順々に列挙する。本文を大字・五行・付訓で記す。歴史的記述で地名を教えようとした点が独特。頭書に、日本や琉球の沿革、学校制度、各地の気候・風俗・物産、皇統、官幣社・国幣社、祭礼等の記事と挿絵を載せる。〔小泉〕
◆こうこくどうじきょう [1077]
皇国童子教‖【作者】島村泰(嶋邨泰)作。近藤機斎書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]山崎清七(山静堂)ほか板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『高札』第一条〜第三条ならびに『教道』第一条〜第三条の六条目を漢字四字一句、計一四四句から成る文章で綴った往来。前者は、五倫の教え(高札第一条)や鰥寡孤独への援助(高札第二条)、さらに、悪行をやめ天命に沿って努力すべきこと(高札第三条)などを諭す。後者は、神国の民としての心得(教道第一条)、天文・地理・人道等(教道第二条)、皇統・三種の神器・日本の成り立ちなど(教道第三条)について説く。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こうこくねんごう [1078]
〈習字〉皇国年号‖【作者】佐瀬得所書。【年代】明治九年(一八七六)頃刊。[磐前県]磐前県板。【分類】歴史科。【概要】異称『年号』。大本一冊。大化から明治に至る元号を大字・二行(一行四字)・無訓で記した手本。なお、東京学芸大学蔵本には、明治九年一月に磐前県の道渡本校での成績優秀者の賞品として授与される旨を記すため、この頃の刊行であろう。〔小泉〕
◆こうこくふけんおうらい [1079]
〈小学読本〉皇国府県往来‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]鶴屋喜右衛門(仙鶴堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『府県往来』『〈皇国〉府県往来』。半紙本一冊。明治初年の各府県(三府六〇県)の旧国名・郡名・位置(経緯度や東京からの距離)・石高をほぼ七五調で綴った往来。「懸まくも最(いと)もかしこき事ながら、神武天皇高千穂の、宮にいまして皇族を…」と起筆して、皇国支配から武家政治、版籍奉還・廃藩置県までの沿革や、日本の国土・行政区分のあらましを略述し、以下、東京・京都・大阪三府、神奈川県以下各県の情報を列記する。本文を大字・五行・付訓で記す。『大日本国尽』や『府県名尽』では名称や動勢(数値)の羅列にとどまるが、それを暗誦しやすい七五調の文章で記した点に特徴がある。巻頭に、色刷りの日本地図を掲げる。〔小泉〕
◇こうこくふけんめいづくし [1080]
〈習字〉皇国府県名尽‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]書学教館蔵板。[甲府]内藤伝右衛門(温故堂)売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。日本全国の旧国名と明治五年頃の府県名を大字・二行・無訓で書き連ねた手本。印刷題簽を持つ上製本と、刷外題の並製本の二種がある(それぞれ異板)。〔小泉〕
◆こうこくぶんしょうたいぜん [1080-2]
皇国文証大全‖【作者】益永晃雲作。湯川吉太郎書。鉄研学人序。【年代】明治一七年(一八八四)序・刊。[大阪]小野藤吉(春篁堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。四季行事(元始祭・孝明天皇祭・紀元節等の祭礼が多い)や四季折々の贈答の手紙等を主体に集めた用文章。「一日之文」から「人の洋行を餞別する文・同復簡」までの往復七〇通を収録する。本文を行書・大字・五行・付訓で記し、例文毎に末尾に替え文章(言い替え表現)を楷書・小字・一〇行・所々付訓で付す。頭書に、「金穀并諸品証之部」「地所并建家之部」「戸籍之部」「雇人并養子縁組証券之部」「商業之部」の四部構成で公用書類の書式・例文一四八例を掲げる。〔小泉〕
◆こうこくぶんしょうたいぜん [1081]
〈鼇頭熟語〉皇国文証大全‖【作者】窪田梁山作・序。島田仙洲(嶋田均)書。河鍋暁斎画。【年代】明治一七年(一八八四)序。明治一八年刊。[東京]辻岡文助(金松堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。前半に消息文例、後半に諸証文届文例を載せた大部な用文章。消息文例は「四季之部」「慰問用文」「雑用文」「端書用文」の四部からなり、それぞれ「年賀帖」以下一八通、「大風雨存問之文」以下一二通、「謝労文」以下一六通、「至急招人文」以下一六通を載せる(合計六二通)。後半の「諸証文及願届文例」は、「証書之部」「諸願之部」「諸届書之部」の三部からなり、合計一一一通と例文が極めて豊富である。消息例文は大字・五行・付訓(稀に左訓)、諸証文等は大字・七行・付訓で記す。頭書や前付等に「本文類語(うち要語には略注を付す)」「五音相通」「永字八法略解」「文字使用心得」「初学読書ノ心得」等を掲げる。〔小泉〕
★こうさいようぶん [1081-2]
交際用文‖【作者】児島栄太郎編。【年代】明治二一年(一八八八)刊。[大阪]安井兵助(文欽堂・備後屋)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。全体を「交際用文乃部」「公用書類の部」「私用書類の部」の三部に分け、順に「新年を祝する文」から「初めて逢ひし人に別れたる後贈る文」までの一一三通、「止宿人届」から「死去届」までの一七通、「送り状」から「委任状」までの五通を収録した用文章(公用書類・私用書類の一部は頭書に掲載)。概ね四季・吉凶事・諸用件の順に配列し、各例文を大字・七行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。また、頭書前半部には「書簡類語」を掲げて例文の多様化に資す。巻頭例言には、近年の書簡文が「虚飾に渉る無用の贅語」と「本拠なき顛倒の文字」の傾向が多いことから、現実を踏まえながらも実用本意の例文を目指した旨を述べる。また、例言・目次を含む巻頭約四〇丁は活版印刷で、「農工商心得」「THE ALPHABET(ローマン体・イタリック体のローマ字表記や基本英単語・イロハ引き英単語集等)」「各国貨幣及度量衡」「現行諸条規摘要」「登記法(抄略)」「所得税法(同)」「所得税法施行規則(同)」を掲げる。〔小泉〕
◆こうさくおうらい [1082]
耕作往来‖【作者】北浦某書。【年代】文政一三年(一八三〇)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。主に四季の変化をよくわきまえて農作業を行なうことを諭した大字・二行・無訓の手本。「抑百性を指而御宝之民と仰とかや。春夏秋冬・七十二候之時節応変を考ゑ営べき条々、常に誰も存たる事なれども…」で始まる文章で、農家子弟は毎朝早起きして農作業の支度をし、野山に出て農事に励むべきことから、四季の農作業のあらまし、収穫・検地・年貢皆済までを記す。なお、本書とほぼ同内容の往来に『耕作文章』†等がある。〔小泉〕
◇こうさくぶんしょう [1083]
耕作文章‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】産業科。【概要】百姓の生活に必要な基礎知識と心得を綴った往来。「抑百姓を指して御宝の民と仰すとかや。春夏秋冬、七十二候、時節之考、応変、営むべき条々常に存じたる事なれは、弥々(いよいよ)能(よく)童蒙に覚えさせんが為…」と書き始め、野山での作業、肥料、作物、畑作、農具、施設、神事までを一通り述べる。「商売の高直・下直を問合せ、商人共と相対し…」と商取引にも目を向けさせる。紀州地方で使用したもの。本書と同様の往来に文政一三年(一八三〇)書『耕作往来』†等がある。〔小泉〕
◇こうざんじぼんこおうらい [1084]
高山寺本古往来‖【作者】不明。【年代】平安後期作・書。【分類】古往来。【概要】異称『書札礼』『古往来』『消息文範』『高山寺古往来』。巻子本一軸。二八条・五六通の往復手紙模型文より構成される古往来。行書体の真名文で、返り点・送り仮名を付し、多くの語彙に読み仮名(片仮名)を加える。貴族ならびに僧侶の間で交わされた消息で、内容は学習に当たっての手本の貸借を始め日常万端の用件に及ぶが、貢納や刑罰の問題が採りあげられているから、『明衡往来』†と同様に平安後期の作で、最古の往来物の一つと考えられる。文体・諸式は高野山西南院架蔵の『和泉往来』†に類似するが、全ての消息に差出人名・宛名・月日付を欠く。本往来は手紙模型文を集録する点で往来物には違いないが、普及の足跡が確認できず、また、固有の題名も伝わらないなどの点で特異な存在である。本往来を架蔵する栂尾山高山寺は、平安中期、京都右京区に真言系の単立寺院として建立され、一時やや衰退したが、鎌倉初期に明恵上人によって再興され、茶園・紅葉の庭園を備えた寺院として著名となった。従って、本書は明恵以前の平安期に作られ、同寺に架蔵されて今日に及んだものであろう。〔石川〕
◆こうしあんもん [1085]
〈宇喜田小十郎著〉公私案文‖【作者】宇喜田小十郎作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]長谷川福太郎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈宇喜多小十郎輯〉公私案文』。中本一冊。公私にわたる訴状・願書・届書・証文・請状・証書・手形の文例や各種書式を数多く集めた用文章。「貸金催促之訴状」から「戸長撰挙入札書式」までの一四四例を載せ、類書中では例文がかなり豊富である。本文をやや大字・八行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆こうしきょう [1086]
孝子教‖【作者】秋葉忠和作。東条琴台校(天保一四年(一八四三)板)。【年代】天明八年(一七八八)刊。[江戸]須原屋伊八(青藜閣・青黎閣)板。【分類】教訓科。【概要】大本または半紙本一冊。異称『〈童蒙必読〉孝子教』。漢字五字一句を基本とする『実語教』†形式で、儒教経典によりながら「孝」のあらましを説いた往来物。「夫、孝百行源、又万善長也、忠者自孝出、孝至徳要道…」で始まる五九四句から成る。まず、一日の生活やあらゆる状況下での孝行のありようを縷々述べ、「惰其四肢而」「博奕好飲酒」「好財私妻子」によって父母の孝養に努めないなど五つの不孝や、三〇〇〇の罪の中で不孝が最大の罪であること、あらゆる悪行・悪徳が不孝になることなどを諭し、孝子・君子と不孝者・小人を対照させながら抽象的な教訓を展開する。なお、本書の注釈書に天保七年作・明治一四年(一八八一)刊『孝子教鈔解』†(高井蘭山注)がある。本文を大字・五行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆こうしきょうしょうかい [1087]
孝子教鈔解‖【作者】高井蘭山注・序。【年代】天保七年(一八三六)作・序。明治一四年(一八八一)刊。[東京]内藤泰次郎蔵板。[甲府]内藤伝右衛門売出。【分類】教訓科。【概要】異称『孝子教鈔』。大本一冊。秋葉忠和作・天明八年(一七八八)刊『孝子教』†の注釈書。いわゆる「経典余師」形式で編集されており、まず『孝子教』本文を二句ないし一〇数句ずつ大字・六行・無訓で綴り、続いて詳細な割注を施し、さらに頭書に小字・付訓の書き下し文を掲げる。施注は平易な記述に努めるが、逐一出典を示すなど学問的・考証的である。刊記に「講釈人、故人、高井蘭山」と記すように、本書は蘭山の遺稿を明治になって上梓したものである。なお、序文に続く「読法」(凡例)には、『孝子教』が『小学』『孝経』『大学』『論語』『孟子』『中庸』『書経』『礼記』『孔子家語』『春秋』『左伝』『荘子』等に典拠することを指摘したうえで、本書が『実語教・童子教』†等の俗書と異なり、「凡、愚より君子にも至るべき」教訓の書であり「四民の宝」であると強調する。〔小泉〕
◆こうしくん [1088]
孝子訓‖【作者】水野信好作。紅林新平書。【年代】天保四年(一八三三)作。江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。「孝は百行の源、万善も長」たる所以を述べて、孝子のありようを諭した教訓書。「孝」は貴賤・老若ともに心を用いるべきものであり、泰平の世にあっては孝行は困難なものではないと説き、以下、幼年から老年まで行住坐臥における孝・不孝の具体例を述べ、このような孝子は天や神仏の恵みを受けて家に不孝が起こることなく、子々孫々の幸福となるべきことを諭して締め括る。本文を小字・一一行・ほとんど無訓で記す。なお、作者は「遠陽佐倉逸農」という。〔小泉〕
◇こうしにちようぶんしょう [1089]
公私日用文章‖【作者】不明。【年代】明治四年(一八七一)刊。[鹿児島]鹿児島藩板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。公文書と私文書の消息文例をそれぞれ三五通ずつ交互に収録した用文章。公文書には「支配頭より支配向のものへ御用書状」を始めとする公務上の書状・届出書式などを含む。巻末に「服忌令概略」「万国名」「(島津家)御歴代略譜」を載せる。〔小泉〕
◆こうしねんごう [1090]
〈官許〉皇謚年号‖【作者】浦野鋭翁校。【年代】明治七年(一八七四)刊。[静岡]斉藤某(嚶鳴社)蔵板。杉本大次郎(文明堂)売出。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。初代・神武帝から一二二代・今上帝(明治天皇)にいたる歴代天皇の系統を記した「皇謚」、および第三六代・孝徳天皇の大化から明治までの元号を記した「年号」から成る手本。半丁に大字・四行(各行三語)・付訓で記す。裏表紙見返に「菊池晁塘書、皇謚年号習字帖、近刻」の広告あり。〔母利〕
◆こうしひつようぶんしょう [1091]
〈宗圀夫著〉公私必要文章‖【作者】宗圀夫(宗国夫)著。月畴散史校。【年代】明治年間刊。[東京か]宗圀夫蔵板か。【分類】消息科。【概要】半紙本。本編一巻・附録一巻の二冊か。小学校入学願い・洋行請人依頼・出版条例・電信・郵便為替などに関する問い合わせや依頼の手紙(漢語用文章)ばかりを集め、各文例の間に諸規則・公文書書式・手続き等についての説明をはさんだもの。いずれも往復文(盗難届に関する書状のみ返状なし)で、「新年諸願公達類問合之文」以下三七通を載せる。例文を大字・五行・付訓(しばしば左訓)で記す。なお目次によれば、別冊の「小学校作文尺牘早引」(此ニハ尺牘作文等ニ必用ノ文字ヲ多ク集メ其音訓ヲ施シ、類ヲ分チテ見出シヤスクシタレバ、作文ノ時ニノゾミ其熟字ヲサグルニ自在ナリ)を付すとあるが未見。〔小泉〕
◇こうしぶんれい [1091-2]
〈小学書取〉公私文例‖【作者】新保忠二作。【年代】明治一七年(一八八四)序・刊。[金沢]鍵崎半二ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。各種公用文の文例を集めた用文章。「単証例十一章(文章換文)」に続けて、「質入金額借用証」から「教導国入学願」までの九一例を収録する。文面のほかに、所々、書式や用紙等の図解や注記を補足する。〔小泉〕
◇こうしゅうおうらい [1092]
甲州往来‖【作者】三井慎斎書か。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】甲斐国四郡の領域・生産高、山川・湖水、地名・往還等を略述した往来。「甲斐国者、山梨・八代・巨摩・都留、是にて四郡也。郡内領といふは都留郡之事也。川内領と云は八代・巨摩両郡之内也…」で始まる文章で綴る。地名の列挙を主とするのに、神社仏閣等が含まれないのは、三井慎斎寺子屋に伝わる手本『甲州巡』†『甲府巡』†等とともに教授されたためと思われる。〔小泉〕
◆ごうしゅうじょう [1093]
江州帖‖【作者】尊円親王書。【年代】文政九年(一八二六)刊。[江戸]和泉屋庄次郎板。【分類】消息科・語彙科。【概要】特大本一冊。江戸前期刊『琵琶引』†の上・中巻に文化一一年(一八一四)刊『江州帖〈尊円親王真筆〉』†前半部の「江州帖」(尊円筆。尊鎮奥書)三丁と「尊朝親王伊路波帖」(単行本の有無不明。江戸後期刊か)一三丁を合綴して一冊としたもの。後者は、@平仮名・万葉仮名の二体「いろは」、A「なにわづ」「あさかやま」を始めとする詩歌、B新年状一通から成る。また、巻末の詩歌(『和漢朗詠集』の抜粋。尊円筆、尊朝奥書)五丁分は本書刊行の際に増補された部分である。本文を概ね大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ごうしゅうじょう [1094]
江州帖〈尊円親王真筆〉‖【作者】尊円親王書。【年代】文化一一年(一八一四)刊。[江戸]堀野屋儀助(宝翰堂)板。【分類】消息科。【概要】特大本一冊。江戸前期刊『琵琶引』†上巻の前半一五丁分(内題「琵琶引一首并序」)だけを取り(ただし異板)、その前に三丁分の「江州帖」を合綴して一冊とした手本。「江州帖」は尊円親王が七月一二日付で出した手紙の写しで、その書名は本文冒頭部が「江州蚊野上庄下司職事…」で始まることによるが、それとともに、その書状が尊円親王の真跡であることを証する尊鎮親王の奥書から成る。本文を大字・三行・無訓で記す。なお、『琵琶引』上・中巻と「江州帖」および「尊朝親王伊路波帖」を合綴した『江州帖』†が文政九年(一八二六)に刊行された。〔小泉〕
◇こうしゅうめぐり [1095]
甲州巡‖【作者】三井慎斎書か。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】富士山から身延山までの参詣路を中心に沿道の神社仏閣・名所旧跡等を紹介した往来。「先年甲陽遊覧」を果たした老人が綴った「兼々御物語御座候、富士より身延山御参詣之儀、近々思召立候由…」で始まる一通の消息文(仮名交じり文)で記す。富士山北口から吉田神社に詣でた後、河口湖を経て、黒駒・称願寺・広厳院・国分寺・小山城・三崎明神・富士川・甲府・新善光寺・石和鵜飼寺・恵林寺・雲法寺・勝沼・天目山・笹子峠・猿橋までを紹介する(身延山の記述はない)。三井慎斎寺子屋に伝わる手本という。寺社縁起や名産品などにも触れる。〔小泉〕
◆こうしょうあんもん [1096]
〈井上正義著〉公証案文‖【作者】井上正義作。島徳(爵山)序。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[東京か]群玉書賈蔵板。【分類】消息科。【概要】異称『〈人民必用〉公証案文』『公証按文』。半紙本一冊。明治初年の社会生活に必要な公的書類の例文・書式を集めた用文章。「諸願之部」「諸届之部」「手形諸証文ノ部」の三部からなり、それぞれ「隠居家督譲渡」〜「道普請御届并車止札御下ケ渡」の三六通、「出生」〜「溺死」の四八通、「金子借用ノ証」〜「小作証文」の四〇通の合計一二四通を載せる。本文をやや小字・七行・付訓で記し、実際の書式に合わせて文字の大小や配置、押印箇所などを示す。頭書に「府県庁」「上等裁判所分轄・区裁判所分轄」「裁判所取締規則」「違式モ違条令」「訴訟入費償却規則」「貸借利息」「地所規則」「諸品売買取引規則」「代理人規則」等の関係法令など掲げる。なお、管見の一本は刊記を欠くため刊年等の詳細は不明である。〔小泉〕
◇こうしようぶん [1097]
公私用文‖【作者】野池重次郎書か。【年代】嘉永七年(一八五四)書。【分類】語彙科。【概要】表題からすると用文章の印象を受けるが、例文集ではなく語彙集である。文頭「御公儀様、御家老、御側用人、御城代、物頭、御奏者、納戸、典医、儒学者、御目付、御奉行…」から文末「…行水、月代、髪結、発立、支度、荷物、附払、配符、運賃、本馬、柄尻」までの単語を列挙する。武家に対する公私の書簡用語を集めたものだが、流布本『累語文章往来(消息往来)』†に見られるような語彙を一切含まない。〔小泉〕
◇こうしようぶんしょう [1098]
〈宇喜田小十郎著〉公私用文章‖【作者】宇喜田小十郎作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[津]服部清七蔵板。[京都]田中治兵衛ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈宇喜多小十郎輯〉公私用文章』。半紙本一冊。商取引から公民生活一般までの各種願書・届書の書式を集めた用文章。商業関連では「商社設立願書」「商社規則書」「入港届書」「諸商売休業願書」「芸者・遊女出稼願書」など、また、一般公式書類として「小学校設立方法申上書」「貸金催促訴状」「棄児届書」「失火届書」など合計七〇種の例文を収める。本文をやや小字・七行・ほとんど付訓で記す。頭書「諸書式并雛形」に、願書・届書に関する書式・例文など詳しい記事を多く載せる。〔小泉〕
◆こうじょひか [1099]
孝女碑歌‖【作者】松田直兄(賀茂直兄・直江・直慶・藤園)作・書。西池重誠(加茂県主・藤木重誠・主水)跋。【年代】嘉永四年(一八五一)以降作・刊。松田直兄蔵板か。【分類】女子用。【概要】大本一冊。大和国郡山の孝女・橘(楠本)栄子の至孝・婦徳を讃えた碑文の七五調の長歌を上梓したもの。本文をやや小字・八行(跋文は九行)・無訓で記す。「足曳の磐楠本の栄子はも、幼よりちゝはゝの、教にたかふ事なくて、おとなしくこそつかへけれ…」で始まる歌と、「朽せめや八千とせふとも岩楠の、香はしき名は世々に栄えて」など二首の反歌を添える。わずか三丁から成り、本文を陰刻、跋文を陽刻とする。なお、本文中に「嘉ひ永き四つの年、正月七日の夕つかた」に三七歳で彼女が死去した旨を記すから、本書はそれ以後、作者没年の安政元年(一八五四)二月までの四年間に編まれたものである。〔小泉〕
◆こうじょみさおぐさ [1100]
孝女美さほ草‖【作者】烏亭焉馬二世(立川焉馬・山崎賞次郎・松寿庵永年・七国楼・猿猴坊月成)作。歌川豊国(三世か)画。喜の字の翁序。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[大阪]敦賀屋善兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『孝女操種(みさおぐさ)』。半紙本三巻三冊。「女は孝と貞を守らざれば人にあらず」「女は男の命を受、是を守り、家事を納るを道とす」などを基本理念とし、和漢の孝女・貞女の説話を中心に展開した女訓書。第一「賢女の子教話」、第二「唐撫子の昔話」、第三「日本撫子の孝話」、第四「貞女の和歌の話」、第五「和歌に而諌夫話」、第六「得薬孝女と成話」、第七「聖導鬼心話」、第八「殺燕而立貞話」、第九「爺姥の婚礼話」、第一〇「烈女の下蕨話」の一〇話を収録する。本文をやや小字・九行・所々付訓で記す。また、題簽・表紙・口絵とも色刷りの美麗な装訂に作る。なお、首題に「初編」と記すが、二編以降は未刊である。〔小泉〕
