「嫌煙運動」という神経症 (再改訂版)

 

室井 尚

 

0.はじめに

日本における最近の禁煙・嫌煙運動は明らかに行き過ぎであると思われます。とりわけ「科学」や「医学」の名前を騙って、いかがわしい宣伝をするやり口からは病的な強迫神経症が感じられます。嫌煙団体が発表している合成写真(一例を挙げれば、たとえば https://www.tabacotosayonara.com/frame/frame_photo_twins.htm など)や全く一貫性のない誇張された数字の羅列は目に余るものがあります。浅野牧茂氏による人工的に捏造された「きれいな肺とタバコによって汚れた肺」が小学生用の副読本やいろいろなパンフレットに転載されていますが、これが肺に空気を入れてタールのシミを強調して撮影した捏造写真であることはあまり知られていません(生体の肺はけっしてあんな風に黒くはなりません)。タバコの害を強調したい余り、不正確で誇張された情報が氾濫しております。私たちは世の中のメディアで流通するでたらめな情報に惑わされず、冷静な科学的検証に基づく議論をしていかなくてはならないのではないでしょうか。

「悪いもの」「汚いもの」「役に立たないもの」「不快なもの」はすべて排除してもいいという考え方には文明の病理が色濃く感じられます。嫌煙運動の本当の目的は「健康」などではなく、タバコという気に入らない存在、「喫煙者」という邪魔な存在をことごとくこの世から「消滅」させたいという「絶滅の思想/浄化の思想」なのです。政治的な動きの目立つWHOや北米の清教徒的な宗教倫理に後押しされ、何の論議もないままに突然施行された「健康増進法」という、名前を口にするだけでも恥ずかしくなるような悪法を作り出した日本は、歴史に汚点を残したと言えます。ここでは、「タバコが肺ガンなどの原因になる」、「受動喫煙は非喫煙者の健康を損ねる」という二点だけに絞って、禁煙・嫌煙キャンペーンの「嘘」を暴いていきたいと思います。

 

1. タバコは肺ガンの原因か

 肺ガン死亡者の増加が喫煙人口の増加と比例しており、喫煙とガン死亡者の増加が相関していると言われています。けれども、過去35年間で肺ガンの死亡者数が約10倍になったという数字やグラフは老人人口の増加やCTなどの医療器具の発達によるガンの発見確率の増加をまったく考慮にいれていません。厚生省自身が発表している「人口動態統計」における「年齢調整訂正死亡率」を見ても、実質的な肺ガンの増加はごく僅かであり、ガン死亡率もアメリカやヨーロッパと比べると一貫してきわめて低い水準のままであることがわかります。

 そもそも、喫煙者人口が劇的に減少している英米などの外国でも、肺ガンによる死亡率は依然として日本よりも大幅に高い数値を示しております。先進工業国で最も喫煙率の高い日本が肺ガンの発生率が最も低く、平均寿命世界一ということを考えてみても、喫煙とガン死亡率の因果関係はけっして明確であると言うことはできません。長寿社会化、ストレス、人種構成差、活性酸素、大気汚染といった他に複合的な要因があるとしか考えられません。自動車の排気ガスや飲酒がガンを引き起こすという実験医学的データはあっても、タバコの煙だけでガンが発生するという評価に値する実験結果は、世界で一例たりとも知られていません。すべてがタバコ以外の因子を除外するか、過度に低く見積もった疫学的統計調査に基づいて恣意的に数字を操作したり、誇張して伝えられたりしているだけであり、病理学的な証拠が皆無な「タバコ=肺ガンの原因」説は科学的には根拠があるとは言いがたいのです(註1)。現に日本一長寿であり、かつ喫煙率のきわめて低い沖縄県での肺ガン死亡率が逆に高いことを見ても、この説が疑わしいことが分かります。膨大な量の「タバコの害を証明する」と主張するコホート研究のほとんども最初から「タバコは有罪である」という先入観に満ちており、意図的にタバコ(だけの)の害が強調されています。そして、タバコが子宮体ガン、乳ガンの発生率を逆に低めるというデータや、アルツハイマー病にかかる確率が非喫煙者の1/3であるという事実、ラットなどの実験で迷路学習能が上昇するなどといった、嫌煙派に都合の悪いデータはなぜか余り表に出てくることはありません。

