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◆ばいとくおうらい/かいどくおうらい [3035]
〈都名所・諸職尽〉買得往来‖【作者】小野臨水堂作・書。【年代】寛延四年(一七五一)以降刊。[京都]菊屋喜兵衛板。【分類】地理科。【概要】異称『都買得往来』。大本一冊。主に地方から上京した商人用に、京都の名所・名物・諸職業を列記した往来。「平安九重之町、内裏之外竪横小路軒継、甍並建続、諸国運送之商人・諸職人、従上代雖書載、今改而発構之色品其求安所記ス…」と筆を起こし、京都の町々で売買される物資(被服・食物・家財・雑具・薬種・香料・生産用具)や、各町で活躍する種々の職人・商人・芸人等を書き連ねる(本文は大字・四行・付訓)。巻頭に「鞍馬魔王大僧正図」「片仮名真字古文字いろは」「始文字製図」に掲げ、頭書に「花洛東山詣」「洛西嵯峨名所」「京師九陌横堅小路」や賀茂神社・吉田神社・三十三間堂・耳塚・清涼寺・二条城の図解を載せるほか、巻末に「赤山之図」を付す。なお、柱に『用文』と記し、丁付が二七丁より始まるように、本書所収の寛延四年刊『大満用文自在蔵』†が先に刊行され、後に抜刷本である本書が刊行されたものと思われる。〔小泉〕
★はがきぶんれい [3035-2]
〈開化・鶴田真容編輯〉端書文例〈附録証文〉‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]小林鉄次郎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈開化〉端書文例』。中本一冊。明治初年の用文章の多くが「高尚に過ぎ、童子綴文に苦しむ」現状を鑑み、「簡易切近」を旨として端書用の例文を収録した用文章。いずれも「本日は紀元佳節之例祭御同慶奉存候」といった二、三行の短文(ほとんどが単文)を見出しも付けずに列挙するのが特徴。本文を大字・五行・付訓で記す。また、後半「諸証書文例」には「金銀及諸品請取証」から「雇人引取之証」までの一三通をやや小字・七行・付訓で載せる。〔小泉〕
◆はがきようぶん [3036]
はがき用文‖【作者】岡田伴治編。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]岡田伴治(博真堂)板。【分類】消息科。【概要】小本一冊。「年始状」から「弔喪文」まで、四〜五行程度の消息短文三〇通を列挙した携帯型の用文章。四季折々の手紙と日常生活・社会生活に即した例文で、行書・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆はがきようぶん [3037]
〈開化〉はかき用文‖【作者】宮本興晃作。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[東京]吉田慶之助板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始状」から「菊見之文・同返事」までの端書用短文二一通を収録した用文章。開店報知、品物注文、注文品催促、誂物延期依頼、荷物運漕報知、金子相違、金子為替、為替金受取など商用文の比重が高く、所々四季行事に関する例文を盛り込む。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「漢語早学」「衣類名尽」「織物尽」「願届書式」を収録する。〔小泉〕
◇はぎおうらい [3038]
萩往来‖【作者】増野応杣作か。【年代】安政(一八五三〜五九)頃作・書。【分類】地理科。【概要】異称『萩名所往来』『覇城道草』『須佐萩間往来記』。長門国阿武郡萩一帯の地理や名所を記した往来。「身は住なれし須佐の里、八声の鳥に夢覚めて、今日思ひ立つ旅衣、空の気色もなぎの木と、門出を祝ふ吉祥寺…」で始まる七五調の文章で、風趣や風情を示す文言とともに地名・名所・寺社を列記する。寺社縁起に全く触れないのも特徴の一つ。末尾を「…鶴江の川の渡し守、いりあい開く音生(おんじょう)寺、万づ宝を吹上の、筆住吉と書き納め、花の八重萩着くぞ目出度し」と結ぶ。なお、次項『覇城往来』†とは別内容。〔小泉〕
◇はぎおうらい [3038-2]
覇城往来‖【作者】木邑勝蔵書。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】異称『萩往来』。半紙本一冊。長門国萩地方の地理を扱った往来だが、前項『萩往来』†とは異本。「太平の、御代万歳の亀尾川や、安芸の風なき米の山、きびが餅山持ちて…」と筆を起こし、安芸国亀尾川を起点に岩国等を経て、長門国萩城下に至る沿道の宿駅、名所旧跡・神社仏閣等を紹介する。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◇はぎのおうらい [3039]
萩野往来‖【作者】不明。【年代】安永三年(一七七四)書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「夫、新春の御慶賀不可有際限。抑、富貴満作、万福不尽、迎年、繁栄万喜、不易之御祝珍重々々…」で始まる一通の新年祝儀状形式で、羽前国最上郡萩野村(山形県新庄市)の新年行事や、物産・産業・名所等を略述した往来。群集の風俗などにも触れながら新年儀式や行事のあらましを述べ、続いて地域の物産や寺社等を簡単に紹介する。現存本は大字・五行・無訓の手本。〔渡辺〕
◇はくうんざんもうで [3040]
白雲山詣‖【作者】白庵書。【年代】弘化二年(一八四五)書。【分類】地理科。【概要】上野国のある村から前橋・高崎を経て妙義山および榛名山に至る沿道の名所や、妙義山大権現・白雲山石塔寺・榛名山神社の風趣・景観や縁起・由来などを記した往来。「此度当国に名立る妙義山へ参詣致候。耳目を驚す景勝、見聞に触たる所々、拙き筆にかい集め入御覧候…」のように、竹馬の友と同地を旅行した者が記した手紙文の形で綴る。敷島河原・金比羅権現・広瀬橋・前橋城下・竜海院・利根川・高崎宿・妙義山・榛名山・天神峠までを紹介する。高井蘭山の寛政六年(一七九四)刊『上州妙義詣』†や清水玄叔の享和三年(一八〇三)刊『上州榛名詣』†とほぼ同じ地域について記すが、本書は上野国内を出発点とし、前橋城下を詳述する点が独特である。〔小泉〕
◆はくりょうどうしょさつ [3041]
栢梁堂書札‖【作者】長雄耕雲(栢梁堂)・浦井丞右(耕雪)・船田雅通(耕山)書。【年代】宝暦四年(一七五四)刊。[江戸]鶴本平蔵板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。武家公私にわたる書状を大字・三〜四行・無訓で認めた陰刻手本。書名の「栢梁堂」は耕雲の堂号。耕雲筆の消息文「新年祝儀披露状」以下一六通と、耕雪筆の消息文「新年祝儀献上披露状」以下五通、また、耕山筆の消息文「御機嫌伺い披露状」以下五通の順に収録する。ただし、上記は宝暦四年三月板(彫工・町田平七)で、このうち末尾七丁を削除して新たに六丁を補った宝暦四年九月板(彫工・西村新助)も刊行された。〔小泉〕
◆★はぐろおうらい [3042]
羽黒往来‖【作者】三浦文兵衛作か。【年代】文化一一年(一八一四)書。【分類】地理科。【概要】異称『羽黒行』『羽黒詣』。大本一冊。「近々羽黒山江御参詣思召立に付、乍御案内御供可仕之旨、承知仕候…」で始まる文章で、庄内・鶴岡城下より羽黒山神社に至る沿道の名所旧跡や同社の景趣・縁起・名物等を記した往来。享和三年(一八〇三)、竜蔵作『羽黒参詣案内(羽黒山往来)』†の本文を要約・改編したもの。本文中、若王寺の院主に言及したくだりで、「天保十年之頃より光明院住職也…」とあるため、おおよその撰作年代が分かる。異本が多く、末尾を「拝所数多故、帰りは酉之刻計に相成候」と結ぶもの、あるいは「帰宅は申の刻過に相成申候。目出度かしく」、または「文化八年未二月十一日之明七ッ時焼失労哉絶言語候」とするものなどがある。〔小泉〕
◇はぐろさんけいあんない [3043]
羽黒参詣案内‖【作者】竜蔵(良仙)書。【年代】享和三年(一八〇三)作か。江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『羽黒山往来』。「拙者儀初て当国に罷越候間、所々の山々・神社仏閣を拝見し、名所古跡残らず遊行仕度候…」で始まる長文で、鶴岡から羽黒山までの参詣路に沿って名所旧跡・神社仏閣の景趣・由来等を記した往来。鶴岡を早朝に出発して大梵字川から赤坂薬師堂・称名山蓮台寺・祓川・倶利伽羅不動を経て羽黒山寂光寺・羽黒三所権現までの沿道風景や故事・縁起、寺社結構や造営・宝物、さらに羽黒山信仰の様子や霊験などにも言及し、最後に同地にまつわる故実・縁起や和歌・詩賦・発句等が宝永七年(一七一〇)刊『三山雅集』に詳しいことを紹介する。なお、本書を要約したものが天保一〇年(一八三九)以降作『羽黒往来』†である。〔小泉〕
◆はこだておうらい [3044]
箱館往来‖【作者】松浦武四郎(竹四郎・弘・多気志楼)作。【年代】安政三年(一八五六)作。元治元年(一八六四)頃刊。[函館]刊行者不明。【分類】地理科。【概要】異称『箱舘往来』。大本一冊。箱館(函館)を中心とする北海道・北方領土開発の経緯、領主・松前氏の支配と箱館の盛況、蝦夷各地の物産、同地の気候や開拓の気運などを記した往来。「抑、蝦夷与申地名、有数種。内郡蝦夷与申は、従陸奥胆沢和賀郡辺以奥号之由…」と筆を起こし、まず「蝦夷」の名称や函館が「渡嶋(おしま)蝦夷」と称すること、斉明天皇の時代から近年までの蝦夷地開発、松前・江刺・箱館等の沿革、箱館の諸役人・諸職人・諸商人などを略述した後で、道内の物産を詳しく紹介する。また、蝦夷地の通行改めや異民族との交易にも触れる。本文を大字・六行・無訓で記す。また、見返にアイヌ風俗図を掲げる。〔小泉〕
◆はしな [3045]
〈大阪府学校用〉橋名‖【作者】大阪府学務課編。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]大阪府学務課蔵板。書籍会社売出。【分類】地理科。【概要】異称『大坂橋名』『大阪橋名』。半紙本一冊。大阪府内の橋の名称を河川や堀毎に列挙した手本。大川・堀川・曽根崎川・堂島川・土佐堀川・古川・安治川・寝屋川・鯰江川・東堀・西横堀・長堀・道頓堀・高津入堀・難波入堀・江戸堀・京町堀・永代堀・海部堀・阿波座堀・薩摩堀・立売堀・長堀川・堀江・道頓堀川・三間川・百間川の順に各橋梁名を大字・三行・無訓で記す。なお、本書に挿絵を多く交えた小本仕立ての往来に『絵本橋名尽』†がある。〔小泉〕
◇ばしょうへいもんぶんしょう [3046]
芭蕉閉門文章‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】教訓科。【概要】「色は君子の憎む所にして、仏も五戒の始に置といへとも、流石捨かたき情のあやにくに、哀れなるかたも多かるへし…」と筆を起こし、心身の盛んな時期はわずかに二〇年足らずで一生は「一夜の夢」のようである、従って「利害を破却し、老若を忘れて閑にならむ」ことが老いの楽しみであると諭した教訓書。末尾に「朝かほや昼は鎖おろす門の垣」の句を掲げて結ぶ。〔小泉〕
◆はしらだておうらい [3047]
〈新鐫・神社仏閣〉柱建往来‖【作者】鼻山人作。【年代】文化一三年(一八一六)作・刊。[江戸]岩戸屋喜三郎板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】産業科。【概要】異称『柱立往来〈頭書人倫名目字尽〉』『〈神社仏閣〉柱建往来』『〈文政新刻〉柱立往来』『神社仏閣柱建往来』。中本一冊。享和(一八〇一〜四)頃刊『番匠作事文章』†等にならい、もっぱら宮大工子弟用に神社仏閣建築に関する語彙や知識を綴った往来。「凡、神社仏閣・堂塔伽藍・坊舎・寺院、新規造営仕形荒増取扱文字、正字・当字・万葉書、義理・訓等之無差別、世上一同通用者…」で始まる文章で、寺社建築に関する手順や工程、必要な材料・素材、建物各部の名称や装飾・工法などを紹介する。さらに末尾で、宮大工としてあらゆる作業に細心の注意を払い、また先代の流儀・定法をよく守るべきことや、上棟式のあらましなどに言及する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「聖徳太子像」「大工半纏の由来」、頭書に「人倫名目字尽」「破軍の星はや繰やうの事」「仏像の体想を速知る法の事」等の記事を掲げる。また、本書の内容を補充し、絵図や関連記事を多く付載した『〈万宝柱立〉番匠往来』†が同一著者によって編まれ、文政六年(一八二三)に刊行されている。〔小泉〕
◆はせがわふでのにしき [3048]
長谷川筆の錦‖【作者】長谷川妙躰書。【年代】宝暦二年(一七五二)刊。[大阪]村上伊兵衛板。また別に[京都]菊屋七郎兵衛板(後印)あり。【分類】女子用。【概要】特大本一冊。妙躰最晩年の書で、刊本では最後の作品と思われる女筆手本。他の妙躰の手本に比べて一回り大きいだけに伸び伸びとした筆致で綴る。内容は、「幾千と世万代も相かはらすめてたき御年…」で始まる新年祝儀状を始め、花見同伴を快諾する手紙、寒中に安否を問う手紙など二九通の女文を散らし書きで記す。四季折々の手紙が大半で、特に二月堂の薪能、誓願寺の紅梅、清水寺や高台寺の桜、竜田・高雄山の紅葉といった四季の名所を題材にしたものが多い。また、貴人の娘宛ての披露文など脇付を伴う例文もいくつか見える。巻末に『和漢朗詠集』から抄録した詩歌数編を載せる。なお、扉は青色刷りで「長谷川妙貞筆」と大書する。〔小泉〕
◆はせみやげ [3049]
〈佐州〉長谷土産‖【作者】不明。【年代】文政四年(一八二一)書。【分類】地理科。【概要】異称『長谷往来』。佐渡国雑太(さわた)郡長谷村(新潟県佐渡郡畑野町)の地理・物産や長谷寺を中心とする古跡等の概略を記した往来。「我佐渡国は、雑太・加茂・羽茂の三郡にて、村数二百六十余村、其内、長谷なるは雑太郡にして…」と書き始めて、まず長谷村の位置や地勢を示し、続いて、石観音・大悲院・一ヶ院遍照坊・蓮華峰寺・円明寺・豊山長谷寺等の寺社縁起・風趣・結構・祭礼・信仰、また、地域の民家や沿道の様子、地域で生産される醸造品・食品・料理・果実・穀物・青物・魚類などを紹介し、最後に同地四季の風景や本書撰作の経緯に触れて締め括る。重写本は大本一冊で、本文を大字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◇はっけいのしいか [3050]
八景之詩歌‖【作者】清水蘭山作。中根璋元(圭)跋。【年代】享保元年(一七一六)刊。刊行者不明。【分類】社会科。【概要】大本一冊。「瀟湘八景(瀟湘夜雨・洞庭秋月・遠寺晩鐘・遠浦帰帆・山市晴嵐・漁村夕照・江天暮雪・平沙落雁)」を詠んだ詩歌を大字・二行・無点で綴った手本。本書と同類の手本に、尊円親王書・明暦二年(一六五六)刊『瀟湘八景』†や延享四年(一七四七)書・刊『瀟湘八景』†がある。〔小泉〕
◆はつねおうらい [3051]
はつ音往来‖【作者】児島貞蔵(松月堂)書・跋。【年代】安永二年(一七七三)刊。[大阪]村上伊兵衛板。【分類】女子用。【概要】異称『初音往来』。大本一冊。跋文に「女子文通のたより…」とあるように女子手習用に編まれた手本で、四季の推移を主とした仮名文二一通を収録する。「青柳のはるに媚、園の鴬もはつねもよほすけしき…」で始まる新年状以下、二月初午に招く文、三月弥生祝いの文、四月藤の花盛りに散策を誘う文、五月梅雨の季節に『源氏物語』を借りる文(ここまでは同一テーマの往復文)、六月以下は複数テーマで、六月が祇園会と庚申待ちの二通、七月が七夕祝儀と暑中見舞い、八月が十五夜の文と住吉詣に誘う文、九月が菊花の贈り物への礼状と秋の夜長の文、以下各月一通ずつとなり、一〇月亥の子祝儀、一一月髪置き祝儀、一二月歳暮見舞いの文までを収録する。九月状以下に散らし書きを用いるなど、手紙の書き方にも変化を持たせる。概ね本文を大字・三行・付訓で記す。〔小泉〕
◇はなすりごろも [3052]
花摺衣‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】「雪舟かきつけるとかや、立寄は、たゝみし石の苔むして、雲雀鳴そら…」で始まり「…菊か浜つたひ、家路をさして立帰りけり」と結ぶ仮名交じり文で、長門国萩城下(山口県萩市)および周辺の神社仏閣・名所旧跡を紹介した往来。茶臼山・和泉寺・南明寺・竜蔵寺・東光寺・唐人山・音声寺等を巡覧して帰宅するコースで記すが、現存本は冒頭部が不備なため零本と考えられる。〔小泉〕
◇はなづくし [3053]
花尽し‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】女子用。【概要】異称『花尽』。東大本は大本一冊。尾張地方などで使用された手本で、「時しあれ降続たる春雨に、軒の玉水いとゝしく、詠めかちなる夕くれに、硯ひきよせ知顔に、心に思ひ筆に言ひ…」で始まる七五調の文章に四五種の四季の草花を詠み込んだ往来。末尾は「…歳の内なる梅咲て、はや寒菊に時移り、雪の白髪の老か身の、春を待つこそおかしけれ、めてたくかしく」と結ぶ。旧蔵者は鳳章堂というが筆者か否か不明。本文をやや小字・一〇行・無訓で記す。〔小泉〕
◇はなのみやこ [3054]
花の都‖【作者】不明。【年代】書写年不明。【分類】地理科。【概要】山城国宇治郡周辺の名所を、全編一通の七五調の女文で書き綴った往来。書名は「花のみやこの旧跡を、所またらにみ廻りて、御幸の宮や六地蔵、極楽寺をはたとり行、臥水の里をうちこして、みつの水上宇治のさと…」で始まる本文の冒頭語による。文末を「めでたくかしこ」で結ぶ女文形式で、万福寺、恵心院、弁慶石、真木の嶋、光照寺、朝日山、三室堂、通円、平等院・鳳凰堂、小嶋が崎、豊後橋といった同地の名所旧跡・神社仏閣を紹介する。〔小泉〕
◆はなみおうらい [3055]
花見往来‖【作者】関屋寅之助(池J舎関与)書。【年代】嘉永六年(一八五三)書。【分類】地理科。【概要】異称『隣郡花見往来』。大本一冊。「花之日影長閑ニ成候まゝ、炉辺を出て四方を詠れば梅も漸々盛になり候間、同志の信友を倡ひ小竹筒・破籠を誘ひ、隣郡を吟行…」で始まる手紙文形式で、信濃国埴科郡・更級郡・水内郡一帯(長野県長野市・更埴(こうしょく)市辺)の神社仏閣・名所旧跡とその縁起・景趣・名物などを列記した往来。岩野村妻女山から千曲川・横田河原・倉科・矢代(屋代)を経て、姨捨山・鏡台山・長谷(はつせ)観音・康楽寺・善光寺・清水寺・戸隠山・海津城(松代)・清滝観音等を参詣するコースで名所を順々に紹介する。本文を大字・八行・無訓で記す。末尾に「嘉永六丑正月日写改、関屋寅之助」と記すので、本書の基になった往来が存すると思われるが、同原本が寅之助作かどうかは不明。なお、本書後半に「四季の扇(仮称)」等を合綴するが、これは「四季の扇子の好々に…」で始まる七五調の文章で扇の絵柄・模様の名称を記した往来で、文化五年(一八〇八)刊『四季扇文章』†と同類(ただし異文)。本文を大字・七〜八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆はまべしょうにおしえぐさ [3056]
浜庇小児教種‖【作者】今井経山(関川堂)作・書。鈴木陵山(玉川堂)跋。【年代】安政五年(一八五八)書・跋・刊。[江戸]菊屋幸三郎(金幸堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『〈御家〉浜庇小児教種』。大本一冊。九十九里沿岸の漁民子弟用に編まれた往来。鰯漁などで大いに潤った同地の子ども達が奢侈に流れることをおそれ、童蒙に手習い・学問への出精を諭し、親の教育心得も綴る。「夫、九十九里は、余国より土肥、五穀富饒にして、魚猟専として、四季ともに絶間なく、名におふ荒海千尋にして、一樹の影たになく、誠に無双の景色なり」で始まる文章で、同地の風景や漁の様子を生き生きと描き、さらに子どもの放逸・放蕩を戒め、読み・書き・算など漁民に必要な学問・教養のあらましを述べ、最後に子育ての要点、下山(寺子屋卒業)後の心構えなどを説いて締め括る。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆はやぐりいろはじびき [3057]
〈明治新板〉早操いろは字引‖【作者】不明。【年代】明治年間刊。刊行者不明。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。草木・薬種香具・禽獣・魚貝・虫・器財・支躰病・衣服・飲食の九部に分けて、イロハ順に日用語を集めた往来物。語彙をやや小字・七行・付訓で記し、稀に割注を施す。採録語彙の多い「草木」「器財」の二部については、イロハ別の見出し語を設ける。巻末に「月の異名」を掲げる。〔小泉〕
◇はやちねもうで [3058]
早池峯詣‖【作者】中館衛門作・書。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】大野原馬留より陸奥国早池峯山(岩手県北上高地中央部の最高峰)に至る沿道の風景と早池峯神社の縁起・景趣・祭礼等を略述した往来。往復二通の手紙文(いずれも六月状)で構成され、往状で沿道風景と同地の七不思議、また四方の山々を紹介し、返状で祭礼時の様子などを伝える。江戸後期に寺子屋を経営していた中館衛門(文政二年(一八一九)生〜明治二年(一八六九)没)の筆写本『梅香家筆誉』中に所収。なお、本書と同一地域の往来物として、江戸後期作『御山先立往来』†がある。〔小泉〕
◆はやびきもじつう [3059]
早引文字通‖【作者】松亭金水作・書。森屋治兵衛(錦森堂)序。【年代】弘化四年(一八四七)刊。[江戸]森屋治兵衛板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈諸用早引〉文字通』。中本一冊。正徳六年(一七一六)刊『童子字尽安見』†の改題・改訂本。半紙本の正徳板を小型化した携帯版。改編にあたって原作者・松井兎睡の序文や菊需准堂の跋文などを削除し、本文の字配りを改め、さらに部門毎の注を削除した。この改編に伴い、例外的に語彙の収録順が転倒するなどの微細な異同も生じたが、本文は基本的に同じである。本文を大字・七行・付訓で記す。なお、前付では口絵を改め、新たに凡例を付した。〔小泉〕
★はやびきようぶんしょう [3059-2]
早引用文章‖【作者】不明。【年代】嘉永五年(一八五二)刊。[江戸]新庄堂板。【分類】消息科。【概要】異称『〈頭書俗字節用入〉早引用文章』。中本一冊。「年始の文」から「俳諧を賀す文」までの消息文例五九通と、「借用申金子の事」以下一四通の証文類文例および「諸国御関所附」までを収録した用文章。先行の類書から参酌して編んだものと思われる。本文を大字・五行(証文類は六行)・付訓で記す。頭書に、イロハ引きの日用語集である「早引節用集」を掲げる。〔小泉〕
◆はやびきりょうてんしゅう [3060]
〈□□改正〉早引両点集‖【作者】不明。【年代】弘化三年(一八四六)頃刊。[江戸]梅屋半兵衛(柳動堂)板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。弘化三年刊『町々いろは分独案内』ほかと合。半丁に七行ずつ界線を設けて、各行毎にイロハで始まる日用語(二字熟語)六語をやや小字・七行・付訓(左訓を含む両点形式)で記す。各行とも三語ずつで区切り、間に片仮名とその字母たる漢字を楷書で付す。例えば、第一行目は、「い・委細・過日・隠居、イ・伊・威勢・遺恨・暇乞」のように列挙し、各単語には「いさい/くはしく・こまか」のような音訓を付す。表紙には、「一九(とまり)」「百々(どゝ)」などの難字や、「如件(くだんのごとし)」「かしく」についての略注を載せる。なお、角書四字のうち右側の二字が意図的に削除された模様である。〔小泉〕
◆はやびきりょうてんしゅう [3061]
〈改正日要〉早引両点集‖【作者】不明。【年代】文化(一八〇四〜一八)頃刊。[江戸]万屋和助(星見堂)板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈日用要字〉早引両点集』。半紙本一冊。頭字が同音になる二字熟語(主に消息用語)をイロハ毎に六語ずつ集めた小冊子。例えば「イ」部では「慇懃・委細・音信・暇乞・遺恨・違背」の六語を掲げ、それぞれ語句の左右に音訓(両点)を施す。表紙には字形の酷似した漢字を掲げたり、「かしく」「如件」などの説明を付す。同種のものがいくつか出版されているが、万屋板には表紙を除いて本書と全く同内容の『〈日用要字〉早引両点集』がある(表紙に「いろはの発」などを載せる)。また、本書の語句を一部入れ替えた改題本に江戸後期刊『通用文字早引抄』†がある。〔小泉〕
◆はやびきりょうてんしゅう [3062]
〈改正日要〉早引両点集(異本)‖【作者】不明。【年代】天保六年(一八三五)頃刊。[江戸]泉永堂板。【分類】語彙科。【概要】中本二巻二冊。頭字が同音になる二字熟語をイロハ毎に六語ずつ集めた小冊子。例えば、上巻「イ」部には「慇懃・委細・音信・暇乞・遺恨・違背」の六語、下巻「イ」部には「隠居・意趣・居宅・因縁・猶予・忌明」の六語を掲げ、それぞれ大字・六行・付訓で記す。また、上巻表紙に字形の似通った漢字や「かしく」「如件」の説明、下巻表紙に「一九(とまり)」「百々(どど)」といった難読熟語と「本朝年号用字尽」を掲げる。巻末に、天保六年刊『早引両点日用重宝集』や『狂歌問答』『大徳寺宝物』等の小冊子を合綴する。〔小泉〕
◆はやびきりょうてんにちようちょうほうしゅう [3063]
〈改正〉早引両点日用重宝集‖【作者】不明。【年代】天保六年(一八三五)刊。[江戸]大野屋金蔵板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。イロハ引きの簡易な日常語集。語彙の冒頭が同音になる二字熟語を六語ずつ各行に配置する。例えば、冒頭「イ」部は「委細・日外(いつぞや)・隠居・威勢・遺恨・暇乞」の六語を載せ、「イ」〜「ス」および「京」まで二八八語を収録する。本文をやや小字・七行・付訓(両点)で記す。表紙に「地名」「苗字」「百官名」からの抜粋(それぞれ一一語)と「世話字」、また巻末に「墨移秘伝」を掲げる。〔小泉〕
◆はやみしょじょうたいぜん [3064]
早見書状大全‖【作者】戸田栄治(正陰・玄泉堂)作・書・跋。【年代】寛政一二年(一八〇〇)刊。[大阪]吉文字屋市左衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『〈通達仕用〉書状大全』。横本一冊。寛政七年刊『〈通達仕用〉書状大全』†の末尾に「雑々門」「道具衣服門」「艸木食物薬種門」「魚鳥門」の四門から成るイロハ引き語彙集「いろは分文章字尽大成」を増補した用文章。この「字尽大成」は部門数は少ないが『節用集』と同様の形式で、イロハ各部の下位分類に音訓の「すむ」「にごる」の区別を採り入れた独特の分類である。なお、例文等は『〈通達仕用〉書状大全』に同じ。〔小泉〕
◆はやみちどうじほう [3065]
〈新板絵入〉早道童子宝‖【作者】不明。【年代】安永(一七七二〜八〇)頃刊。[江戸]村田屋治郎兵衛板。また別に[江戸]丸屋文右衛門板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】異称『〈当時文体捷径〉近道子貨童子宝』『〈頭書絵入〉近みち小宝』。中本一冊。正徳三年(一七一三)刊『近道子宝』†(平井自休作)の改編版の一つ。「一、天を空ともいふ。其中空を雲は通る也。空を天竺といふは誤なり…」で始まる文章で、特に語釈や具体的事例に詳しいのが特徴。正徳三年板の直接の増補ではなく、「早道童子宝絵抄并字尽」(天明三年(一七八三)刊『初学古状揃』等に所収)などを改編したものであろう。すなわち、本書は「早道童子宝絵抄并字尽」の文脈の乱れを正したり、収録語彙を変更するなどの手を加えており、特に年号について述べた項に「宝暦・明和といふがことし」と見えるため、本書の成立は明和以降だが、本書・村田屋板の広告に安永八年(一七七九)刊『〈新撰通用・幼学字尽〉寺子往来』が見えることから、安永年間の成立・刊行と考えられる。巻頭に「士農工商図」、頭書に「能人にむつひてあしきことあらし、麻の中なる蓬みるにも」(『絵本清水の池』†所収)以下一三首の教訓歌とその注釈を掲げる。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
×◆はやみちまちな [3066]
 →こうようちょうめい
◆はやみぶんしょうすずりばこ [3067]
早見文章硯箱‖【作者】不明。【年代】天保六年(一八三五)刊(再板)。[京都]吉野屋仁兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『早見文章』。小本一冊。安永一〇年(一七八一)原板・寛政九年(一七九七)再刊『通用文則頷下珠』†の改題本(ただし異板)。本文・付録記事ともに同書とほぼ同じであるが、巻頭に本文および頭書の目録三丁、巻末に一丁分の記事(「永字の八法」「本朝五十韻」「十二月異名」)を増補した。〔小泉〕
◆はやりあんもん/りゅうこうあんもん [3068]
〈御家〉流行案文‖【作者】式亭三馬作。青木臨泉堂書。【年代】文化一二年(一八一五)刊。[江戸]英屋平吉板。【分類】消息科。【概要】三切本一冊。準漢文体消息・和文体消息および手形証文の文例を載せた用文章。まず「年始之文」から「家督喜之文」までの消息文四八通をほぼ四季・五節句、通過儀礼等の佳節、また凶事やその他諸事の順で収録する。江戸の風物を取り入れた例文が二、三目立つ程度で、他は一般的な例文である。さらに末尾に、「店請状之事」から「養父手形」までの八通の手形証文文例と、「年始のふみ」から「婚礼怡のふみ」までの四通の女子消息文を収める。本文を大字・七行・所々付訓で記す。本書には三馬作の記載がないが、文政六年板『一筆啓上』†(英平吉板)広告中に「流行案文(はやりあんもん)、式亭三馬作、臨泉堂書」と記す。〔小泉〕
◇★はりまめぐりぶんしょう [3069]
播磨廻り文章‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『播州めぐり』。「播磨めくりは、まづ津の国摩耶山を始とすべし。抑此山は、天武天皇の御宇、法道仙人の草創にて、いと尊き観世音まします…」で始まる文章で、播州国の名所旧跡・神社仏閣、またそれらの景趣・縁起等を紹介した往来。〔小泉〕
◆はるたつじょう [3070]
はるたつ帖〈菱翁書〉‖【作者】巻菱湖書。【年代】安政(一八五四〜六〇)頃刊。[江戸]安政堂板。また別に[東京]椀屋喜兵衛板(後印)あり。【分類】社会科。【概要】異称『春立帖』。縦長本一冊。「はるたつといふはかりにや、みよしのゝやまもかすみてけさはみゆらむ」(壬生忠岑)から「あすもこむのちのたまかははきこえて、色なる波に月やとりけり」(源俊頼)まで、春〜秋の和歌を大字・二行で綴った陰刻手本。巻末に「菱湖先生石摺綴本定価目録」を載せるが、同広告には「春立帖、大字、十八銭」と記す。〔小泉〕
◆はんえいおうらい [3071]
繁栄往来‖【作者】呉陵軒可有(縁江)作。【年代】安永六年(一七七七)刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。【分類】地理科・社会科。【概要】異称『〈江戸年中行事〉繁栄往来』。安永六年板は半紙本一冊。江戸後期再板本は中本一冊。「立春後余寒退兼候砌、壮健被成御座、幸甚之至奉存候…」で始まり、「…神事・仏会者、追日繁栄成事、難有覚候。恐惶謹言」と結ぶ一通の書簡文形式で、江戸府内の神社仏閣の祭礼や年中行事を月毎に列記した往来。地域別の年中行事を綴った往来の早い例。本文を大字・六行・付訓で記し、巻頭に「江都天満宮二十五社参詣案内」「尊円流書流」「真崎隅田川之風景」「隅田川八景之和歌」を載せるが、この安永板の前付の一部を削除しただけの改題本が江戸後期刊『新江戸往来』†である。また、安永板を頭書付きの中本仕立てに改編した『〈江戸年中行事〉繁栄往来』では、巻頭に「隅田川両岸之図」「隅田川八景之和歌」、頭書に「江戸旧跡荒増」、巻末に「江都天満宮二十五社参詣案内」が収録された。〔小泉〕
◆はんえいようぶんたいせい [3072]
繁栄用文大成‖【作者】梅沢敬典(菅原敬典・和助・和亮・馨斎・台陽・月林園)書・跋。【年代】天保一二年(一八四一)刊。[江戸]知新堂蔵板。播磨屋喜右衛門(播磨屋勝五郎・鈴木喜右衛門・文苑閣)ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家流〉繁栄用文大成』。中本一冊。「年頭状」から「隠居を賀す文」までの五〇通を収録した用文章。最初に五節句・四季行事の祝儀状、続いて通過儀礼、開店、旅行、家督相続、病気等に関する書状を列挙する。各例文を大字・五行・所々付訓で記す。なお、証文類文例は載せない。〔小泉〕
◆ばんかいようぶんむじんほうぞう/まんかいようぶんむじんほうぞう [3073]
万海用文無尽宝蔵‖【作者】野口屋久左衛門作。大江文坡(匡弼・菊丘臥山人)序。山田三郎兵衛跋。【年代】安永三年(一七七四)序。天明二年(一七八二)刊。[京都]山田三郎兵衛(向栄堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『万海用文無尽宝蔵大成』『万海用文章』。大本一冊。宝暦七年(一七五七)刊『万宝用文筆道大成』†の増補・改訂版。書状数を増やしたばかりでなく、文面にも変更を加え、「年頭祝儀状」から「神事呼に遣状」までの全一五一通を大字・五行・付訓で記す。例文が豊富で、四季時候の手紙、特に季節の行楽行事や通過儀礼に伴う祝儀状、その他社交上の種々用件の手紙などを満載する。頭書に「庭訓往来」「風月往来」「都名所往来」「商売往来」「実語教・童子教」「小野篁歌字尽」「千字文」等の往来物を多く載せるほか、前付に「近江八景」「立花手引指南」「茶湯の事」「書案(つくえ)諸道具尽」「香道之事」「碁之事」「万証文手形請状之書様」「将棋秘伝抄」「中興武将伝略」「男女相性之事」など多彩な記事を掲げる。〔小泉〕
◆ばんかにちようぶんしょう [3074]
〈佐藤衡平著并書〉万家日用文章‖【作者】佐藤衡平作・書。【年代】明治八年(一八七五)作・刊。[金沢]中村喜平(知新堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈佐藤衡平著〉万家日用文章』『日用文章』。中本一冊。手紙の内容により部類分けした用文章。まず「奉書全式」「答書全式」の二通の往答文で、月日・差出人名・宛名を含む完全な消息例文を示し、以下「慶賀」八通、「叙別」六通、「餽送」七通、「招請」七通、「翫賞」七通、「問候」六通、「問疾」三通、「弔慰」四通、「付托」一一通、「干求」九通の一〇分類毎に例文を掲げる。例文はいずれも草書・大字・五行・ほとんど付訓で記す。〔小泉〕
◇ばんかようぶんしょう/まんかようぶんしょう [3074-2]
万家用文章‖【作者】不明。【年代】享保〜延享(一七一六〜四七)頃刊。[江戸]小川屋板。【分類】消息科。【概要】大本二巻合一冊。原題簽下部の破損のため書名は『万家用文章…』としか判読できない。佳節祝儀、四季贈答、日常交際の私用文を主とする消息例文を集めた用文章。上巻には「新年祝儀状」から「初対面の人に送る状」までの一一通、下巻には「初対面の礼状」から「知音所望の状・同返状」までの一一通の合計二二通を収録する。それぞれ大字・四行・付訓(所々左訓)の手本様に記す。頭書に「諸礼之図抄」「瀟湘八景之詩歌」「近江八景之詩歌」「中将棋之図」「将棋作物抄」「囲碁作物抄」「献立之書様」「立花砂物并生花」「茶湯指南」を載せる。元禄一一年(一六九八)刊『書翰用文福字海』†等からの影響も考えられ、総じて、元禄〜享保頃の先行の用文章を模倣して編んだものと思われる。〔小泉〕
◆ばんかようぶんしょう/まんかようぶんしょう [3075]
〈画入註釈〉万家用文章‖【作者】山田賞月堂(源泰平)書・画・序。【年代】弘化二年(一八四五)序・刊。[京都]吉野屋仁兵衛板。また別に[京都]丁子屋藤吉板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「年始祝儀状」など五節句や四季の手紙二〇通、「未逢人え遣す状」など商人用文一四通、「下る先え頼状」など吉凶時の書状やその他諸事に関する手紙三四通の合計六八通を収録した用文章。本文を大字・五行・付訓で記す。本文の所々に、多くの類語や書簡作法、また季節の贈答品について記した「文章辞并認之心得進物等之事」(図解入り)を掲げるのが特色。巻末の「高下九段書割分之事」には、手紙文の冒頭・文末に置く書簡用語や書簡作法について説明する。〔小泉〕
◆ばんかようぶんしょう/まんかようぶんしょう [3076]
〈長雄〉万家用文章‖【作者】長雄東雲(数楽東雲)書。【年代】江戸後期刊。[江戸]長清堂板。また別に[京都]菱屋友五郎(沢田友五郎・文栄堂・法文館)板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「新年祝儀状(披露状)」から「婚礼祝儀状」までの一六通を収録した手本。長雄流手本では比較的少ない半紙本かつ付訓の手本。冒頭は暇願いおよび拝領につき礼状など数通の披露状を掲げ、寒中見舞状・雛祭り祝儀の礼状・端午節句祝儀の礼状・暑中見舞いと船荷案内状、その他七夕詩歌の会、恵比須講などにまつわる例文からなり、各例文を大字・四行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ばんかようぶんしょう/まんかようぶんしょう [3077]
〈筆道便蒙・絵入〉万家用文章‖【作者】北尾仁右衛門(辰宣・雪坑斎)作・画。【年代】明和七年(一七七〇)刊(再刊か)。[大阪]浅野弥兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『新用文章』。大本一冊。武家向きの種々の書状を収録した用文章。全三三通の大半が諸事についての手紙で、季節の手紙は少ない。「新年祝儀状」「婚礼祝儀状」「移徙の祝儀状」を始め、贈答などに伴う各種礼状や依頼状・承諾状などを載せる。本文を大字・四行・付訓で記す。このほか末尾に、神事の知らせや病気見舞い、弔いの手紙など一〇通の例文を掲げるほか、前付・頭書に「日用諸礼集」「救民妙方」「破軍星くりやう」「生花図」「七夕詩哥」「吉書始詩哥」「古今六躰之和哥」「諸礼絵抄」「墨摺様の事」「七種の筆づかひの事」「筆道指南之条々」「文章替字高下」「書札認様法式」「手形書法」「証文文例」「人の名づくし」「法躰名づくし」「篇并冠」「廻文・触状之書法」「魚・鳥目録の書様」「禁裏書式」「仙洞御所諸式」「官位の大概」「将軍家諸式言葉遣」「万対名之事」等の記事を掲げる。なお、本書の先行板と思われるものに『新用文章』(柱)三巻合一冊本がある(原題不明で、表紙の書き入れから『□□用文筆道宝鑑』といった書名であったことが伺われる)。この『新用文章』は、前付記事を除いて基本的に本書と同内容で、絵柄等から正徳〜享保(一七一一〜一七三五)頃の刊行と推定される。また、本書の改題本に明和五年頃刊『示童用文北野土産』†がある。〔小泉〕
◆はんかんおうらい [3078]
繁関往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】大本一冊。「君代の尽せぬ春を迎候事、ェに目出度覚候…」と起筆して江戸の繁栄ぶりを讃えた新春の仮名文(全編一通)で、江戸の名所・名物・諸産業・諸職を紹介した往来。まず「限りなき武蔵野に続く栄居」である江戸における軍事力の比類なさと、それによって維持される平和な社会について述べ、続いて各地の名物・名品(食品に重点を置く)や、市中の諸職業・工芸・風俗・寺社などを列挙する。最後は、庶民が四季に応じて様々に遊興する情景を描いて、天下泰平を讚える文言で全体を締め括る。本文を大字・六行・無訓で綴る。編集の方式・内容ともに寛文九年(一六六九)刊『江戸往来』†より顕著な影響を受けているが、武家に関する記事、特に将軍の威徳を讚える記事が減少し、庶民関係の記事が増幅している点に特徴がある。なお、末尾に菅丞相の小伝や古歌を掲げる。〔石川〕
◆ばんこくおうらい [3079]
〈新訂〉万国往来〈各物産記載〉‖【作者】稲葉永孝作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]小森宗次郎(木屋宗次郎)板。【分類】地理科。【概要】異称『新訂万国往来』。中本一冊。明治初年の貿易隆盛に応じて、アジア・アフリカ・ヨーロッパの主要国と物産のあらましを記した往来。「方今開新の明世、貿易漸次盛大なるに接し、諸州の各産品目を記憶するは開知の端旨なれば、其概略を陳述せん…」と書き始め、まず日本・琉球の物産品に触れ、続いて、中国・朝鮮・満州・蒙古・安南・緬甸(ビルマ)・呂宋(ルソン)・暹羅(シャム)など亜細亜州諸国の産物を列挙し、以下、亜非利加・欧羅巴諸国について紹介する。全体の八割がアジア・アフリカの記述に終始しており、亜米利加・濠太剌利等の諸国に全く触れない点で、『万国』の書名はあまり適切ではない。本文を大字・六行・付訓(稀に左訓)で記す。見返に「世界海底之深サ」を付す。〔小泉〕
◆ばんこくおうらい [3080]
〈銅版画入〉万国往来‖【作者】四方茂苹(春翠・翠松園)作・画。【年代】明治四年(一八七一)刊。[京都]吉野屋甚助ほか板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。肥前長崎から出航して中国・東南アジア・インド・アラビア・アフリカ・ヨーロッパ・南北アメリカの主要国を歴覧して横浜に帰港する世界一周旅行の想定で、それぞれ主要国名・都市名を紹介した往来物。巻頭の例言では外国地名の漢字表記や読み方が諸本により異同がある点を指摘する。本文を大字・五行・付訓で記し、外国地名を漢字表記にして片仮名の読みを付し、国名・都市名を線種により区別する。本文には地名以外の情報が乏しいが、頭書に銅版別刷りの挿絵を貼付するとともに、「印度海郵船碇泊する地名并里数」「地中海碇泊所」「太平洋郵船碇泊所」「万国物産大概」「世界開化の称呼」の記事を掲げる。〔小泉〕
◆ばんこくしょうばいおうらい [3081]