◆こうせいしょうそくおうらい [1101]
校正消息往来‖【作者】深沢菱潭(巻菱潭)作・書。安井乙熊校。【年代】明治一三年(一八八〇)書。明治一四年刊。[東京]内田弥兵衛(岩本屋弥兵衛・正栄堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈校正〉消息往来』『校正消息』。半紙本一冊。近世流布本『累語文章往来(消息往来)』†の明治期改編版の一つ。明治初年の書簡文に多用された漢語を多く盛り込むのが特徴。「凡、音信・消息者、人生交際上不論貴賤・貧富、日用百般、書牘贈答、四時問候等、一日不可缺者也」の一文から始まり、手紙文の冒頭語(端作)や手紙の尊称、時候や安否を問う言葉、用件や進物・祝儀に関わる文句、結びの語句など、ほぼ手紙文の順序に従って類語・類句を列挙する。楷書・大字・三行・無訓の本文を掲げた後、楷書・小字・九行・付訓の本文を再掲する。〔小泉〕
◆こうせいしょうばいおうらい [1102]
校正商売往来‖【作者】深沢菱潭(巻菱潭)作・書。安井乙熊校。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[東京]内田弥兵衛板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。近世流布本『商売往来』†の明治期改編版の一つ。「抑、商売・貿易者、使一国社会為富盛之基本也…」で始まる本文で、まず商売や貿易は方法の良否をよく吟味し、駆け引きの巧拙に留意して営むべきことを述べ、続いて日々の取引に必要な商業用語を列挙する。帳簿・証券類、通貨・両替、織物・衣類、染色、家財・諸道具、金石、魚鳥・獣類、穀類、交通・運輸、問屋・仲買、商家組織、収入、投資・興産、諸諸商売・諸職人の順に語彙を掲げ、最後に商家子弟の心得で締め括る。本文を行書・大字・三行・無訓で書し、巻末に楷書・小字・九行・付訓の本文を再録する。〔小泉〕
◆こうそようじ [1103]
公訴要字‖【作者】松田暘鼎(貢・蓮泉堂・桑斎)作・書・画・跋。森田森斎ほか書。物部正贇画。沼口耕(山民)序。【年代】天保一一年(一八四〇)刊。[武州蓮沼村]松田暘鼎蔵板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。公事・訴訟など法令関連の語彙や公文書関連の用語を列挙した往来(陰刻手本)。「伝奏、評定、月番、式目、立合、内寄合、寺社・町・勘定奉行、火方、盗賊御改、加吟味方、与力・同心、物書、検使、添使、縁頬、白洲、上番、下番、帳付場、町年寄、名主、家主、五人組、掟、法度、禁制…」で始まる本文を大字・五行・無訓で綴る。刊記に「武州足立郡南部領蓮沼村字五反田/松田貢/呈上、菅原信彝」と記す。巻末に自画の「童子天神図」や門人等の筆跡を掲げる。〔小泉〕
★こうたくやまとぶみ [1103-2]
広沢大和文‖【作者】細井広沢(知慎・知堅・公謹・次郎太夫・玉川・思貽斎・君子亭・菊叢・蕉林庵・奇勝堂)書。【年代】正徳四年(一七一四)書。明和七年(一七七〇)刊。[江戸]深川親和蔵板。また別に[江戸]前川六左衛門板(寛政五年(一七九三)求板)あり。【分類】社会科。【概要】異称『大和文』。特大本一冊。『古今和歌集』の序や『古今著聞集』の七夕の撫子合わせの記事等から引用しながら和歌の徳に触れ七夕和歌等の古歌を紹介した一文を大字手本様に綴ったもの。「和歌は素戔烏の古風よりをこりて、久しく秋津州の習俗たり…」で始まる本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ごうそんおうらい [1104]
郷村往来‖【作者】高屋久五郎書か。【年代】文政(一八一八〜三〇)頃書。【分類】産業科。【概要】異称『郷邑往来』。謙堂文庫本は特大本一冊。農村における農事・年中行事のあらましを記した手本。新年の若水汲みを始めとする新年儀式や、親族・百姓上下が揃って神仏を参拝し、年賀の挨拶を述べる元旦の様子から書き始め、以下、農村における四季の行事や農作業全般を述べ、後半では検地・納税・祭礼・旧習遵守・飢饉対策等、また、新年の準備までを述べて、最後に「…日月清明・天下和順・国土安穏・寿命長円・息災満足」の佳句で締め括る。謙堂文庫本も日本大学蔵『郷邑往来』も、「年始之祝言、先起寅、若水を汲、明之烏升附と名附告渡、豊年大福、屠蘇を祝ひ、親族一類…」で始まる本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こうちょうかなしりゃく [1105]
皇朝仮名史略‖【作者】邨松良粛作・序。多杵女序。百木太撫画。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[静岡]浪花屋市蔵(文林堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『仮名史略』。広告によれば半紙本五巻六冊(巻之三以降は未刊か)。巻之三以降は未見だが、目録によれば、巻之一は神代から後三条帝まで、巻之二は白河帝から後鳥羽帝まで、巻之三は土御門帝から後醍醐帝まで、巻之四は光明帝から御柏原帝まで、巻之五ノ上は御奈良帝から後陽成帝まで、巻之五ノ下は後陽成帝から今上帝(明治天皇)までの皇統の歴史を綴る。「天地(あめつち)の、開闢(ひらけ)しはじめなりいづる、国常立(くにとこたち)の尊(みこと)より、いや継々(つぎつぎ)に天神(あまつかみ)、七代(ななよ)とかぞへ地神(くにつかみ)…」で始まる七五調の文章を大字・五行・付訓で記す。頭書に、歴代天皇の諱や当代の主要事件や関連の挿絵を掲げる。また、巻之一巻頭に色刷り口絵「日本武尊之像」「藤原鎌足公之像」、また「歴代天皇尊系図」「歴代遷都地名」「歴代年号改元索引」「五畿八道(郡名)」「皇国称号(日本地図)」「開闢略記」を載せる。〔小泉〕
◆こうちょうさんじきょう [1106]
〈絵入〉皇朝三字経‖【作者】百梅斎作。為永春水(佐々木春水・鷦鷯斎・鷦鷯貞高・狂訓亭・教訓亭)編・校。葛飾為斎(清水宗次・酔桜軒・酔桜楼)画。【年代】嘉永六年(一八五三)刊。[江戸]英文蔵(青雲堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈絵入増補〉皇朝三字経』。中本一冊。三字六言(全三五〇句)の句読により「皇朝歴代、国家治乱の大概」を記した往来。本書を学ばせることで「皇国の故事をさとし、古人の善悪を観察」させるのが狙いという。冒頭で「徳潤身、学致道、玉非玲、善為宝…」と善を行い徳を積むことを説くが、すぐに「稚郎子、師王仁、習典籍、知人倫…」と続けて、百済の王仁による典籍の伝来、吉備真備や菅原道真らの学問、神国の教えの尊さなどについて触れ、以下、神代から近世初頭までの政治史・文化史のあらましを綴る。本文を大字・五行・付訓で記す。本文の随所に「王仁・吉備公・菅家」「国常立尊」「仁徳天皇・雄略天皇」「日本武尊・武内宿祢・神功皇后」「聖徳太子・達磨」「菅家・舎人親王」などの見開き挿絵を掲げるほか、頭書に本文の大意を示して童蒙の理解の一助とする。本書の改題本に江戸後期刊『三字経絵抄』†があるほか、首題を単に『三字経』と改刻した明治五年(一八七二)板がある。〔小泉〕
◆こうちょうさんじきょう [1107]
〈刪補〉皇朝三字経‖【作者】高見猪之助(廬門・岱)補・校。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]梶田喜蔵(文敬堂)板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。大橋若水作・嘉永六年(一八五三)刊『本朝三字経』†の増補・改題本。『本朝三字経』が織豊政権までの記述で、江戸時代以降に触れていないことから、徳川幕府成立から大政奉還までの近世史を補足する。具体的には、歴史的教訓を述べた末尾九行一八句(「厚税歛、耽奢侈…」以下)に代えて、徳川政権のあらましを綴った「致其覇、掌是指、朝鮮役、於烈矣…」以下二一行四二句を補う。このほか、随所で補訂を行い、匡郭上欄外に付記する。本文を楷書・大字・五行・無訓で綴る。〔小泉〕
◇こうちょうさんじきょうやっかい [1107-2]
皇朝三字経訳解‖【作者】村上俊平注。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]梶田喜蔵(文敬堂)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈皇朝〉三字経訳解』。半紙本一冊。大橋若水の『本朝三字経』†に近世以降の記述を増補した高見廬門の『〈刪補〉皇朝三字経』†の注釈書。『〈刪補〉皇朝三字経』の各句を一行ずつ大字・七行・無訓で掲げ、句毎に数行の割注(読み方と略注)を施す。〔小泉〕
◆こうちょうさんじし [1108]
皇朝三字史‖【作者】生方鼎斎作。深沢菱潭書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]書学教館蔵板。播磨屋喜右衛門(播磨屋勝五郎・鈴木喜右衛門・文苑閣)売出。【分類】歴史科。【概要】異称『三字史』。半紙本一冊。生方鼎斎作・安政三年(一八五六)刊『皇国三字史』†の改題本。本文を楷書・大字・四行で記し、新たに訓点を加える。ただし、首題に続けて「菱潭逸人沢寛書」の一行を追加した一方、本文第三行目の「地祇五、天神七」の二句を削除して各丁の語句の並びを安政板に合わせたために、合計四三五句となった。〔小泉〕
◆こうちょうしんさんじきょう [1109]
皇朝新三字経‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[名古屋か]読書堂板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈皇朝〉新三字経』。半紙本一冊。『三字経』†形式で、神武天皇より明治の廃藩置県に至るまでの歴史を綴った往来。「我日本、有天皇、統一系、r太陽、有国風、卅一言、辞正雅、感鬼神…」で始まる三言一九六句からなり、本文を大字・五行・無訓で記す。神話に基づく神国開闢や各時代の政治・文化のあらましを簡潔に述べ、文明開化や維新政府の善政、皇国の天壌無窮を讃えて締め括る。なお、本書と全く同内容の往来に明治六年(一八七三)頃刊『皇国三字経』†(愛知週報第八号付録)がある。〔小泉〕
◆こうちょうせんじもん [1110]
皇朝千字文‖【作者】樋口敬之(竹香・凝静堂)作・書。大沼厚(枕山)序。大沢鉞三郎跋。【年代】明治一八年(一八八五)序・刊。[東京]樋口敬之(凝静堂)蔵板。野村卯右衛門(玉宝堂)ほか売出。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。「我大日本、土腴禾蕃、滄溟環梶A山河蟠蜿…」と筆を起こして、太古、神武天皇から明治初年までの歴史を綴った『千字文』型教科書。天皇および公家・武家の政治の変遷を中心に述べるが、特に江戸時代は扱いが簡略で具体的な人物や事件にほとんど触れないのが特徴。末尾は大政奉還、文明開化などの経緯と現況、また、明治一六年の華族制度制定までの政治史を略述する。本文をまず楷書・大字・二行・無訓の手本用に綴り、さらに巻末に楷書・小字・一八行・付訓の本文を再録する。なお、本書補訂版『〈訂正箋解〉皇朝千字文』が明治四一年に刊行されたが、末尾の近代以降の記載が大幅に変わり、新暦・学制・郵便・電信・鉄道など文明開化を象徴する事柄ほほかに、明治憲法発布や日清戦争の勝利など最近年の重要事件が加えられた。〔小泉〕
◆こうちょうせんじもん [1111]
皇朝千字文‖【作者】深沢菱潭書。【年代】明治年間刊。[東京]書学教館蔵板。椀屋喜兵衛売出。【分類】歴史科。【概要】異称『本朝千字文』。半紙本一冊。安永四年(一七七五)刊『本朝千字文』†の本文のみを大字・三行(一行漢字四字)・無訓で綴った改題本。本文は安永板と同じだが、略注や挿絵を一切省いて手本用に作る。〔小泉〕
◆こうちょうせんじもん [1112]
〈泰平復古〉皇朝千字文‖【作者】河村貞山(河邨貞山・与一・与一郎・欽)作。川瀬白巌書。河村政明序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[京都]銭屋惣四郎(佐々木惣四郎・竹苞楼)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈頭書注入〉皇朝千字文』。半紙本一冊。「日本紀元、辛酉作源、奕聖継統、剱璽爰尊…」で始まる文章で、主に近世〜近代初頭の日本の沿革を記した『千字文』型往来。神武帝以来の日本略史にも触れるが、主に天保(一八三〇〜四四)以降の江戸末期の政情から、明治維新や新政府の面目、文明開化の様相などを中心に綴る。本文を大字・四行・無訓で記し、巻末に小字・九行・付訓の本文を再録する。頭書には、本文中の語句を全て織り込んだ文章で本文の大意を示す。そのうち本文中の語句に囲み罫を施して学習者の注意を促す。〔小泉〕
◆こうちょうせんじもん [1113]
〈傍訓〉皇朝千字文‖【作者】朝山晴霞作・書。【年代】明治年間刊。[東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。【分類】歴史科。【概要】異称『傍訓千字文』。半紙本一冊。神代から近世までの日本歴史の主要な人物や事件を記した『千字文』型教科書。同傾向・同一書名の別本とは別内容。「日本開闢、謂国常立、諾冉二神、夫婦之根、窟前点燎、鈿女奏舞、岐蛇忽亡、八重垣就…」で始まり、神話時代の伝承的歴史と、飛鳥時代以後の政治的・文化的事象を点描し、「…歴史提要、勧懲捷径、誡乎童児、勤哉習読」との教訓で締め括る。本文を楷書・大字・五行・付訓(稀に左訓)で綴る。〔小泉〕
◆こうちょうたんごじるい [1114]
皇朝単語字類‖【作者】小室樵山作・書。萩原乙彦校。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]島屋平七(別所平七・万青堂)ほか板。【分類】語彙科。【概要】半紙本五巻五冊。約五一〇〇語(約一万三〇〇字)もの日常語を分類・集録した教科書。巻之一は天文・時令・十干・十二支・地理・方位・人倫・身体・衣服・布帛・飲食・居処・方形・色目・仮字・数字・大数・小数・度目・量目・衡目・貨位・田尺・五性・帝号・年号、巻之二は金石・器戝・穀菜・果類・草木・国郡(附府県)、巻之三は苗字略・名字略、巻之四は言語、巻之五は鳥獣・魚蟲介の三七分類で語彙を掲げる。各巻とも大字・五行・付訓(稀に左訓や略注を施す)で記す。また、五巻末に附録として「国音五十音字六体(平仮名・漢字四種・片仮名の六種で表記)」を掲げる(この附録のみ四行書き)。なお、本書の改題本に明治一一年刊『人民万字文』†がある。〔小泉〕
◆こうちょうにじゅうしこう [1115]
皇朝二十四孝‖【作者】松平容敬(祐堂・芳山)作。松平容保序。【年代】安政三年(一八五六)序・刊。[会津]会津藩板。【分類】教訓科。【概要】異称『皇朝廿四孝』。折本(旋風葉)一帖。原本には会津藩八代容敬編と記すが、実際は七代容衆の命により、沢田名垂が編み、文化九年(一八一二)に成稿して献上したものに容敬が潤色したという説もある。内容は、本朝二四人(うち四人は女性)の孝子伝を集めたもので、仁徳天皇・藤原吉野など平安貴族を始め、養老の滝で有名な美濃の孝子など、多く中世以前の人物を紹介する。このうち一〇人は『日新館童子訓』にも載せられた孝子譚であり、『童子訓』の影響も色濃い。本文をやや小字・一一行・無訓で記し、本文とほぼ交互に見開き挿絵を掲げる。〔小泉〕
◆こうちょうれきだいか [1116]
〈草場廉著〉皇朝歴代歌‖【作者】草場廉(船山)作。頼復校・序。【年代】明治七年(一八七四)序・刊。[京都か]耕読楼蔵板。[京都]藤井卯兵衛ほか売出。【分類】歴史科。【概要】異称『草場廉著皇朝歴代歌』。半紙本二編合一冊。神代から徳川幕府成立までの歴史を綴った史詩型往来で、『前皇朝歴代歌』と『後皇朝歴代歌』の二編から成る。「神武降生是天孫、一挙東征定中原、乃為帝都大和国、秋津洲号到今存…」のように七言一句を基本とする文章で、前者は神武天皇から後小松天皇までの二〇五〇年の歴史を計三八〇句、また後者は称光天皇から後水尾天皇までの二二〇年の歴史を計一三六句でそれぞれ記す(楷書・やや小字・八行・無訓)。なお、本書の続編『〈草場廉著・後後〉皇朝歴代歌』†が翌年に出版されている。〔小泉〕
◆こうちょうれきだいか [1117]
〈草場廉著・後後〉皇朝歴代歌‖【作者】草場廉(船山・立大)作・序。【年代】明治七年(一八七四)序。明治八年刊。[長崎]長崎新塾蔵板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈後後〉皇朝歴代歌』『後々皇朝歴代歌』。半紙本一冊。活版和装本。前掲『皇朝歴代歌』†(『前皇朝歴代歌』と『後皇朝歴代歌』の二編から成る)の続編。「後水尾後明正立、是時四海方安輯、二代将軍秀忠薨、世子家光職能襲、家光英明国増光、大侯小伯仰呼吸…」で始まる七言七三四句(五一三八字)の文章で、寛永初年から明治六年太陽暦採用までの約二五〇年の歴史を綴る。大政奉還後、明治政府下における中央集権化や文明開化の経緯に比較的比重を置いて記し、最後に「…大中小学満天下、雇師西洋亦幾員、外交自此逐年盛、被来我往一紛々、六年初用太陽暦、兼行洋秤定量斤」と結ぶ。本文を大字・七行(一行二句)・無訓で記す。なお、本書は門人・塩津敬の熱望によって刊行に至ったという。〔小泉〕
◆こうとうか [1118]
皇統歌‖【作者】柳元信作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。左右田某板。【分類】歴史科。【概要】半紙本三巻三冊。ただし、玉川大本は第一巻のみ。岩垣松苗作・文政九年(一八二六)刊『国史略』(神代から後陽成天皇までの歴史を述べたもの)からの抄録と、それ以後の皇統の歴史をつけ加えて七五調の文章で著したもので、幕末の『大統歌』†や中国から流入した『三字経』†と同類の往来である。「天地(あめつち)の開け初(そめ)にし太古(むかし)より、我が日の本はかしこくも、天神七代次(すが)ひては、地神五代の神代にて…」と始まり、一巻に神武天皇から桓武天皇まで、二巻に平城天皇から後小松天皇まで、三巻に称光天皇から明治天皇までの天皇中心の歴史を綴る(二・三巻は目次による)。本文を大字・五行・付訓で綴り、人名に傍線を施す。〔小泉〕
◇こうどうくん [1119]
〈小学〉孝道訓‖【作者】田辺数太郎作・序。渡辺章校。【年代】明治一三年(一八八〇)序。明治一四年刊。[伊予]小守甚蔵(文祥堂)板。【分類】教訓科。【概要】異称『小学孝道訓』。半紙本一冊。『六諭衍義大意』†の冒頭「孝順父母」を改編した文章に、『孝経』の趣旨を説いた教訓文を加え、さらに種々の孝子伝を補った教訓書。四国方面で販売されたものだが、内容・編集方法ともに東京版の『勧孝邇言』†からの影響が濃厚である。内容は「凡そ世間に在る人は貴き賤きの別ちなく父母の生まざる者やある…」で始まるように、『六諭衍義大意』同様の父母養育の恩や『孝経』に基づく孝のあり方を述べる。そして後半部では、松平好房・八十郎・豊前国浅吉・伊予国九右衛門・樵夫清七・阿波国一太郎・阿新丸・福依売・美濃孝子・周の曽参・晋の王隠之・周の仲由・元の頼禄孫・宋の朱寿昌・後漢の陸績・唐の任敬臣・唐の廬氏・漢の姜詩の一八人の小伝を載せる。本文をやや小字・一〇行・無訓で記し、本文の所々に挿絵を掲げる。〔小泉〕
◆こうどうてびきぐさ [1120]
孝道手ひきくさ‖【作者】性海作。【年代】天保三年(一八三二)刊。[江戸]性海蔵板。【分類】教訓科。【概要】異称『孝道手曳草』。半紙本一冊。都々逸風の七・七・七・五の口調で孝を諭した俗謡集。「孝といふ字は土にぞ杖よ、そばに子供か手をひけ□」以下二〇二首を載せる。内容は和漢の故事や俚諺を引きながら、孝のあらましから禁欲・勤勉・正直・倹約等々の日常生活上の戒めまで、卑俗・平易に諭す。儒仏両面から説くなど、石門心学の影響も見られる。本文をやや小字・八行・稀に付訓で記す。巻頭に孟宗など孝子四人の挿絵を掲げる。〔小泉〕
◆こうとうどうもうくん [1121]
皇統童蒙訓‖【作者】田中尚房作。【年代】明治初年刊。[名古屋]万屋東平(栗田東平)板。【分類】社会科。【概要】異称『皇統辨』。半紙本一冊。神道思想に基づく天地開闢のあらましから、天皇が人民を統治するに至るまでの神々の歴史を綴った教訓書。天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の三柱の神から天照日大御神(あまてらすひのおおみかみ)が出現するまでの経緯、さらに歴代天皇が治める神国・皇統の歴史を述べる。本文をやや小字・七行・付訓で記す。本書には外題・首題を『皇統辨』(こちらが先か)とするものがあり、本文冒頭に「熱田神宮少宮司司兼大講義田中尚房謹撰」と記す。〔小泉〕
◆こうとくようぶんくんぼくりん [1122]
広徳用文薫墨林‖【作者】不明。【年代】寛政一〇年(一七九九)刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。安永九年(一七八〇)板『千鶴用文歓喜楽』†の増補版。季節や年中行事、また元服・婚姻・帯の祝い・立身に対する祝儀状やその他諸用件についての書状を収めた用文章。「年頭祝儀状」以下五七通の文例を収める。増補部分は第三一〜五二丁の二〇数丁丁で、「娶之祝儀状(返状)」〜「立身の人を賀状・同返事」の二〇通が追加された。追加部分を含めて本文を大字・五行・付訓で記す。前付に「養老孝夫之図」「亀戸天満宮境内図」「人間一生身持八景」「文通高下認方」「異国人形の図」「人相を視(みる)事」「書状封様高下」「進上物并祝言結納目録調様図」「篇冠構字尽」「金石印刻図」「積物手引」「百官名尽」「東百官名尽」「小笠原折形之図」等を掲げ、頭書には『千鶴用文歓喜楽』同様に「平生心得宝箱」以下の記事に、新たに「手形書様心得之事」「〈篆字・真字〉改正名乗字」「諸宗伝来記」「御改正服忌令」「五性居判之法」「十幹十二支並異名」、巻末に「潮の満干之事」「年号用字」を付す。本書の増補部分は当初から存した可能性もあり、先行書からの抄録が『千鶴用文歓喜楽』であった可能性も否定できない。〔小泉〕
◆こうのう [1123]
孝嚢‖【作者】岡田勝興(西薇・子翰)作・序。渓世尊(百年・士達・大六)序。【年代】文化一四年(一八一七)序。文政五年(一八二二)刊。[津山]長泉寺・[住吉]寿松庵(智貞)蔵板(施本)。施本取次所は[大阪]紙屋佐助。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。経典に見える孝の教えや孝子伝、聖賢の語を集録した教訓書。冒頭に「およそ人と生れたるもの、父母の恩を蒙ふらざるはなし。しかれば親孝行は、貴賤男女の別なく第一務むべき作法なり…」と筆を起こし、父母生存中は遠く他国へ遊学することを控えるべきことを始め、孝行のありようを中国の故事や先賢の教えを引きながら説く。続いて、晋の王祥以下三四人の孝子小伝を載せ、巻末に孝に関する金言名句集「聖経の意解」を付す。寺院蔵板でありながら仏説からの説明が全くない点は注意すべきであろう。本文をやや小字・一〇行・ほとんど付訓で記す。なお、本書は文政七年に『孝嚢末の栄』†と改題され、大阪書肆・塩屋季助から販売された。〔小泉〕
