小田急高架と街づくりを見直す会


WebMaster 木下泰之


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小田急騒音、高裁「和解」はネバリ腰の勝利!

高架基盤から1.2m高で昼間65㏈、夜間60㏈
在来線の「高さ方向の騒音規制」を勝ち取る

この勝利を全国へ!

 2014年8月10日



 2014年7月31日東京高裁は「小田急騒音等複合汚染阻止訴訟」(略称「小田急騒音訴訟」)に関し高架騒音を抑制する在来騒音規制の画期的な職権和解案を提示。双方これを受諾しました。

 2010年8月に東京地裁は同訴訟において、LAeq昼間65デシベル、LAeq夜間60デシベルを超える騒音被害者に総額約1100万円の損害賠償を認めた判決を下しましたが、小田急はこれを不服として控訴、対抗し原告も控訴していました。今回の高等裁判所による職権和解案は一審原告全体に5500万円の賠償を認めると同時に、鉄道騒音自体をLAeq昼間65デシベル、LAeq夜間60デシベル以下に抑えることを義務づけたのみならず、とりわけ画期的なことは鉄道騒音規制の測定地点を高架騒音に考慮して高架地盤から1、2メートル地点で計測した値がAeq昼間65デシベル、LAeq夜間60デシベル以下にすることを2年以内に実現することを、小田急電鉄に約束させたことにあります。

 「小田急騒音等複合汚染阻止訴訟」が提訴されたのは1998年。
 1992年5月以降、沿線住民325名が申請し審理が続いていた総理府「公害等調整委員会」は本来の 任務である「責任裁定」を出さずに、「職権和解」で「解決」してしまおうと画策していることが発覚したのが1997年12月でした。

 当時、「小田急線事業認可取り消し訴訟」原告で責任裁定にも参加していた沿線住民を中心に、この「調停和解」路線に批判がひろがり、結果、1998年4月に総理府「公害等調整委員会」が提示した「職権和解」に対しては参加者の4分の3が和解を拒否。一部参加者が受け入れた「職権和解」では2004年度末までにLAeq(24時間平均)65デシベルという目標値。一方、同年7月に出された「裁定」ではLAeq(24時間平均)70デシベル又はLAmax85デシベル超に受忍限度を認め、月3000円の補償を小田急に命ずるという極めて不十分なものでした。

 この「裁定」を不十分として拒否し、新たな原告をも加えて1998年8月に提訴し闘いつづけてきたのが「小田急騒音等複合汚染阻止訴訟」でした。同時期に、別の原告団(「小田急問題訴訟の会」)が同様の訴訟を起こしましたが、2004年8月には新たな規制を実現することもなく、総額4200万円の解決金(203名に対し)のみを受領して収束させていました。

 今回、「小田急騒音等複合汚染阻止訴訟」が高裁段階で和解に至ったのは、既に触れたように、在来鉄道騒音規制として初めて高架基盤面から1、2メートル地点、いわゆる「高さ方向の騒音規制」をLAeq昼間65デシベル、LAeq夜間60デシベルを約束させる内容を勝ち取ったことにあります。この規制は、従来の地上1.2メートル規制に換算すれば、LAeq昼間60デシベル、LAeq夜間55デシベル以下、つまりは環境庁指針の「新線基準」の値に匹敵するものです。

 一方、和解による解決金は5500万円(原告118名)と一審判決認容金額の5倍ですが、自主騒音測定の実施や騒音コンター作成、16年にわたる訴訟活動から考えれば、騒音被害に比して補償は微々たるものといわなければなりません。しかしながら、今回の「和解」は今後の小田急沿線の騒音対策、全国在来線の騒音対策への影響を考えると、その意義は計り知れません。
 この勝利は、日本における騒音対策の前進と、環境に十分に配慮した都市計画への転換のための橋頭堡になりうるものです。


 原告と小田急電鉄が受諾した東京高裁による和解条項をPDFで掲載します。「東京高裁による和解条項」2014年7月31日

 弁護団の「和解成立に係るステートメント― 高架騒音の抑止と『環境基準』の定立 ― 」も併せお読みください。(8月10日記)

 なお、原告団は8月12日に成城ホール4回会議室にて総会を開催し、「決議と声明 小田急線騒音訴訟 『環境基準』の確立へ」を決議しました。

 原告団総会には、騒音問題の専門家として終始ご支援いただいてきた横浜国立大学名誉教授の田村昭弘先生や、元最高裁判所判事の園部逸夫先生にもご来臨いただき、ご挨拶を賜ったことを、ご報告しておきます。(8月13日追記)


[2014年7月31日の東京高裁和解を伝える主なマスコミ報道]

