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半世紀ぶりの女子用往来目録

――「百人一首」を含む初の目録――


  考えてみると、本書にとって今年は因縁深い年である。
女子用往来の最初の目録であった石川謙(1891〜1969)の『女子用往来物分類目録』が大日本雄弁会講談社から刊行されたのが、今からちょうど半世紀前の昭和21年(1946)。そして、往来物コレクションの最高峰たる謙堂文庫架蔵の往来物が石川謙によって蒐集され始めたのが、約80年前の大正6年(1917)であった。因みに言うと、現在、東京大学総合図書館の架蔵にかかる岡村金太郎(1867〜1935)旧蔵の往来物コレクションも、実は大正6年からの蒐集であった。
  岡村は、蒐集開始後わずか5年足らずで『往来物分類目録』(大正11年 啓明会)を刊行し、往来物研究の火付け役となった。30代前半の石川が50代半ばの岡村を訪ねて指導を仰いだのはそれから間もなくのことだった。この時、岡村から「今から往来物を蒐めようとしても無駄だ。主要なものは、みんな私がもとめてしまった。あとはカスが遺っているにすぎない」と言われたことが、石川の往来物蒐集に拍車をかける引き金となったという。こうして大正末年から猛烈な勢いで蒐集し、さらに子息・石川松太郎氏に引き継がれ、5,500冊に及ぶ巨大コレクションが誕生したのである。
  岡村は、女子用往来の蒐集には消極的であり、百人一首にはほとんど関心を示さなかった。大正11年(1922)、啓明会主催の講演「徳川時代庶民教育の教科書たる往来物に就きて」の中で、彼は、女子用往来は「初めから余り変りがなく」、「何れも百科全書のやうなもので、而もどれを見ても大抵同じ様な事が書いてある様に見え」ると述べている。
  それから四半世紀を経て、石川の『女子用往来物分類目録』が上梓された。これは、「女子に専用な往来物」はもとより、往来物の「範囲を越えて広く女子のために書かれた一般教訓の書」、さらに「女児も学び男児も習ふ共通の教科書」をも含めた1,109件(付録記事中の往来物や重複分を含む)を、教訓科・消息科・社会科・知育科の四つに類型化したものだった。この目録は、女子用往来の初めての分類目録であり、本書の根本資料の一つである。
  いずれにしても、岡村とは対照的に女子用往来へ関心を寄せた石川であったが、「百人一首」に対してはさほどでなく、先の『分類目録』中には『錦葉百人一首女宝大全』『女教小倉草紙』など10件余が掲げられているに過ぎない。
  百人一首が「大抵同じ様な事が書いてある」ように見えるのは至極当然のことで、少なくとも1,200種以上の板種が存在する小倉百人一首(往来物)の多くが、板木の組み替えや外題替え、あるいは『女大学』『女今川』『女用文章』等の女子用往来との合綴によって何度も刊行されているからである。むしろ、刊行のたびに装丁や書名が改められたと考えたほうが良いかもしれない。その目覚ましい変遷を正確に辿るのは極めて困難であろう。
  小倉百人一首の目録は、すでに大正13年(1924)の宮武外骨著『川柳と百人一首』(半狂堂)所載の「小倉百人一首類書目録」(穂積重遠旧蔵)を始め、戦前から、個人や各機関の百人一首コレクション目録が種々刊行されている。近年では、日本最大のコレクションである跡見学園短期大学図書館の小倉百人一首関係資料1,219点の目録が完成し、百人一首研究の貴重な資料となっている。
  以上のように、女子用往来・百人一首とも分類・目録化の試みは大正期からなされており、このような数多くの先人の業績の上に本書が成り立っているのは言うまでもない。
  本書は、『江戸時代女性生活研究』(江森一郎監修『江戸時代女性生活絵図大事典』別巻 平成6年 大空社)所収の「女子用往来総目録」を大幅に改訂し、さらに刊年別一覧を増補したものである。参照・引用文献150点、原本調査延べ2,550件をもとに合計3,050種以上の板種について記載しており、また、研究者、図書館員、さらに古書店から蒐集家まで多くの方々に活用して頂けるように編集したつもりである。調査・研究にいささかでも寄与できれば幸いである。また、より良い目録を後世に伝えるためにも、大方のご批判・ご教示を懇願するものである。
  本書の刊行にあたっては、「女子用往来総目録」編集の際に指導・援助下さった金沢大学教授・江森一郎氏ならびに宮城県図書館・萱場健之氏、巻頭写真を始め調査等に多大な恩恵を蒙った謙堂文庫・石川松太郎氏、また、特に本書「百人一首の部」の校訂をお願いし、数々の資料や助言を頂いた同志社女子大学助教授・吉海直人氏、さらに、原本調査等に格別の配慮を賜った玉川大学図書館・東京学芸大学附属図書館をはじめとする各機関関係者の方々に深く感謝申し上げたい。
 
   平成8年2月
小泉吉永