◆こうのうすえのさかえ [1124]
孝嚢末の栄‖【作者】岡田勝興(西薇・子翰)作。渓世尊(百年・士達・大六)序。【年代】文化一四年(一八一七)序。文政五年(一八二二)序。文政七年刊。[津山]長泉寺・[住吉]寿松庵蔵板。[大阪]塩屋季助売出。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。文政五年刊『孝嚢』†の改題本。『孝嚢』の題簽題、首題、尾題および刊記部分を改刻したほか、巻頭に仏説から孝を説いた一文(一丁)を新たに追加した。〔小泉〕
◆こうのかけはし [1125]
孝のかけはし‖【作者】賀六十翁跋。【年代】文政四年(一八二一)刊か。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『孝の棧』。中本一冊。『孝行和讃』†の簡略版。「それにんげんと生れては、まづ孝行のみちをしれ…」から「…我が身きゆべき夕べまで、露もわするゝことなかれ」まで、七・五を一句とする全一一三句から成る。巻末「附言」では、子どもが魚・鳥・虫など人間に無害な生物を殺したり、犬・猫・鶏を苦しめることのないようにと、親の注意を喚起し、さらに、このような殺生が不仁に慣れさせ、ついには仁道を損なう基になると諭す。本文をやや小字・七行・付訓で記す。見返に「山に刈しばしも母を忘れねば、かみつる指やいたくこたへし」の教訓歌一首と孝子の挿絵を掲げる。末尾に「辛巳仲冬日、賀六十翁」と記すが、「辛巳」は文政四年を指すか。〔小泉〕
◆こうのみち [1126]
孝の道‖【作者】坂本光稠ほか作。【年代】文政一三年(一八三〇)刊。心学舎施印。【分類】教訓科(心学書)。【概要】半紙本一冊。『孝行和讃』†を改編した和讃型の教訓である『孝の道』に種々の教訓和讃や道歌を増補し、さらに後半に文政六年、坂本光稠作『心学心得草(仮称)』、文政一三年施印『安楽おこし』を合綴した心学書。冒頭『孝の道』は後述の嘉永六年(一八五三)板とほぼ同様。「それにんげんと生れては、まつ孝行のみちをしれ、おやに不孝のともがらは、鳥けだものにもおとれりと…」で始まる二八〇句の和讃で、さらに種々の道歌や「こんじやうふうきなる人は、ぜんせにまきおくたねゆゑぞ…」で始まる七五調の和讃や「めぐりあふ身のますしきものは、いかゞするやとおもへばなげく…」の七七調の和讃、その他家内和睦、家業出精、法度遵守等を説いた教訓文など数多くの雑多な教訓を盛り込む。続く『心学心得草』は道歌を引きつつ性善その他を説いた心学入門書。『安楽おこし』は「嬉しめでたや、戸さゝぬ御代に、民とあらたに、安楽おこし、御代のめぐみを、よふ弁まへて…」で始まる七七調の教訓である。概ね本文をやや小字・一〇(『安楽おこし』は七行)行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆こうのみち [1127]
孝の道‖【作者】黄牛子(松田黄牛か)序。【年代】天保六年(一八三五)序・刊。細田某施板。また別に嘉永六年(一八五三)、[神戸]稲森嘉十郎施板あり。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。江戸後期に数種の施本が見られるが、その序文によれば細田某による施本が最初で、以後、同じ板木を用いて何度も施印されたものという。巻頭に二首の教訓歌を掲げ、続けて「それにんげんと生れては、まづ孝行のみちをしれ…」と七五調で綴った教訓文を載せるが、これは『孝行和讃』†にかなりの増補(『孝行和讃』が二二五句であるのに対して本書は二八〇句)したものである。特に、本文中程で自分の利得が他人の害となること、人との約束は必ず守ること、他人の恩は忘れず自らがなした恵は恩にきせないこと、自分を諌める人を大切にすべきことなどを述べた部分(四〇句)は丸々の増補箇所である。そのほか、『孝行和讃』とわずかに文言が異なる所も散見されるが、説くところの教訓は同様である。また、巻末に教訓歌八首と「天はおそろし」以下八カ条の教訓、また、「御高札のうつし」「或賢君の御教詠」等を載せる。本文をやや小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こうのみち [1128]
孝の道‖【作者】紫笛翁作。【年代】江戸後期刊。[江戸]参前舎(三前舎)板。また別に刊行者不明本あり。【分類】教訓科(心学書)。【概要】半紙本一冊。後掲の明治二年(一八六九)板とほとんど同内容。巻頭に大舜と象を描いて「孝行の徳はたちまち鼻のさき、大象が田をすきかへすなり」の道歌を掲げ、続いて「父母の、ふかき恵みを、報ふには、此身の上を、たづねみよ、父あらざれば、生まれ得ず…」で始まる本文を掲げる。これは『孝行和讃』†の改編版で、同書と同様の心得を述べた後、「…父母になす、事ならば、骨を粉になし、身を砕き、つかへて、恩報じ、いかにするとも、およばざるらん」と結び、最後に「親よりもうけしからだをいかにまた、骨身をしみてつかへざらなん」の道歌一首を載せる。板種数種があるが、筑波大本末尾には参前舎の心学道話定日・前訓定日を示し、「無縁之御方にても無御遠慮御聞可被成候。尤席料うけ不申候事。外神田相生町・三前舎」と記す。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こうのみち [1129]
孝の道‖【作者】不識庵跋。【年代】明治二年(一八六九)跋・刊。黒氏静以施本。【分類】教訓科。【概要】横本一冊。跋文によれば、黒氏静以なる人物がその親・真光斎の一三回忌の追善として行なった施印である。「父母の深きめぐみをむくうには、我身のもとをかへりみよ…」のように七・五、七・五と続く文章で、親の高恩と孝行の道について説く。『孝行和讃』†同様のスタイルで同趣旨の心得を説くが、全くの異文で、むしろ江戸後期刊『孝の道』†(紫笛翁作)を模倣したものであろう。胎内十月の間の母の辛苦や、出生後の両親の無数の慈悲と衣食住にわたる養育などを細々と述べ、不孝より重い罪はないこと、また、親孝行に努めるべきことを諭す。末尾に「父母にうけしからだをいかにまた、骨身をしみてつかへざるらん」など三首の教訓歌を置く。本文を大字・一一行・付訓で記す。〔小泉〕
◇こうのみちしるべ [1129-2]
孝乃道しるべ‖【作者】荒井方久(玉泉堂・玉宝)作・序。【年代】天保三年(一八三二)序・刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。『孝行和讃』†風に「希々(たまたま)に人と生れし果報には、万物(もの)の霊(つかさ)と聞からに、たゞ両親(ふたおや)の大恩を、しらでは人といはれまじ…」で始まる七五調の文章で親の高恩と孝のあり方を説いた教訓。胎内十月や出産から養育までの苦労や親の慈悲、また、不孝の罪、日常で実践できる孝行などを諭す。本文をやや小字・九行・付訓で記す。末尾に「父母のいたはりたてし甲斐もなふ、身を持くづす人ぞかなしき」の教訓歌一首と養育・慈悲の教訓画を掲げる。本書は、後に天保七年(一八三六)刊『人道二十四箇条』中に収録されて普及した。〔小泉〕
◆★こうばいようぶんしょうけんとくたいせい [1130]
〈新板常用・万世宝鑑〉紅梅用文章顕徳大成‖【作者】并河呂焉作。菅沼ミ洲書。【年代】寛保元年(一七四一)頃作。明和六年(一七六九)刊(再刊か)。[京都]桝屋五郎右衛門(川勝五郎右衛門・英松軒・通志堂)板。また別に[江戸]藤木久市板(再板)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈万寿〉紅梅用文章顕徳大成』。大本一冊。「家中之面々家老中江遣文」から「奉公人請状之事」までの四四通の消息・触状・証文類の文例を集めた用文章。本文を大字・四行・付訓で記す。末尾の奉公人請状に「寛保元年酉九月」の記載があるため、この頃に作られたものと思われる(ただし、現存最古は明和六年再板本)。また、筆者名は後述天明六年(一七八六)板に記載。宛名人に脇付を付した高格の例文から日用例文までを含み、各種祝儀状・見舞状・借用状・招待状・礼状等から成るが、「若子誕生家中触書」「家中江之触書」「村中触書」など準法規的文書も載せる。付録記事には独自の内容が多く、巻頭に「大日本国安見略図」「江戸方角安見略図」「南膽部州大日本国尽」、頭書に「字尽并世話字」「今川状」「吉書試毫之詩歌」を収める。末尾の筆者識語によれば「書林通志堂」の求めにより執筆したという。通志堂は享保以降に活動していた京都書林であるから、本書の初刊は寛保元年頃と見るべきであろう。本書は後に江戸書肆・前川六左衛門によって天明六年に求板刊行(見返・前付に小異あり)されたほか、享和元年(一八〇一)に増補版の『紅梅用文章大全』†が同じ前川六左衛門によって刊行された。〔小泉〕
◇こうふおうらい [1131]
甲府往来‖【作者】瀬田正作書。【年代】江戸後期作。明治四年(一八七一)書。【分類】地理科。【概要】「甲斐の府中の春風に、靡く柳の緑町、野辺の草葉も青沼や、三日八日と日数経て、ぬるみし水に魚町や…」で始まり「…蔵田に並ぶ遠光寺、御法も近き住吉の、松も久しき御代ぞ目出度。穴賢」と結ぶ七五調・美文体で、甲府城下の町名・寺社名等を列記した往来。本文中に「田町百石五百石、並ぶ御手先広小路…」の文言が見えるため、江戸後期の撰作であろう。〔石川〕
◇こうふまちなならびにしぐんむらなづくし [1132]
甲府町名〈并〉四郡村名尽‖【作者】不明。【年代】天保六年(一八三五)刊。[甲府]藤村屋伝右衛門板。【分類】地理科。【概要】異称『甲斐国四郡村名尽〈附町名〉』。大本一冊。甲府城下の町名と甲斐国四郡(山梨郡・八代郡・巨摩郡・都留郡)の村名を大字・四行(一行三地名)・無訓で記した手本。なお、本書後半部を抽出したものが文久二年(一八六二)刊『甲斐四郡村名尽』†と考えられる。〔小泉〕
◇こうふめぐり [1133]
甲府巡‖【作者】三井慎斎書か。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】甲府城下の神社仏閣を紹介した短文の往来。「兼而申合候甲府寺社詣之序、先、名高き躑躅ヶ崎信玄公の古城跡一覧いたし候…」で始まり「…猶、道すから寛々御物語可申候。穴賢」と結ぶ全一通の女文で、寺社名を列記する。三井慎斎寺子屋に伝わる手本という。〔小泉〕
◆こうぶんおうらい [1134]
〈寺沢〉幸文往来‖【作者】寺沢政辰書。向山某跋。【年代】宝永六年(一七〇九)跋・刊。[京都]浜田八郎兵衛ほか板。また別に[江戸]泉長兵衛ほか板、[京都]前川市兵衛(農林堂)板(求板)あり。【分類】消息科。【概要】大本一冊。準漢文体書簡と女文、さらに「今川状」†を綴った寺沢流手本。初板本は大字・三行・無訓で、後に四〜五行・無訓の異板(向山氏の跋文の年号「宝永六己丑年四月日」を削除)も登場した。冒頭に「貴墨令拝見候。去十三日於御宅御楽会之詩歌…」で始まる書状以下五通を掲げ、続いて日本の書道史に触れた長文の手紙一通と、管弦・名香・国土地理・物産等について述べた手紙の合計一〇通を載せる。さらに比較的短文の仮名文八通と「今川状」を収録する。なお、向山氏の跋文と「今川状」を省いた改編本(京都・前川市兵衛求板)も寛政四年(一七九二)以前に刊行された。〔小泉〕
◆★こうぶんようご [1135]
〈小学〉公文要語‖【作者】京都府学務課編。【年代】明治一七年(一八八四)刊。[京都]京都府蔵板。[大阪]湯上市兵衛売出。【分類】社会科。【概要】半紙本二巻二冊。主に「布告・布達等ノ文中、普通・緊要ノ語」など「公文の熟語」を集めた『千字文』型教科書。四類に分けて集録し、第一類が「勅旨・勅諭、布告・布達、告示・告諭、報告・掲示…」以下、法令・公文書・諸官省・諸役人関係、第二類が「公文・往復、照会・回答、受付・調査、主務・主幹…」以下、公務執行・公的書類・通貨金融・学校教育・保健衛生関係(以上上巻)、第三類が「憲法・制定、府県・会議、聯合・町村、議員・招集…」以下、国政・地方行政・財政・会計・経理・役員任免・賞罰・寺社・出版・風紀・会合・国交関係、第四類が「判事・検事、軽罪・重罪、始審・予審、治安・裁判…」以下、司法・訴訟・軍事・治安・交通・租税・国土・産業関係の語彙を集録する。いずれも楷書・大字・五行(四字一句・一行二句)・無訓で列記する。〔小泉〕
◆こうぼうじづくし [1136]
弘法字尽‖【作者】比丘円一作。【年代】江戸前期(貞享頃か)刊。[江戸]山形屋吉兵衛板。【分類】古往来・語彙科。【概要】半紙本一冊。『瑣玉集』†の改題本の一つ。計二九九聯(行)五九八句一七九四字を楷書・大字・五行(一行二句一聯)・付訓(片仮名)で記す。『瑣玉集』系の往来では収録句数が最も多い。なお、『瑣玉集』系の近世刊本には本書のほかに天和三年(一六八三)刊『小野篁離合歌』†がある。〔石川〕
◇こうみんようぶん [1137]
〈実地活益〉公民用文‖【作者】浦野直輝作。巻菱潭書。【年代】明治二九年(一八九六)刊(再板)。[大阪]青木嵩山堂板。【分類】消息科。【概要】前半に消息文例、後半に「証文・届書之部」を収めた用文章。消息文例は「賀新年之文」以下七八通の文例を載せるが、主として四季に伴うものや通過儀礼に関するもの、さらに田畑売買など取引上の文書、その他日常の雑事に関わる手紙を収録する。後半の「証文・届書之部」には「預り金証文」以下二六通の証文文例を収めるが、「地券預り証文」「諸会社入金証文」「毒薬類購求証文」など近代的な事項についての例文を多く含み、頭書には関連の用語(類語)を掲げる。〔小泉〕
◆こうもんていかきょうかちょうのことば [1138]
黄門定家卿花鳥の詞‖【作者】鶴渓書。【年代】江戸後期書。【分類】社会科。【概要】異称『花鳥の詞』。小型の折本一帖。「青柳の糸うちなひく春風に、朝戸出きゐる鴬の、窓のむら竹かさしおる、道行人の袂まて、にほふ桜もきさらきの、空も霞にたとりつゝ…」と筆を起こし、四季の風景や花鳥風月を七五調に詠んだ往来。半折(一頁)に大字・無訓で一行ずつ記す。〔小泉〕
◆こうゆ [1139]
孝諭‖【作者】石村貞一作・序。【年代】明治一六年(一八八三)序。明治一七年刊。[東京]桐蔭書屋(石村貞一)蔵板。近江屋半七(吉川半七)ほか売出。【分類】教訓科。【概要】異称『〈絵入〉孝諭』。半紙本一冊。江戸後期刊『孝行和讃』†(祭魚・北村桃渓画)の改題本(ただし異板)。本文を大字・五行・付訓で記す。本書板行にあたり、『孝行和讃』中に所収の四葉の見開き挿絵のうちの桃渓画の一葉(極楽浄土図)を割愛した。なお、刊記には「著者、姓名・住所不詳」と記す。〔小泉〕
◇こうようくにがえおうらい [1140]
甲陽国替往来‖【作者】野村由之書。【年代】寛保三年(一七四三)書。【分類】地理科。【概要】「良久敷不確愚触疎略之至難及頓頭併増増御繁栄之段珍重奉存候。当国府内万物不勝手之儀…」と筆を起こし、宝永二年(一七〇五)の春、甲府藩主柳沢家の大和郡山への国替事件にかこつけて、甲斐国内の地名・産物等の地理関連を記した往来。〔石川〕
◆こうようさくぶんれい [1141]
〈規則摘載〉公用作文例‖【作者】市岡正一編。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[東京]山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛)蔵板。星野松蔵売出。【分類】消息科。【概要】中本二巻二冊。「公用ニ従事スル文例」を集めた用文章で、巻之一に「戸籍之部」(「妻妾腹ノ子出生届」以下七三例)、巻之二に「養子・養女・婚姻・相続・離縁之部」(「実子無之者養子届」以下七三例)を収録する。合計一四六例はあらゆる状況の公用文をほぼ網羅するもので、頭書「規則摘載」に関連の法令を掲げる。本文をやや小字・七行・所々付訓(漢語に左訓)で記し、適宜、割注形式で言い替え表現を示す。〔小泉〕
★◆こうようちょうめい [1141-2]
甲陽町名‖【作者】村松なか書。【年代】安政三年(一八五六)書。【分類】地理科。【概要】異称『寺前町名』。特大本一冊。安政三年書「甲陽町名」と安政四年書「東海道往来」を合綴した手本『幼稚臨本』中に所収。「甲陽町名」は、甲斐国西山梨郡甲府の町名や寺社名を列記した往来で、「なまよみの甲斐の府中のはる風に、なひく柳の緑まち、野辺の草葉も青沼や、三日八日と日数へて…」で始まる七五調の文章で、甲府の各町と町々の様子を略述し、最後に「…稲荷賑ふ一蓮寺、並ふ御寺は広沢寺、長禅寺前、御仏の衆生を救ふ誓願」と結ぶ。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◇こうようぶん [1142]
公用文‖【作者】藤田守作。村田海石書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[堺]北村佐平板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。明治初年の公民生活に必要な願書・届書の書式を示した用文章。巻頭に諸願書伺届等に関する布令書を掲げ、続いて願書・届書の順に集録する。「願書之部」には営業願・商法会社開業願・地面借受願・新造渡海船印鑑下渡願・道路修繕願など一七通、また、「届書之部」には落品或は拾品届・板囲届・他行届・家名相続届・養子届など八通を載せる。なお、明治七年刊『公用文式』†は本書とほぼ同内容である。〔小泉〕
◆こうようぶん [1143]
〈黒田行元習字〉公用文(一〜三集)‖【作者】黒田行元作。川瀬白巌書。【年代】明治六〜七年(一八七三〜四)刊。[京都]石田忠兵衛(文明書楼)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈習字〉公用文』。半紙本三編三冊。土地・家屋売買・徴兵・留学・雇用等に関する証書・願書・届書などの各種公用文を収録した手本兼用文章。第一集は、明治六年刊『〈習字〉公用文章』†に同じ。第二集(編)は「帳簿御証印願」から「同(送籍)受取書」までの三六通、同じく第三集(編)は「田畑地券売渡願書」から「華族・士族従者雇入御届」まで二一通の書式を収録する。いずれも本文を大字・四行・無訓(例外的に付訓)で認める。〔小泉〕
◆こうようぶん [1144]
〈習字〉公用文‖【作者】渥美遂作。渡部劣斎書。小石処士(河野小石か)画。【年代】明治七年(一八七四)刊。[姫路]小川金助(柳影軒)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈飾磨県下・習字〉公用文』。半紙本一冊。明治初年に各地で多数出版された願書・届書の例文集の一つで、本書は飾磨県御用書林の小川金助による出版。冒頭「諸願伺届書雛形」で一般的な公用文の書き方を示し、以下、前半「願之部」に「隠居相続願」以下二一例、後半「届之部」に「他行届」以下一七例の合計三八例の公用文を掲げる。本文を大字・四行・付訓で記し、必要に応じて二行細注を施す。〔小泉〕
◆こうようぶん [1145]
〈小学習字〉公用文‖【作者】長岡恵俊作。川瀬白巌書。玉水画。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[京都]石田忠兵衛(文明書楼)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈習字〉公用文』。半紙本一冊。「陸軍省へ献品御願」から「人乗車番号御願」までの願書・届書の例文三四通を収録した用文章。師範学校入学、医者開業、洋学、道路修繕、送籍、出稼ぎ、鑑札、取引・売買、死去その他に関する各例文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◇こうようぶんしき [1146]
〈深沢菱潭書〉公用文式‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]書学教館板。[甲府]内藤伝右衛門売出。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。明治初年の公民生活に必要とされた願書・届書の例文を集めた用文章。前半「願書之部」、後半「届書之部」から成る。「願書之部」には営業願・借地願・人力車検印願・板車等検印願・人力車検印改願・自転車等賃貸願・戯場並びに軍談興行願・耕牛市願・堤防修繕願・変死人検使願・送籍願など一四通、また、「届書之部」には落品或は拾品届・盗難届・逃亡届・家名相続届・養子届・出産届・死去届・獣類死去届・旅行届・寄留届の一〇通を収める。明治六年刊『公用文』†とほぼ同内容。〔小泉〕
◇ごうようぶんしょう [1147]
郷用文章‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】社会科。【概要】阿波・淡路両国の領民を対象に、宗門人別・諸職業・賞罰・人相書・地方および農村経営(検地・年貢・徴税・施設整備)・普請・旅宿・貸借・財産処分・鎮守信仰など公民的知識・心得を綴った往来。「夫、阿淡御両国十一郡、市郷・浦里、御法度・御制禁・御公儀様御成下御制札表書之通、切支丹宗門御改、真言・浄土・禅・天台、修験・山伏…」と筆を起こし、上記を柱としながらも、衣食住に関わる語彙を所々に鏤め、倹約その他若干の生活心得も盛り込む。〔小泉〕
◆こうようぶんしょう [1148]
〈習字〉公用文章‖【作者】黒田行元作。川瀬白巌書。玉水画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[京都]石田忠兵衛(文明書楼)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈黒田行元習字〉公用文(一集)』『〈習字〉公用文(一集)』。半紙本一冊。種々の願書・届書など公式書類の例文を集めた用文章。送籍願・入校願・退校願・商社願・養子願・縁組願・他国へ出稼御届・同帰国御届・改印御届・家出届・家出帰宅御届・孝心者御届・洋行願・隠居家督願・跡式願・免職願・副戸長介進退願・借地興業物願・渡世願・借家取立願・帰俗願・改宗願・地所開墾願・献金願・転宅届・旅行届・川筋瀬替願・出産届・死去届・紛失物届・道普請御届并車止札御下げ願・官地拝借出し店願・懐中物取落御届・縊死届・水死届・損札引換願・止宿人御届の四七文例を収録する。本文を大字・四行・付訓で記す。なお、本書は後に『〈黒田行元習字〉公用文(一集)』†と改題され、この書名で第三集まで続刊された。〔小泉〕
◆こうようぶんしょう [1149]