〈商業必読〉万国商売往来‖【作者】横田重登作。黒田行元校。松川半山画。山口松雪書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[京都]林芳兵衛ほか板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。題言および目録によれば、近世流布本『商売往来』†にならって、万国交易大意、諸国産物、諸国金山、三物字類、諸国旗章大略、税則大意、貨幣大略、年暦時日大略、工作場、薬品大略、外国商旅、外国道程について述べた往来。「凡、万国商売者、自国之商と事変、幼稚の時より、先、英学と数学之大概を学ひ置き、地理学も略通じ、追々進む商法者、殊に研究あるべきなり…」と、まず商人の絶えざる学問・研鑽の必要性を強調し、以下、近代国際社会における物産・通商のあらましと関連知識とを概説する。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。頭書に図解を交えて、英学・数学・商法・地学・理学の大意や、五帯・五大洲・英国印度領・三物・蒸気機・諸国貨幣・諸国度量衡・工作場製革についての解説や主要英単語、和暦・西暦対照表などを載せるほか、巻頭に色刷り口絵「商法会社の図」を掲げる。〔小泉〕
◆ばんこくしょうほうおうらい [3082]
万国商法往来‖【作者】松川半山(直水)作・画。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]長野亀七板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。主に明治初年に海外から流入してきた「各国互新発明之器械・物産」が急速に日本社会に拡がり始めたことを背景に、それら舶来の新商品名を列挙した往来。「方今文明開化、月に進、日に新而、万国交際、四海兄弟に均し…」と筆を起こし、世界六大洲と主要国に触れた後で、織物・布帛、服飾、染色、家財、食器、家具、その他日用品、農具、世界の鳥類、虫類、樹木、発明品等の語彙を列挙する。うち一部舶来品等については、『商売往来絵字引』†の如く語彙に続けて図解を掲げ、発明品の電信・蒸気機関車・蒸気船には短い説明を添える。末尾には、商法・企業・金融周辺の語彙や日用語全般を羅列し、さらに教訓的な「家室清潔、一族和合、商売繁栄、無疑者也」の文言で締め括る。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「東京横浜異人館図」「異人邸の図」(色刷り)を掲げる。なお、巻末広告に本書二編・三編の近刊予告を載せるが、それらが出版された形跡はない。〔小泉〕
◆ばんこくしんしょうばいおうらい [3083]
万国新商売往来‖【作者】松川半山(翠栄堂・安信)作・画。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]河内屋忠七(赤志忠雅堂)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。近世流布本『商売往来』†が明治初年の実情にそぐわないため、文言を一新し、特に「西洋の諸品」などの新語を多く盛り込んだ往来。まず「世界之状(かたち)を喩て云者、丸毬之如く、亦、橙実の如し…」と、旧『商売往来』とは全く別の文面で、地球の形状、地軸・赤道・経緯線、二四時、自転・公転、海陸の分布や、興隆する貿易、世界の地形・政体・海洋、船舶、鉄道、郵便、また、日本の府県制・諸官庁・諸施設、軍備(輸入兵器)、発明品、開港地、金融、織物・衣類、日用器財、文具、遊具、工具、農具、金石、食料、薬種、禽獣、魚貝、草木、商業、天候、その他社会生活上の語彙を列挙する。本文を大字・四行・付訓で記し、語彙の多くに左訓または略注を施す。巻頭に「地球東(西)半面図」(色刷り)と「五大洲広狭人口総数大略」を掲げる。また、巻末近刊予告に本書の図解版『万国新商売往来図解』の書名が見えるが、未刊と思われる。〔小泉〕
◆ばんこくちめいおうらい [3084]
〈頭書画入〉万国地名往来‖【作者】黒田行元作。松雪書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[京都]石田忠兵衛(文明書林)蔵板。[大阪]大坂書林会社ほか売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。オランダ人・カラームルおよび北米・ミッチェルの地理書をもとに綴った世界地理用の往来物。「凡、世界の国数は、都(すべ)て六十六ヶ国、五区に分ちて彼此に、並ぶ態(すがた)の碁布形(ごいしがた)…」と書き始め、地球の海陸(面積比)や大きさ、世界地図や五大洲の位置を略述し、さらに、日本・中国・朝鮮・チベット・モンゴル以下の主要国地名と関連知識(人口・国土・沿革・物産等)を列記する。本文を大字・五行・付訓で記し、外国地名(漢字表記)に傍線を付す。頭書に、本文の補足記事(「世界各国坪数人員及び首府人員表」等)、巻末に「各国帝王紀略」、巻頭に「東之半世界・西之半世界」図(色刷り)を掲げる。〔小泉〕
◆ばんこくつうしょうおうらい [3085]
〈頭書挿画〉万国通商往来‖【作者】蔵真逸客(貞山)作・跋。川瀬白巌書。【年代】明治五年(一八七二)跋。明治六年刊。[京都]銭屋惣四郎(佐々木惣四郎)ほか板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。日本と世界主要国との貿易・通商の概略と、貿易品目の詳細を図解とともに紹介した往来。「我大八洲は、東海之表峙(はなれぐに)、膏腴(よきじめん)之勝土(ところ)にして、山は金石饒(おお)く、海には魚塩(さんぶつ)富り…」と筆を起こし、まず日本が世界に冠たる物産国であることを誇示し、続いて日本の通商相手国に触れ、以下、日本の輸出品や諸外国からの輸入品の数々を網羅的に列挙する。最後に貿易商の子弟心得として、読み書き・諸学問への研鑽や商取引の基本を説いて締め括る。本文を大字・五行・付訓で記し、所々、外国地名の英語読みを語句の左側に付記する。頭書に本文中の要語解や貿易品の図解、また「英語寄(いぎりすのことばよせ)」、世界主要国の首都・貿易港についての記事を載せるほか、巻頭に長崎・神戸・横浜・函館・新潟各港の色刷り鳥瞰図を掲げる。〔小泉〕
◇ばんこくめい [3086]
万国名‖【作者】京都府学務課編か。【年代】明治七年(一八七四)頃刊。[京都]京都府蔵板。村上勘兵衛売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「六大洲」として亞細亜・亞非利加・歐羅巴・南亞米利加・北亞米利加・大洋洲を掲げ、次いでそれぞれの洲毎に、国名・地名を楷書・大字・五行・無訓で列挙した手本。巻末に、細字の本文を再掲し、概ね右側に英語訓み、左側に日本語訓みを片仮名で添える。表紙に「京都府学務掛」の朱印を押す。刊行年を記さないが、同体裁の教科書が明治七・八年頃に多数出版されていることから、概ね当時の刊行と推定される。〔母利〕
◆ばんこくめいしょおうらい [3087]
〈黒川孝昌篇輯〉万国名所往来‖【作者】黒川孝昌(青陽堂)作。松吟堂(一鏡舎)序。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]沢田大沢堂蔵板。山口屋藤兵衛ほか売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。「今也文明開化の時、浪も静なき太平海、西洋東洋一般に、通船自在自由を得、大千世界五大洲、其国々の名ところを、空しく知らで在べけんや…」のように七五調美文体の文章で、日本・中国・台湾・満州・朝鮮・蒙古・新彊(しんきょう)・西蔵(チベット)・西比利亜(シベリア)・堪察加(カムチャッカ)・印度・安南以下、五大洲別に主要諸国の地名を中心に名所等の地理的特色や歴史的経緯を点描した往来。本文を楷書・大字・五行・付訓で綴る。巻頭に一鏡舎筆の色刷り地図(松前以南の日本から朝鮮・台湾方面まで)を掲げるほか、頭書に各国名所の挿絵と記事を載せる。〔小泉〕
◆ばんしゅうめいしょぶんしょう [3088]
〈新版画入〉播州名所文章〈童子続書〉‖【作者】十返舎一九作。三武青洲書。【年代】文政五年(一八二二)刊。[江戸]西宮新六板。【分類】地理科。【概要】異称『播州名所廻』。中本一冊。大坂を出発して、播磨を一巡する沿道の名所旧跡・神社仏閣等の景趣・由来・縁起等を記した往来。神社・仏閣や古跡についての記述が中心で、西の宮、兎原住吉大明神、・利天上寺、特に同所からの眺望の素晴しさについて「論外の壮観」と絶讃する。さらに、布引の滝、生田神社、兵庫の町々、和田の笠松、楠木正成で有名な湊川の石碑、須磨寺、平家ゆかりの一の谷、鷲尾村、また同地の名物「敦盛そば」、明石・人丸神社、加古川、尾上の松、同地名物「寿命餅」、曽根天神から姫路に至るまで津々浦々を故実・縁起とともに紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「播州名所地理之図」を掲げる。〔小泉〕
◆ばんしょうおうらい/ばんじょうおうらい [3089]
番匠往来‖【作者】池田東籬(源正韶)作・書。小沢華岳・艮山画。【年代】天保二年(一八三一)刊。[京都]俵屋治兵衛(耕書堂)ほか板。【分類】産業科。【概要】異称『〈新撰訂正〉番匠往来』。半紙本一冊。『大工註文往来』†(整軒玄魚校)に類似した番匠子弟用の絵入りの往来。「夫、巧匠之濫觴者、辱天津児屋根命神業而、聖徳太子始而定巧匠之職…」と起筆して、巧匠の由来、建出・普請の最初の儀式である釿始(ておのはじめ)、礎水積(みずもり)、上棟などについて述べ、続いて神社・仏閣建築、建具、また官家・武門の家屋建築(能舞台・屋根・納戸などにも言及)、町家家屋や家屋各部の名称を列挙し、さらに普請の大法として建築資材、用語、大工道具、諸心得などを説く。本文を大字・四行・付訓で記す。天保二年板には口絵の異なる板種二種があり、一つは「士農工商」、もう一つは「釿始之図」「上棟之図」を掲げる。また、本文中に「町家表構之図」「座敷廻椽側之図」二葉を掲げるほか、巻末に「諸願成就吉日・不成就日」「土公神在所」を始め、主に家造・造作に関する吉凶方、吉凶日について記す。なお、本書の本文のみを模倣した江戸後期刊『〈平仮名附〉番匠往来』や本文の前半三分の一程度を収録した明治末年頃刊『建営往来』†(上巻のみ存)も出版されている。また、天保二年板刊記に『新増番匠往来絵抄』の近刊予告を掲げるが未刊であろう。〔小泉〕
◆ばんしょうおうらい/ばんじょうおうらい [3090]
〈改正作事〉番匠往来‖【作者】安保兼策作。【年代】明治年間刊。[東京]保永堂板。また別に[東京]尾張屋清七(金鱗堂)板あり。【分類】産業科。【概要】異称『開化番匠往来』『〈開化〉番匠往来』。中本一冊。近世後期に流布した『番匠往来』の明治期改編版。「抑木匠営造専用之文字者、今回、皇・華・士族、平民之宅地・家屋就建築者、撰穀旦、為致動地、梓人始、立会者、木客・鋸傭・冶者・鍍金匠…」と書き始め、まず近代建築に必要な諸職人、木材その他建築資材、建築用具、和洋諸建築物各部の名称、諸工具、諸細工などの語彙を列挙する。本文を大字・五行・付訓(ごく稀に左訓)で記す。頭書に建築用語を集めた「新撰異名字類」を載せる。〔小泉〕
◆ばんしょうおうらい/ばんじょうおうらい [3091]
〈作事註文〉番匠往来‖【作者】伊奈葉亭順三作。【年代】文政一二年(一八二九)刊(再板)。[江戸]。【分類】産業科。【概要】大本一冊。家屋新築の注文に応じて大工が作成する仕様書の体裁で、家屋の構造・各部の名称や素材等のあらましを綴った往来。「先梁間何間、桁行・折廻何十何間、犬走り・表庇・軒高さ・石上端より桁三ッ迄何丈何尺何寸に出、桁造北方形、東は切妻也…」で始まり、「…弓は袋に治し御代」で終わる文章で、家屋新築仕様書に必要な項目や寸法、形状・素材・装飾、工法などを一通り紹介する。享和(一八〇一〜四)頃刊『番匠作事文章』†等とほぼ同様の往来であるが、本書は仕様書を意識して書かれている点に特色がある。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、具体的な仕様書として「同仕用註文之事」など二六例と、「日本国尽并領地の所名」「篇冠構尽」「潮汐満干」を収録する。〔小泉〕
◆ばんしょうおうらい/ばんじょうおうらい [3092]
〈増字〉番匠往来‖【作者】鈴木驥園作。【年代】安政三年(一八五六)跋・刊。[江戸]平野屋平助(而楽斎)板。また別に[江戸]須原屋茂兵衛ほか板、[東京]山口屋佐七(森江佐七・擁万閣)板(明治九年(一八七六)板)、[東京]鈴木忠蔵(一貫堂)板(明治九年板)等あり。【分類】産業科。【概要】異称『〈新板〉増字番匠往来』『〈作事必用〉匠家文字通』。半紙本一冊。『大工註文往来』†の増補版。「凡、番匠取扱文字・仕様、注文、積書、入札、落札、請負、手間之無差別、先要用之品々者…」と筆を起こし、まず大工道具、家屋建築に関わる諸職人、建築手順、建築資材、家屋・神社仏閣の構造や各部の名称、その他を『大工註文往来』同様に縷々紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「座敷向仕様註文」「地形石方仕様註文」「屋根方仕様註文」「瓦方仕様註文」「左官方仕様註文」「建具方仕様註文」「曲尺三四五之事」「曲尺裏目之事」「曲尺にて乗除を知る事」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆ばんしょうおうらい/ばんじょうおうらい [3093]
〈万宝柱立〉番匠往来‖【作者】鼻山人(東里山人)作・画。【年代】文政六年(一八二三)刊。[江戸]須原屋新兵衛板。【分類】産業科。【概要】異称『〈修理大成〉万宝番匠往来』『修理大成万宝柱建往来』『万宝番匠往来』。大本一冊。文化一三年(一八一六)刊『柱立往来』†の頭書等に種々の図解を加えた増補・改訂版。神社仏閣建築に関連する知識と用語を綴る。冒頭数行は『柱立往来』同様だが、それに続く本文はやや異なり、関連する諸職人名、建築用材、資材輸送、基礎工事・寸尺、社殿や堂塔伽藍(建造物の種類)・室内各部、城郭建築の構造、大工道具、塗物・張物・彫物・彩色等の工法について述べ、最後に、大工番匠の心得と上棟式あらましなどを説いて結ぶ。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭や頭書に「飛騨の匠」「継手・組手・指口大略図絵」、その他番匠技術に関する図解を多く掲げる。〔小泉〕
◆ばんしょうかいせんおうらい [3094]
万祥廻船往来‖【作者】十返舎一九作・序。歌川国丸画。【年代】文政六年(一八二三)刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】産業科。【概要】異称『〈頭書絵入〉万祥廻船往来』。半紙本一冊。日本における船の歴史、船舶の種類と用途、および各部の名称と機能・材質、さらに船の守護神である住吉大明神などについて記した往来。本文を大字・五行・付訓で記す。神代以来の日本の船の濫觴や、貴人の船首に竜や青鷁(せいげき)を描く理由などに触れた後、廻船・上荷船・茶船・游艇(はしぶね)から渡船、一枚棚など一〇数種類を紹介し、さらに舳・艫・舵・櫓・櫂・柁・纜(ともづな)・帆・檣(ほばしら)等を説明し、最後に廻船の積載量について五、六〇〇石以下が普通だが、天和・貞享頃から千石船も登場したことなどを述べる。だが、本書の多くは『和漢三才図会』巻三四「船橋類」「船之用」に基づくものであり、「遊山船」の条で隅田川の屋形船や、遊廓通いに用いられる猪牙舟など、江戸の人々に親しみのある舟を提示するあたりに若干の独自性を見出すことができよう。表紙見返の用具類の絵や緒言も『和漢三才図会』をそのまま利用している。なお、頭書には「日本河橋の原(はじまり)」や「江戸より大坂海路」「大坂より西国舟路」「室積より九州舟路」など国内諸国への海路についての記事などを掲げる。〔丹〕
◆ばんしょうさくじぶんしょう/ばんじょうさくじぶんしょう [3095]
〈新刻改正〉番匠作事文章‖【作者】不明。【年代】享和(一八〇一〜四)頃刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『〈頭書絵入〉番匠作事文章』『大工作事往来』『普請番匠往来』『番匠作事往来』『〈家作土蔵・絵入仕様〉普請往来』。中本一冊。番匠(大工)関連の往来物では最も早い例で、その初刊は享和頃刊の花屋板と思われる。いくつかの板種があるが花屋板では、「今度拝領之屋敷、新規館向就相建者、普請奉行、修理破損、大工棟梁、作事役人立会、撰吉日良辰為致地祭…」で始まるように、武家屋敷の新築を想定して、上棟式に始まる造作の手順や家屋内外各部(門・礎・屋根・本宅・通路・台所・厩・小屋・土蔵・塀など)の名称・構造・装飾、素材・産地、部屋の格式などについて記す(本文は大字・五行・付訓)。巻頭に「聖徳太子略伝」を載せる。また、本書本文に加えて頭書に図解を掲げた『〈絵入〉番匠作事往来』『〈新板絵入〉普請番匠往来』などの類本が数種あるほか、異本として江戸後期刊『大工註文往来』†(岐阜屋清七板)がある。〔小泉〕
◆ばんしょうせんじもん [3096]
万象千字文‖【作者】細井広沢(知慎)書。真利卿(玉蘭)作・跋。菅道伯(夷長)序。赤羽玉洲(矢野玉洲・道成・道和・章卿)跋。【年代】宝暦七年(一七五七)跋。宝暦八年序・刊。[江戸]吉文字屋次郎兵衛ほか板。また別に[京都]天王寺屋市郎兵衛板(後印)、[京都]伏見屋半三郎ほか板(後印)あり。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。『千字文』本文を篆書各体で表記した手本。見出し語に楷書・大字・六行・無訓で掲げ、続いて、小字の割注形式で篆書各体を載せる。また、巻頭に検字用の「千字文画引合文」を付す。〔小泉〕
◇ばんせいてがたかがみ [3097]
万世手形鑑‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[大阪]刊行者不明(糸屋市兵衛か)。【分類】消息科。【概要】異称『手形鑑』。半紙本一冊。「預り申銀子之事」から「金子替為手形之事」までの手形証文一九状を収録した用文章。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ばんせいようぶんどうしゅうじべん [3098]
〈玉置流〉万世用文童習字便‖【作者】玉置某書か。【年代】寛保三年(一七四三)作。延享元年(一七四四)刊。[京都]野田藤八(藤八郎・橘屋藤八・橘枝堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「新年祝儀状」から「注文の香道具が用意できた旨を知らせる手紙」までの四一通を収録する用文章。本文を大字・四行・稀に付訓で記す。収録書状は四季贈答の手紙が多く、また諸品調達、年中行事、その他慶事、諸用件に関するものである。頭書に「二十六点」「小野篁歌字尽」「百官名尽」「七いろは」「証文類文例」「飾り物・目録等礼法」「献立」「千字文」「名字尽」等、巻首に「弘法大師故事」「筆を取へき次第」「服忌令」等の記事を載せる。享保(一七一六〜三五)頃刊『万世用文章』と関連があるか。〔小泉〕
◆ばんせんおうらい [3099]
万船往来〈一名船の由来記〉‖【作者】暁鐘成(和泉屋弥四郎)作。【年代】文政一〇年(一八二七)刊。[大阪]播磨屋清右衛門蔵板。また別に[大阪]土佐屋多良兵衛板、[大阪]土佐屋喜兵衛板、[大阪]伊丹屋善兵衛(文栄堂)板(後印)等あり。【分類】産業科。【概要】異称『船之由来記』。半紙本一冊。元禄一六年(一七〇三)刊『船由来記』†を部分的に改編・簡略化した往来。大きく異なるのは『船由来記』に見える船の由来や船の守護神、また船匠道具の由来等に関する仏説を一切排除し、神道の立場から船霊(舟玉神)を全て神々(住吉神・天照大神等)に改めた点である。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に和船図一葉と『日本書紀』(神代巻)に見える和船濫觴の記事を掲げる。〔小泉〕
◆ばんだいようぶん [3100]
〈通用早便利〉万代用文‖【作者】十返舎一九作。【年代】江戸後期刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『〈文言取遣〉通用案書』。中本一冊。文化一三年(一八一六)刊『〈取遣文言〉通用案書』†から、約三分の一相当の前半部三六通を抽出して一冊とした簡略版。「年頭披露状」から「謡初申遣す文・同返事」までを載せるが、もともとその間に収録されていた「出産悦之文・同返事」「悔申遣す文・同返事」「婚礼歓之文・同返事」の六通を削除する。従って、本書収録書状は五節句祝儀状と季節の行事が中心で、それに髪置祝儀状や火事見舞状など数通を補足した程度で、例文の豊富な文化一三年板に対して本書は内容が乏しい。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ばんだいようぶんじほうたいぜん [3101]
〈人家重宝・初学指南・永代必用〉万代用文字宝大全‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[京都]小川久兵衛(雲松軒)板。また別に[京都]正本屋吉兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『万代用文章』『〈書札大成〉万代用文字宝大全』。大本三巻三冊本と一冊本(改刻)の二種あり。四季や年中行事に伴う手紙を中心とする三六通(改刻本は四〇通)の消息文例を集めた用文章。上巻には「正月祝儀に遣す状」以下一二通、中巻には「祇園会呼に遣す状」以下一二通、下巻には「節(せち)振舞喚(よび)に遣す状」以下一二通をそれぞれ収める。本文を大字・四行・付訓で記す。また、改刻本(三巻合一冊)では上記三六通の冒頭に「正月祝儀に遣す状」「婚礼祝儀に遣す状」など四通を追加した。準漢文体の消息文ながら、「かしく」を用いる例文を含むのが特徴。頭書に「五節句の事(改刻本では「小野篁歌字尽」に代わる)」や書簡作法全般についての記事、また「茶会の式法」「食事法式」「世話字尽註解」などを載せる。そのほか巻首・巻末にいくつかの記事を掲げるが三冊本と一冊本とでは全く異なる。なお、本書一冊本をさらに改編したものが『字林用文筆宝蔵』†である。〔小泉〕
◆★ばんだいようぶんしょう [3102]
〈頭書入〉万代用文章‖【作者】山正堂作。【年代】嘉永(一八四八〜五三)頃刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。標記書名は柱に『万代』とあるのに基づく。「年頭祝儀之文」から「誂物催促之文・同返事」まで三八通の消息文例を載せた用文章。四季折々の手紙や、通過儀礼に関する祝儀状、各種見舞状などを主とする。本文を大字・六行(証文類は七行)・付訓で綴り、所々、要語の割注(二行・細字)を施すのが特徴。巻末「諸証文之部」に「御関所通手形」〜「内済取扱之文」の一〇例の証文類、また、頭書に「商売往来」「消息往来」「日本国尽」「江戸方角」「五性名頭字」「人之異名」「月之異名」「五節句之異名」「書札端書高下」「手紙書方心得」「都路之文」「よろづ墨移りひでん」を収める。〔小泉〕
★ばんだいようぶんしょう [3102-2]
〈御家〉万代用文章‖【作者】春江堂精斎書。【年代】江戸後期刊。[江戸]森屋治兵衛(錦森堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈当時通用〉万代用文章』。中本一冊。天保一四年(一八四三)刊『〈当時通用〉万代用文章』†(中村翠雲堂・松亭金水書)から「節振舞申遣状・同返書」「役目風聴之文」「棟上を賀す文」「振舞状」「金子延引断状」「無心申遣文」の七通を削除して一部収録順序を改めた改編本。「年頭披露状」以下七一通の消息文例と、「金子借用証文」以下一一通の証文手形文例を収録し、大字・五行(証文類六行)・ほとんど付訓で記す。天保板と同様に、随所に類語や関連知識を載せる。〔小泉〕
◆★ばんだいようぶんしょう [3103]
〈商家日用〉万代用文章‖【作者】西川竜章堂書。【年代】文政元年(一八二六)刊。[京都]伏見屋半三郎板。【分類】消息科。【概要】異称『万代用文章』。中本一冊。同題だが次項とは別本。「年頭状」から「披露状」までの消息文例一〇八通を収録した用文章。新年祝儀状を上中下別に示し(それぞれ「年頭状」「年始状」「年甫状」)、さらに五節句祝儀状、婚礼・元服・安産・家督相続・家買得・養子・袴着・髪置・別家・移徙・剃髪・店開き・入家など通過儀礼等の祝儀状、さらに吉凶事等に伴う見舞状、売買取引等の商用文からなる。本文を大字・五行・付訓で記す。豊富な文例を一冊に集約するが、証文類文例を載せない。また、表紙見返しに「十二月異名」「願成就日・不成就日」「十幹十二支」「友引日」を掲げる。〔小泉〕
◆ばんだいようぶんしょう [3104]
〈商家日用〉万代用文章‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[京都か]菱屋元七板。【分類】消息科。【概要】異称『〈年中日用〉用文章』。中本一冊。四季や五節句、通過儀礼に伴う消息文二六通、日常の雑事に関する消息(見舞状・招状・悔状など)一一通、「店開祝儀状」を始めとする商人用文八通の、合計四五通を収録した用文章。本文を大字・五行・所々付訓で記す。巻頭に「年中時節案文」、巻末に「篇冠尽」「十干十二支」「片仮名イロハ」を掲げる。同題だが前項とは別内容。〔小泉〕
◆★ばんだいようぶんしょう [3104-2]
〈当時通用〉万代用文章‖【作者】中村翠雲堂・松亭金水書。【年代】天保一四年(一八四三)刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈当時通用〉一筆啓上』。中本一冊。「年頭披露状」から「悔申遣す文」まで七八通を収録した用文章。季節折々の書状や吉凶事に伴う書状、また、売買取引、その他雑用の書状など庶民生活に即した例文を集める。特に、年頭披露状では上・中・下輩の格式別の例文を掲げ、数カ所に関連知識や関連語(異名)を載せるのも特徴。本文を大字・五行(証文類は六行)・所々付訓で記す。巻末に「金子借用証文」〜「御関所手形」の一一通の証文文例を掲げる。見返しに「御家中村翠雲堂筆」、巻末に「松亭主人書」とあるため、前半が翠雲堂書、後半が松亭書であろうか。本書の改題本に明治三年(一八七〇)刊『万代用文大全』†があるほか、柱刻の「万代」を残したまま題簽題のみを改めた『〈御家〉一筆啓上』†もある。また、本書から「節振舞申遣状・同返書」など合計七通を削除して一部収録順序を改めた改編本に『〈御家〉万代用文章』†がある。〔小泉〕
◆ばんとくようぶんしょうかんぼくりん/まんとくようぶんしょうかんぼくりん [3105]
〈西宮新版〉万徳用文章翰墨林‖【作者】栄松斎(栄松斎長喜か)書。【年代】天明四年(一七八四)刊。[江戸]西宮新六板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(文政一三年(一八三〇)板)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈森治新版〉万徳用文章翰墨林』『万徳用文』『芳翰用文章梅花林』。大本一冊。天明四年(一七八四)刊『芳翰用文章梅花林』†の改題本(再刻本)。西宮板にて題簽題のみが変更され、森屋板にてさらに尾題『万徳用文』を追刻した。裏見返に「十干十二支」「書状封目高下」を掲げる。〔小泉〕
◆ばんぶつおうらい/ばんもつおうらい [3106]
〈諸数名寄〉万物往来‖【作者】高井蘭山作。歌川芳盛画。【年代】天保六年(一八三五)作・序。文久二年(一八六二)刊。[江戸]若林喜兵衛板。【分類】社会科。【概要】中本一冊。和漢の諸書から名数や単位に関する語彙を集めて、一〜十の順に配列した往来。「夫、一は万物の始、数の根原不可測もこれより起る。日月星辰は一気より旋(めぐり)、四万有余の文字も一画よりセ(はじま)る…」のように、一から十までの数字の字義を略説し、続いて「一刻」「一旬」「一月」「一年」「一里」といった名数関連の語彙を略解を付けながら列挙していく。また、本文に漏れた語彙を頭書にも数多く掲げる。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に数の由来に関する口絵二葉を掲げる。〔小泉〕
◆ばんぶつめいすうおうらい/ばんもつめいすうおうらい [3107]
〈新撰〉万物名数往来‖【作者】不明。【年代】寛政七年(一七九五)刊。[江戸]蔦屋重三郎板。また別に[江戸]森屋治兵衛板(後印)あり。【分類】社会科。【概要】異称『新撰万物名数往来』『〈文政再版〉万物名数往来』。中本一冊。享和三年(一八〇三)刊『童訓名数往来』†のように名数関係の語句を集めた往来で、所載語彙を数の順序に配列した点に特徴がある。「夫、幼稚の時より覚知べきは、物の名数なり。万端に其益有事巨(おおい)なり。先、一は大極有て両儀を生ず。是を陰陽と云。これより四象を成す。一年は三百六十日、一月は三十日…」で始まる文章で、一から十までの名数や度量衡の単位などの語彙を列挙する。本文を大字・六行・付訓で記す。頭書に、干支による天候占いである「風雨豊荒占」や「世間安危之説」「悪夢を払う秘符」を掲げ、巻頭に良峯安世(良岑安世)・藤原成範の小伝を載せる。なお、本書は文政年間(一八一八〜三〇)に江戸・森屋治兵衛によって再刊された。〔小泉〕
◆ばんぶつようぶんしょう/ばんもつようぶんしょう [3108]
〈尊円流・童蒙指南〉万物用文章‖【作者】不明。【年代】正徳二年(一七一二)頃刊。[江戸]辻村五兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本二巻合一冊。明暦三年(一六五七)刊『〈江戸〉新用文章(新板用文障)』†の影響下に編まれた用文章の一つ『至宝用文章』†の増補版。上巻は「年始に遣文章」から「婚姻之方え遣文章」までの消息文例一五通、下巻は「永々売渡申家屋敷之事」から「売渡申田地之事」までの証文類文例五通を収録する。このうち『新用文章』にならった文面は上巻一〇通、下巻四通であり、いずれも一部の字句の改編を除いてほとんど同文である(ただし証文文例における「明暦二年」等の具体的な年号表記はない)。本文を大字・四行・ほとんど付訓で記す。前付に「天神経」「孝の字解」等、頭書に「吉書始(詩歌)」「書簡作法」「十二月異名」「諸道具字尽」「対名字尽」「官位字尽」等を掲げる。なお、頭書中に「正徳二年」の記載が散見されるため、この頃の刊行であろう。〔小泉〕
◆ばんぽうこじょうぞろえたいせい/まんぽうこじょうぞろえたいせい [3108-2]
万宝古状揃大成‖【作者】不明。【年代】文化六年刊。[仙台]西村屋治右衛門板。【分類】歴史科。【概要】大本一冊。近世に流布した『古状揃』†の類書だが、収録書状・配列とも他に例のない特異なもの。本文欄に「今川状」「手習状」「無覚悟状」「熊谷状」「経盛返状」「大坂状」「同返状」「万日記」「店請状之事」「楠正成金剛山城居間壁書」「楠正成子息正行遺言」、頭書欄に「松嶋往来」「竜田詣」「十二月異名并ニ七十二候」「守本尊の哥」「廻状之書様」「五常訓」「十干十二支」「不成就日」を収録する。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ばんぽうようぶんしょう [3109]
〈嘉永新板〉万宝要文章‖【作者】不明。【年代】嘉永(一八四八〜五四)頃刊。[大阪]秀文堂板。また別に[大阪]河内屋平七板あり。【分類】消息科。【概要】異称『要文章』。中本一冊。「年頭祝儀状」以下四九通の消息文例を載せた用文章。前半一六通(「年頭祝儀状」〜「歳暮祝儀状・同返事」)は五節句や四季に伴う書状、後半三三通(「売出し廻文」〜「帰国後土産送状」)は全て商取引上の書状で、商人用文が中心。本文を大字・六行・付訓で記す。頭書に「文字の起り」「大日本国尽」「中華十五省」「異国名尽」その他の記事を掲げる。角書に「嘉永新板」と記載し、巻末広告中に『〈嘉永新板〉増補書翰大成』†が見えるので嘉永年間の刊行であろう。なお、本書の改題本に『〈頭書増補〉商人日用書状大全』†がある。〔小泉〕
◇★ばんぽうようぶんしょう [3109-2]
〈新撰絵入〉万宝用文章‖【作者】探花房作・序。【年代】文久元年(一八六一)刊。[金沢]近岡屋八郎右衛門(翰玉房)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈商家日用〉万家用文章』。半紙本一冊。「年始状」から「注文催促状・同返事」までの消息文例二三通を収録した用文章。四季用文、通過儀礼に伴う祝儀状、商用文等から成る。本文を大字・五行・付訓で記し、所々に挿絵を入れ、四季時候の言葉や書札礼等の注記を付す。前付に「三六(みろく)之図(書札寸法三六之矩之事)」、巻末に「年中時候案文」「十二月異名」「十幹之図・十二支之図」を掲げる。なお本書の増補版が『〈文久新刻〉万宝用文章』†である。〔小泉〕
◇ばんぽうようぶんしょう [3109-3]
〈新板〉万宝用文章‖【作者】不明。【年代】安永二年(一七七三)以前刊。[大阪]柏原屋佐兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本三巻合一冊。明暦三年(一六五七)刊『〈江戸〉新用文章』†の改編・改題本の一つ。「正月初て状を遣事」から「約束して物を取にやる状」までの諸用件を主とする書状一二通と、「家売券状之書様之事」から「奉公人年季之書物之事」までの証文類文例四通を収録する。本文を大字・四行・付訓で記す。また、巻末に「人の名づくし」「家名づくし」「へんづくし」「片かないろは」「国づくし」「月のから名」等を掲げる。なお、吉海本には安永二年の書き入れがある。〔小泉〕
◆ばんぽうようぶんひつどうたいせい/まんぽうようぶんひつどうたいせい [3110]
〈書札大全〉万宝用文筆道大成‖【作者】山田三郎兵衛(向栄堂)作。【年代】宝暦七年(一七五七)刊。[京都]山田三郎兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『万宝用文章』。大本一冊。四季折々の手紙と日常の諸事に関する書状を織り混ぜて編んだ大部な用文章。「年始祝儀状」から「肴屋之遣状」までの消息文例一三八通を収める。そのほとんどが往状のみである点、また、雑文章が多彩な点が特徴。本文を大字・五行・付訓で記す。前付に「琴碁書画図」「伊勢海之図」「北浜の景」「手形請状之次第」「先生之事」「諷之事」「香道の事」「碁の事」「文字の事」「忍笛の事」「兵士詠歌」「画妙の事」「真雅業平の事」「星の数を問事」「書札上書認様高下」「書状留書之高下」「廻文・触状認様」「唐尺之事」「制札寸法并書様之事」「和礼当用躾方之指南」「立花手引指南」等、頭書に「庭訓往来」「和漢故実図伝」「風月往来」「都名所往来」「商売往来」「千字文」「小野篁歌字尽」「百官」「東百官」「万対名の事」、巻末に「片仮名伊呂八本字」「書状書初乃高下」「返事書初の高下」「書留乃高下」「四季異名」「十二月異名」等の膨大な記事を収録する。なお、本書の増補・改訂版が文政(一八一八〜二九)頃刊『万海用文無尽蔵』†である。〔小泉〕
★ばんみんふつうようぶん [3110-2]
〈頭書類語・一字千金〉万民普通用文‖【作者】青木清輔作。水田得哉書。【年代】明治二四年(一八九一)刊。[東京]増田彦太郎板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「人を招く文」から「弔状・同返事」までの消息文例五三通と、「書籍請取書」から「送状之事」までの証文類文例二〇通を収録した用文章。消息文例は諸用件の手紙が主で、四季贈答の手紙は従に過ぎない。本文を大字・五行・付訓で記し、頭書に「〈伊呂波寄〉作文字引」および「郵便規則略」を掲げる。また後半の「受取届願諸証文類」は、受取文例・請書文例・届書文例・願書文例・証書文例の五分類毎に数例を載せ、それぞれ本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ばんようじづくしおしえかがみ/まんようじづくしおしえかがみ [3111]
〈新板絵入・童子重宝〉万用字尽教鑑‖【作者】不明。【年代】元禄(一六八八〜一七〇四)頃刊。[京都]菱屋治兵衛板(後印)。【分類】語彙科。【概要】異称『〈絵入〉字づくし』。半紙本三巻合一冊。魚類・貝類・諸鳥・獣・虫・木・草花・青物・諸道具・着類・五穀(并菓子類)・家名并人之名・百官并侍小姓名・名字・名乗・月異名・国尽の一七部を立てて五〇〇〇語以上の語彙を集めた往来。各語彙を概ね大字・五行(「名字」「名乗」等は六行)・付訓で記し、稀に割注を施す。本文中に「須弥山図」「八卦之文字」「十干十二支」「篇并冠尽」「京町尽」「五行いろは」「碁之詞字」「双六之詞字」「将棋之詞字」などを挟むほか、頭書の大半を本文要語の絵抄にあてる。ただし、下巻頭書は挿絵に代えて「百官」等の注釈と、俗家・僧家の書き判、京都地名、いろはの事、潮時などを適宜載せる。本書の書名は『元禄九年書目』中に見え、挿絵など版式からも元禄頃の刊行であることは明らかである。〔小泉〕
◆ばんようてがたかがみ/まんようてがたかがみ [3112]
〈新板改正〉万用手形鑑‖【作者】不明。【年代】天明五年(一七八五)刊。[江戸]蔦屋重三郎板。【分類】消息科。【概要】異称『万手形鑑(よろずてがたかがみ)』。中本一冊。「預申金子之事」から「道具売手形」までの証文手形文例一六通を収録した用文章。簡易な証文類案文集としては比較的初期のもの。本文を大字・七行・所々付訓で記す。頭書に「六曜之操様」「破軍星操様」「胎内の子男女をしる法」「大坂独案内」「諸職家名尽」、巻末には「不成就日」「願成就日」「年号用字」「月の出、潮のさしひき」を掲げる。〔小泉〕





◇ひがしやまめぐり [3113]
東山廻‖【作者】角之助書。【年代】安政三年(一八五六)書。【分類】地理科。【概要】「春の日影の長閑成に心隔ぬ友とち一両輩、誘引て岡山に参し、旅宿を求め、東山なる神社仏閣を巡拝致し候に…」と起筆する全一通の女文形式で、京都東山方面の神社仏閣・名所旧跡とその景趣・結構、縁起・故事、祭礼、社会・風俗などを記した往来。〔小泉〕
◇ひがしやまもうで [3114]
東山詣‖【作者】川嶋屋きう書。【年代】文政八年(一八二五)書。【分類】地理科。【概要】「今日は天気快晴に候間、東山御案内可申候…」で始まる女文形式で、京都東山一帯の神社仏閣・名所旧跡のあらましを記した往来。金森古城跡から宝竜院・山伏寺(同寺から見た錦山の眺望を詠んだ和歌を挿む)・大隆寺・稲荷山・金剛寺・宗献寺などを折々景趣・縁起・宝物・祭礼等に言及しながら紹介する。末尾は「又重て、西山御案内可申候。穴賢」と結び、「雪やこんこ、霰やこんこ、丹波の奥の、柿の木に、ふれやとまれ…」の俗謡を付す。〔小泉〕
◆ひこうべんもう [3115]
〈武具短歌〉被甲便蒙‖【作者】山鹿素行作(「武具短歌」)。清幽斎編。【年代】嘉永三年(一八五〇)刊。[江戸]万屋忠蔵(鱸忠蔵・一貫堂)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『被甲便蒙・武具短歌』。一舗(折りたたみ地図の体裁)。『武具短歌』は、「夫、武具は、鎧・腹巻・太刀・刀…」で始まる七五調の文章で、甲冑から馬具までの武具関係の名称と軍(いくさ)関連の用語を書き連ねた往来。また『被甲便蒙』は、甲冑着用の次第や心得について、図解を入れながら述べた往来。末尾に、文武両道を諭した「武士学文問答」を付す。〔小泉〕
◆びさんふうどか [3116]
尾参風土歌‖【作者】田中正幅作。内田不賢書。吉水公阿序。芳洲画。【年代】明治九年(一八七六)刊。[岡崎]近藤巴太郎板。【分類】地理科。【概要】異称『〈啓蒙〉尾参風土歌』。半紙本二巻二冊。上巻『尾張風土歌』、下巻『三河風土歌』から成る往来。上巻は、「此国を尾張といへるゆゑよしを、伝ふる事のくさに、正しき書の風土記てふ、ふるきつたへのありしかど、いついしか失せていまするに…」のように七五調の文章で、尾張国の由来・故事・伝承、また、領域・気候・地勢など地誌的事項、さらに各地の地名・自然・地理・沿革・行政・産業・物産・教育・宗教などを綴った往来。本文を大字・五行・付訓で記す。上巻本文中に色刷り挿絵(「名古屋鎮台之図」「熱田神宮之図」「桶狭間合戦之図」の三葉)を掲げる。下巻は未見だが、上巻同様に三河国の地理・歴史を紹介したものであろう。〔小泉〕
◆びぜんおうらい [3117]
備前往来‖【作者】梶谷光太書(文政一〇年(一八二七)写本)。岡潔矩編・書・序(天保七年(一八三六)刊本)。【年代】文政一〇年以前作。天保七年刊。[岡山]中嶋屋益吉板。【分類】地理科。【概要】異称『岡山往来』。刊本は半紙本一冊、写本は多くが大本一冊。「抑、備前岡山者、従往古有名之府也。凡六十余町並甍、以来年々繁華而、事物之自由不異京・大坂、真可謂鄙之都地也…」と筆を起こして、岡山を中心とした備前国の繁栄ぶりや物資の流通、各地の物産品・工芸品を紹介した往来。刊本は本文を大字・四行・無訓で記し、巻末に合計八編の「書初・七夕詩歌」を掲げる。自序に記すように『備前往来』の伝本を現状にふさわしく補訂したものという。例えば上記「凡六十余町…」は天保一五年写本では「凡五十余町…」と改めるなど、刊本・写本間には小異が少なくない。なお、刊本に先立つ文政一〇年写本(大字・三行・無訓)が存在するため、撰作年代はそれ以前である。〔小泉〕
★びぜんこくむらなづくし [3117-2]
備前国邨名尽‖【作者】妹尾徳風(雪斎)書。【年代】明治五年(一八七二)刊。[岡山]岡山県蔵板。渡辺源米売出。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。明治初年、岡山県下八郡の村名・地名を列記した往来。上道郡・邑久郡・和気郡・磐梨郡・赤阪郡・津高郡・児島郡・御野郡の順に、村名等を楷書・大字・三行・付訓で記す。〔小泉〕
◇ひだむらな [3118]
飛騨村名‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】飛騨国三郡(益田郡・大野郡・吉城郡)二四郷中の四一三カ村の名称を各郷毎に列記した国尽型往来。〔小泉〕
◇ひだめぐり [3119]
飛騨巡‖【作者】北川転経作・書。【年代】文化一〇年(一八一三)書。【分類】地理科。【概要】紀行文風に飛騨国高山およびその周辺の寺社や参詣路のあらましを綴った往来。「兼々御噺申置候飛騨巡参之儀、水無月中頃おもひ立、先、高山辺におゐて三福寺…」で始まる文章で、折々沿道の風景を交えながら、八幡山長久寺・雪峯山勝久寺・光耀山照蓮寺等の寺院の宗旨・本山・山号・縁起やその他の名所旧跡を順々に紹介する。末尾に「北川転経、七十歳愚筆」と記す。〔小泉〕