 どうしてなのでしょうか。それはこれらが嫌煙派の人々によって恣意的に解釈されたデータであり、科学的な検証よりも感情的な議論ばかりがなされてきたからです。たとえば、肺ガンによる死亡率は人口十万人あたり数十人です。ということは、百人あたりに換算すると僅か数百分の何人という計算になります。その中で非喫煙者と喫煙者の肺ガン発生率の違いはほんの僅かなものです。たとえば、発生数が11.3というような比率のもつ有意性が統計学的には「喫煙者が肺ガンにかかる確率は非喫煙者の5倍から10倍」というように「解釈」されているのです(註2)。確かに統計を管理する側にとってこれは大きな(有意な)違いかもしれません。しかし、もともと交通事故に遭う確率よりもかなり低いわけですから、個人の立場に立ってみれば、これを「多い」と思うか、「たいしたことない」と思うかという「解釈の違い」の中にしか、「タバコの害」の根拠は存在しないのです

 また、喫煙者がタバコを吸うのをやめても、この数字はほとんど減少しないことも知られています。つまり、禁煙しても、「肺ガンにかかりやすい」という確率は下がらないし、少なくともその点だけを見れば禁煙には何の意味もないことになります(この点に関する調査結果は多様で確定されていません)。肺ガンとタバコの因果関係が疑わしいということに気づいた嫌煙派側は最近になって急に、気管支炎、心臓病、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の危険性を強調する方向にシフトしてきています。しかし、これらの病気とタバコの因果関係も病理学的にはまったく証明などされておりません。少数の疫学的統計があるだけです。特に最近まで100%喫煙が原因とされてきたCOPDが非喫煙者で多く発生していることからも、このタバコ=病因説は一層怪しくなってきています。あるいは、このような不十分な根拠しかないのにもかかわらず、医学関係の学会が「喫煙は病気である」という声明を出したり、喫煙者を「ニコチン中毒者」と病人扱いをしたりするような最近の傾向は、明らかに集団ヒステリーと言うべき不気味な現象です。小谷野敦(2005)は主要マスコミまで加担している異物を排除し、反論を封じ込めようとする傾向を「禁煙ファシズム」と名付けていますが、確かにそう呼びたくなるほど最近の嫌煙運動それ自体が文明の病的な兆候であると思われます。

 いいかげんなデータを転用しながら「タバコの害」を誇張するキャンペーンに加担している人たちは、少なくともその元になっているデータを批判的に参照し、検証してみるべきではないでしょうか。そうでないと、それは無責任で非科学的な態度だと言われても仕方ないと思います。タバコの煙は喉や気管を刺激し炎症を起こしますから、慢性閉塞性呼吸障害や虚血性心疾患の人はタバコをやめた方がいいのはもちろんです。しかし、それ以外にタバコが健康に深刻な影響を及ぼすということは、科学的・医学的には全く「証明」などされていないというのが(「無害である」と証明もされていないのと同じく)真実なのです。

 

2. タバコは発ガン物質の塊か?