〈新正広布〉公用文章‖【作者】三谷而行作。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]丁子屋平兵衛(文渓堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。「公債証書之利息裏書請取書」を始め、「金高記載不致荷物判取帳之類証印願」など、上巻一八通、下巻二〇通の公用文例を集めた用文章。本文を楷書・大字・六行・無訓で記す。「開成学校江入門之誓書」「医学校江入門之誓書」などの題材からして、比較的教養の高い読者を想定したものであろうか。〔母利〕
◆こうようぶんれい [1150]
〈万民必携〉公用文例‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治年間刊。[東京]星野松蔵ほか板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。願書・届書、その他の公式書類の文例を集めた用文章。「送籍之願書」から「俳優〈并〉音曲諸芸師営業之願書」までの一〇九通を収録する。公民としての個人に関する届書や財産・事業についての各種願書、戸長その他の公職に関する書式等を載せ、各例文を大字・五行・稀に付訓で記す。〔小泉〕
◆こうようぶんれい [1151]
〈南沢督清編輯〉公用文例‖【作者】南沢督清作。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[姫路]伊藤和七郎板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。役所へ提出する願書・届書の書式を集めた用文章。「分家願」から「紛失届」まで一〇四例の書式を掲げる。本文を楷書・やや小字・一一行・無訓で記し、所々細注を施す。また、文書毎に提出先の区別を「郡区」「府県」「戸」のように表示する。〔小泉〕
◆ごおんのまき [1152]
〈伊藤参行著述・柴田花守補訂〉御恩乃巻‖【作者】伊藤参行(花形浪江)作。柴田花守(咲園)補。五島三喜序。【年代】文化(一八〇四〜一八)頃作。明治五年(一八七二)刊記。明治六年序・刊。[吉田]神戸三藤(実行社)蔵板。[大阪]秋田屋太右衛門(田中太右衛門)ほか売出。【分類】教訓科。【概要】異称『〈小学必読〉御恩乃巻』。半紙本一冊。「父母の、御恩の深きお恵み、ねてもさめてもわするなよ、まづあさおきてみをきよめ、もとのちゝはゝをがみつゝ…」で始まる七五調の文章で、「日夜身に蒙る所の種々の恩頼を酬奉る事を懇に諭し示し」た教訓書。大父母(もとのちちはは)の御恩・日輪の御恩・泰平の御恩・主人の御恩・師匠の御恩・親の御恩の六章に分けて、それぞれの高恩と報恩のための具体的目標を示す。本文を大字・五行・付訓で記す。巻末に上記の教訓を敷衍した「子傅謡(こもりうた)」を掲げる。『四民教諭』†と同様に、文化年間に参行が著した遺稿を明治期に上梓したもの。〔小泉〕
◇こがくにせんもん [1153]
古学二千文‖【作者】生田国秀(万・瞭・道満・道麿・小膳・多門・華山・桜園・東華)作。宮本芳郎補(読例)。賀藤景琴序。菅原豊秋跋。【年代】天保(一八三〇〜四四)頃作。嘉永二年(一八四九)刊。[江戸]伊吹廼屋蔵板。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。「天地未生、乾坤不萌…」と筆を起こし、神代より江戸時代に国学が興るまでの歴史を平田篤胤派の古学の立場から記述した『千字文』型往来。六〇四句、二四一六字から成る本文を大字・隷書で記す。生田国秀が本書を著したのは天保年間であったが、初刊は著者没後の嘉永二年で、文久元年(一八六一)に「読例」を増補して再板されたという。〔石川〕
◆ごかせいれい [1154]
〈教訓〉伍家勢以令‖【作者】三野元密作・序。三野知影跋。【年代】天明六年(一七八六)作。寛政九年(一七九七)跋。文化七年(一八一〇)序・刊。[高松か]大里正等蔵板。[京都]菱屋孫兵衛(藤井孫兵衛・五車楼・富生堂)売出。【分類】社会科。【概要】異称『伍家制令詳解』『五家制令詳解』。半紙本一冊。高松藩が天明五年一二月に領内に布達した『伍家制令』の絵入り注釈書。『伍家制令』は、家業出精・法度遵守・善行・和睦・公序良俗・治安・連帯責任など、五人組仲間が守るべき規範を全七行に記したもので、これを語句毎に詳しく解説・敷衍したのが本書である。五人組法規の唯一の衍義書として注目される。本文をやや小字・九行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こがみぐさ [1155]
〈富田ト著・女子訓蒙〉顧我身草‖【作者】富田ト作。堀尾信徴(枢」)書。【年代】明治七年(一八七四)書・刊。[岡山]世良田益太郎(美延堂)板。【分類】女子用。【概要】中本一冊。七五調の文章で明治初年における婦女子の心得を綴った往来。「今世は日々に新なる、文明開化の時なれば、いかで人道立たざらん…」で始まる教訓文で、開化の時だからこそ人道はなおさら守らねばならないとし、人道の根本である親孝行を始め、結婚後の女性の心得を人間関係・家事・立居振舞・心延えの諸点から説く。本文を大字・四行・付訓で記す。いずれも近世以来の教訓であり、近代にふさわしい革新的・進歩的な主張はほとんど見られない。〔小泉〕
◆ごきょうじょう [1156]
御教条‖【作者】評定所(蔡温ほか)編。【年代】雍正一〇年(一七三二)制定。一九世紀前半刊か。[琉球]仲本朝睦板。【分類】社会科。【概要】異称『琉球王御教条』『琉球式目』。大本一冊。琉球の評定所が雍正一〇年(享保一七年)一一月一八日に発布した布令の文章による手本。蔡温が立案し、文書奉行の豊川正英が執筆し、摂政・三司官の連名で評定所が発布したもので、蔡温の政策を知る好史料とされる。本文を楷書・四行と行書・四行を交互に掲げた八行・無訓で綴る。「一、御当国之儀、天孫氏被遊開国候得共、御政法又ハ礼式抔与申事茂然々無之、殊小国之事ニ而何篇不自由罷在候処…」で始まる前半七カ条は「士農工商之働」に関わるもので、各身分がもっぱら「国用」に益するように勤めるべきことを強調する。他方、「一、人間之道与申者、孝行題目ニ候。孝行与申者、諸士・百姓共其身之行跡題目ニシテ家中人数、其外親類縁者ニ至迄睦敷取合…」で始まる後半一二カ条は「諸事」に関する条々で、日常生活上大切な諸教訓を諭す。社会科式目型・公民型ないし教訓科一般教訓型に属する往来であり、琉球の「諸士并田舎、諸嶋末々迄」を対象にする点でも異色の往来である。〔石川〕
◆こくがくしょにゅうもん [1157]
国学初入門‖【作者】井口敬守作。山下真柱序。岡平保(保貞・五郎吉・大隅)跋。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]河内屋平七(三木平七)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。神国の成り立ちや神事についての根本や基礎知識を初学者用に平易に説いたもの。神民として国の掟に背かぬように諸神・諸霊を朝夕礼拝すべきこと、毎年六月・一二月の晦日に悪事や災難・罪科を祓うべきことを始め、種々の事柄についてまつるべき神々などを七五調の美文で綴る。末尾は、神・君主・先祖・親の恩を忘れず、朝夕家業に励み、家内和睦し繁栄することが平民の忠孝そのものであること、世界万国中で日本が最も尊いことなどを述べて結ぶ。本文を概ね楷書・大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こくぐんくんぎ [1158]
国郡訓義‖【作者】山崎直高(英庵・雄・清卿)作。中田長祥書。【年代】明治四年(一八七一)刊。[東京]須原屋佐助(中村佐助・金花堂・養浩楼か)板。【分類】地理科。【概要】異称『当今国郡名尽』。半紙本一冊。全文準漢文体の文章で、日本の国郡制の歴史(神武天皇から明治二年の北海道制定までの沿革)と各国の郡数・郡名(畿内八道八四国七一六郡)を列記した往来。本文を楷書・大字・四行・付訓(所々左訓)で記し、稀に割注を施す。頭書に「往古国郡之制」「諸国(の歴史)」「往古京都之地制・地制之略図」「郡県并封建之事」等の詳細な記事を載せる。「題辞」に象徴されるように国名の由来・変遷等に詳しく、国郡名の表記(新旧の違い)や訓詁に厳密な点が特徴。〔小泉〕
◆こくぐんふけんめいづくし [1159]
国郡府県名尽‖【作者】浦野鋭翁校。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]嚶鳴社板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。明治七年当時の日本の府県名・郡名(三府六〇県七二五郡)と旧国名とを五畿七道毎に綴った往来。楷書・大字・六行・付訓で記す。旧国名とその略称や郡数、また新政府下での府県名と県庁所在地に続けて、管内の郡名を列記する。巻末「附録」に、当時の日本総戸数は約七〇八万三〇〇〇戸、総人口は約三二八六万六二〇〇人と紹介する。〔小泉〕
◆★こくしおうらい [1160]
〈高見著〉国史往来(巻之一)‖【作者】高見猪之介作。苅谷保敏書。南摩綱紀序。【年代】明治七年(一八七四)序・刊。[京都]河島九右衛門ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈高見氏〉国史往来』『〈高見猪之介編述〉国史往来』。半紙本一冊。「鋪しまの、倭の国は皇(すめらぎ)の、天廼日嗣(あめのいつぎ)の千五百秋(ちいおあき)、五百長穐にとこし辺に、しらしたまひて天地と、ゝもに限りの非ざれば…」で始まる七五調の文章で、神代から桓武朝・平安遷都までの皇統の歴史を綴った往来。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、日本神話の神々や歴代天皇の事跡を図解を載せて開設する。なお、柱に「巻之一」の記載があるため、二巻以降に平安時代以後を予定していたと思われるが、二巻以降は未刊である。〔小泉〕
◆★こくしせんじもん [1161]
国史千字文‖【作者】角田錦江(炳・文虎)作・序。土井恪序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[美濃笠松]玉井忠造(獺祭堂)ほか板。【分類】歴史科。【概要】大本二巻合一冊。「乾坤肇剖、陰陽既生、八洲早産、万象漸盈…」と筆を起こし、わが国の天地開闢、国土生成から安土桃山時代までの歴史を『千字文』形式で綴った教科書。上巻には神代から南北朝時代までの国史の流れを人物・事跡を中心に綴り、下巻には室町時代から織豊政権、家康の天下統一までの治乱興亡のあらましを記す。本文は上・下巻合計で五言五〇〇句二〇〇〇字からなり、それぞれ楷書・大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こくせんやおうらい [1162]
国姓爺往来‖【作者】不明。【年代】享保二年(一七一七)序・刊。[大阪か]刊行者不明。【分類】歴史科。【概要】異称『国性爺往来』。中国明の遺臣・鄭成功(一六二四〜六二)の伝記を通じて忠孝を諭した往来。「抑鄭芝竜老一官者、大明十七代思宗烈皇帝之忠臣、以義雖諌君、金言逆耳、良薬苦口、還而尊君甚怒…」で始まり「今唐子孫伝事、忠孝・正直、神慮叶故也。猶、可辨忠孝二、爰以自可教訓者也、仍如件」と結ぶ文章で、鄭成功こと国姓爺の生涯を紹介する。現存最古の伝記型往来として重要。また、本書が編まれた享保二年は、近松門左衛門作「国姓爺合戦」が大坂竹本座で公演された年でもあり、この種の浄瑠璃の評判にあてこんで作られたものであろう。従って、板元も大阪書肆と思われる。日本大学蔵本は刊本を写した大本一冊で、本文をやや小字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こくぶでらじょう [1163]
国分寺状‖【作者】不明。【年代】江戸後期作・書か。【分類】地理科。【概要】佐渡国真野村(佐渡郡真野町)にあった古代佐渡国分寺ゆかりの国分寺の縁起を中心に同村の沿革を記した往来。「乍慮外、重而御侘言申上候。我等門前之百姓御帳面之内半分者、可被召上之由、被仰出候…」で始まる「己九月六日」付けの国分寺住職の書簡文の体裁で、国分寺が由緒正しく歴史の長いこと、また、伝承が示すように霊験あらたかなことや、その結果、佐渡には「無双之金銀」が湧き出で、真言宗衆徒が多く繁栄したことなどを述べる。重写本は大本一冊で、本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こくほうおうらい [1164]
国宝往来‖【作者】枕泉老人作。阿式与右衛門書。【年代】明和六年(一七六九)作。文化一〇年(一八一三)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。「凡、雖士農工商、農民者、四民之第一、為国家之宝。農民及困窮則、譬如樹枯根…」で始まる文章で、諸職・諸商・諸芸の名称と、その中で農民こそが最も重要な職業であり国宝であること、また、農民が身に付けるべき教養や農業知識・耕作技術、農作物、農民生活上の心得などを記した往来。農民は四民第一の職業であり、農民が困窮すると万民が餓死に及び、商売も不可能になり、大名・諸役人もその本分を全うできなくなるから、農民は「四民之随一、国家之宝」であると、まずその大切さを強調する。続いて、農家子弟は幼少よりの手習い・学問・算用が不可欠であると述べ、以下、人倫・社会(地方・租税)・家庭生活・農具・気候・農耕・農業設備・田畑・農作物・家財諸道具・衣類・休耕地用産物・住居・諸行事・食物・宗教・娯楽等の語彙を掲げる。本文の所々で農民心得に触れ、再び末尾で農家主人の心得全般を説いて結ぶ。作者は弘化三年(一八四六)写本(日本大学蔵)によるが、同書は本文を大字・五行・無訓で記し、末尾に筆者の年齢を示すと思われる「十三時」の記載がある。〔小泉〕
◆こくみんしんようぶん [1165]
国民新用文‖【作者】塩見文準作。【年代】明治二三年(一八九〇)刊。[東京]松栄堂(大草常章)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。明治後期の用文章の一つ。大きく時令門・慶賀門・慰問篇の三つに分けて消息文例を配列した点に特色があり、それぞれ「新年慶賀之帖」以下三〇通、「賀婚姻之文」以下一二通、「臥平訊問之啓」以下一七通の合計五九通を収録する。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語の大半に左訓を付す。頭書を二段に分かち、上段に「消息類語」、下段に「東牘類語」の類語集を掲げるほか、銅版(活版)刷りの前付に「諸証文例之部」「証券印税規則」を載せる。〔小泉〕
◆こくみんようぶん [1166]
国民用文‖【作者】福井淳作。湯川亨(南海堂)書。【年代】明治二二年(一八八九)刊。[大阪]浜本伊三郎(明昇堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。全体を「四季之部」「慰問之部」「賀弔之部」「報知之部」「依頼之部」「雑部」の六部に分け、多数の例文を集録した用文章。それぞれ「新年之文」以下一四通、「火事見舞之文」以下七通、「新婚を賀する文」以下九通、「転居報知之文」以下八通、「新聞紙へ広告を頼む文」以下六通、「物品逓送を報ずる文」以下二一通で、合計六五通を収める。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書に公式文書の例文を多く掲げるのが特徴で、「諸証書之部」「裁判之部」「諸願届之部」の三部に分けて合計八〇例を示す。また、前付約三〇丁は銅版印刷で、地理・歴史・英語・芸能・法律・占いなど多彩な記事を載せる。〔小泉〕
◇ごけいおうらい/ぎょけいおうらい [1167]
御慶往来(仮称)‖【作者】尊円親王書(原筆)。尊朝親王筆(天正一九年(一五九一)重写)。良恕法親王書(慶長三年(一五九八)再重写)。【年代】鎌倉後期作。天正一九年書。【分類】古往来。【概要】巻子本一軸。御房丸と称する人の手紙文一三通(主として往状)と増春からの六月返状一通の計一四通から成る古往来。「新春御慶、祇候之間、言上雖事旧候、猶々幸甚々々…」で始まる御房丸の新年状以下、賀茂祭、避暑、七夕、囲碁、日吉社参詣など日常生活や諸行事に題材を求めた月次状を、行書体・一行約七字・無点で記す。〔石川〕
◆ごこうさつさとしぐさ [1168]
御高札諭艸〈併違式モ違述義〉‖【作者】高田義甫(協力舎)作。伊藤信平書。【年代】明治六年(一八七三)作・刊。[滋賀]協力舎蔵板。[東京]森田元吉(雁信閣)ほか売出。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。明治初年の高札および刑法の衍義書。第一札(「一、人たるもの五倫の道を正しくすへき事」以下三カ条)から第三札(「一、切支丹宗門の儀は、是迄御制禁の通固く可相守候事」以下二条)までの「三御高札」と、「違式モ違(かいい)条令之写」五四カ条の注解本。本文をやや小字・七行・稀に付訓で記し、注釈文を本文よりやや字下げしたうえ「義甫謹按ずるに…」と書き始める。童蒙教訓を目的としながらも、罰則等の具体的措置について言及するように刑法を教材化した点が注目すされる。〔小泉〕
◆ごこうさつのうつし [1169]
御高札之写‖【作者】不明。【年代】天保一四年(一八四三)刊。[江戸]本屋又助(頂恩堂又助)板。【分類】社会科。【概要】異称『童子訓』。半紙本一冊。正徳元年(一七一一)五月の高札を始めとする一〇種の高札(正徳元年五月、享保三年(一七一八)一〇月、享保六年二月、享保一一年一月、明和八年(一七七一)ほか)を収録した往来物。やや小字・九行・付訓で記す。なお、本書には中本仕立ての弘化二年(一八四五)板もあり、同じ板元から出版されている。なお、本書天保一四年板の外題を『童子訓』とした別本(刷表紙)もある。〔小泉〕
◆ごこうさつのうつし/ごこうさつうつし [1170]
御高札写‖【作者】神本随秀堂書。【年代】嘉永七年(一八五四)書・刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】社会科。【概要】異称『御高札御文段』。大本一冊。天保一四年(一八四三)三月、南町奉行所より江戸町内の筆道師範に下された触書を大字・六行・無訓で記した手本。「一、手跡は貴賤男女に限ず相応に認候はねば叶はざるものに付、仮初にも疎に心得へからず候事」以下四カ条と、正徳元年(一七一一)五月の高札の一部(「親子・兄弟・夫婦を始め諸親類に親く下人等に至迄是を憐むべし…」以下九カ条)を認める。〔小泉〕
◆ごこうたいもよう [1171]
〈御奉行〉御交代模様‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】社会科。【概要】佐渡奉行交替時の様子を記した往来。「殿様御交代之砌、模様荒増之分書進申候。御本陣畳表替に付、茎十束、縁布五反、湯殿・雪隠迄壁上塗、左官等、其外、唐紙、上張、壁腰張、障子張替…」で始まる文章で、家屋の改修・新装、家具・調度の新調、諸役人掌握や庶民労働者の召集、御召船その他乗物の用意、料理方諸準備、武具・馬具その他の物資手配・人員配備から、新奉行を迎える手順までを紹介する。重写本は大本一冊で、本文を大字・七行・無訓で記す。武家公務に関する往来として興味深い。重写本は佐渡新町・山本半蔵店旧蔵であり、佐渡で使用された特異な往来である。〔小泉〕
◆こころえうた [1172]
〈教訓〉こゝろ得哥‖【作者】二生堂作・序。清水橘井堂・堀子守・中村律・中川幾野・中山某・中川貞寿・石川伊織・石津某・天野由賀・甲田利居・臨泉堂・志野田某・加藤要蔵・星野某・山田某・鴨南斎・荒木某・神足某・朝倉清兵衛・大沢某・八木利愛・藤野井・井上某・上村市兵衛・清水秋蘭・西谷良恵・邑雲・三品しげの・野村某ほか書。【年代】天明元年(一七八一)刊。[京都]林伊兵衛(文錦堂)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『こゝろ得歌』。大本一冊。例えば、親が子に教訓書の如き親孝行を強要したり、亭主が妻に『列女伝』を押し付けたりすることはかえって災いの基になるため、父に父の道、子には子の道、姑に姑の道、嫁には嫁の道をそれぞれ立てて、相手ではなく各自が己の心を反省することが大切であるとして、主に家族構成員のそれぞれの立場の教訓歌をまとめた往来。父の心得・子の心得・母の心得・母に対する子の心得・舅の心得・嫁の心得・姑の心得・姑に対する嫁の心得・兄の心得・弟の心得・夫の心得・妻の心得・媒の心得・百姓の心得・細工人の心得・商人の心得・師の心得・弟子の心得・朋友に交わる心得・心を治むる心得・身を治むる心得・家を治むる心得・世にまじわる心得・貧しきものの心得・多言なる者の心得・養生の心得・物喰う時の心得・着物きる時の心得・天地を恐るる心得・天命をしる心得・理の極まりなきをしる心得・平生の心得・君の御心得・臣の心得の三四項に分けて教訓歌を列挙する。「行儀とてしゐて呵れば気がそれる、かなはぬ事は人にいはせよ」(父の心得)以下合計二一七首を、京都の代表的な寺子屋師匠(総勢三〇名)に書かせているのも独特で、巻末の執筆者一覧には女流書家(女師匠)の名も少なくない。本文を大字・五行・所々付訓で記す。なお、本書に続く同体裁の往来『こゝろもち歌』†が翌年に出版された。〔小泉〕
◆こころのくさび [1173]
〈窮理修身〉心乃轄‖【作者】下嶋操存作・序・刊。大槻磐渓(清崇・士広・平次・江隠・寧静・鴻漸斎)・信夫粲(恕軒)・序。【年代】明治八年(一八七五)序。明治九年刊。[茨城]下嶋操存蔵板。[東京]出雲寺万次郎売出。【分類】教訓科。【概要】異称『〈窮理修身〉心乃牽』。中本一冊。「神を敬ふの心無く、国を愛するの情無きは心の轄あらさる也」のように、「○○は心の轄あらざる也」で終わる二一五の金言を、「一、正心及明倫」「二、文学」「三、斉家及経済」「四、官途」「五、言行」の五門に分けて列挙した教訓書。読者への印象づけを強くするために各条の文末を統一するのが特徴。本文をやや小字・七行・所々付訓で記す。また、巻末「附録」にも同様の金言一二条を追加し、人倫・学問・家職全般に及ぶ諸教訓を説く。〔小泉〕
◆こころもちうた [1174]
こゝろもち歌‖【作者】二生堂作。清水橘井堂書。【年代】天明二年(一七八二)跋・刊。[京都]林伊兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。前年に刊行された『こゝろ得哥』†と同趣向の往来で、「○○の心持ち」という題で、日常生活上の諸教訓を五・七・五・七・七の教訓歌に詠んだもの。父の心持ち、子の心持ち、母の心持ち、母に対する子の心持ち、舅の心持ち、嫁の心持ち、姑の心持ち、姑に対する嫁の心持ち、娘に対する親の心持ちなど五六題五六首を収録する。例えば冒頭「父のこゝろ持」には、「子は常に親を見習ふものなれは、身の行儀こそ大事なりけれ」、「子の心持」には「何もかも親より出たる我なれは、竪にも横にもおや次第なり」の教訓歌を掲げる。人倫、行住坐臥の生活教訓や卑近な処世訓など、家内各人の心得を説く。本文を大字・五行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◇ここんにじゅうしこうたいせい [1174-2]