◆ひっかいちょうほうき [3120]
筆海重宝記‖【作者】寺田正晴(大津屋与右衛門)作。【年代】享保一七年(一七三二)刊。[大阪]寺田正晴板。また別に[大阪]柏原屋与市板(元文元年(一七三六)板)あり。【分類】合本科。【概要】異称『懐玉筆海重宝記』『文章蔵』。横本一冊。「吉書初」「七夕詩歌」「初学歳中監本鑑(てほんかがみ)」「月之異名」「十干異名」「十二支異名」「十二時異名」「南膽部州大日本図」「日本六十八州並授領(大日本国尽)」「京案内之事」「洛外近辺道法」「江戸方角分量之図」「大坂案内歌の大概」「大坂高麗橋より近辺道法」「字尽商売往来(末尾に「堀観中著」と記す)」「算法九々算并銭小遣割」「十六早割算」「尺寸法之事」「釐等之事」「諸職往来」「色紙短冊押法并題の歌書やう」「筆法点画図」「落筆墨移伝」「書状認様之事」「目録認様并樽の事」「物数書法」「積物之図」「相生の事」「男名頭相性文字・女名の相性文字」「当用躾方并茶座配事」「花押石印譜」「朱肉拵様伝」「石摺仕様の伝」「誹諧仕様法式大意」「古筆極札印尽」「古今茶人花押鑑」「諸氏名字大全」「百官名」「東百官」「救急妙薬秘方」「諸芸修行教訓歌表具」「片仮名以呂波」等を収録した往来物・重宝記。このうち用文章に相当する「初学歳中監本鑑」は季節その他の分類に応じて集めた消息短文集で、春の部一六通、夏の部二〇通、秋の部一六通、冬の部一六通、雑の部四八通、祝賀の部(祝賀文章)一二通の合計一二八通を収録する。なお、本書の改訂版に寛政九年(一七九七)刊『大成筆海重宝記』†がある。〔小泉〕
◇ひっかいようぶんしょうたからぶね [3121]
〈頭書画入〉筆海用文章貨船‖【作者】十返舎一九作・序。牧田皐水書。【年代】文政元年(一八一八)刊(再板)。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『用文章』。中本一冊。『筆林用文章指南車』†の改題本(外題替え)。本文・付録記事ともに『筆林用文章指南車』と全く同じ。〔小泉〕
◆ひっかいようぶんれんじゅほうかん [3122]
〈文林家宝・字考大成〉筆海用文聯珠宝鑑‖【作者】不明。【年代】享保(一七一六〜三六)頃刊。[京都]中川茂兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『筆海用文章』。大本一冊。月次状を集めた「四季消息」部四八通と、季節以外の手紙を集めた「附録雑章」部一二通(「言入相済方へ祝状」「祝言相整祝ひ状」「平産よろこひの状」等の祝儀状や「店がへの状」「無尽の会催状」など用件の手紙、その他「弔状」「追善之状」など)の、合計六〇通を収録した用文章。「四季消息」は各月四通からなり、うち最初の二通を大字・五行・所々付訓、後半の二通をやや小字・七行・所々付訓で記す。頭書に、四季や各月にちなんだ書簡用語や作法、年中行事故実、四季風物関連語などを載せる。同様に「附録雑章」についても書簡用語・書簡作法を紹介する。巻首に「弘法大師故事」「名筆画図」等の口絵と「好文木」「五倫(絵抄)」「手跡勧学」「寇莱公六悔銘」「細川玄旨教誡之歌」「片かなの本字・平かなの本字・かなつかひのならひ」「物数之唱」「書法大概」「証文等認様」「陰徳物語」等の記事を載せる。なお、刊記に「享保改正/三月吉日」と記すが、享保元年刊を示すか。〔小泉〕
◆ひつがくようろん [3123]
筆学要論‖【作者】戸田儀左衛門作。【年代】宝暦八年(一七五八)序。宝暦九年頃刊。[大阪]堺屋清兵衛板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊、または半紙本一冊。戸田玄泉堂が編んだ筆道初心者の心得で全七カ条から成る往来。箇条によって長短の差が甚だしいが、その概要を示すと、第一条に近年の書家の多くが唐様に傾き書道が遊芸同然に落ちぶれていることを指摘しつつ、筆道に篤実に向かう姿勢を説き、以下、第二条に真・行・草の順に習うべきこと、第三条に師風を習熟したうえで独自の書風を生むべきこと、第四条に稽古に性急な態度を戒め、手跡が人格を映すものであること、第五条に幼時における親の教育の大切なこと他、第六条に小児に仮名書きの教訓書を早く読み習わせるべきこと、第七条に手跡稽古は実用的で精神修養にも役立つことなどを諭す。本書は単行本でも刊行されたほか、文化五年(一八〇八)刊『筆道指南手引艸』†やその改編板である弘化三年(一八四六)刊『筆道指南早学問』†などにも収録された。〔小泉〕
◆ひっかようぶんせかいぞう [3124]
〈日用文通〉筆家用文世界蔵‖【作者】不明。【年代】天明元年(一七八一)刊。[京都]菱屋治兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。宝暦七年(一七五七)刊『倭文通錦字箋』†のうち、末尾三分の一(例文では「八朔祝儀状」以下一八通)を削除した改題本。本文を大字・四行・付訓で記す。収録部分のほとんどが『倭文通錦字箋』と同じだが、収録箇所の最終丁では頭書を「手形証文次第」から「篇冠沓構字尽」に変更し、「八朔祝儀状」の冒頭二行を刊記に改めた。〔小泉〕
◆ひつぎょくようぶんまんぽうかがみ [3125]
〈日用重宝・童子教訓・字鑑綱目〉筆玉用文万宝鑑‖【作者】不明。【年代】安永七年(一七七八)刊。[京都]菊屋喜兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『筆玉用文』。大本三巻合一冊。享保(一七一六〜三六)頃刊『筆玉用文万宝大成』†の改訂・改題本。同書より年頭祝儀状の往復二通を削除して、代わりに別文の「年頭祝儀状」と「移徙祝儀状」「知恩院の庭園見物につき仲介依頼状」「上巳の詩文の会案内状」「吉野山花見誘引状」など八通を追加した。その結果、収録書状は全六五通となるとともに、月次順の配列に乱れが生じることになった。また、享保板の頭書「一、正月白馬節会」に相当する箇所に「商売往来」を収録したほか、享保板の巻頭口絵「書学可習事」半丁に替えて「能書之三跡」一丁半を増補し、巻末にも「書初之詩歌」「京都横竪町尽」「七夕之詩歌」「年号六十余字」「四十七言」「十干十二支・十二支之図」「相性書判之事」など一丁分の記事を増補した。〔小泉〕
◆ひつぎょくようぶんまんぽうたいせい [3126]
〈日用重宝・童子教訓・字鑑綱目〉筆玉用文万宝大成‖【作者】不明。【年代】享保(一七一六〜三六)頃刊。[京都]菊屋喜兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本三巻合一冊。「白馬の節会・内辨御役を命ぜられた貴人への披露状」から「山林製材の人手を頼む書状」までの五九通を収録した用文章。「元服祝儀状」「馬披露につき馬具借用状」「扈従(こしょう)役拝命につき道具調達の教示を願う状」「種々の普請に伴う書状」など、武家公私にわたる書状からなり、本文を大字・五行・付訓で記す。また、本文首題に関する語彙集や関連知識を頭書に載せるのも特徴で、「正月白馬節会」「公家装束之品」「馬毛色并詞」「馬具」「鎧具同名所(などころ)」「鞍打并鐙等」「扈従之具」「刀脇指并具」「弓矢同具并詞」「鉄砲大小同具」「書物・料紙」「船并具、同詞」「城郭名所」「百官名并名字之難字」「出家之異名」「仏像同名所」「僧位官之品」「衣袈裟之品」など、武家の役職や衣食住に関する膨大な語彙を列記する。また、巻頭に「書学可習事」「諸礼之図抄」「筆を取べき次第の事」「月のから名尽」「男名頭字づくし」「篇并冠尽」「借家請状之事」「将棋作物抄」「大日本国尽」「帳上書教方」、巻末に「十二支・十干」「判形相性之事」等を収録する。本書の刊記に「享保改正」とあるように、本書の先行書が存在したことはほぼ間違いない。なお、本書の冒頭二通を削除してうえ新たに八通を追加し、巻頭・巻末の記事の一部を改めた増補・改題本『筆玉用文万宝鑑』†が安永七年(一七七八)に同一書肆から刊行された。〔小泉〕
★ひっせきしなんぶんしょう [3126-2]
筆跡指南文章‖【作者】建部伝内(堅文)書。【年代】享保一六年(一七三一)刊。[大阪]寺田佐介(文熈堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。自ら子息に教諭した筆道心得である「筆道之事(若年より訓説を不請、古法にもたかひ、流布世間の嘲哢たりといへとも、愚息に対し思趣かたはし書付る条々)」一二カ条を巻頭に掲げ、続いて伝内筆の消息五通を収録した書道手本。この「筆道之事」は『建部伝内書法伝』†に同じで、手跡稽古の基本や伝内流の根本を述べたもの。これらの条々を大字・四行・無訓で記す。また、後半の消息は、いずれも用件のみを認めた短文の書状で、それぞれ大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆★びっちゅうおうらい [3127]
備中往来‖【作者】尾崎彦四郎書(安政二年写本)。【年代】安政二年(一八五五)書。【分類】地理科。【概要】異称『備中問答』。大本一冊。備中国の国名の由来や領内各地の名所旧跡、神社仏閣の景観・縁起や主要産物などを紹介した往来。初めに「吉備国」の範囲や天武天皇以降の国名の変遷について簡単に述べ、続いて、国内の大きさや東西南北の境、石高、「一八神社」の名称並びに所在、備中国の歴史的人物「七名人」に触れ、当国が五穀豊穣・商売繁盛の地で人々の気質が優れていることを説く。また、兼ねて相談の通り桜の時分に巡覧するという設定で、各地の名所・古跡の故実や、村名・名物・産業等について紹介する。そして最後に、山野村の名湯「鷹の湯」で旅の疲れを癒す旨、また、当国の名所・名物を童子はよく覚えるべき旨などを述べる。なお、本書には、「抑山陽道吉備之中州拾壱郡者、東西九里弐拾九丁弐拾間、南北弐拾参里三拾四丁三拾間…」で始まり「尤疑敷者自古人之書、懸筆を馳するものなり」と結ぶ安政二年写本(小泉本)と、「抑、山陽道、備前・備中・備後・美作一国ニ而、是を吉備之国と云…」で始まり「…他国ニ至而、産列之事有問人は答ニもと可成而已終、仍而如件」と結ぶ江戸後期写本(三次本)、また「夫、往古は備前・備中・備後・美作一国にして、是を吉備の国と言…」で始まり「…古戦場・名高人々数多有といへとも爰に略侍る」と結ぶ、やや短文の江戸後期写本(玉川大本)などがある。いずれも本文を大字・三〜五行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ひつどうきょうくんひゃくしゅ [3128]
〈和歌〉筆道教訓百首‖【作者】小林義貫(一庵・唯通)作・書。園美蔭(薗美蔭・松樹園)序。安田寿ロ跋。【年代】明治一五年(一八八二)作・書。明治一七年序・刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『筆道教訓歌集』。半紙本一冊。筆道心得を百首の和歌に詠んだ往来。「いにしへの言の葉くさをかきつめて、よゝにくちせぬ筆のいさほし」「人の道たてる柱は筆ならむ、はつさはいかてたもつへきかや」「筆のあとふみ行見れはなほ深く、みちのしるへとなるそうれしき」などの教訓歌を半丁に四首ずつ大字・八行・無訓で記す。また、作者には別に『筆道三伝』の著作がある旨を跋文で触れる。〔小泉〕
◆ひつどうけいこはやがくもん [3129]
筆道稽古早学問‖【作者】笹山梅庵・寺田正晴原作。【年代】寛政二年(一七九〇)頃刊。[大阪]吉文字屋市兵衛板。また別に[京都]永田長兵衛板(後印)あり。【分類】教訓科。【概要】大本四巻四冊。「手習仕用集」「筆道訓」「手習新式目(笹山梅庵寺子制誨之式目)」ほかから成る。『大阪出版書籍目録』によれば、『筆道入木抄(寺子入木鈔)』†『初学用文筆道往来』†『本朝法帖』『四体千字文国字引』†をもとに四巻本に改編したものと記す。すなわち第一巻は、享保六年(一七二一)刊『初学用文筆道往来』の序文・前付記事と本文「筆道訓」を中心に採録し、巻末に延享元年(一七四四)以前刊『寺子入木鈔』前付記事の「字形」部分を合綴する。第二巻は、元禄六年(一六九三)刊『手習仕用集』†上巻(筆法の条々と「格法七十五字」)と同じ。第三巻は、前半部が『手習仕用集』下巻(「忍返筆法伝授」「消息・詩歌」)で、後半部が元禄八年刊『手習新式目(笹山梅庵寺子制誨之式目)』†。第四巻は、前半部が『本朝法帖』(詩歌および「瀟湘八景詩歌」)で、後半部が明和四年(一七六七)頃刊『四体千字文国字引』をそれぞれ収録する。すなわち、笹山梅庵作の元禄六年刊『手習仕用集』に、寺田正晴作『初学用文筆道往来』の一部を増補し、さらに『本朝法帖』と『四体千字文国字引』の二本を合わせて四冊本にしたものが本書である。なお、本書第一巻のみの単行本(題簽の巻の表記を削除)『筆道稽古早学問』も出版されている。〔小泉〕
◆ひつどうしなんてびきぐさ [3130]
筆道指南手引艸‖【作者】戸田儀左衛門作(「筆学要論」)。丹波屋太郎右衛門校。【年代】文化三年(一八〇六)刊。[大阪]海部屋勘兵衛(多田勘兵衛)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『筆道指南手引草』。半紙本三巻三冊。筆法心得全般について記した往来物。安永三年(一七七四)刊『筆道指南大成』や寛政一二年(一八〇〇)刊『筆道早合点』†等の本文の中核をなす「和漢筆道手習指南」(元禄一二年(一六九九)刊『和漢字府諺解』†の本文に同じ)に種々の記事を増補した改題本。上巻は、本文欄に「六書の沙汰」「名筆筆法要論(漢帝筆法十四点之論ほか)」、前付に王羲之、三筆・三蹟の略伝と挿絵、また頭書や巻末に「行草手習筆法」「格法七十五字」「忍返之筆法伝授」を掲げる。中巻では「永字八法」を詳述し、巻末に「運筆(基本漢字の書き順)」や、俗字・本字の違いなどを示した「从俗古字」「遵時字」「古今通用字」を掲げる。下巻には戸田玄泉堂作の筆道書『筆学要論』†(宝暦八年(一七五八)頃作で、翌九年頃単行本として刊行)を掲げ、巻末に「訓点千字文并文字正誤辨」を付す。なお、本書の記事の一部を差し替えた改編本『筆道指南早学問』†が弘化三年(一八四六)に刊行されている。〔小泉〕
◆ひつどうしなんはやがくもん [3131]
筆道指南早学問‖【作者】戸田儀左衛門作・書(「筆学要論」)。源将興序(同)。【年代】弘化三年(一八四六)刊。[大阪]堺屋新兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『筆道指南手引草』。大本四巻四冊。文化五年(一八〇八)刊『筆道指南手引艸』†三巻本(半紙本)を改編して大本仕立ての四巻本とし、題簽題のみを改めた改題本。刊記には「文化三年九月新刻」の旨を記すが、明らかに文化五年板『手引艸』の後印本である。第一巻は、『手引艸』上巻とほとんど同じで、見返を改めたほか、巻頭に『筆学要論』†の宝暦八年(一七五八)一〇月源将興の序文一丁を追加した点が異なる。第二巻は、『手引艸』中巻から巻末(「運筆」以下)を除いたもの。第三巻は、『手引艸』下巻前半部の「筆学要論」に前記「運筆」以下の記事(一部削除)を合綴したもの。第四巻は、『手引艸』下巻後半部の『千字文』に代えて、全く別板の「四体千字文」(巻末に小字で『千字文』本文を再録)を収録する。『筆道指南手引艸』自体も寛政二年(一七九〇)頃刊『筆道稽古早学問』†の影響を多分に受けていたが、本書の改題で寛政二年板に似寄った書名になった。〔小泉〕
◆ひつどうはやがてん [3132]
筆道早合点‖【作者】堀流水軒(観中・直陳)書(「風月往来」)。【年代】寛政一二年(一八〇〇)刊。[大阪]和泉屋宇兵衛板。【分類】教訓科。【概要】異称『和漢筆道手習指南』『和漢筆法貫道抄』。大本三巻三冊。『大阪出版書籍目録』によれば本書は安永三年(一七七四)刊『筆道指南大成』一冊本(『和漢字府諺解』†改題本)を始めとする六点の書物から本文全文または付録記事の一部を抽出して三巻にまとめた筆道書ならびに書道手本。上巻は、巻頭に「三都図(大日本国之図ほか。『大万宝節用集』から抄録)」、本文に『筆道指南大成』上巻(「六書之沙汰」〜「忍返之筆法伝授」)と「筆学用文」を掲げる。このうち『筆道指南大成』は中・下巻にも収録されているが、内容は文化五年(一八〇八)刊『筆道指南手引草』†と同内容。また、「筆学用文」(柱に「中川板」とある)は、「年始遣書札」から「久鋪不逢人遣・同返事」までの一六題三二通(それぞれ上・下別の例文)で、ほとんどが五節句その他佳節に伴う祝儀状である。同巻頭書に「二十四孝絵抄」を載せる。中巻は『筆道指南大成』中巻(「側化十四点之第一」〜「策点七法之第七」)と堀流水軒筆「風月往来」、下巻は『筆道指南大成』下巻(「掠化十法之第一」〜「同第八」)と「譬文章」をそれぞれ収録する。最後の「譬文章」は、文字通り各例文中に「寄らば大樹の蔭」「立つ鳥跡を濁さず」といった俚諺を含ませた独特の用文章で、「婚礼料理の準備の手伝いを快諾する文」から「普請成就につき移徙した人への祝儀状」までの三五通を載せる。巻末に『御家千字文』の一部「釈文」を付すほか、「潮の満干」「名乗字」「伊勢斎宮の忌詞」などの記事を付載する。なお、本書の中核である『筆道指南大成』本文は、文化五年刊『筆道指南手引艸』や弘化三年刊『筆道指南早学問』†の本文に踏襲された。〔小泉〕
◇ひっとくようぶんしゅんじゅうぶくろ [3133]
〈新版改正・□□□□〉筆得要文春秋袋‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊。[大阪]糸屋市兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本二巻合一冊。明暦板系統『新用文章(新板用文障)』の改題本。明暦三年(一六五七)刊『〈江戸〉新用文章』†とは異板だが、その模刻版のいずれかを改刻したものであろう。上下巻の目録を省き(従って内題『新板用文障』の書名を隠蔽し)、同時に各書状の冒頭部に付けた書状番号を削除して一冊に合本した。また、明暦板下巻末の付録記事のうち「諸道具之事」「万着類之分」「篇并冠之事」を省いた。なお、所収例文の内容は明暦板系統に同じ。〔小泉〕
◆ひっとくようぶんそでかがみ [3134]
〈頭書絵入〉筆徳用文袖鏡‖【作者】不明。【年代】天明三年(一七八三)刊。[江戸]伊勢屋治助板。また別に、[江戸]村田屋治郎兵衛(栄邑堂)板、[江戸]鶴屋喜右衛門板、[江戸]山本平吉板あり。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年頭祝儀状」から「歳暮送状・同返事」までの二五通を収録した簡易な用文章。五節句と四季行事(開帳参りの誘引状、中元祝儀状)や婚礼祝儀状、死去弔状、その他の諸事に関する書状から成る。日付等を一切付けない短文の例文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「杜子美漫興之詩図」、頭書に「禁中歳時御行事(禁庭佳節往来)」「百官名并東百官」「諸家名字尽」「増補難字尽」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆ひっぽうようぶんしょうたいせい [3135]
〈新板絵入・節用字尽・頭書増補〉筆法用文章大成‖【作者】不明。【年代】宝永元年(一七〇四)刊。[京都]辻勘重郎板。【分類】消息科。【概要】大本三巻三冊。現存本は下巻のみ。下巻から推定すると、全巻で三〇数通を収録した用文章。半丁に大字・三行・付訓と通常の用文章よりも大書するのが特徴で、全体として手本の趣が強い。下巻は「初めて会った人への手紙」や「急ぎ花見に誘う手紙」など比較的短文で世俗的な内容の手紙が多く、合計一一通を収める。下巻前付に「判形相性之事」「料理献立の書様」「片仮名伊呂波」「孫敬・車胤の故事」、同頭書に衣服・諸道具・草木等・魚貝・虫類・鳥類・獣類・疾病・人倫等の語彙を集めた「類用字尽(類用字鑑)」、巻末に「十干・十二支」「人間の躰」「百官并侍小姓之名」「名字づくし」「名乗尽」を掲げる。〔小泉〕
◆★ひっぽうようぶんじりんたいせい [3136]
筆法用文字林大成‖【作者】不明。【年代】享保二〇年(一七三五)刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】大本三巻合一冊。五節句や四季に伴う手紙、日常の雑事に関する書状など全五六通の消息文例を収めた用文章。上巻には「新暦悦儀年玉之状」以下一八通(主として五節句の手紙)、中巻には「御官位祝儀に遣す状」以下一九通(諸年に関する手紙)、下巻には「京都へ餞(はなむけ)を遣す文章」以下一九通(諸用件の手紙)をそれぞれ収録する。本文を大字・四行・ほとんど付訓で記す。準漢文体書簡ながら「かしく」または「穴賢」と結ぶ例文を六通ほど含む。前付に「文字・筆の起こり」「喰初の式」「髪置の躰」「袴着の式」「元服の式」「小野篁歌字尽」「天じんきやう」「忍の字訓」、頭書に「十二月異名図式」「五性判鑑」「十干乃図」「十二支乃絵図」「五性名頭之文字」「はぐんのほしくりやう」「人倫五常の説」「教誡之歌」「七夕和歌」「万積方之絵図」「諸色認方絵図」「三十日しほのみちひの事」「へんつくし并かんふりつくし」「手形証文尽」「手形書様心得之事」、巻末に「命期四悔訓并和語」を載せる。〔小泉〕
◆ひつようざつろく [3137]
筆要雑録‖【作者】村一榎書・跋。【年代】天保四年(一八三三)書。【分類】合本科。【概要】異称『児女筆要雑録』。松・竹・梅の半紙本三巻三冊。各分野の多数の往来物を収録したもの。筆者は京都の手習師匠と考えられ、彼の手控え用と思われる。松の巻には「難波津」「浅香山」とその由来を冒頭に掲げ、以下、「五十音」「いろは」「数字」に続いて、「仮名文(短文)」「消息文(準漢文体の短文)」「いろは文章(差出人名と消息文の第一音がそれぞれイロハで始まる短簡だが、刊本『伊路半文章』†とは別内容)」、その他数多くの短簡を掲げ、末尾に「名頭」「十干十二支」「京町尽」「洛中洛外町尽」「洛中坊門之名」「大日本国尽」「都市名尽」までを収録する。また、竹の巻には「洛陽往来」「都名所」「東山名所」「嵯峨名所」「竜田詣」「伊勢詣」「商売往来」「世話千字文」「消息千字文」「書初詩歌」「七夕詩歌」「筆徳往来(琴碁書画のうち貴賤に限らず学ぶべきは書であると諭した教訓)」を載せる。さらに梅の巻に、仮名文(単文・散らし書き)・単語(十干十二支・四季・五行・四民等)、「名頭字」「京町尽」「梅つくし」「桜つくし」「伊勢道中」「都名所」「嵯峨名所」「源氏名寄文章」と仮名文(並べ書き・散らし書き)を収録する。内容にかなりの重複が見られるのは、松・竹二巻を男子用、梅の巻を女子用と区別したためであろう。本文を概ねやや小字・八行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ひつようしゅう [3138]
〈長雄〉筆要集‖【作者】長雄耕雲・船田耕山・佐藤対雲(春久)書。【年代】延享三年(一七四六)〜明和二年(一七六五)書・刊。[江戸]奥村喜兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。主として幕府要人に対する挨拶状など武家用文を集めた手本。延享三年・耕雲書(寒中見舞状・謁見礼状など九通および詩歌)、宝暦一〇年(一七六〇)・耕山書(挨拶状など二通)、明和二年・対雲書(新年挨拶状など三通)の三編からなり、門人・佐藤対雲がまとめたものと思われる。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ひつようしょさつ [3139]
必要書札〈并手形尽〉‖【作者】長友松軒書。【年代】寛政三年(一七九一)刊。[大阪]高橋平助(塩屋平助・高橋興文堂)板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「新年祝儀状」から「道中での失礼を詫びる挨拶状」までの三〇通を綴った手本。五節句・歳暮祝儀状、婚礼祝儀状、尊円親王手本返却の礼状、また売買その他諸事に関する例文を載せる。本文を大字・四行の手本様に綴るが、語句の多くに読み仮名を付す。巻末「手形尽」には、「預申銀子之事」「金子為替手形事」「反(かえ)り手形之事」「女房式銀手形之事」「男養子一札之事」「乳母一札之事」「年切奉公人請状之事」の七通を集める。巻末広告によれば天明(一七八一〜八九)頃初刊か。〔小泉〕
◆ひつりんようぶんしょうしなんぐるま [3140]
〈頭書画入〉筆林用文章指南車‖【作者】十返舎一九作。牧田皐水(洞斎)書。【年代】文化一四年(一八一七)書。文政元年(一八一八)刊(再板)。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『〈頭書画入〉用文章〈追加雑頌〉』。中本一冊。本書の改題本に『〈頭書画入〉筆海用文章貨船』†あり。本書序文で一九は、自らの用文章の著作が従来からいくつもあることや、本書に収録した例文が余りに少ないため、余す所なく例文を集めた『通用案書』†を参照すべきと薦めるように、本書は一九の用文章の中では最も簡易なものの一つである。収録書状は「年頭状」から「旅立怡之文」までの二七通で、前半が四季・五節句・通過儀礼に伴う書状、後半が「新宅歓之文」など吉凶事に関する手紙や「金子無心申遣文」など用件中心の手紙などから成る。本文を大字・六行・所々付訓で記す。頭書に「様之字の事」を始め書簡作法・用語についての記事や、「万対名之事」「五性名頭の字」「大日本国尽」「書画心得の事」等、また巻頭・巻末に「指南車の故事」「四季之異名」「十二支之画図」「四季十二月之異名」等を載せる。本書の柱に『満喜』とあるが、これが江戸後期刊『〈御家正流〉子供案文』†(亀屋文蔵板)広告中の一九作『満喜用文章』を意味するとすれば、本書はその改題本であろうか。〔小泉〕
◇ひでひらじょう [3141]
秀衡状‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】歴史科。【概要】安倍貞任を破り奥州藤原氏三代の繁栄の基を築いた源義家の恩に対して藤原秀衡が文治五年閏四月二五日に書いた起請文の形式で編んだ古状単編型往来。「抑、起請文之意趣は八幡太郎義家、此国有御下向、阿部貞任責滅…」と起筆する。弘前地方で使用された。〔小泉〕
◆ひとなづくし [3142]
人名尽‖【作者】不明。【年代】江戸中期刊か。[大阪]高池安右衛門板。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。標記書名は巻頭所収の往来の首題による。「人名尽」「家名尽」「国尽」を収録した往来物。「人名尽」は、『名頭字尽』†と同様に「源・平・藤・橘・善・清・弥・新…」から「…春・夏・秋・冬・青・黄・赤・白・黒」まで、名前に用いる漢字約一九〇字を列記したもの。「家名尽」は、「京・江戸・大坂・堺・淀・伏見…」から「…銭金・八百・万富」まで、屋号に用いる語句約一一〇語を列挙したもの。「国尽」は、いわゆる『大日本国尽』。いずれも本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ひとりあんない [3143]
〈紋切形・早割〉独案内‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[江戸]観竜堂板。【分類】社会科(遊戯)。【概要】中本一冊。紋様の切り方を教えた手引き書。正方形の紙を三角になるように二分割あるいは三分割して二〜五つ折りにした状態で特定の紋様を作るための切り方を図解したもの。表紙とも五丁の小冊子で、巻末に紙の折り方と切り方について簡単に説明する。一種の遊戯用あるいは工作用往来物。〔小泉〕
◆ひなあそびのき/ひいなあそびのき・かいあわせのき [3144]
〈女訓絵入〉雛遊の記・〈女訓絵入〉貝合の記‖【作者】度会直方作。田中友水子補。【年代】寛延二年(一七四九)序・刊。[大阪]敦賀屋九兵衛(松村九兵衛)板。【分類】女子用。【概要】大本二巻二冊。女子のもてあそぶ「貝合」「歌がるた」「雛遊び」「七夕祭」の四つを「古へ今に亘りて…殊更に女子のみやびにせる」ものとして、これらの故事・由来・作法等を絵入りで解説した女訓書。上巻『雛遊の記(雛あそびの記)』、下巻『貝合の記』からなり、いずれも「雛」や「貝合わせ」に関する諸説を紹介・批判しつつ、その淵源を神道者の立場から『日本紀』『古事記』に求め、その意義を「夫婦むつまじき容体(ありさま)を仮にうつしてもてあそぶ女の教へ草」「夫婦和合の御教へ」といった教訓へと発展させる。また、上巻末尾に「七夕祭の記」、下巻末尾に「歌がるたの記」を付録し、それぞれ同様に解説する。近世の遊戯研究の基本資料だが、その多くは享保五年(一七二〇)刊『大和女訓』†(井沢長秀作)に取材したものである。〔小泉〕
◇ひながたもようづくし [3145]
雛形模様尽‖【作者】三宅利明書。【年代】天保四年(一八三三)書。【分類】社会科。【概要】異称『雛かた模様尽し』。ある人の要望に応える女文形式で、呉服等の染模様について綴った往来。「能序(よきついで)のおはしまし候まゝ、此度京都へ染物品々被遣候よし、これにより雛かた模様の事仰越され心得まいらせ候…」で始まる手紙文形式で起筆するが、途中から「先新玉のはつ春は、代々も賑はふ寿の、よはひも久し鶴亀の、松は常盤の色まして…」のような七五調の文章に変わり、初春は「鶴亀」や「姫小松」というように四季時服の染模様の名称を列挙する。原本(逓博本)にはほかに「松嶋賦」ほか八編が合綴されており、播磨国明石郡江井ヶ島で文政頃から慶応頃まで使用された往来という。〔小泉〕
◇ひなづるようぶんひめかがみ [3146]
雛鶴用文姫鑑‖【作者】不明。【年代】文化一一年(一八一四)刊。[京都]須原屋平左衛門ほか板。【分類】女子用。【概要】小本一冊。日常の諸事についての消息と四季折々の手紙など七二通の女子消息文例を集めた女用文章。全体を「平生用(つねづねよう)むき文づくし」と「十二ケ月用むき文づくし」の二部に分け、前者には「家うつり祝儀文」から「奉公人をたのむ文・おなじく返事」までの二六通を、後者には「初はるの文」から「歳暮の祝儀文・おなじく返事」までの四六通をそれぞれ収める。ほとんどが大字・五行・所々付訓の並べ書きで、本文中に数葉の挿絵を掲げるほか、巻頭に和歌浦等の風景画(色刷り)を載せる。〔小泉〕
◆ひなのしおり [3147]
〈農家必用〉鄙乃栞‖【作者】河村貞山作。春翠画。【年代】明治七年(一八七四)刊。[京都]吉野屋甚助(杉本甚助)ほか板。【分類】産業科。【概要】異称『〈農家必要〉鄙の栞』。半紙本一冊。日本の農業の淵源や四季時候に伴う農作業の心得、地方・租税方、その他農家諸般にわたる語彙や諸知識について述べた往来。「日大神(ひのもとおおんかみ)始めて耕作・蚕養(こがい)の道を教へ給ひしより…」と始まり、太古は四民の区別なく万民が農業に従事していたことや農業の苦労の大きいことなどを述べ、四季寒暖を弁え、種々の農具を備え、各種肥料を用意して耕作すべきこと、また余業や、水旱・虫害への備え、扶助組織などを説く。さらに救荒対策として食料の備蓄や非常食用の草木などに触れながら、田畑の種類や等級の目安、地方全般、農家諸帳簿、新田開発、田畑売買その他や農家家屋関連語などについて列記する。最後に、農家子弟は読・書・算をよく学び、成人後は家業出精・節倹・先祖崇拝・近隣との和睦を旨とすべきことを諭す。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。〔小泉〕
◆ひめかがみ [3148]
〈教訓絵入〉比売鑑‖【作者】中村タ斎作。伊蒿子・伏見江閑人序。好鵝散人序(宝暦六年(一七五六)板)。【年代】貞享四年(一六八七)序。述言編は宝永六年(一七〇九)刊、[江戸]須原屋茂兵衛板。紀行編は正徳二年(一七一二)刊、[江戸]須原屋茂兵衛板。【分類】女子用。【概要】異称『ひめかゝ見』『姫鑑』『日売鑑』『秘女鑑』『婦通鑑諭草(おんなつがんおしえぐさ)』。大本または半紙本全三一冊(述言編一二巻一二冊、紀行編一九巻一九冊)。序文に、『小学』こそ「しりやすく、行ひやすきよすがあれば、男女をわかずおさなきよりの手ならひぐさ、これぞうへなき物なり」として、『小学』の教えを敷衍した女訓書。前編一二巻は「言」を述べ、後編一九巻には「行い」について論じ、いずれも『小学』の柱である「立教・明倫・敬身のおもむきによりて、その内を書」き分けたものである。巻之一は「立教」による子育て、巻之二〜六は「明倫」の父子・夫婦・長幼・君臣・朋友の人倫、巻之七〜一二は「敬身」すなわち学問による修身、また神道・仏教等について述べる。後編一九巻は、前編での理論を数多くの和漢人物伝によって例証させようとしたもので、これらの事跡を通じて儒教倫理を徹底的に諭すのが特徴。また、各巻の目録に人物名とともに、『列女伝(劉向列女伝)』†『古今列女伝』『世説新話』『五倫書』『温公家範』『徒然草』『太平記』『伊川文集』『後漢書』『元亨尺書』等の出典を逐一明記する。また、前後編とも本文に関する和漢人物・風俗挿絵を多く掲げる。宝暦六年再刊本では、首巻に好鵝散人の序文二丁を追加した。〔小泉〕
◆ひゃくしょういまがわ [3149]
百姓今川‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊か。刊行者不明。【分類】産業科。【概要】異称『藤岡貞通伝愚孫農家制詞条々』。半紙本一冊。天明二年(一七八二)刊『百姓今川准状』†の模倣と思われる田舎板の往来物。条々と後文から成る『今川状』†形式は共通するが、天明板とは全くの異文。「一、不弁四季八節而、農家終不得豊作事」の一条から始まる三一カ条と後文からなり、百姓が狩猟を好んで時間を無駄にすることや、汚く面倒な仕事を嫌がることなど、農民の怠慢や非行等を禁止条項の形で列挙し戒める。後文も農具を武具に譬えるなど『今川状』の文言に似せながら百姓たる者の心構えを説く。本文を大字・六行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ひゃくしょういまがわなぞらえじょう [3150]
〈新編鄙児小学〉百姓今川准状‖【作者】不明。【年代】天明二年(一七八二)刊。[江戸]蔦屋重三郎板。また別に[江戸]鶴屋喜右衛門板(後印)あり。【分類】産業科。【概要】異称『〈新撰〉百姓今川准状』『新撰百姓今川准状』『百性今川准状』『〈頭書〉百姓今川状』『百姓今川』。中本一冊。『今川状』†風に農民生活全般の心得を綴った往来物。『今川状』は二三カ条と後文から成るのに対して、本書は「一、時候を弁ずして農家豊作を不得事」以下一八カ条と後文から成る。農民が守るべき事柄(弓・鉄砲や殺生の禁止、年貢皆済、役人尊重・法令遵守、寺社の保全と祭礼)や村役人の心得、遊興・博奕、衣類、奉公人への慈悲など農民生活に関する事項を列挙し、後半の後文で四季耕作の手順、作物、農具・農業施設、検地・地方、畑作、気候、年貢、農閑期の労働、家普請、山林収穫物、農民心得(法令遵守・忠孝その他人倫・読み書き算)までを述べる。本文を大字・六行・付訓で記す。頭書に「農家日用暦」「二季の彼岸の事」「四季土用の事」「八十八夜名残の霜の事」「入梅の事」「半夏生の事」「旱魃に雨を祈法」などを収める。この天明板を嚆矢とする『百姓今川准状』は比較的普及した農業型往来で、蔦屋板系統として、ほとんど酷似した江戸後期刊『〈新撰〉百姓今川准状』(名古屋・松屋善兵衛板)や、頭書等を一新した異板の文久三年刊『百姓今川准状』(江戸・森屋治兵衛)等のほかに、本文に若干の増補を行った改題本、天保一四年(一八四三)刊『百姓掟往来』†(堀原甫作)なども誕生した。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらい [3151]
百性往来‖【作者】禿箒子作。【年代】明和三年(一七六六)刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板。【分類】産業科。【概要】異称『百姓往来』『〈頭書調宝数条〉百性往来豊年蔵』『再刻百性往来豊季蔵』『〈頭書絵入〉百性往来童子宝』ほか。初板本系統は中本一冊。農業型往来中最も流布し、『〈手本〉農業往来』†とともに後世の類書に最も大きな影響を与えた農業型往来。再板本には明和三年、鱗形屋孫兵衛原板の旨を記すが、初板本と推定される鱗形屋板の刊記には刊年を記さず、「此一冊は、農家童子の為に新に綴て令板行、猶亦、文字を改め、仮名を正して読に易く、学んで益あらば、誠に農家不朽の基ならん而已」と付記する。「凡、百性取扱文字、農業・耕作之道具、鋤、鍬、鎌、犁(からすき)…」で始まる本文は明らかに、堀流水軒作『商売往来』†を模倣して編んだものであり、同往来のスタイルを踏襲して、以下、農具、農業施設、田畑度量衡・地方、潅漑施設、肥料、稲作手順と諸注意、巡見・検地・助郷等の夫役、運送・交通、領地、家屋造作、機織、農民の日常食、農閑期の労働・雑務・牛馬飼育、在所の地理的知識、穏田をせず正直な農民の子孫繁昌までを説いて結ぶ。初板本系統は本文を大字・五行・付訓で記し、巻頭に「孝・弟・忠・信」の図、頭書に「世帯道具字尽」「一代之守本尊」「世中七猿教歌」等の記事を載せる。また、本書の前付や頭書を改めたものとして、明和八年刊『〈頭書絵入〉百姓往来童子宝』(大本)や安永九年(一七八〇)刊『〈新撰〉耕作往来千秋楽』(中本)などがあり、そのほか、明和板を始祖とする類書が多数誕生した。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらい [3152]
百性往来(異本)‖【作者】不明。【年代】文化一〇年(一八一三)刊。[大阪]藤屋善七(春星堂・北尾善七)板。また別に[大阪]本細工所板(後印)、[大阪]秋田屋市兵衛板(後印)等あり。【分類】産業科。【概要】異称『新撰百姓往来』『〈農民専用〉百姓往来』『〈新板〉百姓往来』。半紙本一冊。明和三年(一七七六)刊『百性往来』†をベースに相当の増補・改訂を施した往来。冒頭は「凡、於農業之家生、常々持扱文字、員数、取遣譲証文、或は質入、本物返、註文、売買、金銀銭、請取、勘定、算用帳…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。本文の大半を農業関連語彙にあて、特に「農作物」と「樹木・草花」の二部門でかなりの増補(割注形式で記す)を行った一方、明和板の中心を占めた「農具・機織具」の語彙を削減し、とりわけ「農民の常食」「牛馬の種類」「農家の造作」に関する語句を全て省いた。表紙見返に「此書何人の作といふ事知れがたし…」で始まる序文を置き、裏表紙見返には天候関連語や十干十二支を掲げる。なお、本書の初板本は文化一〇年・藤屋善七板『新撰百姓往来』(筑波大学蔵)だが、一般にはその改刻本(天保一四年(一八四三)以前刊)の大阪・本細工所板が流布した。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらい [3153]
百姓往来‖【作者】不明。【年代】明治二年(一八六九)刊。[東京]須原屋佐助(金花堂)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。明和三年(一七六六)刊『百性往来』†とほぼ同文の本文を半丁に縦(または横)半分に大字・四行・付訓で掲げ、残り半分を全て挿絵とした絵本。すなわち全ての頁に農事関連の挿絵を掲げた『絵本百姓往来』ともいうべき往来で、挿絵の配置や構成は北斎の『絵本庭訓往来』†の模倣と思われる。画工名を記さないが、当時の農民生活を彷彿とさせる軽妙な筆遣いの挿絵である。巻頭に「天津こやねの命」など神々の図を掲げる。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらい [3154]
〈開化〉百性往来‖【作者】鴻田真太郎作。【年代】明治一四年(一八八一)以前刊。[東京]大橋堂板。【分類】産業科。【概要】中本一冊。近世流布本・明和三年(一七六六)刊『百性往来』†を一部を改めた明治期改編版。ほとんど明和板同様の文章だが、新田開発に内務省の許可が必要なことや、郡長の任務、政府・県令以下諸役人や諸法令の遵守、運送における蒸気船の使用、新政府下における開拓事業・殖産興業など新時代に適した内容を随所に補充する。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に農民生活の諸側面を描く。なお、小泉本に「辛巳年」「紀元二千五百四十一年」の記載がある。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらい [3155]
〈農民専用〉百姓往来‖【作者】西川竜章堂作・書。【年代】文政一二年(一八二九)書。文政一三年刊。[大阪]伏見屋嘉兵衛ほか板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。前半に「百姓往来」、後半に「農民教訓状」を収録した往来物(ただし「農民教訓状」を省く版もある)。前半の「百姓往来」は、明和三年(一七六六)刊『百性往来』†に稲作・機織具等の語彙を増補した異本である。後半「農民教訓状」は、「夫、四民之内士之外者、農人・職工人(しょくにん)・商人(あきんど)共皆百姓与(と)云也」で始まる文章で、主に町人(工・商)と農民の生活を対比させながら、農村生活の有利な点や気楽さを強調しつつ、このような農民を優遇した仁政に感謝して農業に専念し、油断なく納税・夫役を全うすべきと諭す。本文を大字・四行・付訓で記す。なお、「農民教訓状」は、江戸後期に名古屋・永楽屋東四郎板などの単行本があるほか、一部改編した改題本『生民往来』†(写本)も存する。〔小泉〕
◆★ひゃくしょうおうらいえしょう [3156]
百姓往来絵抄‖【作者】八島五岳(岳亭丘山・岳亭定岡・神歌堂丘山・黄園・丸屋斧吉)作・注。【年代】慶応二年(一八六六)以前刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】産業科。【概要】異称『百姓往来画抄』。中本一冊。明和三年(一七七六)刊『百性往来』†とほぼ同文(語彙の若干の増減あり)を大字・四行・付訓で掲げ、各行の随所に語彙の図解と簡潔な語注を施した往来。おおよそ本文の語句単位に挿絵と囲み罫の略注または左訓を施す。特に、家屋造作のくだりで「不用釘、鉄物不好」と金属の使用禁止を述べた部分と、末尾で「湊、菱垣廻船、川者高瀬・舟筏…」と海上交通に触れた箇所での増補が目立つ。吉田屋板独特の絵入り本で、幕末に刊行された一連の往来物の一つである。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらいえしょう [3157]