 それでもタバコの害を信じる人たちは、不確かな疫学的データに重ね合わせて、予防医学の発達によって知られるようになった有害な「発ガン物質」の存在を引き合いに出してくることが多くなっています。「合わせ技」で、タバコの有害性を強調しようとしているわけです。確かに、タバコの成分中1千万分の5グラム前後のいわゆる「発ガン物質」が含まれていることが知られています。しかし、焼肉や焼き魚の焦げが「発ガン物質」とされているように 、ラットなどへの強制摂取実験によって発ガン性があるといわれている「発ガン物質」は他にも数多く知られており、お茶、コーヒー、みそ、醤油、ソース、ワインなど多くの食物にはタバコよりももっと多様で大量の「発ガン物質」が含まれているのです。その上、タバコの中にはその逆にすぐれて発ガンを抑える「発ガン抑制物質」も数多く含まれていますが、そのことに触れられることはあまりありません。我々が飲んでいる水道水には1グラムあたり約百万分の5グラムの発ガン物質「トリハロメタン」が含まれていますが、これは安全基準を満たしていているとされています。一日に1リットルの水道水を摂取すれば、それはタバコの約一万倍の「発ガン物質」を摂取していることになるのです。つまり、タバコの発ガン性とは他の食品や日常摂取する水道水と比べても遥かに低く、通常ならばまったく問題にするほどのものではないのです。(この箇所の記述は、喫煙規制問題を考える会編『なぜ、タバコは販売禁止にならないか』、五月書房(1988)に従ったものですが、トリハロメタンは80年代に規制されるようになったため、現在は通用しない数値比較であるという指摘を受けました。全体の論旨は変わらないので、敢えてこのまま残しておきます)。そもそも自然物を燃やした煙には多様な化学物質が含まれているのは当たり前のことであり、タバコの煙が焚き火やバーベキュー、焼き肉などの煙と比べて特に危険物を多く含んでいるわけではありません。タバコをまるで猛毒の「発ガン物質」の塊のように言う人は、水道水やみそ汁、お茶、焼き肉、焼き魚などをはじめ日常的な食事のすべてを否定しなくては論理的におかしいことになります。また、ラットなどへの強制喫煙で何かの症状が発生するだけのタバコの量は、人間の場合一日数万本に当たります。そんな量のタバコを吸う喫煙者や受動喫煙者は実際には存在し得ないのです。誠実な研究者なら、発ガン物質が存在するかどうかよりも、その摂取量をなぜ問題にしないのかを問わなくてはなりません。そして、その量は喫煙者の場合にも受動喫煙をさせられる非喫煙者の場合にも、生活の上で問題にならないほどの微量なのです。

 

3. 受動喫煙でタバコを吸うことになるとは本当なのか

 タバコの副流煙を吸うことで健康に被害を与えるという、いわゆる「受動喫煙の害」にもよく調べてみるとまったく科学的な根拠がありません。そのほとんどは、動物などの気管を切除して強制的に濃縮した副流煙を浴びせたり、塗ったりするという実験によるもので、これらの実験の科学的な信頼性には大きな疑問があります。大気中の副流煙は数千倍から数万倍に希釈されています。また疫学的な調査による結果も副流煙の害に関する決定的な証拠はありません(肺ガンは5倍、咽頭ガンは50倍、喫煙者の妻のガン死亡率は2倍といった衝撃的なデータを発表した元国立がんセンターの平山雄博士の論文のいい加減さとデータのいかがわしさについては多数の指摘があります。それなのにこの数字は今でも禁煙キャンペーンでなぜかひんぱんに使われています)。また、世界的にも食べ物の嗜好や、生活スタイルなどの違いを加味した研究や、ジェイムズ・エンスローム博士らによるカリフォルニア大学の調査(2000)では何の有意性も発見されていません(小谷野2005巻末に所収)。事実としては、少なくとも大人の場合に「受動喫煙によってガンの発生率が如実に上がる」という決定的な証拠はどこにも見つかっていないのです。あったとしても1.1倍とか1.2倍程度の違いであり、10万人に数十人レベルの発生率なので、個人レベルでは問題にするほどのものではありません。但し、幼児や子供の場合には過度の受動喫煙によって肺の成長が若干遅れるというデータはあります。このことと、上記の「副流煙には多数の発ガン物質が含まれている」という事実の「合わせ技」によって、「受動喫煙の害という神話」が作り出されてきているのです。確かに、副流煙は炎症をおこした喉や気管を刺激しますので、慢性閉塞性呼吸障害、虚血性心疾患、脳卒中、動脈硬化症などの疾患をもつ人に対して悪い影響を与えるようです。また、煙の逃げ道がないところに長い間ずっと置かれている子供や妊婦には悪い影響を与えるという可能性も否定はできません。しかし、明確に「非喫煙者がタバコによる健康被害を受けている」という証拠はまったく無いのです。そもそも、非喫煙者は喫煙者と違って、煙を肺の奥まで吸い込んで体の中に取り込むということはないのですから、実際には受動「喫煙」などという現象そのものがありえないことなのです。窓を開けたり、換気をすれば十分に防げるものですし、ましてや屋外で影響を受けるというようなことはありえません。

 

4. なぜ非科学的な嫌煙キャンペーンが執拗になされるのか?

