僕が曽我部恵一にはじめてインタヴューしたのは、サニーデイ・サービスが『若者たち』をリリースした時。改めて調べてみたら95年なので、ちょうど10年前のことになる。当時サニーデイの音楽は、フォーキーとかまったりという言葉で語られることが多かったが、実際に話してみると、音楽の感触がソフトであるにもかかわらず、「ここから日本のロックの流れを変えてやる!」というほどの挑戦的な姿勢を持っているアーティストだということに強い感銘を受けた。当時ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬に、「音楽的な語彙はソウル・フラワーと違うけど、志の持ち方ですごく共通するミュージシャンがいるよ」と話した記憶があるくらいだから、そのインパクトは僕にとっても相当なものだったはずだ。
その後も曽我部には何度も取材したが、2000年にサニーデイ・サービスが解散してから後は、もっぱらリスナーとしてしか関われなかった。しかし2004年に曽我部が“Save the 下北沢”の賛同人として名乗りをあげてくれてからは、彼が出演した2005年5月21日のフリー・ライヴ“SAVE THE 下北沢 NIGHT vol.1”でPAを担当するなど、以前には予想もできなかったような関わりが生まれてきた。ちなみに彼が6月に発表した『sketch of shimokitazawa』は、ジャケットの中に“Save the 下北沢”のフライヤーを折り込むという熱意に満ちたものとなっている。
このインタヴューは、そうした中で僕がMUSIC MAGAZINE2005年8月号で、“Save the 下北沢”について書く原稿の中で、彼のコメントを盛り込むために行われたものです。
いつもながら文字数の制限もあるため、ROSE RECORDSとMUSIC MAGAZINE編集部の久保太郎氏に了承していただき、ここに全文のテープ起こしを元に再構成したものを、僕のホームページの特別企画として掲載することができました。
快く了承していただいた両者に深く感謝します!
思索に耽りやすい街──下北沢はいつ頃から拠点になっているの?
曽我部 ここの事務所は去年の4月かな。
──自宅も近いんでしょ、今。
曽我部 自宅はね、ちょっと離れてるんすよ。
──でも、ちゃりんこで来られる距離?
曽我部 ええ。──そこは長いの?
曽我部 もう3年くらいですかね。その前はもう、ここのすぐ裏の一軒家に住んでました。
──あ、そうなんだ。じゃあけっこう、やっぱり“下北に来る歴”長いよね。
曽我部 うん。
── 一軒家にはいつごろから?
曽我部 2000年かな。2000年の丸1年も住んでなかったか、何ヶ月間か…。
──バンド時代の終り頃じゃない?
曽我部 そうすね、そのくらいすね。
──僕が曽我部君にインタヴューするのもあれ以来、『LOVE ALBUM』以来だもんね。
曽我部 そうすね。
──ではまず、曽我部君から見た下北沢の魅力というのを聞きたい。
曽我部 下北の魅力! いやぁ〜いい街だなと思ってね…。昨日もそんな話してた。なんだろうな〜……う〜ん、田舎みたいじゃないですか。なんか。
──どういう部分が田舎っぽい?
曽我部 商店街のおばちゃんとかがいたりとか、あと古い、人(=お客さん)が入っていない(のに成り立っている)ようなお店もあったりするじゃないですか。ああいうのがあるのがいいなと思って…。
──やっぱり意識的にこのそばに住みたいなとか、仕事するにもいいなっていう。
曽我部 そうですね、そうですね、もちろんありますよ。住みやすい。なんか、文化的な感じ。貧しい=文化的な感じ。
──貧しい=文化的(笑)。
曽我部 ほら、青山とかだとさ、“お金”って感じの街じゃん、六本木とかも。あれはすごい商業的な街だと思う。下北沢はあんまりそうじゃないじゃないですか。で、なんか…もうちょっとこう重きを置いてるとこが違うのかなみたいな。文化だったりするのかなって感じです。お金というよりも。そういうとこが好きかなー…好きだし、居て楽だし、いろいろ思索にふけりやすい。喫茶店とかで。
──喫茶店とかで、なに? 考え事っつうか、曲のアイデアとか。
曽我部 うんうん、詩を書いたりとか当然のようにするし、あとは普通に仕事したりもするし。
──仕事?
曽我部 メール書いたり。
──あ、喫茶店とかで。
曽我部 うん。
──なるほどね。
曽我部 ちょっと気分変えたい時に、イーハトーボとかで。
──そうね、そういうの確かにしやすいよね。
曽我部 ようするに、青山だと、まぁ青山はちょっといいとこあるけど、えーと…渋谷!だと、行く喫茶店も商業的じゃん。もうおっさんがやってる古い喫茶店なんてずいぶんなくなってきたし。下北はそういうとこがあるじゃない、まだイーハトーボとかさ、トロワシャンブルとか。ああいうのがいいな。なんかそこに行くとまたなんかマイルスの本とか見て、なんか、おぉ!とか思ったりとかできるような場所があるっていうのが…。多分渋谷だとなくなっちゃうでしょ。六本木だともちろんなくなっちゃうけど、まだ下北はそれを許してるとは思う。…そういうとこが好きかな〜。
“Save the 下北沢”と曽我部恵一
──今回の道の話、とか“Save the 下北沢”の話を知ったいきさつを語ってもらおうかな。曽我部 HPじゃないかな、たぶん。それともチラシだったかな?
──駅前で配ってたやつかな。
曽我部 駅で配ってたっけ?
