若葉の住人、「紺三郎君」が 若葉案内をしたい!と
メールをくれました。

1997/08/15

紺三郎の歴史散歩(若葉町篇)-1

西念寺( 若葉一丁目)

西念寺 MOMOさんのスタジオの前の道の突き当たりが浄土宗・西念寺。(一分かからない)。
 伊賀忍者の元締めで、槍の名人「槍の半蔵」こと服部半蔵のお墓(新宿区指定史跡)があります。

   家康の長男信康が織田信長の命により切腹した時、検使をつとめた(天正七年1579年)半蔵が、信康供養のため、文禄二年(1593年)に麹町清水谷に西念寺を造りましたが、寛永十一年の江戸城拡張工事の際、いまの場所に移されたということです。

   与力三十騎・同心二百人を配下におき、江戸城の警護に当たっていましたが、半蔵が居を構えたのが半蔵門の近く。これが現在の半蔵門の地名の由来です。

   ここ西念寺には、三方ケ原の戦(元亀三年1572年)で手柄をたてた服部半蔵が、浜松城で徳川家康から拝領したといわれる槍(新宿区登録文化財)があるそうですが、残念ながら非公開。

   半蔵さんは五十五歳没(慶長元年1596年)。法名「西念」。

     *西念寺の横を通って3分くらいで次の東福院です。

紺三郎の歴史散歩(若葉町篇)-2

東福院と豆腐地蔵(若葉二丁目)


東福院  新宿通りから文化放送への道を入ると、すぐ急な坂になります。この坂が東福院坂。坂の途中に真言宗・東福院があります。

 むかし、東福院横町に豆腐屋さんがありました。よこしまな、あこぎな商売をするので評判が悪かったこの豆腐屋さんに、ある時からお坊さんが毎晩豆腐を買いに来るようになりました。
 この頃から、竹筒に入れたお金がシキミの葉に変わってしまうようになりました。

「これはきっと狐・狸か妖怪変化がお坊さんに化けていたずらをしているに違いない」と思いこみ、ある日、そのお坊さんに切りつけます。ひらりと身をかわされ、お坊さんは忽然と消えてしまいましたが、その後に点々と血が落ちているのに気づいたお豆腐屋さんはその後をつけました。
地蔵

 と、東福院の地蔵堂にでたので、ふと中を覗くと、蜘蛛の巣だらけの荒れたお堂の中に、満面笑みを湛えたお地蔵さんが座っているではありませんか。
 驚いたお豆腐屋さんは、早速自分の非を悟り「ヤバイ商売はやめよう」と改心し、勧進修行を重ねて立派な地蔵堂を建てました。それからというもの、この豆腐屋さんは繁盛して隆盛を極めたました。
 それ以来、だれ言うとなく「豆腐地蔵」と呼び信仰を集めたということです。写真の中央が「豆腐地蔵」。

*東福院坂を下って左へ折れ、すぐ右へ急な坂(戒行寺坂ともあぶらげ坂とも呼ばれています)を登り、すこし行って闇坂(茶の木坂とも言われる)という急な坂をくだる。5分位かな?

紺三郎の歴史散歩(若葉町篇)-3

 

八幡太郎義家と鐙ガ淵 ( 若葉三丁目)


暗闇坂若葉公園 暗闇坂(写真左)を下ると若葉公園です。

   昔、このあたりは、清らかな清水がこんこんと湧き出し、夏でも涸れることのない大きな沼だったそうですよ。
 八幡太郎義家は、奥州征伐の軍勢を率いて澄んだ水を湛えたこの沼のそばを通りかかりました。沼の美さに惹かれてひと休み。馬にも水を飲ませたのですが、はずみで鐙を落としてしまいました。
 先を急ぐ義家は後に心を惹かれなが立ち去りました。
 後に、里人たちはこの沼を「鐙ガ淵」と呼びならわしたということです。
 いまは、沼の痕跡はありませんが、公園の真ん中に浅く小さな池があって、子供たちが水遊びをしています。

 *ぶらぶら歩いて30分位でMomolyスタジオに帰ってこられます。坂が多いので結構ダイエットしますよ。
 そう、帰り道は同じ所を通らずに、まだまだいろいろありますが、今回は若葉町だけ。 次の機会にご案内しますね。


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