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「ニューヨークタイムズ紙」記事(1994年5月15日) 日本語訳

日本人は行政の秘密の壁を砕き始めた


ジェイムズ スタンゴールド(ニューヨークタイムズ特派員)


 <同記事は一面に掲載され、20面に一面本文の続きと写真がキャプション入りで掲載された長文の記事である。同年5月16日には「インターナショナル ヘラルド トリビューン紙」にも転載されている。>

<写真のキャプション> 高架鉄道計画と闘う東京の経堂近辺の住民運動は秘密主義的な官僚機構に風穴をあけ た。計画により買い占められ開発される在来路線近くの現場を説明するメンバー。

[東京発] 快適な生活を送っている経堂近くのミドルクラスの住民たちは、自分たちが運動の火付け役になるなどとは夢にも思わなかった。しかし、行政が同地域の狭い道路を横切って走る私鉄を数十億ドルもかけて高架にする計画を立てたと知ったとき、立ち上がった。なぜ高架なのかという理由を知りたいと要求したのである。
 伝統的に、この種の決定は行政官僚が秘密裏に行い、住民は決定の過程にほとんど参画することも許されず、ただ決定に従い我慢するだけであった。しかし、居住地域の静かで愛着のある環境が破壊されることに直面した時、何ゆえ、環境破壊が少なくてすむ地下化方式の代替案が選択されなかったのか、その理由の究明に住民は立ち上がった。
 このような住民の介入に慣れていない官僚は自らの分析結果の公開を拒否したため、住民は提訴した。驚くことに住民側は勝った。裁判所は今年の始め東京都に対し、多様な建設方法を比較した4インチにも及ぶ文書の公開を命じたのである。
 住民はこれからも事業の変更に向け闘わなければならないが、法廷での勝利は分水嶺となった。官僚がこの種の情報の公開に追い込まれることとなったのは初めてであり、この情報公開は工業国の中で最も秘密裏に行政が行われる日本のヴェールが徐々に剥がされるシンボリックなケースとなった。
 まだ耳慣れない言葉だが、「情報公開革命」は日本で沸き立つように広がりつつある。長年にわたる政府の抵抗との闘いの結果、ようやく情報公開の要求が世論の支持を得つつある。この背景には40年にわたった保守一党支配が昨年の夏に終焉し、改革推進の新内閣が誕生したことにある。前途多難ではあるが、日本の行政に大きな影響を与えることにつながる重要なケースとなるだろう。
 日本的民主主義に不満を抱き、より民主主義を本物にしようとする国民の努力を本件は象徴している。
 情報の国民への公開を促進するための官庁である総務庁の長官石田幸四郎氏はインタビューに答えて
 「個人の諸権利が常に大切にされる欧米と比べると、日本は事情が違っている。我々は戦後の混乱の後、西欧に追いつかなければならなかったので諸権利に注意を払うことを怠って来た。今や、このような対応は変えなければならないだろう。」と語った。
 改革はなお、未形成であり不安定な新政府が迅速に改革に進むことは余り期待できない。薬品の副作用、法に違反している製品の公表から学生成績表の内容に至るまで膨大な資料を未公開にすることにより、政府と癒着し非公開で作業をする官僚機構と民間企業は自らを非公開の公定査察や間接的な推測から守って来た。

草の根に動かされて

 しかし政府がより強硬な法律を施行し従来のやり方を続けようとすれば、変化はますます経堂の住民団体に見られるような草の根運動により突き動かされ、新しい立法を支持する多数派の道理は勇気づけられることになる。
 情報公開の法律専門家で一橋大学の堀部政男法学部教授は「この運動は官僚主義に改革をもたらす潜在力をもっている」と評価した。
 日本自由人権協会の弁護士でより強い情報公開法立法のために闘っている三宅弘氏はこう付け加えた。「消費者を守り、官僚の力を弱めるには情報公開法しかない。これこそ日本を変える。」
 秘密主義は日本の重要な社会的機関に深くしみ込んだ一つの要素である。例えば、天皇家の起源に関する古文書への学者の接近は、ほとんど拒否されるであろうし、また、医者は患者に対してガンであることの告知はしないし、処方された薬の内容についても知らされないであろう。情報公開をどうやって実現するかを討議して来た政府審議会の公聴議事録でさえも公開されなかった。
 今回の小田急のケースも近年種々のグループが展開して来た運動のひとつであり、これまで結果はまちまちである。しかし、確実にこの種の運動は活発化している。
 いまの紛争の焦点はアメリカの法律を参考にして作られた情報公開法案が国会を通過するかどうかにある。日本では、現在、地方行政レベルで情報公開を認めているところが多い。経堂の住民が訴訟に勝ったのもこれがあったからである。だが、やはり情報公開への最大の保証は国家レベルでの法制化であろう、と公開を推進してきた人々はいう。
 細川内閣ではこの法律の作成と通過が促進されたが、実現する前に退陣してしまった。新しい羽田内閣は少数与党で短命かと思われているが、前内閣の方針を確認している。
 「私たちのケースでは、法廷は政治の変化と内閣のフレキシビリティに影響されていたことは確実だ。」と経堂地区の原告代理人の斉藤驍弁護士はいう。
 「細川内閣への交代による新気運がなかったなら、ここまでこれなかった。」