──モナレコードの行(ゆき)さん経由じゃない? 僕はもともと曽我部君が賛同してくれるっていう話は、行さん経由で聞いたんだよな。
曽我部 チラシだったと思う。チラシかHP。で、(くるりの)岸田君が書いてて、僕も書かなきゃと思って。
──あはは。
曽我部 岸田に遅れるとまずいんじゃないかと思って(笑)。
──あはは! まぁ地元だもんな。
曽我部 志田さん言ってよ!と思ったけど(笑)。で、こんなのあるの知らなかったって感じだった。とにかく、そんなのけしからんって感じでした。
──まずもう、知った瞬間にけしからんって感じだったんだよね。
曽我部 まずね。俺はね。
──曽我部君としては、まずどういうところでけしからんと思ったんだろう?
曽我部 要するに、知らないっていうか、聞いてないよっていうことだよね。
──あぁ、「勝手にやるな」って書いてあったもんね。
曽我部 そうそうそうそう(笑)。まぁ(お役所的には)勝手じゃないんだろうけど、俺、知らないじゃん!っていう、子供っぽい発想。で、子供っぽいスタンスの人が誰かいないとなとも思うし。俺はだから、子供っぽい位置の典型として自分を置いてますけどね。
──なるほどね。
曽我部 で、ほら、メガネで建築家の…。
──あぁ、金子賢三。
曽我部 そう、彼とかは、もうちょっと大人的な発想も持っててみたいな感じ。
──まぁ彼は“Save the 下北沢”の代表だからね。
曽我部 うん、だからまぁいろんな人がいるから、それはそれでいいなぁ、という…。
──で、実際にこの前(5月21日)、(“Save the 下北沢”のフリー・)ライヴをやって…。
曽我部 うんうん、楽しかったっすよね〜。
──いきなり俺がPAやることになって、びっくりしたんだけど…。機材もあそこの設備のままで。
曽我部 でも楽しかったですよね。とりあえずね。
──うんうん。
曽我部 ああいうのが街中でできるって、すごいよくない?
──っちゅうか、他ではできないだろうね、なかなか。
曽我部 渋谷はまず無理だし。渋谷でのゲリラ・ライヴってさ、もっとさ、違うじゃん、意味が。
──うんうん。
曽我部 下北だとあれやってていい感じがするなぁ。
──ゲリラ・ライヴといいつつ、なんか商店街の八百屋のおばちゃんが気にして見てるみたいなそういう雰囲気があるんだよね。
曽我部 そうそう。いいよね。なんかああいうのができる街だなとも思うし。あれで暴動とかさ、ね、新宿とかだとさ、昔さ、ラフィン(・ノーズ)が、ソノシートをばらまいて、警察がきてみたいなのがあるじゃん。ああいうのとは違くて、ただゆるく進行しているだけじゃん? 人はいっぱい来るけど、みんなゆる〜い感じで、音楽も俺の音楽だし、ピースフルな。なんかそんな風に進行していくの良いな〜と思って。「下北最高だな〜」と思ったけどね。
──まぁ、あれはあれで人が溜まりすぎて混乱とか招かないように、それは結構仕切りの方で気をつかってたけどね。
曽我部 そうだよね、そうだよね。
──ロフト・プロジェクトの平野悠さんとか、交通誘導一生懸命やってくれて(笑)。
曽我部 (笑)
──結構、だからいい面子が集まってきたなぁとは思うよね。もちろん出演者も含め、全体のスタッフも含め。
曽我部 うん、そうだね。
ぶっとい歌
──それにしても、曽我部君のステージはダイナミックだったね。ほら、この前(=3月7日)代々木の新しくできたとこ(=Zher the ZOO YOYOGI)で、ライヴやってたじゃない?曽我部 あぁ、豊田(道倫)君とやった時。
──そうそう、あれ見てた時もそう思ったけど、5月のピエロでのフリー・ライヴは、さらにダイナミックな感じがしたね。
曽我部 あの時はそうですね。もっとメロウにいく時もあるし、その時その時で違いますね。
──あの時見ていたのは、必ずしも曽我部君のファンだけじゃないもんね、通りがかりの人もたくさんいたし。もちろんそういう感じになるといいなって、俺達は思ってたんだけどね。
曽我部 そういうのいいっすよ!
──実際それまで名前しか知らなかった人が、あれがきっかけで曽我部君のファンになったって話は、俺の周りでかなり聞くからね。
曽我部 ほんと、うれしい。インストアとかもそういう感じするよ。お店の中でやってて、全然知らないお姉ちゃんとかの、足を止めなきゃと思ってやるからさ。大道芸人だよね、いわゆる。
──ソロになって、ほんとにカンペキにそういう感じになったなーと思ったよ。
曽我部 そういう部分は残しとかないとつまんないっしょ。なんかそこは自分のバランスというか。
──ちゅうか、すごいぶっとくなったじゃん、表現が。歌い方もすごかったよね、あん時。音圧あるときにも、マイクに近づいて音圧をがーっと出してる歌い方やん。普通張りあげる時って、ちょっとオフマイク気味にするのが、わりと一般的なパターンだけど、生一発でやるときの、ダイナミックな感じ出すやり方って言うのはこういう感じでやってるんだな、すげーマイクの使い方やーと思った。
曽我部 なんか変なところでやったりするからねー。
──まぁその分機材への負担がでかかったけど。入力過多になって歪んだりとかあったけどね(苦笑)。
曽我部 最近よくマイク使わずにやってる。
──特にあの時はPAで関わったこともあって、ふだんとは違う角度から曽我部恵一のモンスターぶりを、本当に思い知った!