朝日新聞 「小田急騒音訴訟で和解成立 沿線118人に5500万円」

毎日新聞 「<高架騒音訴訟>小田急和解 騒音65デシベル以下に」

東京新聞 「小田急騒音訴訟和解 住民に5500万円支払い」

日経新聞 「小田急騒音訴訟が和解 東京高裁、住民に5500万円支払い 」

産経新聞 「小田急騒音訴訟 賠償5500万円で和解 騒音低減策も盛り込む」

共同通信 「小田急線騒音規制で和解 住民に4200万円支払い」

時事通信 「高架地点の騒音水準、初言及=「日中65デシベル以下」−小田急線訴訟が和解」




決議と声明

小田急線騒音訴訟 「環境基準」の確立へ



 1998年に私たちが提訴した小田急線騒音等損害賠償訴訟は、去る7月31日に東京高裁(菊池洋一裁判長)より和解案が示されて、原告・被告双方合意に至りました。

 2010年の第一審判決では118名の私たち原告のうち、昼間平均65デシベル、夜間平均60デシベルの騒音にさらされていると認定された42名に1152万円の損害賠償を命じましたが、今回の高裁の和解勧告は1995年の環境庁の騒音対策の指針の質を高め、「環境基準」というべきものに発展させました。すなわち、高架線路の真下から12.5m地点・地上高1.2mの測定地点で昼間65デシベル、夜間60デシベルに規制することに加え、同地点の高架基盤面から1.2m高い地点での昼間平均65デシベル、夜間平均60デシベルを2年の内に実現することを小田急電鉄に裁判上の合意をさせ、私たち全員を被害者として認め、和解金(賠償)として第一審判決の5倍に相当する総額5500万円を弁護団に支払い、私たち原告に弁護団が配分するというものです。

 今回の和解は、環境基準をつくらず長期にわたり放置されてきた在来線の鉄道騒音を1998年の国の責任裁定(日平均70デシベル)を10倍厳しく規制する(夜間)ものとなりました。とりわけ中高層建物への影響を考慮しての高架基盤面から1.2メートル高い地点での測定による規制を昼間平均65デシベル、夜間平均60デシベルとしたことは、これまでの平面での測定地点での規制値に換算すれば昼間平均60デシベル、夜間平均55デシベルの厳しい基準を達成することになります。この規制はもとより我が国で初めて実現する、在来線のみならず新幹線、高速道路にも影響を及ぼす画期的なものです。

 2〜3年のうちに小田急高架複々線連続立体交差事業(本件高架事業と略称します)の東京区間は完了し、すなわち代々木上原から喜多見までの私たち沿線住民の生活空間は、一部地下区間を除いて、ほとんど高架複々線となります。そうすると、列車の速度だけでも現在は一応平均時速80キロに抑えられているものが、100キロを超す可能性が優にあり、今でもひどい高架騒音が激烈なものになることを、私たちはとても心配しておりました。

 今回、この高架騒音に環境庁の制定した指針のうち、新線をつくるときにしか求められないもっとも厳しい規制(昼60デシベル、夜55デシベル)がなされるようになったことは、私たちにとって極めて喜ばしいことであるばかりでなく、都市部の高架鉄道、新幹線、高速道路の傍に居住し生活する人々に与える影響も測り知れないものがあると思います。私たちはこのようにして都市高速鉄道を初めて「差し止めた」ということになりましょう。

 私たちは裁判の出発点から(それは本件高架事業のさなかでした)、過去のことだけではなくこれからのこと、すなわち高架事業の抜本的見直しを求めてきました。これが全部ではないとしても、基本的にかつ全国で初めて実現したことは、とても嬉しいことです。ここまで至るには、平成2年(1990年)から積み重ねてきた情報公開行政訴訟、本件事業認可取消訴訟(平成17年最高裁大法廷で住民が法を創る権利があること等の歴史的勝利)等、25年を超える裁判の蓄積、今までの(50年近い)高架反対・地下要求の歴史があったことを忘れることは出来ません。

 最後に、公共事業や都市計画等ほとんどあらゆる分野の専門家の方々の多大な御協力、関係市民の方々の親身あふれるご足労やご協力、弁護団の多年にわたる御尽力に衷心からのお礼と、心からの敬愛を捧げます。
 また、私たちの裁判の意義を広く社会に伝えて頂いたマスコミの皆様、ご声援を頂き、全国の世論を形成して頂いた多くの国民の方々に深く感謝いたします。
 本当にありがとうございました。

 以上決議し、声明といたします。

2014年8月12日 世田谷区砧総合支所成城ホールにおいて

小田急線騒音訴訟原告一同




 2014年7月31日

和解成立に係るステートメント

― 高架騒音の抑止と「環境基準」の定立 ―


 小田急騒音等複合汚染阻止訴訟
弁護団長 弁護士 斉藤 驍
第一審原告団一同

第1 本件の特徴

 騒音は大気汚染、水質汚濁等と並んで公害(環境汚染)の典型であることは、1967年の公害対策基本法制定以来法文のうえでも明示されている。公害そのものが近代科学技術文明と市場経済が生み出し、その極致が原子力発電ではあるが、これのみならず環境汚染は地球規模に及び、極めて深刻な状況に立ち至っている。

 ここにおいて騒音は大気汚染と同様、近代社会の初期から問題になっていた古典的存在であり、その規模、程度等において公害の代表というべきものである。本件は第一審被告小田急電鉄(以下「小田急」という)の鉄道走行による騒音(振動、開かずの踏切等)による被害と1970年から約半世紀にわたり現在に至る高架式連続立体交差都市計画事業(以下「本件高架事業」という。)の経過と結果による工事騒音、大気汚染、高架鉄道のコンクリート構造物、新設される道路、再開発高層ビル等の日照被害とひかりの喪失、及びヒートアイランド現象等による熱被害、都市と街並みの崩壊等の複合した全面的環境被害の回復とさらなる保全を、損害賠償請求の形式で「騒音のレベル」を指標にして求めているのである。この意味で従前の公害訴訟と異なるものであるが、公害及び公害訴訟の歴史と伝統、これまでの公害・環境行政と科学の成果を充分ふまえて、訴訟は展開されてきた。


