往来物講座(第1〜4回)注

(1) 『日本大百科全書』(渡邊靜夫編 一九八七年 小学館)第一五巻七三四頁、尾下多美子「散らし書き」項。
(2) 『日本書道辞典』(小松茂美編 一九八七年 二玄社)二九六頁、前田多美子「散書」項。
(3) 『古筆大辞典』(春名好重編著 昭和五四年 淡交社)七九七頁「散らし書き」項。
(4) 近世では、このような書き方を一般に「並べ書き」と呼んだ。
(5) 前掲『日本大百科全書』第一五巻七三五頁。
(6) 前掲『古筆大辞典』七九七頁。
(7) 「勾当内侍など天皇側近の女官が、勅命を受けて女消息体(散らし書)で書いて出した文書。鎌倉時代に始まり、室町時代以後多く用いられた」(『広辞苑』第四版 *以下全て第四版)。また前掲『日本書道辞典』三四一頁「女房奉書」項に、「女房奉書の特徴は、日付、差出所、宛所を省略する」点にあり、「書式は、仮名消息に見るような雁行様をとり、書出は大きく書き、返書になると一段と小さく書いて読みやすいように配慮がなされている」と記す。
(8) 『続群書類従』巻第九一三上(続群書類従完成会『続群書類従』第三一巻下一九七頁以降)所収。
(9) 『貞丈雑記』第三巻(平凡社東洋文庫四五〇 島田勇雄校注 一九八五年 平凡社)四六頁。
(10) 『貞丈雑記』第三巻四七頁。ただし引用部の翻字は原本によって校訂した。
(11) 『続群書類従』巻第七〇二(続群書類従完成会『続群書類従』第二四巻下四六〇頁以降)所収。
(12) この「女文章教訓鑑」の記事は別項でも触れるように、長谷川妙躰の『難波津』中の書札礼の影響が確認できる。
(13) 正徳四年刊『難波津』中巻「女中文書やう心得の事」。
(14) ここでの例は、享保二〇年頃刊『女筆続指南集』巻末の柏原屋清右衛門蔵板書目によるが、同時期の妙躰手本にしばしば見られる広告である。
(15) 寛保二年(一七四二)板『女筆岩根の松』の巻末広告にも「近日出来」と記す。また、宝暦七年(一七五七)再刊『早引節用集』巻末広告(柏原屋与市板)中に「長谷川女筆物」として、『近江八景』『難波津』『さゝれ石』『蝉小川』『岩根の松』『指南集』『続指南集』の七点を載せるが、『女筆続後指南集』の書名は見えない。私自身今日まで未見の書であり、今のところ『続後指南集』原本は見当たらない。あるいは未刊であったか。
(16) 高尾一彦「女筆手本をめぐる諸問題」(樟蔭女子短期大学『文化研究』一号 昭和六二年)三八頁に、「女筆」とは「仮名中心の散らし書で雁行様式をとるもの」で「その内容は女房消息」であると述べている。
(17) 前掲「女筆手本をめぐる諸問題」三七〜三八頁。
(18) 本書は各項に往復二通ずつの手紙文を収録するから、本状は下巻第一九・二〇状である。
(19) 江戸時代の散らし書きの段数の数え方には統一が見られず、この場合、本文大字冒頭部の右下の語句(一カ所)を別に数えて「四段」とする場合もある。本書ではこれを段数に数えないことにする。
(20) 本状の頭注に「なやみはわづらふ也」とある。
(21) 頭注に「すべなきは、たよりなき心也」とある。
(22) ここでのくずし字は一応「かしく」としておくが、本書中の他の例文では「かしこ」と読むべき箇所がある。くずし字の場合、「かしく」と「かしこ」は字形上区別できないことが多い。
(23) 頭注に「いたうはつよく也」とある。
(24) 頭注に「むくつけうは、おそろしく也」とある。