〈誤字改正〉百姓往来絵抄‖【作者】不明。【年代】天保一三年(一八四二)刊。[江戸]山城屋新兵衛板。【分類】産業科。【概要】異称『新刻百姓往来』。半紙本一冊。明和三年(一七六六)刊『百性往来』†の本文に頭書絵抄を施したもの。本文に関連する農作業や農具・農事などの挿絵を掲げ、巻頭に収穫の図を載せる。本文を大字・五行・付訓で記す。なお、本書を模倣した『慶玉百姓往来(新刻百姓往来)』が弘化四年(一八四七)年に江戸・藤岡屋慶次郎から刊行(明治初年に東京・山形の二書肆により再刊)された。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらいちゅうしゃく [3158]
百姓往来注釈‖【作者】藤村秀賀(鶴亭)注・序。柳蝶楼国孝画。菅谷臨池堂書。【年代】文久三年(一八六三)序・刊。[江戸]和泉屋市兵衛ほか板。【分類】産業科。【概要】異称『〈頭書絵入〉百姓往来注釈』『百姓往来精注鈔』。中本一冊。明和三年(一七六六)刊『百性往来』†の絵入り注釈書。近世後期注釈書の最も一般的なスタイルである「経典余師」形式。全二六段に分けた『百性往来』本文を大字・六行・無訓で記して詳細な割注を施し、頭書に付訓本文(読方)および図解を載せる。施注は『和漢三才図会』『漢事始』『孟子』など古今の和漢書を典拠として語注・大意・由来等に及び、『百性往来』の注釈書としては最も充実した内容になっている。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおうらいどくほん [3159]
〈改正〉百姓往来読本‖【作者】東京府学務課編。片桐霞峯書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]東京府学務課蔵板。弘文社売出。【分類】産業科。【概要】異称『改正百姓往来』。半紙本一冊。近世流布本である明和三年(一七六六)刊『百性往来』†の明治期改編版の一つ。『百性往来』本文を明治初年の実情に合わせて適宜書き改める。特に、地租改正や租税制度などに関する部分の改変が目立ち、「…耕地・宅地以地位等級、定地価、地券状書替、裏書、証印税、可差出、国税・地方税・町村費。地租者、地価百分之二箇半、都而可為金納…」のように記す。他は概ね近世流布本と同様で、耕作用具、農地・地方、地租・租税、農業施設、肥料、稲作、雑穀・青物、農閑期余業、衣食住の用語、農民心得までを述べる。本文を大字・六行・無訓で綴る。〔小泉〕
◆ひゃくしょうおきておうらい [3160]
〈農人重法〉百姓掟往来‖【作者】堀原甫(常信・経信・源右衛門・三五園・月麿・松月堂・華雪道人・興文閣)編。西川竜章堂書。【年代】天保一四年(一八四三)刊。[京都]山城屋佐兵衛板。【分類】産業科。【概要】異称『今川に准(なぞらえ)百姓を誡(いましめ)の条々』。半紙本一冊。天明九年(一七八九)刊『百姓今川准状』†の増訂・改題本。従って堀氏の原作ではない。天明板本文の所々に増補したもので、前半の条々では第七条に「氏神の祭礼等豊凶の無差別、例年の式を守可相勤事」の一状を加えて全一九カ条とし、また、後文では十数カ所にわたって補充するが、特に「あるひは近世新製の中国・北国の鋤・鍬・掻万能等その土地に応じて可用之…」と農具の多様化や普及に触れた点が注目される。本文を大字・四行・付訓の手本用に綴る。〔小泉〕
◆ひゃくしょうきょうくん [3161]
百姓教訓‖【作者】堀内彦太夫作。【年代】寛政元年(一七八九)作・刊。堀内彦太夫施印。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。宝暦五年(一七五五)に奉行・佐野某の編んだ教諭書に編者が適宜増補して施印したもの。長文の二三カ条と後文から成るのは『今川状』†の模倣であろう。第一条では「夫、農民の心立善は国の宝也。心たて悪は国の盗賊也…」と書き始めて農民の善悪(宝農民・盗賊農民)について縷々述べ、やや字下げした「追加」で博奕が諸悪の根元であると説く。以下同様の形式で、「庄屋の心立善は地頭の宝也。小百姓の師匠なり」「郷中に身代よき農民有はよしあしの二ッあり」「農民の親子・兄弟・親類と田地あらそひ」「本農民は心きよく、いさぎ能ものなり」等々、百姓から庄屋までの各人の心得と農村経営の要点を列記する。後半に「よい衆のらくは苦のたね苦はらくの、種を植が百姓の身ぞ」以下二〇首の教訓歌から成る「農家禄」と、食物なしで寿命を保つという妙薬の製法を記した「辟穀仙方」を収録する。本文をやや小字・九行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ひゃくしょうにちようくん [3162]
〈国人必要〉百姓日用訓‖【作者】鈴木松江(鱸玄淳・子朴)作。渡辺文太書。役祐誠(旭峯)序(安永八年(一七七九)板)。吉田令世・岩田時純(梅居)序(天保六年(一八三五)板)。【年代】安永八年序・刊。[江戸]須原屋伊八ほか板。また別に[水戸]須原屋安次郎(東壁楼・藜光堂)ほか板(天保六年板)あり。【分類】産業科。【概要】大本二巻合一冊。農民生活や農事全般の心得を列記した往来。上巻には宗門、鉄砲、捨て子・捨て馬、諸芸、衣服、精勤・年貢、祭礼(恵比須祭・彼岸等)、前栽(栽培すべき作物)、採集(茸類、山野の植物)、稲作・畑作の手順、収穫、防火、家来の使う主人の心得などを述べる。下巻では、農家女性の仕事や副業、衣類・染色、借金返済・生計、家具・農具、その他農民生活について、儒教経典から引用しながら種々諭す。本文をやや小字・八行・稀に付訓で記す。著者は常陸多賀郡友部村生まれで、下手綱村で医業の傍ら寺子屋を営んだ。〔小泉〕
◇ひゃくしょうみもちきょうくん [3163]
百姓身持教訓‖【作者】不明。【年代】文化元年(一八〇四)頃書。【分類】産業科。【概要】異称『百姓身持心得書』『百姓身持心得之覚』。小泉本は横本一冊、謙堂文庫本は大本一冊。農民の生活心得を箇条書きに記した教訓書。現存本には箇条数や内容に異同があり、後人の補遺が随所になされて広がったものと考えられる。仮に謙堂文庫本によれば、「一、天地之変は計りがたき事にて、明年にも皆無の凶年有間敷ものにもなし…」で始まる第一条以下全一五カ条から成り、第一条「備荒・救荒の心掛け」、第二条「稲・麦の重要性」、第三条「衣食住の心得」、第四条「伝統的祭礼の尊重」、第五条「養生・保健・学問・芸能」、第六条「富農への戒め」、第七条「勤勉な農民の感化」、第八条「公儀・法度の遵守」、第九条「農村経営と名主心得」、第一〇条「四季耕作への出精」、第一一条「大風・大雨・旱損・水損等の災害対策」、第一二条「農地の有効利用」、第一三条「飲酒心得」、第一四条「牛馬飼育」、第一五条「耕作技術の啓蒙・普及」の順序に説く。また、小泉本末尾には「右十九ヶ条令書写、領分一ヶ村え一帖宛可遣。猶又、民之助けに可相成事存付、追々可申出者也」と結ぶように、もともと教諭書であったものが往来物として使用されたものであろう。〔小泉〕
◆ひゃくしょうみもちきょうくん [3164]
百姓身持教訓(異本)‖【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。前項・文化元年(一八〇四)頃写本と同題だが、全くの異本。「夫、百姓家持之事、先朝起を専として内の戸を明…」で始まる農家子弟向けの教訓。早朝から屋敷の隅々、また牛馬などに心を配り、鍬鎌を腰に簔笠を身に付けて田畑に出れば、それはあたかも戦場に向かう鎧武者の如くで、草は敵、五穀は味方と心得て油断なく仕事に励むべきことから説き始め、秋の上納の際は他人よりも早く年貢を納めれば正直者の名声を得て、近村の鏡となること、また模範的農民像とその根本が稼ぎになることなどを述べる。続いて、ある人の息子の例として、家業は打ち捨て遊芸・悪行の限りを尽くした者が、ついには罪人となった訓話を紹介し、最後に「百姓ほど安楽なものなし。子孫に是を教べし」と結ぶ。なお、本書には『民家農業太平記』†の影響が見られる。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ひゃくしょうみもちごじょうもく [3165]
百姓身持御条目‖【作者】水野八郎左衛門書。【年代】享保四年(一七一九)作・書。【分類】産業科。【概要】異称『御条目』。特大本一冊。享保四年二月に公布された農民の労働・生活に関する条目を記した手本。全一六カ条目と後文からなり、第一条「父母に孝養を尽くせ」、第二条「農業に出精せよ」、第三条「年貢上納の義務」、第四条「公儀法度類の遵守」、第五条「武家に対する礼儀」、第六条「諸役人への対応」、第七条「宿場家中、往還の者への対応」、第八条「土地売買厳禁」、第九条「衣類・衣装についての注意」、第一〇条「屋作に関する注意」、第一一条「嫁入婿取の儀式・宴席のありよう」、第一二条「農民の駕篭使用禁止」、第一三条「病者の扱い」、第一四条「神事祭礼のありよう」、第一五条「勧進相撲の停止」、第一六条「徒党厳禁について」の条々に続けて、これらを総括する後文で諸箇条の遵守を諭す。江戸時代における幕藩公権力の農業・農村・農民対策の典型的な条項を盛り込んだ条目だが、当代の『五人組前書』等に必見のキリシタン禁制に関する箇条が見えない点が注目される。本文を大字・六行・無訓で記す。〔石川〕
◆ひゃくしょうわくん [3166]
百姓話訓‖【作者】吉本伍篤(任)作・序・跋。【年代】嘉永七年(一八五四)序・跋・刊。[和歌山]笹屋文五郎(聚星堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『百姓話訓〈十五箇条〉』。半紙本一冊。「一、父母に孝心を尽し、稼穡(かしょく)をはけみ、奢らすして法度を守り、善事を行ふ人は、誠に国の宝也…」で始まる第一条以下、長文の一五カ条を設けて農民の心得を諭した往来。農民にとっての孝の意義や孝の実践目標、お上よりの預かり物としての田畑を大切に守るべきこと、親となり兄となる者の心懸け、若い者の心懸け、夫婦の道、天下の大業としての農事の重要性、庄屋の心得、米穀金銀の貯蓄の意義、天道を恐れ神仏に祈る意味、市中・在中における商業の長短、訴訟を好むべからざること、天地の徳に従うべきことなどの諸教訓を説く。跋文には、以上の条々を「申諭し、稼業を励ませ、善事を教申へし」と強調し、不善を排除し善事に徹し、孝行・慈悲・勤勉が子孫長久の基本であることを述べて結ぶ。以上の本文・著者跋文を大字・五行・所々付訓で記す。さらに板元跋文には、「此書は天地の貴き御恵を先として直なる道の教を解し安く、国字を以ていと深切にのべられければ、小児達の手本ともなし、…限りなき御代の宝となさむ」という板元の切望によって出版に至った経緯を記す。〔石川〕
◆ひゃくだいようぶんしょう [3167]
〈服部氏〉百題用文章‖【作者】服部嘉十郎作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[京都]田中治兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈服部嘉十郎著〉百題用文章』。半紙本二巻二冊。上巻に「年肇状(ねんとうじょう)」以下四七通、下巻に「納涼ニ誘フ文」以下五四通、合計一〇一通(一〇〇題に「某塾ノ生徒ニ贈ル文」の一通を追加)を収録した用文章。上巻には主に四季贈答の手紙や吉凶事に伴う手紙を、下巻には諸用件中心の手紙(依頼状・誘引状など)を載せる。本文を大字・五行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。〔小泉〕
◆ひゃくにんいっしゅ/ひゃくにんしゅ [3168]
百人一首‖【作者】藤原定家撰。【年代】定家の日記『明月記』の記述によって文暦二年(一二三五)頃の成立とされる。ただし鎌倉期の古写本は一本も現存しておらず、常光院尭孝が文安二年(一四四五)に写したものが現存の最古本とされる。また、古写本には書名を『百人一首』ではなく『小倉山庄色紙和歌』とするものが多く、『百人一首』の命名は後世のものと考えられる。最古の刊本としては慶長(一五九六〜一六一五)頃の古活字本が存する。続く元和(一六一五〜二四)頃には素庵本系歌仙(作者像)入りの刊本も出されている。その後、江戸期刊本だけでも一〇〇〇点を越える多様な百人一首が刊行されているが、その流布状況は往来物一般の流れと概ね共通する。【分類】女子用。【概要】異称『小倉山庄色紙和歌』。天智天皇から順徳院に至る一〇〇人の代表歌一〇〇首を集めたアンソロジー。所収歌一○一首中九七首が『百人一首』と共通する『百人秀歌』はその草稿本とされる。また、『百人秀歌』の配列を踏襲しながら、和歌は『百人一首』と一致する『異本百人一首』も存在する。一方、定家自筆の平仮名四行書き『小倉色紙』も若干残存するが、それには作者表記がない。『百人一首』に関する出版物としては、@書道手本の如く本文のみのもの、A作者絵を伴ったもの、B前記@Aに頭書が付いたもの、C前記@〜Bのものが合綴されたものの四種に大別できる。『百人一首』という作品自体を往来物と認定すればその全部が、認定しない場合でもBCが往来物と接触してくる。頭書に『女今川』『女大学』等を掲載したり、種々の往来物を合綴するからである。特に顕著な例として享保元年(一七一六)刊『女大学宝箱』†や元禄一〇年(一六九七)刊『伊勢物語大成』などがあげられる。従来の認識では、頭書にせよ合綴にせよ常に『百人一首』の方が主体であった。ところがこれらの作品では『百人一首』そのものが頭書になっている。その場合は明らかに『百人一首』が従であり、付録である。これらの例における『百人一首』は、子女の教育・啓蒙に必要な知識の一部として溶けこんでおり、やはり往来物として認識されていたことを物語る。なお、出版物としての『百人一首』の特徴は、その形態の多様性もさることながら、同一作品であるにもかかわらず、微妙に題名を変化させていることである。それは単に出版部数が多いといったレベルではなく、『百人一首』『小倉百人一首』『小倉百首』を基本としつつ、その前後に様々な修飾語を施して、実に一○○○に近い題名を誇る。その理由としては類版に抵触しないための方便といった出版者側の事情もあろうが、それにしてもこれほど多様な作品名を有するものは他に存しないと思われる。そういった『百人一首』の長期的流行が多様な『異種百人一首』群(含もじり)を生み出すことになったが、そうなると書名からでは『百人一首』なのか『異種百人一首』なのかを判別することすら困難である(事実、『国書総目録』でも区別されていない)。〔吉海〕
◆ひゃくにんいっしゅおうらい [3169]
〈早解〉百人一首往来‖【作者】宝田千町作・序。【年代】天保五〜七年(一八三四〜三六)刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】女子用。【概要】異称『早解百人一首』『〈新撰〉早解百人一首往来』。中本一〇巻一〇冊(後一〇巻合一冊)。従来の注釈書を参酌しつつも独自の注を加えた『百人一首』の童蒙用注釈書。天保五年刊『家宝往来』†広告に、「世に百人一首のこうしやく本多しといへ共、此書はそれとことかはり、常の往来ものゝごとく大字に書とり、雅言・古語を用ひずして婦人・子どもしゆにも早わかりするごとく、かきほどきたる書」と紹介する。一方「只、直(あたえ)を廉にして求め安く、解し安からしめんが為」に中本仕立てとし、各巻に一〇首ずつ紹介する。歌仙絵を省略し、また、和歌も掲げずにすぐに略解に入り、最後に「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ、我衣手はつゆに濡つゝと読せられたる、難有御歌也」のように和歌全体を示して締め括る。注釈文・和歌ともやや小字・六行・付訓で綴り、第一巻(輯)巻頭に「和歌の徳」に関する記事を載せるほかは付録記事や挿絵は一切ない。このように、本書は通常の『百人一首』とは趣向の異なる往来である。後に、一〇巻一冊の合綴本として再刊されたが、これに伴い、玉蘭斎貞秀の筆による「定家卿、小倉の山荘時雨亭の図」(口絵)が増補されたほか、各巻の継ぎ目などに部分的改編がなされた。なお、題簽角書の「早解」は「はやわかり」と読む。〔小泉〕
◆ひゃっかせい [3170]
百家姓‖【作者】宋人某作。中井董堂(敬儀・伯直・嘉右衛門・小笠・魚澄老人)書。山地寛(蕉窓陳人)ほか跋。【年代】文政四年(一八二一)跋・刊。[江戸]英平吉(万笈堂)板。【分類】語彙科。【概要】大本一冊。『三字経』†と並んで中国の読み書き教科書とされた『百家姓』を真草二体で綴った陰刻手本。『百家姓』は、宋の呉越国の時代に民間で編まれた初等教科書で、宋の国姓「趙」や呉越王の姓「銭」以下、当代貴族名家の姓を列挙したもの。文政四年刊本は、「趙・銭・孫・李・周・呉…」以下約四四〇の姓を大字・四行(一行六字)・無訓で記す。〔小泉〕
◆ひゃっかようぶんしょう [3171]
〈註釈絵入〉百家用文章‖【作者】池田東籬作・書・序。【年代】嘉永元年(一八四八)刊。[京都]近江屋佐太郎(弘文堂)ほか板。また別に[京都]吉野屋甚助板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『年中書札』。半紙本一冊。民家通用の消息文例を集め、注釈を施した用文章。「民家通用を専らと做(なせ)るがゆゑ、文中に漢語を省き、俗通の文字を以て、其文意要用の解易(わかりやす)きを専一とす」という方針で編まれたもの。「年頭祝儀状」から「歳暮祝儀状・同返事」までの五八通を収める。四季折々の手紙や各種祝儀状・誘引状・見舞状などから成る。本文を大字・五行・付訓(漢語の一部に左訓)で記し、所々、年中行事など関連事項の注記や挿絵を施す。巻末に「殿様高下」「脇付高下」「書状留高下」「月々異名」「四季時候」を載せる。〔小泉〕
◇ひゃっこうおうらい [3172]
百候往来‖【作者】不明。【年代】貞享(一六八四〜八八)頃刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】大本二巻二冊。上方の上層庶民が営む日常生活に題材を求めた一三双・二六通の消息文例より成る往来。上巻は、「新春を賀し祝品を贈る・同返事」「留守に参上して託した依頼・同返事」「相伴に加えられたことへの礼・同返事」「関東に旅立つ人に遣わす・同返事」「書物一軸の恩借を願う・同返事」「墨跡手本の拝見を願う・同返事」「散策に同道を誘う・同返事」の一四通。下巻は、「親類となった人に遣わす・同返事」「懸物墨跡の拝見を願う・同返事」「散策に同道を誘う・同返事」「来客接待の手伝いを申し出る・同返事」「返事の延引を詫び指図を願う・同返事」「奉公人肝入りの依頼・同返事」の一二通。本文を大字・四行・ほとんど付訓で記す。書名の『百候』は、収録書状のほとんどが「候」文体であることに由来する。特に注意すべきは、「一筆致啓上、啓達、啓入候。新春、年甫、改暦、年始之御慶賀、御吉慶、御嘉例、御佳事、重畳目出度、珍重、不可有尽期…」(第一状)のように、各状に消息用語・類語をいくつも併記する点である。享保一七年(一七三二)作『〈広沢先生〉消息往来』†によって全文一通の消息文中に書簡用語を列挙するという基本形式が成立し、安永七年(一七七八)刊『累語文章往来(消息往来)』†が夥しく流布したが、本書はその源流となった点で重要である。〔石川〕
◆ひゃっこうおうらい [3173]
〈諸職必読〉百工往来‖【作者】吉田徹三作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]小田善右衛門(文々堂)板。【分類】産業科。【概要】異称『開明百工往来』。中本一冊。江戸時代後期刊『大工註文往来』†等の構成にならって、「土木・営繕・建築諸向に使用する」近代建築関連語彙を列挙した往来。「今般・此度、院・省・寮・局・庁・廠・諸館・学校等新築・建設に就ては、専任・主任・担当・関係之委員、大工・棟梁・修理之役員立会、協議・入札・投標・開札・落札…」と始まるように、官庁関連の建築工事を想定して綴る。建設に関係する諸職人、建築資材(材木類・石等。産地を所々付記する)とその運搬・保管、工事の手順、必要な道具、建築物の構成や各部の名称、工法・技術用語、上棟式、諸道具、装飾・加工等、運搬・通信機器等を紹介した後で、「精々粗忽・麁漏なく恰好・保存・持方に心思を労し勉励」すべき旨を諭して結ぶ。近世以来の伝統的な建築関連語のほかに、「モルタール入り厳重丈夫に築堅め、外廻、亜米利加下見…」のように西洋建築や近代社会での新語を多く盛り込むのが特徴。本文を大字・五行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆ひょうしょじい [3174]
表書字彙‖【作者】黒井義光(東洲・子卯・子昂・九郎兵衛)作・書・跋。【年代】寛政六年(一七九四)書・刊。[大阪]塩屋長兵衛板(文化八年(一八一一)板)。【分類】語彙科。【概要】縦長本一冊。『表書字筧』†および『続表書字筧』に連なる往来物で、「表書」、すなわち帳簿類の標題用語を認めた手本。「歩銀」から「捨祐」まで「人の名尽」を含む表題用字を半丁に二字すつ楷書・大字・一行・無訓で記す。『表書字筧』†の補遺として編まれたのが本書で、さらに本書の補遺にあたる『続表書字筧』も刊行された。〔小泉〕
◆ひょうしょじけん・ぞくひょうしょじけん [3175]
表書字筧・続表書字筧‖【作者】黒井義光(子卯・東淵)作・書・跋。【年代】初編は天明元年(一七八一)書・刊。[大阪]大崎屋惣兵衛板、また別に[大阪]塩屋卯兵衛板(後印)あり。続編は寛政四年(一七九二)書・刊。[大阪]明倫堂板、また別に[大阪]塩屋卯兵衛板(後印)、[大阪]塩屋長兵衛板(後印)あり。【分類】語彙科。【概要】縦長本二編二冊。初編『表書字筧』は、「表書」すなわち帳簿類の標題用語を記した陰刻手本で、「大福」から「改正」までの二字熟語と「十干・十二支」を楷書・大字・二行・無訓で記す。『続表書字筧』も同様に「五畿内五箇国」を始めとする日本国名や「帳の裏表紙」に書かれる語句を綴る。初編巻末広告によれば、まず『表書字筧』が編まれ、次に、それに漏れた「帳の表紙を書に初心の便りとなる」語句と「人の名尽し」を加えた『表書字彙』†が同一著者の手で作られ、さらに両書の補遺である『続表書字筧』が成ったもので、この三書によって「帳の表裏ともに揃ふ」とする。〔小泉〕
◆ひょうちゅうさんじきょう [3176]
標註三字経‖【作者】浅埜定治注。【年代】明治一五年(一八八二)刊。[鹿児島]青木静左衛門板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。江戸〜明治期に初歩教科書として広範な流布を遂げた『三字経』†の注釈書の一つ。著者は大分県士族だが、鹿児島書肆によって上梓され、九州一円と種子島・大島・琉球を含む約三〇の書店で販売された。『三字経』本文を大字・五行(一行に二句)・無訓で記し、頭書に要語とその略注を置く。〔小泉〕
◆ひよみおうらい [3177]
〈農蠶必要〉日読往来‖【作者】橘鴎居(橘慎一郎か)作・序。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]柴田清照蔵板。吉田屋文三郎(木村文三郎・文江堂)売出。【分類】産業科。【概要】異称『〈農家必要〉耕作日読往来』『〈農蠶必要〉日よみ往来』。中本一冊。まだ太陽暦が定着していない新暦施行直後に、新暦よりも馴染みやすい「二十四節」を中心に農事を説いた往来。「吾日本は万国にすぐれて土産の数多し…」と七五調の文章で、まず日本を代表する五穀・雑穀・野菜の名称をいくつか列挙し、日本の暦法と新暦制定の事情を述べた後、「立春」以下二十四節の順に気候の特色とその時節に適した主な農作業を記す。巻頭に農家女性の図と「二十四節表」(色刷り)を掲げ、巻末に農家暦法用語(彼岸・八十八夜・啓蟄・社日・入梅・田植・土用・二百十日・寒の入り)の説明を載せる。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ひらいずみおうらい [3178]
〈新鐫〉平泉往来‖【作者】燕石斎薄墨(酔竹)作。【年代】文政一三年(一八三〇)刊。[仙台]伊勢屋半右衛門(裳華房)板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。陸奥国磐井郡平泉(岩手県平泉町)の由来や、周囲の神社仏閣・名所旧跡とその縁起・霊験・景趣・祭礼・物産等を記した往来。「夫、陸奥国磐井郡平泉は、往古、英雄豪傑の居館にして旧戦の地名…」と筆を起こし、しばしば古歌や芭蕉の句・故事を引いたり情景描写を盛り込んで、竜門山洞雲寺・鳴子温泉・石割の梅・古城・無夷山箟峰寺・医王山双林寺・磐井川・毛越(もうつ)寺・円隆寺・中尊寺等の古跡名所のあらましと奥州藤原氏の歴史などを紹介する。本文を大字・六行・付訓で記す。巻頭に「平泉関山中尊寺并名所旧跡之図」、頭書に「名所旧蹟絵抄(本文に漏れた古跡を含む)」「古歌并寺社略伝記」を掲げる。〔小泉〕
◆ひらがなじつごきょう [3179]
〈新板色里・あなつくし・大わらひ〉ひらかな実語教‖【作者】不明。【年代】江戸後期(天保(一八三〇〜四三)頃か)刊。[大阪]本屋安兵衛(松栄堂)板。【分類】教訓科(戯文)。【概要】異称『〈いろざと・あなづくし〉平仮名実語教』。半紙本一冊。『実語教』†のパロディー本。書名のようにほぼ全文が仮名書きで、「はなたかきがゆへにたつとからず。きあるをもつてたつとしとす。かほうつくしきがゆへにたつとからず。じつあるをもつてたつとしとす…」と『実語教』をもじった文言で書き始め、遊里における粋人や遊女の心得などを綴った戯文。遊女の読書指南図を描いた刷表紙を含め、わずか二丁の仮綴じ本である。本文はほぼ全文が平仮名で小字・一〇行で記す。〔小泉〕
◆ひりんきょう [3180]
比倫教〈附録詩歌〉‖【作者】桑原空洞(守雌・為渓・為谿・空洞斎・方外閑人)作・書。林師之(玄谿・渇華)跋。【年代】享保一八年(一七三三)跋・刊。[京都]小川新兵衛(玉山閣)ほか板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。儒教経典中の名言・名句を多く引用した教訓。「仁宅、義路、不好学者、如正墻面而立也。時習日新、如切磋琢磨。如九層之台起於累土、千里之行始於足下、所以大器晩成也…」で始まる本文を大字・三〜四行・無点の手本様に記す。「○○は○○のごとし」といった比喩を多用して、学問を始め何事も基礎が大切なこと、読書後の復習、賢友を持つこと、実を慎むべきこと、勤勉であること、過ちを直ちに改めるべきこと、他人との交際、寸暇を惜しむこと、私欲を抑えることなど諸般の教訓を説く。後半部に『和漢朗詠集』等からの詩歌を各二〇首ほど収録する。跋文によれば、多田東渓が秘蔵していた空洞斎の書を上梓したものという。巻末広告「為渓先生筆蹟」には、本書のほかに『空洞消息』†と『草字辨』を掲げる。〔小泉〕
◆ひろいうた [3181]
〈教訓〉拾ひ歌‖【作者】寺本松春(中用)作。川合元編・校・序。森元益・豊原梅州校。【年代】天明三年(一七八三)刊。[京都]秋田屋藤兵衛ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『拾ひ哥』。半紙本一冊。石見国邑智(おうち)郡三原村の寺本中用(川合元の友人)を通じて得た書物を、川合元らが編集・校訂して刊行したもの。道歌が大半だが、金言・佳句の部類も含まれる。川合元は序文で本書を「子達の教訓書」として出版するものだが、これらの語句や詩歌を「掛物・短冊・手本・双紙なとに書付けんも文なき時の一用ならん歟」と勧めている。本文をやや小字・六行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ひろさきおうらい [3182]
弘前往来‖【作者】兼松石居(誠・成言・晩甘亭)作。【年代】天保九年(一八三八)以降作・書。【分類】地理科。【概要】異称『弘前町名』『弘前町尽』。半紙本一冊。「弘前御城下町々名者、数多にして悉枚挙す難し。只其肝要する所をしるす而已。まつ御城を中にして追手の御門外、古大学校は長屋前、白銀丁より南へ出て本町…」と筆を起こし、弘前城を中心とする方角毎に、城下および近隣の町村・名所・寺社、その他の地名を、景趣・来歴など若干の説明とともに列記した往来。本文を大字・四行・無訓で記す。作者・兼松石居(一八一〇〜一八七七)は、昌平坂学問所で学んだ後、藩学・稽古館の教授として活躍した。〔小泉〕
◇ひろしまはじめじょう [3183]
広嶋初状‖【作者】不明。【年代】明治五年(一八七二)書。【分類】地理科。【概要】異称『芸州広嶋状』『広嶋状』『広島往来』。「天正十七年午歳二月廿日、輝元様従吉田被成御出、安北郡北庄村福嶋大和守所被成御宿…」と筆を起こして芸州広島の濫觴について述べた往来。初めに四郡六落合が毛利元就の領地であったことや元就の家系、元就の事跡等に触れ、続いて彼の死後、嫡男の輝元が秀吉と和睦して以来、秀吉の奨めで今日の広島に城を築き、同地を「広島」と呼ぶようになった経緯を述べ、最後に、広島城下の交通や繁栄ぶり、輝元以後の沿革等を綴る。広島県山県郡で使用された手本。〔小泉〕
◆びわいん [3184]
琵琶引‖【作者】伝尊円親王書。【年代】康平六年(一〇六三)頃書。江戸前期刊。[京都]田中庄兵衛板。また別に[大阪]河内屋太助板(江戸後期後印)あり。【分類】語彙科。【概要】異称『琵琶引一首〈并序〉』『尊円琵琶引』。大本または特大本三巻三冊(後に三巻合一冊)。上巻に白居易作の漢詩文「琵琶引」と、「諸国(日本国尽)」「京条里(京町尽)」「官名(神祇官・太政官・医道・陰陽道・儒官)」「武具」「騎馬具」、中巻に「消息」、下巻に「詩歌(『倭漢朗詠集』の抜粋)」をそれぞれ収録した手本。本文を概ね大字・三行・無訓で記す。後に、文政九年(一八二六)刊『江州帖』†中にも本書が収録された。〔小泉〕
◆★びわのうみ [3184-2]
琵琶の海‖【作者】居初津奈書・画。【年代】享保一一年(一七二六)刊。[大阪]大塚屋宗兵衛板。【分類】女子用。【概要】大本三巻三冊または三巻合一冊。『享保一四年書目』に作者名なしで『女筆琵琶海辺』と記載されているが、近年発見の完本により享保一一年に大阪で刊行されたことが判明した。巻頭口絵に描かれた上流階級邸内での女子の物読み・貝合の図は居初津奈の自画である。第一丁裏に三巻全体の目録があり、それによれば、上巻は「年の始に遣す文・返事」「物詣より帰て遣文・返事」「秋の夜人をよびにやる文」「おなしく礼の文」「縁付の方へ遣す文・返事」、中巻「歌学する人へ遣文・返事」「よそへ物かりに遣文・返事」「能書へ物頼に遣文・返事」「初て逢たる人に遣文・返事」、下巻「祝言の拵物尋にやる文」「おなしくさし図の文」「相伴頼し人へ礼文・返事」「日待に行て遣文・返事」「物見より帰て遣文・返事」からなる。本書の改題本に延享四年(一七四七)刊『女文章都織』†があるが、これは見返と第一丁を削り、寺井重信画の挿絵など前付三丁を増補したものである。なお、享保一一年板の跋文に「琵琶の海は洛西隠士居初氏幼より文筆に心をよせ、自筆を染て寿梓(あずさにちりばめ)、したしき女童にあたへられしを、しいて乞ひ求め、今世にひろむるものならんかし」とあり、居初津奈が女筆指南をしていた様子を伝える。〔母利〕
★ひんぷくきょうちかみちずえ [3184-3]
〈人道五常〉貧福教近道図会‖【作者】不明。【年代】嘉永四年(一八五一)刊。[京都か]西田氏蔵板。[京都]菱屋友七ほか売出。【分類】教訓科。【概要】中本一冊。絵入りの心学系教訓書。巻頭序文で「幼より心を信にし、信義を弁へ、正直を行」なうことを強調し、「鍾馗の説」を展開する。続く本文で、神儒仏三教一致の論から始まり、日本・印度・中国の三国古今の教えが根本で一つであること、人倫の基本である親孝行、また、座礼・食礼・書札礼等の礼法の基本、堪忍、家業出精、質素倹約などを説き示し、最後に人は「天地の神と同体」であることを忘れずに、親や先祖に感謝し、「信の心」を尽くすことが大切だと結ぶ。本文の所々に「反哺の孝・三枝の礼」「弁財天」「大黒天」「走馬燈(まわりどうろう)」等の挿絵や訓話を挿入する。本文をやや小字・八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ひんぶつめいすうしょう [3185]
品物名数抄‖【作者】不明。【年代】文化七年(一八一〇)刊。[江戸]和泉屋庄次郎板(刊年不明板)。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。諸物の数量呼称を分類して示した往来。例えば、「筆」の場合、「筆、一管・一本・一枝(俗称、片枝)、一対ハ二本ナリ」のようにその数え方を複数掲げたり、特別な数え方を紹介した箇所もある。文具・楽器・玩器・佩用・武具・射具・刀飾・鷹具・馬具・帛服・藉物・臥具・僧具・金玉・家具・衣用・塗用・乗載・菜果・艸木・飲食・魚介・鳥獣・雑品の二四類に分けて、語彙を楷書・やや小字・一〇行・稀に付訓で記し、続けて数量呼称等の割注を付す。〔小泉〕





◆ふうがじょう [3186]
風雅帖‖【作者】坂川暘谷(芝泉堂・貴文)書。関暘英(知尭)跋。【年代】天保三年(一八三二)跋・刊。[江戸]和泉屋吉兵衛板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。新年嘉例の祈祷連歌案内状以下月々の消息文一二通を載せた陰刻手本。季節の行事や四季に因む消息文が中心で、各例文を大字・五行・無訓で記す。後半に『源氏物語』五四帖の巻名と、並べ書き・散らし書きなど種々の書法で綴った『二十一代集巻頭和歌』を載せる。なお、本書の模刻本として沢田泉山が臨書した私家版『〈沢田〉風雅帖』†がある。〔小泉〕
◆ふうがじょう [3187]
〈沢田〉風雅帖‖【作者】沢田泉山書。【年代】弘化(一八四四〜四八)以降刊か。[川越]沢田泉山蔵板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。泉山が経営する寺子屋「北広堂」の門弟用に編まれ、出版された往来物の一つ。坂川暘谷筆『風雅帖』†前半部(同書後半『源氏物語』巻名以下を省く)を模写して上梓した私家版の陰刻手本。本文を大字・五行・無訓で記す。刊年を記さないが著者の事跡から弘化以降の出版と考えられる。巻末に「不許売買/彫工、川越同心町、岡埜常吉」と記す。なお、泉山の手本には『〈沢田〉近郷村名』†『〈沢田〉当用并名頭』†などがあるが、いずれも刷外題・仮綴じの簡素な手本である。〔小泉〕
◆ふうきようぶんしょう [3188]
〈頭書類語〉富貴用文章‖【作者】伴源平作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[大阪]河内屋忠七(赤志忠七)蔵板。辻本信太郎売出。【分類】消息科。【概要】中本一冊。漢語を多用した明治初年の用文章の一つ。「年頭状」から「人ノ藻ヲ弔ル状」までの三六通を載せる。文体・内容とも文明開化期にふさわしく、天長節・牛肉・洋行・戸長拝命といった題材が用いられている。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。頭書には、本文に因んだ類語・類句や関連知識を多く掲げる。〔小泉〕
★ふうきようぶんせかいぞう/ふっきようぶんせかいぞう [3188-2]
〈童子初学〉富貴用文世海蔵‖【作者】琴山子作。【年代】寛延四年(一七五一)刊。[京都]梅村三郎兵衛(玉泉堂)板。また別に、[京都]勝村治右衛門(文徳堂)板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈初学〉富貴用文世海蔵』『富貴用文』『富貴用文章』。享保一五年(一七三〇)刊『示童宝鑑』†に「富貴用文」を増補した往来。まず『示童宝鑑』の前付四丁を掲げ、続く第五丁以下に「富貴用文」、最後に「示童宝鑑」を収録する。このうち「富貴用文」は、「新年祝儀状」から「歳暮祝儀礼状」までの二〇通を収録する。移徒祝儀・元服祝儀・婚姻祝儀・平産祝儀や、種々交際・諸用件の手紙などを載せ、各例文を大字・四行・付訓で記す。なお「富貴用文」の頭書に「諸進物書付仕様」「小笠原流折形」「太刀折紙法式」「目録調様」「注文調様」「折鳥目等目録書様」「香奠書様」「女中目録書様」「女中方折紙書様」「廻状書様」「口上書之法」「百官名尽」「東百官」「諸道具字尽」を掲げる。〔小泉〕
◆ふうげつおうらい [3189]
風月往来‖【作者】不明。【年代】寛永一七年(一六四〇)刊。[京都]西村又左衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『風月用文章』『増補風月往来』。初板本を始め江戸前期刊本は大本一冊。「新春之御慶賀重畳申籠候畢。抑子日御会難忘存候…」で始まる新年状以下毎月一通、一年一二カ月一二通の消息文から成る代表的な消息科往来。初板本は大字・六行・所々付訓(片仮名)で記す。一月「新年の会案内状」、二月「梅花の庭園に訪問を乞う手紙」、三月「千句の会につき諸道具の借用を申し入れる手紙」、四月「初瀬寺参詣の様子を伝える手紙」、五月「五月雨の退屈を訴える手紙」、六月「納涼の宴開催を念願する手紙」、七月「北野神社の七夕行事の誘引状」、八月「観月の会についての手紙」、九月「近況報告と詩歌を披露する手紙」、一〇月「管弦の会の感想などを述べた手紙」、一一月「雪見誘引状」、一二月「歳暮祝儀状」というように、四季の行事や風物を題材とする。本書は編集形式や内容に古往来の影響が見られる一方、近世の消息科往来の先駆的役割も果たした。寛永一七年板を始祖として、江戸末期まで多種多様の板種が見られるほか、本書を@山流の大字手本に認めた『春夏往来・秋冬往来』†という改題本もある。〔小泉〕
◆ふうげつおうらいしょう [3190]
風月往来抄‖【作者】山岡元隣注。【年代】明暦四年(一六五八)刊。[京都]三太夫板。【分類】消息科。【概要】異称『風月往来』。大本一冊。『風月往来』†の注釈書の嚆矢、かつ本格的な唯一の注釈書。冒頭に「風月」「往来」の字義について述べた後、『風月往来』本文を長短含む五〇段に分かち、本文を大字・半丁六行大・付訓で綴り、続けて書簡用語など任意の語句について割注を施す。『寛文一〇年書目』によれば山岡元隣注という。『風月往来』の注釈書は稀で、本書のほかに江戸中期刊の京都・正本屋源次郎(玉水源次郎)板『風月往来』と大阪・天満屋安兵衛板『〈改正〉風月往来』(ともに頭書に注釈「風月往来抄」を載せる)の二種に過ぎない。〔小泉〕
◆ふうげつじょう [3191]
風月帖‖【作者】大谷永庵(業広)書・跋。【年代】明和八年(一七七一)書・刊。[京都]大路治郎右衛門板。また別に[京都]大文字屋勝助板(後印)あり。【分類】社会科。【概要】特大本一冊。詩歌を集めた手本。冒頭に『和漢朗詠集』から抄録した「煙葉朦籠侵夜色、風枝蕭颯欲秋声」を掲げ、以下、七七編の詩歌を大字・三〜四行・無訓で綴る。明和八年五月の識語に「依大路氏所望馳禿筆。尤不可有外見者也」とあることからも、大路板が初刊であり、かつ本書が永庵七四歳の書と判明する。〔小泉〕
◆ふうぞくおうらい [3192]
〈皇国〉風俗往来‖【作者】小川持正作。深沢菱潭(蕭堂)書。河鍋暁斎画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[東京]椀屋喜兵衛(江島喜兵衛・万笈閣)板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。「和魂漢才」などに象徴される神国日本の風俗や明治初年の国勢の一端を述べた往来。本文を大字・三行・付訓の手本用に綴る。「凡、世界の風俗は、さまありて同国の、内といへども時代にて、沿革盛衰あるなれば…」で始まる七五調の文章で、神代からの日本の朝廷の歴史や風俗の変化を略述し、近代日本の教育・学問・文明開化(海外文化の吸収)・国防、日本の地理的位置、国土や国勢(府県制・生産力・戸数および人口・港湾数)、国産品概要(物産)について記す。また、中華思想を批判し、これを日本の思想と混同すべきでないと説いた箇所もある。後半三分の一が物産関連で地理科往来とも見られるが、産地等は記さず、日本全国の代表的産物としての羅列に過ぎない。巻頭に、色刷り口絵を掲げる。〔小泉〕
◆ふかのきょうくんしょ [3193]
深野教訓書‖【作者】東本忠吉書。【年代】明治一三年(一八八〇)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。深野弘重がその子千松丸に宛てた往状と、千松内が弘重に宛てた返状の形式で記した教訓。まず、「今度下向之後、連々可申入之所、更に不得隙候而、無其儀候…」で始まる往状では、寺に登山中の千松丸に対して手習い・学問の様子を問うとともに、師恩・親恩、学問の姿勢などを諭す。これに対する千松丸の返状では、箇条書きで日々の学習の様子を報告するとともに、弘重の説く諸教訓についての所存を述べる。本文を大字・二行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ふきかえおんしきもく [3194]
吹替御式目‖【作者】新井白石作。師岡某書。【年代】正徳二年(一七一二)作・書。正徳三年跋・刊。[江戸]板木屋清兵衛板。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。六代将軍徳川家宣が死の直前に新井白石に起草させた遺命で、元禄期(一六八八〜一七〇三)以来行われた貨幣改鋳が招いた物価騰貴によって、貴賤公私が苦しんでいる様を述べ、貨幣を慶長(一五九六〜一六一四)以来の水準に戻すべき旨を説いた往来。「上古以来我国にて金銀を生し候事、其数少く天下の財用とほしく候ひし事ともは世の人伝承たる所にて候…」で始まる本文を大字・四行・無訓で記す。『改定史籍集覧』第一七冊雑類、『教令類纂』(『内閣文庫所蔵史籍叢刊』二二)などに本書と同じ文章が載るが、新井白石が『改貨議』を提出した正徳三年六月に先立って本書が出されたことは、貨幣問題に対する編者の関心の高さの現れと言えよう。将軍の遺命がどのようなルートで往来物に流れたかという事情は詳らかではないが、元文元年(一七三六)の『金銀吹替評』(『経済大典』一一)に本書からの引用が見られるので、比較的流布していたものと思われる。標記書名は『享保一四年(一七二九)書目』によるが、本書と書名が似るが、『御吹替条目』†一冊(堀流水軒筆)は本書とは別内容。〔丹〕
◆ふくいまちづくし [3195]
