ホームページへ▲

2005年12月 8日 東京新聞【社説】

小田急訴訟

行政に届く司法の目


 行政事件訴訟法の改正を受けた最高裁の判例変更で、国民が裁判で行政と争うための関門は広がった。司法による行政チェックの充実に向かって一歩前進はしたが、前途はまだ不透明である。

 小田急線高架化をめぐる訴訟における最高裁大法廷の判例変更は、行政に対する異議を唱えやすくした。国民を向いた透明な行政の実現に役立つだろう。

 行政事件訴訟法は、行政処分の取り消し請求訴訟を起こせる(原告適格)者を、取り消すことに「法律上の利益」がある人と定めている。裁判所はこれを厳格に解し、今回のような都市計画法に基づく事業認可の取り消し訴訟は、事業地内の地権者しか起こせない、としていた。

 鉄道の高架化で環境や健康に影響を受けても、沿線住民というだけでは門前払いされ訴訟の土俵にさえ上がれなかった。「棚ぼた式に受けていた利益」が影響を受けるだけで、法律上の利益への影響ではない、とされたからである。鉄道運賃の値上げに利用者が反対する訴訟も同じ理由で却下された。

 しかし「環境影響調査の対象範囲内の居住者」の原告適格を認めた新しい最高裁判例で、地権者以外も、勝敗はともかく、少なくとも裁判で争える可能性が強まった。

 「行政訴訟はやっても無駄」と言われてきた最大の理由は原告適格の狭さだった。司法改革では「司法による行政チェック機能の充実」を主要な柱の一つとし、適格性拡大の方向で行訴法を改正した。

 ただし、改正は「法律上の利益」を幅広く柔軟に考えるべきだという解釈規定を加えるにとどめた。法律で固定するより、個々の事件の判断を通じて判例を積み重ねる方が現実的、という考えからである。

 最高裁は、改正法に沿った新判断の模範例を示したわけだ。多数意見が周辺住民の原告適格を認めなかった関連街路事業に関する訴訟についても、四裁判官は「認めるべきだ」と反対意見を述べており、原告適格拡張の道筋は確かになった。

 もっとも門前払いがなくなり行政に司法の光が届くだけでは、役立つ行政訴訟にはならない。裁判官が柔軟な頭と国民の視点で訴訟に取り組む必要がある。

 法律の不備に加え、“官”に甘いと指摘される官僚裁判官の意識を背景とした司法審査機能の弱さが、恣意(しい)的な行政運用を許してきた面もある。行政優位の社会から透明で公正な法というルールで決め「法の支配」する社会に脱皮するには、裁判官自身の脱皮も求められる。


  ホームページへ▲