「感激のライブ! ウインターランド」

サンフランシスコへ行くと決めた時からウインターランドへは必ず行こうと思っていました。
ウインターランド・・・フィルモアなき後のロックの聖地、クリーム、ジミ・ヘン、ストーンズ、ザ・バンド等多くのミュジシャン達がシノギをけずったホールです。
ウインターランドでコンサートを見る・・これが最大の目的といっても過言ではありませんでした。
現在と違い、当時は外国のライブの情報なんてほとんど入手できず行ってみなければ分からないという状況でした。
せっかく行ったけど何もコンサートがなかったなんてことに遭遇したらもうガッカリですよ。
幸運にもマイク・ブルームフィールドのライブを見ることのできた私と友人の小原氏はある晩、イベント誌を何気なくながめていたところ「チャ−リ−・ダニエルズバンド」のウインターランドのコンサートの告知を見つけました。
コンサートの2、3日前のことだったと思います。
南部の親玉がシスコにやってくる!見のがしていた・だから英語の雑誌って嫌いだよなんて言いながら、明日チケットを買いにいくことを決めました。
当時の日本には南部のバンドはほとんど来日せず、例外は飛行機事故前のレイナ−ド・スキナ−ドくらいでした。
わたしはこの来日公演を見のがして悔しい思いがあったのでチャ−リ−・ダニエルズバンドでうさを晴らすことにしました。
チャ−リ−・ダニエルズってカントリーだろなんて言う人もいます。
とんでもない!骨太のサザンロックですよ。たしかに「fiddle」なんか使いますからそういうイメージがあることは分かりますが実際はツインギータ−のいかしたロックバンドです。
そういえば街のレコード屋さんのショーウインドウにチャ−リ−・ダニエルズのアルバムがやけに飾ってあったのはコンサートの宣伝を兼ねていたんだなと分かりました。
翌日、デパート「メイーシーズ」のプレイガイドを訪れさっそくチケットを購入しました。
よかった、ソ−ルドアウトではなかった。
年輩の女性が「チャ−リ−・ダニエルズね。ちょっと待って・・」と言いながらなにやら端末を叩くとチケットが2枚ポンポンと出てきました。
アメリカってスゴーイって素直に思いましたね。
今でこそ、日本もコンビニでチケットが購入できますが、やはりアメリカは進んでいました。
購入後、腹ごしらえに久しぶりにラーメンを食べにジャパンタウンへ向います。
そこで味噌ラーメンを食べ店の外へ出て何気なく周りを見渡すと、なんと赤い縦字で「WINTER LAND」という文字が目に飛び込んできました。
ここかあ・・・こんな所にあったんだ。いいタイミングで下見まで出来てしまいました。
ここなら夜遅くなっても十分歩いて帰ることができる距離です。
準備万端 あとはコンサートの日を待つだけ・・