福井町尽‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。[福井]会津屋清右衛門板。【分類】地理科。【概要】異称『まちづくし』『町尽』。半紙本一冊。江戸後期・福井で出版された地理科往来。「赤坂、七軒町、木田、春日町、新町、辻町、鍛治町、天皇前、羽丹生、山奥、横町…」以下の福井の町名を列挙する。本文を大字・四行・付訓で記す。板元は越前福井西米町東角の会津屋清右衛門で、体裁は同時代の京都板往来物(古状単編型往来や「七ッいろは」等)に酷似する。〔小泉〕
◆ふくじゅようぶんかんぼくぞう [3196]
福寿用文翰墨蔵‖【作者】寺田正晴(寺田与右衛門・大津屋与右衛門・絮柳・文煕堂)作。高田千蔵(直昌)書。【年代】享保一九年(一七三四)刊。[大阪]寺田正晴ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈書法式要・字尽改正〉寿福用文翰墨蔵』『用文章』『翰墨蔵』。大本一冊。『諸職往来』†の作者として知られる寺田正晴が編んだ用文章。ほぼ六行程度の短文の消息例文四三通(新年祝儀状から歳暮祝儀状まで)を収録。季節の手紙の間に日常の諸事にわたる手紙を挟んで配列し、例文相互の間に「当用字」と題して関連語を掲げるのが特徴。例文の主題は、四季・五節句や季節の行事(桜狩り、暑気払いの船見物、虫の音を聞く散策、日待ち、春日若宮祭等)、武家(西国勤務に対する拝領品の礼状、参勤交代に伴う武具等調達の依頼状)、町人(帳上書の祝儀、藪入の祝宴、諸品の注文・受注、荷物入港の通知、開店に伴う手紙等)、諸用件(借用状、招待状その他)に関するもので、いずれも大字・四行・付訓で記す。巻首・頭書に「和朝額の始」「漢土額の始」「亭主方心得の事」「客人心得の事」「大学詠歌(三綱領・八条目の教訓歌)」「銘作祝言状(享保一二年刊『古今銘物往来』†と同内容)」「手形証文案文」「日用吉凶占考図」「燈火を見て吉凶知事」「時行疫病除符謂」「救急妙薬秘法」「生花図解」「言語世話字尽」を載せるほか、巻末に「文通用字」や碁・将棋・双六に関する記事を掲げる。なお、原題簽には「寿福用文…」とあり、柱には「福寿用文」と記す。〔小泉〕
◆ぶぐたんか [3197]
武具短歌‖【作者】山鹿素行作。加藤凉友編。【年代】明和九年(一七七二)刊。[江戸]須原屋茂兵衛板。【分類】教訓科。【概要】畳み物一冊(一舗)。上段に甲冑・刀・弓矢・銃・鞍の図解、下段に「武具短歌」を掲げた往来。本文の「武具短歌」は、「夫、武具は、鎧・腹巻・太刀・刀、冑・八筋や星冑…」で始まり「…物見・忍に相詞、手柄の批判・武者詞、勝鬨・軍礼品々や、何も深き習あり」と結ぶ七五調の文章で、武具・馬具の名称や軍事関連の基本語彙を列挙したもの。〔小泉〕
◆ぶぐたんかぶんしょう [3198]
〈寛政新編〉武具短歌文章‖【作者】玄竜(南溟処士)作。【年代】寛政七年(一七九五)作・刊。[江戸]花屋久治郎板。【分類】教訓科。【概要】異称『軍器歌訣文字鎖』。中本一冊。甲冑各部の名称や形状を始め、武具・馬具全般、甲冑その他戦闘服に関わる語句を列挙した往来。「抑、武器は多かりし、中にとりわけ第一に、冑は首の鐙にて、其名所も数多し。四天響に吹返し、鎬垂(しのだれ)・去死巻(こしまき)・冑の緒…」で始まる本文は、以下七・五、七・五と続く文章の冒頭と末尾の字音が前後で連なる「文字鎖」形式で、同本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「鎧着初之式」に関する挿絵と説明を付す。また、巻末広告に玄竜作『〈図解〉軍器歌訣』(本書の図解という)を載せるが未詳。〔小泉〕
◆ふくぶんてびきぐさ [3199]
〈習字書翰〉復文手引草‖【作者】河村(川村)貞山編・序。川瀬白巌書(本文)。柳田華巌書(細書)。【年代】明治五年(一八七二)序。明治六年刊。[京都]吉野屋甚助(杉本甚助・玉淵堂)ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈書翰〉復文手引草』『書翰復文手引草』。半紙本二巻二冊。「年頭状」から「買物答書」までの比較的短文の私用文例五〇種を上・中・下の三体に書き分け、一五〇通集録した用文章。例文はいずれも「改暦之御吉慶不可有際限…」(下巻)のように穏当な旧来の通俗文で、上巻は全文平仮名(上・下)または片仮名(中)のやや大字・七行で、下巻は同一例文を大字・五行・無訓の準漢文体で記すのが特徴。また、上巻巻頭に「小学校登校風景図」および「授業風景」(いずれも色刷り)と「習文心得規則」を掲げ、巻末には書止・返事書止などを載せる。なお、本書の続編である『〈即題〉手柬手引草』†が明治七年に同一書肆から刊行されている。表紙見返等に同著者の『〈泰平復古〉皇朝千字文』†『新聴用往来』†『習字復文手引草』の詳細な広告がある。〔母利〕
◆ぶぐようせつ [3200]
武具要説‖【作者】高坂昌信(虎綱・弾正)作。土屋久太郎書(元禄一一年(一六九八)写本)。【年代】天正五年(一五七七)作。元禄一一年書。寛政六年(一七九四)刊。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】異称『武田家武具要説』『本朝武具要説』。大本二巻二冊。前半『武道心鑑』と後半『武具要説』から成る兵法書で、手習い手本としても使用された。『武道心鑑』は、武田信玄が少年期(七、八歳から一二、三歳まで)の武士教育の重要性や「善悪共に聞入たるが大将なれ」と述べた前半部と、武士の教育・教養についての諮問に対する下臣一七名からの進言を八カ条にまとめた後半部から成る。また『武具要説』は、天文年中(一五三二〜五四)に信玄の命を受けて小幡山城守以下五名が武具全般について答えたもので、馬・鎧(具足等にも言及)・刀・刀柄・脇指・鍔・目釘・槍・弓・矢・鉄砲の全一一章三三カ条について説く。謙堂文庫本は大字・七行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ぶけおうらい [3201]
武家往来〈盛衰記・太平記〉‖【作者】養真子作・序。【年代】寛文一〇年(一六七〇)序・刊。[京都]山本重郎兵衛(十郎兵衛・山本道重)板。【分類】歴史科。【概要】大本三巻六冊、後、三巻三冊。上・中巻は『源平盛衰記』、下巻は『太平記』から、詔勅・願書・表奏・檄文・牒状などを抜粋(上巻二三状、中巻一七状、下巻一六状、計五六状)した広い意味での『古状揃』†である。序文によれば、これらの書は文章を学ぶための一助となるだけではなく、「古之軍容・兵政」において、その「梗概」を知るに近からんものとする。本文を大字・六行・ほとんど付訓で記すように、平安末から鎌倉・室町初期にかけての格好の軍記物ダイジェストという読み物的要素も濃い。本書の改題本に、『家往来』(首題『武家往来』の「武」を削除)や『盛衰記源平往来』†(本書の上・中巻を抄録した改題本)が存することもそれを物語るものだろう。〔母利〕
◆ぶけおんなかがみ [3202]
武家女鑑‖【作者】津阪東陽(津坂孝綽・君裕・常之進・稽古精舎)作・序。山崎義故(孔雀老人・松居・恕道)跋。柳窓春門(五十瀬廼屋)画。【年代】寛政八年(一七九六)序。天保一〇年(一八三九)跋・刊。[大阪]河内屋記一兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『教訓女鑑』『〈教訓〉女鑑』『武家女かゝ見』。半紙本三巻六冊。序文に「いにしへ今の節婦・賢女のものがたり、世のものゝふの妻の身をてらす鑑にも成なん事ども…」とあるように、日本古今の貞女・烈婦の略伝を集めた女子教訓。本文をやや小字・一〇行・ほとんど付訓で記す。序文では本書が女性のみならず、男性にとっても「鑑」であることを述べる。巻之一に棚津媛(たなづびめ)・上毛野形名(かんづけのかたな)妻・安倍則任(あべののりとう)妻・源為義継室など一一人、巻之二に泉忠衡妻・仁田忠常妻・毛利西阿(さいあ)妻・北条時頼母など一二人、巻之三に那須資友(すけとも)母・山名氏清(うじきよ)女・大内義隆妻・今川氏親(うじちか)妻など一一人の計三四人の小伝や逸話を紹介する。うち、一四人については見開き挿絵を掲げるが、いずれも「形名の妻、夫をいさめて力戦する図」「奈良義成の妹、家兄の敵・貞光久左衛門尉を討て自殺の図」のように、名場面を劇的に描く。〔小泉〕
◆ぶけしょはっと [3203]
武家諸法度〈大橋殿真筆〉‖【作者】大橋重政書。【年代】寛文八年(一六六八)刊。[京都か]左兵衛(とらや左兵衛か)板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。寛永一二年(一六三五)六月二一日公布の『武家諸法度』を認めた手本。寛永一二年『武家諸法度』の原文は返り点・送り仮名(片仮名)付きの漢文体だが、本往来では、所々、片仮名による読み仮名を加えた本文を大字・四行・付訓の手本用に改編する。『武家諸法度』は幕府の基本法典の一つで、豊臣政権が滅亡した元和元年(一六一五)七月七日、徳川家康が諸大名に公布したのが初令。「一、文武弓馬之道専可相嗜事」以下の一三カ条から成り、主として大名を対象に、品行方正、反逆・殺害人の追放、居城修理の申告、私婚の禁止、参勤の作法、衣服・乗輿の制などを定める。その後、元和三年六月、寛永六年(一六二九)九月に改訂され、同一二年六月に大幅改訂されたのが寛永一二年の法度である。全文一九カ条から成り、特に大名の在江戸(参勤)交代の義務、城郭の新築禁止・修理の届出制、私的結集と私闘の禁、道路交通の保証、五〇〇石以上の大船建造停止、寺社領の固定、そして最後に「万事如江戸之法度於国々所々可遵行之事」などの規定を新たに設けた。本往来が、四代・家綱の治世下で改訂法度が発布された寛文三年(一六六三)五月より五年後の同八年(一六六八)年八月の刊行にもかかわらず、寛永一二年法度を底本にするのは、同法度がその後の『武家諸法度』の定形となったためであろう。〔石川〕
◆ぶけしょはっと [3204]
武家諸法度‖【作者】荒木其水書・跋。【年代】寛保二年(一七四二)刊。[江戸]須原屋茂兵衛ほか板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。宝永七年(一七一〇)四月一五日公布の『武家諸法度』を認めた手本。本文を大字・四行・無訓で記す。宝永七年法度は、六代将軍・家宣の命により、新井白石が起草したもので、「文武の道を修め人倫を明かにし風俗を正しくすへき事」以下一七カ条より成る。『武家諸法度』本文を漢字・平仮名交じり文に改めたのは、五代将軍・綱吉治下の天和三年(一六八三)七月二五日の法度以後のことで、本法度ではさらに和文化を進めて、読んで理解の行き届く表記とした。前掲『武家諸法度』†の寛永一二年度の条文によりながら内容を一七カ条に整理統合したこと、その中で天和改訂で行われた殉死の禁等を継承し、また諸役に就いた武家が権勢に誇り賄賂に惑わされることを戒める条を新設した。ここに、『武家諸法度』は従来の『諸士法度』も包含するものとなり、大名および徳川家臣団の全般に及ぶ基本法典となった。『武家諸法度』は、この後、八代・吉宗治下の享保二年(一七一七)三月一一日、天和改訂の法度に復されて、一二代・家慶までそのまま継承された。本往来が、享保以降の寛保二年(一七四二)一〇月の刊行であるにもかかわらず、宝永の『武家諸法度』を底本にするのは、和文化が徹底していることと、第一条に象徴されるように総じて倫理的色彩が強いことなどによるものであろう。〔石川〕
◆ぶけしょはっと [3205]
〈静世政務〉武家諸法度‖【作者】藤原守信画。【年代】天明四年(一七八四)刊。[江戸]蔦屋重三郎板。また別に[江戸]小林新兵衛板(後印)あり。【分類】社会科。【概要】大本一冊。『御成敗式目』†の広範な普及とは対照的に、『武家諸法度』には往来物として編まれたものが少ないが、本書はその中では比較的普及したもので、宝永七年(一七一〇)四月発布の『武家諸法度』を大字・六行・付訓で綴った手本である。頭書に「三社御託宣之正語」「大学潔矩国字弁解」「楠正成金剛山壁書」、巻頭に「探幽斎麒麟・鳳凰図」「礼記蜘蛛・鸚鵡之語」を掲げる。また、本書見返や末尾に「此書は何比(いつごろ)の御制誡なるや、其来由をしらず」と記すのは、武家の現行法規を手習い本にしたことへの批判をかわすための配慮であろう。〔小泉〕
◆ぶけはっと・ぶけようぶん [3206]
〈手本〉武家法度・武家要文‖【作者】野崎楓村作。野口晋松堂書。【年代】元治元年(一八六四)刊。[江戸]万笈館か。また別に[栃木]升屋浅吉板(後印)あり。【分類】社会科・消息科。【概要】中本一冊。天明七年(一七八七)九月の『武家諸法度』と武家用消息例文集『武家要文』を合綴した往来。元治元年四月刊『武家要文制禁抄』†の改題本で、合綴順序が前後逆であるのと序文を欠く点で異なる。ただし本書には「元治元年八月」の書き入れ本(小泉本)が存することから、短期間のうちに改編されたことが明らかである。後半『武家要文』には、「新年祝儀状」以下、武家用向け書状二八通を収録するが、領内飢饉の緊急措置、朝鮮国からの献上品、酒造米統制など国内外の公務に伴う例文も散見される。本文を大字・四行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ぶけようぶんしょう [3207]
〈新刻〉武家用文章‖【作者】高井蘭山作。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]須原屋佐助(金花堂)板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。武家公私にわたる各種書状の書式と書簡作法を示した独特な用文章。「公用向之切紙類」四通、「窺書・願書之類」八通、「届書類」一〇通、「口上書之類」三通、「結状之類」四通、「裏白ものゝ類」二通、「切手・手形証文類」六通の合計三七通、および「結納目録・帯代目録等認方・折方」を掲げる。本文は通常の用文章よりも小さめの字で九行・所々付訓で記す。随時、図解を交え、頭書に各諸状に関連する書簡作法を詳述する。〔小泉〕
◆ぶけようぶんせいきんしょう [3208]
武家要文制禁抄‖【作者】野崎楓村(魯文)作・序。野口晋松堂書。【年代】元治元年(一八六四)序・刊。[江戸]万笈館蔵板。[大阪]象牙屋治郎兵衛(和田次郎兵衛・春和堂・窓旭堂)ほか売出。【分類】消息科・社会科。【概要】中本一冊。書名の由来は「武家日用の要文を撰み、是に加ふるに制禁の条目を附録し」たことによるが、具体的には武家用文と天明七年(一七八七)の『武家諸法度』を合綴した往来。前者・消息文例は比較的短文の全二九通から成り、武家公用向けの披露文が多く、加増拝領その他贈り物拝領の礼状や端午祝儀・八朔祝儀の披露に対する礼状、また飢饉時の救済措置に対する感謝の披露状、朝鮮国からの貢納の報告、酒造米に関するお触書を名主・五人組に周知徹底させた旨の報告など幕府要人宛ての文面が目立つ。ただし、能興業につき囃子方の人手補充の依頼状といった私文書も一部含まれる。本文を大字・四行・付訓で記す。なお本書の改訂・改題本『武家法度・武家要文』†が同年に刊行されている。〔小泉〕
◆ふけんおうらい [3209]
〈改正〉府県往来‖【作者】稲葉永孝作。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[東京]尾崎直三郎板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。明治初年の日本の府県名(三府三七県)を七五調美文体で綴った往来。「夫、日本の諸府県は、三府を以て始とし、東京・京都・大坂府、県は其数三十七、神奈川県や兵庫県、長崎・新潟・埼玉県…」で始まる文章を大字・三行・付訓で記す。頭書「府県表」に、各府県の東京府よりの里程や旧国名、石高について記す。〔小泉〕
◇ふけんおうらい [3210]
〈大日本〉府県往来‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治二〇年(一八八七)以前刊。[東京]関根孝助板。【分類】地理科。【概要】異称『〈日本〉使府県国尽』『日本使府県国尽』。小本一冊。畿内から北海道までの日本全国の付県名・郡名(三府三五県・八六国・七一六郡)を旧国名毎に列挙した往来。〔小泉〕
◆ぶげんおうらい/ぶんげんおうらい [3211]
分限往来‖【作者】青木南溟(照・明夫・重惇・水翁)作。【年代】文久二年(一八六二)頃書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。三穂国常盤郡に住む豪農・小々石巌平の分限者(富豪)ぶりを記して、農村生活に必要な語彙を教えようとした往来。石高は一〇万八千石余で、苗字帯刀御免の百姓である厳平の住む屋敷と屋内の家具調度、諸道具、武具、馬具、農具、機道具、また厩に飼われる名馬や牛の数々、酒倉その他貯蔵庫の様子、金銀米銭、庭木や泉水・植込、さらに彼が所有する田畑山林の等級や規模、年貢その他諸税、また、四季農耕のあらまし、節句佳辰の様子、公事訴訟などについて詳述した後、彼の一族がともに栄えて、孝悌忠怒・五倫五常の道を守り、十能六芸に通じているのは類稀で、めでたいことだと結ぶ。本往来は、江戸後期の南部地方の農民・農業・農村を対象とした『農民竈建往来』†などと通ずるところがあり、同時期の農民生活が、その幅を広げ奥行きを増していく情勢を反映したものと見なすことができよう。小泉本は、「抑、三穂国常盤郡小々石巌平与申者、開発以来、当地住居、高十万八千石余、苗字帯刀御免之百姓、田畠山林・金銀米銭有増員数左記…」で始まる本文を大字・三行・無訓で記す。〔石川〕
◆ふけんかんかつひょう [3212]
府県管轄表‖【作者】水原幸次郎作・序。【年代】明治九年(一八七六)作。明治一〇年刊。[京都]田中治兵衛ほか板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。明治初年の行政管轄区域を一覧にした教科書。まず「総論」でアジアに占める日本の位置や国土の概況について述べ、続いて「府県名一覧」、また、府県毎の学区・庁所在・旧国名・郡数等の「府県別一覧(開拓使・琉球藩を含む)」を示す。本文を概ね楷書・小字・一一行・無訓で記し、巻末に小字・一〇行・付訓で本文中の地名を再録する。巻頭に銅版色刷りの「府県管轄色分図」、巻末には府県別の郡名一覧を載せる。〔小泉〕
◆ぶげんこころのまと/ぶんげんこころのまと [3213]
〈教訓式目〉分限心之的‖【作者】山田野亭作・序。【年代】天保一四・一五年序・刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】教訓科。【概要】中本二編合一冊。壮健翁作・明和八年(一七七一)序・安永二年(一七七三)刊『〈町家式目〉分限玉乃礎』を要約した教訓書。前編には「主人の式目」「女房の式目」「息男之式目」「娘の式目」を、後編には「手代」「小僕」「乳母」「下女」の各式目をそれぞれ収める。主として商家構成員の各人の心得を八〜一三カ条の壁書形式に綴り、頭書に和漢の人物伝を引きながら同主旨の教訓を説く。本文をやや小字・七行・付訓で記す。なお、本書直後の弘化二年(一八四五)に渓斎英泉による改題本『主従日用条目』†が出版されたほか、安政六年(一八五九)にも他の往来と合綴した改題本『家内和合弁』†が刊行されるなど数種の類書が登場した。〔小泉〕
◇ぶげんじょう/ぶんげんじょう [3214]
分限状‖【作者】不明。【年代】安政四年(一八五七)書。【分類】教訓科。【概要】大本一冊。手習い初心者向けに編まれた、全文七五字程度の教訓。以下がその全文。「世上の人の諺に分限になる事仕合次第と言は詞也。誠は夫々の家業を精に入、面々の智恵袋を〆括り、才覚の眼を開て、稼出すを内出の小槌申由、承候得者、随分家職を精に可被入者也」。〔小泉〕
◆ぶげんしょさつしゅう/ぶんげんしょさつしゅう [3215]
分限書札集‖【作者】長友松軒書。菅野友蔵跋。【年代】天明六年(一七八六)刊。[大阪]本屋又兵衛板。【分類】消息科。【概要】異称『分限書札』。横本一冊。「家老衆迄申上る披露文」以下、御用人衆・番頭衆・近習頭衆・物頭衆・使頭衆・郡代衆・代官衆など細かい身分の差による新年状一一通と、暑中・寒中見舞状一一通の合計二二通を収録した手本。各例文を大字・三行・無訓で記し、末尾に「右、平侍方え之文言併其官禄にしたかひて少々つゝ文段高下取合せ可有之事也」の注意書きを添える。続く小文で、書札礼法は『弘安礼節』に詳しいが当流の礼節を加味することが大切なこと、自分との関係や相手の官職を弁えた無礼のない文言、また、珍しく華やかな文体を避けて、簡潔明瞭なのが望ましいことなどを説く。巻末広告に長友松の『一年帖』†『分限書札集』『雑要章』†の広告を掲げ、『分限書札集』を「年始披露状、寒暑のみまひ等、各其分限に応したる文章の法式を以て手本とす。奥に訳文(かなつけ)を出す」と紹介するが、例文中の熟語二〇語と菅野友蔵の跋文(第四二丁)を削除したものが『雑要章』である(すなわち、『分限書札集』と『雑要章』は巻末一丁を除いて全く同一である)。〔小泉〕
◆ふけんめい [3216]
府県名‖【作者】槙村正直書。【年代】明治五年(一八七二)書・刊。[京都]大黒屋太郎右衛門(書籍会社)板。また別に[京都]藤井孫兵衛ほか板あり。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。府県名と各府県管轄の郡名(三府六十県管轄)を記した手本。三府七二県を半丁に大字・三行・無訓で綴る。途中八カ所に黒く未彫の部分を残し、しばしば変更が加わった状況を物語る。次項と同様だが異板。〔母利〕
◆ふけんめい [3217]
府県名‖【作者】琵琶湖新聞会社編。【年代】明治七年(一八七四)刊。[滋賀県]琵琶湖新聞会社板。【分類】地理科。【概要】半紙本一冊。明治七年当時の府県名を列挙した往来。三府六〇県一藩(琉球)の名称を大字・五行・無訓で記し、旧国名などを小字で付記する。見返に「九九之数(小学諳誦表)」を掲げる。前項と同類の手本だが異板。〔小泉〕
◆ふけんめいもんどう [3218]
〈家原政紀著〉府県名問答‖【作者】家原政紀作。塩津貫一郎校。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]石田忠兵衛(文華堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『〈改正〉府県名問答』『〈学校必用〉府県名問答』。半紙本一冊。名府県に関する諸知識を一問一答形式、例えば第一問は「問、現今アルトコロノ府県ノ数ハ幾許ナリヤ」「答、三府四十九県ナリ」のように書き綴った教科書。各府県ならび北海道・琉球の名称、位置・管轄(郡数)・府県庁所在地などに関する一六一項(途中問答の内容が削除されているため、実質的には一五八項)についての問答を含む。本文を楷書・小字・一〇行・所々付訓で記す。巻末に「三府四十九県管轄」と題して、各府県の郡数・郡名を一覧にする。なお、明治一〇年には府県制の変更などに伴って改訂され、『〈改正〉府県名問答』の書名で再刊された。〔小泉〕
★ふけんめいもんどう [3218-2]
〈明治九年八月御改正〉府県名問答〈附管轄郡名〉‖【作者】大高文進作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]寺田栄助ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈明治九年八月御改正〉府県名問答』。半紙本一冊。前項『〈家原政紀著〉府県名問答』と同様の内容に、「明治九年八月御改正府県管轄郡名」を増補した教科書。前半部「府県名問答」は名府県に関する諸知識を一問一答形式で綴ったもので、第一問「問、現今在ルトコロノ府県ノ数ハ幾許ナルヤ」「答、三府三十五県ナリ」以下一一九問を掲げる。本文は楷書・やや小字・一二行・稀に付訓。また、後半部「府県管轄郡名」は、三府三十五県(開拓使・琉球国を含む)毎の庁舎所在地・旧国名別郡数・郡名を列記したもの。〔小泉〕
◆ふこうりかい [3219]
婦行俚解‖【作者】上杉鷹山(治憲)作。【年代】寛政〜文政四年(一七八九〜一八二一)作。江戸後期書。【分類】女子用。【概要】異称『鷹山公女訓八種』『上杉鷹山女訓八種』『鷹山公訓女文』『米沢公御女訓』。大本一冊。寛政頃作『婦行俚解』を始めとする八編の女子教訓書。基本的に『女誡』に基づき他家へ嫁ぐ女性の心得を平易に説いたもので、その大半は上杉鷹山が孫娘六名に書き与えたもの。まず「寛政年中仙寿院殿え賜」と付記する@「婦行俚解」は、曹大家『女誡』†第四章「婦行」を略解したもの。A「老のこゝろ(老かこゝろ)」は、「文化六年(一八〇九)三姫君え被進」との付記があり、父母・師匠・君主の三恩、結婚後の孝行、夫婦の別、胎教、質素倹約、学問等について説いた教訓。B「桃の若葉(桃の嫩葉(どんぱ))」は、「文化五年四月於貞君え被進」とあり、『女誡』等に基づき、柔順・卑弱・孝貞・夫婦・四行などを平易に述べた教訓。C「千とせのもとゐ(千年の基・千歳の基)」には「文化十年二月於信君へ被進」と付記し、まず先の「老のこゝろ」や「桃の若葉」にも嫁入りの際の心得を言い尽くすが、姫君の要望に応じて他の心得を記すとして、中国の賢女を列記して日頃の女徳の修行を強調し、女子三従、婦道、舅姑への孝養、言葉遣い、貞順などの教訓を説く。D「野辺の若菜」は、「文化十二年於祇(まさ)君え被進」と付記し、「分に安んずる」ことを「お貞は三万石の諸侯、お信は三〇万石の大諸侯に嫁ぎ、お前は三千石の高家に今般嫁入りするが、これを人事ではなく天命と心得よ」といった譬えで天道や婦道を諭す。以下、E「千代の春草(千代の春艸)」は、「文化二年四月、於増君三の丸御殿え御引取、御養育に進候節、御附中へ御示」、F「朝な(朝奈々々)」は、「文政元年於増君え被進」、G「駒の贐(駒のはなむけ)」は、「文政四年於長君え被進」の付記がある同様の教訓である。以上のうち、A〜DとFGは鷹山の孫娘六人(Aは米沢藩・上杉斉定に嫁いだ第一孫女三姫、Bは福島藩・板倉勝俊へ嫁いだ第二孫女貞姫、Cは鳥取藩・池田斉稷に嫁いだ第三孫女演姫、Dは畠山義宣に嫁いだ第四孫女祇姫(文化一四年に死去)、Fは畠山義宣に嫁いだ第五孫女増姫、Gは戸田氏敏に嫁いだ第六孫女長姫)に書き与えたものであったが、これらは諸大名家等の女子教育に広く使用されたため、各教訓書単独または複数合本の形で数多くの伝本が残っており、例えば本書から「婦行俚解」を省いた写本『米沢公御女訓』(国会図書館蔵)もその一例である。なお、小泉本は本文をやや小字・九行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ふこくのもとい [3220]
〈嶋邨泰著〉富国のもとひ‖【作者】島村泰(嶋邨泰・島邨泰・橘泰)作。深沢菱潭書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]椀屋喜兵衛(江島喜兵衛・万笈閣)板。【分類】理数科。【概要】半紙本一冊。富国の基本は物産を繁殖することであり、そのためには暦に基づいて人々がその本務を果たさなければならないとして、日本の旧暦(太陰暦)における閏月の問題や、伝統的な暦注である「暦の中断・下段」が根拠のない妄説であることに触れる一方、新暦(太陽暦)がいかに優れているかを指摘する。そして、明治五年一一月九日の詔勅による新暦実施の経緯などに言及しながら、太陽暦の起源、西欧の暦元・暦法、暦の歴史、太陽・月と地球の関係や運行、昼夜・二四時間・時差・七曜・一二月・四季などについて説明し、人民各自が「時を差(たが)へず常に生業(さんぎやう)を励み物産を繁殖し勤て国家富饒の基を開く」ことを諭して結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ふこくようじおうらい [3221]
〈高田義甫著・重刻〉布告要字往来(初編)‖【作者】高田義甫作。太田代恒徳校。深沢菱潭書(本文)。飯島静斎書(異本本文)。渡辺資書(傍訓)。【年代】明治七年(一八七四)刊。[甲府]協力社(高田義甫)蔵板。内藤伝右衛門(温故堂)売出。【分類】社会科。【概要】異称『〈高田義甫編纂・太田代恒徳改正〉重刻布告要字往来』『高田義甫著布告要字往来』。半紙本一冊。「凡、布告之要字者、太政官・左院・右院、及ヒ諸省三府六十県之各課御布達、抑王政御一新、皇政復古、綱紀御維新、御変革、御改革…」で始まる片仮名交じり文で、国政・公務・法令・官吏等に関する語彙を、一定の脈絡を保つように類語・関連語とともに列挙した往来。維新政府の姿や方針、社会の諸相、国民生活や国民の義務などについて記し、「我神州ノ御国教ヲ固守シ堂々赫々、皇威・国光ヲ宇内八紘、坤輿間ニ輝耀コト期テ待ベキナリ」と結ぶ。本文を楷書・大字・四行・付訓で記し、漢語の多くに左訓を施す。なお、本書と同内容で筆者(飯島静斎)が異なる『布告要字往来』もある。〔小泉〕
◆ふこくようじおうらい [3222]
〈太田代恒徳著〉布告要字往来(二編)‖【作者】太田代恒徳作。飯島静斎書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[甲府]協力社蔵板。内藤伝右衛門(温故堂)売出。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。高田義甫作『布告要字往来(初編)』†の続編として、初編と同様の語彙を集め同体裁で編んだ往来。まず日本の古名や天皇の異名などをあげ、さらに新政府、文明開化、学問・習字・書状、弊習、身体・養生、言動、農業・工業・商業、社会、貿易、発明、文化、府県、国政、国風等のあらましを述べ、最後に明治維新・文明開化の目標が天皇崇拝と皇国民の自覚にあることを諭す。本文を楷書・大字・四行・付訓で記し、語彙の大半に左訓を施す。〔小泉〕
◆ふじがねじょう [3223]
ふしがね帖‖【作者】中井董堂書。正木千幹序。【年代】文政元年(一八一八)序。文政二年刊。[江戸]英平吉板。【分類】社会科。【概要】異称『不尽賀年帖』。大本一冊。賀茂真淵の作品『県居翁乃家集』(『県居家集』か)から抜粋した和歌や文章を手本様に綴った陰刻法帖。本文をやや小字・六行・無訓で記す。書名は冒頭に収めた「富士の峯を観てしるせる詞」に由来する。ほかに、「桜の詞」「芳野山の花を見てよめる」「隅田川に舟を浮て月を弄ふ序」の三つの小文を収める。董堂六一歳の書という。〔小泉〕
◆ふじたこれまさちょおんなのさとし [3224]
藤田維正著女のさとし‖【作者】藤田維正作。石川県第一女子師範学校編。野崎近彝(杼堂)書。加藤良孝画。【年代】明治七年(一八七四)以前作。明治一三年刊。[金沢]石川県学校蔵板。近田太平ほか売出。【分類】女子用。【概要】異称『〈官許〉女のさとし』。半紙本一冊。「女の心得」九章、「女の行事」七章、「女の仕業」六章から成る絵入りの女子教訓。各章とも数行の短文で、大字・四行・付訓で記す。「女の心得」九章は、男女の別、女子の学問、母の役割、婚姻・夫婦、父母・舅姑への孝養、家内和睦、容色と心延え、多言の戒め、礼儀作法について、また「女の行事」七章は、起床・身繕い、父母・舅姑への奉仕、父母・舅姑の教諭、父母・舅姑の看護等、婚家の家法への服従、接客・外出、清掃・清潔等について、さらに「女の仕業」六章は紡績・裁縫等の主婦の務め、製糸・製茶の知識、女子の教養、心立てと芸能、倹約、知識と学業について略述する。見返に「明治七年二月上梓」とあるのは先行板の名残か。〔小泉〕
◆ふじのおうらい [3225]
富士野往来‖【作者】寿哲書(文明一八年(一四八六)写本)。【年代】室町前期作。古写本は文明一八年書。古刊本は正保四年(一六四七)刊(刊行者不明)。【分類】古往来。【概要】異称『富士往来』『〈御狩〉富士野往来』『〈尊円流〉富士野往来』。古写本および江戸初期刊本の多くが大本一冊。歴史科往来の先駆と目されるもので、鎌倉時代初期の建久四年(一一九三)に行われた富士野巻狩と、そこで起こった曽我兄弟の仇討ちを題材にした文書・書簡を集めた古往来。@廻文状(卯月一一日付・源頼朝より)、A副文状(卯月一二日付・蔵人大夫朝輔より右近大夫将監へ)、B着到状(五月一三日付)、C配分状(五月日付)、D巻狩の規模・実況を報ずる状(五月日付・藤原正行より平景時へ)、E小次郎・禅師房召捕りの執達令状(五月晦日付・平景時より曽我太郎へ)、F小次郎等逮捕不能の陳情状(五月晦日付・曽我太郎より平景時へ)、G曽我兄弟の狼藉についての問い合わせ状(五月二八日付・平景時より安達盛長へ)、H曽我兄弟仇討ちの状況並びにその成敗を報ずる状(五月二八日付・安達盛長より平景時へ)の合計九通を収録する。以上のように、本往来に手紙文体以外の文書を収録しているにもかかわらず『往来』と称することから、手紙文に拘束されることなく、「往来物=初歩教科書」といった近世的概念の萠芽を示唆する先駆的な往来としても注目される。文明一八年写本(田艇吉氏蔵)は、伊予国・瑞泉寺の右筆・寿哲二六歳が認めた大本一冊で、上記@ABGHの五状を大字・八行・無訓で記す。また、正保四年刊本は全九状を収録し、本文を大字・六行・無訓で記す。正保板以後は、本文のみの慶安五年(一六五二)板・延宝七年(一六七九)板や、頭書に注解や記事を盛り込んだ天明四年(一七四八)板、また文化元年(一八〇四)板(『〈頭書絵抄〉富士野往来』†)などが流布した。〔石川〕
◆ふじのおうらい [3226]
〈頭書絵抄〉富士野往来〈寺子調法筆海字便〉‖【作者】神武作・書。【年代】文化元年(一八〇四)刊。[京都]堺屋嘉七板。また別に[大阪]勝尾屋六兵衛ほか板あり。【分類】古往来。【概要】異称『〈絵入文章〉富士野往来』。半紙本一冊。『富士野往来』†の絵入り注釈書。『富士野往来』本文を行書・大字・五行・付訓で綴り、頭書欄に本文を解説した「富士野絵鈔」を挿絵(二二葉)とともに掲げる。内容は正保四年(一六四七)板に同じ。口絵に「手習の図」「富士巻狩の図」を掲げる。なお、本往来は銭屋長兵衛など京都・大阪・江戸の三書店合梓(文政四年(一八二一)一二月刊)、秋田屋太右衛門など三都の六書店合梓(刊年不記)、秋田屋市兵衛始め大阪・江戸・京都・岡山・姫路・兵庫・大垣・和歌山等一三書店合梓(同上)などの重板・異板がある。〔石川〕
◇ふじのふ [3227]
富士の賦‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】日本無双の名峰・富士を讃え、その威容や縁起等を綴った往来。「不二は日本の蓬莱山なり。昔、孝霊五年、山初めて現ず。徐福も此山に登り仙薬を求め、かくや姫も神と化して爰に霊を止む…」と起筆し、その壮麗さや故事、また、各地の富士見の名所のいくつかを紹介し、富士を詠んだ最高の秀歌が山部赤人の歌であると指摘し、最後に「かく難有き富士を見すして一生を終る」のは遺憾と述べて結ぶ。岡山県津山地方で使用された往来という。〔小泉〕
◆ふじのふもと [3228]
〈国尽〉富士の麓‖【作者】吉良義風(儀風・源義風)作・序。八田知紀校。【年代】明治五年(一八七二)序・刊。[東京]岡田屋嘉七(尚古堂)ほか板。【分類】地理科。【概要】異称『〈国尽〉不二の麓』。半紙本一冊。日本諸国の地理・沿革・文化等を略述した往来。「古への、人の言葉も労せねば、功なしといひ琢磨ねは、玉も光らず光らねば、石よ瓦と形のみ…」で始まる七五調の文章で、まず皇国民の勉励の義務を説き、続いて、日本の古名や日本が皇統連綿の神国たる旨、また、世界における日本の地理的位置に触れたうえで、五畿八道八四州を列挙し、富士山を始めとする諸国名山、主要河川、気候、東京遷都と文明開化、言語・服飾・通商・風俗物産など日本の文化・産業の優位性を強調して結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ふじもうで [3229]
〈大山廻〉富士詣‖【作者】十返舎一九作。【年代】文政五年(一八二二)刊。[江戸]西宮新六板。【分類】地理科。【概要】中本一冊。『新撰富士詣』†は本書の改編本で内容がやや異なる。ある人の所望により富士参詣の概略を紹介するという想定で参詣路と道中各地の名所・故実等を書き綴った往来。本文を大字・五行・付訓で記す。品川宿より出発し、小田原より富士街道に入り、以下、足柄明神、坂田明神、小沢、蹉走(須走)を経て富士登山・参詣し、さらに大山参詣を済ませて東海道・藤沢へ至るまでを述べる。特に、富士浅間神社の由来や山上からの眺望、大山・阿夫利山神社や大山寺の様子などに詳しく触れる。江戸後期には、江戸市中に富士講・大山講などが多くでき、御師・先達の案内で人々が盛んに参詣に出向いたが、本書もその流行に乗って出版されたものであろう。中でも「水無月の中旬」出発の設定になっているのは、六月二八日の大山の山開きに合わせるためであろう。また、本文中の足柄明神の記述から坂田明神、浅間大権現、富士山の概略の説明などは、寺島良安の『和漢三才図会』の「相模」および「駿河」からの引用であり、大山の阿夫利山寺の不動明王の脇侍などの説明なども同書によっている。なお、普米斎玉粒が本書の文言をかなり改め、頭書などの記事を増補した『新撰富士詣』が翌年(文政六年)に刊行されている。〔丹〕
◇ふじやまのき [3230]
富士山記‖【作者】都良香作か。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】折本一帖。霊峰富士の威容と由来、また浅間神社の縁起、その他故事を記した往来。「富士山者、在駿河国、峯如削成直聳属天、其高不可測…」と筆を起こして、まずその景観の壮大さを述べ、富士山出現にまつわる伝説などを略述する。〔小泉〕
◆ふしょうごふくおうらい/ふうしょうごふくおうらい [3231]
〈新撰〉富商呉服往来‖【作者】十返舎一九作・序。晋米斎玉粒書。【年代】文政七年(一八二四)序。文政八年刊。[江戸]山口屋藤兵衛板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。山口屋から出版された絵題簽付き往来の一つ。本朝における織物の歴史と織物の種類・素材・特色・産地などを書き記す。「抑、我朝之往古、応神天皇御宇、異国女工呉織・漢織来朝而機織・物縫之術始…」で始まる本文を大字・五行・付訓で記す。末尾の「東都呉服店…」を除いて、全て『和漢三才図会』巻二七の記述に基づく。列挙する織物の順番も『図会』そのままだが、実在しない「火浣布」などは本文から省く。さらに一九自序もまた『図会』巻二七の冒頭部をそのまま引いたものである。本文はまず、応神天皇の御宇(本当は雄略天皇の時代)に中国の呉より呉織(くれはとり)・漢織(あやはとり)の二人が来朝して初めて日本に機織技術が伝えられたことを述べ、続いて「金襴・金入・蜀江の錦…」以下、約六五種の織物について説明し、最後にこれらを扱う江戸の呉服店として越後屋・白木・亀屋・恵比寿屋・大丸五店を紹介し、寒暑の時に応じて衣服を自由に選べるのは、まさに治国安民時代の賜と述べて締め括る。本文末尾に「恐々敬白」の語を置く書翰形式を残す。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に「衣服之用」(これも『和漢三才図会』巻二八「衣服之の用」の模倣)、また「汚物洗落様」「婦女容飾具」等の衣装関連記事や婦人の化粧具・手道具に関する記事を載せる。〔丹〕
★ふじょてがみのふみ [3231-2]
〈習字兼用〉婦女手紙の文‖【作者】矢谷房子編。【年代】明治三七年(一九〇四)刊。[東京]富田熊次(文陽堂)板。【分類】女子用。【概要】半紙本二巻合一冊。上巻(第一編)「四季用文」と下巻(第二編)「日用文」の二部から例文を集成した明治末期の女用文章。「四季用文」には「新年の文」以下二六通の年中用文を、また「日用文」には「婚姻を賀する文」以下四九通の諸用件の手紙で、末尾二通は請取証と送り状である。本文を大字・六行・ほとんど付訓で記す。巻頭に「文をかくべき心得」、頭書に「裁縫心得」「洗濯概則」「裁縫寸法図」「和歌の心得」「四時詞よせ」「女子礼節心得」を掲げる。〔小泉〕
◇ふじょのたまずさ [3232]
婦女の玉章‖【作者】窪田梁山作。耕一・桂舟画。【年代】明治二三年(一八九〇)刊。[東京]長島恭三郎(文昌堂)蔵板。[鴻巣]長嶋為一郎ほか売出。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。同一主題の仮名文と漢文書簡の双方を載せた特異な女用文章だが、これは近世の類書にはほとんど見られない形式である。本文には「年始の文」〜「年回に人を招く文」の三六通、頭書にはこれに対応する「賀歳始書」〜「告先妃大祥祭期書」までの三六通の合計七二通から成る。主題の多くは季節の挨拶、行事・行楽などに関するものが中心で、本文・頭書ともに例文に続けて多くの類語を掲げる。〔小泉〕
◆ふじんきょうくんしょ [3233]
婦人教訓書‖【作者】金森保政(判兵衛)作。侭田椿寿軒跋。【年代】享保一四年(一七二九)刊。[大阪]秋田屋市兵衛板。また別に[大阪]柏原屋与市板(延享二年(一七四五)板)あり。【分類】女子用。【概要】異称『婦人教訓』。大本一冊。序文によれば、四七歳になる作者が娘のために書き記した教訓書。「人は万物の長たり。人として忠孝なきは木石にことならず。鳩に三枝の礼、烏に百母の孝、乳をのむ羊いづれも心あり…」と始まる文章で、鳥獣にも忠孝の道があること、ましてや仏性を備えた人間はなおさらであると述べ、以下、嫁入り後の女性の心得全般を儒仏の教えによりながら簡潔・平易に説き、最後に「…くはしくは御けんに申候べく候。かしく」と結ぶ。本文を大字・四行・付訓の手本用に綴る。巻頭に「婦人芸能図」「吉書はじめ」、頭書に京名所の地理科往来「花見車」「嵯峨名所硯」と「七夕歌尽・手向調」、巻末に「女中文の封じ様の次第」「小笠原流折形之図」を載せる。〔小泉〕
◆ふじんことぶきぐさ [3234]
婦人ことふき草‖【作者】香月牛山(則真・啓益・貞庵・披髪翁)作・序。坂部ァ堅序。【年代】元禄五年(一六九二)序。宝永三年(一七〇六)刊。[京都]上村四郎兵衛(松葉屋四郎兵衛)板。また別に[京都]蓍屋勘兵衛ほか板(享保一一年(一七二六)再刊)あり。【分類】女子用(産育書)。【概要】異称『婦人寿草』。大本六巻六冊。江戸時代を代表する産育書の一つで、女子用往来・百人一首等の付録記事に多大な影響を及ぼしたと思われる。「例言」に「婦人嗣をもとむるの術より、妊娠十月の間の保養、産後百日まての摂養の事共」を和漢の典籍によって平易な仮名交じり文で綴った絵入り啓蒙書。適宜、漢語に左訓を施したり、難解な引用部に割注を加えるなど「世俗日用」に徹した記述だが、典拠を示しつつ諸説を紹介したり、自説も加えながら産育全般にわたって詳述する。ただし、俗間における薬の誤用を恐れて薬法は意図的に排除する。内容は、巻上一が「求嗣の説」以下四章、巻下二が「子を求るの術」以下五章、巻中三が「胎教の説」以下一〇章、巻中四が「妊婦胎を下し、并産を断の説」以下八章、巻下五が「妊婦臨月摂養の説」以下四章、巻下六が「産後調護の説」以下五章の計三六章から成る。本文をやや小字・一一行・付訓で記し、各巻とも数葉の挿絵を掲げる。〔小泉〕