曽我部 明日もね、沖縄いくんだけど、それもたぶんマイク使わないんだろうなって感じ。
──ほんっとライヴ・アーティストになったよね!
曽我部 そっすね、徐々に。楽しいなって。
──昔は「レコーディング・アーティストで良い」って言ってたのにね。
曽我部 言ってた。今はどっちかというとライヴがメインの…。
──だよね、完全にそうだよね!
曽我部 レコーディングはたまにその、ファン・サーヴィスって言うか、記録っていうか、まあこういうもんですよね。その時のスケッチって言うか。今ほら、アルバムってそんな重要じゃなくなってきたじゃん。世間的に。売れないし。みんなiPodでシャッフルして音楽聴くから。だからなんか、自分としてもアルバムも軽く捉えることが出来るようになった。最初はほら、キング・クリムゾンのアルバムみたいなの作らなきゃみたいに、必死こいてアルバム作ってたんだけど。最近までそうだったじゃん。アルバムの在り方って。でヒップホップが出てきてから、あんまそんなのないよね。
──まあ「レコード・コレクターズ」の世界は、それはそれであるけれど、20代とかはないだろうな。発想として。
曽我部 だから自分もなんか肩の荷がおりたというか。ぽんぽんぽんぽん出していきたいなと思って。これを6月に出して、また7月にもアルバム出るじゃんって。
──え、知らんかった!
曽我部 『ラブレター』っていうのが、出るんですよ。
──そうなんだ。すっごいペースだね。
曽我部 うんうん。
庶民的なピュアネス
──で、今回のCDなんだけど、最初はシングルって話だったじゃん、たしか(笑)。曽我部 そうなんですよ。2曲で500円って言ってた。
──そこからこのフル・アルバムになったいきさつを…。
曽我部 最初の案としては、いろんなミュージシャンが集まって、各自下北の音ってことで、下北にまつわる曲を、まぁ1曲2曲CDで出して、それが安価で売られてるって言う。そうすると、なんかフライヤー代わりっていうんじゃないけど、いいんじゃないのっていうようなところだったんですよ。
──うん。
曽我部 で、俺なんかいろいろ考えて、その… CDで2曲で500円ってちょっと弱いかなと思って。どうせだったら、はっきりこう刻印のように“下北沢”みたいなものを残しときたいなと思って。“下北沢アルバム”みたいなものをね。で、もうちょっと曲も増やして、ジャケットとかも凝って…。
自分が子供連れて買い物に来る下北沢っていう街、そんで仕事もしてる下北沢っていう街。ここがこれからどういう街になっていくか知らないけど、この道のこととか、いろんなものを含めて道路ができる前の姿っていうか、今の下北沢の現状みたいないいとこを残しておきたいなぁと思って。そうしたらアルバムとしてしっかりしたものにしたほうが、絶対聴き応えもあるだろうし。2曲ちょろっとプロテスト・ソングみたいなのやってもしょうがないなと思って。それは俺のファンって言うか、音楽聴く人に、しっかり伝えたいなぁみたいな。
──一時はシングルじゃなくなって、なんかミニ・アルバムになるらしいって噂が流れてたんだよね。そして出来上がったらフル・アルバムになっててさ(笑)。結局こんなにがんがん内容が膨らんでいったってことは、作ってる側としては、やっぱりすげーノリというかインスピレーションがあったんだろうなと思ったけどね。
曽我部 うん、ありますね。下北だからね!
──やっぱりその、愛着の感じがそのまま伝わるんだろうね。入っている曲は、かなり大胆なアレンジのやつが多いじゃない?
曽我部 うんうん。
──あれもやっぱり最近のライヴの雰囲気かな、とも思ったけどね。ライヴではもう、ある種ノンマイクでもかまわねぇ位の勢いでやるじゃん。今回のアルバムは、ベースと2人だけとか、普段あんまり僕がイメージしてなかった編成というか…。特に狙ったっていう感じではないの? 割と普段やってないことをがんがんやっちゃおうって感じにも取れたけど。
曽我部 普段作ってるものがライヴ会場でがーんってやるようなロックのエレクトリファイされたものとするならば、こっちはもっと内省的で私小説的なものにしたいな〜っていうのはあった。アコースティックな。だからもう、ほらこのジャケットの中に映っているのも奥さんと子供。これは買い物行く途中で撮ったんですよ。こういう意味のアルバムで良いなぁと思ってて。記録って言うか私小説というか…。
──なるほどね。それは要するに、道のことがあって、単に怒ってるぞっていうプロテストっていうのとはだいぶ違う。もっと、作品としての形にこだわってる感じだよね。
曽我部 下北っていう街の音だから、必ずしもロックンロールじゃないって言うか…。あの、フリーターばっかりいる感じの(笑)フリーターの奴らがわーって歩いててその上にこうなんか…かすみがかかってる。そのかすみを抽出したような音楽。フリーターの奴らはどっかでっかいところでロックンロールのガーンってバンドをやりたいんだろうけど、そうなってる奴らはあんまりいないじゃないですか(笑)。
──あははは。
曽我部 その感じ。
──そういうのに親しみもあり、みたいな…
曽我部 親しみはありますよ、すごく。
──自分も昔ああいう感じだったな〜みたいな?
曽我部 今もそうだしね。
──今もそうか(笑)!
曽我部 うん。
──でもそれがなんかわりと、他の街より居心地悪くねーだろうなって感じあるかもね。確かに。
曽我部 ほとんどここ(=事務所)で録ってますよ。
──あ、そうなんだ。
曽我部 ここで録った曲はけっこう多い。カリンバのやつも、この椅子に座ってこうやって、マイクをここにおいて。
──レコーダーはどういうの使ってたの?