(25) 頭注に「むねはしりは、きもつぶし也」とある。
(26) 頭注に「たゆみなくは、ゆたんなく也」とある。
(27) ただし、中巻も「松」にちなんだ書名であることは疑いない。
(28) 本例文は「かしく」が二回出てくる。ここでの「かしく」は本文中であり、文末に置く「かしく」と若干意味が異なり、一段目の折り返しを示す一種の記号である。このような「かしく」は一段目の末尾に続けて書かれる。すなわちここでは「花のさく」に続けて「かしく」を書き、それから二段目の「心地」へと筆を運んでいるのである。このように「かしく」を複数使用するのは、散らし書きの場合実際の文末が本文の左端にくるとは限らないため、第一段目の折り返し部分(文章左端の一番下に位置する)に「かしく」を置いたものであろう。すなわち、文面上の実際の末尾のほかに、視覚的に見た場合の左端末尾の意味合いから付けられるようになったものと考えられる。
(29) ここの「まいらせ候」は、句切りが不適切であり、本来は前の「なかめ」に続けて書くべき一続きの文句である。後述するように、このような語句の句切りや墨継ぎは居初津奈を始め多くの書札礼で禁止されたものである。
(30) 『通解 名歌辞典』(武田祐吉・土田知雄著 創拓社 一九九〇年)四二四頁。
(31) 「有名な古歌を自分の文章に引きふまえて表現し、その箇所の情趣を深め広める表現技巧。また、その古歌。物語などに多く見られる」(広辞苑)。
(32) 本節で述べるように語源的には「かしこ」であるが、近世に入ってからは「かしく」が一般的になり、近代に及んで再び「かしこ」が使われるようになり今日に及んでいる。本書では連面体の字形を考慮して翻字することに努めたが、活字本(翻刻)からの引用は活字本に従った。また、近世の刊本・写本は概ね「かしく」としたが、明らかに「かしこ」と読める場合に限って「かしこ」と翻字した。
(33) 「かしこ」の語源等は、真下三郎『書簡用語の研究』(昭和六〇年 渓水社)三八三頁以降に詳しい。
(34) 『日本国語大辞典』(昭和五六年 小学館)一巻三五五頁。
(35) 『日本随筆大成』第二期一六巻(昭和四九年 吉川弘文館)二八四頁。
(36) 前掲『書簡用語の研究』三八四〜三八五頁。
(37) 原本四七丁オ。前掲、平凡社・東洋文庫なら『貞丈雑記』第三巻六〇頁。ここでは原本により翻字。
(38) 『貞丈雑記』に載る『室町殿日記』からの引用は、この「れうかた」以下に約四〇字の省略がある。詳しくは、佐竹昭広ほか編『室町殿日記』(京都大学国語国文資料叢書一六・一七 昭和五五年 臨川書店)上巻一五頁を参照。
(39) 『古事類苑』文学部一(昭和四二年 吉川弘文館 *明治三四年神宮司庁版の複刻)四四五頁。
(40) 前掲『書簡用語の研究』五四七頁。
(41) 原本第三巻二六丁ウ。
(42) 前掲『書簡用語の研究』三九五頁。
(43) 中有。〔仏〕四有の一。衆生が死んで次の生を受けるまでの間。期間は一念の間から七日あるいは不定ともいうが、日本では四九日。この間、七日ごとに法事を行う。中陰。(広辞苑)
(44) なお、ここでの香奠は必ずしも金銭を意味するものではない。
(45) 『新増 女諸礼綾錦』三巻三冊本の下巻に所収(二巻二冊本には「女諸通用文章」はない)。