第2 第一審判決の意義と限界

 本件の特徴は2つある。古典的公害とされる騒音被害(鉄道在来線)と、これまた古典的な公害とされる大気汚染、騒音さらにまた最も今日的な熱等の複合被害(これが現在の沿線の人々の状況である)をもたらす道路新設、高架鉄道の建設、再開発を三位一体として行う本件高架事業による被害をどう判断するかということである。

 2010年8月31日の第一審判決は、後者には直接応えず、前者のみに対応した。これは、小田急のみならず全国の在来線と呼ばれる鉄道、特に都市部の深刻な被害を充分見ていないという大きな欠陥を有する。

 しかしながら、航空機、新幹線等と異なり、1967年公害対策基本法が制定され、環境基準の設定が義務付けられてから43年も経過しているのに、環境基準すら制定されていない。新幹線は1975年、約40年前に設定されている。この理不尽は言をまたない。 騒音被害は首都圏等の膨張により通勤地獄と並んで1970年代から、特に小田急沿線ではすさまじくなってきた。本件高架事業は、これを解消するかのようにして登場したのであるが、その実態は全く反対である。ただ、鉄道建設に道路建設が絡んできたために、鉄道事業者のみならず産・官・学が結託して環境基準の設定をさらにサボタージュするようになった。すなわち、鉄道事業者は実に40年以上にわたり騒音を野放しにして、巨利を貪ることが出来たのである。

 第一審判決は、受忍限度を昼65デシベル、夜60デシベルという具体的基準を初めて設定した。さらに、従前の識者が指摘していた通り、高架鉄道の騒音は高く遠く響くので、騒音の測定地点を屋外の最も生活に影響を受けやすいところとしてその高さ等を限定していない。高架騒音被害の救済と防止に貢献する初めての判断である。何よりも鉄道事業者に対してこのような規制基準を定めたこと自体が画期的と言わなければならない。この点について、第一審判決は日本全国のあらゆる在来線に影響する。小田急のみならず鉄道事業者、さらには国土交通省等この間の道路及び鉄道事業関係者の衝撃は少なからざるものがある。

 また、認定された賠償額1人一月あたり僅か3000円、総額1100万円余りというのも、いかにも安い。しかも、現在の大都市、中都市の最大の公共事業である連続立体交差事業の被害を正視せず、鉄道騒音一般のレベルでしか把握していない。

 それにもかかわらず、小田急は第一審判決を不服として控訴した。その所以は何か。騒音に対する法的拘束、とりわけ高架騒音に対するそれを嫌悪して、今までの「野放しの自由」を求めているという他はない。まさに「歴史的喜劇」ということになろう。しかし、かかる「喜劇」を到底許容することは出来ない。第一審判決のレベルを質的にも量的にも高めることによって、これをうち破り、歴史的審判を導くために、我々も控訴し、最後までやり抜く決意をしたのである。


第3 本件和解の意義

 第一審判決の翌年、2011年3月、福島の原発事故が起こった。以降、環境汚染に対する社会の認識が格段に厳しくなったことはいうまでもない。

 そして第一審の12年に加え、控訴審では約3年の審理を重ねた。裁判所は少なくとも第一審が認定した通りの騒音被害があると見たのであろう。何回か和解による解決を小田急に打診したが、小田急はいずれも拒否した。理由は充分明らかではないが、高架騒音規制を具体的、法律的に定められることは、小田急のみならず私鉄経営者協会が許さないというものであった。

 我々は小田急のこうした姿勢は分かっていたので、騒音の大家として知られ、直近の本年5月21日の厚木基地騒音訴訟判決においてもその証言が大きく援用されている田村明弘横浜国立大学名誉教授に1000件近い測定データを活用して本件原告ら沿線住民の被害分布を示すコンターを作成して頂いたうえ、鑑定証人として証言を頂いたり、また、本件等騒音訴訟のリーディングケースである大阪空港訴訟大法廷判決に上席調査官として役割を果たし、後に最高裁判所長官代行に就かれた園部逸夫氏の判例評価等についての意見書を提出した。さらに都市計画の実務に精通している運輸省元航空局長・元日本空港ビルディング社長高橋寿夫氏のヒアリングメモ等貴重な新しい証拠を提出して、判決を待っていた。

 そのさなか、昨年6月、控訴審判決を目前にして裁判長が交替し、裁判所の構成が変わった。新しい裁判所は、7月に弁論を更新した後、和解による解決を双方に打診された。提訴以来16年が経ち、原告ら住民被害者の中には老齢や病気で亡くなられる方も出てきていること等を考慮し、筋の通った和解になるならばと、3項目からなる「一審原告らの和解条項案」を提示した。

 以来、半年以上難しい協議が続いたが、小田急側にも状況を理解する人が出てきたのであろう。@かねてから裁判所が提示し、我々が求めてきた本件高架事業及び今後の鉄道の高架騒音を第一審判決のレベルで測定方法を含めて具体的に規制し、義務付けるということ、すなわち本件地域における実質的環境基準の定立、Aさらに本件高架事業による被害の相当な和解金(賠償)、具体的には第一審判決の認容した金額の約5倍に相当する5500万円を支払うことを小田急側が認めるに至り、本件和解に到達した。

 この和解が、我々の訴えと底流において共通するものがあることは過言するまでもない。本件高架事業が都道府県及び政令指定都市のような大都市のみならず中都市を含め、全国六十余箇所、数十兆円の投資がなされる我が国の巨大な公共事業であることを思えば、この和解の意義は測り知れない。