〈ゑ入〉古今二十四孝大成‖【作者】貞阿子作・序・跋。【年代】元禄一四年(一七〇一)序・跋刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『古今二十四孝』『二十四孝俗解』。大本四巻四冊。序文によれば、元禄初年頃刊『分類孝行録(こうぎょうろく)』の本文を平易な仮名書きに改めたものという。跋に「二十四孝に註解し、又これになぞらへて古をかんがへて二十四人の帝賢・庶人の孝者を今更にゑらびて『古今二十四孝』といふ」とあるように、通常の『二十四孝』とともに、新たに作者が選んだ『二十四孝』を併せて収録する。通常の『二十四孝』に比べ、孝子小伝が長く、一人につき数葉の挿絵を掲げるなど、読み応えのある内容になっている。孝子の一生を詳しく綴り、適宜、典拠も示し、末尾に「詩曰」として五言賛を掲げたうえで、その注解も付す。類書中最も大部なものと思われる。本文を小字・一二行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ここんめいぶつおうらい [1175]
古今銘物往来‖【作者】鎌田善吾(有隣斎・家正)作・書。【年代】享保一二年(一七二七)作・刊。[大阪]柏原屋清右衛門(渋川清右衛門)板。【分類】地理科。【概要】異称『銘作祝言状』。大本一冊。「若殿様御誕生、為御賀、従諸国被差上御腰物者…」で始まるように、ある大名の子息誕生の祝儀として献上する諸国名刀の品々について綴った往来で、全国の刀剣類の産地と刀工の名称・由来などを紹介する。一種の『名物往来』で、山城粟田口の久国小狐、京都三条の小鍛冶宗近、平安城の長吉、根本中堂の来包光を始め、北は陸奥・出羽から南は薩摩に及ぶ各地の名刀を順々に列挙する。末尾には、後鳥羽院の時代にくじ引きで毎月の警護役が定められたことなどに触れる。本文を大字・四行・付訓で記す。本書は『銘作祝言状』と改題されて、享保二〇年(一七三五)刊『福寿用文翰墨蔵』†の頭書にも収録された。〔小泉〕
◆ごじきょう [1176]
五字教‖【作者】杉崎天年(基・伯徳)作。日野太素(元質)書。田嶋元伯・佐野与跋。【年代】天保一二年(一八四一)刊。[相模]明倫塾板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。『三字経』†に模して編集された往来の一つ。「頭上謂之天、足下謂之地、中間生万物、人是万物長…」で始まる漢字五字一句、全二九四句の文章で、天地・人間世界のあらましや五倫・五常を始めとする人倫、先賢の事跡や君子の道などを諭した教訓。末尾で本書撰作の動機に言及する。本文を楷書・大字・四行・無訓で綴る。上総出身の著者が相模国愛甲郡築井村で開塾し、数年を経て帰国の際に門人達のために綴ったものが本書であったが、後年、門人二一名が醵金してこれを上梓したという。〔小泉〕
◆こしごえじょう [1177]
腰越状‖【作者】不明。【年代】室町後期作。古写本は天正一〇年(一五八二)頃書。古刊本は慶長五年(一六〇〇)刊。[長崎]日本耶蘇会板。【分類】歴史科。【概要】異称『腰越申状』『義経申状』『義経腰越状』『腰越状絵抄』。江戸初期刊本はほとんど大本一冊。いわゆる『古状揃』†に所収の古状中、最も古く確実なもの。前内大臣平宗盛父子を捕らえた義経が鎌倉に入ろうと腰越に到着したところ、先の八島の合戦での逆櫓をめぐる口論で恨みを持つ梶原景時が頼朝に讒言し、兄頼朝の怒りを買ったことに対し、自らの功績を列挙し兄をないがしろにする気持ちのないことを、大江広元宛てに切々と述べる。本来『平家物語』『義経記』等に収められていたものだが、刊本の「元暦二年六月日進上、因幡守殿」という年時・宛名の書き方は、流布本『義経記』や百廿句本『平家物語』に近い。単行刊本は『今川状』†と合本したものが大半で、寛永一九年(一六四二)・安田十兵衛板以降、類本の出版が続出し、さらに江戸後期の仙台板には『腰越状』の単独版(『〈新版絵抄〉腰越状』『〈新版〉腰越状絵抄』等)が登場した。〔母利〕
◆こじつけあんもん [1178]
〈諸用〉附会案文‖【作者】十返舎一九作・画。浅葉庵音芳(古河半右衛門・伊勢屋半右衛門・野咲梅輔・十二月庵)序。豊事也(駿河屋半兵衛か)跋。【年代】享和四年(一八〇四)序・刊。[江戸]駿河屋半兵衛(茶林堂)板。また別に[江戸]上総屋忠助(慶賀堂)板(後印)、[江戸]大嶋屋伝右衛門板(後印)、[江戸]英文蔵板(後印)等あり。【分類】消息科(滑稽本)。【概要】異称『諸用附会案文』。中本一冊。当時通行の用文章をもじった滑稽本。「天道様え年頭状」「日蝕御見舞之文」「雨乞之文」「地震の鯰え遣す文」「極楽へ遣す添状」「仏になりたるを賀す文」「幽霊指留に遣す文」「竜宮へ頼状」「乙姫病気見廻之文」「鼠之嫁入を賀す文」など、「日用入らざる文言」の奇抜な例文三〇通を載せる。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭・頭書の記事も往来物のパロディーで、「文字之由来」「筆之由来」「墨之由来」「紙之由来」「士農工商画抄」「伊呂波之発端之事」「書用無重宝記」「手形証文尽」「月之異名」「苗字づくし」「無筆の文言」「筆法伝授」「扁づくし」「生花指南」「算盤早割」「妙薬秘伝」「知恵海書抜法」などを収録する。また、初板本に付された『増補附会案文』広告や豊事也跋文等は後印本では削除された。なお、本書の趣向や内容を模倣したものに、鼻山人作『〈滑稽〉道外案文』がある。〔小泉〕
◆こじつしきぶんしょう [1179]
故実四季文章‖【作者】十返舎一九作。晋米斎玉粒書。歌川国安画。【年代】文政八年(一八二五)刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】社会科。【概要】異称『四季文章続編』『故実四季文章続編』(いずれも続編)。半紙本二巻二冊。板元・山口屋藤兵衛の求めに応じて一九が著わした一連の往来物の一つ。年中行事に関する故実を題材にした往来で、正編には一月から七月(七夕まで)を、続編には七月(中元)から一二月までを記す(正編・続編ともに本文を大字・五行・付訓)。諸書(『字彙』『世風記』『本草綱目』『五雑俎』『枕草子』『歳時記』『日本紀』『四季物語』『広博物志』『事文類聚』等)からも引用しつつ、月々の各行事毎に語源・由来・意義などについて平易に説く。各月の主内容は、一月が画鶏・赤白の餅・屠蘓酒・七種粥など、二月は記載なし、三月が上巳・雛遊び・奴婢の薮入・寒食など、四月が結果(結夏)・灌仏、五月が端午・菖蒲酒など、六月が氷室・嘉祥食い、七月が七夕(乞巧奠)・中元・盂蘭盆会、八月が八朔・月見、九月が豆名月・重陽の節句、一〇月が玄猪、一一月が冬至、一二月が追儺・除夜(七月「中元」以下続編)。以上の大半が寺島良安の『和漢三才図会』巻四「時候類」を写したもので、雛祭りや中元、盆踊り等に独自の記述を若干加える。正編頭書には「天象之部(気象諸現象の状態・原因・季節・影響など)」と月々の雨天予測に関する記事、続編頭書には「四時風雨之占」「月次風雨の吉凶」「本朝俚語」「石鏃降地(『続日本紀』に見える出雲地方での石降り現象等)」をそれぞれ載せるが、これらも全て『和漢三才図会』巻三「天象類」からの引用である。また、正編の口絵に「年頭嘉祝諸侯方御登城行列之図」、続編の口絵に「金竜山浅草寺観世音境内年の市繁栄群集之図」を掲げる。〔丹〕
◇こじゅういんのわげ [1180]
五十韻のわげ‖【作者】加藤裕一作・序。村田海石書。松川半山画。【年代】明治五年(一八七二)序。明治六年刊。[大阪]河内屋喜兵衛板。【分類】語彙科・教訓科。【概要】異称『五十韻之原由』。半紙本二巻二冊。五十音とその使い方や意義などを諭した手習い手本。上巻は。まず五十音を大字で書し、続いて「五十韻経緯図」「片仮名五十韻」「西洋三体二十六字(アルファベット各体)」「〈仮名三体〉五十韻(漢字三体とアルファベット三体で綴った五十音)」を収録する。下巻は、五十音の意義などについて記した一文で、五十音が世界に誇り得ることや母音・子音や五十音の構成、仮名遣いの基本を教える。〔小泉〕
◆ごじゅうおん・だいとう・ちめい [1181]
五十音・大統・地名‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。脩道館蔵板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。「五十音(「阿・ア・あ」のように三体で示した五十音)」「大統(神代・人皇。明治天皇までの天皇名と本名)」「地名(大日本国尽の改編版。日本各州名と世界各国名)」から成る。本文を大字・五行・無訓で記す。巻末に「活版五百部限」と印刷され、見返に「脩道館印」を押す。〔小泉〕
◇ごじゅうおんならびにすうじ [1182]
五十音〈并〉数字‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。「五十音(片仮名・平仮名)」「数字」「小文(短文の消息集)」「大日本国名帖」「源平帖(名頭字)」から成る手本。それぞれに表題を記した中扉を設け、大字・二行・無訓の手本用。末尾に「十干十二支」ほかを掲げる。また「藩学允行」の朱印を押し、地方の私家版と思われる。〔小泉〕
◆ごじゅうにんいっしゅ [1183]
〈教訓名歌〉五拾人一首‖【作者】邨井正宣(臨泉堂)作・序・刊。奈良富則跋。【年代】寛政五年(一七九三)序・刊。[京都]邨井正宣(臨泉堂)蔵板。銭屋惣四郎ほか売出。【分類】教訓科。【概要】異称『〈童蒙〉教訓名歌〈五拾首〉』『教訓名歌集』。半紙本一冊。「至誠/こゝろだにまことのみちにかなひなば、いのらずとても神や守らむ」のように童蒙教訓となる金言・格言とそれを敷衍する教訓歌五〇首を集録したもの。教訓歌の首題は至誠・明徳・学問・性善・孝・恕・節操・柔・忍・知足・慈愛・三省等々で、所々、歌人名を小字で付記する。本文を概ね大字・五行・付訓で記す。口絵に見開き二葉の挿絵(童蒙図)を掲げる。〔小泉〕
◆ごじょうかじしゃめぐり [1184]
御城下寺社巡‖【作者】山元俊書。【年代】文政六年(一八二三)書。【分類】地理科。【概要】異称『高遠御城下寺社巡』。特大本一冊。「兼々申合候通、衣更着の彼岸中、いさや名にあふ高遠の、御城下に聞へたる神社仏閣拝みめくり、是を次手に児童に、寺号・山号・宮社の由来やまたは其文字をも教しらせ可申と思ふ人たち…」で始まる文章で、高遠藩城下の寺社名や宗派・縁起・祭礼その他を略述した往来。まず高遠城とその由来、その東の峰山禅寺以下、桂泉院・西竜寺・諏訪明神・樹林寺・香福寺・延命院・蓮華寺・満光寺・健福寺などを紹介する。現存する文政六年写本・明治二年(一八六九)写本(竹村袈裟吉書)ともに本文を大字・二行・無訓で記す。〔小泉〕
◇ごじょうきんざいむらなづけ [1185]
御城近在村名付‖【作者】不明。【年代】江戸後期作・書。【分類】地理科。【概要】「先、東は音羽山清水寺、南安東・小黒むら、曲金たる柚木村、聖一色池田村、長沼越て片山の…」で始まる七五調の文章で、駿府城下周辺の村名・寺社名等を列記した往来。ほとんど地名の羅列に近いが、一部、「上原の地蔵拝んで後世吉田、数珠栗原に花は古庄」の狂歌を引いたり、各地の故実や名物などに触れた箇所もある。〔小泉〕
◆ごじょうごりんめいぎ [1186]
五常五倫名義‖【作者】室鳩巣作。【年代】享保八年(一七二三)作。江戸中期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『五常五倫名義〈附大学詠歌・病中のすさひ〉』『五常名義・五倫名義』『五常五倫名義集』。大本一冊。「五常(仁・義・礼・智・信)」「五倫(父子有親・君臣有義・夫婦有別・長幼有序・朋友有信)」のそれぞれについて平易な和解を施した往来。八代将軍・徳川吉宗の命により、室鳩巣が『六諭衍義大意』†とともに庶民教化用の手本として著したものである。跋文の最後に「享保癸卯冬十一月既望」と記すため享保八年作と判明するが、上梓年月・出板者名は不明である。また、本書の異板として、施印本で『五常五倫名義集』と題したものや、同じ本文を楷書体の漢字・片仮名交じり文で記した同名の刊本など数種ある。行書本はやや小字・一〇行・所々付訓、楷書本はやや小字・八行・無訓で、これらとは別に行書・大字・六行・ほとんど付訓の宝暦一一年(一七六一)板もある。この宝暦板には後半に「大学詠歌」「病中のすさび」の二編を付すが、前者は『大学』中の要語、すなわち「明明徳」「新民」「止至善」等の語句を詠んだ和歌を掲げて解説したもので、後者は幕府の政策、特に物価対策に見られる仁政を説いて、報恩としての勤倹生活を勧めた一文である。〔石川〕
◆こじょうぞろえ [1187]
古状揃(写本)‖【作者】参衛門書。【年代】江戸前期作。寛永二年(一六二五)書。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。『古状揃』の最も古い形態をとどめた古写本で、近世中期以降の流布本『古状揃』とは収録内容を異にする。次の一二の古状と巻末の付録記事から成る。第一状「抑童部教訓状」は、寺に登山中の童子の日常生活と学習の際の心得。第二状「(義経)含状」は、源義経が死の直前に口にくわえていた陳情書の形で自らの功績と不運、そして梶原父子滅亡を訴えたもの。第三状「大坂状」・第四状「同返状」は、別項『大坂状』†を参照。第五状「手習学文之事」は、別項『初登山手習教訓書(手習状)』†とほぼ同内容。第六状「狸状(狸少人状)」†は、比叡山竹林坊で少人に化けた狸が坊中打擲されたことに対する、狸の怒りを綴った戯文。第七状「願書(木曽義仲願書)」は、別項『木曽義仲願書』†に同じ。第八状「腰越申状(腰越状)」†。第九状「直実状」・第一〇状「同返状」は、別項『熊谷状』†を参照。第一一状「道灌状」は、太田道灌が父・道真に宛てた古状を装って綴ったもので、九歳からの三年間の登山中の厳しい生活とその成果について述べたもの。第一二状「同返状」は、前状に対する父から道灌への返状で、学問への一層の努力を勧めたもの。以上のうち第一・一一・一二状以外は単行刊本が存在する。巻末に、五常を詩歌で説いた「五状」や、『和漢朗詠集』から抜粋した詩歌などを掲げる。本文を大字・五行・無訓で記す。本書に掲げられた古状のうちの七状に、新たに『今川状』†『弁慶状』†の二状を加えた九状が近世流布本『古状揃』の基本形となったが、現存最古刊本の万治元年(一六五八)板『古状揃』†には「大坂状・同返状」に替えて「曽我状・同返状」を収録しており、本書から刊本への展開など、初期『古状揃』の変遷過程は十分解明されていない。〔小泉〕
◆こじょうぞろえ [1188]
古状揃(刊本)‖【作者】不明。【年代】江戸前期作。万治元年(一六五八)刊。[京都]山本長兵衛板。【分類】歴史科。【概要】江戸初期刊本を始めほとんどが大本一冊。近世の初頭、中世以来、「寺」における手習い教科書として用いられてきた『今川状』†を中心に、『腰越状』†『含状(義経含状)』†『弁慶状』†『直実送状』『経盛返状』(以上二状を合わせて『熊谷状』†とも)『曽我状』†『大坂状』†などの古状・擬古状や、『初登山手習教訓書(手習状)』†『風月往来』†などを組み合わせて出版した往来物。近世期を通じて最も流布した往来物の一つ。早くより慶安二年(一六四九)板の存在が指摘されてきたが今のところ確証はない。水谷不倒は慶安五年・松会市郎兵衛刊行の絵入り『古状揃』を見た模様であるが、刊年を明記した現存最古本は万治元年・山本長兵衛板(母利本)である。後世に流布した一般的な『古状揃』と比較すると、本書の構成と配列は特異で、順に明暦四年(一六五八)六月刊記の「今川状」、万治元年(一六五八)一一月刊記の「弁慶状」「義経含状」、同年同月刊記の「直実送状」「経盛返状」「曽我状」「同返状」、同年同月刊記の「初登山手習教訓書(手習状)」「義経腰越状」の四本(九状)を収録する(本文を大字・五行・付訓で記す)。従来、刊本初期の『古状揃』が「今川状」「手習状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「大坂状」「同返状」「腰越状」とされてきたが、この万治板の存在は『古状揃』の成立に関して重要な示唆を与えるものであろう。ただし、寛永一九年(一六四二)、京都・安田十兵衛板の『今川状並腰越状』や『手習状並含状』などのように二種の古状を組み合わせた単行版はさらに早くから出版されており、初期『古状揃』には、これらを便宜的に合本したものと、単行版・合本いずれにも製本できるように最初から企図されたものの両方があったのであろう。元禄期頃までに出版されたと思われる古状揃は、ほとんどが柱刻に、それぞれの単行版本来の書名と丁付を別々に持っており、近世中期以後の古状揃の丁付が通しで付けられているのと好対照をなす。また、上方板と江戸板では、「大坂状」と「曽我状」のどちらを含むかについての傾向の相違も指摘されている。なお、東京大学国語研究室に「腰越状」「大坂状」「同返状」の三本を収録した慶安二年七月写本が存する。〔母利〕
◆こじょうぞろええしょう [1189]
古状揃絵鈔(仮称)‖【作者】不明。【年代】元禄一七年(一七〇四)刊。[大阪]万屋彦太郎ほか板。【分類】歴史科。【概要】大本。もと上下二巻二冊本と思われるが、現存するのは下巻のみ。柱に『小状揃エ鈔』とあることから標記の仮称を付けた。収録順に「風月往来」「手習状」「義経含状」「弁慶状」の四編を収め、それぞれ本文を大字・六行・付訓で記し、頭書に挿絵と要語の略注を掲げる。本書は『古状揃』†の絵抄本・注釈書として現存最古のものと思われる(単なる頭書絵入り本としては頭書に「謡百十番」を載せた香川大本『古状揃』(江戸・小川板)が早く、「寛文六年(一六六六)」の書き入れがある)。全体の収録内容は未詳だが、本文中に『風月往来』†を収録するのは、『古状揃』の初期に稀に見られる形態で、元禄頃から頻出してくる合本科往来へ展開する過渡的な形態としても注目される。なお、本書の増補版に享保一二年(一七二七)刊『童習教訓万福往来』†がある。〔小泉〕
◆こじょうぞろええしょう [1190]
〈誤字改正〉古状揃絵抄‖【作者】槐亭賀全作。【年代】文久(一八六〜六四)頃刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈文久新刻〉古状揃絵抄』。中本一冊。往来物本文の左側に一行ずつの細字の略注を置き、さらに本文中に人物・風景など小さな挿絵を随所に点在させるという、文江堂(吉田屋文三郎)独特の体裁の往来物が文久(一八六一〜六四)頃にシリーズで出版されたが、本書はその中の一つ。「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「曽我状」「同返状」の九状を収める。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こじょうぞろえぐちゅうしょう [1191]
〈頭書読法〉古状揃具註鈔‖【作者】蔀関牛注。房庵補・序。歌川国員(一珠斎)画。【年代】明治四年(一八七一)刊。[大阪]河内屋平七ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『古状揃具註抄』。大本一冊。『古状揃』†の注釈書の一つ。「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「曽我状」「同返状」の九状を収録する。それぞれ行書・大字・八行・無訓の本文をいくつかの部分に区切って割注を置き、さらに、頭書に楷書・小字・一二行・付訓の本文と挿絵を収める。施注内容は『児読古状揃証註』†(高井蘭山注)と同内容。従って、房庵の序文に「間(まま)、愚按を加へて…」とあることや、見返に「蔀関牛先生著」とあるのは虚構と思われる。〔小泉〕
◆こじょうぞろえこうしゃく [1192]
〈頭書訓読〉古状揃講釈‖【作者】歌川芳藤(一鵬斎・藤太郎)画。【年代】江戸後期刊。[江戸]丁子屋平兵衛板。【分類】歴史科。【概要】中本一冊。天保一四年(一八四三)刊『〈頭書訓読〉古状揃余師』†に若干の補訂を加えたもの。施注内容・体裁とも『余師』とほとんど同じ。「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「曽我状」「同返状」の九状を「経典余師」の形式で施注する。すなわち、各古状本文を数段に分けて大字・六行・無訓で記し、各段毎に割注を施し、さらに、頭書に本文読方(付訓の書き下し文)を載せる。施注はオリジナルではなく、高井蘭山の天保四年刊『児読古状揃証註』†の模倣で、『古状揃』†注釈書の多くがそうであったように、本書もまた『証註』の影響下に編まれたものである。なお、本文を付訓にして口絵を削除し、頭書に「日本百将伝」を掲げた異本も存する。〔小泉〕
◆こじょうぞろえせいちゅうしょう [1193]
〈頭書訓読〉古状揃精注鈔‖【作者】蔀徳風注・序。【年代】天保一二年(一八四一)序。天保一四年刊。[大阪]堺屋新兵衛板。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。高井蘭山注、天保四年刊『児読古状揃証註』†を下敷きに多少の補訂を加えた『古状揃』†注釈書。「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「曽我状」「同返状」の九状を収録する。自序に「注は其最簡にして而も解し易からんことを旨とし、間(まま)愚案を加えて…」と記すが、その注釈文は蘭山の『証註』とほとんど同じである。また、数段に分けた本文(大字・七行・無訓)に割注を施し、頭書に読法(小字・付訓の書き下し文)を示すという「経典余師」式の編集形式も踏襲する。本書の内容と構成は、さらに天保一四年刊『古状揃余師』†、江戸末期刊『〈頭書訓読〉古状揃余師』†、同『〈頭書訓読〉古状揃講釈』†等に受け継がれた。〔小泉〕
◆こじょうぞろえどうじくん [1194]
〈文化新刻〉古状揃童子訓‖【作者】増田春好(春耕)注。西村中和(西邨中和・士達・梅渓・楳渓)画。【年代】文化六年(一八〇九)刊。[京都]堺屋仁兵衛ほか板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。高井蘭山注、文化三年刊『児読古状揃講釈』†に続いて京都で出版された『古状揃』の注釈書。「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「曽我状」「同返状」の九状を収録。各古状の本文を数段に分けて大字・七行・無訓で記し、段毎に平易な割注を施す。施注内容は、まず作者や各状のあらましを述べ、各段の語注と大意を述べるが、その際、「是は武家方のいましめなれども、下々にいたるまで…」「これを町人・百姓になづらへていはゞ…」のように卑近な庶民の生活心得として説くのが特色。また、頭書に本文の書き下し文を掲げたり、古状と古状の間に見開きの教訓的な挿絵を置いて視覚に訴えるなど、『童子訓』にふさわしい童蒙用注釈書である。巻頭に「読書指南図」、巻末に「うけむけの事」「十干・十二支」を載せる。〔小泉〕