曽我部 レコーダーは、Mac。
──なるほど!
曽我部 テープに録ったやつもあるけど、普通のMTRで。あと、1曲目の「かげろう」とかは、小さいMDのレコーダーがあるじゃないですか。マイクが付いてるやつ。
──1曲目を録った場所は?
曽我部 家のベランダ。
──雨が降っててみたいな。
曽我部 そう、フィールド・レコーディングみたいのもやってみたかったし。でもロックンロールのアルバムだとフィールド・レコーディングに持ち込むのは難しいから。だから俺、けっこう自分的には理想的なものができた。サティに捧げてるしね、エリック・サティに。
──え? それは気が付かなかった。
曽我部 言ってないけど(笑)。そうそう。サティは、こうみすぼらしい街の酒場でピアノ弾いてたりしてたの、バイトで。なんかそういうとこって俺最高だなって思うんだけど、そうやって出てきたものがあの「ジムノペディ」だとか、ああいうメロディーなわけで。だからものすごく、そのなんていうのかな……例えばラベルとか、とはまた違うと思うんだよね。もっと庶民というか、すごいピュアネスっていうか、ぶっ飛んだ世界かな。あの感じが好きかな〜と思って。だから、下北沢ってちょっとサティが愛した下町みたいな感じがしてて…葛飾区とかだと多分違うんですよね。
──(笑)ちなみに僕は葛飾区出身です。
曽我部 (笑)なんかそんな気がするんだよね。
──まぁ、イメージとして葛飾はくどそうだもんな。多分そんな感じじゃない? 下町情緒っつっても。
曽我部 うんうん。でもこのへんは、なんか丁度いい感じ。で、俺はサティが一番好きだから、そういうアルバム作ってみたいなとも思ってたし。そういういろんな要素がバシッてあったから、こういう感じになったかな。
豊田道倫との接点
──あとね、僕はこのアルバムを聞いて、実は曽我部君は、音楽の採り方というか、つかまえ方の視線や目線とかで、代々木でいっしょにライヴをやってた豊田君と、すごい共通するものを持ってたんだなって思ったんだよ。それまでは、曽我部君と豊田君でなんでジョイント・ライヴやるほど仲が良いのかよくわかんなかったんだけど、「あ、こういうところでお互いに親しみ感じてるのかなー」っみたいに思ったんだけどね。曽我部 あ、ほんと?
──メロディとかは全然違うんだけど、豊田君のやってるパラダイス・ガラージのアルバムのいくつかと、なんかその音のつかまえ方の雰囲気が、すごい通じてる気がしたのよ。
曽我部 いや、僕はすごい似てると思うんすよ。豊田君と自分。まずはコード進行とかコードの使い方がすごい似てるんです。お互いメジャー7の曲が多かったりとか。
──コード以外は?
曽我部 声が似てるんだよね、意外と。俺はもっと商業的な声を出すんだけど、それをやんないのが豊田君。
──ほ〜! そういう見方をしてるんだ。
曽我部 俺が多分なんも考えずに赤ちゃんみたいに歌ったら、豊田君みたいな声かな〜とは思うけど。俺は一応商業的に発声してるから、歌手っぽく(笑)。豊田君はそれをあえてやらないでしょ。で、たぶんでも、その根源になってるのはなんか似たようなところだな〜とは思うんすけどね。
──あと、まぁ今回はロックンロール・アルバムじゃなくて、すごく内省的な感じであえてやってるってとこで、それがある種、豊田君が持ってる内省的な部分とシンクロして見える部分もあるのかもしれないけどね。
曽我部 うんうん。
──あとそれを表現する時の、編成とかプロダクションの柔軟さ、発想の自由さみたいなところでも、あ〜なんか似てるじゃんって思った。
曽我部 うん。
比類無き手作り感覚
──これはかなり短い期間で、一気に作ったんでしょ?曽我部 そうですね。だって話始まったのがこないだだもんね。
──具体的にはどれくらい?
曽我部 確か4月に言い出して、5月の頭には音が上がるかなーと。
──今はまだ6月だから、結局、言い出してから2ヶ月でリリースまでしてるわけだね。それは曽我部君自身としてもいまだかつてないはやさじゃない?
曽我部 そうっすね。
──でも割と自然な感じ? 急いだっていう意識もない?
曽我部 あんまないっすね。進行もわりと余裕あったよね。ジャケットとかも。ただ、その布袋を作るのにけっこう時間がかかった。すぐに全部はできないから、分納っていうか、何セットかに分けて。
──素材とかも自分で選んで?
曽我部 うん、素材送ってもらって。ほんとは100%ヘンプがよかったんだけど、100%麻だと結構ざらざらしてて。これは麻と綿の混合かな。
──これ、作るのにかなりお金かかりそうだよね。手間も大変だし。
曽我部 せっかくだから。下北土産ですよ。いまだかつて下北土産のCDをつくったミュージシャンがいたかどうか知らないけど、下北でしか売らないわけだから、なんかちょっと変った物にしときたいなって言うのも、もちろんあって。で、このチラシも、もし道路ができたとしてもずっと入ってるとかさ、そんな感じがいいなと思って。あとは内容的に、みんな、下北沢ってこういう街なのかな〜みたいな、ちょっとその下北のメロウさが伝わっていくようなもんにしたいなと思って。下北に遊びにきた子に買って欲しいな。
──下北だけで限定発売しようっていうアイデアは、曽我部君から? それともSOS?