 以上




以下は2006年11月の最高裁第一小法廷判決を中心に編集しています。

最高裁第一小法廷は、土建国家日本の下僕となった。
昨年の大法廷判決の理想はどこへいった。
大法廷と、小法廷のこの乖離はゆるされない。
われわれ、市民は、今後も闘い続ける。

 2006年11月2日


最高栽小法廷判決への本格的評論が専門誌に掲載されました。
ここに、紹介します。

「大法廷判決に背理する小田急高架訴訟第一小法廷判決」 斉藤 驍・弁護士(「法律時報」誌 2007年2月号掲載)


「この国には「美しい都市」をつくるシステムがない」 福川裕一・千葉大学教授(「エコノミスト」誌 2007年1月23日号掲載)


 2006年11月2日

ステートメント

小田急線連続立体交差事業認可処分取消事件の判決に対して


 小田急訴訟弁護団長 弁護士 斉 藤 驍

1.連続立体交差事業の存在

 この事件の本体である連続立体交差事業(以下「連立事業」)は、単なる鉄道事業ではない。また、既存の踏切を除却するだけのものでもない。道路を新設・拡幅して道路と鉄道を連続的に立体交差化した上、高架下利用・駅前広場等、都市を再開発することを目的とした事業である。言い換えれば、再開発のためにその基軸となる道路を新設・拡幅する等して、鉄道と連続的に立体交差する施設(連立施設)という、道路を主とし鉄道を従とする複合都市施設をつくる事業である。
 昭和44年9月、建設省と運輸省間における「都市における道路と鉄道との連続立体交差化に関する協定」(通称「建運協定」)の成立により、立体交差化における従前の道路と鉄道の対等な関係が崩れ、道路を主、鉄道を従とし、道路側の再開発まで視野に入れた連立事業という新しい制度、新しい複合都市施設が生まれたのである。土建国家、車社会が求めた巨大都市型公共事業の誕生であった。財源は道路特定財源であり、その規模は広域かつ巨額である。従って、やり方を間違えば、都市環境を回復しがたい程に破壊する。
 本件はその典型であり、かかる事業を見直す事こそ環境の21世紀の課題であることを我々は何よりも事実に基づいて論じてきた。

2.本判決と大法廷判決との連動性

 昨年12月7日の大法廷判決は、基本的にこれに応えるものであった。すなわち、同判決は、都市計画法、公害対策基本法、東京都環境影響評価条例等の環境法の解釈につき、従来の公私二元論を克服し、住民の個別具体的な利益を公益と有機的・内在的に繋がるものとして保護することをその趣旨目的とするという、解釈のコペルニクス的転換に至った。
 問題は、行政実体法のこのような転換が本件の実体判断の手法にいかに反映されるべきかということである。我々は、大法廷の弁論において、実体法の解釈の問題はもとより、原告適格論の転換は裁量統制の転換の始まりでなければならないことを「改正行政事件訴訟法9条2項は、同法10条に連動」するという訴訟法上の問題としても提起してきた。
 しかし、前記のような趣旨で都市計画法が住民の個別具体的利益を保護するという解釈がなされた現在では、このレベルの訴訟法上の議論をする必要はなくなった。なんとなれば、都市計画法に違反する事由はいずれも行政事件訴訟法第10条の「法律上の利益」に係わるものとなったからである。
 そうなると、都市計画法に反する事由は、従来の単なる「判断過程の統制における考慮事項」にとどまらず、それ自体が本件事業認可処分およびこれに先行する都市計画決定を違法なものとすることにならざるを得ない。

3.本判決の「反乱」

 ところが、本日言い渡された判決は、これに全く逆行する。大法廷判決によって崩壊したはずの原審東京高裁判決を徒に弥縫しようとする姑息なものと言わざるを得ない。
このような姿勢からは、新しい法の支配、環境の21世紀は到底実現できない。国民は裏切られ、我々も言い知れぬ怒りを禁じ得ない。
 しかし、大法廷と小法廷のこの乖離が許されなくなるのは時間の問題である。見えざる歴史の足音を我々は固く信ずる。

 以上


2006年11月 2日 最高裁第一小法廷判決(pdfファイルです。)

参考のために、これまでの小田急高架訴訟判決のリンクを張っておきます
2005年12月 7日 最高裁大法廷判決
2003年12月18日 東京高裁判決
2001年10月 3日 東京地裁判決



以下は2005年12月の大法廷判決を中心に編集しています。

最高裁大法廷判決は 歴史を画した
―この勝利を真の勝利へつなげよう


12月7日の最高裁大法廷判決は、2003年12月の高裁門前払い判決を覆し、都条例の環境アセス対象地域に在住する原告に原告適格を認めました。
小田急線の当該事業地区6.4キロのアセス対象世帯は5万3000世帯であるから、実に20万名近くの住民に訴える権利を与えたに等しいものです。

多数意見は鉄道の事業認可と側道の事業認可を分けましたが、本体事業の鉄道事業の原告適格を拡大した上での分離論であり、高裁の分離論とは逆方向のものです。
とりわけ、4名の少数意見は連続立体交差事業の実態に合わせて、両事業を一体のものとして全てのアセス対象地域の原告に側道の原告適格を認めよとしました。原告適格のさらなる拡大方向への少数意見です。
しかも、これから実体審理を行なう第一小法廷の裁判官4名のうち3名までもが、この先進的な少数意見を主張したことは、今後の裁判と判決に大きな希望を見ることが出来ます。
また、「リスクからの保護義務」との新しい概念を前面に押し出した補足意見が藤田宙靖裁判官や町田顕最高裁長官から提示されており、都市計画のリスクそのものが裁判で争える道が指し示されたといべきでしょう。

