小田急高架化裁判

"失敗した公共事業"はどう裁かれる

東京と紳奈川をまたいで走る私鉄、小田急線の高架事業について、認可を違法とし、原告住民の勝訴という画期的な行政訴訟判決から2年、控訴審の結審が間近に迫っている。

週刊金曜日 2003.10.24(481号)
保屋野初子





東京・新宿と箱根湯本や片瀬江ノ島を結ぶ私鉄、小田急線に久しぶりに乗ったら、その変わりぶりに驚いた。梅ヶ丘から多摩川を渡る手前まで、成城学園前を除いて線路が持ち上がり、今も工事の真っ只中にあるからだ。

線路の南側はビルとの隙間が数十センチまで高架橋が張りだしたり、北側に長さ数十メートルものパチンコ店の看板が出現したりしている。沿線住民にすれば、世田谷の住宅街が旧ベルリンの壁のような高いコンクリート塀によって南北真っ二つに分断され、降ってくる音と視線との庄迫感の中で暮らすようになってしまった。

小田急線は今、高架完成をめざして突貫工事が行なわれている。

一昨年一〇月三日、東京地方裁判所(藤山雅行裁判長)は、この小田急高架事業に対し、住民の訴えを認め、国の事業認可を取り消す判決をくだした。しかし、敗けた国が控訴し、判決が確定していないからと、小田急電鉄はその後も工事を続けている。

むしろ一審判決前より急ピッチで行なわれたため、昨年一一月には沿線住民が夜間・休日の工事差し止めの仮処分を東京地裁に求め今年七月、夜間・休日は原則として工事を行なわないという合意が成立した、といった状況だ。

あの判決から二年。東京高裁で続いてきた控訴審(矢崎秀一裁判長)は、この一〇月三〇日、一一回目となる公判で結審を迎える。一審判決は、被告の国にとっては"藤山ショック"と言われるほど衝撃的な敗訴であったし、訴えた住民側にとっても驚きの勝訴だった。

というのも、事業全体としてはかなり進んでいた公共事業の認可を、司法が取り消したのは初めてだったからだ。それまでの行政訴訟の判決と違い、既成事実があっても「違法なものは違法、取り消せ」と言い切ったのだ。


高架にした理由が不明


小田急高架事業とはいったい何なのか。正式名称は「小田急線線増連続立体交差事業」。新宿から相模大野までの三五キロを基本的には高架で複々線(つまり四線)にする計画で、国土交通省からの補助金を使い東京都が行なう公共
事業である。

裁判になっているのはそのうちの梅ヶ丘付近から成城学園前付近までの六・四キロで、沿線に住む世田谷区民五三人が高架をやめるよう訴えている。

「そもそもは一〇年前、この計画を知り、なぜ住宅地に高架なのかと疑問に思ったのが出発点です」と、「小田急線高架と街づくりを見直す会」事務局長の風間章一さんは話す。

開かずの踏切解消や輸送力アップに反対する人はいないが、騒音や日照、景観などで問題の多い高架にわざわざした理由は何なのか、地下の方がいいのではないか、と都や国に説得力ある説明を求める運動を続けてここまできたという。

この一〇年間に住民側は、粘り強い追究でさまざまなことを明らかにしてきた。住民側が起こした訴訟は一〇件以上にのぼり、事業の認可取り消し訴訟はそれらの集大成版といったところ。

なかでも東京都に対する情報公開訴訟では、高架方式の根拠にした基礎調査報告書を全面的に公開させることに成功。それを丹念に分析したところ、図らずもこの公共事業の"からくり"が露わになった。

住民側弁護団長の斎藤驍さんは言う。

「当時、すべての政党や会派からそっぽを向かれて孤立した中で、沿線に住む専門家などがデータを徹底的に分析してくれたことが大きい」

その小田急市民専門家会議(力石定一座長)のメンバーが、地下方式は高架方式よりも三〇〇〇億〜三五〇〇億円多くかかるとした都の試算が、実は古くて高くつくオープンカットといわれる工法でなされていたことを発見した。