曽我部 それはね、SOSの中で最初っから下北のいろんな店に置いてあるのはどうかっていう案があって。で、いいですねって。でもなんか、その後になってからは、採算とるために全国発売ってことも言ってたんですね。
──そうなんだ。
曽我部 でも俺はまぁ下北だけのほうがおもしろいなぁと思って。自分的には下北と、あとは自分のHPで通信販売とかやるんだけど。そういう形で売ろうかなぁと。今後も。
──レコファンとか、すっげー派手に宣伝やってるもんね。
曽我部 ね、うれしい。すっごいうれしい。
──あれは実際は、置いてくださいって話を持っていったのは、ROSEのスタッフがやってる感じ?それともSOSの方でやってるのかな。
曽我部 いや、全部俺がまわってサンプルと紙資料を持って…。
──そうなんだ!
曽我部 もちろんもちろん! それは別に今回に限らずやりますよ、大体…。まぁ今回下北の場合は事情がちょっと違うから、みなさんにお会いして、今回こういう道ができるっていうとこから説明して…。
──ほう!
曽我部 ジェットセットの人とか道ができるとかあんまり知らなくて、今回知れてよかったって感じで…。
──お店の方のリアクションって直でわかるよね。そういうの。どんな感じ?
曽我部 いや、すげえよかった。おもしろがってくれるんだよね、さんざん今までルーティーン・ワークが続くわけだから、たまにそういうのがあってもいいじゃない。前に「世界のニュース」っていう作品をCD-Rで出した時も、みんなおもしろがっていっぱいとってくれたりとかしてくれた。
──あれはモナレコードで買いました。
曽我部 ありがとうございます。
──(笑)
曽我部 なんか、さんざん毎日同じようなCDがでてるからさ、たまにそういう特殊なものがでるのっておもしろいかもね、とは思う。なんかそういうので、よろこんでくれて。
──結局今、下北沢の何ヶ所くらい?
曽我部 えっと、まず、レコファン、ユニオン、ジェットセット、モナ、ヴィレッジヴァンガード、ハイライン。
──6ヶ所ね、あとはたぶん、飲み屋とかに置いとけば多分…
曽我部 に行こうかどうしようかなーと…あと古着屋サンとかも。
──あ、実際もう古着屋に置いてるんだ。
曽我部 古着屋とかでレコード買わないだろうと思ったんですよ。それが10枚置いたらすぐ売れて…これがだから、意外と売れてるんですよ。それがうれしいなーと思って。
──古着屋とか、要するにレコード屋さん以外だと何ヶ所くらい置いてあるの?
曽我部 いや、まだほとんどレコード屋さんしかおいてないですね。その古着屋さんは、知り合いの女の子がやってる、女の子用の古着屋です。で、次は「那須おやじ」ってカレー屋さんに置こうと思って。
──曽我部君はそうとう好きみたいだもんね、あのお店。
曽我部 うん。ただ、飲み屋においても、あまり売れないんじゃないかなと思うんだよね。どうかなー。だからSOSで今後出す人たちとも話してるんだけど、まぁ、みんなが好きで、日々行く店には置こうね、っていう話はしている。で、ファンの人もそれを知ってるようなさ。俺のファンの子はみんな「那須おやじ」に行ったりするから、そうしたら置いてあった方がいいんじゃないみたいなことで、置こうとは思ってるんですけど。
──なるほどね。
曽我部 あと、中古盤屋さんはまだ行ってないっすね。中古盤屋さんに新譜があるのってどうなのかなっていう感じがするから。中古見てると、新品だと高いような気がするし。まぁだから、一応(ディスク・)ユニオンとか、そういう主流なとこにあれば、間に合うかなーみたいな。
──それにしても、このジャケットの中に、ずいぶんいろんなものを入れたよね。
曽我部 そうです、いろんなものを入れるために苦労した。
──はじめからそういろんなもの入れようっていう発想になってたのね。
曽我部 そうそう。
──このイラストも自分で描いたんでしょ。
曽我部 自分で描いたんです。これはレコファン・ヴァージョン。
──あ、店によって違うんだ?
曽我部 違うんすよ。レコード袋と、着てるバンドTシャツが違うだけなんですけど。
──そうなんだ! 何種類くらい作ったの?