今回の判決で最高裁判所の大転換を勝ち取った意義は、極めて大きいといわなければなりません。
ダムや、空港や、道路問題、マンション問題、都市再開発等の問題で奮闘している全国の皆さんと勝利を分かち合いたいと思います。
今回の最高裁の判例変更の勝利は全国市民の共有財産なのです。

いま、構造設計偽装の発覚で土建国家の屋台骨の一角が揺さぶられていますが、公共事業に係る国民の権利を大きく前進させたという意味で、今回の判決は、さらに大きな激震を与えたというべきでしょう。
土建国家を解体し、環境共生国家に再生しなおさなければ、我々市民の命や安全、健康とまともな文化は守れません。
今回の勝利を本当の勝利とするために、私たちはさらに奮闘する決意です。(2005年12月8日)



[判決文]
平成17年12月7日 大法廷判決 小田急線連続立体交差事業認可処分取消,事業認可処分取消請求事件
[12・7大法廷判決を伝える主なマスコミ報道]
朝日新聞1  朝日新聞2  朝日新聞3【社説】  読売新聞1  読売新聞2【社説】  読売新聞3  読売新聞4  読売新聞5[判決要旨]  毎日新聞1  毎日新聞2  毎日新聞3[判決要旨]  毎日新聞4[ひと;斉藤驍さん=司法に新判断を迫った小田急線訴訟弁護団長]  東京新聞1  東京新聞2【社説】  東京新聞3  産経新聞1【主張】  産経新聞2  日経新聞1【社説】  日経新聞2  公明新聞【主張】  中国新聞[判決要旨]  沖縄タイムス【社説】  琉球新報【社説】  南日本新聞【社説】  西日本新聞【社説】  熊本日日【社説】  高知新聞【社説】  京都新聞【社説】  北海道新聞【社説】

民主主義の新しい大きな回路

平成16年(行ヒ)第114号
小田急線連続立体交差事業認可処分取消請求・事業認可処分取消請求上告事件

声  明

2005年12月7日
上告人ら訴訟代理人
 弁護士 斉 藤 驍 外260名

 我々は最高裁判所に対し、原告適格の意義を次のように論じ、その理解を求めてきた。

 原告適格論は究極的には裁判のあり方、権力の分立、国民主権という民主制社会の基本的原点を問うものである。たんなる「権利の救済」や「使い勝手」の問題ではない。

 本件のような巨大公共事業により被害をうける国民が、自らの被害を防止し、あるいは回復するために、その公共事業をただすことを求めて裁判を起こすことができ、さらにしかるべき裁判を受けることができ、かつ裁判官の聡明な認識と理解をうけ、裁判に勝利することができるならば、それは本人の意思いかんにかかわらず、同様の他の被害者の利益を守るだけではなく、公共事業をただすという、まさに公共の利益すなわち公益を実現することになる。

 民主制社会の存立は選挙に代表される多数決の原則だけでは支えきれない。これは歴史の良く教えるところである。ヒトラーのナチスが多数の大衆に支持され、議会から登場したことは、その象徴であろう。

 少数意見にこそ理性が存在し、正義が表現されることが多々ある。この意見が政治や社会に具現するための回路が無ければ、民主主義は崩壊せざるを得ない。この回路こそ、本来三権の一つである裁判であり、裁判所でなければならない。しかし、我が国の最高裁判所は、すくなくともこの30年以上、総じて言えばこの責務をなおざりにしてきた。それは、司法の抑制を最も必要とする行政との関係において顕著に示され、これが土建国家、官権政治の温床となっていたのである。このイデオロギーの代表的なものが、公益と私益の分断であった。まず、行政訴訟を主観訴訟と客観訴訟に二分し、私益の侵害は主観訴訟(抗告訴訟)によってのみ争うことが出来るとし、公益は客観訴訟においてのみ争えるという大前提を置き、更に主観訴訟である抗告訴訟において、生命・健康・生活環境等の被害を受けている者があっても、「法律上の利益」のない者はこれを争えないとして被害者の大部分を訴訟から排除し、他方において、公益を争える筈の客観訴訟では、これを法律で定められたもののみに限定し、全てを立法裁量に委ねてきた。そのため、客観訴訟といえるのは地方自治の本旨の原則から制定された住民訴訟くらいのものである。しかしここにおいてすら、その審理対象を財務会計上の微視的なものに限定してきた。結局、国民は本来そこに内在している筈の公私をずたずたに引き裂かれ、そのいずれの権利もほとんど行使できないという状況が、まさに30年以上継続してきたのである。国民一人一人が私的であるとともに公的であって、私益と公益は分かち難く結びついていることは、厳然たる事実であったにもかかわらずである。事業地の地権者だけが争い得るとした平成11年判決こそ、この極致であったのである。

 最高裁判所大法廷は、本日まさにこの判決を覆し、周辺住民の原告適格を明確に認めるに至った。行政訴訟の歴史の中でかつてない快挙といわなければならない。なんとなれば、公益と私益を繋がりがあるものとして捉えることは、単に原告適格の拡大という量的なものにとどまらず、行政訴訟ひいては全ての訴訟の質の転換を意味するからである。