1978年2月25日 「ウインターランド」

待ちに待ったコンサート当日、夜8時開演なので7時半くらいにわたしと小原氏は安ホテルを後にします。
ほどなくウインターランドへ到着。少し人の列があり、並んで入口へ向います。
「おっと なんてこった!」入口に本日の出演「チャ−リ−・ダニエルズ」そして「リック・ダンコ」という名前があるではないか!ウインターランドでザ・バンドのリック・ダンコが見れる!やったーラッキー!
そしてもう1つ「スティル・ウオーター」という名前もありました。知らない名前でした。しかし後でこのバンドには吃驚させられました・・・・・
簡単な身体チェックのあといよいよ会場内に入りました。そこは・・まるでここはアトランタ・ジョージアか・・・南軍の旗があちこちで振られ、カウボーイハットのお兄ちゃんもそこいらにいます。
そして場内すでにモクモクしています。火事ではありません。
小原氏が感極まって「おれは今、アメリカに来て本当に良かったと思ってる!これだよ・これだったんだよ」
そうです。これを体験することが目的だった。
アメリカに来てからいいことばかりじゃなかった。英語力の無さで恥をかいたり、多少人種差別的な扱いも受けたこともありました。
もちろんオカマのジョン君(マイク・ブルームフィールドの頁参照)や親切な人も沢山いました。
とにかく、今までのいやな事は今日で全てお終いにしよう。
おれたちはこのためアメリカへ来たのだから・・・・・
アリーナはもう一杯でしたので、ステージ右側の1階席に陣取りました。
ステージも近く満足、満足。
忘れてましたが、チケット代は6ドルでした。当時のレートが230円くらいでした。
ウインターランドはアリーナ、その両脇にイス席、あと2階席もあります。
キャパは5000人くらいでしょう。
午後8時定刻、会場のライトが一斉に落ちました。ビル・グラハムは時間にはうるさいと聞いていましたがそのとおりです。
「ジョージアからやってきたスティル・ウオーター!」という紹介のあといよいよコンサートが開始されました。スティル・ウオーター、初めて聞く名前でした。メンバーはまだ幼さが残るような感じで、ずいぶん若い連中だなと思いました。
トリプルギターにベース、ドラム、キーボードそしてボーカルというレイナ−ドを思わせる編成です。演奏が始まってびっくり!この若造どものなんて上手いこと!
3人のギターがそれぞれソロを取ったり、ユニゾンでやったり本当に達者な連中です。
南部のバントの底辺の広さを感じました。途中でチャ−リ−・ダニエルズバンドのギター、トム・クラインがレスポールを持って登場してしまいました。
4人ギターです。意気の良い演奏を聴いてご機嫌です。
翌日スティル・ウオータ−のアルバムを即購入したことは言うまでもありません。
アンコールも含め45分でスティル・ウオーターのステージが終わりました。
暖かい声援、拍手が続きます。
15分のインターバルの後リック・ダンコの登場です。
「戻ってこれてうれしいよ!サンフランシスコ!」というリックの挨拶のあと演奏が始まります。
ザ・バンド解散後、精力的にツアーをやっていた時期だったので力の入った演奏でした。
さて1曲目は「ロックオブエイジス」に入っていたディランのナンバー ウィ−ルズ オン ファイヤーでスタート。
バンド時代よりハード・ヘビーな演奏です。
あーおれはあの「ラスト・ワルツ」の会場でバンドのリック・ダンコを見ている・・・幸せ!
リックのソロアルバムは未聴でしたが彼のファンとしてはあのボーカルが生で聴けたことに感動!
たしか4曲目でした。リックがピアノに合図をしてあのイントロが聴こえてきました。
「ステージ・フライト」です。あーおれはあの「ラスト・ワルツ」の会場で「ステージ・フライト」を聴いている・・・・至福の時間が流れます。
想像以上に激しいリック・ダンコのアクションにビックリ。
でも、リックって好い奴なんだろうなと感じさせるステージでした。
やっぱりアン−コールを含め45分でリック・ダンコのステージが終わりました。
場内から大きな歓声が飛んでいました。
またまた15分のインターバルです。
インターバルの間、ウインターランドでの今後のコンサートの予定を場内アナウンスでお知らせしていました。4月何日 フォガット!というアナウンスの後、場内から大歓声が起こりました。
すんごい人気です。わたしもフォガットは大好きなバンドでしたのでうれしいやらビックリするやら。
日本では想像も出来ないフォガットの人気の高さでした。みんなはフォグハットと言っていました。
さてステージの上はツインドラムの準備も整いいよいよチャ−リ−・ダニエルズの登場です。
ビル・グラハムのMCの後、チャ−リ−・ダニエルズバンドがステージに登場してきました。
この時はイス席のみんなも総立ちで迎えます。
「最高だぜ サンフランシスコ!」とチャ−リが叫んでステージが始まります。巨漢ぞろいのバンドです。南部の香りがプンプンします。スケールの大きい演奏が続きます。イケナイものがあちこちで回っています。モクモクは最高潮に達しています。
ツインドラムは初めて見たので興味津々でした。
当時は分裂状態だったオールマンをつい想像してしまいます。
とにかく音が良い!PAの状態はとても良かったです。
わずか6ドルでこんな素晴らしいコンサートが堪能できるなんてやっぱりアメリカはスゲーやとつくづく思いました。
後半、マウンテンジャムのような長いインストを演奏しました。
それぞれがソロを取りツインドラムのソロもありサザンロックの醍醐味を十分に味合わせてくれました。
最後はおきまりの「ORANGE BLOSSOM SPECIAL」です。
なにやらステージに白い衣装のダンサー達が登場してきました。
演奏に合わせてかっこよく踊ります。西部劇のパーティのシーンを思い出させるようなダンスです。
カッコイイ・・。場内手拍子で応援です。
午前0時ぴったりにコンサートは終了しました。とにかく最高だった。
来てよかった。本場のロックは凄かった。

それから数日後、わたしと小原氏はロスに向い地獄のような日々を送ることになります。

チャ−リ−・ダニエルズバンド

スティル・ウオーター

リック・ダンコ

ウインターランドのライブレコード紹介

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