曽我部 各店でいろんなシャツ着てるから…いろいろ、いっぱい作ったよね。全部で十何種類。
──手が込んでるな〜! あとジャケットの裏のこぶしのマークなんだけど、ジャケットは、“AGAINST”って書いてなくて、中に入っているステッカーには“AGAINST”って言葉が出てくるのは、なんか狙いがあったのかな。
曽我部 いやなんかまぁ、ここにAGAINSTって言葉があったらくどいかなーって思って。こっちはまあこの、こういう、AGAINSTなんだけどこんな感じかなと思って。シールはなんか、電柱に貼ってみたいな。ここに入れた“Save the 下北沢”のチラシは、次のバージョンからは、次のチラシになるらしいですけどね。今、新しいの作ってるんですよね。
──そうだね。
曽我部 これがもうなくなっちゃったんだよね。
──そうそう、もう最後の五千枚を全部渡したんだよね。
曽我部 ありがとうございます。
──でもこのチラシの折り方に、金子賢三がすげー感動しててさ。
曽我部 それはね、おばちゃん。工場のおばちゃんだよね。ほんとは二つ折りにして入ればよかったんだけど、入んないんですよ。で、これしかないよねってなって、じゃこれでよろしくみたいにいったんですよ。工場の方にそれを説明してたのね、チラシ入れたいんで、この下北の道の問題に関連したものなんですよって言って。そうしたら、工場と仲良くしてもらってることもあって、全部折るのもただでやるからって、やってくれたんすよ。
──すごい話だな。五千枚だもんね。
曽我部 多分ホントは、組立料っていうのが発生するんですけど、今回はただでやってくれて…すごい理解のある方で…。ま、そこが有料だったら自分らで折らなきゃねっていうのは言ってたんですけど…したらうまくやってくれて。
──半端じゃない手間だもんな。
曽我部 うれしい。
──で、この折り方の指定してるのは曽我部君の方? この“Save the 下北沢”という文字が、見えるようになってるんだよね。
曽我部 あ、それはもう工場のおばちゃん。天才だよね…。
──そうなんだ。
曽我部 おばちゃんかわかんないけどね、はたしておばちゃんなのか(笑)。
──でも手作り感はすごいあるよね。
曽我部 そうそう、そういうもんにしたいなーと思って。
──元々曽我部君は、サニーデイの時から「工業製品を作るような感じでCDを作るのはすごくいやだ」ってずっと言ってたじゃない。その話を覚えてるから、ほんとになんかそういうすごい手作り感のあるものをやったなって感じがする。まぁ最近のあのCD-Rとかもそういう感じではあるんだけど、これはかなり徹底してるじゃない。
曽我部 まぁそうかもね、内容も含めてね。
──その徹底の仕方っつーのが、下北らしいんだなっていうようなところにつながってく。
曽我部 そうそう。だから必然的にそういう手作り感があるもので、今回いけたかなーって感じ。割といつもの、ちゃんとプロモーションもして、ツアーも組むようなCDだと、あんまり手作りをする必然性が見えてこなかったりするじゃないですか。で、今回はその、ものすごい手作りの感じで作るのがちょうどぴったり合ってた感じ。
──ある種、今までの発想をちゃんと形にできるチャンス到来、しめた、みたいな。
曽我部 そうそう。だから、すごいよかったですよ。買った人おもしろいんじゃないかな。
──いやーおもしろいだろうね。このジャケットからしてみたことないもんね。ほら、それこそさ、あのドゥルッティ・コラムの手作りのジャケットを思い出すなぁ。
曽我部 紙ヤスリのね。
──うん、あんな感じを想像する作品だよね、これ。
曽我部 そうすね、あれも一つの可能性だし、いろんなパターンがあっていいなと思うから、そういうものの一つでありたい。でっかい流通に乗っけないっていうのもその実験でもあるし…。
──五千枚だったよね。
曽我部 五千枚作って、まぁ、気長に売っていこうかなと…。でももう千枚以上売れてる、通販入れるともっとか。結構いいっすよね…。
──普段、他に出してるCDとは逆の発想が生まれちゃうかもしれないね。流通通すだけでまた違ってくるじゃない。
曽我部 まあね。
実はハード・コアなんです
──SOS(The Sound of Shimokitazawa 詳細はリンク先参照)とも今後ずっと連動していく感じ?曽我部 SOSっていうのがどこまで続く運動なのかちょっとわからないんですけど、まぁ自分が参加できる限りはしたいなと思ってるし。ただ俺はついこないだ知ったんですけど、SOS自体は、あの道路に対して反対でも賛成でもない。「みんなで下北を考えよう」みたいなスタンスを、取りたいということらしいんですよ。でも俺としては、反対派だから。まぁ反対の運動だと思ってたから。俺は基本としては道路が出来て欲しくないっていうのがまずは最大の目的なんですよ。で、これを出すことによって、道路の問題を知ってもらって、「まじで?」って思うキッズが増えればいいなと思ってる、基本的には。そうそう、明後日、インストアでツアーやるんですよ。下北、三ヶ所でライヴ。
──あぁ、そうだそうだ。
曽我部 で、それも“Save the 下北沢”の署名込みでやりたいなーと思って。で割と急を要する問題っぽいから。ただ、SOSの運動ってもうちょっとコンセプチュアルなんすよ。みんなあーだこーだいってる街って素敵じゃない? みたいな。で、みんなで街のことを考えるっていうコンセプトを楽しんでる感じはちょっとするのね。俺はどっちかというと、そうじゃなくて。
──“とめろよー!”みたいな。
曽我部 うん、ハード・コアなんですよ(笑)。
──実はね。
曽我部 だから、どっちの人間ってことは俺は全然無いんだけど、まず道路が出来ることに反対してる。
──もともとSOSはいろんなレーベルがあったうえで、CDの出し方のコンセプトとしてSOSがあるみたいな感じでしょ。
曽我部 まぁそうです。
──この『sketch of shimokitazawa』というタイトルも、もちろん「SOS」をなぞってるんでしょ。
曽我部 そうですね。まぁどういうアルバムのタイトルにしようかなーと思って… 最初は「下北沢アルバム」とか何でも良かったんだけど。で、前のがほら、あれだったんすよ、『shimokitazawa concert』っていうのがあって、あれは(キース・ジャレットの)『ケルン・コンサート』にかけてるんだけど、ジャケットもケルン・コンサートなんですよ。ピアノじゃないけどモノクロの、僕のポートレイトがあるんです。
──あれも買ったよ!