 今国民は、民主主義の新しい大きな回路を見出したことになる。我々の責任もまた極めて重いと痛感せざるを得ない。

 以上声明する。


■10・26最高裁大法廷 原告側、堂々の弁論

 注目されていた、小田急線訴訟の原告適格を巡る最高裁大法廷の弁論が10月26日午後2時より1時間30分にわたって行われました。

 斉藤驍住民側弁護団長等7名の弁護士が、町田顕最高裁長官以下14名の最高裁裁判官に対して、堂々の弁論を行いました。
 弁論に立ったのは、大川隆司、折田泰宏、堂野尚志、斉藤驍、武内更一、藍谷邦雄、水野武夫(弁論順、敬称略)の各弁護士。

 また、同日、原告団とともに小田急線地下化による代替案を検討してきた「小田急市民専門家会議」(座長 力石定一法政大学名誉教授)は「意見書―我々のオルタナティブ―」を提出。この意義についても、法廷で斉藤弁護団長が強調するところとなりました。
 当日は午後2時の開廷を前に、最高裁脇には160名からの傍聴者の列が並び、傍聴は抽選となりました。満杯の法廷は熱気に包まれました。

 最高裁大法廷はこの日の弁論をもって結審したことを宣言。判決期日は追って伝えるとしました。

[10・26大法廷弁論を伝える主なマスコミ報道]
朝日新聞  毎日新聞  読売新聞  東京新聞  産経新聞  日経新聞  共同通信社の配信

[毎日新聞連載記事]
 ★「扉は開くか 行政訴訟の行方 小田急高架大法廷弁論」
  △上▽ 2005年10月27日 「使える裁判所」へ転換を 「環6訴訟」原告 鈴木譲さん
  △中▽ 2005年10月28日 「判例変更」で範囲拡大を 東京大学教授 小早川光郎さん
  △下▽ 2005年10月30日 制度改革、試される最高裁 立教大学大学院教授 淡路剛久さん

[弁護団声明]
声 明 ― 大法廷弁論を終えるに当たって ―(2005年10月26日 )

[提出した陳述書]
「上告人ら弁論の要旨」(2005年10月26日の大法廷弁論)
HTML版(326KB)PDF版(101頁;330KB)

[提出した上申書]
特別上申書(2)2005年10月26日

[提出した意見書]
「意見書 我々のオルタナティブ」(小田急市民専門家会議 座長 力石定一 2005年10月26日)
HTML版(75KB) PDF版(20頁;2.7MB)

[弁論の解説]
★「住民訴訟 住民に裁判所の門は開かれるか」(斉藤驍弁護士へのインタビュー 週刊「エコノミスト」誌2005年11月1日号掲載)
★「小田急事件の最高裁大法廷口頭弁論の意義」 弁護士 斉藤驍(「法律時報」2005年11月号に掲載)
★「小田急訴訟大法廷口頭弁論の争点」 弁護士 大川隆司(「法学セミナー」2005年11月号掲載)

[関連論文]
★「「環境訴訟」という新しい訴訟形態が生まれる」(園部逸夫・元最高裁判事へのインタビュー 週刊「エコノミスト」誌2005年7月19日号掲載)

法律時報2004年12月号 特別企画・・・・・・小田急線高架訴訟・上告の論点より
★「小田急訴訟上告の意義」斉藤驍
★「応答的法への転換」奥平康弘
★「上告の行政法的意義」山村恒年


[上告基礎資料]
最高裁への「上告理由書」(2004年3月17日)
HTML版(297KB) PDF版(160頁;678KB)

小田急訴訟上告審には日本の法律学・法曹界の良心が結集しました。元最高裁判事の園部逸夫先生をはじめ以下の意見書を各分野の諸先生が最高裁に提出してくださっています。

○意見書 東京大学名誉教授 奥平康弘 作成(2004年3月11日) HTML版 PDF版(45頁;405KB)
○意見書 立命館大学客員教授 園部逸夫(元最高裁判事)作成(2004年7月23日)HTML版 PDF版(4頁;125KB)
○意見書 京都大学大学院教授 芝池儀一 作成(2004年7月26日)HTML版 PDF版(7頁;143KB)
○意見書 東京大学教授 小早川光郎 作成(2004年8月5日)HTML版 PDF版(6頁;122KB)
○意見書 日弁連公害対策・環境保全委員会委員長 山村恒年 作成(2004年8月25日)HTML版 PDF版(8頁;168KB)
○意見書 神戸大学大学院教授 阿部泰隆 作成(2004年9月16日)HTML版 PDF版(8頁;242KB)
○意見書 立教大学大学院教授 淡路剛久 作成(2004年10月9日)HTML版 PDF版(9頁;196KB)



■小田急高架化の工期延長、認可差し止めを提訴

小田急線線連続立体交差事業(小田急線高架化・複々線化事業)の工期を3年間延長するよう国に求めた都の申請に対し、当会は沿線住民9人を原告に、3月4日、国土交通省関東地方整備局長を相手に、認可の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こしました。また同日、当会と弁護団は東京地裁内の司法記者クラブで記者会見を開き、今回の訴訟提起と3月2日に最高裁が原告適格問題を大法廷に回付したことについての見解をアピールしました。(2005年3月4日)

ステートメント 小田急線連続立体交差事業の施行期間再延長認可差止訴訟提起の趣旨(2005年3月4日)