情報公開革命が日本で進行している

 官僚にとっては入省以来、情報は外部には小さくという暗黙のルールに従うことは全く問題ではない。「できる限り情報は出さない事がまず第一の原則である」とは、厚生省官僚の宮本政於氏の言である。
 アメリカに留学研修をした精神医学者の宮本氏は、入省の際、最も重要な心構えとして「我々役人が情報をコントロールする。だれかに情報を与えることは彼らに情実を与えることであって、彼らには情報を共有する権利は無い。」と言われたという。
 日本の消費者グループのひとつである主婦連事務局長の吉岡はつ子氏も同様な感想 を述べている。数年前、告発を受けて東京都は肉屋が赤色と鮮度を保つ化学物質をひ き肉に添加しており、これがかゆみと顔に発疹を生じる原因となることを明らかにし た。この化学物質の使用は禁止され、該当する肉屋は一定期間の営業停止を命じられ た。主婦連はこれらの肉屋の名前の公表を求めたが、都に拒否された。理由は名前の 公開は店の再開店後にこれらの店の営業が不利になるというものであった。事実、肉 屋はなぜ営業を一時停止していたかの理由公表義務を命じられていなかった。
 吉岡氏は、東京都から情報公開条例では文書によってしか公開していないし、これ らの肉屋をリストアップした文書は存在しないから公開できないと言われた。
 つまるところ、宮本氏が指摘している様に、問題は日常の不満を通り越して、日本 人が自分たちをどう見るか、また自分たちが社会でどんな役割を果たしているかとい うところまで発展して行く。
 「国民が情報を知る権利をもつようになれば、政府にすべてを管理させずに自分た ちで自己管理をしなければならなくなる。現在の行政機構の下では国民は独立するこ とを許されていない。この情報公開を求める新しい運動の本質は国民を独立させるこ とにある。」と宮本氏は言う。
 この情報公開運動は、1980年代の初期から草の根市民グループにより地方レベ ルで着実に力を付け、今や数多くの地方行政で情報公開は条例化されている。
 情報公開法を求める市民運動の先頭に立っ奥津茂樹氏は、日本の標準から見れば、 裏通りの小さなアパートで活動する自分たちは、ゲリラグループみたいなものだとい う。このグループが現行の条例をいかに活用するかについて、全国のグループの相談 にのっている。
 同氏によれば、ゆっくりではあるが、数々の地方自治体の条例が驚くほどの成果を もたらしている。相談の大きな割合を占めているものに学校における体罰(これは一 般的には禁じられているのだが)に関するものがある、と奥津氏は言う。
 例えば数年前、東京の10代の女子生徒が先生により鼻血をだされたと訴え、両親 はこの件に関する公式な報告をもとめた。が、両親は沈黙の壁にはばまれた。まず、 この家族は、生徒の名前の公表を禁じている校則に違反するため、報告書を公開でき ないと学校側から言われた。
 両親はその生徒は自分の娘であると迫ったが、学校側は報告書の公開が「教育委員 会、学校、父兄の相互信頼を著しく損なう」と主張した。
 「学校側はウソをついても誰にも分かりはしないと信じており、それが通常まかり 通ってしまう」と女子生徒と家族のアドバイザーである体罰防止協会会長の鶴田有紀 子氏は述べている。
 「両親は学校に抗議すれば教師が子供に報復することを恐れるし、他の両親たちは 決して援助の手を差し伸べない。すべての情報を公開しない限り、事態の抜本的改革 につながらない。」
 市民がヴエールの背後を覗き見たとき、びっくりすることがある。
 例えば、経堂の住民は、小田急沿線の改良は多くの踏切の交通渋滞の解決のみだと 思っていたが、これはプランのごく一部に過ぎないことを知った。
 経堂住民グループのリーダーである高品斉氏は
 「私たちは、これが一つの都市計画事業であり、新しい道路の建設、道路の拡幅、 駅周辺の大規模開発等が計画されている事を発見した」と述べている。
 同氏はまた、「公開された膨大な報告書を私たちが綿密に検討していくうちに、こ の市民運動が我が国の新しい情報公開法のための正当性を証明するモデルケースに発 展するように願っている。」と付け加えた。
 石田総務庁長官は「我が国は、この種の問題に対しては独特の見解をとって来たし、 また、ほかの国とは異にする行政機構を有しているという考え方を強く指摘したい。 しかし社会は変わりつつある。この事を充分に考慮して適切に対応して行かなければ ならない」と述べている。く「小田急線の地下化を実現する会」訳>


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