曽我部 あ、ほんとですか。で、前は『ケルン・コンサート』だから、次はマイルス(・デイヴィス)の『スケッチ・オブ・スペイン』でいきたいなーという。自分としては、下北のアルバムは毎回なんかそういうタイトルで、まぁSOSにもなるし、『sketch of shimokitazawa』。まさにアルバムそのままだし、いいかなぁみたいな。
──なるほどねぇ。東京以外のとこにツアーで回ったりする時も、ライヴ会場には持っていくわけでしょ?
曽我部 持って行こうと思ってますね。できるかぎり。下北を、たとえば田舎の子とか下北行ってみたいなと思ってて、それに幻想の下北を植え付けるためにちょっと地方でも売りたいなと…。昔、田舎にいた頃は、例えばヨチョコ(=代々木チョコレート・シティ)とかあって、代々木ってなんか、どんな感じだろうって想像してたんですよ。原宿ってどんなとこだろうとか。…まだクラブ、ピテカンとかあったのかな。「宝島」とか見て、どんな街だろうって思った街が結構あったんだけど、今ってあんまないじゃないですか。情報がぶあーってなってて、隅々までパキッて見えるっていうか…。なんか下北ってまだ、そういう街として可能性あるなーみたいな。
──ちゅうか、下北は紹介しきれないよね。きちっと整然とした情報で、紹介するには無理がある。
曽我部 どういう街って、いえないじゃん! こういう店があるからこういう街なんですって感じでもないし、わりと幻想の街だなーと思って。
──例えばじゃあ実際四国にいる頃とかって、下北ってなんかイメージしたりとかってしてたの?
曽我部 その頃は下北うんぬんってまだ言われてなかったから。
──なるほどね。
曽我部 まず東京来て行ったのは新宿だったし。…下北うんぬんって感じじゃなかったかもしれない。宝島とか見てても。
──そうかもしれない。宝島とかにはあんまり出てなかったかもしれない。
曽我部 80年代はライブハウスもあんまりなかったっすね。
──今は多いよね。CLUB Que以降だよな。
曽我部 あと、東京来て、下北沢に来始めたじゃないですか。その頃と較べて人が多い。
──多いね。
曽我部 なんかそれは、自信。俺の街じゃないからあれなんだけど、あ、こういうあり方って間違ってないんだなーっていうか、キッズがのってくってのはいいなーって思ったりはするけど。要は、その、ゆるくって、車とか来れないし、でもいっぱいいろんな人がそれの魅力を知って来てるっていうのはうれしい。日曜日とかすげー歩きづらいけど、いいなーと思って。ロンドンとかで言うとカムデンタウンとかブライトンとか、音楽とか文化があるちっちゃい町で、けしてでかいビルとかないんすよ、デパートとか。でもなんか、若い子達が来るみたいなのっていいなって。
こっからは巻き返し!
曽我部 今、“Save the 下北沢”はどういう感じなんですか?──この前、代案を出して、1万人の署名と一緒に行政に提出したところ。あれを作ってる頃は、実は俺はもう「こんな道作んなくていいじゃんってだけで十分だろ」って思ってたんだ。でもそうじゃなかった。より良い街にしていくためのことを考えてるんだっていうことが分かってもらえるだけで全然違うんだよね。ネット関係で、“Save the 下北沢”のことを、揶揄する意見もあったりするんですよ。「あいつら結局なんかわいのわいのさわいでさー」とかって。そうすると「いや、でも彼らのHPみれば分かるけど、ちゃんと代案作りまでやって、すごくまじめに町を良くしようっていう主張をやってる人たちみたいよ」みたいな。そういうやり取りが起こる状況にちゃんとなってるんだよね。
曽我部 なるほど。
──あとね、音楽関係で言うと、“Save the 下北沢”でもオムニバス盤を作ろうっていう話があるんだよ。それは俺も参加する。そのために作った曲もあるんだよね。
曽我部 実際署名することって、重要なんですか?
──重要っていうか、もうあれはある種、行政に対しての示威行動だよね。こんだけの人間が気にしてるんだぞって言う。
曽我部 じゃあ集まれば集まるほどいい?
──うんそう。
曽我部 地方からでも?
──そう、もちろん、もちろん。議会で多数決で決まるとかそういう問題ではないからね。勝手にポ〜ンとハンコ押すっていう、そういう世界だから、議会では問題にすることはできるけど、止めようがないんだよね。だから、うかつにハンコ押すとまずいかなって思わせるくらいに、「おいおい!」って言う声が、ざわざわと聞こえないと、やばい。
曽我部 一応俺のHPからもリンクが張ってあるけれど。もうちょっと署名してくださいっていうようなことを声高にいったほうがいいのかな。
──あと、署名するってことで、単に「道が出来るんだって」っていうところから、もっと事態を理解するし。例えば地図見るだけでも、いかにこれがメチャクチャな計画かってことを分かってくれるじゃん。「これじゃぁ街がまっぷたつじゃん!」ってとこまでは、さすがにいくでしょう。
曽我部 買収とかは始まってるんですか?
──買収とかは、事業認可って手続きを踏んでからじゃないと、出来ないんですよ。だから実際に事業認可がおりて、工事が始まるっていう話になると、まず買収がコツコツコツコツ始まって、中途半端な空き地がガンガン増えていく。で、そうすると、買い物する人とか、下北に来なくなると思うんだよね。
曽我部 来なくなるよね!
