バリのモモ!!その2
2001/07/13

 さあて!3日め!なんと!ホテル出発が朝4時30分。飛行機が、6時半なのです。今日は、バリ島から、ジャワ島に移動の日。ジョグジャカルタヘいきます、今回の旅の目的 遺跡めぐりです。仏教の古い遺跡、ボルブドールヘ。これは世界遺産です。
 3時半のモーニングコール。フワアアアア!!眠いけれど期待感でシャキ!!
あさってまたこのホテルに戻るので荷物をあずけて。この時間の移動は私一人なので、私一人の為にお迎えが、、ガイドさんもたいへんです。朝御飯はホテルがお弁当を作ってくれて。。そうそう、なにが美味しいって、泊まっていたホテルの朝食のバイキングのおいしいこと!!映画の王様と私の王様の朝食みたい!!どこもかしこもお花が飾られて果物いっぱい。。でも、お弁当だとパンと卵と。。少しさびしいな!
 インドネシアの国内線にのってジョグジャカルタに到着!!バリの人より「濃いな」の印象のガイドさんと運転手さん。でも、日本語も上手。このジャワ島での、旅はなんと!!私一人にガイドさんと運転手さんがついてくれて。なああんて贅沢!!!
 予定を変更して、まず早朝の間にボルブドール遺跡を見ましょう。とのことでした。
朝市によってみましょう。と連れていってくれました。なんて活気があるんだろう。ありやナマズまでうってるし。決してきれいってな物ではないけれど。みんなの目が輝いている。私はすごく珍しいみたい。見たこともないような、野菜や果物もたくさん。
 世界遺産になっているこの遺跡は、ブッダの誕生の話が、壁面にずっと描かれていた。
でも、世界7ふしぎの一つとされていて、この遺跡は18世紀まで火山灰に埋まっていたという。そういえば、ポンペイの遺跡もベスビアス火山の噴火で埋まったっていってたなああ。炎天下はとてもあついので早朝を狙ってたくさんに観光客があつまっています。
遺跡のパワーは何かを感じます。ガイドさんが説明をしながらたくさん写真をとってくれるので、写真が沢山できてうれしいな。
イスラム 結構のぼりがきつくてたいへん。どうやら私は珍しいようで、イスラム教の高校の生徒達が集まって記念撮影となってしまいました。
 物売が沢山やってきて、売り付けるのを振払うのは結構大変でした。でも、日本語を一生懸命勉強してなんとかお金を稼ごうとする姿は、、ウン!すごい!
 今度は、少し高い山へ向かって王宮のあと。まるで、ジャングルみたいです。インドネシアの昔の王様。その歴代の記念館。ジャワのサラサがこれまた魅力的です。
 インドネシアの独立の話し。そうそう、デヴィ夫人の話し。インドネシアが独立したのも、このジョグジャカルタの若者たちのパワーだったのです。パワーといえば、町を走るオートバオイの数、人のかず。暑い日ざしのなかで、ものすごいパワーは感じます。
 ジャワ島はほとんどがイスラム教。そして、一日三回のお祈りを守ります。
どんな場所にも、お祈りの場所を作ってあって、時間がくるとお祈りをしていました、私のガイドさんも手足を水で浄めてお祈りをしていました。

   今度は今の王宮へ。そこには、一日中王宮のガムランの演奏があります。
曜日によって、演奏だけの日、人形劇もつく日、踊りもつく日。奉納です。

   やはり、何かを考えます。とっても。基本的に、自然が物凄く豊かだということ。
ガイドさんはいいました。ここには何でもある。ガソリン、金、銀、銅。水、海 食べ物。本当です。稲作は、年三回。なまけものは一度しか収穫しないけれどねって だから、たんぼが、同じ成長をしてない。収穫寸前のお米の隣に、田植えの稲が。
手を伸ばせば、バナナがある。バナナの葉っぱはお皿になってる。やしの実の若い葉っぱは、お餅を包むのにちょうどいい。やしの実は食器になる。猿も一杯住んでる。
 やしの実の歌は、この黒潮にのって日本までやしの実が流れてきた歌。わあああ、なんだかすごい!!