◆ふじんさんじゅうかい [3235]
婦人三従解‖【作者】内藤仲勇(義方・勇魚・秀五郎)作。山本北山序。【年代】寛政一〇年(一七九九)以前作。享和三年(一八〇三)序・刊。刊行者不明。【分類】女子用。【概要】異称『三従解』。半紙本一冊。後半に「女児訓」を合綴する。作者と同郷の黒沢某(山本北山の門弟という)によって作者の死後に出版されたもので、和漢の古典から引用しながら女子三従を敷衍した教訓書。まず、女子三従の出典である『孔子家語』の「女に専ら制するの義無くして三従之道有り。幼くて父兄に従ひ、既に嫁して夫に従ひ、夫死して子に従ふ」の一文を掲げて概説し、続いて三従の内容である「幼従父兄」「既嫁従夫」「夫死従子」の項目毎に平易に説く。特に「既嫁従夫」項では、「夫にしたかふ事女人道とする所のかなめなり」として夫への服従を強調する一方、「公儀の御法を守らざる」「父母に不幸なる」「家々のかせぎうとき」「よからぬ友にましはりたちふるまい猥なる」「柳巷妖童にたはふれ家族をかへりみざる」といった「五ケ条の非道」が夫にある場合の異見の仕方にも言及する。そして最後に、この「三従」の教えは一つ欠けても女性の資格がないことを述べて締め括る。後半の「女児訓」は男女の別、婦の四徳、貞徳について女子教育のあり方を書き記した教訓である。本文を楷書・やや小字・九行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔小泉〕
★◆ふじんてがみのもんごん [3236]
婦人手紙之文言‖【作者】十返舎一九作・序。青木臨泉堂(至誠)書。【年代】文政三年(一八二〇)刊。[江戸]西村屋与八ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『〈頭書万用〉婦人手紙之文言〈児女教訓手習状入〉』『婦人手紙の文言』。中本一冊。「年頭披露の文」から「年賀の文」までの四三通を収録した女用文章。前半一八通は五節句や季節の行事に関する手紙で、中程は吉凶事に伴う手紙、後半は金銭貸借その他の例文で、本文を大字・五行(後半「女手ならひ教訓の書」は六行)・付訓の並べ書きで記す。「飛鳥山」「王子」などの江戸の地名や町名を用いて、江戸の人々に親しみ深いものとしたり、宴会に付き物の「茶番」や当時盛んだった神仏「開帳」、その他「神田祭」や「恵比寿講」など当時の風俗を折り込むのも独自の趣向だが、「助六」をめぐる団十郎と菊五郎との不和など芸能界のゴシップをこっそり忍ばせるあたりは、戯作者の面目躍如たるものがある。巻末「女手ならひ教訓の書」は享保元年(一七一六)刊『女手ならひ教訓の書』†と同内容で、この部分のみを独立させた単行本(外題『女手習教訓書』)もある。頭書に「文の封じやう」「月のかはり名」「女中詞づかひ」「大和ことば」「万染色の名」「畳紙折形の図」「婦女をしへ艸」「諸礼躾がた」「食事しつけかた」「給仕の次第」「平生女こゝろ得」「名香六十一種名寄文章」「婦女いましめ艸」「衣裳の正字尽」「小児之薬法」「一生涯の祝事」など多彩な記事を掲げる。なお、本書は明治一七年(一八八四)に東京書林・東川堂(翻刻出版人は細川健次)によって再刊された後、明治三〇年に『〈婦人重宝〉手紙之文』と改題された二巻二冊本が東京・上田屋書店から発行されている。〔丹〕
◇ふじんにちようじづくし [3237]
婦人日用字尽‖【作者】福葉りむ書。【年代】江戸後期書。【分類】女子用。【概要】大本一冊。「婦人日用字尽」その他から成る往来物で、冒頭の「婦人日用字尽」はまず男女ともに手跡修行の大切なこと、また、女子は特に縫針は必須の教養であり、その他の遊芸は暇に応じてすべきことを述べる。この前文に続けて、絹布類・衣裳類・染色類・女手道具類の語彙を書き連ね、「五障三従」その他女性の心得全般を説く。後半に「江戸方角」「謡名寄文章」「年中行事文章」「女国尽文章」「海なき国をしる歌」「洛陽往来」を合綴する。〔小泉〕
◆ふじんやしないぐさ [3238]
婦人養草‖【作者】村上逝水(村上武右衛門・梅塢散人)作・序・跋。【年代】貞享三年(一六八六)序。元禄二年(一六八九)刊。[金沢]塚本半兵衛ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『やしなひ草』『和漢婦人養草』『〈婦人〉やしなひ草』『婦人養くさ』『〈婦人一代教訓躾方〉婦人養草』『女万宝操鑑』。大本五巻一〇冊。諸書から女子一生の教訓・教養となるべき事柄を抽出した全五巻二二八項に及ぶ女性教養書。引用した和漢書が極めて多く、第一巻「援引和漢之書目」には『日本紀』『続日本紀』『延喜式』『本朝文粋』『古今和歌集』『源氏物語』など一二九の書名を連ねる。第一巻は「胎内の子に道をおしゆる法ある事」以下四〇項、第二巻は「白拍子のはじまり并大江玉渕がむすめの事」以下四三項、第三巻は「むかし名誉の相人ありし事」以下五四項、第四巻は「鴛の刃羽のいわれの事」以下三三項、第五巻は「とばり帳の事」以下五八項を収録する(合計二二八項)。ただし、各巻の記事内容に関して、巻毎の明快な分類意識はなく、人物略伝や種々故実を中心に、異名・語源・生活用語・言葉遣いなど語彙関連の記事や婚礼・産育・化粧・衣装・風俗・和歌・諸芸・養生・諸道具・年中行事等についての諸知識、また、様々な比喩を通じての教訓などを無秩序に配列する。本文を小字・一一行・所々付訓で記し、各巻に数葉の挿絵を掲げる。なお、寛政一三年(一八〇一)に、藤井懶斎作に仮託し、石田玉山画の挿絵を挿入した『女万宝操鑑』が刊行されたが、この改訂版では元禄板の第二巻末尾七項、第三巻末尾一二項、第四巻末尾五項の合計二四項を削除する一方、五巻を一冊に合綴した関係で全項目を通し番号に改め、さらに、巻頭に色刷り口絵、目録上欄に女性諸芸等に関する記事や挿絵を増補した。なお、元禄一〇年(一六九七)刊『女万用集』†にも本書からの引用・模倣が多く見られる。〔小泉〕
◆★ふそうさんじし [3239]
扶桑三字史‖【作者】内田晋斎(嘉一)作・書。菘坪処士(厳)序。【年代】慶応二年(一八六六)作・序。明治六年(一八七三)刊。[東京]万薀堂蔵板。二三屋三二ほか売出。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。神代から安土桃山までの皇国中心の歴史を三字一句を基本とする合計三六〇句で記した往来。「不学陋、不問愚、百年命、六尺躯、不読書、何為夫、吾与人、同神枝…」で起筆して、まず読書・学問に重要性と、その初めに国事(国史)を習うべきことを述べ、伊弉諾尊・伊弉冉尊以来の古代史を歴代天皇治世下の歴史的・文化的事象を列記する形で示し、中世武家政治の変遷や治乱興亡を略述した後で、天皇が統治する皇国の風俗や徳教がもたらす天下泰平を讃えて締め括る。本文を大字・四行・無訓で記す。〔小泉〕
◆★ふつうあんもん [3240]
〈諸書文例〉普通案文‖【作者】宇喜田小十郎(宇喜多小十郎)作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[京都]川勝徳次郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈宇喜多小十郎著〉普通案文』。中本二巻二冊。上巻に「年首之文」から「歳暮の文・同復」までの四六通、下巻に「貿易景況を探る文」から「違約断の文」までの四一通の合計八七通を収録した用文章。漢語を多用した典型的な明治期の用文章で、本文を大字・五行・所々付訓(漢語の多くに左訓)で記す。上巻は四季時候の挨拶・行事にまつわる例文を主とし、下巻は通過儀礼・吉凶事・商用の例文がほとんどである。頭書に「印紙貼用ノ心得」「同概則」「為取替約定書」「為替手形式」等の公用文規則・書式や証文・願書・届書等の例文を多く載せる。本書は明治一六年に『〈宇喜多小十郎著〉普通案文』と角書きを改めたうえ岐阜・三浦源助(成美堂)によって再刊された。〔小泉〕
◆ふつうおんなようぶん [3241]
〈伊藤信平編集〉普通女用文‖【作者】伊藤信平(桂洲)作・書。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[常陸太田]沼尻茂兵衛(会津屋茂兵衛・正栄堂・沼栄堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈普通〉女用文章』『普通女用文章』。半紙本一冊。「年始の文」を始め、「同返事」「花見催しの文」「書中見まいの文」など一八通の女子私用文例を季節順に集めた女用文章。本文を大字・五行・付訓で記す。「仕立物を頼む文」「出産祝儀の文」などの女性にふさわしい題材が多く、とりわけ「私娘事も先日より女学校へ遣し置候まま、てうどよき御つれと存じ候間、御入校被成候はば…」という文例を持つ「入学をすすむる文」などが注目される。〔母利〕
◆ふつうおんなようぶん [3242]
〈婦女交際〉普通女用文‖【作者】樋口文山(正三郎)作。河村貞山(与一郎)校・補。大家其氏書。源公寿序。【年代】明治二一年(一八八八)序・刊。[大阪]河内屋忠七(赤志忠七・忠雅堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『婦女交際普通女用文』。中本二巻二冊。上巻は大半が付録記事になっているように、前付や頭書に多様な記事を盛り込んだ女用文章。消息部分はやや小字・八行・付訓で記す。本文は「四季の贈答の部」「雑の部」「吉凶の部」の三部から成り、それぞれ「年始の文」以下五九通、「品物注文の文」以下三六通、「媒酌を頼む文」以下三二通の合計一二七通を収録する。適宜明治期の新語を交えて綴るが、文字言葉などの女房言葉も並用しており、主題もさほど目新しいものではない。付録記事として、上巻前付に銅版色刷りの口絵三葉に続いて、「賢女貞婦嘉言」「女礼式」「裁縫の部」「西洋服の裁縫」「新撰女大学(河村与一郎作)」「洗濯心得」「毛絲組物」「西洋礼法」「茶湯の式」「化粧心得」等、上巻頭書に「用文書換類語」「和歌の部」「婚礼式」等を載せ、下巻頭書に「婦女修身の部」「婦人品さだめ」「世帯の心得」「料理の部」、その他諸般の教養について記す。これらの記事には「児女子の遊び」「運動戸外の遊戯」「児女の唱歌」などのように近代的な内容を多く含む。〔小泉〕
◇★ふつうさくぶんじざい [3243]
〈鷹觜房吉著〉普通作文自在‖【作者】鷹觜房吉作。堀魯一校。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[三重]井上平六(群書堂)板。【分類】消息科。【概要】中本二巻二冊。上巻に「新稔を祝する文」から「紅葉見誘引之文・同返事」までの三六通、下巻に「天長節人を招く文」から「区長拝命を賀す文・同返事」までの二八通の合計六四通を収録した用文章。頭書には消息に使用する日用漢語集「用字類語」を掲げる。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔小泉〕
◆ふつうしょうがくようぶん [3244]
普通小学用文‖【作者】松野永太郎作。青木東園書。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[大阪]敦賀屋九兵衛(松村九兵衛・文海堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。「年始を賀す文」に始まる五四通の私用文例、および「請書」二通、「諸証書」二六通、「諸願書」一四通、「諸届書」二二通を集めた用文章。頭書としてイロハ順に「一朝(イツテウ/イツタン)、一新(イツシン/ナニゴトモシンキニスル)…」などの「方今最モ必用ナル者ノミヲ掲録」した「漢語字類」、「書簡之語類」などを載せる。文中、「洋杯一ダース」「賞巴尼酒(シヤウパンシユ)」などの語句や、「新聞紙を借る文」「紀元節に友を招く文」「内国勧業博覧会へ人を誘ふ文」などの新規な題材も目に付くが、当時としては概ね穏当なもの。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔母利〕
◆ふつうしょうばいおうらい [3245]
〈開化〉普通商売往来‖【作者】住正太郎(住正太)作。藤田守序。村田海石書。松川半山(直水)画。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]此村庄輔(欽英堂)板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。近世流布本『商売往来』†の明治期改編版の一つ。文明開化後の貿易の隆盛によって流入してきた「海外ノ珍器」や「器械・衣服」などの新しい物産に重点を置いて、商家に必要な語彙を書き連ねた往来。まず「方今貿易大に開け、機械・什物雖多、商家日用取扱之文字、其大概を挙れは…」と起筆し、国内外の通貨、証文・帳面類、穀類・野菜・山菜その他食品、樹木、機械、日用雑貨、家財・諸道具、燃料、工具類、船具、金石、衣服、織物、染色・紋様、兵器・武器・馬具、薬種、鳥獣・魚虫などの単語を列挙する。本文を大字・三行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ふつうねんちゅうようぶんしょう/ふつうねんじゅうようぶんしょう [3246]
〈頭書開化〉普通年中用文章‖【作者】浮田小十郎(宇喜多小十郎)編。平井義直書。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[京都]須磨勘兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。近代社会にふさわしい多様な消息例文と証文類文例を集録した用文章。上巻には「年始之文(贈上輩書)」〜「歳暮之文・同復書」の九二通、下巻には「新婚を賀す文」〜「為替取組の文」の七八通の合計一七〇通を収録する。上巻は主に四季や年中行事に関わる消息で、下巻は通過儀礼・吉凶事や近代社会特有の文面の手紙が中心。いずれも大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。頭書に、例文の替え言葉・替え文章を集めた「年中用字竝書換文」を始め、「書翰書換の文」「事物書換名称」「諸証文手形之式(約五五例)」「諸願届之式(約六〇例)」等を載せる。なお、巻末に同一著者による「万代日用鑑」(銅版印刷)一〇丁を付すものもあり、これには「年号早繰」「年齢早繰」「五等親」「服忌令」「明治十一年改正内国郵便税之表」「郵便税之心得」「金子入書状規則之略」「通運会社金子逓送料」「同物貨賃銭」「建家借用証書」「訴訟用罫紙用方」「裁許状罫紙」「戸籍同戸列次之順」「改正地所名称区別」、頭書に「助字訳解」「物品数量」「印紙貼用心得」「諸帳簿」「官庁休暇日」を掲げる。〔小泉〕
◆ふつうぶんしょう [3247]
〈小林菊三郎編輯〉普通文章‖【作者】小林菊三郎作。川瀬白巌書。【年代】明治一三年(一八八〇)刊。[京都]若林喜助蔵板。本城小兵衛ほか売出。【分類】消息科。【概要】中本二巻二冊。上巻に「新年之文」から「重九詩会を催文」までの二八通、下巻に「看紅葉之文」から「娘姪を異見文」までの二七通の消息文例を収録した用文章。文例は、四季時候の文と諸用件の手紙が混在する。各文例を数段に区切って大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記し、比較的詳しい割注を付す。頭書「諸証案文」には、「印紙貼用心得」以下約一一〇の公用文(願書・届書)の書式や心得のほか、訴訟に関する書式などを掲げるほか、下巻巻末に書簡用語異名集や「人倫之異名」等の記事を載せる。〔小泉〕
◆ふつうぶんしょうたいぜん [3248]
〈中根八之進編〉普通文章大全‖【作者】中根八之進作。【年代】明治一七年(一八八四)刊。[名古屋]鬼頭平兵衛(文泉堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。本文欄に「手紙之文部(手紙文之部の誤りか)」「広告文之部」「諸証書之部」の三部に分けて例文を掲げた用文章。「広告文之部」という分類が独特である。「手紙之文部」には「年頭状」から「商人へ引合状・同返事」までの八五通、「広告文之部」には「開店広告」から「火事見舞之礼文」までの八通、「諸証書之部」には「金子請取証」から「代理委任状」までの二二通を載せる。本文を大字・六行(証文類は七行)・付訓で記す。頭書に、消息用語集の「私用文語類」、「旅行届」など二四例を収録した「公用文之部」、さらに「証券印税規則之概略」「同貼用之例」「手紙之時候類語」を掲げるほか、巻末に「手紙之封ジ様」「脇付之語」を付す。〔小泉〕
◆ふつうほうちようぶん [3249]
〈頭書作法〉普通報知用文‖【作者】長尾景重編。山内昇(香渓)書。【年代】明治一六年(一八八三)刊。[東京]小林喜右衛門(仙鶴堂)板(明治二二年板)。【分類】消息科。【概要】異称『報知用文』。半紙本一冊。「雅語ヲ専ラニ用フレハ、慢ニ高尚ニ馳セ、難渋ニシテ日用ノ便ナラズ、又、俚俗ヲ旨トスレバ…卑猥、誦ムニ堪ヘズ故ニ粗折衷シテ時好ニ適セント」した用文章。「新正ヲ賀スル文」から「病死ヲ慰スル文・同返事」までの六九通を収録する。四季の行事や慶事・凶事に伴う例文を主とする各例文を大字・五行・所々付訓(漢語に左訓)で記し、さらに要語の言い替え表現(類語)を頭書「書牘類語」に掲出して、例文の多様化に供する。また、後半部「証書願届諸式類」に「金銀借用証書」から「金銭受取証書」までの二四例を掲げる(頭書はない)。〔小泉〕
◆ふつうめいじようぶん [3250]
普通明治用文‖【作者】木田吉太郎作・序。【年代】明治一七年(一八八四)序・刊。[名古屋]木田吉太郎(東雲堂か)蔵板。小沢吉三郎(百架堂)ほか売出。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「新年之文」から「誕生日ニ客ヲ招ク文」までの四四通を収録した用文章。四季や吉凶事に伴う手紙も含まれるが、多くは日用俗事の手紙である。また、「新聞配達ヲ頼文」「書籍注文ノ文」「汽船出帆ヲ問合文」「為替券ヲ送ル文」「博覧会誘引文」「牛肉ヲ贈ル文」など近代的な題材の例文も少なくない。本文を大字・五行・付訓(所々漢語に左訓)で記す。〔小泉〕
◆ふつうようぶん [3251]
〈小学教官〉普通用文‖【作者】福城駒多朗作。伊藤信平(桂洲)書。大束重善序。【年代】明治一四年(一八八一)序・刊。[東京]出雲寺万次郎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈実地応用〉普通用文』『小学教官普通用文』。半紙本一冊。前半に消息文例、後半に証文類文例を載せた明治期の典型的な用文章。ただし、約二〇人の手による例文を収録するのは異色で、目次にも「書籍借用之文、関沢政氏」のように、各例文の作者名を明記する。所収例文は「賀新年文」から「友人に贈る文」までの二九通で、四季時候の挨拶状や行楽の誘引状などが大勢を占めるが、中には博覧会・鮮肉・電信機などを題材にした例文も見える。後半の「諸証書并ニ願届文例」には、「第一類(〜三類)証之部」「諸届書之部」の四部に分けて、「品物受取之証」から「帰宅届」まで二五例の書式を掲げる。本文を大字・四行(証文類は五行)・付訓で記す。頭書「換語類纂」に、消息に多用する漢語を簡頭・復簡頭・無音・欣喜・無事・省慮・自重・待報・書外・文尾往・文尾復・再伸・伝言・寵遇・宥免・承知・推察・領収・述礼・貸借・依任・晤会・称誉・称謂・疏慰・時令・婚儀・開店の順に分類して列挙するほか、頭書として「雑字略解(イロハ引き)」「東京名勝」を付載する。なお、本書初板本と何ら変わらない明治二八年再板本では米本新次郎編集とするが改竄か。〔小泉〕
◆ふつうようぶんしょう [3252]
〈漢語訳解〉普通用文章‖【作者】荻田長三作・序。【年代】明治五年(一八七二)刊。[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛・宝文堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『普通用文』。中本一冊。前半「四季之部」、後半「雑の部」の二部から成る用文章。著者から板元へ宛てた書簡文の体裁で綴られた序文によれば、「雅俗混淆、童蒙・婦女にも通じやすきため普通之短簡を綴」ったもの。「四季之部」には「年甫之部」から「歳末の書牘(てがみ)・同返事」までの四〇通の四季用文、「雑の部」には「未会の人に送る文」から「弔喪(くやみ)之章・同返報」までの二四通の雑用文を載せる(計六四通)。各例文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。〔小泉〕
◆ふつうようぶんしょう [3253]
〈新選〉普通用文章‖【作者】田中楳太郎(梅太郎)作。山本方寛書。【年代】明治一一年(一八七八)刊。[大阪]田中楳太郎(読書閣)蔵板。旭栄堂興輔ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『新選普通用文』。中本一冊。「歳首之文」から「祝人之基業文」までの四六通の消息例文と、「約定取為換之証」以下八例の証文類文例(「日用諸証文之部」)、「諸証文印紙貼用規則心得、附犯則」「証券印紙犯則」を収録した漢語用文章。ほぼ四季、慶賀、雑事・凶事の順に例文を掲げ、大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。また、目録部分の頭書等に「異名類語(往状・返状の冒頭語、書止、月異名)」「助字之訳解」「和辨」等を載せる。〔小泉〕
◆ふつごきょう [3254]
不都語教‖【作者】喜蛙作。【年代】明治元年(一八六八)頃作・刊。刊行者不明。【分類】教訓科(戯文)。【概要】中本全三丁の小冊子(三次市立図書館蔵)と一枚刷り(東京学芸大学蔵)の二様がある。『実語教』†に似せて戊辰戦争の状況を綴った短文の往来。必ずしも五字一句ではないが、「山早故不成、疑悪知只独、人多連為立、都立為下行、時是正月三日、身方集伏見上ト」で始まるように、『実語教』の文言を採り入れながら、慶応四年一月三日の鳥羽・伏見の戦い以後の経緯を、薩長側に立って朝敵を風刺する。『実語教』と同じように全九六句から成る本文を大字・五行(一行三句)・付訓で記す。なお首題には「ふつこうきやう(不都合教)」とルビを振る。〔小泉〕
◆ぶっさんおうらい [3255]
〈大日本府県〉物産往来‖【作者】鶴田真容作。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[東京]小林鉄次郎(延寿堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『府県物産往来』。中本一冊。明治初年の日本全国の物産のあらましを綴った往来。「抑、三府三十七県、琉球・北海道、其国々之物産は、開化を慕ふ国之民、三千二百九十万、勤て倦まぬ農工商、進む手業之物産は、府県を挙て算ふれば、流石(さすが)に広き東京府…」で始まる七五調の文章で、東京府・千葉県・茨城県・神奈川県・静岡県・山梨県・愛知県・三重県・滋賀県・京都府・大阪府・和歌山県・高知県・香川県・愛媛県・岡山県・広島県・島根県・山口県・福岡県・大分県・長崎県・熊本県・鹿児島県・琉球国・石川県・新潟県・群馬県・栃木県・岐阜県・長野県・福島県・宮城県・岩手県・青森県・山形県・秋田県・北海道の順に各地の主要な物産品を列挙する。物産以外に名所にも触れる。本文を大字・六行・付訓で記す。また、見返に「東京ヨリ里程明表」を掲げる。〔小泉〕
◆ぶっぽうさんじきょうならびにりゃっかい [3256]
〈堀江慶了著述〉仏法三字経〈竝〉略解‖【作者】堀江慶了作。神社西正・堀江了暎校。竜温・西川文仲序。【年代】明治九年(一八七六)序・刊。[京都]西村九郎右衛門(丁子屋九郎右衛門・空華堂)板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。『三字経』†の三字一句形式で、仏教の成立から仏教諸説や仏教の伝播までを綴った『仏法三字経』の注釈書。「釈迦文、出天竺、成道来、五十年、所度人、有七種…」で始まる全一九六句を数句毎に大字・六行・無訓で掲げて二行割注を施す。仏弟子の品(七衆)、小乗・大乗仏教、顕教・密教の諸説、また「五濁の世」における念仏の意義などについて説く。〔小泉〕
◆ふでづかい [3257]
〈童蒙〉筆づかひ‖【作者】荻田長三(筱夫・嘯)作。松川半山画。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]河内屋喜兵衛(柳原喜兵衛・積玉圃)板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。巻菱湖の家則に基いて運筆・書法について諭した手本。まず、書体について述べ、楷書から学ぶべきことなどを教え、続いて、智永永字八法・三十二勢・執筆法・点画の筆法等に言及しながら要点を略述する。本文を概ね大字・三行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆ふでのしおり [3258]
〈女子手習〉筆のしおり‖【作者】不明。【年代】天明七年(一七八七)刊。[京都]菱屋孫兵衛板。【分類】女子用。【概要】大本一冊。筆写不明だが、江戸中期の妙躰風女筆手本。新年祝儀状から端午節句祝儀状までの一四通と和歌四首(巻末)を収録する。四季風物に重点を置くが書状配列は必ずしも季節順ではない。散らし書き・並べ書きの両様で綴るものの、散らしの程度はさほどでなく、両様を折衷したような書き方である。本文を概ね大字・三行・付訓で記し、行間に花弁模様を点在させるのが特徴。前付に「七夕まつりの図」「書初之詩歌」「女中相性名づくし」等、巻末に「十二月異名」「大ふじやうじゆ日」等を載せる。〔小泉〕
◆ふでのはじめ [3259]
〈訓蒙〉筆のはしめ‖【作者】伊藤桂洲(信平)作・書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[東京]天香書屋蔵板。和泉屋市兵衛(甘泉堂)売出。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。大字で書した初歩的な習字手本。「片仮名五十音」「平仮名イロハ」「漢数字」「点画筆法」「単語(七曜・人倫・四方・三才・度量衡・金石その他の語句五四語。本文を大字・二行・所々付訓で記し、巻末に楷書・小字・六行・付訓の本文を再録)」「書法三昧歌和解(執筆法・運筆法についてのポイントを説く)」を収録する。〔小泉〕
◆ふではじめ [3260]
〈習字〉筆はじめ‖【作者】柾木正太郎作。荻田長三(筱夫)書。【年代】明治六年(一八七三)刊。[大阪]伊丹屋善兵衛(文栄堂)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『習字筆初』。半紙本一冊。『〈訓蒙〉筆のはしめ』†と同様の習字手本。「平仮名五十音」「片仮名五十音」「漢数字」「単語(度量衡・人倫・時間・四方・七曜星等の語句を大字で記す)」「改暦の歌(皇国の素晴らしさ、明治六年の改暦、新暦の概要等を七五調で綴る)」を収録する。本文を大字・二〜四行・所々付訓で記す。見返しまたは書袋に「明治六年三月刻」と記す。〔小泉〕
◆ふなかたおうらい [3261]
船方往来‖【作者】潜夫書。【年代】安政(一八五四〜六〇)頃刊。[上総]仁寿堂板。【分類】産業科。【概要】大本一冊。上総地方の漁民子弟用に編まれた漁業関係の往来。「凡、平生船方取扱文字、先、地引船之造方者、敷、表敷、供敷、床、柁木、上棚、下棚、小縁、水押、五尺板、五尺立…」で始まる近世流布本『商売往来』†風の文章で、地引船の構造や各部の名称、漁網の種類、網漁法、漁業道具、漁獲物の種類、市場取引、大漁の祭礼等を綴る。本文を大字・五行・多く付訓で記す。巻末に上総国の「八手網主姓名」「地引網主姓名」「地引網沖合名前」を収録する。なお、「四海浪静而、船・筏能渡海上、恰如往陸地…」で始まる『船由来記(船方往来)』†は書名が同じだが本書とは別本である。〔小泉〕
◇ふねづくし [3262]
舟尽‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】産業科。【概要】舟の種類や舟に関する用語を書き連ねた往来。愛媛県松山市在住の故老・林愛晴の記憶に基づいて筆記したもので後半部は不明。前半は「御召船は万齢丸・長生丸・安穏丸、御召替船は千年丸・大燕丸・小燕丸、御供船は孔雀、相生、水垣、太平、常盤…」で始まる文章で、まず主な船名をあげ、続いて船具や船の構造に関する語彙を列挙する。〔小泉〕
◆ふねのゆらいき [3263]
船由来記‖【作者】池田松翁軒(池田松斎)作・書。【年代】元禄一六年(一七〇三)書・刊。[大阪]深江屋弥兵衛板。【分類】産業科。【概要】異称『船方往来』。大本一冊。日本の船の濫觴と船の守護神、船体各部の名称、船大工諸道具や心得について述べた往来。本朝の船が崇神天皇の時代に初めて作られたことから書き始め、船舶の各部があらゆる神仏に守護されていること、船頭が吟味すべき船体の要所、船大工の道具の由来(曲尺は阿弥陀仏に由来し、墨斗(すみつも)は大日如来の化身であるというように仏説中心の記述である)、船舶用材、船印と「○○丸」の名称の意義などを順々に述べ、最後に船に関わる者は心から諸神諸仏を仰ぐべきことを諭す。本文を大字・四行・付訓で記す。本書は後に堀流水軒作『〈堀氏〉寺子往来』†中に合綴されたが、筆者・池田松翁軒の名が抹消された。なお、本書の改題本に『船方往来』(ただし安政(一八五四〜五九)頃刊『船方往来』†とは別内容)があるが、こちらは寛政一二年(一八〇〇)刊『寺子教訓諸職往来』†中に収録されている。〔小泉〕
◆ふはくめいい [3264]
布帛名彙‖【作者】曲水居士作・書。【年代】明治三五年(一九〇二)書。【分類】語彙科。【概要】縦長本一冊。布帛類の語彙を集めた手本。「西陣織物類」「八王子織物類」「甲州織物類」「染絹及白絹之類」「桐生物産」「木綿織物類」「舶来品之部」の順に、種々の織物・布地類を列挙する。大字・二行・無訓で記す。〔小泉〕
◆ふぼあんどぐさ [3265]
父母安堵艸‖【作者】楠見広共作・序。【年代】文化一一年(一八一四)序・刊。[和歌山]市井堂板。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。「父母の十恩(懐担守護恩・臨産受苦恩・生子忘憂恩・乳哺養育恩・嚥苦吐甘恩・洗潅不浄恩・回乾自湿恩・意造悪業恩・遠行憶念恩・究竟憐愍恩)」を敷衍した教訓歌に挿絵を添えた教訓書。冒頭に外典・内典による「孝」の字義と、養育の辛苦と孝行の重要性、また、本書出版の意義を記す。〔小泉〕
◆ふぼじょう [3266]
父母状‖【作者】徳川頼宜作。【年代】万治三年(一六六〇)作。文政四年(一八二一)書。【分類】教訓科。【概要】異称『御教諭』。父を殺した熊野のある男が獄中三年間に『孝経』の講義を聞いて改心し、初めて自らの罪を自覚したという事件から、政教の重要性を痛感した紀州藩初代・徳川頼宜が万治三年に領内一般に示した教訓とされっるもの。ただし、この由来を疑問視する説もある。本文は一〇〇字に満たない簡潔なもので、父母への孝行・法度遵守・分限・倹約・家督出精・正直の六項を説く。この教訓は、以後紀州藩の政教の根本とされて、高札で周知徹底が図られたほか、安永(一七七二〜八一)頃から寺子屋における手本としても盛んに使用された。〔小泉〕
◇ふみぐるま [3266-2]
文車〈女筆〉‖【作者】吉田半兵衛画か。【年代】宝永六年(一七〇九)刊。[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛・宝文堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『ふみくるま〈女筆〉』『ふ見車〈女筆〉』『女筆文車』。大本三巻三冊。貞享五年(一六八八)刊『当流女文章』†の下巻末の記事を削除した改題本。上巻には「新年祝儀に呉服を贈る文」以下九通、中巻には「婚礼祝儀状」以下九通、下巻には「昨晩の訪問についての文」以下六通の合計二四通を収録する。また、『当流女文章』の改題本には本書のほかに『〈当流絵抄〉万宝女文』があるが、付録記事などの関係から『〈当流絵抄〉万宝女文』の方が先行書と思われる。なお、本書の解題にあたって題簽題に「女筆」と小書きされたのは、女筆手本であることを強調した結果か。いずれにしても、筆跡・挿絵が豊富な女筆手本類として特異な存在である。〔小泉〕
◆★ふみのかけはし [3267]
〈開化日用〉文のかけはし‖【作者】三尾重定(黙斎・史山・子恭・樵山・史峰)作・序。山本直樹序。【年代】明治一一年(一八七八)序・刊。[東京]文魁堂板。【分類】女子用。【概要】異称『〈開化日用〉文乃かけはし』『文の梯』。中本一冊。女子消息文の文頭・文末語句集と、雅俗消息例文や口上書などを示した女用文章。全体を四部に分け、まず「短語の部」に「啓頭・同復語・時候・詢候・結尾」別の表現例を種々掲げ、続いて「往復文の部」に「年始の文」以下二二通の基本例文、また「口上書の部」に「入学を祝ふことは」以下一六例の口上書、さらに「雅言の部」に「官途に進む人を祝ふふみ」以下一二通の雅文をそれぞれ収録する。本文をやや小字・九行・無訓(例外的に付訓)で記し、適宜細字の注を付す。男女同権の時代にあって男女の別をはき違えてはならないといった注記も見える。一般的な漢語を含む明治期特有の女用文章で、巻末の「滝のしつく(王子紀行)」は王子・飛鳥山・滝野川辺の風景を詠んだ詩歌を含む紀行文になっている。なお、本書の改訂版『〈開化日用・改正〉文のかけはし』が明治一六年に刊行されている。〔小泉〕
◆ふみのしおり [3268]
〈艶書〉文乃枝折‖【作者】玉華作。白霊人書・跋。【年代】江戸中期刊。[大阪か]刊行者不明‖【分類】女子用(艶書)。【概要】横本一冊。一般の女用文章とは異なる、全編散らし書きで綴った艶書。「奥勤の女に思ひをかけ遣す文」から「逢ての後恨みいひやるふみ・同女返し」まで、種々の状況下での男女間の恋文(往復文)二四通を収録する。また、巻末に「おもふよりいつしかぬるゝ袂かな、なみたや恋のしるへなるらん」以下二一首の「恋の引歌」を掲げる。〔小泉〕
◇ぶもんちょうか [3269]
武門長歌‖【作者】江島為信作か(島津久光(天真院)作とも)。梅亭書・跋(文化六年(一八〇九)写本)。【年代】江戸前期作か。文化五年跋。文化六年書。【分類】教訓科。【概要】異称『武の家』『行儀長歌』『行儀短歌』。武士の教養と嗜みについて述べた七五調の往来。「武の家に、生るゝ人のたしなみは、弓を射習ひ馬を乗り、鉄炮なとに軍法や、太刀打鑓に物を書き、読もの勝れ、理をさとり、歌や連歌に詩も作り…」で始まる文章で、文武・芸能・礼儀作法・徳行など武士の全人的理想像を示す。末尾に「よき人にむつひてあしきことあらし、麻の中なる蓬見るにも」の返歌一首を掲げる。〔小泉〕
◆ぶようすがわらもうで [3270]
〈新板手本〉武陽菅原詣‖【作者】尾崎直中(竹寿軒)作。長雄耕節(長尾耕節・尾崎耕節)書。高井蘭山(伴寛・思明・文左衛門・三遷・哂我・宝雪庵)補。【年代】享和二年(一八〇二)刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『菅原詣』『天神記(天神歌)』。中本一冊。菅原道真の略伝と江戸府内の代表的な天満宮の景観・縁起、またその沿道の風景などを記した往来。「抑、菅原の道真公は、上野国菅原の産にして、官女采女の懐にやしなはれ…」と起筆して、道真の出自と生涯、才徳などを讃え、また、道真の詠歌を引きながら遺徳を偲び、府内の天神廻り(菅原詣)をするという趣向で、金杉村牛天神を筆頭に、早稲田天神・鳴子天神・巣鴨天神・湯嶋天神・下谷忍ヶ丘天神・箕輪天神・真乳山天神・向丘柳島天神・亀戸天神・麹町天神などの天満宮や、大久保・目白・本郷・下谷・隅田川・浅草・駒形・飯田町・白金・高輪周辺の名所を紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。口絵に「牛天神・江戸川遠景図」と「菅家略伝」(蘭山述)を掲げる。なお、本書と同内容の文政五年(一八二二)写本『天神記(天神歌)』も存する。〔小泉〕
◇ぶんかいようぶん [3271]
文海用文‖【作者】原竜堂益山(原泉堂)書。【年代】江戸後期刊。[江戸]藤岡屋慶治郎板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家〉文海用文章』。中本一冊。「年始乃文」から「店開祝儀乃文」までの三二通と、実際の手紙により近い日付入りの例文三通から成る「略字書文章」、さらに「金子借用証文」以下七通の手形証文類文例を収録した用文章。本文を大字・五行(証文類は六行)・所々付訓で記す。巻頭に「正月書始の式」等の書札礼若干を掲げるほか、巻末に「名頭字尽」「国尽」「篇冠字尽」等を載せる。〔小泉〕
◆ぶんかいようぶんしょう [3272]
〈御家〉文会用文章‖【作者】近藤暘露(藤原暘露・芝学堂・x叟)・林蓬林(泉橋堂)書。【年代】元治二年(一八六五)刊。[江戸]山田佐助(文会堂)板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。芝学堂筆「消息文」と門人・泉橋堂筆「手形証文」を合綴した手本。「消息文」は、「年頭状」から「商売用他国え罷越文」までの三三通で、五節句祝儀状や寒暑見舞状、婚礼・出産・普請・元服等祝儀状、火事・病気・洪水見舞状などから成る。後半の「手形証文」は、「奉公人請状」から「御関所手形」の一一通を載せる。本文を大字・四行(証文類は五行)・付訓で記す。〔小泉〕
◆ぶんかおんなようぶんしょう [3273]
〈御家〉文化女用文章‖【作者】梁田鳥水書。【年代】文化二年(一八〇五)書。文化五年刊。[江戸]北島長四郎(弘文閣)ほか板。【分類】女子用。【概要】異称『文化女文章』。半紙本一冊。「正月の文」から「十二月の文」まで毎月往復二通の計二四通を収録した女用文章。広告文では「文躰今もつはら用ゆる趣をあつめて便りならしむ」とあるが際立った特色は見られない。頭書には「婦人懐妊・産後心得之事」や「七夕歌づくし」「男女あいしやう」等の記事を載せる。本文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。巻頭に「女子教諭心得」など口絵一丁を付す。なお、本書の増補版に同年刊『女用初音錦』†がある。〔小泉〕
◆ぶんかせつようしょじょうぶくろ [3274]
文花節用書状袋‖【作者】以佐立悦作。玉水(啓行)書。【年代】享保一八年(一七三三)刊。[江戸]西村源六ほか板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。主に本文に消息文例、頭書に書翰・日常用語集を掲げた用文章で、この頭書がイロハ引きの語彙集になっていることから「節用」の二字を書名に込めたのであろう(ただし、節用集のように語彙の部門分けはない)。本文冒頭に試筆詩歌二編を掲げ、以下、「年頭挨拶状」から「会合案内状」までの八二通を収録する。長短含む例文の配列には明確な分類意識はなく雑多な印象を与える。また、四季の手紙よりも諸用件の手紙が多いのも特徴である。特に、第二四条「病状を医師に伝える手紙」は、「頭痛・寒熱往来・食欲・痰咳・大小用」の五点についての症状を一つ書きで伝えたうえで薬の調合を頼む比較的珍しい文面である。このほか、準漢文体でありながら書止に「かしく」を用いる例文なども散見される。本文を大字・四行・付訓で記す。巻末に「大坂より江戸え女下り候節、今切御関所御手判願書写」「往来切手」「箱根切手」「家買手付銀渡之事」など手形証文一六通と、「法躰名尽」「人の名づくし」「小野篁歌字尽」「七以呂波」「魚類之部」「着類之部」「諸道具部」等の語彙集を載せるほか、前付にも「四季によつて事を作べき事」「五常和解」「立花砂物并生花」「紋尽」「万年暦大ざつしよ相生之事」「男女相姓之事并歌」などの記事を収録する。〔小泉〕
◆ぶんかようぶんしょう [3275]
〈御家〉文化用文章‖【作者】青木臨泉堂(源至誠)書。【年代】文化一一年(一八一四)刊。[江戸]北嶋長四郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『文化用文』。半紙本一冊。消息文例と証文手形文例から成る用文章。前半部に「年始状」以下、主に五節句や四季行事に伴う消息文例三九通(本文二〇通・頭書一九通)、後半部に「売上証文之事」以下一七状(本文一二状・頭書五状)の手形証文を載せる。本文を大字・五行(証文類は七行)・所々付訓で記し、適宜、類語や注解を付記する。なお、本書の増補版に文化一一年(一八一四)頃刊『文化用文大全』†があり、さらにそれを改編した『〈嘉永新版〉大宝用文章大成』が嘉永三年(一八五〇)に大阪書肆・敦賀屋九兵衛より刊行されている。〔小泉〕
◆ぶんきかっぽう [3276]
〈関口宇之輔著〉文機活法‖【作者】関口宇之輔(有定)編。何之礼序。【年代】明治一〇年(一八七七)序・刊。[東京]山岸佐吉(湊屋佐吉)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。あたかも詩を作るように手紙を容易に書くために、各主題に即した漢文・雅俗文の文言を「発・次・働・貫・収」の五段に分けて列挙し、これを任意に組み合わせて起承転結の整った文章を作るという独特な方法論による用文章。主題は「歳首之往文」から「祝人之基業文」までの四七題だが、各文例・各段毎に豊富な語句を数多く盛り込むため、変化に富んだ多彩な文面が可能であり、しかも文言のほぼ全てに振り仮名や割注を施しており、初学者にも手軽に使えるように工夫する。本文を楷書・小字・一一行・付訓で記す。巻末に「文頭往詞類聚」「文頭復詞類聚」「収章類語」など書簡用語集(端作・書止)を付す。〔小泉〕
◆ぶんじしょうせい [3277]