 養老孟司(2005)は、現代の「嫌煙キャンペーン」を、かつてニクソン大統領がベトナム戦争の枯れ葉剤に対する環境団体の非難を交わすために、政府の資金を使って故意に「反捕鯨キャンペーン」を作り上げたのにも似た、巨大な政治的陰謀ではないかと指摘しています。反捕鯨運動において、国連やIWC(国際捕鯨委員会)が果たした役割と、米国が主導権を握るWHO(世界保険機構)が反喫煙運動において果たした役割とは確かによく似ています。

上に見てきたように、タバコには巷間声高に主張されているような顕著な「害」などは存在しません。あるいはより正確には「存在しているという証拠はどこにもない」のです。なのに、タバコだけがなぜこれほどまでに攻撃を受けるのでしょうか。端的に言ってそれは「煙たい」からだと思われます。タバコの煙は目に見え、匂いもします。この目に見え、鼻で感じられる「異物」を消滅させたい。自分の目に見えるところから不快なものを排除したいという意志がそこには感じられます。また、それが「科学的に証明されている」という間違った認識から「自分が正しいことを言っている側にいる」という自己満足と快感を生み出しています。そして、喫煙者を「病人」扱いするこうした人たちは自分がいない場所からさえもタバコを駆逐しなくてはならないという社会的使命感すら抱くようになるようです。たまたま自分が雑踏の中で煙たい思いをしたからと言って、路上禁煙とか屋外禁煙を条例化しようとしたりルール化しようとしたりするのは行き過ぎです。町にも人影がまばらになる時間帯もありますし、人がほとんどいない地域もあります。そんなことにおかまいなしに、とにかく「悪い」ものだから「追放する」というのは、男女合わせて約30%、男性だけだと約50%近くいる喫煙者に対する異常な迫害行為だと言わざるをえません。吸い殻のポイ捨てに関しては、マナーの周知や「携帯用灰皿」の使用を推進すればかなり改善されると思われますが、最近では「吸うこと自体が良くない」という考え方からか、「携帯用灰皿」の存在それ自体が否定される傾向があるようです。

 嫌煙側の権威として知られる伊佐山芳郎(1999)はいくつかの信じがたい主張をしています。たとえば、喫煙者はタバコ依存症の中毒患者だから、喫煙者の主張などにまともに耳を傾けなくて良いというようなめちゃくちゃな議論が公にされていることに対して唖然とせざるをえません。ニコチン依存症は確かに存在しますが、それがアルコールや麻薬に比べてきわめて微弱であり、たとえば多くの人が自力で「禁煙」していることからもそれは証明されています。また、諸外国と比べて日本の「喫煙規制対策」が遅れているというのも嘘です。このところの日本はアメリカやオーストラリアなどの清教徒主義が支配的な国々と比べてすら、過度に喫煙者の権利が圧迫されていると思います(註3)。日本人はいつからこんなに潔癖神経症になったのでしょうか?

 タバコは「百害あって一利なし」などとよく言われますが、もちろんそんなことはありません。コーヒー、お茶、酒などのあらゆる嗜好品と同じく、タバコは生活の中にかけがえのない愉しみと喜びを与えてくれます。だからこそ世界中に広まり、日本においても400年の長きに渡って愛され続けてきたのです。また、頭をすっきりとさせる効能やストレスを緩和してくる効能をはじめ、さまざまな「益」を与えてくれています。最近では構内全面禁煙にする病院なども出てきていますが、学校や職場の場合と違って、人生の最後を迎えようとしている患者の末期の楽しみまで無理矢理奪ってしまうようなこうした措置は明らかに間違っています。死刑囚ですら、刑執行の前にはタバコを吸うことを許されているのです。このような病院で死を迎えなくてはならない愛煙家は、死を前にしてすら、人生のささやかな楽しみすらも奪われてしまっているのです。

