往来物豆知識(柱)

 往来物とは、主に寺子屋で使用された初歩教科書の総称です。中古・中世に作られた往来物(古往来)の多くは、貴族子弟の学習用に編まれた往復書簡(模範文)であり、手紙文の行き来(往来)の意から「○○往来」という呼称が一般化しました。近世においては書簡文の体裁をとらない初歩教科書(「実語教・童子教」等の教訓文や「御成敗式目」等の法令文など)を含めて広く「往来物(往来本)」と呼ぶようになりました。今日伝わる最古の往来物は、平安時代後期成立の「明衡往来(明衡消息・雲州往来)」とされますが、最近の研究ではさらに時代が遡る古往来として「高山寺古往来」の存在が注目されています(ただし高山寺本は普及の足跡が見られないなど往来物と見なすべきかについては異論もあります)。以来、明治期までの約900年間に7000種以上編まれたと一説に言われますが、各種写本を含めると数万種を数えることはほぼ間違いありません。 往来物の分類
明衡往来釈氏往来尺素往来
近世刊行の古往来(左から「明衡往来」「釈氏往来」「尺素往来」)



【参 考】

往来物 (おうらいもの)
 中古より近代初頭にかけて盛んに作られ広く学ばれた一群の手本。もともと、進状・返状といった往復一対の手紙模範文、ないし模型文をいくつも収録して手本の形に編んだものを意味した。往来ともいう。 

【展開】 
〔中古〕 この種の手紙文例集を、手本群中の一類型として「往来」と呼んで学習するようになったのは、中古からであり、前期の「高山寺古往来」を先蹤とするが、一つ一つの往来に固有名詞を付して普及するのは、後期、藤原明衡の作と伝えられる『明衡(めいごう)往来』が最古である。中層以上の貴族・僧侶の子弟を目途に、社会生活に要用の事柄を集めた手紙文例集であるが、同系統の手本として『東山(とうざん)往来』が出現した。また、一か月往返二通ずつを収め、一年十二か月で二十四通の手紙で全巻をまとめるという手本としての編集形式をととのえようとした『菅丞相往来』のごとき往来も作られ、さらに特定の職分・職域ないし学問・技芸に限定した手紙文例集とみるべき『釈氏往来』『和泉(かせん)往来』等も現れた。

〔中世〕 貴族・僧侶に加えて、この期には、武家や上層庶民の子弟にも使用されるようになったため、多彩な展開を示している。まず前記『明衡往来』の系譜を履むものに、『貴嶺問答』(鎌倉初期作)、『消息往来』(室町初期作)などが作られた。また、室町末期にキリシタン信者を対象に編まれた『貴理師端(きりしたん)往来』も、記事内容の特異性を別とすれば、この系譜に属させることができる。次に『菅丞相往来』の後を受けるものとして、『十二月(じゅうにげつ)往来』(鎌倉初期作)、『新十二月往来』(同)、『御慶往来』(鎌倉末期作)等がある。特に『十二月』は、編集方法・内容から、この種の往来の代表と目される。さらに、『釈氏往来』『和泉往来』の流れを汲んで、『垂髪往来』(鎌倉初期作)、『手習覚往来』(同中期作)、『山密往来』(南北朝時代作)等が出現した。鎌倉中期ころから、手紙文練習にはいる準備段階として、単語・短句・短文のみを集めた手本が成立・普及した。この種の往来では、手紙文に常用される単語・短句を収めた『消息詞』がまず現れ、より広く日常生活に注目して単語・短句を集めた『雑筆(ぞうひつ)往来』(鎌倉中期作)、『新札往来』(南北朝時代作)、『尺素(せきそ)往来』(室町中期作)等が、これに続いた。さらに成語・熟語に限定して、これをいろは別ないし類別に配列した『拾要抄』(南北朝時代作)、会意文字の一つ一つを分解・総合して覚えさせようとした『瑣玉(しょうぎょく)集』(同)のごとき手本も作られている。南北朝時代にはいると、前記『十二月往来』と『消息詞』『拾要抄』との編集形態を折衷した形をもつ『異制庭訓(ていきん)往来』(南北朝時代作)、『新撰遊覚往来』(同)、『庭訓往来』(南北朝後期〜室町後期作)が作られ、『新撰類聚往来』(室町後期作)に及んだ。特に『庭訓往来』は、明治初年にいたる約五世紀間普及しつづけて、教科書界、ひいては教育界に深甚な影響を与えた。また同じ南北朝時代より、茶会席を中心とする『喫茶往来』(南北朝後期〜室町初期作)、地理教材に重点をかける『十三湊(とさみなと)往来』(同)、『富山之記』(室町末期作)、歴史教材に着目した『富士野往来』(室町初期作)といったように、内容を特定の学習分野に限定した往来が出現し始めた動向も見のがせない。これらのうちには、和漢混淆文の手紙文体によらず、記事文体はじめ種々の文体をとった往来が少なくない。

〔近世〕 生産力の増強、貨幣・商品経済の進展にともない、庶民の間に文字学習への必要が広汎に生じ、かれらの子弟が家庭なり寺子屋なりで往来を盛んに手習うようになったため、近世、とくに中期より明治初年にかけて、多種多様のものが作られ普及した。この事実は、当時における出版技術の向上・普及とも重なり合って生じた。これらを編集形態・内容によって分類すると、教訓・社会・語彙・消息・地理・歴史・産業・理数となり、文章形態では、和漢混淆文のみでなく韻文・散文で綴られた往来も数多く綴られた。『古状揃』(慶安二年原版)、『江戸往来』(寛文九年原版)、『江戸方角』(明和二年原版)、『都路往来』(近世中期刊)、『商売往来』(元禄七年原版)、『百姓往来』(明和三年原版)等は、こうした近世往来の代表的なものと目される。また、女子専用の往来も上記各分野にわたって作られ、特に女子教訓を趣意とする『女今川』(貞享ころ原版)、『女大学』(享保元年原版)等は、近代にいたってなお流布しつづけた。さらに近世では、すでに中世より手本として使われてきた『今川状』『実語教・童子教』のごときも往来の範疇に入れられ、諸法度集・五人組帳前書の類までが、手本として使われる限り、往来と呼ばれた。かくて近世では、往来は初歩教科書・初歩教材一般を含みこんで、近代国民教育用の教科書に深甚な影響を及ぼした。

【意義】
 
往来のほとんどは社会日常の事柄を題材に構成されていること、『源氏物語』をはじめ、『平家物語』『源平盛衰記』『曽我物語』など数多くの文学作品より影響を受けていること、『下学集』や「節用集」等の通俗辞書類と表裏して発達したこと、近世後期では、山東京伝・式亭三馬・十返舎一九・曲亭馬琴ら、民間市井の作家が往来著述を手がけたこと等の諸点で、教育史のみでなく、国文学史・国語学史上でも重要な資料といえよう。〔石川松太郎〕  
(「日本古典文学大辞典」 岩波書店)