■小田急訴訟、最高裁が大法廷での審理を決定

2005年3月2日、最高裁は、高裁で逆転した事業認可取り消し訴訟の上告申し立てを認め、そのうち、原告適格に関する部分を大法廷に回付することを決定しました。
高裁での逆転判決は、関連側道の地権者さえ原告適格を欠いているとして「門前払い」したものだけに、今回の大法廷への回付はこれを打破するための扉が大きく開かれたということです。
昨年の行政事件訴訟法改正の流れの中で、原告適格は拡大される方向にあり、再逆転への大きな展望が開けてきました。
(2005年3月3日)

弁護団長コメント2005年3月2日

「原告団」と「見直す会」の声明 2005年3月4日



■小田急高架、都が工期3年の再延長を申請

小田急高架化:工期について3年の再延長を申請 東京都は小田急線線増連続立体交差事業の事業期間を再度3年延長しました。本来平成12年度末までの6年間の工期で終えるとしていたものを、実に2倍の14年の期間に延長しました。既に事業費も既に大きくふくらみ、さらに増えていくでしょう。
「高架は速く安い」としていた東京との説明は、まったくウソであることが実際に証明されてしまいました。

東京都は住民側と直ちに話し合い、連続立体交差事業の数々の過ちを改め、事業自体を見直し、大きく転換すべきです。 小田急の事業延期については毎日新聞が大きく取り上げましたので参照してください。

毎日新聞2005年2月18日夕刊



■○▲下北沢地域の地下化と「街づくり」▼○■

1990年に事業が分割された梅ヶ丘以東は、梅ヶ丘駅〜代々木上原間として鉄道を地下化にして連続立体交差事業が進んでいます。この下北沢地域では補助54号線問題や高層化を狙う地区計画問題が浮上し、新たに「SAVE THE 下北沢」の運動や、「下北沢フォーラム」の運動が立ち上がっています。
当会会員もこの運動に参加し、取り組んでいます。また、小田急線の地下化推進運動がこの地域から発祥したこともあり、私たちは古くから下北沢地域の運動にもかかわってきました。この地域の問題は、新たな課題も多いことからページを独立させました。



以下には2003年12月の東京高裁二審判決までの記述があります。


東京高裁2003年(平成15年)12月18日判決−小田急線事件第二審

■私たちは、国民の裁判権を奪う不当判決を許しません!

  2003年12月18日の小田急線高架事業の認可取消し訴訟の東京高裁での控訴審判決は、住民勝訴をもたらした2001年10月3日の東京地裁の歴史的藤山判決とは打って変わって、住民原告を全面敗訴とする判決を下しました。

 高裁矢崎判決は本来一体的である連続立体交差化の鉄道の高架事業と側道事業を、無理やり別のものとし、側道地権者には側道の事業への原告適格は認めるが、鉄道の事業を争うことは出来ないとしました。いわば入り口で国民の裁判権を封じ込めた判決です。

 連続立体事業においては、そもそも鉄道の事業用地は、旧来から鉄道会社に貸しているのでもなければ鉄道会社のものであり、住民が持っているはずがありません。そうであればこそ、この判決は、連続立体交差事業は住民がその認可の是非を争うことの出来ない事業だという事になってしまいます。

 また、一審判決が違法認定した騒音問題について、1992年の都市計画決定の際に在来線の騒音基準がなかったことを理由にこれを避けています。これは、この事業について実施が義務付けられた環境アセスメントは無意味であるということを言っているに等しいといわなければなりません。この判決の特徴は、初めに行政を勝たせる目的ありきの判決というほかはなく、正に論外の判決であります。

 国民の裁判権を無視し、環境問題そのものを無視するかかる判決を断じて容認するわけには行きません。
 私たちは、最高裁への上告で徹底的に闘うことをここに明らかにしておきます。(2003年12月18日)



■攻勢のうちに最終弁論を終え、結審(2003年10月30日)
 100名の傍聴席を満杯に第11回口頭弁論は10月30日に行われました。全国的に組織された101名の弁護団からは、20名近くが出席。最終準備書面陳述の後、東京、大阪、京都とそれぞれを代表した弁護士から発言がなされ、最後に斉藤弁護団長が陳述を総括する発言がなされました。
 沈黙を続ける官側代理人席とは裏腹に、2時間にわたる法廷は熱気にあふれ、それぞれの弁護士の発言に傍聴席からは拍手が沸き起こりました。
 「60年代からシールド技術は地下鉄の主流となった」と書かれた営団地下鉄の全面広告パネルを指し示して行われた迫力ある斉藤弁護団長の最終発言が終わると、さらに大きく長い拍手。当初、静粛にといっていた裁判長も、最早さえぎることもなく、弁論は終決しました。

第一審原告(住民側)最終準備書面その1
第一審原告(住民側)最終準備書面その2−2

 最終準備書面の主要部分を掲載しました。
 準備書面の最終部分は、日本近代の都市計画論が「都市悪の除去」に原点があったことを示すものとして、当時の先進工業都市であった足尾を舞台にして書かれた漱石の小説「鉱夫」が引用してあります。戦後の都市計画が利権の確保を目的にしたものに変質した事への鋭い批判となっています。1、2−2ともども是非お読みください。

■認可取消訴訟控訴審・東京高裁判決に向けてのメディア掲載情報より
判決を前に各種メディアに取り上げられています。

★週刊「エコノミスト」2003年10月28日号▲ 「公共事業見直し」を迫る小田急高架事業問題 (斎藤驍 弁護士・小田急訴訟弁護団長)
★讀賣新聞 論点 2003年(平成15年)10月28日(火曜日)▲「逃げない裁判所」増える(大川隆司 弁護士・全国市民オンブズマン連絡会議代表幹事)
★日刊ゲンダイ 2003年(平成15年)10月29日(28日発行)▲まさか後退しないだろうな小田急高架訴訟(ジャーナリスト 斎藤貴男)
★サンデー毎日 2003.11.2▲「騒音防止と列車スピードアップを実現するには、大胆な発想の転換が必要だ」(作家 三田誠広)
★週刊金曜日 2003.10.24(481号)▲"失敗した公共事業"はどう裁かれる(ジャーナリスト 保屋野初子)