〈開明日用〉文辞小成‖【作者】鈴木賢蔵作・序。【年代】明治一一年(一八七八)序・刊。[東京]山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛・錦耕堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『手紙案文』。三切本一冊。前半に消息例文、後半に証書文例を収録した用文章。消息文は「年始ノ文」から「社女ヲ会スル文」までの六九通を収録する。例文はいずれも漢語を多用したもので、本文を小字・一二行・所々付訓で記し、任意の漢語に左訓を施す。四季贈答の手紙を始め、佳節または不幸に伴う手紙、社会生活全般に関する手紙などを含む。後半の証書文例には、「金円借用証」から「養子請負証」まで二七の公的書類の書式を掲げる。〔小泉〕
◆★ぶんしょうおうらい [3278]
文章往来‖【作者】西川竜章堂書。【年代】文政三年(一八二〇)刊。[京都]伏見屋半三郎ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『文章贈答往来』。半紙本一冊。享和二年(一八〇二)刊『改撰消息往来』†の改題・改訂本。『改撰消息往来』本文の語句を若干改めた本文を大字・四行・付訓で記す。本書見返には二様あり、初印には「此書は字尽の類を多くあつめ、絹ぶるひにて要用の文字をふるひ抜、誠に士農工商共に日々入用の字のみ多く集め、手紙御書なされ候節、早速字引替にも相成、用文章両用、新趣向之本にて、実に万民重宝の本なり」と記す。従って、『累語文章往来(消息往来)』†型の往来は用文章と消息用語集を兼ねた教材として用いられたのであろう。なお、本書の写本に『文章贈答往来』と題したものがある。〔小泉〕
◆ぶんしょうきざい [3279]
〈久保田梁山編・作文須知〉文章機材‖【作者】窪田梁山(久保田梁山・窪田行・久保田行)作。中邨謙序。【年代】明治一二年(一八七九)序・刊。[東京]藤岡屋慶次郎(水野慶次郎・松林書屋)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈作文須知〉文章機材』『作文須知文章機材』。半紙本二巻二冊。消息文の構造を起・承・転・結の四つの部分からとらえ、漢文・雅文・俗文の三様(それぞれ楷・行・草と書体を変える)の消息文例を掲げた独特の用文章。各表現に略注を施す。文例を慶賀・存問・遊約・嘱託の四篇に分類し、それぞれ「賀歳首文」以下一一通、「寒中訊問文」以下六通、「約看花文」以下六通、「乞医師回診」以下五通、合計二八通を収録する。まず、各主題に応じた類句を起・承・転・結毎に小字・一〇行・付訓、割注付きで掲げ、これらを合成した消息例文(漢文・雅文・俗文)を大字・六行・付訓で記す。頭書に関連語句(月異名など)や言い換え表現などを掲げる。〔小泉〕
◆ぶんしょうじざい [3280]
〈漢語〉文章自在‖【作者】小川監(易亭)作。黙堂序。青木東園書。【年代】明治五年(一八七二)序・書。明治八年書・刊。[東京]安倍為任蔵板。岩本三二(三七・活東子・達磨屋・二三屋)ほか売出。【分類】消息科。【概要】異称『〈漢語必読〉文章自在』。中本一冊。「歳端の文」から「新開筵を開く文・右答の文」までの消息文例(漢語用文)五〇通を集めた用文章。四季折々の手紙の間に、「暦法の文」「潮汐満干の理を質す文」「雷電の理を問ふ文」「月花盈虧(えいき)の理を問ふ文」「商会企建の文」「入学周旋を頼む文」など科学的知識や近代的事象に関する例文を含み、特に、太陽暦・潮汐・温泉・雷等々の原理や当時の国際情勢など文明開化期を象徴する新知識を随所に盛り込むのが特徴。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。〔小泉〕
◆ぶんしょうじざい [3281]
〈百家通用〉文章自在‖【作者】月斎峨眉丸(沼田月斎・益・峨眉山人・烏文斎)書。【年代】文化四年(一八〇七)刊。[江戸]鶴屋金助ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈御家通用〉文章自在』。大本一冊。消息例文・証文類文例(「証文案詞」)・詩歌集(「詩歌・常可習字形」)の三部から成る用文章。巻頭目録が独特のスタイルで、三段組の中段を目録とし、その上段に「入木和歌書法大概」「書札之法」「詠草之法」、下段に「短冊之法」「懐紙之法」といった書札礼関連の記事を掲げる。本文の中心となる消息例文は「雲閣文章」から「入院(じゅいん)祝之文」までの四四通で、いずれも大字・五行・付訓で記す。前半の約二分の一が五節句・四季の手紙、他は通過儀礼など生涯の祝儀に伴う書状などである。このうち冒頭の二通(雲上体・同返簡)は、古往来『十二月往来』†からの引用である。また、「妻から旅先の夫への手紙」一通は女子消息文である。続く「証文案詞」には「店請状」から「御関所手形」までの一五通をやや大字・八行・所々付訓で記し、さらに巻末「詩歌・常可習字形」に七夕詩歌六首と基本字形を掲げる。〔小泉〕
◆ぶんしょうしなんちょうほうき [3282]
文章指南調法記‖【作者】中村三近子作・書。【年代】寛保元年(一七四一)以前作。明和九年(一七七二)以前刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】異称『〈万家便用〉文章指南調法記』。半紙本六巻三冊。現存本は第一・二冊(一〜四巻)のみ。題簽下部に「替字」と記すように、特色のある豊富な例文に膨大な語彙集を伴った用文章。第一巻には「年始書面」以下二三通、第二巻には「三月節句」以下二八通、第三巻には「久不会人江遣」以下二七通、第四巻には「有職之文章」以下二〇通を収録。従って、未見の五・六巻を含め、全体で約一五〇通程度であろう。それぞれ基本例文を大字・五行・付訓、また、関連の例文を小字・一〇行・付訓で記し、多くの例文に「通」「崇(あがめ)」の記号を付記して尊卑を示す。随所に「手爾葉置字」「下廻り」「書面走舞字尽(「天地・居宅の部」「衣類・食物之字」「諸道具之字」「生類」「草木・花実」)」「書法(端作・書止等の書簡用語)」「書法宛之上下」「東百官」「親類書」「苗字寄字」「具足箱表書(前の字)」「人名相生字」「結納之目録之法」「法躰名并医者号相称生之寄名」等の類語集や関連知識を盛り込み、三近子の用文章らしい特色を示す。なお、本書は『明和九年書目』に見えるのでそれ以前の刊行であろう。同様に、三近子は寛保元年没だから、撰作年代はさらに遡り、本書が先行刊本の改題本である可能性も否定できない。〔小泉〕
◆ぶんしょうしゅんじゅう [3283]
〈戸田〉文章春秋‖【作者】戸田儀左衛門書。【年代】宝暦五年(一七五五)書。宝暦六年跋・刊。[大阪]文成堂ほか板。【分類】消息科。【概要】横本一冊。ほぼ四季順(月次順でない箇所もある)に配列された四七通の消息文例を収録した手本。新年挨拶披露状を始めとする奉書の例文や四季・五節句の手紙、結納・婚礼・出産の祝儀状や、疱瘡見舞状、新築祝儀状、養子入家祝儀状、髪置き祝儀状、その他諸用件に関する書状から成る。本文を大字・六行・所々付訓で記す。巻末に手紙の文句や表現の上・中・下を記した「書状上中下次第」を掲げる。〔小泉〕
◆ぶんしょうたいせい [3284]
〈原田道義編輯・開化日用〉文証大成‖【作者】原田道義作・序。青木東園書。【年代】明治八年(一八七五)序。明治一〇年刊。[東京]須原屋伊八(北沢伊八・青藜閣)板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。上巻に漢語消息六一通、下巻に受取書類四例、証書類六一例、願書類二五例、請書類二例、届書類三五例の合計一二七例を載せた大部な用文章。序によれば、従来の漢語消息は高尚で実用性に乏しいため、雅俗の中間をとって和語と漢語を織り混ぜた文章で綴ったもの。上巻所収の例文は、四季の手紙・祝儀状・見舞状の順に載せ、これを大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。上巻末に「詩歌贈寄之副詞」を載せるほか、頭書に「作文摘語(本文に関連の類語をイロハ順・一八部門別に集めたもの)」を掲げる。下巻の証文類は大字・六行・付訓で記し、随所に書式や記載上の注意を細字で施す。また下巻頭書に、明治七年「改正御布告」以下の諸規則と、天象・時候・地理・居所・人倫・人事・飲食・衣服・器財・身体・疾病・禽鳥・走獣・昆蟲・魚類・甲介・草木・数量の一八門別の用語集「作文摘語」を載せる。なお、題簽等に「明治十年増訂再板」と記すので、本書は明治八年初刊本の増訂版であろう。〔小泉〕
◆ぶんしょうたいぜん [3285]
〈宇喜田小十郎編纂・日用漢語〉文章大全‖【作者】宇喜田小十郎(浮田小十郎)作。青木東園書。【年代】明治一二年(一八七九)刊。[名古屋]矢田藤兵衛(文海堂)板(明治一五年板)。【分類】消息科。【概要】異称『〈改正増補・日用漢語〉文章大全』『〈日用漢語〉文章大全』。半紙本一冊。本文の「日用文章之部(私用文)」「諸願届之部(公用文略書式)」と、頭書の「諸証券之部」の三部から成る用文章。「日用文章之部」は、「年始之賀文」以下五八通(四季・吉凶事を主題とする手紙)を収録し、本文類語を頭書「文章類語」に列挙する。「諸願届之部」は、「試堀并借区願書雛形」以下五八例からなり、その上段に「往来券」以下三二例を収録した「諸証券之部」を掲げる。このほか、明治一五年板巻末に「附録」として本文欄に「童子之入学を祝する状」以下一〇通の消息例文と頭書欄に「郵便規則略」など一四項を載せるのは、再板時の増補と思われる(初刊本未見)。本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。〔小泉〕
★ぶんしょうたいぜん [3285-2]
〈改正増補〉文証大全‖【作者】益永晃雲編。名和竹堂書。南紀東岳居士序。【年代】明治一七年(一八八四)刊。[大阪]田中太右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『改正増補文証大全』『〈改正増補〉文証大全文章及諸書式文例』。半紙本一冊。「漢語ニ泥マズ俗語ニ渉ラズ、人民通用ノ便語ヲ采録シ、且、丁寧ヲ以テ文証ヲ編纂」し、「鼇頭ニ漢語字類伊呂波分ヲ以テ用文章に必適セル熟字ヲ集聚シ、且ツ訓解ヲ附シ今日使用ノ便ニ」した用文章。「日用文章之部」、および「証文之部」「諸願之部」「諸届之部」の四部からなる。前半の日用文章は「新年之文」以下九四通の消息文例を載せるが、四季に伴う祝儀状や後楽に関する文例とともに、書林業開店、入学祝い、博覧会見物、新聞配達、商取引、銀行設立、貿易金相場、汽船の出航、電信による書籍注文などの社会生活に関する多彩な例文を収録するのが特徴。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。また後半の証文類(〈現行〉書式文例証書類之部)は順に、「田畑書入質之証」以下一八通、「人力車検印願」以下一五通、「出産届」以下一六通の合計四九通。なお、頭書前半部にイロハ引きの日用漢語集である「漢語字類」を、後半部に「郵便規則略記」「電信略記」「出訴期限」「利息制限法」「作文類語集」「証券印税規則略記」などを掲げる。〔小泉〕
★ぶんしょうたいぜん [3285-3]
〈漢和〉文章大全‖【作者】村田徽典作。青木東園(理中)書。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]小林喜右衛門板。【分類】消息科。【概要】異称『漢和文策』『漢和文章大全』。中本一冊。序文に「此書漢和と題すると雖も、編中必漢必和ならず…」とあるように、やや折衷的な漢文と和文を対比させて掲出した用文章。例えば「瑞霞開端新梅頻に献芳歳之祥」に対して、「宿の梅新たに香を起し、峯々の霞は自ら愛度瑞を顕せり」のような例文を交互に掲げる。漢文は「新陽之文」以下四四通、和文は「年頭の文」以下四四通の合計八八通を収録する。さらに、「請取証」以下一一通の諸証文文例を付す。本文を大字・五行(証文類は約六行)・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔小泉〕
◆ぶんしょうたいぜん [3286]
〈小学書牘〉文証大全‖【作者】安井乙熊編。青木輔清校。巻菱潭書。【年代】明治一三年(一八八〇)書・刊。[東京]内田弥兵衛(正栄堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『小学文証大全』。半紙本一冊。「年賀状」から「慰火災文・同返事」までの五二通を収録した用文章。「年賀ヲ始メトシ、四季問候、探花観月、日用報答、冠婚喪祭、及、諸公用文等ノ文例」を集める。各例文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。後半部「願届証書請取」に「物品受取書」から「雇人請状」まで二七通の公用文を掲げるほか、頭書に贈寄・報答の「贈答文語」や「慶賀文語」「四季文語」「雑用文語」など消息文等に用いる日常漢語集である「日用文語彙集」や、「印紙貼用規則略」「出版条例略」等の諸規則を載せる。〔小泉〕
◆ぶんしょうたいぜん [3287]
〈百家通用〉文章大全‖【作者】西川竜章堂作・書。蔀関牛画。秋田屋市兵衛序。【年代】文政九年(一八二六)書。文政一一年序・刊。[大阪]秋田屋市兵衛板(『大阪出版書籍目録』によれば塩屋喜助板)。【分類】消息科。【概要】大本一冊。頭書に多くの類語や各種字尽を掲げた用文章。本文は「年頭状」から「払物頼状・同返事」までの六八通で、初めに「振舞礼状」「雨中に音信状」など特定状況下での手紙や、婚礼・元服に伴う祝儀状を載せ、続いて四季や五節句の手紙、そして末尾に「店出状」など商用向け書状を収録する。本文を大字・五行(末尾の証文類は七行)・付訓で記す。末尾「諸証文案文」には、「預り証文」「借用証文」など一二例を掲げる。また、巻末に「月之異名」「日之異名」、頭書および本文中に「文章替字」「小笠原流折形図式」「箱曲物類認めやう」「色紙短冊認めやう」と、「絹布太物之類」「染物之類」「器財之類」など一〇の字尽、さらに書簡作法や地理科往来の「国尽文章」など多彩な記事を載せる。なお、本書の続編として天保六年(一八三五)に『〈雅俗通用〉続文章大全』(大阪・大野木市五郎板)が刊行され、さらに本書とこの続編を合綴した『増補文章大全』†も同年に刊行された。〔小泉〕
◆ぶんしょうたいぜん [3288]
〈益永晃雲編輯・日用漢語〉文証大全‖【作者】益永晃雲作。名和対月書。【年代】明治一四年(一八八一)書・刊。[大阪]秋田屋太右衛門蔵板。青木恒三郎売出。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。前半「私用文之部」と後半「諸証文之類」から成る用文章。前半に「新年之文」以下、四季折々の手紙や諸事に伴う手紙など一一五例、後半に「金子借用之証」以下二七例を載せる。消息文例には明治初年の世相を反映したものも少なくないが、特に死後間もない西郷隆盛・大久保利通に関する文例を四通も含むのが注目される。前半部は行書・大字・五行・付訓(漢語に左訓)、後半部は楷書・やや大字・一〇行・付訓で記す。頭書「書簡啓発」には、消息に多用する漢語(類語・類句)や「内国郵便規則大略」を掲げる。〔小泉〕
◆ぶんしょうつうしんじざい [3289]
文章通信自在‖【作者】西野古海作。【年代】明治一〇年(一八七七)刊。[東京]宇佐美栄太郎板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊。上巻は未見。下巻前半に葉書用の短文の消息文一〇例から成る「はがき用文之部」を載せ、後半に各種の公用文書式を掲げる。同書式は「送物書式」五通、「請取書式」六通、「請書式」三通、「証書類」一八通、「届書式」一三通、「願書式」一五通の合計六〇通。本文を行草体・大字・七行・付訓(しばしば左訓)で記す。頭書に郵便規則全般に関する「諸規略記」を収録する。〔小泉〕
◆ぶんしょうはやつづり [3290]
文章早綴‖【作者】深沢菱潭作・書。【年代】明治年間刊。[東京]大坂屋藤助(山田藤助・文宝堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『文章早つゝり』。半紙本一冊。「歳首之文」以下二四通の消息文例を集めた用文章。四季折々の手紙のほか、「送洋行文」「洋書を借に遣す文」「温泉を勧る文」「移徙に人を招く文」「婚姻を賀する文」などを含む。本文を大字・四行・付訓(しばしば左訓)で記す。頭書に本文中の語句と同義の類語(漢語)やその他消息に多用する語句を載せる。〔小泉〕
◆★ぶんしょうはやびき [3291]
〈民家通用〉文章早引‖【作者】大蔵永常(孟純・亀太郎・亀翁・黄葉園主人)作。【年代】江戸後期(嘉永五年(一八五二)以後)刊。[江戸]吉田屋文三郎板。【分類】消息科。【概要】異称『書簡便蒙』。中本一冊。消息文例をほとんど掲げずに、消息用語と書簡作法を重点的に述べた用文章。大蔵永常編『〈民家〉文章早引大成』†の冒頭部分の抄録で、各種書状における文字の位置や墨継ぎ、言葉遣い、その他書状の書き方全般について、「書札認様之有増」以下約六〇項目に分けて説明する。前半は消息用語や消息表現とともに書簡作法を中心に述べ、後半では、年始状・暑寒見舞状の書き方を詳細に説き、また、目録や箱などの書き方、品物名数(数量呼称)等について触れる。なお、頭書に「小野篁歌字尽」を載せる。〔小泉〕
◆ぶんしょうはやびきたいせい [3292]
〈民家〉文章早引大成‖【作者】大蔵永常(孟純・亀太郎・亀翁・黄葉園主人)作・序。石松増夫・秋田榕斎序。【年代】文政一一年(一八二八)序。嘉永五年(一八五二)刊。[大阪]河内屋吉兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『〈民家〉文章早引』。三切本二巻二冊。書状に使用する四季贈答の熟字(替え字・替え文章)を網羅的に集めてイロハ引きに編んだ消息用語集。上巻前半に収められた「〈民家〉文章早引」と、それ以降の「〈民家〉文章早引大成」の二部から成る。うち前者は、各種書状の書き方全般について「書札認様之有増」以下約六〇項目に分けて説明したもので、全体の上梓には時間がかかるためにまず上巻五七丁までを、天保一三年(一八四二)に『〈民家〉文章早引』†と題して刊行し、その後一〇年を経て二巻本が刊行された。また、本書上巻を抄録し、体裁を中本仕立てに改めた『〈民家通用〉文章早引』†も刊行されている。また後者は、いわゆる『節用集』風に消息に多用される語句約二一〇〇語をイロハ順に並べ、それぞれの語彙や類語、また、その語句を含む消息表現を豊富に集め、稀に消息文例も掲げる。下巻巻末「諸証文手形類書様之部」には、「年季奉公人請状」から「往来手形」まで実に五〇の文例を載せるように、他の用文章と比較して頗る充実している。本文を小字・一六行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆★ぶんせいようぶんしょう [3293]
〈御家〉文政用文章‖【作者】青木臨泉堂書。【年代】文政元年(一八一八)刊。[江戸]山田佐助ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『御家流文政用文大全』。半紙本一冊。「年頭状」から「三月節句のふみ」までの消息文例四〇通を収録した用文章。大半が季節とは無縁の諸用件に伴う書状で、うち末尾三通は女子消息文(並べ書き・散らし書き)である。本文を大字・五行(女子消息文は七行程度)・所々付訓で記す。頭書に「吉書始詩歌」「御関所附」「日本大川尽」「日本国名付郡附」「無海十三州」「万物数量字」「二十八宿名」「諸名数尽」「証文手形文例(「店請状」以下七通)」「七夕詩二首・同歌二十首」を掲げる。〔小泉〕
◆★ぶんつういちらん [3294]
〈海内通用〉文通一覧‖【作者】西川竜章堂(美暢)書・序・跋。【年代】文化一四年(一八一七)刊。[大阪]塩屋平助(高橋興文堂)ほか板。また別に、[大阪]伏見屋嘉兵衛ほか板(天保九年(一八三八)再板)、[京都]吉野屋仁兵衛板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始状」から「寒気見舞状・同返事」までの消息文六五通を収録した用文章。四季に伴う書状や、吉凶事その他日常の諸事に関する手紙、また、商取引など公用の書状などを含む。序文によれば、無益の文言を省き、「短文にして弁理なることをゑらみ、諸用通達せむ」ことを意図して編んだもの。本文を大字・五行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ぶんつうおうらい [3295]
文通往来‖【作者】不明。【年代】江戸後期書か。【分類】消息科。【概要】折本一帖。主として武家用書翰に使用される消息用語を『累語文章往来(消息往来)』†風に綴ったもの。「乍恐慮外大幸奉賀、恐賀、珍重、目出度御儀、雀踊、大悦、大慶、過分之至、祝着、満足、即時、令参候、参詞、参上也…」と起筆して、武士の役名や職務関連の用語を盛り込みつつ、類語にまとめた消息用語を列記する。各頁に大字・一行(一行七〜八字)・無訓で記す。なお現存本は、本文末が「…麁怱之段、不埒、不束」で終わる零本である。〔小泉〕
★ぶんつうしたがき/ぶんつうげしょ [3295-2]
文通下書‖【作者】宮南耕斎(進)書。【年代】寛政四年(一七九二)刊。[京都]銭屋宗四郎板。また別に[大阪]高橋平右衛門板、[大阪]塩屋平助(高橋平助)板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『海内要用文通下書』。中本一冊。「賈人(あきんど)之年頭状」から「冬に春注文申来請状」までの七五通を収録した用文章。注文・相場・旅宿・開店・仕入・算用・普請・船積・荷物・為替・催促・諸見舞いなど商売や取引に伴う書状が中心で、商用以外の一般的な書状はほとんど含まないのが特徴。本文を大字・四行・所々付訓で記す。なお、巻末広告で本書の続編である『続文通下書』を宣伝するが、『大阪出版書籍目録』によれば、『続文通下書』が寛政五年に刊行された後、翌七年には正編と続編を合本した『文通下書大成』†が刊行された。また、『大阪出版書籍目録』に載る寛政四年九月出願の『商賈用文』が当初の書名であったと思われる。なお、『大坂本屋仲間記録』によれば、刊行間もなく、大阪書肆・塩屋平右衛門が板木を買い取ったものという。〔小泉〕
★ぶんつうしたがきたいせい/ぶんつうげしょたいせい [3295-3]
文通下書大成‖【作者】宮南耕斎(進)書。【年代】寛政七年(一七九五)刊。[大阪]塩屋平助(高橋平助)板。【分類】消息科。【概要】半紙本一冊。『大阪出版書籍目録』によれば、寛政四年刊『文通下書』†と寛政五年刊『続文通下書』を合本したもので、寛政七年初刊という。現存本(小泉本)は享和二年(一八〇二)板。冒頭に、二色刷りにした正続両編の目録を掲げる。本文前半部は『文通下書』に同じ。後半部が『続文通下書』の部分で、まず手紙文の書き出しの言葉「端作(はしづくり)」と書状の末尾の言葉「上所」の例や作法について述べ、続いて、「得意引合せ頼遣状」から「隠居案内状」までの四八通を、『文通下書』と同様に大字・四行・所々付訓で記す。大半が商取引に関するものである。〔小泉〕
◆ぶんつうしょようじべんぞう [3296]
文通書用字便蔵‖【作者】中村三近子作・書。【年代】享保一四年(一七二九)頃作。享保二〇年刊。[京都]植村藤右衛門(伏見屋藤右衛門・錦山堂・玉枝軒)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈万家通用〉文通書用字便蔵』。『文通書用』。半紙本一冊。職業別の消息文と類語集(「類字縁字」)を特徴とする用文章。享保一四年刊『四民往来』†の増補・改題本。本書の板木の大半は『四民往来』と同じものを用いるが、丁付けを見ると柱を「文通書用」として一丁から一五三丁(飛び丁あり)までを通したほかに所々、「△一ノ上」のような丁付けを別記する(この部分が全て『四民往来』に用いられた箇所である)。『一代書用筆林宝鑑』†の記述(『四民往来』項参照)からも明らかなように、当初より本書と『四民往来』の双方の出版を計画していたためであろう。結局、本書に収録された全九〇通のうち前半部分、すなわち「年始上父之文章」以下の三三通(四季文、雑用文章、吉凶事に伴なう手紙等)が本書独自の例文であって、残りは『四民往来』士之部上(全部)、士之部下(前半部)、工之部(全部)、商之部(全部)と全く同じである。本文を大字・五行・付訓、替え文章等を小字・一〇行・付訓で記し、適宜、割注(二〇行大)を付す。前付に「播州・曽根天満宮」「五行相生頭字」「正月十五日献立」等の記事を掲げる。〔小泉〕
◆ぶんつうたいぜん [3297]
〈首書改正〉文通大全‖【作者】永田光基(舞鳳堂)書。鳥飼主人(吉文字屋市兵衛)序。【年代】享和三年(一八〇三)書・刊。[大阪]吉文字屋市左衛門板。【分類】消息科。【概要】半紙本二巻二冊、後二巻合一冊。消息文例を「四季之部」「祝儀之部」(以上上巻)「商人要用之部」「混雑之部」の四部に分けて編んだ用文章。「四季の部」は、五節句など季節の手紙二三通を収録し、一部相手との上下関係により文例を種々載せるのが特徴。例えば年頭状の場合、通常の場合以外に貴人・下輩・得意先宛ての例文を併せて紹介する。「祝儀の部」には縁談依頼・婚礼祝儀など一生の祝事に伴う手紙二五通、「商人要用の部」には商用の各種書状一四通、「混雑の部」には「花見誘引之文」以下諸事に関する書状二五通をそれぞれ収録する(全八七通)。本文を大字・五行・付訓で記す。頭書に、男性から女性へ送る際の仮名文四七通(「四季仮名文章」)や女性用の消息文三九通(「女文章并ちらし書」)を掲げるように、仮名文を多数収録するのも特徴である。〔小泉〕
◆ぶんぽうしょじょうかがみ [3298]
〈兆民日用・重宝文章〉文宝書状鑑‖【作者】溝江小笠斎(渉・観我堂・養脩)編・補書。西川竜章堂書(遺筆)。【年代】安政四年(一八五七)刊記。万延元年(一八六〇)刊。[大阪]河内屋勘助(中川勘助)板。また別に[大阪]柏原屋武助板あり。【分類】消息科。【概要】異称『〈兆民日用〉文宝書状鑑』。半紙本一冊。「年頭披露状」から「年賀祝儀状」までの消息文例五八通を集めた用文章。四季折々の手紙や商取引上の商人用文、吉凶事や日常の諸事に関する手紙などから成る。各例文を大字・五行・所々付訓で記す。巻末に「十干十二支図」を付す。〔小泉〕
◆ぶんぽうようぶん [3299]
〈御家〉文宝用文‖【作者】不明。【年代】安政六年(一八五九)以前刊。[江戸か]刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年始の文」から「隠居歓之文」までの三八通の消息文例を収録した用文章。四季折々の手紙、通過儀礼その他吉凶事に伴う書状から成る。うち、「初牛稲荷詣之文」は江戸の王子詣を題材にしており、同地の飲食店「海老屋」「扇屋」の名や、滝野川・道灌山・日暮里などの地名を掲げるほか、他でも亀井戸詣を題材にした例文も含み、本書が江戸で刊行されたことを物語る。本文を大字・五行・所々付訓で記す。巻末数丁は二段組で、「金子借用証文」以下九例の証文類文例をやや小字・七行・所々付訓で記す。なお、小泉本に安政六年の書き入れがある。〔小泉〕
◆ぶんめいおうらい [3300]
〈四民必読〉文明往来‖【作者】高見二良作。加藤祐一序。邨田海石書。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]加賀屋善蔵(吉田善蔵・松根堂)板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。文明開化の動向と当時の国勢などを七五調・美文体で記した往来。本文を大字・四行・付訓の手本用に作る。「文明の、聖化浹洽(あまね)き大御代に、遇ふ民草の悦ひの、中に取分き学校の、設け州閭に普くて、知識を開き身をも立て…」で始まる文章で、学校教育のあらましを説きつつ、学問に出精して国内外の事情に精通し、やがては優秀な官吏となるように激励し、続いて行政諸官庁、農業・農作物・農具、工芸・工業、商業・貿易、家具調度・日用品、通商・貿易等について述べ、最後に、四民それぞれが富国に貢献するように学問に努めるべきことを諭す。〔小泉〕
◆ぶんめいかっこくおうらい [3301]
文明各国往来‖【作者】沢田俊三作・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[東京]紀伊国屋源兵衛(中外堂)板。【分類】地理科。【概要】異称『各国往来』。半紙本二巻二冊。日本の西洋化が進む中で西洋事情を知らないことは遺憾であるとして、近代ヨーロッパ主要国の沿革や国勢の概要を紹介した往来。種々の洋書から拾い集めて編んだものであろう。当初、一巻「英吉利」、二巻「仏蘭西・日耳曼」、三巻「和蘭・比耳時」、四巻「西班牙・葡萄牙」、五巻「魯西亜」の五巻五冊の予定であったが、実際に刊行されたのは二巻まで(従ってイギリス・フランス・ドイツ三カ国のみ)である。各国とも地理的位置・地勢・人口・産業・気候・宗教・政体・沿革・文化・風俗・軍事等について言及する。本文を大字・四行・付訓で記し、頭書に歴代皇帝・国王中心の政治史など関連の記事や挿絵を掲げる。〔小泉〕
◆ぶんめいしょうそくおうらい [3302]
〈横川文一書〉文明消息往来‖【作者】尾崎富五郎作。横川文一(章庵)書。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[横浜]尾崎富五郎(錦誠堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『消息往来』。半紙本一冊。「凡、消息需要三文字、一書片翰申入…」で始まる全編一通の手紙文形式で、消息に多用する語句(漢語および漢語表現が中心)を列記した往来。時代を反映して中央・地方の官職名や訴訟、商法・貿易、租税関係の語句や、電報、新聞等での新語を折々交えつつ、日常生活全般に及ぶ語彙を集録する。末尾には一〜一二月の異名や時候の言葉を盛り込む。本文を大字・四行・付訓(所々左訓)で記す。〔小泉〕
◆ぶんめいしょうそくじょう [3303]
〈御家支流〉文盟消息帖‖【作者】蓮池堂文盟書。沙門隆道序。檪岡瀬観(草庵)跋。【年代】寛政八年(一七九六)序・跋・刊。[江戸]花屋久治郎板。また別に[江戸]和泉屋庄次郎ほか板(後印)あり。【分類】消息科。【概要】異称『消息帖』。横本一冊。四季折々の手紙や日常の雑事に関する手紙や「口演(口上書き)」など六〇例を記した手本。本文をやや小字・一〇〜一三行程度・無訓で記す。準漢文体書簡と和文体書簡、あるいは並べ書きと散らし書きを適宜織り交ぜるが、特に準漢文体書簡の散らし書きは極めて特異である。〔小泉〕
◆ぶんめいしょうばいおうらい [3304]
〈横川文一書〉文明商売往来‖【作者】横川文一(章庵)作・書。渭水斎編か。【年代】明治九年(一八七六)書。明治一〇年刊。[横浜]尾崎富五郎板。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。明治期新編『商売往来』の一つ。「凡、進開化之域、商法・職業持扱文字之大略、員数・取遣之日記・受取・証書・証券・印紙・罫紙…」と書き始め、帳簿類、通貨・金融、雑穀類、輸送・流通、貿易品・舶来品、日用品、絹布類・仕立物、染色・染模様、金物・工芸品、和漢洋産の家財、雑具・小間物、農具、青物類、料理・献立、香具、薬種、鳥獣虫魚類、樹木、家屋建築・諸職人、商家子弟心得について簡潔に述べる。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。〔小泉〕
◆ぶんめいせんじもん [3305]
文明千字文‖【作者】大塚完斎作。横山鉄嶺(唯)序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]梅原亀七(竜曦堂)ほか板。【分類】社会科。【概要】異称『〈校刻〉文明千字文』。半紙本一冊。「天位地転、自上世然、太陽常赫、月輪斡旋…」で始まる『千字文』形式の文章で、文明開化の最中で日々発展の著しい日本社会の様子を綴った往来。冒頭に天地に関する語彙を掲げ、続いて津々浦々に立派な学校が建てられて教育が盛んなこと、さらに厳正な賞罰、交通網の充実と海外貿易、西洋文明や舶来品の流入、日用品・食生活、人倫、福祉、太陽暦への改暦などについて関連語を列挙しながら述べる。本文を楷書・大字・四行・付訓(漢語に左訓)で記す。〔小泉〕
◆ぶんめいようぶんしょう [3306]
文明用文章‖【作者】鈴木幸三作。【年代】明治九年(一八七六)刊。[東京]高橋松之助板。【分類】消息科。【概要】異称『〈四民必携〉文明用文』。中本一冊。主として文明開化期を象徴する諸産業に関する消息文例二二通を収録した用文章。「新田を開く文」「道を拓く文」「鉱山を開く文」「堤塘を築く文」「運河を通ず文」「養蚕を企つ文」「製茶を鬻(ひさ)ぐ文」「織物の製造所を設くる文」「歳端の文」「温泉遊行を勧る文」「暑中安否を問う文」などから成る。本文を大字・六行・所々付訓で記す。〔小泉〕
◆ぶんめいようぶんしょう [3307]
〈漢語訓読〉文明用文章‖【作者】宇喜田小十郎作。【年代】明治八年(一八七五)刊。[京都]杉本甚介(二酉楼)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈宇喜田小十郎著〉文明用文章』。中本一冊。「年首之文」から「弔喪(くやみ)の章(ふみ)・同復文」までの四八通を収録した用文章。漢語を多用した文章で、本文を大字・五行・ほとんど付訓で記し、しばしば左訓を施すほか、任意の語句に割注を施す。例文は季節の手紙よりも用件を主体をしたものが多く、中には「洋行人之遣文」「紀元節神社廻拝誘引之文」「展覧会出品頼文」など新時代を反映したものも含まれる。なお、目録上段に「発語・時令・起居・欣喜・自叙・結言・答書・如命」の八項に分けて類語を集めた「書牘類文」を掲げる。また、巻末に「十二月時候之章」を載せる。〔小泉〕
◆ぶんめいろんおんなだいがく [3308]
〈土居光華著〉文明論女大学‖【作者】土居光華作・跋。河鍋暁斎画。【年代】明治九年(一八七六)刊。[熊谷]森市三郎(博文堂)板。【分類】女子用。【概要】半紙本一冊。「貝原益軒翁の女大学の謬見を正し、女子の自由を論ずる書」(例言)として編んだ『女大学(宝箱)』†批判の書で、同年刊『近世女大学』に続く土居光華の著作。冒頭で近世以来の婦女子への封建的束縛を解いて文明開化の何たるかを知らしめんとの執筆動機を述べ、続いて、近世流布本『女大学』の条々を逐一掲げたうえで、特に封建色の濃い条々を「論曰…」と切り出して激しく批判する。例えば旧『女大学』第一条は、男女同権を知らない野蛮・未開の風習によるもので、「女子の都合を差かまはず男子の勝手気儘に立てし教と知るべし」のように強い口調で反駁する。女性蔑視を排除し、男女同権や女子の自由や義務、教育機会について強調した点は斬新だが、中には無批判の箇条や、部分的に踏襲すべしとする条々もあり、旧『女大学』を全面的に否定するものではない。本文(批判文とも)を大字・七行・付訓で記し、所々頭注を施す。巻頭に東京女子師範学校図を掲げる。〔小泉〕
◆ぶんりんせつようひっかいおうらい [3309]
文林節用筆海往来‖【作者】據梧散人編・序。【年代】宝暦六年(一七五六)序。安永八年(一七七九)刊。[大阪]秋田屋市兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】三切本一冊。山本序周編、享保二年(一七一七)刊『文林節用筆海往来』†の簡略・小型化した往来。「イ」部の「未逢人に遣す状」から「ス」部の「すそわけ物を遣状・同返事」までの二八六通を、やや小字・一一行・付訓で記し、上中下別の替え言葉を割注形式で示す。享保四年板の頭書に見られる膨大な語彙集等の記事を全て省き、巻末に新たに「四季十二月之異名」「小笠原流折形図」「不成就日」「和漢歴代捷覧」「銭相場」「十干十二支」を増補した。なお、刊行の状況からすれば、巻頭、據梧散人序文中の「丙子之冬」は宝暦六年であろう。〔小泉〕
◆ぶんりんせつようひっかいおうらい [3310]
〈万教訓・諸礼法・書札大成〉文林節用筆海往来‖【作者】山本序周作・序(『大阪出版書籍目録』によれば、寛保三年(一七四三)出願の『文林節用筆海綱目』は田中甚助編)。【年代】享保二年(一七一七)刊。[大阪]秋田屋市兵衛ほか板。【分類】消息科。【概要】異称『万宝字林文法綱鑑』『新刻文林節用筆海往来』『〈書札往来〉文林節用筆海綱目』『〈書札往来〉文林節用筆海大全』。大本一冊。「未逢人に遣す状」から「すそわけ物を遣状・同返事」までの二八六通を収録した最も浩瀚な用文章の一つ。各状とも比較的短文でほぼ同輩向けの例文となっており、これを短句に分けて大字・九行・付訓で記し、さらに割注形式で尊卑別の表現や略注を施す。書名の「節用」は、例文の配列や語彙集(頭書「節用字づくし」)で、『節用集』の如きイロハ分類を用いたことに由来し、例えば本文の「ホ」項で「奉公に出たる人に遣す状」「蛍見を催す状」「盆の祝儀につかはす状」「法躰したる人に遣す状」のように、主題の頭字によって分類するのが特徴。自序によれば、従来の用文章では例文が少なく、「四季の式目、若(もしく)は婚姻、饗応の躰をそふるのみ」であるのを不満に思い、「民間の文通すへき」例文の数々を収録したとする。付録記事も多彩で、特に頭書に盛り込んだ語彙集には、序周編の宝永六年(一七〇九)刊『女節用集文字袋家宝大成』†や享保元年刊『男節用集如意宝珠大成』の影響も見られる。前付・頭書に「難波風景之図」「本朝能書の三筆」「京・江戸本海道道中記」「文字略上中下の次第」「唐土の三筆」「書の十体之事」「物の数書様之事」「人倫家業絵尽」「伊勢斎宮の忌詞」「書札教訓状」「節用字づくし(草木・鳥獣魚虫・衣食道具・人倫支躰・天地時節)」「故実来歴之絵抄」「文章用捨之聞書抄」「異名尽」「近代年号記」等を掲げる。享保二年初板本以後、一部、書名や付録記事などを変えながら、享保四年・享保六年・享保一八年・延享四年(一七四七)・宝暦一一年(一七六一)・天明七年(一七八七)・寛政一一年(一七九九)・文政元年(一八一八)とたびたび刊行されたが、このほか、携帯用に小型化された横本(三切本)の安永八年(一七七九)板『文林節用筆海往来』†もある。〔小泉〕
◆ぶんるいはやみじづくし [3311]
分類早見字尽‖【作者】歌川国直画。【年代】文化三年(一八〇六)刊。[江戸]鶴屋喜右衛門板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈文化新刊〉日用重宝万文字尽』『文字尽』『〈早見字尽〉子供節用集』『〈再版改正〉子供節用集』。中本二巻二冊。二二部(二冊本)ないし二三部(一冊本)の分類で世俗通用の語彙を集録した往来。まず二巻二冊本が出版され、後に両巻を合綴して一冊としたが、その際、部類分けを一つ増やすなどの改変を施した。本来の二冊本は、上巻に「魚・貝・鳥・獣・虫・木・草花・青物」の八部四四○語、下巻に「穀物・器財・衣類染色・居所・寺院・神社・芸能・諸職・食類・降物・時候・山類・水辺・天象」の一四部四一九語、合計で二二部、約八六○語を載せる。各語彙をイロハ順に配列せず、また前後の関連から任意に列挙したものである。後に一冊本(外題を『〈再版改正〉子供節用集』と変更)に改編した際に、上下巻の間、即ち上巻末尾の三行と下巻首題箇所(一行)に新たに「菓物之部(八語)」を追加して、一冊本としての体裁を整えた。頭書に「国づくし并郡附」(上巻)「名頭文字」「百官名づくし」「東百官」「苗氏づくし」「武家諸役名目」等を掲げるほか、巻頭口絵に神功皇后・太田道灌の故事を載せる。なお、本書は別書肆によって手が加えられ、『子供節用』†『子供節用集』†等の改題本として刊行された(いずれも異板)。〔小泉〕
★ぶんれいしゅき [3311-2]
〈小学〉文例珠i‖【作者】村田忠恕編。【年代】明治一二〜一四年(一八七九〜八一)刊。[東京]原亮三郎(金港堂)板。【分類】消息科。【概要】半紙本六巻六冊。日用語(類語)・訳語・口上書・書簡文・証券文・公用文などを多数収録し、適宜教授法を解説した小学校教師用の作文指導書。巻之一は「書簡文ノ沿革」「類語(教授法を含む)」、巻之二は「訳語(「会話ノ言語ヲ書簡所用ノ類語ニ書取」する教授法)」。巻之三以降は書簡文で、巻之三は「請客部・遊行部・餽贈部」の三部合計一二八通、巻之四は「慶賀部・弔慰部・羇旅部・文芸部」の四部合計一一〇通、巻之五は「進仕部・農商部・雑部」の三部合計九八通および「伝信用文」三〇通、巻之六は「証券文・公用文教授法」と「証券文類題」に続けて、「貸借証」一二通、「預証」三通、「約定証」一三通、「保証状」六通、「届書」二四通、「願書」三一通の合計八九通、四巻合計で四二五通もの例文を集録する。各巻とも本文をやや小字・九〜一〇行・所々付訓で記す。〔小泉〕






◆べいこくおうらい [3312]
米穀往来‖【作者】飯田某(神田川小僧)書。【年代】明治四〇年(一九〇七)書。【分類】産業科。【概要】大本一冊。近世流布本『商売往来』†にならって、米穀商の基本心得と基本語彙を綴った往来。「凡、米穀取扱文字、員数、取遣之日記、運賃、仕切之覚也。先に揚人夫之務、確実・正直第一たるべく、雑穀・粳・糯・早稲・晩稲・古米・新米・麦・大豆…」と書き始め、穀類・用具類・取引、その他関連語を列挙する。本文を大字・二行・無訓の手本用に認める。〔小泉〕
◆へいようせんじしゅう [3313]
兵要千字集‖【作者】矢田勝二作・書。【年代】明治三四年(一九〇一)作・書・刊。[浦和]夏井源助(向栄堂)板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。明治期に登場した軍事関係の『千字文』型教科書。「天皇陛下、陸海軍人、勅諭精神、忠節礼儀、武勇信義、質素一誠、股肱尊奉、読法長上、等輩粗暴…」と筆を起こし、軍人心得や軍事・軍務・武器・軍服その他、軍人に必要な基本語彙を列記する。本文を楷書・大字・三行(一行六字)・無訓の手本用に記す。なお、著者は陸軍歩兵少佐。〔小泉〕
◇べっしょもうで [3314]
別所詣‖【作者】古松白鵞作か。政島辺堂書。【年代】弘化〜嘉永(一八四四〜五四)頃作か。明治年間書か。【分類】地理科。【概要】信州・別所(長野県上田市)周辺の名所旧跡・神社仏閣、ならびに各地の縁起由来・景趣等を記した往来で、上田城下の寺子屋で使用された手本。「漸長閑相成候付、兼而申談候観音参詣之事、幸来る廿五日御縁日候之間、此日思召立候半哉…」で始まる一通の参詣誘引状の形式で、諏訪部明神、筑摩川、長池堤、岩端城、前山寺、塩野神社、北向堂観音、常楽寺、安楽寺を経て、別所温泉とその近在の名所を紹介する。〔小泉〕