──しかも、それ10年後にやっと完成みたいな、そういうことだから。さらにまだ、それから先の両隣の地域の道を作るのに、まだ何十年もかけるつもりだから。しかも、これ59年前の計画じゃん。同じようなタイミングで、同じような形で埋もれてる道路計画って他にもあるんだよね。で、下北で「お、うまくいったなー」っていう感じになると、おそらく「じゃあ次はこっちだ、その次はこっちだ」って言う感じになるんじゃないかな。
曽我部 街を変えるのはあんまり良くないと思うんだけどね。すぐ変えるからね。
──必然性があって、少しずつ少しずつ、リフォームリフォームみたいな感じで行くんだったらまだ分かるけど。これはリフォームと全然違うもんな。上からガーンってブッ潰す感じだもんな。
僕の実家の葛飾とかさ、もともとは下町情緒すごい濃いとこだったんだけど、やっぱりこういう感じででかい道路作られて。で、しかも急行が隣町の松戸っていうところにがんがん停まるようになったら、金町に住んでる人間が、結構二通りになっちゃってさ。昔から住んでる人たちと、高層マンションに住んでベッドタウンとして暮らしてる人達。街中の交流が全然無いみたいな感じになっちゃったんだよ。昔から住んでる人達っていうのは、やっぱりそれなりに、もう70歳になるけど、お互いに小学校時代から知ってるみたいな、そういう感じなんだけど、そうじゃない人っていうのはもうまったく街と接点がなくて、寝に帰るだけだから、商店街で買い物もしないわけ。そうすると、俺の小学校時代の同級生がやってた下駄屋とかそば屋とか薬局とかいろいろあるんだけど、実家に帰るたびに、歯が欠けるように店が無くなって駐輪場になってたりするんだよね。それ、ほんとにイヤな感じだよ。妙な開発をしなければ、もっと良い街として成り立っていたのに…。曽我部 力が強い人が儲かるようにってことだからね。そこが納得できないところなんだよね。誰のためのことかなーって考えてみる時に、力が強い人間が儲かるために、全てが行われているっていうことでしょ。世の中今そっちの動きですよね。みんな精神が衰弱しちゃってくる。
──そうじゃない希望をね、見せるようなものに出来ないかなと思ってるんだよね。
曽我部 そうなんですよね。夢が無いからね、今、とにかく。
──そうそう。ちゃんと希望を持てるような形にならないと辛いんだけどね、成り行きも含めてね。それにしても今回は作り方からしても即時性があって、すげーなと思った。俺達はここまで来るのに一年半かかってるからさ。
曽我部 もうちょっと早くコラボレート出来ればよかったと思ってるけどね、もうわりと、タイムリミットが…
──まぁ今年度中に事業認可が出るか出ないかでだいぶ違っちゃうからね。ただ認可されたとしても完成するまでには10年かかる。あと、これはどこまで伝わってるかわかんないけど、何であそこまで広い道路を作るかっていう裏には、結局道路が広ければ広いほどそれに面してるところに高い建物を建てられるっていう、そういう理屈があるんだよね。で、結局なんか、六本木みたいな感じにしたがってる気配ではあるんですよ。高層ビルをがんがん並べて。
曽我部 きっと国としては日本中すみからすみまで六本木みたいになればいいんですよ。経済も回るし。でも、そんな話ってないよね!
──それで実際に人が来る、来続ける街になるんだったら、俺達が不快でも、もくろみがある種、成り立つっていうことなのかも知れないけど、それで人が来ない街になってしまったら…。実際、バブルがはじけて、ある程度高い建物ができたけど、そのままになっちゃってる悲惨な街がたくさんあるじゃん。床面積だけ多くって、みたいな。
曽我部 結局何十年先のこととかって、考えないんですよね。アホなんですよ。言っちゃえば。賢いのかも知んないけど。
──ああ、分かっててやり逃げみたいなね。
曽我部 なんかインディアン達、ネイティヴ・アメリカンって、百年先のことを考えて一つ今日の何かをやるって言うけど、そういう知恵って、今絶対働かないだろうし。だけどやっぱり街に住む人間としては、そういう意味で生きていたいし、と思う。だから「勝手なことすんなよ」って思うし。自分達の子供達とか、その先の子供達とかが、生きていく街という意味で考えているのかどうか、今の再開発の計画っていうのは、非常に怪しいじゃないですか。
──逆に、“Save the 下北沢”の代表の金子賢三とかは、やっぱり曽我部君と同じように小さい子供がいてさ、「この子が育った時にこういう事で悩まない街にしたいから、今頑張ってるんだ」って言ってたもんな。すごい生活感があるんだよな。そういったところでいうと、今回の作品も、もちろんプライヴェートな気配もあるけど、すごい生活感のある表現だなって思うしね。
曽我部 生活感のある表現ができる街なんですよ。「スケッチ・オブ六本木」だと、もっと商業的なものだと思うのね。でも『sketch of shimokitazawa』だと、こうメロウな私小説的なものになりうるっていうのは、すごい伝えたいな。そこが伝わればいいな。こういう音楽が生まれてくる街なんだみたいな、風に伝わればいいなと思ってます。
──そうだね。それにしても今回は本当に道を巡る動きの中で、すごい良い作品に出会えたなと思ってます。
曽我部 こっからはだから巻き返し! 自分的には参加したのが後だったから、こっからもっと、いろんな意味で参加していきたいなとは思うんすけどね。道が出来ちゃったらしょうがないからね。自分的には参加したのが後だったから、こっからもっと、いろんな意味で参加していきたい。もうちょっと大きい、ドンとしたこともやりたいと思ってます。
──うんうん。これからも力を合わせていこうね。今日はどうもありがとう!!
2005年6月24日 下北沢・ROSEオフィスにて
取材・文d志田歩
テープ起こしd佐々木理恵(Save the 下北沢)