(46) 今日知られる板種には明暦板系統として、明暦三年松会板(外題『江戸 新用文章』)、明暦頃刊松会板異板、明暦頃刊異板(少なくとも三種。うち一本の外題は『かはり 新板用文章』)、寛文六年秋田屋板(外題『新板用文章』)、そして、これらを大幅に改めた改題本の江戸前期刊『新判 新用字尽』の七種、また寛文板系統として、頭書注釈付き村田屋板、頭書注釈付き異板(外題『大字 新板用文章』)、頭書絵抄付き村田屋板、頭書絵抄付き異板の四種が見られ、このほか明暦板系統の改題本として『筆得要文春秋袋』(江戸中期糸屋板)、また本書の影響を受けた用文章として正徳二年頃刊『万物用文章』、宝暦四年刊『新撰容文筆玉往来』などが知られる。
(47) この「義経含状」は寛文板系統では削除されたり、「国尽」と置き換えられたりした。
(48) 前掲『書簡用語の研究』三八七頁には、「恐々かしく」の書止の例(毛利輝元書簡)が見える。
(49) 『享保以後 大阪出版書籍目録』(昭和一一年 大阪図書出版業組合)九頁によれば享保一七年一二月出願であり、この出願年はほとんどの場合刊年を意味する。
(50) 用文章以外の往来物などでは「穴賢」の書止を置く例は見られるが、近世の用文章では極めて特殊である。

[補注1]
 春名好重編『古筆大辞典』(昭和五四年 淡交社)七九七頁「散らし書き」項によれば、漢字の秀句を散らし書きにした例として、伝藤原公任筆『色紙下絵朗詠集切』や伝源俊頼筆『大字切』があるという。
[補注2] 「安斎随筆」一(『新訂増補 故実叢書』二六回 昭和二八年 明治図書・吉川弘文館)一二六頁。
[補注3] この『女消息華文庫』は家蔵本である。以下、特に所蔵を断っていない女筆手本類は全て小泉蔵である。
[補注4] ここに掲げた各書札礼の出典は次の通りである。
 (1)『大舘常興書札抄』 *『群書類従』九輯六六八頁(平成四年 続群書類従完成会)。
 (2)『宗五大艸紙』 *『群書類従』二二輯六〇一頁(平成四年 続群書類従完成会)。
 (3)『伊勢加賀守貞満筆記』 *『続群書類従』二四輯下七一頁(昭和六〇年 続群書類従完成会)。
 (4)『女房筆法』 *『続群書類従』二四輯下四四三頁(昭和六〇年 続群書類従完成会)。
 (5)『和簡礼経』 *橘豐『書簡作法の研究』三一六頁(昭和五二年 風間書房)。
 (6)『簡礼集』 *橘豐『書簡作法の研究』三三四頁(昭和五二年 風間書房)。
 (7)『女文章鑑』 *母利司朗氏蔵。『江戸時代女性文庫』八六巻(平成一〇年 大空社)所収。
 (8)『女書翰初学抄』 *玉川大学蔵。『江戸時代女性文庫』六〇巻(平成八年 大空社)所収。
 (9)『女諸礼綾錦』 *家蔵。『江戸時代女性文庫』四〇巻(平成七年 大空社)所収(底本・玉川大学蔵)。
 (10)『新増 女諸礼綾錦』 *家蔵。『江戸時代女性文庫』四〇巻(平成七年 大空社)所収。
[補注5] 真下三郎氏は『書簡用語の研究』(昭和六〇年 渓水社)三九一頁に「桜のいわゐと候て、さうさう、文、殊更たるかな、もくろくのごとく給候、誠幾久しくと敷々に御入候。めでたくかしく…(以下追伸文)」云々の伊達政宗の書簡を引いている。このほか『伊達政宗書状』(仙台市博物館収蔵資料図録B 平成二年)にも「かしく」を用いた書状が数多く掲載されている。中には、同一書簡で主文末尾に「謹言」、追伸文末尾に「かしく」を用いた準漢文体書簡(ただし追伸文にはやや仮名が多い)の例(文禄二年(一五九三)七月、冨塚近江守宛 *同図録三頁など)も見られる。「謹言」と「かしく」の共存は、後述の「恐惶かしく」あるいは「恐々かしく」の発生との関連からも注目される。