私がここで主張したかったのは、「タバコの害」という神話が一部の人たちによるほとんど宗教的なキャンペーンの中で無理矢理に捏造されているという「事実」です。タバコが「煙い」のは迷惑だというだけのことでしたら、「分煙」や「換気」といった実用的な解決策がいくらでも考えられます。それが、非喫煙者にまで健康上の「害」を与えていることが「科学的に証明されている」と言われると、それは「嘘」であると明確に指摘しておかなくてはなりません。様々な実験データや疫学的調査の中で、それを明確に「証明」しているものはひとつもないのです。医学的にまだ研究途上にあるものを「既に証明されている」として、性急にも法制化やルール化までしてしまおうというこの国の現状に対して、私は大きな危機感を抱いています。「メディア・リテラシー」の重要性もますます指摘されるようになってきていますが、少なくともこの文章をここまで読んでいただいた方々には、タバコに対する現代日本のヒステリックで非科学的な主張に対して、冷静な認識を持っていただきたいと願っています。

 

 

(註1)80年代にエイズは疫学によって「ホモセクシュアルの病気」と断定され、世界的に同性愛者に対する広範な差別を生み出した。後に、パスツール研究所がHIVウィルスを発見し、そのような偏見は取り除かれたが、それでも約20年間に渡って同性愛者に対する不当な差別は続いた。統計学に基づく疫学は、サンプリングや設問設定などによって、さまざまな過誤を犯している可能性が高い。タバコに関して病理学的、実験医学的研究が立ち後れていることは、もっと重視されるべきであり、現在の性急な規制には問題が多く含まれている。

 

(註2)このような調査には「死亡診断書」で「心不全」と書かれているものまで「肺ガン」を併発していれば、「肺ガン死亡率」に加算するなどの操作がなされていたという指摘があり、また直接喫煙との関連が強いとされる扁平上皮ガンと関連の薄いとされる腺ガンを区別しないで記述されるなどの欠点があると指摘されている。ちなみに日本人における扁平上皮ガンの発生率は諸外国と比べてきわめて低く、この意味でも喫煙率の高さと肺ガン発生率の相関性はきわめて薄いと考えられる。

 

(註3)その後、ヨーロッパ各国を旅行したが、禁煙法施行後のイタリアや2007年から実施のフランスなどでも、公共の室内や鉄道車内での喫煙の規制のみ(全面禁煙ではなく分煙指導)で、屋外や半屋外での喫煙には全く規制がないし、規制される予定もないことが分かった。これは、2003年に訪問した米国カリフォルニア州でも全く同様であり、現在、空港、鉄道駅、屋外、路上、バス停などで厳しい禁煙規制が行われている日本は、世界でもきわめて特殊な国であることになる。この意味で、よく使われる「先進諸国に比べて日本は喫煙規制が遅れている」という表現は、全くの見当違いであり、現在の日本は世界的に見てもきわめて特殊な反喫煙社会であり、日本の嫌煙運動が明らかに過剰な攻撃性、暴力性を持つものであることを改めて認識した。

 

 

(本稿は横浜国立大学教育人間科学部で発行されたパンフレット「ヘルシーキャンパス21」(2005.9)に発表された文章に一部加筆(2005.12/2006.11)したものである)

 

<参考文献>

・厚生省編(1987):喫煙と健康〜喫煙と健康問題に関する報告書〜(通称「たばこ白書」)、()健康・体力づくり事業財団.

・厚生省編(1993):喫煙と健康〜喫煙と健康問題に関する報告書(第二版)〜(通称「たばこ白書第二版」)、()健康・体力づくり事業財団.

・喫煙規制問題を考える会(1988):なぜ、タバコは販売禁止にならないかー嫌煙ブームの火つけ役『たばこ白書』を斬る、五月書房.

・橋内 章(2003):そこに酒あり煙草あり〜酒と煙草を楽しむための医学書〜、真興交易医書出版部.

・伊佐山芳郎(1999):現代タバコ戦争、岩波新書.

・養老孟司(2005):解剖学者、養老孟司さんに聞いてみました。「タバコは本当にカラダに悪いのですか?」、ブルータス「特集コーヒー・アンh・シガレット」、566号(2005315日号)

・小谷野敦・斎藤貴男・栗原裕一郎(2005):禁煙ファシズムと戦う、ベスト新書.