◇へんかんむりかまえじづくし・だいにほんくにづくし [3315]
〈増補頭書〉篇冠構字尽・大日本国尽‖【作者】不明。【年代】文政三年(一八二〇)刊(再板)。[江戸]山本平吉板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。「〈増補〉篇冠構字尽」「名頭字」「諸家苗字」「大日本国尽」「初心かなづかひ」の五編を合綴した往来。「篇冠構字尽」は、漢字の主要な部首について名称と真・行・草三体の表記を示したもの。「名頭字」は、流布本と同様で、真・行二体の表記と五性(木・火・土・金・水)の区別を付記する。「諸家苗字」は、「新田・足利・蒲生・結城…」以下約一〇〇氏の苗字を列挙したもの。「大日本国尽」は、各国名と領内郡数ならびに石高を記したもの。「初心かなづかひ」は、文字通り仮名遣いの区別を略述したもの。頭書には「二十四節」「月(日)の異名」「七夕歌づくし」などの記事を掲げる。〔小泉〕
◆べんきょうじもう [3316]
勉強示蒙‖【作者】山科生幹作。藤原某序。松川半山画。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[大阪]吉岡平助(宝文軒)ほか板。【分類】教訓科。【概要】異称『童児心得草』。半紙本四巻二冊。明治初頭の「学制」の理念に反映されるような学問による立身出世という考え方を、より率直に広範囲に「勉強」という言葉でもって説いたもの。その考え方を最も分かりやすく示した箇所は、「人間の生涯に能く気を付け観るときは、幸福は常々勉強なる人に随ふこと、恰も漂流したる船の風波に随ふがごとし」(巻二)という一文であろう。文明開化の流行下、そこに引かれる例は、ボックストン・ニウトンフレル・ステブソン・ヒユーム・サミユールドリウ・フヲツクス・ナボレオン・スコツト・ガリレヲ・コロンバス・ジエンネルなど、西洋各国の周知の人名が多い。本文をやや小字・九行・付訓で記す。〔母利〕
◆べんけいじょう [3317]
弁慶状‖【作者】不明。【年代】慶安三年(一六五〇)刊。[京都]西村又左衛門板。【分類】歴史科。【概要】異称『西塔武蔵坊弁慶最後書捨之一通』。江戸初期刊本はほとんど大本一冊。その内容からして『義経含状』とともに、江戸時代初期に作られたと思われる擬古状。特に『腰越状』†と類似した表現が顕著であり、それに基づいたものであろう。内容は、衣川において討死を覚悟した弁慶が、雲州鰐淵山に身を寄せ真言不思議の修行に打ち込んだ幼少から、五条の橋での源義経との出会い、以後のうち続く平家との合戦を想起し、梶原の讒言によって不運にも今主君とともに天命尽きんとする際の想いを述懐したもの。対句的な表現や、「良薬口に苦し」「金言耳に逆ふ」「感涙肝に銘ず」「貞女両夫に見えず」等の慣用句・俚諺が多用されており、内容豊かな文章といえる。文末には、本来討死の年時である「文治五年閏四月廿八日(あるいは廿七日)」という日付が付されることが一般であるが、その代わりに「天和三癸亥(五月吉日)」という単行刊本の刊記を誤って踏襲したものも少なくない。江戸前期刊本には上記慶安三年のほかに、承応三年(一六五四)・近江屋治郎右衛門板があるがいずれも未見。これら初期刊本の覆刻と思われる慶安〜延宝頃刊(荒木利兵衛板)『〈新板〉弁慶状〈ひらかな付〉』は本文を大字・五行・付訓で記す。また、江戸中期以降は頭書注解本や頭書絵抄本など種々の類板が見られる。〔母利〕
◇へんづくし・くにづくし [3318]
〈改正再板〉へんつくし・くにつくし‖【作者】内山松陰堂書(天保三年(一八三二)板)。石原駒(知道)書(無刊年本)。【年代】天保三年刊(再板)。[江戸]西村屋与八板。【分類】語彙科。【概要】異称『〈名頭字・仮名遣・篇冠構・替仮名〉へんづくし・くにづくし』。中本一冊。漢字の部首を集めた「篇〈并に〉冠構字づくし」、名前に使用する漢字を集めた「名頭字」、難読の名字を集めた「名字」のほか、「日本国尽」「かなつかひ」を収録した往来。「篇〈并に〉冠構字づくし」「名頭字」「名字」「日本国尽」「かなつかひ」等から成る。地名・人名のほか、日常使用する漢字の部首、さらには同音異字の漢字などの習得を目的に編まれた往来である。これらは、しばしば他の往来の付録としても収録されている。本文を概ね、やや小字・七〜八行・付訓で記す。〔小泉〕
◆へんならびかんむりづくし [3319]
篇并冠尽‖【作者】不明。【年代】享保(一七一六〜三五)頃刊。[江戸]江見屋吉右衛門板。【分類】語彙科。【概要】中本一冊。標記書名は冒頭収録の往来物によるが、「篇并冠尽」「名頭のもんじ」「名字」「日本六十六ヶ国」「異国名」「方員数のもんじ」「かなづかひ」などを合綴した往来。「篇并冠尽」は、「にんべん・のぎへん・きへん・よねへん」以下の部首を行書、あるいは行書・草書の二、三通りで記し、部首名を平仮名で示したもの。末尾に略字体によって似通う部首などについて付記する。「名頭のもんじ」は、流布本『名頭字』†とはやや異なり、「源・平・藤・喜・惣・善・孫・彦…」以下「…太郎・次郎・太夫・兵衛・右衛門・左衛門・之丞」まで六二の名頭字を列挙する。「名字」は、「岡部・小林・永田・園・鈴木・伊藤・野村・山田…」以下四九氏の苗字を列記したもの。このほか、いわゆる各国名と州名・管轄郡数を示した「日本六十六ヶ国」(「大日本国尽」)と、「異国名」「海なき国をしるうた二首」「日本国の異名」、また、度量衡の基本を記した「方員数のもんじ」「かなづかひ」等を収録する。上記はいずれも大字・五行・付訓で記す。また、表紙見返に「本字付のかたかな(イロハ)」を掲げ、その末尾に「芝神明のよこ町、江見屋板」と記す。本書以後、幕末に至るまで同様の往来が数多く板行された。〔小泉〕
◆★へんぼうちょうか [3320]
〈田村賢孝著述〉偏旁長歌‖【作者】田村賢孝(桃庵)作・序。有馬贇雄跋。【年代】明治一〇年(一八七七)序。明治一一年跋・刊。[茨城]遥拝堂蔵板。[磐城]藤田又衛門ほか売出。【分類】語彙科。【概要】半紙本一冊。身を修めるためには書を読んで義理を明らかにしなければならない、その根本となるのは文字(漢字)であり、それは偏旁から学ばなくてはならないが、偏や旁について詳述した書がないため、字書・韻書から抽出した一三〇〇余字を集めて長歌にしたのが本書で、童蒙の暗記を旨とするため、長歌本来の正格・対句学は整ってはいないと序文で述べる。本文は偏・旁の画数順に「一丁(イチヒノト)。上下万丈ィ(ジヤウゲバンヂンヂヤウノブルカウ)…」のように漢字を並べ、其一から其九までの九首の長歌風に綴る。九首で合計二一五部(部首)、五六七句、一三〇五字を集録する。本文を楷書・やや小字・九行・付訓で記す。〔小泉〕
◆べんよううたい [3321]
便用謡‖【作者】三浦久之丞(庚妥)作。【年代】享保八年(一七二三)作・刊。[江戸]三浦久之丞蔵板。【分類】合本科(謡曲)。【概要】大本一冊。礼法・算法・気候・地名・歴代天皇・古典・美術・養生・宗教等々についての多彩な知識・教養を一五曲の謡曲に綴った小謡本兼往来物。京都市中の会所・寺子屋等で稽古・教授された。曲目は順に、「躾之端(八歳以後の諸礼躾方)」「竹弄(算術)」「七十二候(季節)」「秋津島(大日本国尽)」「王代記(天皇名)」「九重(京町尽)」「駅路(東海道その他街道の宿駅名)」「順礼(西国二十三ケ所霊場)」「服忌令(親疎別の服忌期間)」「源氏之題(五十四帖の題名)」「画図(漢画の画題)」「十四経(針灸術の心得)」「日蓮仰書」「一向三団伝来」「選択集」(最後の三曲は、それぞれ華華宗・一向宗・浄土宗の教義)。本文を大字・七行・稀に付訓で記す。〔小泉〕





◆ほうかようぶんしょう [3322]
〈童蒙必携〉保家用文章‖【作者】直江菱舟作・書。【年代】明治九年(一八七六)刊。[金沢]桜井余三平ほか蔵板。北村永太郎売出。【分類】消息科。【概要】中本一冊。前半に四季折々の手紙「新春ヲ祝スル文」以下三二通を、後半に「雑題」として「私校新築ヲ謀リ醵金ヲ募ル文」以下六通、合計三八通の消息文例を載せた用文章。「博覧会場同行ヲ促ス文」「訓導拝命ヲ祝スル文」「暑中鎮台ニ在ル友人ニ贈ル文」「私校新築ヲ謀リ醵金ヲ募ル文」など近代的な題材を適宜織り込む。漢語を多用した文面を大字・五行・付訓で記し、漢語の大半に左訓を施す。〔小泉〕
◆ほうかんようぶんしょうばいかりん [3323]
芳翰用文章梅花林‖【作者】不明。【年代】天明四年(一七八四)刊。[江戸]西宮新六板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。「年始に遣状」から「元服悦状・同返事」までの三四通を収録した用文章。四季・五節句に伴なう書状や、花見礼状、参宮悦状・書物借遣状・安否見廻之状・火事見廻状・悔之状などから成る。本文を大字・五行・付訓で記す。前付に「菅原道真略伝」、また頭書に「平生嗜草」「倭音五十字」「祝言取者小謡尽」「大日本国名物尽」「手形証文尽」などを掲げる。なお、本書の改題本に文政一三年(一八三〇)刊『万徳用文章翰墨林』†がある。〔小泉〕
◆ぼうくんたんごへん [3324]
〈浦野鋭翁抄録〉旁訓単語篇‖【作者】浦野鋭翁作。菊池晁塘書。【年代】明治七年(一八七四)刊。[静岡]広瀬市蔵(本市)板。【分類】語彙科。【概要】半紙本二巻二冊。基本語彙を楷書・大字・四行・付訓(大半の語句に左訓)で列記した手本。上巻には、五十音(平仮名・片仮名)に続いて、数・度数・量数・衡数・田数・歴数・字数・幣数・方・形・色・時令・十干・十二支・天文・地理・居処・人品(附家倫)の順に語彙を記す(所々割注を施す)。同様に、下巻にも身体(附疾疵)・飲食・衣服(附身具)・布帛・染色・器財の順に語彙を列記する。〔小泉〕
◆ほうこんかいかようぶんしょう [3325]
方今開化用文章‖【作者】瓜生寅(橋爪錦造)作。千林樵夫序。【年代】明治年間刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】異称『方今用文章』。中本一冊。「賀新年文」から「歳暮之文」までの二七通を収録した用文章。四季行事や時候の手紙が中心。「孝明天皇御祭日之文」「紀元節之文」「横浜見物之文」「小学校へ入門之文」「商法之文」「神嘗祭之文」「得牛肉招人文」「天長節之文」「新嘗祭之文」など近代社会に即した内容で、例えば「横浜見物之文」は「横港之居留地、異人館之景況を一覧致んとの念発れり。御同行被下者塩留より汽車に而為走…」のように当時の雰囲気を伝える。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。〔小泉〕
◆ほうさくおうらい [3326]
豊作往来‖【作者】三河口太忠(輝昌・多仲・富秋園・海若子)作。亀田遼来子序。江山関彦書。【年代】天保一二年(一八四一)序・刊。刊行者不明。【分類】産業科(戯文)。【概要】半紙本二巻合一冊。鳴門屋順兵衛と徳島十郎兵衛でやり取りする往復書簡の形式で飢饉に対する心得を物語風に記した往来。一種の戯文ながら、天保七・八年の大飢饉の惨状やその経験から得られた教訓(五穀中心の農業の維持など)をつぶさに述べ、その後の豊作に弛緩し奢侈的傾向に流れる人心に猛省を促す。「泣くなよ、とゝはどこへもゆきはせぬ、二人を抱て寝やうぞと、蒲団をのべる囲炉裏端、枕屏風もやれ衾、打着(うちきせ)つゝもねる親と、子供も倶にすやと…」のように浄瑠璃の語り口調で、また浄瑠璃本風の書体で綴る。巻頭に「魚市」と題した狂詩および口絵をなどを載せるほか、頭書に「鰒汁の文」「おつこち絞(しぼり)の始」「大福餅退治」「大福長者の始」などの記事を収める。本文を大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◇ほうしゃじょう [3327]
奉謝帖‖【作者】大橋重政書。【年代】江戸前期書。【分類】古往来。【概要】特大本一冊。古往来『菅丞相往来』†の改題本。一年一二カ月の月々に書状を配し、久しく音信を絶っていた人の安否を問う新年状(一月往状)から始まり、歳暮見舞状への感謝と歓びを綴った歳暮状(一二月返状)をもって終わりとする月次状二四通からなる古往来。書名は、冒頭に「奉謝之後、更累数月…」で始まる書状を置くことによる。本文を大字・三行・無訓で記す。文化二年(一八〇五)、大田南畝の識語を付す。〔石川〕
◆ほうしゅんじょう [3328]
〈上田〉芳春帖〈片山〉‖【作者】片山素俊(随雙軒・忠倫)書・跋。坂倉素鴬跋。【年代】安永七年(一七七八)跋・刊。[江戸]北島長四郎(弘文閣)板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。四季消息文やその他諸用件に伴なう手紙などを綴った上田流手本。筆者は上田素鏡の門下。書名は「芳春之御慶賀…」で始まる冒頭の語句をとったもの。「新年状」以下二七通(うち二通は仮名文)で、四季折々の手紙や、用件中心の贈答・祝儀・通知・誘引の各状から成る。本文を大字・三行・無訓で記す。〔小泉〕
◆★ほうせいおうらい [3329]
邦制往来(初篇)‖【作者】島次三郎(圭潭・桂潭)作。【年代】明治年間刊。[東京]高木和助ほか板。【分類】社会科。【概要】半紙本一冊。広告によれば全三巻の予定で、「各国の人種・風俗・政体・言語・文字・教法・沿革等を集め、訳画を加へて俗文に綴る。最も地学に欠べからざるの読本也」と紹介するが、実際に刊行されたのは初編のみ。世界五大洲の人種・風俗・文化水準等に焦点を絞って記述した往来。「夫れ世界人種の大綱を、莫古(モンゴリアン)種、高加索(コウケシ)…」で始まる七五調の文章で、世界五大人種(本書ではモンゴリヤン・コーケシ・エチオピック・アメリカン・マレーの五つ。今日一般では、コーカソイド・モンゴロイド・ネグロイドの三大人種または、オーストラロイド・カポイドを加えた五大人種)の身体的特徴や人口、分布を示す。続いて、各人種の文化水準を「野蛮・半開・未開・文明開化」の四種に区分した場合の文化の状況、生活・風俗・政体、またそれぞれの具体例(国名)を紹介する。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に色刷りの「人種区分之図」、頭書に「人類図解」「野蛮・未開・半開・文明・政体」の記事を載せる。〔小泉〕
◆ぼうちゅうこじょうぞろえたいぜん [3330]
傍註古状揃大全〈平仮名註釈附〉‖【作者】山田賞月堂(源泰平・東作)注・書・序。【年代】安政三年(一八五六)序・刊。[江戸]山城屋佐兵衛(玉山堂)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈和様手本〉傍註古状揃大全』。大本一冊。『古状揃』†注釈書の一つ。各古状を大字・六行で綴り、本文の右側に傍訓、左側に左訓や略注を付す。童蒙が理解しやすい平易・簡潔な注で、俗用の誤りをあえて正さずに書き綴ったとする。各本文の前後に概要や人物略伝などを交えて施注する。収録内容は、「今川状」「腰越状」「手習状」「義経含状」「熊谷状」「経盛返状」「弁慶状」「曽我状」「同返状」のオーソドックスな九状に加えて、「木曽義仲願書」「土佐坊正尊起請文」「安宅勧進帳」や「寺子往来教訓書」「商売往来」「実語教・童子教」などを含む。また、これらの抜刷本も別に刊行された(例えば「実語教・童子教」など)。なお、巻頭に「武将図」、巻末に「片仮名伊呂波」を掲げる。〔小泉〕
◇ぼうちゅうていきんおうらい [3331]
〈和様手本〉傍註庭訓往来‖【作者】山田賞月堂注・書。【年代】安政三年(一八五六)刊。[大阪]河内屋茂兵衛ほか板。また別に[江戸]山城屋佐兵衛板あり。【分類】古往来。【概要】大本一冊。『庭訓往来』†本文を大字・六行・付訓で記し、本文の左側に大意を小字で付記した注釈書。解説はもっぱら平易を旨とし、本文の大意に終始して出典・故実等の詮索は一切ない。巻頭の賞月堂の「凡例」では、「此書すべて童訓を旨としたければ、言葉の活用たがふことあり。たとへば、可植(ううべし)といふべきをも可植(うえべし)となし、教ふ(をしふ)といふべきを教ゆ(をしゆ)と俗にしたがひ、又、天仁遠波(テニヲハ)を改めず…ことごとくみな見安く聞きとり安きを専用とす…」と述べる。口絵に「庭訓往来十二月の図」(一二葉、六面)、頭書に「読法」(本文を漢字・平仮名交じり文としたもの)」や旧来の注に対するする批判を載せ、巻末に門人竹の屋の「跋文」や「片仮名伊呂波」「十干十二支」を掲げる。〔石川〕
◆ほうちようぶん [3332]
〈頭書類語・諸国物産〉報知用文‖【作者】本多三樹作。【年代】明治一四年(一八八一)刊。[名古屋]梶田勘助(文光堂)板。【分類】消息科。【概要】異称『〈諸国物産〉報知用文』『諸国物産用文』『諸国報知用文』。中本一冊。物産に関する独特な消息文例と諸証文文例を集録した用文章。消息文例は「年賀状」から「滞在中贈郵書文」までの七二通で、各地の物産・名品の贈答をテーマとした例文(全体の過半数の三五通)が多いのが特徴。本文を大字・五行・付訓(漢語の多くに左訓)で記す。そのため、地理の並行学習が可能な教材となっている。頭書にも日本各地の物産関係の記事を多く掲げる。後半の証文類も全国各地との物流・商取引に関する内容を多く含む。そのほか、頭書に類語や各種書式を載せる。〔小泉〕
◆ほうちようぶん [3333]
〈今体必要〉報知用文‖【作者】岡野伊平作。仮名垣魯文校・序。【年代】明治一二年(一八七九)序・刊。[東京]森屋治兵衛(石川治兵衛・錦森堂)板。【分類】消息科。【概要】中本一冊。近世後期に流布した馬琴の『雅俗要文』†、三馬の『一筆啓上』†、一九の『一寸案文』(『手紙之文言』†の誤りであろう)等の用文章が近代社会に合わなくなってきたことを指摘し、これらに替わるべき、俗・雅の中庸を得た簡便・短縮の例文集と序文に紹介する。「年始の文」から「新宅開の廻状」までの四二通を収録し、博覧会見物、新聞紙借用、小学教科書納品、散髪など文明開化期に特有の題材を交えて新味を出すが、最も特徴的なのは雅文(楷書)と俗文(行書)をほぼ交互に掲げた点である。本文を大字・五行(公用文は七行)・付訓で記し、多くの漢語に左訓を施す。なお後半部に、公用文規定に関する「名前書の件」と「同区内移転願」から「耕地小作証」までの書式三一例、また「貸借上利息制限法」「利息早見表」等を収録した「願届諸証書之文例」を合綴する。〔小泉〕
◆ほうぼくようぶんつうじべん [3334]
宝墨用文通字便‖【作者】不明。【年代】江戸後期刊。刊行者不明。【分類】消息科。【概要】中本一冊。「年頭祝詞状」から「年賀を寿に遣状・同返事」までの二五通を収録した簡易な用文章。四季・五節句の手紙の間に、「移徙(わたまし)慶状」「婚礼祝儀之状」「病中見廻之状」「暗算賀状」「元服ヲ祝する状」「借用物礼状」「留守見舞状」など諸事に関する書状を収録する。本文を大字・六行・付訓で記す。頭書には「書初の詩歌」「大日本国尽」「百官名尽」「男女五性相生名頭文字」等の記事を載せる。〔小泉〕
◇ほうれいしゅうじぼん [3335]
法令習字本‖【作者】梅陽軒作・書。【年代】元禄四年(一六九一)書。【分類】社会科。【概要】特大本一冊。高札類・証文類を綴った往来として先駆的な例。寛文元年(一六六一)七月の「キリシタン宗門禁制」の高札(四カ条)、「年貢皆済以前の他国への穀物流出禁止」など五カ条の高札(年代不詳)、承応四年(一六五五)の「武州新倉郡小檜村五人組請状」(一五カ条)、「鷹場制札請状」(二カ条)、「差上申一札之事」(四カ条)、「雇人請状」(三カ条)、「村名尽」、大福帳以下「諸帳簿表書」、さらに「預り申米荏大豆之事」以下八通の「証文類・訴状例文」、「寺名尽」「消息文例」四通までを収録する。特に五人組帳をいち早く手習い教材とした点が注目される。本文を大字・五行・無訓で記す。〔小泉〕
★ほうれきじょう [3335-2]
鳳暦帖‖【作者】藤堂高潔(明卿・二洲・対縁・容斎)書。萩原秋巌(大飛・文侯・介庵・松?堂・古梁漁史)・井野審卿(好問・清左衛門・勿斎)跋。【年代】慶応元年(一八六五)跋・刊記。慶応二年跋・刊。[津]成趣園(井野審卿か)蔵板。【分類】消息科。【概要】大本一冊。伊勢津藩主・藤堂高潔が揮毫した数通の書簡を幼童の手本として上梓したもの。「新年祝儀状」「暑中見舞状」「寒中見舞状」など五通を収録する。もともと版下用に書かれたものではないため文字の大きさは一定せず、大字・三〜五行・無訓で綴ってある。巻頭題字(中沢雪城書)・本文・跋文を含め全一二丁の小冊子。〔小泉〕
◇ほおのきざんおぼえがきじょう [3336]
厚朴山覚書状‖【作者】松田治郎右衛門書。【年代】慶応(一八六五〜六八)以前書。【分類】地理科。【概要】「抑、南部朴の御金山をば、江戸にて川岸但馬、西山丹波と奪合申候所…」で始まる手紙文形式で、陸奥国南部・朴金山の沿革や同地の繁栄ぶりなどを記した往来。まず前半部で、元和八年(一六二二)に丹波弥十郎が花巻から当山に登って実地検分したことや、山小屋や坑夫の様子、採掘された砂金の等級など金山の概要を述べる。続く後半部で、同地の賑わいとして相撲・芝居興行や江戸・仙台から下った傾城衆が合計五五〇人にも及ぶことを紹介し、さらに金山奉行の面々や法度に触れる。松田治郎右衛門は弘化〜慶応(一八四四〜六八)頃に小友村で寺子屋を経営していたというが、あるいは本書の作者か。〔小泉〕
◆ほけつせんじもん [3337]
補闕千字文‖【作者】近藤某作。森佚山(常足道人・黙隠・修来)書・跋。竜草廬(武田草廬・竜公美・鳳鳴)序。【年代】明和六年(一七六九)序・跋・刊。[大阪]柏原屋清右衛門(称w堂)蔵板。[大阪]河内屋茂八(菅生堂・伴茂八)ほか売出。【分類】社会科。【概要】異称『小篆補闕千字文』。大本一冊。周興嗣の『千字文』以外の漢字で綴った異本『千字文』の一つ。「乾坤悠隔、闔氤、穹窿溥博、鴻濛渾沌…」で始まる文章で、天地、太古、殖産、動物、祭祀、守備、補弼、政治、旅行、古代帝王以下中国の歴史と人物等について綴る。本文を篆書・大字・三行で記し、各漢字の楷書を小字で付した陰刻手本である。〔小泉〕
◆ほこりたたき [3338]
ほこりたゝき‖【作者】不明。【年代】万延元年(一八六〇)刊(施印)。刊行者不明。【分類】教訓科。【概要】半紙本一冊。@宣契作「孝行和讃」†、A作者不明「因果和讃」、B白隠作(仮託)「施行歌」、C同人作(仮託)「ほこりたゝき」の四編を収録した仏教系の童蒙教訓書。@は文化九年(一八一二)板『孝行和讃』に同じ。Aも『孝行和讃』同様に、「南無や本師の釈迦如来、五濁悪世に出現し…」で始まる七五調の和讃形式で、七・五を一句とする全六〇句で、善悪・苦楽を全て因果の道理で説明する『因果経』の趣旨を略述する。Bもまた因果の教えを諭した七五調の和讃(七・五を一句とする全一二六句)で、慈悲善根や布施を勧める教訓である。Cは「帰命頂来やれ、皆さん聞てもくんない、おらが親父の御釈迦といふはな、若ひ時から商ひずきにて…」と講談調で綴った戯文で、釈迦が仏教を説くまでの経緯や日本における仏教の流布などを町人生活になぞらえて述べる。文中、仏教を「しにせの商ひ」とする一方、儒教・神道・石門心学を「商敵き」と批判する。本文をやや小字・一一行・付訓で記す。なお、本書と同内容で外題を『孝行和讃・因果和讃・施行歌・ホコリタタキ』とする異板では、同書「ほこりたゝき」の末尾に天保一三年(一八四二)五月と記す。〔小泉〕
◆ぼたにかきょう [3339]
菩多尼訶経‖【作者】宇田川榕庵(養庵・榕・賀寿麻呂)訳。【年代】文政五年(一八二二)作・刊。[江戸]宇田川塾蔵板。また別に[東京]佐伯志津磨ほか板(明治一二年(一八七九)板)あり。【分類】理数科。【概要】折本一帖。西洋植物学(Botanica)を日本に輸入した最初の文献で、俗耳に入りやすいように『仏説阿弥陀経』を模倣した経文形式(折本)で綴った植物学入門書。「如是我聞。西方世界。有孔刺需斯。健斯涅律私。木里索肉私。刺愈斯…」で始まる約一一八〇字の経文風の文章で要点を簡潔に説く。楷書・大字・四行(一行漢字一七字)で記し、当時の日本人に馴染みのない人名・地名・植物の名称などに読み仮名を付す。例えば、ミモザ(オジギソウ)については「亜墨利加(アメリカ)洲有草。号密莫沙(ミモサ)。若有物触。葉縮而萎」などと紹介する。『ショメル大辞典』の蘭訳本をもとに、数種の蘭訳書に依って綴ったものという。榕庵は二〇歳の頃、養父・宇田川玄真(榛斎)の宇田川塾を助け、医を業とする傍ら、門人子弟の教育にあたっていたが、榛斎から『ショメル大辞典』を示され、初めて「植物学」の存在を知り、山野の草木の採集と地道な研究の結果、この日本最初の植物学の指針書を二五歳の時に著したという。〔小泉〕
◆ほりのうちもうで [3340]
〈記行之神社仏閣・妙法寺景境絵図〉堀之内詣‖【作者】高井蘭山校。大喬堂書。【年代】文化一〇年(一八一三)書・刊。[江戸]花屋久治郎(星運堂)板。また別に[江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板(文政四年(一八二一)板)、[江戸]森屋治兵衛板(天保三年(一八三二)板)あり。【分類】地理科。【概要】異称『堀の内詣』『堀内詣』。中本一冊。江戸の四谷・新宿より堀ノ内に至り、同所散策後、井の頭をまわって江戸に戻るまでの沿道の神社仏閣等の名所と、堀の内・日円山妙法寺の縁起・由来を記した往来。「四方の海浪静にて、治る御代の時つ風、枝を鳴さず神儒仏、三の道明らけく、いづれ劣ぬ其中に、別て尊き鷲の嶺…」で始まる七五調の文章で綴り、ほとんど寺社縁起に終始する記述の末尾を「…日も漸(ようよう)黄昏に(およ)びしまゝ、家路に戻まいらせ候。かしく」と結ぶ。本文を大字・五行・付訓で記す。巻頭に「堀の内の図」、巻末に「直愈散」の効能書き(再板本では削除)を載せる。〔小泉〕
◆ほんしんちかみちまいちもんじ [3341]
本心近道真一文字‖【作者】保井怒庵原作。正山翁編・序。下河辺拾水画。【年代】安永一〇年(一七八一)刊。[京都]菱屋治兵衛(福寿軒・陵花堂)板。【分類】女子用。【概要】異称『〈本心近道〉真一文字』。半紙本三巻三冊、または二巻二冊(異板)。享保一四年(一七二九)刊『女家訓』†の挿絵を一新し、序文を改めた改題本。『鑑草』†を敷衍した女子教訓書で、孝道・守節・不嫉・教子・慈残・仁逆・淑睦・廉貪の八つの理を諭す。『女家訓』と同様に、本文の所々に孝徳・婦順・貞節・嫉妬・養育・教子・慈善・残悪・寛仁・淑睦・正直の一一題をモチーフにした挿絵を掲げるが、絵柄は異なる。なお、本書には三巻本と二巻本の二様があるが、まず『女家訓』を模刻した三巻本が刊行され、後に、本文の行数等や挿絵なども改めた二巻本が出版されたものと思われるが、刊記はいずれも安永一〇年になっている。なお、本書三巻本の巻末「陵花堂板行顕予目録(菱屋治兵衛蔵)」に「女家訓、西川祐信画作、全三冊」の広告を載せるから、同じ内容の本が二つの題名で同時に販売されていたことを物語る。〔小泉〕
◇ほんちょうおんなにじゅうしてい [3342]
〈新板絵入〉本朝女二十四貞‖【作者】不明。【年代】正徳三年(一七一三)刊。[京都]和泉屋茂兵衛ほか板。【分類】女子用(浮世草子)。【概要】異称『女二十四貞』『本朝女二十四孝』『日本女中鑑』。大本四巻四冊。妻・継母・娘・遊女などの各立場から貞女のあり方を諭した絵入りの女訓書。第一巻「唐門の梨の花は桜の妹」「お召の羽二重はひとへならぬ心」「朧月鎗梅を目当」、第二巻「学文に登り料は三百石」「旅挟箱二女ぐるひ一方ならぬ誉」「無筆の錠明ていへば吹鬢の艶お城米や」、第三巻「御恩の酒に酔樽の鏡にうつり気な夫」「丸腰の勇力女の氏は玉手箱蓋したる曰」「俄に成人の世倅二代の貞女産台の守」、第四巻「我慢の小刀裁板にみづ知ぬ兄弟に鏡」「聟になるからは詞を提重の家附の家来」「剃刀の端多金頓(やが)て身になる餞別」の如く各巻に三話ずつ、合計一二話を収録する。四巻尾題に「本朝女二十四貞、四、前集、大尾」と記し、刊記に「追付出来、本朝女二十四貞、後集四巻、前後八巻二十四貞也」と予告するように、本書の続編(後編)に『世間義理桜(異称『日本女中鑑』)』四冊本がある。また、本書の改題本に『〈平かな絵入〉本朝女百家記(本朝百家女中鑑)』がある。〔小泉〕
◆ほんちょうくにづくし [3343]
〈小学読本・大屋ト齦メ・高橋富兄閲〉本朝国尽‖【作者】大屋ト鼾。高橋富兄(富季・肇・曰理・梅園・古学舎)校。【年代】明治七年(一八七四)刊。[金沢]石川県学校板。【分類】地理科。【概要】異称『大屋ト齦メ本朝国尽』。半紙本二巻二冊。上巻巻頭に「大日本国名」「三府六十県」の名称を掲げる点では『本朝国尽』といえるが、「大日本ノ全国ハ赤道以北ニ位シテ、南ハ琉球二十四度、北ハ樺太五十五度、西ハ東京零度ヨリ十余度ニシテ、東ハ十五、六度に至ルナリ…」で始まる本文は、単なる国名の列挙ではない。まず日本全体の国土・気候、古名、政体・文化などを概説し、続いて、畿内より西海道・琉球に及ぶまでの諸国の郡名・人口・主要都市・その他地名・地形・物産等を記す。最後に日本の国土が極めて豊かなことを強調し、「皇国ニ生レタル者ハ力ヲ竭シ、身ヲ尽シ、国ニ勲ヲ立ザラメヤハ」と結ぶ。本文を楷書・大字・六行・付訓で記す。〔小泉〕
◆ほんちょうさんじきょう [3344]
本朝三字経‖【作者】大橋若水(玉・君美)作。柳田正斎(貞亮)書。安積艮斎(信)序。【年代】嘉永五年(一八五二)作。嘉永六年序・刊。牡丹舎蔵板。[野州]升屋浅吉ほか売出。【分類】歴史科。【概要】異称『皇国三字経』。初板本を始め多くが半紙本一冊。王伯厚作『三字経』†形式で日本歴史のあらましを綴った往来。「我日本、一称和、地膏腴、生嘉禾、人勇敢、長干戈、衣食足、貨財多…」で始まる三言一五四句の文章で、神武天皇より豊臣氏の滅亡に至る歴史を記す。特に、各時代の代表的人物を列挙して、政権と文明との推移を簡潔に記述し、末尾で、これら栄枯盛衰の歴史から学ぶべき教訓を「積善家、有余慶、積不善、有余殃、憂労興、逸予亡、慎厥終、無不康、盛衰理、人事彰」とまとめ、「読之者、冀勿忘」と結ぶ。本書には数種の板種が存するが、嘉永六年初板本は本文を楷書・大字・四行・無訓で記す。また、明治初年の類本には、著者を大橋訥庵と改竄したり、作者名を抹消したものが数種見られる。なお、本書と全く同内容で『皇国三字経』(別項『皇国三字経』†とは別内容)と題したものもある。明治初年に集学所から出版されたもので、題簽題・首題・見返題の全てを『皇国三字経』とするものの、巻末の再録本文には『本朝三字経』と銘打つ。〔小泉〕
◆ほんちょうさんじきょう [3345]
〈略解〉本朝三字経‖【作者】曽根水江(汲古堂)注・跋。越智道文序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[堺]鈴木久三郎(双鶴堂)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『三字経略解』『皇朝三字経』。半紙本一冊。大橋若水作『本朝三字経』†の注解本。前半に『本朝三字経』本文を三字一句毎に界線で区切って大字・五行(一行三句)・無訓で記し、後半に一句ないし数句毎に区切った本文をやや小字・七行・付訓で掲げて、二行割注を施す。注釈は平易・簡潔を旨とするが、人物について比較的詳しく紹介する。〔小泉〕
◆ほんちょうさんじきょうべん [3346]
本朝三字経辯‖【作者】富沢当英(峩琴・文哉・杏処)注・序。中島盤谷跋。【年代】明治三年(一八七〇)作・跋。明治五年刊。[京都]越後屋治兵衛(井上治兵衛)ほか板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。大橋若水作・嘉永六年(一八五三)刊『本朝三字経』†の注釈書の一つ。同本文を一〜六句ずつに区切って楷書・大字・七行・無訓で掲げ、各段落毎に丁寧な割注を施す。例えば、冒頭の「我日本、一称和」の二句に対して、『地球図説』『皇国諸史』『字彙』から引用したり、神代の神々を列挙するなどして一丁半三四行に及ぶ長文の施注を行うように、歴代天皇その他の人物事跡や語釈を中心に、類書中最も詳細な注釈書となっている。なお、『本朝三字経』の作者を大橋訥庵とする俗説に対して、本書は若水の小伝を紹介してこれを明快に否定する。〔小泉〕
◆ほんちょうさんじきょうべんもう [3347]
〈石崎謙著〉本朝三字経便蒙‖【作者】石崎謙(石埼軒)注。藤田維正(容斎)序。【年代】明治七年(一八七四)刊。[金沢]池善平板。【分類】歴史科。【概要】半紙本一冊。嘉永六年(一八五三)刊『本朝三字経』†の注釈書の一つ。『本朝三字経』の本文を四〜一二句ずつ楷書・大字・四行(一行二句)・無訓で記し、それぞれに平易な割注(語注や大意)を施す。注釈文中の人名に傍線を付して目立たせる。〔小泉〕
◆ほんちょうさんじきょうよし [3348]
本朝三字経余師‖【作者】橋爪貫一注。【年代】明治四年(一八七一)刊。[東京]播磨屋喜右衛門(播磨屋勝五郎・鈴木喜右衛門・文苑閣)板。【分類】歴史科。【概要】中本一冊。大橋若水作・嘉永六年(一八五三)刊『本朝三字経』†の注釈書。『本朝三字経』の本文を一句ないし数句ずつ大字・六行・無訓で掲げて平易な割注を施し、頭書に本文の書き下し文を掲げた「経典余師」風の体裁である。原本には施注者の記載がないが、明治七年刊『教の玉つさ』†(文苑閣板)の巻末広告に「橋爪貫一訳解」と記す。〔小泉〕
◆ほんちょうさんじきょうりゃっかい [3349]
〈余師〉本朝三字経略解‖【作者】青木可笑注・序。【年代】明治六年(一八七三)序・刊。[名古屋]美濃屋文次郎(玉潤堂・静観堂・三輪文次郎)ほか板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈童蒙専用〉本朝三字経略解』『本朝三字経余師略解』。半紙本一冊。大橋若水作『本朝三字経』†の注釈書の一つ。いわゆる「経典余師」形式で編んだもの。本文を一句ないし数句(多くは二句)ずつ、やや小字・八行・無訓で掲げ、数句毎に二行割注で平易に解説する。特に、日本史上の重要人物(神武天皇・神功皇后・仁徳天皇・阿部仲麻呂・孝謙天皇・小野篁・菅原道真・藤原道長・平重盛・源頼朝・後醍醐天皇・楠木正成・正行・足利尊氏・織田信長・豊臣秀吉)については、その出自や事績・生涯なども詳述する。頭書に、書き下し文に改めた本文を載せるほか、任意の語句を解説する。〔小泉〕
◆ほんちょうさんじきょうわかい [3350]
本朝三字経和解‖【作者】大枝美福注・序。【年代】明治一〇年(一八七七)序。明治一二年刊。[川越]菅間定治郎(明文堂)蔵板。三河屋友吉ほか売出。【分類】歴史科。【概要】中本一冊。『本朝三字経』†の注釈書の一つ。『本朝三字経』本文を三字一句または二句ずつ句切って細字の注解を施す。本文を楷書・やや小字・八行・付訓で記し、簡潔・平易に解説する。施注者は川越在住の士族で小学校教員。〔小泉〕
◆ほんちょうじょかん/ほんちょうおんなかがみ [3351]
本朝女鑑‖【作者】浅井了意(松雲・瓢水子・羊岐斎)作。【年代】寛文元年(一六六一)刊。[京都]西村又左衛門板。また別に[京都]吉田屋四郎右衛門(吉田四郎右衛門・松寿亭)板(後印)あり。【分類】女子用(仮名草紙)。【概要】大本一二巻一二冊。一〜一〇巻は『古列女伝(劉向列女伝)』†の七分類のうち賢明・仁智・節義・貞行・弁通の五部(各部を上下に分かち一〇巻とする)を採用して、倭迹々日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)から待宵侍従(まつよいのじじゅう)までの日本古代・中世の名女八五人の略伝を記す。誤伝・捏造の類が少なくないが、本朝『列女伝』の嚆矢として後世の類書に大きな影響を与えた。また、一一・一二巻は『女式』と題し、「序」に男女の別や「女常にまもりつゝしむべき事」を説き、以下、「初て生する女子の式」「女工ををしゆべき式」「女に三従の道ある式」「婦人は四徳を備べき式」「夫につかふる式」(以上上巻)「舅姑につかふる式」「人を召遣、つかわるゝ式」「うわなり妬を誡る式」「継子をはごくむ式」「後家の式」の「十式」について、和漢の故事などを引きながら諭す。全編を通じて仮名主体の文章(やや小字・一一行・付訓)で綴られ、各巻に挿絵数葉を掲げる。また、本文の一部を省略した改題本が多数あり、寛文一〇年刊『名女物語』†、天和二年(一六八二)刊『日本名女咄』、元禄八年(一六九五)刊『本朝貞女物語』、正徳四年(一七一四)刊『〈古今〉和国新女鑑(古今和国新女鑑)』、元文元年(一七三六)刊『本朝名女物語(日本名女物語)』が知られるほか、本書から『女式』部分を抄録した江戸前期刊『女しきもく(女式・女式集)』†三巻本もある。〔小泉〕
◆★ほんちょうせんじもん [3352]
本朝千字文〈傍注〉‖【作者】戸川後学注。【年代】安永四年(一七七五)刊。[大阪]渋川久蔵(書物屋久蔵・興文館)蔵板。田原屋平兵衛売出。『大阪出版書籍目録』によれば、[大阪]升屋彦太郎板、『江戸出版書目』によれば[大阪]田原屋平兵衛板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈素読〉本朝千字文』『皇朝千字文』。大本一冊。「日本開闢、謂国常立、弉冉二神、夫婦之根…」で始まる漢字四字一句・全二五〇句一〇〇〇字の『千字文』形式で、神代から徳川幕府成立までの日本歴史を概説した往来。伝説や実在の人物の逸話を中心に、大陸との交渉なども交えながら述べる。安永四年初板本には同一板元から「石刻」「傍注」「素読」の三種類が刊行されたが本書は「傍注」本で、本文を大字・三行・付訓で記し、各句の左側に三行程度の略注を施す。本文中に、日本武尊・仁徳天皇・光明皇后・安倍仲麿・融大臣(とおるのおとど)・朱雀院・安倍貞任・源義家・平清盛・牛若丸・源頼朝・朝比奈三郎・楠木正成・足利義満・雪舟・狩野古法眼・鬼上官・東山風景の一八葉の挿絵を載せる。本文冒頭に「益軒貝原先生遺稿」と記し、見返に本書が貝原益軒の草稿に戸川氏が訓点・傍注を施した旨を述べるが、益軒作は仮託である。『本朝千字文』は同年に挿絵を省いた『素読本朝千字文』†以後、明治初年までに半紙本・中本・小本など各種体裁が刊行された。〔小泉〕
◆ほんちょうせんじもん [3353]
〈新版大字〉本朝千字文‖【作者】蔦唐丸作・序。【年代】天明三年(一七八三)刊。[江戸]蔦屋重三郎(耕書堂)板。【分類】歴史科。【概要】異称『〈歴史提要〉本朝千字文』。中本一冊。安永四年(一七七五)刊『本朝千字文』†から割注と挿絵の全てを除き、別に種々の頭書を付けた往来。本文を大字・五行・付訓(稀に左訓)で記す。頭書に「天神七代」「地神五代」「人皇のはじまり」「中興武将伝」、本文末に「和朝年号記」を載せるほか、巻頭に「草香幡梭姫皇女(くさかのはたびひめのひめみこ)」の故事などの挿絵を掲げる。〔小泉〕
◇ほんちょうたいりゃく [3354]
本朝大略‖【作者】三井慎斎書か。【年代】江戸後期書か。【分類】地理科。【概要】「夫、日本国開闢之神代に国号を豊葦原千五百秋瑞穂国と定給ふ…」で始まる文章で、日本国号の由来とその異称、日本国の規模の概略を示した短文の往来。三井慎斎寺子屋に伝わる手本という。〔小泉〕
◆ほんちょうちゃきょう [3355]
本朝茶経〈茶道歌〉‖【作者】竹村一玄作・書。松寄亭(三室戸宮内卿能光)序。小山白嶺(蒼波亭)画。【年代】文化四年(一八〇七)序・刊。[京都]中川藤四郎板。【分類】社会科。【概要】大本一冊。日本における茶道の歴史、また、茶室・茶器・茶席での作法などを説いた往来。冒頭で中国では唐・宋の時代に喫茶の習慣が普及し、陸羽が初めて茶道の礼式を定めて『茶経』を著わしたことなどに触れ、続いて、足利義政が東求堂という茶席を設けて、貴賤が交流する茶会を初めて催したことや、本朝の「茶祖」と言うべき村田珠光、武野紹ゥ、千利休らの代表的茶人とその事蹟を略述する。さらに、茶会の案内や準備など亭主方の心得を述べ、また茶室の各部名称や室内の装飾品、茶道具その他の名称や種類・素材などについて詳細に書き連ねる。また、会席料理の種類や会席に必要な食器類や活花の諸知識等を盛り込みながら、茶器の名品の数々や鑑賞の仕方までを教える。本文を大字・四行・付訓の手本様に記す。本文中に廬路風景、亭主の配膳、水屋、会席、菓子などの見開き挿絵九葉(うち一部色刷り)を掲げるほか、巻末に茶道の心得を狂歌にした「茶道歌五十首」を載せる。なお、刊記部分に『続本朝茶経(一名、茶教往来)』の広告が見えるが未刊であろう。〔小泉〕
◆ほんちょうれつじょでん [3356]
本朝列女伝‖【作者】安部弘忠(黒沢石斎・有隣・玉峰)作・序。永田善斎(道慶・正明・平安・善吾)・野間三竹(子苞・北山散人・成大・静軒)序・跋。与村弘正(源弘正・三之丞)・李梅渓(全直・衡正・玄蕃)跋。【年代】明暦元年(一六五五)自序。明暦三年・寛文八年(一六六八)序。寛文八年刊。[京都]勝村治右衛門板。また別に大阪・伊丹屋善兵衛板(後印)あり。【分類】女子用。【概要】異称『本朝烈女伝』『全像本朝古今列女伝』『本朝古今列女伝』。大本一〇巻一〇冊。承応二・三年(一六五四)刊『劉向列女伝』†の編集形式を忠実に踏襲した数少ない女訓書の一つ。『劉向列女伝』に触発され、またその編成を模して、日本古来の賢女・妻女・貞婦・烈女の伝記を集めて身分別に編集した女訓書。巻之一「后妃伝」(狭穂姫以下二一人)、巻之二「夫人伝」(振媛以下一一人)、巻之三「孺人伝」(田道孺人以下三五人)、巻之四「婦人伝」(置目以下五三人)、巻之五「妻女伝」(車持氏女以下二六人)、巻之六「妾女伝」(弟橘姫以下一一人)、巻之七「妓女伝」(陸奥前采女以下一三人)、巻之八「処女伝」(美濃弟媛以下二九人)、巻之九「奇女伝」(都藍尼以下二九人)、巻之十「神女伝」(倭迹迹姫以下一一人)の一〇巻に分けて、合計二一七人(付録を含む)の小伝を載せる。尊卑上下から有名・無名の女性を選ぶが、巻之三〜五には庶民女性を数多く採用し、うち巻之四はほとんどが貞節の誉れで免税・叙爵された女性たちである。各巻とも略伝を漢文で記して所々割注を加え、末尾に四言八句の頌詩を置き、ほぼ全員の挿絵を施す。〔小泉〕
◆ほんやおうらい [3357]
本屋往来‖【作者】西川竜章堂作・書・刊。【年代】文政一一年(一八二八)刊。[大阪]西川竜章堂蔵板。塩屋平助(高橋興文堂)売出。また別に[大阪]河内屋平七板(後印)あり。【分類】産業科。【概要】半紙本一冊。本屋の子弟や奉公人の教育用に編まれた特殊用途の往来物。『商売往来』†と同様のスタイルで「書林用字」、すなわち書物の外題、あるいは角書、また書誌的用語、注解本の題名、特定分野の書名などを一通り列挙する。本に関する最小限の語彙と書名の持つ特色などを簡潔に綴る。「凡、書林取扱文字雖多、先、外題用字有増、初学・童蒙・道しるべ・指南・稽古・手引草・秘伝・集要・調法記・掌中・一覧・袖中抄・問答…」で始まる本文を大字・四行・付訓で記す。また巻末に「十干十二支」「月の異名」を掲げる。〔小泉〕