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私的嗜好よた話…パソコンな話

第一回 (第二回へ


私がパソコンに興味を持ったのは、小学生のころだった。 当時はまだ、パソコンというよりもマイコンと言っていた時代だ。 世間ではファミリーコンピュータがちょうど登場した頃で、TVゲーム時代の入口であった。 当時の小学生の愛読誌、学研の「科学・学習」にたまに登場するパソコンの写真を 羨望の眼差しで眺めたものである。そのころパソコンと言えばNECの「PC-6000」とか シャープの「MZ-1500」とかバンダイ(だったか?)の「ぴゅー太」とかであった。 でも、本当のことを言えば、私はファミコンが欲しかったのだ。 友人宅で、「マリオブラザーズ」とか「F1」とかをやるにつけても、うらやましくて しょうがなかった。でも、私の両親は決して買ってはくれなかった。 大体、おもちゃを両親に買ってもらった記憶などない。いや、タイムボカンシリーズの 超合金なら買ってもらった。でも、小学生になった頃から、私がおもちゃを手に入れるには おばあちゃんにねだるか、お年玉をためるか…のどちらかしかなかった。 そんなこんなで、ファミコンを手に入れられない小学生は少々すねていた。 で、「ファミコンなんか、いらないや。それより、凄いパソコンが欲しい。」 という、理論が展開されていったのである。 とはいえ、欲しくてもどうしようもないまま小学校を卒業して、私は中学生になった。 田舎の、二クラスしかない小学校からいきなり一学年八クラスのマンモス中学校に進学である。 友人の数も違う。中には、パソコンを持っている連中も当然いるのだ。

私の中学生時代、日本のパソコンの主流はNECの「PC-8801MKIISR」であった。 折しも、パソコンゲーム全盛第一期(これは、私の主観であるが…)である。 しかし、我々のような中学生が持つことの出きるパソコンといえば、そう「MSX」である。 アスキーが規格を決め、各メーカーがそれにそって発売していた「MSX」は 考えようによっては現在のDOS/Vの発想に近く、どのメーカーのものを買っても 「MSX」用ソフトが動くというなかなか画期的なものであった。 とはいえ、マシン自体はほとんど非力に近く、家庭用TVゲーム機にキーボードが 付いたような代物であった。 半面、価格が安く、我々でもお年玉等をためれば買うことが出来たのだ。 たしか、中学一年生の冬であったと思う。お年玉をかき集めて、千葉駅ビルの中にある ラオックスでソニーの「HIT BIT-10」を購入したのだ。値段ははっきりしないが… 確か3万円くらいだったと思う。「ロードランナー」が同梱されていて、BASICの 通信添削もうけられるというパッケージであった。加えて、ロールプレイングゲームの 「ハイドライド」と「ブラックオニキス」も購入した。この当時、パソコンゲームの 価格は1本6〜7000円程。一介の中学生には、それすら今度いつ買えるか分からない。 お年玉のありったけをはたいた覚えがある。

「ひーとびーとのひっとびっと!!」 というCMを覚えている人もいるだろう。私が買ったのはあれである。 ソニーが出していた、といだけでも驚きなのだが、この当時「MSX」の規格にのって パソコンを発表していたメーカーは驚くほど多い。 私が覚えているだけでも、「ソニー」「ナショナル」「カシオ」「ヤマハ」 「日立」「三菱」。なかでも、「ヤマハ」「三菱」は高性能で売っていた。 結局この「MSX」規格はその後「MSX2」「MSX2TURBO(だったかな)」等など 次々と規格をアップしていくのだが…おおもとの「MSX」の規格があまりに 貧弱であったため、限界にぶち当たり程なく消える運命にある。 とはいえ、この「MSX」でパソコンに初めて触れた人はかなりの数にのぼるはずである。 その存在意義は十分にあったと言っていいだろう。 最近、秋葉原のソフマップで「MSX」用中古ソフトの発売が再開された。 まだまだ家庭にマシンが残っている人は、覗いてみるのもいいだろう。

なにはともあれ、憧れのパソコンを手に入れた私はおおはしゃぎである。 同じ「MSX」を持っている連中とソフトの貸し借り、そしてコピーに余念がなかった。 「MSX」のソフトの大半はROMカセット(ファミコンでおなじみのあれだ)で 提供されていたが、中にはカセットテープのものもかなりあった。 カセットテープである。ダブルデッキで簡単にコピーできるのはいうまでもない。 だって、考えても見てほしい、日曜日の朝放映していたパソコンサンデーという 番組では、その日紹介したプログラムをTVの副音声を使ってお茶の間に 流していた、そんな時代だ。厳密にいえば、我々のやったことは著作権法 違反であるが…もう10数年前のことだし、時効だよな。

当時のパソコンのイメージというのは「自分でプログラムするもの」というものであった。 どんなマシンにも標準で「BASIC」という言語が付いてきたものだ。 パソコンを勉強する=BASICを勉強する、であった。 でも、これを極められた人は少ないはずだ。私も、そんなひとり。 現在数多くいるパソコン嫌いの人達の多くは、この「BASIC」がトラウマになっているんじゃ なかろうか。 もっとも私は、ゲームにうつつを抜かしていたから、「BASIC」がトラウマに なることはなかった。(笑) そんな時代のパソコン雑誌といば電波新聞社の「パソコンBASICマガジン」通称ベーマガ であった。読者投稿のプログラムを山のように載せたベーマガはパソコン少年のバイブルであった。 自分でプログラムが組めなくても、書いてある通りに打ち込めばゲームができる。 付録のCDーROMに入っている、とかそんな時代ではない。自分で打ち込むのだ。ひたすら。 今のように、タッチタイプもできないから、一つ一つぽつぽつと打ち込む。 で、プログラムを起動してみると、エラーの嵐が待ち受けているである。しょうがないから、 本と画面を見比べてミスをさがす。この繰り返しである。 もっとも、まじめに(という言い方も変だが)これを繰り返していた人は、かなりプログラムの 勉強になったんじゃないかと思う。私は、途中でほうり出すのが常だった。 プログラムを打ち込まないとなると、あとは広告を眺めるばかり。 このパソコンが欲しい、このゲームがやってみたい。気に入ったゲームの広告を切り抜き クリアーケースに入れて学校に持って行き、授業中に眺めていたものである。 クリアーケースに入っていれば、「下敷きです」といいわけが出きる、という寸法だ。 でも、今でも会社のパソコンの上にカメラのカタログを山にしていることを考えると、 私の行動パターンは、なんら進歩していないということか…(笑)

  第二回に続く


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