 基本的に優しい気質のインドネシア人が、ヨーロッパの植民地になっていったことは容易に想像がつきます。私は、日本に帰ってその足で、紀ノ国屋にいって本をまたまた買ってきました。どうしても、いろいろ知りたくなりました。

 ガイドさんは、私の食事の時に屋台で御自分の食事を買ってきてつきあってくれました。ほら屋台でも同じものをうっているよ。って。気候は、南国、緑とうがらしの辛さがあうんです。お醤油の中に緑のとうがらしが入ったソース。これをトムヤンクン的なスープに入れて「カラ〜〜〜〜く」してのむと、これ私大好きかもしれない。
 インドネシアの女の子は、このとうがらしをスプーンでどんどん食べるのがはやっているといっていました。
 確かに痩せるかも。。美しい女の子が沢山います。魅力的です。

 午後、ホテルに到着。数時間後にインドネシア料理をして、そのあと、ラーナマヤのバレエを鑑賞です。  雨がふらなければ外です。
 朝早かったから、少し眠くなりました。

 ホテルについたら、今日の日課、ウオーキング&ジョギングタイム。一度、ホテルの外に出ましたが、ここはもう町中、ホテルの中の、ゴルフ場の回りを回るコースをみつけました。ジョグジャカルタ(通はジョグジャというそうです)でも、有数のホテルだそうで、ゴルフ場がホテルの中にあります。

 ひゃあああ、あっつい!炎天下になってしまって湿気もあるし。おかげでいい運動になりました。

   さあ、夜です。学生の街といっていますが、まあ、すごい人人。車もビュンビュン。食事をして。ところが!!雨がふってきました。ラーナマヤのステージは見事な物でした。
本当にレベルが高い。舞台では火も使います。

 ここで、また考えました。西洋音楽、西洋の芸術は本当にあるひとにぎりだ。
中国にいったときに、京劇としてしっかり舞台を作っていないもの、このように食事をしながら見るところの歌い手の音域には驚かされました。
 でも、インドネシアの踊りのセンス歌のセンスは、もっと柔らかくてチャーミング。
何かが、やっぱり、ここにある。

   一日動き回って、夜になると眠いのですが、この長い舞台も面白くみれました。

さあ、4日目。今朝は、少しゆっくり、10:30出発です。
まず、蚕の工場、絹の工場へ。植物園の様な、木が山程はえています。バナナにも手が届きます。女の人が、自分より大きな草の束を背負っています、牛のえさだそうです。
そうそう、女の人が頭に山のような荷物を乗せて運ぶ姿が多く見かけられます。それと反対に道ばたに何時間も座り込んでる男の人たちも見かけます。

 今日は、ジャワの染め物、バティクを見る日。ガイドさんは、昨日の夕食の時、インドネシアの盛壮だといって、バティクのシャツを着てきてくれました。少し、浅黒い顔とその織り物はすごく似合います。フィリピンのオーバーブラウスとは全く違います。
 この辺独特のセンスです。
 棉と絹が在るのですが。ここでの蚕は、繭の色が金色です。チョウチョも金色。だから染め上がりが全く違います。またしても、びっくりです。やっぱりヨ−ロッパ人にとっては、宝の島だったでしょう。

 繭の敷物を買って、さあ、バティク工場へ。そうそう、その間に、ガムランのCDを買いたいとお願いして町のCD屋さんに。さすがに 鞄は前にかかえて!の指示がありました。ナポリ級の危険度です。両替したいとお願いすると、レートのいいところまで連れていってくれました。パーソナル状態です、ほんとラッキーーー!!

 バティク。ここで、また考えました、、、ヨーロッパの織り物もたくさんみたけれど 私は、何かを感じるな、、って。ハンガリーの染め物も有名だけれど。色彩感覚も自然の色からうまれるわけだし。そうそう、スパイシー。カナ??
 少し夢中で買い物をしました、私としてはめずらしい。

 ガイドさんは、私をなにもの??ってききません。回りのガイドさんはいろいろきいてきます。今回は、急な思い付きな旅だったので、日本の大きな旅行会社にお願いしました。さすが大手。とってもしっかりしたガイドさんをつけて下さったようです。
 何かの話で、歌をうたったり作ったりするから。。と説明しました。
すごく喜んで言ってくれました、アーティストなら喜ぶところがあるから。。って
影絵 ジャワの伝統的な影絵をみれる場所です。ラーナマヤの叙事詩をガムラン影絵で見せるのです。人形を扱って、物語りを歌って語る人。この人は高級取りです。結婚式などによばれていくそうです。
 お祭りの時は、夕方から明け方まで、この人形劇を見るそうです、みんなねっころがりながら。今流行りのヒ−リング効果です。
 何か私もすでにはまっています。
 このお店がまた私を喜ばせました。水牛の皮でできた御人形。
 マホガニーの木の木彫りのお面。イタリアの仮面がすきでいつか買いにいきたいな!とおもっていました。  でも、このラーナマヤの王子とお姫さまのお面はすごく素敵です。
 ここでも、珍しく買い物に夢中!!