現在、一般的になっているシールド工法で試算し直したところ、地下方式は高架方式の三分の一でできるという正反対の結果が出た。東京地裁は住民側試算が成り立つ可能性を認め、それだけでも「違法」としたのである。

もう一点、初めて明らかになったことは、連続立体交差事業というのは単なる鉄道工事ではなく、ガソリン税などの道路特定財源を使った道路建設のための公共事業であり、旧建設省と旧運輸省が一九六九年に結んだ「建運協定」という法律に準ずるものに基づくということ。

「小田急線の場合、踏切をなくした後、六・四キロ区間に新設・拡幅合わせて二五本もの道路を建設し、そのあとで行なわれる土地の区画整備と合わせると一兆円を超す事業。JR中央線のほか私鉄の西武、東急でも行なっている高架化は、鉄道・道路・再開発が三位一体となった都市再開発の大事業なのです」と、前出の斎藤弁護士は解説する。


「行政の判断に口出すな」と控訴


東京高裁での控訴審は、冒頭から穏やかなものでなかった。

「行政訴訟にかかわってきて、こんな高慢な理屈は初めてだ」

住民原告側の弁護団は、国が出してきた控訴理由書に怒り、噛みつくところから始めた。国の控訴理由をひとことで言うと、「行政が判断したことに司法が口を出すのは越権行為だ」というものだったからだ。

一審判決は騒音に対する配慮や費用試算の杜撰さなどを挙げ、「高架事業の都市計画決定をする際に手続き上いくつもの誤りを犯した。よってそのような違法な事業に下ろした認可は取り消せ」という論法だった。

これまでは「行政の裁量」ということで守られてきた"聖域"にまで裁判所が踏み込むのはまかりならんと、国が大いに危機感を抱いたとしても不思議はない。

これは国が露骨に本音を吐いたにすぎないものだが、控訴審では逆に原告の弁護団や市民を奮起させてしまった。その釈明を延々と求められてダンマリを決め込んだものの、裁判長に促されて釈明書を渋々提出したのが六回目。その内容もおざなりだったため、傍聴席からブーイングが起こる場面もあった。

なにしろ、高裁大法廷の傍聴席は市民側傍聴者で毎回ほぼ満席なのだ。この間に、有力な行政法学者らから控訴理由に反論する意見書が続々と提出されてもいる。

この控訴審では、一審判決を支持する意見書が錚々たる学者たちから裁判所に届けられているのも特徴だ。九月には、経済学者の字沢弘文さん、憲法学者の奥平康弘さんがそれぞれ意見書を提出している。

国の控訴理由についての奥平さんのコメントは、「結局のところ自らの行なって来た事務遂行のすべてが、官側の政治的・政策的目的によるほしいままの裁量行為であつたことを、自白しているようなもの」と一刀両断。

宇沢さんは、最近のヨーロッパでの都市再生・自然再生を例に、車中心から人間中心の社会にむしろ変えるべきという持論を述べている。

小田急高架裁判は、誤解をおそれずに言えば、傍聴していて面白い。原告側から何が飛び出してくるか、どんな意見書が出てくるか・・・・・・、ときにドラマチックに展開する。

九月四日の公判では、小田急市民専門家会議事務局長の須田大春さんが国が小田急高架事業の根拠だと主張している六四年の都市計画決定について、「小田急高架を決定したものだという証拠がどこにもない」と陳述。国の拠って立つ
ところをぐらりとさせた。「もしこれが陪審員制度で行なわれていたら……」と、私は時々考えてしまうほどだ。

おりしも今月三日、圏央道土地収用の停止決定が東京地裁で出された。ほかにも、もんじゅ訴訟控訴審など、小田急一審判決に続くような判決が相次いでいる。どうやら裁判所が自ら行政のチェック機能を果たそうとし始めたかに思える。司法の自己改革の流れが本物かどうか、控訴審判決に注目したい。

ほやの はつこ・ジャーナリスト