■第10回口頭弁論で須田市民専門家会議事務局長 陳述書(2)を説明(2003年9月4日)
2003年9月4日の第10回口頭弁論には、当初、須田大春氏の証人尋問が予定されていましたが、国側の妨害もあり、これは実現しませんでした。その代わりに、須田市民専門家会議事務局長が異例の「弁護団補佐人」として上記陳述書の説明を法廷で行いました。
裁判長のこの措置に国側はクレームをつけましたが、後の祭り。
国の主張する昭和39年の高架複々線決定が実は幻であり、旧法での都市計画決定は「幻の世田谷通り下の昭和37年地下鉄計画」を小田急線に貼り付けたに過ぎないことを見事に立証しました。
7月8日付けの須田陳述書とあわせてお読みください。


休日・夜間の工事は原則禁止!

小田急高架の夜間・休日工事差止め仮処分で勝利の和解(2003年7月15日)

第8回口頭弁論の報告・・・須田市民専門家会議事務局長 高架事業の不合理性を多角的に立証
2003年7月8日に行われた証人尋問の報告です。
須田大春先生が予め提出した陳述書(須田大春陳述書)
を掲載しました。 1審東京地裁藤山判決を読み解くためには必読の文書です。

第7回口頭弁論の報告・・・道路との一体計画であることを状況写真で強烈にアピール
2003年5月13日に行われた口頭弁論の報告です。
第一審原告(住民側)準備書面(4)その1(図表・別紙を省略してあります。)
第一審原告(住民側)準備書面(4)その2
を掲載しました。

第6回口頭弁論の報告・・・ブーイングで法廷は騒然
2003年3月4日に行われた口頭弁論の報告です。

第5回口頭弁論の報告・・・ 黙りの国に裁判長は反論を促す
2002年12月10日に行われた口頭弁論の報告です。

第4回口頭弁論・・・身内の広告が矛盾を露呈
2002年10月1日に行われた口頭弁論の報告です。

控訴審資料 被控訴人(住民側)準備書面
新たに2002年10月1日に住民側弁護団が裁判所に提出した○第一審原告(住民側)準備書面(3)を掲載しました。○101名に増えた弁護団名簿も同時掲載です。(11月10日)。○準備書面(1)(2)もお読みください。

宇沢先生を囲む市民ゼミナールを開催
2002年9月14日(土) に小田急訴訟控訴審勝利に向けて、「小田急高架を見直す視点 都市再生へのふたつの道」と題した「宇沢先生を囲む市民ゼミナール」が開催されました。



以下には2001年10月一審勝訴判決までの記述です。原告側に画期的な勝利をもたらした東京地裁「藤山判決」への評価・評論です。



■認可取消訴訟・東京地裁勝訴判決に関するのメディア掲載情報より
★週刊「エコノミスト」2002年2月5日号▲「小田急線高架事業に見る「悪しき公共事業」を見直す方法」(須田大春)
★「エネルギーと環境」2001年11月8日・15日連載▲「国が控訴した小田急複々線事業の真相を代理人の斎藤驍弁護士に聞く」
★「虹と緑」(虹と緑の500人リスト運動・機関紙)2002年2月号▲「緑のコリドー(回廊)、代替案が導いた小田急高架判決」(木下泰之)
★「マスコミ市民」2002年1月号▲「小田急地下化、一審勝利ー運動のこれまでと今後」(木下泰之)
 


認可取り消し訴訟で全面勝訴!
2001年10月3日の判決は、官僚専横の公共事業の違法性を認定した正に歴史的なものです。


認可取消訴訟第1審藤山判決全文

原告団声明 小泉内閣への要請書  勝利判決の要旨  判決要旨の読み方
10・27勝訴記念集会アピール 運動方針・これからの展望と運動



私たちの代替案

神宮の杜から多摩川までの緑のコリドー(回廊)を (2000年10月19日付、扇建設大臣と石原都知事等への提出本文)
緑のコリドーを・要約版 (エコノミスト2000年11月21日号掲載)

画;長谷部了史(Hasebe Satoshi 横浜国立大学建築学コース)
在来線跡地と高架構造物を利用した2層の緑の立体コリドー(生態回廊)。この下に2線2層の地下鉄が走る。左は地上、右は高架。CGをクリックすると大画面になります。

  • 政府・東京都は住民との話し合いに応じ、控訴を撤回せよ!
  • 違法高架事業は2線2層地下シールド方式に見直せ!
  • 残存高架構造物は利用し、地上には2層の緑を!
  • 神宮の杜から多摩川までの「緑のコリドー」をつくろう!
  • 新宿からの一体地下化こそ、事業早期実現の道!





小田急問題とは?

はじめての方にも
よくわかる
(1999年8月作成 ウェブ創設時の
 「歴史的」文書としてお読みください)

機関紙「もぐれ小田急線」

1998年〜2005年

 

地下化推進運動の歴史

(小田急問題年表 2014年08月10日更新) 

資 料 集

各級判決、雑誌掲載論文、新聞報道など

リンク集