◆こじょうぞろえよし [1195]
〈頭書訓読〉古状揃余師‖【作者】金水道人序・注。【年代】天保一四年(一八四三)序・刊。[江戸]三河屋甚助(誠徳堂)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『古状揃講釈』『〈改正〉古状揃余師』。中本または半紙本一冊。蔀徳風注、天保一四年刊『古状揃精注鈔』†を中本(または半紙本)に編集し直したもの。本文内容・体裁ともに『精注鈔』と全く同じで、各古状の本文を数段に分けて大字・六行(模刻本は「腰越状」以下を七行で記す)・無訓で記して段毎に割注を施し、頭書に本文の書き下し文(付訓)を掲げる。いかにも独自の施注を装うが、『精注鈔』も本書も、高井蘭山の天保四年刊『児読古状揃証註』†の模倣である。本書は簡易な廉価版であったためか、文久元年(一八六一)頃刊『〈改正〉古状揃余師(古状揃講釈)』†(藤岡屋慶次郎板)、江戸後期刊『〈頭書訓読〉古状揃余師(古状揃講釈)』†(青木屋嘉助板)などの異板が多い。〔小泉〕
◆ごじょうのちかみち [1196]
〈教訓〉五常の近道‖【作者】鈍亭魯文作。【年代】江戸後期刊。[江戸か]刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓五常近道』『教訓五常要』『教訓近道』。中本一冊。卑俗な譬えを交えて五常を始めとする処世訓全般を説いた往来。「凡、世界に生あるものゝ、中に人より尊きものが、あらばいはしやれそりや聞事ぞ、神も仏も皆もと人よ…」で始まる七・七、七・七と続く都々逸風の文章で、人たる所以の「忠孝」「五常」のあらましを綴る。まず、「五常の本街道」を行かぬ不覚人の様子を述べ、孝行が難しいことでないことや、和漢の孝子に倣った孝行のありよう、忠と孝との関係、さらに仁・義・礼・智・信の大意を述べ、最後に庶民の理想像(勤勉・正直・愛敬)を示しつつ、せめて「人にかげ口いはれぬほどに、身持たゝしくにくみをうけず、長く栄えて子孫にのこす、徳のある様」にあれと諭す。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ごじょうべん [1197]
〈心学〉五常辨‖【作者】禿箒子作。【年代】寛政六年(一七九四)刊。[大阪]秋田屋市兵衛ほか板。また別に[大阪]加賀屋善蔵板(文化一一年(一八一四)再板)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『心学五常辨』。半紙本一冊。「五常」に関する多くの説話を集めた童蒙教訓書。「仁者慈也」一一話、「義者和也」二二話、「礼者順也」一九話、「智者賢也」二三話、「信者貞也」六話の長短含む合計八一話を載せる。和漢の故実や神儒仏三教などから「五常」について種々諭した通俗教訓だが、いわば五常に関する道話集とも見れること、内容に三教一致の思想が含まれることなどから、「心学」の二字を書名に付したものであろう。また、心学道話風の講席風景や五常を象徴する挿絵を巻頭に掲げる。本文をやや小字・一二行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ごじょうめいぎえしょう [1198]
〈今昔忠孝〉五常名義絵抄‖【作者】淡河恭敬(清風・恭斎・叔)作・序。豊田叙典(憲卿)書。松川半山(雲昇子)画。【年代】嘉永三年(一八五〇)序・刊。[大阪]河内屋宗兵衛ほか板(安政二年(一八五五)板)。また別に[大阪]河内屋喜兵衛ほか板(文久二年(一八六二)板)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『〈今昔忠孝・白鹿洞掲示〉五常名義絵鈔』『今昔忠孝名義絵鈔』『白鹿洞掲示(かつじ)諺解』『名義絵鈔』。半紙本三巻三冊。白鹿洞書院(江西省廬山五老峰下の書院で、唐の李渤が創建し、宋の朱熹が再興)にあったという掲示(『白鹿洞掲示』)を俗解した絵本。『白鹿洞掲示』の根本である「五常」の教えを絵解きしながら諭したもの。冒頭で「父子有親…」の五倫の大意を示し、以下五つに分けてさらに敷衍し、多くの挿絵とともに和漢の故事を詳しく紹介する。また、上巻巻首に白鹿洞書院の由来と風景画を載せる。本文をやや小字・九行・付訓で記す。なお、本書の改題・改訂本に『童蒙道のおしへ』†がある。〔小泉〕
◆ごじょうもくかんき [1199]
御条目管窺‖【作者】三上則義注・跋。籠島伝右衛門(憲章)・田中冨六(伯寿)序。【年代】天保一四年(一八四三)作・序・刊。[越後高田]田中冨六ほか板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。寛保四年(一七四四)二月、越後国頸城郡高田藩が出した『御条目』(全二〇条に後文を付す)を米山小野地区在住の三上則義が庶民一般向けに解説した衍義書。もともとは写本として広まっていたが、岩野村の籠島伝右衛門と八幡新田の田中冨六の両名によって上梓されるに至った。各条とも条文の数倍に及ぶ長文(例えば第一条の条文六行に対して注解は九一行)で説明するなど徹頭徹尾平易・詳細を旨とする。『御条目』本文も注釈文もともにやや小字・一〇行・付訓で記し、注釈文を若干字下げして本文と区別する。〔小泉〕
◆ごじょうらくしき [1200]
御上洛式‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】歴史科。【概要】異称『御城落状』大本一冊。寛永一一年(一六三四)六月、徳川家光上洛時のあらましを記した往来。「寛永十一年六月二日、将軍家就御上洛、関八州・出羽・奥州・越後・越中、右十二箇国之大名・御旗本、従江戸御供之次第…」と筆を起こして、松平陸奥守以下の警護役約三〇万七千余騎が順々に江戸を出発した次第や、江戸留守居役八万騎を率いる面々、また、「十里四方無閑地奉守護」という程の京都警備の様子を紹介する。新発田市図書館蔵本は本文を大字・四行・無訓で綴る。撰作年代は不明だが、歴史科往来としては比較的近年の時事を扱った例として興味深い。なお、本書とほぼ同文の明治二八年(一八九五)写本『御城落状』(小泉蔵)は、やや小異があり、「今度将軍家光公御下落ニ付、関八州・出羽・奥州・越後・越中六拾弐ヶ国大名・小名、御旗本仰江戸御供之次第、先、一番ニ寛永十(一)暦六月二日、松平陸奥守・同子息越前守…」で始まる本文をやや小字・六行・ほとんど無訓で記す。ただし、本往来は三代将軍家光が上洛のために寛永一一年六月二〇日に江戸を出発した様子を綴ったものであるから、『御上洛式』が本来の書名であろう。〔小泉〕
◆こすいふ [1201]
湖水賦‖【作者】不明。【年代】明治五年(一八七二)書。【分類】地理科。【概要】異称『近江尽』『近江賦』。中本一冊。『大日本都会広邑并近江尽』と題した写本中に収録。近江・琵琶湖周辺の歴史・名産品・名所旧跡を書き連ねた往来。「近江は本淡海公之御領、御名の文字を国号として、あわうみと申なり…」と書き始め、近江の国名の由来や同国の肥沃な土地について述べ、続いて孝霊年中に巨大な琵琶湖と富士山が同時にできたという伝説や琵琶湖付近の景勝、また、平安京遷都などの歴史、名所・名産品、寺社の縁起・秘宝等を紹介して、最後に近江八十余万石が琵琶湖の水によって養われていることを述べて締め括る。近江にまつわる伝説・故実・古歌など歴史に重点を置いた記述が特徴である。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、本書と同類の往来に『淡海状』†がある。〔小泉〕
◆ごせいばいしきもく [1202]
御成敗式目‖【作者】北条泰時ほか作。小槻伊治(宿禰)跋。【年代】貞永元年(一二三二)作。大永四年(一五二四)跋・刊。刊行者不明。【分類】社会科。【概要】異称『貞永式目』『関東式目』『関東御成敗式目』『関東武家式目』『御成敗式条』。刊本の大半が大本一冊。貞永元年七月制定、同八月に公布された鎌倉幕府の基本法典。頼朝以来の慣習法や判例などに基づいて、御家人の権限・義務、所領の訴訟等について成文化したもの。全五一カ条だが、現存の条々は随時条文の合併や追加が行われたものと思われる。執権・北条泰時が中心となり、評定衆代表一一名が加わって編纂にあたり、泰時・北条時房および評定衆全員が起請文に連署して公布した。政治・行政の規範として古来より公武において尊重・研究され、特に武家社会においては必須の教養として、中世より読み書きの手本に多用された。現存最古の鎌倉中期写本など古写本だけで二〇種以上あり、注釈書についても既に鎌倉時代に六波羅奉行・斎藤唯浄の正応二年(一二八九)書『唯浄裏書』や、幕府評定衆・二階堂是円の正和元年(一三一二)書『是円抄』(逸書)等が成立した。一方、刊本では大永四年一二月板(小槻宿禰跋)が最古本だが、次の享禄二年(一五二九)八月板とそれに続く慶長(一五九六〜一六一四)板は近世に夥しく流布し刊本の源流となった。大永板・享禄板ともに楷書・大字・七行(前者は行間無界、後者は有界)で記す。近世以降は、庶民の手習い用にも広く用いられ、手本・読本用で約一九〇種のほか、天文三年(一五三四)刊『清原宣賢式目抄』(古活字版)、寛永二一年(一六四四)刊『式目抄』、寛文九年(一六六九)刊『貞永式目諺解(御成敗式目諺解)』†、杉村次兵衛注・元禄六年(一六九三)刊『〈頭書絵抄〉御成敗式目』†、元禄一二年刊『式目諺解』†、高井蘭山注『御成敗式目証註(詳解)』†など約二五種の注釈書が刊行されるに及んだ。〔小泉〕
◆ごせいばいしきもく [1203]
〈頭書絵抄〉御成敗式目〈ひらかな・てん付〉‖【作者】杉村次兵衛(次平・次信・春信・正高)注・画・跋。【年代】元禄六年(一六九三)刊。[江戸]万屋庄兵衛板。【分類】社会科。【概要】異称『御成敗式目絵抄』『〈新撰頭書〉御式目絵抄』。大本一冊。序に、『御成敗式目』†は貞永以来の「生民の法則」であり、人々は「此式法をもつて、身をおさめ家をととのへ国を治め天下をたいらかにする」という見解が述べられ、よって「田野の鄙夫」にも読みやすいように頭書を加え、各条の意を絵に写したものが本書であるという。『式目』本文を大字・六行・付訓で記し、頭書に挿絵と語注を加えた絵入り注釈書で、挿絵は原則として各面毎に一図ずつ描かれ総計七五図。菱川師宣と並び称される初期の江戸浮世絵師・杉村次兵衛が、挿絵だけではなく二〇〇語余りもの語彙を平易に解釈した珍しい作品である。本書は元禄一〇年に挿絵等を改訂・増補した異板が存在するほか、本書の体裁を巧みに模した正徳三年(一七一三)・鱗形屋孫兵衛板や江戸中期・柏原屋清右衛門板等の別版もあり、また、『御式目往来』と題した写本も存する。〔母利〕
◆ごせいばいしきもくげんかい [1204]
御成敗式目諺解‖【作者】清原宣賢(舟橋宣賢・環翠軒・宗尤)注。【年代】天文三年(一五三四)作。寛文九年(一六六九)刊。[京都か]村田庄五郎板。【分類】社会科。【概要】異称『〈貞永〉式目諺解大成』『貞永式目諺解』『式目諺解』『御成敗式目抄』『式目抄』。大本六巻六冊、後、六巻合四冊。『御成敗式目』†の注釈書では最も詳細かつ最も早い刊本。慶長〜元和(一五九六〜一六二四)頃古活字本『式目抄』を製版本で再刊したもの。第一巻冒頭で鎌倉政権樹立の経緯や『式目』の由来について一〇丁に及ぶ詳細な記事を載せ、次に、『御成敗式目』の名称の意味を説き、続けて『式目』各条を数段に句切り、和漢の諸書から引用して極めて詳しい注を施す。本文を楷書・やや小字・一一行・付訓の漢字・片仮名交じり文で記す。また「天文三年閏正月廿八日」の跋文には、清三位入道環翠軒宗尤が祖父・常忠(業忠)の説によって既に注釈書を著してあったが、局務外史業賢がそれを盗んだので、再び本書を著したとある。〔小泉〕
◆ごせいばいしきもくしょう [1205]
御成敗式目抄‖【作者】不明。【年代】寛永二一年(一六四四)刊。[京都か]豊興堂板。【分類】社会科。【概要】異称『御式目鈔』『〈新板〉御式目抄』『式目抄』。大本二巻二冊、また二巻合一冊。『御成敗式目』†の注釈書の一つ。全五一カ条中第三〇状までを上巻に、第三一状以下を下巻に収録し、各条を一段ないし数段に分けて五一カ条および末尾の起請文までを詳しく施注(割注)したもの。注釈文を平仮名交じり文で綴ることから一般に『平仮名式目抄』と呼ばれる。また注釈文には随所に清原宣賢の『御成敗式目諺解』†の影響が窺われる。本書の系統に属する注釈書は高井蘭山の『御成敗式目証註』†に至るまで一〇種ほどの板種があり、世俗に最も流布した注釈書であった。巻頭に『式目』制定時の時代背景や由来、書名の字義などを記す。注釈本も本文も同一大で、概ねやや小字・一一行・所々付訓で記し、注釈文を字下げする。〔小泉〕
◆★ごせいばいしきもくしょうちゅう [1206]
御成敗式目証註‖【作者】高井蘭山注・序。【年代】文政一一年(一八二八)序。天保七年(一八三六)刊。[江戸]小林新兵衛ほか板。また別に[江戸]和泉屋金右衛門(太田金右衛門・玉巌堂)板あり。【分類】社会科。【概要】異称『〈証註〉御成敗式目』『御成敗式目詳解』。大本一冊。近世に成立した『御成敗式目』†注釈書の中で最も普及したもの。初板本の題簽は『御成敗式目詳解』であったが、再刊本で『御成敗式目証註』と外題替えされ、こちらの書名で普及した。『御成敗式目』の本文を長短様々の約一六〇段に分けて大字・七行・無訓で記し、段毎に細字の割注を施し、さらに頭書に楷書・小字・付訓の本文を再録する。注釈は必要に応じてかなりの長文で綴り、全体的に詳しく丁寧である。なお、本書を中本仕立てにし、頭書の余白に挿絵を載せたものが天保以降に出版されたが、施注内容は中本の方がやや詳しい。また、この中本『御成敗式目証註』の巻末広告(和泉屋金右衛門蔵板目録)には、本書および振鷺亭貞居注の『実語教童子教証註』†、蘭山注の『児読古状揃証註』†の三書を、「渓百年翁が『経典余師』に擬して本文の間に講釈を加え、真字を以て其頭に出し、傍に仮名を附したれば、師を待ずして弁へやすく、自ら身を治るの基となるべし」と紹介する。〔小泉〕
◆ごせいもんたいい [1207]
御誓文大意‖【作者】萩原正平作・跋。【年代】明治五年(一八七二)跋・刊。[三嶋]三嶋神社蔵板。小西又三郎ほか売出。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。慶応四年(一八六八)三月一四日に明治天皇が京都紫宸殿において発表した、いわゆる『五か条の誓文』の趣旨と箇条の内容を一字一句漏らさず、日常卑近な譬えを引きながら詳しく解説した衍義書。冒頭でこの誓文を「御政体の基本、御一新の目的と致すべき至て大切なる御文でござる…」と紹介するように、口語体で平易に徹した長文の解説を付す。本文・注釈文ともやや小字・九行・付訓で記し、比較的難解な語句に左訓を施す。また、巻末広告に『御宸翰大意』近刻の旨を記す。なお、作者は三嶋神社少宮司兼大講義。〔小泉〕
◆ごせつおうらい [1208]
五節往来‖【作者】大谷永庵(業広)書。浅田常啓(永庵門人)跋。【年代】文化二年(一八〇五)跋・刊。[京都]須原屋平左衛門(花悦堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『五節句往来』。縦長の特大本一冊。跋文によれば、岩崎某が所持していた永庵の真筆を上梓したもので、書名の如く、「万国慶寿之春、四海泰平之日佳詞…」で始まる新年状を始め、五節句および八朔祝儀状の往復一二通を大字・二行・無訓で記した手本。なお、本書と同内容の写本に嘉永二年(一八四九)書『五節句往来』がある。〔小泉〕
◇ごせっくのふみ/ごせっくのぶん [1209]
五節句乃文‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】中本一冊。女子用消息文例一〇通を収録した簡易な女用文章。「年始乃文」「上巳の文」「端午の文」「七夕の文」「重陽の文」の五通を本文欄に収め、それぞれの返状を頭書に載せる。〔小泉〕
◆ごせんじもん [1210]
後千字文‖【作者】安井其名作・序。林鳳谷(子恭・士恭・松風亭・藤原信言)跋。【年代】宝暦六年(一七五六)序・跋・刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。周興嗣『千字文』にならいながらも同書に未使用の漢字で綴った異本『千字文』の一つ。「乾坤柔剛、穹蒼蕩茫、清風掃殀、北斗占祥…」で始まる文章で、天地、自然、万物、中国古代からの歴史・聖賢・文化、故実、人倫・教誡等を述べる。本文を楷書・大字・三行・所々付訓で記し、各行の左側に適宜注釈を施す。〔小泉〕
◆ごそくいがぶん [1211]
御即位雅文‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】社会科。【概要】大本一冊。「抑御即位と申は、天子受禅の後、まさしく位につかせ給ひて、はしめて百司に見えさせ給ふよし。先、南殿に高御座をまうけ…」と書き始め、即位式典に列席する面々や儀式のあらましを女文で綴った往来。大字・三行・無訓の手本用に記し、末尾を「くもらぬ御代のためし、さそと察し入まいらせ候。めてたくかしく」と結ぶ。〔小泉〕
◇ごたいいろは [1212]
五体伊呂波‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。[東京]品川屋朝治郎板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。平仮名・片仮名・ローマ字(ローマン体・イタリック体の大文字・小文字)など五体で表記したイロハ。後半には日常英単語を片仮名の読方とともに掲げる。〔小泉〕
◆ごたいいろは [1213]
〈西洋〉五体伊呂波‖【作者】ホーパッピーッル作。竹堂序。【年代】明治四年(一八七一)頃刊。[東京]伊勢屋庄之助(松延堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『WEIKAI(エイカイ)、GOTAI(ゴタイ)、ILOHA(イロハ)』。中本一冊。平仮名・片仮名・ローマ字(ローマン体・イタリック体)など五体で示したイロハ。半丁に四行ずつ記す。ローマン体とイタリック体とで綴りが異なるなどの誤記も見られる。後半に数字や五十音のローマ字表記を載せる。〔小泉〕
◆ごたいいろは [1214]
〈和英〉五体伊呂波‖【作者】渡為常作・序。【年代】明治年間刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。平仮名・片仮名・ローマ字(ローマン体・イタリック体の大文字・小文字)など六体(書名には「五体」とある)で表記したイロハ。巻頭にアルファベットを諸体で示すほか、西洋の時計文字や定時法、西洋筆記具についての記事、さらに種々の日用英単語を掲げる。〔小泉〕
◆ごたいいろは [1215]
〈和英〉五体いろは‖【作者】福川某訳。【年代】明治年間刊。[東京]松蔭社板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈和英〉五体伊呂波』。中本一冊。ローマ字各体の表記や、イロハを和洋五体で記した英学入門書。まず「羅馬体大字」「羅馬体小字」「艸体大字」「艸体小字」「伊太利体小字」の五体のアルファベットを掲げた後で、漢字・仮名(平仮名・片仮名)・ローマ字大字・小字・イタリック体小字の五体(厳密には六体)で綴ったイロハを載せる。頭書に「昼夜二十四時の文字」「数字(英語読み)」「十二支(ローマ字表記)」「世界国尽し」を収録するほか、巻末で濁音・半濁音の区別について付記する。なお、本書中に訳者・板元等の記載はなく、書体に「福川先生訳」「東京・松蔭社蔵」と明記する。〔小泉〕
◇ごだいさんもうで [1216]
五台山詣‖【作者】不明。【年代】江戸後期作か。【分類】地理科。【概要】土佐国高知より五台山(高知市市街南東の裏戸湾東岸の丘)・竹林寺文殊堂への参詣路沿いの名所旧跡・神社仏閣および五台山の景趣・故事等を記した往来。「思ふとち御伴ひ遊はし候て五台山文殊へ御詣あそばされ候よしにて…」で始まる参詣誘引の返状風に綴られ、玄夫島から船で渡り竹林寺周辺を散策するコースのあらましを紹介し、大津川・鹿児山・朝峯神社など近辺の名所のいくつかを列記して、「尚万緒期其節候。穴賢」と結ぶ。〔小泉〕
◆ごだいしゅうくになづくし/ごだいしゅうこくめいづくし [1217]
五大洲国名尽‖【作者】邨上義宗作。【年代】明治初年刊。[大阪]外川秀次郎蔵板。梶田喜蔵売出。また別に開誠堂板あり。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。五大洲や各洲の主要国の名称を列挙した往来。冒頭に「五大洲」「五大洋」の名称を楷書・大字・四行(後半部は五〜六行)・付訓で記し、以下、同体裁で亜細亜洲・亜非利加洲・欧羅巴洲・亜米利加洲(北部・南部)・澳大利洲(并諸島)・亜細亜諸島・東西印度諸島・亜非利加諸島・亜米利加諸島・南洋諸島・大洋諸島・支那之内・英国之内・合衆国之内の順に国名・島名などを列記し、最後に「各国都府」を一覧にする。これらの外国地名は全て漢字表記で、片仮名の読み仮名を付す。〔小泉〕
★ごたいしょうそく [1217-2]
五体消息‖【作者】宮南耕斎(進・退蔵・徳雲)書。【年代】天明三年(一七八三)刊。[大阪]藤屋弥兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。消息例文を「祝賀竪文」「披露文」「縦消息」「手紙躰」「かなふみ」の五体に分けて認めた書道手本。それぞれ「耳順慶賀祝儀状」以下一二通、「寒中見舞披露文」以下七通、「入木道入門者に対する書状」以下九通、「以手紙啓上仕候…」で始まる書状以下一一通、「婚礼祝儀状」以下六通(一部散らし書き)の合計四五通を収録する。本文を大字・四行・無訓で記す。また、巻末には本文中の用語を小字・一〇行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ごたいせんじもん [1218]
〈首書註釈〉五体千字文‖【作者】峰岸頤(侃斎・啓蔵)注・序。【年代】文化一〇年(一八一三)序・刊[大阪]吉文字屋市右衛門板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。周興嗣作『千字文』の本文を二句(一句四字)ずつ、最初に行書・大字(両点付き)で掲げ、続いて草書・隷書など四体の表記を示し、さらに頭書に各句毎の注釈を施したもの。和漢の諸書より語源や故事を引用しつつ平易に説く。楷書は大字・七行大・付訓(両点)、その他は小字・一四行大・無訓で記す。〔小泉〕