 荷物が増えました。このジャワ島の締めくくりは、ヒンズーの遺跡。
ここがまた私を夢中にさせました。夕方のその風情。月夜にあの踊りをおどったら本当にひったりです。
 ラーナマヤの奉納が満月の夜にはあります。石で積み上がったその寺院。
 三つの神様。保護と創造と破壊。破壊はシバ神です。学問の神は、上半身が像。
神にはそれぞれの乗り物があります。白鳥であり、鷲であり、牛。日本の八百万の神とにています。
 バリ島は90パーセントヒンズー教で、このジャワ島はほとんどイスラム教。
ここにもなにか、秘密がありそうで。。

 本当に素敵なジャワ島。ガイドさんと、運転手さんのおかげです。
またあいましょおお!!とジョクジャから、バリ島へもどりました。

 バリ島に戻ると、とても整とんされてきれいに感じました。
 それだけ、観光化されているということかな。バリ人は、ジャワ人より色が白いようにおもいました。
 今回のお迎えは、ウブドでケチャクダンスに出演しているという人。まんまるいお目めが印象的です。日本にもケチャックダンスで公演に行ったといっています。
 日本はどう??ときくと、暑かった!だって。

 今晩は最後の夜食事も自由です。私はひとつ絶対にいってみたいところがありました。
プライベートビーチに向かって高台にあるバー。。この日はほとんど満月です。
 ホテルの中は全て足下の照明で、それはなかなか言葉で言い表せないムード。風は海からのそれも爽やかな風。。確かに新婚旅行にちょうどいい。
 でも、相手に夢中でこの贅沢な風をかんじられないともったいないなああってすごくおもいました。
 海に向かって、月の光で波が白く見えたり、雲に隠れて海が音だけになったり。

 もう、大満足でバタンキューーー

最後の日です。オプショナルツアーで、私は、キンタマーニをえらびました。。
 「ええええ!!!」っていう名前でしょ??バリ島の火山と湖。高台なので涼しいのですって。いや、彼等にとっては寒いそうです。

 またまた一人の豪華なツアーです。一日めに案内しいてくれた、若いボーヤのガイドさんでした。日本語を一所懸命勉強してガイドになったそうです。でも、お客様からクレームが三回ついたら、クビだから厳しいといっていました。なあるほど。

 キンタマーニは、素敵なながめでした。活火山なので、たまに小さな噴火があるようです。そこの、パックのお食事。日本人が多い!!。でも、6月は、少ない時期でいい季節のようです。

 その帰りに、めったにみれないものがみれました。
 御葬式です。バリ島は、火葬なのですが、お金がない場合、まず土葬、そしてお金が出来たときに火葬にするそうです、
 私が遭遇したのは、その村の偉い人だったようで、その場でやぐらを組み火葬が始まりました。白と黄色は聖なる色で、火葬のやぐらは学園祭のみんなで作ったお神輿という感じでした。輪廻転生を信じているから、死ぬのは恐くない。そして、お金には執着がないのがバリの人々です。
 美しくお供えのお花をかざり、お祈りをして
人々には階級があり、言葉がちがうそうです。結婚すると女性は男性の階級になる。
お見合いはない。そんな事を、ガイドさんは教えてくれました。

   普通のおみやげは、もういいので飛行機まで、サンセットをながめるのをつきあってくれて。バリのいろいろな話をききました。

 夕日を犬も一緒にみました。白人の肌はなんだか白すぎて、バリの風景とは合わないようなきがしました。有色人種としての共通のなにかをすごく感じて、うん!来て良かった

 そしてまた来たい!!とニコニコのバリのモモでした。

 そうそう、この「バリのモモ」というのは、このガイドさんがつけたんです。、

「バリのモモ」っていうブランドをつくればいいよ!って

 バリから日本に向けては、よるの飛行機です。空港に在る、日本食やさんで、わかめとおとうふを食べてみました。そこでお金を全部つかって飛行機にのりこみました。

 夜中うまく眠って、時差が一時間。朝到着。成田からのリムジンでぐっすり眠るとその日も働けます。これはいい!!


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