SEINAN GAKUIN OB ORCHESTRA
THE 11TH REGULAR CONCERT

曲目について


 

 ドビュッシーという人が語られるとき気の毒なことは、変人、というより人でなしぶりばかりが先行し、その作風と結びつけられてしまうことだ。エゴイストで陰口が好き、借金は踏み倒す、柔弱遊情、官能主義者、皮肉屋。喧嘩好きのくせにからきし弱く、背は低く太め、青白い顔に垂れた瞼、長い顎鬚、憂鬱そうな表情、常に病的で額の突き出た様は「脳水腫に罹ったキリスト」とまで呼ばれた。それでも愛してくれた女性すら、しかも2人も無残に棄て、自殺未遂にまで追いやったような男を、世間が良く言うはずはない。「ああいう人が創った曲はこんな風になる」的な世評は、それはそれで必然なのかも知れない。
 若い頃の彼はカフェやキャバレー(といっても今日的なお父さんの社交場ではなく)で知り合った「自由奔放な芸術家たち」--ランボォ、ヴェルレーヌ、マラルメ、スーラ、ゴーギャン、ルノワール、モネ、ドガなど--を通じて当時の流行を思い切り吸収した。後に彼の作品に影響した東洋、特に日本趣味もこの頃芽生えたものだ。音楽院に在学中、名教授フランクに反抗し「転調マシン」というあだ名まで付けた彼は、既存の音楽よりむしろ同時代の文学を理想形としていた。そんな彼がマラルメの長詩『牧神の午後』に興味を示したのは当然の成り行きかも知れない。
 この『牧神の午後への前奏曲』を音楽史上の大事件と評価する人は多い。いわく19世紀の修辞法を破壊、20世紀音楽の進路を決めた、音自体の持つ力の獲得、音楽界のランボォ、ヴェルレーヌである云々。大仰はともかく、他の芸術の後追いをしていた音楽というジャンルが一気にアップ・トゥ・デートになったという功績は確かだろう。
 2度も酷い女の捨て方をしたドビュッシーは、3度目には人妻エンマ・バルザックとの間に娘をもうけ、奪い取った後正式に妻とした。懲りない男だ。しかし、エンマの知性と芸術的素養、強い母性は、自分似の可愛い娘と相俟って、彼のそれまで渇いていた心を満たす。「やっと会えたね」ということなのだろうか。それまでの浪費癖と手当たり次第の女の悪さは、生活のためには仕事を選り好みしない指揮活動と、同じ家に住んでいながら妻にラブレターを書き、それを娘に配達させるという愛情の豊かさへと変わった。あの快楽主義者が『子供の領分』を書くなど、誰が想像し得ただろうか。
 だが、生活のための無理は彼の身体を蝕む。やっと掴んだ人並みの幸福から10年目の春の日の夕方、昏睡に陥ったドビュッシーは世を去った。その最期は「彼の描いたメリザンドのよう」に穏やかなものだったという。
 宇多田ヒカルの志望校はコロンビア大学らしい。志望動機は「NYの自宅から近いから」。日本でいえば「文京区に住んでいるので東大へ行く」ということか。
 ペテルブルクの法律学校を飛び級しながら優秀な成績で卒業し、法務省官吏となりながら作曲の道にどっぷりとつかり、エリートとしての前途を投げ出して結局退職してしまったチャイコフスキーはどうだろう。少なくとも我々一般人は「オリコンいきなりベストテン入り! 注目の26歳は東大法学部在学中に国家T種合格→大蔵省在職中の超エリート」などと女性○身に載ったヤツをフツー人とは思わない。
 『弦楽のためのセレナーデ ハ長調』は、彼が人生の失敗=結婚から立ち直り、猛烈に作曲しはじめた頃のものだ。「書くことがなくなると退屈してしまいます」「このセレナーデは内からの衝動に駆られて創ったので気持ちがこもったものになったし、本当の価値を持たせなくてはと思っています」。同時進行で全く反対キャラの『1812年』に精力的に取り組んでいることからも、彼の絶好調ぶりがうかがえる。
 『アタマの良い奴は難しいことを言わない』と昔、人から聞いたことがある。いろいろな決まりごとをクリアして、奇をてらうことなく、単純明快でしかも正攻法。そして魅せます、泣かせます。チャイコスフキーにしても、Hikkiにしても、あぁ、天才たちの『甘いワナ』って、なんて心地いいんでしょう。
1.ソナチネ形式の小品
2.ワルツ(円舞曲)
3.エレジー(悲歌)
4.ロシア的主題による終曲
 ストラヴィンスキーは、ロシアバレエ団を主宰するディアギレフと組み、初期のバレエ音楽を何作か創った。その締めくくりがこの舞踊音楽『春の祭典』である。
 1人の娘をいけにえとして捧げるという原始主義的なドラマを通じ、ストラヴィンスキーが描こうとしたのは「わずか1時間のうちに」「大地全体がむっくりと起き上がる」「ロシアの猛烈な春」だ。今では「現代音楽の古典」と呼ばれるに至ったこの曲も、バレエ初演を観ようとシャンゼリゼ劇場に詰めかけた1913年の聴衆にとっては天地を揺るがすような大事件であった。しかし、喜心に満ち万物が調和する春を期待した聴衆の失望--彼に対する糾弾にも「私が探求するのは音楽自体の本質を貫くこと」と動じもしない。「20世紀最大の天才的作曲家」は「常にもっぱら自分自身のためにのみ語っていた」(ショスタコーヴィチ)。人を酔わせる技を持っていながら、それを目的としなかったストラヴィンスキーはそれ故に、誰でも知っていて、誰でもがその作品を知らない作曲家になってしまったといえる。この画期的かつ衝撃的な作品は、その後の彼の創作活動の中のほんのあいさつ代わりに過ぎなかったのだから。
 第一部 : 大地礼賛
   1.序奏
   2.春の兆し〜乙女たちの踊り
   3.誘拐
   4.春の踊り
   5.敵の都の人々の戯れ
   6.賢人の行列
   7.大地へのくちづけ
   8.大地の踊り

 第二部 : いけにえ
   9.序奏
   10.乙女たちの神秘な集い
   11.いけにえの讃美
   12.祖先の呼び出し
   13.祖先の儀式
   14.いけにえの踊り

(匿名希望)

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