◆ごたいながしらじ/ごていながしらじ [1219]
五体名頭字‖【作者】不明。【年代】文政一〇年(一八二七)刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。また別に[江戸]亀屋文蔵板等あり。【分類】語彙科。【概要】異称『〈増字〉増字五体名頭』『〈新撰紋形〉増字五体名頭』『〈新板頭書〉五体名頭字』『五体名頭増字(ましじ)』『〈新撰紋帳〉増字五体名頭』ほか。中本一冊。いわゆる『名頭(名頭字尽)』†の本文を一字一行として行書・楷書・隷書・篆書・角字の五体で記した往来。諸本により収録字数が異なるが、文政一〇年板は「源・平・藤・橘・茂・文・八・弥…」以下一一一字を収録する。また、頭書を伴うものが大半で、文政一〇年板の場合、「三体偏冠」「以呂波仮名始」「仮名本字」「紋形」を収録する。概ね、本文を大字・四〜五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ごたいながしらじ・ななついろは [1220]
五体名頭字・七ッいろは‖【作者】野口晋松堂書。【年代】江戸後期刊。[江戸]鶴屋喜右衛門ほか板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。『五体名頭字』と『七ッいろは』を合本した往来。前者は「源・平・藤・橘…」以下一一〇語を五体(行・楷・隷・篆書および角字)で書したもの。後者はイロハと漢数字を見出し語とし、それと同音の漢字を六字ずつ掲げる。概ね、本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「語彙集(魚・貝・鳥・獣・虫)」「書札指南」「手習執行の事」を載せる。〔小泉〕
◆ごたいながしらもじかがみ [1221]
〈頭書〉五体名頭文字鑑‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]山田屋佐助ほか板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈五体〉名頭字』。小本一冊。いわゆる『名頭字尽』†本文の各漢字を一行ずつ行・楷・隷・篆書および角字の五体で示した『五体名頭』の一つで、合計一一一語を大字・四行・稀に付訓で記す。見返に「以呂波仮名始」、頭書に「三体偏冠」「仮名本字」「十二月異名」「倭音五十字」、巻末に「不成就日」「十幹十二支」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆こだからしゅうじしょう [1222]
〈文明捷径〉子宝習字章(初篇)‖【作者】仮名垣魯文作。深沢菱潭書。苟完舎(而迂)序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]和泉屋吉兵衛(名山閣)板。【分類】教訓科。【概要】異称『〈文明〉捷径子宝習字章』。半紙本一冊。平井自休作『近道子宝』†を模倣しつつ、もっぱら文明開化や当時の世相に即して諸般の知識を綴った往来。天地・日時・四季・四方・地形・都府市町・住居建築物・農作物・衣類・政体・官吏・諸民・家具調度・食物・名産品・学問・児童教科書・諸学科・世界地理などについて述べる。本文を大字・五行・付訓で記す。付録として東西半球図など折込地図(六葉)を付すほか、頭書に「教の捷径」を載せる。なお、題簽や見返に「初篇」と記すが、続編が刊行された形跡はない。〔小泉〕
◆ごつうようぶんしょう [1223]
〈今井史山著述〉互通用文章‖【作者】今井史山(今井元雄・山涯)作。名和対月(菱江・喜七)書。春水堂(長栄)画。【年代】明治八年(一八七五)刊。[和歌山]平井文助(五稼堂)板。また別に[大阪]河内屋卯助(花井卯助)板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈漢語訳解〉互通用文章〈附録・漢語用字〉』。半紙本二巻二冊。「歳首之文」から「楠公の画の賛を請ふ文・同復翰」までの四〇通を収録した用文章。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。四季折々の行事や遊興・行楽等に伴う消息文が多いが、中には「名妓の写真を送る書」「小学校へ献金せし人におくる文」「賊難に遇し人を訪ふ書」「究理の夜話を聴て翌朝に謝する文」等の例文も見える。また下巻末尾の「漢語用字」二〇丁はイロハ引きの二字熟語集で、合計九二五語を収録する。〔小泉〕
◇こっけいくにづくし [1224]
滑稽国づくし‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科(戯文)。【概要】国平・お国の夫婦がやり取りする会話調の滑稽文に、五畿七道の国名を盛り込んだ往来物。「扨も日本国づくしで申さうなら、亭主の其の名が国平で、加賀(嬶)の其の名がお国さん、或る日の事、加賀のお国の言ふ事に、是喃申し国平さん、お前と和州(わし)と、初めて近江の其の時は、和州も志摩だで、年も若狭の花盛り、ひとめ美作お前の姿…」と書き始め、出逢いから結婚、その後の貧乏暮らし、また、亭主の浮気がもとでの夫婦喧嘩などの顛末を面白く描く。〔小泉〕
★こっけいようぶんしょう [1224-2]
滑稽用文章‖【作者】内藤加我(骨皮道人)作。半顔居士序。【年代】明治二一年(一八八八)序・刊。[東京]内藤加我(金桜堂)版。【分類】消息科。【概要】中本一冊。和装活版本。例えば「本日ハ小生がオギヤアと泣て此娑婆へ飛出たる当日に付、聊か内祝ひの真似事までに濁酒(どぶろく)一杯献じ度候間、成べく腹を脹(ふくら)かして、夕飯過より御来車待入候也」(誕生日に人を招く文)のように、全編を戯文で綴った用文章。「年始の文」より「売品の周旋を頼む文」までの六一通を収録する。通常の用文章と同様に、四季や諸用件、世事一般等を題材にする。本文は比較的大きな活字で九行(一行一四字)。〔小泉〕
◆こどもあんもん [1225]
子供案文‖【作者】山栖堂書。【年代】江戸後期刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。『〈御家正流〉子供案文』†のうち、消息例文の一部と証文類の全てを削除した用文章。四季・五節句や通過儀礼に関する書状を中心に、「年始状」以下一九通を収録する。本文を大字・四行・付訓で記す。口絵に板元・吉田屋文三郎(馬喰町四丁目)の店頭風景を描く。〔小泉〕
◆こどもあんもん [1226]
〈御家正流〉子供案文‖【作者】凌雲堂書(嘉永年間(一八四八〜五三)板)。【年代】弘化二年(一八四五)再刊。[江戸]山本平吉板。また別に[江戸]亀屋文蔵板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈栄久堂板〉子供案文』『〈日用重宝〉子供案文』『〈御家正流〉子供案文〈手形証文入〉』。中本一冊。同題だが次項とは異なる。消息文例二七通と証文類二三通を収録した用文章。前半の消息文例は「年始状」を始めとする五節句祝儀状や、通過儀礼に関する書状その他から成る。後半の証文類は「店請状」「奉公人請状」「地面売渡状」など基本的なものを収録し、巻末には証文類の書き方を記した「書法大概」を付す。本文を大字・五行(証文類は七行)・付訓で記す。頭書に「書状封じ様」「様之字の事」「むかふをさしていふときには」「みづからをさしていふことば」など書簡作法・用語関連の記事を多数収める。本書には数種の異板があり、収録内容に小異がある。また、本書の改題本に江戸後期刊『大全一筆案文』†がある。〔小泉〕
◆こどもあんもん [1227]
〈御家正流〉子供案文〈手形証文入〉‖【作者】十返舎一九原作。牧田皐水(洞斎)書。八島五岳画。【年代】文化一四年(一八一七)書。江戸後期刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。文政元年(一八一八)刊『〈頭書画入〉筆林用文章指南車』†に証文類文例を増補した改題本。同題だが前項とは別内容。消息文例は「年頭状」から「旅立怡之文」までの二七通で、続いて「店請状」「奉公人請状」「年季証文」「地面売渡之証文」「田地売渡之文」「養子一札之事」「家督一札之事」「借用金一札之事」「諸品書入一札之事」「里子預り一札之事」、さらに頭書にも「持参金請取」など合計二一通を載せる(消息部分の頭書は『〈頭書画入〉筆林用文章指南車』に同じ)。本文を大字・六行・所々付訓で記す。巻頭に「童子教訓三宝集」と題して、『実語教・童子教』†『今川状』†『商売往来』†の三つを合冊した旨記載するが、本書とは全く無関係である。さらに「琴を引く貴人の図」など三葉の口絵と、目録上部(頭書)に「書状封じ様」「日本にて作れる文字の事」を掲げる。〔小泉〕
◇こどもいけん [1228]
子供異見‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓短哥身の上教草』。文政三年(一八二〇)書『異見短歌身濃上』†と同様の往来。「ふりくらしぬる雨の内、筆にまかする言の葉は…」と七五調で書き始め、子を思う親の心や、親孝行などを説いた教訓。特に女性は、他家へ嫁ぐのであるから親孝行を専一にし、嫁いだ後は、夫や舅・姑によく仕えよと細々と諭す。『子供異見』と称するものの、本書は大半が女子向けの教訓である。〔小泉〕
◆こどもおしえぐさ [1229]
子供教草‖【作者】中居撰之助(某進・重兵衛・義倚・剛屏・梅遅)作・序。【年代】嘉永七年(一八五四)序・刊。[江戸]中居撰之助施印。【分類】教訓科。【概要】異称『教訓状』。半紙本一冊。ある伊勢商人が息子を江戸本郷の商家へ年季奉公に出し、その際その父が息子に送った教訓の書簡(「教訓状」)をそのまま上梓したもの。この書簡に感動した中居撰之助が施主となり、「教訓状」本文に、さらに堪忍についての小文を追加・板行したのが本書である。「教訓状」は全部で七カ条よりなり、まず人間生活の基本である食事への感謝を説き、その食事はすべて主人のお陰であることを肝に命じて精勤すべしとの第一条以下、衣服について、諸品の倹約・始末・住居について、酒について、忠孝について、そして、初心を忘れないことの七カ条を掲げ、最後にこの教訓文を時々読み返して反省するようにと諭す。〔小泉〕
◆こどもしつけ [1230]
子供仕付‖【作者】侭田嶺太郎書。【年代】嘉永二年(一八四九)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。『撫子缺徳利』†の冒頭と末尾を改めた改題本。「当世子供育の見苦敷を案ずるに、六、七歳の頃より糸鬢天窓(あたま)に刺こがし…」で始まる。本文はほとんど『撫子缺徳利』と同内容だが、所々省略されている。末尾は「…郷次送りの腰繩で江戸見物の哀れさよ。御慈悲で佐渡へ嶋流し、笑止な事な次第なりけり」で終わっており、『撫子缺徳利』のように忠孝・家業出精を奨める一文が削除されている。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆こどもせつよう [1231]
〈改正〉子供節用‖【作者】椿園玄湖書。【年代】江戸後期刊。[江戸]蔦屋吉蔵板。【分類】語彙科。【概要】異称『子供節用集』。中本一冊。「節用」と名乗るが節用集というよりは、部類分けして語彙を集録した往来である。語彙は『節用集』のようにイロハ順にはなっておらず、部類分けも本書独特のものである。分類は厳密ではなく関連語も広く含み、魚の部(「鯛」以下六二語)、貝の部(「帆立貝」以下二〇語)、鳥の部(「鶴」以下七三語)、獣の部(「麒麟」以下四〇語)、虫の部(「蝮蛇」以下四七語)、木の部(「松」以下六六語)、艸花の部(「牡丹」以下五三語)、青物の部(「若菜」以下五八語)、果物の部(「串柿」以下八語)、穀物の部(「稲」以下一九語)、器財の部(「香炉」以下七五語)、衣類・染色の部(「冠」以下六一語)、居所の部(「礎」以下四四語)、寺院の部(「伽藍」以下二六語)、神社の部(「本社」以下二五語)、芸能の部(「学問」以下二一語)、諸職の部(「番匠」以下二二語)、食類の部(「飯」以下二九語)、降物の部(「雨」以下一一語)、時候の部(「暖」以下一〇語)、山類の部(「山」以下一三語)、水辺の部(「海」以下二七語)、天象の部(「日」以下二二語)の合計二三部八三二語を集録する。各語彙を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こどもせつよう [1232]
〈明治新刻・重宝〉子供節用‖【作者】本多芳雄作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛・錦耕堂)板。【分類】語彙科(節用集)。【概要】異称『〈明治新刻〉重宝子供節用』。中本一冊。天象・地理・時令・人倫・居所・食類・衣類染色・器械什器・芸能・諸職・穀物・青物・草木・魚鳥・獣・蟲・貝類・海草・果物の一九部に分けて基本的な日常語を集めた往来。「節用」と称するが語彙分類のイロハ分けはなく、各語彙を大字・五行・付訓で記す(左訓・割注はなし)。表紙見返に「御大祭日祝日表」「十干十二支」「西洋数字」、頭書に「十二いろは」「苗字尽」を掲げる。〔小泉〕
◆こどもせつようしゅう [1233]
〈嘉永改正〉子供節用集‖【作者】不明。【年代】嘉永(一八四八〜五四)頃刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『日用重宝万文字尽』『文字尽』。中本一冊。文化三年(一八〇六)刊『分類早見字尽』†の改編・改題本。文化板と同内容だが異板。頭書もほぼ同様で「苗氏づくし」等を載せる。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こどもはやがくもん [1234]
子供早学問‖【作者】十返舎一九序。喜多川歌麿二世(恋川行町・恋川春町二世・李庭亭・梅雅堂)画。【年代】文化一三年(一八一六)刊。[江戸]岩戸屋喜三郎板(大本)。また別に[江戸]江見屋吉右衛門板(中本)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『童子早学問』。文化一三年・岩戸屋板および仙台板は大本一冊だが、その他はほとんどが中本一冊。一般には『童子早学問』の書名でかなり普及した往来だが、その初刊本と思われる文化一三年板には大本(岩戸屋板)と中本(江見屋板)の二種ある。内容は、通俗・卑近な生活教訓を箇条書きにしたもので、「一、忠義は末代の出世の手本」から「一、善人は五常のかゞ見」までの全四四カ条から成る(本文は概ね大字・六行・付訓)。文化一三年板(大本)は巻頭に十返舎一九の序文と歌麿二世筆の寺子屋風景画、巻末に「片かないろは」「九九のかず」を掲げ、頭書に本文略解を置く。また文化一三年板(中本)は表紙に「子供早学問、蘭香堂板」と刷り込んだ方形の題簽を貼り、口絵に「女手習師匠・寺子図」を掲げ、頭書や注解等を一切設けずに「一、忠義は末代の出世の手本」以下の金言を列挙する。以後、仙台板(大本、外題は『子供早学問』)を除く流布本の大半が『童子早学問』の書名に変わり、判型も中本仕立てとなり、金言に割注(注記には異同あり)を施すようになった。刊年を明記するものでは文化一三年板が最初だが、既に天明元年(一七八一)刊『小野篁歌字尽』†(蔦屋重三郎板)の巻末広告中に『童子早学問』の書名が見えるため、先行板の可能性も否定できない(同広告文には「人となるの道、儒神仏のみちをおしえる」とある)。また、改題本や改編本も多く、『童子教訓』『心安養丸』†等の写本が存するほか、幕末までに『家運養生訓』†『〈童子教訓〉孝行種』†『〈子供〉教訓早心学』†など数種の類書が刊行された。〔小泉〕
◆ごにんぐみおうらい [1235]
五人組往来‖【作者】飯高子湖天書。【年代】文化五年(一八〇八)書。【分類】社会科。【概要】大本一冊。宝暦一二年(一七六二)三月の下総国印旛郡寺崎村の名主・組頭・百姓代が連名で地方役所に差し出した『五人組帳』の前書部分である『五人組前書条々』(全八五カ条と条目数が比較的多い)と、同年同月同村の五人組が役所へ提出した二〇カ条の『五人組証文』(写し)を合わせて、手習い手本としたもの。本文を小字・九行・無訓で記す。『五人組帳前書』は、次項の『五人組御仕置帳』†や『五人組帳前書』†のようにしばしば往来物として利用されたが、本書はその一例である。〔小泉〕
◆ごにんぐみおしおきちょう [1236]
五人組御仕置帳‖【作者】不明。【年代】文政六年(一八二三)刊。[甲府か]清泉堂板か。【分類】社会科。【概要】異称『五人組帳前書』。特大本一冊。『五人組帳』の前書部分を独立させた手本。後掲『五人組帳前書』†とほぼ同じ。類書中では比較的早い刊本で、普及の足跡などから甲州板と推定される。享保一〇年(一七二五)一月の「御条目」(六四カ条)と、「一、御料所国々之百姓御取箇并夫食種貸等、其外、願之儀ニ付…」で始まる「午正月」の一条、さらに、切支丹宗門に関する三カ条の「覚」(寛文四年一一月二五日)および文政六年の「宗旨御条目」(五カ条)までを記す。末尾に「文政六癸未年」とだけ記して刊行者を明らかにしないが、「御条目」末尾に「甲州何郡何村…」と記すことからも甲州の郡役所等が頒布した甲州板と思われる。なお、本書には異板があり、文政六年板の首題「五人組御仕置帳/条々」二行を「五人組帳前書」一行に改め、さらに末尾の文政六年云々の記載を単に「年号月日」とした改刻本も存する。本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ごにんぐみちょうまえがき [1237]
五人組帳前書‖【作者】不明。【年代】万延二年(一八六一)刊。[甲府]井筒屋豊兵衛(清泉堂)板。【分類】社会科。【概要】中本一冊。『五人組帳』の前書部分を独立させて手本としたもの。前掲『五人組御仕置帳』†を簡略化した往来。享保一〇年(一七二五)一月の「御条目」六四カ条と寛文四年(一六六四)一一月の「御条目」など九カ条を掲げる。なお、本書とは別に甲州板と思われる特大本の文政六年(一八二三)刊『五人組御仕置帳』†が先に刊行されたが、本書はそれに続く刊本で江戸・甲州方面を中心に普及した。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ごはっとおきて [1238]
御法度掟‖【作者】松村専十郎書。【年代】元禄一四年(一七〇一)書。【分類】社会科。【概要】異称『掟条々』。特大本一冊。「一、毎年代官衆より免札被相渡候節、并万掛り物有之砌、早々相触、庄屋・組頭・小百性立合…」以下九カ条を大字・三行・無訓で認めた手本。内容は、免札その他の記録、不審船、他国からの居住者、街道宿場等へ二泊した者、公用の送状・伝馬・人足、境界線争い、山野・田畑・屋敷売買、嫁取・婿取などに関する諸規定を記す。実際に手習いに使用された法令関係の手本としては、元禄四年(一六九一)書『法令習字本』†とともに早い例である。〔小泉〕
★ごはっとしょ [1238-2]
御法度書‖【作者】甲斐国(甲府知県事)編。【年代】明治元年(一八六八)刊。[甲府]甲斐国(甲府知県事)蔵板。内藤伝右衛門(藤屋伝右衛門・温故堂)売出。【分類】社会科。【概要】異称『〈賜板〉甲斐国御法度書』。半紙本一冊。明治元年九月に甲斐国内の村々へ頒布された甲斐国法令集。「一、此度従朝廷被仰出候御条目之趣堅相守、御法度不相背、急度相慎可申候…」と起筆する第一条以下、全四四カ条から成る。五人組の役割や人民の義務(忠孝、家業出精、高札遵守、分限、養子縁組、財産相続、風紀、人身売買、賭博、遊芸、不当売買、田畑山林の売買禁止・管理、道路・橋の修繕、年貢、人馬提供・助郷役、捨子・捨馬、牛馬売買等)と人民支配・統制(宗門帳、役人心得)に関する事柄を列挙する。本文をやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ごふくおうらい [1239]
呉服往来‖【作者】青岳堂泰翁作。池田東籬編・書・跋。書乃舎序。岳鼎・秀峯(松尾秀峰か)・蔀関牛ほか画。【年代】文政元年(一八一八)刊。[大阪]塩屋喜兵衛ほか板(天保八年(一八三七)板)。また別に[大阪]河内屋茂兵衛ほか板(後印)あり。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。跋文によれば、本往来は青岳堂泰翁の遺稿であり、それを池田東籬が校訂・補筆したものである。内容は「本朝呉服之濫觴者、応神天皇三十七年、漢人呉服(くれは)・綾羽(あやは)二女参難波都来而、績紡・織縫之業教婦女…」と本朝呉服の起源から始まり(呉服略伝)、織物・絹布、紬・羅(うすもの)、布曝、木綿、唐織(からもの)、染色、定紋、模様、衣服身具(みのまわり)、絲、着尺(きじゃく)、真綿の品目などを列記した往来。本文を大字・四行・付訓で記す。巻頭に「東武駿河町真景」、本文中に「皇都西陣織屋図」「難波高津宮眺望」の見開き挿絵を掲げる。なお、天保板の刊記に本書に漏れた「品々、其外新織物、役者好み染色・模様、木綿の品目」を記した『続呉服往来』の広告が見えるが未刊と思われる。刊年は『国書総目録』によるが文政元年板は未見。〔小泉〕
◇ごふくづくし [1240]
呉服尽し‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】産業科。【概要】「呉服所よりとりよせ候羽二重、綸子、羅紗、羅背板、金襴、端もの、そめ物類かすは、錦をはしめ綾、緞子、そのほかさまこきませて、みやこのはれの面影を、うつすふり袖脇詰や…」で始まる文章で、四季の呉服の種類や染色・染模様のあらましを紹介した往来。末尾では「移りやすき女こゝろをいましめて、端手なるをいとひ、古風なるすかたを御好被成候やういたし度存まいらせ候。めで度かしく」と結ぶ。〔小泉〕
◆ごふこくいろはせつよう [1241]
〈鶴田真容編輯〉御布告いろは節用(後編)‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]杉浦朝治郎(当世堂)板。【分類】社会科。【概要】異称『御布告いろは節用後編』。中本一冊。布告類などに頻出する二字熟語を『節用集』風に語彙の第一音をもってイロハ各部に二〇語ずつ分類・集録した往来。イロハ各部を一行五語の四行(半丁・六行)で構成し、各語に音訓を付す。本書首題に「後編」と記すが、前編の有無については未詳。〔小泉〕
◆ごふこくおうらい [1242]
御布告往来‖【作者】鴻田真太郎作・書。【年代】明治年間刊。[東京]小田原屋弥七(児玉弥七・大橋堂)板。【分類】社会科。【概要】異称『御布告文往来』。中本一冊。「抑我大日本帝国者、神武天皇御即位を紀元とし、二千五百三十余年皇統聯綿、奕葉、累世、朝威、ソソ(かくかく)として、無窮王政復古…」で始まる仮名交じりの文章で、布告類や公務に関する漢語を列記した往来。旧弊や因習を一掃して変わり行く維新政府の姿や、国民の家職・学問精励、富国強兵、布告・法令等の遵守、国威発揚、官吏・叙任、宮廷・天皇、上奏・公論、諸官省・行政、社会・治安に関わる語彙を列挙する。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。〔小泉〕
◆ごふこくおうらい [1243]
〈維新〉御布告往来(初・二編)‖【作者】冲志楼作。【年代】明治五・六年(一八七二・三)刊。[東京]思明楼板。【分類】社会科。【概要】異称『童蒙必読維新御布告往来』。中本二編二冊(ただし類板に半紙本もある)。国政・公務・法令・社会等に関する漢語を中心に、明治新政府や国体のあらまし、国民の自覚や義務などを記した往来。明治初年に同様の往来が数多く作られたが、本書はその嚆矢となったもので、同様の文言で綴った類本のほかに本書自体の偽版もかなり出回った。初編は、「抑皇政復古、綱紀御維新、御大政、万機御更張、公明正大、言路洞開、方今、奎運隆盛、文明開化之盛時、盛世、盛典、盛挙之秋に際し…」と筆を起こし、維新の広がりや新政府の諸政策の趣意を明らかにしたうえで諸官吏の公務周辺の語彙を列挙し、後半で新しい国民の自覚と勤倹、学術への精励、産業発展による国家の忠節を強調する。一方、二編では「石上(いそのかみ)、古き例(ためし)に復(かえ)されて、又一たびは新しく、豊な時に大御代の、六合内外(くにのうちそと)隈も無…」で始まる七五調の美文体で、立法・司法・行政・文教等の諸官庁、三府、太陽暦・七曜のあらましを綴る。いずれも本文を大字・四行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。〔小泉〕
◆ごふこくおうらい [1244]
〈新鐫〉御布告往来(後篇)‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎板。【分類】社会科。【概要】中本一冊。「聖代浴天恩乍ら犯罪・違律之輩は勾留して禁獄に繋ぎ、或は各府県之庁に訴へ…」で始まる文章で、公務・法令関係の漢語を集めた往来。賞罰・休暇・破産・零落・官吏・交通・運輸・通貨・金融・学問・地方・租税・訴訟・貿易・軍事周辺の語彙を、前後にある程度の脈絡を保ちつつ列挙する。さらに末尾では、幼時より国書を学習して国体を理解し、『四書』『五経』や歴史等を学んで和・漢・洋学に精通すべきことを諭し、そのほか学問に志す者の心得や目標を示す。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。表紙に「後篇」と記すが、「前篇」については未詳。〔小泉〕
◆ごふこくおうらい [1245]
〈童蒙必読〉御布告往来(初〜五編)‖【作者】橘慎一郎作。【年代】明治七〜八年(一八七四〜五)刊。[東京]橘慎一郎蔵板。吉田屋文三郎(木村文三郎・文江堂)売出。【分類】社会科。【概要】中本五編五冊。布告・法令を始めとする近代漢語を列挙した一連の『御布告往来』の一種。例えば、初編が「公政治化之本たるや、能否・曲直・枉直を、明審・清・精明・澄清に…」で始まるように、各編とも七五調の文章で類語を列挙する形式で、楷書(仮名は行書)・大字・四行・付訓(しばしば左訓)で記す。初編は維新政府の性格・各国政体・国際社会と国内情勢・教旨三条・殖産興業・文明開化周辺の語彙、二編は学問諸分野・五大人種・外国語・軍事・農政・国力増進等、三編は国民の義務・風俗・人倫・国土・財政・交通・通信・富国強兵・農工商の責務・報国等、四編は国家の繁栄・国風・政道・国体・治安・税制・救恤等、五編は法令遵守・皇国民の心得・文化・教育・実学・府県・災害・葬礼等の語彙を集録する。〔小泉〕
◇ごふこくぶんしょう [1246]
御布告文章(前集)‖【作者】江本嘉兵衛作・刊。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]江本嘉兵衛蔵板。松木平吉ほか売出。【分類】社会科。【概要】中本一冊。「抑我国二千五百三十余年、奕葉重光威、皇統聯綿無窮極、皇政に復古し、綱紀御維新、万機御更張、公明正大之御太政、方今、当今、奎運隆盛、文明開化之秋に際し…」で始まる文章で、公務や布告類などに用いられる漢語を列記した往来。新政府や国家の方向、国民の努力など理想的な姿を示す。天皇・朝廷、政体、行政・官吏、国民の義務、治安維持などにまつわる語彙を書き記す。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。刷外題の表紙に「前集」の記載があるが、本書に続く「後集」の有無は不明。〔小泉〕
◇★ごふないまちな [1247]
御府内町名‖【作者】不明。【年代】文化八年(一八一一)頃書。【分類】地理科。【概要】異称『町名廻』。文化八年頃書の『往来物集録(仮称)』中に合綴の往来。「先(まず)大手先より中町・今町・尾張町・新町過て…」で始まり、金沢府内の町名・寺社名を、各地の風景や名物、地名の由来などとともに書き連ねたもの。次項『御府内町名尽』†と同種の往来だが別文。本文を大字・六行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◆★ごふないまちなづくし [1248]
御府内町名尽‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[金沢]刊行者不明。【分類】地理科。【概要】異称『〈新板改正〉町名づくし』。中本一冊。文化八年(一八一一)頃書『御府内町名』†や天保一二年(一八四一)刊『金沢町名尽』†と同種の往来だが、いずれとも異なる。「本町(ほんまち)」「地子町(じしまち)」の順に、金沢城下三八二の地名(町名・小路名・坂名・橋名等)を大字・五行・付訓で列記する。単行本は文政(一八一八〜二九)頃刊とも思われるが、同板を用いたものが、安政(一八五四〜六〇)頃刊『〈安政新板〉合書往来』†や刊年不明『〈万代用文〉童子往来』†中に合綴されている。〔小泉〕
◆ごふないめいしょおうらい [1249]
御府内名処往来‖【作者】大野忠五郎書。【年代】嘉永元年(一八四八)書。【分類】地理科。【概要】異称『江戸名所往来』『江戸名所方角』。大本一冊。安永九年(一七八〇)刊『連玉古状揃宝鑑』頭書所収の「江戸名所往来」に同じ。恐らくは同書を一冊の写本としたものであろう。『江戸名所往来』は、明和二年(一七六五)刊『御江戸名所方角書(江戸方角)』†に若干の地名や文言を補った往来で、冒頭・末尾が若干異なるほかは大差ない。「南山献寿鳳城之楽未央。先東之方者、和田倉・八代洲河岸…」で始まり、府内の名所を列記した後、「…六拾余州人々、毎日入換、立替、群集者、日本国中之御大名参勤有故也。品川浜者、諸国廻船出入之大湊ニ而実に御代長久成故、万民歓楽更不尽候。幸甚々愛度賢」と結ぶ。嘉永元年写本(玉川大本)は大字・三行・無訓の手本用に作る。なお、『元禄五年書目』に『江戸名所往来』の書名が見えるが本書と同じか。また、「江連昇作」と明記した写本『江戸名所往来』も存するが真偽は不明。〔小泉〕
◆こまつないだいじんきょうくんじょう [1250]
小松内大臣教訓状‖【作者】不明。【年代】寛永二〇年(一六四三)刊。[京都]堤六左衛門板。【分類】教訓科。【概要】異称『小松三位中将乍恐申上教訓状』。大本一冊。小松内大臣、すなわち平重盛が平安末期の治承三年(一一七九)六月二日に認めた、父・清盛の御内儀への教訓状に仮託して綴った教訓書。内容は、第一条「天地の恩」、第二条「国王の恩」、第三条「日月の恩」、第四条「父母の恩」、第五条「師匠の恩」、第六条「主の恩」、第七条「尾籠を致す罪」、第八条「毒害人の罪」、第九条「人を討つ科」、第一〇条「田畠の売買に前後を諍う大法」、第一一条「火付けの罪」、第一二条「召人の大法」、第一三条「盗人の法様」、第一四条「無益を致す条々」、第一五条「入婿の大法」、第一六条「後家の勝負譲状」、第一七条「得御奉書不案堵所領」、第一八条「ちかづきの礼法」、第一九条「大道路次の礼法」、第二〇条「主と家子の諍い」、第二一条「坊主と弟子との諍い」、第二二条「親と子のいさかい」、第二三条「女敵(めがたき)をうつ大法」、第二四条「路次にて女を引き合わす罪」、第二五条「人をかどわす罪」、第二六条「高名不覚」、第二七条「贔屓偏執」、第二八条「讒訴云いの罪」、第二九条「人夫を召使う次第」、第三〇条「馬の乗相笠咎(のりあいかさとがめ)、三一条「新座の者に御家人を思食被替事」、第三二条「礼儀法様」、第三三条「酒狂の罪」、第三四条「徳政の相論」、第三五条「守護地頭を訴え替る法」、第三六条「社の修理」、第三七条「人間の三つの塩」、第三八条「三宝」、第三九条「牢人」、第四〇条「養子」、第四一条「諸大名家の乱れる由来」、第四二条「気まかせ」、第四三条「僧を供養する差別」、第四四条「十三財宝」、第四五条「喧嘩・口論・刃傷の罪」、第四六条「料理・包丁・経営・配膳」、第四七条「引出物の法様」の四七条から成る。本文をやや小字・一一行・付訓で記す。本書は、中世(恐らくは室町中期以降)より近世初頭にかけての武家における治世ならびに生活上の心得を詳述する。儒教とともに仏教的色彩も濃厚で、また、当代の社会生活もかなり詳細に描くため、文化史上の好史料となる。同時に、遺訓・遺戒・家訓などの形に仮託して教訓一般を説いた往来の先駆としても重要な意義を持つ。〔石川〕
◆こまものおうらい [1251]
小間物往来‖【作者】尼崎屋伊助書。【年代】天保一三年(一八四二)書。【分類】産業科。【概要】異称『小間物往来〈扣書〉』。大本一冊。小間物商売で扱う商品名約三一〇語(異称を含む)を列挙した往来。化粧品・化粧用具、家財・諸道具・手回り品、絹布・織物類、紋様・柄、草木などの語彙を収める。表題に「扣書」とあるように、思いつくままに書き足していったものと思われ、筆者の手控えや子弟教育用に綴ったものであろうが、本文を締め括る言葉もなく、さらに加筆する意図があったとも受け取れる。「鬢付・元結・丈永・楊枝・金筆・附子…」で始まる本文を大字・二行・無訓で記す。大本一冊。〔小泉〕
◇こめとくぬかわらもみもちいかたきょうくんどうじみちしるべ [1252]
米徳糠藁籾用方教訓童子道知辺‖【作者】三浦直重(寛子斎)作。【年代】文久元年(一八六一)作。文久二年跋・刊。刊行者不明(三浦直重か)。【分類】産業科。【概要】文字通り米の徳の大なることや、米・米粉・姫糊など米(玄米・白米)自体の効用・用途、また、副産物たる藁・籾・糠の活用法を示した童蒙教訓書。「抑米の徳有事を世の人知る所なれ共、其徳何程ある事を知らんや…」と問題提起的な文章から起筆して、上記の内容について詳細に述べる。例えば、籾は枕の袋、卵の詰め合わせ、土蔵の湿気取り、道路補修、袋物の芯、蹴鞠の修繕など多種の用途を示し、また、藁に至っては、雛人形の胴、紙の仕切、箱詰めの仕切り、畳、馬の寝床、藁餅、屋根葺き、草履・草鞋、藁蒲団、藁灰、灰汁、藁人形、案山子、藁縄、防寒具など三〇種以上の活用法を紹介する。末尾に童蒙の読み書き用に編んだ旨を記す。なお、著者は寛政四年(一七九二)生まれ(そのため寛子斎と号す)で本書刊行時に七一歳であった。〔小泉〕
◆ごもじいろはうた [1253]
〈男女教訓〉五文字いろは歌‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「いつまでも、いろしたる、いろはうた、いづれもひとの、いけんとぞしれ」のように、五・七・五・七・七の各句の頭字が同音で始まるように作ったイロハ教訓歌。親孝行・学問修行・学業出精・酒色や勝負事・家内和睦・人との接し方などを始めとする処世訓を四八首に詠む。ほとんど仮名書きの本文を小字・一六行で記す。また、刷外題の表紙下段に「九九」を掲げる。〔小泉〕
◆こもりうた [1254]
児母里歌(一輯)‖【作者】久保m桑作。純古書。河鍋暁斎画。【年代】明治七年(一八七四)刊。桜送]霞楼蔵板。[長岡]鳥屋十郎(巣枝堂)売出。【分類】教訓科。【概要】異称『児もり歌』。半紙本一冊。和漢・西洋の俚諺などを織り交ぜながら七五調で綴った勧学を主とする生活教訓。「世の中に、いともかしこき、万物の、霊たる人の、性質は、善にしあれど…」と筆を起こし、以下、小学から大学へ至る学習内容や目標を示して心得とする。小学校は人々の才智を開くための神からの授かりものであること、児童は六歳になったら小学校に通って教師や規則に従って諸科目を学習し、帰宅後は復習すべきこと、さらに中学・大学に進んで専門科目・外国語などを履修し、社会に出て富国強兵のために努めるべきこと、また、学習以外の心得として、清潔・健康・養生、倹約、勤勉、誠実、謙遜などを説く。本文を大字・四行・付訓で記す。見返や巻頭の題字・緒言・挿絵(子育て風景)は色刷り。なお、首題等に「第一輯」と記すが、二編以降は未刊か。〔小泉〕
◆ごもんごん [1255]
〈御高札之内〉御文言‖【作者】不明。【年代】弘化二年(一八四五)刊。[奈良]墨屋謙蔵板。【分類】社会科。【概要】異称『〈御高札〉御文言』。半紙本一冊。「一、親子・兄弟・夫婦を始、諸親類にしたしく、下人等にいたる迄、これをあはれむべし…」で始まる正徳元年(一七一一)五月の七高札、また明和七年(一七七〇)七月と天保一三年(一八四二)七月の高札など、合計九つの高札を集めた往来物。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
★ごようむきぶんしょう [1255-2]
御用向文章‖【作者】大椿堂松谷(源繁雄)書。【年代】安政三年(一八五六)書。【分類】社会科。【概要】特大本一冊。武家高官向けの用文章ではなく、幕府御用に伴う書状で用いる用語を列挙した往来。「都而御用向ニ可取扱文字逸々可致書写茂愚妹之私、一向、一円不案内ニ而憚多候得共、併有増記、入御覧ニ候。先、公事銘々之文面ニ者、馴合、相掠、理不尽、強訴、徒党、不義、密通…」で始まる文章で、文書に使用する語彙や用語を次々列挙し、「…其外平生可用文字、広大、莫大、依無際限、大概令略之畢」と結ぶ。本文を大字・三行・無訓で記す。また末尾に「名頭字」を付す。〔小泉〕
◆こよみのちゅうしゃくえしょう/れきじつちゅうしゃくえしょう [1256]
暦日註釈絵抄‖【作者】山田野亭(好華堂)作。川部天受(玉園)画。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[京都]大文字屋仙蔵ほか板。【分類】理数科。【概要】異称『暦日註釈画抄』。中本一冊。『大雑書』等に見える暦占関係の記事を集めて図解した往来。本文欄に「暦乃註解」「年徳神の事」「八将神の事」「金神の事」「金神遊行日乃事」「暦乃上段の事」「暦の中段乃事」「八専の間日」「暦の下段日の吉凶」「弘法大師四目録占」「汐乃満干の早繰」等、頭書欄に「天象略註」「月の和名」「掌に日和を繰法」「十二支時の覚」「孔明六曜日繰」等を収録する。本文を概ね小字・一二行・所々付訓で記す。なお、表紙は外題とも色刷りの刷表紙である。〔小泉〕
◆ごりんくん [1257]
〈礼学大全〉五倫訓‖【作者】大館天涯(教美・氏晴・中務・謙堂・明礼堂・好問斎)作・序。鷦鷯昌(大郷)校・序。神埼廉(神崎小魯・朴斎)序。児島信跋。【年代】天保六年(一八三五)序。天保七年序・跋・刊。[京都]著者蔵板。【分類】教訓科。【概要】異称『礼学五倫童蒙訓』。半紙本一冊。修身斉家の要諦として礼学(「礼儀・威儀兼備の礼法」)と五倫を諭した教訓書。「礼学発端」「五倫発端」および「父子之親」「君臣之義」「夫婦之別」「長幼之序」「朋友之信」の七章から成る。『孝経』『四書』等から引いたり、所々、先賢故実や教訓歌を挙げながら平易に生活教訓を説く。本文をやや小字・九行・付訓で記す。巻末の「礼学童蒙必用」は、『童蒙須知』を基礎に庶民子弟の心得を「発端」「子育」「衣服」「言語」「歩行」「掃除払拭」「素読手習」「雑事」の八章に分けて述べた教訓である。また、末尾「礼学教法の次第」によれば、著者は八歳以上三〇カ条、一四歳以上六八カ条、一七歳以上一三八カ条、武士以上二〇三カ条を定めていた様子であるが詳細は不明。〔小泉〕
◆ごりんたいいげんかい [1258]
〈新刻〉五倫大意諺解‖【作者】松崎蘭谷(祐之・梅処翁)注・序。高梨養順書。【年代】享保六年(一七二一)序。享保一二年刊。[京都]小川多左衛門(茨城多左衛門)板。【分類】教訓科。【概要】異称『五教諺解』。大本一冊。「人間は生まれながらに知覚をもち運動させることでは禽獣に異なることなく、この知覚を運動させるにあたり統御する義理を発揚することで禽獣にまさって万物の霊となる。この義理は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友といった人間本来の基本的な関係の中でこそ磨かれ実践されねばならない」との説諭の後、父子有親・君臣有義・夫婦有別・兄弟有序・朋友有信の「五倫」の一つ一つについて解説した往来。室鳩巣の『五常五倫名義』†よりも一層平易な施注が特徴。本文をやや小字・七行・付訓で記す。〔石川〕
◇ごりんめいぎかい [1259]
五倫名義解‖【作者】空谷茂潤編・跋。【年代】安政二年(一八五五)刊。[江戸か]此君園板。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。室鳩巣作『五常五倫名義』†のうち『五倫名義』のみを抜粋して単行本としたもの。ただし「朋友有信」の末尾で、信は「朋友のみにあらず、父子の親、君臣の義、またみな信ありと知るべし」との異説を紹介する。本文をやや小字・七行・無訓で記す。編者による私家版であろう。〔小泉〕
◇ごろくじぎならびにそどくいちじょ [1260]
語録字義〈並〉素読一助‖【作者】濫吹子序。【年代】寛文一一年(一六七一)序。元禄七年(一六九四)刊。[京都]山岡四郎兵衛板。【分類】語彙科(辞書)。【概要】異称『語録指南』。半紙本一冊。『語録字義』と『素読一助』から成る。前者は、漢字一字から五、六字程度の語句・熟語を諸書から抜粋したもので、「一字部」〜「五字部(六文字以上の語句もここに収録)」に分けて列挙する。各語句の音訓や語注・用法等について付記する。後者は、特定の漢字の読み方の違いを意味や用例とともに示したもの。いずれも語彙を概ね楷書・やや小字・八行大(後半部は四行大)・無訓で記し、片仮名交じり文の割注(語注)を施す。〔小泉〕
◇こんたいみょうじづくし [1261]
今体苗字尽‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[東京]小森宗次郎板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。「徳川・前田・伊達・細川・黒田・池田…」で始まる当用の苗字を集めた往来。通常の読みを語句の右側に、漢字一字毎の読みを左側に付す両点形式である。なお、上記の刊年は書籍広告による推定である。〔小泉〕
◆こんぴらおうらい [1262]
金毘羅往来‖【作者】不明。【年代】嘉永二年(一八四九)刊。[江戸]藤英堂音治郎(藤屋音次郎・音治郎)板。【分類】地理科。【概要】異称『金毘羅詣文章』。半紙本一冊。大坂より讃岐国象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(香川県琴平町・金刀比羅宮)に参詣する沿道の名所旧跡・神社仏閣の景趣や故事を記した往来。「讃州象頭山江御参詣なされ候はゞ、大坂より御船に被召、難波がた、短かき芦の言之はを、波を枕に御遊覧、南は堺岸之和田、北は名におふ尼か崎…」と起筆するように、冒頭・末尾は女文形式で、本文の大半を「わたのはらふりさけ見れば霞たつ…」のような引歌的表現や、「旅は道連、世は情け」のような俚諺、また源平合戦等の故事来歴を交えた七五調の文章で綴る。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆こんぴらもうで [1263]
〈新板頭書・九州名所・讃岐国象頭山〉金毘羅詣‖【作者】十返舎一九作。【年代】文政五年(一八二二)刊。[江戸]西宮新六板。【分類】地理科。【概要】異称『さぬき詣』。中本一冊。讃岐国金毘羅山参詣の道中と同社の結構などについて紹介した往来。『続膝栗毛』初編序文にも一九が若年の頃に所用で高知を訪問した際に同社を参詣した旨を記すが、あるいは当時の道中日記などをもとに編んだものであろう。江戸から東海道で大坂へ向かい、道頓堀から早朝の「讃州丸亀船」に乗船して兵庫沖を通過し、丸亀港に着岸するまでのルートと所々の風景について述べ、大黒屋某という旅籠屋に泊まって翌朝金毘羅山へ登るという想定で、沿道風景や名物、同山本社など境内の様子や由来などを書き記す。下山後は、四国遍路の札所である善通寺・曼陀羅寺・出釈迦寺、弥谷寺を参詣して、多度津から丸亀へと向かうコースについて述べる。「厄払い」と称して子ども達が猿面などを付けて踊り歩いて物乞いをする習慣なども紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「播州より芸州・宮嶋までの名所」ついての記事を載せる。〔小泉〕
◆こんれいおうらい [1264]
〈天保新刻〉婚礼往来‖【作者】不明。【年代】天保四年(一八三三)以前刊。[江戸]和泉屋市兵衛板。また別に[水戸]茗荷屋弥兵衛ほか板等あり。【分類】社会科。【概要】異称『万歳婚礼往来』。中本一冊。婚礼について要用の事柄を記した往来。冒頭に、婚姻の大切さや分限に応じた婚礼儀式について述べ、続いて「結納」「嫁入」「婚礼」「見参」の順に、身分の違いにも触れながら式礼・膳の次第などについて比較的詳しく説く。本文をやや小字・六行・付訓で記す。巻頭に婚礼(式三献)等の図、頭書に「祝言床餝之事」「歯黒之事」「文字の濫觴の事」「琴のはじめの事」「碁・双六初の事」「雛遊之由来」「貝合せの事」「機織之由来」「縫針之事」「五節句之由来」「七夕歌尽し」を掲げる。〔小泉〕
◆こんれいおんなくにづくしぶんしょう [1265]
〈新板手本〉婚礼女国尽文章‖【作者】不明。【年代】天保八年(一八三七)以前刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。また別に[江戸]鶴屋喜右衛門(仙鶴堂)板(後印)あり。【分類】女子用。【概要】異称『女国づくし』『女国尽』『女国尽婚礼文章』『婚姻女国尽』『〈改正〉婚礼女国尽』『〈改正〉女国尽し』『婚礼往来女国尽』。中本一冊。滝沢馬琴作『国尽女文章』†と同じ趣向で日本の国名や名所・名物を紹介した往来(ただし異文)。「一筆申あけまいらせ候。今度、御姫様、山城守様御媒にて大和守様へ御ゑん組御整ひ遊はし…」で始まる婚礼祝儀状の体裁で、諸国領主から送られた各地特産の婚礼道具の数々を書き綴った往来。河内守から贈られた這子・筒守・御厨子・黒棚以下、畿内七道の各国(領主)毎に名産を列記する。天保板は、本文を大字・五行・付訓で記し、巻頭に本朝呉服の由来と養蚕図、頭書に「娘を五もしと言訳の事」を載せる。このほか本書本文のみを収録したものや付録記事を改めたものなど、幕末までに種々の板種が生まれた。〔小泉〕